衣笠弾薬本庫おまけ

せっかく弾薬本庫を記事にしたので、ついでに弾薬庫内部を紹介しておく
現在内部は既に弾薬は無くなっていたが、霊園の掃除、工事資材等置き場に活用されている。

戦後は当然のごとくに米軍に摂取され、弾薬及び物資の貯蔵庫として使用されるのだが、返還後国から市が無償借り受けし、公園墓地として整備した、その際6箇所あった弾薬庫は2箇所を覗き失われてしまった。
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以前紹介したように、弾薬庫は入口が2つで、内部でH形構造で繋がっている
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左右とも構造は対象形になっているだけで、同じだ
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まぁ、やってないだろうな~いちいちこんなの
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前室とも言える、主通路を入って行く
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天井には当時の物か、電気配線の金具が付いている
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天井からは鍾乳化したのが、垂れ下がる
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弾薬庫本体、威圧感がある
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全ての壁面が空間を持たされていて、防湿対策がなされる
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床以外は、天井さえもくっついていない
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となりへの連絡通路
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では!
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重厚なキシミを響かせて、扉を開ける
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前室内部、後室への扉は失われている
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前室内部は6畳分ぐらいだろうか?
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この辺の扉は米軍摂取時に、交換されている可能性がある
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ヒンジがこれだけゴツイのだから、不釣り合いだろう
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後室全体写真
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鉄筋コンクリート製
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岐阜の関ヶ原に良く似ているが、こちらは木筋である
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入口通路
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前室
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庫内、良く似ている
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床には等間隔にナンバーリングが振られる
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奥の方が大きい数字
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ナンバーリングは、壁にも付いている、これは米軍だろう
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最深部、16番まである、こちらはAB側弾薬庫
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通気口
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最新部から入口方向
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ストロボを使わず、ライトのみで通常撮影
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壁面には様々な書き込みがある、殆どは何故か計算式なのだが・・・
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入口の扉から伸びる電線、アースだろうか?
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連絡通路を通り、反対側の弾薬庫に向かう
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こちらの方が少し損傷が少ない
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まぁ、内部は一緒だ、保存状況は最高だ!
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こちらはCD側弾薬庫となる
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振り返って入口方向
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オッパマ
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こちらも前室内側の扉は無い
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連絡通路を辿って、出るとしよう
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ここまで長くなるのに、何年ぐらいだろう?

おまけで横須賀中央にミリーな店が出来たと言うので、見に行った
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みかさ通りのベース側出口付近
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マクドナルドの斜向かい辺りにそれはある
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1階は、雑貨、食品等、自衛隊お土産品などなど
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横長で、ちょっと手狭な感じ
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女性自衛官シリーズ
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もちろんアルペジオもある
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2階は衣料品と
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一部プラモデル
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3階は展示室
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艦長室風
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それなりに良い出来だろう
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まぁ、一度ぐらい寄ってみるのも良いだろう
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また、旧軍艦艇の名前の飲み屋を見つけた
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衣笠弾薬本庫境界柱(壁)、要塞地帯標巡り その2

