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陸軍新井崎砲台、海軍監視所(探照灯格納庫)、装甲巡洋艦春日の副砲

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伊根地区の新井の棚田にやって来た、この背面に新井崎砲台があった
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遺構のある場所は、個人(村?)の敷地内が多いので、配慮が必要だ
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コンクリート製の便所と言われる遺構
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確かに大側と思われる方に、肥え出しの様な穴が開いている
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道を挟んで反対側にある木造の砲具庫
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裏側から見ると木造なのが解る
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屋根は大分修理しているようだが、良く木造が残っているものだ
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砲具庫の奥にはコンクリートの井戸がある
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井戸の詳細は不明だが、この井戸の蓋の重し
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陸の一文字
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裏には防三〇
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砲具庫の後ろに油庫がある
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シンプルな造りで横に窓は無い
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背面にも窓も換気口も無い
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この二つの建物の奥にあるコンクリート
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中は空洞で正方形と思われる
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恐らく道路脇にあった天水桶を、車の通行の為に移動させたのだろう
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砲具庫の後ろの農道を右に曲がり山の方向に
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途中で道は立ち消え荒れた状態になる。この辺の岩質は一見崩れたコンクリートに見える
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風化したコンクリートに酷似するがあまりにもそこら中にあるので自然の岩なのだろう
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戻って途中の枝道を海側の小さな丘に向かうと道がある
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砲座か観測所か判らないが、円形の窪地がある(後に観測所は別に発見)
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大きな円形窪地もあるので、何らかの遺構だろう。配置図では4つの砲座の端っこ辺りだ。
この地には21cmカノン砲4門が据えられたが、道路工事により砲座部分は削られたらしい
蚊に追われながら山を降りたので、周辺に複数ある境界石を探すのを忘れてしまった。

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海岸側にある新井崎神社
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階段を降りると左側に新井崎神社
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右手の枝道に行く
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目的はあそこ
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戻るのがかったるい階段付きの坂を下って行く
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明らかに岩ではないコンクリートが目に入る
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戦跡の説明があるのもこんな場所では珍しい
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埋まって入るが、人が入るのに十分な高さがある
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コンクリートはこの部分だけ、扉の形跡も判らない
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電気の配電盤でも付いていたのだろうか?
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海の景色を見てみる
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神社の下ののり面補強の手前に
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異質なコンクリートがある、発電機室にしては場所がヤバい
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道路に戻ると、釣り人が車を停める駐車スペースがある
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その付近にコンクリートの塊がある
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入りやすそうな所から藪に入ってみる
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少し行くと平坦地になり、起伏が見える
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明らかに塹壕もしくは簡易便所のような人工の掘り込み
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あちこちにあるが、何だろう
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明らかなコンクリート基礎が現れた
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海軍の見張所があった場所だ、兵舎だろうか
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壁の様な部分もある
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あちこちに飛び散っている様なので、爆破されているのかも知れない
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少し神社側に移動すると壁の様なものが見えて来た
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1m程の建物の基礎の様だ、この上半分に木造の建物があったのだろう
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入口らしき部分は二ヶ所あった
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とりあえず登って見る、正面は陸側の入り口、左は神社側の入り口
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壁の上はアンカーは無いが、構造物の跡はある
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まさかこれが窓で、1mほど埋まっているのか?
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壁の厚みはかなりある様だ、窓の部分も何かを挟むような形をしている
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マツダの碍子を拾った、250Vって・・・
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もう少し先まで行って見る
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また基礎がある
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中の床もコンクリートなようだ
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薄っすらと残る道を辿って車道に戻る
この二件に関しては、BESANの歴史探訪様を参考にさせてもらった、自分の見ていない物もあるのでご参考に!

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ついでに天橋立に寄って来た
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ここの中ほどにある天橋立神社
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ここには装甲巡洋艦春日の副砲が奉納されている
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これほどペンキの厚塗りや腐食、破損の無い砲は非常に珍しい
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海軍機関学校、海軍兵学校舞鶴分校(海上自衛隊舞鶴地方総監部)

