貝山地下壕 その13 (海軍航空技術廠)

前回で終わろうと思っていたが、空技廠を忘れていたので、切り良く年内は貝山で〆る。
はっきり言って、地下壕派なので、空技廠の写真がほとんど無い!
やむなく急遽撮って来たてのほやほやの写真をあげる。
とは言え、現存する建物は多くは無いが工場施設内の物も多く、確認できない
もしくは、遠くから一部のみなんて感じになっている。
なお、本庁舎の様に、外観が全く変ってしまった物は、割愛する。
DSC07557_R.jpg海軍航空技術廠本庁舎前にある案内板
DSC07556_R.jpg隣にある碑DSC07568_R.jpgこの図に沿って紹介する
DSC07570_R.jpgまずは、空技廠図の上側から攻める(赤線が確認出来た物)
DSC07522_R.jpgプロペラ強度試験場、ここだけは壕になっている。
DSC07523_R.jpgコンクリートの残骸、屋外構造物の物だろうDSC07528_R.jpg壕口付近のレンガ
DSC07527_R.jpg入って緩やかに左に曲がる
DSC07530_R.jpg生息部、ここだけ広くなっている
DSC07537_R.jpgこの鉄の金具に高圧碍子が付く
DSC07695_R.jpg奥の埋め戻し跡、足元はコンクリートの台座が幾つかある
DSC07705_R.jpg二股分岐路
DSC07553_R.jpg第四風洞場
DSC07554_R.jpg第二風洞場
DSC07595_R.jpg高速風洞場
DSC07596_R.jpg高圧風洞場(この三つは現在繋がっている)
DSC07598_R.jpg高圧風洞場、横から見る
DSC07601_R_20121231212237.jpg脇の階段から下に降りると門が残っている
DSC07600_R_20121231212236.jpg明らかに隣の塀は後付けだ
001.jpg空技廠の壁
DSC07602_R_20121231212238.jpg階段を戻り気になる部分を見上げる、上に滑車が付いていて蓋が上がる様だ
DSC07604_R.jpg良く見ると、横壁にも同じ様なところが有った
DSC07605_R_20121231213311.jpg第一研究場
DSC07607_R.jpg何故かピンク
DSC07611_R_20121231213316.jpg床下は何故か埋められている
DSC07609_R.jpg試験水槽準備室
DSC07610_R.jpg本来ここから浦郷のトンネルまで続いているが、後は破壊されている
DSC00255_R.jpg浦郷のトンネル前には二本の橋が掛かっている
DSC00254_R.jpg魚雷試験水槽で通っている橋
DSC00251_R.jpg登ってみる
DSC00252_R.jpgこっちは歩道及び運搬用であろう、手前の工場敷地になっている方が航空写真で見ると試験水槽の直線に繋がるように見える
DSC00250_R.jpg足元にぬこが寝ていた
DSC07571_R_20130103102117.jpg空技廠図下半分、赤線が現存確認部分
DSC07681_R.jpg製図工場
DSC07683_R.jpg本庁舎(改装済み)
DSC07564_R.jpg赤丸部分を某地下壕にて発見した
DSC07712_R.jpg本庁舎旗竿差し、以前は本庁舎前案内板脇に放置されていたらしい
DSC07573_R.jpg電話所、奥は書庫
DSC07575_R.jpg第四研究所が見える
DSC07576_R.jpg三棟は隣接している
DSC07578_R.jpg窓枠が崩れ、煉瓦が露出している
DSC07687_R.jpg第六研究所(改装済み)、後が第四研究所
DSC07591_R.jpg第六研究所の横に、貯水槽が残っている
DSC07579_R.jpg第四研究所
DSC07589_R.jpg第四研究所前面より
DSC07581_R_20121231220209.jpg二階出入り口は、庇と踊り場が失われている
DSC07586_R_20121231220210.jpg当時の水道
DSC07588_R.jpg出入り口
DSC07580_R.jpg奥に書庫が見えるDSC07592_R.jpg材料庫
DSC07593_R.jpg第一実験準備場DSC07613_R_20121231222658.jpg桟橋の先端部分だけが当時の物であるDSC07634_R.jpg対岸の米軍基地DSC07617_R.jpg力学研究所DSC07619_R.jpgここも全面ネットで覆われているDSC07621_R.jpg屋上の電気配線DSC07622_R.jpg読めない・・・
DSC07623_R.jpg
DSC07625_R.jpg右側に最近まで第一修理品手入れ場があったが、解体され駐車場になっている
DSC07630_R.jpgコの字型の建物
DSC07631_R.jpg隙間から覗くDSC07635_R.jpg当時の門の流用だと思う
DSC07636_R.jpg右側、表札を外した跡がある
DSC07637_R.jpg左側、地面と一体化していない

また、機会が有れば、追加して行くつもりだ。
(25.1.2追加)
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貝山地下壕 その12 (上部第三)

貝山地下壕の最終回になる、今回は上部第三を紹介する。
上部1~3は慣れた人ならうっすら軍道が残っているのでいけるだろう
ただし、時間と共に道は崩れ、草木が蔽い茂っているので踏み外すと滑落する。
最後なので以前開いた見学会の写真を多用する。
CIMG0821_R.jpgこれは上部第一の反対側の出入り口だCIMG0822_R.jpg貝山は出入り口付近には必ず防火用貯水桶が設置されている(戦後に一部撤去)CIMG0823_R.jpg路肩が一部レンガで区画されているCIMG0824_R.jpgこれは第二工区のコンクリート階段の出口になるDSC03708_R.jpg道があるのはここまで(ちなみに三人写っている、迷彩効果)DSC03710_R_20121230142542.jpg幾度と無く斜面を上り下りする
DSC03709_R_20121230134034.jpgもはや藪漕ぎ状態になる
CIMG0825_R.jpg切り通しが出て来るCIMG0826_R.jpg小さめの穴CIMG0827_R.jpg二つ目の穴、やはり貯水桶はあるDSC03713_R_20121230135818.jpg装備を確認して突入するDSC02915_R.jpg発見時はこの程度の空き具合だったDSC03714_R_20121230135502.jpg人が入るぐらいなら、十分な大きさだ(走水低砲台はブロック2個分)DSC03716_R.jpg難なく入壕成功DSC03719_R.jpg季節は10月、半袖で汗を搔いている人も居れば、スキーウエアの人もいるDSC02917_R.jpg最初に来た時は何も無かったのに
DSC08214_R.jpg今回は線香とロウソクが展示してあった
DSC03721_R_20121230135505.jpg折角なので、火を灯してみた
DSC03722_R_20121230144110.jpgしばし合掌DSC03718_R.jpg階段を降り、下の部屋に移動
DSC03720_R_20121230144711.jpgもやしに付いて語り合う二人DSC02920_R.jpg一段下の部屋DSC02923_R.jpg反対側には棚がある、右は階段DSC08220_R.jpgここにも線香とロウソクが展示してあるCIMG0849_R.jpgしかも赤い靴の楽譜が巻いてある、手作りだ
DSC08221_R.jpg今度は階段ではなく、狭いスロープだDSC02930_R.jpgスロープで下の部屋に出たDSC02927_R.jpg特徴的な窪みのある部屋DSC02928_R.jpg反対側、外から見た二つ目の壕口、手前には扉があった様だ、左に下る道があるDSC02929_R.jpg最深部の部屋、銃眼がある、外から見た小さめの穴DSC02930_R_20121230150953.jpg振り返る
DSC03717_R_20121230150954.jpgさぁ、脱出だ
CIMG0852_R.jpg現在は心無い人間に破壊されている、これでは近じか再度閉鎖されてしまうだろう
CIMG0854_R.jpg上に上がると貯水桶がもう一つあった

訪れるのはいいが、後の他人の事を考えて身勝手な破壊や持ち出しを控えて欲しい。
特にブロック破壊や鉄条網切断は、市や管理者の感情を硬化させてしまい、閉塞に拍車がかかる。
今回の第二工区壕口の、ほぼ全面封鎖はそういう背景があると思われる。


上部第三



貝山地下壕 その11 (上部第二)

貝山には地上に面した大型壕の他に、山腹にも壕がある。
今回はその中の上部第二のみ紹介する。
この壕も某サイト紹介後、派手な盗掘に遭い、壕床などは掘り起こされてしまっている。
通信及び小火器の弾薬貯蔵壕だった様で、真空管や通信機残骸、弾薬クリップその他付属物
などが、残されていたが根こそぎ採られて壊れた食器や碍子ぐらいしか残ってない。DSC08197_R.jpg壕口は上からも下からも見えないようになっている
DSC08198_R.jpg爆風除けにクランクになった通路
DSC08199_R.jpg全体的に四角く掘られている
DSC08200_R.jpg中央にあるホール空間
DSC08201_R.jpg入り口付近には、海軍食器他、遺物が多いDSC02893_R.jpgエビスマークの電球DSC02894_R.jpg真空管
DSC03707_R.jpg海軍マークが付いている貴重品
DSC02898_R.jpgコンデンサー、単電線、碍子
DSC02899_R.jpg他の真空管と小碍子
DSC02900_R.jpgインク瓶DSC02905_R.jpg左下にレシーバーのスピーカーがある
DSC02906_R.jpg乾電池とヒューズ
DSC02901_R.jpg小部屋の中には・・・
DSC02902_R.jpgこの壕の目玉だった、二飛訓練所用の箱DSC02903_R.jpgここは予科練の訓練所である、裏側はスピーカーの様だった
DSC02904_R.jpg(株)昭和製作所の名盤
DSC03672_R.jpg今はもう無いDSC02907_R.jpg小部屋の先は掘り掛けだったDSC03697_R.jpgホールにも色々落ちていた、愛国と書かれた靴底DSC03698_R.jpgいとまつと書かれた瓶DSC03706_R_20121229135312.jpgイカリマークの電気部品DSC02884_R.jpg奥に進む
DSC02885_R.jpg通路に壕口からの枯れ葉が溜まる
DSC02886_R.jpg弾薬庫、床の木片は弾薬箱の風化した物DSC03675_R.jpg木箱の持ち手の縄も一部残っていた
DSC03676_R_20121229141149.jpg弾薬クリップとその付属物、今はもう無いDSC02889_R.jpg最深部の部屋
DSC02890_R.jpgやたらに空き缶が転がっている
DSC02891_R.jpg奥側からDSC02908_R.jpg入り口付近の碍子DSC02910_R.jpgもう一つの壕口DSC03678_R.jpg壕口から一段登ると石垣が組んである
DSC03679_R.jpg祠状の監視所
DSC03680_R_20121229142308.jpg四角い井戸状の物もある

今回紹介した写真は、発見当時の物で、これらの遺物はほぼ失われている。


上部第二

貝山地下壕 その10 (第四工区②)