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防六八の分岐に戻って来た
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この辺から近代境界柵のせいで、防と陸の向きが逆になる
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裏側に防六九
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防七〇
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次の柱は倒れている
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掘ってみると、確かに防七一だった
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防七二
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山のピークでまた分岐がある
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ピークにあるのは防七三(一瞬六三に見える)
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分岐を柵のない方に行ってみた
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こんな偽石柱しかなかった
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更に進むと有刺鉄線で塞がれていた
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途中この様な新たな分岐もあったが、明らかに下っているので行かなかった(100mぐらいしか)
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防七三のピークに戻って来た
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柵に沿って急な下りを降りていく
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防七四
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セカンドトライはここで時間切れ撤収したが、帰りがけに要塞地帯標を見れた
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防七六(ここからサードトライ)
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防七七
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防七八
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防七九
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後半はかなり上り下りが激しくなってくる
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山のピークで登って来た坂を見下ろす、ここにまた、分岐がある
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防八〇
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オブジェ有り
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柵のない方に進むと、また遊歩道が現れ、下って行くと
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30区の角辺りに降りてくるが、結構キツいかも
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防八〇に戻り、2本の鉄柱の生えてる方に向かう
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途中、こんなんだったりするが、気にしない
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防八一
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防八二
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防八三、ここで境界石柱は初めて途切れる
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近代境界壁はまだまだ続く
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次のピークであり、曲がり角にもない
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本来この市の標柱と隣り合わせているはずだ
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その後も市の票柱だけが続き、サードトライはここで諦めた、横須賀製鉄所(造船所)の刻印レンガをイベント会場に見に行く都合もあったのだ
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OKN氏から九四まであるよとの情報もあり、フォーストライ(もちろん懲りずに次の寄り道予定も組んでいる)
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久しぶりに草に埋もれた石柱が!(ここまで抜け落ちてないか、斜面を探しながら上り下りしたが、無かった)
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防九〇まで一気に飛んだ
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市の標柱の前に、抜けたような空間が
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次のピークに石柱が見える
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案の定、飛んで防九二
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これから先は下っていく
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珍しく道の真ん中にある
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防九三
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なんとこの先で、久しぶりに人間を見た! ちょっとびっくりした
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どうやら三角点マニアのようだ(お手製の看板)
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自分の目当てはその横にあるこれ
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これが最後の票柱になる、この後ろ側にも埋もれた遊歩道の痕跡があったが、行ってない
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まぁ、人それぞれだよね!目的は。
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更に結構急な下りを降りていくと
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給水塔が現れる
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石柱も違ってくる
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似ているが、騙されてはいけない
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どうやら衣笠インターの辺りに出た様だ、下に降りれるが道路を歩くのが面倒なので、山に戻る
これにてやっと踏破する事が出来た、満足!
歩くだけなら往復2時間程度の適度なハイキングコースだろう、写真を撮っても3時間くらいかな?
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そしてその足で米海軍横須賀基地、日米文化交流センターに向かうのであった

衣笠弾薬本庫境界柱(壁)、要塞地帯標巡り その1

「衣笠弾薬本庫の山沿いに警備道があり、境界柱が並んでいる」とarea438様から情報を頂いた。
衣笠弾薬本庫自体は、以前記事に上げているが、そんな遺構が残っているとは予想だにしなかった
久々に票柱探しに熱中してしまった、本来なら1回の調査で終わるだろう事なのだが、二兎追う者は何とやら
他の予定と組み合わせて横須賀に来るため、時間不足でリタイヤ2回、逆方向探索1回と、おかげで満遍なく
みっちり捜索できた。
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9区にある弾薬庫左側の入口
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右側の入口、内部はコの字形と言うよりはH形に、2つの弾薬庫を通路で接続している
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こちらの階段から登るしか、霊園側からは行けない
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体力の無い人には、少々キツいかも知れない、一気に階段を山頂まで登る
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コンクリートの遊歩道に沿い、左に向かってしまったら、霊園入口駐車場に出てしまった
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この日は他の探索の帰りだったので日没を迎えた、逆側には標柱が無い事を確認
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セカンドトライ、またこの階段を登って来た、実に健康的だ
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前回このコンクリートに沿って左に行ってしまったが、右が正解
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民家の先に小学校のグランドが見える方に進む
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途中レンガが露出していたが、刻印もない近代レンガのようだ
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体育館脇の遊歩道を進む
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遊歩道の両サイドを探しながら進むが、この辺には存在しなかった
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突然山が開け、住宅地に出てしまう、普通ならここで引き上げたくなる所だが
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事前に情報提供者様より追伸を頂き、住宅の裏手をビビらず進めと教えて頂いている
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住宅の裏手に問題の近代コンクリート柵が見えて来た
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近代の柵沿いに行くと旧軍のコンクリート柵が見えて来た
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ついに陸軍境界柱発見
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裏に回ると、防五三であった(これ以前の番号は、宅地化の為消失したようだ)
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粗いコンクリート柱に薄くコンクリートを塗り、刻印を前後に後から打ったようだ
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新旧の境界柵が並んでいる風景
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旧境界柵は、上下に2cmほどの穴が二つと中程に1cm未満の小穴が二つある、縄か針金で通していたのだろう
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柱は10cm四方角では整形してある
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ここから先、登り下りが連続する
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防五四
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防五五
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防五六
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じっと見上げる、ぬこ二匹
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防五七
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どんどん登る、このコンクリート製枕木は無い方が絶対歩きやすい
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防五八
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柵の切れ目から、内側に入る
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この辺の旧境界柱には鋼線が入っているが、後世の物だ
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また柵をまたぎ、どんどん登る
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防五九
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山の一つのピーク
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防六〇
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おまけ付き
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新旧境界柵が並ぶ、ゆるい上り坂
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防六一
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防六二、これだけ字体が崩れて見える
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表皮を台湾リスに囓られた樹木、かなりあちこちにある(冬なのにかなりのリスを見かけた)
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防六三、大部分は市の標柱と抱合せになっている
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防六四
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防六五
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境界柱は、山のピークや降りきった所、曲がり角などに立てる事になっている
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防六六
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ここから先、落石や道が崩れている所もあるが、気にしないで行こう、いつもの事だ!
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防六七
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ここで最初の大きな分岐を迎える
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防六八、この後ろの柵のない方へ一旦進む(本道ではないので注意)
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何もない道を鉄塔手前まで進むと見えてくる
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東京湾要塞地帯標である
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辛うじて特徴的な文字は読み取れるが、判別は難しい
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EZIZなどは良く残っている
後に当日合流した祐実総軍様より「EZ 1Z 東京湾要塞第壹区地帯標 、昭和参年参月弍拾弍日 、第六號 、陸軍省」
であったと詳細を頂いた、感謝!
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もう少し先に進むと、見かけない標柱が幾つかある
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鉄塔結界とか言うらしい
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また違う票柱
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変なのばかりで、旧軍遺構は見つからなかった
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二回目はこれにて時間切れで撤収となった、東京湾要塞跡国指定紀念シンポジュウ厶に参加しなければならなかった為だ

