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観音崎砲台ガイドツアー

3月24日に行われた、観音崎砲台ガイドツアーに参加してきた。
「東京湾要塞」のH.Pで有名なデビット佐藤さんが、ボランティアでガイドをしてくれる
観音崎公園ビジターセンター 主催の催しで、年4回行われる、前回までは先着順であったが
今回からは抽選となった、抽選で当選すると、ビジターセンターから電話が来るので、説明もその時に
受ける事になる、参加費用は無料である。
観音崎砲台ガイドツアーの募集ページを張っておくが、いずれ消えるだろうから、県立観音崎公園のH.Pか「東京湾要塞」のH.Pで次回等確認して下さい。
11時開始なので、それまで少し下見がてら軽く周る、ツアーの時だと他人が写ってしまうからと、一般ツアー
では行かないだろう所に行く為だ。
DSC00021_R_20130331142908.jpg南門砲台28cm榴弾砲レプリカ
DSC00032_R.jpg第三砲台
DSC00041_R.jpg第三砲台左翼観測機台座DSC00047_R.jpg第三砲台かくれ観測所
DSC00050_R.jpg第三砲台右翼観測所
DSC00057_R_20130331143754.jpg旧第三砲台
DSC00061_R_20130331143755.jpg第二砲台計算室
DSC00070_R.jpg第二砲台右翼観測所
DSC00079_R.jpg第二砲台砲座
DSC00106_R.jpg防二〇三
DSC00107_R.jpg山中の小屋
DSC00111_R.jpg第四砲台
DSC00119_R.jpgぬこ
ぬこと遊んでいる内に、11時を迎える、ビジターセンターに潜入する
DSC00123_R.jpg右腕を骨折したゴジラが出迎える、たたら浜と言えばゴジラである
DSC00124_R.jpgセミナー室
P1010522_R.jpg午前中は座学で12時より30分昼食
P1010524_R.jpg点呼の後、ツアーに出発する、オレンジの上着の人がガイドのデビット佐藤さん
DSC00126_R.jpgさて、状況開始である
DSC00127_R.jpgまずは第一砲台
DSC00132_R.jpg案の定写真処ではない、初めてではないからいいけど
DSC00133_R.jpg横檣下の弾薬庫
DSC00135_R.jpgカメラとライトを突っ込む、左右に部屋がある様だ
DSC00137_R.jpg用途不明の小さめの壕口
DSC00139_R.jpgこの石は第二砲台の破壊した砲座の胸檣を使っている
DSC00151_R.jpg第二砲座予備砲弾置き場
DSC00155_R.jpg桜の刻印のレンガ
DSC00153_R.jpg第三砲座
DSC00154_R.jpg左翼観測所一部
DSC00157_R.jpg横檣下の弾薬庫は隙間も無い
DSC00159_R.jpg大浦堡塁
DSC00160_R.jpg砲座への階段、1段のみ残存
DSC00161_R.jpg右翼砲座の胸檣
DSC00162_R.jpg案内板
DSC00164_R.jpg真下を見る
DSC00168_R.jpgめがね橋を渡った右にある陸軍柱、この先いっぱいある
DSC00169_R.jpg腰越堡塁
DSC00171_R.jpg中央横檣
DSC00173_R.jpg左翼横檣
DSC00177_R.jpg左翼砲座
DSC00184_R.jpg三軒家砲台
DSC00188_R.jpg見張所
DSC00191_R.jpg門柱
DSC00193_R.jpg二つある掩蔽部
DSC00195_R.jpg左側に入る
DSC00196_R.jpg内部
DSC00197_R.jpg奥はブロックで塞がれている
DSC00207_R.jpg反対側から見る
DSC00202_R.jpg砲座に行く
DSC00204_R.jpg先回りして隣の砲座を撮影、迷彩模様はこの三軒家砲台のみ
DSC00205_R.jpg元に戻り説明を聞く
DSC00208_R.jpg掩蔽部
DSC00213_R.jpg付属室へ向かう
DSC00214_R.jpg普段は入れない付属室
DSC00215_R.jpg中はゲジゲジの巣になっている
DSC00218_R.jpgお年寄りばかりなので、平気で入って来る
DSC00222_R.jpgその上の観測所
DSC00238_R.jpg切り通し下からめがね橋を見る
DSC00240_R.jpg観音崎健康ラドンセンター、今で言うスパだが大分前に閉店
DSC00242_R.jpg青少年の村、旧地上式弾薬庫1,2号棟
DSC00244_R.jpg同3号棟
DSC00245_R.jpg観音崎トンネルの中にも当時は横に弾薬庫が掘られていたそうだが、跡形も無いDSC00248_R_20130331170157.jpgたたら浜のトーチカ
DSC00250_R_20130331170158.jpg潮位観測柱(参加者の中に昔目盛が書いてあるのを見たとの証言あり)
DSC00251_R_20130331170200.jpg映画、初代ゴジラはたたら浜に上陸した、この像は風化によりこの世を去った
DSC00253_R.jpg足跡だけを残して
DSC00255_R_20130331170204.jpgこの後、解散となる
DSC00257_R.jpg南門砲台のアンカーボルト
DSC00118_R.jpgまたぬこに逢った
fCB3kXuyltTLFKd1356916914_1356916916.jpg             同期の櫻様より当時の写真を頂いた、実にタイムリーなベストショットである、注目すべきは何事も無かったように、
すぐ隣で遊ぶ親子であろう



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「廃墟」由良要塞 友ヶ島 現存廃墟まとめ

友ヶ島には、閉鎖環境と言う事もあり、比較的木造建築の兵舎等が残っている。
通常、本土の場合は朽ちるに任せて、土台のみになるか、再開発に消えて行く。
しかしここには風化こそ免れないが、70余年を経ているとは思えない、物によっては100年物も
存在する珍しい空間だ。
折角なので、建物部分だけに絞って、本編で紹介しなかった写真を交えて紹介する。
一度本編で、紹介しているので、特に場所や建物用途(電灯所など)は説明しない。
DSC09020_R_20130330195016.jpg近代廃屋の後ろに明治レンガの遺構が見える
DSC09022_R.jpg鉄の窓枠が残っているのは、戦後も桟橋に近いので使用されていたからだろう
DSC09023_R.jpg遠目には健在に見えるが、時間には逆らえない、屋根の瓦が滑り落ちている
DSC09024_R_20130330195020.jpg大陸風な入り口
DSC09025_R.jpg裏手に回ると崩壊は加速度を増す
DSC09027_R.jpg裏手にはダムの様な物が見える
DSC09028_R.jpgここは特に閉鎖されていなかった
DSC09029_R.jpg何故窓に鉄格子があるのだろう?
DSC09030_R.jpgしかもほぼ全ての窓に・・・
DSC09031_R.jpg鎧戸とそれを閉じるフックが分かるだろうか
DSC09032_R.jpg真ん中部分は崩落している、ツタがいい感じに侵食している
DSC09033_R.jpgしかし、不思議とその直前は無傷だったりする
DSC09034_R.jpg縁の下の通風口、珍しく蓋がある
DSC09035_R.jpg裏の壁面は無傷でモダンな感じ
DSC09036_R.jpgこれは最初の入り口内部
DSC09037_R_20130330201547.jpg天井の穴から光の差し込む別空間
DSC09038_R_20130330201548.jpg裏側には損害は見受けられない
DSC09039_R_20130330201549.jpgレンガ、モルタル張りの建物、階段辺りにレンガが見える
DSC09043_R.jpg桟橋付近の便所遺構は恐らく改修されている
DSC09045_R_20130330202548.jpg建物裏手でよく類似の物を見かけるが、用途は何だろう?いずれも小さく60cm程度か
DSC09046_R_20130330202550.jpg発電機室か?近年まで旧軍の発電機を使用して発電していたらしいが、これか?
DSC09048_R_20130330202552.jpg冬の陽光を浴びる煙突
DSC09049_R.jpg猿島要塞の発電所は石炭炊きだったが、ここもそうなのか?
DSC09052_R.jpg裏山から見る
DSC09322_R_20130330204920.jpg近年公式に発見された海軍聴音所
DSC09330_R_20130330204921.jpgまさに天然の偽装がされていたのだろう
DSC09349_R_20130330204922.jpg整備される前に見てみたかった
DSC08858_R_20130330205543.jpg森の中の廃墟
DSC08864_R_20130330205545.jpg獣が入らない様にネットがある
DSC08865_R_20130330205546.jpg内部は荒れ果てている
DSC08866_R_20130330205548.jpg異色なレンガ、後付けか?
DSC08867_R_20130330205549.jpg窓の木枠はまだ残っている
DSC08927_R_20130330210511.jpg建物ではないが、侵食されていずれは森に飲み込まれそうな砲座
DSC08930_R_20130330210512.jpg苔生す煉瓦が時代を感じさせる
DSC09433_R_20130330211333.jpg外観はレンガだが、中は純和風
DSC09434_R_20130330211334.jpg土間と水周り
DSC09438_R_20130330211336.jpg小さいが床の間がある
DSC09443_R_20130330211338.jpg瀬戸物の便器が外れている
DSC09444_R_20130330211916.jpg光の差し込む窓と崩れた土塀
DSC09445_R_20130330211917.jpg謎の窪み
DSC09447_R_20130330211919.jpg明治のレンガの造型は請っている
DSC09448_R_20130330211921.jpg当時の美人画なのだろうか、覗き込まなければ見えない
DSC09450_R_20130330211923.jpg登るの忘れた

