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六浦地下壕再訪(南側)及び比与字地下壕新規発見

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中央部にある抜き穴に戻り、北側坑道に向かう
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北側坑道入り口
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横にある部屋への入り口
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コンクリートの階段がある部屋、ワザと掘り下げているようだ
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天井には吊り下げ金具や電気碍子の跡がある
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メイン坑道はほぼ同じ幅だが後に窄まる
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こちら側の坑道は近代産廃が多く投げ込まれている、工場側に開口部が有るせいだ
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この先が開口部だが社有地なので、出たら通報されるだろう
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出口手前に迂回路がある
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ここから元の坑道に戻れる
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出口は何故か1mほどの段差、躊躇する空母氏、この程度の段差はまだ前哨戦なのに
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タイプの違う20L薬ビンが落ちている
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点滴
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7・UPなど医療系の物が散乱する
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これから先は水没が有るが、長靴程度だ
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基本的にいつも水没しているが、過去に乾燥していた時もある
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南側と同じく、北側も隣に若干狭い坑道が併走している
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裏側の坑道
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壁面に棚の掘り込みがある、この壕唯一じゃないかな?
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これも今となっては唯一の付いている碍子
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本坑に戻り、2階への階段に向かう
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すじさんは何の苦も無く登って行った
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登るのを躊躇しまくる空母氏を、お約束だからと追い立てるメンバー
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しぶしぶ向かう空母氏、段差2mの階段、これも上部からの敵の侵入を想定した罠かも知れない
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日頃の不摂生と毎日の飲酒のせいか、なかなか上手く登ることが出来ない
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えらい時間をかけてやっと登った
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入れ替わりにひょいと降りてくるすじさん、この身体能力は侮れない
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この先100段階段が待っている、山頂まで登るのだ
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戸惑いながら登って行く空母氏、足場を外し先に撤収するメンバー
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降りる(落ちる)シーンは武士の情け
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その間残留物を物色する
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ここには変わった電気碍子がたくさん落ちている
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昔、漁業に使っていたビードロの浮きが何故か転がっている
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とりあえず大体見たので引き上げる
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北坑道の出口
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南坑道に戻ってきた
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台座を使って記念撮影
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南坑道から地上への斜坑に戻る
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今度は落ちてくるなよ空母氏!
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地上に出て近くの遺構を見て行く、倉庫壕と監視壕と思われる
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この壕は一応貫通しているが、向こうは崖になっている、出たらあかん
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おいせ山山頂に移動コンクリートの境界柵がある
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海軍境界柱や兵舎の基礎も残るが、草に埋もれている
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蛸壺塹壕等を見ながら下山する
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夕暮れの六浦地下壕を後にする
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次は比与字の観測壕
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スリットを覗き込むとのさん
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裏山を登る
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コンクリート製のろ過水槽や便所が近くに有る
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ちょっと迷ったが、壕口到着
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壕内は十分な広さがある
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手前の部屋、六浦のごとくに四角い
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半対面の部屋、空母氏が2mとして3mぐらいの高さか?
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部屋の奥は、棚状になっている所がある
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中間の生息部、片側はベンチ状になっている
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深部はまだ掘りかけだったようだ
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他にもいくつか部屋もあるが、そう大きな壕ではないし、残留物も無い
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脱出する
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探索終了、F壕倉庫前で基本解散となる

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六浦地下壕再訪(北側編)

