池子弾薬庫 警備道 その5(追加調査 仮称 富岡防空壕)

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大きな分岐に戻り、共同グラウンドに下りて行く、こっちに下りないと車に戻れない
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一応ハイキングコースだった様だが、廃道と化している
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プールの裏手に降りて来たが、フェンスで封鎖されて出れない
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なんとか出てきた所で斜面に壕発見
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半ば埋まってしまった入り口に滑り込む
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中はしっかりしていそう
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以外に広い空間
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基本的にU字型の単純壕だが、コンクリートで扉を着けていた形跡もある(反対側の出口)
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支保工を打っていた跡もある
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入ってきた方向、かなり四角く綺麗に掘ってあった様だ
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外から見たもう一つの壕口、出入り不能
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グランドに這い出してきた
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頭の上を突如ヘリが二機飛び越えて行く
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UH-60jと
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AH-1Sコブラが飛んで行く
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後は逗子駅まで歩いて行く
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その道すがらに穴が有る
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横須賀海軍工廠久木地下弾薬貯蔵壕だが、今は入るのが難しい
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駅へと向かうトンネル
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久木隧道
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皇紀二千六百年 工事請負人 山口清造の文字、丁度かの零戦の正式採用の年である
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1940年(昭和15年)からきっと軍用トンネルとして使われていたのだろうか?
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トンネルを出た跡のフェンスを覗くと
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穴が有る
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幾つか有るようだが、こちらの詳細は判らない


もう一つ依頼のネタをこなしておく、国道16号線の富岡付近で、道路に面した穴がいくつか見えている
交通量が多いのと、こうゆう場所にある壕は基本的に用途が知れているせいで、じぶんもパスしていた
好奇心が無い訳じゃないし、勢いと時間があったので、確認してきた。


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日中の16号線は途切れる事無く車が往来する、チャンスは一瞬である
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壕口到着、滑り込む
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天井はわりと高かったようだ
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砂岩質で崩落もあり、工事の土砂も投げ込まれている
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土管やフェンスなどの産廃も公共工事なのに投げ込まれ、下請けの水増し利益となる
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深部は壕口からの土砂の流入で埋まっている、道路側に開口していたのだろう
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出口に引き返す
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途中、下に広がる空間を確認しているが、入れない隙間だ
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少し離れた別の壕口
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崩落も少なく、土砂の流入のみだ、狭いのでその分強固なのだろう
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深部は土砂の流入で埋まっているが、銃眼とも言えそうな穴が開いている
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道路方向に開口しているが、外部からは判らなかった
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もう一ヶ所あったが、入り口が埋まってとても入れそうも無かった
国道に面している事から、空襲よけの防空壕か、地上戦時の肉薄攻撃陣地だと思われる

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池子弾薬庫 警備道 その4(山の根地区)

これは半年ぐらい前の記事になる、読者様より「池子弾薬庫の標石が、他にも有る」という情報を頂いた。
もちろん情報提供者様には、後日報告と御礼は済ませてあるが、記事にあげるのが遅くなってしまった
天気の悪い夏休みに、少し記事をまとめて行く。

