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半田地下壕(二回目)外部編 その2

前回末に紹介した壕は、最初に来た時に飯を食った磨洞温泉の元々あった所らしい。
ここに本館があり、現在の場所は別館であったとの事、いずれ何かしらの対策を考え
行ける限り行って見たい。
DSC06817_R.jpgコンクリート巻きの先に行ってみたいDSC06823_R.jpgすぐ近くにコンクリ巻きの壕口がある、これが三菱プロペラか?DSC06824_R.jpg照らしてみるが、隣同様のっけから水没DSC06825_R.jpg中には電気配線などもあり、明らかに隣と繋がっているDSC06826_R.jpgDSC06827_R.jpg次から次へと壕口が隣接するDSC06828_R.jpgしかし皆水没だDSC06829_R.jpg建物の裏側にも同様の開口部が口を開けているDSC06830_R.jpg農道の脇にコンクリートの塊があるが壕口かは不明DSC06872_R.jpg通じてはいないが、脇に小さな倉庫壕があったDSC06831_R.jpg山に入ると、また傾斜壕が見つかったDSC06832_R.jpgよととさんが右手を、自分は左手を単独で捜索する、みっけ!DSC06833_R.jpgかなりの角度で下に降りて行ってる、かごが邪魔だDSC06834_R.jpg水没が少なそうなので、一旦皆の所に戻るDSC06835_R.jpgまずはよととさんが見つけた斜坑に入るDSC06838_R.jpgほたるの様なOKN氏のお、し、り!DSC06839_R.jpg鉄筋が入ってないので、横から亀裂が入っているDSC06840_R_20121129205040.jpg気のせいか、よととさんの頭の辺が危険な気がするDSC06841_R.jpg足元に穴が開いてる、誰か降りたのかペグが打ってあるDSC06842_R.jpg地下にもう一層ある、ウエイダーなら逝けそうだDSC06844_R.jpgさらに、上にも穴があるが登れそうにないDSC06845_R_20121129212358.jpg先は塞がっているので、また上がるDSC06847_R.jpgすぐ近くにあるDSC06848_R.jpgしかし崩れているDSC06849_R.jpgおそらく下の壕が潰れ、陥没したのだろう、こんなのがそこら中にあるDSC06850_R.jpg次にさっき自分の見つけた壕に案内する、まずはかごを退けて少しずつ降りていくDSC06851_R.jpgかなり微妙な所に立って(座って)いる、この下側は崩れて何も無いDSC06852_R.jpg自転車が落ちているDSC06853_R.jpg水は有るが腰程度で余裕だDSC06854_R.jpg中は以外に広いDSC06855_R.jpg他の壕は潰れているのに、ここはかなり健在だDSC06856_R.jpg崩落で行き止まりの様だがDSC06857_R.jpgすぐ足元に大穴が!下にもう1層ある、穴の径は2mほどかDSC06859_R.jpg入れ替わりによととさんが入って来た、穴がある事を伝えるDSC06860_R.jpg磨洞温泉が39年開業なので、その当時の物か?DSC06861_R.jpgそろそろ引き返すDSC06862_R.jpg他は誰も降りて来なかったDSC06863_R.jpgまた滑る斜面を登って帰るDSC06864_R.jpgDSC06866_R.jpgさらに2つ程見つけたが、どうしょもないDSC06870_R.jpg付近にはこんな穴があった、先の天井の吹き抜けみたいな物だろうか?DSC06873_R.jpg今度は別の谷やでよととさんがまた見つけるDSC06874_R.jpg近づこうとしたが、竹が折れて近づけない隣の穴DSC06876_R.jpg戻りしな、もう一つあったDSC06878_R.jpg最後にスイッチバック壕を見に行くDSC06877_R.jpg脇にある廃屋に面白い物があった、地図の宮村の上に磨洞温泉の文字が記されているDSC06881_R.jpg忌まわしき思い出の壕に到着DSC06882_R.jpg入り口はかなり良好な状態DSC06883_R.jpg道が切れているDSC06884_R.jpg奥は閉塞・・・・この時点で帰ればよかったDSC06886_R.jpg足が勝手に地獄に向かって歩いて行くDSC06887_R.jpgこっちは普通に綺麗な坑道だDSC06888_R.jpgしかし閉塞、この後悲劇が(喜劇?)s121118_160652_R.jpgなんと、足がはまって動けない!初体験だ! 掘っても掘っても次の泥が乗ってくる、しかも石まで混ざっているかなりやバイかも、まず近寄らない様に声をかけつつ、外の竹を持って来てもらう、まず足場を作り片足を抜く事に成功するが、かなり疲れた。(無断転用)s121118_162455_R.jpg邪魔になっているカメラとかばんを受け取ってもらうと、ものすごく楽になった、しかし足の筋肉が悲鳴を上げ攣りそうになるが、何とか脱出成功!生きてて良かった。(無断転用)
この後カメラが使用不能の為、画像なし!
参加メンバーの方々には大変ご迷惑をかけました。
もしもの時は、またよろしく!

ところで、なんでここの壕はみんな下ってるんだろう?
磨き砂の搬出も壕口は平面の方が出し入れしやすいだろうに・・・
磨洞温泉の所は、壕前に盛り土されている形跡が見受けられる、やはりここが軍需工場か?
ただの地層的な問題だったら、幾つかは平面もあるはずだ!
謎は深まる
きっとくるまみちが解明してくれるだろう、期待して待とう!
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半田地下壕(二回目)外部編 その1

前回までに一層目、二層目と紹介してきたので、今度は外部に目を向ける
二層目に進入した場所からさらに先に新たに見つけた物があると、くるまみちメンバーに
案内されて刈り掃いされた藪の通路を進んでいくDSC06763_R.jpg刈り掃いされ、なだらかな歩きやすい道を行軍するDSC06754_R.jpg丘を一つ越えると、圧倒的な風景が目の前に現れた、ヨーロッパの遺跡のようだDSC06756_R.jpg内部は高低差の会わない所もあるが人の立てる程度は高いDSC06757_R.jpgかなり凸凹しているDSC06760_R.jpg上にも通路があるDSC06762_R.jpgあまり時間が無いので、出る事にする  半田遺跡DSC06765_R.jpg少し戻って竹薮の中を進むDSC06766_R.jpg山頂付近に近代コンクリートで巻かれた傾斜壕があったDSC06769_R.jpgこれが壕内を勝手に改造して使用しょうとしたらしいDSC06771_R.jpg後から背中を蹴ったら転がり落ちそうな下り傾斜を降りて行くDSC06772_R.jpg自制心を駆り立てながら続くと、曲がった所で素彫りに戻っていたDSC06774_R.jpg人の手が加わっているだけあって、壕床も綺麗だDSC06776_R.jpg他より碁盤目に近い感じだDSC06775_R.jpg天井は結構高めDSC06777_R.jpg近代的な塞ぎ方、ブロック一つ約30cm、高さが分かるDSC06778_R.jpg隠れるように、何か見える!DSC06779_R.jpgおっとびっくりな感じでコンクリート巻きのダムのような物が出現DSC06785_R.jpg人を入れるとかなり大きいのが分かる 半田の貯水施設DSC06787_R.jpg上の方はまだ整形中でうっすらと、ここまで掘るんだぞマークが掘ってあるDSC06782_R.jpg謎の物体、コンクリートかと思ったら、木製らしいとの事DSC06788_R.jpgコンクリート台座DSC06790_R.jpgあちこちにプレートの跡が、工事中の非常口表示か?DSC06791_R.jpg椅子の様な物があるが、ぬかるんで行けないDSC06789_R.jpg謎の手形DSC06793_R.jpg先に進むとまたまた出ました、二段掘りDSC06794_R.jpg二段・・・三段?下にも一層あるしDSC06795_R.jpgDSC06796_R.jpgDSC06799_R.jpgそこらじゅう滅茶苦茶な掘り方になっている、みんな自分の足元が気になり出した様だ、一人が杖で床を突いたら
まさにそこが突き抜けた、ジャンプしてみたい衝動に駆られるが、袋叩きになりそうなので、断念するDSC06800_R_20121128144818.jpg危険を感じ、退散となる。 丁度昼時だDSC06805_R.jpg壕を出た所で、各自持参したレーションを補給するDSC06811_R.jpg今度は山の反対側に向かうDSC06814_R.jpg現地到着、突入開始!DSC06816_R.jpg内部は水没しているが、しっかりした作りをしている、横方向はコンクリート巻きだDSC06819_R.jpgよととさんが単独調査に向かうDSC06820_R.jpg内部は続いているが、深さと冷たさが限界らしい
DSC06821_R.jpg次回はドライスーツかボートが欲しい、今回撤収する
その2につづく

