fc2ブログ

柏陸軍飛行場 秋水燃料庫

まずは、秋水について軽く触れておく、原型はドイツ軍のメッサーシュミット Me163「コメート」である
機体は海軍、エンジンは陸軍が担当、陸海軍共同して開発研究した。
知っての通り、ドイツから資料等を積んだイ号潜は撃沈され、途中シンガポールから飛行機で持ち帰った
三面図、ロケット燃料の成分表と取扱説明書、ロケット燃料噴射弁の試験速報程度の物で製作する事になる。
海軍担当の機体は空技廠にて以外に簡単に完成し、追浜飛行場にて1944年12月には木造機による滑空
試験、翌年1月にはエンジン、武装の無いだけの実機と同等の物で犬塚大尉により滑空試験は成功する。
1945年(昭和20年)7月7日、横須賀海軍航空隊追浜飛行場で秋水は試飛行を迎えた。
しかし結果は燃料タンク構造の不備により、上昇中にエンジンストールしてしまう、しかも犬塚大尉の
懸命の操縦による機体保持の為の努力も残存燃料の排出不完全の不備が襲い、滑走路への着陸を断念
爆発を懸念し第四旋回時、見学者が見守る滑走路を避け脇の埋め立て地への不時着を目指した。
その時、高度不足から監視塔に接触、鷹取川に墜落、大破してしまう。
犬塚大尉はこの時点で意識があった、鉈切山の防空壕へ搬送されるが頭蓋底骨折のため翌日亡くなる。
柏陸軍飛行場では、エンジンが無く(2号エンジンは爆発)滑空機にての訓練に終始した。
ちなみに、秋水基地としての柏飛行場は、完成すらしていない。(他飛行場にての訓練)
追浜海軍飛行場には何一つ遺構が無い為、知らない人もいるが、柏陸軍飛行場には燃料庫が数多く
残されているので、実機が飛んでないのに有名だ。
機体自体は完成していたので、米軍がその内3機を摂取して行った、その1機は今も博物館に展示されている。
日本では1961年に日本飛行機杉田工場拡張工事の時出土した物が、復元展示されている。
申し込みが必要な様だが、現在愛知県小牧市の名古屋航空宇宙システム製作所史料室‎にある。
DSC09802_R_20130228192140.jpg夏に来た事を後悔した
DSC09803_R_20130228192141.jpg住宅地のど真ん中で藪漕ぎをする
DSC09804_R_20130228192143.jpg扉にはノブが無く開かなかった
DSC09805_R.jpg基礎が大分前まで来ている
DSC09806_R_20130228192145.jpg上部は欠けてしまっているが、庇状になっていたのだろうか?
DSC09807_R_20130228193150.jpg唯一露出している燃料庫(国有地扱い)
DSC09808_R.jpg正面入り口、妙に縦長
DSC09809_R_20130228193153.jpgDSC09812_R_20130228193154.jpgDSC09814_R_20130228193156.jpg写真を撮っているとジロジロ見られる、住宅地はやりずらい・・・
DSC09813_R_20130228193958.jpgわずかな隙間が有るが、入れない
DSC09815_R.jpg住民の許可を取って早速登る
DSC09816_R.jpg花野井交番裏方向
DSC09817_R.jpgこっちの横側は近代コンクリートで埋めてある
DSC09818_R.jpgガムを着けた様な補修跡
DSC09819_R.jpg右側は個人邸の畑になっている
DSC09820_R.jpgおそらく、通気孔を刺していた穴の跡
DSC09821_R_20130228195049.jpg所々に防湿用のタールを塗った跡がある
DSC09822_R.jpg交番側先端部
DSC09823_R.jpg先端から振り返る、このアングルの写真は見かけない
DSC09824_R.jpg先端入り口も塞がっていた
DSC09827_R_20130228222659.jpg一番有名なポイントに移動する(撮影と立ち入りの許可を貰う)
DSC09828_R_20130228222701.jpg貯蔵時に出るガスを逃すように風通しを良くする為の物
DSC09829_R.jpg肥料の袋が捨てられている、下にブロックが引いてある
DSC09830_R_20130228222705.jpg手前のヒューム管の根元が分かるだろうか
DSC09831_R_20130228223823.jpg地主さんが農作業時に根元を傷つけてしまっている様だ
DSC09832_R_20130228223825.jpg見えない所もきっと折れている
DSC09833_R_20130228223826.jpgこうして見ると埋まった迫撃砲の様だ
DSC09834_R_20130228223828.jpg一応保存を頼まれて、いる様で、壊したいが壊せないらしい
DSC09836_R.jpg出来るだけ残して置いて欲しい物だ
DSC09837_R.jpgこのまま帰るのも芸が無いんで探索すると
DSC09839_R_20130228224556.jpg同じ形状の入り口がある
DSC09840_R_20130228224558.jpgまた何かある
DSC09843_R_20130228224559.jpg残念ながら、崩れている
DSC09844_R.jpg畑のヒューム管のそばにあった
DSC09845_R.jpg上の方にもある
DSC09847_R_20130228224949.jpg手前にもコンクリートが
DSC09848_R.jpg登って見た
DSC09849_R.jpg横からみてがっかり、この後ろは無くなっている
DSC09850_R_20130228225254.jpg恐らく空気穴に開けた穴
DSC09851_R.jpg焼却炉になっていた


スポンサーサイト



柏陸軍航空隊

1937年、柏に軍用飛行場が建設された。この飛行場は首都圏に飛来する敵機に対する防空戦闘を行っていた。
1945年、ここにロケット戦闘機・秋水が配備される予定になった。
今回は周辺施設の目立った物だけを紹介して行く。
これ以外の物では、陸軍病院、分廠本部庁舎、ガス庫、部品庫、土塁、滑走路跡と言われる道路(滑走路位置図と符合せず)などがあるが時間的に見てはいない。
kashiwa_hikoujyoryakuzu_R.jpg
柏飛行場全体図
DSC09795_R_20130227203621.jpg
位置はオリジナルの位置だ、この先は自衛隊の通信所になっている
DSC09796_R_20130227203623.jpg
説明板
DSC09797_R_20130227203624.jpg
右側の門柱
DSC09798_R.jpg左側の
門柱
DSC09799_R_20130227203628.jpg
焦げた様な跡が気になる
DSC09800_R_20130227204229.jpg
通用門のストッパーか?
DSC09801_R.jpg
ヒンジ部分
DSC09868_R.jpg
高野台児童公園に移築、保存されている高射砲第二連隊の営門の門柱
DSC09869_R.jpg
元は白塗りの様だ
DSC09870_R_20130227204449.jpg案内板
無題_R
もう少し見やすい図
DSC09871_R.jpg
横のヒンジ
DSC09872_R.jpg
表札跡
DSC09873_R.jpg
ほんとに街中の公園で見過ごしそうだ
DSC09875_R.jpg
その付近にある、高射連隊の馬料庫の建物
DSC09874_R.jpg
2010年の夏に行った時点で閉鎖されていた
DSC09876_R.jpg
工事用の壁で覆われ、近寄れない
DSC09877_R.jpg
裏の駐車場から覗き込む
DSC09878_R.jpg
現在残っているかは、分からない
DSC09852_R_20130227210746.jpg
陸上自衛隊柏高射教育訓練場
DSC09853_R_20130227210748.jpg
土手沿いをひたすら歩く
DSC09854_R_20130227210749.jpg
陸軍射撃演習場跡地
DSC09855_R_20130227210751.jpg
運転席の下でくの字に折れ曲がるタイプ、小回りが利いて使いやすい
DSC09856_R_20130227210753.jpg
誰もいないと入りずらい
DSC09858_R.jpg
現在は陸自の中Sam(中距離地対空弾)発射機基地
DSC09859_R.jpg
相当の数の発射機があるが、弾はあるのだろうか?

次回は秋水燃料庫

「廃墟」日本冶金工業興津工場跡(震洋隊守谷特攻基地所属 鵜原火薬庫)

終戦後、軍需工場では無くなり、日本冶金工業興津工場として稼動。1957年の11月30日に「日本冶金工業興津工場爆発事故」と言う爆発事故が発生した、死亡14名、重軽傷17名の合計31名が死傷する大事故らしい。
戦時中は爆撃や機銃掃射の被害は受けなかったが、戦後に起きてしまった大事故だった。
どの辺が事故現場なのかは、分からないがトンネル内の火薬庫で焼けた跡があった、しかし1976年まで
稼動していたので、かたずけられた可能性もあるので、何とも言えない。
DSC07933_R_20130226190806.jpgここへの入り口は硬く閉ざされている
DSC07940_R_20130226190807.jpg仕方が無いので山を越える
DSC07941_R_20130226190809.jpg斜面を滑り落ちて行くと、建物の裏口に出た
DSC07942_R.jpg台座のみの殺風景な施設
DSC07943_R.jpg上は吹き抜けになっている
DSC07944_R_20130226192352.jpg概観は普通に二階建てに見える
DSC07945_R_20130226192353.jpg倒壊したボイラー小屋か
DSC07953_R_20130226192355.jpgここは軍人の霊のでるB級スポットでもある
DSC07954_R_20130226192356.jpg電機管理棟が奥に見える
DSC07964_R_20130226193346.jpg発電機の台座だけが当時の配置を教える
DSC07965_R.jpg隣の小部屋
DSC07966_R_20130226193349.jpg工場に在りがちな工具置き場(工具を機械内に忘れたりしない為の確認用の知恵)
DSC07967_R.jpg二階?部分にも在った
DSC07968_R.jpg登ってみる
DSC07955_R_20130226194437.jpg後から見ると無傷に見える
DSC07957_R_20130226194438.jpg精製工場棟が裏手にある
DSC07958_R_20130226194440.jpg天井クレーンだけが、やけに目立つ
DSC07959_R.jpgクレーンの電源だろうか
DSC07960_R.jpg奥に小型発電機用の管が残っていた
DSC07961_R.jpgここで多くの人が震洋に積む為の火薬を精製していたのだ
DSC07972_R_20130226200031.jpgトンネルに入る
DSC07977_R_20130226200032.jpg黒ずんだ地中式火薬庫、精製途中の薬品保管場所らしい
DSC07978_R.jpgサーチライトの様な照明が落ちている
DSC07979_R_20130226200035.jpgコンクリートの内側にあったベニヤは大部分剥がれてしまっている
DSC07986_R_20130226200733.jpgトンネルの先に上に開く穴がある
DSC07988_R_20130226200734.jpg資料によると、元は鉄の階段があり作業通路となっていたらしい
DSC07994_R_20130226201040.jpgトンネルの先には殆んど火薬庫が存在する
DSC07995_R_20130226201042.jpg大半の火薬庫は爆発対策で木造になっている天井が朽ちてしまっている
DSC07996_R_20130226201044.jpg倒れた扉のアルミノブだけが寂しげに光っている
DSC08019_R_20130226202835.jpgその中でも幾つか形を留めている物
DSC08020_R_20130226202837.jpg第八火薬庫
DSC08021_R.jpg隠れるようにある、表札
DSC08022_R.jpgこの床は以外と高く膝の高さぐらいあった(抜けて落ちた)
DSC08023_R_20130226202841.jpgここにどんな形で20tの火薬を置いていたのだろう
DSC08025_R.jpg窓には格子がはめてある
DSC08024_R.jpg内側の二重扉は純和風な感がある
DSC08037_R_20130226204654.jpgトンネルを抜けると
DSC08044_R_20130226204655.jpg隠れた入り江がある
DSC08046_R.jpg殺伐とした火薬庫のトンネルと野に咲く水仙の花のギャップ
DSC08062_R.jpg次のトンネルに入る
DSC08059_R_20130226205303.jpg倒壊したトタンの小屋がある
DSC08072_R_20130226205308.jpg上段のトロッコ線路と下段の歩道
DSC08065_R.jpgトロッコ軌条は新たな穴へ
DSC08070_R_20130226210020.jpg右側にはもう一つの入り江が
DSC08077_R_20130226210021.jpgこのトンネルには比較的新しい施設跡が残る
DSC08080_R_20130226210023.jpgコンクリートブロックの水槽
DSC08085_R_20130226210024.jpg炭鉱の様な照明施設
DSC08092_R_20130226210026.jpg最大の地下施設
DSC08094_R_20130226210629.jpg前室
DSC08098_R_20130226210630.jpg火薬庫本体の奥から振り返る
DSC08099_R_20130226210631.jpg
DSC08101_R_20130226210633.jpg前室の上にポツンと電灯があった
DSC08100_R_20130226211100.jpgここには炭化した木材が散らばっていた
DSC08104_R_20130226211101.jpgトンネル最奥の部屋
DSC08106_R_20130226211103.jpg朽ち果てた部屋
DSC08107_R.jpg全面木造はここだけだった
DSC08117_R_20130226211551.jpg知らなければ見つからない様な第一火薬庫
DSC08120_R.jpg外壁は大谷石の様だ
DSC08124_R_20130226211554.jpg重量火薬庫地区に入る
DSC08129_R_20130226211558.jpgこの辺は大分きれいだ
DSC08127_R_20130226211555.jpgすぐにでも使えそうだ
DSC08138_R_20130226212252.jpg
DSC08140_R_20130226212253.jpg第五火薬庫
DSC08133_R.jpg当時を思わせる黒板
DSC08134_R_20130226212248.jpg半壊
DSC08135_R_20130226212249.jpg塩釜港
DSC08150_R_20130226212829.jpg帰り道、光と闇のコントラストを楽しむ
DSC08157_R_20130226212830.jpg最後に見落としていた建物に入る
DSC08158_R_20130226212832.jpg昭和を感じるトイレ
DSC08165_R_20130226212834.jpg夏になると見えなくなるだろう
DSC08161_R_20130226213228.jpg後の建物には巨大なラジエターが
DSC08162_R_20130226213229.jpgエンジン利用の発電機
DSC08163_R.jpg裏には高圧碍子が散乱していた
DSC08159_R_20130226213614.jpg闇の中からぬこに見送られ、この場を退散する


震洋隊守谷特攻基地所属 鵜原火薬庫 その3

震洋隊守谷特攻基地所属 鵜原火薬庫の三回目となるのだが、今回で取りあえず戦跡として
終わりにして、廃墟部分を別に紹介するつもりだ。
現存している部分の大部分を回ったはずだが、売却された所や、何かを考えると半分かな?
自分らは山を越えまくったが、知人曰く裏から楽に行けるらしい。
DSC08073_R.jpg見えずらいが、ここには扉が付いていた跡がある
DSC08076_R_20130225193334.jpgトンネル内は最近まで使われていた電気設備がある
DSC08078_R.jpg変った施設がある
DSC08080_R_20130225193337.jpgドラム缶には、横穴式、水蓄、第三火薬庫と書いてある
DSC08081_R.jpg確かにこの施設は巨大な水槽になっている
DSC08082_R_20130225194602.jpg中は幾つかの部屋に別れ、隔壁で仕切られている
DSC08083_R_20130225194604.jpgこれが水蓄なんだろうか?
DSC08089_R_20130225194605.jpgフロート弁、これが浮くと溢れない様に弁が閉じる仕掛けになっている
DSC08085_R.jpgここにもトロッコ軌条はある
DSC08088_R_20130225195123.jpg左側にも部屋がある
DSC08090_R.jpg通路の壁に直接接続パイプの口がある
DSC08091_R_20130225195126.jpg水は無いが井戸もある
DSC08092_R.jpg右側に新たな地中式火薬庫が扉を開いている
DSC08093_R.jpg扉の上に責任者札が付いていた
DSC08094_R.jpg前室を通り、後室に進む
DSC08095_R_20130225195752.jpgここはキチンと温度管理されている(ここだけ)
DSC08096_R_20130225195753.jpg関ヶ原の火薬庫に少し似ている
DSC08097_R_20130225195755.jpg結露した蛍光灯
DSC08102_R_20130225200526.jpg看板が落ちていたが、真ん中の部分が欠落しているので読めない
DSC08103_R.jpg壁に埋め込まれたブレーカー
DSC08104_R.jpg左奥の部屋
DSC08106_R.jpg何故か木造、休憩室だろうか?
DSC08109_R.jpg先は泥濘と行き止まり(外部より閉塞)海岸に戻る
DSC08111_R_20130225201126.jpg重量火薬庫地区に戻った
DSC08112_R_20130225201128.jpgこの辺はかなり状態がいい
DSC08113_R_20130225201129.jpg今でも使えそうだ
DSC08114_R_20130225201132.jpg分かれ道
DSC08123_R.jpgトンネル内
DSC08122_R.jpg先の山肌に階段がある
DSC08116_R_20130225201848.jpgコの字型に回り込む
DSC08118_R_20130225201849.jpg第一火薬庫
DSC08119_R_20130225201851.jpgせまっ!
DSC08124_R_20130225202641.jpg3のトンネル
DSC08126_R_20130225202643.jpg概観良し
DSC08127_R.jpg中身良し
DSC08130_R.jpg元に戻る
DSC08137_R.jpg5のトンネル
DSC08138_R.jpg他とは構造が違う
DSC08140_R_20130225203322.jpg第五火薬庫、トンネル番号と火薬庫番号は一致しているのだろうか?
DSC08141_R_20130225203324.jpg中は崩壊済み
DSC08143_R_20130225205518.jpg少し戻ってさっきの分岐トンネルに入る
DSC08144_R_20130225205520.jpg途中から素掘り
DSC08147_R_20130225205521.jpgまたコンクリートになって外部より閉鎖
DSC08150_R.jpg最後の火薬庫
DSC08151_R.jpg何とか原型を留めている
DSC08152_R.jpg第十三火薬庫
DSC08153_R.jpg最後まで来たので戻る
DSC08157_R.jpg火薬精製地区に戻ると見落とした建物があった
DSC08158_R_20130225210036.jpgトイレと
DSC08160_R.jpgその後には
DSC08162_R.jpgラジエター付きのエンジン発電機
DSC08164_R_20130225210803.jpgその横にある高圧碍子の付いている電柱
DSC08159_R_20130225210037.jpg暗がりからこちらを見ていたぬこ

