fc2ブログ

観音崎砲台 第三砲台観測所及び大浦堡塁

DSC01083_R_20220921120511e81.jpg
三軒屋砲台掩蔽部
DSC01084_R_20220921120514ea1.jpg
迷彩の残る砲座を横目に見ながら第三砲台を目指す
DSC01085_R_20220921120514a01.jpg
道中陸軍の標石が並んでいる
DSC01086_R_20220921120516ffa.jpg
観音崎公園の園路は基本的に当時の軍道を整備拡張してある
DSC01087_R_20220921120517b88.jpg
拡張整備の際に抜かれた物、埋められた物も多々ある
DSC01088_R_20220921120519dfb.jpg
路肩を良く捜すと、まだ結構な数が確認できる
DSC01091_R_20220921120520e25.jpg
切り通しの付近には、砲台への門柱の片方が残っている
DSC01093_R_20220921120524d06.jpg
旧火薬庫の屋根が眼下に見える
DSC01096_R_2022092113531036a.jpg
大浦堡塁に立ち寄る
DSC01097_R_20220921135312668.jpg
大浦堡塁は直接湾内に進入した敵艦を攻撃するのではなく、砲台の裏側から攻めて来る敵に対する防御陣地だ
現在は公園化の為、壁の一部と階段の一部のみが残る
DSC01102_R_202209211353158fc.jpg
9糎カノン砲右翼砲座
DSC01103_R_202209211353170d8.jpg
DSC01104_R_202209211353175a0.jpg
明言されていないが、進徳丸の錨なのだろう
神戸高等商船学校の練習帆船として竣工、1944年9月に三菱造船神戸造船所で帆装が撤去され汽船練習船となるが、その後石炭輸送に従事していた。1945年(昭和20年)7月24日に米軍の艦載機の攻撃を受け、火災を伴う大きな被害を受け、着底した。
1946年(昭和21年)8月19日に浮上修理後練習船となるが、引き揚げ輸送等にも従事。
1963年(昭和38年)3月31日に廃船となった。1923年起工から40年と長い航海だった。
更に1995年の阪神・淡路大震災により台座が損傷、修復不能となる1966年まで、船体は残されていた。約76年と長寿の船だった。
DSC01105_R_20220921143955b85.jpg
戦没者慰霊碑に一礼し次に向かう
DSC01106_R_2022092114395768f.jpg
第三砲台(旧第四砲台)到着、旧第三砲台が除籍となった為、繰り上げとなった。
更に入り口に第一展望台などと書かれている為、非常にややこしくなっている。
DSC01107_R_20220921143959689.jpg
トンネルを通らないと行き来出来ない砲台
DSC01108_R_20220921144000705.jpg
切り通しがエモい
DSC01111_R_20220921144002799.jpg
山によじ登る
DSC01112_R_20220921144002527.jpg
かすかに道の形跡が最初はあるが
DSC01114_R_202209211440050dc.jpg
途中から全く無くなり、判別不明になる(横はガケ)
DSC01115_R_202209211440068a6.jpg
途中、地滑りで完全に寸断されるので、お勧めは出来ない
DSC01116_R_20220921150552c4b.jpg
諦めかけた頃、やっと姿が見えた
DSC01120_R_202209211505545a9.jpg
第三砲台には右翼、左翼共に観測所が現存しているので、この観測所は旧第三及び三軒屋砲台等と共有の山頂観測所だろう
DSC01122_R_20220921150555ed0.jpg
風雨に晒され、地盤が危うくなっている、いずれ滑落する時が来るだろう
DSC01123_R_20220921150557b9a.jpg
既に半ば割れているが、これが近年の崩壊か、関東大震災の被害かは不明
DSC01124_R_20220921150558989.jpg
この観測所は他に類を見ない円筒形構造をしている
DSC01126_R_20220921150601fe6.jpg
中に入ると床面はコンクリート製
DSC01125_R_202209211528128fb.jpg
内径は2m無いぐらいで、観測器を置いたらえらい手狭だ、内壁も高く胸の高さほどある
DSC01136_R_20220921152823341.jpg
観測所入り口
DSC01127_R_202209211528150de.jpg
刻印煉瓦も多用されている
DSC01128_R_20220921152815e70.jpg
小菅集治監の複弁の刻印
DSC01133_R_20220921152820da3.jpg
何らかのフックが並んでいる
DSC01129_R_202209211528170a5.jpg
測袁基台は煉瓦をモルタルで塗ってある
DSC01135_R_202209211528225a3.jpg
土台も煉瓦だ
DSC01137_R_20220921213020a8f.jpg
小さいが、とても良い遺構なので、同好の人は見付けて欲しい物だ
DSC01140_R_202209212130222e7.jpg
帰りは尾根ルート(本来の軍道)から戻る(行きは倒木で迂回して来た)
DSC01142_R_20220921213022544.jpg
するとすぐそばに3本の測袁基台が現れる
DSC01146_R_20220921213026e35.jpg
夏なんかに来るもんじゃ無いな
DSC01144_R_20220921213026c92.jpg
なぜここに露天で台座だけあるのかは不明だ
DSC01147_R_20220921213027af2.jpg
八角形の台座で測袁基台には間違いないだろう
DSC01151_R_20220921213027b01.jpg
下界に降りて来た
DSC01153_R_20220921213030035.jpg
ガキの頃は何も考えずに飛び込み台として遊んでいたこれも、砲台遺構だ
DSC01154_R_2022092121303205b.jpg
資材運搬から砲弾陸揚げに至るまで使われた桟橋とレールの跡が見る目を変える
DSC01165_R_202209212130326eb.jpg
さて、横浜に帰るとしよう!
スポンサーサイト



