鹿島海軍航空隊基地 (2016再訪)

かの震災により、水上機のスリップが大破したとの話は聞いていたが、実際に確認しに行った(5年ぶりかな?)
以前はただの野っぱらであった感じだったが、かなり修復開発されたようで、ほとんど外から眺めるだけにした。
ほんまに行けるときに行っておかないと、戦跡は解体されたり閉鎖されてしまう運命にある。
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鹿島海軍航空隊の隊門
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この壁もコンクリートの荒さから当時のものだろう
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この建物もリベットの具合からかなり怪しい
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以前はこんな綺麗な道路ではなかった
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鹿島海軍航空隊指令部が現存している
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以前は無かったセキュリティが導入されている(廃墟に必要なのか?)
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蔦の生え方がすごい
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以前は見えにくかった号令台がはっきり見える
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柵で囲まれているので、遠くから眺めるだけ
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前はあの辺まで行けたんだけどな
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何となく当時が懐かしい
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問題のスリップにやってきた、完全に補修されているようだ
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日曜のせいか以前より車が多い
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航空隊当時の石垣と、現代のコンクリートブロック
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ヘリポートまで出来ていた
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現代の水上機が駐機していた、当時もこんな感じだったんだろうな
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カタパルト台座跡を見に行く
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艦上から打ち出される訓練用のカタパルト(射出機)
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5年前は土嚢で覆われていたが大分見易くなったようだ
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南側にはかなり当時のままの護岸が残っている
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当時の桟橋とボートダビットが残っている
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上部にはボート(舟艇)吊り上げ用のクレーン台座がある
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霞ヶ浦に下りた飛行艇から、短艇で乗り降りしたのだろう
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階段の付いている護岸もある
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この曲がった桟橋が面白い
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こんな所にエの標石がある、引込み線があったのだろう
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燃料庫跡が農協の倉庫として使われている
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ここに記念碑が建てられているのだが
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震災の影響か、台座がずれてしまっていた
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今ではすっかり駐車場となってしまっている様だ
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裏手に関連遺構もあるが、私有地なので遠慮する
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道路脇に御影石の石柱がある
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残念ながら折れてしまっていて、判別できない
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ここにも一つあった
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こちらは「海軍用地」がはっきり確認出来る
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これは違う気がする
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号令台の裏手に階段の付いた土塁がある
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当時の物か開発の残土かは不明だ
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土浦海軍航空基地 (再訪2016)

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土浦海軍航空隊(つちうらかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊・教育機関の一つ。予科練の練成を行ってきた霞ヶ浦海軍航空隊を初歩練習・実用練習部隊に改編させるため、予科練習部を独立移転させる形で発足した。太平洋戦争開戦とともに、全国各地に後発の予科練航空隊が林立したが、そのルーツともいえる教育部隊である。
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予科練平和記念館(内部は撮影禁止)
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現在は陸上自衛隊土浦駐屯地及び、武器学校となっている
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以前は屋内にあった回天の実物大模型が、屋外に追い出されていた
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実際に見るとかなりでかい
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これが付いてなければ、ほぼ魚雷のまま
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後ろから観ると魚雷にしか見えやん
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付近に当時の建物の一部と思われる、リベット止めの鉄骨が放置されていた
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この相当古そうなポンプ小屋も無関係ではなさそうだ
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駐車場の奥には、ゼロ戦の格納庫が新設されていた
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零戦21型実物大模型
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知らない人が観れば、十分リアルに出来ている
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赤城のAが書かれている
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自衛隊基地のゲートをくぐる
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敷地内の一部を見学者に開放している
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予科練の碑
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予科練記念館
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こちらの内部は撮影可能だ
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音声ガイダンスなども無料で使える
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展示点数も結構あるので見ごたえはある
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ここから先は土浦駐屯地、見学コース外となるので一般人は入れない
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正門で手続きをする、現在は一般の見学は難しくなっている(基本無理)
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正門そばには旧式火砲が展示されている
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「火砲館」旧軍の火砲を展示してある
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旧日本軍の三式中戦車
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医務科跡
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自衛隊歴代戦闘車両がずらりと並んでいる(きりが無いから紹介しない)
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号令台
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公報資料館に寄ってみる
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小銃などの小火器の展示
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土浦駐屯地の訓練風景
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運が良いとこんなのが撮れるかも
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旧士官宿舎跡
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車両整備地区
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洗いたての74式戦車が干してあった
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さて、そろそろ帰ろう

霞ヶ浦海軍航空隊基地(再訪その2)

