霞ヶ浦海軍航空基地後半、土浦海軍航空基地(あみボランティア編)

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弾道試験場を見に行く
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これは戦後の銃器メーカーの試験施設である
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現在は物置として使用している
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200mと50mの二本有るが、一部欠損している
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欠損部分、他社の時代に裏門の出入りの為に削ったそうだ
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格納庫(工場内)に入った、現代と戦中の鉄骨が混在する
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リベットの鉄骨に補強を入れている所もある
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窓枠は一部を除き、当時の物が使われている
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防火水槽なども、当時のままであろう
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この付近で唯一の近代的構造物、煙突を壊した所をトイレにしたそうだ
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中央部分の格納庫に入る
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この部分は二つの格納庫の間を繋いで棟続きにした中央部分、近代建築である
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今一つ倉庫内の位置関係が苦しい部分がある
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古い格納庫部分との繋ぎ目、煉瓦の壁が有る
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通用口としてか?壁に穴が開いていた
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中央格納庫から出ると、真っ直ぐな道が有る
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今は壁が有るが、当時は土浦海軍航空隊基地までの、誘導路となっていた
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ここの桜の木は、当時の写真にも映っていた
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桜の時期に、この敷地は一般開放されるそうだ
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入り口近くの弾薬庫
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トンネルで繋がっているが、コーンがあるので、ここまでにしておいた
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中には廃屋が一棟あるだけだと言われた
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右下の部分だ
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上の写真の中下辺りに写っている小屋
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土塁の中にある弾薬庫
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戦後の小銃工場だった頃の弾薬庫
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重厚な弾薬庫の窓
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これにて井関農機内部に残る遺構の見学を終える、ありがとうございました!

現在の井関農機 茨城センターでは、随時見学を受けてくれている(要予約)
ざっと90分程の案内をしてくれるが、独自に過去の写真などから検証をしていたりするので
中々内容は濃く、興味深い。
本やネットでは知れない内容となっているので、興味のある方は訪れて見て欲しい。
あくまで会社の中なので、観光と違い希望に応じられない日もあるので、確認して欲しい。


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あみ観光ボランティアガイドさんと共に、見ていない遺構を中心に見て行く
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車もすれ違えない様な狭い住宅地にこれはある
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海軍用地地帯標
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第一三七号
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霞ヶ浦駐屯地の飛行場ブロックの外側
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この倉庫は元は格納庫だ
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茨城県稲敷郡阿見町中郷2丁目25にある、阿彌神社に訪れた
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阿彌神社本殿
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旧霞ヶ浦神社
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土浦海軍航空基地の燃料庫をついに見れた
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以前にも探しに来たが、判らなかった物件だ
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土砂の流入が激しいようだ
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ざっと20m位の単独壕のようだ、これが3つ有るそうだが、一つしか確認されていない
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ちょっと離れた所に、幅3mほどの陥没痕があった、崩れてしまったのかも知れない
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室﨑神社の境内付近には、ポンプ所の遺構が有る(茨城県稲敷郡阿見町曙419−5)
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私有地内にある台座とポンプの一部だそうだ
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柵が有るのでこれ以上近寄れ無い
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境内のこの木を囲むように台座のコンクリートがある
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ボルトが残っている
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付近の住宅の道路際に気になるものがあると言う
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昭和50年に道路工事で出てきた物だそうだが、ポンプ場の水道菅の一部の様に思える
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武器学校の側の道路沿いに背中を向けている標柱がある
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この標柱には番号が無かった大戦末期のものだろう
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最後に小さな標柱を見た
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古い茨城県の標柱が並んでいる中に
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低い無地の物がある、これに関しては何とも言えない、無地だから・・・
以上であみ観光ボランティアガイドさんの御案内頂いた物件の紹介を終わる
ありがとうございました、そしてお世話になりました!

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時間的には大分早いが、茨城は雨が酷くなってきたので、撤収する
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テッペンが雲に隠れているが、雨は小振りになってきた、も少し遊んで来れば良かったかな?

