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走水低砲台(一般公開開始後の様子)その2

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二つ目の9cm速射砲砲座(一つ目は道のくの字になってる辺りに有る)
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1m弱程度の大きさの台座
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右手の藪近くの3つ目
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いずれ再び藪に覆われそうだ
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4つ目の9cm速射砲砲座
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三つ目と四つ目の位置関係
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第三砲座を上から観る
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どう観ても人為的なコンクリートの傷、何だろう?
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中央の砲座は、一番良く形を留めている
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3,4砲座間の小隊長壕
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やはり小階段がある
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遊歩道に戻り、第四砲座へ向かう
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第四砲座
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対岸の岬に観測所がある
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右翼の観測は、高砲台と共にこの観測所が行っていたのかも知れない
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砲座横の観測点?
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チヌークが飛んで行く
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第四砲座には大木の根っこがそのまま残っている
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観光説明用に残したのだろう
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ボルトは一番状態良く残っている
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しかし、即応弾薬置き場のふたと金具は盗まれている

9cm速射砲座から第四砲座

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砲座間指揮所への階段
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三の刻印、なんでこんなに割れたレンガを使っているんだろう?
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下側の楊弾井を見に行く
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つる首楊弾機
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下の様子はこちらから
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地下弾薬庫からここへ弾を上げて、各砲座へ弾薬を運ぶ
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第三砲座側の階段は超急だ、明らかに失敗している
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3,4砲座間の小隊長壕
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角っこの継ぎ目に
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やはり三の刻印レンガ
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上から観る第二砲座
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砲座スロープ
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砲座下のショートカット用の階段
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3,4砲座間の弾薬庫
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弾薬庫内部
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第二、第三砲座間の兵舎(掩蔽壕)
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掩蔽壕内部、両サイドに見えた窓は、防湿用の空間の通気窓
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第二砲座
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その壁面の石にも刻印が
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一と二の刻印、これは切り出した原産地又は会社を示す
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見つけようと思うと、結構刻印が付いている(観音崎砲台でも三軒屋砲台辺りで観れる)
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第一砲座
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一の刻印
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Vの刻印くかも知れない


第三砲座から第一砲座


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一回りしたので帰る
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ここから観る第一海堡
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第二海堡
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カレー食って帰ろう
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走水低砲台(一般公開開始後の様子)その1

この記事は、相当前に行ったのをフォルダごと忘れていた物です

以前上げた走水低砲台の記事と見比べてもらうと、整備後との変わり具合が判って、面白いかも知れない。
整備されて初めて見える様になった9㎝速射カノン4門の台座等、新たな楽しみもある

横須賀市が5100万円を投資し、猿島、千代ヶ崎砲台と共に観光資源として活用して行く
現在は既に観光ガイド付き限定で、一般公開されており、民間会社トライアングルが業務を仕切っている
◎猿島公園コース お一人様「600円」(6名以上)

  ■5名以下の場合:全員でガイド料金「3,500円」

◎走水低砲台跡コース お一人様「400円」(6名以上)

  ■5名以下の場合:全員でガイド料金「2,200円」

◎猿島+走水低砲台跡コース お一人様「1,000円」(6名以上)

  ■5名以下の場合:全員でガイド料金「5,700円」
交通費、猿島渡航料別途

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旗山崎公園
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当時の石段がそこここに見受けられる
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公園内整備は驚くほど徹底的に行われていた
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左翼観測所に登る階段は未整備
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左翼弾薬庫、右翼にも同様の物がある
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施錠されているので入れない、内部は過去記事の方を見て下さい
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70余年の内に、育ってしまった大木
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側溝は当時の瀬戸物のようだ
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第一砲座(便宜上)には見学者用階段が取り付けられて外観を損なっている、回り込めばいいのに!
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砲座には27cmカノン砲のアンカーボルトが残っている
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砲座間の横墻に登る
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ここのレンガには、様々な刻印を観る事が出来る
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横墻のここには、揚弾井が口を開けていたのだが、塞がれている
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フランス積みのレンガが綺麗な横墻
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砲座間にある、小隊長壕
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隣の第二砲座
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アンカーボルト
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胸墻にある即応弾薬置き場
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胸墻から砲座左端の昭和の練習砲台時代のコンクリート構造物
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9㎝速射カノン4門の練習砲台の観測指揮所かも知れない
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明治砲台時代の観測壕のまん前に建てられているからだ
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2m四方ぐらいで胸ぐらいの深さ
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現在の東京拘置所の前身、小菅監獄で受刑者によって造られた煉瓦
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位置関係、木の前に有るのが昭和の建物基礎
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第一砲座の上を周る
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当時の数段の階段があり現在は歩ける様に整備された遊歩道になっている
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数年前までは藪に覆われ、歩く事すら出来なかった
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第一砲座を回り込むと、小階段がある
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砲座間の小隊長壕に出た
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第二砲座再び
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反対側から
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これが9cm速射砲台の台座部分
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ここでちょっと崖下に下りてみる
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石組みの構造物
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明治以前の台場があった場所
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またあそこまで戻らなければならない
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めんどくさいな~なんて海を観ながら現実逃避したいが、しかたがない
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あと、もう少し
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これを登れば
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生還した・・・

