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筑波海軍航空隊 その4(地下戦闘指揮所)

新たな目玉となる地下戦闘指揮所に向かう、ここには筑波海軍航空隊記念館から自力で行かなくてはならない
駐車場はあるので車での移動は可能である。
毎週土曜日・日曜日(祝日は公開なし)、料金は筑波海軍航空隊記念館+地下戦闘指揮所 共通入場券で大人800円となる
事前予約制で、予約無しで現地に行っても門前払いされる。
一日4回の公開時間が設定されているので予約時に申し込む必要がある、当日はまず筑波海軍航空隊記念館でチケットを購入してからの見学となるので、時間だからと現地に直接行っても入れない。
予約の方法はwebか電話が一般的、一応筑波海軍航空隊記念館のホームページを貼っておくので要確認。
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正門から出て左に曲がり、この看板を左に曲がる
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未舗装の民家前の道を奥まで進む
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突き当り迄行くと、ロケで使われた零戦レプリカの格納庫が見えて来る
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その手前が地下戦闘指揮所となる
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見取り図
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格納庫で受付を済ませ、簡単なガイダンスを受ける。必要なら懐中電灯を貸し出してくれる
見学は時間内フリーで、ガイドが付かないがかなり自由だ、内部には細かい説明板がある。
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この案内板を造った人はあわてんぼうなのか、今度は左下が地(下)要塞になっている
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地下戦闘指揮所への入り口
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入り口は下りスロープになっている
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電灯は点いているので、無理に懐中電灯は無くても何とかなる
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各所毎に案内板が付いている
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大部屋(1)に入る、部屋中にある縞模様は、コンクリートの壁に板を貼って部屋にしていた痕跡だろう
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各部屋にある通気口(異常なほどにある)
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一旦横に長く伸び、奥で上に上がる、珍しい形式
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反対側から入って来た方向
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大部屋(1)
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中央の部屋は、全て南側通路の寄った中通路で繋がっている、串団子状態だ
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大部屋の角は全てこのように加工されているが、1945年にしては余裕がある
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北側通路に戻る
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北側通路の反対側は開口しているが、民地になるので出られない
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大部屋(2)に入る
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地下応急治療室もいずれ公開して欲しいものだ
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大部屋(2)から隣の最奥の部屋小部屋(3)に行く
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小部屋は弾薬庫のような形状
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異様に多い通気口、他に何か目的があるのか?伝声菅にしては位置が高い
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六角形の通風口
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筒内も六角形
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隣の大部屋(3)からライトを照らしてみた、確かに貫通している
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小部屋は片側南側通路にしか開口していない(中通路除き)
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小部屋(3)
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南側通路に降りるには、二段の階段が有る
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南側通路奥の出入口も封鎖されている
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水面側通路、出口方向
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南側通路
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南側通路の外側に唯一ある部屋
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通信室
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電路と思われるパイプ
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中央の部分に発電機があったのだろう
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燃料タンクだろうか
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となると、こちらが通信機か?しかしコンクリートの壕内で、発電機のすぐ横で通信業務なんか出来たのだろうか?
物凄くうるさそうな気がする。
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配電盤が有っただろう壁の跡
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通信室の入り口方向
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通信室の真向かいにある部屋
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小部屋(2)
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ここはこの施設の中央の部屋になる
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一度通路に戻る
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大部屋(1)を挟む
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部屋の奥は穴だらけ
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南側通路に出る側には二段程度の階段が有る、最後だけは1段とスロープになっている
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外に出る


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格納庫の零戦21型を見て行く
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映画のロケセットで使われたレプリカ
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良く見なければ、十分な出来栄えだろう
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零戦の横に見慣れない物が置いてある
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昔は本当にこんな鳥人間コンテストに出そうな飛行機で戦争をしていたんだなと思ってしまう
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良く残っていたもんだ
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筑波海軍航空隊 その3(外周後半遺構)

