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船越地下壕2021

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鎌倉を探索した帰り道に、船越にやって来た
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海上自衛隊基地となるこの山にも地下壕がある
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K氏にお礼にご案内となった、ギブアンドテイクは基本だ
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早速山に入る
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山には海軍境界柱が多数残る
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山は荒れて、知らないと発見は困難になっていた
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対空監視稍とも港湾監視稍とも言われる遺構を見に行く
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監視稍入り口
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狭いが前室がある
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扉を経て内部に入る
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総コンクリートの部屋で、かなり頑丈だしこの手にしては広い
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監視所は別の部屋になっている
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正面、左右にスリットが設けられ港湾部を睨む
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ここまではK氏も見ているので、山を移動する
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山腹にある抜き穴から進入する
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この穴も有名になったのか、高圧碍子を持って帰ろうとして忘れたらしい物が置いてある
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当時は綺麗な階段が有ったのだろう
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迷う規模では無いので、K氏に好きに先に行ってもらう
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ガレが消え、綺麗な階段が露出する
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階段を大きな螺旋状に下って行く
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二階部分に到着すると、最初に見える部屋
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昔は高圧碍子が山ほど落ちていたが、大分無くなったな
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基本的に3X3のサイズの通路
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山形に応じて多少の高低差があり、海側が低くなる傾向がある
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碍子が大きめなのも特徴か
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一階への下り階段、これを下るのはかなりヤバいと内容を説明し、自己責任で降りてもらう
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上と同じように90度の螺旋状に降りて行く
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天井の抜けた部分、自分はここまでで止めた、先がどうなっているか知ってるからだ
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天井の抜けた穴
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後で上から見るが、二階を下り傾向で作っているせいで、床と天井が接してしまったのだ
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待っているとすぐに「ヤバいヤバい早くあがりましょう」と戻って来た
一階は現在自衛隊施設として整備活用されている、行くなら捕縛される覚悟で、自己責任で行くようにってか行くな!
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二階には水没区が割とあるが長靴程度だ
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この分岐を右に行くと
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さっきの階段の天井の抜けた部分になる
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二階は三段程度のひな壇状になって下がっているので、こんな予想外の結果になったようだ
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階段に降り注ぐ地下水、ある意味これが無かったら二階の半分は水没していたかも知れない
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高低差はあるが、二階は周回コースなので迷わない
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気のすむように回ってもらった
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さぁ、脱出しよう
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船越地下軍需工場再訪

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海軍造兵部の跡地の造成が始まった
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1年以上空き地だったが、工事が始まると早い
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工事は裏の山にまで及んでいる
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地下軍需工場の入り口が見える
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以前はここに海軍病院があった
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今は綺麗さっぱり無くなった
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山頂にある海軍境界柱
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頂部にある境界マーク
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掛けてしまっている物もある(気のせいか新たに塗られている気がする)
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コンクリートの境界線支柱もある
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僅かに残る、軍道の痕跡
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監視所の入り口
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内部通路の先には
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六畳ほどのコンクリートの部屋がある
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隣の部屋の観測窓
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スリットから先は、生い茂ってしまって何も見えない
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さて、出よう
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唯一の壕口から進入する
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とても立てる高さではない
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もとは中腹への抜き穴だ
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一応は階段だったのだが、そうとう埋まっている
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直角90度ずつ曲がり続けるくだり階段
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高圧碍子が落ちている、誰か持ち出そうとしたのだろう
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大分崩落も進んできた
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しかし、これだけ階段が続く壕も珍しい
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最後の曲がり角
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二階へ到着した
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天井も高く、3mほどある
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ここには木製の部屋があったのだろう
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二階部分を回って行く
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二階だが十分広く、しっかりした壕内
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残留物
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高圧碍子もいっぱい
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天井にも残っている
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二階の1/3は水没しているので、湿度が半端無い
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ストロボはもう使えない
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今日は長靴を履いてないので、この先には行けない
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段差のある場所
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二段の階段で繋いでる
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階段の先にあるもの
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台形の掘り残し部分
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穴が空いて水が滴り落ちている。これは後で下から観る
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一階に向かう
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階段を下りていく
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天井から止め処なく水が落ちてくる
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さっき上から観た所だ
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下からはヤバイ雰囲気が伝わってくる
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一階到着、こうこうと灯りが見え、キャタピラの跡もある
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出たらやばい、メッチャ見つかる。軍事施設で捕まったら洒落にならん
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そそくさと引き返すへタレ
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抜き穴から脱出して行く

