愛する恐ろしい京都 (街角文化編Ⅱ)
関西圏と関東圏では、当然の事ながら言葉(関西弁、関東弁)も違う、風習も違う
東男yakumoが、京都において困った事、感じた事、感心した事などを、横浜人目線で書いてみる
始めに断って置くが、京都を卑下する、下に見るなどと戯けた意味合いではない、ただ感じた違いを
京女sanaの監修の元に、ちょっと綴ってみたくなったのだ。
なお、京都市全体では無く、概ね洛中(京都中心地)の限られた地域においての比較である
なんせ洛中以外の外へ、あまり出た事が無いので、紹介しようも無いのである・・・(中途半端ですいません)
〇鐘馗さん (ちっさいおじさん)
日本では、江戸時代末(19世紀)ごろから関東で鍾馗を五月人形にしたり、近畿で魔除けとして鍾馗像を屋根に置く風習が見られるようになった。
京都市内の民家(京町家)など近畿~中部地方では、現在でも大屋根や小屋根の軒先に10~20cm大の瓦製の鍾馗の人形が置いてあるのを見かけることができる、これは、昔京都三条の薬屋が立派な鬼瓦を葺いたところ向かいの家の住人が突如原因不明の病に倒れ、これを薬屋の鬼瓦に跳ね返った悪いものが向かいの家に入ったのが原因と考え、鬼より強い鍾馗を作らせて魔除けに据えたところ住人の病が完治したのが謂れとされる。
先日ぶらタモリでも、ちっさいおじさんと紹介されていたので、見た人も多いだろう。
以前記事にしたので、細かくははぶく

御池通り辺りにある金ぴか鐘馗さん 、神宮道付近の金箔屋さんにもあるようだ

屋根瓦と同じ素材なので、グレー系統がオーソドックスである

本来は受注生産で同じ物は無いのだが、そこは商売!同一品も存在するようだ

近年は型のプレス加工で、同じ物が出回っている
〇辻地蔵(つじじぞう)
辻地蔵とは何も京都限定の物ではないのだが、この地では色濃く残っているのだ
これは道祖神(どうそしん、どうそじん)と関係しているようだ、道祖神は、自然の石や石像・石碑で、いわば道ばたの神様である。
それは、民間の信仰の対象として多く安置されてきた。
この神様と仏教の世界の地蔵菩薩が結びついたために、いたるところに広まっていったのである。
歴史のある京都には古くからの辻地蔵が残っているが、関東など数百年の歴史しか無い土地ではあまり見かけない
横浜では長津田辺りに行けば、残っているらしい。
現在道端で見かけるのは、お地蔵さんのよだれかけに見て取れる、子供の無事な成長を願う物が多く
交通事故の慰霊となる物、とげ抜き地蔵、子安地蔵、子育て地蔵、身代わり地蔵、しばり地蔵、しばられ地蔵、水子地蔵等
かなりの種類があるがまとめて「地蔵菩薩」となる
近畿地方には、京都には、この辻地蔵をお祭りする、地蔵盆なる物がある、期間としては、当日の前日の宵縁日(旧暦7月23日)を中心とした3日間を指す、旧暦7月24日以外の地蔵菩薩の縁日の24日は、地蔵会(じぞうえ)、地蔵祭と呼ばれるが、旧暦7月24日については盂蘭盆(お盆)の時期に近く、それにちなんで地蔵盆と呼ばれるようになった。

これがyakumoが初めて認識した辻地蔵である

何故かほぼ全ての辻地蔵が、施錠されているか、鉄柵で囲まれている

新興のマンションなどが出来ても、地域の住民の理解でほぼ同じ場所に設置されている

大部分の物は、土台が石造りで卍が描かれている。

辻地蔵はそこら中にある、場所によっては1ブロックに数ヶ所設置されている所もある、それだけ地域の人に愛されているのだ
関東の地蔵尊と言えば、通行人には見向きもされないどころか、目を背けられる部分もあるのが現状である
設置場所も移動され、高架下などに集合化されているのを良く見かける。
京都では地域ぐるみで愛されている、朝晩の通過時にもお参りとまでは行かなくても、会釈、目礼などは当たり前の礼儀だそうだ(時間のある人は写真の様にお参りをしている)、良く管理され、汚く汚れたもの等は皆無と言える。
〇粽(ちまき)
一言に「ちまき」と言うと、中華のチマキを想像する人も居るかも知れないが、ここで言う「ちまき」は和菓子に分類される物だ
さらに正確に言えば、その形をとった厄除けのお飾りの事である、もちろん食べられない!