それでは、貝山地下壕第四工区の二本目に突入する。
第四工区は山裾からは、全く見えず山中に分け入らなければ、見つからないうえ、土砂や落ち葉などでほぼ埋まっている、写真は当時枯葉などを撤去した状態の物で、今は元どうり埋まっているだろう。
DSC09765_R.jpgやはりここもほぼ埋没状態、捜索二日目に発見されるDSC09767_R.jpg壕口は1/10ぐらいしか開いていないDSC09768_R_20121228173516.jpgおかげで内部は全く荒らされていないDSC09770_R.jpg入り口付近の部屋に、妙な小部屋があるDSC09772_R.jpg何だろうこの穴は、一つしか思い浮かばないDSC09774_R.jpg部屋自体は広めのかまぼこ型DSC09780_R_20121228175222.jpg統制食器の破片(緑線がその印)DSC09781_R.jpg海軍食器DSC09783_R.jpg漏斗かな?DSC09807_R.jpg破片を集めてみたDSC09809_R.jpgもう一つ出てきたDSC09812_R.jpgなんか箱もある、空っぽだったDSC09813_R.jpgエンピの先だけDSC09814_R.jpgなんだろう?DSC09776_R_20121228175220.jpg通路に戻るDSC09777_R.jpg側面もかなり綺麗に掘ってあるDSC09784_R_20121228180215.jpg電気配線も壕の規模から見るとかなり良いDSC09785_R_20121228180216.jpg壕床には所々レンガが落ちている、床面が1mほどの幅で掘り下げられているDSC09786_R.jpg天井にはセントル(ブリキの波板)が付いていてのだろう、釘だけが残るDSC09787_R_20121228181055.jpgこれが最初に倉庫壕から見た穴だDSC09788_R.jpg穴から倉庫壕をみる、間違いない!DSC09789_R.jpg右が倉庫壕入り口DSC09790_R_20121228181057.jpg排水溝に破片類が寄せられているDSC09793_R_20121228181829.jpg次の部屋の入り口ここも狭まった薄い溝が掘ってあるDSC09794_R_20121228181830.jpg排水溝なら別にあるDSC09795_R.jpgゆるいカーブで先につづくDSC09796_R.jpg床の薄溝もつづくDSC09797_R.jpgマーク入りの碍子DSC09799_R.jpg次の部屋の入り口DSC09800_R.jpg室内からDSC09802_R.jpg先は水没しているDSC09804_R.jpg違うマークの碍子DSC09806_R.jpg並べてみた
DSC09803_R.jpg奥まで行ったので戻る

第四工区②

貝山地下壕 その9 (第四工区①)

貝山地下壕は地表部に1~3工区あるのは有名だが、実はもう1ブロックある。
個人的に第4工区と分類している、ここは二本の壕が隣接していて、外部に倉庫壕も付属する。
P1000503_R.jpgきっかけは、この倉庫壕を見つけた事だったP1000504.jpg確認の為小さい壕だが入って見たP1000505.jpg通路と閉塞出口、部屋一つの小壕だったP1000509_R.jpg何か穴が開いているP1000510_R.jpg覗き込むと何と新たな壕があるP1000511_R.jpg早速周辺の山狩りを始めると、あったP1000512_R.jpgかなり狭いが滑り込む事に成功するP1000514_R.jpg当たりだ、中は坑道が続いているP1000515_R.jpgかなり状態はいい、コンデジしか持ってない事が悔やまれるP1000516_R.jpg小さな部屋が続くP1000518_R.jpg通路に傾斜があるP1000519_R.jpg壁に何かを引っ掛けるフックがあるDSC09821_R.jpg山腹に出る通路を発見、右手に煙路が着いているDSC09830_R.jpg煙路を辿ると、かまどがあるDSC09825_R.jpg壕内には多数の部屋があるDSC09826_R.jpg部屋には排水溝も掘られているDSC09827_R.jpg接続部分DSC09828_R.jpg先が続いているDSC09831_R.jpg
DSC09832_R.jpg
DSC09833_R.jpg
DSC09834_R.jpgさっきの部屋に戻ってきた、上に穴が開いているDSC09835_R.jpg
DSC09839_R.jpg
DSC09840_R.jpg
DSC09841_R.jpg
DSC09843_R.jpgこの付近は壕口に近い為トタン板などが押し込まれているDSC09846_R.jpg
DSC09847_R.jpg何故かタイヤの跡がある
DSC09850_R.jpg壁に窪みが、棚だろうか?
DSC09852_R.jpg床の溝が辺だ
DSC09853_R.jpgカドの辺にも窪みがDSC09854_R.jpg作りが棚とは違う
DSC09855_R.jpgDSC09856_R.jpgベンチカットの途中で下のさっきの小部屋の天井に当たってしまったようだ
DSC09857_R.jpg壁に電線を埋め込んだ跡がある、変電施設か?DSC09870_R.jpg地下壕としては珍しい痕跡だDSC09866_R.jpg付近の開口部DSC09863_R.jpg奥まで来たので戻る
P1000525_R.jpgかまどに戻ってきたP1000536_R.jpg煙路の切り込みP1000540_R.jpg逆側から見る、電気配線の跡があるP1000537_R.jpg山腹より脱出、しかし、最初の倉庫壕の穴に接続していなかった。
調査続行!


第四工区①



貝山地下壕 その8 (第二工区③)

今回は残りの西側地区を紹介するDSC09549_R.jpgDSC06946_R.jpg2mほど奥に深くなった天井に板が張ってある空間があるDSC03628_R_20121226215538.jpgこれは浄水所側中腹の出る、抜け穴の階段。DSC03630_R.jpgDSC03626_R_20121226215536.jpg一段が広めだDSC03629_R_20121226215539.jpg途中に一部屋掘ってあるDSC03627_R_20121226215537.jpg電線などが落ちているDSC09554_R.jpgドラム缶が置いてあるCIMG0198_R.jpg地下壕や砲台などで見かけるタイプだDSC09556_R.jpgコンクリ巻きの出口だが、埋まってるDSC09557_R.jpg天井にセントル巻きの跡が残るDSC09894_R.jpgここにも年号が書いてあるDSC03637_R_20121226225844.jpgDSC03637_R_20121226230814.jpg20年1月30日に見える、終戦の年だDSC09559_R.jpg倉庫ブロックの出入り口DSC09561_R.jpgDSC09560_R.jpgレンガの枠組みがある、扉があったのだろうDSC03650_R.jpgぽつんと一つだけ立っているコーンDSC09563_R.jpg
DSC09564_R.jpg
DSC09565_R.jpg
DSC09566_R.jpg
DSC09567_R.jpg一番大きな開口部、最近柵が設けられ、施錠されているDSC09570_R.jpg
DSC09569_R.jpgDSC09568_R.jpg最後の開口部、いつまでもつかな?

貝山地下壕 その7 (第二工区②)

前回は北東部をやったので、今回は廃車壕を中心に、中央部を紹介する。
CIMG0220_R.jpg水没区から階段で上がるCIMG0219_R.jpg階段付近には特に吸収缶が目立つDSC09520_R.jpg水没区からの出口CIMG0216_R.jpgこの辺の接続面は、後から壁を作って扉を付けて別区画にしてあるDSC03599_R_20121225185154.jpg扉はぼろぼろだCIMG0298_R.jpg辛うじて残るヒンジCIMG0218_R.jpg2ヶ所ある接続部の比較的状態の良い扉DSC06951_R.jpg暗いライトでうっかり出ると、大穴が(右下)開いているので注意DSC03607_R.jpg内側からレンガと大谷石かな?で加工してあるのが分かるDSC03604_R.jpgここの空間も広い、遺物を集めて展示DSC09535_R.jpg外部への接続部( ̄ー ̄)に見えるDSC09889_R.jpg以外に狭い(見学会はここから入る時もある)浄水所側出口CIMG0169_R.jpg場所は飛んでしまうが、反対側のエコマルコ側出入り口DSC09760_R.jpg状態の良い統制碍子が付いているDSC09759_R.jpgここも現在は閉鎖されたDSC03608_R.jpg元に戻る、遺物を展示した扉をくぐると発電機室と思しき台座がある(開口部は近い)DSC09545_R.jpg後にはコンクリートの開口部があるDSC03609_R_20121225194218.jpg手前側の開口部、一段高いDSC03610_R_20121225194219.jpg奥の出入り口は塞がっている、手前に一部屋ある低いので倉庫だろうか?DSC09546_R.jpg登ってみると巨大なコンクリート巻きの完全な壕、滅多にないDSC03612_R_20121225194220.jpg天井に吊り下げフックが完全に残る、車両整備区画か?DSC03613_R_20121225194221.jpg下を覗くと戦後廃棄された車が2~3台ある(廃車壕の謂れである)DSC09547_R.jpg右奥、破損の無い完成品のコンクリート壕は貴重だCIMG0291_R.jpg足元に覗き穴が開いている、下に部屋があるCIMG0178_R.jpgとりあえず、3m弱なので飛び降りてみるCIMG0190_R.jpg開口部からは大量の土砂と残骸が流入しているCIMG0175_R.jpg頑張って登る(登らないと出られない)CIMG0172_R.jpg外にでた003.jpgしかし今は二度と降りる事は出来ないだろうCIMG0184_R.jpg戻って中の部屋を見るCIMG0187_R.jpg写真中央付近にさっき覗いた10cm程の穴が開いているCIMG0189_R.jpg鉄筋の入ったかなり上質のコンクリートだCIMG0186_R.jpg次はどうやって降りようかな  廃車壕CIMG0210_R.jpg上部のこの空間は何の為だろうか?内部壕床より1m程高いので、荷降しには不向きだCIMG0205_R.jpg通路に戻ると、右に階段、左に倉庫的な空間が並ぶCIMG0203_R.jpg途中からコンクリートに変るCIMG0199_R.jpgしかし、ほぼ埋没しているCIMG0204_R.jpg下におりる、上から泥や落石があり、歩きにくいDSC03620_R.jpg階段背面の倉庫壕の壁面に文字らしい物があるDSC03621_R.jpgライトで陰影を付けてみるDSC03621_R_20121225212911.jpg「本」だろうか?一文字なので、中国人労働者の名前とか?

貝山地下壕 その6 (第二工区①)

