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貝山地下壕 第二、第三工区及び上部壕

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貝山地下壕第三工区に久しぶりに来た
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変なツアーで欲求不満になったので、A氏を案内がてら再訪した
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基本的に既出物件なので簡単に紹介は済ませる
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一段下がった皇帝室
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内部は水没しているが、乾燥している時もある
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このフロアには、多くの棚が掘られている
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外部開口部
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米軍摂取時の物と思われる
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当時の航空機用タイヤ
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脱出する


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貝山上部第一地下壕に移動する
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海軍食器等の遺物
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正式に調査が入ったらしく、マーキングがされている
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内部は海軍らしく、綺麗な掘削
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彼が見つめる壁には
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航海課の逆文字が掘られる
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メインとなる部屋
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棚には当時物と思われる水差しがある
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後方の出口
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近年誰かが破壊して入ったようだ、他の壕口が塞がれる元になるので止めて欲しい


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貝山上部第二地下壕に移動
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何故か風化しない碍子の台木
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ここへのルートは崩落し、困難を極める状態なので、無理はしないように


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貝山上部第三地下壕には塹壕がある
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上部第三に到着したものの
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どうやら先客がいるようだ、ここはたまに慰霊に訪れる人が居る。退散する事にする
戦跡 K山地下壕 上部第三
8年前の動画
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第二工区の出入口は、基本的に全て閉鎖されてしまった
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ツアーのうっ憤を晴らしたので帰る事にする
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浦賀ドック、貝山地下壕等見学ツアー(民間旅行会社ツアー) ➃

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貝山地下壕の見学は、第二地区の一部のみ
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とりあえずコンクリート巻きの単純壕に集合する
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ここでヘルメットを借りて、簡単な説明と班別けをする
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米軍が摂取時に車庫として使っていた頃のステンシルが残る
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貝山地下壕見学の為にここまで大掛かりに方面を加工したようだ
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地下壕内はライトがいらないぐらい明るくなっている
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何とも無骨な鉄筋の支保が立っている、興ざめする
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丈夫には崩落防止の発泡材が詰めてある
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早速最初の部屋をショートカットされる
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ぞろぞろと歩いて行く
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鉄扉の部屋
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こちらも入り口だけ
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歩きやすい通路のみ回って行く
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所々でガイドスタッフの説明が入る
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前半の山場、会議室と見られる広い部屋
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ガイドの持論と言う説明では、壁から40cmの所にある溝は何か?これはコンクリートを40cmの厚さで塗る為の準備の溝だと、最初に集合した外部のコンクリート壕の厚さが40cmな事から結論付けたとの事。
なんという素人考えを自慢げに語るのだろうか?外部付近は攻撃に耐えると共に、入り口の崩落(生き埋め)を防ぐ為に厚いコンクリートを打つ事もあるが、こんな深い位置にある強固な岩盤に囲まれた壕内に全く必要ない、日吉の連合艦隊司令部ですら内部は10~20cmだろう。
写真を見ても奥の壁と溝までは40cmだが、横はどうだ?60cm以上のコンクリートを打つのか?
他の壕でもそうだが、壕内に木製の家屋を建て、周りには防湿用の空間を持ち排水溝を設け、屋内を快適にする
ここの場合は高級官僚の為だろうが、湿度に困る物資を貯蔵する壕などでもこの方法は取られる。
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壕内の隅に落ちていた木の実を指さし、壕内に勝手に入った者が、食べ残したピスタチオを捨てて行った物だと説明する。
どう見てもハクビシンなどの小動物の排せつ物のせいだろうに。
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この通路にも40cmのコンクリートを打つつもりなんだろうか?
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壕内唯一の水道施設とされる
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外部出入口付近に来た
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後半の見せ場、煉瓦の竈(貝山には第四工区にも竈はある)
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竈には当時の豆炭が残っていると説明しているが、これは某有名な人が火を焚いてみようと持ち込んで、結局着火しなかったものだ。
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煙管が壕口まで伸びている
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説明してくれているが、もう何も信じられない
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次のグループが入って来たようだ
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入って来た壕口に引き返していく
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壕外に出る
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これが40cmの壁
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ここには展示品が置いてある
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廠内買場
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これは田浦辺りから持って来たのだろう
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ショウケース内の物は発掘品だというが
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軍杯は違うだろう
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吸収缶は壕内からめぼしい物が軒並み無くなっていたので本物だろう
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ホウロウの海軍食器も無くなっていた
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この辺の物は比与宇の出土品のはず
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見学が終わり、アイクルで最後の休憩となる
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休憩の間、一人で第三海堡の遺構を見に行く
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今はご時世柄外から見るだけだ
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萎えた気分を持ち上げて帰途に就く

