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愛する恐ろしい京都 (街角文化編Ⅱ)

関西圏と関東圏では、当然の事ながら言葉(関西弁、関東弁)も違う、風習も違う
東男yakumoが、京都において困った事、感じた事、感心した事などを、横浜人目線で書いてみる
始めに断って置くが、京都を卑下する、下に見るなどと戯けた意味合いではない、ただ感じた違いを
京女sanaの監修の元に、ちょっと綴ってみたくなったのだ。
なお、京都市全体では無く、概ね洛中(京都中心地)の限られた地域においての比較である
なんせ洛中以外の外へ、あまり出た事が無いので、紹介しようも無いのである・・・(中途半端ですいません)


鐘馗さん (ちっさいおじさん)

日本では、江戸時代末(19世紀)ごろから関東で鍾馗を五月人形にしたり、近畿で魔除けとして鍾馗像を屋根に置く風習が見られるようになった。

京都市内の民家(京町家)など近畿~中部地方では、現在でも大屋根や小屋根の軒先に10~20cm大の瓦製の鍾馗の人形が置いてあるのを見かけることができる、これは、昔京都三条の薬屋が立派な鬼瓦を葺いたところ向かいの家の住人が突如原因不明の病に倒れ、これを薬屋の鬼瓦に跳ね返った悪いものが向かいの家に入ったのが原因と考え、鬼より強い鍾馗を作らせて魔除けに据えたところ住人の病が完治したのが謂れとされる。
先日ぶらタモリでも、ちっさいおじさんと紹介されていたので、見た人も多いだろう。
以前記事にしたので、細かくははぶく
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御池通り辺りにある金ぴか鐘馗さん 、神宮道付近の金箔屋さんにもあるようだ
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屋根瓦と同じ素材なので、グレー系統がオーソドックスである
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本来は受注生産で同じ物は無いのだが、そこは商売!同一品も存在するようだ
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近年は型のプレス加工で、同じ物が出回っている

辻地蔵(つじじぞう)

辻地蔵とは何も京都限定の物ではないのだが、この地では色濃く残っているのだ
これは道祖神(どうそしん、どうそじん)と関係しているようだ、道祖神は、自然の石や石像・石碑で、いわば道ばたの神様である。
それは、民間の信仰の対象として多く安置されてきた。
この神様と仏教の世界の地蔵菩薩が結びついたために、いたるところに広まっていったのである。
歴史のある京都には古くからの辻地蔵が残っているが、関東など数百年の歴史しか無い土地ではあまり見かけない
横浜では長津田辺りに行けば、残っているらしい。

現在道端で見かけるのは、お地蔵さんのよだれかけに見て取れる、子供の無事な成長を願う物が多く
交通事故の慰霊となる物、とげ抜き地蔵、子安地蔵、子育て地蔵、身代わり地蔵、しばり地蔵、しばられ地蔵、水子地蔵等
かなりの種類があるがまとめて「地蔵菩薩」となる

近畿地方には、京都には、この辻地蔵をお祭りする、地蔵盆なる物がある、期間としては、当日の前日の宵縁日(旧暦7月23日)を中心とした3日間を指す、旧暦7月24日以外の地蔵菩薩の縁日の24日は、地蔵会(じぞうえ)、地蔵祭と呼ばれるが、旧暦7月24日については盂蘭盆(お盆)の時期に近く、それにちなんで地蔵盆と呼ばれるようになった。
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これがyakumoが初めて認識した辻地蔵である
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何故かほぼ全ての辻地蔵が、施錠されているか、鉄柵で囲まれている
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新興のマンションなどが出来ても、地域の住民の理解でほぼ同じ場所に設置されている
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大部分の物は、土台が石造りで卍が描かれている。
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辻地蔵はそこら中にある、場所によっては1ブロックに数ヶ所設置されている所もある、それだけ地域の人に愛されているのだ

関東の地蔵尊と言えば、通行人には見向きもされないどころか、目を背けられる部分もあるのが現状である
設置場所も移動され、高架下などに集合化されているのを良く見かける。
京都では地域ぐるみで愛されている、朝晩の通過時にもお参りとまでは行かなくても、会釈、目礼などは当たり前の礼儀だそうだ(時間のある人は写真の様にお参りをしている)、良く管理され、汚く汚れたもの等は皆無と言える。


粽(ちまき)

一言に「ちまき」と言うと、中華のチマキを想像する人も居るかも知れないが、ここで言う「ちまき」は和菓子に分類される物だ
さらに正確に言えば、その形をとった厄除けのお飾りの事である、もちろん食べられない!
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ちまきの由来
昔、須佐之男命(スサノオノミコト)が宿を探していたところ、弟の巨旦将来は、豊かな生活をしていたのにそれを断ったが、蘇民将来という兄は、自らの暮らしが貧しかったにもかかわらず宿を提供し、手厚くもてなした。
それに感動した須佐之男命は、蘇民将来に、「この先、疫病や災いがあっても、お前の子孫であれば守ってやろう。子孫だという目印に、この芽(ちがや)の輪をつけておきなさい」と言った。
「茅で輪を作って、腰につけていれば病気にかからない」との話もある。
それ以降、蘇民将来の一族は、疫病や災難を除け、代々栄えていったとのこと、 この「目印の芽の輪」が、現在のちまきのことで、現代に広く広まっている。
茅(ちがや)という植物を束ねて巻いた物、これが茅巻…ちまき…粽(ちまき)となって行ったそうだ。
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これが芽の輪なのだが、なぜか殆んどのちまきに芽の輪は付いていない
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八坂神社などでも見かけた人は多いだろう、芽の輪くぐり