ボタン一つで3時間分が消えてしまったので、思いっきり端折りながら書く
いつか、訂正するだろうCIMG0167_R.jpgこの入り口は崩落、埋没してしまっているCIMG0240_R.jpg一段上がると崩落部が開口しているDSC09758_R.jpg現在はこのように市によって閉鎖されているCIMG0239_R.jpg主要部に近く便利な入り口だったDSC03579_R.jpg入り口を入ると左に衛所があるDSC03578_R.jpg人一人ぐらいの窪み、コンクリートで補修されている(白い所)DSC03580_R.jpg左に曲がるとかまどがあるDSC03581_R.jpg左の棚、ナベ釜などを置いていたのだろうか?DSC03582_R.jpg左に鉄製の蓋、レンガ、鉄板、コンクリートで構成されているDSC03583_R.jpg耐火煉瓦使用DSC03584_R.jpgこの炭は某知り合いが、焼肉をしようとして失敗(着火剤が無かった)した物DSC03585_R.jpg右に小部屋、壁には鉄製の煙管が半分残っているDSC03586_R.jpg煙管は当然開口部に向かって伸びているCIMG0233_R.jpg本当にこれで排煙出来たのだろうか?CIMG0231_R.jpgかまどの右から直接煙管に繋がっている  かまど付近DSC03558_R.jpg隣の通路はまるで、ゴミを集めた様だ、水没もしているDSC03559_R.jpgこの辺では良く見る20L入りの瓶が転がるDSC03560_R.jpgこの先は重要区画なので排水等環境が良いDSC03561_R.jpg横倒しになっているが、コンクリート製貯水桶、防火用だろうDSC03563_R.jpg入り口の床がコンクリートの部屋があるDSC03562_R.jpg部屋の入り口の上に名盤をはめる窪みがあるDSC09526_R.jpgここには何て書いた名盤があったんだろうDSC09523_R.jpg会議室、司令室とも呼ばれている部屋DSC09525_R.jpgかなり広い部屋で、詰めれば100人は入るだろうDSC03564_R.jpg壁面上と右下に窪みがあり、ご真影、五省などの額が飾ってあったのか?DSC09529_R.jpg部屋を出ると、長方形のコンクリートがあるCIMG0221_R.jpg手洗い用の水道施設のようだCIMG0224_R.jpgその後の部屋DSC03574_R.jpgかべ中央にれんが敷きの窪みがあるCIMG0226_R.jpg何かの機械を置いていたのだろうかCIMG0227_R.jpg落ちていたプレートをスイッチボックスのような所に置いてみたDSC03575_R.jpgこの辺の床下はレンガの上に土が堆積しているようだDSC03576_R.jpg排水溝に米軍のと思われる、穴あき鋼板が落ちているDSC03590_R.jpgDSC03591_R.jpg海軍で広く使用されている、93式防毒面の吸収缶のようだDSC03605_R_20121224203314.jpg付近にいくつか落ちている、内部構造が良く分かるDSC03596_R_20121224203707.jpg水没区に向かうDSC09499_R.jpg何かのスイッチボックスDSC09501_R.jpg普段ここは長靴では無理なくらい、水没しているDSC09503_R.jpg2度ほど壁の線で分かるように、水が抜けた時があるDSC09504_R.jpg大部分の水が抜けているDSC09505_R.jpg水没区最深部、始めて来たDSC09514_R.jpg横にも同サイズで5本あり、他の3本は貫通しているDSC09516_R.jpg足元には93式防毒面の吸収缶が原型を留めず、くず折れているDSC09517_R.jpgここは大きく曲がった形をしているDSC09519_R.jpg階段を登ると、元の通路に戻る  司令部壕付近
 

貝山地下壕 その5 (上部第一)

今日は、第二工区をやろうと思っていたが、猿島と大磯の二宮に行って来たので時間が無い
と言うことで、ライトに上部第一にする。
貝山には地上に面した大型壕の他に、山腹にも壕がある。
今回はその中の上部第一のみ紹介する。
ここは、海軍食器などが大量に落ちている所だったが、某ブログに紹介した所、
ほぼ全ての残留物が心無い物に持ち去られてしまったDSC01277_R.jpg山の中腹の斜面にぽっかりと開いている、開口部は2ヶ所DSC01278_R.jpg壕口間には、貝山、夏島ではおなじみの桶が置いてあるDSC01279_R.jpg陶器製電球ソケットDSC01280_R.jpgDSC01281_R.jpg海軍食器が大量に散乱していたが、今は何も無いDSC00491_R.jpg壕の入り口から色々と落ちていたDSC00492_R.jpgここは若干湿度が高めで、レンズが曇るDSC00493_R.jpg壕内にも海軍食器は散乱していたDSC00494_R.jpg天井には何かを吊るしていた跡があるDSC03689_R.jpg爆風除けか、通路が屈折しているDSC00496_R_20121224090104.jpg非常に綺麗に掘られていて、終戦末期の急増壕ではないが、拡張途中の所があるDSC00496_R.jpgゆるやかにカーブを描いている、排水溝もしっかりしているDSC00497_R.jpg通路に扉が付いていた跡があるDSC00498_R.jpg通路の掘削はほんとに綺麗だDSC00499_R.jpg「コウカイカ」の右読みになっている、航海課の部屋(本当)CIMG0154_R.jpg内部は広めCIMG0156_R_20121224090729.jpg奥から見るDSC03680_R_20121224083343.jpgその、隣の部屋DSC08186_R.jpg当時の水差しDSC08189_R.jpg左側の棚DSC08190_R.jpg右側の棚、大きい方は棚としては低過ぎる、長い物を置いていたのか?DSC00501_R.jpg部屋の置くには、日本地図に似た塩の噴出した跡があるDSC00502_R.jpg天井の面が見事だDSC03682_R.jpg中央に子ネズミが見えるだろうか?CIMG0868_R.jpgCIMG0153_R.jpgベンチカット工法の途中CIMG0148_R.jpgペンキカンがぶちまけられているCIMG0150_R.jpg山腹への出入り口CIMG0158_R_20121224095102.jpg最深部まで行ったので戻るCIMG0159_R.jpg貝山地下壕 上部第一DSC00503_R.jpgもう一つの出口

貝山地下壕 その4 (第一工区)

今回は、貝山地下壕第一工区の紹介をしておく。
位置的には、第一工区は第三工区の隣に位置する、第二工区はその後側に
横広になっている、第一と第三を足しても、第二の方が断然大きい。
この壕は非常に変な構造をしていて巨大な本坑を四つ持っているが、大きく外部に接続していない
十分に車両の出入りが出来るどころか、小型機ならすっぽり入ってしまう大きさなのに
しかも、結構長い!
しかし、残念ながら不法投棄が多く、壕口付近は危険である。
特にここの住人は納豆、豆腐類が好きな様で、至る所に食い散らかしてあった。DSC03300_R.jpgわずかな隙間から進入するが、不法投棄がすごいので、怪我をしそうだ。
DSC03301_R.jpg壕口付近に集中しているので、中はわりとまし
DSC06961_R_20121222214221.jpg貝山地下壕は生産系ではなく、備蓄、司令部及び兵員の保護目的が主で、夏島の方が機体や魚雷、銃火器類の整備保守に使われていた、よって電気設備や居住区などの施設が充実している。
DSC03303_R.jpg場所によっては、水没箇所もあり、湿度が高くなる (これ全部ゴミ)
DSC03304_R.jpg真ん中の黒い丸は電球のソケットで、変な形に碍子が付いている
DSC03305_R.jpg外部に開口する部分は、ほとんど埋められているが、見学用に施錠されている所もある
DSC03307_R.jpg山腹の抜き穴、ここはキチンと土嚢詰め
DSC03308_R.jpg排水溝に板の蓋が付いている
DSC07730_R.jpg一番左側の通路
DSC03309_R.jpgこの壕唯一の階段、地上への連絡口へつづく
DSC03311_R.jpg階段を登ると発電機台座と思われる物がある
DSC07741_R.jpg最近の同アングル、明らかに落盤があった
DSC07740_R.jpg壕内探索はあくまで自己責任!
DSC01308_R.jpgここから外にでる、当然施錠されている
DSC01296_R.jpgこれは自然窟
DSC01297_R.jpg
DSC01305_R.jpg
DSC01303_R.jpg単独壕が並ぶ
DSC01301_R.jpgその前には貯水池が設けられている
DSC01306_R.jpg角度を変えて見ると、結構な大きさだ
DSC06963_R.jpg壕内に戻る
DSC07734_R.jpg壕床に規則的な穴が開いている
DSC07748_R.jpg二本目の本坑
DSC06964_R_20121222214223.jpg主坑道付近でとのさんが水遊びをしている
DSC06967_R.jpg海軍食器が落ちている
DSC06968_R_20121222214227.jpg天井に祈りを捧げるとのさん(懺悔中)
DSC03315_R.jpgOILカンやえんぴが置いてある
DSC07750_R.jpg三本目の本坑
DSC03317_R.jpg掘りかけのベンチカット
DSC03318_R.jpg主抗は広く平坦なので水が溜まっている、これは一番奥の連絡通路
DSC03319_R.jpg残土の上をかろうじて通過するが、滑る
DSC07751_R.jpg四本目の本坑、やや短い
DSC03321_R.jpg主抗には判別不能の朽ちた物が多い
DSC03323_R.jpg水中にも色々落ちているDSC03324_R.jpg排水溝に落ちている導線
DSC03325_R.jpg精密機械油瓶(イカリマーク付き)、このビロードの瓶はかなり気に入っている
DSC03328_R_20121222224310.jpg出口付近に同じ様な電球ソケット
DSC06969_R.jpgでは、帰ろう

貝山地下壕 第一工区


(25.1.2画像、動画追加)

貝山地下壕 その3  第三工区

そろそろ本題の地下壕に入りたい。
なぜ、第一でなく、第三かと言うと、気分である。
貝山地下壕には地下壕と呼べる物(単独壕でなく20m以上)が独自調査で9箇所確認している。
世間的に公表されているのは、第一工区から第三工区の3ヶ所だけである。
極たまに、見学会がもようされるのは第二工区だが、最近は震災以来、許可が下りないようだ。
一応この地下壕には、「貝山地下壕を保存する会(準備会)」があり、見学会主催者だ。DSC06094_R.jpgここが第三工区の主出入り口であるが、土嚢で塞がれている
DSC06095_R.jpg隙間からカメラを突っ込んで撮影、ひ○つの入り口に向かう
DSC07776_R.jpg主入り口裏より案内を開始する、塞がれたのは、ここ10年以内なので、近代ゴミが多い
DSC06098_R.jpg右側に部屋があるが、廃材捨て場と化している
DSC07779_R.jpg壁にマークらしき物が彫ってある
DSC06100_R.jpg次の部屋も半分埋まっている
DSC06103_R.jpg主抗道に進む
DSC06105_R.jpg開口部は、ほぼ全て埋められているので、入れない
DSC06107_R.jpg扉が付いていた跡が残る部屋がある
DSC06109_R.jpg天井近くまで盛られている
DSC06110_R.jpg奥に30cm位の掘り込みがある
DSC06112_R.jpg貝山地下壕には珍しい銃眼だ
DSC06113_R.jpg部屋は左側の方が広い
DSC06119_R.jpg回り込むと、天井に碍子と穴、壁面には掘りかけの銃眼か?ただの棚か?
DSC06120_R.jpg先に進む
DSC06122_R.jpg3x3mほどのメイン坑道、やや四角い
DSC06123_R.jpg野球用ヘルメットが大量に捨ててある、そう言えば近くにサッカー場があるな
DSC06125_R.jpg突如、コンリート巻きが!
DSC06126_R.jpg主入り口以外では、唯一のコンクリート巻き
DSC06129_R.jpg奥側から撮影、5mほどか
DSC06131_R.jpg排水路があるが、道を横切っている部分
DSC06171_R.jpg分かりにくいが、腐って殆んど残ってないが、木管に土を被せて排水路を確保してある
DSC06132_R.jpg突き当たりの天井に自然窟なのか、地下水が湧き出している所がある
DSC06133_R.jpg足元にはピストンのコンロッドと海軍食器
DSC06134_R.jpgスパナなどの工具が落ちている
DSC07764_R.jpgもう一枚海軍食器が出てきた
DSC06136_R.jpgそして皇帝室へ・・・ん
DSC06137_R.jpg階段降りた方から
DSC06167_R.jpgDSC06168_R.jpg皇帝室
DSC06140_R.jpg壁に窪みが
DSC06142_R.jpgDSC06143_R.jpg壁の窪みに板を張り、棚にしていた木材が残っている
DSC06145_R.jpg広めの通路に出た
DSC06146_R.jpg反対側、棚がいっぱいある
DSC07759_R.jpg日によっては、この辺は水没する
DSC06148_R.jpg壁面棚だらけ、これが皇帝室?
DSC06149_R.jpg何やら簡易橋の様な物が積み上げてある
DSC06150_R.jpg連結用の道具か?
DSC06151_R.jpgさっきの通路に戻って来た
DSC06152_R.jpgこれが気になっていた、廃タイヤと思っていたが丸い
DSC06153_R.jpg航空機用のタイヤだ、米軍機の物か?
DSC07784_R.jpgサイズ?
DSC06157_R.jpg奥にもう一部屋ある
DSC06158_R.jpg開口部、地上3mほどの崖に開口、壕口手前に1mほど高くなり2mほどの長さの段がある
P1000956.jpg変な穴だらけの真鋳っぽい鉄板が出てきた、ボロボロで爪が折れそう
DSC06165_R.jpg犬釘のような物が落ちている
DSC06170_R.jpg天井には電気配線の碍子跡が付いている
一回りしたので、脱出する。

