大網 金谷郷野砲陣地

28年のお正月から、アナリスト探索に参加してきた
正月から何やってるんだろうと言われそうだが、楽しければ良しとしよう
ちゃんと成果もあった、未発見のコンクリート使用の弾薬庫を発見できたのだ(次回掲載)
DSC01799_R_20160115210644f87.jpg
正月の朝も空けよらん内から家を出る
DSC01800_R_20160115210645482.jpg
首都高を走っている内に太陽があがってきた
DSC01806_R_20160115210646641.jpg
ガラガラの首都高を軽快に走り抜ける
DSC01815_R_201601152106488e5.jpg
0800ねこさん達と合流
DSC01818_R_20160115210649b90.jpg
早速山に入り探索を開始する
DSC01817_R_20160115225247976.jpg
10分程度の探索で、壕口発見!
DSC01820_R_201601152252498a9.jpg
早速中に入ってみよう
DSC01822_R_20160115225251fc8.jpg
季節的に水没するようで、壁の下の方が黒ずみ、床は泥濘となっている
DSC01825_R_2016011522525181e.jpg
しばらく真っ直ぐ進むと分岐が現れる
DSC01826_R_20160115225253bc8.jpg
とりあえず右に進む
DSC01827_R_201601152311368a0.jpg
いくぶん登り勾配になって行く
DSC01829_R_20160115231137e61.jpg
湿度が上がり、閉塞地点到達
DSC01830_R_20160115231139c6e.jpg
分岐まで戻って来た
DSC01831_R_20160115231140ad3.jpg
逆側に進んで行く
DSC01833_R_20160115231142de9.jpg
しかし、こちらも似たような閉塞だった
DSC01836_R_20160115231947413.jpg
外に出て、壕口の撮影会
DSC01838_R_20160115231948b2e.jpg
ここから大量の墳墓、祠に悩まされる
DSC01841_R_20160115231949e87.jpg
しかし祠改造型の陣地壕もあるので、確認しながらすすむ
DSC01842_R_2016011523195011d.jpg
斜面に隠れた入り口
DSC01844_R_20160115231951adf.jpg
そのいずれもが、墳墓であった
DSC01845_R_2016011617544468d.jpg
めげずに竹林を探し歩くと
DSC01846_R_20160116175445f63.jpg
人工的に切り開かれた痕跡の軍道を発見、それに沿って進むと
DSC01852_R_20160116175448dba.jpg
半没の壕口を発見した
DSC01850_R_20160116175447e4c.jpg
一瞬また、祠かと思ったが、奥があるようだ
DSC01876_R_20160116175449cba.jpg
なんと三角形をした砲室ではないか、こうゆう形状は始めて見た
DSC01853_R_20160116180144bfc.jpg
これは砲の脚部を広げられる遥に工夫されているのだろうDSC01855_R_20160116180145667.jpg
上の斜面からの舞土で壕口が半分埋っているのが、残念だ
DSC01856_R_20160116180146374.jpg
奥には太い通路が掘られている
DSC01857_R_20160116180148c18.jpg
反対側の出入り口まで同じ太さだ、砲を反対側まで移動出来る利点がある
DSC01860_R_20160116180149bca.jpg
側面に1ヶ所だけある窪み、用具でも置いていたのだろうか
DSC01861_R_20160116183615af5.jpg
壕内は非常に平らで綺麗に作ってある
DSC01862_R_20160116183617094.jpg
反対側の壕口も、埋り加減
DSC01869_R_20160116183619d41.jpg
支保の跡だろうか、壕口脇に窪みがあった
DSC01867_R_201601161836183da.jpg
壕口を出ると、塹壕が張り巡らせてあった
DSC01872_R_20160116184259dfc.jpg
さて、元の砲室から脱出しよう
DSC01877_R_201601161843016e4.jpg
ちなみにこの下は5m程の断崖絶壁
DSC01880_R_20160116184303a85.jpg
竹に掴まりながら降りてみる、車の入れそうな幅に切り通しが出来ている、運搬用道路だろう
DSC01882_R_20160116184304a39.jpg
降りたはいいが、またこれを登るのは大変だな~
DSC01888_R_20160116194319d9d.jpg
撤収の途中で小さな神社を見かけた
DSC01890_R_201601161943209ad.jpg
きへいさんが、何やら覗き込んでいる
DSC01891_R_2016011619432126e.jpg
昭和十四年の感謝状、日中戦争が事変にこの頃はなっている
DSC01904_R_20160116214927133.jpg
茂原の本納に移動してきた、本納西拠点を探す為だ
DSC01906_R_201601162149285e2.jpg
早速アタックを開始する
DSC01908_R_20160116214929fcf.jpg
塹壕の跡を発見する
DSC01912_R_20160116214931a2f.jpg
蛸壺と思われるピークの穴も幾つか確認出来た
DSC01913_R_2016011621493299c.jpg
しかし、肝心の拠点陣地が見つからない、山が広すぎたのだ
DSC01915_R_2016011621560907c.jpg
山の様相も竹林に変り、広範囲に歩き回ったが、成果は見つからなかった
DSC01917_R_201601162156118d8.jpg
橘樹神社で神頼みしても、御利益は無かった
DSC01918_R_20160116215612217.jpg
セブンにて昼食を済ませる