花立台堡塁砲台、花立台演習砲台

DSC07926_R_202205230956095af.jpg
観音崎公園から砲台に登って行く
DSC07930_R_20220523095610c74.jpg
堡塁の入り口から、塁道に沿って登って行くが、ショートカットが必要だ
DSC07931_R_20220523095612714.jpg
遊歩道に出る
DSC07935_R_2022052309561370c.jpg
すると、掩蔽部が現れる
DSC07938_R_20220523095615ee0.jpg
内部は狭く、通気口は壁面にあるが、上部観測所との伝声菅は無い
DSC07939_R_20220523095616244.jpg
砲台の物と思われるコンクリート片が大量に投げ込まれ、入り口はヒドイ有様だ
DSC07941_R_20220523095618abb.jpg
脇に回ると、上に指揮所らしき物がある
DSC07942_R_20220523095620311.jpg
後に塁道のある1m四方の物で、小隊長位置か?
DSC07945_R_20220527203639317.jpg
すぐ後ろにコンクリートの観測所がある
DSC07946_R_20220527203640740.jpg
観測所への階段
DSC07947_R_202205272036420bb.jpg
八角形の測遠器台にボルトが残る
DSC07950_R_20220527203644b1a.jpg
サイドポケット
DSC07951_R_20220527203645df8.jpg
伝声菅?先ほどの地下掩蔽部には、伝声菅の穴は無かった
DSC07952_R_20220527203647c23.jpg
観測所に繋がる塁道を辿る
DSC07957_R_2022052720365045c.jpg
埋もれた煉瓦遺構があるが、他は確認できない
DSC07954_R_20220527203648c62.jpg
桜の刻印
DSC07958_R_20220527220724c1e.jpg
遊歩道の外れに、円形のコンクリートがある
DSC07959_R_20220527220725a7a.jpg
直径4m程の円形コンクリート
DSC07960_R_20220527220728c33.jpg
内縁を見ると、砲座と思われる
DSC07964_R_20220527220729b92.jpg
かなりしっかりした造りをしている
DSC07962_R_20220527220732566.jpg
藪に埋もれて全体が判らないのが残念だ
DSC07965_R_20220527231609820.jpg
周辺には袋のままのコンクリートの塊や
DSC07966_R_20220527231611077.jpg
破壊された何らかの部分もある


DSC08015_R_20220527234753545.jpg
煉瓦造りの掩蔽部
DSC08003_R_20220527234746749.jpg
遊歩道を造ったせいで、土が失われて露出している通気口
DSC08004_R_202205272347470e6.jpg
掩蔽部に土を被せて土塁にしてある
DSC08007_R_20220527234749dbd.jpg
現在確認出来るのは土塁上の通気口のみ
DSC08014_R_20220527234751fb9.jpg
六連の掩蔽部だったと思われる
DSC08012_R_20220527234757349.jpg
過去に調査が行われたと思われる穴が一つあるが、埋められている


