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松代大本営 (十三崖弾薬庫)

十三崖弾薬庫に進入開始する、始めに断って置くが、これは非常に現存が珍しい地下式大型弾薬庫であるが、物が弾薬庫専用なので変化が無い、基本碁盤の目状になっているので、特徴も無い。
とゆうことで、写真多目の説明少な目(説明仕様が無い)になるが、あくまで記録用だ。
砲台の弾薬庫でもなく、火薬庫でもない池子の様な地上弾薬庫でもない純粋な弾薬庫だ、しかも稼動している。
20年3月より、満州から持ち帰った弾薬類が壕内に入り切れづに、川原や松林に野積みになっていたとの記述もある。
しかし、もっとも驚く事は、2000mに及ぶこの壕を、たったの20日で作り上げた事だろう。
DSC03870_R.jpg状況開始
DSC03867_R.jpg地盤は以外にもろく、発破はあまり使われなかった(崩れそうで)
DSC03865_R.jpgまずは正規の入り口付近を捜索する
DSC03868_R.jpgここではめづらしい、コンクリート
DSC03871_R.jpg当時の格子戸
DSC03872_R.jpgほとんどの交差部分に置かれている札
DSC03874_R.jpg木製の枠が残っている
DSC03875_R.jpg所により、妙に飛び出した岩がある
DSC03876_R.jpg何かを置いていたのだろうか?きれいに整形してある、ここにしては
DSC03878_R.jpg実際使われていたので、壕床は以外ときれいかな
DSC03880_R.jpg
DSC03881_R.jpg
DSC03883_R_20130406202155.jpg22本中5本を残して完成時に入り口を合えて塞いである
DSC03884_R.jpgA坑道(横)の20番抗(縦)とゆう意味
DSC03885_R.jpgブリキの不明の物体
DSC03887_R.jpg外側に通気パイプを通し、土嚢で固められている
DSC03888_R_20130406210244.jpg所々黒く焼けた様な所がある
DSC03890_R.jpgひたすら直線が続く
DSC03891_R_20130406210247.jpg20m程度の間隔で十字路がある
DSC03892_R.jpgこの辺はズリを出してない、掘削中
DSC03896_R_20130406211547.jpgC坑道は掘削中が多い
DSC03900_R_20130406211548.jpgでも出来ている、
DSC03903_R.jpg水の流れた跡がある
DSC03907_R.jpgAの一番抗
DSC03908_R.jpg外側からの埋め戻し
DSC03910_R.jpg地層が変ってくる
DSC03912_R.jpg岩が無くなった
DSC03913_R.jpg発破穴
DSC03918_R.jpg道幅が狭い
DSC03919_R.jpgC坑道8番坑道
DSC03921_R.jpg埋め戻し
DSC03922_R.jpgB坑道には何故か貫通していない所がある
DSC03924_R.jpgB坑道15番抗②湾曲した坑道
DSC03925_R.jpg唯一の落し物
014_R.jpgたまには自分の人物比(写真提供榴弾砲氏)
DSC03926_R.jpgA坑道に戻る
DSC03927_R.jpgだいたい周った様なので、撤収する
DSC03935_R.jpg帰りも川を渡河する
DSC03936_R.jpg対岸には案内板がある
DSC03937_R.jpgこれは戦跡には関係ない、案内板の目印(案内板は引っ込んだ所にある)
DSC03938_R.jpgうすくなった案内板
DSC03939_R_20130406215814.jpg弾薬庫はこの辺でなく
DSC03940_R_20130406215815.jpgこの辺にある
019_R.jpg
020_R.jpg
021_R.jpg十三崖弾薬庫を跡にする(上3点写真提供榴弾砲氏)


やっぱり、みんなでの遠征はたのしいし、違う目線での意見もあり、見識もあるので参考になる
一人は気楽だし行動範囲に制限が無いが、見落としも多くなる、壕内探索はもしもを含み、複数人数が好ましい。
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松代大本営 (鎌田山地下壕、十三崖弾薬庫)