スポンサーサイト

日立航空機大網地下工場 プチ探索

予定の陣地系の探索が終わり、ついでに近いから日立航空機大網地下工場を見に行こうと言う事になった
2005年の事故以来、早期封鎖され、内部への進入は困難であるが、前回は入れそうな穴を発見した。
DSC02045_R_201505241822492a9.jpg
まず、神社から藪漕ぎルートを進むが、のだの人さんときへいさんしか到達出来なかった
DSC02047_R_201505241824586e3.jpg
到達した壕口
DSC02048_R_20150524182252d08.jpg
内部は祠改造壕となっている
DSC02439_R_20150524182253974.jpg
土盛りの先に伸びる通路、第二工区に繋がっていると思っていた
DSC02441_R_20150524182254e18.jpg
あっという間に突入して行くきへい氏
DSC02442_R_20150524183222810.jpg
後に続くと、きへい氏が何か叫んでる
DSC02443_R_201505241832240dc.jpg
「終わってる~」・・・・こんだけキレイに通路作っておいて、それは無いだろ~
DSC02444_R_20150524183225081.jpg
その後、他に有った潰れた壕口に潜り込むきへい氏
DSC02445_R_201505241832266d6.jpg
どうやら水の道っぽいとの事、これも繋がっていなかった
DSC02447_R_20150524183228a51.jpg
閑話休題
DSC02053_R_201505241838524b6.jpg
迂回組みが民家に交渉し、開けてもらった
DSC02054_R_20150524183853b1d.jpg
入ろうと思って、ウエイダーを取って来たら閉められた後だった、残念
DSC02448_R_20150524183855fd9.jpg
トンネル好きの多いこの会のメンバー、この辺に旧道があるはずと捜索が始まる
DSC02449_R_201505241838563d6.jpg
程無くすごい所で9割9部埋まった遂道を見つけ、進入しようとしているのだの人さん
DSC02450_R_20150524183857019.jpg
おお!半分入った!
DSC02451_R_201505241847422f1.jpg
あ、出て来た、やっぱり無理らしい・・・
DSC02455_R_20150524184743c3f.jpg
自分も潜って見たが、よくもここまでびっちり埋め戻したものだ
DSC02456_R_20150524184744cb3.jpg
例によって、きへいさんの修復作業、今回は無理でした!
DSC02457_R_20150524184746ccb.jpg
ねこさんがガサゴソ戻って来て、「変な地下壕見つけた」って、さっそく見に行ったが、確かに変だ、1m進むと壁がある
DSC02458_R_20150524184747c59.jpg
写真中央には、見難いが祠特有の掘り込みがある、しかしこれで終わりじゃない
DSC02459_R_20150524185853b26.jpg
左を向く、人の肩幅も無い通路が延びる
DSC02460_R_20150524185855bf2.jpg
右にも同様
DSC02461_R_20150524185855672.jpg
取りあえず左から攻める
DSC02462_R_20150524185857571.jpg
こんなに狭いのに、灯り置きは結構ある
DSC02464_R_201505241858594dc.jpg
めっちゃ狭い通路が以外に延びる
DSC02465_R_201505241905267f7.jpg
以外に高い位置にある灯り置きなのだが、この辺の壕の高さ150cmぐらい、行き止まりかと思ったら
DSC02466_R_20150524190527540.jpg
直角クランクで先がある、幅は無いし高さも無い、最悪の曲がり角だ
DSC02488_R_20150524190528638.jpg
何とか曲がるが、この先は閉塞している、高さ的にもこれ以上無理!
DSC02489_R_20150524190530664.jpg
この通路、撤収!
DSC02481_R_20150524191317f1a.jpg
一旦戻って、今度は右の通路に向う
DSC02475_R_20150524191311953.jpg
こっちも狭い
DSC02478_R_20150524191313591.jpg
ちょっと曲がりながら進むと、外光が入る
DSC02479_R_20150524191314636.jpg
開口していた
DSC02480_R_201505241913153c3.jpg
狭い通路を戻りたく無いので、藪漕ぎで外を回って帰る、本日の探索終了!
DSC02494_R_201505241918395a2.jpg
帰りは下道をぶらっと走る、暇なのでマリンタワーを撮りたくなる
DSC02497_R_20150524191840183.jpg
セブンイレブンタワーにして見た
DSC02499_R_20150524191841df1.jpg
のんびり帰宅、さぁこれから編集だ!