走水低砲台動画その1(クリック)

真、重砲兵学校校長邸防空壕(ヒギンズ邸)その2

真、重砲兵学校校長邸防空壕(ヒギンズ邸)その1のつづき
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早速2階へ登る
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ヒギンズ邸時代にコンクリート補強されたのだろう階段は直角に曲がる
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2階への入り口
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足元には当時付いていた扉の一部か木材が落ちている
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下を振り向く
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登って左側、長い通路がある、これぞ陣地的な感じだ
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だが、断る!もとい右に行く
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埋め戻し的に壕床が埋っている
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やばいくらいに狭くなって来た
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抜けた!
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道が二股になった、取り合えず左に行く
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なんと、コンクリート製の砲室だ!
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下部分が削られ、ヒギンズ時代に出入り口にしていたのだろう
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そうとうしっかりした造りをしている、壊すのも大変だったろう
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砲室の観測窓
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外から見たこの部分だ
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砲室の天井の穴
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コンクリートには鉄筋が入っている
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分岐を右側に行く
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封鎖されている、微かに車の音がする
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外から見るとここである
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人一人がやっとの隙間を戻って行く、実はここに入れない隙間が更にあったが埋っていて行けない
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階段に戻って来た
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通路を進むと床にコンクリートが埋っている
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穴が開いている
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覗き込むと、赤い造花が見える
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1階のプチ庭園のこれだ
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コンクリートの隔壁がある
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くぐると床に穴が開いている、煉瓦だ!
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1階のこれがそうだ
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2階通路は当然煤だらけ(朽ちた鉄パイプがある)
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山腹の道にある鉄管の穴、恐らくこれだろう
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こんな感じ
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通路は低くなりつつ、奥につづく
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途中までは行ったが、これ以上は進めなかった
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引き返す
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通路のど真ん中に開いてて落ちたらどうするってぐらい危険だ(約40cmの穴)
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2階の探索終了
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下へ降りていく
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左のプチ庭園
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上を見ると、さっきは気が付かなかったが穴が開いている
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主出入り口
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出れたじゃん、洞口着弾観測所(ピラム壕)より楽勝!
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全体写真
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左手の上に
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気になるコンクルート塊があるがこの日はスルー
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後日再訪するも、かなりやばい状態に
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斜面のかなりやばい位置にあるのだが、迷っている場合では無い
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行ける所まで行って、斜面を横ばいして進む
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あと少し!
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埋没しているが、立派な銃眼であった、きっと砲室の先の行けなかった隙間にあったのだろう

これは2014年1月後半の調査である、今頃はコンクリートの壁の中に永遠に埋ってしまっただろう
また一つ遺構が消えた・・・
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残っているのはこれぐらいだろう