また、ちまきには、「蘇民将来子孫也」と書かれた紙(お札)を付ける、 私は蘇民将来の子孫だと言う意味である。
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ちまきは祇園祭の時に一般に販売される、各山鉾にそれぞれのちまきが用意されているので、山鉾のそばの保存会会場か、
八坂神社で購入できる、ちなみに本来は購入ではなく、「ちまきを受ける」と言うのが正式ななのだ。

時期は山鉾を建て始める頃から山鉾巡航が終わるまでの間となる。
しかし、すべて手造りなので量産が効かない、よって無くなり次第終了となる、人気の鉾ならなおさらだ!

ちまきは基本、一年間で新しい物に交換するのが普通だ、祇園祭の時だから忘れる事もないだろう
一年間玄関で家族を護ってくれたちまきの返納方法(ゴミに出したらあかんよ!)も決まっている
購入した各山鉾に返納するか、八坂神社に納めるのが一般的だが、観光で来た人などはどうするか?
地元の神社でも返納は可能だそうだ(場合により有料)、ただし、お寺ではなく、神社に帰すのが当たり前なのだ。
お寺は仏様、神社は神様を祀っているので、管轄違いと思えば良いだろう
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この様に人のくぐる所や門など、人目の付く所に飾る
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大き目の神社なら納札所に入れるだけ、無ければ社務所に頼めば多分大丈夫
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山鉾の保存会会場でも返納を受け付けている
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また、ちまきを買うと鉾に乗る事が出来る(並ぶけど)が、一部女人禁制の鉾があるので注意。

消火バケツ

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木造建築の多い街京都では、火災がもっとも怖いのだ!
重要文化財などは元より、町家の密集した地域で一度出火したら、延焼は免れない
しかも道幅が狭い為、大型の消防車が入れない路地などが非常に多いのだ。
先ごろの先斗町の火事をTVなどで見て、記憶にある人もいると思うが、ほんまにお隣と密着している建物が殆んどだ
だから自分の家が燃えない様にするのは普段から当たり前、隣に被害を及ばさない為の気遣いが最も重要に考えられている

天明の大火(京都大火)などで、当時の京都市街の8割以上が灰燼に帰した歴史もある
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重要文化財などはもちろんの事
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街中を歩くと普通の民家の玄関先にバケツがあるのをよく見かける
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これらは玄関先の掃除をする為ではなく、あくまでも防火用として置かれているのだ
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新しい建物の多い所でも、消火器を良く見かける
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先に述べた先斗町では、火を使う飲食店街なのだが、基本的に酔っ払いが多く尚且つ狭いので足元にバケツなど置けない
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ロージや図子の一部に消火器が少しある程度だった、これも初期消火の遅れの原因だろう
7月5日の記事を見ると
京都市消防局は消防車約20台を出動させ、消火活動にあたっているが、現場店舗が細い路地に面していることから、消防車が近づけず、消火活動は難航している。消防局は、西に約80メートル離れた木屋町通に消防車を止めるなどして消火活動を続けている。
とあるように、消火活動もままならない事もあるのだ。

観光で歩く道すがら、こんな所に目をやって見るのもいいんじゃないかな?
ただ目的地(観光地)に行くだけでは勿体無い街だと思う、通り過ぎる街中にこそ良い物はいっぱいある!
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愛する恐ろしい京都 (街角文化編)

関西圏と関東圏では、当然の事ながら言葉(関西弁、関東弁)も違う、風習も違う
東男yakumoが、京都において困った事、感じた事、感心した事などを、横浜人目線で書いてみる
始めに断って置くが、京都を卑下する、下に見るなどと戯けた意味合いではない、ただ感じた違いを
京女sanaの監修の元に、ちょっと綴ってみたくなったのだ。
なお、京都市全体では無く、概ね洛中(京都中心地)の限られた地域においての比較である
なんせ洛中以外の外へ、あまり出た事が無いので、紹介しようも無いのである・・・(中途半端ですいません)


いけず石

まず、「いけず」について軽く触れておくと、関東では直訳すると、「いけず=いじわる」と言われている
本当のいけずの意味とは違うのだが、関東人にいけずの説明をするには、本一冊ぐらいの説明が必要になるだろう
ごく簡単にだけ自分なりの解釈で説明する。