半田地下壕(二回目)地下二層目編

今回は11月中旬に訪れた、二回目の半田地下壕の探索だ!
前回同様金曜の夜に横浜を出て、まずは岐阜により、土曜の晩に三重入りをした。
今回は三重県で活動しているくるまみちの方々との、合同調査だ。
このサイトのマッピング技術は目を見張る物がある。
また、メンバーの行動力もすごく、毎週片道3時間かけて大阪~半田間を行き来しているそうだ。
とゆうことで、関宿の道の駅で合流、交流会となった。012_R.jpgもちろんこの怪しい集団は警官から声をかけられ、「凍死しないようにね」と言われた。DSC06686_R.jpg一夜明け、再び戦場に戻って来たDSC06690_R.jpg前回見つけた地下2層目の外部アクセスポイントをくるまみちのメンバーの調査で、発見!ご案内頂いた。
しかも、前日に雨の中壕口までの激藪を、刈り掃いしておいて下さった。(感謝)DSC06691_R.jpg早速突入を開始する、マルキュウマルマル状況開始DSC06693_R_20121127215346.jpg水が激しく流れた痕が生々しいDSC06694_R_20121127221550.jpg内側から外を見るDSC06695_R_20121127222640.jpgさっそく無節操に貫通しているDSC06697_R.jpgこの辺の壕床はぬかるんでないので、歩きやすいDSC06698_R.jpg白く綺麗な壁面だ二層目の壕内DSC06701_R_20121127230648.jpg所々に波板を天井に付けていた跡が残るDSC06703_R_20121127230843.jpg床まで丸く、水が抜けない所があるDSC06704_R_20121127231026.jpg支保抗がちらほら残っているDSC06705_R.jpg軌条痕が見え出した、意外とくっきりしているDSC06707_R_20121127231432.jpg痕を辿るDSC06708_R.jpg当時のエンピが残っている、使い込んで先が丸いDSC06709_R.jpg前回降りた付近に来たようだDSC06710_R.jpgこの穴は天井に肉厚があるので、調査の為に開けたのだろうDSC06711_R.jpg何箇所か天井にためし掘りの跡があるDSC06712_R.jpgこの穴は前回上から見た薄っぺらな床部分DSC06713_R.jpg天井が薄いとゆう自覚はあったのだろうDSC06716_R.jpg話に聞いていた変な模様が現れたDSC06718_R.jpg削るだけ削って、回収していない磨き砂DSC06717_R_20121127233401.jpg奥の方に隠れるように、近代塩ビ管が天井に刺さっているDSC06720_R.jpg面白い削り方DSC06722_R.jpg不意にレールが現れる、戦後も使用していた壕とはいえ、レールは珍しいDSC06725_R.jpgその先にはポイントが立てかけてあるDSC06723_R_20121128080034.jpgペンキでなく、炭で書いてある様だDSC06733_R.jpgこの辺は整備区画だった様だ、電気配線や機材類が随所に見えるDSC06729_R.jpg当時のランタン、アンティークでいいDSC06730_R.jpgそしてバッテリー式フォークリフトの電池がこんな所に?DSC06735_R.jpg話に聞いていたので、若干インパクトは薄かったが、十分変な風景だ トロッコ軌条と掘削機DSC06739_R.jpg奥にはショベルカーもあった、双方ともフォークリフト改造アタッチメントの様だ、蒸留水のタンクや充電用のプラグも有り、整備環境は充実している。DSC06742_R.jpg先っぽにスキの様な物を取り付け、モーターで回転させて削り取っている、スライド機構も付いているので上下左右にアタッチメントだけが移動できる、すぐれものだDSC06745_R_20121128085127.jpg辺りにはタイヤ痕が縦横に残っているDSC06734_R.jpgガラスは失われているが、別の形のカンテラだDSC06746_R.jpg機械掘りと手掘りの境目の様だDSC06749_R.jpg薄い天井が剥がれ落ちているDSC06750_R.jpg天井の調査時に抜けなくなった、掘削用ロッドと思われるDSC06751_R.jpg一通り見たので、出口に向かうDSC06752_R.jpg出口付近で唯一見つけた天井型碍子

地下二層目編終わり

半田地下壕(一回目)

三重県の半田青谷にある、研き砂の採掘場跡に潜ってきた。
この地下壕は厳密にゆうと、戦跡とゆうには御幣が有りそうだが、三菱プロペラが一部
疎開工場として、稼動していたらしいので、戦跡カテゴリーにする
半田地下壕についてはDigital Artworks TeeART Blog.にて、詳しく説明しているので、参考に!
今回は8月末に岐阜の可児市の三菱発動機地下軍需工場跡に行った時の二日目である。DSC03328_R.jpgまずは、昼食の予約を取りつつ、車を置かせてもらう。DSC03330_R.jpg金色の田んぼの奥に、その壕はあるそうだDSC03331_R.jpgとのさんに案内され、壕口に到着(ここが一番広い壕口らしい)DSC03332_R.jpg一歩中に入ると、他の隣接した壕口からは大量の土砂とゴミが流入していた。DSC03338_R.jpg全体的にはがっしりとした坑道に見えるが、掘り方に規則性が無い(碁盤目でない)DSC03339_R.jpg床面は常にぬかるんでいる様だ、泥が靴底に憑いて重い!
DSC03340_R.jpgつるはしの形状も違う、いつもの軍関係は先の尖った方で砕いているが、これは平たいDSC03346_R.jpg少し行くと水路が切ってある所があるDSC03352_R.jpgこのブロックには、所々コンクリート台座のような物が散見するが何か変だDSC03355_R.jpg通路に斜めに1m四方とか、変な所で途切れていたり、機械を据えたボルト後もない、謎だ?DSC03350_R.jpgさらに掘り方がめちゃくちゃになり、隣に突き抜けている所が多くなってきたDSC03360_R.jpgこの辺は一部水路が生きているせいで、泥が少ない
DSC03367_R.jpgほんとに無節操に気の向くままに掘っているDSC03369_R.jpg水路と変な形のコンクリート、水路はその形に曲がっているDSC03373_R.jpg本坑、この辺は全面コンクリート床DSC03374_R.jpg開口部が有るが、竹林で位置が分からないDSC03375_R.jpg分岐はやたら多い(もはや方向感覚は無い)
DSC03378_R.jpg珍しく階段がある、上の形が面白いDSC03380_R.jpg壕が丸みを帯びてくるDSC03382_R.jpgDSC03386_R.jpgDSC03387_R.jpg蛇の腹の中の様だDSC03397_R.jpg突如広く綺麗な空間に出た、しかも人工的な池があるDSC03398_R.jpg横に回ると橋もあるDSC03402_R.jpg山肌に近いのか、塞がれた壕口が多いDSC03405_R.jpg明らかに不釣合いな道が出現するDSC03407_R.jpgこんな物やDSC03408_R.jpgこんなのまで出てくる、想定外の光景に興奮もあるが、同時に近代化過ぎて興ざめもするDSC03410_R.jpgコンクリートの通路には上に上がる階段があったDSC03419_R.jpg登り切ると、鉄扉が開いていたDSC03420_R.jpgえらい変な所に出たDSC03421_R.jpgなんか大仏の頭みたいのが見えるが、気にしないで壕に戻る(寝仏だったらしい)DSC03416_R.jpgまた新たな巻きが出てきたDSC03430_R.jpg上にはなにやら空間が(後に崩れた自然窟と判明)DSC03427_R.jpgセントル巻きを超えると、綺麗に整形された空間に出るDSC03424_R.jpgDSC03425_R.jpg一部屋ごとに番号や文字が書いてあったDSC03431_R.jpgさらに進むと地面に穴が開いているDSC03432_R.jpg覗き込むと下に通路が見える、多層構造だ、萌える!DSC03435_R.jpg早速飛び降りようとしたら、OKN氏が他にも穴があると結うのでそっちに行く、確かにある!DSC03437_R.jpg早速一人で降下する、とゆうか誰も飛び降りて来ない?DSC03439_R.jpg調査の跡があるDSC03440_R.jpg碍子も付いている、下層もかなり広いことが分かったので、時間の関係で断念して上の層に戻るDSC03441_R.jpgふたたびセトルをくぐり、先に進むがなんだこの土嚢の量は!DSC03442_R.jpgここでやっと本物のコンクリート台座を見る、何があったかはもちろん不明DSC03445_R.jpg水没区が現れるDSC03444_R.jpgしかもボート付き、誘惑に駆られるが、やめて置く(後のチャレンジャーは沈没したらしい)南無DSC03446_R.jpg大体一回りした様なので、脱出する・・・飯の予約時間だDSC03447_R.jpg地下壕利用の焼肉屋さんだDSC03456_R.jpgこんな感じ、図の右奥に壕はまだ続いているが、入れないDSC03466_R.jpgDSC03453_R.jpgDSC03450_R.jpgお疲れ様でしたDSC03470_R.jpg

瑞浪市民公園

三菱発動機可児久々利地下壕(東側)その1に行ったついでに、瑞浪市民公園に寄った。ここは川崎航空機の地下疎開工場として作られた壕だった。
この日は雨なのは分かっていたが、三人とも傘を持っていない、男ってそんな物だ。
車を無料駐車場に入れて、小降りを見計らい、目の前の地球回廊を目指すDSC06525_R.jpg各所に無料駐車場があるので、混んでなければ車移動が楽そうだ(高低差あり)DSC06527_R.jpg美術館脇に職員用の様な駐車場がある、その賭場口に再利用されている壕があるDSC06528_R.jpgそのすぐそばに、見るからに怪しい窪みがDSC06529_R.jpgやはり壕があるが、雨なので無理はしないDSC06530_R.jpgさらに奥に壕が隠れている、戸狩地殻活動観測点と書いてあるDSC06532_R.jpgDSC06535_R.jpg中は奥まで続いていたが、沈みそうなので行かないDSC06537_R.jpgここのユルキャラ昔からいるマスコットのデスモくん、2010年に瑞浪Mioとゆう萌キャラも有るらしいDSC06540_R.jpgここだけなら、200円で入れるDSC06541_R.jpg前部周るなら共通券が100円お得DSC06543_R.jpg入り口は近代的な通路DSC06542_R.jpgこんな感じDSC06545_R.jpg蛍光灯ではなく、蛍光塗料を塗ったパイプを下からブラックライトで照らしていた(飛散防止?)DSC06547_R.jpg残念ながらここは全体がコンクリート吹き付けで覆われていた、この窪みはほぼ全体に見受けられた、工場系地下壕では良く見かける、機械を据え付けた時の後の空間(機械自身の出っ張りや、メンテ用)DSC06549_R.jpg地球創世記から人類誕生的なサイエンスがつづくDSC06550_R.jpgDSC06551_R_20121125181210.jpgDSC06553_R.jpgもちろん模造品であるが、でかかったDSC06555_R.jpgおしりからDSC06556_R.jpgトリケラトプス(動くぞこいつ)DSC06559_R.jpg化石展示室DSC06561_R.jpgシアター天井は、5m以上か?DSC06562_R.jpg相当に広い、当時はクレーンでも有ったのか?DSC06565_R_20121125182416.jpgここを抜ければ出口であるDSC06539_R.jpg出口を出たら、雨が酷くなっていた、天候が悪いので本来は化石博物館側の壕(無料開放)に行きたかったがやむをえない、
img_1495127_60100975_4.jpg
こちらは化石の層を見る為にコンクリートの吹き付けを行っていない。
他にも2ヶ所は壕がある、不戦の誓いの碑も山の上にある、
機会があれば、また行ってみたい。
今回はほぼ観光で終わってしまった。