挙げると切が無いのでこの辺にするが、この島はへたな公園整備などせずに、このままでいて欲しい。

由良要塞 友ヶ島 第三砲台 その2

DSC09392_R_20130329202531.jpg地下一階通路を抜けると砲座がある、本来この通路には地下二階の弾薬庫から砲弾を上げる揚弾井の穴があるのだが、第三砲台は観光用にコンクリートで埋めてある
DSC09393_R.jpg第四砲座全景、基本構造は第四砲台と変らないのだが、整備具合は歴然だ
DSC09394_R_20130329202534.jpg砲座に水は溜まっているものの、普通に歩いて行ける
DSC09395_R.jpg砲座の上に上がる階段、上には砲台長位置などがある
DSC09397_R.jpg幼児用プールの様な28cm榴弾砲砲座
DSC09398_R_20130329212334.jpg砲座間の地下一階通路を通る、間にある登り階段を登る
DSC09399_R.jpg階段も無く、上れない狭い空間に出る
DSC09400_R_20130329212337.jpg後に紹介する砲台長位置の下側だ
DSC09401_R_20130329212339.jpgこの第三砲座には草木は茂るが、水は溜まってない
DSC09402_R_20130329212341.jpgこれは砲座上に上がった塹壕通路だ、砲台長位置に繋がる
DSC09404_R_20130329213101.jpg下の第三砲座を見下ろす
DSC09405_R_20130329213102.jpg塹壕沿いに歩くと砲台長位置が藪の中に見える
DSC09406_R_20130329213104.jpg砲台長位置全景
DSC09407_R_20130329213105.jpg円筒形の突起がある、観測用望遠鏡でも置いていたのだろうか?
DSC09408_R.jpgさっき下から見上げた穴
DSC09409_R.jpg塹壕通路の形が分かるだろうか
DSC09410_R.jpg第二砲座は、水が多い
DSC09411_R_20130329213601.jpg砲座間通路も水浸しだが、中洲状に揚弾井後が見える
DSC09413_R_20130329213602.jpg第二砲座全景
DSC09414_R_20130329213604.jpg砲座間地下二階弾薬庫に下りる階段
DSC09415_R_20130329214854.jpg第一砲座への通路、揚弾井後がある
DSC09416_R_20130329214855.jpg天井のレールは腐食している
DSC09417_R_20130329214857.jpg第一砲座は鬱蒼と茂った樹木で暗い
DSC09418_R.jpg上部への階段
DSC09419_R_20130329214900.jpg砲座、伝声管
DSC09420_R_20130329215518.jpgこの通路を登ると
DSC09421_R.jpg井戸の遺構があるのだが、また見たくない物が横たわっている(手前)
DSC09423_R.jpg珍しく囲いがある
DSC09424_R_20130329221244.jpg元の所に戻って来た
DSC09426_R_20130329221246.jpg左奥の階段を登ると観測所があるのだが閉鎖されていたので、行かなかった
DSC09427_R_20130329221248.jpg左、看守衛舎と右、電灯所(発電所)遺構
DSC09428_R_20130329221249.jpg濾過槽付きの井戸
DSC09430_R.jpg前に紹介した刻印を二種類見つけた
DSC09431_R_20130329221920.jpg電灯所(発電所)天井は瓦が落ちてしまっている
DSC09432_R_20130329221922.jpg第三砲台を振り向く
DSC09433_R_20130329221923.jpg看守衛舎、砲台は常に兵が居る訳ではなく、ここに居る守人から連絡が入ったら集まってくる。
DSC09434_R_20130329221925.jpgレトロな台所
DSC09435_R_20130329222937.jpg
DSC09436_R_20130329222938.jpg
DSC09438_R_20130329222940.jpg
DSC09440_R_20130329222942.jpg
DSC09441_R_20130329222944.jpg
DSC09443_R_20130329223332.jpg
DSC09442_R_20130329223331.jpg
DSC09444_R_20130329223333.jpg
DSC09445_R_20130329223335.jpg
DSC09446_R_20130329223336.jpg
DSC09439_R_20130329223541.jpg第三砲台裏門(正規?)
DSC09437_R_20130329223540.jpg電灯所(発電所)
DSC09448_R.jpgアート
DSC09449_R_20130329223544.jpg
DSC09450_R.jpg
DSC09451_R_20130329224008.jpg
DSC09452_R_20130329224009.jpg
DSC09454_R_20130329224011.jpg名残惜しいが、第三砲台を後にする
DSC09455_R_20130329224012.jpgさらば友ヶ島第三砲台
DSC09456_R_20130329230159.jpg汲み取り遺構にベンチが着いている
DSC09457_R_20130329230201.jpg右の林の中に黒く塗った石柱が有った
DSC09461_R_20130329230203.jpg幾つか並んでいる
DSC09462_R_20130329230204.jpgまとめて捨ててある
DSC09463_R_20130329230631.jpgこれを登れば電灯所があるらしいが、行きそびれた
DSC09465_R_20130329230632.jpg斜面に壕がある
DSC09466_R_20130329230634.jpg下って左に折れて終わりであった
DSC09467_R_20130329230635.jpgまた違う壕
DSC09469_R_20130329231059.jpg排水設備
DSC09470_R.jpg排水溝が延々と続く
DSC09472_R.jpg最後の壕
DSC09474_R.jpgそして友ヶ島に別れを告げる


由良要塞 友ヶ島 第三砲台 その1

友ヶ島散策もおおず目となり、遂に最後の砲台第三砲台のみとなった。
この砲台は地ノ島最高峰に近い標高110m地点にある高砲台だ、規模も最大規模で
28cm榴弾砲、四座各二門の計八門が据えられていた。
しかしながら、幸か不幸か本土決戦が回避されたので、実戦ではただの一度も使用していない。
遺構としては、最高の状態を維持していると思われるが、もちろん金属泥棒の被害にはあっている。
やはりこの砲台の見所は比較的整備された砲座であるが、懐中電灯一本で、その倍以上の楽しみがある。
地下二層式の弾薬庫、棲息掩蔽部、装薬庫が地下迷宮を作り上げている。
更に、驚く事に右翼観測所として、航空機用ビーコンレーダーが据えられていて、レーダー射撃が
可能だった(うそ)
このレーダーの為に海底ケーブルで、島に電気が来るまでは、旧軍の発電機を近年まで使用していた。
DSC09356_R_20130328220154.jpg海軍聴音所を後に、第三砲台を目指す
DSC09357_R_20130328220155.jpg建物の痕跡は結構ある
DSC09358_R_20130328220157.jpg以外と近く、1.3Km程度の上り坂
DSC09359_R.jpg途中にあった、柱四本の空間、猿島要塞にもある
DSC09360_R_20130328220201.jpg神の島が小さく見える
DSC09361_R.jpgひたすら登って行くと、右手に便所遺構が見える
DSC09362_R_20130328220712.jpg写さなかったが、大便器(ただの穴)が見えるが使用不可
DSC09363_R_20130328220714.jpg第三砲台入り口の門柱
DSC09364_R_20130328220715.jpg土木学会選奨土木遺産
DSC09365_R_20130328220717.jpg案内板
DSC09366_R_20130328221255.jpgコンクリートパネルのスロープがある
DSC09367_R.jpg手前の通路にある地下二階に下りる階段、砲座間三ヶ所にある(立体的で説明しにくい)
DSC09368_R_20130328221258.jpgみんなが撮るだろうお決まりショット
DSC09369_R_20130328221259.jpg棲息掩蔽部が並ぶ脇の狭い通路
DSC09370_R_20130328221300.jpg周囲は回廊状になっている
DSC09371_R_20130328223208.jpg内部は全て繋がっている
DSC09372_R_20130328223210.jpg外周の回廊も繋がっている
DSC09373_R_20130328223212.jpg入り口上の通気孔に特徴がある
DSC09374_R_20130328223213.jpg左翼最奥の棲息掩蔽部
DSC09375_R_20130328223215.jpgレンガのアーチ模様が凝っている
DSC09376_R_20130328224337.jpg一部地下水が染み出している
DSC09377_R_20130328224339.jpg最奥の扉跡
DSC09378_R_20130328224341.jpg木製の鴨居が残る
DSC09379_R_20130328224342.jpgこれは他の所にも残っていた
DSC09380_R_20130328224344.jpg電灯所(発電所)へのトンネル、今は行かない
DSC09381_R_20130328225045.jpg戻って地下の弾薬庫に下りる
DSC09382_R.jpgやはり狭い通路はここにもある
DSC09383_R_20130328225047.jpg本通路
DSC09384_R_20130328225049.jpg途中に上に上がる階段がある
DSC09385_R_20130328225050.jpg反対側の出口、貫通している
DSC09386_R_20130328230214.jpg弾薬庫入り口
DSC09388_R_20130328230216.jpg内部、漆喰がかなり残っている
DSC09389_R_20130328230217.jpg隣の狭い通路
DSC09390_R.jpg上を見上げてみる
DSC09391_R_20130328230220.jpg地下一階通路
DSC09392_R.jpg奥に砲座が見える

次回砲座

由良要塞 友ヶ島 海軍聴音所

基本的に要塞を築き、そこを守るのは陸軍だ。
もちろん海軍基地や、造船設備、飛行場などがあり、要所となる所には海軍砲台もある。
由良要塞、友ヶ島に関しても、陸軍管轄の島であるが、その中に唯一海軍施設が有る。
それが友ヶ島海軍聴音所である、さぞかし肩身が狭かったろう・・・
(公式)に、この海軍聴音所が発見されたのは、正確な年号は分からないが、平成になってからだ。
もちろん地元の人は知っているし、自分の手元にも資料にその存在が書かれている。
内部に書かれた落書きにも、一番古いのは昭和41年の年号があった。
聴音所とは水中のソナーで敵艦や潜水艦のスクリュー音などを察知し、発見し通報する為の物なのだが
何故にこんな高台にある?、普通海岸線だろうに、目視による監視所も兼ねているせいだろうか?
陸軍の島で、割り当てられたのがここだっただけなのか?
djvu2jpeg - コピー_R赤丸の部分に聴音所の文字が書かれている
DSC09314_R.jpg防備所跡地
DSC09315_R_20130327210346.jpg海岸の浸食はかなり激しい
DSC09316_R_20130327210008.jpg第二砲台からの尾根道をひたすら上ると、崖に壕が3つほど見える、上の図にも見え難いが、遂道と書かれた物が数本見て取れる、恐らくこれだろう。
DSC09317_R.jpg途中に暗くて見難いが、大き目の水桶がある
DSC09318_R.jpgこの辺にも防空壕はある
DSC09319_R.jpg道がスロープ状になり左側に兵舎基礎が見える
DSC09320_R.jpg残っている物がみんな四角い感じがする
DSC09321_R_20130327211413.jpg聴音所に着いたが、船で一緒だった、MIXI系の様なグループに出会う
DSC09322_R.jpg軽く周りながら、立ち去るのを待つ(写真に写りこんでしまう)
DSC09323_R.jpgまずは二階によじ登る、2m程度だ
DSC09324_R.jpg内部に入ってすぐ左に下への穴がある、階段は無く梯子を使っていたのだろう、壁に跡も有る
DSC09325_R.jpg内部全体、4X4mぐらいだろうか
DSC09326_R.jpg陸側方向
DSC09327_R.jpg二階の天井上にも石のカムフラージュが施されている
DSC09328_R.jpgなんか穴がある、煙突でもあったのか?
DSC09330_R.jpg二階天井外周にボルト跡があるなんだろう?
DSC09331_R_20130327222843.jpg取り合えずもう一段登る
DSC09329_R_20130327222840.jpg眺め最高!兵舎跡も良く見える
DSC09332_R.jpg下に降りると、とのさんも登ろうとしている
DSC09334_R.jpgこうして見ると二階が隠れて、平屋に見える
DSC09335_R_20130327223715.jpg一階内部を覗き込む
DSC09336_R.jpg入り口に周る途中にカマドの様な物がある
DSC09337_R.jpg入り口入ってすぐ右にある部屋
DSC09338_R.jpgまるでトイレの様な部屋だ、中には水が溜まっていた
DSC09339_R_20130327223721.jpg電気配線の跡がある
DSC09340_R.jpg二階テラスで見た穴の一階側
DSC09341_R_20130327224346.jpg作業台?
DSC09342_R.jpgこれも不明な台座、壁に煙突の様な穴も有る
DSC09343_R_20130327224349.jpg何故かオレンジ色の部屋
DSC09344_R_20130327224351.jpg壁には何かを取り付けた跡がある
DSC09345_R_20130327225045.jpg全体的にこの建物は湿っている
DSC09346_R_20130327225046.jpgカムフラージュに被せてある土のせいだろう
DSC09347_R_20130327225048.jpg見難いが天井には防音材が張ってある
DSC09348_R.jpgほぼ一面に張ってある
DSC09349_R_20130327225051.jpg70余年の廃墟美
DSC09350_R.jpgYUKI、41年8月28日(見つけた中で一番古い)
DSC09351_R.jpg壁のコケが迷彩に見える
DSC09352_R_20130327230008.jpg小便器
DSC09353_R_20130327230010.jpgこっちは大?、汲み取り用?
DSC09355_R_20130327230454.jpg周辺には四角い構造物が多い
DSC09354_R_20130327230453.jpg海軍聴音所を後にする