上高井郡須坂町(須坂市)鎌田山には送信施設(二号倉庫)が作られた。
三本掘られ、内部で連絡していたらしいが、現在は中央の壕しか壕口は見えず、埋もれてしまっている。
残った壕は、京都大学防災研究所の地震計が設置されているが、まだ使用されているかは不明。
出来高は70%で主要部はほぼ完成、敗戦時には通信用機材の組み立てが完了し、山頂にアンテナを
立てるだけになっていたそうだ。
もちろん内部に入る事は出来ないし、行ってもセントル巻きの入り口が見えるだけなので、お勧めしない。
DSC03941_R.jpgとりあえず、鎌田山、吉向焼窯跡付近としか、分からない
DSC03942_R.jpg鎌田山に入山する、もちろん熊避けの鐘は鳴らした
DSC03943_R_20130405210408.jpg不明の石碑
DSC03944_R_20130405210410.jpg吉向焼窯は見つかった
DSC03945_R.jpg案内板
DSC03946_R.jpgついでなので、見学して行く
DSC03947_R_20130405210930.jpg
DSC03948_R.jpg
DSC03949_R.jpg
DSC03950_R.jpg
DSC03951_R_20130405211104.jpg軽く周り、みんなで手分けして捜索する
DSC03952_R.jpgOKN氏が壕口を発見する、それぞれ集まってくる
DSC03953_R.jpg何と普通に道沿いにあった、盲点だった
DSC03954_R_20130405211108.jpg岡本夏樹写真集が展示してあった
DSC03955_R.jpg入れない
DSC03956_R.jpg付近にある陥没した様な跡、壕口だろうか?
DSC03957_R_20130405214034.jpg人物比、以外と小さい・・・以上

さて、十三崖弾薬庫だが、もともとは須坂臥竜山の地価弾薬庫(へ号倉庫)が岩盤が固く10箇所以上試しても全く歯が立たず、工事不能となった為に、代替地として掘られた物だ。
現在はチョウゲンボウの繁殖地として極一部で有名だ。
P1000883_R.jpg前日の夜横浜を発つ
P1000882_R.jpgスタ丼を食す
P1000887_R.jpg車中&テント泊
P1000892_R.jpg習慣で6時起床が身に憑いて嫌でも目が覚める
P1000891_R.jpg仕方なく一人で一時間ほどうろつく
P1000886_R.jpg全く電車が来ない線路
DSC03852_R.jpg十三崖
DSC03853_R.jpg手前には川が流れている、橋まで行って普通は回りこむ
DSC03854_R.jpgチョウゲンボウの巣穴らしき物が見える
017_R.jpg面倒なので渡河作戦決行(写真提供榴弾砲氏)
DSC03855_R.jpgいつの間にかごついコンクリートに鉄柵が憑いている
DSC03862_R.jpg五年ほど前には無かった
DSC03856_R.jpg覗き込む、中は無事の様だ
DSC03861_R.jpg斜面に通気孔の様な物がある
DSC03860_R.jpg山中を探すと、穴発見
DSC03859_R.jpg早速入る
DSC03857_R.jpgしかし狭い

次回内部

松代大本営 (舞鶴山地下壕)

松代大本営(舞鶴山地下壕)ロ号倉庫の紹介
ここは現在気象庁地震観測所が使用している、世界有数の地震観測施設で、地下核実験を探知する国際施設に
指定されている事は、最近の某国の実験で注目を浴びているので、知っていると思う。
反面、その施設が非常に繊細な機器類を使用しているため、全く地下壕内に立ち入れない。
しかし、例外もあり、四月の化学週間には、一部一般公開しているらしい。
DSC04091_R.jpg川の手前に数台だけ停められる、無料駐車場がある、大坑道が見える
DSC04093_R.jpg案内図、公衆トイレも変った形だった
DSC04095_R.jpg奥の白い建物は「恵愛学園」、仮御座所があった場所だ
DSC04096_R.jpg橋を渡って大坑道に向かう
DSC04097_R.jpg説明板
DSC04098_R.jpg配置図
DSC04099_R.jpg入り口部分
DSC04100_R.jpg道路から見える壕口
DSC04101_R.jpg行って見たが、やはり入れない
DSC04102_R.jpg残念ながら、リニューアルされている、形状は変化無し
DSC04104_R.jpgまずは資料館に入る
DSC04105_R.jpg天井の吹き抜け
DSC04107_R.jpg昭和41年の航空写真
DSC04109_R.jpg地震計測器展示
DSC04110_R.jpg大坑道内部
DSC04111_R.jpg当時のままの天井
DSC04113_R.jpg天井のコンクリートの厚みを見せる為にくり抜いた
DSC04114_R.jpg当時の電灯跡
DSC04115_R.jpg平屋三棟がこんな連絡通路で繋がっている
DSC04116_R.jpg二号棟
DSC04117_R.jpg折角看板を付けても柵で見えない
精密地震観測室2_R
精密地震観測室_R見えないので、公式から持って来た
DSC04118_R.jpg入りづらい入り口だが普通に入れる、中では誰(職員)にも会うことは無かった
DSC04119_R.jpg
DSC04120_R.jpg
DSC04121_R.jpg二号棟から一号棟への連絡通路
DSC04122_R.jpg
DSC04123_R.jpg
DSC04124_R.jpg
DSC04125_R.jpg
DSC04126_R.jpg
DSC04129_R.jpg
DSC04130_R.jpg
DSC04131_R.jpg
DSC04132_R.jpg地下通路に侵入する
DSC04134_R.jpg分厚そうなコンクリート通路、天皇退避用の小坑道に繋がる
DSC04136_R.jpg床は湿っているので注意
DSC04140_R.jpg通行不可地点、結露が激しい
DSC04139_R.jpg案内板
DSC04142_R.jpg締め切った壕内は結露で、もやっている
DSC04145_R.jpgまた、40m登って戻る
DSC04158_R.jpg入り口右に、入って良いのか迷う入り口があるが、勝手に開けて良し
DSC04151_R.jpg一号棟に向かう
036_R.jpg階段を登って行く、中は覗くだけで入れない
037_R.jpg覗き用の枕木がある(写真提供榴弾砲氏、上二点)
DSC04154_R.jpg覗き見
DSC04155_R.jpg面白みは薄い
DSC04156_R.jpgその前に落ちていた、鉄の扉
DSC04159_R.jpgバス停ではなく、乗り合いタクシー
DSC04160_R.jpg用を済ませて、撤収する