この物件はもう一度じっくり見てみたい。

震洋隊守谷特攻基地所属 鵜原火薬庫 その2

前回もそうだが、ここの火薬庫は土塁で区切られ、移動はトンネルをくぐるか、土塁を乗り越えるかなので、ルートによって出る所が違ってくる、気分で方向を変えるし、泥濘で迂回する所もある、また、同じトンネルで戻る所も当然あるので、順序や地区すら混在しているだろうが、おおむねで編集、紹介して行く。
DSC08012_R.jpg場所によっては水が染み出し、ぬかるんでいる所がある
DSC08009_R.jpg井戸の周りもぐちゃぐちゃ、火薬庫としてどうだろう?
DSC08010_R.jpg建物の崩壊も激しい
DSC08011_R.jpg一つの火薬庫毎に土塁で区切られている為に、毎回トンネルに戻る
DSC08015_R_20130224180441.jpg次の区画に向かう、更地に戻った
DSC08017_R.jpg突き抜けて次へ行く
DSC08018_R.jpg比較的原型を留めている
DSC08019_R.jpg鉄の扉の内側に、木製の扉がある
DSC08020_R.jpg第八火薬庫、最大貯蔵量爆薬20t、250kg爆弾80個分
DSC08023_R.jpg室内を見ると、この床に20t?置けるの?
DSC08031_R_20130224183818.jpg次の区画、左の開口部は何故か塞がれているが、山越えすると火薬庫はある
DSC08028_R_20130224183815.jpg扉は倒れている
DSC08030_R_20130224183817.jpg全体はマシな方
DSC08033_R.jpgまた次へ
DSC08035_R.jpg掘り掛け?
DSC08036_R_20130224184828.jpg重量火薬保管庫地区に来た、こんな形のトンネルで番号割りされている
DSC08037_R.jpg一番海側のトンネル
DSC08038_R.jpg内海に出る
DSC08039_R_20130224184833.jpgここの火薬庫は海風のせいか、崩壊が激しい
DSC08040_R_20130224185654.jpg井戸はある
DSC08042_R.jpg海に行く
DSC08043_R.jpg段々の道がある、自生している水仙を踏まないようにするのが大変だ
DSC08044_R.jpg左側には生簀の様な物がある
DSC08045_R.jpg禁漁区立ち入り禁止と書いてある
DSC08048_R.jpg水仙ロード
DSC08047_R.jpg生簀に向かうと思われる道があるが、行かなかった
DSC08049_R.jpgトンネルに入る、右に穴がある
DSC08052_R.jpg深く広いが何も無い、倉庫か?
DSC08054_R.jpg外にでると
DSC08055_R.jpg少し違いが出る
DSC08057_R.jpg近代屋内1トンクレーンがある
DSC08058_R.jpg次のトンネルに入ると、すぐに部屋がある
DSC08059_R.jpg崩れてしまっているが、1976年まで稼動していた辺りだろう
DSC08060_R.jpg電気もしっかり来ている
DSC08061_R.jpg奥にもう一部屋ある
DSC08064_R.jpg抜けるとまた海にでる
DSC08069_R_20130224192526.jpg取りあえず外壁に上る
DSC08068_R_20130224192524.jpg下を見下ろす、結構な海風で体がふらつくので降りる(ちなみに梯子が付いていて、降りれる)
DSC08070_R_20130224193501.jpgまるでプライベートビーチのようだ
DSC08071_R.jpg下にはまた禁漁区の看板があった、誰もこんな所に降りてこないだろうに
DSC08072_R_20130224193505.jpg上るのは大変なので考えよう、中央はボート吊り上げ用クレーン

震洋隊守谷特攻基地所属 鵜原火薬庫 その1

千葉県勝浦市鵜原にある、震洋隊守谷特攻基地所属 鵜原火薬庫の紹介。
震洋基地自体は守谷海岸にあり、海岸のすべりは当時の物だが特に遺構は見当たらない。
鵜原火薬庫は震洋に積む爆薬を製造していたそうだ。
なんとこの火薬庫(工場)は1976年まで稼動していたそうだ。
詳しい資料は勝浦市役所の一階ロビーに展示があり、個人閲覧限定で、資料が見れる。
大きく分けて、火薬精製地区、軽量火薬保管庫地区、重量火薬保管庫地区、火薬製造工場地区(企業売却の為更地)の4つに分かれる。
DSC07933_R_20130223204816.jpg海岸駐車場に車を停め、通口路となる遂道を見ると閉鎖されている
DSC07934_R_20130223204817.jpgその手前の倉庫壕
DSC07935_R.jpg取りあえず、カメラを突っ込んで撮影
DSC07936_R_20130223204821.jpg海岸に出ると穴がある
DSC07938_R_20130223205711.jpg隙間から撮影、
DSC07939_R_20130223204822.jpg陸側に道があり、入り江に行けるが立ち入り禁止で漁師さんも居る
DSC07940_R_20130223210103.jpgとゆうわけで山を越える
DSC07944_R_20130223210104.jpg火薬精製地区に出た、これは用途不明の吹き抜けの建物
DSC07947_R_20130223210106.jpg奥に電機管理棟と精製棟
DSC07950_R_20130223210108.jpgボイラー用と思われる錆びたタンク
DSC07946_R_20130223214237.jpgボイラー台座
DSC07951_R.jpg通れなかった遂道
DSC07957_R.jpg精製棟
DSC07958_R.jpgちょっと傾いている
DSC07955_R.jpg電機管理棟
DSC07964_R.jpg発電機台座が残る
DSC07949_R_20130223215505.jpg入り口近くの石垣
DSC07956_R_20130223215507.jpg貯水槽
DSC07962_R.jpg井戸
DSC07971_R.jpg次の遂道も閉鎖されていた
DSC07969_R.jpgとゆうわけで
DSC07975_R.jpg説明が面倒なので、山越え中略、柵の中スタート
DSC07972_R.jpg全体的に素掘りなのだが
DSC07974_R.jpgここだけコンクリート巻き、崩れたのだろうか?
DSC07977_R_20130223220539.jpg遂道内の地下式火薬庫
DSC07979_R.jpg米軍キャンプ風のドーム型
DSC07980_R.jpg小森さん
DSC07982_R.jpg入り口方向
DSC07983_R.jpg外側
DSC07984_R_20130223221427.jpg錆びた扉
DSC07985_R.jpgカラフルな碍子
DSC07986_R.jpg遂道を進むと明かりが見える
DSC07987_R_20130223221804.jpg不思議な開口部
DSC07988_R.jpg左上の開口部、何故開いている?
DSC07989_R.jpg右方向に続いている
DSC07990_R.jpg壁には蛍光灯を埋め込んだ跡が続く
DSC07991_R.jpg通路を進む
DSC07992_R.jpgトロッコ軌条が見える
DSC07993_R.jpgしかし、軌条も電気も消える
DSC07994_R.jpg開口部、軽量火薬保管庫地区に出る
DSC07995_R.jpg地上式火薬庫
DSC07996_R_20130223230753.jpg鉄の扉は朽ちて落ちている
DSC07997_R_20130223230754.jpg一棟に付き一つの防火用井戸(貯水槽)がある
DSC07999_R.jpg裏側、モルタル貼り付け
DSC07998_R_20130223230756.jpgトロッコ用運搬壕
DSC08000_R.jpg軌条が素晴らしい
DSC08006_R.jpg右に行くと上に登る階段が続く
DSC08007_R.jpg外には貯水槽がある
DSC08008_R.jpgかなり大きな物で、非常時には堤を切ってトンネルごと水浸しにするのか?
DSC08014_R_20130223231640.jpg水量調整用のバルブがある
DSC08001_R.jpgトンネルに戻り次のエリアへ
DSC08002_R.jpgここは建物は撤去され、更地になっていた
DSC08003_R_20130223232224.jpg井戸だけは残っている
DSC08004_R.jpgまた、トンネルに戻る
DSC08005_R_20130223232227.jpg何処に行くにもトンネルで繋がっている

茂原海軍航空隊 掩体壕 その2

今回は掩体壕⑦~を紹介する。
茂原海軍航空隊基地を開設する為、150戸以上の民家や神社、学校なども強制的に移転させられた。
その一つに東茂原小学校がある。
DSC08584_R_20130222202505.jpg珍しい迷彩模様を施された碑が建立されている。
1996年3月31日 茂原市教育委員会発行(第252空)茂原海軍航空隊調査報告書_R念の為、ここにも張って置く
DSC09579_R.jpg掩体壕⑦
DSC09581_R.jpg人物比、左バンデラ氏、右榴弾砲氏
DSC09582_R.jpg少し歪な後方開口部
DSC09583_R.jpg建設時の筵一枚ずつの使い方が分かりやすい
DSC09584_R.jpg左前方から
DSC09586_R.jpg後部人物比
DSC09589_R.jpg後方からみる、この通り林の中にあるので、見つけ難い
DSC09591_R.jpg掩体壕⑧
DSC09595_R_20130222211142.jpg住宅街の畑の中にあるので、許可を取って、立ち入って下さい
DSC09596_R_20130222211144.jpgトラクターが駐機してある、③と同程度の大きさ
DSC09597_R_20130222211145.jpg所々から針金が出ているが、製作時の金網か?
DSC09593_R_20130222211141.jpg後方より
DSC08585_R_20130222212243.jpg掩体壕⑨
DSC08586_R_20130222212244.jpg住民の方の許可の下、中を見せて貰う
DSC08587_R_20130222212246.jpg人物比、大工さんだそうだ
DSC08588_R_20130222212247.jpgなんと卓球台装備
DSC08589_R_20130222212250.jpg木工場として自分で改造したそうだ
DSC08592_R_20130222212926.jpg個人工場なので、差しさわりなさそうな所のみ掲載する
DSC08594_R_20130222212927.jpg雨の為滑って登れなかった
DSC08596_R.jpg真横から
DSC08609_R.jpg掩体壕⑩
DSC08610_R_20130222213549.jpg大きさから見ると、奥行きが短く感じる
DSC09552_R.jpg後から
DSC09554_R_20130222213709.jpg人物比
DSC09539_R.jpg掩体壕
DSC09543_R.jpgこれは③の市の史跡掩体壕の斜め後方にある
DSC09544_R.jpgこの辺では見ない形の前面の形をしている
DSC09546_R_20130222214413.jpg人物比、若干埋まっている様だ
DSC09547_R_20130222214415.jpg後ろは竹薮になっている
DSC09548_R.jpg内側から見る
DSC09549_R_20130222215126.jpg材料不足か、木材混入
DSC09551_R.jpgこの辺が特徴的だ

これで、掩体壕11個コンプリートだが、あれから3年経っているので、現状では無い
周りの宅地化に伴い、消えて行く物がある、すでに約半数が破壊されているのが現状だ。
費用さえ出せば、指定を受けている③以外は破壊可能なのである、ちなみに調布の掩体壕を調べている時に
持ち主に聞いた処、3つ持っていたが、一つは自宅(工場)融合している、二つ目は市に寄贈現在整備されている
調布街道下の掩体壕がそれ、最後のは破壊したが重機3台使って1週間200万円掛かったそうだ。

茂原海軍航空隊 掩体壕 その1

茂原海軍航空隊の掩体壕は戦跡としては、かなり有名なので、薀蓄は書かない。
この記事は大分前に(22年ぐらい)に訪れた時の物だ。
これだけの数の有蓋掩体壕は滅多に見れる物ではない、しかしその殆んどは個人邸、田畑の中に
ある物なので、近くの人に断りを入れておけば、ほとんど見せてくれる。
一番大きな物は中攻用のだが、茂原市の史跡に認定されて案内板が立てられている。
探索時には詳しいサイトを参考にして探索を行ったのだが、サイト宛に使用許可を打診したのだが、
返事がまだ貰えていない、取り合えずお借りするので、支障がある様ならご連絡下さい。
UPと入れ違いに管理人様から許可をいただきました。
とゆう訳で下の地図をベースに紹介して行くのだが、若干加筆する。(位置が合わない物がある)
まず、アジ暦資料を少し貼る
飛行場地区_R飛行場地区
茂原砲台位置略図_R茂原砲台位置略図
茂原電探位置略図_R茂原電探位置略図(現在の茂原公園)
1996年3月31日 茂原市教育委員会発行(第252空)茂原海軍航空隊調査報告書_Rメインマップ、この番号に沿って紹介して行く(①⑪が加筆、左下の①は宅地化で無くなった)
ひらがなは過去に在り、今は無いものだそうだ。
DSC09525_R_20130221205745.jpg近くの公園に落ちていたSL
DSC09526_R_20130221205746.jpg掩体壕①
DSC09527_R_20130221205748.jpg(か)の所に現存している
DSC09529_R_20130221205749.jpg留守のようで、外観のみ
DSC08553_R_20130221211350.jpg掩体壕②
DSC08555_R_20130221211352.jpg前面部、
DSC08556_R_20130221211354.jpg人物比
DSC08565_R_20130221211355.jpg後ろ側
DSC08559_R_20130221212111.jpg天井には石が混じっている
DSC08560_R_20130221212113.jpg入り口から見上げる
DSC08562_R_20130221212114.jpg後側内部から
DSC08566_R_20130221212116.jpg中は完全にゴミ捨て場
DSC08567_R_20130221212550.jpg外観、上の方
DSC08569_R_20130221212551.jpg外観、下の方
DSC08568_R_20130221212831.jpg取り合えず登る
DSC09533_R.jpg掩体壕③
DSC09535_R_20130221213319.jpg掩体内部
DSC09536_R.jpg内部端の方
DSC08599_R_20130221213455.jpg案内板
DSC08604_R_20130221213456.jpg登って見た
DSC08607_R.jpg内部から外部を見る
DSC09556_R_20130221214228.jpg掩体壕④、時期が悪く、外観が分からない
DSC09557_R_20130221214229.jpg雑木林から近寄る
DSC09558_R.jpg個人邸の車庫になっていた
DSC09576_R.jpg掩体壕⑤左と、掩体壕⑥右は並んでいる
DSC09575_R.jpg掩体壕⑤に近寄る
DSC09571_R.jpg後方、人物比
DSC09567_R_20130221215016.jpg中央にコンクリートが塗られ、車庫になっている様だ
DSC09566_R_20130221215015.jpg前方、人物比
DSC09569_R_20130221215717.jpg天井
DSC09570_R_20130221215718.jpg入り口方向
DSC09572_R.jpgなんかここだけスゴイ茂っている
DSC08571_R_20130221220041.jpg掩体壕⑥、道から見えるのは後ろ側
DSC08573_R_20130221220042.jpg回り込む
DSC08575_R.jpg以外と近寄りにくい
DSC08576_R_20130221220046.jpg後ろ側
DSC08578_R_20130221220047.jpg前方向
DSC08581_R.jpg
DSC08583_R_20130221220433.jpg茂原の掩体壕の天井には大きめの石が多い気がする

(お)の所には掩体自体は無いが、破壊時のコンクリート残骸らしき物が22年時点では伺えた。

次回後半⑦~まで




茂原海軍航空隊 腰当地下壕

茂原海軍航空隊 長尾地下壕と共に有名なのが腰当地下壕だ。
何処のサイトでもセットで紹介しているので、知っている人も多いだろう。
場所さえ知っていれば、長尾地下壕、腰当地下壕、掩体壕(11個)を全て1日で周る事も可能だろう。
しかし、この時はぶっつけで行って、うまく長尾地下壕、腰当地下壕は発見に至ったが、掩体壕は
8基のみの確認で、日没となった、片道3時間近く掛かるのは、やっぱりきつい。
最初に探したのはこっちの病院壕と言われる腰当地下壕だった。
DSC08423_R.jpg目印の光福寺
DSC08424_R_20130220193419.jpg怪しげな入り口があったが、鍵が掛かっていた
DSC08425_R_20130220193420.jpgでは、早速入ろう
DSC08429_R.jpg排水溝はしっかりしている様だが水没もある
DSC08430_R.jpgゆるい上り坂
DSC08431_R.jpg50mほどで振り返る
DSC08433_R.jpg直線なんだが先が見えない、とにかく長い
DSC08435_R_20130220195607.jpgさらに進むと、えらい急勾配になる角度が分かるだろうか、ここは病院だぞ!
DSC08436_R.jpg人物を入れるとこんな感じ、前のめりなのが分かるだろうか?
DSC08437_R.jpg登り切ると横にどえらい長い通路がある、光が差しているので開口部が近いようだ
DSC08439_R_20130220201135.jpg本坑部分の方がガレている気がする
DSC08440_R.jpg天井の溝は何だろう
DSC08443_R.jpgこの壕は十字路が多い
DSC08441_R_20130220201138.jpg十字路は開口部にいずれも伸びている
DSC08445_R.jpg開口部外側から
DSC08446_R.jpg壕内に戻る
DSC08447_R.jpgまた、次の十字路、大きな十字路は3つある
DSC08448_R.jpgまた、開口部に続く
DSC08450_R.jpg十字路反対側
DSC08451_R.jpg開口部、ゴミが多い
DSC08452_R.jpg元に戻る
DSC08453_R.jpg十字路の天井に碍子が残っている
DSC08454_R.jpg水没、この先は行けなかった
DSC08455_R.jpg開口部は多い、天然ガス基地
DSC08456_R.jpgその手前の窪み
DSC08459_R.jpg寺側は埋められたらしい
DSC08460_R.jpgでは、帰ろう

