真、重砲兵学校校長邸防空壕(ヒギンズ邸)その2

真、重砲兵学校校長邸防空壕(ヒギンズ邸)その1のつづき
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早速2階へ登る
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ヒギンズ邸時代にコンクリート補強されたのだろう階段は直角に曲がる
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2階への入り口
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足元には当時付いていた扉の一部か木材が落ちている
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下を振り向く
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登って左側、長い通路がある、これぞ陣地的な感じだ
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だが、断る!もとい右に行く
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埋め戻し的に壕床が埋っている
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やばいくらいに狭くなって来た
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抜けた!
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道が二股になった、取り合えず左に行く
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なんと、コンクリート製の砲室だ!
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下部分が削られ、ヒギンズ時代に出入り口にしていたのだろう
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そうとうしっかりした造りをしている、壊すのも大変だったろう
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砲室の観測窓
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外から見たこの部分だ
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砲室の天井の穴
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コンクリートには鉄筋が入っている
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分岐を右側に行く
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封鎖されている、微かに車の音がする
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外から見るとここである
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人一人がやっとの隙間を戻って行く、実はここに入れない隙間が更にあったが埋っていて行けない
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階段に戻って来た
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通路を進むと床にコンクリートが埋っている
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穴が開いている
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覗き込むと、赤い造花が見える
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1階のプチ庭園のこれだ
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コンクリートの隔壁がある
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くぐると床に穴が開いている、煉瓦だ!
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1階のこれがそうだ
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2階通路は当然煤だらけ(朽ちた鉄パイプがある)
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山腹の道にある鉄管の穴、恐らくこれだろう
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こんな感じ
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通路は低くなりつつ、奥につづく
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途中までは行ったが、これ以上は進めなかった
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引き返す
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通路のど真ん中に開いてて落ちたらどうするってぐらい危険だ(約40cmの穴)
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2階の探索終了
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下へ降りていく
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左のプチ庭園
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上を見ると、さっきは気が付かなかったが穴が開いている
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主出入り口
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出れたじゃん、洞口着弾観測所(ピラム壕)より楽勝!
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全体写真
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左手の上に
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気になるコンクルート塊があるがこの日はスルー
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後日再訪するも、かなりやばい状態に
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斜面のかなりやばい位置にあるのだが、迷っている場合では無い
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行ける所まで行って、斜面を横ばいして進む
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あと少し!
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埋没しているが、立派な銃眼であった、きっと砲室の先の行けなかった隙間にあったのだろう

これは2014年1月後半の調査である、今頃はコンクリートの壁の中に永遠に埋ってしまっただろう
また一つ遺構が消えた・・・
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残っているのはこれぐらいだろう
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真、重砲兵学校校長邸防空壕(ヒギンズ邸)その1

