東京湾第二海堡

1889年8月起工、1914年6月陸軍所轄で完成、第一海堡と共に富津市に属する、第三海堡は横須賀市である。
浦賀水道と内湾の北側境界に位置し面積は約41,000m²。1923年9月1日の関東大震災により被災、その年の内に廃止・除籍された。

その後海軍が使用し、第二次世界大戦中は対空砲が設置されるほか、敵潜水艦の東京湾への侵入を防ぐ防潜網が設置されている。敗戦にともない第一海堡同様、施設を爆破処理される。戦後は灯台が設置され、さらに1977年からは海上災害防止センターの消防演習場として利用されている。

以前は神奈川県横浜市金沢区からの渡し舟(村本海運)で釣り人が渡航していたが、侵食が進んでいることによる安全上の理由から2005年6月末に立入りが禁止された。

現在は第一海堡とともに海上保安庁によって灯台が設置されている。浦賀水道航路および中ノ瀬航路に接し、くの字に折れ曲がった航路の凹部に隣接する。海底の水深は8mから12mであり、第二海堡を撤去しても喫水の大きい船が航行するには更なる浚渫が必要。
将来直下型の大地震が起きた際に劣化した護岸が崩壊し、流出する土砂が航路の海底に堆積して大型船舶の往来を妨げる危険があることから、2006年度から護岸整備工事が行われている。
今後も灯台と消防演習場として存続される予定である。
しかし、現在のグーグル航空写真を見て欲しい、なんだこれは、全面的な破壊ではないか!
中央部と砲座3座?程度しか残ってない、軍艦島よりひどいぞこれは
これは2005年以前の記録となる紹介
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1988年の航空写真
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現在のこれはひどいだろう、びっくりした、掩蔽部など何も無い様に見える
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戦前の観艦式の写真、このように修復して欲しい
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前回同様、海自観艦式の時の写真(2024年)
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かなり派手にやってるなと思ったら
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残っているのはこの、上部構造物ぐらいか?
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護岸だけだと思っていたのに、砲座までとは・・・
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下の港に釣り船は接岸する
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海保設備のフェンス沿いの歩道
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下の護岸を見ると、全然無事に見える(ここだけはね)
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24時間監視体制にある
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風を利用して鳴るらしいが、聞いた事無い
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下に降りる階段がある
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何か埋まってるようだ
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素敵な物が見えて来た
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しかし、その前にはガレキの山
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それもまた味わいである
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外からは出入り出来ない不思議な構造
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埋まった通路?
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円筒形の建物
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中は入れない
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にょっきり出た入り口
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ガラクタだらけ
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友ヶ島第二砲台みたいで、とても良い壊れ方
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鉄筋の入ってないコンクリートは分厚くとも、もろい
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掩蔽部の通気孔かサイズ的には伝声管かも
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通気孔はここにある
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しかし、こんな所にも釣り人が居て、写らない様にするのが大変(100人以上この島にいる)
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この辺の砲座は跡形も無く撤去されたようだ
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この辺は細いので、両岸が見れて良い
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中央部に戻って来た、山小屋の様だ
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これらの入り口は2000年位に全封鎖された様だが詳しくは不明
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囲まれているせいか、焚き火の跡がある
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監視塔
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マジンガーZを思い出す
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眺めは良い
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海岸に下りる
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通路?
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ばっきり折れている
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中は入れない
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この頃は刻印を探そうなんて思わなかった
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この辺の壊れ方は滅茶苦茶良い
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地面一面の破片である
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井戸状遺構
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しかし、よくもここまで蓋をしたものだ
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僅か5年程度で、錆びて崩れていたけどね
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四角いのは水槽(濾過槽)
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分厚いコンクリートも自然の力には敵わなかった
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さぁ、そろそろ灯台に帰って来た
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珍しく綺麗に残っている所がある
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周りはこうなのに
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中央部は流石に頑強だ
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この護岸はもう見れないのだろうか