多くの書籍やネット情報を見ると、「いけず=いじわる」の方程式が固定化されている
文面にして、京都以外の人間が読めば、確かにそう読めてしまうのだろう
しかし、関東流のいじわるには、殆んどの場合「悪意がある」(大なり小なりあるだろうが)
信じられないだろうが、京都のいけずには「悪意が何も無い」のだ、
つまり単なる文化の違いによる【誤解】なのだ

関東では、【物事は明確に解りやすく伝える】という教育が染み付いているので、直接的な物言いになるのだが
京都の染み付いた文化はそれとは違う、
直接的なものの言い方は「感じが悪くなる」との認識で、絶対に口に出さないのだ
そこで登場したのが「いけず」である、表面上は蔑まず、貶めるような事は言わないが、
「この言葉から察しろよ」っ的なニュアンスを含ませた言葉を使うのだ

関東の様に、「解りやすく直接否定する」、「間違いを正す」のではなく、
京都のそれは、「言われた人が間違いに気が付いて、考えてくれれば良い」という、
【本人に恥をかかせない様な気使い】でもあるのだ (場の空気を悪くさせないためでもある)

京都人は、兎に角場の空気が重要視される文化なので、
「悪意の無い遠まわしな伝え方」となるのだ
京都人としては「気が付いて」と言っているのだが、
他からは「遠まわしないやみ」に映るのだろう
それがはっきり物を言わない、いじわるな言い方と認識されているようだ

本題に戻ろう

いけず石とは、京都だけではなく、日本全国で見受けられるのだが、「京都=いけず」のイメージで必然的に注目されている
京都の路地は非常に狭いため、車で通るのは難易度が高く、頻繁に車が家の角や壁を擦るなどの事故が生じる、そこで家の角に石を置いて家を守る、自衛手段として普及したのが始まりだ。
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京都人は、兎に角揉め事が好きじゃない、下手くそなドライバーが家や塀にぶつかっても、そのまま逃げらるのは気分が悪いが、その都度ドライバーと揉める事はしたくない、京都人は「触らぬ神に祟りなし」を基本原則として生きている所がある、そこでいけず石を置く事にしてみたのだ。
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ここでポイントとなるのは、あくまで自分の敷地内に置く事は合法であり、それにぶつかって車が壊れても、なんら責任は無い
車の方が勝手に敷地内に入って来たからである、これは古い町屋に多く見受けられる
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しかし最近の住宅事情は敷地いっぱいに建物を建てる為、敷地内にいけず石を置くスペースが無い
したがって道路に直接置く状況が現出しているらしいが、これは完全に非合法で、置いた事が特定出来るなら
道路交通法違反となる(線路の置石と同じ)、諸刃の剣となる物も多い
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いけず石のいやらしさは、別の所にもある、右ハンドルの車で左折しようとした時に、いけず石は殆んどの場合
直近では視認できないのだ、ガリガリと擦って初めて存在に気が付く事になる
地元の住民はそこにあるのを知っているが、「よそさん」は知らない・・・
ぶつかって初めて気付き、「京都人はいけずやなぁ」=意地悪やなぁって事になる
あくまで自衛の策なのだが、ぶつかった方には意地悪にしか取れないのだろう・・・
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いけず石の利用法、雨どいからの雨水噴出を避け、歩行者への配慮としている
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いけず石を探していて、sanaが面白い物を見つけた、〇に私・・・はじめて見た(開けて見たいけど、さすがに出来ひんな~)



京都は歩車道の優先順位が関東と違う

ある時、sanaが「大阪の友達によく京都は運転荒いてか恐いわぁ言われるんやけど」と言っていた

関東では、基本的に交差点では横断歩道を歩く歩行者が最優先されるが、京都では車が優先されている
関東の様に「引けるもんなら引いてみろ!」は通じない、ほんまに引かれるでぇ~
この点も京都の運転は荒いと、大阪の人によく言われる理由の一つなんだろう
実際問題として、限られたメインストリート以外は道幅が狭く、通行人がいなくなるまで悠長に待ってられへん
ってのが実状なのだろう
関東の標準4m道路が、3mだと思ってもいい所が随所にあるのだ、しかたがない
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メインストリートの一つ、三条通り(sana曰く、これでも京都では大通りなんやでっ!)

次に歩道であるが、メインストリートにはかなり広い歩道を設けている、
がっ!しかしっ!!
ここも歩行者にとって安全ではない、
なぜなら、かなりの場所で自転車レーンが併設されているからだ
関東人のyakumoは普通に歩道を歩いているつもりだったが、sanaに「引かれるでぇ~」と声をかけられて振り向くと
自転車が避けもせずに突っ込んで来た、チリンチリン鳴らしながら・・・・
歩道の半分を自転車ゾーンが占めていて、更にその他の部分も普通に走行しているのだ、結構こわい!
これがまた通勤時間帯になると、暴走自転車軍団が大挙して走行するため、歩行者は自転車に轢かれないよう肩身狭く歩道の隅っこを歩くそうだ
特に街中撮り歩きをしているyakumoは、自転車にとってかなり弩迷惑な障害物だったであろう
以来街中では自転車にビビりながら撮り歩きをしている(結局こりてないのだが、勉強はした)


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平地の多い京都市内は自転車の普及率が異常に高い!正に自転車王国である
最近では外国人観光客まで自転車乗ってるし、しかも集団で、
へたな公共機関より、自転車の方が早い場合もあるし、なにより買ってしまえば後はタダやし!