真、重砲兵学校校長邸防空壕(ヒギンズ邸)その1

重砲兵学校、校長邸防空壕で紹介した、ヒギンズ邸裏側の壕口は、ずっと探していた大津機銃陣地そのものだった。
内部構造は2層式、大型と中型の2つの銃眼を持っていた。
戦前、戦中と重砲兵学校の校長邸として使用され、戦後はウオーレンス・ヒギンズ中佐が横須賀米軍基地司令官ベニー・デッカー大佐の右腕として海軍司令部に配属され宿舎としてこの邸宅を使用する事となる。
実はこの二人は海軍士官学校の同期で友人であった、ヒギンズ氏は卒業後民間のスタンダード石油などに勤務していたが、日米開戦のおり海軍に志願、プリンストン軍政学校で訓練を受ける、戦後広島の軍政部に赴任、この時日本人女性と結婚(本国に家庭あり、つまり重婚)している。
46年8月にベッカー大佐の下へ引き抜かれる、この人物は親日派でヒギンズ氏共々戦後復興に貢献した人として有名であるが、一方でベッカー大佐のワイフは白人至上主義者で、恐妻であった。
その事が災いし、日本人と結婚したヒギンズ氏は50年代に総司令部を辞任している。
辞任後もしばらくは大津に住み続け、後に厚木などに転居する事になる。
ヒギンズ氏は保険会社(キャピタル保険)の重役をしていたが、他にも友人との会社共同運営や横須賀ロータリークラブ会長(外国人初)などと色々な事をしていた。
なお、三笠復興にベッカー大佐が尽力した事にはなっているが、実はヒギンズ氏による功績が殆んどであったらしい、この辺も辞任の原因の一つかも知れない、彼はこういい残している「彼は(ベッカー)は悪くない、彼の妻が・・・・」。
息子のヴィクター・ヒギンズ氏の話しの中に、面白いものがあった、「裏山に旧日本軍の壕があって、2階に上ると機関銃が置いてあったのを見た」とゆうような文面を市史研究「横須賀」第7号の中から見つけた。
終戦後直ちに摂取され、陣地内の武装解除が成されないまま、引き渡された物と思われる。
この壕はヒギンズ氏によって、来客用のバーに改造されているとの話だ
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大津駅前の広大な土地がヒギンズ邸
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当時の庭師付き日本庭園
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山を背にした、似た位置からのアングル
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壕口その1
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壕口のの2
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壕口その3
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未見だった壕口その4、わずかな隙間が有る
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四角い通路
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突き当たりに掘ってある謎のくぼみ、貫通していれば銃眼になって入り口を守備出切る
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その下には一部コンクリートが引かれている
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左にクランクして小部屋になっている
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足元には戦後と思われる碍子が散乱している
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コンクリートの薄い階段
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これがバーカウンターの棚のようだ
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右を見ると何か見える
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なんと、暖炉だ(しかもグリルつき)
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煙突は密着していない(わざとか?)
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グリルと思われる部分
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暖炉には上から岩盤が崩れ落ちて来ていた
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ここもキノコ栽培に使ったのか、埃避けにビニールを貼っていたのか不明
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左にある小部屋、収納庫か?
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奥にある、埋った開口部
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金属製の灯楼みたいな物
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この壕には古い消火器が多い、壕内で火を焚いていたせいだろうか・
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先は無かった
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暖炉の部屋に引き返す
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暖炉前にチェスの駒が散乱している
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チップもある
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フロア全体、右正面がバーカウンター
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パーティーでもやってたのか、造花や飾も散乱する
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バーカウンターのテーブルはコンクリートを引いてたようだ
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碍子が逆さまに一つ
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天井には碍子がまだ残っている
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この写真の左側、溶岩石でプチ庭園が作ってある
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水道ホース、1mほどの位置から貯まった水を滝状に下に流す仕掛け
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水底だった所にはいろんな物が落ちている
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奥に噂通り、2階へ続く階段が!

時間が無いのでまた次回!

参考記事
陸軍重砲兵学校 その1
陸軍重砲兵学校 その2
この学校の校長の官舎時代の防空壕で、後に大津機銃陣地となる

曲矢遠隔観測所、矢の津弾薬庫残存遺構

曲矢遠隔観測所は、昭和50年代ぐらいまでは残っていたようだが、現在は解体され住宅地となった
自分もガキの頃1度だけ行った事があるが、写真は当然撮っていない
以前同期の櫻様から頂いた写真を数枚参考にさせてもらい、紹介して行く
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頂いた当時の写真、全体像は無いが花立観測所とは、形状が異なる
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以前紹介した陸軍柱は、曲矢遠隔観測所の物の様だ
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4本見つけた
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第4踏切を渡り、観測所に給電していた電柱を見に行く
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一本目はここから入る
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ここには壕があるが、流石に入れない
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傾いた電柱発見
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旧軍の物であり、傾いていても東電では勝手に処分できないそうだ(住民の苦情より)
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ここにも機銃陣地があったとの情報に基ずき、山狩りをするが収穫なし、平坦地が僅かしかないのだ
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古いコンクリート柱を発見するが(いっぱいある)道界と掘ってある、道など無いのに
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山を縦断し、桜ヶ丘まで出てしまった、地元の利で裏道から大津に戻る
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縦断コースと(1から2へは住宅があって直に行けない)番号が電柱位置
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2本目、奥の山に傾いた1本目が写っている
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浦と彫られたコンクリート柱、裏には何も書いてなかったが?
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古い井戸はそこら中にある
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3本目、線路際にある
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矢の津弾薬庫に行く、写真は同期の櫻様より、⑫⑬は当時の残存遺構今は無い、馬堀町2丁目一帯が弾薬庫
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A地点に境界柱があり、B地点の駐車場に御影石の柱が大量に置いてある
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馬堀海岸駅から裏道を歩いて来るとこれは見える
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金属が抜かれたのか、閂があったのか不明
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住宅の狭間の境界柱
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鎖でも付いていたのだろうか?
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位置関係
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上から見ると庭にも生えていた
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駐車場から覗くと、斜面にもう一本残っている
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B地点の駐車場へ
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やたらにいっぱいある
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くぼみは有るのだが、穴や文字の類は何も無い
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関連性の真偽は不明である
同期の櫻様から、矢の津弾薬庫の物で間違い無いとコメントをいただきました
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最早宅地化され、当時の遺構はこれ以上判別出切る物は見つからなかった