明日はメインの第三砲台

由良要塞 友ヶ島 第一砲台(灯台)その2

前回の続き
DSC09278_R_20130326203253.jpgここは下から登って来ると、大抵最初に見る閉鎖された門の裏側
DSC09280_R.jpg漆喰の塗られた所と無い所の区別は何だろう?
DSC09281_R.jpgゴミだらけで、入れない
DSC09282_R.jpgさくっと登る
DSC09283_R_20130326205840.jpg砲座は結構上にある
DSC09284_R_20130326205841.jpg砲座の伝声管、カノン砲なので、胸檣が低い
DSC09285_R_20130326205843.jpg地下の掩蔽部の通風口
DSC09286_R_20130326205844.jpg砲台長位置だと思う
DSC09287_R_20130326205846.jpg位置を変えて見ると、階段が数段ある
DSC09288_R_20130326211910.jpgこの木のとげは非常に痛く、いっぱい生えているので、傷だらけに成る
DSC09289_R_20130326211911.jpg各横檣 に一つづつ通気孔はある
DSC09290_R_20130326211913.jpg第三砲座を上から見る
DSC09291_R_20130326211914.jpg第三砲座の胸檣を破壊して、展望公園に道が築かれている
DSC09292_R_20130326211916.jpg第三第四砲座後の棲息掩蔽部この煙突は何だろう?右はトンネル
DSC09293_R_20130326220802.jpg一部通口出来ない所がある
DSC09294_R.jpgものすごいきれいな状態だった
DSC09295_R.jpg三枚上の写真のトンネル内から見ている、火気厳禁
DSC09296_R.jpg第四砲座、状態はイマイチ
DSC09298_R.jpg砲座左に歩いて行くと、切り通しの通路
DSC09299_R_20130326222530.jpg角が階段になっている
DSC09300_R_20130326222531.jpg登って先を見てみると何かある!
DSC09301_R.jpg左翼観測所だ、右翼より状態がいいが、何か臭う
DSC09302_R_20130326222534.jpgとのさんが剥がれたコンクリートを集めている
DSC09303_R_20130326222536.jpgしばし二人で修復を試みる
DSC09304_R_20130326223315.jpg内部、暫く中に入る事を躊躇していたが覗いて見るとやはり在ったあれが!
DSC09305_R_20130326223316.jpg座る様に事切れているあれには悪いが、手早く撮影する
DSC09306_R_20130326223317.jpg激しく入りたくない!
DSC09307_R_20130326223319.jpg呼吸を止めて、突入する
DSC09308_R_20130326223320.jpg観測器台座の中央に伝声管があるが、何処に繋がっているのだろう?
DSC09310_R_20130326224348.jpgスリットから外を見る、その足元には・・・
DSC09313_R_20130326224351.jpgガマンの限界!脱出する
DSC09312_R.jpg昼飯は右翼観測所で食っといて良かった


明日は海軍聴音所の予定

由良要塞 友ヶ島 第一砲台(灯台)その1

友ヶ島第一砲台は、友ヶ島灯台の所にあるので、探しやすいだろう。
ただし、他の砲台と一線を改した構造となっている為、基本的に立ち入り禁止となり
鉄格子の門が閉められているのだ、理由は高低差にある、砲台部と下部棲息掩蔽部までの
落差は、砲台長位置辺りからだと、10m以上有るのではないだろうか?
当時は柵も有ったろうが、金属の柵は盗まれ、当時よりも危険な状態になっている。
一般客は脇の階段から灯台には登れるので(灯台には入れない、海の日とかだと入れるらしい)
上部外周は見る事が出来る。
備砲は27cmカノン砲四座四門であるが、この砲はなかなかで、射程1万mを誇る。
要するに友ヶ島から大阪湾を攻撃する事も可能なのだ(進入された場合)
DSC09242_R.jpg途中の防空壕
DSC09243_R.jpg灯台なので運輸省管轄
DSC09244_R.jpgレンガ遺構が見える
DSC09245_R.jpg木造の上屋が無くなった便所遺構
DSC09246_R.jpg延々と登って行くと、様々な遺構が出て来る
DSC09247_R.jpg元は砲台の位置に在った物を、移築した様だ
DSC09248_R.jpg下部棲息掩蔽部入り口は閉ざされている
DSC09249_R.jpgここには何があったのだろう
DSC09250_R.jpg灯台到着、ライトから海面まで高さ60mあるそうだ
DSC09251_R.jpg機銃座の様な痕跡
DSC09252_R.jpg平成20年に近代化産業遺産に指定されている
DSC09253_R.jpgカマドと煙突のようだ
DSC09254_R.jpg灯台の裏手の道を回りこんで行くと
DSC09255_R.jpg何か見えて来る
DSC09256_R.jpg右翼観測所だ、装甲天蓋の現存は非常に稀だ
DSC09257_R.jpg横のコンクリートの分厚さが分かるだろうか?
DSC09258_R.jpg内部全景
DSC09259_R.jpg観測器を取り付ける台座3本
DSC09260_R.jpg観測窓開閉用のレール
DSC09262_R.jpg天井の内張りは木製
DSC09263_R.jpg全体写真、大きいので撮り難い
DSC09264_R.jpg上のコンクリートの大半は剥がれてしまっている
DSC09265_R_20130325223757.jpg天蓋の上で飯を食う人物比のとのさん
DSC09266_R.jpgアッガイのようだ
DSC09267_R.jpg外側から覗き込む
DSC09268_R.jpg階段を下りて行く
DSC09269_R.jpg3月でもこんな感じでよく見えない
DSC09270_R.jpg人物比で高低差が分かるだろうか?
DSC09271_R.jpg地下弾薬庫(トンネル部)
DSC09272_R.jpg伝声管も残っている
DSC09273_R.jpg覗き込む
DSC09274_R.jpg弾薬庫前室
DSC09275_R.jpg外にでる
DSC09276_R.jpg塞がれた弾薬庫
DSC09277_R.jpg上に残る、弾薬運搬用クレーン

由良要塞 友ヶ島 第二砲台その2

前回に引き続き、友ヶ島第二砲台を紹介する。
DSC09192_R.jpgそれでは、弾薬庫通路に下りて行く、大阪湾のゴミが集まって打ち上げられている
DSC09191_R.jpg弾薬庫前でこんな出っ張った石を見る事があると思うが、これはクレーン基礎石で金属は盗られているのだ
DSC09193_R.jpg漆喰の塗られた弾薬庫
DSC09194_R.jpg天井の大穴
DSC09195_R.jpg見上げると、上の通路部天井のクレーンレールが見える
DSC09196_R.jpg入り口方向を振り返る
DSC09197_R.jpg明治砲台の地下式掩蔽部には、弾薬庫の上にはアーチ(目隠し)が架かり、生息部には無い事が多い
DSC09198_R.jpg二つ目の弾薬庫(ゴミだらけ)
DSC09199_R.jpg右側には1mほどの物置の様な物が続く
DSC09200_R.jpg見上げると、えらい下の方に居る気がする
DSC09201_R.jpg何かの台座?
DSC09202_R.jpg通常この形状は地下式掩蔽部の地上通風口部なのだが?
DSC09203_R.jpgゴミの下に部屋があるのか?
DSC09204_R.jpg三つ目の弾薬庫
DSC09205_R.jpg何故かベットがある
DSC09206_R.jpg入り口方向
DSC09208_R.jpg中央上にクレーン基礎が有るのが分かるだろうか?左の地上から砲弾を吊り下げ、左側の弾薬庫に収める回転式クレーンだ
DSC09209_R.jpg待望の崩落地点だ
DSC09210_R.jpgコンクリの塊がぶら下がっている、これは上に手すりとして付いていた鉄棒が土台のコンクリートごと剥がれ、通路上で垂れ下がっている物だ、下を通るのはちょっと引ける
DSC09211_R.jpg次の弾薬庫は風通しが良さそうだ
DSC09212_R.jpg反対側のアーチが引っこ抜けた部分
DSC09213_R.jpgレンガの色が違うのが分かるだろうか?通称焼きすぎレンガと言い、強度が高く後期になると殆んどこっちを使うそうだ
DSC09214_R.jpg前回登ったのが写真上の最上部(眺め最高!)
DSC09215_R.jpg戦艦の砲塔がひっくり返って、バーベットから抜け落ちた様な砲座部分
DSC09216_R.jpg写真中央の円筒形は弾薬庫の揚弾井(ようだんせい)だけが残っている
DSC09217_R.jpg瓦礫の上を飛び回る
DSC09218_R.jpgとのさんはくつろいでいる
DSC09219_R.jpgさっき居たのは奥の瓦礫の上、とのさんはまだくつろいでいる
DSC09220_R.jpg部屋があった様な部分、コンクリが塗られている
DSC09221_R.jpg第二海堡を思い出す、あそこも楽しい
DSC09222_R.jpg実は二人でずっと刻印を探していたのだが、見つかったのはこれ一つ
DSC09223_R.jpg奥に倒れた壁が見える
DSC09224_R.jpgまるで滑り台の様だ
DSC09225_R.jpg狭い隙間に潜り込む
DSC09226_R.jpg絶妙なバランスで積み重なっている、場所の寄っては触ると動く
DSC09227_R.jpg左上に浮いているのが、先に言った弾薬庫の揚弾井
DSC09228_R.jpg良く見ると天井は若干壊れている
DSC09229_R.jpgとのさんが天井を持ち上げる!なんか動いた様な気がする
DSC09230_R.jpg上に上がって前回見たトーチカに行く、庇付きで分厚そうだ
DSC09231_R.jpg銃眼前の謎の穴
DSC09232_R.jpg銃眼を覗き込む
DSC09233_R.jpg横を登り、回り込む
DSC09234_R.jpg実はトーチカは爆破されている
DSC09235_R.jpg隙間から覗き込んだ銃眼部内側
DSC09236_R.jpgしかし内側の遂道部は健在
DSC09238_R.jpg普通に抜けられる
DSC09239_R.jpg出口外側から
DSC09241_R.jpg出た所から、トーチカを見下ろす
DSC09240_R.jpg第二砲台を眼科に見下ろす、かなり楽しめた!

