佐倉連隊

千葉県佐倉市にある佐倉城址公園にある、佐倉連隊跡を訪れた。
1874年(明治7年)には陸軍歩兵第二連隊が佐倉城址に駐屯、1877年(明治10年)の西南の役に出動、1894年(明治27年)~1895年(明治28年)、および1904年(明治37年)~1905年(明治38年)の日清日露の両戦役にも参戦した。日露戦争では、旅順、二百三高地の戦闘にも加わり、多くの戦死者、戦傷者を出した。1909年(明治42年)に陸軍歩兵第二連隊は水戸に移転、二七旅団に属し、第一四師団隷下となった。この陸軍歩兵第二連隊の佐倉駐屯以降、十ニもの連隊が佐倉で編成され、これらを総称して「佐倉連隊」と呼んでいる。
 印旛郡市文化財センターが埋蔵文化財調査に当たっている国立歴史民俗博物館(佐倉市城内町)の共同研究棟建設予定地で、佐倉連隊本部棟兵舎の遺構の一部が発見され、3月3日に現地説明会が開かれる。

 調査は昨年12月から、佐倉連隊本部棟跡の東側約1125平方メートルで実施。現在は近世以降の調査が進められており、本部棟の一部と渡り廊下、手洗い所、厠(かわや)、排水溝の遺構をはじめ、耐火れんが、瓦、ガラス瓶、茶わんといった遺物が見つかっている。
航空写真_R佐倉連隊の当時の航空写真
佐倉連隊跡関連位置図_R佐倉連隊案内板、おおむねこの番号に沿って紹介して行く
lrg_22478334_R.jpg ①衛兵所跡 道路沿いに看板が有るだけ、遺構無し
DSC00735_R.jpg ②兵営の便所跡
DSC00734_R.jpg遊歩道の下り口辺りにある
DSC00736_R.jpg大専用の様だ
DSC00737_R.jpg結構崩れている
DSC00738_R.jpg結構狭いのでは?
DSC00740_R.jpg栄養がいいのか、かなり木が生えている
DSC00741_R.jpg汲み取り口
DSC00744_R.jpg後100年もしたら、跡形もなさそう
DSC00747_R.jpg遊歩道を進むと、堀になっているがこれは城関係だろう
DSC00748_R.jpg良く見ると、堀に壕が掘られている所が何箇所かある
DSC00749_R.jpgこれは歩道沿いに見える
DSC00751_R.jpg流石に埋められている
DSC00752_R.jpg歩道脇の石柱(この手の石柱は無尽蔵にある)
DSC00753_R.jpg遊歩道下側は壕だらけであるが、殆んど塞がれている
DSC00755_R.jpg
DSC00757_R.jpg
DSC00760_R.jpg
DSC00763_R.jpg
DSC00731_R.jpg ③佐倉陸軍病院跡
DSC00732_R.jpg案内板写真
DSC00733_R.jpg今は、臨時駐車場
DSC00769_R.jpg不明の石柱
DSC00770_R.jpg台所門跡
DSC00771_R.jpg ④兵士が文字を掘り込んだモッコク
DSC00772_R.jpgモッコクは斜面にある
DSC00774_R.jpg佐野
DSC00775_R.jpg昭和十八年十月
DSC00776_R.jpg砲隊
DSC00777_R.jpg
DSC00778_R.jpg
DSC00779_R.jpg土塁の中の壕口
DSC00780_R.jpgよめん
DSC00781_R.jpg殆んど露出した石柱
DSC00782_R.jpg銃座に見える物
DSC00783_R.jpg単装機銃か?