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この辺は戦後茨城農大等に使われているおかげで、遺構が結構残っている
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ジオラマの左上辺りに貯水槽の跡があり、手前に慰霊塔が建てられている
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以前より、大分綺麗に整備されていた
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海軍航空殉職者慰霊の塔の由来
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貯水槽跡、以前は丸く完全に残っていたが、道路の為に半分しか残っていない
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いろんな碑が集められている
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道路を挟むと訓練用プールの跡が、埋められているが残っている
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10年ぐらい前までは高飛び込み用の飛び込み台もあったが撤去された
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付近の大学施設には門柱がかなり残っている
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左右の壁までしっかりと残っているのは珍しい
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当時の構造が良くわかる
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三ヶ所ほどこんな門柱が見て取れる所がある
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茨城農大の構内に入ると、建物の基礎部分が点在している
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皇太子殿下(昭和天皇)お手植えの松
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茨城大学農学部入り口にある門柱
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これは移設の可能性がある気がする
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構内の方位盤
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割れたりして、大分風化が進んでいる
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故郷を思う為に、大まかな秋田山形仙台などの都市名も見て取れる
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近くには溶岩で作られた富士を模したらしい物もある
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第一士官宿舎階段親柱
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軍艦旗掲揚塔
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病院側のさくの前に、当時物の境界柵が残っていた
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海軍道路(現阿見坂にある土浦海軍航空隊基地への誘導路だった)フェンス下に注目
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海軍道路の境界を示す「海軍用地」の標石
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うっすらと標柱番号が掘ってある(漬け麺麺劉備の前)
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総合衣料さとうの駐車場
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道路ギリギリの所に
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海軍用地第二・・・・・がある
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かすみ公民館の入り口に
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当時の給水塔の様な物が立っているが詳細不明



2010年の四月頃の訪問記   霞ヶ浦海軍航空隊基地

霞ヶ浦海軍航空隊基地(再訪その1)

今年の夏は仕事の都合で茨城県の霞ヶ浦に勤務地が移動されていた。
京都に通うのがちょっと大変だったが何とかなるものだ、たかが往復で4時間増えただけの事。
せっかく茨城まで行ったので、かの震災の前に行ったきりだった茨城の戦跡をいくつか回ってきた。

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一夏過ごした霞ヶ浦の、陸上自衛隊霞ヶ浦駐屯地内にある
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公報センター内の展示模型(ジオラマ)なども参考に交え、紹介したい
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同基地内の一部が旧海軍航空隊基地の敷地だったので(飛行場地区)幾つかの遺構が展示されている
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と、言ってもこの程度しか屋外には置いてない
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展示用のジオラマ模型(格納庫が現存)
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手直しはされているが、骨組みは当時のもの(基地内部撮影)
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基地外周から見てみる
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一部は民間会社に使用されている
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飛行機が置いてある掩体壕が現存している(赤い紐は現在の自衛隊敷地境界線)
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これは民間のお宅の所有物になるので、許可無く立ち入りは出来ない
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訪問理由を述べ、キチンと対応すれば快く撮影を許可して下さる良いお宅でした
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以前は無かった案内看板が立っていた、お話を聞かせて頂いたところ、終戦後大陸から引き上げてきた所、住む所が無くなっていて、たまたま軍の引き払いであった掩体壕を家がわりに周りの土地と共に購入し畑を作ったそうだ、他にも同じ様な掩体壕があったが、全て破壊された。
家として使用していたこの掩体壕だけが生き残り、現存している
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現在は隣の住居に住んでいるが、物置として使用中
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許可を取って登ってみた、滑るし高いのでお勧めはしない(あくまで自己責任で迷惑をかけないように!)
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中央辺りの白い倉庫が、落下傘倉庫である
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(株)協和発酵工業の正門横に現存している
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現在も使用されているらしく、パイプなどが増設されている
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外観的には窓枠なども、ほぼ当時のままのようだ
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出来るだけ当時のままに、残しておいて欲しいものだ
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中央格納庫(鉄骨レンガ製6棟中、5棟が現存)
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(株)井関農機茨城センター内に有る
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左奥がジオラマの赤い建物だろう
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屋根の通気孔が特徴だ
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周辺施設もかなり残っている
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当時から残る土塁、この奥にも建物がある
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ちょどなんか飛んで来た
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駐屯地の飛行場に降りるチヌークだ、でかいが実はかなり機動性が良く、隊員だけの時はかなりの角度で飛び回る
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落下傘格納庫が裏側から見えた
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ここの左奥にも土塁に囲まれ、トンネルで出入りする火薬庫らしき物が上空写真では見えている
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阿見町役場の前にある
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阿見町立阿見小学校の校門も、霞ヶ浦海軍航空隊の門柱を移設して保存利用している物だ
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当時ここに鉄筋製の貯水塔及び貯水槽、機銃痕の残る建物もあったが、全て無くなっていた
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残骸のみ
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当時は会社敷地内にこんな貯水塔が建っていた(5年ほど前の写真)
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県道34号線沿いには、慰霊碑が立っている
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地下には謎施設がある
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これは民間有力者の個人防空壕なのかも知れない



