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佐世保海軍工廠造兵部 川棚魚雷遠距離発射場(片島魚雷発射試験場跡)その3

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この先に探信儀領収試験場がある
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当時のコンクリート道路らしいが、ちょっとだけ崩落している
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破壊ではなく、波による浸食のようだ
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渡るには支障は無い
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新観測所などとも言うらしいが、探信儀(いわゆるソナー)の性能テストをする場所だ
地上の振動を拾わないために、あえて桟橋を繋げずに木製の橋を渡していたのだろう
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こちら側の橋の端部
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さすがにどうしょも無いので諦める
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ここから船なら上陸出来そうだ
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順路に戻る
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山道に入る
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左手に第二油庫
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冷却水槽
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第二魚雷調整場
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案内板の無い分岐があり、右が観測所だが、何か見えるのであえて左に行く
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かなり大きなコンクリート遺構だ
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破壊されて、水の無くなった貯水槽(人の背丈ほど)
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今は少し溜まってる
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そのまま真っすぐ降りて行くと
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鉱滓煉瓦のトンネルが現れた
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手作りな看板
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行けそうか?
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ダメっぽい
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閉鎖されたキャンプ場にあるコンクリートの壁
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なんだろう、単なる土留めか?
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分岐点に戻って来た
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道が川の様だ
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10分ほど登った
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雨に煙りながら、観測所が見えて来た
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あと少しで道が消えた、よほど誰も来ないのだろう
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がさ藪を突っ切ると、真下に出た
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入り口は何処だ?
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見上げると、かなり崩れていそうだ
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入り口が見えた、反対側か
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庇が分厚い
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屋上への階段があったようだ
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内部へ入る
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二階への階段は無くなっている
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天井に開く穴
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何故か梯子がある
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二階のテラスには、渡し板が張られているが信用出来ない
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2階の床は、見事なぐらい無くなっている
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板は踏み抜いても自己責任
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これでは何も観測できない
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観測所を出る
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順路を下るとコンクリート台座があった
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鳥居がある
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片島神社、魚雷の試射成功や安全を祈願したらしい
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第二魚雷調整場に戻って来た
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今度は晴れている時に来たいものだ
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長崎の宿に向かう
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佐世保海軍工廠造兵部 川棚魚雷遠距離発射場(片島魚雷発射試験場跡)その2

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空気圧縮ポンプ場
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1階は石造り、2階は煉瓦造りとなっている
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木造の屋根が無くなっているので、緑が繁殖している
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機械の無い、通路部分はタイル貼りになっている
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廃墟マニア受けするのも頷ける
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外側と違って内側の造りは雑で、モルタルを塗ってごまかしている
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二階は無く、吹き抜けになっている
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部屋の後半は、タイルが無くなっている
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大型機械の搬出された穴は、池になっている
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振り返ると魚雷発射場が見える
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何の台座だったのだろう
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屋根の梁を組む為のホゾが切られている
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ここでは酸素魚雷の酸素を作っていた等の不確定な噂はある
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どんな作業をしていたのだろうな・・・
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一番大きな機械台座
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75年で、こんなに屋内に木が茂るんだな
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水と太陽はたっぷりあるし
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観光用か、1ヵ所だけ格子が渡されている
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奥の1/3は、別室になる
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後半の部屋
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破壊の痕跡は少ないようだ
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水槽?
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扉は横開きにレールが付いていたようだ
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こっちの部屋にはタイルは無い
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前室との境の壁
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破壊が少ない分、基礎がしっかり残っている



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裏側に出た
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巨大なプールがある
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山側に3つの調整水槽か?
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冷却水槽跡
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上にも何かある
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裏側にもコンクリート遺構はたくさんある
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山側は緑に埋もれているが、第二魚雷調整場
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その前にある貯水槽
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天蓋でも付いていたのだろうか
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それほど深い物では無さそうだ
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第二魚雷調整場
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その他小規模遺構はたくさんある
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空気圧縮ポンプ室手前
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第一魚雷調整場
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海岸前の基礎も無い場所
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立札だけが建っている
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油庫に向かう
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第一油庫基礎
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油庫と冷却水槽の間には排水溝がある
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便所
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第二油庫は現存している
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入り口は山側だ
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斜面との間を回り込む
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天井は無い
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後から乗せた、竹が三本乗っている
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海側窓の飾り
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目の前の第一油庫は、一部埋没している様だが、形状はまるで違うようだ。