DSC00784_R.jpg4つほど確認出来た
DSC00786_R.jpg城関係か兵舎関係か
DSC00788_R.jpg ⑤車道の碑
DSC00789_R.jpg車道
DSC00791_R.jpg裏面
DSC00792_R.jpgポツンと建っているコンクリート遺構
DSC00794_R.jpg何故かこれに関して説明が無い
DSC00795_R_20130309220500.jpg形状的に油脂庫もしくは、信管庫であろう
DSC00796_R.jpg残念ながら施錠されている
DSC00799_R.jpg床下
DSC00810_R.jpg梯子を上る
DSC00808_R_20130309221529.jpg覗き込む
DSC00812_R.jpg ⑥佐倉兵営跡の碑
DSC00811_R.jpg自由広場奥の方
DSC00813_R.jpg歩兵第二連隊佐倉兵営全図
DSC00814_R.jpg佐倉兵営の跡
DSC00815_R.jpg碑文
DSC00816_R.jpgバーべキュウ禁止
DSC00817_R.jpg歴代連隊長
DSC00819_R.jpg裏側にあった物
DSC00820_R.jpg
DSC00821_R.jpg
DSC00822_R.jpg近くにあった遺構
DSC00800_R_20130309223351.jpg ⑦弾薬庫の跡
DSC00801_R.jpg知らなければ素通りしてしまう場所にある
DSC00802_R.jpg周りからは土塁で見えない
DSC00803_R.jpg弾薬庫は残骸のみ
DSC00806_R_20130309223358.jpg結構分厚い
DSC00827_R.jpg ⑧訓練用の12階段
12階段_R案内板写真
DSC00823_R.jpg姥ヶ池のほとり
DSC00824_R.jpg厚生省の石柱(引揚者の一時住居になっていた時の物か)
DSC00829_R.jpg人物比
DSC00830_R.jpg上から見下ろす
DSC00831_R.jpg良く見る構図
DSC00832_R.jpg
DSC00833_R.jpg
DSC00834_R.jpg
DSC00836_R.jpg
DSC00837_R.jpgあまり見ない構図
DSC00721_R.jpg ⑨軍犬、軍馬の墓
DSC00722_R.jpg軍犬房号の墓
DSC00723_R.jpg何でこんなに密着?
DSC00839_R.jpgついで
DSC00840_R.jpg
DSC00842_R.jpg
DSC00727_R.jpg
DSC00728_R.jpg
DSC00845_R.jpg
DSC00846_R.jpg
このページの下から2番目の机と椅子ではないだろうか?
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検見川送信所(けみがわそうしんじょ)

千葉市花見川区検見川町にあった逓信省、日本電信電話公社の無線電信所(送信所)である、検見川送信所に
行って来た。
1926年(大正15年)4月1日 - 東京無線局検見川送信所として開局以来、1979年(昭和54年)9月2日まで
現役で稼動していた。
真珠湾攻撃の「ニイタカヤマノボレ」はここを経由して送られたそうです。(巷では、佐世保市の針尾送信所から送られたという説が有名ですが、某サイトによると、針尾ではなくて検見川から送られた、というのが正しいらしいです。)
フィリピンや硫黄島等、南方の占領した国との通信を行う拠点だったそうです。
history01_01[1]    開局当時の写真を参考に貼っておく
DSC03210_R_20130303221420.jpg閑静な住宅街に飲み込まれている
DSC03211_R_20130303221421.jpg土塁に囲まれ、一階建てに見えるが、二階建てである
DSC03212_R_20130303221422.jpg閉局後、無断で仮設トイレや外壁の一部が破壊される事件があった
DSC03213_R_20130303221423.jpg現在千葉市所有、道路公団車両がある
DSC03214_R.jpg夏の雲に映える給水棟
DSC03215_R_20130303222424.jpg屋外の付属施設
DSC03216_R_20130303222426.jpg藪に埋もれて近寄れない
DSC03217_R.jpg全体的に草に埋もれている
DSC03219_R.jpg開口部は全て厳重に閉じられている
DSC03218_R.jpg藪を漕いで給水棟に近づく
DSC03220_R.jpg一階、給水計量器室
DSC03221_R.jpg二階、空間の上に水タンクが有る
DSC03222_R.jpg梯子まで2mほど
DSC03223_R.jpg誰かが悪戯で切り取ったのだろうか
DSC03224_R.jpg
DSC03226_R.jpg水槽上部
DSC03228_R.jpg中には何故か千葉市の石柱(予算で買って数は管理されているはず)
DSC03227_R.jpg水量計
DSC03230_R.jpg屋上を見る
DSC03229_R.jpgいい枝振りを発見
DSC03233_R.jpg下に降りる
DSC03234_R.jpgモニュメントの様な物がある、プレートは無くなっている
DSC03231_R.jpg登る
DSC03232_R.jpgさっきの付属施設がすぐ下に見える、しかし屋上からも侵入不可
DSC03235_R.jpg正面玄関(散水車が邪魔だ)
DSC03236_R.jpg下の入り口に何かある
DSC03237_R.jpgサバゲ厳禁(入れないのにやる奴いるのか?)