重砲兵学校、校長邸防空壕で紹介した、ヒギンズ邸裏側の壕口は、ずっと探していた大津機銃陣地そのものだった。
内部構造は2層式、大型と中型の2つの銃眼を持っていた。
戦前、戦中と重砲兵学校の校長邸として使用され、戦後はウオーレンス・ヒギンズ中佐が横須賀米軍基地司令官ベニー・デッカー大佐の右腕として海軍司令部に配属され宿舎としてこの邸宅を使用する事となる。
実はこの二人は海軍士官学校の同期で友人であった、ヒギンズ氏は卒業後民間のスタンダード石油などに勤務していたが、日米開戦のおり海軍に志願、プリンストン軍政学校で訓練を受ける、戦後広島の軍政部に赴任、この時日本人女性と結婚(本国に家庭あり、つまり重婚)している。
46年8月にベッカー大佐の下へ引き抜かれる、この人物は親日派でヒギンズ氏共々戦後復興に貢献した人として有名であるが、一方でベッカー大佐のワイフは白人至上主義者で、恐妻であった。
その事が災いし、日本人と結婚したヒギンズ氏は50年代に総司令部を辞任している。
辞任後もしばらくは大津に住み続け、後に厚木などに転居する事になる。
ヒギンズ氏は保険会社(キャピタル保険)の重役をしていたが、他にも友人との会社共同運営や横須賀ロータリークラブ会長(外国人初)などと色々な事をしていた。
なお、三笠復興にベッカー大佐が尽力した事にはなっているが、実はヒギンズ氏による功績が殆んどであったらしい、この辺も辞任の原因の一つかも知れない、彼はこういい残している「彼は(ベッカー)は悪くない、彼の妻が・・・・」。
息子のヴィクター・ヒギンズ氏の話しの中に、面白いものがあった、「裏山に旧日本軍の壕があって、2階に上ると機関銃が置いてあったのを見た」とゆうような文面を市史研究「横須賀」第7号の中から見つけた。
終戦後直ちに摂取され、陣地内の武装解除が成されないまま、引き渡された物と思われる。
この壕はヒギンズ氏によって、来客用のバーに改造されているとの話だ
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大津駅前の広大な土地がヒギンズ邸
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当時の庭師付き日本庭園
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山を背にした、似た位置からのアングル
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壕口その1
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壕口のの2
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壕口その3
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未見だった壕口その4、わずかな隙間が有る
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四角い通路
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突き当たりに掘ってある謎のくぼみ、貫通していれば銃眼になって入り口を守備出切る
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その下には一部コンクリートが引かれている
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左にクランクして小部屋になっている
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足元には戦後と思われる碍子が散乱している
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コンクリートの薄い階段
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これがバーカウンターの棚のようだ
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右を見ると何か見える
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なんと、暖炉だ(しかもグリルつき)
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煙突は密着していない(わざとか?)
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グリルと思われる部分
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暖炉には上から岩盤が崩れ落ちて来ていた
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ここもキノコ栽培に使ったのか、埃避けにビニールを貼っていたのか不明
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左にある小部屋、収納庫か?
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奥にある、埋った開口部
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金属製の灯楼みたいな物
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この壕には古い消火器が多い、壕内で火を焚いていたせいだろうか・
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先は無かった
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暖炉の部屋に引き返す
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暖炉前にチェスの駒が散乱している
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チップもある
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フロア全体、右正面がバーカウンター
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パーティーでもやってたのか、造花や飾も散乱する
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バーカウンターのテーブルはコンクリートを引いてたようだ
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碍子が逆さまに一つ
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天井には碍子がまだ残っている
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この写真の左側、溶岩石でプチ庭園が作ってある
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水道ホース、1mほどの位置から貯まった水を滝状に下に流す仕掛け
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水底だった所にはいろんな物が落ちている
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奥に噂通り、2階へ続く階段が!

時間が無いのでまた次回!

参考記事
陸軍重砲兵学校 その1
陸軍重砲兵学校 その2
この学校の校長の官舎時代の防空壕で、後に大津機銃陣地となる

曲矢遠隔観測所、矢の津弾薬庫残存遺構

曲矢遠隔観測所は、昭和50年代ぐらいまでは残っていたようだが、現在は解体され住宅地となった
自分もガキの頃1度だけ行った事があるが、写真は当然撮っていない
以前同期の櫻様から頂いた写真を数枚参考にさせてもらい、紹介して行く
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頂いた当時の写真、全体像は無いが花立観測所とは、形状が異なる
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以前紹介した陸軍柱は、曲矢遠隔観測所の物の様だ
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4本見つけた
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第4踏切を渡り、観測所に給電していた電柱を見に行く
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一本目はここから入る
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ここには壕があるが、流石に入れない
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傾いた電柱発見
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旧軍の物であり、傾いていても東電では勝手に処分できないそうだ(住民の苦情より)
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ここにも機銃陣地があったとの情報に基ずき、山狩りをするが収穫なし、平坦地が僅かしかないのだ
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古いコンクリート柱を発見するが(いっぱいある)道界と掘ってある、道など無いのに
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山を縦断し、桜ヶ丘まで出てしまった、地元の利で裏道から大津に戻る
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縦断コースと(1から2へは住宅があって直に行けない)番号が電柱位置
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2本目、奥の山に傾いた1本目が写っている
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浦と彫られたコンクリート柱、裏には何も書いてなかったが?
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古い井戸はそこら中にある
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3本目、線路際にある
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矢の津弾薬庫に行く、写真は同期の櫻様より、⑫⑬は当時の残存遺構今は無い、馬堀町2丁目一帯が弾薬庫
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A地点に境界柱があり、B地点の駐車場に御影石の柱が大量に置いてある
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馬堀海岸駅から裏道を歩いて来るとこれは見える
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金属が抜かれたのか、閂があったのか不明
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住宅の狭間の境界柱
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鎖でも付いていたのだろうか?
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位置関係
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上から見ると庭にも生えていた
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駐車場から覗くと、斜面にもう一本残っている
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B地点の駐車場へ
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やたらにいっぱいある
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くぼみは有るのだが、穴や文字の類は何も無い
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関連性の真偽は不明である
同期の櫻様から、矢の津弾薬庫の物で間違い無いとコメントをいただきました
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最早宅地化され、当時の遺構はこれ以上判別出切る物は見つからなかった