次は灯台及び第一砲台、また二部構成に成りそうな気がする

本題に関係無いが横須賀の横須賀海軍工廠造兵部 その3で紹介した工場群及びガントリークレーンの取り壊しが始まったとの774様からの情報で、早速見に行った。
DSC00001_R_20130324232324.jpgもはや壁しかない
DSC00003_R.jpgガントリー下は設備等、撤去済み
DSC00007_R_20130324232328.jpg隣が民間の稼動会社なので、後回しになっているのだろうが、足場は組んである
DSC00014_R_20130324232329.jpg無残なり

情報を下さった774様、有難うございます、出来る限りレポートして行きたいと思ってますので
情報をお持ちの方はこの物件以外でも、気軽に書き込んで下さい。

由良要塞 友ヶ島 第二砲台その1

友ヶ島第五砲台の斜面を駆け下り眼前に見える第二砲台に向かう。
備砲は27cmカノン砲、単装砲で四座あったが、現状判別は難しい。
ここは沖ノ島の中でも一番見た目で有名なのではないだろうか?
そう、この砲台は戦後米軍に破壊の限りを尽くされ、もっとも破損が激しいのだ。
しかし、自分は整然ときれいな砲台もいいが、こっちの方がそそられる、廃墟にも通じる
破壊による美しさが何とも言えない!、管理サイドもそこら辺を分かっているのか、転落防止の
ロープこそ有るものの、立ち入り禁止札は見てない!、現に自分らより先に老夫婦が崩れた瓦礫の狭間で
弁当を食っている、挨拶し話を伺うと、土地の人間だがこの砲台は以前より大分崩れて来たよと
教えてくれた、その後二人は瓦礫の下をくぐり、何事も無かったように、去って行った。
本題は、第五砲台の斜面を下りた辺りから紹介して行く。
DSC09150_R_20130323183706.jpg車道の路肩が崩れてしまい、車での往来が出来なくなってしまっている。
DSC09151_R_20130323183707.jpg自販機はあるが、夏しか店が開かないので、電源が入ってない
DSC09152_R_20130323183708.jpg蛇ヶ池、この辺に友ヶ島防衛所があった
djvu2jpeg - コピー_R元は青図面なので、文字の所だけ反転して張って置く
DSC09153_R_20130323183710.jpg当時の護岸、砂浜には煉瓦が散らばっている。
DSC09154_R_20130323183712.jpg井戸と洗い場の遺構
DSC09155_R_20130323192127.jpg第二砲台に着いたが、他と違い門柱が無い様だ
DSC09156_R_20130323192128.jpgわき目も振らず左に行くと
DSC09157_R_20130323192130.jpg柵の無い所から中に入れる
DSC09158_R.jpg早速砲座に登る、これは第四砲座
DSC09159_R.jpg下の通路を覗き込む
DSC09160_R.jpg反対側、下まで7~8mぐらいか
DSC09161_R.jpg第三~四砲座間の通路、第三側
DSC09162_R.jpg第四側、何故か瓦が大量に置いてある、階段状で都合がいい
DSC09163_R.jpg第三砲座の円形ボルト
DSC09164_R.jpg丘を見上げると何かある、取り合えず後にする
DSC09165_R_20130323195142.jpg砲座脇にある、便所遺構
DSC09168_R.jpg海に係船用か、潮位計測用か分からないコンクリート柱が立っている
DSC09167_R.jpg鉄筋は入ってないが、この分厚いコンクリートが割れている
DSC09169_R.jpg海側全景、崩れ具合が分かるだろうか?
DSC09170_R.jpg外周を見て周る
DSC09171_R.jpg
DSC09172_R.jpg
DSC09173_R.jpg
DSC09174_R.jpg近代テトラポットで補強されている
DSC09175_R.jpg護岸の残っている端っこまで来た
DSC09176_R.jpg誰かが悪戯で有刺鉄線を巻き付けている、危ないな~
DSC09177_R.jpgリアル、スーパーマリオが出来そうだ(レンガブロックあるし)
DSC09178_R.jpgまるで、引き裂いた様な傷跡だ
DSC09180_R.jpg破壊の美学を感じる
DSC09181_R.jpg下の通路は瓦礫で埋まっている
DSC09182_R.jpg自分の影撮り
DSC09183_R.jpg揚弾井、蓋が付いている
DSC09184_R.jpg第二砲座方向を見る
DSC09185_R.jpg沖合いをタンカーが通過する、丁度こんな感じで砲撃するのだろう
DSC09186_R.jpg排水溝の蓋
DSC09187_R.jpg更に登る、下をとのさんが通過する
DSC09188_R_20130323215932.jpg最頂部に登った
DSC09189_R.jpgコンクリートとレンガのコントラスト
DSC09190_R.jpg第三砲座から第四砲座方向、揚弾井が見える

長くなりそうなので、第二砲台は二回に分ける事にする
明日は横須賀の観音崎砲台でイベントがあるので参加しなければ、今月五回目の横須賀遺構周り・・・

関連サイトでは、ジオラマモードとかゆう、写真で紹介しているので、こちらも合わせて見て下さい。

由良要塞 友ヶ島 第五砲台

友ヶ島の砲台の中でももっとも近く、行きやすい所だろう。
なだらかな道で到達出来るのは、第二砲台だろうが、いかんせん素人には危険だ。
さて、第五砲台だが、12cmカノン砲三座二門づつの、計六門が据えられていた。
ここに行くのは、いろんな遺構が途中にあって、面白いかもしれないが廃墟への立ち入りは危険だ。
DSC09105_R_20130322212509.jpg前日に引き続き、友ヶ島に上陸する。
DSC09106_R_20130322212511.jpgまずは第五砲台に向かって上り始めると右手に壕がある
DSC09107_R_20130322212512.jpgしかし浅く小さな物だ
DSC09108_R_20130322212514.jpg下に見えるダムは当時物で、未だに使われているらしい
DSC09109_R_20130322212515.jpgすぐに弾薬庫の営門が見えて来た
DSC09110_R_20130322213228.jpg衛所跡だろうか?
DSC09111_R_20130322213230.jpg門をくぐり、振り返る
DSC09112_R_20130322213232.jpg何かの基礎がある
DSC09113_R_20130322213234.jpg石垣と排水溝
DSC09114_R_20130322213235.jpg排水溝は地面に消えて行く
DSC09115_R_20130322214019.jpg木造の弾薬庫が見えて来る(若干壊れている)
DSC09116_R_20130322214020.jpg弾薬庫特有の防湿用の通気孔
DSC09117_R_20130322214022.jpg床上面は煉瓦だが、形状が面白い!
DSC09118_R.jpg誰かが岩を置いている(良く持ってきたな)
DSC09120_R.jpg実に面白い形である
DSC09121_R_20130322222652.jpg残存部分、4分の1位か
DSC09122_R_20130322222653.jpgまるで意図的にカッティングモデルにしたみたいだ
DSC09123_R_20130322222656.jpg砲台側の門のそばに便所がある
DSC09124_R_20130322222657.jpg何も無い便所、便器も無い?
DSC09126_R.jpg井戸と濾過槽だろう
DSC09128_R.jpg第五砲台が見えて来た
DSC09129_R_20130322223611.jpg若干狭い棲息掩蔽部、奥は丸い
DSC09130_R_20130322223613.jpg第三砲座下部分
DSC09131_R_20130322223614.jpg留め金が残っているが、何を置いていたのだろう、ここは砲座ではない、その下だ
DSC09132_R_20130322223616.jpgもう一つの棲息掩蔽部は危険物屋内貯蔵所と書いてある
DSC09133_R_20130322224647.jpg小さな階段がある
DSC09134_R_20130322224649.jpg第二砲座下、砲側予備弾薬置き場なのだろうか?三式12cm高射砲なら薬莢方式だから上が高いのか
DSC09135_R.jpgこちらは砲座の砲側予備弾薬置き場
DSC09136_R_20130322224653.jpg砲座は荒れている
DSC09137_R_20130322224654.jpgこの辺はましだ
DSC09138_R_20130322231148.jpg三つ目の棲息掩蔽部
DSC09139_R_20130322231150.jpg最深部から
DSC09140_R_20130322231152.jpg砲座への階段、手摺りがあった跡が少し残っている
DSC09141_R_20130322231153.jpgここにも井戸状の?がある
DSC09142_R_20130322231154.jpg止め金具が良く残っている
DSC09144_R.jpg第三砲座には戦後の水タンクが置いてある
DSC09145_R.jpg上の広場にはいろんな施設跡が残る
DSC09146_R.jpg排水溝と四角い床
DSC09148_R.jpg海岸に下りる階段、少し崩れているので注意
DSC09149_R.jpg便所跡
DSC09147_R.jpgここからは、第二砲台が見える

明日は第二砲台

由良要塞 友ヶ島 垂水 野奈浦桟橋付近

虎島から寄り道せずに垂水まで戻って来た、とのさんは小休止すると言うので
自分はちょっと見て来ると、ひとっ走りキャンプ場を一回りする。
言わずと知れた、兵舎跡地で島内生活の中心的な生活空間だっただろう。
混同され易いが、友ヶ島防備衛所はここではなく、池尻広場蛇ケ池周辺の方である。
DSC08994_R.jpg基礎の写真を撮っていたら、奥の茂みから鹿が出て来た、写真を撮ろうと構えたら、逃げてしまった
DSC08995_R.jpgここにある井戸は旧軍の掘った物をそのまま使っているが、飲む事は出来ない
DSC08996_R.jpgこの手動ポンプは当時の物かは分からないが、普通に使えた
DSC08997_R.jpg広いキャンプ場に見えるが、結構ぬかるんだ湿地が有るので、歩行注意
DSC08998_R.jpg所々に基礎は残るが、なんだったかは不明
DSC08999_R.jpgミステリーサークルの向こうに居るキャンパーと、しばし話し込む、前日から居るらしい
DSC09000_R.jpg後の井戸とセットの遺構だろう
DSC09001_R.jpg三角マークは何だっけ?高波注意だっけ?
DSC09002_R.jpg戦跡では無いだろうが、何だろう
DSC09003_R.jpg古いコンクリートのポンプ場だろうか?
DSC09004_R.jpgとのさんと合流し、桟橋に向かう途中に落ちていた電柱?(照明所付近にも黒いのが落ちている)
DSC09005_R.jpg野奈浦桟橋に戻って来たが、出港まで一時間はある様だ、付近をうろつく
DSC09006_R.jpg8インチ砲弾が飾ってある
DSC09010_R.jpg隣の石柱はあまり読めない
DSC09011_R.jpg方位盤のレプリカか?
DSC09012_R.jpg友ヶ島管理事務所、もしもの時はここに救護所的な物もある
DSC09013_R.jpgこの辺は平坦地が続くので、昔軍関係の建て物の跡に海の家等が立っていたのだろう
DSC09014_R.jpg先を見たかったので、神社には寄らなかった
DSC09015_R.jpgどう見ても兵舎跡地
DSC09016_R.jpg散策路沿いの防空壕
DSC09018_R.jpgご他聞に漏れず、常連釣り客の道具置き場
DSC09019_R.jpg少し進むと廃墟群が顔を見せる
DSC09020_R.jpgその奥に異彩を放つ建物がある
DSC09021_R.jpg堅牢な作りで、未だに原型を保っている、外観は・・・
DSC09026_R_20130321220328.jpg少し大陸風な感じがする、高級将校用か?(この辺は防備隊エリアの中だ)
DSC09039_R.jpgその先の土蔵風の建物
DSC09040_R.jpg一部改修されているが、当時物だろう
DSC09041_R.jpg中を伺う事は出来なかった
DSC09042_R.jpgもう一つ砲台を見たかったが遅れると、他の迷惑になるので戻る
DSC09044_R.jpg煉瓦台座とはいえ、全部が当時物ではないだろう
DSC09045_R.jpg小さいがなんだろう?
DSC09046_R.jpg奥にも煉瓦作りの建物が!
DSC09047_R.jpg発電機室の様だ
DSC09048_R.jpg後に煙突が聳え立つ、猿島に似ている
1_20130321223938.jpgここに発電機室とあるが、場所が若干合わない
DSC09050_R.jpg裏には巨大な貯水池が、冷却水か?
DSC09051_R.jpg貯水池から煙突を見る
DSC09053_R.jpg桟橋に戻るが、船は来ていない
DSC09054_R_20130321224310.jpgこの護岸は当時のままだ
DSC09055_R_20130321224311.jpg内部撮影
DSC09056_R.jpg船が来た、完全な不完全燃焼状態で島を後にするが、無理を言って明日も再訪する事にした。
 