9月の夏島、貝山空母氏来訪 その2

夏島の探索を概ね終えたメンバーは、貝山に移動した
メンバー以外誰も知らない4工区の一部に案内する(雨の為他は断念)
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僅かに開いた開口部より侵入
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荒されていないキレイな通路
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一番手前の部屋には、左奥に
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トイレらしき物がある
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用を足そうとする、空母氏!70年ぶりの使用者となる
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との氏も入壕して来た
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入り口は難だが、内部はかなり良い
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足元を眺める空母氏
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この壕の部屋へのスロープは独特なのだ
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そして、通路の溝
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実に床面の面白い壕である
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排水用の側溝は側面に別にある
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部屋のスロープといい、面白い
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こんなのがずっと続いている
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先の方に埋まった開口部が有るが、土砂の隙間から外光は見える
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土砂の向こうは軽い水没後、僅かな開口部
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一通り回ったので、脱出する
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第二抗区に移動する
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こんな所に薬〇が落ちている
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今日の貝山は湿度が高い
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壕口付近は、湿気が立ち込めている
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倉庫壕、かなり広いブロックがある
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コンクリート階段は2ヶ所ある
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廃車壕付近
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小さな衛所のような部屋
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貝山には小さな部屋が、幾つもある
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朽ちてはいるが、海軍食器もそここに点在する
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地下壕内の石積みの閉鎖箇所に通路がある
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中に入ると、先人達が残留物を纏めて展示してある所がある
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実に特徴的な場所である
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鉄の扉が何とか枠だけでも残っている、貴重な所
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そんな遺構が多数残っている貝山地下壕を愛して止まない連中でした

貝山地下壕(空母氏ご案内)

夏島地下壕に続いて、貝山地下壕に移動する、時間の関係で入りやすい上部第一、第三及び下部第二工区のみを案内する事にした。
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足元に並べられている、海軍食器等に見入る空母氏
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ここは、上部第一壕
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仕上がりの良さはさすが海軍壕である
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航海科室
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主計科と思われる
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最新部の落書き
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上部砲台跡を経て、上部第三に移動する
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ロウソク、線香、お賽銭と増えていっている
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空母氏は階層構造が気に入ったようだ
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なんか凄いものが供えてある
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最新部は珍しく水没していた、台風のせいだろう
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特徴的な彫り込み
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階段構造
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さぁ、次は本坑に行こう
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貝山地下壕第二校区
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コンクリート製階段を下から見上げる
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割と近いところにもう一つある
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用途不明の窪みを持つ部屋
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貝山第二の特徴の石壁
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右側の発電機室
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廃車壕に向かう
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ここだけコンクリート巻きの空間になる
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穴から下の部屋を覗き込む空母氏
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総コンクリートの壕には廃車が2台ある
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どんどん奥に進む
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ガスマスクの吸収缶などが、珍しいようだ
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このような石壁が5箇所ほどある
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この壕は広いが、碁盤の目状ではないので、回っていて飽きない
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扉付き石壁
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ほぼ唯一の水没区
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この辺には吸収缶が多く落ちている
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ノズルを取り付ける所
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こんなのがハマっている
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会議室へ向かう
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地下とは思えない部屋だ
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反対側には扁額を収める窪みがある
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外に出ると水場がある
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その横には電気室のような部屋がある
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更に奥には竈がある
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煙管が壕外まで伸びている
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竈は別の工区にも存在している
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そろそろ終わりが近づいてきた
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空母氏はこの壕で、ビン缶マニアに目覚めてしまったらしい、20L薬瓶
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さぁ、帰るとしよう
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空母氏を置いて
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しばし、ぬことたわむる
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空母氏、OKN氏、お疲れ様でした!また行こうね。

貝山地下壕 その13 (海軍航空技術廠)