ちまきの由来
昔、須佐之男命(スサノオノミコト)が宿を探していたところ、弟の巨旦将来は、豊かな生活をしていたのにそれを断ったが、蘇民将来という兄は、自らの暮らしが貧しかったにもかかわらず宿を提供し、手厚くもてなした。
それに感動した須佐之男命は、蘇民将来に、「この先、疫病や災いがあっても、お前の子孫であれば守ってやろう。子孫だという目印に、この芽(ちがや)の輪をつけておきなさい」と言った。
「茅で輪を作って、腰につけていれば病気にかからない」との話もある。
それ以降、蘇民将来の一族は、疫病や災難を除け、代々栄えていったとのこと、 この「目印の芽の輪」が、現在のちまきのことで、現代に広く広まっている。
茅(ちがや)という植物を束ねて巻いた物、これが茅巻…ちまき…粽(ちまき)となって行ったそうだ。

これが芽の輪なのだが、なぜか殆んどのちまきに芽の輪は付いていない
![1469613513905_R[1]](http://blog-imgs-96.fc2.com/y/a/k/yakumo1100/20161024201451f5f.jpg)
八坂神社などでも見かけた人は多いだろう、芽の輪くぐり
また、ちまきには、「蘇民将来子孫也」と書かれた紙(お札)を付ける、 私は蘇民将来の子孫だと言う意味である。

ちまきは祇園祭の時に一般に販売される、各山鉾にそれぞれのちまきが用意されているので、山鉾のそばの保存会会場か、
八坂神社で購入できる、ちなみに本来は購入ではなく、「ちまきを受ける」と言うのが正式ななのだ。
時期は山鉾を建て始める頃から山鉾巡航が終わるまでの間となる。
しかし、すべて手造りなので量産が効かない、よって無くなり次第終了となる、人気の鉾ならなおさらだ!
ちまきは基本、一年間で新しい物に交換するのが普通だ、祇園祭の時だから忘れる事もないだろう
一年間玄関で家族を護ってくれたちまきの返納方法(ゴミに出したらあかんよ!)も決まっている
購入した各山鉾に返納するか、八坂神社に納めるのが一般的だが、観光で来た人などはどうするか?
地元の神社でも返納は可能だそうだ(場合により有料)、ただし、お寺ではなく、神社に帰すのが当たり前なのだ。
お寺は仏様、神社は神様を祀っているので、管轄違いと思えば良いだろう

この様に人のくぐる所や門など、人目の付く所に飾る

大き目の神社なら納札所に入れるだけ、無ければ社務所に頼めば多分大丈夫

山鉾の保存会会場でも返納を受け付けている

また、ちまきを買うと鉾に乗る事が出来る(並ぶけど)が、一部女人禁制の鉾があるので注意。
〇消火バケツ

木造建築の多い街京都では、火災がもっとも怖いのだ!
重要文化財などは元より、町家の密集した地域で一度出火したら、延焼は免れない
しかも道幅が狭い為、大型の消防車が入れない路地などが非常に多いのだ。
先ごろの先斗町の火事をTVなどで見て、記憶にある人もいると思うが、ほんまにお隣と密着している建物が殆んどだ
だから自分の家が燃えない様にするのは普段から当たり前、隣に被害を及ばさない為の気遣いが最も重要に考えられている
天明の大火(京都大火)などで、当時の京都市街の8割以上が灰燼に帰した歴史もある

