中島飛行機地下軍需工場(吉見百穴)のそばの穴

DSC08374_R_201403051959164e7.jpg
吉見百穴の見学を終え、帰途につく際に数m離れた山に壕口を発見した
DSC08375_R_20140305195917a36.jpg
吉見百穴から近い所にあるので関連のある壕かも知れない、内部は碁盤目の巨大空間になっていた
DSC08376_R_20140305195918cb6.jpg
しかし、何だこれは?
DSC08377_R_20140305195920406.jpg
謎の構造物、プロパンボンベでも置けそうな感じ
DSC08378_R_20140305195921bdd.jpg
蛇口と大きな桶と小さな桶が隣り合わせにある
DSC08379_R_20140305201057fc7.jpg
壁の隙間から隣のブロックに行く
DSC08380_R_20140305201058a23.jpg
裏側にも同様の桶がある
DSC08381_R_20140305201059b08.jpg
壁際には小さな水槽が・・・
DSC08382_R_20140305205023cde.jpg
とどめに富士山とくれば、共同浴場でしょうこれは!
DSC08383_R_201403052050255cf.jpg
ボイラー?と大量のストーブ
DSC08384_R_201403052050279d8.jpg
謎構造物が多い壕だ
DSC08385_R_20140305205028c5e.jpg
右は棚っぽい
DSC08386_R_201403052050291c9.jpg
となりの壕口、フェンスで封鎖されている
DSC08387_R_20140305210910271.jpg
枝坑は少し狭くなる
DSC08388_R_201403052109111ee.jpg
ここら辺までは、戦後利用のものだろう
DSC08389_R_201403052109124a1.jpg
若干埋まっているようだ
DSC08390_R_201403052109149f0.jpg
突如、床に異変が!
DSC08391_R_201403052109156b9.jpg
かなり深そうな貯水槽になっている
IMG_6056.jpg
「柵の向こう側」まこちゃん様から拝借した画像(2枚)水が引けるとこんなになっているらしい
IMG_6048.jpg
他にもコンクリート製の物もある様だ、自分が見たのは素掘りの方だろう
DSC08392_R_201403052124406e5.jpg
碁盤目の地下壕なので、入って来た壕口前を通過する
DSC08393_R_20140305212442269.jpg
奥に行くと崩落箇所も出てくる
DSC08394_R_2014030521244361c.jpg
この辺は石灰質なのか、壕壁が白い
DSC08395_R_20140305212444dc2.jpg
その中の鉄分が変色し、錆を出している
DSC08398_R_20140305212446d89.jpg
壕の深部は閉塞しているせいか、湿気が溜まっている
DSC08399_R.jpg
一本が100m弱で閉塞している壕を横抗で繋いである
DSC08400_R_2014030521311200f.jpg
最深部はこの様に掘削中ではなく、貫通せずに面取りをしてある
DSC08401_R_20140305213114462.jpg
壕床に一部コンクリートが打ってある所がある
DSC08402_R_20140305213115e67.jpg
天井から、電線が垂れ下がっている
DSC08404_R_2014030521311725d.jpg
床面のコンクリート引き、質は良くない
DSC08405_R_20140305213811596.jpg
壁に残る釘、カンテラでも下げていたのか
DSC08406_R_20140305213812476.jpg
メイン坑道は崩落は少ない
DSC08407_R_20140305213814829.jpg
別の突き当たり部分、こちらは掘削途中のようだ
DSC08408_R_20140305213815099.jpg
天井に碍子を付ける枕木が憑いている
DSC08410_R_20140305213817499.jpg
床はそれなりに整備され、壁面にも窪みがある
DSC08411_R_20140305214535d1d.jpg
この辺には、うっすらと排水溝の跡が見える
DSC08412_R_2014030521453685b.jpg
急に壁面が赤みを帯びる
DSC08413_R_20140305214538662.jpg
ここがメイン工場区と思われる
DSC08415_R_2014030521520699f.jpg
コンクリートが袋ごと固まったもの
DSC08418_R_201403052152083bb.jpg
変わった人工的な床の盛土
DSC08420_R.jpg
天井に異変が起きる
DSC08421_R.jpg
格子状の掘り込みが現れる、工場ライン用の天井クレーンのレールが有ったと思われる
DSC08422_R.jpg
かなりしっかり掘ってある
DSC08423_R_20140305215958fc6.jpg
部分的には横須賀の夏島でも見れるが、これだけしっかりした物はあまりない
DSC08424_R_20140305220000bc4.jpg
かなり良い設備で稼動しようとしていたのだろう
DSC08425_R_20140305220001071.jpg
この努力も、終戦で報われず
DSC08426_R.jpg
その方が良かったのだろうか?
DSC08427_R_201403052211333ad.jpg
この土盛りは、崩落ではなくズリのようだ
DSC08430_R_20140305221135c2d.jpg
壁面の支保工の四角い穴
DSC08428_R_201403052211352af.jpg
この跡はここにしか付いていなかった
DSC08431_R_20140305222231dbf.jpg
クレーン最終地点
DSC08432_R_20140305221953ffb.jpg
奇妙な跡の付いている台座
DSC08434_R.jpg
別の意味で危険な位置まで達した様なので、撤収する