佐世保海軍工廠造兵部 川棚魚雷遠距離発射場(片島魚雷発射試験場跡)その1

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片島公園に豪雨の中、到着した
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駐車場には、すでに何らかの遺構が見えている
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煉瓦の兵舎や倉庫の跡だろう
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貯水槽もある
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ここは、1918年(大正7年)に開設された魚雷発射試験場跡をはじめ、海軍工廠、魚雷艇訓練所など太平洋戦争当時、旧海軍の重要な軍事施設 がありました。魚雷発射試験場では、佐世保海軍工廠や三菱長崎兵器製作所で製造された魚雷の発射試験が行われた。すぐそばにある大きな建物(本部)の中で、魚雷の最終検査や調整などをしていたのではないかと言われています。また、当時魚雷発射の状況を記録・確認するための観測所跡も残っており、ここで合格となった魚雷のみ、船で佐世保鎮守府に送られていたそうです。
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観測所も10分程度で登れる
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有名な5連アーチの突堤が見えて来た
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空気圧縮ポンプ室跡
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その手前のコンクリート基礎は第一魚雷調整場跡
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数mは石垣が組まれている
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コンクリートの内部は非常に雑で、今なら許可が下りないレベル
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魚雷運搬軌条、中央がレールかと思ったら
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左右に2本あり、ポイントで切り替えていたようだ
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突端部分、ここで軌条は90度曲がる
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右側のカッターボンド、比較的良く残っている、角が面取りしてある
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端部のクレーン台座
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ここから先の崩壊は激しく、カッターボンドも削られている
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ここで魚雷はクレーンで海面に降ろされる
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これは呉のクレーンだが、同等の物があったのだろう
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水門の跡がある、波の影響が無い様に発射前は閉じていたのだろう
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魚雷発射場の左側の塔、外部に屋上までの梯子の痕跡がある
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右側にあっただろう塔は崩壊している、この間が魚雷降し口になる
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右塔横の窓から見る左塔のガレキ
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足元にはコンクリート加工された、ロープのスリットだろうか
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左塔のこの部分に、右塔との共有の屋根の庇跡がある
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二階部分には右塔への出入口もある
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ガレキの量からも、右塔は水門管理程度の平屋だったのだろう
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右塔の窓
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右塔の外縁部には、建物の痕跡が無い、塔すら無くて、壁のみだった可能性が強い
そもそもこの幅1m程度の所に塔を建てるのは無理だ。
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ここから1階部分が結合していたのだろう
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左塔の中に入る
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正面の丸窓を見ると
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新観測所と言われる探信儀領収試験場
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空気圧縮ポンプ室が見える
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ボロボロの桟橋部、なんでこんなにブロック化しているのだろう?一面ベタ基礎で平く塗れなかったのか?
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上を見上げると、2F3F共にゆかは抜けている
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この右上の面から梯子状の上り下りをしていたのだろう、階段は痕跡が無い
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興味深い建物だった
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護岸に残る階段、当時は少し浜があったらしい
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護岸の穴は空気圧縮ポンプ室からの排水溝か?


佐世保 無窮洞 川棚魚雷艇訓練所跡(特攻殉国の碑)

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針尾送信所で、無窮洞を勧められたから行ってみる事にした
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無窮洞(むきゅうどう)とは、第二次世界大戦のさなか(1943年)、当時の宮村国民学校の教師と小学生たちが掘った巨大な防空壕のことです。中は幅約5m、奥行き約20m、生徒500人が避難できたというほどの大きさ。避難中でも授業や生活ができるように、教壇まで備えた教室をはじめ、トイレや炊事場、食料倉庫、さらには天皇の写真を奉ずる御真影部屋まで設けてあり、戦時下の時代背景を知ることが出来ます。 当時4年生以上の児童がツルハシで堀り進み、女子生徒がノミで仕上げたといわれ、工事は昭和18年8月~終戦の昭和20年8月15日まで続けられたそうです。(ウイキペディア)
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せっかく到着したのだが、コロナの影響か閉まっている(HP上は年末年始のみ休業)
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小学生の勤労像
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後ろの名前は校長が書いたらしい
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右にも小さく開口しているが、これは壕の前を道路に合わせて埋め立てたせいだろう
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金網越しに撮影、落書厳禁とある
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拾い物の内部図
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敢闘門から覗き込む
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教室となる主洞
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授業用の教壇がある
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水飲場がうかがえるが、見えるのはこの程度だった