DSC03238_R.jpg階段
DSC03239_R.jpg殆んど剥がれた鉄の滑り止め
DSC03240_R.jpgポーチの電灯跡
DSC03241_R.jpg反対側の階段には半分近く滑り止めが残る
DSC03242_R.jpgこの窓だけは内側から封鎖してある
DSC03243_R.jpg後はみんな外側から封鎖
DSC03244_R.jpg何もここまでしなくても鉄格子とか・・・
DSC03246_R.jpg反対側
DSC03245_R.jpg給水棟を見ながら撤収する

鉄道連隊 材料廠及びその他遺構

今回は千葉公園付近の、鉄道連隊、気球連隊、その他戦災碑関連を紹介して行く。
歩兵連隊碑を発見出来なかったのだが、126号線沿い天台駅より100m弱、作草部駅に
向かった公園内にある事が判明、作草部公園でマップ表示されないので、Googleマップ
カーナビで探す事は出来なかった、帰宅後にストリートビューでひたすら探して、見つかった。
DSC09439_R_20130301225411.jpgこれの下半分位を回ったが、病院は何も無いようだ。
DSC09283_R.jpg千葉師範学校女子部の祈念碑
DSC09284_R.jpg碑文、説明は何故か無い
DSC09285_R.jpg駅前大通りにポツンとある
DSC09286_R.jpg師範学校に爆弾が落ち、生徒8人教員等2人が犠牲となった場所
DSC09287_R.jpg自己満足で人の読めない文字は意味が無い(碑文じゃ無いからいいけど)
DSC09288_R.jpg千葉駅裏をそごう方面に行く(JR東日本ビル前)
DSC09289_R.jpgほんとにこんな所にって感じの場所
DSC09290_R.jpg千葉機関区の碑
DSC09291_R.jpg碑文、鉄道連隊の実地訓練及び輸送を担った
DSC09292_R.jpg車輪(実物)
DSC09293_R.jpg後ろ側、ここも爆撃を受け、職員動員学徒等23名が亡くなっている。
DSC09297_R.jpg鉄道連隊材料廠を見に行く(千葉経済大学敷地内)
DSC09300_R.jpgぬこ
DSC09302_R.jpgぬこカンいっぱい
DSC09299_R.jpg外周を周ってみる
DSC09303_R.jpgこの両サイドの継ぎ足しは戦後なのか?
DSC09304_R.jpg明治の煉瓦は芸術だ(珍しいオランダ積み)
DSC09308_R.jpg校舎側に案内板がある
DSC09307_R.jpg全体
DSC09310_R.jpg千葉指定有形文化財
DSC09311_R.jpg覗き込む
DSC09313_R.jpg入りたいが、警備会社のステッカーが・・・
DSC09316_R.jpg謎の現象
DSC09321_R.jpg登りたい
DSC09305_R.jpg前回触れたが、轟町は軍靴の音が途切れない町と言う所から付いた名前
DSC09329_R.jpg煉瓦棟とは、離れた裏門にある説明板
DSC09331_R.jpg洗剤で拭いたら消えちゃった風な感じで読み難い
DSC09343_R.jpg都賀公園にある作草部神社に行く
DSC09333_R.jpg不明の円形物
DSC09335_R.jpg忠魂碑、陸軍少将字垣一成(後の字垣軍縮で有名な外相)
DSC09339_R.jpg明治三十七.八年戦役従軍者碑
DSC09341_R.jpg公園前の壁、気球連隊の壁と思われる
DSC09345_R.jpg川光倉庫(株)に気球連隊格納庫が残っている
DSC09344_R.jpg隙間に残る境界柱?