ここまで欠損も少なく数十本残っているのは、非常に稀である一見の価値はあるが、体力勝負だな!
次回、出来れば最後まで行きたい、今六八だが九四まである、まぁのんびり行こう。

東京湾要塞跡国指定紀念シンポジュウ厶と衣笠弾薬本庫プレ

この日は午後から「東京湾要塞跡国指定紀念シンポジュウ厶」があるので横須賀に行く
朝、諸用を済ませ、area438様からの情報の確認に再度訪れた、しかし「私の足で1時間」と親切に書いてあったので
良し、2時間あれば往復できそうだなんて甘かった、撮影時間をまったく考えてなかった、しかも斜面を上り下りしたり
余計な事をしまくっていて、結果として防五三~七五までしか行けなかった。
すいません、出直してきます!
期せずして、祐実総軍メンバーとOKN氏と合流しての調査となったが、自分のみタイムオーバーでのリタイアとなった
彼らはその後も探索続行し、防九四まで確認し、防火用水の遺構も確認している。
それに比べて自分は2回目の探索も中途半端になってしまった、情けなや~
9区から山科台までのコースが本来の旧陸軍の警備道を遊歩道にしたもので、陸軍柱と境界柵、東京湾要塞地帯標を確認する事が出来たが、今回はプレのみにし、踏破後記事にしたい。
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旧軍弾薬庫から上にあがる
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まず見つかったのが防五三
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警備道に並ぶ、近代コンクリート柵と旧軍境界柵
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見事なまでに連番で残っている、実際に珍しい事だ
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違うのも混じっている
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今回の最終ポイント、防七五
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東京湾要塞地帯標(ちょっと風化が進み読みづらい)
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リタイアする自分は、更なる探索に旅立つ勇者達を見送った
ここからが大変だった、現在12:45、開始時間13:30まで45分しかない、1時間以上かけて歩いた山を15分以内に走って下山、30分で汐入まで飛ばし、なんとか開始時間丁度に間に合った。


帰り道、下山しながら撮った動画

基本シンポジュウ厶は、撮影録音禁止である、本編意外と展示のみのつまらない記事だろう
まず、猿島砲台跡と千代ヶ崎砲台跡が国指定を受けたと言われているが、実際にはまだである
平成26年11月答申(内定)と言う状態だ。
更に細かく言えば、猿島は島全体ではなく砲台關係のみ、千代ヶ崎は新砲台部分が民地の為、自衛隊施設跡部分のみの、限定指定である、要するにその他の部分は地主の気分で壊すも売るも自由である。