追加画像(同期の櫻様よりの頂き物)
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東京湾第一海堡

第一海堡は、富津岬の先端の水深5mほどの海中に築かれた、基礎のための石を投入し、その上に野面石で囲った堤防を築き、内部に砂を充填して砲台を建設したもの。
1881年(明治14年)8月起工、1890年(明治23年)12月完成、面積は約23,000m²。
東京湾要塞の海堡として最初に運用が開始された。
第二海堡と第三海堡は1923年9月1日の関東大震災により被災し、その年の内に廃止・除籍されたものの、第一海堡はその後も使用され、東京湾要塞の一部として第二次世界大戦の終了時まで高射砲を据えて運用された。
現在中央部が破壊されているが、これは第二次世界大戦後に日本を占領下に置いた連合国軍により要塞無力化のために破壊されたためである。
土砂の堆積と関東大震災による隆起のため、富津洲と地続きになっていたことがあるが今は再び分離。
海底の水深は1.2mから4.6mであり、第一海堡を撤去しても航路として活用するには別途浚渫が必要である為、撤去はされないだろう。
富津岬突端の展望台からは横須賀市を背景に第一・第二海堡を一望することができるが風が強い。
現在は海上保安庁によって灯台が設置されている、なお財務省の所管であり、無断での立ち入りはできない。
実際、自分も上陸した事は無いので、外観のみの紹介となる
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まずは、24年度観艦式のおり、海上より見た第一海堡
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天候不良の為、霞んでしまった
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護岸の約半分が崩落している
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これを人の手で造ったのだかr大した物だ
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富津岬突端の展望台から反対側を見る
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地続きだった部分の残った中州
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第一海堡全体
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左翼観測所が見える
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繋船場は隆起して陸地となっている
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1974年の航空写真
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近年の航空写真、繋船場付近の隆起が進み、右側富津からの中州が失われているのが判る
断面図(横から)
アジ暦より、第二海堡より移設されたクルップ式15cmカノン砲連装砲塔
断面図(後から)
平面図(弾薬室)
平面図(砲室)
航空写真中央の破壊された部分にこれが収まっていた

いささか短いがこれ以上自前の写真を持っていないので、内部に関しては要塞探訪様を参考にして下さい
当サイトも一部リンクして頂いてます(金谷砲台

洞口着弾観測所(ピラム壕)

前回の続きで、洞口着弾観測所及び周辺遺構を紹介する。
127号線を海岸に沿って進み、内房線竹岡駅を過ぎた辺りにトンネルがある、その手前に
釣具屋ピラム(現在閉店)がある、その駐車場に高さ3m程の所に大きな壕口が見えている。
この前を走った事のある人は見たことがあるだろう、元々は低い位置に開口していたが
駐車場を作る時に手前を削ったら、自然とこうなってしまったそうだ。
トンネルを越えた海岸に洞口着弾観測所が海岸に見える、ピラム側の海岸からは回れない。
<DSC00008_R_20130213221933.jpgこれが数年前の開業時のピラム壕の外観だDSC05870_R.jpg現在のピラム壕
DSC05871_R.jpg拡大すると左に続いているのが見える
DSC05874_R_20130213222235.jpg山によじ登ると切り通しがある
DSC05876_R.jpg山頂、この下に壕口がある
DSC05878_R.jpg明らかに人工的な石積み
DSC05880_R_20130213222735.jpgほこら
DSC05881_R.jpg石棺付き祠
DSC05882_R.jpgUP、ここに遺体が安置される
DSC09745_R.jpg崖だらけで危険なので降りる、仕方ないのでこの辺から助走する
DSC09731_R_20130213223224.jpgカメラとライトを肩に掛け、飛び付き懸垂で登る
DSC09732_R.jpg進入成功
DSC09733_R_20130213223226.jpg正面はすぐ行き止まり
DSC09734_R.jpg左に進むと開口部が見える
DSC09735_R_20130213224220.jpg扉の跡がある
DSC09736_R.jpg崖の中腹に開口しているが、道も何も無い通気用か
DSC09737_R_20130213224222.jpg開口部から2mほどの所に扉がある
DSC09738_R.jpg次に進む
DSC09739_R.jpgこの通路は行き止まり
DSC09740_R.jpgまた違う分岐を進む
DSC09741_R_20130213224758.jpgもうどの位歩いたか分からなくなって来た
DSC09742_R.jpgやっと終点、開口部は2ヶ所だけだった
DSC09743_R.jpgさぁ、どうやって降りよう?
DSC05872_R_20130213231249.jpg海岸に出て岩場を回る、観測所が見える
DSC05873_R.jpg降りれなくは無いが、波が激しくカメラが濡れそうなので、元に戻る
DSC07210_R_20130213225414.jpgトンネルを越えた海岸に洞口着弾観測所はある、
DSC07211_R.jpg本当に波打ち際だ
DSC07212_R_20130213225416.jpg海側に窓は無い
DSC07213_R_20130213225417.jpg庇は大きめ、衛所にしか見えない
DSC07214_R.jpg横の小窓、作りは当時物だがなんだろう(聴音所とするサイトも有り)