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昼食後、六浦地下壕へすじさんと合流して向かう
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おいせ山山頂の機銃砲台台座と言われるコンクリート柱郡
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大型の水槽
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なんかいる(人物比)
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小型の物など素掘りの銃座風の物もある
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ここから藪漕ぎで進むが、近年軍道が土砂崩れで無くなってしまったので、滑落注意
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壕口到着、これは山頂の抜き穴なので、30度近い急勾配の斜坑を下って行く
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初見の空母氏に先陣を譲る、すじさんは既に闇に落ちて行った
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すごい音と叫び声と共に空母氏が消えた
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この斜坑にはトラップがあって、先人のロープ(ホース)もあるが、中央に板が仕込んであって、これを踏むと滑って転げ落ちる進入防止の罠が今も生きている。うっかり教えるのを忘れていた。
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降りた先は大分埋まっており、この隙間から這うように入って行く
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入るととてつもなく綺麗な坑道が走っている
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通常天井は強度を保持するため、丸く削るのが普通なのだが、異様なまでに四角く削られている
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右横には隣に併走する同じ形の通路があったはずなのだが、埋め戻されている
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コンクリートの遺構が散見するが、用途不明
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部屋ならいくらでも四角いものはあったが、通路全部が四角い壕はここにしか無いだろう
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奥に進むと状態が変わる、コンクリートの台座だ
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天井には工作機械を据えつけるための穴が空いている
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奥にある部屋
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誰か碍子を並べて遊んでいる
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ここに何が有ったか、何を作ったかは資料が無い
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あれこれ考えるが分かるはずも無い
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隣の坑道へ、隙間から入り込む
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しゃがみこんでやっとぐらいに隙間がある
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反対側、ここから横に開口部だった所が有り、現在は民間工場となっているので、工場建設の残土が壕内に捨てられたものと思われる、出入り口はブロック等で閉鎖されている
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隣の坑道から元の坑道に戻る、この部分はなぜか迂回しないと元々繋がっていない
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入って左側にはテーブルが
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右側には破壊されたコンクリートの壁の向こうに坑道がある
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状態は良くない
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左側は何故か鉄パイプが横断している
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深部は埋め戻し
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手前にある部屋
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20L入りの薬ビンは湿度が丁度いいのか、何年経っても蒸発する事無く残っている
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蓋にもいろんな種類が有り、割れたり無かったりするビンからは、異臭が漂っている
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南側坑道の調査が終わったので、北側に向かう
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天井に吊り下げ金具が残っている
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南側本坑、北側はこれより若干狭い
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かわいい足跡が残っていた

海軍省艦政本部地下壕探索 その2

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H坑道の終端部
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横の枝坑に何か有る
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さっきの集水桶と同じ物だ
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止めど無く水が降ってくる
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天井に空けられた穴から降ってくる地下水
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これは別の乾いた天井の穴、かなり長い穴だが現在上に公園が有るため貫通している物は無い
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I 坑道の終端部
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生まれたての小さな蛇が居た
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枝坑は綺麗だが、幾分小さくなってきた
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I 坑道を歩いていく
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これから先は掘りかけだ
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地層による落書き、うにしか見えない
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空母氏がとのさんにごめんなさいしている、何が二人に?
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実はうちのメンバーがこんなに纏まって歩いているのは珍しい、普段はてんでバラバラなのに
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壁に血飛沫の様な物がこびり付いている
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枝坑が低いのか、水が大分溜まり始めている
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溜まった地下水に映り込みが綺麗だ
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乾いた部分はかなり雑な掘り方
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殆ど無い残留物を探すメンバー
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この辺まで来ると、コンクリートのかけらも無い
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個人的にはこんな風に荒れている地下壕の方が楽しい
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I坑道の最深部
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I坑道から最後のJ坑道へ移動する
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J坑道終端部、この坑道は短い
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入り口近くには落書きが多い、「オダ」
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☆とA
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まるで上にもう一本有ったような高さの坑道
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砂岩質でかなり風化している
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奥に進むともとの高さに戻る
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電球が落ちている
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戦跡ではお馴染みの「東芝・マツダ」だ
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儀仗兵のようなとのさん
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再び地下水の溜まった壕内を歩き出す
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コンクリート巻きと大谷石の複合になる境目
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良く大谷石をこれだけ引っこ抜いて全く崩落してこない物だ
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そろそろ全てを周ったようだ
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なるべく通っていない通路を通って戻っていく
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摂取時の米軍だろうか?英語の表記がある
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このコンクリートは鉄筋が入っているか、かなり怪しい、先端部なども鉄筋を一度も見てない
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おもろい男発見!(静岡産)
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ん?誰かの名前が書いてある
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F坑道まで戻ってきた、もうすぐ出口だ
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さて、脱出しよう
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こんな太ももまである水没壕に入る好き者はあまり居ないだろうな~
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地下壕の上はこのような公園になっている
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斜面を探すと潰れた壕口らしき物がある
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何かしらの壕があったようだ
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内部で見かけた上部への抜き穴の出口かも知れない
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裏の竹林の中に貯水槽が残っている
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すぐ近くにはコンクリで塞がれたB坑道の壕口がある
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H坑道と思われる壕口
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完全に埋め戻されていて、入る隙間も無かった