DSC07968_R_202205282111186de.jpg
花立台演習砲台にやって来た、と言っても花立台堡塁砲台の中にあるのだ
DSC07973_R_20220528211124dac.jpg
昭和10年に花立台堡塁砲台(明治砲台)の跡地に15cmカノン砲4門を据えて、演習砲台となった
DSC07972_R_202205282111200e5.jpg
残っている砲座はこの一つだけ
DSC07974_R_20220528211123ca7.jpg
花立台演習砲台観測所、手前にあるのは明治砲台の掩蔽部だ
DSC07977_R_2022052821112413e.jpg
掩蔽部上には、近年機銃座が追加されている
DSC07978_R_2022052821361258c.jpg
掩蔽部の通気口、という事はここは背面部となる
DSC07979_R_20220528213614c11.jpg
観測所は変則の3階構造となる、半地下部から入る
DSC07981_R_202205282136154af.jpg
内部には測遠機台座が残っている
DSC07983_R_20220528213617bf6.jpg
1階に登る
DSC07985_R_2022052821361865f.jpg
下の測遠機台座を見る
DSC07988_R_20220528213620289.jpg
観測所1階からの眺め
DSC07991_R_20220528213621566.jpg
内部は空洞ながら、結構広い
DSC07992_R_20220528213622e74.jpg
観測員用の窓
DSC07993_R_202205282158337ed.jpg
2階に登る
DSC07995_R_20220528215836d40.jpg
2階から下が見下ろせる構造
DSC07994_R_20220528215835f5a.jpg
2階の観測窓
DSC07997_R_20220528215837abb.jpg
1階の天井には、潜望鏡ののぞき穴がある
DSC07967_R_20220528215832872.jpg
さて帰ろう

観音崎砲台非公開(施錠)部分訪問 その2

DSC06268_R_202201152309554dc.jpg
戦没船員の碑
DSC06269_R_20220115230957ac8.jpg
その先の切り通しに、吊り橋を架けていた橋脚がある
DSC06271_R_2022011523100163f.jpg
その裏手にコンクリートで塞がれた壕口がある
DSC06272_R_20220115231000bb4.jpg
内部は公園整備の公共事業工事で不法投棄された廃棄物が埋めている
DSC06273_R_20220115231002684.jpg
花の広場
DSC06274_R_202201152310035ea.jpg
ここには砲台への門柱が二本立っている
DSC06277_R_202201152310059d0.jpg
三軒家砲台へ降りて行く
DSC06279_R_20220115233803722.jpg
砲座背部の見張所を見て行く
DSC06280_R_2022011523380552d.jpg
DSC06281_R_20220115233807f33.jpg
非常に綺麗に残っている見張所、ここから総合的な指揮を執っていたのだろう
DSC06284_R_2022011523381435f.jpg
三軒家砲台入り口の門柱
DSC06285_R_20220115233809e46.jpg
横壁も一部残っている
DSC06286_R_202201152338104eb.jpg
ここで3つ目のカギが開けられる
DSC06288_R_20220117225644f47.jpg
ここには二本の一本抗はあるが用途は不明
DSC06290_R_202201172256465e1.jpg
天井は変わったレンガ?で出来ている
DSC06289_R_20220117225646aa5.jpg
石の下の昆虫を探す子供達
DSC06291_R_20220117225648608.jpg
入り口方向
DSC06294_R_20220117225650753.jpg
出口方向
DSC06295_R_LI.jpg
隣の入り口を開ける
DSC06296_R_202201172307309c2.jpg
二つとも構造は同じだ
DSC06298_R_20220117230730cc6.jpg
出口は封鎖されているが、後に反対側から見る
DSC06299_R_202201172307306c0.jpg
通気口が無いから、兵舎や弾薬庫では無い、二本あるから連絡用トンネルでもない
DSC06300_R_20220117230733133.jpg
入り口には電気を通していた跡がある
DSC06301_R_202201182223098ee.jpg
三軒家砲台
DSC06302_R_20220118222311936.jpg
観音崎砲台では、最も迷彩塗装が色濃く残る砲台だ
DSC06303_R_20220118222313365.jpg
砲台の背面にある切り通し
DSC06305_R_20220118222316859.jpg
切り通しの奥には先ほどの二ヶ所の出口が存在する
DSC06306_R_202201182223150f9.jpg
モルタルの起伏を付けて偽装している
DSC06308_R_20220118222316876.jpg
切り通しはV字になっており、第一第二砲座方向、第三第四砲座方向と別れている
DSC06310_R_20220118222321096.jpg
砲側弾薬庫の前を通り、左翼観測所方向に進む
DSC06311_R_LI.jpg
四つ目のカギを使い、用具庫と言われる部屋に入る
DSC06316_R_LI.jpg
ヒビはあるが崩落は無いので、ここもまた公園整備時の残土の投棄となる
DSC06319_R_20220118224450640.jpg
くっきりとした小菅煉瓦がある
DSC06318_R_20220118224448450.jpg
入り口方向
DSC06321_R_202201182244514a8.jpg
奥方向
DSC06325_R_202201182302282bd.jpg
左翼観測所に登って行く
DSC06326_R_20220118230230a12.jpg
左翼観測所
DSC06327_R_20220118230232e53.jpg
実際に訪れた人は、大蛇の様に側壁を回る太い木の根に驚いただろう
DSC06329_R_20220118230234540.jpg
測遠基台
DSC06328_R_20220118230237adc.jpg
円形にするのだが、煉瓦の割り方がえらい大雑把で雑だ、足元に別のタイプの測遠基台が数本横たわっているので、昭和期に観測器具を付け替えたのかも知れない
DSC06333_R_202201182302359d9.jpg
三軒家砲台では、石垣にこのような数字やカナ文字が掘ってある物が多い
DSC06401_R_20220118230237fd5.jpg
これは石材の産地や業者の刻印である
 