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霞ヶ浦海軍航空基地 (井関農機茨城センター内中央格納庫)前半

以前にも何度か記事にした、霞ヶ浦海軍航空隊だが、今回、井関農機茨城センターF様より
当ブログにお声がけをいただき、社内に残された中央格納庫の遺構を見学させていただく事が出来た。

知らなかったのだが、こちらの遺構に管しては、現在事前申請が有れば会社の都合が付けば、平日及び
休日でも見学が可能になっているそうだ。
また、あみ観光ボランティアガイドさんによる、周辺戦跡ガイドも事前に頼めば可能である。
こちらは地元ならではのネットワークで、本では判い所まで案内してくれる。

井関農機様の資料より抜粋

当センターの敷地面積は、91,518平方メートル(27,733坪)、建物面積19,662平方メートル(約5,860坪)です。かつては霞ヶ浦海軍航空隊の有していた土地にあたり、構内には格納庫として使用されていた建物が現存しています。
霞ヶ浦海軍航空隊
大正11年大日本帝国海軍で3番目に編成された航空部隊です。飛行訓練の目的で霞ヶ浦を埋め立て、大正10年7月に霞ヶ浦飛行場が完成しました。後に、海軍の要請で来日したセンピル教育団の講習を受け、霞ヶ浦海軍航空隊が開隊しました。そうして、横須賀にあった飛行予科練習部を移転(昭和14年)させ、それまでになかった陸上・水上両揃いの予科練として全国の訓練生を担う役割を果たしていました。終戦(昭和20年)に至るまで10代の少年たちが基礎訓練を受け、戦地に赴くということが繰り返され、特別攻撃隊(特攻隊)として出撃した隊員もいました。

中央格納庫跡
大正期末中央格納庫は、霞ヶ浦飛行場の中央に位置していたとみられる現在の場所(当敷地内)に建設されました。鉄骨で赤レンガ造りの平屋が6棟建てられ、飛行機の格納と整備が実施されました。1棟は戦後焼失したようで現存していないため、当センターで現存しているのは5棟です。
第1格納庫から第5格納庫は400坪(約1,320㎡)、第6格納庫は500坪(約1,650㎡)の敷地面積がありました。(建物の呼称がどの並びで割り当てられているかはまだ正確にはわかっておりません)
鉄骨は全てリベット打ちという接合法で金属板が固定されています。側壁は埼玉県深谷市の製造所つくられた赤レンガを使用しています。
昭和7年の記録によると、第1格納庫には三式陸上練習機14機、第2・3・4格納庫には一〇式艦上偵察機14機、第5格納庫には十三式艦上攻撃機4機と三式陸上練習機8機をそれぞれ収容していたようです。また、第6格納庫は格納庫群の真ん中に配置して発動機修理工場や金属加工工場として使用されていました。

戦闘指揮所跡
 当敷地内の西側と東側に指揮所が二か所建造されています。2階建ての屋上も使用可能な構造で、昭和5年から8年頃に建てられたものとみられます。当時は飛行機の発着をコントロールしていたようで、屋上から誘導員が手旗信号で離着陸を管理していました。

昭和天皇行幸記念碑
昭和17年7月13日に茨城県下で行われた陸海軍統合練習時、昭和天皇が謁見時を記念して石碑が建立されております。
 石碑は直立ではなく、斜めに寝かした状態の姿になっています。これは、飛行場の中に建立したゆえ、飛行の障害とならぬよう配慮したものと考えられます。

