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飯田線旧線(夏焼第一隧道、第二隧道)

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夏焼集落側からの帰り道の紹介となる。現在の夏焼第二隧道だが、当時はこれが夏焼隧道だった
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馬蹄形の鉄道規格のトンネルを2/3程戻った所
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川側の方向に謎の横穴がある
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内部に10数m入ると少し高くなる
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工事の時の看板だろうか
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振り返ると壕の高さが低い事が解る。これは道路化される時の嵩上げが行われた影響らしい
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軽便鉄道規格のレールが落ちている
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ここから先は水が溜まっている、長靴で十分行けるが数10mで崩落ではなく行き止まりになり貫通していない
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第二夏焼隧道を出ると、目の前に見える第一夏焼隧道(旧栃ヶ岳隧道)との間に数10mの空間がある
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その間の山側に、行きにチラッと見た気になる穴が在る
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道路の嵩上げの為に、路面より低い所に開口した異様なトンネル。
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トンネル外にまで組まれている崩落除けのレールを利用したガードが目を引く
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安全だから入って来いと言っているように見える
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横のアーチは頑丈そうだが、レール間の繋ぎは申し訳程度
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中々見ない、鉱山入り口の様な感じだ
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湿気のせいで、かなり腐食も進んでいる
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人を入れると広さが解る
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奥の方は結構崩れてきている
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とのさんの頭の上が、結構危ない。
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自分はビビッて下には行けなかった
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最後は違う質の土砂で埋められていた。恐らく在来線の大原トンネル(5063m)を掘る時の、ズリ出しに使われたのだろう
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頭上が怖いので脱出する
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第一、第二の間の平場を川の方に行って見る
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林業用のケーブルがある
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ふと下を見ると、コンクリート製の構造物が並んでいる
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これは旧線の橋桁だろう
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旧線は川沿いを走っていて、廃道になった288号線の下には第三難波隧道も現存している
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ここにレールが掛かっていて、列車が走っていたのだろう
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昔を思いながら廃線を見て回るのもたまにはいいものだ
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廃村 夏焼集落

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夏焼隧道を出て、右に行くと夏焼集落に向かう道になる
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路肩に張り出し車庫を作っていたようだが
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もはや宙ぶらりんで助ける事は不可能
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この辺までなら舗装もされているし、バイクならなんとか
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このカーブで山水で崩れた路盤により、車両は通れなくなる
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オフロードならまだ行けるが迷惑だろう
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夏焼集落のトロッコ駅、高齢者の多い集落に荷物や人を運搬する為に幾つかの方向にレールが引かれている
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崖下を覗くと、何故か自転車が5~6台落ちている、引っ越しのゴミか自然落下かは当人にしか分からない
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ここからはひたすら登りだ、良くこんな所に高齢者が生活していたもんだ
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ガケ一面の茶畑、どう見ても整備されている。最後のおばあちゃんが退去して3年になると聞いたが?
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九十九折りの階段を登って行く
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ガードレールで整備されているが、どこまで登るのやら
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住居の土台と思われる石垣が散見するようになる
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養蜂の箱も置き去りだ
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水面近くからここまで登って来たが、まだ集落にに付かない
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ライフラインの水道電機は確保されている様だが、ガスはプロパンだろう
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やっと上の方に住居が見えて来た、どうやってこんな所まで建材を運び上げたのやら
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こんな石垣の整備だって大変な工事だろう
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登って驚いたのは、意外に近代的な住居が多い事だ(藁葺き的な想像をしていた)
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九十九を適当に登って行くが、意外に道が荒れていて判り難い
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驚くほど綺麗に保存され、荒らされた感じが全くしない。廃村と言う気が全くなく、お出かけして留守の様な印象。
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崩壊してしまっている家も中にはあるが、早い段階で放棄された家だろう
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基本的に屋根はトタン板の様で、廃墟感が増す
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段々道が怪しくなって来るが、とにかく登る
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湖面から大分登って来たものだ
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まだ上に家がある
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小さなお社がいくつか並ぶ
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諏訪神社
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神社の横に、荷物運搬用のケーブルが朽ち果てている
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水天宮碑
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ほぼ村の最高点
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誰かの忘れ物のヘッドホンが木に掛けてある
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殆どの家の前までケーブルは伸びている、ポイントを切り替えてあちこちに行くちょっと面倒そうなシステムだ
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路地を進んで行くと
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ケーブルの駅がある
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とのさんが面白い物を発見する
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おさるのかごの様な先代ケーブル
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古いコンクリートの手洗い水槽
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全てでは無いが概ね回ったので下山する
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この集落は3年ほど前に最後の住人が退去しているが、定期的に各家庭の親族が手入れに訪れている
この時も一組のご家族に出会い、話を聞かせて頂いた。
訪れるのは自由だが、悪戯や住居の進入、破壊はせずに、持って帰るのは写真だけの精神で行って欲しい。
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不思議と荒らされた形跡の全くない集落跡だった、このままでいますようにと合掌するとのさん
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滝に寄ってクールダウンして撤収する。