堀の内 機銃砲台  (完結編)

去年同期の櫻様より、写真を頂きザックリと表面の探索を行ったが、不十分な探索となっていた
よって本日きっちりとよじ昇って来た(かなりきつかった)
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右上の駐車場から京急の線路が見下ろせる所まで、稜線を縦断した
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今回登ったガケ(体感的にほぼ垂直)、下側に塞がれた壕口
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ガケの中腹にある殆んど埋った壕口に滑り込み、一安心する(外の風景で高さが判るだろうか?)
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T字の左側、ガレを投げ捨てた様だ
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少し広がった部屋が一つだけ
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右側は下っている、黄色いのは昭和のゴミ、電線のコイル巻きの芯
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大きな部屋が2つ、これは左側の入り口
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外から見えた塞がれた壕口(やはり人の出入りには小さい)
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外側
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入り口方向を振り返る
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右側の大部屋には、棚が彫ってある(あるいは生息室のベンチか?)
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左側の大部屋の前にはドラム缶が2つ
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わずかな段差がある
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台座の様な物と、箱状の金属片が崩れている
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左側の部屋奥
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陶器製プラグ(戦後のものだろう)
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隣に通路がある
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むっちゃキレイな彫り方
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インク瓶の蓋が落ちている
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連絡通路
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右の大部屋の棚
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棚の隣に縦1m、横30cm程度の掘り込みがある
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大部屋の奥を右に曲がると、地下壕に良くある衛所風の掘り込みがある
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これは天井に斜め方向に進んでいる通気孔の様な物
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電燈の跡があるが、戦後の物だろう
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最深部、外から見える塞がれた壕口2つ目(左壁に電線クリップがある)
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外観
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ここから電気を引いていたのだろう
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大部屋全景
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さて、また登るか!
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山頂到着、コンクリートの基礎の様な物が若干ある
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斜面に何か見える
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何も書いていないが、境界柱だろう
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塹壕跡がうっすらとだが、確認出来る
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ガケの際に半分落ちた窪地がある
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わからんだろうが、円形の窪地がある
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しばらく峯歩きをすると、人工的に掘り込まれた広い平坦地に出た
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付近には煉瓦が散乱している所がある
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もっとも高い所にある煉瓦と基準杭
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米ヶ浜中央公園(米ヶ浜演習砲台)の平和の塔が見えるが、木で海が見えない
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造成工事を放棄した所に出た
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ここからなら猿島が見える
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探し回ったが、過去に電車から見えていた壕口は跡形も無かった(これでは当たり前だが)
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砲座らしき場所に戻って来た、きちんと平らに掘削されている
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周辺を更に探すと、また人工的な窪地がある(最初のより大きい)
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付近の塹壕、(割りと見やすいと思う)そのまま下る
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棚になった部分に転がる陶器製のエルボ管
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陶器の甕から木が生えている
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良く見ると石垣がある
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石とゆうよりは、岩盤を積み上げたものだ
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井戸もある、施錠され、管理されているようだ、当時の水場だったのだろう
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雨どいなどに使われる陶器製の戸井
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石段も出てきた
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石垣も道もきれいになって来た
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斜面に何かある
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何だ、これは?
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六角柱は下の方にもあった(同期の櫻様より、津田沼→大津間(正確には山崎・堀之内)無線通信実験のアンテナの塔の基部であるとの情報を頂きました、ありがとうございました)
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コンクリート基礎もある
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なんだ、ちゃんと登れる所あったんじゃないか!まぁ、いつもの事だ・・・
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春日神社に出た(付近)
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カラフルなニワトリ
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さぁ、次に行こうか!