〇犬矢来(いぬやらい)、駒寄せ

京町家(きょうまちや)とは、京都に建てられた町屋である、職住一体型の住居形式で、建築様式としては町家造りと呼ばれる
ここでは関東では見かけない物が見受けられる、それは犬矢来(いぬやらい)、駒寄せなどと言われている

語源は「犬を追い払う」ということを「犬をやらう」と言い、その言葉に漢字を当てて「犬矢来」となったとされている
町屋の特徴、犬矢来は、生活に根差した実用性も高く、泥棒除けや道路との境界線の役目も果たしていると共に
雨が降った時に、地面からの雨水の跳ね返りが家の板塀に当たるのを防ぐ役割もある
端から痛む事を前提としているので、取り外しが容易で低コスト、曲げやすく加工し易い平割竹が一般的に使われている
平割竹に手打ちの釘である皆折釘が規則正しく列になり、シンプルなデザ インを作り出し町屋の風情を引き立てている

江戸時代中期から作られているようで、京都以外では、川越、近江八幡、 倉敷、尾道、津和野、松山、高知などにも現存している
しかし、いずれも旧家の老朽化、道路の拡張などで失われつつあるそうだ。
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移動可能で、エアコンの室外機のカバーとして使ってる場合もある
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金属製の物も近年は増えており、犬矢来としてだけではなく垣根の柵や装飾としても用いられている
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しかし京都のお店や町屋には、不思議としっくりと来る、正に京都らしいと言えるものだろう

似た様な物に駒寄せがある、「駒(馬)を寄せる」=“駒寄せ”馬が家の塀を蹴ったりするのを防ぐとある
荷物を運んだ牛馬をつなぎ止めるためのものが装飾化したものだそうだ
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手前の低い柵状のものがそうである
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タイプはいろいろあるようだ
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他にも丸太に竹棒を二本か三本ざっくりと縄で結んだだけの「つばどめ」などもある


虫籠窓(むしこまど)

明治期までの町家の2階部分に使われた標準的な窓で、開け閉めをする為ではなく通風や採光の為の窓である
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基本的に縦の格子状になっている
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中が見えず目隠しに丁度いい
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半分しか写ってないが、代表的な虫籠窓である


ばったり床几(しょうぎ)

折りたたみ式のベンチでばったん床几ともいう、玄関先でくつろぐ為にあったのだろうが、現在は交通事情もあり
道に面した椅子を広げられる事も無く、減少の一途を辿っているようだ
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内側の足を前に出してベンチになる構造
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殆んどが玄関先にちょこんと付いているが、格納状態である
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改築後にも新しく採用しているお店もあるようだ


格子

京町家に特徴的な格子、接道部に用いられる、光を採り入れ、中からは外が見えるが外からは中が見えにくいのが利点
紅殻格子とも呼ばれるものが多く、紅殻(べんがら)と呼ばれる酸化第二鉄(赤サビ)を主成分とした粉末にエゴマ油などを混ぜて塗られている防腐、防虫効果があるものだ
格子の形は構造、形態、商売(職業)などによって異なってくるようだ (図で説明しているサイト
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横の壁には格子は無く、道路側のみが格子となる
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玄関も新興住宅以外は殆んどがこの様な格子を取り入れている

代表的な4つの格子を紹介しておく

糸屋格子
採光に適した格子構造をしており格子上部が切り取られている、色ものを扱う糸屋・呉服屋などの繊維関係のお店に用いられていた、切子の数(縦の一マスの本数)は職業の必要採光にあわせて、織屋は4本切子、糸・紐屋は3本切子、呉服屋は2本切子となっている。
京都には数多くの呉服店が残っているため、このタイプの格子を数多く見ることができる

仕舞屋格子(しもたやごうし)
商いを行っていない町家につけられた出格子で、1本1本の竪子が細く薄い形状で、できている。

酒屋・米屋格子
重い酒樽や米俵がぶつかっても壊れないように太い格子で頑丈に作られている。

炭屋格子
炭や薪を扱うため、燃えた炭が飛んでいくのを防ぐための作りになっています。近隣住民への配慮としてつけられるようになったため、格子のすき間を狭くなっている。
京都文化博物館の新館に行くと、「ろーじてんぽ」があり、ここの店舗は様々な格子が各店に展示されていて、実際に比較することができるので、機会があればどうぞ


愛する恐ろしい京都(京都人の性格編その1)