そして、体力が余っていた二人は食事等すませ、由良要塞 加太地区 深山第一砲台 (深夜)へと向かうのであった。
そして明日も友ヶ島へ行くのであった。


由良要塞 友ヶ島 虎島堡塁

沖ノ島の更に先端に位置する虎島堡塁。
堡塁…そう、砲台ではない、旧陸軍では要塞の背面方向である陸地側に向いて、上陸してきた敵部隊に応戦するための防御砲台の事を言う。また、敵艦船攻撃用の堡塁は砲台と称し、両方の機能が有る物を堡塁砲台と言う。
ここに据えられていたのは、九cmカノン砲4門だった。
野奈浦桟橋から虎島堡塁まで、キロポストによると2.7キロになっているが、当然ながら未舗装の旧軍道を
かなりの登り下りを含み、海風もあり体力の無い人にはお勧め出来ない距離にある。
自分等が野奈浦桟橋に付いたのが約11時半、北垂水、第四砲台と周りながら虎島堡塁に到着したのが13時だ。
しかも潮位によっては、せっかく其処まで行っても渡れないもしくは、帰りの潮位はどうかも考える。
まぁ、其処まで気にしなくても、潮はまた引くし、この島にはキャンプ場もあるし(飲める水は無いが)最悪
緊急呼び出しが有り(船着場)、費用個人負担で島まで船が迎えに来てくれるので、安心だ。
なお、自分はドコモだが、全島地下以外は通信圏内だった。
DSC08939_R_20130320153811.jpg虎島まで跡1.3km約半分
DSC08940_R_20130320153812.jpgこの辺まではガレも無く、ハイキング気分だ
DSC08941_R_20130320153814.jpg開けた所に出ると、まだ、虎島の虎の字も見えない
DSC08942_R_20130320153815.jpgやっと見えて来たが、代わりに道らしい道が消える
DSC08943_R_20130320153817.jpg後は山頂から下まで崖を降りるだけ
DSC08944_R.jpg下りた所に案内板があった
DSC08945_R.jpgその近くに閼伽井碑がある、元は修行の為の島だったそうだ
DSC08946_R_20130320154934.jpgガレているので、防波堤の上を歩く
DSC08947_R.jpg崩壊部分に到着、十分渡れる
DSC08948_R.jpg虎島側はまだ崩れていない(これからだ)
DSC08949_R.jpgきれいな石組だ、明治の土木技術の高さが伺える(崩れたけど)
DSC08951_R.jpgかつての突堤桟橋
DSC08952_R.jpg武器を持ち迎撃体制で防空壕を覗くとのさん
DSC08955_R.jpg島には結構防空壕が掘られているが
DSC08959_R.jpgいずれも小規模で浅い
DSC08960_R.jpg崖に排水溝がある、虎島堡塁は近い
DSC08961_R.jpg煉瓦の遺構が見えて来た
DSC08962_R.jpgその先に営門がある
DSC08963_R.jpgなぜ、営門の脇にトイレがあるのだろう?(来る時、遠いから間に合わないとか)
DSC08964_R.jpg砲台トイレの窓は十字が多い気がする
DSC08965_R.jpgトイレ脇の兵舎跡
DSC08966_R.jpg井戸がある
DSC08967_R.jpg三点濾過式井戸
DSC08969_R.jpgその脇のスロープを下りると一風変った掩蔽部が3つある
DSC08980_R.jpg手前のひとつは入り口に両の小窓が無い
DSC08981_R.jpg真ん中は普通
DSC08970_R.jpg最奥は穴がある、特大の・・・
DSC08971_R.jpg当時の扉と思われる物が落ちている
DSC08973_R.jpgそれを足がかりに下りてみる
DSC08975_R.jpg穴は左に続いている
DSC08974_R.jpg小森さんもいる
DSC08976_R.jpg一部更に崩落している
DSC08977_R.jpg超~狭い
DSC08978_R.jpg越えると少し広くなるが、更に左に折れて10mほどで終わり、財宝は無かった。
DSC08979_R.jpgでわ、また登ろう
DSC08983_R.jpg一瞬ロープを上げて隠れようかと思ったが、ロープなんか無くても登れる高さなので、つまらないからやめた。
DSC08984_R.jpg階段を登り、上の砲座に行く
DSC08985_R.jpg砲座は左側が崩れていたが、戦後の爆破などは何も無い様だ
DSC08986_R.jpg上にあるこの円形物は何だろう、他の砲台でも見かけた・・
DSC08989_R.jpg船着場から遠い為、訪れる人も少なく、自然に帰ろうとしている
DSC08991_R.jpg砲座の半分ほど土に埋まり大木も芽生えている
DSC08992_R.jpgあと100年もして訪れたら何も無さそうだ
DSC08990_R.jpg三角点なのか?
DSC08987_R.jpg砲座間の生息掩蔽部の通気孔(蓋の破片らしき物が落ちている)
DSC08988_R.jpg掩蔽部は普通だった、さて弾薬庫は何処に?9cm砲弾だから掩蔽部に保管したのか?

本当はもっとじっくり見たかったのだが、時間が無いのでここで撤収する事にする。
実は虎島堡塁に付く前に船会社から連絡があった、天候が悪いので3時までに野奈浦桟橋にもどって来てくれと!
乗船時に緊急連絡番号を書かされるのだ、島には危険な箇所も多く、天候次第で今回の様に最終便が5時前に切り上げられてしまう事がある為だ。
現在13:30時間的には余裕だがここは虎島の最先端近くなので、戻る事にする。

由良要塞 友ヶ島 第四砲台

友ヶ島第四砲台は二十八cm榴弾砲六門、三座に二門づつの備砲だった。
友ヶ島の砲台の内、第四砲台だけは大正期の要塞整理計画で廃止となっていて、第四砲台はそれ以来放棄された様だ。
当時は海抜85mとゆう高所とすり鉢状の構造から、敵艦船から視認不能で湾内に侵入されてからも、360度射撃可能なので、追撃も出来るとゆう、有利な状態を想定していたが、航空機から丸見えとゆう概念は無かった。
DSC08862_R_20130319210340.jpgこの廃屋(将校宿舎)の右手前に、右翼トンネルが有る
DSC08863_R_20130319210343.jpg加太と違い、柵も何も無いので注意しよう、とりあえず左翼に回る
DSC08868_R_20130319210344.jpg左翼には緩やかなスロープを下りて行く(人物比tonotama氏)
DSC08869_R_20130319210346.jpg足元に開いていた壁の穴
DSC08870_R.jpg左に棲息掩蔽部が3つ、右に左翼トンネルがある
DSC08871_R_20130319211821.jpg外観は3つとも同じだ
DSC08874_R_20130319211823.jpg奥で繋がっている
DSC08875_R_20130319211824.jpg天井の通気孔
DSC08876_R.jpg入り口方向、入り口上の通気穴が特徴的
DSC08878_R.jpg奥の連絡通路
DSC08881_R_20130319220019.jpg棲息掩蔽部、並んでいると何かいい感じ
DSC08883_R.jpg左翼トンネル、しかし、中は水が溜まりぬかるんでいたので、右翼に回る
DSC08888_R_20130319220021.jpg飲料水路、この石柱はまだ読みやすい
DSC08889_R_20130319220023.jpg少し戻った所に井戸がある
DSC08891_R_20130319220828.jpg丸いのと
DSC08892_R.jpg四角いの、これは濾過槽になっている
DSC08890_R.jpg右翼トンネルに下りて行く
DSC08894_R.jpg階段は松の葉で埋まっている
DSC08895_R_20130319221447.jpg下りた所に有る排水溝?
DSC08896_R_20130319221448.jpgこちらは乾いている
DSC08897_R.jpg右手に弾薬庫がある
DSC08898_R_20130319222156.jpg手前は防湿用の通路と思われる、弾薬庫側に窓が3つある
DSC08902_R_20130319222159.jpg弾薬庫、謎通路側を見る、余談だが砲弾とは温度管理が重要視されている、安全だけではなく、火薬の温度、湿度により到達距離や散布界に至るまで微妙に変ってくるのだ、遠距離射撃なら尚更だ。
DSC08900_R_20130319222157.jpg奥の天井にぶっとい穴がある
DSC08901_R_20130319222158.jpg床にもある
DSC08905_R.jpg階段を登る
DSC08904_R.jpg通路に円形の蓋が、奥は第一砲座方向
DSC08907_R.jpg揚弾井(蓋は安全用の後付けだろう)
DSC08906_R.jpg金属を抜いた跡が壁に有る、壁にレールを打って、横移動していたのだろう
DSC08908_R.jpg通路天井に砲弾を吊り上げるクレーンのレールが有るが、壁方向に切ってある
DSC08909_R.jpgジャングルと化した砲座に出る
DSC08910_R.jpgどうやって向こうに行こうか迷う
DSC08911_R.jpg砲座入り口
DSC08912_R.jpg2門ある砲座間の排水溝
DSC08913_R.jpg各砲座には、上に上がる階段が中央にある
DSC08914_R.jpg予備弾頭置き場の蓋の金具が残っている
DSC08916_R_20130319224358.jpg砲座部は全く見えない
DSC08917_R_20130319224401.jpg第二砲座全景
DSC08918_R_20130319224402.jpg第三砲座に向かう
DSC08919_R_20130319224404.jpg左翼トンネルの階段
DSC08920_R_20130319225301.jpg左翼弾薬庫、ぬかっている
DSC08923_R.jpgその上の揚弾井
DSC08924_R.jpg天井のクレーン跡
DSC08925_R.jpg金具を抜いた穴
DSC08926_R.jpg排水溝
DSC08927_R.jpg第一砲座に出る
DSC08928_R.jpg中央付近にボルトが見える
DSC08929_R.jpg水没しているが、輪郭はきれいだ
DSC08930_R.jpg階段を上に登る
DSC08931_R.jpg砲台長位置がある
DSC08932_R.jpg鍵穴形をしている
DSC08933_R.jpg内部全景
DSC08934_R.jpg下部通路への連絡通路、階段は無く梯子を使う
DSC08921_R.jpgこれが下側から見た通路
DSC08935_R.jpg左右に金具の跡がある
DSC08936_R.jpg腰の高さぐらいか
DSC08937_R.jpgでは、虎島に向かう
DSC08938_R.jpg途中の兵舎跡