画像拝借した元サイト「柵の向こう側」様記事
スポンサーサイト

中島飛行機地下軍需工場(吉見百穴)

太平洋戦争中、この岩山の地下に軍需工場を建設するため、その出入口として岩山の最下部に大きなトンネル(直径3メートルほど)が3本掘られた。
この際、元から存在していた横穴が数個崩されて消滅しているらしい。
これらの軍用トンネルの内壁は、ほぼ素掘りのままとなっていて、夏期は涼風が吹き出すことがある。
軍用トンネルの奥は危険防止の為、途中から見学コースは鉄柵でふさがれている。
中島飛行機(現・富士重工)の地下工場として、昭和20年初頭から8月にかけて掘られた地下壕で、アメリカ軍の爆撃機からの攻撃を避けるために中島飛行機は大宮工場エンジン製造部門の施設を吉見町の地下壕へ移すことになった。
本格的な生産活動が始まる前に終戦を迎えたので、実際にエンジンが製造された期間は短かった。
DSC08316_R_20140303202458ec0.jpg
埼玉県比企郡吉見町にある国指定史跡の吉見百穴(よしみひゃくあな)
DSC08317_R_20140303202500fcf.jpg
どっちかってゆうと、墓穴で有名
DSC08318_R_2014030320250137e.jpg
入場料を払う
DSC08319_R_20140303202502027.jpg
一歩入ると穴だらけ
DSC08320_R_201403032025048a8.jpg
概要
DSC08321_R_20140303203738bcb.jpg
案内図
DSC08322_R_20140303204526955.jpg
早速進入する
DSC08323_R_20140303203741c9e.jpg
一応の説明板
DSC08325_R_201403032037428d7.jpg
壕内は電気が憑いていて明るい
DSC08327_R_2014030320493870c.jpg
各々撮影に入るが観光客が中々途切れない
DSC08333_R_20140303205847129.jpg
入り口撮るだけで、数分待ち
DSC08328_R_20140303204940c66.jpg
そこら中に完璧な防護柵が貼られている
DSC08332_R_2014030320575868b.jpg
中を覗くと、赤い通路が続いている
DSC08331_R_20140303204941de0.jpg
壕内はズリも整理され、味気ないほどにキレイだ
DSC08334_R_20140303210239020.jpg
手持ち開放なので、多少ぶれる
DSC08340_R_20140303210240836.jpg
壕床のさざ波
DSC08343_R_20140303210241723.jpg
この壕の特徴でもある
DSC08345_R_20140303210243238.jpg
左を見ると、もう見学コースの出口が見えている
DSC08346_R_201403032102443a6.jpg
電気碍子を憑けていた板が壁に残っている
DSC08348_R_2014030321375708d.jpg
先に続く通路は塞がれて行けない
DSC08354_R_2014030321375859a.jpg
出口へ向う通路は奇妙な窪みだらけだ
DSC08347_R_201403032137552f5.jpg
この辺のくぼみは地下軍需工場としては、良くある機械を据える窪みだ