貝山地下壕第三工区

(25.1.2画像、動画追加)

貝山地下壕 その2 緑地一般部

前回は外周部を紹介したので、今回は貝山緑地の一般向け的部分を紹介する。
貝山緑地は、杏の森で売り出そうとしたが、植林したとたんに、根こそぎ盗まれた
今あるのは、再度植林された物が殆んどのようだ。
後は駐車場も無く駅からも遠く、展望台があるだけの寂れた緑地公園である。
ここに来た一般客の内、何人ぐらいが足の下に地下迷宮が張り巡らされていると知っているのか?
DSC00068_R.jpgCIMG0872_R.jpg案内板
DSC00053_R.jpg入り口左側にあるこれは碑ではなく、入り口表示なだけで、碑は上にある
DSC00054_R.jpg予科練誕生の地碑
DSC00055_R.jpg木漏れ日で見難い
DSC00056_R.jpgこれだけスチール製
DSC00057_R.jpgメインとなる碑
005.jpgこの鎮魂の碑の上20cmほどに線が入っているのが、分かるだろうか
006.jpgこの部分だが、醜い権力がらみの争いのせいで、この碑の高さが基準外だといちゃもんが付き、一時切り取られた物が、再度接着されたものらしい。(鎮魂碑をなんだと思ってるのだろう)
DSC00058_R.jpgショッカーのマーク
DSC00067_R.jpgこの辺には通信施設が有ったらしい
DSC00066_R.jpg通気口がある=下に何かある、と思う
CIMG0278_R.jpg隠れるように当時の電柱が建っている
CIMG0274_R.jpg崖の前の柵の辺りにレンガ構造物がある
CIMG0277_R.jpg通信設備の防衛用に、機銃砲座が据えられていたそうだ、その観測所か?
CIMG0275_R.jpg円形のレンガ積み
CIMG0276_R.jpg砲座に見えるが、資料が無い
DSC00060_R.jpgDSC00061_R.jpg展望台に登る
DSC09756_R.jpg夏島の方を見ると日産の敷地内に何か見える
DSC09755_R.jpg当時の格納庫が唯一現存している、後は野島にしかない。
P1020114.jpg上空写真
CIMG0279_R.jpg当時の石段
CIMG0280_R.jpg杏の森の下辺りにあるコンクリート遺構
CIMG0855_R.jpg山頂部の砲台跡に登る
CIMG0856_R.jpg兵舎跡
CIMG0857_R.jpg手前は遊歩道の石畳
CIMG0858_R.jpg用途不明のコンクリート遺構群
CIMG0859_R.jpg砲座部分
CIMG0860_R.jpg1/3ほど見えているが後は不明
DSC01276_R.jpg最後に入り口辺の右側にある、追濱神社の碑、ここには神社は無い

貝山地下壕 その1 緑地外周部

横須賀市の貝山緑地にある貝山地下壕、海軍追浜飛行場の付属施設の一つで、他に
夏島、野島、鉈切山、和田山にも地下壕が日本屈指の第300設営隊によって、作られる。
追浜飛行場は追浜海軍航空隊が使用しているが、これは実戦部隊ではなく、空技廠の実験機や
予科練の練習機をメインとし、飛行艇から秋水に至るまで幅広く多様な飛行機を運用した。
秋水の事故でパイロットを鉈切山の病院壕で治療した話は有名だ。
有名と言えば、この地は予科練発祥の地として有名だ、緑地内には幾つかの碑が建っている。
余談だが、おっぱまではなく、おいはまが当時の読み方のようだ、機体の尾翼に書く尾翼番号は「オヒ○番」と記入されている事から分かる。
まずは緑地外周の遺構から攻めて行きたい、今度は長くなりそうだ・・・DSC07917_R.jpg市の浄水場正門に向かう途中に大きな壕が沢山あるDSC07919_R.jpg奥行きは無いが間口がとにかくデカイDSC07921_R.jpgDSC07922_R.jpg奥の天井までしっかり出来ているので、この砂は戦後の埋め戻しのようだDSC07923_R.jpg奥から見るとその大きさが分かるDSC07925_R.jpgDSC07926_R.jpgこれを埋めるのも、大変そうだDSC07927_R.jpgとにかくデカイDSC07928_R.jpg素掘りの物は大型だがコンクリもあるDSC07929_R.jpgこれらは某会社の裏手になり、コンクリ壕は再利用中であるDSC07930_R.jpgコンクリの上部がツタで覆われいい感じになっているDSC07931_R.jpg当時のままの鉄扉はかなり痛んでいるDSC07932_R.jpg天井に何かあるDSC07933_R.jpg苔生した扉を養生して、捨てずに保存してくれている様だDSC07936_R.jpgヒンジもかなり重厚だDSC07937_R.jpg真ん中の倉庫も形は一緒だDSC07938_R.jpgこちらは天井のO型クレーンがはっきり見えるDSC07939_R.jpg左端の倉庫DSC07940_R.jpg倉庫内の天井中央のダクトから上部の換気扇へと繋がっているDSC07941_R.jpg厚意により撮影しているが、会社敷地なので注意。P1000564.jpg山肌に沿い、左に移動すると工事現場の奥に何かあるP1000565.jpg近寄ると鉄板で塞がれている、何だろう?P1000566.jpg脇に壕があるP1000567.jpg埋まっているが、何箇所か開口しているP1000568.jpgなんとか入れるP1000569.jpg低いが綺麗に四角く作られているP1000570.jpg幾つか分岐があるが、塞がっているP1000571.jpg高さは1m50cm程かP1000576.jpg外に出るとこんな物があるP1000572.jpgオールコンクリート製P1000574.jpg5mほどの小さな壕だP1000573.jpg米軍のステンシルだP1000577.jpg隣のコンクリ巻きの壕P1000578.jpg進入不可P1000579.jpgこの辺は全て塞がっていたDSC07944_R.jpg浄水場は平日は一般人も外部は見学できる、五月に行くとこんな感じDSC02847_R.jpg山肌には単独の倉庫壕が並ぶDSC02848_R.jpg殆んど閉鎖されているDSC02849_R.jpg上からなんとか?DSC06953_R.jpgここは大きく開口しているDSC02851_R.jpg入り口上部が無いDSC02853_R.jpg車庫に使われていた様だDSC02854_R.jpgまたもや米軍ステンシルDSC02855_R.jpg第二工区入り口DSC02859_R.jpg小さなコンクリ壕DSC02861_R.jpgDSC02862_R.jpg第三工区入り口DSC07945_R.jpg浄水所裏手にある、ディーゼルオイルタンク群DSC07946_R.jpgDSC07947_R.jpgDSC07948_R.jpgDSC07949_R.jpgDSC07950_R.jpgかなり大きなタンクだ、上に登るのは難しい

馬堀狙撃陣地と要塞地帯標など

横須賀市の馬堀小学校の近くに、狙撃用洞窟陣地が構築されている。
狙撃とゆうと、ライフルで狙う様なイメージが有るが、大砲であろうと、直接照準なら狙撃と言える。
実際に備砲されていたらしいが、こんな所で発砲したら、崩れて死ぬぞ!ってぐらいもろい岩盤の
陣地で、砂岩質に近く貝の化石等が多く含まれている。
遺構は入り口から盛大に崩れており、脆さが分かる。
穴は三箇所に別れて存在するが、1つは進入は崩れて無理である。CIMG0297_R.jpg一つ目、これもギリギリだCIMG0299_R.jpg中はご他聞に漏れず、不法投棄の温床となっているCIMG0300_R.jpg狭い中をなんとか入って行くCIMG0301_R.jpg盛大に天井が落ちているのが分かるだろうか?CIMG0302_R.jpg比較的無事な部分もあるCIMG0303_R.jpg唯一のホール状空間CIMG0304_R.jpg奥に進むCIMG0305_R.jpg岩盤の質が変り、崩落が減るCIMG0306_R.jpg突き当たりCIMG0307_R.jpg元に戻るCIMG0308_R.jpg海岸が近いので、戦後漁民の物置になっていたのだろうCIMG0309_R.jpg当時から崩落があったのだろう、柱が残っているCIMG0311_R.jpg外には波2本の海軍柱があるCIMG0312_R.jpg二つ目の穴CIMG0313_R.jpgこれは無理だったCIMG0315_R.jpg3つ目の穴CIMG0316_R.jpg入り口辺は綺麗な作りだCIMG0317_R.jpg巨大な岩盤が崩れているCIMG0318_R.jpg入り口1つ、砲室3つな感じCIMG0319_R.jpgそこここにデカイ塊が落ちている、こんな所で撃てるのか?CIMG0320_R.jpg二つ目の砲室CIMG0322_R.jpg外側からCIMG0323_R.jpg1つ目の砲室を外から覗くCIMG0325_R.jpg3つ目の砲室、かなり崩れているCIMG0327_R.jpg見えずらいが、貝の化石が多く含まれるのが分かるだろうか?CIMG0326_R.jpg外に向かう、CIMG0329_R.jpg同じく海軍柱があるCIMG0330_R.jpgCIMG0331_R.jpg少し登ると陸軍柱もある、DSC07162_R_20121218225638.jpgもう一つ、波2本かな?CIMG0332_R.jpgトンネル説明板CIMG0334_R.jpgDSC00720_R.jpgこれかな?DSC00718_R.jpgこの辺にはバンデラハウスとゆう有名な所が在るらしいDSC00717_R.jpg工事現場に何かあるDSC00719_R.jpg中は単独壕だったそうだ、倉庫か?DSC00715_R.jpg付近にひっそりと要塞地帯標があるDSC00716_R.jpg一本欲しい、庭に植えたいDSC00352_R.jpg少し離れるが、うみかぜ公園には第三海堡の兵舎の遺構が展示されているDSC00354_R.jpgDSC00355_R.jpgここは全く入れないが、アイクル前にある方は、第一日曜に一般開放されている。