関ヶ原火薬庫 その2

火薬庫郡から戻りながら、門柱を見に行った。
この門柱の付近には、コンクリート遺構があるらしいが、8月の草木と夜間とあって、判別不能
DSC03760_R.jpgDSC03761_R.jpg光ってしまったが、これしかないのでガマンしてDSC03762_R.jpg念の為、一人で山の中を探したが、境界柱一本だけしか、分からなかったDSC03667_R.jpg門柱の付近に、メナードランドのスケート場や催事場などに、転用された半地下式の火薬庫がある。
職務質問をして来た、警ら中の警官に聞いたら「これは当時の弾薬庫だ」と言っていた。DSC03657_R.jpg立ち入り禁止柵も無く、開いていたのでおじゃまするDSC03658_R.jpg道路側に3つの入り口があり、接続は一切無いDSC03661_R.jpg中はスケートリンク時代に塗られた、青と白になっているDSC03673_R.jpg壁色以外の構造などは、隣も同じだったDSC03687_R.jpg横に移動すると弾痕の様な物が付いた1番の部屋があるDSC03676_R.jpgその1でみた火薬庫よりも、かなり堅固な脇の空間であるDSC03680_R.jpg突き当りには、つい登りたくなる様な誘惑に誘われる手摺りが・・・DSC03681_R.jpg上写真の壁の色が変った辺りの小窓DSC03683_R.jpg地上に出れる所があるDSC03684_R.jpgてっ辺まで来たP1110160_R.jpg下から見ると、こんな感じらしい(写真提供 榴弾砲氏)
DSC03686_R.jpg通路は丁度一人分ほどDSC03677_R.jpg床下もその1よりもしっかりしているDSC03690_R.jpg基本構造は変らないDSC03691_R_20121124201444.jpgスケートリンクに面している所為か、カラフルな部屋が多いDSC03701_R.jpgDSC03706_R.jpgDSC03705_R.jpgこの面には1~7までの部屋があったDSC03709_R.jpg調査の為か、壁が破壊されている所があったDSC03713_R.jpg外に出て、少し奥にもう一棟あった、暗い道を上るDSC03714_R.jpgしかし、折角なので先の火薬庫の上によじ登る事にするDSC03721_R.jpg天井の上には通風孔があったDSC03717_R.jpg謎の突起?DSC03722_R.jpg見えない所だが、シャレて作ってあるDSC03724_R.jpg下に下りると火薬庫天井だDSC03720_R.jpg屋根の端に行くと防壁があるのが見えるDSC03726_R.jpg遅れてしまったので、飛び降りて後を追い、次の部屋へDSC03728_R.jpgこっちの棟は少し汚い、天井の白い線は電気配線だろうDSC03730_R.jpgなにを?DSC03735_R.jpg入り口が削られている。DSC03739_R.jpg床は真っ赤だし、壁はぼろぼろだが、台座状の物が床にあるDSC03743_R.jpgこの棟には8~12までの部屋があったDSC03749_R.jpg端まで行ったので、入り口に戻るDSC03756_R.jpgDSC03757_R.jpgDSC03758_R.jpg色が着いてなかったので、気が付かなかったが、道路側にも13~15の番号があった。
結構な時間をかけてしまったので、撤収する

関ヶ原火薬庫 その1

三重に移動する途中に、関ヶ原火薬庫に寄った。
ここは弾薬ではなく、火薬を貯蔵していたので、弾薬庫とは違う。
到着時刻は夜の8時過ぎ、かなり怪しい人達に見えるかも知れないDSC03594_R.jpg看板の周りに最初の火薬庫があったDSC03596_R.jpg道に面しているせいで、落書きだらけだが、まず前室に入るDSC03597_R.jpg白塗りで左右に通路をもつ、DSC03598_R.jpg手前の50cmほどの空間、対爆緩衝及び補湿、温度調整の為の空間DSC03599_R.jpg間にある部屋、奥の本室と似ているDSC03600_R.jpg本室はかなり広いDSC03601_R.jpg天井や壁は一面格子状の形になっているDSC03602_R.jpg密集して幾つかあるのだが、構造は同じなので立哨台を見に行くDSC03603_R.jpg電柱と仲良く立っていたDSC03605_R.jpgせま目の建物で一人立つのがせいぜいかな?DSC03609_R.jpgDSC03610_R.jpg構造は一緒だが、ぶら下がった蛍光灯や蚕だなを見ると、戦後キノコでしょうDSC03611_R.jpgDSC03613_R.jpgDSC03614_R.jpg内部は同じなので、見つけた入り口のみ紹介DSC03612_R.jpg雑木林に紛れて、境界柱が散見出来るDSC03616_R.jpg案内板DSC03647_R.jpg公衆トイレでは無く、別の立哨台DSC03619_R.jpgDSC03626_R.jpg形は一緒DSC03627_R.jpg廃棄物が少なく、ほぼオリジナルに見えるDSC03628_R.jpg振り返るとやっぱりあるDSC03629_R.jpgここは本室を囲む空間に水没が無かったDSC03640_R.jpg通路部分の庇状の天井DSC03631_R.jpg壁にはタールの跡が残るDSC03634_R.jpg床下を覗くDSC03637_R.jpg登って天井が見たいDSC03645_R.jpg見つけた物は一通り見たので撤収する







三菱発動機可児久々利地下壕(西側)

今回は東の壕の隣にある、西側の壕に8月の終わりに行った時のレポートだDSC03766_R.jpg同型の壕口が、そこら中に開口しているDSC03768_R.jpg抹茶の様な濁り方をしているDSC03769_R.jpg民家の隣に一番マシな壕口が開いている(迷惑の掛からない様に!)DSC03771_R.jpg壕口付近はものすごい湿気でレンズが曇るDSC03773_R.jpgさっきの抹茶色の壕口の内側DSC03774_R.jpgこちら側の壕は、天井や側面に関しては、ほぼ完成と言えるDSC03776_R.jpg分かりにくいが、真ん中に泥に隠れたコンクリートの舗装が1mほどの幅で続くDSC03777_R.jpg道路沿いにそこら中に開口してるDSC03778_R.jpgどんどん奥に進んで行くDSC03780_R_20121122231938.jpg急に壕の幅が半分になるDSC03781_R.jpg東京の浅川地下壕と酷似する舗装路だDSC03782_R.jpg枝抗に入るが、壁面の質が変化するDSC03784_R.jpg全体的にごつごつした石が混ざりだすDSC03785_R.jpg湿気が強くなってきたが、非常に床は綺麗だDSC03786_R.jpgトタンと柱が残っているDSC03788_R.jpgかなり地質が荒れてきたDSC03791_R.jpgこの壕は、ほんとに開口部が多いDSC03793_R.jpg床も天井もガレガレだDSC03796_R.jpgズリなのか、崩落なのか、判然としないDSC03798_R.jpg開口しているせいか、ガレが無くなるDSC03799_R.jpg広いのだが、変化に乏しいDSC03803_R.jpg意図的に塞がれた様な、開口部への道DSC03805_R.jpgガレだらけだが、非常に広い(中央に榴弾砲氏)DSC03807_R.jpgガレを抜けると、何故かタイヤバリアー、すでに先人により突破済み、助かるなぁ~DSC03808_R.jpgタイヤバリアーを抜けると舗装道路の様に綺麗な路面になるDSC03820_R.jpg横幅の拡張中に見えるが、ズリが無いDSC03821_R.jpgこれから先は、キノコ業者の戦後使用ブロックになるDSC03826_R.jpgDSC03828_R.jpgつまらないので、割愛するDSC03830_R.jpg運搬用通路部分に出た様だ、タイヤの後があるが、塞がっているDSC03831_R.jpgやたらに電気設備が充実しているかな?P1000818_R.jpg1ヵ所だけ明らかに、機械を据え付けた台座があるP1000819_R.jpg開いている穴は20cm四方ぐらいで、割と深いP1000820_R.jpg人物と比べると、大きさが分かる、発電機用か?、壕口も近いしP1000822_R.jpg調査の為か、一部破壊されていたP1000823_R.jpg近年まで?使用されていた地図にも載るトンネルにしては、抗口がいびつに思うP1000824_R_20121123084224.jpg脱出成功帰還するP1000815_R.jpg泊まりはここ、24時間営業は、この辺じゃ貴重(つーか一軒だけ)P1000813_R.jpgお疲れ様(足はtonotama氏)









