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147師団の連隊本部とおぼしき巨大壕 周辺壕その1

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この司令部壕への別の接続壕が有ると言う、尾根を越えて反対側に向かう
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そしてまた、急激な斜面を降りていく
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協力者情報もあり、あっさり発見
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入るなり、うねうねしている通路
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T字にぶつかる
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左へ進む
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程なく突き当たり
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引き返す
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今度は右側に進む
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ズリ出しがされず、残っている
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こちらも突き当たりで終わりかと思ったら
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少し手前の天井に、黄色い穴が空いている
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穴を見上げると、上に空間が見える。司令部壕のあのアナッポコの下に来ている
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よじ登るが、限界。無理!
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総軍さんが、穴に首を突っ込んでいる図
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さて、出よう

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また斜面を登り、神社へ向かう
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神社前のトレンチを丹念に調べるやる気のパパさん
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次の壕に向かうメンバー達
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やる気のパパさんが次の斜面に向かう!一見ただのオッサンだが、この国を将来背負う有能な若者達を教える先生と言われる立場にあり、探索に廃棄でベンツで乗り入れる兵である。左手にはロレックスが光る!
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人を見失いそうな原生林に入って行く
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下の見えない様な斜面を下る
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沢に沿って下って行くと
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壕口が見えて来る
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よくもこんな場所を見つけたモノだ!318_R_20190716231410c21.jpg
軽く水没している入り口に入って行く
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振り返り
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真ん中に排水溝が有るが、壕口に土砂が蓄積しているので機能していない
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くの字に曲がる
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グチョグチョの床面に地下水が染み出している。あっさり終了
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さて、戻ろう
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すぐ近くにもう一つ地下壕がある
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良くこんなの見つけたものだ
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壕口からは、止めど無く地下水が流れ出ている
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一時期半分ほど土砂で埋まったのだろう、地下水が少しずつ復元してくれている
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20mもすれば、普通に歩けるようになる
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爆風避けをへて、左に曲がる
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陸軍らしい、馬蹄形の通路
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壁面にはいくつかの碍子が見られる
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振り向くと、僅かに広くなっていた事が判る
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狭まりながら、右に軽く曲がる
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この辺には坑木を入れていた跡が壁面にある
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接続のミスか、ささくれた場所
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壁面の両側に碍子が付いている
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激しくヤバイ色のドロ
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足が激しく沈む、尚且つ抜けない
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行ける所まで行ってみる
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右にも一本通路がある
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もはやこれ以上は行けそうに無い、土の質から外部からの流入と思われる
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ヤバクなる前に引き上げる
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壊れた蛇口のように染み出す地下水
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こんな水分の高い壕を、何に使っていたのだろう
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抜け落ちた碍子
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脱出!
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147師団の連隊本部とおぼしき巨大壕

千葉市緑区土気町にある昭和の森に、崩落によりもうすぐ駄目だろうと言う壕がある情報が入って来た
急遽都合を合わせ、午後からならと5人のメンバーが集まった
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掩体壕を茂原で見た後、公園駐車場に集合する
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早速山に入って行く
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公園内の散策路づたいに登って行く
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やる気のパパさんがどんどん先に行く、帰りがけの悲劇も知らずに・・・
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怪しげな脇道に外れて行く
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地図にも載っていない八幡神社に遭遇
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境内にはトレンチ壕が数ヶ所ある
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木に捕まりながら、崖の様な斜面を降りて行く
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ねこさんがあっさり壕口を見つける、ねこさんとやる気のパパさんは下見済みなのだ
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では、いつもの様にカナリアは壕内の安全を確認に一人入って行く
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情報提供者の話によると、かなり崩落が進んでいる箇所が有るとの事だったが、問題無さそうだ
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初っ端から奥行きのある部屋がある
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反対側にも同様の部屋がある
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親指サイズの小森さん
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すぐにまた左右に分岐が見える
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右はちょっと窪んでいる程度
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左は三畳一間って所か
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急激に壕が細くなるようだが、先が見えない
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この時点でこの壕はかなり大きそうだと伝え、外部にGOサインを出した
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狭くなった通路を進む
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右手に分岐が現れる
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かなり鋭角的に曲がっている、右側が壕口から来た道だ
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右側に進んでみる
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拡幅しようとしたのか、側面が割れた所がある。床にガレが無いので自然崩落ではない
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天井の釘、不思議とこの壕内では碍子が見られなかった
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大型の灯り置きなら多数あったのだが
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壁に20の文字が見える
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線を挟んで20Mともう一つある、分岐点からなら大たいそんな物だが
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少し離れて21と線が掘られている(この他には確認出来なかった)
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頭文字と思わしき掘り込みが多数並んでいる、昭和の悪戯で入って来るには深すぎる地点だ
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灯り置きも30cmぐらいはある
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行き止まりに見えたが、右に折れている様だ
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下り加減にまた左に伸びている
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うねりながら長く続く通路
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いったい何処まで伸びているのやら、結果的には776mあったらしい
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右に分岐が現れた
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久しぶりの外光が見える
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開口部
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出入り口部分は、綺麗に成型されている
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この壕唯一の生息部らしい広い空間
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振り返り、この分岐は後で行く
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生息部を右に曲がると殆ど埋まった壕口がある
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左に進むと、複雑な道になる
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また壕口だが、埋まっている
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爆風よけなのか?
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また分岐
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これも埋まった壕口だ
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反対側
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こっちは辛うじて通風程度に開いているようだ
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ねこさんを発見した
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この通路の先には面白いものがある
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床面が粘土質になってくる
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酷くぬかるんで、尚且つ滑る
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そんな状態で、急激な下り坂になる
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下り坂とゆうか、穴になっている。これ以上は危険なので進めなかった
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壁に複数の灯り置きが並んでいる、棚なのか?
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偶然なのか、Ⅱに見える
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最初に行かなかった直進コースに向かう
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壁が剥離して崩れ始めている
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少し造りも雑な気がする
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崩落が激しくなってきた
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崩落のせいで、 天井がメチャクチャな形になっている
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左右に部屋らしき物が並んでいるようだ
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相当酷い崩落で、歩きつらい
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行き止まりのようだ、まだ未成なんだな
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分岐まで戻り、メンバーのいる方へ向かう
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壁面にまた文字を見つけた、関?
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立村
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逆読みなら部隊
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一通り見たので脱出する