本日のコース
船越(変わり無し)-比与字F号倉庫周辺ー堀の内機銃陣地ー大津機銃陣地ー曲矢遠隔観測所ー矢の津弾薬庫
重砲兵学校、校長邸防空壕だが、今週中には亡くなってしまうだろう
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行政センター移転工事中
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ここまで来たら、コンクリートを流すだけ
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三つ目の壕口も発見された
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ついでに大津機銃陣地の銃眼を新たにもう一つ見つけた

堀の内 機銃砲台

京浜急行の車窓からも以前は見ることが出来たので、横須賀の人は見た事があるかも知れない
京急堀の内駅から少し横須賀中央の方向に進んだ海側にある、切り崩された丘がそれだ
開発計画の途中で、見えていた壕口などを切り崩した状態で、倒産となり現在まで放置されているらしい
駐車場側に山頂にあがる階段が見えているのだが、清掃会社の敷地を通らないと行けないので
今回は駐車場周辺のみの探索となった。
以前から存在は知っていたのだが、壕口が削り取られた時点で気が失せて忘れていたが、同期の櫻様より
写真提供を受けて、取りあえずは表面の探索を行った。
P1020111.jpgこれが現場である造成地だ、壕口は削り取られ元の形が判らない
DSC02112_R_20131121220441577.jpg工事現場入り口、ここから春日神社方面に向かう
DSC02113_R_20131121220443f9e.jpg問題の駐車場、スゴイデコボコの駐車場だ
DSC02114_R_201311212204453be.jpg問題なのは壁の方、ブロックで塞がれた跡が2つある
DSC02116_R_20131121220447aab.jpg左側の方、外縁はオリジナルなのか?
DSC02117_R_20131121221118965.jpg右側の方
DSC02118_R_20131121221120f9d.jpg右上に電気用の碍子が残っている
DSC02119_R.jpg随分と雑な出来栄えの碍子だ
IMG_4860.jpg同期の櫻様から頂いた写真には碍子が2つ写っている、欠落した様だ
DSC02120_R_20131121221616d92.jpg榴弾砲氏に立ってもらうと判るが、入り口は人の背よりも小さくなっている
DSC02121_R_20131121222220fa4.jpg他の入り口を探して見るとあった
DSC02122_R_201311212222220bb.jpg壕内はきれいに丸く掘削されているが浅い物だった
DSC02123_R_201311212222244ed.jpg内部は広く、4mほどある
DSC02125_R_20131121222226e27.jpgペンキやオイル缶などが投げ込まれ、油臭かった
DSC02126_R_2013112122275062a.jpgコンクリート擁壁の狭間に暗がりを発見
DSC02127_R_20131121222752a6d.jpg榴弾砲氏が登るも、金網で塞がれた浅い壕だった
DSC02128_R_20131121222754037.jpg他にも怪しげな所は有ったが、位置が高いので自然窟だろう

いずれ山頂に登れるルートを探してみたいが、今回は終了
先週末は頂いた情報を元に
重砲兵学校、校長邸防空壕
横須賀海軍空技廠浦郷地下工場深浦地区
池上 海軍貯水槽
浄地原砲台、鴨居洞窟砲台
堀の内 機銃砲台、鳥ヶ崎の壕口確認と1日で回ってきた。
この外に船越のガントリークレーン跡(変化無し)や、千代ヶ崎砲台の近況を見に行った
横須賀はまだまだ奥が深い、求む情報!