由良要塞 友ヶ島 第四砲台兵舎

3月10~11日にかけて、二日がかりで友ヶ島を周った。
友ヶ島に関しては時系列に沿って、紹介して行くが、行き方は人それぞれなので
行った事のある人には、イメージが合わないかも知れない。
とにかく島全部が要塞になっているので、1日目だけでも2万5千歩以上歩いた。
つわものになると、1日で全島内周るそうだが、自分には無理だった。
島には自販機すらないので、飲料、糧食は必ず買って来ないと死ぬ、乗船場にも自販機程度しかない。
DSC08827_R_20130318203059.jpg加太地区を周っていたので、出港は約11時になってしまった。
DSC08828_R_20130318203102.jpg満員になる事はあるのだろうか?
DSC08830_R_20130318203103.jpg無事出港! 
DSC08832_R_20130318203105.jpg普通の鹿は見れたが、トモガシカは見つからなかった
DSC08833_R.jpg友ヶ島が近づいて来た
DSC08834_R_20130318205016.jpg虎島の地層
DSC08836_R_20130318205017.jpg神島を回って、島の反対側にある桟橋に向かう
DSC08838_R_20130318205019.jpg桟橋の真ん中は金網で、下が見える
DSC08839_R_20130318205021.jpg読めない案内板
tomogashima_newmap_R.jpg一応張って置く(友ヶ島でなく沖の島らしい)
DSC08840_R_20130318205023.jpg要所にある、キロポスト(割と助かる)
DSC08842_R_20130318210610.jpg2.7キロなら30分もあればと、思ったがまずは第四砲台に向かう
DSC08843_R_20130318210611.jpg途中には祠がいくつかある
DSC08844_R_20130318210613.jpg最初の交差点
DSC08845_R_20130318210615.jpg北垂水ポスト
DSC08849_R_20130318210617.jpg海水浴場の海の家跡
DSC08851_R_20130318211238.jpgトイレ遺構
DSC08854_R_20130318211239.jpg神島が見える
DSC08855_R_20130318212131.jpgゆっくり30分ほどで、遺構が見えて来た
DSC08856_R.jpg出っ張りの有る石垣
DSC08857_R.jpg何があったのだろう
DSC08858_R.jpg営門と兵舎跡がある
DSC08859_R.jpg妙に高い門柱だ
DSC08860_R_20130318215604.jpg飲料水路かな?
DSC08862_R_20130318215606.jpg木造の屋根は腐って崩落している
DSC08864_R_20130318215608.jpg部分的にトラロープがある
DSC08865_R.jpg床も腐ってそうだ
DSC08866_R_20130318215610.jpgトイレかな?
DSC08867_R_20130318215643.jpg窓には封鎖されていた頃の板が残っている
DSC08885_R_20130318221413.jpgカマド
DSC08886_R.jpg裏手の風呂?

由良要塞 加太地区 深山第三砲台(男良谷砲台)

深山第二砲台に車を置いたまま、第三砲台に下りていく
そう、下にあるのだ第三だけは、まぁ、カノン砲だからあまり高さは必要ないかも知れない。
進入して来た艦船の横腹を打ち抜く為の砲であり、狭い海峡通過時は遠距離に逃げられる事も無い。
それよりも第三だけ、(おとこらたにほうだい)と言う二つ名がある、元は別で後から併合したのだろうか?
DSC08747_R_20130317215035.jpg一部コンクリートの引かれた山道を下りていく
DSC08748_R.jpg道端に円柱形の煉瓦とコンクリで作った奇異な物がある
DSC08749_R_20130317215039.jpg3月のこの時期、草木が少なく川原に何かが見えた
DSC08750_R.jpgカマドである
DSC08751_R.jpg煉瓦にコンクリートを張った物の様だ
DSC08752_R.jpg良く見ると、近くに石垣や人工的な石が多々ある
DSC08753_R.jpg埋まった煉瓦構造物もある
DSC08755_R.jpg煉瓦には刻印があった(kousen様から堺煉瓦製だと教えて頂きました)DSC08756_R_20130317215818.jpg海軍の石柱が一つだけあった、正面は普通だが
DSC08757_R.jpg横から見ると、なんぞこれ!
DSC08759_R_20130317220505.jpg下の沢がトンネルに飲まれる
DSC08760_R_20130317220506.jpg貫通しているのが見える
DSC08761_R_20130317220508.jpg天井は煉瓦張り
DSC08762_R_20130317220510.jpg煉瓦の壁
DSC08764_R.jpg人工物だが崩れて不明
DSC08765_R_20130317221024.jpg鉄の蓋の付いた井戸
DSC08766_R_20130317221025.jpg真ん中から折れて開いた、水がある
DSC08767_R_20130317221026.jpg下の方を探索するtonotama氏
DSC08768_R.jpg兵舎基礎
DSC08769_R.jpgその周りの水路に根っこに侵食された、橋がある
DSC08770_R.jpgふと見上げると、唐突に砲台が現れる
DSC08771_R.jpg棲息掩蔽部
DSC08772_R.jpg白いから、分からないかも知れないが、半球状のなっている
DSC08773_R_20130317221605.jpgしかも浅い
DSC08774_R_20130317221607.jpg後の林の中に井戸や兵舎基礎がある
DSC08775_R_20130317223505.jpgこの階段から海岸に下りていける
DSC08776_R_20130317223506.jpg小隊長壕
DSC08777_R.jpg下の砲座を見る
DSC08778_R_20130317223509.jpg観測壕
DSC08780_R.jpg石組みの粗末な物だった
DSC08781_R_20130317224227.jpg一旦海岸に下りる
DSC08784_R_20130317224228.jpg階段の隣にさっきの沢のトンネルが抜けている
DSC08785_R_20130317224230.jpg明治期の桟橋
DSC08786_R_20130317224233.jpg見上げると、コンクリート構造物がある
DSC08787_R_20130317224234.jpg先端はオリジナルで崩れた岸側を補修したそうだ
DSC08788_R_20130317225158.jpgもう一つ排水路があった
DSC08791_R_20130317225159.jpg砲台に戻る
DSC08792_R_20130317225201.jpg砲座に上がる
DSC08793_R_20130317225203.jpg予備の弾頭を置く所
DSC08794_R_20130317225205.jpg3月でもこの茂り方だ、夏は無理だろう
DSC08798_R.jpgもう一つの棲息掩蔽部、中は同じ
DSC08799_R.jpg砲座へは斜路(弾運び)と階段(人間)で登る
DSC08800_R.jpg砲座の右に棲息掩蔽部で2セット、2座4門あった
DSC08801_R_20130317225904.jpg苔生したトンネル
DSC08802_R_20130317225906.jpgトロッコ跡と言われる穴
DSC08804_R.jpg湾曲しながら奥に進む
DSC08805_R_20130317230647.jpg突き当たりは泥が流入し塞がっている
DSC08806_R.jpg横手に小さな穴がある
DSC08807_R_20130317230651.jpgトンネルの前の広場に何かある
DSC08808_R_20130317230652.jpgカマドの様だ
DSC08809_R_20130317231043.jpg倒れた煙突
DSC08810_R_20130317231044.jpg煙突の根元だろう
DSC08811_R.jpg奥にも何かある
DSC08812_R_20130317231047.jpg足元に落ちていたレンガ、沢のと同じ刻印がある
DSC08813_R_20130317231049.jpg気管場の様だ
DSC08815_R_20130317231737.jpg無理に曲げた積み方がいい
DSC08817_R_20130317231738.jpg全体図
DSC08818_R.jpg上から見てみる
DSC08819_R_20130317231741.jpg違った刻印の煉瓦 (kousen様から貝塚煉瓦株式会社製だと教えて頂きました)DSC08820_R.jpg明治期のレンガはいい
DSC08821_R.jpg
DSC08822_R_20130317232135.jpg
DSC08823_R_20130317232137.jpg
DSC08824_R_20130317232139.jpg戻りしな、兵舎の様な物を見つける
DSC08826_R_20130317232140.jpg上ってきた、カーブミラー奥が第一、左が第三、後が第二とゆう分岐点

由良要塞 加太地区 深山第二砲台

前日の晩に名古屋から和歌山に移動し、とっとパーク小島という道の駅で夜を明かす。
ここは海釣り桟橋と直結している為、自分等以外にも泊り客は多い。
6時起床というサイクルが体に刻み込まれているため、勝手にその時間直前に意識が覚醒する
しかし、連れがいる中、そんな時間に起きだす訳にもいかず、二度寝を繰り返す。
前夜寝たのは2時過ぎなのに困った体だ、何とか7時半まで耐えて、トイレがてら起き出す。
いよいよ、探索が始まる(時系列は無視しよう!)
DSC08660_R_20130316211121.jpg3月10日AM2:10就寝
DSC08661_R.jpg朝7:30起床活動開始
DSC08662_R_20130316202056.jpg海釣り桟橋
DSC08663_R_20130316202059.jpg8:30頃深山第二砲台のある、休暇村紀州加太に到着する
DSC08664_R_20130316202100.jpgここには説明や資料は無いが、フロントに榴弾砲の模型が置いてある(割りに良く出来ている)
DSC08665_R.jpg早速駐車場脇の掩蔽部に行く
DSC08666_R.jpg案内板、第二の事ではなく、一帯に砲台があった事だけを書いている
DSC08667_R.jpg掩蔽部は本物だが、手前のコンクリートや丸い石壁は後付けな気がする
DSC08668_R.jpg入り口上の煉瓦の形が面白い(そこだけ半円)
DSC08669_R.jpg形的には、きれいに残っている
DSC08670_R.jpg右側の蝶番や左側の鍵部分の金属は盗まれている
DSC08671_R.jpg内部、漆喰が残る
DSC08672_R.jpg奥の通風口
DSC08673_R.jpg入り口を振り返る
DSC08674_R.jpg上に登ると通風口があった
DSC08675_R.jpg天蓋は無いが、いい状態だ

深山第二砲台はこれしか遺構は残っていない、休暇村造成時に失われたのか・・・

由良要塞 加太地区 深山第一砲台 (深夜)

和歌山での活動日1日目は深山第一、第二、第三砲台と周り、次いで友ヶ島に渡った。
本来そのまま、鈴鹿に戻るつもりだったが、天候により船の終わり時間が早まり、半分も
周る事が出来なかった。
せっかく来たので、tonotama氏に頼み、次の日も友ヶ島に行く事にした。
とゆうわけで、余った時間を深夜の砲台探索とシャレこんだ。
まぁ、行くのも朝行った深山第一砲台なのだが、朝と夜とでは違った趣がある。
DSC09057_R.jpg真っ暗な砲台への道を歩き、掩蔽部に到着
DSC09063_R_20130315221743.jpg実は夜間撮影はこの時が実質初めてである、どう撮って良いものか分からない
DSC09065_R_20130315221745.jpgライトで昼間の様に明るくする事は簡単なのだが、それではつまらないので、試行錯誤する
DSC09071_R_20130315221746.jpg掩蔽部の中は同じ様なものだが・・・
DSC09072_R_20130315221748.jpgライト照度を変えて照らす角度を変えるだけで、変った絵になる
DSC09074_R_20130315222915.jpg少し慣れてきたかな?
DSC09075_R_20130315222917.jpg深夜の砲台は怖さは感じない、ただ静寂とシャッター音だけが掩蔽部に反響する
DSC09076_R_20130315222918.jpg同じ位置でも照射位置
DSC09077_R.jpg開放時間や照度など変えると面白い
DSC09078_R_20130315222921.jpgまぁ、素人ならでの楽しみなんだろうけどね!
DSC09081_R_20130315224536.jpgロービーム
DSC09082_R_20130315224537.jpgハイビーム
DSC09085_R_20130315224539.jpg次の掩蔽部に下りる
DSC09086_R_20130315224540.jpg老ビーム
DSC09087_R_20130315224542.jpg廃ビーム、なんか面白くなってきた
DSC09093_R_20130315225328.jpg煉瓦が市街地迷彩の様だ
DSC09096_R.jpg上を見上げると暗い夜空がある、何やってんだろうな、自分等はこんな時間に?
DSC09097_R_20130315225331.jpgさて、そろそろ最深部に
DSC09100_R.jpg振り返ってロービーム
DSC09102_R.jpgハイビーム
DSC09101_R.jpg同じ場所で消してみる
DSC09103_R.jpg明日も早いから帰るとするか!