この二つの遺構が関連性が有るかどうかは不明、トンネル挟んですぐなので、無関係ではなさそうだが・・・

磯根着弾観測所、中根着弾観測所

富津岬の陸軍射撃場の関連施設として、忘れてはならないのが、着弾観測所である。
参考にしていた、海堡ファンクラブの会報21号を見ると観測所が富津岬近辺に3つあるとゆう
中根(篠部)、磯根(小久保)、洞口(竹岡)に有るとの事で、探しに行く。
地名からGoogleマップの航空写真で丹念に探すと、中根着弾観測所らしき物が海岸に見える。
磯根着弾観測所はまったく分からないが、廃道のループ橋にそれらしき物が有るらしい記事があった。
洞口に関しては、道から見えるので、知っている人は多いと思う、ただし本当にこれが観測所かとゆうと
同意しかねる部分が多い、まず規模が他の2つに比して小さい、海側に観測窓が一切無い、また
荒天時には海面に近すぎて波を被りそうな位置にあるなどだ。
DSC07169_R_20130212222900.jpg海岸へ続く道を進むと右手に見えてくる
DSC07154_R_20130212222856.jpg周りに何も無いので、見つけるのは容易だ
DSC07155_R_20130212222857.jpg正面
DSC07156_R_20130212222858.jpg左右に付く箱状の物が特徴的だ
DSC07158_R_20130212222859.jpg後方入り口、比較的状態は良い
DSC07159_R_20130212223538.jpg観測窓
DSC07160_R.jpg左右を見回す、眺め良し
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DSC07163_R_20130212223544.jpg多少の飾り気がある
DSC07165_R_20130212223545.jpg左右の箱の中は空洞だ
DSC07166_R_20130212223917.jpg登ってみた、前方
DSC07167_R_20130212223919.jpg後方
DSC07168_R_20130212223920.jpg下方、飛び降りて次に行く
DSC09614_R.jpg廃道ループ橋部分、この橋の所以外は未舗装の林道だ
DSC09615_R.jpg富士浅間神社
DSC09616_R.jpgこれも目印の一つだ、この後脇道に入れそうな所を虱潰しに2時間ほど山狩りをする
DSC09645_R.jpgこれが入り口になる所だ、この先は激藪で何も見えないが突入する
DSC09617_R.jpg不意に石柱が出現する
DSC09618_R.jpg石柱の先に何か見える気がする
DSC09619_R.jpg見つけた!
DSC09620_R.jpg金属の金具が付いているコンクリート片
DSC09621_R.jpg窓から侵入すると、結構広い
DSC09622_R.jpgしかしここに50人居たとゆうのは無理がある、3交代制か?
DSC09623_R.jpgここは意図的に破壊されたようだ
DSC09624_R.jpg円筒形台座
DSC09625_R.jpg壊れた窓から鉄筋が見える
DSC09626_R.jpg唯一残る天井部
DSC09627_R.jpg海側開口部
DSC09631_R.jpg外壁は何も無い
DSC09629_R.jpg少し下ると石柱が有る
DSC09630_R.jpg上にも何か書いてある様だが不明、陸軍だけ分かる
DSC09633_R.jpg右側に移動する
DSC09632_R.jpg水桶と化しているが、何だろう
DSC09634_R.jpg木と同化している台座
DSC09635_R.jpg階段
DSC09636_R.jpg不明な石柱
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DSC09640_R.jpg壁際に木が生えている
DSC09642_R.jpg登ってみた
DSC09643_R.jpgこの天井は元から無いようだ
DSC09644_R.jpg天井上にある金具、アンテナでも固定していたのか?