DSC08356_R_20140303214233378.jpg
変なのはこれ
DSC08358_R_20140303214235a27.jpg
同様の物がいくつかある
DSC08359_R_201403032142360dc.jpg
奥行きのある、工作機械をいくつか並べていたのだろうか?
DSC08361_R_20140303214237e2c.jpg
通路の反対側には普通のくぼみだけが並ぶ
DSC08362_R_201403032142393b7.jpg
あるいは、破壊された墳墓がこうゆう形状だったのだろうか?
DSC08363_R_201403032149127db.jpg
コロボックルに聞いてみたい
DSC08365_R_20140303214914745.jpg
ここだけにある、敷居はなんだろう?
DSC08366_R_201403032154563d0.jpg
さて、これ以上見る所も無いので、出る事にする
DSC08367_R_20140303215457b11.jpg
出口説明板
DSC08368_R_201403032154582cc.jpg
出口全景
DSC08371_R_201403032154591b0.jpg
墳墓は表層部だけで、深いものは無いようだ
DSC08372_R_2014030322010783b.jpg
これ全部、機銃陣地にしたらすごそうだ
DSC08373_R_2014030322010956b.jpg
出土品陳列コーナーの裏に怪しげな所が!
DSC08435_R_201403032201095c2.jpg
しかし、しっかり閉鎖されていた
DSC08437_R_20140303220751db0.jpg
キノコ栽培用のボイラーか?
DSC08436_R_2014030322011194e.jpg
しかし良くも掘ったものだ
DSC08439_R_20140303220112799.jpg
いくつかは実際に入れるものもある
DSC08438_R.jpg
お墓なので、あまり入る気がしない
DSC08440_R_201403032207530dd.jpg
現世と死後の世界
DSC08441_R_20140303220755804.jpg
吉見百穴を後にする
DSC08442_R_20140303221512579.jpg
帰りがけ、奇妙なものを見かけた
DSC08443_R_2014030322151421e.jpg
フェンスの中にはブランコなどの遊具と
DSC08444_R.jpg
封鎖された壕口があった
DSC08445_R_2014030322151657f.jpg
しかも様子が変だ
DSC08447_R_2014030322192463d.jpg
バルコニー?
DSC08446_R_20140303221922d78.jpg
なんだこれは!
DSC08448_R_2014030322192403c.jpg
壁一面に掘削されたそれは、「岩窟ホテル」といって、醸造用の冷蔵庫として作られたが挫折したそうだ、しかしたった一人で21年間かけてノミで掘った努力は大したものだ、写真に写っている酒屋がその末裔であるそうで、一般公開していた時代もあったそうだ。
DSC08450_R_20140303221926c5e.jpg
入ってみたいが丸見え状態なので、後ろ足を引きずる思い出退散する