観音崎砲台非公開(施錠)部分訪問 その1

DSC06177_R_20220113213406501.jpg
今回はひょんな事で知り合いとなった観音崎自然博物館の学芸員Sさんに頼んで、一般公開していない(施錠している)部分の4ヵ所を見学させてもらった。
この場を借りてお礼申し上げます。
個人的には3ヵ所は別の砲台ツアー等で入った事はあるのだが、一つは以前から入りたかった物件だった。
DSC06181_R_2022011321541475e.jpg
S氏引率の上、中学生2名も参加し自分サイド3名で回る事になった。
意外な事に博物館側では観音崎の戦跡をあまり把握していないとの事、お礼として一部の戦跡を案内する。
また、発見した謎の遺構があるとの事で、見て欲しいとの事だった。
DSC06182_R_20220113213408724.jpg
早速一つ目のカギを使い山裾に入る、謎のトンネルがあるとの事
DSC06183_R_20220113213409e71.jpg
行って見ると、自分には既存の物件で、南門砲台の弾薬庫の一部で、太平洋戦争時代の物だ
DSC06187_R_20220113213411502.jpg
中は長靴オーバーの水没で、泥が蓄積しているし、見ての様に先は埋もれている
DSC06189_R_20220113213412370.jpg
内壁は射だの様に歪な傷がある、気になる所だ
なお、近くに油脂庫と思われるコンクリート穴が在ったはずだが、公園化に伴い無くなったようだ
DSC06196_R_20220113224039cba.jpg
多々良浜にある砲台関係の潮位標(太い方)には以前は目盛りが書いてあったそうだ、細いのは係船用だとか
DSC06198_R_202201132240413df.jpg
第四砲台(旧第五砲台)遺構を見に行く
DSC06199_R_202201132240429c7.jpg
このトンネルは半分コンクリート、半分素掘りになっている。出口付近の両壁面に弾薬庫らしい跡がある
DSC06202_R_LI.jpg
トンネルを出て右に折れると外壁に塞がれた部屋がある
DSC06201_R_20220113224045973.jpg
トンネルの内部と繋がった部屋で、上部にクレーンの付いていた跡がある
DSC06200_R_202201132240449ed.jpg
ここにも謎遺構がある、手前部分は昭和50年の公園化の際の何らかの設備と思われる
DSC06204_R_20220113224049da0.jpg
何故かと言うと、この後ろ側には掩蔽部があるからだ
DSC06206_R_20220113224049e16.jpg
内部には明らかに近代の電気配線があり、海上自衛隊が使用していた物と思われる。
通常入り口の前にあんな設備は造らないだろう
DSC06208_R_20220113231207087.jpg
第二砲台へのトンネルは封鎖されているので、旧第三砲台側に登って行く
DSC06209_R_2022011323120886d.jpg
さかの途中にも謎遺構があるという
DSC06210_R_20220113231210c19.jpg
藪の中に面白い形の窓があるコンクリート遺構がある
DSC06211_R_20220113231212cd4.jpg
これは煉瓦をモルタルで塗ったトイレの遺構である、砲台入り口にトイレは良くある
DSC06212_R_20220113231212bf0.jpg
捜せば桜の刻印も見付けられる
DSC06213_R_202201142159033a6.jpg
ちなみにこの三人の目的の半分は、暗所における昆虫採集である。新種を探したいそうだ。
DSC06215_R_202201142159058bb.jpg
第二砲台に来た
DSC06216_R_20220114215907c0f.jpg
