fc2ブログ

愛知県護国神社

DSC07959_R_20230804210152098.jpg
名古屋城から歩いてすぐの所にある愛知県護国神社
DSC07951_R_20230804210145465.jpg
警察、消防の殉職碑
DSC07952_R_20230804210149072.jpg
アジサイの垣根に隠れている石柱
DSC07953_R_20230804210149285.jpg
副碑
DSC07955_R_20230804210152327.jpg
近衛歩兵二連隊献木
DSC07961_R_20230804211909fb1.jpg
境内の一角に、昭和の森があり、慰霊碑の類が集められている
DSC07962_R_202308042119123a3.jpg
赤誠護神国
DSC07963_R_202308042119135d3.jpg
海軍系もある
DSC07968_R_202308042119166b2.jpg
DSC07969_R_20230804211916bfc.jpg
海軍パラオ会中部支部
DSC07970_R_20230804220629f21.jpg
戦艦大和記念碑
DSC07975_R_20230804220639a81.jpg
46cm主砲弾は目を引く
DSC07972_R_2023080422063215b.jpg
DSC07971_R_2023080422063336c.jpg
DSC07976_R_202308042206382f7.jpg
DSC07973_R_20230804220635c86.jpg
DSC07974_R_2023080422063951f.jpg
DSC07978_R_20230804220642485.jpg
大和関連が纏められている
DSC07965_R_20230804211916163.jpg
戦車第二師団防空隊
DSC07981_R_20230805191055193.jpg
DSC07983_R_202308051910586ef.jpg
DSC07984_R_202308051910582fd.jpg
海軍飛行予備学生 飛行科士官慰霊碑
DSC07985_R_20230805191102bb6.jpg
コインと比べて、小ささが判るだろうか
DSC07989_R_20230805191102c5f.jpg
やまぶきの碑(山砲兵第三八連隊)
DSC07991_R_20230805191106e35.jpg
殉職勇士影忠碑
DSC07993_R_202308051911067b2.jpg
DSC07986_R_20230805191102ec7.jpg
DSC07994_R_20230805192450765.jpg
DSC07997_R_20230805192452535.jpg
DSC08004_R_202308051924561dc.jpg
DSC07998_R_20230805192456c27.jpg
DSC08005_R_20230805192456fed.jpg
DSC08007_R_202308051925003d3.jpg
DSC08006_R_202308051925006c5.jpg
DSC08010_R_20230805193309b54.jpg
DSC08011_R_20230805193312699.jpg
DSC08012_R_20230805193312dd6.jpg
DSC08014_R_20230805193316f35.jpg
DSC08015_R_202308051933167ed.jpg
DSC08016_R_20230805193316bed.jpg
欲しかったが、がっちり固定されていた
DSC08019_R_20230805193317425.jpg
DSC08021_R_20230805193321655.jpg
DSC08022_R_20230805193757c41.jpg
石柱が二本並んでいる
DSC08023_R_20230805193800b2e.jpg
見慣れた陸軍境界柱
DSC08025_R_20230805193800abd.jpg
はじめて見る標柱だ
DSC08034_R_202308051938040d9.jpg
DSC08037_R_20230805193804e71.jpg
DSC08038_R_202308051938048c2.jpg
DSC08041_R_20230805193807fb3.jpg
DSC08039_R_20230805193808726.jpg
DSC08043_R_2023080519423996f.jpg
DSC08044_R_20230805194242551.jpg
DSC08045_R_20230805194243160.jpg
守り神
DSC08049_R_20230805194247a70.jpg
DSC08047_R_20230805194247b9a.jpg
DSC08050_R_202308051942471ba.jpg
DSC08052_R_2023080519425048d.jpg
DSC08054_R_20230805194250685.jpg
DSC08057_R_2023080519425304f.jpg
DSC08058_R_202308051942539c3.jpg
一通り回って見たが見落としもあるだろう、さすがに多すぎた
スポンサーサイト