佐倉連隊

千葉県佐倉市にある佐倉城址公園にある、佐倉連隊跡を訪れた。
1874年(明治7年)には陸軍歩兵第二連隊が佐倉城址に駐屯、1877年(明治10年)の西南の役に出動、1894年(明治27年)~1895年(明治28年)、および1904年(明治37年)~1905年(明治38年)の日清日露の両戦役にも参戦した。日露戦争では、旅順、二百三高地の戦闘にも加わり、多くの戦死者、戦傷者を出した。1909年(明治42年)に陸軍歩兵第二連隊は水戸に移転、二七旅団に属し、第一四師団隷下となった。この陸軍歩兵第二連隊の佐倉駐屯以降、十ニもの連隊が佐倉で編成され、これらを総称して「佐倉連隊」と呼んでいる。
 印旛郡市文化財センターが埋蔵文化財調査に当たっている国立歴史民俗博物館(佐倉市城内町)の共同研究棟建設予定地で、佐倉連隊本部棟兵舎の遺構の一部が発見され、3月3日に現地説明会が開かれる。

 調査は昨年12月から、佐倉連隊本部棟跡の東側約1125平方メートルで実施。現在は近世以降の調査が進められており、本部棟の一部と渡り廊下、手洗い所、厠(かわや)、排水溝の遺構をはじめ、耐火れんが、瓦、ガラス瓶、茶わんといった遺物が見つかっている。
航空写真_R佐倉連隊の当時の航空写真
佐倉連隊跡関連位置図_R佐倉連隊案内板、おおむねこの番号に沿って紹介して行く
lrg_22478334_R.jpg ①衛兵所跡 道路沿いに看板が有るだけ、遺構無し
DSC00735_R.jpg ②兵営の便所跡
DSC00734_R.jpg遊歩道の下り口辺りにある
DSC00736_R.jpg大専用の様だ
DSC00737_R.jpg結構崩れている
DSC00738_R.jpg結構狭いのでは?
DSC00740_R.jpg栄養がいいのか、かなり木が生えている
DSC00741_R.jpg汲み取り口
DSC00744_R.jpg後100年もしたら、跡形もなさそう
DSC00747_R.jpg遊歩道を進むと、堀になっているがこれは城関係だろう
DSC00748_R.jpg良く見ると、堀に壕が掘られている所が何箇所かある
DSC00749_R.jpgこれは歩道沿いに見える
DSC00751_R.jpg流石に埋められている
DSC00752_R.jpg歩道脇の石柱(この手の石柱は無尽蔵にある)
DSC00753_R.jpg遊歩道下側は壕だらけであるが、殆んど塞がれている
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DSC00731_R.jpg ③佐倉陸軍病院跡
DSC00732_R.jpg案内板写真
DSC00733_R.jpg今は、臨時駐車場
DSC00769_R.jpg不明の石柱
DSC00770_R.jpg台所門跡
DSC00771_R.jpg ④兵士が文字を掘り込んだモッコク
DSC00772_R.jpgモッコクは斜面にある
DSC00774_R.jpg佐野
DSC00775_R.jpg昭和十八年十月
DSC00776_R.jpg砲隊
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DSC00778_R.jpg
DSC00779_R.jpg土塁の中の壕口
DSC00780_R.jpgよめん
DSC00781_R.jpg殆んど露出した石柱
DSC00782_R.jpg銃座に見える物
DSC00783_R.jpg単装機銃か?
DSC00784_R.jpg4つほど確認出来た
DSC00786_R.jpg城関係か兵舎関係か
DSC00788_R.jpg ⑤車道の碑
DSC00789_R.jpg車道
DSC00791_R.jpg裏面
DSC00792_R.jpgポツンと建っているコンクリート遺構
DSC00794_R.jpg何故かこれに関して説明が無い
DSC00795_R_20130309220500.jpg形状的に油脂庫もしくは、信管庫であろう
DSC00796_R.jpg残念ながら施錠されている
DSC00799_R.jpg床下
DSC00810_R.jpg梯子を上る
DSC00808_R_20130309221529.jpg覗き込む
DSC00812_R.jpg ⑥佐倉兵営跡の碑
DSC00811_R.jpg自由広場奥の方
DSC00813_R.jpg歩兵第二連隊佐倉兵営全図
DSC00814_R.jpg佐倉兵営の跡
DSC00815_R.jpg碑文
DSC00816_R.jpgバーべキュウ禁止
DSC00817_R.jpg歴代連隊長
DSC00819_R.jpg裏側にあった物
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DSC00822_R.jpg近くにあった遺構