重要文化財などはもちろんの事

街中を歩くと普通の民家の玄関先にバケツがあるのをよく見かける

これらは玄関先の掃除をする為ではなく、あくまでも防火用として置かれているのだ

新しい建物の多い所でも、消火器を良く見かける

先に述べた先斗町では、火を使う飲食店街なのだが、基本的に酔っ払いが多く尚且つ狭いので足元にバケツなど置けない

ロージや図子の一部に消火器が少しある程度だった、これも初期消火の遅れの原因だろう
7月5日の記事を見ると
京都市消防局は消防車約20台を出動させ、消火活動にあたっているが、現場店舗が細い路地に面していることから、消防車が近づけず、消火活動は難航している。消防局は、西に約80メートル離れた木屋町通に消防車を止めるなどして消火活動を続けている。
とあるように、消火活動もままならない事もあるのだ。
観光で歩く道すがら、こんな所に目をやって見るのもいいんじゃないかな?
ただ目的地(観光地)に行くだけでは勿体無い街だと思う、通り過ぎる街中にこそ良い物はいっぱいある!
東男yakumoが、京都において困った事、感じた事、感心した事などを、横浜人目線で書いてみる
始めに断って置くが、京都を卑下する、下に見るなどと戯けた意味合いではない、ただ感じた違いを
京女sanaの監修の元に、ちょっと綴ってみたくなったのだ。
なお、京都市全体では無く、概ね洛中(京都中心地)の限られた地域においての比較である
なんせ洛中以外の外へ、あまり出た事が無いので、紹介しようも無いのである・・・(中途半端ですいません)
〇鐘馗さん (ちっさいおじさん)
日本では、江戸時代末(19世紀)ごろから関東で鍾馗を五月人形にしたり、近畿で魔除けとして鍾馗像を屋根に置く風習が見られるようになった。
京都市内の民家(京町家)など近畿~中部地方では、現在でも大屋根や小屋根の軒先に10~20cm大の瓦製の鍾馗の人形が置いてあるのを見かけることができる、これは、昔京都三条の薬屋が立派な鬼瓦を葺いたところ向かいの家の住人が突如原因不明の病に倒れ、これを薬屋の鬼瓦に跳ね返った悪いものが向かいの家に入ったのが原因と考え、鬼より強い鍾馗を作らせて魔除けに据えたところ住人の病が完治したのが謂れとされる。
先日ぶらタモリでも、ちっさいおじさんと紹介されていたので、見た人も多いだろう。
以前記事にしたので、細かくははぶく

御池通り辺りにある金ぴか鐘馗さん 、神宮道付近の金箔屋さんにもあるようだ

屋根瓦と同じ素材なので、グレー系統がオーソドックスである

本来は受注生産で同じ物は無いのだが、そこは商売!同一品も存在するようだ

近年は型のプレス加工で、同じ物が出回っている
〇辻地蔵(つじじぞう)
辻地蔵とは何も京都限定の物ではないのだが、この地では色濃く残っているのだ
これは道祖神(どうそしん、どうそじん)と関係しているようだ、道祖神は、自然の石や石像・石碑で、いわば道ばたの神様である。
それは、民間の信仰の対象として多く安置されてきた。
この神様と仏教の世界の地蔵菩薩が結びついたために、いたるところに広まっていったのである。
歴史のある京都には古くからの辻地蔵が残っているが、関東など数百年の歴史しか無い土地ではあまり見かけない
横浜では長津田辺りに行けば、残っているらしい。
現在道端で見かけるのは、お地蔵さんのよだれかけに見て取れる、子供の無事な成長を願う物が多く
交通事故の慰霊となる物、とげ抜き地蔵、子安地蔵、子育て地蔵、身代わり地蔵、しばり地蔵、しばられ地蔵、水子地蔵等
かなりの種類があるがまとめて「地蔵菩薩」となる
近畿地方には、京都には、この辻地蔵をお祭りする、地蔵盆なる物がある、期間としては、当日の前日の宵縁日(旧暦7月23日)を中心とした3日間を指す、旧暦7月24日以外の地蔵菩薩の縁日の24日は、地蔵会(じぞうえ)、地蔵祭と呼ばれるが、旧暦7月24日については盂蘭盆(お盆)の時期に近く、それにちなんで地蔵盆と呼ばれるようになった。

これがyakumoが初めて認識した辻地蔵である

何故かほぼ全ての辻地蔵が、施錠されているか、鉄柵で囲まれている

新興のマンションなどが出来ても、地域の住民の理解でほぼ同じ場所に設置されている

大部分の物は、土台が石造りで卍が描かれている。

辻地蔵はそこら中にある、場所によっては1ブロックに数ヶ所設置されている所もある、それだけ地域の人に愛されているのだ
関東の地蔵尊と言えば、通行人には見向きもされないどころか、目を背けられる部分もあるのが現状である
設置場所も移動され、高架下などに集合化されているのを良く見かける。
京都では地域ぐるみで愛されている、朝晩の通過時にもお参りとまでは行かなくても、会釈、目礼などは当たり前の礼儀だそうだ(時間のある人は写真の様にお参りをしている)、良く管理され、汚く汚れたもの等は皆無と言える。
〇粽(ちまき)
一言に「ちまき」と言うと、中華のチマキを想像する人も居るかも知れないが、ここで言う「ちまき」は和菓子に分類される物だ
さらに正確に言えば、その形をとった厄除けのお飾りの事である、もちろん食べられない!