火薬庫跡・弾道テスト場跡
 土塁のようなものが東側に2つあります。これは、戦後この敷地を当社が使用する以前に入っていた会社が銃を製造していたため、その過程で使用する火薬などを置く場所にしていたものです。
 真ん中がすっぽりと空いていて土が回りに盛ってあるのは、火事になったときの燃え広がりを防ぐため、中央に炎が集まるように工夫された構造だと考えられます。
 また、製造した銃の試し打ちをするのに使用していた、ブロック塀で囲まれた弾道テスト場もそのまま残されています。
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予約時間が1000なので、7時ごろにのんびりと出かける
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当日の天気はイマイチ、午前中だけでも持って欲しい
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一時間早めに到着したので知ってる遺構を少し見て行く
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海軍用地地帯標は、この時点ではこの2本しか見つかっていない
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予科練平和記念館にやって来た
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復刻した零戦レプリカ
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土浦駐屯地の外縁にある遺構を見てみる
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煙突の様な突起物が出ている土盛り
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第一〇〇油庫(印刷が荒くて読み取れない)
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第二〇〇油庫
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弾薬庫入り口増改造を受け、素の形ではない
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上図右上の部分だ、弾薬庫は角部分
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現在のグーグル航空写真(弾薬庫は全く変っている)
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真っ直ぐ伸びる射撃場
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現在は整地され、基地内外縁道路になっているようだ
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井関農機茨城センターへやってきた
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まず通されたのが、2つ有る戦闘指揮所の遺構である一つ、会議室などに現在はなっている
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魅力的な建物も見えてくる
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まずは簡単な戦後の経緯を教わる、米軍摂取後、企業として井関農機は三社目の用地使用となるそうだ
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②が現在いる場所
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現在は屋根を繋ぎ、棟続きの建物になっている
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当時はこの様に独立していた
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リベット止めの当時の階段(手すりは後ずけ)を登る
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格納庫の屋根は葺きなおしているようだ
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コンクリート部分はオリジナルだが、溶接の手すりは違うだろう、床面には防水シートが張られている
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庇を支える飾金具はオリジナル
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内装は変ってしまっているが、部分的に元の構造が見える
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外部に出て、格納庫周りを歩く
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部分的にオリジナルか不明な扉がついている、左右の煉瓦の幅からみて違うと思う
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最近のトラクターは、カッコイイと思う
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壁に高圧碍子が飛び出している、メーカーを見たかったが、あまり外れるのは止めておいた
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ここが格納庫の元々の飛行機出入り口、色違いの煉瓦部分は戦後埋めてしまった物だ
ちなみに上の飾り部分はイメージを残す為に、巨費を投じて復刻したものだ
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この部分だと思われる
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1922年の余裕のある時代に出来た飛行場なので、煉瓦の飾りもいい出来だ
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こちらの事務所で、説明を受けながらあみ観光ボランティアガイドさんと合流する
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内装は変っているが、この建物も遺構である
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火事で消失した部分や、増設工事の際に出てきた煉瓦の刻印をみる
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こんな刻印が刻まれているらしい
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戦後の東洋精機株式会社(小銃製作会社)時代の配置図(左)と終戦返還後の茨城県農業開拓建設所時代の配置図(右)
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当時の正門の写真
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現在は移設され、阿見小学校の校門となっている
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もう一つの戦闘指揮所に向う
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こちらは現在使用していない為、外階段は危険な為使用できない
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飾り支柱など含み、構造は先の物と全く同じ設計の様だ
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一階部分、内装は殆んど当時のまま見る事が出来る
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二階は特に判りやすい
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この屋上から手旗信号などで、航空機の離発着指示を出していたようだ
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現代と違って、窓が細かく区切られている
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壁の角に開いている穴、当時はここに時計が取り付けてあった写真がある
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天皇行幸記念碑、航空機離発着の邪魔にならない様に、低く作ってある
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碑文
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戦闘指揮所から撮った写真、この緑の垣根の間を通行したそうだ
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現在は枝が成長したせいか、いささか狭そうだ

後半に続く

鹿島海軍航空隊基地 (2016再訪)

かの震災により、水上機のスリップが大破したとの話は聞いていたが、実際に確認しに行った(5年ぶりかな?)
以前はただの野っぱらであった感じだったが、かなり修復開発されたようで、ほとんど外から眺めるだけにした。
ほんまに行けるときに行っておかないと、戦跡は解体されたり閉鎖されてしまう運命にある。
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鹿島海軍航空隊の隊門
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この壁もコンクリートの荒さから当時のものだろう
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この建物もリベットの具合からかなり怪しい
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以前はこんな綺麗な道路ではなかった
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鹿島海軍航空隊指令部が現存している
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以前は無かったセキュリティが導入されている(廃墟に必要なのか?)
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蔦の生え方がすごい
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以前は見えにくかった号令台がはっきり見える
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柵で囲まれているので、遠くから眺めるだけ
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前はあの辺まで行けたんだけどな
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何となく当時が懐かしい
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問題のスリップにやってきた、完全に補修されているようだ
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日曜のせいか以前より車が多い
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航空隊当時の石垣と、現代のコンクリートブロック
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ヘリポートまで出来ていた
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現代の水上機が駐機していた、当時もこんな感じだったんだろうな
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カタパルト台座跡を見に行く
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艦上から打ち出される訓練用のカタパルト(射出機)
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5年前は土嚢で覆われていたが大分見易くなったようだ
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南側にはかなり当時のままの護岸が残っている
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当時の桟橋とボートダビットが残っている
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上部にはボート(舟艇)吊り上げ用のクレーン台座がある
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霞ヶ浦に下りた飛行艇から、短艇で乗り降りしたのだろう
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階段の付いている護岸もある
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この曲がった桟橋が面白い
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こんな所にエの標石がある、引込み線があったのだろう
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燃料庫跡が農協の倉庫として使われている
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ここに記念碑が建てられているのだが
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震災の影響か、台座がずれてしまっていた
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今ではすっかり駐車場となってしまっている様だ
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裏手に関連遺構もあるが、私有地なので遠慮する
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道路脇に御影石の石柱がある
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残念ながら折れてしまっていて、判別できない
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ここにも一つあった
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こちらは「海軍用地」がはっきり確認出来る
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これは違う気がする
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号令台の裏手に階段の付いた土塁がある
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当時の物か開発の残土かは不明だ