みなさんご苦労様でした。

大網白里 山頂陣地Y-4

場所的にはY-3と同じ山となるY-4陣地を紹介する、雄蛇ヶ池周辺となるが、この地域は大網白里市となる
Y-4_R.jpg
房総半島戦跡考古調査会のねこさんの作図
DSC02396_R_20150522214324fb7.jpg
5月半ばとは言え、山の緑は濃くなっている
DSC02397_R_201505222143252de.jpg
そんな斜面に、穴が見え出す(2つ写っている)
DSC02398_R_201505222143271b8.jpg
そこら中、同高度で穴だらけになる
DSC02399_R_20150522214328f5d.jpg
しかし、言わずもがな祠である
DSC02401_R_20150522231513bf7.jpg
めげずに見て行くと、倉庫壕の様な軍掘りがあった
DSC02403_R.jpg
更にメンバーは奥を目指す
DSC02405_R_20150522231517dfd.jpg
更に自分は寄り道をする、L字の交通壕付きの入り口がある
DSC02407_R_20150522231517d54.jpg
入り口から水没し、長靴ギリギリであった
DSC02409_R_201505222315191b4.jpg
真っ直ぐ5mほど進むと左に折れていた
DSC02410_R_201505222324329d3.jpg
曲がると先はやはり5mほどで閉塞
DSC02412_R_2015052223243496b.jpg
このまま掘り進んで、先ほどの倉庫壕と繋げるつもりだったのだろうか?
DSC02413_R_201505222324354d4.jpg
寄り道をしている内に置いてきぼりを食ってしまった、待っててくれたまき騎士と後を追う
DSC02415_R_201505222324377d4.jpg
やはり交通壕のある入り口から進入する
DSC02417_R_20150522232438564.jpg
ここは乾いているが、水の入った跡がある(ブラウン管もある、何でここまで持って来た?)
DSC02418_R_201505222334505de.jpg
交差点に出た
DSC02419_R_201505222334515ad.jpg
右を見る
DSC02420_R_20150522233452785.jpg
左を見る、お尻があるので右にした
DSC02421_R_20150522233454473.jpg
何か点々と落ちている
DSC02422_R_20150522233455514.jpg
右に分岐が
DSC02423_R_20150522233827ded.jpg
と、思ったら浅めのすれ違い所だった
DSC02424_R_20150522233829d63.jpg
奥の方は、ゴミが流れ込んでいる
DSC02425_R_20150522233830241.jpg
左に曲がると、開口しているのだが、ゴミだらけなので止めた
DSC02427_R_20150522233832e15.jpg
引き返す
DSC02428_R_2015052223383378e.jpg
交差点に戻って来た
DSC02429_R_2015052223465882c.jpg
ゆるやかな斜坑になっている
DSC02430_R_20150522234700a60.jpg
山頂に抜ける、抜き穴になるはずなのか?その割には掘削面が平らで、ズリも無い
DSC02431_R_201505222347011a2.jpg
左に伸びる主坑を、うねりながら進む
DSC02432_R_20150522234702708.jpg
すごい傾斜になっている
DSC02433_R_201505222347040f6.jpg
パパゲーノさんがそこで立っている、立てるの?
DSC02434_R_2015052223541600e.jpg
登って見ると、立てる通路が延びている
DSC02435_R_2015052223541801d.jpg
振り向くと納得、外側から掘り進んで来た部分と、高さの測量ミスがあった様だ
DSC02436_R_20150522235419cb4.jpg
5m間隔のうねりを越えると、また斜坑になっている(パパゲーノさんがいい人物比になってくれてる)
DSC02437_R_20150522235421716.jpg
結構苦労しているようだ
DSC02438_R_20150522235423952.jpg
脱出、この木の根っこが邪魔で、出入りがし難いのだった