DSC09346_R.jpg気球格納庫
DSC09347_R.jpg鉄骨がいい感じ
DSC09349_R.jpg外周を周る、登りたい梯子が・・・
DSC09352_R.jpg所在地
DSC09353_R.jpg反対側にも梯子が
DSC09354_R.jpgここにも梯子が
DSC09355_R.jpg壁はぐるっと回っている
DSC09356_R.jpg格納庫遠景
DSC09357_R.jpg千葉県計量検定所
DSC09358_R.jpg詳細不明
DSC09461_R.jpg椿森集会所の隣に鉄道大隊(連隊ではない)記念碑はある
DSC09460_R.jpg気をつけないと、素通りしてしまう
DSC09462_R_20130302202536.jpg鉄道大隊(連隊ではない)記念碑、北清事変で出動した大隊の碑
DSC09466_R.jpg鉄道隊駐屯の地
DSC09468_R.jpg裏面
DSC09467_R.jpg北京郊外の鉄道路線図、左に北京と書いてある
DSC09469_R.jpg付近番地、この電柱から約20mほど

鉄道連隊(千葉公園、護国神社)

千葉市にある千葉公園(プール、体育館、野球場、競輪場まで揃えた総合公園)に行ってきた。
今日行って来たばかりなので、限りなく現状に近い状態である。
いつもの様に「千葉県の戦争遺跡をあるく」を一冊持って、歩き回ってきたのだが、位置の特定は
非常に難しい物がある、今回も探しきれない物があったが、帰宅後位置確認出来たので、いつか行く。
終戦直前こそ軍都千葉市と言われるが、当時付近の習志野や佐倉には連隊規模の軍事施設があるが
千葉町(21年に市に昇格)には何も無い、焦った町長が新設される鉄道連隊を是が非でもと誘致した。
当時は戦線連勝の軍隊様だったので、土地の提供などかなり盛んに陳情したらしい。
黙っていても、後に気球連隊や歩兵学校などもろもろの陸軍施設が無理やり農地買収してやってくる
事になるのだが、付近の轟町は「軍靴の音の途切れない町」が由来らしい。
ちなみに、千葉市にあるのは鉄道第一連隊の方である。
ではまず、千葉公園自体の駐車場が無い(体育館はある)ので、護国神社に車を停めて歩き回る。
DSC09459_R.jpg護国神社入り口
DSC09454_R_20130301205113.jpg階段登って右にある「ああ特攻像」
DSC09456_R_20130301205114.jpg碑文表
DSC09457_R_20130301205116.jpg碑文裏
DSC09458_R.jpg昭和天皇、皇后参拝記念碑
DSC09360_R.jpg本殿から右側に行く
DSC09363_R.jpgシベリア抑留者慰霊碑
DSC09362_R.jpg碑文
DSC09364_R.jpg支那駐屯千葉県民慰霊碑
DSC09365_R.jpg碑誌
DSC09366_R.jpg愛馬慰霊碑
DSC09368_R.jpg千葉県出身陸軍少年飛行兵慰霊之碑
DSC09370_R.jpgプロペラ周りが模されている
DSC09369_R.jpg碑文
DSC09371_R.jpg日中戦士鎮魂碑
DSC09372_R.jpgこれは佐倉連隊関連のようだ
DSC09373_R.jpg由来
DSC09374_R.jpg掲揚台
DSC09375_R.jpg裏側(表?)