次回は掩体壕

茂原海軍航空隊 長尾地下壕

豊田小学校近くにある茂原海軍航空隊の地下壕へ向かう。掘削経緯は輪からないが、「兵舎」「地下司令部」との噂が出ている。
一部資料によると、ここから茂原海軍航空隊基地まで、トロッコ線路が引かれていたらしい。
小学校の脇にある細い道を入って行く、一方通行でもなく普通に車が行き来する。
長尾地下壕の付近には戦前からある素掘りのトンネルがあり、探索の手がかりになるのだが
これがまた面白い構造で、トンネルの上に切り通しが有るのだ。
恐らくは切り通しが先で、交通の為に下にトンネルを掘ったのだろう。
DSC08461_R_20130219213616.jpgこの道は対向車が来たら、死ぬ気でバックするしかないので、他に停めて歩いた方がいい
DSC08462_R_20130219213617.jpgこの壕は民家に突き抜けていた
DSC08463_R_20130219213619.jpg素掘りトンネル入り口(上に切り通しが見える)
DSC08464_R_20130219213620.jpgトンネル出て振り返る
DSC08465_R_20130219213622.jpgトンネルを出て暫く行くと住宅地に出る
DSC08466_R.jpg壕口が壁面に見えたのだが、浅い物だった
DSC08467_R.jpgでは、長尾地下壕の本壕に入ろう
DSC08468_R.jpg中はものすごいきれいに掘られている
DSC08469_R.jpgしかし、先に行くと泥濘や水没があるので、長靴必須!
DSC08470_R.jpg居住区に到達した
DSC08472_R_20130219214854.jpg居住区の仕切りの通路は右より、左より、真ん中と規則性が無い
DSC08473_R.jpg右に最初の開口部がある、小学校のゴミが捨てられている
DSC08474_R.jpg開口部外側
DSC08478_R.jpg外にも小壕が幾つかあった
DSC08481_R.jpg当然物置利用
DSC08482_R_20130219215409.jpg妙に角の立った作りをしている
DSC08483_R.jpg隣の壕には古い横に開栓口のある燃料用ドラム缶がある
DSC08484_R.jpg溜池もあった
DSC08485_R.jpg他にも幾つかある
DSC08486_R.jpg浅い物もある
DSC08488_R.jpg中に戻る、壁に碍子がある
DSC08489_R.jpgこの通路は真ん中にある
DSC08490_R_20130219220024.jpg壕床がぬかるみ、湿度が上がる(外が雨のせいか)
DSC08492_R_20130219220432.jpg中央付近は同じ構造の部屋が串団子状に続く
DSC08494_R.jpgこの階段は一段1mほどある
DSC08495_R_20130219220434.jpg裏山に抜ける
DSC08496_R.jpg角の柱も特徴がある
DSC08497_R_20130219220437.jpgなぜこんなに角張って作ったんだろう
DSC08498_R_20130219224533.jpgどんどん進む
DSC08499_R_20130219224534.jpgここは左よりの通路
DSC08501_R_20130219224536.jpgこの開口部への道は面白い
DSC08502_R_20130219224538.jpgまずは段カット
DSC08503_R.jpgそして壕口付近のこの構造
DSC08504_R.jpg外にでる
DSC08505_R_20130219225100.jpg隣にも小さな壕がある
DSC08506_R_20130219225102.jpg出口方向から
DSC08508_R_20130219225103.jpg角の柱がここも変、部屋に入ると
DSC08509_R.jpg奥に階段がある、なんで端っこに
DSC08510_R.jpg開口部に続く階段、かなり急で狭い
DSC08511_R.jpg開口部、人一人サイズ
DSC08512_R_20130219225551.jpg近くにあった祠
DSC08514_R.jpg降りる方が怖いかもしれない
DSC08515_R.jpg通路に戻り、隣の部屋へ
DSC08516_R_20130219230141.jpgこっちにも同じ階段がある
DSC08517_R.jpg画像が暗いが同じ狭さだ
DSC08518_R_20130219230143.jpg山腹の開口部
DSC08522_R.jpgこの様に一人前傾でやっと
DSC08523_R.jpg二部屋とも天井は崩れてないのに、部屋に土盛りが・・・
DSC08528_R_20130219230737.jpg水没区
DSC08525_R_20130219230736.jpg先人が牛乳ケースを置いてくれているが、一部水没している
DSC08529_R.jpg通過するとまた左に狭い穴の登りが
DSC08530_R.jpg山腹に開口、最深部となる
DSC08531_R.jpg元に戻るとする
DSC08532_R.jpg一応開口部を撮りに戻る
DSC08533_R.jpgまた戻る
DSC08534_R.jpgケースがほとんど埋まるほどぬかるんでいる
DSC08537_R_20130219231703.jpg基本一本道なのでサクサク戻る
DSC08539_R_20130219231705.jpg小学校の造花まで戻ってきた
DSC08540_R.jpgでは、脱出
DSC08541_R_20130219232625.jpg外に出て、付近を探索すると
DSC08542_R_20130219232626.jpg幾つかの関連壕がある
DSC08543_R_20130219232628.jpg壕とゆうより、連絡つうろに近いかも
DSC08544_R_20130219232629.jpg物置的な感じで、大小色々ある
DSC08546_R_20130219233032.jpg作りは海軍式
DSC08547_R_20130219233034.jpg
DSC08548_R_20130219233035.jpg民家の裏手に開口していた


君津市久留里防空壕

君津市にも何か戦跡となる物が無いか探してみたが、これと言った物が見つからない
仕方が無いので、久留里街道沿いで見つけた防空壕を紹介する。
木更津市久留里は名水と城址で有名な所だ、たまにこの辺でキャンプをする事があるので
その時に道すがら探してみた物だ。
DSC07758_R.jpg街道沿いのコンクリートの中に変な穴が開いている、穴があれば入ってみる
DSC07759_R_20130218232720.jpg案の定祠改造何これ壕
DSC07760_R.jpg案内も銘も無い窟だった
DSC07761_R.jpgさらに久留里方面に流していると、空き地に穴が幾つか見えた
DSC07762_R.jpg民間の防空壕だろう
DSC07763_R.jpgゴミだらけ
DSC07764_R_20130218233521.jpgすぐに終わり
DSC07765_R.jpg隣の壕もゴミが多いが奥がある
DSC07766_R_20130218233523.jpg通路が狭くなってくる
DSC07767_R_20130218233524.jpg少しずつ横に広げながら掘っていたのか、途中で終わっている
DSC07768_R.jpg出口
DSC07770_R.jpgもう一つ有ったが、浅かった

今回は君津市内で目立った物は見つからなかった、今後も何か無いか探してみる。
物の大小に関わらず、戦跡である事に変わりは無いので、見つけた物は紹介して行く。

太田山地下壕

太田山(地下壕と高射砲陣地)の遺構を探しに行く
木更津市立・金のすず博物館の山の下に壕はあるが、高射砲陣地は不明。
2時間分が記事を保存ボタンを押した瞬間に消滅、かなり間引く事にする
DSC09906_R_20130217201509.jpg壕の入り口一つ目
DSC09907_R_20130217201511.jpg二つ目
DSC00001_R.jpg一つ目の奥から
DSC00002_R.jpg
DSC00004_R.jpg
DSC00006_R.jpg壕内はずるずるにぬかるんでいる
DSC00007_R.jpg二つ目の壕口
DSC09987_R.jpgDSC09988_R.jpg横坑入り口
DSC09990_R.jpg本坑より一回り小さいが良い作りだ
DSC09991_R.jpg一つ目の本坑
DSC09992_R.jpg通風孔
DSC09993_R.jpg一つ目最深部
DSC09995_R.jpgその手前の横坑
DSC09996_R.jpg結構来訪者は居るようだ、靴跡が沢山ある
DSC09997_R.jpg二つ目の通路に出た、ここの通風孔は汚い
DSC09999_R.jpg足元も汚い
DSC09892_R.jpg二つ目の最深部
DSC09882_R.jpg外から見えない三つ目の入り口
DSC09883_R_20130217210639.jpg三つ目は入り口のみで、左に曲がって四つ目に接続している
DSC09885_R.jpg床が見える所がある、床は煉瓦の様だ
DSC09904_R_20130217211237.jpg天井に金具が付いている
CIMG0604_R.jpg壁面上の方にも何かを着けていた跡が
CIMG0606_R.jpg床にも何かを設置していた跡がある
CIMG0607_R.jpg壁面下の方にもある
CIMG0598_R.jpg四つ目壕口付近、レトロな物が多い
CIMG0599_R.jpg水車のような物
CIMG0600_R.jpg糸車のような物
CIMG0602_R.jpg荷車の足だけ?
DSC09899_R.jpg横坑の位置はずれている
DSC09898_R.jpg天井の通風孔は全て塞がっている
DSC09903_R_20130217212708.jpg四つ目
DSC09902_R_20130217212707.jpg最深部
CIMG0610_R.jpg壕を出る
DSC09909_R_20130217213619.jpg太田山の西側の道沿い、木更津幼稚園の直下に穴発見
DSC09917_R_20130217213620.jpgこの倉庫の裏に壕がある
DSC09918_R.jpgきれいな形の素掘り壕
DSC09919_R.jpg入り口付近の掘り込み
DSC09923_R_20130217214147.jpgこの柵の奥にも壕が見える
DSC09908_R_20130217214142.jpg隣のラーメン屋にも壕が見える
DSC09910_R_20130217214143.jpg店裏の壕口
DSC09912_R.jpg小振りだが、コンクリート製
DSC09911_R_20130217214144.jpg駐車場側の壕口
DSC09913_R.jpg笹が投げ込まれている
DSC09914_R_20130217214715.jpgこちらもきれいに掘ってある
DSC09915_R.jpgこの柱は上の木更津幼稚園を支える柱
DSC09916_R_20130217214718.jpgさぁ帰ろう



木更津太田山地下壕

木更津海軍航空隊を見たついでに、近くの遺構を探してみた。
木更津海軍航空隊はメジャーな遺構なのだが、それ以外の遺構とゆうものが、昔高射砲がありました
今は何もありません的な物しか聞こえてこない。
やっと見つけた太田山(地下壕と高射砲陣地)の遺構を探しに行く。
太田山山頂に木更津市郷土博物館金のすずと、きみさらずタワーが建って居るが博物館には掩体の写真ぐらいしかない、高射砲陣地は跡形も無いようだ。
しかし、地下壕は生きていた、飛び切り頑丈な奴が、しかもオールコンクリートとしては大型だ。
DSC09906_R_20130217201509.jpg太田山に沿って走っていると壕口がいきなり見えた
DSC09907_R_20130217201511.jpg手前にもう一つある
CIMG0608_R.jpg床面は全体的にぬかるんでいた
CIMG0612_R.jpg扉の付いていた蝶番
CIMG0613_R.jpg未だに稼動する
DSC00002_R.jpg何かを挿してあった様な穴
DSC00004_R.jpg天井の角部分の作りもきれいだ
DSC00006_R.jpg奥行きは50mほどか
DSC00001_R.jpg奥から入り口を見る
DSC00007_R.jpg別の入り口
DSC09987_R.jpg構造は同じ通路
DSC09988_R.jpg横の連絡抗は若干低い
DSC09990_R.jpgしかし、しっかりした作りだ
DSC09991_R.jpgまるで、日吉連合艦隊司令部壕の拡大版
DSC09992_R.jpg所々に通風孔か開いている
DSC09993_R.jpg突き当たりに開いている穴から土砂が流入している
DSC09995_R.jpgその直前の連絡壕
DSC09996_R.jpg床はずるずるだ
DSC09997_R.jpg上からも来ている
DSC09999_R.jpg隣の通路に出る
DSC09885_R_20130217211933.jpg床面はコンクリートではなく、煉瓦だった
DSC09892_R.jpg二つ目の通路の突き当たり
DSC09882_R.jpg表からは隠れている4つ目の壕口
DSC09883_R_20130217210639.jpgここだけは壕口から直通ではない
DSC09904_R_20130217211237.jpg天井には金具が付いている
CIMG0604_R.jpg壁にも上の方に何かがあった跡が
CIMG0606_R.jpg床には機械があった跡が
CIMG0607_R.jpg壁面下の方にもある
CIMG0598_R.jpg4本目の通路は短いが、レトロな物が置いてある
CIMG0599_R.jpg水車のような物
CIMG0600_R.jpg糸車のような物
CIMG0602_R.jpg荷車の足だけ?
DSC09903_R_20130217212708.jpg奥を覗く
DSC09902_R_20130217212707.jpgもう突き当たり
DSC09899_R.jpg3本目入り口
DSC09898_R.jpg天井の穴は全部塞がっている様だ
CIMG0610_R.jpg一通り見たので撤収する
DSC09909_R_20130217213619.jpg太田山の西側の道沿い、木更津幼稚園の直下に穴発見
DSC09917_R_20130217213620.jpg物置に隠れているが、壕がある
DSC09918_R.jpg妙にきれいな素掘り壕
DSC09919_R.jpg入り口付近に掘り込みがある
DSC09923_R_20130217214147.jpgこの柵の奥にも壕がある
DSC09908_R_20130217214142.jpg隣のラーメン屋にも壕がある
DSC09910_R_20130217214143.jpgラーメン屋裏手
DSC09912_R.jpgゴミ捨て場と化している、かなり低い壕
DSC09911_R_20130217214144.jpg駐車場側の壕
DSC09913_R.jpg入り口には笹が投げ込まれている
DSC09914_R_20130217214715.jpg掘り方はこちらもきれいだ
DSC09915_R.jpgこの柱は上に木更津幼稚園が建っているせいだ
DSC09916_R_20130217214718.jpgさて帰ろう

木更津海軍航空隊その3

海岸沿いを一通り見たので、陸側に行く。
正直言って、今回の物件の殆んどは、旧軍の遺構か進駐軍の施設か判別が付かない。
おそらく燃料タンク類は米軍の物だろうが、建物に関しては何とも言えない。
詳しくはkanレポートを参考にして欲しい、自分の見逃した物も紹介している。
DSC09090_R.jpg第一ヘリコプター団本部方面に向かう
DSC09092_R.jpg当時の給水等だろうか
DSC09093_R.jpg古びたタンク
DSC09094_R.jpg作りは完全に当時物
DSC09095_R.jpgとんがり帽子の一風変った建物
DSC09097_R.jpgこの辺も米軍かは別にして、当時の物だろう
DSC09105_R.jpg格納庫を超えて、外周に移動する
DSC09107_R.jpg変電施設だろうか、台座がある
DSC09108_R.jpgその脇の土塁の横に半地下式の遺構がある
DSC09109_R.jpgおそらく土塁の中は地下タンクになっているのだろう
DSC09110_R.jpg離れた所にある排水溝?
DSC09114_R.jpg全体、建物もあったのだろうか?
DSC09111_R.jpg反対側を見るとレンガがある
DSC09113_R.jpg中は薮化していた
DSC09115_R.jpgどうにか確認できるボイラーの台座
DSC09112_R.jpg裏側には風化した煉瓦壁がある
DSC09116_R.jpg隣にもう一棟ある
DSC09117_R.jpgこちらの状態はまだいい方だ
DSC09119_R.jpg接続パイプ
DSC09121_R.jpg台座は多いがボイラー本体は2つだけ
DSC09122_R.jpg右に回ると煉瓦の壁がある
DSC09123_R.jpg当時は煉瓦の建物の中に在ったのだろう
DSC09124_R.jpg横手に入り口がある
DSC09125_R.jpg後ろ側は錆が少ない
DSC09127_R.jpg隣の部屋への通路だが崩れてしまっている
DSC09129_R.jpg見上げると塞がれた通風孔がある
DSC09130_R.jpg入って来た入り口
DSC09131_R.jpg隣のボイラーの屋根は落ちてしまっている
DSC09132_R.jpg折角なので登って見た
DSC09133_R.jpg上部はかなり傷んでいる
DSC09134_R.jpg向かいにある、恐らくボイラー用の燃料タンク
DSC09136_R.jpg上写真の右に写っている地下式タンク
DSC09138_R.jpg覗いてみる
DSC09137_R.jpg英語が書いてある、米軍使用か
DSC02662_R.jpg物自体は、横須賀の貝山にある物に酷似している
DSC09139_R.jpg電灯はアメリカっぽい
DSC09141_R.jpg反対側
DSC09140_R.jpg横にも開口部がある
DSC09142_R.jpgこれも当時物だろうが不明
DSC09150_R.jpg見本の様な旧軍遺構
DSC09151_R.jpgこの近辺には多数ある
DSC09152_R.jpg中はゴミだらけ
DSC09153_R.jpg取り合えず入ってみる
DSC09154_R.jpg水没しているが、状態はいい
DSC09155_R.jpgこの壕は入り口が面白い
DSC09156_R.jpg左に入ってすぐ右に二重扉が付いている
DSC09157_R.jpg管制塔裏手の物も同じだろうか?
DSC09165_R.jpg埋もれている退避壕
DSC09166_R.jpg爆風避けが倒れている
DSC09278_R.jpg滑走路の向こう側にも退避壕がある
DSC09306_R.jpg陽炎越しの掩体壕
DSC09309_R.jpg所々に円形の穴が開いている、航空写真でも写っているので、機銃座跡か?
DSC09426_R_20130216222208.jpg掩体壕に行く
DSC09428_R.jpg妙に横が分厚い、倉庫として使用中
DSC09435_R.jpg後ろ側から滑走路方向を見る
DSC09443_R.jpg近くにある退避壕