三菱発動機可児久々利地下壕(東側)その2

それでは、続き!DSC06622_R.jpgせま目であるが、こちらも2段掘りの途中である、高さは人の2倍はある。DSC06623_R.jpgその1で、柱の穴を載せたが、こちらは若干柱が残っているDSC06627_R_20121121202111.jpg通路を抜けた先の、広げている途中部分、この壕は掘削手順の説明の様な貴重な見本だDSC06628_R_20121121202656.jpgこの通路は真ん中の水路を挟み、両側に軌条跡があるDSC06629_R.jpg片方の軌条を追っていく、水音が聞こえるDSC06632_R.jpgなんと、壕内に滝が出現した007_R.jpg取りあえず登ってみた、下にヘッドライトを点けたtonotama氏がいる、高さが分かると思う、多少コケと枯れ葉で滑るが、登れない高さでは無いので、チャレンジしよう!  壕内の滝DSC06634_R.jpg滝の先のひどく足元の悪いブロックを越えると、広い坑道の奥に開口部が見える(北側)DSC06636_R.jpg振り返ると、誰も居なかったが、気にしないで進むDSC06637_R.jpg北側開口部、結構でかいので、車両が入れるDSC06638_R.jpg取りあえず、合流しに戻る、開口部側は丸く、内側は長方形なのが分かるDSC06640_R.jpgなんとか合流を果たすDSC06641_R.jpg北側には長く巨大な横坑が2本あった、いずれも開口しているDSC06643_R.jpgこの2本は枝抗で接続するが、測量ミスか高さが合わないDSC06646_R.jpg人物比に立ってもらったDSC06644_R_20121121214133.jpg何故か、瓦礫でそこだけ埋められていたDSC06645_R_20121121214813.jpg下に下りると、横にスロープが作ってあったDSC06647_R.jpgここは右側だけ質の違う土があるDSC06649_R.jpgまた、枝坑があるDSC06650_R_20121121215412.jpg枝抗はひたすら四角いDSC06651_R_20121121215848.jpgそこを抜けると、グランドキャニオンがあったDSC06654_R_20121121220925.jpg取りあえず左側に登ってみたDSC06657_R_20121121221108.jpgやく、人一人分の高さがあるDSC06659_R_20121121221300.jpgモーセの十戒って感じDSC06660_R_20121121221925.jpgグランドキャニオンを抜けるDSC06661_R.jpg脇に瓦礫で組んだ、溜池があるDSC06662_R_20121121230758.jpg右側に規則的に何かを置いた様な後が残るDSC06664_R_20121121231229.jpgこの辺の天井は特に綺麗だDSC06666_R_20121121231858.jpg奥にはまた分岐が現れるDSC06674_R.jpg開口部、そろそろ一周した様だDSC06675_R.jpg開口部の形状が最初のに、似て来たDSC06676_R.jpg振り向くと、仲間も合流してきたDSC06682_R_20121121232855.jpg出口に向かうDSC06683_R.jpgここにもプール状の溜池があったDSC06684_R.jpg仲間の後を追い、壕を後にする



三菱発動機可児久々利地下壕(東側)その1

11月16日の夜から18日にかけて、岐阜と三重に行って来た。
まずは岐阜県久々利にある、三菱発動機可児久々利地下工場(東側)の紹介である
16日は参加メンバー三人とも仕事帰りの集合になり、22時頃の出発となった。
いつもの様に、tonotama氏のハイエースにて4時間程で御在所SAに着き、車中泊する。001_R_20121119233534.jpgしかし、天気予報どうり、明け方から律儀に雨が降ってきた。DSC06567_R.jpg高速を降り、花フェスタ記念公園(右折)方面を目指すimage8.jpg今回は、この図の上にある方の壕の紹介だDSC06568_R_20121119234806.jpg現地に到着するも雨はよりいっそう激しくなったが、駆け足で入壕準備をするDSC06570_R.jpgこの面には、同じ様な形の壕口が、多数並ぶDSC06573_R_20121119235819.jpgその中で一番綺麗そうな所から入る、入ってしまえば雨など関係無いはず・・・DSC06574_R_20121120000219.jpg入ってすぐに地図には無いV字型の岐路に出た、取りあえず右方向へ進むDSC06576_R_20121120211200.jpg壕内に入ると途端に湿気でレンズが曇る、カメラを慣らしながら、探索開始DSC06578_R.jpg若干うねりながら、2X2ほどの通路を歩くDSC06579_R.jpg羽にアクセサリーを付けた、おしゃれな小森さんDSC06581_R.jpg小森さんと遊んでる内に、天井が150cmぐらいになって来たが、潜り抜けるといきなりの4mクラスDSC06582_R.jpg振り返ると倍以上の天井の差にあきれる、何考えてるんだ掘った奴DSC06584_R.jpgそして現れたキノコ型の道、まず天井を決めて、下に掘り下げて巨大な壕を作る途中だ。DSC06587_R.jpg取りあえず右側の水没壕に行くが深さの限界で、未到達DSC06588_R.jpg戻って横4m高さ1.5mの変態壕を進むDSC06589_R.jpg時間短縮の為2段掘りを行っている、強度を保つ為に上下の壕の位置がずれているDSC06592_R.jpg高さは立てる様になって来た、するとトロッコ軌条が現れるDSC06594_R.jpg軌条は続く何処までもDSC06595_R.jpg辿って行ったその先に、上を見上げて動かないtonotama氏、DSC06597_R.jpgなんと、壕内に雨が降る、傘を壕口に置いて来てしまった、雨など壕内に関係無いはずなのに・・・DSC06598_R.jpg濡れたく無いので、ギリギリショットの縦坑、今日はこの為にきたも同然  壕内の竪穴DSC06601_R.jpgそしてトロッコ軌条は曲がって終わりを告げるDSC06604_R.jpg天井にチーフを下げる(水平を計る)為の木片がぶらさがるDSC06614_R.jpg小森さんもぶらぶら揺れているDSC06615_R.jpg場所によって、柱の跡がくっきり残るDSC06617_R.jpg5年1組集合場所?DSC06618_R.jpg
探索は次回につづく

立川駐屯地 防災航空際2012 その2

それでは、式典に戻ろうDSC06354_R.jpg式典の場では女子大生が太鼓を叩きながら踊っていたDSC06225_R.jpg仕方ないので、格納庫でヘリのテイルブームの組み立てを見るDSC06360_R.jpgDSC06472_R.jpg1/1モデル完成DSC06368_R.jpg音楽演奏も終わり、ヘリが起動し始めるDSC06370_R.jpgテイクオフDSC06365_R.jpg消防も離陸DSC06367_R.jpg警察もつづく、消防、警察とも3機ずつ参加DSC06380_R.jpg変態が飛び立って行く  ヘリ集団離陸DSC06383_R.jpgDSC06384_R.jpgヘリの集団は基地上空を大きく旋回していくDSC06385_R.jpgDSC06387_R.jpgそして帰って来た
DSC06390_R.jpg上空を通過して行く   ヘリ集団上空通過DSC06392_R.jpgそしてまた、大きく旋回を始めるDSC06395_R.jpgDSC06396_R.jpgその間に武山高等工科学生のドリルが行われる   ドリル展示DSC06398_R.jpg再び上空を通過しながら今度は左右に編隊を分かつ(陸自左、消防警察右へ)DSC06404_R.jpg陸自編隊、左へDSC06405_R.jpg消防、警察は右へ分かれ、2編隊で8の字を描く  8の字、分かれDSC06406_R.jpgDSC06408_R.jpg左右からの合流を果たす  左右から合流DSC06412_R.jpg各代表機種のみ滑走路上にホバリング、他は解散DSC06421_R.jpgそれぞれ各機種の説明をしながら横回転を一周する
DSC06424_R.jpgDSC06426_R.jpgDSC06427_R.jpgDSC06430_R.jpg紹介後OH-1以外は戻って行くDSC06443_R.jpgOH-1変態飛行展示変態飛行 DSC06446_R.jpg災害救助活動展示、UH-1からりぺリング降下。DSC06451_R.jpg赤と緑の車両が駆けつけるDSC06453_R.jpg人命救助、家屋と車内綴じ込み救助活動DSC06454_R.jpgそれぞれ救出、応急手当DSC06458_R.jpgヘリにて搬送するDSC06455_R.jpgその後警察、消防、陸自機によるりぺリング降下救助が行われたが、降下は陸自が一番早く、救助は消防が大差で早く陸自は最後だった。(やっぱ消防はスゴイ)DSC06467_R.jpg次はヘリからの火災消化散水(ほとんど爆撃)DSC06468_R.jpgまずは自衛隊機2機のバケットからの散水DSC06469_R.jpgつずいて消防ヘリの胴体内タンクからの放水(初めて見た)爆撃DSC06470_R.jpg訓練展示全て終了DSC06471_R.jpgP1000935.jpg惜しくも1番違いで逃すDSC06473_R.jpg時間前には行ったが、軽装甲車にはすでに長蛇の列、高機動車はすぐに順番が回ってきた。DSC06474_R.jpgDSC06481_R.jpg一度に6人程度かな?DSC06483_R.jpg撮影の為助手席に乗る体験試乗
DSC06495_R.jpgCH-47の地上滑走地上滑走
DSC06429_R_20121114233436.jpgUH-1の体験搭乗体験搭乗
DSC06500_R.jpgDSC06348_R.jpgDSC06349_R.jpgDSC06351_R.jpg屋台、売店はかなり充実していた。DSC06516_R.jpg基地内から立川駅までのシャトルバスが運行されていた。昼から10分置きに1便(170円)DSC06521_R.jpgDSC06523_R.jpg何故か1両だけ、ぽつんと展示されている60式装甲車を眺めながら、帰途に着く