DSC09377_R.jpgそそり立つ忠魂塔
DSC09378_R.jpg左に陸軍(六角垂で大きい)
DSC09385_R.jpg右に海軍(後ずけ丸出し)
DSC09379_R.jpg見落としそうな所に忠魂碑がもう一つある
DSC09380_R.jpg鉄道連隊創立八十周年記念
DSC09383_R.jpg鉄道連隊のエンブレム
DSC09381_R.jpg傍らのレリーフ
DSC09384_R.jpg裏面
DSC09386_R.jpg公園内に入るとまず、このSLが目に入る
DSC09388_R.jpg説明板、戦後の物なので鉄道連隊とは縁もゆかりも無い
DSC09389_R.jpg折角なので見て行く
DSC09391_R.jpg給炭口が小さい
DSC09394_R.jpg椅子のみ稼動する
DSC09376_R.jpg行きがけにみた当時っぽい物
DSC09398_R.jpg大谷石の上に蓋がしてある
DSC09400_R.jpg集められた石柱群(銘は無い)
DSC09401_R.jpg飾具合が他と違う階段
DSC09402_R.jpg大谷石
DSC09403_R.jpg公園マップ
DSC09404_R.jpg駅を降りたら公園に入らず道路に出よう
DSC09406_R.jpgなんとトンネルは駅の下にある
DSC09407_R.jpg柵越しに撮影すると、柵と車が邪魔だ
DSC09411_R.jpg中に入る
DSC09412_R.jpg昭和六年六月竣功
DSC09413_R.jpg見上げると、フックが多数付いている
DSC09414_R.jpg名盤
DSC09415_R.jpg内側左
DSC09416_R.jpg右側の穴は低い
DSC09417_R.jpg覗き込む
DSC09419_R.jpgトンネル左側、上の方に穴3つ
DSC09420_R.jpg石柱が一本落ちていた
DSC09422_R.jpg裏側のフック
DSC09424_R.jpg登って見た
DSC09426_R_20130301223959.jpg鉄道連隊エンブレム(公園管理事務所の許可をいただいてます)
DSC09405_R.jpg公園に下りる
DSC09427_R.jpgコンクリート遺構
DSC09431_R.jpgこの溝、形に意味があるのか
DSC09432_R.jpg今となっては理解不能
DSC09434_R.jpg別の入り口付近にあった説明看板
DSC09435_R_20130301224907.jpgマップ
DSC09436_R_20130301224909.jpg不明な遺構
DSC09437_R_20130301224910.jpg丸くフック付き
DSC09438_R_20130301224912.jpg四角3つ
DSC09439_R_20130301225411.jpg遺構のそばにこんなのがあった
DSC09440_R.jpg今回はこの辺
DSC09441_R.jpg橋脚が見えて来た、上にも見える
DSC09442_R.jpg橋脚正面
DSC09443_R_20130301225418.jpg名盤
DSC09445_R_20130301230058.jpg下の橋脚は分厚い
DSC09446_R.jpg階段を登る
DSC09447_R.jpg上の橋脚
DSC09449_R_20130301230101.jpg若干薄い、スマホ5個分ぐらい
DSC09451_R.jpg戻りしな見つけた石柱
DSC09453_R.jpg上は殆んど十文字
DSC09452_R.jpgこれは違うだろうが、工ってなに?

柏陸軍飛行場 秋水燃料庫

まずは、秋水について軽く触れておく、原型はドイツ軍のメッサーシュミット Me163「コメート」である
機体は海軍、エンジンは陸軍が担当、陸海軍共同して開発研究した。
知っての通り、ドイツから資料等を積んだイ号潜は撃沈され、途中シンガポールから飛行機で持ち帰った
三面図、ロケット燃料の成分表と取扱説明書、ロケット燃料噴射弁の試験速報程度の物で製作する事になる。
海軍担当の機体は空技廠にて以外に簡単に完成し、追浜飛行場にて1944年12月には木造機による滑空
試験、翌年1月にはエンジン、武装の無いだけの実機と同等の物で犬塚大尉により滑空試験は成功する。
1945年(昭和20年)7月7日、横須賀海軍航空隊追浜飛行場で秋水は試飛行を迎えた。
しかし結果は燃料タンク構造の不備により、上昇中にエンジンストールしてしまう、しかも犬塚大尉の
懸命の操縦による機体保持の為の努力も残存燃料の排出不完全の不備が襲い、滑走路への着陸を断念