基地内にはまだ遺構がある、いずれ再訪したい


木更津海軍航空隊その2

前回は、外周部を紹介したので、今回は陸上自衛隊木更津駐屯地内を紹介する。
DSC08916_R.jpg正門を入り格納庫側来客駐車場に車を停める、その前に米軍時代の遺構がある
DSC08917_R.jpg近くに退避壕が見える
DSC08918_R.jpg鉄製の入り口扉
DSC08919_R.jpg後から、通気孔があるとゆうことは、元は埋まっていたのだろう
DSC08946_R.jpg当時の格納庫
DSC09037_R.jpg重厚な扉、重そうだ
DSC09038_R.jpg鉄骨萌え
DSC09024_R.jpg掩体壕、白十字は今も照準テスト用に役立っている
DSC09026_R.jpgグーグルで航空写真を見るだけでも、10基近く確認出来る
DSC09054_R.jpg中ノ島側の遺構を見る
DSC09055_R.jpg木造、鉄筋コンクリが混在する
DSC09058_R.jpg油脂庫や倉庫に現在も使われている物が多い
DSC09060_R.jpgすべりと桟橋、奥に中ノ島が見える
DSC09061_R.jpg集会所だろうか、大き目の建物だ
DSC09062_R.jpg左は橋に見えるが橋ではない、桟橋への通路
DSC09063_R.jpg正面入り口
DSC09064_R.jpg退避壕、これがオリジナルの土盛り
DSC09065_R.jpg後にもう一基ある
DSC09066_R.jpg集会所の裏側に行くと
DSC09067_R.jpg爆風避け付きの退避壕がある
DSC09068_R.jpg中は水没で入れない
DSC09069_R.jpg野外機材庫
DSC09070_R.jpg似ているが、別の退避壕
DSC09071_R.jpg後ろは集会所
DSC09072_R.jpg土を退かすと、こんな感じ
DSC09073_R.jpg千葉は砂の産地でもあり、コンクリも分厚そうだ
DSC09074_R.jpgさっきの海岸沿いの退避壕2つと、丸い的が書いてあるネット(左)
DSC09075_R.jpg奥の物は小振りに見える
DSC09076_R.jpg管制塔裏手にも建物と退避壕が
DSC09078_R.jpg黒い消火栓
DSC09079_R.jpg通気孔が2つ、大型の物だ
DSC09080_R.jpg爆風避けも付いている
DSC09081_R.jpg電気まで入っている
DSC09082_R.jpg側面にも何か出ている、司令部用退避壕だろうか?
DSC09083_R.jpg裏側は使用中
DSC09084_R.jpgここでは珍しい煉瓦作りの油脂庫?
DSC09085_R.jpg短艇格納庫か
DSC09086_R.jpgその手前の桟橋
DSC09087_R.jpg桟橋は二つある
DSC09088_R.jpg格納庫の概観は改修されてしまっている
DSC09089_R.jpg基礎部に残る当時の水道と現代の弾薬箱



木更津海軍航空隊その1

木更津海軍航空隊は、最前線基地から長距離攻撃を実施する外戦作戦実施部隊として、西日本を担当する鹿屋海軍航空隊と同時に開かれた。木更津飛行場は東京湾を埋め立てて造成したもので、多くの陸攻隊・陸爆隊が所属基地に帰る間もなく木更津での練成に励んでいる。木更津を原隊とし、木更津で編成された生粋の木更津部隊は、この木更津空・七〇七空のみである。
DSC09601_R_20130214203027.jpg吾妻保育園前に隊門がある
DSC09602_R_20130214203028.jpg目印
DSC09617_R_20130214211107.jpg駐屯地隊門
DSC09603_R_20130214203029.jpg右は白い
DSC09604_R.jpg左は赤い隊門
DSC09605_R_20130214203032.jpg後にフックが付いている
DSC09606_R_20130214210022.jpg隊門から左に行くと弓道場がある
DSC09454_R.jpg中には入れない
DSC09607_R.jpgさらに左に行くとポンプ場がある
DSC09612_R.jpg下のコンクリ部分は水槽になっている
DSC09613_R.jpgこんな感じ
DSC09614_R_20130214211106.jpg水量計か?
DSC09457_R.jpg破損部分が覗き込める
DSC09456_R.jpg地中に伸びるパイプ
DSC09455_R.jpg昭和17年製
DSC09462_R.jpg手前に小振りな水槽がある
DSC09463_R.jpg一時タンクだろうか
DSC09608_R.jpg昭和十までしか判別出来ない
DSC09611_R.jpgこちらは16年製、パイプの出来た年で、施設の出来た年では無い
DSC09465_R.jpg周辺にこんな感じの弁が幾つかある、地下タンクがあるのか?
DSC09620_R_20130214220544.jpg駐屯地に沿って周ってみる、地下式燃料タンク
DSC09621_R_20130214220545.jpg当時からある川、水壕の様だ
DSC09622_R_20130214220547.jpgフェンス沿いにコンクリート遺構が見える
DSC09623_R_20130214220548.jpgこれはかなり状態がいい
DSC09624_R_20130214220549.jpg搭乗員退避壕
DSC09625_R_20130214221104.jpgフェンスの中にあるコンクリート柱は当時物
DSC09426_R.jpg端っこにある掩体壕
DSC09444_R.jpgわかるかな?
DSC09445_R.jpg退避壕
DSC09449_R.jpgかなり大型だ
DSC09433_R.jpg潮干狩り場の方に回ると、掩体壕が3~4個見える
DSC09436_R.jpg基本お尻側
DSC09437_R.jpg
DSC09438_R.jpgチヌークが離陸する
DSC09439_R.jpg上土の無くなった、掩体壕



洞口着弾観測所(ピラム壕)

前回の続きで、洞口着弾観測所及び周辺遺構を紹介する。
127号線を海岸に沿って進み、内房線竹岡駅を過ぎた辺りにトンネルがある、その手前に
釣具屋ピラム(現在閉店)がある、その駐車場に高さ3m程の所に大きな壕口が見えている。
この前を走った事のある人は見たことがあるだろう、元々は低い位置に開口していたが
駐車場を作る時に手前を削ったら、自然とこうなってしまったそうだ。
トンネルを越えた海岸に洞口着弾観測所が海岸に見える、ピラム側の海岸からは回れない。
<DSC00008_R_20130213221933.jpgこれが数年前の開業時のピラム壕の外観だDSC05870_R.jpg現在のピラム壕
DSC05871_R.jpg拡大すると左に続いているのが見える
DSC05874_R_20130213222235.jpg山によじ登ると切り通しがある
DSC05876_R.jpg山頂、この下に壕口がある
DSC05878_R.jpg明らかに人工的な石積み
DSC05880_R_20130213222735.jpgほこら
DSC05881_R.jpg石棺付き祠
DSC05882_R.jpgUP、ここに遺体が安置される
DSC09745_R.jpg崖だらけで危険なので降りる、仕方ないのでこの辺から助走する
DSC09731_R_20130213223224.jpgカメラとライトを肩に掛け、飛び付き懸垂で登る
DSC09732_R.jpg進入成功
DSC09733_R_20130213223226.jpg正面はすぐ行き止まり
DSC09734_R.jpg左に進むと開口部が見える
DSC09735_R_20130213224220.jpg扉の跡がある
DSC09736_R.jpg崖の中腹に開口しているが、道も何も無い通気用か
DSC09737_R_20130213224222.jpg開口部から2mほどの所に扉がある
DSC09738_R.jpg次に進む
DSC09739_R.jpgこの通路は行き止まり
DSC09740_R.jpgまた違う分岐を進む
DSC09741_R_20130213224758.jpgもうどの位歩いたか分からなくなって来た
DSC09742_R.jpgやっと終点、開口部は2ヶ所だけだった
DSC09743_R.jpgさぁ、どうやって降りよう?
DSC05872_R_20130213231249.jpg海岸に出て岩場を回る、観測所が見える
DSC05873_R.jpg降りれなくは無いが、波が激しくカメラが濡れそうなので、元に戻る
DSC07210_R_20130213225414.jpgトンネルを越えた海岸に洞口着弾観測所はある、
DSC07211_R.jpg本当に波打ち際だ
DSC07212_R_20130213225416.jpg海側に窓は無い
DSC07213_R_20130213225417.jpg庇は大きめ、衛所にしか見えない
DSC07214_R.jpg横の小窓、作りは当時物だがなんだろう(聴音所とするサイトも有り)

この二つの遺構が関連性が有るかどうかは不明、トンネル挟んですぐなので、無関係ではなさそうだが・・・

磯根着弾観測所、中根着弾観測所

富津岬の陸軍射撃場の関連施設として、忘れてはならないのが、着弾観測所である。
参考にしていた、海堡ファンクラブの会報21号を見ると観測所が富津岬近辺に3つあるとゆう
中根(篠部)、磯根(小久保)、洞口(竹岡)に有るとの事で、探しに行く。
地名からGoogleマップの航空写真で丹念に探すと、中根着弾観測所らしき物が海岸に見える。
磯根着弾観測所はまったく分からないが、廃道のループ橋にそれらしき物が有るらしい記事があった。
洞口に関しては、道から見えるので、知っている人は多いと思う、ただし本当にこれが観測所かとゆうと
同意しかねる部分が多い、まず規模が他の2つに比して小さい、海側に観測窓が一切無い、また
荒天時には海面に近すぎて波を被りそうな位置にあるなどだ。
DSC07169_R_20130212222900.jpg海岸へ続く道を進むと右手に見えてくる
DSC07154_R_20130212222856.jpg周りに何も無いので、見つけるのは容易だ
DSC07155_R_20130212222857.jpg正面
DSC07156_R_20130212222858.jpg左右に付く箱状の物が特徴的だ
DSC07158_R_20130212222859.jpg後方入り口、比較的状態は良い
DSC07159_R_20130212223538.jpg観測窓
DSC07160_R.jpg左右を見回す、眺め良し
DSC07161_R_20130212223542.jpg
DSC07163_R_20130212223544.jpg多少の飾り気がある
DSC07165_R_20130212223545.jpg左右の箱の中は空洞だ
DSC07166_R_20130212223917.jpg登ってみた、前方
DSC07167_R_20130212223919.jpg後方
DSC07168_R_20130212223920.jpg下方、飛び降りて次に行く
DSC09614_R.jpg廃道ループ橋部分、この橋の所以外は未舗装の林道だ
DSC09615_R.jpg富士浅間神社
DSC09616_R.jpgこれも目印の一つだ、この後脇道に入れそうな所を虱潰しに2時間ほど山狩りをする
DSC09645_R.jpgこれが入り口になる所だ、この先は激藪で何も見えないが突入する
DSC09617_R.jpg不意に石柱が出現する
DSC09618_R.jpg石柱の先に何か見える気がする
DSC09619_R.jpg見つけた!
DSC09620_R.jpg金属の金具が付いているコンクリート片
DSC09621_R.jpg窓から侵入すると、結構広い
DSC09622_R.jpgしかしここに50人居たとゆうのは無理がある、3交代制か?
DSC09623_R.jpgここは意図的に破壊されたようだ
DSC09624_R.jpg円筒形台座
DSC09625_R.jpg壊れた窓から鉄筋が見える
DSC09626_R.jpg唯一残る天井部
DSC09627_R.jpg海側開口部
DSC09631_R.jpg外壁は何も無い
DSC09629_R.jpg少し下ると石柱が有る
DSC09630_R.jpg上にも何か書いてある様だが不明、陸軍だけ分かる
DSC09633_R.jpg右側に移動する
DSC09632_R.jpg水桶と化しているが、何だろう
DSC09634_R.jpg木と同化している台座
DSC09635_R.jpg階段
DSC09636_R.jpg不明な石柱
DSC09637_R.jpg
DSC09638_R.jpg
DSC09639_R.jpg
DSC09640_R.jpg壁際に木が生えている
DSC09642_R.jpg登ってみた
DSC09643_R.jpgこの天井は元から無いようだ
DSC09644_R.jpg天井上にある金具、アンテナでも固定していたのか?

苦労はしたが、何とか磯根観測所を見つける事が出来た、今回は発見に至ったが、次回また来れるかどうか
自信があまり無い、季節を選ばないと接近すら危ぶまれるだろう。
次回洞口観測所?と周辺遺構を紹介する。



富津岬 イテ塔

富津岬の公園入り口から程内所にある、イテ塔を紹介する。
とは言っても、イテ塔のイテとは何かすら分からないのだが・・・
分かったのは据えていた、機銃の種類だけである。

固定陣地用の隠蔽式稼動銃塔であり、一式重機関銃の様に空冷で無く水冷式を使用した。
陸軍は、機関銃と言えばホチキス式のガス圧利用の空冷式機関銃であったが、実は反動利用の水冷式機関銃の方が、費用や故障の面から見れば遙かに有利だった。
水を使用するため移動には適さないが、永久陣地に据え付けるには以上の理由からも適していたため、イギリス/ヴィッカース社のを原型として昭和13年11月に完成したものを、98式水冷重機関銃として採用した。
弾薬は92式と同様の92式実包を使用し、給弾は移動を考えなくて良いため布ベルト式の50発となった。
DSC07137_R.jpgこの遺構は場所を知らないと、分かり難いかも知れない
DSC07138_R.jpg一度解体されそうになったのか、大きな傷がある
DSC07139_R.jpg右下を良く見ると
DSC07140_R.jpgこの遺構は下の土(砂)が流れてしまい、浮いている
DSC07142_R.jpg上に登る
DSC09592_R.jpg隙間から覗き込む
DSC07143_R.jpgほぼ真四角な部屋
DSC07147_R.jpg階段の様な物がある
DSC07144_R.jpgレール部分
DSC07148_R.jpg
DSC07149_R.jpg左右の穴
DSC07150_R_20130211221324.jpg主出入り口
DSC07151_R_20130211221326.jpg入れない
DSC09593_R.jpg裏手には観測所がある
DSC09594_R.jpg結構原型を留めている
DSC09596_R.jpg土台は一部破損
DSC09595_R.jpgサイドポッケット付き
DSC09597_R.jpg外部は円筒形、中は四角い部屋
DSC09598_R.jpg地下入り口
DSC09599_R.jpg何とか入れそうだ
DSC09600_R.jpg富津元洲堡塁砲台と瓜二つだ
DSC09708_R_20130211222747.jpg富津元洲堡塁砲台の写真
DSC09601_R.jpg反対側
DSC09602_R.jpg富津元洲堡塁砲台と瓜二つだサイズも一緒で狭い
DSC09605_R.jpg伝声管から伸びる光で植物が芽生える
DSC09603_R.jpg出るとしよう、狭くて息苦しい
DSC09606_R.jpg誰にも知られずひっそりと佇む遺構
DSC07152_R.jpgぬこ

このイテ塔は本土にはほとんど無く、満州方面の要塞防備用に使用されるのがほとんど。
三つの穴をどの様に使っていたんだろう?