tonotama氏の方が絵になってるので、見ていって下さい

由良要塞 加太地区 深山第一砲台

和歌山県側から淡路島にかけて作られた由良要塞、由良地区、友ヶ島地区、加太地区に分かれて
瀬戸内海の防衛を終戦までまかなっていた。
その中の幾つかに訪れた。
まずは、和歌山側の加太地区、深山第一砲台を紹介する。
横浜から新幹線で名古屋に行き、当時鈴鹿在住だったtonotama氏と合流し和歌山に向かった。
DSC08676_R.jpg本当は第二から行ったが、順を追って第一から紹介する
DSC08677_R.jpg斜面にあった土管からの排水設備
DSC08679_R.jpg崩れかけた石垣
DSC08680_R.jpg薄暗い煉瓦道を歩いて行くと
DSC08681_R.jpgいきなり開けた所に出る
DSC08682_R.jpg最初の掩蔽部は地下にある
DSC08683_R_20130314215804.jpg階段を下りていく
DSC08684_R.jpgくの字形に曲がっている
DSC08685_R.jpg手前の独立した掩蔽部
DSC08686_R.jpg奥側から見ると、煉瓦と石材の組み方が奇妙
DSC08687_R_20130314220524.jpg曲がった先には掩蔽部 が3つある
DSC08688_R.jpg右側の掩蔽部、隣と繋がっている
DSC08689_R_20130314220527.jpg奥側から、やはり石材の組み方が違う
DSC08690_R_20130314220529.jpg天井の通気孔
DSC08693_R.jpg隣の掩蔽部
DSC08694_R.jpg真ん中の掩蔽部に来た
DSC08698_R_20130314221341.jpg防湿用の漆喰がまぶしい
DSC08696_R_20130314221339.jpg通路に出る
DSC08700_R.jpg三つ目の掩蔽部
DSC08701_R.jpg排水溝が開いている、中まで煉瓦
DSC08702_R_20130314222107.jpg反対側から登る
DSC08703_R_20130314222110.jpg案内板
DSC08705_R_20130314222111.jpg煉瓦の床がコケだらけ
DSC08706_R_20130314222113.jpg一番手前の砲座
DSC08708_R.jpg掩蔽部からの伝声管
DSC08707_R_20130314223239.jpg砲座中央の階段を登る
DSC08709_R.jpg結構高い
DSC08712_R_20130314223245.jpg上の通路には通気孔が開いている
DSC08710_R.jpg地ノ島が見える、奥は友ヶ島
DSC08713_R.jpg下の戻るとトンネルがある
DSC08715_R_20130314223925.jpgその下には掩蔽部がある
DSC08716_R.jpg同じ形状が2つづつ
DSC08717_R.jpg奥中央は通気孔、上の通路にあった物の下にあたる
DSC08718_R.jpg奥側から
DSC08720_R.jpg見上げると、トンネルがある
DSC08722_R_20130314225110.jpg反対側
DSC08726_R.jpg真ん中の砲座
DSC08727_R.jpg来たトンネルを振り返る
DSC08728_R_20130314225722.jpg下にいるtonotama氏で深さが分かるだろう
DSC08730_R.jpg構造は一緒
DSC08731_R_20130314225724.jpg排水溝
DSC08736_R.jpg手すりの有った跡
DSC08737_R_20130314225728.jpg反対側から
DSC08738_R_20130314230240.jpg最後の砲座、ちょっと埋まっている
DSC08739_R_20130314230241.jpg横に階段の跡がある
DSC08740_R.jpg登ってみる
DSC08741_R_20130314230244.jpg砲座を見下ろす
DSC08742_R_20130314230640.jpgコンクリートの固まりがある
DSC08743_R_20130314230932.jpg大きな円形の物だ
DSC08744_R.jpg由良要塞の歴史
DSC08745_R_20130314230644.jpg地ノ島
DSC08746_R.jpg遠くに休暇村、紀州加太が見える、あそこまで戻らねば

震洋飯沼基地 その他遺構

千葉県銚子市に残る遺構を「千葉県の戦争遺跡をあるく」を見ながら周って見た。
銚子市は千葉県の突端にあるので、米軍上陸予想地点から若干外れているため
空襲関連は有るが、基地関連は殆んど無い、銚子駅の周辺のみまわってみた。
まずは、飯沼基地の震洋格納壕を見る
DSC00859_R.jpg某水産加工会社の敷地内にあるので許可を取る
DSC00864_R_20130313215116.jpg天井に碍子が残っている、水没なのか水産会社使用中なのか不明
DSC00863_R.jpg図面を見ると6本の壕があり、2本づつ奥で繋がっている
DSC00860_R.jpgもう一つの壕
DSC00868_R_20130313215118.jpgこちらも同様
DSC00870_R_20130313220849.jpg奥に何かありそうな気がする、市の説明では壕は2本のみだが
DSC00871_R_20130313220850.jpgあった、三本目
DSC00847_R.jpg戦災復興記念碑
DSC00849_R.jpg碑文
DSC00850_R.jpg記念碑から歩いてすぐの所にある、銚子空襲時の臨時病院
DSC00851_R.jpg戦後、銚子市公正市民館となる
DSC00852_R.jpg大正13年に公正会館として建造
DSC00853_R.jpgコンクリート作りの為、焼け残り臨時病院になる
DSC00854_R.jpg減税は中央コミニュティセンター
DSC00855_R.jpg飯沼観音を見に行く
DSC00856_R.jpg観音の台座に機銃痕があるそうだ
DSC00857_R.jpg大仏発見
DSC00858_R.jpg大仏?観音?



「廃墟」在りし日の5号棟

解体数ヶ月前の登戸研究所、第5棟の写真がフォルダから出てきたので
折角なので、あまり無いが張っておこうと思う。
DSC09901_R_20130312215907.jpg2010年9月末の画像を紹介する
DSC01341_R_20130312220242.jpg草木に覆われた5号棟
DSC01342_R.jpg室内にまで侵食されている
DSC01343_R.jpg天井に穴が有るが登れなかった
DSC01344_R.jpg秋の日差しの窓際
DSC01345_R.jpg天井の塗装も朽ち果てる
DSC01346_R.jpg裏手に回るとさらに埋もれている
DSC01347_R.jpg裏手の入り口
DSC01348_R.jpgその脇には、コンクリートの煙突があった
DSC01349_R.jpg雑具庫、いろんな資材が詰め込まれている
DSC01350_R.jpgまるで廃墟の様なショットだ
DSC01351_R.jpg表に回る、瓦が昭和を語っている
DSC01352_R.jpg当時のままの看板らしい
DSC01353_R.jpg色あせた壁色がいい
DSC01354_R.jpgもう二度と見る事が出来ない5号棟
DSC01355_R.jpgこれからも破壊される前に記録を撮って生きたい


登戸研究所(陸軍第九技術研究所)

前回りっくんランドに行った帰りに、川崎市多摩区にある明治大学内に残る登戸研究所の遺構に
足を伸ばしてきた。
陸軍第九技術研究所が正式な名前だが、一般的に登戸研究所で通る事が多い。
研究内容の特殊性により、あえて正式名でなく登戸研究所と言う俗称で呼ばれた。
有名な風船爆弾をはじめ生物、科学兵器や偽札などまで手がけ、秘匿された研究所だ。
近年、偽造紙幣保管庫になっていた26号棟、偽造紙幣印刷工場だった5号棟と相次いで破壊された。
登戸研究所資料館は水~土までの、10時~16時までの間で誰でも入れるが、駐車場は無い。
DSC01330_R.jpgでは、中に入るが36号棟現資料館は日曜休みである
DSC09893_R.jpg入ってすぐに一つ目の弾薬庫がある
DSC09894_R_20130311201254.jpg現在は開放されているようだ
DSC01332_R.jpg2010年に来た時は、閉じられていた。
DSC09895_R.jpg36号棟、現資料館
DSC09897_R.jpg移設された陸軍柱
DSC09896_R.jpg設立趣旨
DSC09898_R_20130311202238.jpg多分移設の防火用水桶
CIMG0624_R.jpg以前撮った内部写真(2010年)なので、現状ではない
CIMG0625_R.jpg
CIMG0626_R.jpg
CIMG0627_R.jpg
CIMG0628_R.jpg
CIMG0629_R.jpg
CIMG0630_R.jpg
CIMG0631_R.jpg
CIMG0632_R.jpg26号棟
CIMG0635_R.jpg
CIMG0633_R.jpg5号棟
CIMG0634_R.jpg
CIMG0636_R.jpg
CIMG0637_R.jpg
CIMG0638_R.jpg
CIMG0639_R.jpg
CIMG0641_R.jpg
CIMG0642_R.jpg
CIMG0643_R.jpg
CIMG0644_R.jpg
DSC09899_R_20130311205325.jpg5号棟跡地
DSC09900_R_20130311205327.jpg9日までやっていた、訪れたのは10日だった・・・
DSC09901_R_20130311205328.jpg
DSC09902_R_20130311205330.jpg
DSC01341_R.jpg在りし日の5号棟
DSC09904_R_20130311210846.jpgもう一つの弾薬庫
DSC09906_R_20130311210848.jpgこちらは入れない
DSC09908_R_20130311210850.jpg上に登ると通気孔の様な穴があった
DSC09909_R_20130311210851.jpgぬこ
DSC09910_R_20130311210852.jpg近寄るとニャーと鳴いた
DSC09911_R_20130311211243.jpg学食前の消火栓裏
DSC09912_R_20130311211245.jpg消火栓表
DSC09913_R_20130311211447.jpg弥心神社
DSC09914_R_20130311211448.jpg登戸研究所跡碑
DSC09916_R_20130311211450.jpg裏には歌が刻んである
DSC09917_R_20130311211856.jpg実験に使われた動物の慰霊碑
DSC09919_R_20130311211857.jpg裏はフェンスに近く撮りにくい
DSC09920_R.jpg下半分
DSC09923_R_20130311212200.jpg消火栓その2表
DSC09924_R_20130311212201.jpgその2裏
DSC09925_R_20130311212202.jpg植村直己の碑
DSC09926_R.jpgぬこ
DSC09927_R_20130311212205.jpg帰りはすごい煙霧(えんむ)だった