関西圏と関東圏では、当然の事ながら言葉(関西弁、関東弁)も違う、風習も違う
東男yakumoが、京都において困った事、感じた事、感心した事などを、横浜人目線で書いてみる
始めに断って置くが、京都を卑下する、下に見るなどと戯けた意味合いではない、ただ感じた違いを
京女sanaの監修の元に、ちょっと綴ってみたくなったのだ。
なお、京都市全体では無く、概ね洛中(京都中心地)の限られた地域においての比較である
なんせ洛中以外の外へ、あまり出た事が無いので、紹介しようも無いのである・・・(中途半端ですいません)

あくまで東男yakumoが京都に通い詰め、実際に感じた部分を摘み取って紹介して行く(関東人目線で)
京都の人から見たら、ちょっとニュアンスが???みたいな部分もあるかも知れない
年単位で自分の足で歩き回って感じた事なので、2~3日京都を訪問して京都を知った気になる様な
京都人が聞いたら「そないな程度で、京都を語らんといて~」なんて怒られそうな人とは違う、大分マシな紹介だと思う
まだまだ読み取れず、理解し切れない部分があるが、時間をかけて勉強していきたい
「その1」とはそんな意味だ、も少し理解が深まったら「その2」を書けるだろう。





関東人yakumoは一人だと、お店で良い思いは中々出来ない

京都の老舗等のお店に関東人が訪れた際に、勘が鋭い人なら気付くであろうが、妙な疎外感を感じるだろう
大抵の老舗は「お馴染みさんだけでやっていけるから・・・」と思っている
だがそこは商売である、一見さんでも、来た客はそれなりに、感じ良くにこやかに対応をしてくれる
がっ!しかしっ!!
観察力のある人なら、他に居る地元京都人のお客さんとの応対の差に気付く事が出来るだろう
観光客には「お店の人から何か冷たい対応をされた」的な印象を持つ人も多いはずだ、
それは正解なのである
関東人が普通に思っている「お客は金払っているんだから上に見られて当然だ!」的な思考が京都では嫌いな人が多い
もちろん全部の関東人がそんな人ばかりではないのだが、自分は客なんだから偉そうに横柄に振る舞って良い、という観光客は事実、多いのだ・・・

特に、一流のお店になると、お馴染みさん以外の人の直接の来店はもちろん、予約さえも中々通らない
そんな場合も京都人はもちろん、直接的に断るのではない、
「予約がいっぱいです。」とか、「今日は材料を使い切ってしまいました。」など、やんわりと遠まわしにお断りさせてもらう事がある
しかし、yakumoが電話で予約の取れなかった日付けに、京都弁のsanaが予約の訪問をすると、すんなり予約が取れたりする。
ここでポイントとなるのが、お店に失礼のない様に自らが訪問し挨拶をさせて貰うという姿勢が必要なのである
前記の様に、「食べに行ってやるんだから」みたいな、「客なんだから」って感じの態度は一切取ってはいけない
お店にとってそれは大変に失礼に映る行為なのだ、
つまり、「客が上でお店は下という上下関係ありき」みたいな関東風は通じない。
京都人の仲介などがあって、初めてお伺いが出来るほどの狭き門が、老舗やちゃんとしたお店には多いのだ
もちろん観光客目当てのお店も数多く存在するので、そちらなら普通に行けるだろう
京都の観光地には、そのようないわゆる「外資系」(京都資本ではない店)が多く、接客も関東風で観光客からの評判も良い

関東人は基本的に「よそさん」と京都人に認識されている、それは外国人に対するそれと同等である
余談だが、洛中の人から見ると洛外の人は、同じ様に「よそさん」の扱いをされるらしい、
ただし!!
これらは全て、表面上には読み取りにくい表現でなされる、
それゆえ我々「よそさん」は誰もその「差別?!区別?!」気付くことはない
ここが、京都人の恐ろしい一面である、おーこわっ。
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飲食店にかぎらず、老舗ではその格式を尊重し、失礼の無い気遣いを心がけよう(老舗以外ならOKなわけじゃないよ)





京都人の中華思想

基本的に城の内(平安京範囲内)以外は京都では無い
これが洛中に住む人の常識である
もちろん近年はこの考えも若干は薄れて来ていると思うが、実は根強く残っている
今の若い京都洛中人には、そのような考えはないと思われているようであるが
実は、若い洛中人にも、このような考えは根強く残っているのが本当の実像である
彼ら若い洛中人もDNAに逆らえず、心の中で思っていることなど絶対に「よそさん」には"本音"を吐かない
中国で言うところの「選民(せんみん)意識」、選ばれし民であると言う意識が根底にある
元々は中国の文化人(地位のある知識人)が、中国王朝が滅びるたびに粛清を逃れて日本に亡命し、そこで広まったのが京文化の始まりとも言えるのだ