富津射撃場(ボウズ)

今回は富津射撃場の観測壕、監的塀などの遺構を紹介する。
DSC07081_R.jpg監的塀、この間に砲を置き、射入窖に向けて試射をする。
DSC07082_R.jpg左右対称の構造
DSC07083_R.jpg観測窓
DSC07084_R.jpg裏側から見る、以外と狭い
DSC09680_R_20130210193337.jpg横から見ると、ただの塀
DSC09721_R_20130210193308.jpg射入窖、塀から直進すれば見つかる
DSC09722_R_20130210193309.jpg幅1Mぐらいか
DSC09723_R.jpg内部はあまり壊れていない
DSC09729_R.jpg裏側、天井に何か有るが登れなかった
DSC09731_R.jpg観測壕は森の中に隠れている
DSC09733_R.jpg内部
DSC09735_R.jpg観測窓
DSC09737_R.jpg横から
DSC09741_R.jpg階段状の足場から登れる
DSC07093_R.jpg別の観測壕
DSC07095_R.jpgこの埋まり具合が本来か?
DSC07096_R_20130210195640.jpg内部
DSC07097_R.jpg観測窓
DSC07099_R.jpg出入り口
DSC07104_R_20130210201339.jpg海岸のボウズ
DSC07105_R_20130210201340.jpgこれは大型の観測壕だ
DSC07107_R_20130210201341.jpg横の出入り口
DSC07106_R.jpg裏側の観測窓
DSC07110_R.jpg裏側は林しか見えない
DSC07109_R_20130210201802.jpg海側は木が邪魔だが海が見渡せる
DSC07113_R.jpg砲座と言われている物
DSC07114_R.jpgボルト痕
DSC07092_R.jpgついでに観光をしていく
DSC07135_R_20130210203611.jpg展望台(風がむちゃくちゃ強い)
DSC07134_R.jpg陸側を見る
DSC07129_R_20130210203608.jpg第一海堡
DSC07132_R_20130210203609.jpg第二海堡の成れの果て


戦跡 まとめ その他の県

戦跡 岐阜県
1_R_20130209185953.jpg三菱発動機可児久々利地下壕(東側)その1
2_R_20130209185954.jpg三菱発動機可児久々利地下壕(東側)その2
3_R_20130209185955.jpg三菱発動機可児久々利地下壕(西側)
4_R_20130209185956.jpg関ヶ原火薬庫 その1
5_R_20130209190029.jpg関ヶ原火薬庫 その2
6_R_20130209190030.jpg瑞浪市民公園

戦跡 三重県
1_R_20130209192206.jpg半田地下壕(一回目)
2_R_20130209192207.jpg半田地下壕(二回目)地下二層目編
3_R_20130209192208.jpg半田地下壕(二回目)外部編 その1
4_R_20130209192209.jpg半田地下壕(二回目)外部編 その2
5_R_20130209195333.jpg半田地下壕(新たなトロッコ軌条)
6_R_20130209195333.jpg半田地下壕(旧磨洞温泉その他)

戦跡 茨城県
1_R_20130210173250.jpg霞ヶ浦航空隊
2_R_20130210173251.jpg鹿島神之池航空基地
3_R_20130210173252.jpg鹿島海軍航空隊
P1030166_R_R.jpg大洗磯前神社の軽巡那珂忠魂碑(少しだけガルパン)
DSC07357_R_20160809214304215_R.jpg風船爆弾放流大津基地、平潟「震洋」訓練基地



戦跡 和歌山県
DSC08741_R_R.jpg由良要塞 加太地区 深山第一砲台
DSC09102_R_R.jpg由良要塞 加太地区 深山第一砲台 (深夜)
DSC08667_R_R.jpg由良要塞 加太地区 深山第二砲台
DSC08800_R_R.jpg由良要塞 加太地区 深山第三砲台(男良谷砲台)
DSC08862_R_R.jpg由良要塞 友ヶ島 第四砲台兵舎
DSC08933_R_R.jpg由良要塞 友ヶ島 第四砲台
DSC08983_R_R.jpg由良要塞 友ヶ島 虎島堡塁
DSC09006_R_R.jpg由良要塞 友ヶ島 垂水 野奈浦桟橋付近
DSC09128_R_R.jpg由良要塞 友ヶ島 第五砲台
DSC09189_R_R.jpg由良要塞 友ヶ島 第二砲台その1
DSC09240_R_R.jpg由良要塞 友ヶ島 第二砲台その2
DSC09265_R_R.jpg由良要塞 友ヶ島 第一砲台(灯台)その1
DSC09292_R_R.jpg由良要塞 友ヶ島 第一砲台(灯台)その2
DSC09355_R_R.jpg由良要塞 友ヶ島 海軍聴音所
DSC09368_R_R.jpg由良要塞 友ヶ島 第三砲台 その1
DSC09413_R_R.jpg由良要塞 友ヶ島 第三砲台 その2

戦跡 長野県
DSC03963_R_R.jpg松代大本営 (像山地下壕)その1
DSC04083_R_R.jpg松代大本営 (像山地下壕)その2
DSC04136_R_R.jpg松代大本営 (舞鶴山地下壕)
DSC03954_R_R.jpg松代大本営 (鎌田山地下壕、十三崖弾薬庫)
DSC03907_R_R.jpg松代大本営 (十三崖弾薬庫)

戦跡 東京都
DSC01205_R_R.jpg浅川地下壕 イ地区(周辺)
DSC01159_R_R.jpg浅川地下壕 イ地区内部 その1
DSC01198_R_R.jpg浅川地下壕 イ地区内部 その2
DSC05621_R_201412202023511a5.jpg浅川地下壕ロ地区、ハ地区攻略(途中経過)
DSC05655_R_R.jpg浅川地下壕 ロ地区 その1
DSC05705_R_R.jpg浅川地下壕 ロ地区 その2
DSC05811_R_R.jpg浅川地下壕 ロ地区 その3
DSC05849_R_20150111075319105.jpg浅川地下壕 イ地区再訪 その1
DSC05906_R_20150111075321660.jpg浅川地下壕 イ地区再訪 その2
DSC07852_R_20150213211118be7.jpg浅川地下壕見学会(公式)


DSC01018_R_R.jpg日立航空機立川工場及び立川飛行場
DSC00518_R_R.jpg陸軍調布(府中)飛行場
DSC01097_R_R.jpg横沢入地下壕、戦車橋・船の科学館
DSC02844_R_R.jpg八丈島 底土(垂土)回天格納壕 二号壕
DSC02889_R_R.jpg八丈島 神止山連隊司令部(作戦時)その1
DSC02959_R_R.jpg八丈島 神止山連隊司令部(作戦時)その2
DSC03003_R_R.jpg八丈島 神止山連隊司令部(作戦時)その3
DSC03066_R_R.jpg八丈島 神止山連隊司令部(作戦時)その4
DSC03088_R_R.jpg八丈島 神止山連隊司令部(作戦時)その5
DSC03147_R_R.jpg八丈島 神止山連隊司令部(作戦時)その6
DSC03252_R_R.jpg八丈島 鉄壁山(浦)兵団司令部壕(作戦時)その1
DSC03304_R_R.jpg八丈島 鉄壁山(浦)兵団司令部壕(作戦時)その2
DSC03333_R_R.jpg八丈島 鉄壁山(浦)兵団司令部壕(作戦時)その3
DSC03803_R_R.jpg八丈島 鉄壁山(浦)兵団司令部壕(作戦時)その4
DSC03843_R_R.jpg八丈島 鉄壁山(浦)兵団司令部壕(作戦時)その5
DSC03435_R_R.jpg八丈島 護神山指令部、 「軍艦」防波堤、八丈島飛行場
DSC03756_R_R.jpg八丈島 南原トーチカ、火の潟回天格納壕(未成)
DSC03589_R_R.jpg八丈島 名古の震洋平和祈念碑、末吉海軍壕
DSC03600_R_R.jpg八丈島 第16震洋隊巨大格納壕 その1
DSC03655_R_R.jpg八丈島 第16震洋隊巨大格納壕 その2
DSC03495_R_R.jpg八丈島 歴史民族資料館と裏の穴
DSC03449_R_R.jpg八丈島 直射砲台壕 その1
DSC03549_R_R.jpg八丈島 直射砲台壕 その2
DSC07294_R_R.jpg八丈島2 鉄壁山再訪
DSC07345_R_R_20140520213442e10.jpg八丈島2 直射砲台再訪その1
DSC07397_R_R.jpg八丈島2 直射砲台再訪その2
DSC07419_R_R_201405251823441b0.jpg八丈島2 直射砲台再訪その3
DSC07253_R_R.jpg八丈島2 窪田小尾隊対戦車陣地
DSC07754_R_R.jpg八丈島2 ふるさと村、樫立バルチック艦隊監視所
DSC07484_R_R.jpg八丈島2 末吉回天基地跡(震洋壕)
DSC07777_R_R.jpg八丈島2 仲之郷(藍ヶ江)河原崎浅川隊
DSC07681_R_R.jpg八丈島2 神止山連隊司令部(作戦時)その7
DSC07700_R_R.jpg八丈島2 神止山連隊司令部(作戦時)その8
DSC07623_R_R.jpg八丈島2 神止山連隊司令部(作戦時)その9
DSC07652_R_R.jpg八丈島2 神止山連隊司令部(作戦時)その10
DSC07564_R_R.jpg八丈島2 新飛行場防衛施設、最終兵器「キョン」
DSC07106_R_R.jpg八丈島2 若林、坂上隊陣地壕 その1
DSC07137_R_R.jpg八丈島2 若林、坂上隊陣地壕 その2
DSC07204_R_R.jpg八丈島2 若林、坂上隊陣地壕 その3
DSC07236_R_R.jpg八丈島2 若林、坂上隊陣地壕 その4
DSC06706_R_R.jpg近衛師団指令部庁舎(東京国立近代美術館工芸館)
DSC06726_R_R.jpg千鳥ヶ淵高射砲台座、近衛第一、二連隊碑
DSC06848_R_R_R_R.jpg東京第一陸軍造兵廠、十条工場725棟
DSC06989_R_R.jpg東京第一陸軍造兵廠、周辺遺構、一造本部
388_R_R_R.jpg東京第二陸軍造兵廠板橋製造所(二造) その1
529_R_R_R.jpg東京第二陸軍造兵廠板橋製造所(二造) その2



戦跡 栃木県
DSC02775_R_R.jpg大谷石採掘場跡(中島飛行機地下軍需工場)その1
DSC02843_R_R.jpg大谷石採掘場跡(中島飛行機地下軍需工場)その2
DSC02992_R_20130611224337.jpg大谷石採掘場跡(中島飛行機地下軍需工場)その3
DSC03163_R_R.jpg大谷石採掘場跡(中島飛行機地下軍需工場)その4
DSC03175_R_R.jpg大谷石採掘場跡(中島飛行機地下軍需工場)その5
DSC03244_R_R.jpg大谷石採掘場跡(中島飛行機地下軍需工場)その6
DSC03316_R_R.jpg陸軍清原飛行場(宇都宮飛行場)掩体壕
DSC02481_R_201402252227266ff.jpg大谷石採掘場跡(中島飛行機地下軍需工場)冬季再訪その1
DSC02561_R_2014022522272832c.jpg大谷石採掘場跡(中島飛行機地下軍需工場)冬季再訪その2
DSC02604_R_R.jpg大谷石採掘場跡(中島飛行機地下軍需工場)冬季再訪その3
DSC02727_R_R.jpg大谷石採掘場跡(中島飛行機地下軍需工場)冬季再訪おまけと山本園大谷グランドセンター
DSC01024_R_R.jpg大谷石採掘場跡(中島飛行機地下軍需工場)火薬庫?その1
DSC01088_R_R_201409111136044ec.jpg大谷石採掘場跡(中島飛行機地下軍需工場)火薬庫?その2
DSC01171_R_R.jpg陸軍宇都宮師管区地下司令部(八幡山公園)
DSC01218_R_R.jpg東京動力機械製造株式会社 疎開地下工場



戦跡 静岡県
DSC00654_R_20131204205840f06.jpg三方原飛行場
DSC01500_R_20131204205843a5f.jpg掛川市高田の倉庫壕群(4連隧道)
DSC01024_R_2013120420584182e.jpg陸軍遠江射場
DSC01730_R_201312122324562ca.jpg大井海軍航空隊地下壕 沢水加地区プレリサーチ
DSC01018_R_R_20131212231907338.jpg明野教導飛行団 天竜分教所
DSC02339_R_20140106141250c3a.jpg大井海軍航空隊、地上遺構
DSC02449_R_R_20140107220958747.jpg大井海軍航空隊地下壕 (沢水加地区)
DSC09677_R_R.jpg富士東演習場に眠る旧陸軍観的壕
DSC08521_R_R.jpg中島飛行機原谷地下工場(6工区)
DSC08554_R_R.jpg中島飛行機原谷地下工場(6工区&4工区)
DSC08676_R_R.jpg大井海軍航空隊地下壕 (大沢原地区)その1
DSC08726_R_R.jpg大井海軍航空隊地下壕 (大沢原地区)その2
DSC02652_R_20141104193449c19.jpg伊豆 長津呂震洋特攻基地(石廊崎)
DSC02401_R_20141104193448103.jpg海軍技術研究所音響研究部地下工場 その1
DSC02423_R_R.jpg海軍技術研究所音響研究部地下工場 その2
DSC02493_R_R.jpg海軍技術研究所音響研究部地下工場 その3
DSC02612_R_20141121194620b03.jpg伊豆 手石震洋特攻基地
DSC03192_R_20150611223358a50.jpg海軍沼津高射砲陣地
DSC02742_R_2015061122335700a.jpg清水港 テルファー(テルハ)クレーン
DSC05230_R_R.jpg夜明けのテルファークレーン
DSC03103_R_R.jpg興国寺城址跡、防空壕
DSC02896_R_R.jpg駒越防空砲台
DSC02796_R_2015062723285542c[1]_R清水 震洋壕群  清水海軍航空隊
DSC02988_R_2015070109423234f[1]_R富士市立博物館
P1030771_R[1]_R沼津御用邸記念公園と淡島海龍、震洋壕




戦跡 埼玉県
DSC05418_R_R.jpg浅野カーリット
DSC08451_R_20140225223353014.jpg陸軍第一航空軍司令部壕
DSC08319_R_R.jpg中島飛行機地下軍需工場(吉見百穴)
DSC08423_R_R.jpg中島飛行機地下軍需工場(吉見百穴)のそばの穴

戦跡 広島県

DSC06292_R_201509121751001d7.jpg大和ミュージアム その1(旅行記プレ)
DSC06359_R_20150912175102068.jpg大和ミュージアム その2
DSC06478_R_20150912175104de2.jpg大和ミュージアム その3
DSC06541_R_201509191721066d8.jpgてつのくじら館 その1
DSC06649_R_201509191721084cd.jpgてつのくじら館 その2
DSC06731_R.jpgコンクリート船 武智丸
DSC06784_R_2015092007230519b.jpg大空山堡塁(大空公園) その1
DSC06799_R_20150920092250f0b.jpg大空山堡塁(大空公園) その2
DSC06886_R_201509212035196e4.jpg高烏(たかがらす)砲台 その1
DSC06948_R.jpg高烏(たかがらす)砲台 その2
201511060022238db[1]_R呉 海上自衛隊第一術科学校 その1
DSC07055_R_201511072007344bc[1]_R呉 海上自衛隊第一術科学校 その2
DSC07170_R_201511092228460d3[1]_R呉 海上自衛隊第一術科学校 その3
DSC07235_R_201511132234322cb[1]_R呉 海上自衛隊第一術科学校 その4
DSC07368_R_20151127220157777[1]_R大須山防空砲台
DSC07452_R_20151202062224074[1]_R三高山砲台(森林公園)砲台山 その1
DSC07501_R_2015120322375858c[1]_R三高山砲台(森林公園)砲台山 その2
DSC07555_R_20151206235326ae4[1]_R三高山砲台(森林公園)砲台山 その3
DSC07569_R_20151209203219fa8[1]_R三高山砲台(森林公園)砲台山 その4
DSC07594_R_2015121106235610b[1]_R三高山砲台(森林公園)砲台山 その5
DSC07676_R_20151214234657f26[1]_R岸根(がんね)砲台
DSC07699_R_2016021823474085e[1]_R呉 コンクリート曳航式油槽船
DSC07731_R_20160221232548a2c_R.jpg呉 両城防空壕 (200階段)
DSC07971_R_20160617212414260_R.jpg呉 潜水艦桟橋(海上自衛隊)
DSC07755_R_2016022223411880f_R.jpg呉 灰ヶ峰防空砲台
DSC07777_R_20160223225413201_R.jpg呉 平原浄水場 呉海軍下士官兵集会所
DSC07807_R_20160226211443d54_R.jpg呉 歴史の見える丘
DSC07913_R_20160616211611200_R.jpg呉 海軍工廠 (あれいからすこじま
DSC07893_R_20160621204152ff1_R.jpg呉 海軍工廠倉庫遺構
DSC07845_R_20160301232307090_R.jpg呉 休石砲台
DSC08120_R_20160912161526b72_R.jpg呉 鎮守府司令長官官舎 (呉市入船山記念館)




戦跡 兵庫県
DSC02182_R_20160307235700c11[1]_R神戸大空襲 その1 (三宮地区)
DSC02544_R_20160309123306c37[1]_R神戸大空襲 その2 (旧居留地・元町地区)
DSC02384_R_20160310200150eac[1]_R神戸大空襲 その3(番外)

戦跡 まとめ 千葉県

戦跡 千葉 富津市
1_R_20130209184102.jpg佐貫地下壕 その1
2_R_20130209184103.jpg佐貫地下壕その2
3_R_20130209184104.jpg佐貫地下壕 その3
4_R_20130209184105.jpg金谷砲台
5_R_20130209184106.jpg富津射撃場(富津元洲堡塁砲台)
DSC09749_R_R.jpg富津射撃場(ボウズ)
DSC07142_R[1]_R富津岬 イテ塔
DSC07154_R_20130212222856[1]_R磯根着弾観測所、中根着弾観測所
DSC00008_R_20130213232536.jpg洞口着弾観測所(ピラム壕)
ce26b708_R_R.jpg東京湾第一海堡
Fort_No2_tokyobay_mlit1988_R_R.jpg東京湾第二海堡


戦跡 千葉 木更津 君津市
DSC09612_R[1]_R木更津海軍航空隊その1
DSC09073_R_R.jpg木更津海軍航空隊その2
DSC09122_R_R.jpg木更津海軍航空隊その3
DSC00001_R_R.jpg太田山地下壕
DSC07766_R_R.jpg君津市久留里防空壕


戦跡 千葉 茂原市 勝浦市
DSC08497_R_R.jpg茂原海軍航空隊 長尾地下壕
DSC08502_R_20150328205024891.jpg茂原海軍航空隊 長尾地下壕 再訪
DSC08435_R_R.jpg茂原海軍航空隊 腰当地下壕
DSC08564_R_201503282050268ff.jpg茂原海軍航空隊 腰当地下壕 再訪
DSC08622_R_20150328205027b05.jpg茂原海軍航空隊 弾薬庫
DSC09187_R_201504062221122a5.jpg茂原海軍航空隊 弾薬庫周辺探索
DSC09543_R_R.jpg茂原海軍航空隊 掩体壕 その1
DSC09600_R_R.jpg茂原海軍航空隊 掩体壕 その2
DSC07979_R_20130225212219.jpg震洋隊守谷特攻基地所属 鵜原火薬庫 その1
DSC08020_R_20130225212221.jpg震洋隊守谷特攻基地所属 鵜原火薬庫 その2
DSC08096_R_20130225212222.jpg震洋隊守谷特攻基地所属 鵜原火薬庫 その3
DSC05123_R_201412262310112ab.jpg勝浦 行川弾薬庫(行川アイランド)その1
DSC05264_R_2014122623101146f.jpg勝浦 行川弾薬庫(行川アイランド)その2
036_R_R.jpg行川アイランド 続編
DSC05347_R_20141226231012954.jpg第55 震洋特別攻撃隊 守谷基地
DSC05437_R_20141226231013725.jpg第55震洋特別攻撃隊 鵜原基地 その1
DSC05457_R.jpg第55震洋特別攻撃隊 鵜原基地 その2
DSC05522_R_2014123120314882f.jpg第129 震洋特別攻撃隊 砂子ノ浦基地 尾名基地
DSC05550_R.jpg勝浦 震洋特別攻撃隊 名も無き基地隊達
DSC01962_R_20160116232726a1c_R.jpg茂原 本納西拠点陣地
DSC01992_R_2016012121525036e_R.jpg茂原 本納弾薬庫