海軍省艦政本部地下壕探索 その1

海軍省艦政本部とは、海軍の艦船、機関、航空機を除く兵器の技術行政を主に行う部門
慶応日吉キャンパスに連合艦隊司令部の地下壕がある事は有名だが、東急東横線を挟んだ
箕輪の夕日山、現在の日吉の丘公園の下に海軍省艦政本部がある事は、あまり知られていない
今回はややこしい繋がりをたぐり、地権者に交渉、許可を頂いての入壕が叶った
通常は保存会ですら入れないので、ラッキーだった。

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まずは日吉キャンパスの簡単に見える遺構を周る
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この男が、楽しみ過ぎて風雨の中も気にせず、前夜からやって来たので御案内となった
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チャペル、1944年より軍が外国ラジオ放送の傍受、翻訳に使用していた
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耐弾式竪穴坑、30m下にある地下司令部への入り口の一つ
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明らかに怪しい人と距離を置きつつ誘導しながら着いて行く
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日吉台地下壕見学会の入り口を観て、本題の艦政本部に向かった
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突入を開始するが、壕内は入り口から深く水没している
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事前情報を受けている自分等は、ウエイダー装備で問題無いが、膝上まで水深があるので長靴では無理
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中心辺りに木の板橋が有るが、腐っており下手に踏むと折れてコケル
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数十メートル歩いても、一向に水が引かない、枝坑を左に折れる
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コンクリートの壁面に、急造丸出しのあて木の跡が当時の状態を表している、連合艦隊司令部地下壕は1944年11月から機能し始めるが、艦政本部は1945年8月14日完製で未使用であった
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E坑道への接続部
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この壕はA~Jまでの10本の坑道を横の枝坑で接続している(E坑道の2つ目の接続部って記号)
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E坑道の壕口方向を見ている、入り口方向は絞られて、坑口が崩れないように空間を少さくしている
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逆側に進む
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床の真ん中には、排水溝が切ってあって踏み外したら危ない
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A~Dまでの坑道は埋め戻しによって、入る事ができなくなっている
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やっと水が引けた所に上陸
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蓋が腐ってか盗まれてか分からないが無くなっているので、足元注意だ
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反対側の終端部、坑道によって長さは違うが50m~70mぐらいだろう
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横の枝坑には、トロッコ軌条が残っている
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天井の電気配線を付けるための木材、未完成の為、釘を打った様な形跡が殆ど無かった
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E坑道終端部、コンクリではなく、粘土質の土を圧接して壁にしている
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終戦直前に、ここまでコンクリートを使用している地下壕は珍しい
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珍しく床にコンクリートがある
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その下には盗れなかったのだろう、トロッコの枕木が一本
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黒ずんだ碍子が一つ、これが唯一の残留物だった
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F坑道は短い
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終端部は何故か右に曲がって上部への抜き穴になっていたようだ
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ここからJ坑道にかけては、素掘りの部分が増えていく
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接続部でコンクリートは切れるが高さ3m幅5mほどの大きな横坑だ
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途中からコンクリートが復活する分岐路のためだろう
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当時の木枠が天井に残っている
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ここは唯一横の枝坑同士を繋ぐ更なる枝坑がある、そして枝坑の一本が何故か埋め戻しされている
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G坑道への接続部にある謎の遺構
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奇妙な形をした「悦子」
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天井の穴からここに水が滴っている
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集水桶の一種のようだが、不恰好過ぎて何とも言えない
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トタンの波板で型枠を当てたのだろう、一部には金属も使用されている
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G坑道終端部、窄まり具合はいっしょのようだ
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その横のH坑道への横坑、しゃしんで良く見る風景だ
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セメントが足りなくなった為、空襲で焼けた田園調布から、大谷石を運んで来て間に合わせにした部分
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戦後の混乱時、石材として更に盗み出され、崩れて来ないように間隔を開けて残されている
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このせいで壕内の強度が確保出来ず、公開がされないのだろう
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H坑道に入ると、完全に素掘りのままの状態だ
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坑道も真っ直ぐとは言いがたい
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窪んだ部分にコンクリートの台座が引かれている場所がいくつかある、何だろう?
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排水溝も真ん中ではなく、両側になる
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何故か未完成の素掘り部分に変わった遺構が残っている、集水桶だ
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砂や玉砂利でろ過して飲み水にしていたようだ、床が水の流れで削れている
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壁から抜き出して来ただろう、大谷石が何故か積まれている
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投機性の土管を建てたおの
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ろ過に使っていたのだろうか?金属製の漏斗状の物が落ちている
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この管でろ過された水を集めて採取していた様だ