苦労はしたが、何とか磯根観測所を見つける事が出来た、今回は発見に至ったが、次回また来れるかどうか
自信があまり無い、季節を選ばないと接近すら危ぶまれるだろう。
次回洞口観測所?と周辺遺構を紹介する。



富津岬 イテ塔

富津岬の公園入り口から程内所にある、イテ塔を紹介する。
とは言っても、イテ塔のイテとは何かすら分からないのだが・・・
分かったのは据えていた、機銃の種類だけである。

固定陣地用の隠蔽式稼動銃塔であり、一式重機関銃の様に空冷で無く水冷式を使用した。
陸軍は、機関銃と言えばホチキス式のガス圧利用の空冷式機関銃であったが、実は反動利用の水冷式機関銃の方が、費用や故障の面から見れば遙かに有利だった。
水を使用するため移動には適さないが、永久陣地に据え付けるには以上の理由からも適していたため、イギリス/ヴィッカース社のを原型として昭和13年11月に完成したものを、98式水冷重機関銃として採用した。
弾薬は92式と同様の92式実包を使用し、給弾は移動を考えなくて良いため布ベルト式の50発となった。
DSC07137_R.jpgこの遺構は場所を知らないと、分かり難いかも知れない
DSC07138_R.jpg一度解体されそうになったのか、大きな傷がある
DSC07139_R.jpg右下を良く見ると
DSC07140_R.jpgこの遺構は下の土(砂)が流れてしまい、浮いている
DSC07142_R.jpg上に登る
DSC09592_R.jpg隙間から覗き込む
DSC07143_R.jpgほぼ真四角な部屋
DSC07147_R.jpg階段の様な物がある
DSC07144_R.jpgレール部分
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DSC07149_R.jpg左右の穴
DSC07150_R_20130211221324.jpg主出入り口
DSC07151_R_20130211221326.jpg入れない
DSC09593_R.jpg裏手には観測所がある
DSC09594_R.jpg結構原型を留めている
DSC09596_R.jpg土台は一部破損
DSC09595_R.jpgサイドポッケット付き
DSC09597_R.jpg外部は円筒形、中は四角い部屋
DSC09598_R.jpg地下入り口
DSC09599_R.jpg何とか入れそうだ
DSC09600_R.jpg富津元洲堡塁砲台と瓜二つだ
DSC09708_R_20130211222747.jpg富津元洲堡塁砲台の写真
DSC09601_R.jpg反対側
DSC09602_R.jpg富津元洲堡塁砲台と瓜二つだサイズも一緒で狭い
DSC09605_R.jpg伝声管から伸びる光で植物が芽生える
DSC09603_R.jpg出るとしよう、狭くて息苦しい
DSC09606_R.jpg誰にも知られずひっそりと佇む遺構
DSC07152_R.jpgぬこ

このイテ塔は本土にはほとんど無く、満州方面の要塞防備用に使用されるのがほとんど。
三つの穴をどの様に使っていたんだろう?