立川駐屯地 防災航空際2012 その1

H24年11月11日(日)立川駐屯地に行って来た。
ここには陸自ヘリ基地と消防、警察のヘリ部隊が共生している(格納庫別、滑走路共同)
朝、6時半に出て8時半に現地到着、駐車場が無いので(自転車のみ可)立川駅付近に車を停める。DSC06206_R.jpgなんかヤバゲな雰囲気が・・・・DSC06207_R.jpgすでに先が見えない状態だった・・・・ま、ず、い、かなり不味いDSC06208_R.jpg8時45分ごろに入場が始まるDSC06210_R.jpg金属探知機に引っ掛かった人だけ、手荷物検査(カメラが引っ掛からない程度のあまい探知機)
ここで自転車右、歩行者左に分かれるが、自転車は駐輪した後、歩行者最後部に並び直す様だ。DSC06216_R.jpg地上待機中のヘリの後姿を拝みながら、整理券の為に(無駄と知りつつ)ダッシュを駆けるDSC06219_R.jpg200mダッシュするも、あえ無く轟沈P1000935.jpg残るは抽選のUH-1体験搭乗に期待をかけるDSC06220_R.jpg式典開始まで、ふらつく事にするDSC06222_R.jpg裏手では、高等工科学校(武山)の生徒が最後のドリル練習をしていた。DSC06235_R.jpg新旧のチヌークがいた、新型の内部に入れるDSC06239_R.jpgDSC06240_R.jpgDSC06241_R.jpgDSC06243_R.jpgDSC06247_R.jpgDSC06249_R.jpg地上滑走乗りたかったなぁ~DSC06256_R.jpgDSC06260_R.jpgDSC06262_R.jpgDSC06363_R.jpg
DSC06266_R.jpgDSC06268_R.jpgDSC06263_R.jpgこの2機は米軍機(試乗展示のみ)
DSC06276_R.jpgDSC06302_R.jpg乗ってみた
DSC06272_R.jpgキャップ、ステッカー等販売している(以外に安い)DSC06285_R.jpgDSC06289_R.jpg派手なセスナが2機いたDSC06290_R.jpg空自の参加機(地上展示のみ)DSC06296_R.jpgDSC06307_R.jpgDSC06310_R.jpgDSC06312_R.jpgDSC06314_R.jpgDSC06315_R.jpgDSC06318_R.jpg式典が始まるが、もう少しまわるDSC06325_R.jpg屋台でとん汁うどんを食すDSC06326_R.jpg裏方は大変だDSC06329_R.jpgDSC06331_R.jpgDSC06332_R.jpgDSC06503_R.jpgDSC06504_R.jpgDSC06509_R.jpgDSC06507_R.jpgDSC06339_R.jpgDSC06341_R.jpgDSC06342_R.jpg沢庵は絶品との声が多いが、カンめしはあまり人気が無い、一般レトルトにしてくれとの声が内部では多い
1型2型とも煮るのに20分はながい、自分的にとり飯うます。DSC06515_R.jpgDSC06338_R.jpgDSC06510_R.jpgものすごい甘い匂いのする煙で、殆ど見えない煙体験ハウス


おまけ映像チヌーク地上走行 

つづく


松戸駐屯地60周年記念行事その2

前回のつづきで、訓練展示中心でUPするが、FC2動画は5分未満ぐらいしかUP出来無かったので
本編の動画がUP出来なかった。(スキルが上がったら、UPするかも)DSC04724_R.jpgまずは定番の音楽演奏DSC04726_R.jpg展示開始!まずは状況偵察に82式指揮通信車が進入して来るDSC04728_R.jpg一回りして状況報告DSC04732_R.jpg96式装輪装甲車が合流するDSC04735_R.jpg状況確認後、退去しようとした時、銃撃を受けるDSC04736_R.jpg各車両から、下車戦闘に入るDSC04734_R.jpgコブラが頭上を飛びぬけて行く(支援射撃)DSC04738_R.jpg敵航空機接近の報を受け、地対空ミサイル発射装置等の対空車両が進入して来るDSC04739_R.jpgDSC04740_R.jpgDSC04741_R.jpgDSC04742_R.jpgDSC04744_R.jpgDSC04745_R.jpgDSC04746_R.jpgDSC04747_R.jpgDSC04748_R.jpgレーダーにより敵機補足!DSC04749_R.jpg発射!白煙を噴出しミサイルが飛翔して行く!・・・・わけないDSC04750_R.jpgミサイルにて敵航空機を撃墜後、侵入して来た敵ヘリコプターに車載重機関銃にて迎撃DSC04754_R.jpgDSC04755_R.jpgコブラ来襲!DSC04756_R.jpg結構派手に空砲射撃を行っていたDSC04759_R.jpgヘリコプター撃墜!DSC04761_R.jpg状況終了!DSC04765_R.jpg状況終了の合図で垂れ幕が下りるDSC04767_R.jpg訓練展示終了
DSC04770_R.jpg撃墜されたはずのコブラが接近してくるDSC04772_R.jpgDSC04773_R.jpgDSC04774_R.jpgDSC04775_R.jpgDSC04776_R.jpgDSC04777_R.jpgコブラ墜落(着陸)コブラ着陸DSC04833_R.jpgDSC04834_R.jpgDSC04838_R.jpgDSC04839_R.jpgDSC04835_R.jpgDSC04836_R.jpgDSC04837_R.jpg
機銃リンクシステムDSC04842_R.jpgDSC04846_R.jpgDSC04849_R.jpg屋台は結構盛況だったDSC04851_convert_20121112225600.jpg
自販機は安かった、珈琲買って帰ろう

松戸駐屯地60周年記念行事その1

H24年10月8日(月)千葉の松戸に行って来た。
ここは駐車場はあるのだが、9時かっきりまで入れてくれないDSC04635_R.jpgアーチも何も無い質素な正門DSC04637_R.jpgDSC04640_R.jpg今回は持ち物検査も金属探知機も無かったDSC04623_R.jpgまずは目当ての松戸飛行場の遺構を探すDSC04647_R.jpg反対側は綺麗だDSC04629_R.jpgDSC04652_R.jpgDSC04653_R.jpg木造の遺構はいたる所にあるDSC04632_R.jpgそろそろ始まりそうな、感じがしてきたDSC04646_R.jpgこの駐屯地は高射特科と補給処、需品学校から成っているDSC04654_R.jpgこの下の箱、お持ち帰りしたい・・・DSC04662_R.jpgレトロな手回し式のサイレン(現役か?)DSC04650_R.jpg巨大なイモ虫発見す!DSC04670_R.jpg式典は始まっていた(やたら警備が厳重な気がする)DSC04672_R.jpg隊員達はこれから式典(50分)の間、立ちっぱなしDSC04678_R.jpgその間災害派遣の展示を見てまわるDSC04681_R.jpgDSC04685_R.jpgDSC04686_R.jpgDSC04688_R.jpgDSC04693_R.jpg奥の方では、子供用ミニ電車の準備中DSC04694_R.jpgドラゴンマークの96式装輪装甲車がいたDSC04633_R.jpgもう一度格納庫を見に行くDSC04648_R.jpg登りたくなるアングルだDSC04663_R.jpgこのリベット感がいいDSC04661_R.jpg横に同材質の倉庫があるDSC04707_R.jpgDSC04708_R.jpgDSC04704_R.jpg防弾チョッキやパラシュートを装着出切るコーナーDSC04709_R.jpg式典は進んでいるDSC04714_R.jpgDSC04715_R.jpgDSC04717_R.jpgそろそろ式典終了かな?DSC04720_R.jpg祝賀飛行にP3-CとU-125Aが来たDSC04779_R.jpg尺の問題で体験試乗を先にあげる、軽装甲車の整理券を確保したDSC04780_R.jpg待ち時間があるので、1/2Tトラックに乗ることにするDSC04786_R.jpg先着順なのだが、ほとんど待たずに乗れたDSC04789_R.jpg一回に10人そこら乗れるので、回転がいいのだろうDSC04788_R.jpgでは、出発 体験試乗1/2Tトラック 
DSC04794_R.jpgDSC04797_R.jpgまだ時間があるので、展示車両を見てまわるDSC04798_R.jpgDSC04799_R.jpgDSC04803_R.jpgDSC04802_R.jpgDSC04807_R.jpgDSC04809_R.jpgDSC04811_R.jpgDSC04813_R.jpgDSC04812_R.jpgDSC04819_R.jpgDSC04820_R.jpgDSC04824_R.jpgDSC04823_R.jpgDSC04826_convert_20121112201637.jpgDSC04827_R.jpgDSC04829_R.jpgDSC04830_R.jpg一通り見たので、軽装甲車に乗りに行くDSC04852_R.jpg丁度いい時間の様で、すぐに順番が回ってくるDSC04858_R.jpgこれには2~3人しか乗れないので、先着順に整理券で限定される、今回は二人で乗って来た、上部ハッチに2人、助手席に一人乗る事が出来るDSC04856_R.jpgハッチが狭いので、二人だと多少手狭に感じるが、戦闘車両の性である、では出発 体験試乗 軽装甲車DSC04859_R.jpg戻って来たら、なんか列が減っていたので、今度は残りの高機動車に並ぶDSC04860_R.jpg軽装甲車の前面は以外にごついかな?(順番待ち暇つぶしに撮る)DSC04861_R.jpg順番が来たDSC04862_R.jpg簡素な運転席DSC04864_R.jpgでは、出発  体験試乗 高機動車DSC04865_R.jpgただいま。
 
次回、訓練展示です












海軍軍需部長浦倉庫郡

JR田浦駅を降りた一帯が全てそうである、主に相模運輸倉庫が占め、海自、海保、中小企業が混在する倉庫地帯を構成している。
最近は国有地として、一部売りに出されている(金さえあればF号倉庫が買える)
相模運輸倉庫_R
こんな感じにちらばっている、番号アルファベットとバラバラに点在する。
DSC03081_R.jpg
まずは、駅を16号線側に出るとロータリーに倉庫壕がある
DSC03084_R.jpg
廃材だらけで危険である、入らない様に
untitled_R.jpg
駅構内にある、案内板
軍用引込み線二本_R
左が昭和の引込み線(この一枚の為に、山を登る)
DSC08281_R.jpg
駅前にある、7号倉庫(第一水雷庫)
DSC08285_R.jpg
海自施設、左から第二電気庫、第二計器庫、第一兵器庫らしい(不確定)
DSC08280_R.jpg
F号倉庫(第三水雷庫)、参考にしている