ちまきの由来
昔、須佐之男命(スサノオノミコト)が宿を探していたところ、弟の巨旦将来は、豊かな生活をしていたのにそれを断ったが、蘇民将来という兄は、自らの暮らしが貧しかったにもかかわらず宿を提供し、手厚くもてなした。
それに感動した須佐之男命は、蘇民将来に、「この先、疫病や災いがあっても、お前の子孫であれば守ってやろう。子孫だという目印に、この芽(ちがや)の輪をつけておきなさい」と言った。
「茅で輪を作って、腰につけていれば病気にかからない」との話もある。
それ以降、蘇民将来の一族は、疫病や災難を除け、代々栄えていったとのこと、 この「目印の芽の輪」が、現在のちまきのことで、現代に広く広まっている。
茅(ちがや)という植物を束ねて巻いた物、これが茅巻…ちまき…粽(ちまき)となって行ったそうだ。

これが芽の輪なのだが、なぜか殆んどのちまきに芽の輪は付いていない
![1469613513905_R[1]](http://blog-imgs-96.fc2.com/y/a/k/yakumo1100/20161024201451f5f.jpg)
八坂神社などでも見かけた人は多いだろう、芽の輪くぐり
また、ちまきには、「蘇民将来子孫也」と書かれた紙(お札)を付ける、 私は蘇民将来の子孫だと言う意味である。

ちまきは祇園祭の時に一般に販売される、各山鉾にそれぞれのちまきが用意されているので、山鉾のそばの保存会会場か、
八坂神社で購入できる、ちなみに本来は購入ではなく、「ちまきを受ける」と言うのが正式ななのだ。
時期は山鉾を建て始める頃から山鉾巡航が終わるまでの間となる。
しかし、すべて手造りなので量産が効かない、よって無くなり次第終了となる、人気の鉾ならなおさらだ!
ちまきは基本、一年間で新しい物に交換するのが普通だ、祇園祭の時だから忘れる事もないだろう
一年間玄関で家族を護ってくれたちまきの返納方法(ゴミに出したらあかんよ!)も決まっている
購入した各山鉾に返納するか、八坂神社に納めるのが一般的だが、観光で来た人などはどうするか?
地元の神社でも返納は可能だそうだ(場合により有料)、ただし、お寺ではなく、神社に帰すのが当たり前なのだ。
お寺は仏様、神社は神様を祀っているので、管轄違いと思えば良いだろう

この様に人のくぐる所や門など、人目の付く所に飾る

大き目の神社なら納札所に入れるだけ、無ければ社務所に頼めば多分大丈夫

山鉾の保存会会場でも返納を受け付けている

また、ちまきを買うと鉾に乗る事が出来る(並ぶけど)が、一部女人禁制の鉾があるので注意。
〇消火バケツ

木造建築の多い街京都では、火災がもっとも怖いのだ!
重要文化財などは元より、町家の密集した地域で一度出火したら、延焼は免れない
しかも道幅が狭い為、大型の消防車が入れない路地などが非常に多いのだ。
先ごろの先斗町の火事をTVなどで見て、記憶にある人もいると思うが、ほんまにお隣と密着している建物が殆んどだ
だから自分の家が燃えない様にするのは普段から当たり前、隣に被害を及ばさない為の気遣いが最も重要に考えられている
天明の大火(京都大火)などで、当時の京都市街の8割以上が灰燼に帰した歴史もある

重要文化財などはもちろんの事

街中を歩くと普通の民家の玄関先にバケツがあるのをよく見かける

これらは玄関先の掃除をする為ではなく、あくまでも防火用として置かれているのだ

新しい建物の多い所でも、消火器を良く見かける

先に述べた先斗町では、火を使う飲食店街なのだが、基本的に酔っ払いが多く尚且つ狭いので足元にバケツなど置けない

ロージや図子の一部に消火器が少しある程度だった、これも初期消火の遅れの原因だろう
7月5日の記事を見ると
京都市消防局は消防車約20台を出動させ、消火活動にあたっているが、現場店舗が細い路地に面していることから、消防車が近づけず、消火活動は難航している。消防局は、西に約80メートル離れた木屋町通に消防車を止めるなどして消火活動を続けている。
とあるように、消火活動もままならない事もあるのだ。
観光で歩く道すがら、こんな所に目をやって見るのもいいんじゃないかな?
ただ目的地(観光地)に行くだけでは勿体無い街だと思う、通り過ぎる街中にこそ良い物はいっぱいある!
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