松代大本営 (像山地下壕)その2

象山イ地区_R一応資料を貼っておく
DSC04033_R.jpg普通撮影
DSC04034_R.jpgライト照射あり、懐中電灯は持って行こう
DSC04035_R.jpg榴弾砲氏の背中(尻?)
DSC04036_R.jpg枝抗は無尽蔵にある
DSC04038_R.jpgロッド跡
DSC04039_R.jpgこれは縦に刺したロッド跡
DSC04041_R.jpg壕とは同じ形は無い
DSC04042_R.jpgコンクリート地下道と違い個性がある
DSC04043_R.jpg中央天井に杭が打ってある、チーフを垂らし水平を出す
DSC04044_R.jpg一部ライトが憑いている所がある
DSC04046_R.jpg案内板
DSC04047_R.jpgお賽銭が入っている
DSC04052_R.jpg丸くないロッド跡もある
DSC04049_R.jpgもう、何本目の枝抗か分からない
DSC04050_R.jpgトロッコ跡が見える
DSC04051_R.jpgなにやら看板が立っている
DSC04053_R_20130403205118.jpgこの他にも、いろいろあるが、公開はされていない
DSC04055_R.jpg韓国語で「テーダ、テーダフ」韓国の都市名が書いてある
DSC04056_R.jpg軍人画、カンテラの煤で書かれ、こんなにはっきりとは見えない
DSC04059_R.jpg案内板
DSC04060_R.jpgトロッコ軌条跡、ライトアップされている
DSC04062_R.jpg真ん中にある邪魔くさい柱、痛かったぞ
DSC04064_R_20130403211434.jpg同行のOKN氏と榴弾砲氏
DSC04066_R.jpgトロッコが走っていると、こんな感じに見えるかな?
DSC04067_R.jpg見学路整備の際、投げ込まれただろう瓦礫(奥の路面はきれいだ)
DSC04070_R.jpgズーム
DSC04071_R_20130403211715.jpg案内板
DSC04072_R.jpg測点跡
DSC04073_R.jpg腐った木が刺さっているだけ
DSC04074_R_20130403212338.jpg公開部行き止まり、これよりUターン
DSC04075_R_20130403212340.jpgその先はもちろん続いている
DSC04078_R_20130403212341.jpg最深部
DSC04079_R.jpg折鶴等を捧げる事は、禁止されている
DSC04082_R.jpg黙祷を捧げるメンバー
DSC04083_R.jpg地下壕を後にする
DSC04088_R.jpgすぐそばにある、有料資料館
DSC04089_R.jpgこれはスゴイ、犬が地面に地下壕を彫っている!さすが松代犬
DSC04090_R.jpg昼食となる
indexmap_R.jpg資料
map_matu_R.jpg位置関係
P1000893_R.jpg裏山の清野口に向かう
P1000894_R.jpgこれは第二抗を利用した物
P1000895_R.jpg物置にしか見えない
P1000896_R.jpg見学コースの第五抗の出口
P1000897_R.jpgフェンスの上に瓦礫を積んで、入れなくしている
P1000898_R.jpg内部、やけに天井が高い・・・内田?
P1000899_R.jpg他の壕口も探したかったが、時間が無いのであきらめる。