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逗子駅に車を停めて、ここからは徒歩での探索となる
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駅前の道路際にも、防空壕改造の車庫等
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色々な再利用ヵ所が散見するのを見た人は多いだろう
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住宅地から熊野神社に登って行く
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無人の小さな神社だ
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看板の前に面白い物発見、石臼なのだが金属製の錨を埋め込んである、なんだろう?
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この山には中世の横穴墳墓が多数あり、穴探し(戦跡)の障害となってしまっている、入り口がそっくりなのだ
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例えばすぐそこにも口を開いているが、覗き込まないと判別できない
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登るとすぐに境界柵に抱かれた境界石が転がっていた
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境界柵は衣笠弾薬庫の警備道にあった物と似ている
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側面表記の無い境界石
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この付近に4~5個確認できた
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尾根道を進んで行く
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違うタイプの境界柵が立っている
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行き止まりの様なので、引き返す
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ハイキングコースにもなっているので、道自体は歩きやすくて助かる
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各種いろんな標柱、柵がそろい踏み
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斜面に降りてみると、気になる穴の痕跡
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更に斜面を降りていく
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どうやら横穴墳墓郡に居るようだ、スゴイ数の墳墓が並んでいる
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逗子駅が見える、こちら側の探索はこれ以上何も無さそうだ、別ルートに向かう
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逗子石の石切り場の跡もあるようだ
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池子弾薬庫方向に突き進む
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現代の県の標柱、頂部切り溝の意味合いは当時から変わらないのだろう
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分岐を超えて進んでいくと
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目標発見!しかも並んでいる
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情報画像データ通りの始めてみるタイプのプレス刻印タイプ標石
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前面以外には番号等の表記は無いようだ
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数m先にもう一本
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風化の進んでいる物もある
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傾いてしまってるもの
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頭しか出ていないもの、様々だ
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大きな分岐に到着、左から右に向かう
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この先は埋まった標石が多い
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分岐点にはほとんど標柱が有るようだ
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下を見ると、池子弾薬庫の上を歩いているようだ
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昭和の標柱と抱き合わせが多い、しかし尾根道で土が少ないだろうに、なぜ埋没するんだろう?
下の方なら泥が流れて来るだろうが、山頂部だし?ハイキングコース整備に盛り土されたのか?
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せめてこれぐらい出ている物だろう
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この赤い標柱を最後に、ぱったりと見かけなくなった
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ピークの広場にも無い
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あるのは戦後の標柱のみ
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この地点で探索を断念
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もはや道が荒れて、進路が確保出来なくなっていた
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引き返す道すがら、来る時に見落としていた標柱が2本有った、崩れてしまっていたのだ
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スマホは13cm、約1mぐらいの長さがあるようだ
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斜面に没した形でもう一本
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池子弾薬庫を見下ろす位置に戻ってきた、降りてしまおうかとも思ったが、米軍内だったら洒落にならんからやめた
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ピークの三叉路に戻って来た
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もう一方に行ってみる
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かなりの間、人が歩いた痕跡が無い
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どうやら下に下りてしまうようだ、引き返す

逗子狙撃陣地(すじ様御案内)

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ゲジ穴を出た後
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正覚寺(海方向)に降りてきた
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海保界?海上保安庁の標石なんて聞いた事も無い、調べてみたら測点標石(海上保安庁水路部)というのはあるらしい、だがこれとは全然形も文字も違う
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「157」の番号が刻印されている
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てっ辺には神奈川の「神」
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近くの海岸で見かけた全く読めない標柱てっ辺の境界線は軍の物にも見えるが、いかんせん読めない
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「海保界」がもう一本あった
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番号は連番の156?
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こちらは「海保」のみで、自体も違う
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○にカ、142号と大分飛んでいる、他にはちょっと見つからなかった
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と、言う訳で逗子狙撃陣地に入壕する、単に時間が余ったのだ
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足元は結構ガレている
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先に好きに回ってもらう、特に複雑じゃ無いし
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とのさんもここは初めてだった
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乾いた岩盤と湿った岩盤の境目、後で触れるが、この山には水路があったようだ
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湿気を吸って、固まった当時のセメント袋の中身
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外の袋は風化して無くなってしまい、こんな状態で残る
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陣地としては、割と広い通路
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分岐路
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小さな部屋がある
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ここは電気が引かれていたようだ、碍子が残っている
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少し通路が狭くなって来た
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次の分岐路
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掘削中と言うより、ズリを捨ててある様な感じだ
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右の通路に進む
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二つ並んだ碍子があった
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入り口付近より内部の方が、狭いせいか崩落が少ない
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次の分岐
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左に行って見るが、先は無さそうだ
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二股に分岐したような状態で終わっている、ずりが無いので掘削途中と言う訳では無さそうだ、倉庫かな?
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分岐に戻る
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妙に綺麗な通路を真っ直ぐ進むと
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階段が現れる
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しかも曲がりくねっている
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更に通路は湾曲する
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三日月型に湾曲した通路を抜けると
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最後の分岐、砲室への入り口だ
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しかし砲室は外部が崩落で埋まっているため、水没が抜けなくなっている、ちなみにコンクリート製である
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通路に戻ると、今度はコの字クランクだ
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壕口が近いため、敵の侵入や爆破被害の軽減の為だろう
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最後の角を曲がると
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開口部だ、山の中に出た
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目黒?なにこれ?
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水槽の遺構らしき物発見
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何か有る
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奥は崩れてしまっているが、水路隧道のようだ、壕内の水の染み出しは、これが原因かも知れない