2010年の四月頃の訪問記   霞ヶ浦海軍航空隊基地

風船爆弾放流大津基地、平潟「震洋」訓練基地

風船爆弾放流大津基地は、茨城県北茨城市大津町の6号線そば県道354沿いにある
風船爆弾とは戦後に付けられた呼び名で、本来は気球爆弾と呼ばれていた
これは極秘の「ふ」号作戦といわれ 放流地はほかに福島県勿来関麓と千葉県一の宮海岸の合わせて3ヶ所あったが 大本営直属の部隊本部はこの地にあり 作戦の中心であった

風船爆弾については、ググってもらえば出て来るのであえてここでは書かない
ここには直径16メートルに及ぶコンクリート製放球台が18基あったが、現在は1つだけが残っている
また、水素ガス製造の為のケイ素鉄粉砕工場の基礎も近くの小道奥に現存しているようだ
「風船爆弾放流地跡 わすれじ 平和の碑」は、海岸沿いにあるので簡単に見つかるだろう
放球台は道路からは視認不可能と言えるし、ケイ素鉄粉砕工場も冬季でなければ
藪で視認困難だし、私有地のようだ。
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横浜から茨城への出張3ヶ月目(いつ帰れるんだろう)なので、県内の戦跡を訪ねてみた
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画像補正されているが、めっちゃ霧が深い高速移動だった
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国道6号線から県道354に向かって走る
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この辺だろうとのんびり走っていたら、案内板も何もなく山際に隠れる様な鎮魂碑を見つけた
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明治節にちなんで1944年11月3日に最初の放球が行われるはずだったが、誤爆事故が起こり3人の兵士の犠牲者が出た、放球は7日に延期されている、この事故で亡くなった兵士をまつっている碑である
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説明は何も無い
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念の為、吉辰とは、良い日、めでたい日、吉日の事
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海岸沿いに出てみると
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「風船爆弾放流地跡 わすれじ 平和の碑」がある
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新しい誓い
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残念ながら日の加減と汚れで、読みずらかった
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ここには結構な案内板が出ていた
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風船爆弾略図
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わすれじ平和の碑から延びる6号線への道の途中にケイ素粉砕工場がある
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風船爆弾放球所への道を歩いて行く
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スズメバチの巣の一部が落ちている、去年刺された記憶が蘇る
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整備されてるとは言いがたい道を歩いて行くと、開けた所に出た
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直径16mのコンクリート製放球台が現れた
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これは窒素ガスのタンクを置いていたと言われる窪み
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この窪みは2ヵ所ある、これは4時の方向
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8時方向にも同じ2mほどの穴が開いている
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片側にでも復元模型を着けてほしいものだ、どんな形か気になる
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放球台全景と言いたいが入りきらない、以前は土に隠れていたのを近年掘り出したようだ
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6号線に向かう軽トラ道を歩く、普通車では腹が当たって通れない
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ケイ素粉砕工場を探すもこの辺だろうでは、見つからない藪の状態であった

風船爆弾関連記事

勝田駐屯地・施設学校開設63周年記念行事 その5 (防衛館)

埼玉県平和資料館(埼玉ピースミュージアム)

直接の記事ではないが、登戸研究所(陸軍第九技術研究所)で風船爆弾は考えられた





茨城県北茨城市、平潟港内にある岩山に震洋の壕が残っている。
昭和20年(1945年)6月10日、第138震洋隊開設。
海軍第138、141の2部隊が、小名浜(福島県いわき市)に震洋の部隊基地を、平潟に錬成(訓練)基地を配置した(終戦直前に141部隊は平潟に部隊基地を移動)。
ここ平潟港はその練成(訓練)基地であり、拠点基地ではない。
隊員は土浦予科練第14期修了者48名。
「震洋」は全長6.5メートルのベニヤ製2人乗りのボートで、艇首に250キロ爆弾を装備し、敵艦に体当たりするもの。
しかし、この部隊は結局出撃せずに終戦を迎え、昭和20年9月20日に解隊された。
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雄翔館(予科練記念館)に模型が展示してある
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1型~5型があるが、試作を入れればもっと種類がある(陸軍も別タイプあり)
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震洋のスクリュー
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トンネルを抜け、平潟魚港に向かう
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あんこうのモニュメント
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一見のどかな漁港である
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特徴的な岩山に向かう
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途中小さなコンクリート製の壕を見たが物置程度だ
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かの震災は、こんな所にも影響を及ぼしていた
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壕自体はネットで保護され、外からしか見れない
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幾つかあるようだが、貫通している物もある
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秘匿性の問題はあるが、訓練基地だからと言う事だろうか、丸見えである
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対岸の方にもそれらしい穴が見えるようだが、見に行ってないIMG_1482_R.jpg
岩山の所々に壕は散見する
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こんな状態なので、近寄っていない
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こんな穏やかな海で、訓練が行われていた
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終戦の翌日、自暴自棄になった一人の隊員が艇に乗り転覆事故を起こしたそうだ、これが唯一の喪失だった
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こんな事がもう起きないようにと祈りつつ、撤収する