DSC00800_R_20130309223351.jpg ⑦弾薬庫の跡
DSC00801_R.jpg知らなければ素通りしてしまう場所にある
DSC00802_R.jpg周りからは土塁で見えない
DSC00803_R.jpg弾薬庫は残骸のみ
DSC00806_R_20130309223358.jpg結構分厚い
DSC00827_R.jpg ⑧訓練用の12階段
12階段_R案内板写真
DSC00823_R.jpg姥ヶ池のほとり
DSC00824_R.jpg厚生省の石柱(引揚者の一時住居になっていた時の物か)
DSC00829_R.jpg人物比
DSC00830_R.jpg上から見下ろす
DSC00831_R.jpg良く見る構図
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DSC00836_R.jpg
DSC00837_R.jpgあまり見ない構図
DSC00721_R.jpg ⑨軍犬、軍馬の墓
DSC00722_R.jpg軍犬房号の墓
DSC00723_R.jpg何でこんなに密着?
DSC00839_R.jpgついで
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このページの下から2番目の机と椅子ではないだろうか?

検見川送信所(けみがわそうしんじょ)

千葉市花見川区検見川町にあった逓信省、日本電信電話公社の無線電信所(送信所)である、検見川送信所に
行って来た。
1926年(大正15年)4月1日 - 東京無線局検見川送信所として開局以来、1979年(昭和54年)9月2日まで
現役で稼動していた。
真珠湾攻撃の「ニイタカヤマノボレ」はここを経由して送られたそうです。(巷では、佐世保市の針尾送信所から送られたという説が有名ですが、某サイトによると、針尾ではなくて検見川から送られた、というのが正しいらしいです。)
フィリピンや硫黄島等、南方の占領した国との通信を行う拠点だったそうです。
history01_01[1]    開局当時の写真を参考に貼っておく
DSC03210_R_20130303221420.jpg閑静な住宅街に飲み込まれている
DSC03211_R_20130303221421.jpg土塁に囲まれ、一階建てに見えるが、二階建てである
DSC03212_R_20130303221422.jpg閉局後、無断で仮設トイレや外壁の一部が破壊される事件があった
DSC03213_R_20130303221423.jpg現在千葉市所有、道路公団車両がある
DSC03214_R.jpg夏の雲に映える給水棟
DSC03215_R_20130303222424.jpg屋外の付属施設
DSC03216_R_20130303222426.jpg藪に埋もれて近寄れない
DSC03217_R.jpg全体的に草に埋もれている
DSC03219_R.jpg開口部は全て厳重に閉じられている
DSC03218_R.jpg藪を漕いで給水棟に近づく
DSC03220_R.jpg一階、給水計量器室
DSC03221_R.jpg二階、空間の上に水タンクが有る
DSC03222_R.jpg梯子まで2mほど
DSC03223_R.jpg誰かが悪戯で切り取ったのだろうか
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DSC03226_R.jpg水槽上部
DSC03228_R.jpg中には何故か千葉市の石柱(予算で買って数は管理されているはず)
DSC03227_R.jpg水量計
DSC03230_R.jpg屋上を見る
DSC03229_R.jpgいい枝振りを発見
DSC03233_R.jpg下に降りる
DSC03234_R.jpgモニュメントの様な物がある、プレートは無くなっている
DSC03231_R.jpg登る
DSC03232_R.jpgさっきの付属施設がすぐ下に見える、しかし屋上からも侵入不可
DSC03235_R.jpg正面玄関(散水車が邪魔だ)
DSC03236_R.jpg下の入り口に何かある
DSC03237_R.jpgサバゲ厳禁(入れないのにやる奴いるのか?)
DSC03238_R.jpg階段
DSC03239_R.jpg殆んど剥がれた鉄の滑り止め
DSC03240_R.jpgポーチの電灯跡
DSC03241_R.jpg反対側の階段には半分近く滑り止めが残る
DSC03242_R.jpgこの窓だけは内側から封鎖してある
DSC03243_R.jpg後はみんな外側から封鎖
DSC03244_R.jpg何もここまでしなくても鉄格子とか・・・
DSC03246_R.jpg反対側
DSC03245_R.jpg給水棟を見ながら撤収する