前回で終わろうと思っていたが、空技廠を忘れていたので、切り良く年内は貝山で〆る。
はっきり言って、地下壕派なので、空技廠の写真がほとんど無い!
やむなく急遽撮って来たてのほやほやの写真をあげる。
とは言え、現存する建物は多くは無いが工場施設内の物も多く、確認できない
もしくは、遠くから一部のみなんて感じになっている。
なお、本庁舎の様に、外観が全く変ってしまった物は、割愛する。
DSC07557_R.jpg海軍航空技術廠本庁舎前にある案内板
DSC07556_R.jpg隣にある碑DSC07568_R.jpgこの図に沿って紹介する
DSC07570_R.jpgまずは、空技廠図の上側から攻める(赤線が確認出来た物)
DSC07522_R.jpgプロペラ強度試験場、ここだけは壕になっている。
DSC07523_R.jpgコンクリートの残骸、屋外構造物の物だろうDSC07528_R.jpg壕口付近のレンガ
DSC07527_R.jpg入って緩やかに左に曲がる
DSC07530_R.jpg生息部、ここだけ広くなっている
DSC07537_R.jpgこの鉄の金具に高圧碍子が付く
DSC07695_R.jpg奥の埋め戻し跡、足元はコンクリートの台座が幾つかある
DSC07705_R.jpg二股分岐路
DSC07553_R.jpg第四風洞場
DSC07554_R.jpg第二風洞場
DSC07595_R.jpg高速風洞場
DSC07596_R.jpg高圧風洞場(この三つは現在繋がっている)
DSC07598_R.jpg高圧風洞場、横から見る
DSC07601_R_20121231212237.jpg脇の階段から下に降りると門が残っている
DSC07600_R_20121231212236.jpg明らかに隣の塀は後付けだ
001.jpg空技廠の壁
DSC07602_R_20121231212238.jpg階段を戻り気になる部分を見上げる、上に滑車が付いていて蓋が上がる様だ
DSC07604_R.jpg良く見ると、横壁にも同じ様なところが有った
DSC07605_R_20121231213311.jpg第一研究場
DSC07607_R.jpg何故かピンク
DSC07611_R_20121231213316.jpg床下は何故か埋められている
DSC07609_R.jpg試験水槽準備室
DSC07610_R.jpg本来ここから浦郷のトンネルまで続いているが、後は破壊されている
DSC00255_R.jpg浦郷のトンネル前には二本の橋が掛かっている
DSC00254_R.jpg魚雷試験水槽で通っている橋
DSC00251_R.jpg登ってみる
DSC00252_R.jpgこっちは歩道及び運搬用であろう、手前の工場敷地になっている方が航空写真で見ると試験水槽の直線に繋がるように見える
DSC00250_R.jpg足元にぬこが寝ていた
DSC07571_R_20130103102117.jpg空技廠図下半分、赤線が現存確認部分
DSC07681_R.jpg製図工場
DSC07683_R.jpg本庁舎(改装済み)
DSC07564_R.jpg赤丸部分を某地下壕にて発見した
DSC07712_R.jpg本庁舎旗竿差し、以前は本庁舎前案内板脇に放置されていたらしい
DSC07573_R.jpg電話所、奥は書庫
DSC07575_R.jpg第四研究所が見える
DSC07576_R.jpg三棟は隣接している
DSC07578_R.jpg窓枠が崩れ、煉瓦が露出している
DSC07687_R.jpg第六研究所(改装済み)、後が第四研究所
DSC07591_R.jpg第六研究所の横に、貯水槽が残っている
DSC07579_R.jpg第四研究所
DSC07589_R.jpg第四研究所前面より
DSC07581_R_20121231220209.jpg二階出入り口は、庇と踊り場が失われている
DSC07586_R_20121231220210.jpg当時の水道
DSC07588_R.jpg出入り口
DSC07580_R.jpg奥に書庫が見えるDSC07592_R.jpg材料庫
DSC07593_R.jpg第一実験準備場DSC07613_R_20121231222658.jpg桟橋の先端部分だけが当時の物であるDSC07634_R.jpg対岸の米軍基地DSC07617_R.jpg力学研究所DSC07619_R.jpgここも全面ネットで覆われているDSC07621_R.jpg屋上の電気配線DSC07622_R.jpg読めない・・・
DSC07623_R.jpg
DSC07625_R.jpg右側に最近まで第一修理品手入れ場があったが、解体され駐車場になっている
DSC07630_R.jpgコの字型の建物
DSC07631_R.jpg隙間から覗くDSC07635_R.jpg当時の門の流用だと思う
DSC07636_R.jpg右側、表札を外した跡がある
DSC07637_R.jpg左側、地面と一体化していない

また、機会が有れば、追加して行くつもりだ。
(25.1.2追加)