柏陸軍飛行場 秋水燃料庫
まずは、秋水について軽く触れておく、原型はドイツ軍のメッサーシュミット Me163「コメート」である
機体は海軍、エンジンは陸軍が担当、陸海軍共同して開発研究した。
知っての通り、ドイツから資料等を積んだイ号潜は撃沈され、途中シンガポールから飛行機で持ち帰った
三面図、ロケット燃料の成分表と取扱説明書、ロケット燃料噴射弁の試験速報程度の物で製作する事になる。
海軍担当の機体は空技廠にて以外に簡単に完成し、追浜飛行場にて1944年12月には木造機による滑空
試験、翌年1月にはエンジン、武装の無いだけの実機と同等の物で犬塚大尉により滑空試験は成功する。
1945年(昭和20年)7月7日、横須賀海軍航空隊追浜飛行場で秋水は試飛行を迎えた。
しかし結果は燃料タンク構造の不備により、上昇中にエンジンストールしてしまう、しかも犬塚大尉の
懸命の操縦による機体保持の為の努力も残存燃料の排出不完全の不備が襲い、滑走路への着陸を断念
爆発を懸念し第四旋回時、見学者が見守る滑走路を避け脇の埋め立て地への不時着を目指した。
その時、高度不足から監視塔に接触、鷹取川に墜落、大破してしまう。
犬塚大尉はこの時点で意識があった、鉈切山の防空壕へ搬送されるが頭蓋底骨折のため翌日亡くなる。
柏陸軍飛行場では、エンジンが無く(2号エンジンは爆発)滑空機にての訓練に終始した。
ちなみに、秋水基地としての柏飛行場は、完成すらしていない。(他飛行場にての訓練)
追浜海軍飛行場には何一つ遺構が無い為、知らない人もいるが、柏陸軍飛行場には燃料庫が数多く
残されているので、実機が飛んでないのに有名だ。
機体自体は完成していたので、米軍がその内3機を摂取して行った、その1機は今も博物館に展示されている。
日本では1961年に日本飛行機杉田工場拡張工事の時出土した物が、復元展示されている。
申し込みが必要な様だが、現在愛知県小牧市の名古屋航空宇宙システム製作所史料室にある。
夏に来た事を後悔した
住宅地のど真ん中で藪漕ぎをする
扉にはノブが無く開かなかった
基礎が大分前まで来ている
上部は欠けてしまっているが、庇状になっていたのだろうか?
唯一露出している燃料庫(国有地扱い)
正面入り口、妙に縦長


写真を撮っているとジロジロ見られる、住宅地はやりずらい・・・
わずかな隙間が有るが、入れない
住民の許可を取って早速登る
花野井交番裏方向
こっちの横側は近代コンクリートで埋めてある
ガムを着けた様な補修跡
右側は個人邸の畑になっている
おそらく、通気孔を刺していた穴の跡
所々に防湿用のタールを塗った跡がある
交番側先端部
先端から振り返る、このアングルの写真は見かけない
先端入り口も塞がっていた
一番有名なポイントに移動する(撮影と立ち入りの許可を貰う)
貯蔵時に出るガスを逃すように風通しを良くする為の物
肥料の袋が捨てられている、下にブロックが引いてある
手前のヒューム管の根元が分かるだろうか
地主さんが農作業時に根元を傷つけてしまっている様だ
見えない所もきっと折れている
こうして見ると埋まった迫撃砲の様だ
一応保存を頼まれて、いる様で、壊したいが壊せないらしい
出来るだけ残して置いて欲しい物だ
このまま帰るのも芸が無いんで探索すると
同じ形状の入り口がある
また何かある
残念ながら、崩れている
畑のヒューム管のそばにあった
上の方にもある
手前にもコンクリートが
登って見た
横からみてがっかり、この後ろは無くなっている
恐らく空気穴に開けた穴
焼却炉になっていた
機体は海軍、エンジンは陸軍が担当、陸海軍共同して開発研究した。
知っての通り、ドイツから資料等を積んだイ号潜は撃沈され、途中シンガポールから飛行機で持ち帰った
三面図、ロケット燃料の成分表と取扱説明書、ロケット燃料噴射弁の試験速報程度の物で製作する事になる。
海軍担当の機体は空技廠にて以外に簡単に完成し、追浜飛行場にて1944年12月には木造機による滑空
試験、翌年1月にはエンジン、武装の無いだけの実機と同等の物で犬塚大尉により滑空試験は成功する。
1945年(昭和20年)7月7日、横須賀海軍航空隊追浜飛行場で秋水は試飛行を迎えた。
しかし結果は燃料タンク構造の不備により、上昇中にエンジンストールしてしまう、しかも犬塚大尉の
懸命の操縦による機体保持の為の努力も残存燃料の排出不完全の不備が襲い、滑走路への着陸を断念
爆発を懸念し第四旋回時、見学者が見守る滑走路を避け脇の埋め立て地への不時着を目指した。
その時、高度不足から監視塔に接触、鷹取川に墜落、大破してしまう。
犬塚大尉はこの時点で意識があった、鉈切山の防空壕へ搬送されるが頭蓋底骨折のため翌日亡くなる。
柏陸軍飛行場では、エンジンが無く(2号エンジンは爆発)滑空機にての訓練に終始した。
ちなみに、秋水基地としての柏飛行場は、完成すらしていない。(他飛行場にての訓練)
追浜海軍飛行場には何一つ遺構が無い為、知らない人もいるが、柏陸軍飛行場には燃料庫が数多く
残されているので、実機が飛んでないのに有名だ。
機体自体は完成していたので、米軍がその内3機を摂取して行った、その1機は今も博物館に展示されている。
日本では1961年に日本飛行機杉田工場拡張工事の時出土した物が、復元展示されている。
申し込みが必要な様だが、現在愛知県小牧市の名古屋航空宇宙システム製作所史料室にある。









































スポンサーサイト