田浦をあるく
では、軍需部修理場となっている。
軍需部修理場跡_R
現役時代のF号倉庫、横にベルトコンベアーが付いている、モルタル張りだが、一部剥がれて中のレンガが見えている所がある(結構有名な建物)
DSC08276_R.jpg
G号倉庫(第三電気庫)
H号倉庫_R
H号倉庫(通信兼電気兵器庫)
E号倉庫_R
E号倉庫(兵器修理場)
CIMG0658_R.jpg
現在庇や周りをかたずけられ、売却を待つ
CIMG0659_R.jpg
同じ状況のE号倉庫(光学兵器倉庫)
k号倉庫_R
最近まではギャラリーっぽい事をやっていた。
運河と連絡橋_R
アーチ橋(当時物)、手前のガーター橋は撤去された
DSC08268_R.jpg
3号倉庫(第一兵器事務所)
DSC08252_R.jpg
B倉庫、Aは解体された
DSC08250_R.jpg
C倉庫、Bの先にAがあった
DSC08253_R.jpg
Cの先がD倉庫
DSC08099_R.jpg
5号倉、庫奥は本社建物
DSC08097_R.jpg
昔を思わせる落書き
DSC08269_R.jpg
当時のボートダビッド
DSC08270_R.jpg
寄って来たぬこ
DSC08257_R.jpgDSC08111_R.jpg
バックヤードを歩くと柵越しに見慣れた形状の物が・・・
DSC08112_R.jpg
捨てるならくれ、3インチ砲
DSC08264_R.jpg
5号倉庫
DSC08263_R.jpg
15号倉庫
火工工場全景_R
左側6号倉庫(現在撤去済み)
DSC08262_R.jpg
奥のサイロは後からの物だが、手前の倉庫は当時物
DSC06193_R.jpg
使われなくなって久しい、錆び具合がノスタルジックだ
DSC06184_R.jpg
では、中に入ろう
DSC06188_R.jpg
二階の窓が眩しい
DSC06187_R.jpg
鉄骨のリベットが時代を感じる、溶接なんか一つも無い
DSC06189_R.jpg
鉄骨萌えしそう

この先については、また後日触れる事にする

田浦火工工場地下壕(水雷部)

今回は、田浦火工工場地下壕の水雷部の方のレポートである。
曙機械株式会社と海上自衛隊横須賀造修補給所の裏にあるので、一般的に入れない。
DSC06201_convert_20121109223202.jpgこの裏山に位置するDSC02254_R.jpg自衛隊側の壕口(現在閉鎖)DSC02263_R.jpg戦後、何かの水槽として再利用される、T字型をしているDSC02265_R.jpgT字を右に見るDSC02264_R.jpg左に行って、水槽を乗り越える、隙間1m弱DSC02267_R.jpgこの辺の天井はしっかりしているDSC02268_R.jpg床がガレ始めるDSC02269_R.jpg中に進むと湿度が上がる、地層が面白いDSC02270_R.jpg通路の掘削は綺麗だDSC02271_R.jpg左に伸びる通路はクランクして、閉塞(外に向かって掘りかけ?)DSC02274_R.jpg10m弱の部屋が2本の坑道を挟んで、梯子状に5部屋ほどつづく、水没もあるDSC02276_R.jpg部屋の入り口の位置は、ばらばらだDSC02277_R.jpg通路に柱が残るDSC02278_R.jpg室内のみ湿度が高いDSC02280_R.jpg板が打ってあるDSC02281_R.jpg井戸の様な水貯めDSC02282_R.jpg壁に小さな棚が掘られるDSC02283_R.jpg上は柱を入れる穴DSC02285_R.jpgこの様に穴にコンクリで固定された梁が等間隔であるDSC02287_R.jpg落ちた梁DSC02286_R.jpg下に物入れか?凹みがあるDSC02288_R.jpg横に通路がある、珍しく碍子が残るDSC02289_R.jpg反対側に2つ開口部があるDSC02290_R.jpg斜めになっている部屋DSC02291_R.jpg5つ並んだ部屋の反対側の坑道に進むDSC02294_R.jpg左に湿度の高い掘りかけ通路DSC02295_R.jpg狭い部屋DSC06800_R.jpg通路を進むDSC06801_R.jpgベンチカット工法で掘削中の部屋DSC06802_R.jpg突き当りを右に行く、ブロック閉鎖DSC06803_R.jpg穴から覗く、なぜ緑色?DSC06804_R.jpg突き当たり左側ズリだらけ、終点DSC06748_R.jpg外に出て、廃線線路より曙を見るDSC06743_R.jpg天井にクレーンが残る物もDSC06741_R.jpg引込み線、廃線区画は防衛省管轄、一般立ち入り禁止

田浦火工工場地下壕(砲工部)その2

前回の続きである。
DSC06719_R.jpg左側に一部屋あるDSC06723_R.jpg覗き穴が開いてるDSC06724_R.jpgなんと壕の中に線路があるDSC06985_R.jpg右側だけがガレているDSC06986_R.jpg側溝がきちんと残るDSC06987_R.jpgまた、先が窄まるDSC06992_R.jpgDSC06993_R.jpgDSC06994_R.jpgDSC06995_R.jpgとにかく広いDSC07007_R.jpg何処までも続くDSC07008_R.jpg何故か、そこだけ盛り土が(こうゆうのは、多数の壕で見る)DSC07009_R.jpgDSC07014_R.jpg丸から四角に天井が変るDSC07021_R.jpg水没の部屋もあるDSC07024_R.jpgまた、湿度があがり、天井は下がるDSC07026_R.jpgほとんど隙間が無いDSC07027_R.jpgDSC07028_R.jpg狭い、暑い、腰が痛い(とゆーか、背中天井に当たってるし)DSC07030_R.jpg10分ほど半匍匐をすると、不意に拓ける、コンクリの出口?DSC07031_R.jpg壁をぶち抜き、通路に後からした感じDSC07032_R.jpg少し離れて、小さめの通路(窓?)DSC07040_R.jpg反対側DSC07042_R.jpgこの辺は塞がれた壕口が多数ある、極近年のようだDSC07043_R.jpg右に隙間があるDSC07050_R.jpgまだまだつづく、4時間は過ぎてるDSC07051_R.jpgまた、覗き穴DSC07052_R.jpgこの辺は近年調査を受けている様だ、さっきのコンクリ閉鎖時だろうDSC07053_R.jpgDSC07054_R.jpgDSC07055_R.jpg遂に終点の様だDSC07056_R.jpgん、まだ行けるDSC07057_R.jpgさっきの覗き穴の反対に出た、終わりだ・・・出るのに後何時間?がんばれ3本目の懐中電灯DSC06984_R.jpg最大の難関に戻って来た、誰だ測量したやつDSC06970_R.jpgゴムキャタピラの跡があるDSC06971_R.jpg帰って来た、出口付近DSC06745_R.jpg水の中に瓶がごろごろしているDSC06968_R.jpg奥で見たコンクリ閉鎖壕口CIMG1788_R.jpg戦利品SCN_0004_convert_20121110081006.jpg榴弾砲さんから頂いた某公式調査団の資料本のコピー、ヘンミ製九八式運動盤である。
これは大和に至るまで、直接照準以外の艦砲に必ず必要な一品だ、艦砲はアニメや本の様に簡単に撃てない、
波高、風向、使用火薬の質、量などなど、緻密な情報分析により、初めて発砲に至る。
ちなみに下図運動盤は、完品では無い、自分の戦利品の様に、透明アクリル板を2層にし中央を支点にし、ダイヤル式に回る物が付属する、これが無いと用をなさない。(現在完品ほぼ存在せず、アメリカに資料として現存)
艦砲とは1門撃つのに数十人の努力が必要な、芸術品である。

参考H.Pを教えてもらった、上記の米国の方らしい(残念ながら全て英文)

International
Slide Rule Museum

左側のGALLERIESのHemmi をクリックして下さい、いろんな計算版が載っています。

田浦火工工場地下壕(砲工部)その1

JR田浦駅付近にある、火工工場(砲工部)の地下壕のレポートである。
ここは某施設の裏に開口部がある為、一般の入壕は出来ない、自分は某施設に許可を取っている。
24時間体制で、監視カメラ付きで管理されているので、無理はしない方が良い。
DSC06627_R.jpgDSC06628_R.jpgDSC06631_R.jpg手前には特徴的な壕口の倉庫壕(内部で一部接続)があるDSC06642_R.jpg早速突入するDSC06644_R.jpg入り口付近は水没が多い為、今回の写真は靄で白んでる物があるDSC06645_R.jpg閉鎖された開口部、外はコンクリート吹き付けで分からないDSC06650_R.jpgこの辺の天井は、優に4mを超えている、枝抗が小さく見えるが、十分立って歩けるDSC06651_R.jpg水路に精密機械油瓶が落ちていた(磨くとビロードの気泡が綺麗だ)DSC06654_R.jpg朽ちた角材、埋め戻し時か当時か不明DSC06655_R.jpg本坑手前部分は埋め戻しが多く、枝坑が埋まりかけているDSC06656_R.jpg抗の高さは4mあるが、天井近くまで埋まっているDSC06657_R.jpg行った挙句、閉塞・・・引き返すDSC06659_R.jpgまったく、よく埋めた物だDSC06660_R.jpgまた精密機械油瓶が有ったDSC06662_R.jpgまたあった、碍子と比べて見るDSC06663_R.jpg全体的に側溝が掘られている様だDSC06664_R.jpgしかしガレているDSC06665_R.jpg掘り込みに残る木枠の棚(はめ込み式)DSC06666_R.jpg盛り土が減って来たDSC06667_R.jpgこの数m先は3mほど下に階段も無く、45度以上の角度で下っている(測量ミスか?)DSC06668_R.jpg先端に立って下を見ると、ほぼ直角に見えるDSC06670_R.jpg枝抗、埋め戻し、閉塞が続くDSC06673_R.jpgふと見ると、天井がすごい事にDSC06678_R.jpg天井が低くなって来たDSC06682_R.jpgさらに低くなるDSC06687_R.jpg以前の調査の跡DSC06693_R.jpgここをくぐると、メイン坑道へDSC06694_R.jpg何やら残留物がDSC06695_R.jpg調べたら結構な一品であったDSC06699_R.jpg炭素棒と丸いガラスDSC06700_R.jpg坑道を左に行くと、狭くなるDSC06701_R.jpgセルロイドっぽいケース状の物が散らばるDSC06703_R.jpg50m程で閉塞、戻るDSC06704_R.jpg変質したトランジスタDSC06707_R.jpg薬のアンプル?DSC06714_R.jpg運動盤は殆どバラバラだ(モウソウダケ製)DSC06717_R.jpg防毒面も散らばっている(先の丸いガラスがこれ)

