
貝山地下壕の見学は、第二地区の一部のみ

とりあえずコンクリート巻きの単純壕に集合する

ここでヘルメットを借りて、簡単な説明と班別けをする

米軍が摂取時に車庫として使っていた頃のステンシルが残る

貝山地下壕見学の為にここまで大掛かりに方面を加工したようだ

地下壕内はライトがいらないぐらい明るくなっている

何とも無骨な鉄筋の支保が立っている、興ざめする

丈夫には崩落防止の発泡材が詰めてある


早速最初の部屋をショートカットされる

ぞろぞろと歩いて行く

鉄扉の部屋

こちらも入り口だけ



歩きやすい通路のみ回って行く

所々でガイドスタッフの説明が入る

前半の山場、会議室と見られる広い部屋

ガイドの持論と言う説明では、壁から40cmの所にある溝は何か?これはコンクリートを40cmの厚さで塗る為の準備の溝だと、最初に集合した外部のコンクリート壕の厚さが40cmな事から結論付けたとの事。
なんという素人考えを自慢げに語るのだろうか?外部付近は攻撃に耐えると共に、入り口の崩落(生き埋め)を防ぐ為に厚いコンクリートを打つ事もあるが、こんな深い位置にある強固な岩盤に囲まれた壕内に全く必要ない、日吉の連合艦隊司令部ですら内部は10~20cmだろう。
写真を見ても奥の壁と溝までは40cmだが、横はどうだ?60cm以上のコンクリートを打つのか?
他の壕でもそうだが、壕内に木製の家屋を建て、周りには防湿用の空間を持ち排水溝を設け、屋内を快適にする
ここの場合は高級官僚の為だろうが、湿度に困る物資を貯蔵する壕などでもこの方法は取られる。


壕内の隅に落ちていた木の実を指さし、壕内に勝手に入った者が、食べ残したピスタチオを捨てて行った物だと説明する。
どう見てもハクビシンなどの小動物の排せつ物のせいだろうに。

この通路にも40cmのコンクリートを打つつもりなんだろうか?

壕内唯一の水道施設とされる

外部出入口付近に来た

後半の見せ場、煉瓦の竈(貝山には第四工区にも竈はある)

竈には当時の豆炭が残っていると説明しているが、これは某有名な人が火を焚いてみようと持ち込んで、結局着火しなかったものだ。

煙管が壕口まで伸びている

説明してくれているが、もう何も信じられない

次のグループが入って来たようだ

入って来た壕口に引き返していく

壕外に出る

これが40cmの壁

ここには展示品が置いてある

廠内買場


これは田浦辺りから持って来たのだろう

ショウケース内の物は発掘品だというが

軍杯は違うだろう

吸収缶は壕内からめぼしい物が軒並み無くなっていたので本物だろう

ホウロウの海軍食器も無くなっていた

この辺の物は比与宇の出土品のはず

見学が終わり、アイクルで最後の休憩となる

休憩の間、一人で第三海堡の遺構を見に行く

今はご時世柄外から見るだけだ





萎えた気分を持ち上げて帰途に就く