松代大本営 (像山地下壕)その1

長野県松代にある、松代大本営イ地区(像山地下壕)の紹介。
言わずと知れた、昭和天皇の為だけに施工されたと言っても過言でない堅固な物の一部だ
ここにはイ号倉庫~リ号倉庫までの九個の施設、仮皇居、賢所、唯一の海軍壕(他は陸軍施設)
の他に十三崖弾薬庫などが広範囲に作られた。
作られたと言っても、出来高(完成度)は0~100%まで、様々だ、ちなみにこの出来高は
100%と言っても普通に考える、すぐに人が使える状態の事ではない、計画書に則り、穴が貫通すれば
ズリがあろうが、人が立ち上がれなかろうが、関係なく完成と報告される。
秘匿の為に松代倉庫工事(マ工事)と言われた、その中で、80%の出来高のイ号倉庫(政府、NHK,電話局)
は、もっとも有名で、一般に一部公開されている、ほんの一部とはいえ、慣れない人にはかなりの広さに感じる
だろう、総延長6キロ近い内、500mのみが一般に公開されている。
ayumi57-0601_R.jpg拾い物の地図を貼っておく
DSC03958_R.jpg不明の門柱
DSC03959_R.jpg駐車場からは、ひたすら歩く
DSC03960_R.jpgまるで人の家に入って行く様な道を行く
DSC03961_R.jpg無料なのだが、受付をしてヘルメットを貸してくれる
DSC03962_R.jpg平和祈念碑
DSC03963_R.jpg入り口、スロープで車椅子でも見学出来る、珍しい地下壕
DSC03965_R.jpg松代像山地下壕鳥瞰図
DSC03966_R.jpg同案内図、4番の木片は風化により無くなった
DSC03970_R_20130402222002.jpg見学者の皆さんへ
DSC03971_R.jpgうんちく
DSC03968_R.jpgいざ進入
DSC03974_R.jpg車椅子用のスロープ傾斜があるので、帰りが大変そう
DSC03977_R_20130402222724.jpg左のとのさんは気にせず、最初の横坑
DSC03978_R.jpg懐中電灯が無いとこんな感じ
DSC03979_R.jpg懐中電灯は持参しよう!(無くても歩くだけなら十分明るい)
DSC03980_R.jpg入り口のスロープ
DSC03984_R.jpg見学通路は要所ごとに鉄骨で補強されている
DSC03987_R.jpg壕内は湿気が多い
DSC03988_R.jpg図面ではまっすぐになっていても、微妙に曲がっている
DSC03994_R.jpgもちろん枝抗も
DSC03995_R.jpgとのさんはこんな格好だが、以外と中は涼しい
DSC03997_R.jpg右に曲がり、本坑道5番抗清野口方向に向かう
DSC03999_R.jpg非常灯
DSC04002_R.jpg100m以上の直線坑道
DSC04003_R.jpgトロッコ跡がうっすら残る
DSC04004_R.jpg通称パニック電話、気分が悪くなったとか、事故のあった時用に数箇所にある
DSC04007_R.jpg鉄分が多いのか、壁面が赤い
DSC04008_R.jpg説明
DSC04009_R.jpg抜けなくなったロッド、他の地下壕でも良く見かける
DSC04011_R.jpg説明のロッド跡
DSC04013_R.jpg延々と続く地下道
DSC04014_R.jpg横道には全て金網が張ってある
DSC04017_R.jpg入ってみたいが、大勢の観光客の眼前で無茶は出来ない
DSC04020_R.jpg5番通路左折部
DSC04021_R.jpg右側B本坑
DSC04023_R.jpg5番通路清野口出口の明かり
DSC04024_R.jpgパニック電話案内図
DSC04026_R_20130402230707.jpgこの辺は殆んど補強されている
DSC04027_R_20130402230708.jpg場所により、スイッチがあり、ライトアップ出来る
DSC04030_R_20130402230710.jpg床のガレた枝抗
DSC04031_R.jpg平坦な枝抗
DSC04032_R.jpg亡くなっていた