大網白里 山頂陣地Y-3

Y-3_R.jpg
房総半島戦跡考古調査会のねこさん作図
DSC02357_R_20150521202742022.jpg
まずは隊長さんが山の所有者に調査許可を巧みな話術で頂いてくる
DSC02358_R_201505212027431a8.jpg
山に入ると大穴2つ
DSC02359_R_2015052120274510e.jpg
下は水没墳墓
DSC02361_R_20150521202746873.jpg
上は乾いた墳墓だが、奥行きが少しあるので、改造防空壕かもしれない
DSC02362_R_20150521203913602.jpg
山頂部に到着すると、すぐそこに謎の穴が空いている、結構危ないのでは?
DSC02363_R_20150521203914b0f.jpg
幅50cm有るか無いかの縦坑、取りあえず入ってみた
DSC02364_R_201505212039162be.jpg
下に降り、上を見上げると、ネタにされていた
DSC02365_R_2015052120391773d.jpg
せっかく降りたので、そのまま奥に入って行く
DSC02368_R_201505212039186f0.jpg
這いずるように、内部に進入、右に直角に曲がっている
DSC02366_R_20150521213547940.jpg
無事、坑道内に続いている様だ
DSC02369_R_20150521213548048.jpg
入って来た方向、高さ1mも無い気がする
DSC02370_R_2015052121354989b.jpg
では、本坑に進む
DSC02372_R_20150521213551412.jpg
すぐにクランクする
DSC02373_R_201505212135521de.jpg
中心に灯り置きがあるのだが、判らん
DSC02374_R_20150521221610658.jpg
しばらく進むと十字路に出る
DSC02375_R_201505212216113d7.jpg
左側
DSC02376_R_20150521221612915.jpg
階段状に掘りかけである
DSC02381_R_20150521221614651.jpg
右側、主入り口となる、広い通路
DSC02382_R_20150521221615f7e.jpg
軽くうねった主坑道
DSC02383_R_201505212303487e8.jpg
上部に煤の憑いた灯り置き
DSC02384_R_201505212303500ad.jpg
さて、奥に向う
DSC02386_R_20150521230351c72.jpg
小森さんお一人
DSC02387_R_20150521230352702.jpg
左にくの字に曲がると
DSC02388_R_201505212303547c7.jpg
すれ違い所付き、左折路
DSC02389_R_20150521230937d9b.jpg
こんな角度になっている、右、すれ違い所
DSC02390_R_20150521230938e63.jpg
曲がって行くと、だんだん狭くなって行く
DSC02391_R_201505212309395d0.jpg
突き当たりは、寝撃ちの銃眼の様だ
DSC02392_R_20150521230941eaf.jpg
しかし、ホントに銃眼か?縦の穴は始めて見た
DSC02393_R_20150521230942e0f.jpg
さて、戻ろう、後がつかえている(狭いのですれ違い不能)
DSC02394_R_20150521231944d33.jpg
壕口前、交通壕
DSC02395_R_20150521231945c20.jpg
壕口より5mほど下にある交通壕の様な物、幅1mほどの壕に5m置きぐらいに、左上の様な堰がある、水壕だったのだろうか?