走水水源地と付近の要塞地帯標など

横須賀市のマボ直を走水方面にかっ飛んで行くと、走水海水浴場に出る。
ここの海水浴場は駐車場が無い為、地元の原住民しか来ない。
自分もチャリンコに海パン、モリを持って素潜りをして遊んでいた。
金持ちは馬掘プール、貧乏人は無料の海とゆう構図が出来ていたもんだ。
話を元に戻すと走水海水浴場を観音崎方面に進むと右にレンガ作りの遺構が見える
横須賀海軍工廠などが発展すると共に、水需要も増加し水源を求め、この地に横須賀製鉄所を作ったヴェルニーが製鉄所の専用水道として明治9年に敷設したものを拡大し土管から10インチ管にまで広げる。
途中横須賀市に貸与したり、海軍に返還したりしている、今は横須賀市唯一の自己水源として市が使用する。DSC01456_R.jpgDSC01455_R.jpgDSC01457_R.jpg国登録有形文化財に登録されているDSC09930_R.jpg海側にある鉄筋コンクリート造貯水池(明治41年)DSC09931_R.jpg名盤DSC09933_R.jpg飾窓風の装飾DSC09945_R.jpg裏側にもあるDSC09944_R.jpg天井部DSC09934_R.jpgモニュメント的な散水栓DSC09935_R.jpg横須賀水道発祥の地碑DSC09936_R.jpg近くにある建物ポンプ室の様だが、当時物かは不明DSC09937_R_20121217204325.jpgここは普段は一般の人は入れない、桜の季節にのみ、花見客に開放されるが、水道施設なのでヘタに許可なく入ると通報されてしまうので、春を待とう!DSC09943_R.jpg所々にこの様な遺構がある、この地下一帯は集水埋渠になっている関係だろうDSC09938_R.jpgこの敷地の中ほどにぽつんと立っているDSC09939_R.jpgこちら面はほとんど読み取れないDSC09940_R.jpg1Z東京湾要塞第壱地帯標DSC09942_R.jpg左側、陸軍省。右は大正の先が読みにくい、ライトを当ててこの程度CIMG1274_R.jpg走水トンネル(遂道)に戻ると稲荷があるCIMG1271_R.jpg防三んノ十二?枝番があるだけでも珍しいが、ん?CIMG1272_R.jpg裏には陸の文字が、陸軍重砲兵学校の最先端なのかも知れないCIMG1273_R.jpgこれも波線一本の陸軍柱CIMG1286_R.jpg場所的に前後するが、覚栄寺に向かうCIMG1287_R.jpg境内には関東大震災供養等と陸軍歩兵上等兵の墓もあるCIMG1288_R.jpg本堂の裏手に回るとかまぼこがあるCIMG1290_R.jpg明治28年に、覚栄寺裏に貯水池と導水トンネル2本を構築したそうだCIMG1289_R.jpg足元に海軍用地、頭に記号の様な物が・・・CIMG1291_R.jpg付近には打ち捨てられた柱もCIMG1292_R.jpg謎の記号CIMG1293_R.jpgかまぼこの上面は、レンガのモルタル吹き付けCIMG1295_R.jpgさらに上に登るCIMG1297_R.jpgこっちは明治41年に横須賀市が作った物CIMG1298_R.jpg左側の名盤CIMG1300_R.jpgなぜか史跡指定を受けてない様だ、完全放置状態CIMG1304_R.jpg中を覗く、誰もいない様だCIMG1301_R.jpg右の名盤は削られたのか、横だけ読めるCIMG1308_R.jpg裏から見ると、かまぼこふたつCIMG1312_R.jpg同じくレンガのモルタル吹き付けCIMG1310_R.jpgCIMG1311_R.jpg付近にはやはり意味不明なマークの付いた柱が数本あった


陸軍重砲兵学校 その2

その1で、陸軍重砲兵学校の本体部分の遺構を紹介したので、今回は周辺遺構を紹介する
これらの遺構は基本紹介もされない、または探すのが困難な物、学校内で見難い所にある
そんな物を紹介して行く。
どうでもいい事だが、ここは自分と榴弾砲さんの母校である、かつて知ったる何とやらである。DSC06891_R.jpgDSC06892_R.jpgこれは校門の所にある説明版DSC06893_R_20121216175800.jpgDSC06894_R.jpgDSC06896_R.jpgDSC06895_R_20121216180916.jpg最初見た時、何か変だと思ったが、オリジナルでは無い何処にでもある記念碑に成り下がっていたDSC06897_R.jpg当時の階段を降りる(手すりは違う)DSC06899_R.jpgすぐ下に壕があるが閉鎖されているDSC06900_R.jpgアーチ型のコンクリート製壕口が埋まっているDSC06901_R.jpg昔はバレーコートだったが、現蛍の里手前の防空壕DSC06902_R.jpg当時の階段の残骸DSC06903_R.jpg蛍の里、一つ目DSC06904_R.jpg左側の二つ目DSC06905_R.jpg中は瓦礫で埋まっているDSC08546_R.jpg校外に出て、森に分け入るDSC08549_R.jpg山中に何故か歩哨小屋が出現するDSC08552_R.jpg何故、こんな山中に?DSC08553_R.jpg入り口、こちらが海側を向いている(重砲兵学校側)DSC08556_R.jpg何故か下は土、普通はコンクリートなんだが?DSC08554_R.jpg近くに謎の地下へのいざないが、妙に材質がいいコンクリートだDSC08551_R.jpg入ってはいけない、猛烈な死臭が立ち込めている、しかし・・・・DSC08559_R.jpg体が勝手に降りて行く、かなりしっかりした天井だDSC08561_R.jpg別の所から榴弾砲さんが降りてくるが、そっちは梯子が欠けているDSC08562_R.jpg20mも降りただろうか?なぜ山中の地下にこんな施設が?DSC08563_R.jpg片隅に排水溝があったが、何処に流れるんだろうDSC08564_R.jpgそろそろ死臭に耐えられないので、脱出する(動物は落ちると登れない)DSC08565_R_20121216190302.jpg梯子の途中で下を見る、広さと高さが分かるかな?DSC08566_R.jpg付近に陸軍用地の石柱が、陸軍施設に間違いない様だDSC08568_R.jpg柱を立てるようなコンクリ基礎が3~4こ散らばっていたDSC08571_R.jpg森を出て住宅地を防大に向かってあがって行くとDSC08572_R.jpg当時の水の一時タンクがある、水とはポンプで数10mしか上に上げられない、近代マンションでも屋上にタンクがある理由がそれだ。DSC08573_R.jpg他には施設は無いようだDSC08574_R.jpgよじ登っても通気口しかないよDSC09900_R.jpg防大へのバス通りを下って行くと、山側に馬頭観音がある(これは遺構ではない)DSC09901_R.jpgこれも遺構ではない、ここから山に入るDSC09902_R.jpg陸軍柱があるDSC09903_R.jpgここの石柱は再利用されているので、見ずらいDSC09904_R.jpg材質も色々DSC09905_R.jpgDSC09906_R.jpg隣のコンクリ柱はなんだろう?DSC09907_R.jpgDSC09908_R.jpgDSC09909_R.jpgかなりの数がある様だDSC09910_R.jpg鉄骨が見えてきたDSC09911_R.jpgDSC09914_R.jpgDSC09916_R.jpgDSC09917_R.jpg溶接は無く、すべてボルト止めDSC09923_R.jpg折れた、上半分部分DSC09924_R.jpg一部木と同化しているDSC09925_R.jpg鉄塔結界DSC09927_R.jpg付近に転がるコンクリート台座DSC09928_R.jpg係留設備が何かあったのだろうDSC09929_R.jpg近くに落ちていたF104J
撮った覚えが無いが、動画があるので乗せておく   気球係留塔
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img222 (2)
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同期の櫻様より写真を頂いたので、追加する。
海岸線の状態や当時の建物を利用した学校の写真など、貴重な物だろう
あおぎりの木ですが、現在でも馬堀中学校内の同じ場所にあります、小中学校の境目になっています 
「小学校の校庭から防大の方を見ると、当時は気球係留塔がよく見えました。あの鉄塔と同じものが浦上台のシャローム付近と走水の山の上にあった」との情報も頂きました。
下から4枚目の弓道場?の写真の場所は、現「蛍の里」となっているバレーコート跡と推測するが、階段が無いのでグランド横の技術科棟(昭和当時)かも知れない。
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馬掘2丁目の海風学園手前付近だが、矢の津弾薬庫は既に宅地化の波に飲み込まれ、消滅。

陸軍重砲兵学校 その1

横須賀市の馬堀小、中学校の裏山から、県道沿いの自衛隊宿舎一帯は明治31年にこの地に開設
「陸軍要塞砲兵射撃学校」や「陸軍重砲兵射撃学校」、から「陸軍重砲兵学校」と改称している。
他の施設としては、要塞砲の実射訓練用として小原台演習砲台花立台演習砲台を教育研究用に使用し、砲塔砲台演習は千代ケ崎砲台を使用したらしい。
陸軍重砲兵学校の関連遺構は一般に知られている物以外にも結構ある。DSC05246_R.jpgまずは、馬掘自然教育園に深夜訪れる。DSC05248_R_20121215182806.jpgDSC05249_R.jpgDSC05250_R.jpg正規の入り口付近には、この様な穴が幾つかあるDSC05252_R.jpg火薬庫を囲むコンクリート壁DSC05255_R.jpg火薬庫その1、火薬庫であって弾薬庫ではないDSC05256_R.jpg床下を覗いて見ると、戦後穀物倉庫に使ったのか籾殻が大量に落ちている、ここから海軍食器と同型のホーローの迷彩色の小鉢が出てきた。DSC05262_R.jpg火薬庫その2、ややこぶりだDSC05274_R.jpg壕があったので、入ってみたが水没が激しく奥には何も無かった、まるで水路の様だったDSC05275_R.jpg魚でも飼っているのか、暗くて見えない貯水池のような物DSC05276_R.jpgDSC05283_R.jpgDSC05282_R.jpg稜威(みいつ)神社に登るDSC05279_R.jpg台座しかない?DSC05280_R.jpgDSC05278_R.jpgおおむね分かるが、どうせなら小中学生が読める様にすればいいのに・・・学校の裏山なんだしDSC05247_R.jpg夜が明けて来たDSC05243_R.jpg馬堀小中学校の校庭沿いに当時のコンクリート塀が現存する(この時は)DSC05663_R.jpg明るくなると、ぼろぼろなのが解るDSC05662_R.jpg上部なども欠けているが、これだけ長い塀が残るのも全国的にも珍しいだろうDSC05661_R.jpg塀の足元には陸軍柱が幾つか頭だけ見せているDSC05634_R.jpg再入園するDSC05641_R.jpg山の上に陸軍用地があったDSC05642_R.jpgDSC05643_R.jpg爆風、延焼よけの重厚なコンクリート壁、ここの建物は失われているDSC05648_R.jpgこのコンクリートの厚みは大した物だDSC05647_R.jpg後の階段も当時の物かDSC05649_R.jpg火薬庫その2、別方向から見るDSC05650_R.jpg背面に階段があったが特に何も無かったDSC05656_R.jpg火薬庫その1、DSC05657_R.jpg横から見ると通気口が多数ある、さらに縁の下も空洞だDSC05658_R.jpg整地された遊歩道と当時のコンクリート壁の100年ほどのギャップDSC08541_R.jpg2012年春先、境界壁が破壊されたと聞き、再訪したDSC08542_R.jpg見事に何も無いDSC05664_R.jpg1年前のほぼ同位置DSC08543_R.jpgあった、申し訳程度に・・・・・DSC08544_R.jpg下の道は中学校の通学通路である、崩れない様に補強してあるDSC08545_R.jpgなんか、情けない状態になってしまった。
この辺にあった陸軍柱が見当たらない、引き抜かれたようだ。