日進変電所防空壕 名古屋市内の遺構

IMG_2688_R.jpg
愛知県日進市にある中部電力脇にある防空壕を見に来た
IMG_2690_R.jpg
説明板も付いている
IMG_2691_R.jpg
上に貯水池が造られた為、築堤で後ろ側が埋められてしまった
IMG_2692_R.jpg
元々はH型で、四方から出入り出来るようになっていた
IMG_2694_R.jpg
民間なせいか、珍しい構造の防空壕だ
IMG_2699_R.jpg
入る事は出来ないので、カメラだけ突っ込む
IMG_2696_R.jpg
入口は埋まっているので高さは判らないがかなり低い
IMG_2698_R.jpg
内部は水没しており、進めないが、かなり狭い分耐久力はありそうだ
IMG_2715_R.jpg
名古屋駅付近までとのさんに送ってもらい、ここで一人となる
IMG_2711_R.jpg
名古屋名物ナナちゃん
20230505_210756_R.jpg
適当に飯を食って安いホテルに一泊する
DSC07790_R_20230730213926558.jpg
翌日は歩いて行ける程度の街中戦跡訪問と、個人的趣味の歴史的建造物を見て回る
DSC07787_R_20230730213925c9a.jpg
四街道町並み保存地区をゆっくり見て回る
DSC07802_R_20230730213930f9f.jpg
屋根の上に張り出すお社
DSC07804_R_20230730213929f6f.jpg
名古屋独得の屋根神様、一度見て見たかった
DSC07824_R_2023073021393401b.jpg
昭和13年竣工の五条橋
DSC07819_R_20230730213930e2b.jpg
写真左側の銭湯に来る、練兵所に入った息子の姿を見る為に、この橋に来る親が居たそうだ
DSC07823_R_202307302156082c5.jpg
今はこんな風景になっている
DSC07820_R_2023073021393443c.jpg
橋脚の一部が煉瓦なのがいい。写真を見る限り銭湯は橋の横、川の上に浮いた形であったように見えるが?
DSC07836_R_20230730220943f72.jpg
札幌に似た中央通公園を抜けて行く
DSC07843_R_20230730220946120.jpg
この橋から内側の三の丸、二の丸が陸軍所轄地の中心となる
DSC07847_R_20230730220946243.jpg
空堀を越えると第三師団、練兵場、その他軍関係施設、政府機関が建てられていた区域に入る
DSC07849_R_20230730220949a85.jpg
橋を越えた土塁の中に垣間見えるコンクリートに遺構の匂いがする
DSC07853_R_20230730220949d12.jpg
DSC07854_R_202307302209512cd.jpg
愛知県庁舎
DSC07856_R_20230730220954598.jpg
DSC07857_R_2023073022095332a.jpg
名古屋市庁舎
DSC07861_R_20230730230121f8a.jpg
庁舎の外縁に、騎兵第三連隊跡の碑がある
DSC07863_R_20230730230124c33.jpg
碑文は非常に読みにくい、これが精いっぱいだった
DSC07897_R_20230730230124b7a.jpg
城内に入る
DSC07944_R_20230730230128bb1.jpg
平和の礎
DSC07946_R_2023073023012809f.jpg
平和の笛
DSC07948_R_2023073023013293e.jpg
陸軍野砲兵第三連隊碑
DSC07949_R_20230730230132140.jpg
碑文
DSC08061_R_20230731232447a2b.jpg
DSC08064_R_20230731232449b31.jpg
愛知・名古屋 戦争に関する資料館
DSC08066_R_20230731232450106.jpg
珍しい造りの建物だ
DSC08067_R_20230731232452edd.jpg
昭和初期の建物だ
DSC08069_R_2023073123245349a.jpg
DSC08070_R_20230731232454a4e.jpg
DSC08072_R_20230731235322068.jpg
DSC08073_R_202307312353228ef.jpg
DSC08071_R_202307312353184b2.jpg
250kg爆弾
DSC08074_R_202308022253262e0.jpg
DSC08075_R_202308022253302f1.jpg
焼夷弾
DSC08077_R_20230802225330be3.jpg
恩賜のたばこ
DSC08079_R_2023080222533494e.jpg
灯火官製
DSC08078_R_20230802225334a5c.jpg
火箸
DSC08082_R_20230802225334c7c.jpg
防毒マスク
DSC08083_R_202308022253374f0.jpg
防衛食DSC08084_R_20230802225337fd3.jpg
タバコの空箱 マーキュロ液
DSC08088_R_20230802225341509.jpg
国民服
DSC08089_R_202308022253412f4.jpg
高射砲第一連隊
DSC08106_R_202308022253464e7.jpg
DSC08105_R_20230802225344f54.jpg
DSC08090_R_20230802225344d9e.jpg
名古屋陸軍造兵廠本部
DSC08091_R_202308022253442e9.jpg
合金インゴット