第二砲台のトンネルは、いつの間にか封鎖され、タイマー式の照明も撤去されていた
DSC06218_R_202201142159097ed.jpg
2つ目のカギは、見たかったこの弾薬庫を見せて貰った
DSC06219_R_20220114215909be3.jpg
初めての内部に進入
DSC06220_R_202201142159101c0.jpg
ひび割れ等無く、良い状態で残っている
DSC06221_R_202201142159122fe.jpg
庫内には2つの部屋がある
DSC06223_R_202201142159153bf.jpg
手前の弾薬庫、天井は半円形だ
DSC06225_R_2022011421591726a.jpg
点検窓が各一つある
DSC06222_R_20220114215916803.jpg
通路の奥は砲座の足の下へと繋がる
DSC06227_R_LI.jpg
奥側の弾薬庫
DSC06228_R_20220114230112b6c.jpg
点検口にはガラスが嵌っている
DSC06229_R_202201142301129b9.jpg
点検口の上の通気口
DSC06230_R_20220114230114e0f.jpg
当時と思われる金網が残っている
DSC06231_R_20220114230115884.jpg
天井の伝声菅、弾薬庫2つと砲座と繋げている
DSC06234_R_20220114230119213.jpg
砲座への通路、奥が楊弾井となっている
DSC06233_R_20220114230116594.jpg
この通路の天井の煉瓦は異様に薄いアーチ型に組ませる為に、特殊なサイズを使っている
DSC06235_R_20220114230120891.jpg
角面の接合部も普通では見かける事の無い複雑な繋ぎ方をしている
DSC06236_R_20220114230122768.jpg
強度の減る扉や窓の上部は房州石で補強している
DSC06226_R_2022011423284966e.jpg
もう少し見ていたかったが、人を待たせる訳には行かないので退出する


DSC06249_R_202201142322414b2.jpg
第二砲台から塁道を歩いて行く
DSC06251_R_20220114232242955.jpg
切り通しの塁道を軽く登る
DSC06253_R_202201142322446c9.jpg
右翼観測室がひっそり隠れている
DSC06255_R_LI.jpg
内部は当時と思われる古い電線が垂れ下がっている
DSC06254_R_LI.jpg
足場は悪いが、中々いい遺構である
DSC06256_R_20220114232249546.jpg
上部観測所への階段には、奇跡的に鉄の手すりさえ残っている
DSC06257_R_202201142322510b6.jpg
右翼観測所
DSC06258_R_202201142322542da.jpg
測遠器台も綺麗に残っている、左下は下の観測室への伝声菅
DSC06259_R_20220115224545cbc.jpg
側面には物入のポケットがある
DSC06262_R_202201152245529a7.jpg
付近には大型の通気口がある、恐らくトンネル内の弾薬本庫の物だろう、通常の4倍近い大きさがある
恐らくオリジナルだろう鉄の傘が残っており、大変貴重である(米ヶ浜砲台のは後世の物)
DSC06260_R_20220115224546163.jpg
人間がそのまま落下できる大きさがあるので、注意が必要だ
DSC06263_R_2022011522454907a.jpg
第二砲台を後にする

9月の観音崎砲台散歩

この記事を閲覧するにはパスワードが必要です
パスワード入力