小原台堡塁

2011年に防衛大学構内の食堂工事中に発見された、小原台堡塁の調査。
部分的な調査を1年2ヶ月ほど行い、現在はまた埋め戻されてその上に道路、学校施設が建設されている。
2011年度の防大際に、砲台ツアーの一環として、小原台堡塁の発掘現場を公開した。
自分は仕事で両日とも行けなかったので、参加した榴弾砲さんから資料を頂いた物を紹介する。
と、言っても行ってないので、細かい説明は出来ない、つい先日横須賀で行われた、
三浦半島の遺跡研究発表会に参加した時に、小原台堡塁の発掘状況の説明があり、失われた遺構を
少しでも知ってもらいたい為に、榴弾砲さんの許可の下、公開する。DSCF4543_R.jpg同時に小原台演習砲台の見学会も行われている。DSCF4556_R.jpgDSCF4353_R.jpg現代の大学地図を重ねると小原台堡塁の真上に大学が建っている事が分かるDSCF4358_R.jpg発掘されたレンガの一部、様々な種類のレンガが使用されているDSCF4368_R.jpgDSCF4369_R.jpg一つは花立台で見た物と同じだ、焼いた釜の刻印はこの他にもあるDSCF4554_R.jpg大きく3箇所ほどに分けて調査をしたようだDSCF4088_R.jpgDSCF4091_R.jpgDSCF4095_R.jpgDSCF4560_R.jpgDSCF4559_R.jpgDSCF4563_R.jpgDSCF4564_R.jpgDSCF4565_R.jpg土塁を抜けて、反対に行ける地下通路がある、階段には金属製の手摺りが残っているDSCF4567_R.jpg階段は大谷石の様だDSCF4568_R.jpg鉄製排水溝の格子蓋DSCF4571_R.jpg配水管の跡が所々で出てくるDSCF4572_R.jpgDSCF4576_R.jpg地下通路入り口、中はヘドロ状になった泥が詰まっていたそうだ。DSCF4579_R.jpg土嚢でヘドロを塞き止め、床面の調査を行ったDSCF4582_R.jpg通路の先は今回の調査区域外になる為、未調査に終わるDSCF4585_R.jpgDSCF4590_R.jpgDSCF4591_R.jpgDSCF4592_R.jpg長屋状に連なった弾薬庫の遺構DSC08881_R.jpgこれは友が島に行った時のものだが、こんな感じだろうか?
見学会はここまでだが、2003年に発見され、2005年の調査では2基の砲座が確認され、調査されている。
この時の模様は、横須賀市教育委員会発行の近代化遺産.近代遺跡調査概報集Ⅱに載っているのでお勧めする。
砲座及び、地下構造等の内部図面、写真が数多く掲載されている。
しかしこれらも調査後、埋没処分され、上物や道路が施工されている。

上空写真を貼って置く
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小原台演習砲台

神奈川県横須賀市にある、某防衛大学校内にある、小原台演習砲台の遺構。
某大学の開校際の時に、「砲台ツアー」なる物が、H,Pなどには一切乗せず、秘密裏に行われている。
プログラムにさえ載っていないので、会場を探すのも困難だ。
DSC06809_R.jpgまずは道路沿いにある、砲側庫と言われる物を見るDSC06810_R.jpg狭い前室があるDSC06811_R_20121213203321.jpg状態はすごくいいのだが、不法投棄のゴミがなんともDSC06812_R_20121213203322.jpg金属の扉を盗んだ跡か?DSC06816_R_20121213204020.jpg右翼観測所の全景DSC06818_R.jpg観測室入り口DSC06819_R_20121213204022.jpg左の部屋、クラブハウスに使用されていた時期があるので、内壁が青いDSC06820_R_20121213204023.jpg特徴的な観測室DSC06821_R_20121213204024.jpg観測室左側は何故か、封鎖されているDSC06824_R_20121213205929.jpg観測窓、上部に金属レールが残るDSC06827_R_20121213205930.jpg観測窓は内側で開閉できる構造になっている、これは隣の部屋DSC06823_R_20121213210642.jpg今は木が蔽い茂っているが、一部海が見えているDSC06833_R_20121213205933.jpg外側から見るDSC06834_R_20121213205935.jpg隣の部屋の観測窓は塞がれているDSC06836_R_20121213210644.jpgDSC06837_R_20121213210647.jpg屋根に塗ってあるタールが剥がれているDSC06839_R_20121213210648.jpg横から見る、トーチカの様だDSC06840_R_20121213211704.jpg中心に人物比、榴弾砲さんDSC06841_R_20121213211706.jpg隣の砲座に移動する、砲座は4つあるDSC06842_R_20121213211707.jpg演習用なので弾を置いて置く窪みもおざなりに浅いDSC06843_R.jpg砲座間の小隊長壕は2つある、レンガでないせいか、ちゃちく見えるDSC06844_R_20121213211710.jpg最初の砲座は見学用に整備されているが、後はこんな感じDSC06845_R_20121213212826.jpg2つ目の小隊長壕も埋もれそうだDSC06815_R.jpg通路の脇に怪しい金網がDSC06848_R_20121213212829.jpg潜り込んで見るが何も無い、用水路の様だDSC06849_R_20121213212832.jpg左翼観測所、入り口の破壊がむごいDSC06850_R_20121213221258.jpg左右に同様の小部屋があるDSC06851_R_20121213221259.jpg左翼観測室、廃材置き場と化しているDSC06853_R_20121213221300.jpg小部屋内部DSC06860_R_20121213221303.jpg天井の伝声管DSC06855_R_20121213221301.jpg隠れる様に、狭い階段があるDSC06858_R_20121213222111.jpg上部指揮所に続いていたDSC06862_R_20121213222112.jpg最後の構造物、八八式海岸射撃具観測所DSC06864_R_20121213222113.jpgここのみ、壁面の感じが違っているDSC06865_R.jpg中に入ると、焚き火をしたのか天井が煤けているDSC06866_R_20121213222115.jpg2mほど下に観測機の土台が折れて転がっているDSC06867_R_20121213223121.jpg天井に幾つか穴が開いているDSC06868_R.jpg四角い穴、この様な形状は見かけないDSC06869_R.jpg派手にぶち抜かれた穴DSC06871_R.jpg床もぼろぼろだDSC06873_R_20121213223126.jpg横の階段から上に昇るDSC06874_R_20121213223757.jpg先ほどの天井の穴、他には特に何も無いDSC06876_R_20121213223758.jpg付近には用途不明のコンクリート遺構がまだあるDSC06880_R.jpg軍道の跡に沿って歩いていくDSC06878_R_20121213223800.jpg読みにくいが、陸軍用地と書いてあるDSC06877_R_20121213224619.jpg裏は防二〇DSC06881_R_20121213223803.jpgかなりの本数が有るが、風化が激しいDSC06885_R.jpgライトで陰影を付けると何とか見えるDSC06887_R_20121213224622.jpg他にも井戸状の物もあるDSC06888_R_20121213225117.jpg最後には補修された用水路があり、その先は走水トンネルの上に出た
降りれないので、来た道を戻って終了。

花立台保塁

花立台保塁は、花立台演習砲台の裏側に位置するが、殆んど埋まってしまって状態は良くない。
これらの遺構は観音崎公園の散策路に近いので、整備して保存して欲しい
反面、ヘタにいじって腰越堡塁や大浦堡塁 の様に破壊、公園化は御免だ!DSC06713_R_20121212085253.jpg観音崎公園から散策路に散見する遺構を見ながら堡塁に向かうDSC06715_R.jpg陸軍を示す^^マークと石柱番号DSC06716_R_20121212085255.jpg通用門DSC06717_R_20121212085257.jpg公園整備の際に歩道の高さを揃える為か、かなり埋まっている物が多いDSC06718_R_20121212085258.jpg現在も起点として頭を赤く塗られている標石は多いDSC06719_R_20121212092639.jpgこの辺の石積みも、当時の軍道の名残りDSC06721_R.jpg目立つレンガが見えてくるDSC06723_R_20121212092641.jpg上から見る、掩蔽壕の通気口だDSC06724_R_20121212092643.jpg元は背面の丘の高さに合わせてあった物が、土が流れてしまった様だDSC06725_R_20121212092644.jpgこちらは上部コンクリートが残る、オリジナルの高さDSC06726_R.jpgこの様な状態がほんらいの高さ、雨をしのぐ天蓋は失われているDSC06727_R_20121212093804.jpg下までびっちりレンガ積みDSC06728_R.jpg比較的分かりやすい、ある意味カットモデル?DSC06730_R_20121212093807.jpg5つ目DSC06732_R.jpg前部で6つ確認出来たが、時期によっては困難だろうDSC06733_R_20121212112436.jpg冬枯れしてなお藪の濃い中へ突入DSC06734_R_20121212112437.jpg見えにくいが桜の刻印が打ってあるレンガDSC06735_R_20121212112438.jpg藪の中に切り通しがあるDSC06736_R.jpg数段上ると左翼観測所があるDSC06737_R.jpg壁面のくぼみDSC06739_R_20121212113451.jpg脇にも上に上がる階段があるDSC06740_R.jpg八角形の観測機台座DSC06741_R_20121212113454.jpgボルトも八本DSC06742_R_20121212113455.jpg入り口付近に伝声管があるDSC06747_R.jpg天蓋でも着いていた様な欠けた所が外周にあるDSC06743_R_20121212114544.jpg藪の中にもう一つの遺構があるDSC06744_R.jpg腰ほどの高さ、監視所か?DSC06745_R_20121212114547.jpgきちんと階段があるDSC06746_R_20121212114548.jpg砲座間には無いので、小隊長壕ではなさそうだDSC06826_R_20121212115407.jpg下に落ちると掩蔽壕があるDSC06836_R_20121212115411.jpg残念ながら半分埋まっている(入れるだけまし!)DSC06834_R_20121212115409.jpg下はレンガ、上はコンクリート製の様だDSC06832_R_20121212115408.jpg奥はこんな感じに変則的な形DSC06835_R_20121212115410.jpg天井は崩れてないので、他の遺構を破壊した時のゴルフ場工事業者の不法投棄だろう
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おまけ




花立台演習砲台

神奈川県横須賀市にある、某防衛大学校内にある、花立台演習砲台の遺構。
花立台演習砲台は、馬掘にある陸軍重砲兵学校などの訓練用に使われた物で
現在は某大学のトーチカ攻略用に訓練使用されている、観測所を敵のトーチカに見立て
匍匐で接近し手榴弾を投擲する訓練を行う。DSC06749_R_20121211225035.jpgまずは砲座に接近するDSC06752_R_20121211225038.jpg刈り払われた、野原に鎮座するDSC06753_R.jpg固定用ボルトが残るDSC06750_R_20121211225037.jpg見上げると敵のトーチカが見えるDSC06755_R.jpgその脇に地中に埋もれた掩蔽部の屋根部分が見えるDSC06758_R.jpg訓練開始地点DSC06757_R_20121212072931.jpgほふく開始!DSC06766_R_20121212072935.jpgここまで匍匐で接近するDSC06765_R_20121212072932.jpgここから訓練弾を投擲するDSC06767_R.jpg装備を付けた匍匐は辛いぞーDSC06761_R.jpg掩蔽部の屋根には通気口が開いているDSC06759_R.jpg横からレンガも見えるDSC06768_R.jpgまずは、ここから入るDSC06769_R_20121211231709.jpg観測機の台座と落書きがあるDSC06771_R_20121211231711.jpg窓の庇は一部崩れているDSC06770_R.jpg横に勝手口の様な入り口があるDSC06772_R_20121211232543.jpgいきなり大穴が開いているDSC06776_R_20121211232546.jpgさっきの入り口DSC06773_R.jpg内部は何度か塗り直ししている様でオリジナルではないDSC06775_R_20121211232545.jpg後方からDSC06778_R_20121211233750.jpg眺め良し、左に砲座が見えるDSC06788_R_20121211233752.jpg中には特に何も無いDSC06789_R_20121211233753.jpg変な構造だDSC06784_R.jpg狭い階段を登るDSC06796_R_20121211233754.jpg二枚上の写真を上からDSC06791_R_20121211234425.jpgさすが観測所、海が一望であるDSC06800_R_20121211234427.jpg屋根に出るDSC06801_R_20121211235018.jpgパパラッチが狙っているDSC06803_R_20121211234429.jpgさらに上に行けるDSC06804_R_20121211234430.jpg何があったんだろう?さて、降りるかDSC06814_R_20121211235646.jpg裏側からDSC06812_R.jpg近くに落ちていたレンガ、「上」の刻印がある