廃道 静岡県道288号飯田線旧線

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この日の探索を終え、佐久間ダムに立ち寄った
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夜のダムって意外に怖い
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こういう所を見ると、砲座に見えるのは病気だろう
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佐久間ダムの脇の道
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小路の時の待避所やズリ出し等に使われた穴らしい
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途中から素掘りに変わる
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いきなりトンネルが真っ赤に染まり、緊急車両が通過するのを待避所で待つ
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するとそこには偶然穴が在った
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それでは行かなきゃならないだろう
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出口は綺麗に巻かれている、柵まで行って見る
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どうやら佐久間ダムのビュースポットとして掘られた観光トンネルのようだ
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大嵐駅までやって来た
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ここの駅舎は東京駅をイメージして造られたそうだ。ちなみに駅舎とは言っても村の資金で作ったそうで、駅舎ではなく休憩所扱いとなり、駅員もいない。
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ホームの先端が、トンネルに入っているように見える
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苔むした感じがいい
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トンネルは段階的に狭くなり、ポイントを経て単線となる
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反対側も同様、駅の両端をトンネルに挟まれている珍しい駅である
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元々はその隣にあるこちらの現車道が飯田線の鉄道トンネルだったが、1942年(昭和17年)9月27日に豪雨でプラットホームと駅舎が天竜川に崩れ落ちる事故が発生した為、内陸の方に移動し、現在のとんねるを掘った経緯がある。
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夏焼第一隧道(最初の名前は栃ヶ岳隧道)、1936年(昭和11年)に、三信鉄道が白神駅(現在廃駅) - 大嵐駅間に建設した夏焼隧道(トンネル)で、竣工当時の延長は98.6mだった。(第二は1,238m)
その後、日本国有鉄道飯田線のトンネルとして使われていたが、1955年(昭和30年)11月1日に佐久間ダムの建設に伴う同線の付け替えにより廃止となり、道路トンネルに転用された。また、転用に当たって、佐久間湖満水時の水没を防ぐため5m嵩上げするように南側(佐久間側)から100mほど掘り直された。内部は照明が少なく常に薄暗い。大嵐側から200mほどの地点には横穴があり、ところどころに退避坑が残っている。 佐久間湖満水時の水面は標高260mなのに対し、トンネル南側の標高は263mのため、異常増水時は水没の恐れがあり、1960年(昭和35年)頃に水没したことがあるという。(ウイキペディア)
第二もあるし長いので、途中で引き返す
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深夜2時を越えたので、今夜は駅に泊る事にする
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大嵐駅で朝を迎える
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この橋の向こう側は愛知県
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橋のこっちは静岡県
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夜は見えなかったが、駅の側に旧プラットホームの残骸がある
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なんとかそれと判る形で残っている
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夏焼隧道を走る
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途中、興味を引くものが見えたが帰りにする
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夏焼第二隧道は長い
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出口が見えて来た
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佐久間ダムに繋がるダム湖
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カヌーやサップでここから下る人が多いようだ
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出口側
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一度だけ冠水した事があるそうだ
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廃県道288号線
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登山道もある様だが、まだ使えるのか?
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県道288を少し見に行った
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落石に次ぐ落石で、県が復旧を放棄したらしい
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道幅は2車線取れそうなところもある
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しかし地滑りで1m近い高低差で川に落ちているだけだった
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ここに草ヒロが嵌っていた
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昔の車には、こんなの書いてあったな~(商業車を家庭で使うには自家用登録が必要だった)
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昔の車の車内はシンプルだ
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とのさんはいたく気に入ったようだ
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いろいろと見ていたが、エンブレムは無く車種不明
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至る所で落石している
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山間に、次の目的地、夏焼集落が見える
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とのさんがグイグイ進んで行く
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側道にシャッターのようなものが落ちている
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時折りリアルに小規模な落石がある
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道路にプレハブが建っている?
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復旧の時の作業小屋だったのだろうか
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ここから先は盛大に崩れているので、行きたがるとのさんを説得して引き返す
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下に橋脚の様に見える物があるが、降りれない。この辺に旧トンネルが現存しているらしい。
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プレハブが落下している所もある
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落石注意
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路盤の石垣も崩れ気味