爆発を懸念し第四旋回時、見学者が見守る滑走路を避け脇の埋め立て地への不時着を目指した。
その時、高度不足から監視塔に接触、鷹取川に墜落、大破してしまう。
犬塚大尉はこの時点で意識があった、鉈切山の防空壕へ搬送されるが頭蓋底骨折のため翌日亡くなる。
柏陸軍飛行場では、エンジンが無く(2号エンジンは爆発)滑空機にての訓練に終始した。
ちなみに、秋水基地としての柏飛行場は、完成すらしていない。(他飛行場にての訓練)
追浜海軍飛行場には何一つ遺構が無い為、知らない人もいるが、柏陸軍飛行場には燃料庫が数多く
残されているので、実機が飛んでないのに有名だ。
機体自体は完成していたので、米軍がその内3機を摂取して行った、その1機は今も博物館に展示されている。
日本では1961年に日本飛行機杉田工場拡張工事の時出土した物が、復元展示されている。
申し込みが必要な様だが、現在愛知県小牧市の名古屋航空宇宙システム製作所史料室‎にある。
DSC09802_R_20130228192140.jpg夏に来た事を後悔した
DSC09803_R_20130228192141.jpg住宅地のど真ん中で藪漕ぎをする
DSC09804_R_20130228192143.jpg扉にはノブが無く開かなかった
DSC09805_R.jpg基礎が大分前まで来ている
DSC09806_R_20130228192145.jpg上部は欠けてしまっているが、庇状になっていたのだろうか?
DSC09807_R_20130228193150.jpg唯一露出している燃料庫(国有地扱い)
DSC09808_R.jpg正面入り口、妙に縦長
DSC09809_R_20130228193153.jpgDSC09812_R_20130228193154.jpgDSC09814_R_20130228193156.jpg写真を撮っているとジロジロ見られる、住宅地はやりずらい・・・
DSC09813_R_20130228193958.jpgわずかな隙間が有るが、入れない
DSC09815_R.jpg住民の許可を取って早速登る
DSC09816_R.jpg花野井交番裏方向
DSC09817_R.jpgこっちの横側は近代コンクリートで埋めてある
DSC09818_R.jpgガムを着けた様な補修跡
DSC09819_R.jpg右側は個人邸の畑になっている
DSC09820_R.jpgおそらく、通気孔を刺していた穴の跡
DSC09821_R_20130228195049.jpg所々に防湿用のタールを塗った跡がある
DSC09822_R.jpg交番側先端部
DSC09823_R.jpg先端から振り返る、このアングルの写真は見かけない
DSC09824_R.jpg先端入り口も塞がっていた
DSC09827_R_20130228222659.jpg一番有名なポイントに移動する(撮影と立ち入りの許可を貰う)
DSC09828_R_20130228222701.jpg貯蔵時に出るガスを逃すように風通しを良くする為の物
DSC09829_R.jpg肥料の袋が捨てられている、下にブロックが引いてある
DSC09830_R_20130228222705.jpg手前のヒューム管の根元が分かるだろうか
DSC09831_R_20130228223823.jpg地主さんが農作業時に根元を傷つけてしまっている様だ
DSC09832_R_20130228223825.jpg見えない所もきっと折れている
DSC09833_R_20130228223826.jpgこうして見ると埋まった迫撃砲の様だ
DSC09834_R_20130228223828.jpg一応保存を頼まれて、いる様で、壊したいが壊せないらしい
DSC09836_R.jpg出来るだけ残して置いて欲しい物だ
DSC09837_R.jpgこのまま帰るのも芸が無いんで探索すると
DSC09839_R_20130228224556.jpg同じ形状の入り口がある
DSC09840_R_20130228224558.jpgまた何かある
DSC09843_R_20130228224559.jpg残念ながら、崩れている
DSC09844_R.jpg畑のヒューム管のそばにあった
DSC09845_R.jpg上の方にもある
DSC09847_R_20130228224949.jpg手前にもコンクリートが
DSC09848_R.jpg登って見た
DSC09849_R.jpg横からみてがっかり、この後ろは無くなっている
DSC09850_R_20130228225254.jpg恐らく空気穴に開けた穴
DSC09851_R.jpg焼却炉になっていた