長浦港周辺 監視哨等

この記事はkanレポート様から提供された調査ネタを元に紹介して行く
長浦港は横須賀本港(鎮守府)と新井掘割りを挟んで隣にある重要な港湾施設跡である
今は、その大部分を米軍と海上自衛隊が占めているが、一部市の港湾施設や民間会社も散見する
特に船越地区は海上自衛隊の施設拡大が非常に手広く行われ、比与字地下壕や軍需部倉庫、造兵廠及びガントリークレーンなどの貴重な遺構が壊滅状態に貧している。
その中でも監視哨の類は結構残っているので、ピックアップしてみた。
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長浦港の旧軍施設図
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水雷学校跡地には、遺構は何も残っていない
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今の海上自衛隊自衛艦隊司令部周辺図、鉛置場の裏山に監視哨が発見された
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さて、スカレーを追いかけ、船越に向かう
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軍需部引き込み線の線路
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破壊されたガントリークレーンの基礎
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ガントリークレーンの先に見える海上自衛隊艦隊司令部
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給水タンクの左側に、確かに何かある
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ズームするが、手前の掃海艇の排気でぼやける
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右に移動していく
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これがベストポジションだろう
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超拡大してみる、kanさんの見立てでは、防空監視哨であろうとの事、間違いなさそうだ
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監視哨の上にも何か構造物がある、何だろう?
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更に視線を下に落とすと、自転車が積み上げられている様だ
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ここからエレベーターで、監視哨に上がれたりして(いや、ホントにこの時代から大和にもE.Vあるしエアコンも蛍光灯もついている)
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視線を右に移すと、また何かある
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これは艦船の出入りを監視する為の物らしい(後ろの鉄骨が気になる)
浦郷弾薬庫_R
早速裏山に登るのだが、こんなフェンスに囲まれて、進入出来なかった
この裏山は、旧海軍貉火薬庫からの続きで、現在米軍使用の弾薬庫となっている
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もはや長浦港の顔となった潜水艦
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鳥たちの憩いの場(トイレ)となっている
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向こう側は箱崎米軍施設になっている
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その山頂にも何やら古い建物が、現役で残っている
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そのまま右を見ると、比与字弾薬庫新(地下式)、旧(奥の緑屋根)が見える
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比与字にも、監視哨がある
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側面にも防壁を持つ、特殊なもの
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残念ながら、出入り口は2ヶ所とも塞がれている
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内部は、総コンクリート製
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再び船越に戻る
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機銃の整備をしていた
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軍需部跡地も、工事用プレハブが建っていた
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その裏山、下には巨大な地下壕が有り、この山腹には
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こんな監視哨が隠れている
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入口
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中は意外と広く、2部屋になっている
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奥の観測室
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畳2畳ぐらいかな?

このような物は、一部なのだろう・・・入る事の出来ない米軍施設、海上自衛隊施設内にはもっと沢山の旧軍遺構が眠っているのだろう

東京湾第三海堡(大型兵舎)