前回の記事でも触れているが、洛中(平安京内)と洛外(平安京外)との意識差はここから来ている
たとえばこんな話がある、sanaの会社内で休み時間での会話で、洛中に住む5~6人と北山に住むBの会話
上司Aが、「まだまだ暑い日が続くな~」って言ったところ、
北山に住む部下Bが、「いや~朝晩は大分涼しくなりましたよ。」って返した
このBの発言に対して、洛中に居住している上司Aから、すかさず「さすが北山やな~」と返された
一見、普通の会話に思えるが、それは違う、ここが京都人のそこはかとなく恐いところである
この本当の意味は、「京都の気候を北山の人が(北山ふぜいが)代表して言うんやなぁ・・・」って意味を含んでいる
そこには洛中の人にとって、「北山は京都では無い」と言う認識がまざまざと伺える、おーこわっ。
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洛西にある世界遺産「天竜寺」、京都市右京区の嵯峨にある
洛中人からは、ここもまた「京都では無い」と言われてしまうのだ、可愛そうな「世界遺産」天竜寺





京都人は貸し借りを作らない

これはあくまで、他人に迷惑をかけない為だ、
自分が人に何かをした事により、相手の人が「お礼やお返しをしなければ!」と考えないで済むように、との考えである
新潟方面のように「家は家、他人は他人」という割り切った考え方ではなく、あくまで気遣いなのである。
たとえば、家の前の「打ち水」は、絶対に自分の家の前のみで、隣の範囲内には撒くことはしない
隣の人が家の前を撒いてくれたから、うちもお返しに撒いてあげなくてはならないと、思わせない様にする為だ
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洛中にある京都の町屋には、必ず中庭がある、
その中庭を見る事が出来るのは、招かれた人だけである
うなぎの寝床の様な、間口が狭く奥行が長~い家が多いので、採光の為に必ず儲けられているそうだ



この記事を書いて、sanaに監修を頼んだら、「これ、ほとんど京都の悪口ですやん」て言われた、
恐る恐る「この記事公開してもいい?」ってきいたら、「まぁええんちゃう?」って・・・
「ええんちゃう」って・・・・・?!それって「良くない」ってことだよね?!
だかしかし!ここでひるんで記事を公開しなければ東男がすたる!!
でも、このまま公開した後のsanaの反応が怖くてドキドキしているyakumoであった、おーこわっ。

≪追記≫
ここまで色々と、京都人の恐るべき実態を書いてしまったが、
実際には、yakumoは京都のお店で嫌な思いをした事は無い、京女sanaと常に一緒だからである
予約も全てsanaにお願いしてやってもらっている、その方がスムーズでお店にも迷惑がかからないからだ
京都人sanaがあっての気持ちの良いフレンドリーとも言える対応を受ける事が出来ているが
一人であったらば、前出のように事実上の門前払いを受けているのであろう、感謝しなければ。

京都人の基本姿勢は「下から下から」である、これは慣れない関東人にとってとても気持ちが良く
まるで優位に立っている(好意的に扱われている)と勘違いしてしまいがちであるが
「京都人の言葉を額面どおりに受け取らんといて~」とよく言われる
yakumoの京都人との交流経験からすると、「京都人から褒められたときは要注意!」である
そういう時は、だいたい褒められてはいない、
京都人の言葉の本当の意味を察する事は、関東人には難しく、解りにくい
京都は場の(人の)空気を察する事でなりたっている、解らないで調子に乗ると大変な目に合う
京都人が低姿勢で接してくれていても、場の空気には気を使おう

面白い本を紹介する
「京都ぎらい」 井上章一 朝日新書 
「イケズの構造」 入江敦彦 新潮文庫

読んでみると、なるほどなと納得できるだろう

愛する恐ろしい京都 (地理編)

関西圏と関東圏では、当然の事ながら言葉(関西弁、関東弁)も違う、風習も違う
東男yakumoが、京都において困った事、感じた事、感心した事などを、横浜人目線で書いてみる
始めに断って置くが、京都を卑下する、下に見るなどと戯けた意味合いではない、ただ感じた違いを
京女sanaの監修の元に、ちょっと綴ってみたくなったのだ。
なお、京都市全体では無く、概ね洛中(京都中心地)の限られた地域においての比較である
なんせ洛中以外の外へ、あまり出た事が無いので、紹介しようも無いのである・・・(中途半端ですいません)


方向感覚の違い


まずは地理的な事になるが、京都は四角い碁盤目の中に街がある(ほぼ坂道すらない)
対して横浜は山間の狭い隙間にびっしりと建物が並ぶ関係で、100メートル直線があったら珍しい
(この直線とは坂道やゆるいカーブは除外、あくまで100メートル先まで見通せると言う定義です)
3Dダンジョンを想像して貰いたい、yakumoにとって京都の街は、リアル3Dダンジョンだった

完全な碁盤目ではなく、不規則な大きさのブロックに泣かされた、角を2回曲がると位置を見失う
横浜だと目印の高層ビル(ランドマーク等)などで、位置確認出切るが、京都市は条例で高層建築物が無い
京都駅付近だったらロウソク(京都タワー)が目印になるが、そこから上がって(北上して)しまうと何も無い
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京都タワーより高い建築物は多分無い
京女のsanaは、ダンジョンの如くの街中を「なんでこんな簡単な道が解らんのや?」ってスタスタ行ってしまう
撮影中にはぐれる事度々・・・
どうやらsanaは頭の中で現在地のマッピングが出来ていて、迷う事が無いらしい
逆に神戸や横浜の港町に行くと、道が曲がっていて解らなくなると言っていた
生活環境において、地理感覚が違うようだ