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本部庁舎横から周辺遺構を見るコースがある
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友部病院の廃墟感のあるコースだ
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本部庁舎裏庭を見る
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ここは発掘調査がされており、そのトレンチが残る
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立ち入る事は出来ないが遺構の外観を見る事は出来る、手前は地下通路の一部
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地下無線室の遺構が見える
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戸板で隠されている部分は、無線室前後にある出入口
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いずれ整備されたら見学コースになるかも知れない
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中央の緑枠の部分になる
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図面は見ると面白い
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中庭の池
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恐らく当時からの物だろう
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一番奥まで行って左を見ると、入り口のコンクリート塀が見える
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供養塔
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水素瓦斯格納庫
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この辺の地面から変な物が生えている
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図面から照らし合わせると、地下通路の通気口と思われる
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一番上の赤い部分だ
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汽缶場に向かう
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当時から在りそうな銀杏の大木
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基本的には何も無いように見える
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これが煙突跡かと思ったが、違うようだ
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曲がった金具
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壁の一部だったのか、大谷石が積んである
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あとはコンクリートの床があるだけだ
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明かな印刷ミスだろう、水素瓦斯格納庫跡になってるぞ
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一番北側まで来た
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旧正門跡は外から見る
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防空壕と50mプールは茨城県立こころの医療センターの建物で破壊された
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昭和13年に海軍道路と直結した隊門に、正門の座を委譲した
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外から見た旧正門
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右側の門柱
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左側の門柱
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面白い形の窪みがある
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ここに電球を灯していたようだ
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それぞれヒンジの跡が残っている
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駐車場に戻り、神社跡を見に行く
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まさに跡しか残っていない
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祭壇?
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鳥居の基礎二つ
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なんで神社を壊してしまうんだろうか?
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住宅街に移動する
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地図の左上にいる事になる
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碑文を撮りたいのだが、どうやっても自分が映る、文字も反射で見難いし
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これが誘導路
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こっちが滑走路となるが、道幅は狭くなっている

筑波海軍航空隊 その2(司令部庁舎)

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司令部庁舎を見て行く
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二階の張り出しは当時の物だが、車寄せは戦後の増築。見学入り口はここではない
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記念館との間の通用口からの見学となる
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戦後、病院として使われていた感じの残る廊下
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良くある構造の二階への階段、階段は三ヶ所ある
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右側の部屋は事務的な部屋で、右側の中央部にエンジン等の展示がある
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庁舎内部構造図
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この地で発掘された物かは分からない
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小さなパネル展示の部屋もある
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団体さんに道を塞がれた(なんでみんなこっちを見る?戦闘服が珍しいか?)
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二階に行く
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ゴジラー1.0の衣装などの展示もある
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一応のコラボレーション
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本来の展示品の影が薄い
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二階には当時の部屋の再現がある
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偉い人の部屋
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病室
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昭和の病院って感じの二階の廊下
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TVもPCも無い生活
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写真や戦意高揚ポスターの展示
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パーテーションの展示室
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二階最後の部屋
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艦これとアルペジオ
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お決まりの大和で〆となる
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思い出して、二階の窓から中庭を見る
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やはり見えた、今回発掘された地下無線室の入り口と右の通気口らしきもの

筑波海軍航空隊 その1(外周前半遺構及び筑波海軍航空隊記念館)

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現地に到着すると、まず見えるのがこの隊門だ。外の道路沿いにあるが、駐車場に停めてからでも近い
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自分は焦って路駐して写真を撮ってしまった
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茨城県立友部病院、1954年に筑波海軍航空隊基地の本部庁舎等を使用し精神科として開院
現在、茨城県立こころの医療センターとなり、旧飛行場遺構のある手前部分を筑波海軍航空隊記念館とした
ここの遺構は基本的に茨城県立こころの医療センターの敷地内となるが自由に見て回れる。
もちろん今回見つかった地下通路見学等は論外である。(入り口外観だけは見れる)
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電気で光る様な構造だが、友部病院時代の物かも知れない
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筑波海軍航空隊慰霊碑
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航空隊跡地マップがあり、説明板も付いている。番号の無いものは消失しているが池はある
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隊門すぐ横のコンクリート塀
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ここでやっと駐車場(無料)に入れる
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駐車場横の桜並木
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司令部庁舎
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隣の木造兵舎は筑波海軍航空隊記念館に建て替えられた
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玄関ポーチ部分は、写真と全く変わってしまっている
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筑波海軍航空隊記念館前の号令台
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なんで取っ手がこんなに高いのだろう?
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階段には手すりの跡がある
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反対側から見る
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天井部分には、柵があった跡がある
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内部
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地下通路伝説は、何処にでもあるもんだ
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筑波海軍航空隊記念館に入る
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入口右手はお土産屋さん
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この地下通路は敷地内に張り巡らされている
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写真だけ貼っておく
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いろいろイベントもやっているようだ
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中に入る、右はシアタールームだ
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ここにも若干の資料が展示してある
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左は休憩所兼展示室
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零戦21型の後部胴体が展示されている
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本当に指でつまんで曲がってしまいような感じの薄い外板だった
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手前には模型の展示
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半地下の展示室
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ゆっくり出来る人には良いだろう展示室
参考YouTube