鉄道連隊 材料廠及びその他遺構

今回は千葉公園付近の、鉄道連隊、気球連隊、その他戦災碑関連を紹介して行く。
歩兵連隊碑を発見出来なかったのだが、126号線沿い天台駅より100m弱、作草部駅に
向かった公園内にある事が判明、作草部公園でマップ表示されないので、Googleマップ
カーナビで探す事は出来なかった、帰宅後にストリートビューでひたすら探して、見つかった。
DSC09439_R_20130301225411.jpgこれの下半分位を回ったが、病院は何も無いようだ。
DSC09283_R.jpg千葉師範学校女子部の祈念碑
DSC09284_R.jpg碑文、説明は何故か無い
DSC09285_R.jpg駅前大通りにポツンとある
DSC09286_R.jpg師範学校に爆弾が落ち、生徒8人教員等2人が犠牲となった場所
DSC09287_R.jpg自己満足で人の読めない文字は意味が無い(碑文じゃ無いからいいけど)
DSC09288_R.jpg千葉駅裏をそごう方面に行く(JR東日本ビル前)
DSC09289_R.jpgほんとにこんな所にって感じの場所
DSC09290_R.jpg千葉機関区の碑
DSC09291_R.jpg碑文、鉄道連隊の実地訓練及び輸送を担った
DSC09292_R.jpg車輪(実物)
DSC09293_R.jpg後ろ側、ここも爆撃を受け、職員動員学徒等23名が亡くなっている。
DSC09297_R.jpg鉄道連隊材料廠を見に行く(千葉経済大学敷地内)
DSC09300_R.jpgぬこ
DSC09302_R.jpgぬこカンいっぱい
DSC09299_R.jpg外周を周ってみる
DSC09303_R.jpgこの両サイドの継ぎ足しは戦後なのか?
DSC09304_R.jpg明治の煉瓦は芸術だ(珍しいオランダ積み)
DSC09308_R.jpg校舎側に案内板がある
DSC09307_R.jpg全体
DSC09310_R.jpg千葉指定有形文化財
DSC09311_R.jpg覗き込む
DSC09313_R.jpg入りたいが、警備会社のステッカーが・・・
DSC09316_R.jpg謎の現象
DSC09321_R.jpg登りたい
DSC09305_R.jpg前回触れたが、轟町は軍靴の音が途切れない町と言う所から付いた名前
DSC09329_R.jpg煉瓦棟とは、離れた裏門にある説明板
DSC09331_R.jpg洗剤で拭いたら消えちゃった風な感じで読み難い
DSC09343_R.jpg都賀公園にある作草部神社に行く
DSC09333_R.jpg不明の円形物
DSC09335_R.jpg忠魂碑、陸軍少将字垣一成(後の字垣軍縮で有名な外相)
DSC09339_R.jpg明治三十七.八年戦役従軍者碑
DSC09341_R.jpg公園前の壁、気球連隊の壁と思われる
DSC09345_R.jpg川光倉庫(株)に気球連隊格納庫が残っている
DSC09344_R.jpg隙間に残る境界柱?
DSC09346_R.jpg気球格納庫
DSC09347_R.jpg鉄骨がいい感じ
DSC09349_R.jpg外周を周る、登りたい梯子が・・・
DSC09352_R.jpg所在地
DSC09353_R.jpg反対側にも梯子が
DSC09354_R.jpgここにも梯子が
DSC09355_R.jpg壁はぐるっと回っている
DSC09356_R.jpg格納庫遠景
DSC09357_R.jpg千葉県計量検定所
DSC09358_R.jpg詳細不明
DSC09461_R.jpg椿森集会所の隣に鉄道大隊(連隊ではない)記念碑はある
DSC09460_R.jpg気をつけないと、素通りしてしまう
DSC09462_R_20130302202536.jpg鉄道大隊(連隊ではない)記念碑、北清事変で出動した大隊の碑
DSC09466_R.jpg鉄道隊駐屯の地
DSC09468_R.jpg裏面
DSC09467_R.jpg北京郊外の鉄道路線図、左に北京と書いてある
DSC09469_R.jpg付近番地、この電柱から約20mほど