土浦海軍航空基地 (再訪2016)

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土浦海軍航空隊(つちうらかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊・教育機関の一つ。予科練の練成を行ってきた霞ヶ浦海軍航空隊を初歩練習・実用練習部隊に改編させるため、予科練習部を独立移転させる形で発足した。太平洋戦争開戦とともに、全国各地に後発の予科練航空隊が林立したが、そのルーツともいえる教育部隊である。
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予科練平和記念館(内部は撮影禁止)
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現在は陸上自衛隊土浦駐屯地及び、武器学校となっている
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以前は屋内にあった回天の実物大模型が、屋外に追い出されていた
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実際に見るとかなりでかい
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これが付いてなければ、ほぼ魚雷のまま
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後ろから観ると魚雷にしか見えやん
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付近に当時の建物の一部と思われる、リベット止めの鉄骨が放置されていた
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この相当古そうなポンプ小屋も無関係ではなさそうだ
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駐車場の奥には、ゼロ戦の格納庫が新設されていた
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零戦21型実物大模型
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知らない人が観れば、十分リアルに出来ている
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赤城のAが書かれている
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自衛隊基地のゲートをくぐる
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敷地内の一部を見学者に開放している
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予科練の碑
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予科練記念館
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こちらの内部は撮影可能だ
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音声ガイダンスなども無料で使える
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展示点数も結構あるので見ごたえはある
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ここから先は土浦駐屯地、見学コース外となるので一般人は入れない
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正門で手続きをする、現在は一般の見学は難しくなっている(基本無理)
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正門そばには旧式火砲が展示されている
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「火砲館」旧軍の火砲を展示してある
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旧日本軍の三式中戦車
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医務科跡
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自衛隊歴代戦闘車両がずらりと並んでいる(きりが無いから紹介しない)
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号令台
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公報資料館に寄ってみる
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小銃などの小火器の展示
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土浦駐屯地の訓練風景
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運が良いとこんなのが撮れるかも
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旧士官宿舎跡
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車両整備地区
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洗いたての74式戦車が干してあった
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さて、そろそろ帰ろう

霞ヶ浦海軍航空隊基地(再訪その2)

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この辺は戦後茨城農大等に使われているおかげで、遺構が結構残っている
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ジオラマの左上辺りに貯水槽の跡があり、手前に慰霊塔が建てられている
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以前より、大分綺麗に整備されていた
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海軍航空殉職者慰霊の塔の由来
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貯水槽跡、以前は丸く完全に残っていたが、道路の為に半分しか残っていない
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いろんな碑が集められている
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道路を挟むと訓練用プールの跡が、埋められているが残っている
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10年ぐらい前までは高飛び込み用の飛び込み台もあったが撤去された
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付近の大学施設には門柱がかなり残っている
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左右の壁までしっかりと残っているのは珍しい
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当時の構造が良くわかる
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三ヶ所ほどこんな門柱が見て取れる所がある
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茨城農大の構内に入ると、建物の基礎部分が点在している
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皇太子殿下(昭和天皇)お手植えの松
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茨城大学農学部入り口にある門柱
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これは移設の可能性がある気がする
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構内の方位盤
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割れたりして、大分風化が進んでいる
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故郷を思う為に、大まかな秋田山形仙台などの都市名も見て取れる
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近くには溶岩で作られた富士を模したらしい物もある
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第一士官宿舎階段親柱
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軍艦旗掲揚塔
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病院側のさくの前に、当時物の境界柵が残っていた
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海軍道路(現阿見坂にある土浦海軍航空隊基地への誘導路だった)フェンス下に注目
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海軍道路の境界を示す「海軍用地」の標石
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うっすらと標柱番号が掘ってある(漬け麺麺劉備の前)
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総合衣料さとうの駐車場
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道路ギリギリの所に
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海軍用地第二・・・・・がある
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かすみ公民館の入り口に
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当時の給水塔の様な物が立っているが詳細不明



2010年の四月頃の訪問記   霞ヶ浦海軍航空隊基地