栃木県那須烏山(からすやま)市中央にある、
東力士「どうくつ酒造」に行って来た。
ここは以外に珍しい、戦車の疎開工場である。
東京動力機械製造株式会社地下工場跡は、高さ・幅とも約3.5mの3本の坑道と5本の横坑で構成された総延長約600mの素掘りトンネル群である。
1944年から1945年にかけて建設された軍需工場の一部で、隣接した半地下式工場と併せ約20台の戦車が製造されたとされる。
旧第14師団司令部が置かれた宇都宮市に隣接し、掘削に爆薬を必要としない凝灰質砂岩の丘陵であったことなどから当地に建設されたものと思われる。
第二次大戦終結後、坑道は放置されたが、坑道内の気温が古酒の貯蔵に適していることから、1944年に地元の酒造業者により構内の舗装と電気工事等の整備が行われ、1996年から熟成酒の貯蔵庫として利用されている。
また、2002年から施設の一般公開が開始され、2005年からは坑道内でのコンサートが企画されるなど、地域のコミュニティー活動の場としても活用されている。
しかし、かの震災以来、撮影やコンサートのオファーは途絶えているようだ。
なお、この地下工場自体は稼動する事無く、終戦となり、動力室と工作室の一部になる計画だったようだ。
工場が製作を開始すると、軍関係技術者が四〇名ほど、一般工員が八〇名ほど就労したそうだ。
(烏山町史より一部抜粋)
奥行き約100m、横幅約60mの総延長600mほどの壕だが、見学は右手前の1/4程度のみだ。

ここを山に上っていく、大量ののぼりや看板があるから判りやすい

山肌を少し登るとスグに見えてくる

日曜の午後なせいか、それなりに先客がいた

売店兼受付で、順番待ちをする(少人数ごとの入壕)


土木学会選奨土木遺産



説明

商売用の酒蔵なので、出入り口はかなり厳重だ

この支保工は、開業用に整備したもので、オリジナルでは無い

人がいないと、すごくいい感じ

所々で、ガイドさんが説明をしてくれる

オーナーズボトル(5~20年間預かって熟成してくれる)子供の誕生に購入し、成人に合わせて蔵出しするとか等
結婚記念日とかにもいいかも知れない、かみさんに内緒で。

希少古酒スペース

壕内は結構湿度が高い

壕内温度は平均10度C、季節によりプラマイ5度Cだそうだ(湿度は振り切っている)

壕の両脇は、酒瓶で1杯だ

この床面は、見学及び商売用にコンクリートの全面舗装となっている

ふと、見上げると、当時の掘削時の支保の跡が其処此処にある

整備したとは言え、かなり状態がいい壕だ

どうくつコンサートの写真

商品搬入口には、バッテリーリーチフォークが完備してある

サンプル的に蔵置状態を見せているだろう棚

亀もある

入り口付近の死因コーナー

それっぽいムードは出している

入り口近くは14度Cと少し高め(八月末)

杉玉(日本酒の造り酒屋などの軒先に緑の杉玉を吊すことで、新酒が出来たことを知らせる役割を果たす。「搾りを始めました」という意味である。吊るされたばかりの杉玉はまだ蒼々としているが、やがて枯れて茶色がかってくる。この色の変化がまた人々に、新酒の熟成の具合を物語る。)

あらかじめ試飲希望者は、飲む人数を聞かれるので、申告しないと試飲出来ない

見学は全体の1/4程度でしかない

15分程度で見学は終わる

手前のリヤカーはどうくつカフェらしい、蔵の仕込み水を使った水出しコーヒーやかき氷、自家製のジンジャーエールが楽しめます、ってのを2012年ぐらいにやっていたようだ

干支のラベルを貼って、年末に送ってくれるらしい

付近を探索すると、商品搬入口があった、中から見た所だ

上の方にお堂があった

坂の下の方にも、別の壕があるが入れないし、覗く隙間も無い

眼下に見える市営住宅に、怪しい門柱発見!見に行く、位置的にこの場所が半地下式工場のあった場所に思える

道路から回り込む

郵政省所轄の看板あり、市営では?

工場の門柱かと思ったが、廃校になった小学校の校門だった

烏山町立神長小学校(1971年烏山小へ統合)戦後工場跡地を学校に転用した可能性はあるが、想像の域だ

なんか地面から生えている

住宅の他に、古びた木造建築物があった

恐らく工場関連ではなく、小学校の物置的な物では?

公民館に転用されているようだ
「どうくつ酒造」は土日祝日は、ほとんど開放日として公開している様だ、平日でも予約をしておけば、対応してくれる
開放日なら、島崎酒造に寄らずとも、直接「どうくつ酒造」に行けばいい、駐車場は10台ぐらいだろうか
壕を使用するだけではなく、一般に無料開放してくれるなんて、民間ではそうそう無い事だ、評価したい。
宣伝だろうなんて、下世話な事は言わないようにね