戦跡 千葉 柏市 千葉市 佐倉市
DSC09795_R_R.jpg柏陸軍航空隊
DSC09833_R_R.jpg柏陸軍飛行場 秋水燃料庫
DSC09409_R_R.jpg鉄道連隊(千葉公園、護国神社)
DSC09311_R_R.jpg鉄道連隊 材料廠及びその他遺構
DSC03246_R_R.jpg検見川送信所(けみがわそうしんじょ)
DSC00831_R_R.jpg佐倉連隊

戦跡 千葉 成田市 山武郡 大網白里市
CIMG1085_R_R.jpg美里塚記念公園 皇室用防空壕
DSC03254_R_R.jpg日立航空機大網地下工場(成田航空博物館)
DSC02363_R_20150523172606c98.jpg大網白里 山頂陣地Y-3
DSC02428_R_201505231726087a5.jpg大網白里 山頂陣地Y-4
DSC02481_R_201505251407205a5.jpg日立航空機大網地下工場 プチ探索
DSC01876_R_20160116175449cba_R.jpg大網 金谷郷野砲陣地







戦跡 千葉 旭市 銚子市
DSC05833_R_R.jpg香取航空基地
CIMG0997_R_R.jpg三川地区のトーチカ(観測所)
CIMG0944_R_R.jpg塙(はなわ)地区の指揮所
DSC00863_R_R.jpg震洋飯沼基地 その他遺構
DSC03591_R_20150611223401df3.jpg塙(はなわ)地区第1砲台
DSC03540_R_201506112245322ae.jpg塙(はなわ)地区カノン砲台観測所
DSC03483_R_20150611223400927.jpg塙(はなわ)地区第2砲台及び八木大砲陣地
DSC03394_R_201506261850465c0.jpg三川地区のトーチカ(観測所)再訪
DSC03301_R_201506261850451cd.jpg香取航空隊その他遺構





戦跡 千葉 東金市
DSC03240_R_R.jpg○島神社軽機関銃及び速射砲陣地
DSC03275_R_20141030192212759.jpg大豆谷機関銃及び速射砲陣地
CIMG0696_R_R.jpg山王台公園陣地壕
DSC05215_R_201502261936273ad.jpg八鶴湖 東金臨時砲台観測所
DSC05264_R_201502261936299b5.jpg山王台の掩蔽部及び坑道式重機関銃(MG)陣地(八鶴湖側)
DSC03844_R_20150226194246e65.jpg山王台新宿区 坑道陣地
DSC05322_R_20150226193630a0c.jpg近衛歩兵第10連隊第四中隊後谷坑道陣地(下層)
DSC05367_R_2015022619363218b.jpg近衛歩兵第10連隊第四中隊後谷坑道陣地(上層)
DSC05155_R_201503011204014df.jpg上田中坑道陣地
DSC08665_R_20150318225330ff9.jpg東金(豊成)飛行場
DSC08810_R_20150318225332455.jpg八鶴湖周辺遺構まとめ(煉瓦遺構)
DSC08881_R_2015032319520360a.jpg新 大豆谷機銃陣地
DSC08978_R_20150323195205ac9.jpg新 大豆谷機銃陣地 (再調査)
DSC09562_R_20150425193045753.jpg東金 八鶴湖谷地区機銃陣地
DSC02072_R_20150512193615704.jpg126拠点 Y-1 機関銃陣地 未完成 その1
DSC02137_R_20150512193616cc1.jpg126拠点 Y-1 機関銃陣地 未完成 その2
DSC02249_R_20150523172603581.jpg126部隊 中隊指揮所(仮)&Y-2機銃陣地
DSC02320_R_2015052317260583e.jpg御殿山八鶴湖陣地
DSC09307_R_20151025080653343.jpg大豆谷(まめざく)機銃陣地 2つ目
DSC09219_R_201510250806524ec.jpg油井機銃陣地
DSC09358_R_20151025080656a99.jpg東金 台方機銃陣地 その1
DSC09423_R_20151109220508ca5.jpg東金 台方機銃陣地 その2










戦跡 千葉 いすみ市 夷隅郡
585_R_R.jpgいすみ市 「桜花」行川発射基地
260_R_R.jpg大原 釣師海岸の謎の穴
342_R_R.jpg第十二回天隊 小浜基地 その1
401_R_R.jpg第十二回天隊 小浜基地 その2
428_R_R.jpg太東埼特設見張所及び用途不明壕 その1
509_R.jpg太東埼特設見張所及び用途不明壕 その2
DSC09512_R_20150406222115cf1.jpg夷隅郡 「桜花」大多喜発射基地
DSC09294_R_20150406222113979.jpg左室隧道 機銃陣地(決64部隊)
DSC09352_R_20150415203957137.jpg大多喜S地区機銃陣地(決64部隊)
DSC09439_R_20150415203959d01.jpg横山機銃陣地
DSC09312_R_20150415203958bb6.jpg新田野機銃陣地 (沈下橋)

戦跡 千葉 南房総市
DSC06116_R_20150814083257998.jpg和田砲台 探索記(不発)その1
DSC06177_R_20150814083258200.jpg和田砲台 探索記(不発)その2
DSC06253_R_20150814083300238.jpg和田砲台 探索記(不発)その3
DSC08437_R_R.jpg東京湾兵団 九重地区隊 大井戦闘指揮所北側 その1
DSC08499_R_R.jpg東京湾兵団 九重地区隊 大井戦闘指揮所北側 その2
DSC08653_R_R.jpg東京湾兵団 九重地区隊 大井戦闘指揮所南側 
DSC08784_R_R_R.jpg和田砲台 再探索記(また不発)
DSC08722_R_20150912173329dbe.jpg千倉 砲台陣地

戦跡 まとめ 神奈川県

戦跡 横浜 川崎市
1_R.jpg日吉連合艦隊地下司令部壕その1
2_R.jpg日吉連合艦隊地下司令部壕その2
P1010624_R.jpg日吉台連合艦隊地下司令部壕その3
3_R.jpg艦政本部地下壕
4_R.jpg東京通信隊蟹ヶ谷分遣隊
5_R.jpg六浦地下軍需工場その1(周辺遺構)
6_R.jpg六浦地下軍需工場その2(本坑)
7_R.jpg六浦地下軍需工場その3(支廠)
8_R.jpg横須賀海軍航空隊、和田山地下壕
9_R.jpg横浜海軍航空隊(飛行艇隊)
DSC00010_R_R_R.jpg横浜海軍航空隊(飛行艇隊)燃料庫
DSC09894_R_R.jpg登戸研究所(陸軍第九技術研究所)
CIMG0258_R_R.jpg田奈弾薬庫(横浜こどもの国)その1
DSC06215_R_R.jpg田奈弾薬庫(横浜こどもの国)その2
DSC07667_R_R.jpg第一海軍技術廠支廠
aa40ca6609031ba2c8e71d15f87e8388_R_R.jpg日本郵船氷川丸(海軍特設病院船)その1
DSC04441_R_R.jpg日本郵船氷川丸(海軍特設病院船)その2
DSC04564_R_R.jpg日本郵船氷川丸(海軍特設病院船)その3
DSC08005_R_20150318225328652.jpg横浜海軍航空隊(飛行艇隊) 海軍境界柱
DSC01888_R_2015060220203521b.jpg栄区小菅ヶ谷地下壕




戦跡 横須賀 田浦地区

DSC00902_R_R.jpg城の台防空砲台
2_R_20130209160401.jpg横須賀海軍工廠船越造兵部田浦地下軍需工場
3_R_20130209160402.jpg田浦火工工場地下壕(砲工部)その1
4_R_20130209160403.jpg田浦火工工場地下壕(砲工部)その2
6_R_20130209160419.jpg海軍軍需部長浦倉庫郡
5_R_20130209160419.jpg田浦火工工場地下壕(水雷部)
7_R_20130209160420.jpg旧海軍軍需部長浦倉庫 (相模運輸11号倉庫)
DSC02434_R_R.jpg比与字地下壕 北側
DSC04937_R_R.jpg比与字地下壕 周辺遺構
DSC04930_R_R.jpg比与字地下壕 南側その1
DSC04933_R_R.jpg比与字地下壕 南側その2
DSC02018_R_R.jpg比与字地下壕 南側その3
P1060641_R_R.jpg比与字地下壕南側残留物、零式雷撃照準機三型計算板他
気動車_R横須賀海軍軍需部 行基地区付近ヒストリーその1
比与宇トンネル内の軌道終端_R_R横須賀海軍軍需部 行基地区付近ヒストリーその2
DSC00847_R_R.jpg横須賀海軍軍需部 行基地区付近ヒストリーその3
DSC03159_R_20140131230316952.jpgF号倉庫(軍需部修理場)近況H.26.1


戦跡 横須賀 馬掘 走水地区
1_R_20130209163624.jpg走水狙撃陣地
2_R_20130209163625.jpg走水低砲台
3_R_20130209163626.jpg走水新砲台(走水神社)
4_R_20130209163627.jpg花立台演習砲台
5_R_20130209163835.jpg花立台保塁
6_R_20130209163836.jpg小原台演習砲台
7_R_20130209163837.jpg小原台堡塁
8_R_20130209165125.jpg陸軍重砲兵学校 その1
9_R_20130209165126.jpg陸軍重砲兵学校 その2
10_R.jpg走水水源地と付近の要塞地帯標など
11_R.jpg馬堀狙撃陣地と要塞地帯標など
DSC02151_R_R.jpg重砲兵学校、校長邸防空壕
DSC02894_R_R.jpg真、重砲兵学校校長邸防空壕(ヒギンズ邸)その1
DSC02929_R_R.jpg真、重砲兵学校校長邸防空壕(ヒギンズ邸)その2
B2pFjuC4gbzjgOK1382487555_1382487755_R.jpg曲矢遠隔観測所、矢の津弾薬庫残存遺構
DSC02114_R_R.jpg堀の内 機銃砲台
DSC03212_R_20140131231924af5.jpg堀の内 機銃砲台  (完結編)


戦跡 貝山地下壕
2_R_20130209171415.jpg貝山地下壕 その1 緑地外周部
1_R_20130209171415.jpg貝山地下壕 その2 緑地一般部
3_R_20130209171416.jpg貝山地下壕 その3  第三工区
4_R_20130209171416.jpg貝山地下壕 その4 (第一工区)
6_R_20130209173333.jpg貝山地下壕 その5 (上部第一)
5_R_20130209173333.jpg貝山地下壕 その6 (第二工区①)
7_R_20130209173334.jpg貝山地下壕 その7 (第二工区②)
8_R_20130209173335.jpg貝山地下壕 その8 (第二工区③)
9_R_20130209173809.jpg貝山地下壕 その9 (第四工区①)
10_R_20130209173810.jpg貝山地下壕 その10 (第四工区②)
11_R_20130209173811.jpg貝山地下壕 その11 (上部第二)
12_R.jpg貝山地下壕 その12 (上部第三)
13_R.jpg貝山地下壕 その13 (海軍航空技術廠)

戦跡 横須賀 浦郷船越地区
1_R_20130209181350.jpg横須賀海軍空技廠浦郷地下工場正禅寺地区
2_R_20130209181351.jpg海軍軍需部狢(むじな)火薬庫
3_R_20130209181352.jpg横須賀海軍工廠造兵部船越地下工場 その1
4_R_20130209181353.jpg横須賀海軍工廠造兵部船越地下工場 その2
5_R_20130209181914.jpg横須賀海軍工廠造兵部 その1
6_R_20130209181915.jpg横須賀海軍工廠造兵部 その2
7_R_20130209181916.jpg横須賀海軍工廠造兵部 その3
DSC00235_R_20131014215433fb3.jpg横須賀海軍工廠造兵部ガントリークレーン解体
DSC06602_R_R.jpg横須賀海軍工廠造兵部 裏山再探索
DSC02097_R_R.jpg横須賀海軍空技廠浦郷地下工場深浦地区
165_R_R.jpg東京湾第三海堡(観測所)
187_R_R.jpg東京湾第三海堡(探照灯)
224_R_R.jpg東京湾第三海堡(砲台砲側庫)
DSC08060 - コピー_R長浦港周辺 監視哨等



戦跡 横須賀海軍航空隊、夏島地下壕
DSC00240_R_R.jpg横須賀海軍航空隊、夏島地下壕その1
DSC09479_R_20130430234749.jpg横須賀海軍航空隊、夏島地下壕その2
DSC09510_R_20130430234911.jpg横須賀海軍航空隊、夏島地下壕その3
DSC09559_R_R.jpg横須賀海軍航空隊、夏島地下壕その4
DSC00234_R_R.jpg横須賀海軍航空隊、夏島地下壕その5
DSC09632_R_R.jpg横須賀海軍航空隊、夏島地下壕その6
DSC09579_R_R.jpg横須賀海軍航空隊、夏島地下壕その7
DSC09641_R_R.jpg横須賀海軍航空隊、夏島地下壕その8
DSC09698_R_R.jpg横須賀海軍航空隊、夏島地下壕その9
DSC03344_R_R.jpg横須賀海軍航空隊、夏島地下壕その10
DSC09747_R_R.jpg横須賀海軍航空隊、夏島地下壕その11
DSC02972_R_R.jpg横須賀海軍航空隊、夏島地下壕その12
DSC02997_R_R.jpg横須賀海軍航空隊、夏島地下壕その13
DSC02063_R_R.jpg夏島地下壕(空母氏ご案内)

戦跡 横須賀 衣笠、佐島地区
DSC04784_R_R.jpg衣笠山高角砲台 その1
DSC04910_R_R.jpg衣笠山高角砲台 その2
DSC05390_R_R.jpg武山高角砲台(通研山砲台)その1
DSC08312_R_R.jpg武山高角砲台(通研山砲台)その2
DSC08327_R_R.jpg衣笠弾薬本庫、駆逐艦峰雲碑
CIMG1352_R_20130525231704.jpg横須賀重砲兵連隊営門、陸軍病院
DSC05493_R_R.jpg佐島洞窟砲台
DSC06863_R_R.jpg長者ヶ崎砲台その1
DSC04951_R_R.jpg長者ヶ崎砲台その2
DSC08312_R_R_20130622233926.jpg西浦砲台(未完成)
DSC06281_R_R.jpg西浦砲台左翼観測所
DSC06360_R_201501212306552a6.jpg西浦砲台近くの謎遺構
DSC06506_R_2015012123065687f.jpg西浦砲台近くの謎遺構 後半
DSC06659_R_R.jpg秋谷狙撃陣地
DSC06202_R_R.jpg長井倉庫壕、海軍砲術学校長井分校
DSC02105_R_R.jpg池上 海軍貯水槽
DSC06266_R_20150116224937862.jpg光心寺比叡鎮魂碑、衣笠山(衣笠神社)
DSC08073_R_R.jpg衣笠弾薬本庫境界柱(壁)、要塞地帯標巡り その1
DSC08254_R_2015030922201138b.jpg衣笠弾薬本庫境界柱(壁)、要塞地帯標巡り その2
DSC08203_R_20150313231405f93.jpg衣笠弾薬本庫おまけ



戦跡 横須賀~逸見地区
DSC01318_R_R.jpg総監部山地下壕及び機銃陣地
DSC00541_R_20130626223535.jpg横須賀海軍港務部
DSC08761_R_R.jpg横須賀海軍工廠汐入壕
DSC08280_R_R.jpg逸見水道山、水道施設
P1020964_R.jpg逸見水道山、水道施設 追加捜索
DSC06230_R_2015011622493513a.jpg逸見水道山、水道施設まとめ
DSC02345_R_20130630123843.jpg記念艦 三笠
DSC00534_R_R.jpg猿島要塞 その1
DSC00542_R_R.jpg猿島要塞 その2
DSC00561_R_R.jpg猿島要塞 その3
DSC07369_R_R.jpg猿島要塞 その4
DSC07424_R_R.jpg猿島要塞 その5
DSC07496_R_R.jpg猿島要塞 その6
横須賀海軍共済病院 002_R_R横須賀海軍共済病院(現、横須賀共済病院)他
DSC09278_R_R.jpg富士壕、桜壕
DSC09206_R_R.jpg田戸演習砲台
DSC00130_R_R.jpg横須賀鎮守府長官官舎
DSC00850_R_R.jpg米ヶ浜砲台(演習砲台)表
DSC00680_R_R.jpg米ヶ浜砲台(演習砲台)裏
DSC07873_R_R.jpg横須賀海軍工廠(横須賀米海軍基地)その1
Akagi_and_Nagato_R_R.jpg横須賀海軍工廠(横須賀米海軍基地)その2
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 283_R_R横須賀海軍工廠(横須賀米海軍基地)その3
DSC03927_R_R.jpg逸見、汐入周辺遺構、海軍測器庫
P1020712_R.jpg横須賀海軍下士官兵集会所(EMクラブ)
P1020694_R.jpg海軍工機学校(機関学校)
DSC09684_R_R.jpg横須賀海軍工廠職工共済会医院 支壕
256_R_R.jpg東京湾要塞 猿島要塞再訪 その1
391_R_R.jpg東京湾要塞 猿島要塞再訪 その2
263_R_R.jpg東京湾要塞 猿島要塞再訪(見学ツアー)
006_R_R.jpg記念艦 三笠 また行った
012_R_20141220202348c29.jpg記念艦 三笠 また行ったの三日後
172_R_20141220202349719.jpg記念艦 三笠 また行ったの三日後の後半