東西南北の違い


横浜では普通に東西南北で方向をあまり表さない、横浜を起点にしたら国道何号線を川崎方面に~とか
横須賀方面に~って感じで説明する、後は〇〇交差点を右折って感じに補足する
これは道が曲がりくねっている為、東西南北に真っ直ぐ進めないからだ
しかし京都の城の内(中心地)は違う、1200年前の平安京の時代から碁盤の目状に道路が出来ているのだ

京都では関東の常識ではかなり困る住所の書き方をしてある、ここに東西南北の違いがある
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注目は【下る(さがる)】の部分、南って意味だ、番地が無いのが普通だ(ある所もある)
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【上がる(あがる)】だとこんな感じ、多分最新型の表示板だろう
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【室町通二条下る】の部分は、「縦の通り[室町通]」+「横の通り[二条(通)]」+「方角[下る]」という構成になっている。
大体は、「当該建物と直接面している通り」か「縦の通り」を先に記し、その後に「縦の通りと交差し、当該建物に近い方の横の通り」を記すというのが基本的な法則となっているようだ。
そしてその下に、縦の通りと横の通りが交差している地点から見て、当該建物が北側にあれば「上る(あがる)」、南側にあれば「下る(さがる)」、東側なら「東入る(ひがしいる)」、西側なら「西入る(にしいる)」と続くわけである
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これはレアな町の境界にある表示板、上がる(あがる)下がる(さがる)の表示が面白い
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東入ル(ひがしいる)
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西入ル(にしいる)いろんなプレートがあって面白い
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下る(さがる)、昭和風のブリキの仁丹看板が、マニアに喜ばれそうだ
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割りとレアな表記板を見かけた、仏光寺通を烏丸通りから東に入って路地を南下するって意味だ
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烏丸通りに面していて一条通りに北上して路地を西に入った所って意味だ、位置関係によって太い道、近い道の優先順位が変わって来る、これを一目で見分けられたら京都に住めるで

横浜では何町何番何号まで電柱などにも表記してある、京都ではこの住所に宛名を書けば郵便物は届くらしい
京都では非常に住民の移動が少なく、長く定住している人が殆んどで結果的に新しい人も、新たに入居する隙が無いから入って来れない
そんな状況だから成立する、京都においてのみ流通している住所表記の特徴である

ここで関東の東西南北との違いを書いて見ると
北=上る(あがる)・・・のぼるではない(例、上り線)
南=下る(さがる)・・・くだると読んだら「さがるや!」てsanaに怒られた
東=東入る(ひがしいる)
西=西入る(にしいる)・・・るを書かない場合もあり、また、カタカナ(ル)での表記も多い

京都は碁盤の目になっているので、こんな言い方がされている、御所(天皇)に向かって南北の通りを北に向かう「上る(あがる)」、御所から南北の通りを南に遠ざかる事を「下る(さがる)」といった所からきています。
「東入る(ひがしいる)」は東へ行く、「西入る(にしいる)」は西に行くそのまんまの意味
これは全て御所を中心に考えられた意味であるが、最近では御所と関係なく、市内では北=「上る」、南=「下る」といった意味で使われているようだ。
また、当時と違い現在は御所より北まで街が広がっていて御所より北側にある街でも、北へ行く事を「上る」、南は「下る」と言う。

上がる下がるについては諸説あり、一つの有力説は地理的事情によるものだ、「北に山、南に湖沼」といった風水に基づく立地条件を満たす場所として、平安京造営に選ばれたと言われている京都盆地であるが、愛宕山、岩倉山など北部に山が連なり、南には当時巨椋池があった(埋められた)この土地は、南側が低地で北に向かって緩やかな傾斜で高くなっている、この高低差から北側は上る、南側は下ると表現されたという。
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街中の掲示板にも、住所が表記されている、町名が少しわかりやすい(町内掲示板やし)

余談ではあるが、カーナビの場合は「上がる、下がる、西入る、東入る」では、ほとんど認識されない
観光客向けのレンタカーには予め観光候補地がカーナビに登録されているから迷う事はないだろう
安心して京都に来て欲しい


京都は主要な通りに全て名前がある


横浜では国道、県道、市道以外は殆んど名前が周知される事は無い、しかし京都は違う
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こんな風に、覚えやすくする為の歌もある (sanaの部屋で以前紹介した歌
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正に碁盤の目のような・・・
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このパネルは観光客向けに横になっているので、本来の地理的には御所が上、京都駅が下な感じになる
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これを普通に全部覚えているらしい、ちなみにこれは縦方向の通りのみ、当然横方向の名前も存在する