この遺構は、神奈川県横須賀市平成町3丁目37(うみかぜ公園)内にあるので、地区は違っているが
便宜上ここにまとめる事にする、こちらの遺構は入る事が出来ないので、いつでも柵越しに見るしかない。
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東京湾第三海堡展示会場のパネル、反射して見難いが仕方が無い
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しおかぜ公園のボードウォーク
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ぐるりとフェンスで囲まれている
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こうして置かないと、この近くの広場はスケボーやBMXの練習場になっていて、落書きの温床になってしまう
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保護の為にはやむおえないのだろうが、味気ない
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正面、蓋をして置かないと、ゴミを投げ込まれるこの辺は
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窓もバッチリ閉鎖
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柵の中の案内板
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見難くて仕方がない
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何とか読めるかな?
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メインパネルは柵の中の芝生で寝ている
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誰も読めないだろうこんなの!
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グーグル航空写真(うみかぜ公園)
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グーグル航空写真(東京湾第三海堡展示会場)
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アイクルから見た、東京湾第三海堡展示会場(アイクルはただで入れる)
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資料を少し貼っておこう
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特筆すべきは、右外のケーソンである、当時の最先端技術を駆使している
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予告があった
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対岸の仮展示場
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大型起重機船で鶴
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海上自衛隊協力(通り過ぎただけ)
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アイクルから丸見え(窓は開かない)
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落ちたらどうなる?なんて考えてしまう
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到着、写真で見るとすぐだが、ものすごい時間がかかっている

引き上げられたのは、これだけではないが、処分されてしまっている
護岸_R
護岸
倉庫_R
倉庫
通路_R
通路
砲台囲_R
砲台囲
擁壁_R
擁壁
ケーソン_R
ケーソン
貯水槽_R
貯水槽
通路_R (2)
通路
通路階段付_R
通路、階段付き
兵舎_R
兵舎
平成13年10月27日旧陸軍8cm砲弾_R
8cm砲弾
平成13年11月22日旧海軍25mm機関砲弾_R
25mm機関砲弾
平成13年11月22日旧海軍95式酸素魚雷の尾部_R
95式酸素魚雷の尾部
平成14年2月2日マーカー(照明弾?)208個 _R
探海灯の炭素棒と思う、同一の物を田浦火工工場地下壕(砲工部)でも見ている
平成14年8月22日通常爆弾99式6番 _R
99式6番(60kg爆弾)
様々な遺構が存在も知られず海に帰って行った事を覚えておいて欲しい
吊り上げられた調査済み構造物は第三海堡跡南西2,000m の海域に投棄され魚礁などに再利用されているそうだ

東京湾第三海堡(砲台砲側庫)

第三海堡には、15cmカノン砲4門、10cmカノン砲8門の大砲が据えてあったので、給弾口は狭くて大丈夫だ
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それではここでの最後の物件、砲台砲側庫(砲側弾薬庫)を見ていこう
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左右に入り口一つ、部屋一つずつになる
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入り口上にあるのが、着弾観測所になる
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真横
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これが砲側への給弾口
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レールの上を滑らせて出てくる
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後は味気ない
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完全なシンメトリーになっている
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給弾口も同じ
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では、左側から潜入する
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この写真は対岸に仮保存されていた頃のが使われている
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左側の部屋
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左側給弾口
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人力にてここから押し出す
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奥はやはり丸い
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奥から入り口を望む、室内は丸みを帯びている
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右の部屋に移動
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左右対称なだけで、変わりは無い
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右側給弾口
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若干庫内の給弾機の部分が残っている
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15or10cmカノン砲の弾が出されていたのだろう(ちなみに有事にしかここには弾は置かない、普段はからっぽ)
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横から見ると、排水溝なのか、穴が開いている
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恐らくここに簡易クレーンがあり、砲弾を吊り上げて降ろしたのだろう、観音崎などでも見られる
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この模型の上の方がこの遺構だ
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ログハウスに向う
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海底の残留物
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今もやってるかは不明
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中央にある模型は中々の物である
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当時の写真が数枚有る
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惜しい人を亡くした
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飛行場を日産のコースにしている工事、左に掩体壕が見える
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夏島の憲法碑
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消防ホース、ノズル
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最近増えた、横須賀海軍航空隊の遺物を勝手にあさる
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給料缶(ご飯などを配る物)
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アルミの小皿(珍しい)、錨マークも見える
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メーカー名?穴が空いたのか、補修跡がある
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表側、今で言う厚生センターだろう
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裏側、良く木製のこんなの残ってたものだ
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これは、調査用に抜き取られた、天井などの一部(サンプル)

アイクルフェアなどの時も開場するので、毎月第一日曜と合わせて訪れてみよう