日本カーリット保土ヶ谷工場
現在はカーリットホールディングス株式会社がメインであり、日本カーリットは傘下会社と言う扱いになっている
セメントで有名な浅野財閥の浅野総一郎が起こした会社であり、前身はかの浅野カーリットである。
浅野カーリットと言えば埼玉工場で造った、ちび玉(四式陶器製手榴弾)で有名になった会社である。
昭和19年の夏以降、陸軍造兵廠川越製造所の依頼で陶器製手榴弾の他に陶器製地雷、機関砲弾、導火爆索等も造っている。

始めて来た公園なので分からず、市沢市民の森方面から入った。(駐車場が無い為徒歩か自己責任で路上駐車となるが、環状二号から入った所に僅かなコインパーキングがある)

北側は市沢市民の森、東と南はサンシティ横浜(老人ホーム)横浜メディカルクリニック等になっていて遺構は無さそうだ


平成7年まで稼働していて、平成23年にたちばなの丘公園、市沢市民の森として一部開放されている

たちばなの丘公園を目指す

あまり散策路の道しるべの無い道を進むと最初の遺構、万年塀のある交差点に出る

公園整備の為にこれだけ残して全て撤去されている

当時の危険区域表示

裏側は倒れないように補強されている

壁に向かって左に移動、右はループして戻って来る、正面は公園に普通に降りるコース

区境道に沿って進む

ここからたちばなの丘公園のようだ

人の来ないコースに外れる

竹林の中に何か見える

5mほど掘り下げられた空間に、煉瓦遺構が見える

煉瓦のトンネルだ

土塁に囲まれた工室跡の内側に出てしまったようだ、ここは4つ目の導爆線工室

土塁の中は大半が竹林と化しているが、広い平地が広がっている

土塁の下部は、土留を兼ねた石積がある

工室は二つのトンネルで左右からの出入りをする

こちらの壁は土留を兼ねてコンクリートで造っている

トンネルには一つずつの穴が開いている

土塁の中をトンネルで繋いでいるのかと思ったら、ただの退避壕らしく3m程しかない

土塁の上から正規コースに戻ろうとしたが、柵があるので仕方なく横移動

3つ目の第九填薬工室

退避壕は土塁の内側に造られる

内部の状態はこっちの方が悪い

手前のトンネルがオール煉瓦だったのに、こちら側はオールコンクリートだ

内部もコンクリート

近年まで使われていたので、ペンキもしっかりしている

第四混和工室に移動

コンクリート製に見えるも、煉瓦のモルタル塗りのようだ

入り口の角度も一定では無く、様々な方向を向いている

ここのアングルも曲がっていたり、直線だったりする

ここは状況が酷い為、先を諦める

土塁の上を遊歩道に戻る

遊歩道(区境道)を歩いて行くと

反対側の公園入口に出る、トイレもある

ここが工室の端っこになるようだ

ここに駐輪場はあるのだが、車は路上に停めている人が多い


遺構として残っているのはこの4つの工室のみ、図の中央部は土塁として何となくわかる程度で、貯水池に変わっている

上は区境道から降りて来る遊歩道

ここに埋まっていると言うが、この土塁は下り坂で3m程度しかない、工室の入り口を見ると地面の高さは変わっていない
隧道を埋めるには全く高さが合わない、写真を見るかぎり4~5mはあるはず?

唯一の横向きの第四混和工室右側入り口


トロッコだけでなく、バッテリーカーも使われていたらしい

トンネル内待避所

土塁の角部分には、ここに転車台があったと言いたげなサークルがある

第四混和工室「4K」

間口の広い左側の入り口

第四混和工室のイニシャル

唯一待避所の無いトンネル

特筆するのは猫小屋がある事、ここなら雨に濡れないし人も入れない

土塁には各二つずつの入り口が並んでいる

第九填薬工室「9T」


第九填薬工室右側の入り口

トンネル待避所は半分コンクリート

第九填薬工室左側の入り口

オールコンクリート

入り口には「FT」と書かれた跡がある

包装収監函工室「H」

包装収監函工室右側の入り口

イニシャルは「H」

包装収監函工室左側の入り口

土塁が流れてトンネル部が露出している

前面部も煉瓦むき出しで、粗い感じだ(ちなみに刻印は見つからなかった)

トンネル内部もあまり状態が良くない、コンクリート部分は修理箇所だろうか?

