神戸大空襲 その3

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京橋交差点海側、京橋筋南詰には神戸海軍操練所跡碑がある
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神戸海軍操練所は、江戸時代の元治元(1864年)5月に、江戸幕府軍艦奉行の勝海舟の建言により幕府が神戸に設置した海軍士官養成機関、海軍工廠である
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神戸海軍操練所跡由来
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右ページ
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左ページ
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読み辛いが、右側に「旧戦艦の錨・・・・・錆で読めん」9200(9200kg)とある
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震災の影響なのか、折れてしまっているようだ
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神戸電信発祥の地碑、ちなみに後ろのビルはDOCOMOビル
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高速の向こうに、神戸港の夜景が見える
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みなと公園の一角
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メリケン地蔵尊
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神戸海軍操練所記念碑(海軍営の碑)、陸奥宗光の顕彰碑
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裏側も上げておく
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この二つの碑は先の「神戸海軍操練所跡碑」と離れた所にある、何故隣にしなかったのだろう?
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阪神防衛司令部
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神戸教会は戦時中、阪神防衛司令部として接収されていた
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入り口の一角に
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割れた石版が置かれている
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神戸で戦跡としての説明板があった、初めての物件だった
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この塔の一部には、摂取されていた頃の迷彩の跡がうっすらと残っているそうだ
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歩道橋に登ってみた、本館との根元の辺りに何となく黒ずみが有るが、定かではない
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花隈公園にやって来た(花隈城跡)
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東郷井なる物がある
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広く知られている戦艦「大和」「武蔵」は二代目で、両艦ともに初代は明治期に既に存在していた、余談になるがなんとこの初代「大和」は太平洋戦争を生き延びたのだ、昭和10年(1935年)4月1日除籍の後、司法省の所管に移され、浦賀港内に繋留されて、少年刑務所の宿泊船になったのだが、老朽化で解体のため横浜に回航されたが、昭和20年(1945年)9月18日、台風のため鶴見川の河口に沈没、奇しくも初代、二代目共に同じ年に終焉を迎えている
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この石碑も倒壊したのか、補修跡が随所に見える
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場所はここ、神戸教会は書いてないが、中央右下の歩道橋マークの辺りにある

このたびまた、「月刊モデルアート」イラストで見る二本陸・海軍機大図鑑②に自分の提供した資料が載る事になりました
26P~29P辺りの記事に載っていますので、御一読頂ければ幸いです。
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書店で見かけたら、ぺらぺらっと見てみて下さい、佐藤氏のイラスト画もかなり見ごたえがあります
出来れば記念に御購入を!CM

とある地下壕で発見した当時の本物の遺物であり、ここにはまだ大量に眠っている
ここは一般人の入れない施設内にあり、捜索は不可能だろう、このような遺物のある地下壕を発見する事の喜び
楽しさに取りつかれた様に山狩りをする変な奴のブログを見て頂き、感謝です
記事にして下さった関係者様にも感謝します。
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神戸大空襲 その2 (旧居留地・元町地区)

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国道2号線、メインストリートとなる道路
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旧居留地海岸通だった
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そこに面するこの上下のアンマッチなビル
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海岸ビルと言われるここには、機銃掃射痕が残っている、大戦中、海軍武官府がおかれていたのだ。
そのため米軍艦載機グラマンによる激しい機銃掃射を受けることになった
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機銃掃射痕はセメントで埋められているが、南面の壁に数多く見ることができる
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実際にこのビルに海軍武官府があったかは、定かではない、隣のビルとの記述もある
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ちなみに阪神大震災でビルは全壊しているので、再建時に当時の石材を利用して立て直されている
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したがって1階部分にしか機銃掃射痕は見る事が出来ない
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内部は耐震近代建築になっている
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石材自体は当時のストックを使用、木製の扉などは再利用されている
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となりの商船三井ビルディング
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このビルにも多少の機銃掃射痕があるそうだが
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今回は探していない
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神戸市立博物館
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登録有形文化財に指定されている
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ここにも機銃掃射痕が残っている
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南側から撃たれてる
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複数回に渡って掃射されているのがわかる
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正面入り口
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このスロープ付近に集中して機銃掃射のあとがある
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スロープの外側には何故か傷が無い
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建物自体は、旧横浜正金銀行(現 三菱東京UFJ銀行)神戸支店ビルを転用している
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チャータードビル
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正確にはチャータード銀行ビル神戸支店
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数は少ないが、ここにも残っている
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この様な機銃痕に付いては、どのガイドブックも触れていない
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もちろん現地の史跡案内板すらも無い、観光地って事なのだろう
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旧三菱銀行神戸支店、後ろの青いのは神戸クリスタルタワー
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現在は、ファミリアホールと言い、アパレルメーカーのファミリアが所有している
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歴史主義建築ではあるが、不思議に建造物認定を受けていない
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それでも機銃痕は受けていた
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東側数箇所に見て取れた
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スヌーピー(ピーナッツ)の石像、キャラクター商品の製造販売をしている
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このビルは旧居留区からかなり外れ、神戸駅付近にある