以外に慣れると解りやすい交差点名


横浜だと〇〇町交差点とか、駅などの公共物名を使った交差点名が多く見られる
京都では上記で説明した縦の通り(南北)の名前と、横の通り(東西)の名前を合わせた名前となっている
表記法方は縦(南北)の道が先に来る方が多いが、四条通だけはメインストーリートのせいか、横(東西)の道の四条が前に表記される
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堀川通りが"縦(南北)"で、御池通りが"横(東西)"の通りである、交差点名は「堀川御池」交差点となる
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七本松通りが"縦(南北)"方向、御池通りが"横(東西)"方向で「七本松御池」交差点となる、こんな感じになるのは碁盤の目ならではだろう
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もう一つ例を挙げると烏丸通りが"縦(南北)"方向、丸太町通りが"横(東西)"方向、
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この場合は「烏丸丸太町」交差点となる
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例外的な交差点、「四条烏丸」交差点
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本当にこの四条だけが先に来る
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ちなみに交差点そばのバス停も同じ様な書き方になる、ちゃんと四条烏丸の場合は四条が先に書いてある
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確認の為に四条烏丸バス停も新たに撮ってきた

ある程度通りの名前を覚えて来ると、結構有効なポイント表示だと思えてくるのだが
最初の内は縦の道と横の道が解らないので、交差点名を見てもかなり難しかったと言うか、解らないのが現実だった

しかしすべてがそうなのではなく、四条通と東大路通の交差点は「祇園」、西大路通と丸太町通の交差点は「円町」、今出川通と東大路通の交差点は「百万遍」と呼称している、これは都市計画による新たな街路が敷設された場合に、交差点名として伝統的な地名を採用したものが多いのだそうだ


右京区、左京区が逆配置?


京都市の地図を見てみると、左京区が右側、右京区が左側という逆の位置関係になっている。
中国の古典に「天子、南面す」という言葉がある、君主は北を背に南に向かって君臨し、政務を司るしきたりがあったのだ。
長安など古代中国の王城都市はこれに従い、都の北部中央に王が鎮座する宮城が位置し、そこから南に向かって区画が広がる造りとなっていた。

中国の都に倣って築かれた平安京ももちろん同様であり、北端中央の宮城から南に向かって都を見渡した天皇の視点を基準に、中央の朱雀大路より左手は左京、右手は右京と呼ばれるようになった。
なお、現在は朱雀大路は完全に失われて都市整備されている、僅かに地名や学校名等に痕跡が見られるだけである
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (中央の道が朱雀大路)

歴史雑談録様の記事内に平安京と現代地図との見やすい比較図があるので、参考にさせて頂きます

歴史マニアともなればですね、例えば、京都での待ち合わせなんかは、以下のような感じの日常会話になることでしょう。

「明日の合コン、大内裏は南、美福門で待ち合わせな。」
「二条城の中やんけ、アホか。店、押小路沿いやろ? 皇嘉門あたりがええて。」
「刑部省らへん? うち、二条四坊やから近いわぁ」

という風に、「京都は平安京におます」という前提で見るのが、歴士・歴女の雅なマナーでございますねぇ。
(以上、歴史雑談録様の記事内より)


上図を見ると、一般の観光客が喜んで「京都らしい」と思っている清水寺、祇園、知恩院、南禅寺、平安神宮、銀閣寺方面は
京都の外側に位置している
古来から京都に住んでいる人からすると「そこは京都ではない」と認識されている場所である
次の機会に説明するが、京都では平安京の枠内(城の内)が、本来の京都であると認識されている所があるのだ
古来より、一般の観光客が喜んで「京都らしい」と思っているその地域は、刑場や死体捨て場、風俗関連の地域であり、あまり好ましい場所では無かったようだ
以前にも紹介した「蹴上」などは、南禅寺、インクラインなどの観光のメッカとなっているが、元々の由来は
泣き叫ぶ罪人を、蹴り上げながら刑場に歩かせる道から来ているのだ。おーこわっ。


膨大な数の町名がある京都


横浜では普通、例として横浜市中区桜木町〇丁目の次に〇番地〇号と続くのだが、京都には〇丁目に当たる物が無い
桜木町は1~7丁目から成り、1~3丁目は中区、4~7丁目は西区に属するややこしい所だが7つに町が分かれている
京都の場合はこの7つに個別の名前(町名)が付いている、だから町名が膨大な数になってしまっているのだ

また、同一の町名が同一区内のあちこちにあるので困ってしまう
たとえば中京区内に「亀屋町」は5ヶ所あり、さらには下京区にも2ヶ所、上京区にも4ヶ所ある。
このような同一町名は中京区内だけでも32ヶ所もある、他には中京区に八百屋町が2ヶ所、油屋町が3ヶ所、そして先に上げた亀屋町が5ヶ所もある。
また、上京区には亀屋町が4ヶ所、東町が3ヶ所といった具合である、これらは一つの町の飛び地ではなく、関係のないまったく別の町である。
ただし、同じ町名でもそれぞれ郵便番号が異なるため、7桁の郵便番号を記載すれば、街路名がなくとも郵便物は配達される。

余談だが近年、街路名を用いた住所表記では、インターネットの地図サイトやカーナビゲーションで検索できないという理由で、街路名を含まない町名と番地だけで住所表記する事例も増えている