国指定史跡の種類別指定件数を見ると、原始期667件、古代期386件、中世期301件、近世期(江戸等)343件、近代なんと4件のみ、1724件中4件のみなのだ、しかも近代戦争遺跡としては日本初の指定となる。
厳密に言えば西南戦争時の物が1件だけ過去にあるが、近代戦争とは微妙に違うだろう
県や市で認めるものや土木遺産として認定は受けている物は多数あるが、国が認めている物は無い
原爆ドームは戦跡ではあるが、被害建築物であり、ちょっと違う

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ヨコスカ・ベイサイド・ポケットに到着
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13:30ジャスト
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既に誰もいない
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歴史と言う部分にはあまり触れなかった、東京湾要塞と言う観点での説明が始まる
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約200名ほどの参加者がいたそうだ
前半は東京湾要塞としての歴史と移り変わりの説明、休憩にパネルを見に行く
先に説明しておくと、猿島砲台は最初は第一砲台から第三砲台まで計画されていたが、途中第一砲台(山頂部)を司令部に変更、以下繰り上げ(第二砲台が第一砲台に)となっている
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猿島遺構図、ただ貼って行く
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このパネルはかなり新旧が入り混じっている、10年以上の差があるようだ
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千代ヶ崎砲台の遺構図(フラッシュを焚いた訳ではないが、天井のライトが映る)
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休み時間は書籍販売などもやっていた
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後半は砲台自体の説明を行う
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こんな感じで進行して行く
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引き続き千代ヶ崎砲台
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普通の人には千代ヶ崎砲台は公開されていない、この様な時は画像とは言え見れる機会だろう
既に自衛隊施設はアンテナなども含み、おおむね撤去済みである
埋まっていた第二砲座も掘り起こされ、整備されている、一見の価値は十分にある。
この様な集まりは無料もしくは数百円程度の物なので、積極的に参加してみてはどうだろう
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シンポジュウ厶が終わり、帰途に着く
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会場となったヨコスカ・ベイサイド・ポケット
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海軍下士官兵集会所跡地、EMクラブのあった所である

巷で話題の遺構?
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うらがの左上
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船越にある監視哨・・・かな?
kanさん、もう1つある奴、こんな物でどうでしょう?

kanレポートの記事

光心寺比叡鎮魂碑、衣笠山(衣笠神社)

地元にあっても、結構気が付かない戦跡も多いと痛感するこの頃だ・・・
今回も出処不詳の情報からの捜索だ、まさか衣笠駅付近にこんなのがあるとは知らなかった
まぁ、派手な地下壕や砲台が多いこの界隈、直接の遺構ではないこれらに目が行かなかったのだ
しかし、知ったからには行かねばならない、西浦砲台に行く途中に立ち寄って行く事にした
まずは衣笠駅から歩いて5分程度の光心寺には、第三次ソロモン海戦で戦没した戦艦「比叡」乗員の為に建立された軍艦比叡鎮魂碑と軍艦戦没者供養搭がある、他に小室千代太郎招魂之碑(明治期の比叡乗員)もある、地下壕もちょっとある
なぜここに比叡の鎮魂碑かといえば、金剛型2番艦の比叡は、金剛をベースに横須賀海軍工廠で造られたからだ