そこそこの展示物はあったが、意外と狭いワンフロア的な所が惜しい

豊橋海軍航空隊 海軍橋 城下速射砲トーチカ

9da22b90fcff5001d4099c96c0f14a8a_R.jpg
豊橋海軍航空基地は、日本で唯一の海上に浮かぶ航空基地だった、海軍橋一本で陸地と繋がっていた
show_R.jpg
現在は埋め立てられ、陸地と一体になって豊橋工業団地となっている
DSC07348_R_20230717222259d92.jpg
しかし、海軍橋の一部と護岸は残っている
DSC07336_R_20230717222248f2e.jpg
大崎街道に架る橋で、交差点名も海軍橋のままだ
DSC07337_R_20230717222251b71.jpg
運河に架るここから橋が始まるが、ベイブリッジウエイにより埋められてしまっている
DSC07339_R_20230717222251ef5.jpg
海に向かって右側のみ当時の欄干が残っている(左側は拡幅工事の為消失)
DSC07340_R_20230717222252b6f.jpg
アスファルトを塗る時に、若干盛り土されている感じだ
DSC07342_R_20230717222256d74.jpg
当時はランプでも付いていたのだろうか
DSC07343_R_20230717222255f75.jpg
取り付け金具及び配線の跡がある
DSC07344_R_20230717222259045.jpg
橋の外側の陸地部分には、謎の円形コンクリートが幾つかある
DSC07350_R_20230718211449e36.jpg
歩道橋に登り上から眺める
DSC07354_R_20230718211452193.jpg
1:4の比率の海軍橋(陸地側)
DSC07357_R_20230718211456485.jpg
海側を見る、この道の突き当り迄当時は橋だったが埋め立てられている
DSC07351_R_2023071821145222a.jpg
陸側の護岸、当時からここは護岸だったはず
DSC07362_R_2023071821145654b.jpg
海軍橋の反対側、拡幅されているので全く別物
DSC07364_R_202307182129403fc.jpg
大崎街道を真っすぐ豊橋工業団地に進む(元の橋の部分)
DSC07365_R_20230718212943948.jpg
トピー工業周辺の護岸は当時の石組みのままだそうだ
DSC07367_R_202307182129430c6.jpg
護岸に沿って、当時の橋柵柱が並んでいる
DSC07368_R_20230718212946f42.jpg
この道路がそのまんま橋だった
DSC07374_R_20230718212947ffe.jpg
当然歩道側にも同様に橋柵柱が並んでいるが、かなり破壊され、移動されている
DSC07369_R_20230718212946221.jpg
誰も戦跡だとは思わないんだろうな
DSC07375_R_20230718212948b0b.jpg
とりあえず拡幅工事でもされなければ、このまま残るだろう
DSC07376_R_20230718212952d8c.jpg
トラックが突っ込んだりしませんように
DSC07378_R_20230718212951b75.jpg
潮風を浴びながら撤収する

DSC07391_R_20230718220602ddc.jpg
豊橋市城下にあるトーチカを見に行く
DSC07379_R_20230718220555ed5.jpg
このトーチカは、半分民家の庭に入っているので、見学は道路側のみになる
DSC07380_R_20230718220558469.jpg
道路が1mほど下がったのだろう、トーチカが浮いている状態だ
DSC07381_R_202307182205587ef.jpg
その内コンクリートの重みに負けて落ちるかも知れない
DSC07382_R_20230718220602097.jpg
道路にはみ出した部分を破壊しようとした痕跡
DSC07383_R_20230718220602705.jpg
場所がら、私道だったら公共も破壊してくれないだろう
DSC07386_R_20230718222125214.jpg
トーチカの背面部は派手に壊されている
DSC07390_R_202307182221283c1.jpg
外からカメラだけ突っ込んでみる、砲口部や砲床部は綺麗に残っている
DSC07389_R_202307182221285d0.jpg
砲室内はガラクタだらけ
DSC07392_R_20230718222131964.jpg
これだけ観れれば満足なので、撤収する