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意外と知られていないが、毎週土曜、日曜及び祝日 (※業務の都合により中止となることがあります。) 見学時間 10:00~15:00の間なら、予約もいらずに当日受付で海軍記念館と第4術科学校の資料館は見学可能である。
また、非常に限定的だが北吸係留所(予約不要)、第23航空隊、舞鶴地方総監部会議所(東郷邸)も見学可能
予約等の詳細はH.Pにて要確認。
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この正門は当時からの物であり、東郷平八郎元帥もここを通ったのだろう
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左側の門柱
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当時の写真
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昭和19年10月には海軍兵学校に併合され舞鶴分校となった
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全て本物とは思えないが、砲弾型の囲いがグラウンドを囲っている
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顕彰之碑
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錨マーク
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海軍機関学校、海軍兵学校舞鶴分校碑
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海軍記念館(海軍機関学校大講堂)
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平成8年に第一庁舎と共に改装工事されている
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木製だが当然現代もの
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時鐘
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長門の船台に乗った模型
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東郷平八郎像と旭日旗
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資料室に入る
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六分儀
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当時の軍橋に付けられていた物だろう、よく金属ドロに盗られなかったもんだ
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最近はスマホ読み込みの説明が増えたもんだ
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舞鶴ゆかりの艦船なのだろう
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三笠のフォーク
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羅針儀
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講堂
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各種模型
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基本形状は当時のままなのだろう
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短剣
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飛行帽
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海軍機関学校表札
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ロー50
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海軍記念館を出る
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海軍機関学校庁舎
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平成の改修で、かなり綺麗になっている
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機関学校生徒館(第4術科学校庁舎)
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色は変わっているが、当時の庇
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一階の廊下
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二階への階段
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欲しくなる絨毯マット
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見学出来るのは、この資料室のみ
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日本刀
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海軍はカレーと肉じゃがやね!
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缶飯がこの頃からあったとは
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餅の素、サトウのご飯の元祖だ
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士官用ティーカップ
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一時間ほどで両方回れるが、駐車場が無いので赤レンガの駐車場等から歩く必要がある

舞鶴赤レンガ倉庫(海軍軍需部倉庫)

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以前にもやっているので、やらなくてもいい部分だが、せっかく行ったので2023年版として挙げておく
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舞鶴海軍軍需部第三水雷庫(赤レンガ5号棟赤れんがイベントホール)DSC01611_R_20230812232707049.jpg
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さりげなく耐震補強が入って保存状態は良い
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舞鶴海軍兵器廠予備艦兵器庫(赤レンガ2号棟舞鶴市政記念館)砲銃庫
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内部は博物館になっている
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文献的なものが多く、興味が無ければつまらないだろう
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屋根の構造を見ている方が面白い
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一階はカフェとなり
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海軍カレーが食える
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舞鶴海軍兵器廠弾丸庫並小銃庫(赤レンガ3号棟まいづる智恵蔵)
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基本的にはお土産屋さんで賑わっている
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大半は艦これとカレーだな
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右側の建物、舞鶴海軍兵器廠予備艦兵器庫(赤レンガ4号棟赤れんが工房)砲銃庫
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内部はイベントホール
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階段は当時の物の様だ
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二階はギャラリーのようだった
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この棟には刻印煉瓦が見る事が出来る
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正面は5号棟
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5号棟のみ焼き過ぎ煉瓦の黒いラインが入る
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5号棟は大型で、片側に2つずつの入り口を持つ
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右の舞鶴海軍軍需部第二水雷庫と左の舞鶴海軍軍需部第一需品庫(海上自衛隊舞鶴補給所NO.17倉庫)
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赤レンガロードの左側は、海上自衛隊の敷地内となる
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右側に並ぶ三棟の倉庫は、改修を受けずにいる当時のままに近い、貴重な建物となる
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通気口のある土台の上に石材を挟んだ変わった造りの壁面
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軍隊時代の後に民間企業で使用された頃の窓や扉の変更と思われる
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反対側から観る
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舞鶴海軍軍需部第一水雷庫
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舞鶴海軍軍需部電気庫
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倉庫の中には当時の引き込み線の軌道等もそのまま残っているようなので、見てみたいものだ
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護衛艦しらねの主錨
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まともな写真を撮るのを忘れた舞鶴海軍兵器廠魚形水雷庫(赤レンガ1号棟舞鶴私立赤れんが博物館)
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各種煉瓦に関する資料展示
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砲台に使用された煉瓦のジオラマ等
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道路沿いに三棟並ぶ海自施設、左から舞鶴海軍軍需部第三被服庫、舞鶴海軍衣料被服庫、同
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左の1棟は大正10年建築、左2棟は明治34年と建築時期が違う

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夜にもう一度見に行った
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深夜の誰もいないレンガ倉庫は美しい