逗子 神武寺街道プチ探索~玉縄地下壕

春の終わり頃にゅんのすけ様より情報を頂いた、以下に内容を抜粋する
「逗子中から老人ホームせせらぎに向かう道沿い(こちらも神武寺への登山道)にいくらでも貯蔵壕を発見できます。クルマも停め放題で、現地の説明板によれば池子石の切り出しに使われたトロッコ軌道の跡が今でも見られます。貯蔵壕、トロッコと来たら大規模もあるのでは?」という情報だった
ゴールデンウイーク辺りに行ってみたのだが、情報を生かしきれず、ほぼ手ぶらで帰る事になってしまった
その後未だに再訪できずにいるので、報告がてら探索範囲と失敗記を上げておく
同時に頂いた「玉縄地下壕」においては、成功を収めているので、詳細は次回に報告する
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グーグルマップで逗子中学からスタートする、右下が「神武寺」だ、道路表記になっているが山道で、人しか通れない
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せせらぎホームではこどもの日のイベントが開かれていた、自分の服装はかなり浮いただろう
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そそくさと通り過ぎて参道に入る、この山は逗子石の産地だそうだ
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石切り場の形跡が散見する、一通り見ながら進んでいく
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岩壁を削って通路を作ったのだろう、石の運搬時に高低差は無いほうが良い
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何にも無い開けた分岐路に出た、道標だけはあった
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左に行くと逗子中学校が今来た道、神武寺方向へ向う
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苔生した古い参道が和やかだ
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山頂付近まで一気に小走りで、駆け上がってきた、すれ違う人もいたが、みな休みながらのんびりしている
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あっという間に山門に到着、困った事に何も穴らしい物が見当たらなかった
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仕方が無いのでうろつきながら、もう少し探す
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以外に有名な寺のようだ
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おや、スクーター?なんとここまで裏側を車で登ってこれたのだ、知らなかった~まぁ良い運動だった
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これも戦跡とは違うようだ
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やぐら、戦跡を探す者にとって、とてつもなく邪魔なもの、仕方がないんだけど
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戦時供出した、復刻版の鐘なのに八景に入るのか?
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一応本堂まで登る
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さすがにこの辺には人が居た(車で来れるし)
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薬師堂も見ておく
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これ以上は流石に時間の無駄だろうから撤収した、行きがけに追い抜いた人がまだ途中にいたのには、驚いた
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山中も少し探したが、石切場しか判らなかった
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鯉のぼりの開きは初めて見たな、なんなんこれ?
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唯一見たのはこれ、ホームの駐車場にある大き目の壕口
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駐車場にしていた時期があるのだろう、防水シートが打ち付けてある
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内部は奥行きも大した事無い、典型的な倉庫壕のようだった
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神武寺から下のこのコースには地下壕が点在しているのは調査しているが、結局判らずじまいで次に移動する
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神奈川県鎌倉市植木129にある、龍宝寺に移動したこの辺には玉縄城が有ったらしい
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水場の先にある古民家は、有料見学だった(下に説明文)
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城跡らしき物は特に残って無い様だった
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早速山への上り口を探す
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なんとなくここから登れそうだ
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えん道沿いに妙な穴があるが、塞がっている、祠だろう
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墓地の隙間を上がるルートが有る
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鉄塔を越える
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低山だが、登るのはちょっと角度がある
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尾根を少し進み、この辺から分け入る事にする
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程無く穴発見!