旧小湊行合隧道

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現道の行合隧道の付近に、旧隧道が残っているそうだ
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現道の付近を歩いて入り口を探す
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この隧道マニア達にとっては再訪なので、概ねはわかっている
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自分はただ着いて行くだけである
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草藪に突入し、落ちるとヤバい所をかすめて行く
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一藪越えると、確かに道路だったと言えるような所に出た
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中央の切り通しに入って行くと
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何やら奥に見えて来た
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これが今回の目標、旧行合隧道だ。一見本体には全く損傷は無い
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本隊が中々来ないので、先に失礼する
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内部はどこか雰囲気が違うなと思ったら
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隧道内は全て石を巻いて造ってある。千葉では殆どない貴重なモノである
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経年劣化しているものの、崩落も一つも無く当時の土木技術の高さを感じる
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当時の電線でも通していたアンカーだろうか
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反対の出口は、派手に外部から土砂が流入している。人物を入れると隧道の大きさが解る
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僅かに開いた開口部から脱出する
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反対側に出た
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入り口側と違って、上部の補強が多いようだ、当時から付近が崩れやすい事は判っていたのだろう
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後続が出て来た
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こんな狭い所から這い出して来るなんて、ガチな人達だ
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少し離れると、崩れても当たり前だなって思える所に開口している
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こんな所を車が往来していたとは思えない光景だ
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現道に戻って来た
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ここには謎の穴が在るらしい
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貯水層として活用されているようだが、防空壕としては大きい、震洋壕と思われる
隣に立派なトンネルがあるのに傍らに防空壕を掘る意味は無いだろう、物資格納壕かも知れないが

伊南房州通往還(廃道江戸道)

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明け方の首都高を千葉に向かう
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今回はやせいじんさんも参加しての探索
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岩高山にある古道を縦断する
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現道と古道への境目からスタート
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のっけから嫌な物を見た
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周辺のルートを確認しながら進む
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耕作放棄地の脇を抜けていると
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炭焼きの穴を発見
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炭焼き穴に深々とお辞儀をする師弟コンビ
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ここから本格的な古道になる切り通し
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なるべく高低差を削り、フラットに歩けるようにしている
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この古道は大きく二回整備されているらしく、谷側ギリギリのルートと山側の新ルートが新たに掘られている部分がある
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上から見る、右が谷側ルート、左が新ルート
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ここで隊長が寛永通宝を拾う、江戸期の往来の確かな証拠だろう
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下から迂回ルートを見る、真ん中の島を平作した方が楽だったのでは?
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パパさん達が何かを見ている
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壁面に仏像が置かれている
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尾根道も平らく掘削されている
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ここらで記念撮影をしようとなる
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木の枝の即席三脚で撮影
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時折り分岐に思える道が出現し、迷いそうになる
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ここまで掘らなくてもと思う所もあるが、基本的に馬道として整備されているらしい
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下り傾斜のキツイ斜面
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岩盤側には歩行者用に階段が掘られていた
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トップを上手く回避して水平に近く道を造っている、現在のトレイルコースよりも歩きやすい
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隊長がここが今回の予想ポイントだと言っている
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過去にここを旅した正岡子規のスケッチした海の見える場所を特定するのが今回の目的だった
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意気揚々と寺へのコースに向かう途中に、別ルートを発見
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焦点が合っていないが、こちらの方がスケッチにより近い印象がある
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何よりスケッチに非常に適した開けた場所だ
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こんな感じに座ってスケッチをしたんだろうと思いを馳せるおじさん達
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戻る道は馬道といい、寺へのコースと別にある馬の通りやすいコースを降りる
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分岐路には窟が複数あり、往時は地蔵などが置いてあったのだろう
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反対側の斜面に穴らしき物も見えるが、今回はパス
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道幅も十分に確保され歩きやすい
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しかし100年の歳月は木々も生え、馬は無理そうだ
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幅1mを確保しつつ、高低差を極力減らし、かなり掘削している
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上に登るとその深さが良くわかる、これが元の高さだ
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なごんでいる三人
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この掘割りも人力で江戸時代に掘っているんだな
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後はひたすら下山して行く
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しかし通る人の無くなった古道は荒れ放題
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沢を避けてU字になっている古道
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ショートカットをした自分に対して、古道を歩くんだと困難な道を選ぶ人たち
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下まで降りて来ると、太い倒木が何故か増える
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沢に沿って下って行く
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石垣も見えて来て、人家に近づいてきた
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下山終了
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岩高山参道入り口碑
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お墓かと思ったら、古代の道標だった



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