気が憑いたら、いろんな所でリンク頂いていたので、判ってる所に貼らせて貰いました
房総半島戦跡考古調査会の関係者様、リンク追加しました。

日立航空機大網地下工場(成田航空博物館)

日立日立航空機大網地下工場の壕口を見てきた。
まさに、見てきただけのレポートだ、一般の連れがいて探索らしい事が出来ない状態だった。
千葉県山武郡大網白里町大網の県道83号線宮谷交差点付近に、日立航空機千葉工場の疎開工場として作られた地下式及び半地下式の複合地下壕郡だ。
半地下式は全く残っておらず、地下式の第一工区の前に大網白里町教育委員会等の手で、案内看板が立てられている。
自分が見たのもここの壕口(フェンス付き)3つと本国寺右側の壕口(フェンス付き)だけである。
近年潜った人の話は聞かないし県道83号線の拡張工事により、県道が第一工区第二工区の上をまたいでいる形になるので内部は当然駄目だろう。
第四工区第5工区はすでに住宅地に変貌しているらしい。
DSC03247_R_20130305202038.jpgこの坂の上に墓地が有りそこに車を停める、壕口は写真左側にある
DSC03248_R_20130305202040.jpg階段を降りればすぐ分かる、しかし民家の庭同然の所にあるので一言許可を取ろう
DSC03249_R_20130305202041.jpg案内板
DSC03250_R_20130305202043.jpg2000年8月の調査時、約14年も前だ
DSC03250_R_20130305203134.jpg赤線が新しい県道83号線、見事に壕の上を通っている
DSC03253_R.jpg3本ある内の一本目、これはすぐ見える
DSC03254_R.jpgライトで照らすと駄目そうな感じ
DSC03256_R.jpg二本目は湿地と化して、近寄れず
DSC03258_R.jpg三本目、畑の奥にある
DSC03259_R.jpg近寄る
DSC03261_R.jpgしかし水没+道路側から埋まっている
DSC03264_R.jpgぬこ

しょぼいので、途中で寄った成田航空博物館を一部付け足す
CIMG1033_R.jpg零戦21型複製カットモデル
CIMG1034_R.jpgなかなか人気で機体のみの撮影不可だった
CIMG1035_R.jpg照準機はただのアクリル板
CIMG1036_R.jpg足元には何も無いが雰囲気はある
CIMG1037_R.jpg首だけマッハバスター
CIMG1038_R.jpgハー50エンジン説明板
CIMG1039_R.jpg富岳のエンジン、ぶっちゃけこれだけ見に来た
CIMG1040_R.jpg3個しかない内の1個
CIMG1041_R.jpg埋まっていたわりに、原型を留めている
CIMG1042_R.jpg
CIMG1043_R.jpg
CIMG1044_R.jpg秋水
CIMG1045_R.jpgプラモデル
CIMG1046_R.jpgオレンジはラーメンですかい(4種類)