艦内神社はここではなく(寺だし)、滋賀県大津市の日吉大社である
昭和五年の軍縮会議の結果、練習戦艦となり大元帥の御召艦として観艦式などに使われるが、昭和十五年初めに近代化改装により最新鋭の高速戦艦として、第一線に復帰した。
第一航空艦隊の支援部隊として「ハワイ」「印度洋」「ミッドウェー」等の海戦に参加したが、第三次ソロモン海戦において、
敵弾が舵取機に命中し航行不能に陥った、翌早朝から敵機の反復攻撃を受けよく奮戦したが、日没におよび阿部司令官の命により乗員を駆逐艦に移乗し、自ら「キングストンバルブ」を開いたが尚沈まず、最後に駆逐艦・雪風の雷撃で止どめの一撃を加え、やっと沈没に至った。
第二次世界大戦の日本海軍における戦艦喪失の第一号である。
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光心寺、手前に参拝者専用駐車場がある
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お地蔵様
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ぬこ様
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奥の忠魂祠堂に向かう
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向かって左側に軍艦比叡鎮魂碑と軍艦戦没者供養搭、五輪塔が並んでいる
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戦没者名だがほぼ読めない
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一応貼るが、読めないだろう比叡略歴
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五輪塔側面
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五輪塔裏面
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お供え、わかってる奴が居る
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碑とお堂の間に、なにか見える
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穴発見!
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入ってすぐに右に折れている
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左は狭い空間で終わり
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瓦礫で埋め尽くされた通路の先に、空間が見えるが、行けない
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小室千代太郎招魂之碑、の奥
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先の地下壕のもう一つの入口、何故こっちだけコンクリート封鎖?入口も綺麗な四角だし、実は結構な地下壕がこの裏側に広がっていたりして、なんて想像をしたくなる
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割と新しめのお堂に見えるので、戦中は何か軍施設がここにあったのかも知れない、単なる貯蔵壕かも?
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裏側には見るからに、古そうな建物が残っていた、取り敢えず見る物は見たので撤収するが
疑問がこの時あった!
明治17年7月24日に廣島港殉職した軍艦比叡の乗組員小室千代太郎氏(茨城県出身)の招魂碑で乗組員有志が建立したとあるが、比叡の竣工・引渡は1914年(大正3年)8月4日である。
なんて思いながら、後で考えたらなんの事はない、初代「比叡」装甲コルベット(金剛型)だった
初代「金剛」は1878年(明治11年)1月に英ハル・アール社で竣工、「比叡」も同年2月に英ミルフォード・ヘブン社で竣工し、2艦とも5月に日本に到着している、1911年(明治44年)除籍。
現在ここには三世代の金剛型が揃っている(ペットボトル含み)ってことだ

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すれ違いの出来ない細っこい道を登って行くと衣笠神社がある
衣笠神社は「軽巡衣笠」の艦内神社と言われているが、諸説ある(巡洋艦は山川の名を冠する)
横須賀の衣笠神社と走水神社、果ては京都の平野神社(近くに衣笠山がある)などの候補があるようだ
アジ歴などで見ても複雑でわからん、結局の所複数の神社を合祀したようだ、走水神社と平野神社を基本に
衣笠城ゆかりの三浦大介義明公の像が載せられていたらしい。
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一応10台ぐらい停められる駐車場がある
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由緒
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本殿
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本殿右側の、明治二十七、八年日清戦役戦勝紀念砲弾、以下不明
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砲弾の跡だけはあるのだが、金属供出だろうか?
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明治三五年建立
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左側にもあるのだが、傷みが激しく上部の砲弾跡だけしか判別できない
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結局、軽巡衣笠関連は、何も見つからなかった
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林の向こうに何か見える
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かなり高い、10mぐらい有りそうだ
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西田明則君之碑
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要するに、陸軍西田工兵大尉の東京湾海堡建設に貢献した偉業を称えるもの
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何故東京湾海堡が土木遺産にならないか、不思議だ
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ペンギン
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トンボ
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ウマ、カエル・・・なんだこのオブジェは?そこらじゅうにある
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開けた所に出た
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やたらに石碑が多い
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忠犬ハチ公は1934年(昭和9年)に生存中に銅像を作られている、忠犬ブーム?
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慰霊碑の様だが・・・
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百選
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石柱の生えてる階段を登ると日露戦争の戦没者慰霊のための砲身型の大きな記念塔(忠魂碑)が建っていた
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撤去され、残った台座の傍らに何かの牌がある
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三浦郡奨兵義會として會長ほか二十名の氏名が刻まれているらしい。
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登ると観音堂がある
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「三浦半島出身戰歿者諸英霊位」と記された位牌銘にあるようだ
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景色を眺めつつ、山を登る
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上の方に無骨なものが、見えて来た
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いつの間にか、133mまで登ってきたようだ
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鉄骨とコンクリートの展望台
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早速登る
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遠方に富士山が見えた
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木に繋がれている、猪のオブジェ
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謎は溶けた
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斜面に埋もれかけの碑がある
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満期紀念
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横鎮の文字がある、横須賀鎮守府で兵役満期を迎えたものか?
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最後に1本石柱を見つけたが、何も書いてなかった