舞鶴 吉坂堡塁砲台(付属堡塁)再訪 その2

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第二砲座に移動する、この砲座の方が若干荒れている
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横墻に即応弾薬置き場が作られていないので、弾薬庫サイドに増設してあるのだろう
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何故か胸墻にしか即応弾薬置き場を設けていない
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丘の傾斜を削っただけと言う、実に簡易な砲座
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砲座前盾を上から見る
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人が入ると砲座の小ささが判る
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砲座の隣には建物の基礎がある、兵舎だろう
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ボルトが残り、木造建築物が有ったのだろう事を窺わせる
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玄関部分だろうか?
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角の部分以外の石垣は、かなり崩れてしまっていた
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排水溝と土管の一部
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兵舎脇から軍道が下って行く
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排水溝も切られ、しっかりした道だ
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かなりの部分は土砂で埋まってしまっている
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公的調査をした部分だけが掘り起こされている
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カーブ辺りは妙に広くなっている、埋まってしまっていたが何か調査した跡がある
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排水溝の接合部が掘り出されている、公的図面にはかなり詳しい位置情報が載っているのだろう
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ぐるっと回って左上側が砲座になる
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軍道を外れ、尾根道を行ってみる
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途中、道は消えかかるが乗り越える
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穴がある
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ほとんど埋まっていて入れなかった
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元道に戻ると、空母氏がどっから出て来た?みたいな顔でこっちを見ている
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排水溝の遺構を見ていたようだ
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外周路をぐるっと周って来た
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元の井戸の所に戻ってきた
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木の育成によると思われる崩壊部分
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全く鉄筋の入っていないコンクリート壁、割れるわなこれは
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良く見ると階段がある
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回り階段のようだ
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みんな一回りして集まりだした
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総軍さんがまだ見ているので、も少し周りを見る
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かまど、羽釜を乗せるような形になっている
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ここの煉瓦も線一本の刻印
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このスロープに沿った施設の高さも面白いもんだ
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門柱の脇には針金が生えている、境界柵に直接伸ばしていたのだろうか?
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門から少し離れた排水施設
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さて、下山を始める
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名残惜しそうに物色している男はおいて行く
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帰りはちゃんと、正規ルートから降りる
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付属堡塁のすぐそばに鉄塔が立っているので、これを目指してくれば大概到着できる
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いくつか分岐が有るので確認しながら降りて行く(入山ルートと違うコースに向かう)
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これを下れば目的地だ
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これで探索らしい探索は終了する
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杉森神社に降りてきた
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ここには移設されて来た標柱が二本有る
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1本は日清日露時代の凱旋記念
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もう一本はSMIZ舞鶴要塞第一地帯票
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名残惜しそうにしている男を置き去りにして撤収する
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ここで奈良から参戦のO氏と別れ、関東勢も帰路に着く
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しかし、途中の原発マネーで建てた公民館にある物を空母氏が見つける
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なんとタイムリーな!しかし公民館なのに閉まっていた
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ガラス越しに覗き込んだ
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あの机に置いてある資料が欲しい!裏には付属堡塁の図面もあるかも知れない。しかしどっしょもない
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みな何とかして写真に収めようと努力するが、諦めて撤収する
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空母氏は静岡へ向けて爆走して行く、この後生きている彼を見た者は誰も居ない、いやマジで!

舞鶴 吉坂堡塁砲台(付属堡塁)再訪 その1

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本堡塁砲台からの下山コースに付属堡塁はある
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昔の軍道の残る部分は、当時の石垣が残っている
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陸界29の標石が軍道沿いにある
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続いて陸界28の標石
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少し脇に外れたコース(元の軍道)に陸界27の標石があった
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自分はここから単独で直上コースをたどる
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途中で当時の化粧瓶を見つける、遺構は近いようだ
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唐突に着いてしまった、5分ほど登っただけだった
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メンバーが登って来るまで10分ほど周りを見ながらスマホで遊んで待つ
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付属堡塁の門柱
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メンバー達が正規ルートで登って来たので砲台内部に侵攻する
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門を入ると、そこは炊事場になっていた
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苔むした煉瓦のカマド
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その背面にある変った施設(坂に沿って大きさが変るのが面白い)
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一見、弾薬庫や掩蔽部に見える
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スロープに入ると、排水溝?
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手前の小さい部分はろ過水槽になっていた
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三層式になっている
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一番手前はかなり深い、落ちたら登れない事確実
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中央の水槽は、砂利で濾すのだろう
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奥の砂利は、若干小さめなのが下に敷かれているように見える
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隣の部屋は、井戸になっていた。左側に蓋が外されている
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二分割になっていて。穴の部分にポンプが差し込んであったようだ
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飲みたくは無いが、水はまだある
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最奥の部屋
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煉瓦造りの掩蔽部
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入り口意外の破損も無く、綺麗な状態だ
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壁面に残るフック
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天井の吊り下げフック
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通気孔
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入り口上部にも通気孔
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掩蔽部の扉は、総じて金属扉だったのだろうか?全ての小窓、扉が兆番と鍵部分まで破壊して持ち出されている
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当時は転落防止の柵があったのだろう、全て支柱ごと抜き出されている
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すぐ隣にある砲座
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地面の溝は排水溝ではなく、近代調査による元の地表面を掘り起こしたもの
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即応弾薬置き場
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砲座の胸墻
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横墻の上に登ってみる
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先の掩蔽部の通気孔
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砲座間にある横墻だが、初めて見る形だ
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こんな部分に即応弾薬置き場を造るとは?
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更に階段を下がった所にもう一つ
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一番深い所にメインの入り口がある
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弾薬庫(砲具庫とも言われる)
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電気配線の穴だろう
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覗き窓の上に繋がる
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内部は丸い
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右側も同じ様に即応弾薬置き場が並ぶ