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長崎県東彼杵郡川棚町新谷郷にある、特攻殉国の碑を見に行った
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海上自衛隊による建立(川棚魚雷艇訓練所跡)
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悪化する太平洋戦争の戦局を挽回するため魚雷艇の訓練所として1944年横須賀から移転開設されましたが、その年の9月頃より、特攻艇(震洋)要員の養成を始め、回天(魚雷)、伏龍(機雷)、蛟竜(小型潜水艇)などの要員養成にも力を入れていました。そして、この地で全国から志願した数万人の若者が日々訓練を受け、出陣し、3511名が死亡。ここにある特攻殉国の碑は、その殉国者全員の氏名が刻銘されています。
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碑文
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特攻殉国の碑資料館
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ここは事前予約で無いと、内部を観れない。TEL0956-82-4411
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資料館前の防波堤に向かう
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この公園の前辺り
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海上30mほどの所に遺構がある
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これは資材や震洋艇の上げ下ろしに使われたクレーンの基礎台座だそうだ。

佐世保無線電信所(針尾送信所)

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国道202号を外れてしばらく行くと、巨大な3本の柱が見えてくる
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300mの正三角形で造られた136mの高さのコンクリートの柱
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意外とあちこちに案内板があるので、初めてでも迷わない
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無料駐車場に車を停める(目の前は2号塔)
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右奥の建物がボランティアのいる案内所
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まずは手前にある油庫
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左側
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右側、扉がずいぶん高い位置にある
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外から見ると、こんな位置、この裏側にトロッコ軌条があった
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動力の無い手押しトロッコだったらしい
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夏の今は、まったく分からないが、段差の下に平坦地が続いているのは解る
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案内所だが、門衛所の複製らしい
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この基礎の石垣はオリジナルらしい
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門衛所の下の道が当時のメイン道路
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門柱が1対残っている
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曲がったヒンジ
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個人なら事前予約はいらず、無料で見学できる
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ここから先は様々な建物の基礎が残る
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兵舎はL字型に増築されている
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全体の写真
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兵舎基礎
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井戸とトロッコの一部
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階段、入り口は裏面にあったようだ
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水槽だろうか?
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兵舎の背面に穴がある
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綺麗なコンクリート造りだが、用具庫か?説明は無い
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脇の通路を上がる
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コンクリート通路の右側が本来の通路のようだ
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3号無線塔に向かう
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ウインチと中心基部
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何かの構成部品だろうか
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見上げるとすごい高さを感じる
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空中線のワイヤーを引っ張るウエイト
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入り口前のスロープ、調査のために切断されたのだろう


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東屋の様な物がある
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らしく見えないが。れっきとした遺構だった
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こんな形状の見張り所は、初めて見る
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机の様な物が取り付けられている
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ここから鳴門の渦を見るらしい
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一旦戻る
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海保の現行の針尾送信所の裏手に電信室がある
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手前にある階段
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背面の貯水槽に登る為だろう(フェンスで入れない)
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電信室は勝手に開けて入る
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左側の半地下室入り口
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個人見学では入れない
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当時の写真とは別物に見える
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実は屋根に載っていた対爆の盛り土を下に降ろしたら1階部分が埋まってしまった(この地上は二階にあたる)、土をどかして屋根をコンクリート補強したらしい。
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このアーチ部分が半地下部分の窓、戦時中のせいかかなり適当に見える
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送信機電源室
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ドーム状の部屋
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左右に別室があるようだ
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屋根はコンクリートで後に対弾補強されたが、元は煉瓦のようだ
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近い内に屋根の修復工事に現在の屋根は撤去されるらしい、本来の姿は今の内である。