その2に続く

横須賀海軍工廠船越造兵部田浦地下軍需工場

ここはJR田浦駅の近くにある地下壕の一つである。
始めに断っておくが、この壕は残念ながら、戦後昭和の産廃捨て場と化していた。
友人曰く、「頼まれても、入りたくない壕」との評価を頂いている。
実際、かなりの部分が産廃に埋めつくされ、グラスウールなど山積みされていて
壕床はかなりきたないが、これも現状の記録なので、あえてUPする。
DSC00911_R.jpg入り口を入った所に、人が入れる位のくぼみがある。
狭い壕に良くある物だが、すれ違い用なのか、防衛用なのか、用途がいまいち?
DSC04851_R_20130210181205.jpgこんな感じ1mも無い
DSC05328_convert_20121106224605.jpgそこに海軍食器が落ちていた
DSC00913_R.jpgこの辺はきれいだ
DSC00915_R.jpgゆるいカーブを曲がるとゴミが出だす
DSC00916_R.jpg右の閉塞
DSC00917_R.jpgこの辺はまだまし
DSC00918_R.jpg振り向くとこうなる、奥はコンクリの水桶
DSC00920_R.jpg一面のグラスウール(触れると刺さり、抜けないし、痛い)
DSC00922_R.jpg床に木箱が落ちているが、表面に書いてある文字は判別出来ない
DSC00924_R.jpgこれは、見難いが真ん中でボルトで繋いである、こんなんで、強度あるのか?
DSC00926_R.jpg壁面や天井のいたるところに、電気配線用の碍子を打つ板が残っている
DSC00927_R.jpgよくもここまで、詰めた物だ
DSC00928_R.jpgあちこちに閉塞(埋め戻し)が多い
DSC00929_R.jpg上部に自然窟があり、下半分だけコンクリ巻き(補強か?)
DSC00932_R.jpgここのメイン、唯一のコンクリ巻きの部屋
DSC00933_R.jpg上部に2箇所変なくぼみがある
DSC00934_R.jpgきちんと成型されている
DSC05357_R.jpg右の穴は素彫り途中な感じ、人物比の榴弾砲さん、手に海軍食器を所持
DSC00935_R.jpg反対側、右に何故かガラス窓
DSC00940_R.jpg大量のゴミ、迂回する
DSC00942_R.jpg行き止まりに見えて、横穴あり
DSC00944_R.jpg焦げた天井、画像中央と先に碍子あり
DSC00945_R.jpg突如タイヤの轍が!
DSC00949_R.jpgしかもちゃんと曲がっている
DSC00948_R.jpgあちこち焦げている
DSC00950_R.jpg奥に1m程の穴が!妙に綺麗な掘り口だがすぐに二股になるが閉塞
DSC04903_R.jpg壁の色が違う
DSC05333_R.jpgストロボが過剰に反射する
DSC05336_R.jpg壕内の廃屋、トイレまである(とうぜんボットン)
DSC04905_convert_20121107000943.jpgでは、最深部まで来たので、帰るとする







城の台防空砲台

横須賀市田浦にある、海軍防空砲台の遺構である。
まずは場所が分からない、地図を頼りにバイクを走らせる、16号線田浦駅入り口辺りの路地から、通称のの字と言われる公園を中心に巻いているループ道を上がって行く。
住宅地の切れ目にバイクを停め、後は歩いて山道に入る、いつもの山狩りが始まる、山の斜面を降りて行くと神明社に出た(御霊神社と並び全国何処にでもある)、幾つかの防空壕が残る
城の台防空砲台跡地下壕1_R砲台下の防空壕3_R車庫に転用後、ゴミ捨て場になる。 この後また斜面を登って行ったら、山頂最先端に住む住人の方と鉢合わせ、お話を聞く事に成功、「あなたが登って来たのは、昔軍隊が使っていた道で、私達も下から水を運ぶのに使わせて貰った、何を作っていたかは知らない」との事だった。
お礼を述べ、先に進むと唐突に先が無くなる、草を掻き分けると
城の台防空砲台跡1_Rでたー!砲塔囲だ、ここに千代が崎砲台の様な砲塔砲台を据えるつもりだったらしい。
城の台防空砲台跡2_R上記はUP画像で、実際はこの高低差、取りあえずほぼ直角な斜面を降りるが、途中でバイクを山頂に置いてきた事を思い出し、また登る。
DSC00905_R.jpgバイクで自衛隊病院まで移動しバイクを置いて来る、前の山裾に壕口を塞いだ跡があるので、丹念に斜面を探すと、石段を発見し登る
DSC00885_R.jpg途中にある海軍用地柱
DSC04826_R.jpgほぼ塞がった倉庫壕らしき物が、2つ程あった
DSC04831_R.jpg砲塔囲背後にある洞窟式陣地入口、10m程のみコンクリート巻きである
DSC00890_R.jpg進入
DSC00904_R.jpg振り返る
DSC04845_R_20130210182703.jpgまた振り返る
DSC04844_R_20130210182702.jpgさらに振り返る、コンクリ終了
城の台防空砲台跡指令壕7_Rコンクリが厚い、電気配線も来ている
DSC00892_R.jpgここから砲塔囲まで、素掘りのままである
DSC00893_R.jpg岩盤の質は良くない、発砲したら崩落必至だ、てゆうかすでに崩れてるし
DSC00894_R.jpg大小の部屋が3つある
DSC00895_R.jpg床は全面的にガレだらけで途中もいい所である
DSC00896_R.jpg3つ目の部屋
DSC00897_R.jpg出口、せまいし砲塔囲より高いので、ここから給弾不可である、よって司令部及び、兵員控え室であろう。
DSC00902_R.jpg実際、これは何だろう?砲塔は周りのターレットで回る物で、中心の柱など邪魔でしかないし、砲塔は後方に砲身の進退装置や給弾装置などが必要なのに背後にすぐ山肌で、スペースが取れない、しかも、直径20mの砲塔って何トンだ?この下には更に別の中規模地下壕があり、潰れるぞほんとに、電探なら山頂だし、探照灯ならおおき過ぎる(大和でも1.5m)。
DSC00900_R.jpg砲塔囲の高さから上は棘付き円柱
DSC00901_R.jpg下は四角柱・・・・ 分からん、分からんから帰る

城の台砲台

六浦地下軍需工場その3(支廠)

今回は、本坑を探す時に、たまたま斜面を探索中、発見に至った。
山の下側から見た場合は、絶対に見えない様になっている。
もちろんコレは山中への抜け穴で、本来の出入り口は私大グランド側に開口していたが
現在は当然ながら、コンクリートブロックで完全閉鎖されている。CIMG0051_R.jpgこれは冬枯れした時期の写真である、夏に来ると大変な事になる、6月を過ぎると薮化が始まり、スズメバチ(群生している)や蛇も出る。CIMG0052_R.jpg壕口である、前記した様に、下からは見えない。CIMG0053_R.jpg早速入るCIMG0055_R.jpg数メートル入ると、この入り口の階段形状には、感動すら覚えたCIMG0057_R.jpgまるで井戸の中に降りて行く様な、滅多にない半円形の急な階段であるCIMG0058_R.jpg振り返って入り口の階段部分CIMG0061_R.jpg途中から再度振り返る(まだ下る)CIMG0062_R.jpg階段を降りた先のなだらかな、下りCIMG0063_R.jpg最後の階段を下ると、前日の雨水が溜まっていた、いろんな意味でここは長靴を推奨する。CIMG0064_R.jpg綺麗な末広がりの階段だ、手すり風の物まであるDSC07577_R.jpg産廃の瓦礫を超えるDSC03814_R.jpg唯一この壕で綺麗な部屋DSC03811_R.jpg後ろは水没区。CIMG0103_R.jpg水没区にはコンクリの機械台座があるDSC03815_R.jpg天井には碍子と電球が残るDSC03816_R.jpgここから先は、主に某横浜私大から過去に投げ込まれた、不法投棄(厳密には敷地内なら合法か?)の山が築かれ、足がゴミにかなり埋まるし、蛍光灯やガラス製品も多くヘタに踏むと危険であるDSC07585_R.jpgここで分岐である、ここからは本坑と同じはしご型の壕形状になるCIMG0068_R.jpg狭くなった通路をくぐり、奥に行くと機械台座があったCIMG0070_R.jpg私大からの光が差し込むDSC06551_R.jpg盛り上がったゴミの山を越えるDSC06566_R.jpg私大側に開口していた後が、数箇所あるDSC06565_R.jpg奥に行くとゴミが多少減って来るDSC06568_R.jpg最深部、珍しい形で碍子が付いているDSC06572_R.jpg平行した隣の坑道に移動する、・・・・・せまい(空間30cmぐらい?)DSC06575_R.jpgせまかったDSC06573_R.jpg枝抗、アスレチック障害の用になって来たDSC03837_R.jpg取りあえず行ったが閉塞DSC06574_R.jpg越え甲斐があるDSC03822_R.jpgクリア!DSC06576_R.jpg戻ってきた、天井の配線は戦後の塩ビ配管DSC03842_R.jpg地上に帰るDSC03847_R.jpg付近にある、当時物?DSC03848_R.jpg兵舎跡なども見受けられる。

六浦地下軍需工場その2(本坑)