大倉山海軍気象部第5分室

昭和7年(1932)に「大倉精神文化研究所」の本館として創建された大倉山記念館に海軍気象部分室が移転してきた。
この地は高台で、電波状態が良いとされたのが理由らしい。
大東亜戦争末期の昭和19年に、当時の大日本帝国海軍気象部が記念館を借り上げ、100人を超える部隊が移ってきた。
4月10日付けで「予想セラルル敵空襲ニ対スル応急対策トシテ」研究所借用の照会をしている。
昭和19年8月31日に海軍気象部員百余名が下検分に来所し、9月1日より移転してきました。気象情報は重要な軍事機密であり、気象部が何をしていたのか、外部にはまったく教えられていなかったようである。

 『気象百年史』によると、海軍気象部の本部は、東京駿河台のYWCAのビルに置かれ、その他にも神田周辺に多数の分室が作られた(分室は全部で7ヶ所)。
昭和19年6月、海軍気象部は大倉精神文化研究所を最後の拠点とすることに決め、大倉山に第5分室を設置する。
大倉山には気象部員によりH字形水平壕が掘られた記述がある。
 気象部隊は千島や北海道の海岸に発生する海霧の研究をし、海軍の作戦行動の妨げにならないよう、発生のメカニズムや予報の研究を行った。
海軍気象部特務班は外国の気象通信(暗号電文)の暗号解読が任務だった。
アメリカの暗号を解読するA一班・A二班、ソ連の暗号を解読するS班の3班に分かれて作業を行った。
暗号の解読室は、現在のギャラリー入り口辺りの研究室らしい。
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大倉山駅からすぐの、大倉山公園内にある
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現在の横浜市大倉山記念館である
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基本的には3階建ての西洋建築
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ギリシャ風
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横から見ると、窓の多さに驚く
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研究所入り口
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扉はヒンジを見る限り、近代の付け替えのようだ
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ポーチ周りは当時からのデザインだろう
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「村山用水」の防火用水桶が裏返しになっていた
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裏から見ると、かなり複雑な建物だ
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取り合えず中に入ろう
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入ると内部も複雑な造りになっている
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白黒の部分は大谷石で出来ている
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上を見上げる
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外から見た塔状の所まで、完全に吹き抜けだ
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様々な鳥獣が挟まっている
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とりあえず地下に降りて見る
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階段の裏側に「留魂礎碑」がある
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通路はあるんだが、なんか入っちゃいけない様な雰囲気があるので引き返す
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1階に戻った、重厚な扉がかっこいい
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何が隠してあるか、気になる扉、左上の覗き扉に萌える
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2階、3階と上がってみる
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特に何がある訳でもなく、普通の部屋が沢山ある、もちろん入れない
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付属図書館に入る
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もともとここに篭って資料あさりするのが目的だった
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中では現本をデジタル化する、アナログな作業をしていた
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こうゆう所には、こんな本がある
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資料はコピーも出来るが、部分的に購入も出来る
この資料の中に、気になる部分が有った

 海軍気象部は、大倉山を最後の拠点として戦争を戦い抜こうと考えており、大倉山の中腹には、気象部員の手によって、H字形水平壕と呼ばれる防空壕が掘削されました。
壕は昭和20年7月末までに、予定の3/2、約115mまで掘り進んだが終戦で使用されずとある
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大倉山は公園化されており、発見は困難だろうとゆうか、当然埋めたと思われる
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梅園などを眺めながら軽く捜索すると
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なんか開いている
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カメラを突っ込むと、地下壕だ!しかし今日は普通の格好だどうする?
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結局入ってしまった
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そこそこ綺麗に掘ってあるが10mも無い防空壕だった
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コの字形の先は埋没
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早々に脱出する

しかしこれでH形水平壕も残っている可能性が、僅かだが有りそうな気がする。
いずれまたチャレンジしてみようと思うが、住宅と公園化で捜索もかなり困難だろう
この後も付近を捜索するも、空振りだった。