豊橋海軍航空隊老津送信所

DSC07250_R_20230714204507865.jpg
空母氏と別れ、豊橋海軍航空隊の遺構を見て行く
DSC07251_R_20230714210520e6c.jpg
住宅地の中にあり、入り口も整備されている
DSC07252_R_20230714204511eca.jpg
竹林に入るとすぐに遺構が見える
DSC07253_R_202307142045155fa.jpg
地主さん手製の案内板がある
DSC07254_R_2023071420451505f.jpg
穴に入りたいが、とりあえず案内板に沿って外部から見て行く、日没が迫っているせいもある
DSC07256_R_20230714204515146.jpg
横に回るとむき出しのコンクリート掩体に登る梯子が用意されていた
DSC07257_R_20230714204518dda.jpg
掩体側面には、意図的だろう縦横の溝が掘られている
DSC07258_R_2023071420451870d.jpg
被せた土が滑り落ち難くする為の工夫だろうか?
DSC07259_R_20230714213026c4d.jpg
上に登ると予想以上に長い遺構だと解る
DSC07261_R_20230714213030dc2.jpg
通風口と思われる四角い穴が開いている
DSC07266_R_202307142130300e4.jpg
中程にも丸いデカい穴がある、人も出入り出来そうだ
DSC07267_R_20230714213032b68.jpg
途中で内部の部屋が大きくなるのか、段差がある部分がある、先端は埋まって判らなかった
DSC07268_R_2023071421303492c.jpg
引き返す、天井部分は穴だらけなので、注意が必要だ
DSC07273_R_202307142130377be.jpg
いよいよ入り口から入る
DSC07272_R_20230714213034fc0.jpg
定期的に見学会も催しているようだ
DSC07276_R_20230714214548e33.jpg
手前の部屋はディーゼル発電機の発電所だ
DSC07275_R_20230714214545f5c.jpg
入り口付近の壁に
DSC07281_R_2023071421455200a.jpg
デッカイ高圧碍子が多数残っている
DSC07277_R_20230714214548a5d.jpg
壁面側には排水溝らしい溝がコンクリートで模られている
DSC07278_R_20230714214548fcc.jpg
天井の継ぎ目は割と雑
DSC07279_R_2023071421455209d.jpg
壁には配線を這わせたケーブルの跡が残る
DSC07288_R_20230715235130acf.jpg
発電機の土台
DSC07289_R_20230715235130edd.jpg
なんか乗ってる
DSC07286_R_202307152351266bf.jpg
冷却水系の水路?
DSC07292_R_202307152351303a4.jpg
取りつけアンカーボルトの太さ
DSC07295_R_20230715235133c3d.jpg
他にもコンクリート製基礎がある
DSC07300_R_202307152351337c8.jpg
入口方向、入り口と言っても、無理やり穴を空けて中に入ったような高さだ
DSC07301_R_202307162104274f4.jpg
足元には標準サイズの碍子も落ちている
DSC07303_R_20230716210431739.jpg
隣の部屋に行く、大きく3つの部屋に分かれているようだ
DSC07305_R_202307162104312d3.jpg
右側の正規の入り口から、大量の土砂が入り込んでいる
DSC07309_R_20230716210432274.jpg
とのさんが出ようとするが、全く隙間が無いらしい
DSC07310_R_20230716210436d93.jpg
発電機室側の壁は、つるっとしていて何も無い
DSC07306_R_2023071621211479d.jpg
奥の部屋、送信室
DSC07307_R_2023071621211653b.jpg
天井の通気口から大量の土砂が落ちて来ている
DSC07311_R_20230716212117fcf.jpg
こちらの隔壁には多数の穴が開いている、恐らく電路だろうが、なぜ発電機室側には無いのだろう?
DSC07313_R_202307162121195d9.jpg
反対側から照らしてみると、確かに貫通している
DSC07315_R_20230716214205ceb.jpg
最初に上から見た通気口
DSC07319_R_20230716214208fbf.jpg
一応貫通
DSC07323_R_2023071621421239b.jpg
もう一つは埋めてあるのか?
DSC07321_R_20230716214208b82.jpg
ここに通信機がずらりと並んでいたのだろうか、発電機の音がメッチャうるさそう
DSC07326_R_20230716214212f4e.jpg
以外に壁面に機械の取り付け跡が何も無かった
DSC07327_R_20230716214212c13.jpg
さて、戻ろう
DSC07328_R_20230716214214d18.jpg
隔壁部分に扉を取り付けていた跡だろうか
DSC07329_R_202307162142153c0.jpg
発電機室に戻って来た
DSC07331_R_2023071623001640a.jpg
う~ん不気味だ
DSC07333_R_20230716230018026.jpg
自販機に何故かあった自衛隊ドリンクを買い占めて撤収する