つづく

陸軍第一航空軍司令部壕

友人サイト「廃墟を旅する」にて、紹介されたのがきっかけで、数年前に行って来た。
第1航空軍は、大日本帝国陸軍の航空軍の一つで、本土防空の任についた組織である。
通称号は燕、軍隊符号は1FA。
本土決戦を目前にした昭和20年、本土に展開する航空部隊を一元的に統一指揮を行う航空総軍が新設され、本土にあった第一(東京)、第六航空軍(福岡)その他の部隊を傘下とした最初で最後の巨大な航空部隊となりましたが、実質的な戦闘部隊は一部で、その殆どが特攻隊であった。
ちなみに、第二~第五は台湾、フィリピンなどの外地にある。
本拠地東京の第一航空軍の司令部がなぜ埼玉の奥地にいるかは資料を発見できなかったが、先人が明言しているので
それに習う事にする。
DSC08451_R_2014022120300880e.jpg
道路からさほど入らずに壕が掘られている
DSC08452_R_20140221203010bc4.jpg
ちょっと覗くと、無数の触覚が! さらに覗き込むと・・・
DSCF1036_R.jpg
思わず帰りたくなった、天井を埋め尽くす巨大なカマドウマの大群がそこにいた、直径4cmは有にあるだろう、しかもスゴイ肉厚、シーフードカレーの海老ぐらいある、あれに足と触覚を着け想像して欲しい(しない方がいいかも)
DSC08453_R_201402212039390af.jpg
周りには多数の壕口があるので、マシそうな所を探す
DSC08454_R_20140221203940d4b.jpg
基本的には閉鎖されていて、隙間は少ない
DSC08457_R.jpg
カマドウマ駆除しながら突入する(こいつら跳ねるから始末に悪い)
DSC08458_R.jpg
壕内は水の溜まった所が多く、湿気もかなりある
DSC08459_R_20140221212618372.jpg
岩盤の崩落などは殆んど無かったが、脇にこんもり砂が貯まっている
DSC08460_R_2014022121262086d.jpg
全体的には四角く天井が形成されている
DSC08461_R_20140221212621a6e.jpg
右方向は途中なのか、部屋なのか判らないが面取りはしてある
DSC08462_R_20140221213955976.jpg
ぱっと見左側は突き当たりに見えたが、斜面が登れる様だ、今は直線を行く
DSC08463_R_2014022121395651d.jpg
連絡通路は狭まり、荒くなってくる
DSC08464_R_201402212139579fa.jpg
右側にはまた、部屋状の空間
DSC08465_R_2014022121395949b.jpg
突き当たり
DSC08466_R_201402212140000e1.jpg
直線通路を戻る
DSC08467_R_20140221215144f6a.jpg
奥の方の斜面は湿気が多い
DSC08468_R_20140221215146b58.jpg
大分風化しているが、階段がある
DSC08469_R_20140221215147f62.jpg
下を見下ろす、設計ミスか?かなりの段差がある
DSC08470_R_20140221215149a8a.jpg
登ってみると、閉鎖された壕口がある
DSC08471_R_20140221215151550.jpg
支保工を打った鎹が落ちている
DSC08472_R_20140221215937b80.jpg
大き目の十字路
DSC08473_R_201402212159381f9.jpg
違う形の鎹が落ちている
DSC08474_R_20140221215940a0b.jpg
また、下り斜面がある
DSC08475_R.jpg
主坑道は上下段で2本、ほぼ同じ大きさ
DSC08476_R.jpg
埋った壕口
DSC08478_R_20140221220518aee.jpg
坑木
DSC08479_R.jpg
確かにしっかりした造りではあるが
DSC08480_R_20140221220520166.jpg
岩盤も壕内は固く堅牢な様だ(入り口辺と質が違う)
DSC08481_R_20140221220521b9a.jpg
しっかりしている分面白みが今ひとつ湧かない
DSC08482_R_20140221220523400.jpg
ほぼ、一緒に見える
DSC08487_R.jpg
基準杭が落ちている、天井からチーフを垂らし、水平を見るもの
DSC08483_R_20140221221315f15.jpg
迂闊に見上げると、天井を埋め尽くすカマドウマ(大型)の団体さん(グロ注意)
DSC08488_R_201402212213171b8.jpg
一通り見たので、脱出する

この本壕の他にも、倉庫壕、交通壕などがあるが、谷一つ隣だった様で発見していない

浅野カーリット

埼玉県川越市にある、とある川原に大量の遺物がある。
俗に言う「四式陶器製手榴弾」である、この名称は自衛隊資料の中には見られるが、戦時資料の中には無い。
昭和20年の「相模海軍工廠科学実験部」の資料の中に爆薬火工兵器の欄に、投射弾・墳進弾の項目に「手榴弾四型」なる物がある。
また、他項目内に小型地雷の名があり、これは陸軍の三式地雷(陶器製)の事である。

