高野山慰霊碑巡り

雪の高野山にやって来た、極楽橋駅から既に雪国だ!実は途中の新幹線も雪の為に徐行運転で1時間45分も遅れた

高野山駅までは駅舎から直通の高野山ケーブルで5分登り、そこから更に南海りんかんバスに乗り換える
このケーブルやバスは、駅に着くなり数分で発車するタイムスケジュールになっていて、寄り道不可能だ

目的地は高野山奥之院なのだが、途中駅千手院橋(東)で下車し、宿坊街を歩いて行く

途中にも見たいものがあるのと、せっかくだから雪道を歩きたかった

摩尼宝塔(まにほうとう)残念ながら閉まっていたが、内部には写真等の展示品もある

ビルマ戦没者供養塔

まぁこんな時期に来る人も、いないのだろう

一の橋方向、参道に向かう

高野山には終戦間際の1年だけ、飛行場も無い高野山海軍航空隊があった

実際にここで訓練した航空隊員が、特攻隊として出撃している

この宿坊街に、分散して寝泊りしていたそうだ

ここから奥之院を目指す

橋は何故か通行止めになっている

仕方ないので、橋以外の所から参道に入る

六地蔵尊灯籠塔

もしかしたら橋が通行止めなんじゃ無く、参道が通行止めだったのか?

足の埋まる深雪を歩くのは、意外に大変だ

ちょっと後悔しながら歩を進める

高野山奥之院参道入り口に到着

結構な観光地だという印象で来たのだが、人が居ない?

参道入り口付近は、各大手企業の慰霊碑、供養塔が立ち並ぶ

これはちょっと不謹慎だが笑った

中盤以降は地元の名士なのか、個人墓が目立つ

英霊殿、昭和27年に第二次世界大戦の戦死者を供養するために建てられた

満州第七七五部隊慰霊碑

尼崎市の慰霊碑群

慰霊碑と慰霊塔の違いは何だ?

お化粧地蔵

信長の墓を見付けた

意外とひっそりとした公募

この橋から先は撮影禁止となる

無縁塚

海軍通信学校第五二期生慰霊碑

アンボン島海軍特別陸戦隊戦士之碑


日本軍は1942年1月31日、アンボン島を総攻撃した、第38師団歩兵第228連隊を基幹とする東方支隊の陸軍5300名と海軍呉第1特別陸戦隊(呉一特)750名での攻撃で、東方支隊=戦死55名、戦傷135名、呉一特 =戦死40名、重傷50名の損害を出し、占領している。

和歌山県特別攻撃隊供養塔

黒龍江省富錦第七七五部隊慰霊碑

大阪市東成区中本校下戦殉英霊供養碑

東部ニューギニア派遣戦没者慰霊塔


戦艦陸奥殉職者英霊供養塔(事故による沈没の為戦没にはならない)

これは帰り道の宿坊街で見かけたもの

街中にもいろいろあるようだ
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