それでは、本壕に落ちて行こう。
現在使用できる一般用開口部は、なんと山頂にある。
もちろん本壕の高さは、工場なので平地と同じである、とゆう事はひたすら急勾配の下り地下通路を降りる
壕入り口には「先人の遺産」と言われるロープが残されている事が、しばしばある。
ここにはホースが入り口から途中まで垂れ下がっている。(使ったこと無いけど)
この斜面の壕床には、巧みな罠が仕掛けられていて、引っ掛かると仲間を巻き添えにして、転倒もしくは
下まで滑落する危険性がある。DSC03883_R.jpgこの高さから、地上の高さまで下る事になる。DSC03888_R.jpgひたすら下る、真ん中の枯れ葉がが曲者だDSC03891_R.jpgトラップその1、枯れ葉や砂に埋もれている(掘って見た)、異様に滑る。いろいろ埋まってるDSC03893_R.jpg下り切ると結構狭い所をくぐり、分岐点に降り立つ、ここは本壕の中間点なので、どちらに行っても良しDSC03896_R.jpg削岩機のロッドの後である、民間疎開工場ではないので、良い道具で掘削している。DSC03897_R.jpg主抗左側(この壕ははしごの様な形をしている)DSC03898_R.jpg右側の主抗は、この様に埋められ、上部1mも開いてないDSC03899_R.jpgはしご形なので、同様な物がつづくDSC03900_R.jpg人物に対して広さが分かると思う、天井も異様に綺麗な掘削で、ここが山の地面の下だとは思えない。
写真の人はご案内下さった、OKN氏。(知識量は半端ないっす)DSC03901_R.jpg反対側の壁にも部屋が彫られている所があるDSC07605_R.jpgまっ四角であるDSC07611_R.jpg機械台座郡DSC07612_R.jpg固定用ボルトが残るDSC04026_R.jpg天井の穴、背の高いプレス機などを、据えるために掘り増したと思われるDSC04028_R.jpg機械台座郡の隣の部屋、作業場?DSC04030_R.jpgご案内した毒ガス研究会、K山地下壕保存会、某私大助教授等の方々DSC04053_R.jpgこの隙間を通り、先へ進むDSC03939_R.jpg1ブロック隣へ移動、この壕のナフタリン臭の元がこれ!DSC03940_R.jpg見ての通り割れて中の液体が露出しているのに、何年経っても蒸発しない不思議な液体、これは戦時中のやばい液体ではなく、戦後に某科学薬品会社が使用していた時の残留薬品なので、安心して欲しい。
とはいえ、頭痛がする、吐き気がする、服に匂いが着く等好評であるので、気を付けたい。DSC03943_R.jpg中に入る、焼け焦げだらけであるDSC03944_R.jpg作業台DSC03947_R.jpg反対側DSC03951_R.jpg当時、据え付けた工作機械を摂取する為か、入り口のコンクリートを破壊して、広げてあるDSC03954_R.jpg薬品入りの20リットル瓶が多数転がるDSC03957_R.jpg枝道CIMG0129_R.jpg不思議な鉄パイプが頭上にある、何の為に?
写っているのは、デジタル・アートのtonotamaさんCIMG0127_R.jpg水没区の先に開口部が見えるCIMG0134_R.jpg端まで行ったので、戻るとする、途中の開口部CIMG0135_R.jpg昔は出れたが今は工場側から閉鎖されて、出れないDSC03932_R.jpg開口部付近の通路、何故か段差ありCIMG0141_R.jpgCIMG0142_R.jpg二階への階段
CIMG0156_R.jpg高低差は2m程度なのでらくらく登れるが、降りる時は飛び降りるしかないので、良く考えようCIMG0165_R.jpg階段の先は自分で見よう!DSC07656_R.jpgチャレンジャー「廃墟を旅する」東雲みょんさんDSC07658_R.jpgチャレンジャー最年少oryuu君DSC04071_R.jpg水没区、膝下長靴程度(不思議な事に水が枯れている時がある)DSC04074_R.jpg様々な碍子が落ちているDSC04078_R.jpg統制食器の湯のみDSC04075_R.jpg変な掘り込み棚DSC07643_R.jpg最深部反対の通路は産廃が多く歩きずらいDSC07657_R.jpg反対側の最後まで来たので引き返すDSC07660_R.jpg出口付近の部屋DSC03970_R.jpg帰る為には、またこの斜面を登らねばならない・・・・・合掌


六浦地下軍需工場その1(周辺遺構)

ここには、過去10回以上入壕し、いろんな人に紹介した馴染みのある壕だ。
最初は自力で探したが、見つからず、代わりに支廠の壕を発見した。(後に紹介する)
まずは、過程で見つけた周辺遺構を、紹介する。
市大裏上空_R金沢八景駅の裏山、横浜私大の横としか分からない状態である、後は某研究会の壕内図のコピーをポケットに入れて、バイクに跨る。   さぁ、山狩りだ!DSC01957_R.jpg取りあえず16号から環状4号に入り、最初のコンビニから山を眺めると鉄塔が見える、住宅の狭間から鉄塔を目指して、ひたすら山を登ると、鉄塔付近に道がある、ハイキングコースの様だ。DSC01963_R.jpg近くの小学校で作った案内板、不思議な縁で後に昔これを書いたと言う学生さんを、偶然に某地下壕に案内する。
まずは、駅方面に行ってみる。DSC01960_R.jpg当時の境界柱が立ち並ぶDSC01972_R.jpg駅前に出てしまったので、逆側に戻る、ホントにハイキングコースか?DSC01971_R.jpg
斜面中腹に、あった祠(普通人は来ないだろう、こんな所)DSC01961_R.jpg他の斜面で見つけた、苔生した何かの台座。 山頂方面に戻るDSC01959_R.jpgお馴染み海軍柱
DSC06304_R.jpgDSC06305_R.jpgお便所DSC07565_R.jpgDSC07567_R.jpg貯水槽と兵舎跡なのだが、なぜ壁の内外に石柱?DSC06291_R.jpg倉庫壕と思われるDSC06292_R.jpgDSC06294_R.jpg三ヶ所ほど見つけた
DSC06298_R.jpgDSC06300_R.jpgこれらは貫通していないが掘削途中でもない。DSC07599_R.jpg機銃座と言われている、6対立っているが、原型が想像出来ないDSC07600_R.jpg左下は倉庫壕、右上は連絡壕で貫通している。DSC07601_R.jpgDSC07602_R.jpgうかつに出ると斜面に落ちるので注意!

次回は、本坑に入る。P1020782_R.jpg




















東京通信隊蟹ヶ谷分遣隊

川崎市高津区久末の多摩丘陵にある蟹ヶ谷分遣隊の地下壕に行って来た。
正式名称は『海軍東京通信所蟹ヶ谷分遣隊耐強受信壕』というらしい。
うんちくはググって見て下さい。
取りあえず、資料を漁っても場所が特定できない!
某HPに載っている、特徴的なマンションをGoogleマップの航空写真で当たりを着ける。
後は行って見るだけ!紅白の鉄塔があるはずだ、今残っている鉄塔は航空用国土交通省(昔運輸省)の官舎の所をめざす。CIMG0578_R.jpg丘の周辺を探しまくって1時間、草むらの中に土台を発見、見つからない訳だ、最後の一本も切り倒されていた。CIMG0579_R.jpg航空管制用アンテナとして近年まで現役だったそうだ、残念遅かった、まさに戦跡は加速度的に消えていく。CIMG0587_R.jpg街中を彷徨い、例のマンションを探す事さらに1時間、あった!CIMG0586_R.jpg人の畑に出てしまったが、農道を進むとCIMG0585_R.jpg看板があった!しかし、耐強受信壕はどこにCIMG0582_R.jpg近くの草を掻き分けると、あった!なんか保存会もある筈なのに、ほったらかし感がなんとも・・・CIMG0583_R.jpg残念ながら、入れなかった。CIMG0581_R.jpg時間が余ったので(入れなかったので)この川崎市平和館へ、行ってみるCIMG0588_R.jpg川崎市中原区木月住吉町にある、壕から30分ほどか(駐車場無し、駐輪可)DSC09768_R.jpgDSC09769_R.jpgDSC09773_R.jpg体験コーナーへ入ってみるDSC09776_R.jpgDSC09778_R.jpgストロボで分かりにくくなってしまったが、壕から見た燃える町並みDSC09779_R.jpgDSC09780_R.jpg爆撃音などの、効果音も鳴っているDSC09782_R.jpgDSC09785_R.jpg一番の見もの、断面模型DSC09784_R.jpg分かりにくいが、緑文字の航空管制塔が11年まではあった様だDSC09787_R.jpg
DSC09790_R.jpg
DSC09791_R.jpg
DSC09792_R.jpg
DSC09793_R.jpg
DSC09794_R.jpgその他資料閲覧コーナーもある
一通り見たので、撤収する






2012海上自衛隊観艦式一般公開10/12

24年度観艦式ネタ、最後になる。
フィナーレらしく夜景(電灯艦飾)で飾るDSC05472_R.jpg横浜新港公園からの瑞穂埠頭にいる、輸送艦くにさきのショット
DSC05474_R.jpgついでに目の前に出て来た、マリーンルージュ(横浜港観光船)DSC05477_R.jpg埠頭までバイクを移動、やまゆきとちはやの前回見れなかった、電灯艦飾を撮りまくる。DSC05480_R.jpg正面UP、この時間帯は中には入れず、柵越しに撮影する。DSC05481_R.jpgやまゆき正面DSC05486_R.jpg行けるぎりぎりの柵に登って撮るDSC05489_R.jpgやまゆきUPDSC05494_R.jpg隙間から瑞穂埠頭のくにさきDSC05497_R.jpg赤レンガパークに移動して、大桟橋のひゅうがと屋形船DSC05496_R.jpgひゅうがと、ふじ丸と、屋形船DSC05499_R.jpgひゅうがとふじ丸とベイブリッチと屋形船・・・・・なんか飛んでる?DSC05501_R.jpg山下公園に移動して、ひゅうが・・・・とマリーンルージュ?いや、赤い靴号?ま、いいやDSC05506_R.jpg太平洋戦争時病院船として生き延びた、強運船氷川丸DSC05508_R.jpg結構絵になるかな?DSC05511_R.jpgUPDSC05510_R.jpg少しさがって、くにさきと風車も入れてみるDSC05522_R.jpg長時間露光で撮っていたが、夜の八時過ぎなので、通常撮影だとこんな感じ。
これはこれで、ありかな?002_R.jpg翌朝、ひゅうがとふじ丸はそのままだった001_convert_20121101192945.jpgくにさきは、おしりが開いて、LCACが見える(少し)003_convert_20121101193033.jpg最後に横浜のランドマークタワーから風車まで写す。
中央のくにさきの右側に瑞穂米軍基地の輸送船(揚陸艦)が小さく見える。
おしまい!また3年後に!!