本土決戦用に各種陸戦兵器を用意する必要性がある中、金属の不足がネックとなった、たまたまその時に大倉陶園から
片手サイズの陶器製花瓶を兵器転用出来ないかとの、申し入れがあり、相模海軍工廠で開発が進められた。
しかし、陶器製手榴弾は硫黄島でも一部使用されたとの記述があるので、20年2月には試作以上の開発はされていたはずである。

当初、完成はしたものの兵器としては、威力不足とメーカーでは判断されていたが、あっさり軍部により実地試験の後、採用が決定する。
戦車などには全く論外であるが、対人兵器としてはこれで十分との判断が下された、背景として時間的余裕が無い事と、自決用としては十分であったそうだ。

使用方法は、頭のゴムキャップを外し、マッチの要領で着火するだけで、ピンなどは無い。
P1020832.jpg
手榴弾四型復元図
P1020840.jpg
米軍資料
P1020833.jpg
ゴム製信管体
P1020834_20140219223353c6d.jpg
何故か横にならない
P1020835_20140219223354702.jpg
一般に陸軍は縦型、海軍は丸型の様だ
8709776_m_R.jpg
三式地雷(陶器製)
heiki_R.jpg
サイズいろいろ
heiki1_R.jpg
右は教練用
P1020836.jpg
九九式型教練用陶器製手榴弾
P1020853.jpg
実物(空洞でなく陶器の塊)
P1020854.jpg
ピン部分、抜いても爆発しなかった(折れてしまったけど)
P1020837.jpg
機械式製法
P1020838.jpg
型押し手製
P1020839.jpg
瀬戸物の本体は各種の有名窯元が参加していた(自発的にらしい)
DSC05394_R_201402192249422a6.jpg
現地、農業用の堰があり、普段は川底が見えなくなっている
DSC05395_R.jpg
川原に降りると
DSC05396_R_201402192249444b3.jpg
ものすごい風景となる
DSC05398_R.jpg
三式地雷(陶器製)
DSC05401_R_20140219224948310.jpg
手榴弾四型
DSC05402_R_20140219225439922.jpg
DSC05403_R_20140219225441f05.jpg
DSC05404_R_201402192254423c1.jpg
これ全部手榴弾
DSC05407_R_20140219225643f22.jpg
上の方は割れているので、少し掘ると出てくる
DSC05409_R_20140219225645bcf.jpg
DSC05410_R_20140219225646b2b.jpg
出てくる出てくる
DSC05414_R_201402192256484f8.jpg
注意しないと破片で怪我をする
DSC05418_R_201402192259572ea.jpg
水が冷たいので、それなりに根性と根気が必要だ
DSC05420_R_201402192259584b8.jpg
完品を探すのはむずかしい
P1010060.jpg
地雷も信楽焼(下は統制番号)
P1020844.jpg
瀬戸焼(白)
P1020842.jpg
瀬戸焼(黒)
P1020845.jpg
信楽焼(艶なし)
P1020851.jpg
信楽焼(艶あり)
P1020852.jpg
有田焼(色なし)
P1020850.jpg
有田焼(色あり)
P1010302.jpg
信楽焼刻印(有田焼や、瀬戸焼は刻印が無い)
P1020848.jpg
P1020849.jpg
産地不明、似ていても窯印は別物

同じ信楽焼でも統制番号の違う物あり、大きさも異なる物あり
底部が丸い物がほとんどだが、一部平らに加工され、立つ物がある(元は花瓶だし)
携帯時は本体の首の所に紐を巻き、腰などにぶらさげるそうだ

浅野カーリットの跡地は、民間に売却され宅地、畑、学校などになっているので場所は記さない。
カーリットとは爆薬と訳せる様だが、浅野カーリットは陶器製本体に火薬の充填、信管などの加工取り付けを行う工場で、終戦により不必要になった陶器本体を処分せよとの命により投棄された物が、川の浸食により露出したもの
本来は全て破壊する事になっていたが、難を逃れた物が少数存在する。
当然カラの陶器のみのはずだが、間違って製品が投棄されている可能性もゼロではないだろう
ここを訪れ、事故、怪我をしても一切自己責任である!