走水新砲台(走水神社)

長いこと横須賀に住んでいたが、走水神社には行った事が無い。
露西亜の機雷があるとゆうことで、行ってみる。
CIMG1278_R.jpg駐車場への道は3ナンバーは擦る覚悟で通ろう
CIMG1280_R.jpgトゲも何も無い球体だった
CIMG1281_R.jpg吊り下げ金具が1本欠落している、以前はゴムホースに色を塗って代用していたらしい。
CIMG1282_R.jpg明治期には普通に爵位をもつ貴族がいたようだ
CIMG1283_R.jpgとりあえず、20m登る
CIMG1284_R.jpgこの辺りは見晴台になっていて海が良く見える
CIMG1285_R.jpg防大の舟艇訓練施設の左にターゲットがみえる
DSC03481_R.jpg某組織の官舎に同期がいる、バイクを官舎に停め海岸に出る、コンクリ基礎が散見する
DSC03483_R.jpgざっと10mほどの絶壁に何かある、とりあえず登る
DSC03484_R.jpg下から見えないが、手前に木造建築物がある
DSC03485_R.jpgコンクリートのアーチ状の物がある、厚み10cmほどか?
DSC03486_R.jpg2階部分が2mほど崩落している、他に道が無いしどうしようかな?
DSC03487_R.jpg右は垂直の崖だし
DSC03488_R.jpg面倒なので、手っ取り早く飛んだ、なせばなる!(帰りの事は考えない)
DSC03490_R.jpg反対の下を覗くと、なにかあるDSC03491_R.jpg反対には壕の様な物もある
DSC03492_R.jpgとりあえず、下に降りようとしたが
DSC03493_R.jpg階段が半分無くなっていたので、結局飛び降りた。
DSC03495_R.jpg弾薬庫の様な作りだ
DSC03497_R.jpg素掘りの壕は入れない
DSC03498_R.jpg振り返る、上に行ける階段がある
DSC03499_R.jpg右を見るとレンガの何かがある!
DSC03500_R.jpg興奮を抑えながら、階段を登る
DSC03501_R.jpg右手にさらに階段とコンクリ巻きの入り口が!
DSC03502_R.jpgまずは、レンガの方に入る
DSC03503_R.jpg天井の無い四角い部屋
DSC03504_R.jpgレンガに微妙な段が有る
DSC03505_R.jpg流石にこれを降りると登れそうに無いので、諦める
DSC03506_R.jpg坑道の様だが、塞がっている
DSC03508_R.jpg横の階段を登って行く
DSC03509_R.jpg砲座の様なサークルの中心に四角い穴が開いている
DSC03510_R.jpg後には小壕が口を開けている
DSC03511_R.jpg隠顕式の施設の跡だ
DSC03513_R.jpg海側にもう一段有った、さっきの階段下の遺構の様だ
DSC03514_R.jpg横を見ると例の建物が、同じ高さにある
DSC03516_R.jpg下段に降りてみる
DSC03517_R.jpgやはりさっきの遺構だ、隠顕式の探照灯(探海灯?)だろうか?上段は測距儀か指揮装置?
DSC03520_R.jpg一通り見たので、こっちに登る
DSC03521_R.jpgこの階段ちょっとやばいかも?、まぁいいか!
DSC03522_R.jpg塩害で金属部分がぼろぼろだ
DSC03523_R.jpg状態はあまり良くない
DSC03524_R.jpg戦後の観測器具が残っている
DSC03525_R.jpg天井には方位盤が張ってある
DSC03529_R.jpg何かのスイッチボックス
DSC03532_R.jpg昭和30年の風向計
DSC03535_R.jpg壊れた階段が誘っている
DSC03540_R.jpg登ってみると、梯子は固定されていない状態だった
DSC03536_R.jpg海を見る
DSC03537_R.jpg眺めは最高だ、走水低砲台が見える
DSC03539_R.jpg遺構の全体を見渡せる、さてどうやって帰ろうか?
なお、ここは一般は許可無く入る事は出来ないので、注意!
上空写真を貼って置く
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旧海軍軍需部長浦倉庫 (相模運輸11号倉庫)

今日は「三浦半島地区遺跡調査発表会」に榴弾砲さんと共に急遽参加した。
小原台堡塁の発掘調査報告を聞く為に訪れた、たまには勉強も必要だ。
PM4時半まで発表会を聞き、まだ日があったので比与字に向かう、会場から15分で着く。
ふぉーとれすでも紹介している様に、比与字の平面交差線路部分以外の引込み線遺構が転結機、信号機等すべて2月までに、撤去されるらしいので、見に行った。
前回紹介した相模運輸倉庫サイロ脇、11号倉庫に再度訪問する。DSC07190_R.jpgDSC07192_R.jpgDSC07193_R.jpgこの錆び具合がたまらないDSC07195_R.jpg倉庫の入り口から引込み線のレールが貫通している、逗子開成中学校の1年生などが軍需部に勤労動員され、一部の生徒は比与宇の弾薬庫で高角砲弾や機銃弾、小銃弾や使い終った薬きょうなどの仕分けや箱詰めをしたり、トラックや貨車への積み込み、積み降ろし作業などをしていたという倉庫だろう。DSC07196_R.jpg全体の写真DSC07198_R.jpg上にもう一階層あるが、梯子が途中までしかないDSC07199_R.jpg何故か壁には一面紙の様な物が貼ってあるDSC07200_R.jpg上に昇る梯子を発見するも、写真より下3mほどが破壊されている。DSC07202_R.jpg鉄骨に梯子が数多く付いているが、みな途中までしか付いてないDSC07203_R.jpgしかし異様なほどに、目張りしてあるしDSC07204_R.jpgこの中断にある横の鉄骨が変だ、倉庫の空間を殺しているDSC07205_R.jpgヒントはここにあったDSC07206_R.jpg各鉄骨に振ってある番号もうなずける。DSC07215_R.jpgそれはこれ、天井クレーン!しかも3機もあるDSC07210_R.jpg左側のは破壊されているその理由も後で分かったDSC07213_R.jpg未だに使えそうに見えるDSC07212_R.jpg昭和七年、3トン、日立製作所製の様だ、戦前の物DSC07216_R.jpg円形の物があった跡、おそらく列車用のベルがあって、天井クレーンで貨車から積み下ろしを行い、冒頭で書いたトラックや貨車への積み込み、積み降ろし作業などをしていたという、証拠だろう。DSC07217_R.jpgこちら側の梯子もやはり3mほどで破壊されているDSC07219_R.jpg2階の一部には格子を開けると物を上げ下げ出来る所が2箇所ある、上から見たいDSC07220_R.jpg天井の鉄骨が誘っている、ここまで来いとDSC07221_R.jpg無理矢理昇ってしまった・・・・・パウダー状のほこりがすごい、3cmぐらい積もっているDSC07222_R.jpg下を見下ろす、居るだけでほこりがすごい!DSC07223_R.jpg前もこの有様だ、少し待つDSC07224_R.jpg格子部分を上から見る、開けてみたいがやめておくDSC07225_R.jpgどうだ鉄骨、来てやったぞ!DSC07227_R.jpg反対側まで来た、この下には天井クレーンが。DSC07229_R.jpgモーターの名盤を見たかったが、見えないDSC07233_R.jpg一段下のクレーンに飛び降りるDSC07232_R.jpgクレーン萌え!、さて降りるのに梯子が寸断されている、しかたが無いので、クレーンのレールの上を10mほど歩く、手すりも何も無いDSC07234_R.jpg鉄骨に辿り着いた、後はつたい降りるだけDSC07208_R.jpg壁際に砂利砂があるのが分かるだろうか?、戦後にここは砂利砂の置き場として使われていた様だ奥側のクレーンや梯子がひしゃげていたのは、ショベルカーなどで砂を掻く時にぶつけた物だろう、大量の粉塵も納得行く。DSC07235_R.jpg外に出てB号倉庫を二人で見上げる、もう日が暮れていたDSC07236_R.jpgこの辺には海軍止水栓があちこちに残っているDSC07237_R.jpgこれが保存が決定した平面交差線路だが、ぶつ切り状態だDSC07239_R.jpg鉄道部分は未だに米軍管理区域だDSC07240_R.jpgF号倉庫に続き、11号倉庫も売りに出されていたDSC07241_R.jpgここにあった信号機がすでに亡くなっているDSC07242_R.jpg残っているのはこれとDSC07243_R.jpgこれだけだが、いつまでもつか・・・DSC07244_R.jpg残る線路も後わずかだ