神戸大空襲 その1 (三宮地区)

神戸とその周辺地域は1945年(昭和20年)1月3日から終戦までの約8ヶ月間に大小合わせて128回の空襲を受け、特に3月17日および6月5日の市街地絨毯爆撃と川西航空機甲南工場を標的とした5月11日の戦略爆撃によって大きな被害を受けた。
被害状況に関する公式記録は存在せず、具体的な数字ははっきりしていないが被害面積は神戸周辺都市部の21%に及び、少なくとも8841名の市民が犠牲となり15万人といわれる負傷者、焼失家屋15万戸、のべ65万人もの人々が家屋に被害を受けたといわれている。
これは、人口および面積から換算した被害率としては当時の五大都市の中でも最悪の数字であった。
周辺の部隊の反撃もあり、京都の高射砲部隊がB-29アシッドテスト(機長ユージン・F・トーランド少佐)を撃墜するなどの戦果もあったものの、上空からアメリカ軍機を駆逐するには至らなかった。
神戸市の「神戸 災害と戦災 資料館 -平和の尊さを次の世代へ- 」に写真が多く載っているので興味があればどうぞ。
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戦災だけではなく、昭和13年7月3日~5日の大水害、3日間で462ミリに達し、死者616名、被災家屋89,715戸に達する大災害となった事や阪神・淡路大震災、平成7年1月17日未明(5時46分)に阪神・淡路地域を襲った建築物(全壊67,421棟、半壊55,145棟(H7.12.22現在)、火災による焼損は全焼 6,965棟、半焼 80棟、部分焼270棟、ぼや71棟、延べ焼損している
神戸が復興の街と言われる由縁である。
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新幹線で新神戸まで行く
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JR三ノ宮駅に到着(実際には地下鉄で来ている)
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JRは新幹線に直通していない、神戸市営地下鉄(別料金)で移動
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西神・山手線で三宮、阪急電車に向う
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阪急電車の西側ホーム
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ピカピカのマルーンが出迎えてくれた
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この近辺、三宮駅って5~6こ有るので阪急電鉄を目指そう
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4番線のホームが一番分かりやすい
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屋根は木製の部分と金属製の部分があるので、金属製の方を探す
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良く見ると、あちこちに補修の跡が見て取れる
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これらは、B-29の焼夷弾の貫通痕だったりする
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幸いにも開放型の駅舎だったので、焼け残る事が出来た
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焼夷弾は今で言うナパーム、油脂よる火災なので水をかけても消えないのだ
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兎に角あちこちに開いている
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しかしお客の8割はこの事実を知らないのだろうな
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フラワー通りに出る
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JR三宮前に架かる遊歩道橋
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こんな所にも空襲の傷跡がある
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このフェンスの内側
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加納町第一架道橋
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フェンス越しに見ると、穴がある
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グラマン戦闘機の機銃痕と紹介されている(一部P-51との記述もあり)
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山側から海側に貫通している
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神戸では線路を基準に、北南を山側、海側で区別しているようだ
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デパートの中の案内表示もこんな感じ
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相当な密度で打ち込まれている
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これも駅利用者達は知らないのだろうな~
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この辺の電車事情はかなり複雑なので、訪問時は下調べをちゃんとしよう
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生田神社に向う
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この神社に付いては、別枠で紹介するので、一部のみ紹介する
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御神木、俗に言う被災樹である
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楠の神木(再生の象徴)
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下の方はかなり爛れているが、しっかりと根着いていた
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生田神社を後にする
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大丸 神戸店の辺りまで来た時
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山が見えた、何かある!
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さすが海軍の街、イカリマークが飾られている(夜中にライトUPあり)
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三宮神社にやって来た
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直接太平洋戦争とは関係無いが
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大砲が飾ってあったりする
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太平洋戦争どころか、神戸事件にも関係の無い大砲
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早咲きの桜(梅?)に包まれ、沈黙を続ける古き大砲

神戸探訪プレ

今回東男のyakumoは一度は行きたいと思っていた神戸に行って来た
身の軽い独身貴族とは言え、関西方面はおいそれとは行けないのが現実だが、今後とも訪れるだろう
いま、関西が楽しくて仕方が無い、戦跡以外の訪問も面白く感じてきた今日この頃である
今日帰って来たばかりだが、楽しかったので少しだけ紹介することにした
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新幹線で約2時間半、新神戸に到着
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神戸空襲時の弾痕
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sanaの部屋で有名な『阪急マルーン』
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そのホームには焼夷弾の貫通口がある
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神戸と言えば牛
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生田神社
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南京町
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外国人居留地
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怪しい石造
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夜の街
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ライトUP
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居留区の夜
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夜明けの居留区
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ネコカフェ
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牛美味い

人には色んな出会いがある
仕事や学校、偶然の出会いと様々なものがあるだろう
人だけでなく、風景、町並み、過去の建造物
美味しいもの、綺麗なもの、可愛いもの
戦跡以外のものに目を向けるようになった人生を変えるような出会いもある
そんな出会いを大切に生きて行きたい