導爆線工室「DF」

導爆線工室右側入り口、読めなかったが、イニシャルはDFなんだろうか

ヒビが入り補修した跡がある

導爆線工室左側の入り口

全く読めない

これで全てを見た事になる

工室の向かいにある谷戸に降りて行く


現在は建物は無く、調整池と化しているが、水すら無い

谷戸の反対側に行く、ここにも同じような工室があったはずだが

土塁の面影だけが残り、何も無い

観れる物は見たので引き返す

戻りしな、あちこち寄ってみる

しかし何も見つからなかった。
セメントで有名な浅野財閥の浅野総一郎が起こした会社であり、前身はかの浅野カーリットである。
浅野カーリットと言えば埼玉工場で造った、ちび玉(四式陶器製手榴弾)で有名になった会社である。
昭和19年の夏以降、陸軍造兵廠川越製造所の依頼で陶器製手榴弾の他に陶器製地雷、機関砲弾、導火爆索等も造っている。

始めて来た公園なので分からず、市沢市民の森方面から入った。(駐車場が無い為徒歩か自己責任で路上駐車となるが、環状二号から入った所に僅かなコインパーキングがある)

北側は市沢市民の森、東と南はサンシティ横浜(老人ホーム)横浜メディカルクリニック等になっていて遺構は無さそうだ


平成7年まで稼働していて、平成23年にたちばなの丘公園、市沢市民の森として一部開放されている

たちばなの丘公園を目指す

あまり散策路の道しるべの無い道を進むと最初の遺構、万年塀のある交差点に出る

公園整備の為にこれだけ残して全て撤去されている

当時の危険区域表示

裏側は倒れないように補強されている

壁に向かって左に移動、右はループして戻って来る、正面は公園に普通に降りるコース

区境道に沿って進む

ここからたちばなの丘公園のようだ

人の来ないコースに外れる

竹林の中に何か見える

5mほど掘り下げられた空間に、煉瓦遺構が見える

煉瓦のトンネルだ

土塁に囲まれた工室跡の内側に出てしまったようだ、ここは4つ目の導爆線工室

土塁の中は大半が竹林と化しているが、広い平地が広がっている

土塁の下部は、土留を兼ねた石積がある

工室は二つのトンネルで左右からの出入りをする

こちらの壁は土留を兼ねてコンクリートで造っている

トンネルには一つずつの穴が開いている

土塁の中をトンネルで繋いでいるのかと思ったら、ただの退避壕らしく3m程しかない

土塁の上から正規コースに戻ろうとしたが、柵があるので仕方なく横移動

3つ目の第九填薬工室

退避壕は土塁の内側に造られる

内部の状態はこっちの方が悪い

手前のトンネルがオール煉瓦だったのに、こちら側はオールコンクリートだ

内部もコンクリート

近年まで使われていたので、ペンキもしっかりしている

第四混和工室に移動

コンクリート製に見えるも、煉瓦のモルタル塗りのようだ

入り口の角度も一定では無く、様々な方向を向いている

ここのアングルも曲がっていたり、直線だったりする

ここは状況が酷い為、先を諦める

土塁の上を遊歩道に戻る

遊歩道(区境道)を歩いて行くと

反対側の公園入口に出る、トイレもある

ここが工室の端っこになるようだ

ここに駐輪場はあるのだが、車は路上に停めている人が多い


遺構として残っているのはこの4つの工室のみ、図の中央部は土塁として何となくわかる程度で、貯水池に変わっている

上は区境道から降りて来る遊歩道

ここに埋まっていると言うが、この土塁は下り坂で3m程度しかない、工室の入り口を見ると地面の高さは変わっていない
隧道を埋めるには全く高さが合わない、写真を見るかぎり4~5mはあるはず?

唯一の横向きの第四混和工室右側入り口


トロッコだけでなく、バッテリーカーも使われていたらしい

トンネル内待避所

土塁の角部分には、ここに転車台があったと言いたげなサークルがある

第四混和工室「4K」

間口の広い左側の入り口

第四混和工室のイニシャル

唯一待避所の無いトンネル

特筆するのは猫小屋がある事、ここなら雨に濡れないし人も入れない

土塁には各二つずつの入り口が並んでいる

第九填薬工室「9T」


第九填薬工室右側の入り口

トンネル待避所は半分コンクリート

第九填薬工室左側の入り口

オールコンクリート

入り口には「FT」と書かれた跡がある

包装収監函工室「H」

包装収監函工室右側の入り口

イニシャルは「H」

包装収監函工室左側の入り口

土塁が流れてトンネル部が露出している

前面部も煉瓦むき出しで、粗い感じだ(ちなみに刻印は見つからなかった)

トンネル内部もあまり状態が良くない、コンクリート部分は修理箇所だろうか?

導爆線工室「DF」

導爆線工室右側入り口、読めなかったが、イニシャルはDFなんだろうか

ヒビが入り補修した跡がある

導爆線工室左側の入り口

全く読めない

これで全てを見た事になる

工室の向かいにある谷戸に降りて行く


現在は建物は無く、調整池と化しているが、水すら無い

谷戸の反対側に行く、ここにも同じような工室があったはずだが

土塁の面影だけが残り、何も無い

観れる物は見たので引き返す

戻りしな、あちこち寄ってみる

しかし何も見つからなかった。
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