旧陸軍第一技術研究所 伊良湖試験場 福江観測所

DSC07169_R_202307092102151b8.jpg
空母氏の案内で、とある高校の裏山の道に入り、左の公園側に進む
DSC07170_R_202307092102206bc.jpg
林の中に四角いコンクリートが見える
DSC07172_R_202307092102200bc.jpg
材質的には微妙で、キメが綺麗な気がする
DSC07174_R_202307092102200af.jpg
よじ登ってみると、近代的な蓋が付いていた
DSC07175_R_20230709210224029.jpg
来た道を引き返し、逆方向の道に進み林に入る
DSC07176_R_20230709210224a24.jpg
すぐにそれらしい煉瓦が見えて来る
DSC07178_R_20230709211908c04.jpg
途中、陸軍と掘られた境界柱を見付ける
DSC07182_R_20230709211911cd7.jpg
見え難いが九の番号が掘られている
DSC07183_R_20230709211911b65.jpg
気になったのはこの境界方向、向きが建物に符合しない。あるいは建物の方が後の増設なのかも知れない
DSC07185_R_202307092128371ae.jpg
建物に向かう
DSC07187_R_20230709212840eb5.jpg
もう一つ、陸とだけ掘られた境界柱
DSC07186_R_20230709212837462.jpg
モルタルを塗った構造で、明らかに時期の新しいものだ
DSC07189_R_202307092128401b0.jpg
施設群の中心を示す十字の基準杭
DSC07184_R_20230709212833095.jpg
写真では全く分からないが、蛸壺状の窪みがある
DSC07190_R_20230709214153e5f.jpg
福江観測所到着
DSC07192_R_202307092141571af.jpg
入り口側に回る、煉瓦だろう階段にモルタルを塗った造り
DSC07193_R_20230709214157614.jpg
入口上のアーチが非常に珍しい煉瓦形状をしている
DSC07195_R_20230709214158290.jpg
観測所内部
DSC07201_R_20230709214201f0d.jpg
左側の壁には上部展望所に繋がる二つの穴が在る
DSC07196_R_20230709214201425.jpg
上部との連絡用兼、明かり取りとなるのだろう
DSC07198_R_20230709215345f89.jpg
観測窓から見える風景は、ただの密林になっていた
DSC07200_R_2023070921534996a.jpg
入口方向を見る
DSC07203_R_2023070921534988d.jpg
落書き
DSC07205_R_20230711221757aef.jpg
外部の屋根部分
DSC07204_R_20230711221753d1a.jpg
庇の部分も凝っている
DSC07206_R_20230711221757afb.jpg
外から見た室内の壁側窓
DSC07208_R_2023071122180025b.jpg
逆側から見る
DSC07210_R_202307112218003fa.jpg
展望所に登る
DSC07211_R_2023071122294121a.jpg
刻印煉瓦が一つだけあった
DSC07213_R_20230711222945276.jpg
コンクリート屋根には、継ぎ目部分にヒビが入っていた
DSC07214_R_2023071122294463b.jpg
展望所全景
DSC07216_R_202307112229489fd.jpg
測距器か双眼鏡でも据えていたのか、コンクリート支柱が二つある
DSC07218_R_2023071122294895e.jpg
金属片が巻かれている不思議
DSC07217_R_20230711224045c77.jpg
二つ目は折れている
DSC07219_R_2023071122294849c.jpg
下階の観測室からの窓
DSC07220_R_202307112229500cb.jpg
机でも付けていたのか、鋼材が飛び出している
DSC07222_R_202307112240484c7.jpg
近くに給水塔らしき物がある
DSC07225_R_2023071122404864a.jpg
周りに基礎らしき物もある
DSC07228_R_20230711224052e9c.jpg
給水塔の上に鉄柵みたいなのがぐるっと回っている
DSC07229_R_20230711224052298.jpg
梯子が上の方にあるが、届かなかった
DSC07227_R_20230711230003dc9.jpg
排水溝らしきものがあるから、給水塔で良さそうだ
DSC07231_R_20230711224052f9c.jpg
円形窪地、蛸壺?
DSC07233_R_20230711230007084.jpg
三つ目の標石を見付けた
DSC07237_R_2023071123000772e.jpg
陸軍のみの標柱
DSC07238_R_20230711230010f2a.jpg
番号はさっきの九の続きの一〇だった
DSC07240_R_20230711230521f3e.jpg
更に先に行くと、兵舎跡らしい基礎がある
DSC07241_R_202307112305233f6.jpg
あまり大きな基礎では無さそうだ
DSC07242_R_2023071123052337a.jpg
かなり薄い基礎に感じる
DSC07243_R_20230711230527328.jpg
付近の地面から生えてるこれはナニ?
DSC07244_R_202307112305274db.jpg
簡易的な掲揚台とか想像してしまうが、謎だ

DSC07245_R_20230714211507d65.jpg
空母氏が田原市渥美郷土資料館に寄りたいという
DSC07246_R_20230714211510884.jpg
確かに若干の史料的なものはある様だ
DSC07247_R_20230714211511e4c.jpg
小さな資料でも貪欲に漁って行く姿勢が静岡にこの人ありと言われる不動の地位を築いた由縁だろう
空母氏は所用があり、ここでリタイアとなる、無き空母氏の遺志を継いでこれより自己探索に入る
ご案内ありがとうございました!