霞ヶ浦海軍航空基地後半、土浦海軍航空基地(あみボランティア編)

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弾道試験場を見に行く
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これは戦後の銃器メーカーの試験施設である
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現在は物置として使用している
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200mと50mの二本有るが、一部欠損している
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欠損部分、他社の時代に裏門の出入りの為に削ったそうだ
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格納庫(工場内)に入った、現代と戦中の鉄骨が混在する
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リベットの鉄骨に補強を入れている所もある
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窓枠は一部を除き、当時の物が使われている
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防火水槽なども、当時のままであろう
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この付近で唯一の近代的構造物、煙突を壊した所をトイレにしたそうだ
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中央部分の格納庫に入る
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この部分は二つの格納庫の間を繋いで棟続きにした中央部分、近代建築である
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今一つ倉庫内の位置関係が苦しい部分がある
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古い格納庫部分との繋ぎ目、煉瓦の壁が有る
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通用口としてか?壁に穴が開いていた
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中央格納庫から出ると、真っ直ぐな道が有る
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今は壁が有るが、当時は土浦海軍航空隊基地までの、誘導路となっていた
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ここの桜の木は、当時の写真にも映っていた
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桜の時期に、この敷地は一般開放されるそうだ
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入り口近くの弾薬庫
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トンネルで繋がっているが、コーンがあるので、ここまでにしておいた
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中には廃屋が一棟あるだけだと言われた
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右下の部分だ
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上の写真の中下辺りに写っている小屋
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土塁の中にある弾薬庫
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戦後の小銃工場だった頃の弾薬庫
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重厚な弾薬庫の窓
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これにて井関農機内部に残る遺構の見学を終える、ありがとうございました!

現在の井関農機 茨城センターでは、随時見学を受けてくれている(要予約)
ざっと90分程の案内をしてくれるが、独自に過去の写真などから検証をしていたりするので
中々内容は濃く、興味深い。
本やネットでは知れない内容となっているので、興味のある方は訪れて見て欲しい。
あくまで会社の中なので、観光と違い希望に応じられない日もあるので、確認して欲しい。


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あみ観光ボランティアガイドさんと共に、見ていない遺構を中心に見て行く
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車もすれ違えない様な狭い住宅地にこれはある
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海軍用地地帯標
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第一三七号
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霞ヶ浦駐屯地の飛行場ブロックの外側
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この倉庫は元は格納庫だ
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茨城県稲敷郡阿見町中郷2丁目25にある、阿彌神社に訪れた
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阿彌神社本殿
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旧霞ヶ浦神社
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土浦海軍航空基地の燃料庫をついに見れた
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以前にも探しに来たが、判らなかった物件だ
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土砂の流入が激しいようだ
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ざっと20m位の単独壕のようだ、これが3つ有るそうだが、一つしか確認されていない
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ちょっと離れた所に、幅3mほどの陥没痕があった、崩れてしまったのかも知れない
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室﨑神社の境内付近には、ポンプ所の遺構が有る(茨城県稲敷郡阿見町曙419−5)
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私有地内にある台座とポンプの一部だそうだ
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柵が有るのでこれ以上近寄れ無い
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境内のこの木を囲むように台座のコンクリートがある
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ボルトが残っている
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付近の住宅の道路際に気になるものがあると言う
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昭和50年に道路工事で出てきた物だそうだが、ポンプ場の水道菅の一部の様に思える
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武器学校の側の道路沿いに背中を向けている標柱がある
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この標柱には番号が無かった大戦末期のものだろう
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最後に小さな標柱を見た
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古い茨城県の標柱が並んでいる中に
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低い無地の物がある、これに関しては何とも言えない、無地だから・・・
以上であみ観光ボランティアガイドさんの御案内頂いた物件の紹介を終わる
ありがとうございました、そしてお世話になりました!

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時間的には大分早いが、茨城は雨が酷くなってきたので、撤収する
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テッペンが雲に隠れているが、雨は小振りになってきた、も少し遊んで来れば良かったかな?