走水低砲台

神奈川県横須賀市走水の旗山崎にある、走水低砲台。
明治19年の完成以来、走水砲台→走水低砲台→走水第一砲台と時代と共に名称を変えている。
走水新砲台と走水第一砲台の名前が入れ替わった時もある様だ。
最終的に走水低砲台⇒走水第一砲台、走水新砲台⇒走水第二砲台、走水高砲台⇒走水第三砲台に
名称は落ち着いた様だ、ここでは馴染みのある、走水低砲台として、紹介する。
関東大震災の被害により、3つとも、昭和9年除籍となり、ここのみ太平洋戦争時備砲し稼動状態にあった。
よって、明治期の完全オリジナルではないかも知れない。DSC06966_R.jpgまずは、左翼観測所を見る(右翼観測所は失われた)DSC06965_R.jpgDSC06964_R.jpg人の胸ぐらいの高さDSC06592_R_20121208200644.jpg防湿用のタールを塗ったコンクリート片も散見する。DSC06596_R.jpg左翼横檣上設けられた小隊長壕への石段、ここは揚弾井のある段DSC06917_R.jpgこの段は幅1mも無い、落ちたらちょっと痛い高さだDSC00930_R_20121208203707.jpg揚弾用の滑車が残るDSC00927_R_20121208203706.jpg下から見るとこんな感じDSC06916_R.jpg上に昇る階段に手すりを着けたと思われる、鉄柱を挿した溝(穴?)があるDSC06920_R.jpg小隊長壕、綺麗なフランス積みのレンガDSC06921_R.jpg反対側に降りて砲座を探すDSC06914_R.jpgDSC06922_R.jpg冬でもこの藪である、夏場は近寄る事すら困難だDSC06923_R.jpg別の砲座、少しはマシかDSC06913_R_20121208210329.jpg左右に各2つ砲座はあるが、こんな感じになっていて、撮影不能DSC06925_R_20121208210330.jpg下まで降りて地下弾弾薬庫に向かうDSC06926_R.jpgかなり狭い入り口を入り、通路兼前室に入るDSC06927_R.jpg左右対称に弾薬庫2個、揚弾井2個がある、これが右翼、左翼に一つずつある。DSC06930_R_20121208210334.jpg下に電線を通した様な穴があるので、スイッチボックスと思われる。DSC06931_R.jpg揚弾井30~40cm幅ぐらいか?DSC06940_R.jpg足元にスパナが落ちてる、日本では、先端が開放されたものをスパナとゆう、それ以外をレンチとWIKDSC06934_R.jpg弾薬庫、壁に伝声管が開いているDSC06938_R.jpg弾薬庫奥から入り口方向DSC06943_R_20121208212015.jpg前室全景DSC06598_R_20121208221203.jpg外に出て、中央にある地下掩蔽壕を見るDSC06911_R_20121208221206.jpg棲息室だろうか?内部に入れないDSC06958_R.jpg右翼側にまわるDSC06959_R.jpgこちらの小隊長壕も綺麗な状態だDSC06961_R_20121208221212.jpgこうして見るとまるで、立ち○。○(人物比榴弾砲さん)DSC06962_R_20121208222554.jpg4つ目の砲座DSC06944_R_20121208222549.jpg左翼弾薬庫、構造はまったく右翼と同じDSC06945_R.jpgDSC06947_R.jpgDSC06954_R_20121208222552.jpg弾薬庫を出て、上に上がるDSC06906_R.jpgスカイツリーと第二海堡DSC06907_R.jpg護岸工事中の第二海堡、中央はソーラーパネルDSC06909_R.jpg第一海堡と手前は係留用の柱と思われる。

走水狙撃陣地

神奈川県横須賀市の走水海岸にある、狙撃陣地。
走水狙撃用洞窟陣地とも呼ばれる。
走水の海岸に上陸する連合軍を狙撃する為に作られているが、途中で終戦となった様だ。
狙撃室が3つ確認できるが、開口しているのは1つだけ、しかも他の1つは何故か山側に向いてる。
開口していないので、外側からの特定も出来ない。DSC09946_R.jpgこの海岸線に走水狙撃陣地が潜んでいる、知らなければまったく気付かないだろうDSC00905_R_20121206205500.jpgDSC00907_R.jpg当時の船着場と思われるDSC00903_R.jpg付近にはレンガが散乱している、丁度この上辺りに走水高砲台があったはずだ、関連遺構か?
走水高砲台は、すでに跡形も無く破壊されている。DSC00879_R.jpg入り口はいくつかあるが、殆ど埋まってしまっている。DSC00896_R_20121206210426.jpg走水水源地の近くなせいか、水も出ているDSC09947_R.jpgでは、中に入ろうDSC09948_R.jpg滑り込むように入るDSC09949_R.jpgDSC09950_R.jpg壁に灯り置きか、棚がある(煤けた跡がある)DSC09951_R.jpg天井はやや低い、右の壁に碍子を付ける鉄心が着いてるDSC09952_R.jpg壁面は雑な感じDSC09954_R.jpg天井が低いせいか、壁に碍子が着くDSC09955_R.jpg抜き穴と思われるが、埋まっているDSC09956_R.jpgあまり壁に触りたくないDSC09957_R.jpgなんだかんだで、100mぐらいあるかな?DSC09958_R.jpg横に登り坂があるDSC09959_R.jpgこれが山側を向いている銃眼DSC00886_R.jpg防御用のコンクリートを打つ為の溝、50cmぐらい有りそうだ。DSC00887_R.jpg以前来た時は、先住者がいらっしゃったDSC00890_R_20121206221221.jpg最深部に向かうDSC00891_R.jpgTAKODSC09962_R.jpg左の壁に何か掘ってあるDSC09967_R.jpg海軍の先が判別出来ない(漢字を知らないだけ?)DSC09968_R.jpg開口している銃眼DSC00861_R.jpg外から見てみるDSC00882_R.jpg最後の狙撃室、残念ながら埋まっているDSC00894_R_20121206223151.jpg外に出ると、気になる物があるDSC00895_R_20121206223312.jpg登ってみるDSC00898_R.jpg1段上がると、穴があるDSC00899_R.jpg近代的な防空壕だDSC00901_R_20121206223642.jpg緊急用の脱出口まである、さすが海軍?
DSC00904_R_20121206223921.jpg一通り見たので、帰途に着く   走水狙撃陣地
 

陸上自衛隊広報センター

埼玉県朝霞市栄町にある陸上自衛隊広報センター(りっくんランド)に行った
AM10時~PM5時開館、基本月曜休み(例外があるのでH.P要確認)
無料駐車場40台+駐輪OK、子連れでも十分楽しめる。
休憩所にはアイス、焼きおにぎり等ホットデリカ、ドリンクの自販機あり。DSC05484_R.jpgDSC07100_R.jpg駐車場の前には軽装甲機動車(海外派遣実車)が展示してあるDSC07102_R.jpg入り口を入ると売店「SAKURA」がある、ミリ飯もどきやシャツ、バック、キーホルダー等品揃え良しDSC07101_R.jpgトイレのカエル・・・・かと思ったらDUCK?DSC07104_R.jpg順路は二階から展示上に周るようになっているDSC07105_R.jpg90式試作1号機、型遅れとなったが、主力戦車だ(ホントは74式がまだ主力DSC07107_R.jpgコブラ、左奥にある戦車シュミレーターは子供に人気DSC07108_R.jpg迷彩服の試着も出来る(子供用もあり)DSC07109_R.jpgこれが楽しみだ。DSC07115_R.jpg下に下りて展示物を見るDSC07116_R.jpgバルカンDSC07117_R.jpgミサイルポッドDSC05510_R_20121204211922.jpgコクピットも覗けるDSC05511_R_20121204212018.jpg直接照準用、別にヘルメットの機銃リンクもある(機銃が横にも撃てる為)DSC07118_R.jpg90式の車載機銃DSC07122_R.jpg劣化ウラン弾の展示は無かった(ある訳無いけど)DSC05522_R_20121204212816.jpg90式ペリスコープ(内側)DSC07124_R_R.jpg外側DSC07125_R.jpgそのそばに爆弾が落ちていたDSC07151_R.jpg米軍の1トン爆弾DSC07154_R.jpgDSC07155_R.jpg結構楽しい  対戦車ヘリシュミレーションDSC07126_R.jpg無人偵察ヘリDSC07130_R.jpgDSC07129_R.jpgDSC07131_R.jpgDSC07132_R.jpg展示武器類DSC07133_R.jpg試着コーナーDSC07150_R.jpg装備(重量)体験コーナー(防弾ベストは12kg)DSC05532_R_R.jpgDSC07153_R_R.jpgみんなで楽しむ(コスプレ?)DSC07135_R.jpgミリ飯、試食は出来ないDSC07146_R.jpg偵察バイクDSC07156_R.jpg屋外に出ると、地下式の野戦指令所があるDSC07158_R.jpg間口は狭いDSC07159_R.jpg防犯カメラ作動中DSC07161_R.jpgDSC07162_R.jpgDSC07163_R.jpgDSC07164_R.jpgDSC07165_R.jpgDSC07166_R.jpgDSC07167_R.jpgDSC07168_R.jpgここまで左側の展示DSC07169_R.jpgDSC07186_R.jpgDSC07188_R.jpg記念すべき1号車
DSC07170_R.jpgDSC07171_R.jpgDSC07172_R.jpgDSC07173_R.jpgDSC07174_R.jpgDSC07175_R.jpgDSC07176_R.jpgDSC07177_R.jpgDSC07181_R.jpgDSC07178_R.jpgDSC07179_R.jpgDSC07183_R.jpgDSC07184_R.jpgDSC07180_R.jpg右側の展示車両、春先に訪れた時より2両ほど増えていたDSC07189_R.jpg缶コーヒー80円、一服して横浜への帰途に着く


所沢航空発祥記念館、日本の航空技術100年展

所沢航空発祥記念館、日本の航空技術100年展に行って来た。
今回は全国戦争遺跡調査研究会のメンバー達と御一緒した。
朝の5時半横浜出発、現地到着7時20分ぐらいに駐車場に入庫だった。
前日(12/1)の公開日は10時のエンジン始動見学会入場整理券配布時間の1時間前には
1000人を超える希望者が訪れ、定員を(420人X3回)オーバーした為、告知時間より早く配布したが、
10時近くに来た人達が、チケットが無いと暴動に近い騒ぎを起こしたとゆうばからしい理由で、7時半から
10時まで寒い中、ただ待ち続ける事になってしまった。
ちなみにこの時間に行っても、2回目の111人目だった、前日よりすごいんじゃないかな?DSC06890_R.jpg朝焼けの中、すでに1回目の公開分定員済み、2回目の列に並ぶDSC06893_R.jpg気球の体験イベントも別に開催されていた。DSC06895_R.jpg8時過ぎの時点で、2回目も定員に達していた。DSC06911_R.jpg合間にC-46の特別公開を見てきた(柵の中に入れるだけ)DSC06910_R.jpgDSC06915_R.jpgDSC06913_R.jpg零戦見学会の会場、料金を払わないと姿さえ見れない様になっている。005_R_20121202214442.jpgとりあえずチケットを手に入れたので、所沢航空発祥記念館を見に行く。DSC06924_R.jpgDSC06925_R.jpg
DSC06930_R.jpgDSC06937_R.jpgDSC06954_R.jpg
DSC06943_R.jpgDSC06944_R.jpg後にまわるとカットモデルになっていた。DSC06962_R.jpgDSC06961_R.jpgなつかしのバートルDSC06976_R.jpgDSC06977_R.jpgDSC06981_R.jpgDSC06990_R.jpg館内には自衛隊使用機が数多く展示してあったDSC06995_R_20121202230733.jpgDSC06994_R_20121202230823.jpgDSC07007_R_20121202230908.jpgDSC07005_R.jpgDSC07001_R.jpg九一式戦闘機の展示だが、もったいないくもボロボロだDSC07009_R_20121202231513.jpgここで一回目のエンジン始動時間になったので、外に出る  一回目のエンジン始動DSC07012_R.jpg時間がまだあるので、一般見学の列に並ぶ、すでに200人以上はいるだろうDSC07016_R.jpgDSC07021_R_20121202232141.jpgDSC07030_R_20121202232221.jpgもはや言葉や説明はいらない  一般見学DSC07041_R.jpg軽く飯を食べるDSC07042_R_20121202232645.jpgまだ、時間があるので駅前までYS-11を見に行ったDSC07053_R_20121202232820.jpg今年まで自衛隊でも使っていたDSC07058_R_20121202233052.jpg時間なのでならびに向かうDSC07060_R.jpgいよいよ始まる  エンジン始動①DSC07072_R.jpgDSC07077_R.jpgDSC07078_R.jpgDSC07080_R.jpgDSC07088_R.jpgDSC07089_R.jpgDSC07091_R.jpg米国のエアレースチャンプらしい  エンジン始動②DSC07096_R.jpg名残惜しいが、時間で追い出される

時間は掛かったが、良い経験が出来た、来てよかった
OKNさん誘ってくれて、ありがとうございます!