次回入壕す

池子弾薬庫 警備道 その3

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ヤブの中に鉄の扉が見える、しかし団体ハイカーが通行中なので、帰りによる事にする
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ヤブの中にコンクリートの一部が覗くようになる
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柵の基礎部分なんだろうか?
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32番付近
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扉の無くなった、門柱が現れた
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コレを過ぎると、ほんとにコンクリートの跡が増えてくる
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路面にも屋根のような形のコンクリートが覗いている
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十二所果樹園に憑いた
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奥の方に数分歩くと
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展望台、標高149mに着いた
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低山なので、眺めは良くない、海がやっと見える程度だ
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ひさぎ31地点
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栗の木の果樹園の脇を歩いて行くと
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分岐になる、上の険しい方に向う
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予想外に結構なアップダウンがあった
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降りてくると、迂回路と合流するようだ
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気になるので、左に見える迂回路を戻ってみる
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まるで昔はコンクリート舗装をしていたかの様なコンクリート板がやたらにある
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いい感じの切り通しを歩いて行く
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緑の繁る中に、何かが立っている
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もう少ししたら、緑で見えなくなりそうな、コンクリート柱
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海軍省の文字が見える
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横須賀軍港境域標、普段見る要塞地帯標では無い
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第五十一号號
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明治三十年のものだそうだ(最古の物らしい)
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崖を少し降りてみる
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きっちりと造られた軍道があった
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さっきも路面に埋まっていたのと同じ物の様だ、路面の荒れ具合から、全く人通りは無いのだろう
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そのまま進むと、ここに出た
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前回は反対側から、ここまで来た
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この辺にある分岐が気になっていた
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消えて行きそうな踏み分け道を入ってみる
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オリエンテーリングの順路とかだろうか?14方向に行って見る
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結局15方向と合流していたようだ
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行けない方向には虎ロープが張ってあった
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しばらく進むと、これは唐突に現れた
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さっきと同じ物だが、こっちの方が状態がかなり良い
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明治三十三年二月十三日 横須賀軍港境域標
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第四十九號、この間に五十號も有ったろうが現存の確認は無理そうだ
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近くには、折れた標柱らしき物もあるが、コンクリートでは無さそうだ
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取り合えず今回の目的は達した
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境界壁まで戻って来た、軽く走れば5分ほどで戻れる程度だ
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境界壁に沿って帰途に憑く
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草のアーチってなんか良い、こんな所を女の子と歩いて見たいものだ、一人歩きは淋しい
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帰り道は探しながら歩く事も無いので、お気楽に進む
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行きに見た扉の無い門柱
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良く見ると、閂のような穴がある
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ひさぎ32番を通り過ぎ
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来る時に寄れなかった、ゲートを確認しに行く
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鋲の打ち方から、間違い無く他のものと同時代のものである
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付近には基礎と木材らしき物がある、立哨小屋でもあったのだろうか?
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内側を覗き込むと、結構ボロボロになっていた、万が一初期の物だったら約115年前の物になる、昭和期だろうけど
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六浦方面に戻る
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気になる1本「重校」
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何故ここに、重砲兵学校の標石が?
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見落としも一つ見つけた、ってか埋まってた
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ちょっと掘ってみたら、やはり波線が2本あった
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一通り見た物もリチェックしていく
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最後の案内板、千光寺に向う
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折れてるこれも何なのか気になる
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こんなダミーだったらいややけど、太さ的に海軍柱だろう
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このルートで始めに見た標柱、影からして大分時間が経っているのが判る、約4時間ずっと歩いていたのだ
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西日の差す下山コースを降りて行く
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千光寺に降りて来た、無補給、無休憩で回ってしまったが、流石に喉が渇いた、これからの季節は何か水分も考えないとキツソウだ、自分は基本現地では車に戻るまでは無補給だが、みんなどうしてるのだろう、メンバーはペットボトル持参が多い様だが・・・

メンバーを見ると大きめのウエストバックにボトル入れて、カメラも小型、自分はカメラバックに一眼とビデオ、300mm望遠ズームと予備コンデジ、これに高照度ライトが付く(ホルスター)、予備バッテリー各種、実際何も入らないし、割りと重い、弾帯でも巻くかな~目立つけど