戦跡 横須賀 浦賀たたら浜地区
DSC05683_R_R.jpg鳥ヶ崎大砲試射場
DSC01518_R_R.jpgたたら浜トーチカ、浦賀陸軍桟橋
1237344575_photo_R_R.jpg浦賀ドック(船渠)
DSC05792_R_20130719233739.jpg海軍対潜学校、海軍工作学校
DSC01692_R_R.jpg川間ドック~久里浜住吉神社
DSC05772_R_R.jpg浦賀狙撃用洞窟陣地
DSC01550_R_R.jpg千代ヶ崎砲台 その1
DSC01555_R_R.jpg千代ヶ崎砲台 その2
DSC05726_R_R.jpg千代ヶ崎砲台 その3
DSC05707_R_20130725232321.jpg千代ヶ崎砲台その4
DSC06321_R_20130725232554.jpg久里浜海軍病院、横須賀海軍軍需部久里浜倉庫
DSC06912_R_R.jpg千駄ヶ崎砲台 その1
DSC08645_R_R.jpg千駄ヶ崎砲台 その2
DSC03657_R_R.jpg野比海岸その他遺構 その1
DSC03827_R_R_20130804233806dc1.jpg野比海岸その他遺構 その2
DSC09388_R_20130730231030617.jpg海軍通信学校(久里浜駐屯地)
DSC02203_R_R.jpg浄地原砲台、鴨居洞窟砲台
P1020362_R.jpg千代ヶ崎砲台、新遺構?
P1020603_R.jpg千代ヶ崎砲台、新遺構(再訪)旧住友工場護岸
DSC01005_R_2015051219361333d.jpg久里浜海軍倉庫壕 (電池部)



戦跡 三浦、三崎地区
DSC05856_R_R.jpg三戸南狙撃陣地
DSC05717_R_R.jpg三戸北狙撃陣地
DSC05708_R_20130804232714e5a.jpg三戸海岸 福泉寺壕
DSC09353_R_R.jpg荒崎高角砲台
DSC04801_R_R.jpg城ヶ島砲台及び周辺遺構 その1
DSC06026_R_R.jpg城ヶ島砲台及び周辺遺構 その2
DSC06077_R_R.jpg城ヶ島砲台及び周辺遺構 その3
DSC06191_R_R.jpg城ヶ島砲台及び周辺遺構 その4
DSC01802_R_R.jpg城ヶ島砲台地下施設(駐車場側)
DSC00211_R_R.jpg城ヶ島砲台 高磯分観測所
DSC00241_R_R.jpg剣崎洞窟陣地(高磯分観測所付属壕)
DSC04608_R_R.jpg剣崎砲台、 大浦探照灯格納庫
DSC00098_R_20130811213458f68.jpg剱崎無線方位信号所謎施設、大浦海岸震洋壕
DSC04629_R_R.jpg三崎砲台(岩堂山観測所)
DSC05005_R_R.jpg浜諸磯洞窟砲台
DSC01216_R_R.jpg浜諸磯狙撃用洞窟陣地
DSC04539_R_R.jpg高抜狙撃用洞窟陣地、蛭田の鼻狙撃用洞窟陣地
DSC06136_R_R.jpg江奈湾震洋壕、金田港用途不明壕
DSC05779_R_R.jpg黒崎砲台、赤谷海岸謎遺構
DSC02580_R_R.jpg黒崎狙撃用洞窟陣地北側、南側
DSC08158_R_R.jpg長浜狙撃用洞窟陣地、井上成美記念館
DSC05071_R_R.jpg油壺震洋特攻基地 その1
DSC05115_R_R.jpg油壺震洋特攻基地 その2
DSC05154_R_R.jpg油壺震洋特攻基地 その3
DSC05214_R_R.jpg油壺震洋特攻基地 その4
DSC01929_R_R.jpg油壺震洋特攻基地(諸磯湾側)
DSC05975_R_R.jpg小網代 震洋壕群 その1
DSC06058_R_R.jpg小網代 震洋壕群 その2
DSC06161_R_R.jpg小網代 震洋壕群 その3



戦跡 江ノ島、鎌倉
DSC04677_R_R.jpg江ノ島砲台、洞窟陣地その1
DSC04706_R_R.jpg江ノ島砲台、洞窟陣地その2
DSC04734_R_R.jpg鎌倉甘縄神明宮
DSC04607_R_2013092315290056b.jpg北鎌倉駅周辺遺構 その1
DSC04573_R_R.jpg北鎌倉駅周辺遺構 その2
DSC03058_R_R.jpg陸軍歩兵第四〇一連隊の抵抗拠点陣地
DSC03099_R_R.jpg陸軍歩兵第四〇一連隊の抵抗拠点陣地司令部壕

戦跡 逗子 相模原
DSC03045_R_R.jpg稲村ヶ崎伏龍洞窟陣地、洞窟砲台
DSC03404_R_R.jpg横須賀海軍工廠沼間地下軍需工場
DSC01296_R_R.jpg逗子狙撃陣地
DSC08341_R_R.jpg高座海軍工廠芹沢地下工場
101107_163153_R_R.jpg披露山砲台、北鎌倉銃眼、逗子久木大池壕
P1000666_R_R.jpg陸軍中津飛行場(相模陸軍飛行場)
DSC04224_R_R.jpg小坪海面砲台
DSC04160_R_R.jpg二子山高角砲台
DSC00595_R_201505121936110b0.jpg横須賀海軍工廠造兵部無線工場地下壕 その1
DSC00740_R_201505121936128b0.jpg横須賀海軍工廠造兵部無線工場地下壕 その2
DSC00801_R_20150602202032ead.jpg横須賀海軍工廠造兵部火工工場久木作業場地下工場 その1
DSC00895_R_201506022020341f5.jpg横須賀海軍工廠造兵部火工工場久木作業場地下工場 その2
DSC02008_R_R.jpg池子弾薬庫 警備道 その1
DSC02548_R_R.jpg池子弾薬庫 警備道 その2
DSC02640_R_R.jpg池子弾薬庫 警備道 その3


東京湾要塞 観音崎砲台
DSC00127_R_R.jpg東京湾要塞 観音崎砲台(第一砲台)
DSC02189_R_R.jpg東京湾要塞 観音崎砲台(第二砲台)その1
DSC00061_R_R.jpg東京湾要塞 観音崎砲台(第二砲台)その2
DSC01013_R_2014091317323357a.jpg東京湾要塞 観音崎砲台(第三砲台)その1
DSC00044_R_20140914192112d45.jpg東京湾要塞 観音崎砲台(第三砲台)その2
DSC02261_R_20140917201448c11.jpg東京湾要塞 観音崎砲台(旧第三砲台)
DSC00160_R_20140921113640eb8.jpg東京湾要塞 観音崎砲台(大浦堡塁(戦没船員の碑))
DSC00171_R_201409211136421d7.jpg東京湾要塞 観音崎砲台(腰越堡塁(うみの子とりで))
DSC00412_R_20140926223656722.jpg東京湾要塞 観音崎砲台(三軒家砲台 )その1
DSC01313_R_20140926223657da3.jpg東京湾要塞 観音崎砲台(三軒家砲台 )その2
DSC00210_R_20141019154243ad9.jpg東京湾要塞 観音崎砲台(北門谷 )
DSC00112_R_R.jpg東京湾要塞 観音崎砲台(第四砲台 )その1
DSC02120_R_R.jpg東京湾要塞 観音崎砲台(第四砲台 )その2
DSC00236_R_R.jpg東京湾要塞 観音崎砲台(第四砲台と聴測所 )その3
DSC00037_R_R.jpg東京湾要塞 観音崎砲台(南門谷 )その1
DSC00021_R_R.jpg東京湾要塞 観音崎砲台(南門谷、南門砲台 )その2

富津射撃場(富津元洲堡塁砲台)

千葉県富津岬にある東京湾要塞地帯の一角である、南房総国定公園に残る遺構。
富津射撃場 (陸軍兵器行政本部 第一陸軍技術研究所 富津試験場)が出来る前は、富津元洲堡塁砲台
が置かれ、旧式化による除籍まで28cm榴弾砲6門、12cmカノン砲4門にて東京湾を守護していた。
この内28cm榴弾砲2門は澎湖島要塞に日露戦争時に移動している。
大正4年には明治砲台として有名な物(観音崎、夏島等)と同時に陸機密第45号により廃しされ
陸軍富津射撃場として使用され、昭和13年頃の一般地図からは岬が削除されて販売されるほどの
管理体制の下、各種の砲がここで試射、観測された。
なんとここでは、ドイツ軍ぐらいしか浮び難いが、列車砲の試験も行われている、探していないが
列車の引込み線が何処かにある(あった)らしいので、探して欲しい。
今回は富津元洲堡塁砲台を紹介する。
DSC09719_R_20130208221852.jpg車を停め公園内に入る、この公園はかなり広い
DSC09681_R_20130208221848.jpg当時のオリジナルと思われるアーチ橋を渡る(橋は三ヶ所)
DSC09682_R_20130208221849.jpg階段を登ると半円筒形の物がある
DSC09684_R_20130208221851.jpg観測壕
DSC09683_R_20130208221850.jpg人物比
DSC09685_R_20130208223021.jpg背面に砲座が左右に2座ずつ4座ある(多分)
DSC09686_R_20130208223022.jpg砲座沿いに歩く
DSC09687_R_20130208223023.jpgなんか踏んだ、何故こんな所に亀が!(無事確認)
DSC09688_R_20130208223024.jpg砲座は整備されずに緑に染まる
DSC09689_R_20130208223027.jpg上には現代の監視塔がある
DSC07064_R.jpg無料で登れる
DSC09690_R_20130208223809.jpg切り通し
DSC09691_R.jpg一部道が崩れて、通口不可だった
DSC09692_R_20130208223811.jpg下に降りると、レンガが見える
DSC09693_R.jpg弾薬庫は公園化安全対策の為、土盛りされ一部のみ見える
DSC09695_R_20130208223813.jpg階段を登る
DSC09696_R_20130208224511.jpg地下に埋もれた弾薬庫の通気口と思われるが入れない(ゴミが詰まっている)
DSC09697_R.jpg形は面白く、独特だ
DSC09698_R_20130208224513.jpg先に階段が見える
DSC09699_R_20130208224515.jpg登って行くと
DSC09700_R.jpg弾薬庫と言われるが小さすぎる、大人が立って入れない、通信もしくは計算室では?
DSC09701_R_20130208225451.jpg150cm位だろうか
DSC09708_R.jpg狭く、三方に窪みがある
DSC09710_R.jpgこれだけ見ると弾薬庫っぽい
DSC09709_R_20130208225452.jpg伝声管
DSC09711_R_20130208225454.jpg振り向くとこんな感じ
DSC09702_R_20130208230121.jpg階段を登る
DSC09703_R_20130208230122.jpg不自然な階段
DSC09704_R.jpg公園化の為にコンクリートで補修(破壊)されてしまった様だ
DSC09705_R_20130208230124.jpg先端に何かある
DSC09706_R_20130208230125.jpg拓魂と掘ってあるが、元は方位盤であろう
DSC09714_R_20130208230814.jpgもう一つ観測壕がある
DSC09713_R_20130208230814.jpgこちらは少し状態が悪い
DSC09715_R_20130208230816.jpg反対側の通気口
DSC09716_R_20130208230817.jpg覗いてみる
DSC09717_R_20130208230818.jpg堡塁砲台左半景(手前はトイレ)
DSC09718_R_20130208231338.jpg右半景
DSC07078_R_20130208231807.jpgお堀の水は海水だそうだ
DSC07127_R.jpg別の橋
DSC07126_R_20130208231809.jpg広場の花壇?だが造形が当時っぽいのでは?(貯水池?)
DSC09720_R_20130208231339.jpg富津元洲堡塁砲台を後にする



「廃墟」砲台山ハイランド(金谷砲台)

前回戦跡として金谷砲台を紹介したが、砲台と呼ぶよりレジャーランド廃墟の方が色が濃かったのでこちらに戦跡としてボツになった写真を一部重複するが上げてみる。
戦跡中心なので、廃墟美としては面白みが欠けるかも知れないが素人な物で、ガマンして下さい。
DSC07171_R_20130207191610.jpg日の出前に出発し、山中で夜明けを迎える、探索の始まり
DSC07173_R_20130207191612.jpg大正13年に作られた金谷砲台の小便所、傍目にはトーチカに見える
DSC07174_R_20130207191613.jpg朝の木漏れ日の中の戦跡もいいもんだ
DSC07181_R_20130207191614.jpg大正、昭和と平成になっても人の往来を見てきた軍道
DSC07172_R_20130206201846.jpg路肩の石柱、同じ物が数本ある、当時崖から落ちない様に付けたのだろう
DSC07184_R_20130207193147.jpg山に入り10分ほど登るとその物件は現れる
DSC07185_R_20130207193437.jpgまずは婦人用お手洗いなのだが、妙に下の方にある
DSC07186_R_20130207193438.jpg鳥かご、こっちのは小振りで、大きな物が弾薬庫の上にある
DSC07322_R.jpg弾薬庫(砲台山レジャーランド)到着
DSC07192_R_20130207194645.jpg柵の付いた階段がある
DSC07193_R_20130207194646.jpg回り込んでみる、木漏れ日がまぶしい
DSC07194_R.jpgリフト乗り場、使用料が高く貧乏な人は山の途中から飛び乗っていたそうだ
DSC07195_R_20130207194649.jpgもう動かない駆動用モーター、天蓋はすでに無くなっている
DSC07196_R_20130207200207.jpgモーターのそばに佇むリフト制御盤
DSC07197_R.jpgもう周る事の無いワイヤーロープが森と同化しようとしている
DSC07199_R_20130207200210.jpg当時池として使用されていた砲座、どんな魚が居たんだろう
DSC07200_R_20130207200211.jpgレストハウスに入って見る
DSC07201_R.jpg薄暗い店内、当時は賑わっていたんだろうか?
DSC07332_R.jpg天井が朽ち始めている、後何年持つだろう
DSC07333_R.jpg有名なトーテムポール
DSC07202_R_20130207202116.jpg弾薬庫沿いに進むと・・・
DSC07203_R_20130207202117.jpgやっと出て来た男性用お手洗い
DSC07334_R.jpg山道に入ると鉄骨の骨組みがある
DSC07204_R_20130207202415.jpg当時の看板の様だ
DSC07205_R_20130207202416.jpg良く見ると砲台山と読み取れる、今は藪に埋もれ看板の役目を終えている
DSC07206_R_20130207202417.jpg看板の前の埋もれた道を掻き分けて行くとロープウエイの駅の様な所に出る
DSC07207_R.jpg地下式の坑道がある
DSC07208_R_20130207202419.jpg反対側の灯りが見えるがもう、誰も通る事は無いだろう
DSC07335_R.jpg付近に落ちていた路側に使われていたろう煉瓦
DSC07337_R_20130207203340.jpg60糎榴弾砲を見つける
DSC07340_R.jpg木漏れ日の中、天空を睨む砲口
DSC07342_R.jpgしかし朽ち始めている
DSC07348_R.jpg唯一の可動部、これからも探訪者が回すだろう
DSC07209_R.jpg帰りがけにビン、カンを並べてあるのを見かけた、以前何処かのサイトで、集めて並べてみたと書いていた人が居た。その人の物だろうか?

探してみたがあまり覚えていない
ここだと思う

金谷砲台

千葉県富津市の金谷にある、金谷砲台を紹介する。
ここは砲台と言う事よりも、「砲台山ハイランド」と言うレジャーランドの廃墟として有名。
最初の内は金谷のフェリー乗り場付近から鋸山登山道辺りを探していたが、見つからなかった
某サイトに上り口は金谷元名林道にあると書いてあったので、見つける事が出来た。
この林道は一般的に使われては居らず、落石だらけの荒れ放題なので、注意が必要だ。
金谷砲台は関東大震災で潰れた砲台が多く、それを補填する為に作られたそうだ。
確実な資料が見つからないが、最初は15センチカノン砲、後に10センチカノン砲を備砲
4基だったらしいが、砲座が2基しか分からない、大戦末期には28溜まで据えたとか。
金谷砲台の弾薬庫で2010年にぼや騒ぎが起こり、現在は弾薬庫の開口部はコンパネで
閉鎖されてしまって入る事が、出来なかった。
また、砲台山ハイランドのシンボルと言える、60糎榴弾砲も今も現存している。
DSC07170_R_20130206201845.jpg林道を落石を避けながら登って行くとそれらしい入り口がある
DSC07172_R_20130206201846.jpg入り口からひたすら山を登ると分岐がある、分岐にある石柱
DSC07307_R.jpg分岐を左に行くとまず、トイレの遺構がある
DSC07308_R.jpg奥に行くと兵舎跡がある
DSC07309_R.jpg兵舎の隣には井戸がある
DSC07310_R.jpg井戸の水は冷たそうだ
DSC07311_R.jpg陸軍境界石、防九五
DSC07312_R.jpg裏は陸一文字
DSC07177_R_20130206203530.jpg上の記号?
DSC07314_R.jpg折れた境界策
DSC07316_R.jpg倒れていた防九四ノ二(枝番付き)
DSC07319_R.jpg防九四ノ一
DSC07317_R.jpgこの先は藪に飲み込まれていた
DSC07320_R.jpg分岐の辺りのみ、石垣で補強されていた、車両を通していたのだろう
DSC07182_R.jpg本道に戻るが道は悪い
DSC07183_R_20130206210226.jpg見難いが地面を鉄管が横切っている
DSC07321_R.jpg登りはまだまだ続く
DSC07184_R_20130206210617.jpg何かが見えてくる
DSC07185_R_20130206210618.jpg婦人専用お手洗いの遺構
DSC07186_R_20130206210620.jpg鳥かご、聞く所によると、鳥の羽にペンキを塗り、カラフルにしていたとか・・・
DSC07187_R.jpg弾薬庫到着
DSC07188_R_20130206211124.jpg話通り入り口は閉鎖されている
DSC07189_R_20130206211125.jpg壁にはざらついた迷彩が
DSC07190_R_20130206211127.jpg足元に落ちていた石柱、何て読むんだろう
DSC07191_R.jpg弾薬庫に沿って回ってみる
DSC07326_R.jpg下からカメラを突っ込んでみる
DSC07328_R.jpg池の跡、2つあるがこれが10センチカノン砲座
DSC07330_R.jpg上に通路がある
DSC07331_R.jpg4つ目の出入り口
DSC07192_R_20130206212640.jpgリフト乗り場へ
DSC07199_R_20130206212641.jpg2つ目の砲座
DSC07337_R.jpg目玉の60糎榴弾砲
DSC07338_R.jpg
DSC07341_R.jpg榴弾砲は30口径前後まで、カノン砲はそれ以上と言う定義があるようだ60は規格外
DSC07344_R.jpgドイツのドーラなどは80糎を実現している
DSC07345_R.jpg砲身の先端に立って見る、割と高いってゆうか、砲座の下崖になっている。
DSC07349_R.jpg
DSC07350_R.jpgここに至る道で機銃掩体の様なくぼ地がいくつかある
DSC07351_R.jpg下山する、この溝は何だろう?砲台系でたまに見かける

砲台山ハイランドはその内別個に廃墟蘭に挙げようかな?
あまりに戦跡らしくない・・・



佐貫地下壕 その3

佐貫地下壕の3回目となるが、未だこの地下壕群は探索途上であり、未発見の壕口
建物、などかなりありそうだが、取り合えず今回で、見つかっている部分の最後となる。
第7工区の壕口も一部見つけたのだが、土砂で埋まってしまっていた。
またいずれ、新発見があったら更新する。
まず、前回の第2工区の近くにある、付属壕と見られる壕から紹介する。
DSC09720_R.jpg形としてⅡ(ローマ数字の2)の形に掘ってある
DSC09721_R.jpg壕口
DSC09722_R.jpg良くある壕口近くの盛り土
DSC09724_R.jpg乗り越えた先
DSC09725_R.jpg途中の崩落出口
DSC09726_R.jpg
DSC09727_R.jpg
DSC09728_R.jpg
DSC09730_R.jpg大きさはそれなりの物だった
DSC09655_R.jpgこれは切り通し側にある工場用の用水路の遺構だ
DSC09656_R.jpg入り口数mのみコンクリート製
DSC09657_R.jpg天井がどんどん低くなる
DSC09658_R.jpg壁の結露も激しくなる
DSC09659_R.jpg約5~60mほどでまたコンクリート巻きになり通過不能
DSC08887_R.jpgこれは第9工区(8本程度の単純壕)のひとつ
DSC08888_R.jpg建材パネルが投げ込まれ、滑って危険だ
DSC08889_R.jpg完全に埋もれた抗口、半数はこんな感じ
DSC08891_R.jpgこれらの壕口は割りと高い所にある(埋まって上の方だけ開いてるせいか?)
DSC08893_R.jpg珍しくややまともな壕
DSC08895_R.jpg作りもしっかりしている
DSC08896_R.jpg突き当たり、掘削途中ではない感じ
DSC08898_R.jpg振り返る、5~60mほどか
DSC08899_R.jpg小森さん
DSC08900_R.jpg
DSC08901_R.jpg
DSC08902_R.jpg何とか判別できる物が6個、?な物2個
DSC08903_R.jpg山頂にある軍道、斜面をよじ登り、初めて存在が分かった、鉄塔管理に使用されている様だ
この軍道を外れた斜面を降りたら、第7工区の壕口があった要探索項目だ

佐貫地下壕その2

前回佐貫地下壕その1で、第一工区をやったので、向かい側にある第二工区を紹介する。
第二工区は佐貫地下壕の10箇所ある工区の最大の工区である。
余談だが、昨日も佐貫地下壕には入壕したが、小森さんは居たが、地下壕には憑き物の、ゲジやカマドが
まったく居なかった、比較的巨大壕の類には少ない気がする。
DSC08875_R.jpgこれが切り通し側に開いている唯一の開口部だ
DSC09650_R.jpg馬蹄型の壕内
DSC09651_R.jpgこの辺は前回入壕した時の写真
DSC09652_R.jpg奥は埋め戻されている
DSC09654_R.jpg榴弾砲さんにウエイダーを履かせ、突入させたがここで限界と帰って来てしまった
DSC08877_R.jpg今回水深は変わってなさそうだが、自力突入する
DSC08885_R.jpg左壁には碍子跡が並ぶ、ここから水深が突如深くなる
DSC08882_R.jpg枝坑は形が異なる、水深はすでに限界5cm前、主坑道への接続が確認できたので、戻る
DSC09660_R.jpg付近を散々捜したが、他の壕口は見つからず、127号に戻った
DSC09661_R.jpgすると何の事はない、壕口いっぱい開いている
DSC09662_R.jpg道沿いは産廃の宝庫
DSC09664_R.jpg早速入る
DSC09666_R.jpg枝坑はきれいだ
DSC09667_R.jpg壕口はきたない
DSC09669_R.jpgコンクリートの排水の切られた床
DSC09670_R.jpg何処までも続く坑道
DSC09671_R.jpgこの工区は格子状ではなく、放射線状に広がっている
DSC09672_R.jpg枝坑も多く、あっという間に現在地どこ?(でもきにしない)
DSC09675_R.jpgコンクリ巻きの壕口
DSC09674_R.jpg工場系なので、本坑は四角っぽい所が多い
DSC09676_R.jpg
DSC09677_R.jpg盛大に水没しているが、水中に何かある
DSC09678_R.jpgなんぞこれ?尋常でない数が落ちている、ぬこ?
DSC09680_R.jpgその後何処に行ってもぬこだらけ
DSC09681_R.jpg
DSC09682_R.jpg
DSC09683_R.jpg
DSC09684_R.jpg水没区も増えてくる壕口が塞がれて、排水されない様だ
DSC09687_R.jpg所々にコンクリート台座がある、ぬこ付き
DSC09688_R.jpg珍しく土嚢詰め
DSC09689_R.jpgこの茶色いバックは約1mの円筒形、壕口でかい
DSC09690_R.jpg水没がますます増える
DSC09692_R.jpgウエイダーを推奨する
DSC09694_R.jpg
DSC09695_R.jpg
DSC09696_R.jpg
DSC09698_R.jpgだんだん通った道かどうか、分らなくなる
DSC09699_R.jpg珍しく天井に段差がある
DSC09701_R.jpg道路を背にして左側は開口部が多い
DSC09702_R.jpg意外と道路からは見えない様に塞いである(壕口が見つからない様に掘ってあるだけだが)
DSC09703_R.jpgフルオープンな壕口
DSC09705_R.jpgおっかない物見つけた(最近まで火薬庫だった?)
DSC09706_R.jpg
DSC09709_R.jpg川の出来た跡
DSC09707_R.jpg2時間ぶりぐらいに榴弾砲さんと合流する
DSC09711_R.jpg枝抗はきれい
DSC09712_R.jpg本坑は濁流
DSC09713_R.jpg枝抗はきれい
DSC09714_R.jpg水没も行けるとこまで行く
DSC09715_R.jpgコンクリートを巻き付け様とした途中か?
DSC09716_R.jpg振り向いて反対側の壕口を見る100mほどか
DSC09717_R.jpgそろそろ一周した
DSC09718_R.jpg外の駐車場にある壕口
DSC09719_R.jpg中から見てない気がする、単独壕か

次回第9工区及びその他予定



佐貫地下壕 その1

今回の記事で、100件目になるので、そろそろ千葉の物件に着手する。
千葉県富津市にある、海軍第二工廠・佐貫地下工場は、木更津第二海軍航空廠八重原工場の疎開工場として、1944年11月頃から掘削された総延長約9㎞ほどの地下軍事工場。
1945年7月に完成し、実際に戦闘機のプロペラ・計器類・脚部の部品や、手榴弾の筒などが製造されていた。
完成したものとされているが、実際は当時の基準は貫通すれば完成とみなしているので、たとえ1m程度の
高さで作業不能でも完成とされる。
1~10工区まで作られているが、ゴルフリゾート開発の為、山が削られるなど様相が一変している。
実稼動していたのは、1~4工区位だろうと言われているが3.4.5.6.8.10工区が現在一時頓挫していた
ゴルフ場になってしまい、ゴルフ場は営業している=探索不能。
8.10工区に関しては探してみたが、旧道からゴルフ場フェンスまでの間には見つからなかった。
1.2工区は現存し確認出来た、9工区は単純壕の集団で、約3,40mほどだったが半数は潰れてしまっている。
今日行って来た第一工区の紹介をする。
DSC08815_R.jpg127号から旧道に入ると
DSC08816_R_20130203215142.jpg切り通しがあり、塞がれた壕口が散見する、右が第2工区(1,2枚目)
DSC08817_R_20130203215143.jpg左が第1工区(3,4枚目)
DSC08819_R.jpgこの辺はコンクリで入り口5mほどのみ補強している
DSC08822_R.jpg早速入ろう
DSC08823_R.jpgメイン坑道4X4ぐらいか
DSC08824_R.jpg枝抗の大半は水に浸かっている
DSC08825_R.jpgしかも真横でなく、全て斜め方向もしくは軽いクランク
DSC08826_R.jpgメインも水没
DSC08827_R.jpg佐貫に長靴は必携!(七割は周れる)
DSC08828_R.jpg床にコンクリートの台座か?散らばっている
DSC08829_R.jpg入り口を振り返る
DSC08830_R.jpg枝抗の数は多い
DSC08831_R.jpg
DSC08832_R.jpg四角いコンクリの塊
DSC08834_R.jpg杭、戦後調査時の物か
DSC08835_R.jpg床のコンクリート断面
DSC08836_R.jpg
DSC08837_R.jpg
DSC08838_R.jpgメイン坑道閉塞
DSC08839_R.jpg枝抗の排水溝
DSC08840_R.jpg隣のもう一つのメイン抗閉塞
DSC08841_R.jpg積み重ねた枕木
DSC08842_R.jpgふいに轍が出現する
DSC08843_R.jpgタイヤの跡
DSC08844_R.jpg開口部へ続く
DSC08845_R.jpg開口部手前の枝抗
DSC08846_R.jpg開口部外から   佐貫地下壕① 
002_R_20130203223332.jpg開口部を出て、周辺を探索すると
003_R_20130203223334.jpg朽ちた建物が
004_R.jpgのぞき窓
005_R_20130203223336.jpg天井はすでに朽ち果てている
006_R_20130203223337.jpgそばにある祠
007_R_20130203223921.jpgこの谷にはトタンの廃屋が2つある
010_R.jpg良く見ると、壁に石組みが
DSC08849_R.jpg反対側の抗口に向かう
DSC08850_R.jpg途中の枝抗
DSC08851_R.jpg入り口にコンクリートを巻こうとした跡が
DSC08852_R.jpg開口部
DSC08853_R.jpg周りは竹林
DSC08854_R.jpg向かいに壕口が
DSC08860_R.jpg中は完全水没、長靴以上だ、奥は閉塞、冒頭の写真3枚目部分
DSC08861_R.jpg壕口のコンクリの隙間から竹の根が生えている
DSC08862_R.jpg壕口付近にも石組みが
DSC08863_R.jpg壕内に戻る
DSC08864_R.jpg
DSC08867_R.jpgさっきの水没壕に繋がっていた
DSC08866_R.jpgコンクリート袋が水分を吸って固まった物
DSC08868_R.jpg2本目のメイン坑道後半
DSC08869_R.jpgこの坑道は天井部がかなり落ちている
DSC08871_R.jpg枝抗はマシだ
DSC08872_R.jpg切り通しの養壁で見えない壕口
DSC08873_R.jpg最初の進入口に戻ってきた
DSC08874_R.jpg振り返ってみる、単純だが広かった

佐貫地下壕②

鹿島海軍航空隊

水上機搭乗員養成基地「鹿島海軍航空隊」の遺構を紹介する。
霞ヶ浦の湖畔に今も色濃くその跡を残す、この手の遺構としては珍しくオリジナル度が高い。
大抵は自衛隊基地もしくは米軍、埋め立て、宅地化などで消えてしまい、一部現存が関の山だが
ここは、かなりの広さに渡り、遺構が確認できた。
DSC07410_R.jpg 燃料庫跡といわれる
DSC07411_R.jpg記念碑
DSC07412_R.jpg人物比
DSC07413_R.jpg入り口は左右二つ
DSC07414_R.jpg爆風よけだろうか?
DSC07415_R.jpg右側入り口
DSC07416_R.jpg入り口横の通気口
DSC07419_R.jpg左側入り口こちらは扉に通気口がある
DSC07425_R.jpg床下通気口
DSC07418_R.jpg全景
DSC07420_R.jpg登ってみた
DSC07421_R.jpg天井には補修の跡がある
DSC07423_R.jpg記念碑には裏側も彫ってあるが、旗竿が邪魔だ
DSC07426_R.jpg現在は農協の倉庫として使用中、赤い部分は継ぎ足しのようだ
DSC07428_R.jpg霞ヶ浦の湖畔に移動すると、当時の建物群が見える
DSC07429_R.jpg当時の境界柱だろう(コンクリートの方)
DSC07431_R.jpgズームすると本部庁舎が見える
DSC07430_R.jpg水上機スリップ、今はマリンレジャーの基地
DSC07433_R.jpg二式水戦を浮かべてみたい、零観でも可
DSC07436_R.jpg現在国の機関が活動中、国立環境研究所だったかな?
DSC07437_R.jpg近寄るには藪漕ぎしかない(湿地付き)
DSC07438_R.jpgおそらく当時に近い時代の電柱
DSC07439_R.jpgポンプ室?
DSC07440_R.jpg発電機室
DSC07441_R.jpg横に回る
DSC07442_R.jpgボイラー用の貯水タンクだろうか?
DSC07444_R.jpg蓋もコンクリート製の様だが、ほとんど割れていた
DSC07457_R.jpg内部で繋がっている
DSC07446_R.jpg宿舎、洗面所
DSC07447_R.jpg
DSC07448_R.jpg
DSC07450_R.jpg
DSC07452_R.jpg
DSC07455_R.jpg藪の中にはあちこちに遺構が残っている
DSC07458_R.jpgまた何かある
DSC07459_R.jpg陶器製の洗面シンク、士官用か?
DSC07461_R.jpg人物比
DSC07463_R.jpgボイラー室
DSC07467_R.jpg木の扉がいい
DSC07469_R.jpg二連ボイラー
DSC07472_R.jpg昭和十四年製造(開隊の翌年)
DSC07480_R.jpg登ってみた
DSC07493_R.jpg小型ボイラー
DSC07501_R.jpg天井から、煙突がみえる
DSC07505_R.jpg外に回る(人物比)右煙突は結構大きい
DSC07506_R.jpg小型ボイラー用煙突?
DSC07507_R.jpgここにも貯水槽がある
DSC07509_R.jpg発電機室
DSC07511_R.jpg発電機用冷却水槽
DSC07513_R.jpg天井クレーン
DSC07516_R.jpg発電機台座
DSC07523_R_20130202223356.jpg変電機
DSC07531_R.jpg外に出る
DSC07533_R.jpg高圧碍子
DSC07528_R_20130202223941.jpgそこからここに電気が来る
DSC07530_R_20130202223942.jpg電気分配器室
DSC07527_R_20130202224412.jpgふんどし干し場
DSC07535_R.jpg国立科学博物館?何処に?
DSC07536_R.jpg本部庁舎
DSC07539_R.jpg独特の飾
DSC07540_R.jpg玄関、東京医科歯科大学霞ヶ浦分院として、平成7年3月まで運営されていたようだ
DSC07541_R.jpg病院として改装されている
DSC07543_R.jpg受付窓口
DSC07549_R.jpg屋上
DSC07546_R.jpg手すりすら無い
DSC07548_R.jpg下から見た飾部分
DSC07552_R.jpg裏手にも遺構がある
DSC07553_R_20130202230431.jpg晴れていれば、湖面が見渡せるだろう
DSC07554_R_20130202230432.jpg撤収する
DSC07556_R_20130202230433.jpg新旧が混在するすべり
DSC07560_R.jpgその先に行くとカタパルト基礎がある
DSC07562_R.jpg土嚢の下にボルトが残っているが危険なので、隠してある
DSC07564_R_20130202230853.jpg当時の桟橋、この先にカッターボンドがある様だが、見逃した
DSC07568_R_20130202230854.jpg鹿島航空隊、隊門
DSC07569_R.jpg隣に研究所の近代的営門がある、近辺に海軍用地の石柱が有るらしい