25年陸上自衛隊広報センタースプリングフェア

25年陸上自衛隊広報センタースプリングフェアに行って来た。
朝霞駐屯地では無く、広報センターのイベントなので派手さは無い。
2013年3月9、10日の2日間行われた2日目のもようを紹介する。
内容的には月一行われている駐屯地内トラック一周の旅、とん汁体験試食、装備品展示、訓練展示だ。
りっくんランド内の展示物については、以前紹介したので、多くは触れない。
DSC09758_R_20130310175742.jpg広報センター到着
DSC09760_R_20130310175743.jpg出迎えの軽装甲車イラク仕様
DSC09761_R.jpg本日のイベント
DSC09762_R.jpg
DSC09763_R.jpg10時開場
DSC09764_R.jpg右側トラック乗る人、左側普通の人
DSC09765_R_20130310180625.jpgイベントホールにて整理券を配る
DSC09766_R_20130310180627.jpg整理券入手
DSC09767_R_20130310181444.jpgイベント広場に行く
DSC09768_R_20130310181445.jpg 1 1/2t救急車
DSC09769_R_20130310181446.jpg前から
DSC09771_R.jpgいかつい装甲
DSC09772_R_20130310181449.jpgNBC偵察車
DSC09774_R_20130310185108.jpg後ろ側
DSC09773_R_20130310185106.jpg除染剤ポンプ
DSC09776_R_20130310185111.jpg除染車3型
DSC09784_R_20130310185112.jpg車体両側に散水する
DSC09775_R.jpg登れる
DSC09777_R_20130310185842.jpg見回す
DSC09778_R_20130310185844.jpgガンタンク
DSC09783_R_20130310185846.jpg上から目線もいい物だ
DSC09793_R_20130310190739.jpg野外炊具2号
DSC09791_R_20130310190949.jpgとん汁製作中
DSC09794_R_20130310190740.jpg2号は1号をばらした物と思っていい
DSC09795_R_20130310190741.jpg野外炊具1号
DSC09797_R_20130310190743.jpgこっちは展示のみ
DSC09800_R_20130310191758.jpg野外炊具のとん汁は美味い
DSC09801_R_20130310191759.jpgまだ出来ない様なので、トラック試乗受付に行く
DSC09802_R_20130310191801.jpg整理券を臨時入門許可書に換える
DSC09804_R_20130310191802.jpgこれのホロ無しに乗る
DSC09805_R_20130310191805.jpg駐屯地内に歩いて行く
DSC09808_R_20130310192518.jpg14,5人づつ乗れる
DSC09809_R_20130310192519.jpgこれより撮影禁止
DSC09812_R_20130310192521.jpg戻って来たら、撮影タイムになる
DSC09815_R_20130310192523.jpg朝霞駐屯地案内図(赤い線から黄色い線に行って池の前を通って帰る感じ
DSC09817_R_20130310193242.jpg戻るととん汁が出来ていた
DSC09818_R_20130310193243.jpg食券を買うが、すぐ横で渡す事になる
DSC09819_R_20130310193245.jpg前日は150人分が30分で完売したそうだ
DSC09820_R_20130310193246.jpg里芋もとろとろで美味い!
DSC09821_R_20130310193248.jpg訓練展示が始まる
DSC09823_R_20130310193923.jpg本日の役者紹介
DSC09826_R_20130310193925.jpgいろいろなパフォーマンスをしてくれる
DSC09827_R_20130310193926.jpgDSC09828_R_20130310193928.jpgDSC09831_R_20130310193929.jpg
DSC09833_R_20130310194340.jpg悪者がペットボトルから有毒な液体をまく
DSC09834_R_20130310194342.jpg状況は地下鉄サリン事件に近い物想定
DSC09835_R_20130310194343.jpg自衛隊出動
DSC09837_R_20130310194345.jpg当時のTV画像でもこの状況は良く見たと思う
DSC09841_R_20130310194346.jpg人体も特に除菌する
DSC09842_R.jpg背中まで入念に除菌する
DSC09844_R_20130310195136.jpg搬送
DSC09845_R_20130310195138.jpg現場及び自分の足の裏まで除染作業を徹底する
DSC09847_R_20130310195139.jpg訓練展示終了
DSC09848_R_20130310195141.jpg敬礼!
訓練展示
DSC09849_R_20130310195641.jpg地味だが大事な仕事だ
DSC09850_R_20130310195642.jpg10式戦車
DSC09853_R_20130310195643.jpgあずま君も大変だ
DSC09882_R_20130310195645.jpg中も一回りする
DSC09883_R_20130310195647.jpgおおむね変りわない
DSC09884_R.jpgこの辺のレイアウトは少し変った
DSC09877_R_20130310201646.jpg戦車シュミレーション(ヘリバージョンも有り、激ムズ)
DSC09878_R_20130310201647.jpg自衛隊マニア向けクイズ(素人には無理、あまり客が寄らない)
DSC09888_R_20130310201649.jpg3Dシアター
DSC09855_R_20130310202744.jpg俗に言うミリ飯、いずれ特集する(日本の戦闘糧食は美味いよ!)

佐倉連隊

千葉県佐倉市にある佐倉城址公園にある、佐倉連隊跡を訪れた。
1874年(明治7年)には陸軍歩兵第二連隊が佐倉城址に駐屯、1877年(明治10年)の西南の役に出動、1894年(明治27年)~1895年(明治28年)、および1904年(明治37年)~1905年(明治38年)の日清日露の両戦役にも参戦した。日露戦争では、旅順、二百三高地の戦闘にも加わり、多くの戦死者、戦傷者を出した。1909年(明治42年)に陸軍歩兵第二連隊は水戸に移転、二七旅団に属し、第一四師団隷下となった。この陸軍歩兵第二連隊の佐倉駐屯以降、十ニもの連隊が佐倉で編成され、これらを総称して「佐倉連隊」と呼んでいる。
 印旛郡市文化財センターが埋蔵文化財調査に当たっている国立歴史民俗博物館(佐倉市城内町)の共同研究棟建設予定地で、佐倉連隊本部棟兵舎の遺構の一部が発見され、3月3日に現地説明会が開かれる。

 調査は昨年12月から、佐倉連隊本部棟跡の東側約1125平方メートルで実施。現在は近世以降の調査が進められており、本部棟の一部と渡り廊下、手洗い所、厠(かわや)、排水溝の遺構をはじめ、耐火れんが、瓦、ガラス瓶、茶わんといった遺物が見つかっている。
航空写真_R佐倉連隊の当時の航空写真
佐倉連隊跡関連位置図_R佐倉連隊案内板、おおむねこの番号に沿って紹介して行く
lrg_22478334_R.jpg ①衛兵所跡 道路沿いに看板が有るだけ、遺構無し
DSC00735_R.jpg ②兵営の便所跡
DSC00734_R.jpg遊歩道の下り口辺りにある
DSC00736_R.jpg大専用の様だ
DSC00737_R.jpg結構崩れている
DSC00738_R.jpg結構狭いのでは?
DSC00740_R.jpg栄養がいいのか、かなり木が生えている
DSC00741_R.jpg汲み取り口
DSC00744_R.jpg後100年もしたら、跡形もなさそう
DSC00747_R.jpg遊歩道を進むと、堀になっているがこれは城関係だろう
DSC00748_R.jpg良く見ると、堀に壕が掘られている所が何箇所かある
DSC00749_R.jpgこれは歩道沿いに見える
DSC00751_R.jpg流石に埋められている
DSC00752_R.jpg歩道脇の石柱(この手の石柱は無尽蔵にある)
DSC00753_R.jpg遊歩道下側は壕だらけであるが、殆んど塞がれている
DSC00755_R.jpg
DSC00757_R.jpg
DSC00760_R.jpg
DSC00763_R.jpg
DSC00731_R.jpg ③佐倉陸軍病院跡
DSC00732_R.jpg案内板写真
DSC00733_R.jpg今は、臨時駐車場
DSC00769_R.jpg不明の石柱
DSC00770_R.jpg台所門跡
DSC00771_R.jpg ④兵士が文字を掘り込んだモッコク
DSC00772_R.jpgモッコクは斜面にある
DSC00774_R.jpg佐野
DSC00775_R.jpg昭和十八年十月
DSC00776_R.jpg砲隊
DSC00777_R.jpg
DSC00778_R.jpg
DSC00779_R.jpg土塁の中の壕口
DSC00780_R.jpgよめん
DSC00781_R.jpg殆んど露出した石柱
DSC00782_R.jpg銃座に見える物
DSC00783_R.jpg単装機銃か?
DSC00784_R.jpg4つほど確認出来た
DSC00786_R.jpg城関係か兵舎関係か
DSC00788_R.jpg ⑤車道の碑
DSC00789_R.jpg車道
DSC00791_R.jpg裏面
DSC00792_R.jpgポツンと建っているコンクリート遺構
DSC00794_R.jpg何故かこれに関して説明が無い
DSC00795_R_20130309220500.jpg形状的に油脂庫もしくは、信管庫であろう
DSC00796_R.jpg残念ながら施錠されている
DSC00799_R.jpg床下
DSC00810_R.jpg梯子を上る
DSC00808_R_20130309221529.jpg覗き込む
DSC00812_R.jpg ⑥佐倉兵営跡の碑
DSC00811_R.jpg自由広場奥の方
DSC00813_R.jpg歩兵第二連隊佐倉兵営全図
DSC00814_R.jpg佐倉兵営の跡
DSC00815_R.jpg碑文
DSC00816_R.jpgバーべキュウ禁止
DSC00817_R.jpg歴代連隊長
DSC00819_R.jpg裏側にあった物
DSC00820_R.jpg
DSC00821_R.jpg
DSC00822_R.jpg近くにあった遺構
DSC00800_R_20130309223351.jpg ⑦弾薬庫の跡
DSC00801_R.jpg知らなければ素通りしてしまう場所にある
DSC00802_R.jpg周りからは土塁で見えない
DSC00803_R.jpg弾薬庫は残骸のみ
DSC00806_R_20130309223358.jpg結構分厚い
DSC00827_R.jpg ⑧訓練用の12階段
12階段_R案内板写真
DSC00823_R.jpg姥ヶ池のほとり
DSC00824_R.jpg厚生省の石柱(引揚者の一時住居になっていた時の物か)
DSC00829_R.jpg人物比
DSC00830_R.jpg上から見下ろす
DSC00831_R.jpg良く見る構図
DSC00832_R.jpg
DSC00833_R.jpg
DSC00834_R.jpg
DSC00836_R.jpg
DSC00837_R.jpgあまり見ない構図
DSC00721_R.jpg ⑨軍犬、軍馬の墓
DSC00722_R.jpg軍犬房号の墓
DSC00723_R.jpg何でこんなに密着?
DSC00839_R.jpgついで
DSC00840_R.jpg
DSC00842_R.jpg
DSC00727_R.jpg
DSC00728_R.jpg
DSC00845_R.jpg
DSC00846_R.jpg
このページの下から2番目の机と椅子ではないだろうか?

塙(はなわ)地区の指揮所

三川地区のトーチカ(観測所)の近くの塙地区にもトーチカがあり、指揮所があると「千葉県の戦争遺跡をあるく」に書いてあった。
三川地区を探索後、塙に向かい、唯一の写真の手がかり、ビニールハウスの上の丘にある巨大なコンクリート構造物を探し、この地区の山頂付近をひたすら探し回ったが見つからない。
物件は以外と下の方にあった、一時間以上探したがトーチカは見つからなかった。
指揮所はともかく、トーチカはネット上に何の痕跡もない、求む情報!
他にも15cmカノン砲陣地もあったようだが不明である。
CIMG0943_R.jpgやっと指揮所を発見する
CIMG0944_R.jpgこの面には窓も扉も何も無い、良く見ると下に土が無く、浮いている状態だ
CIMG0945_R.jpg回り込んで畑側から見るが、やはり窓も扉も無い
CIMG0946_R.jpg仕方なく、藪の中に突入
CIMG0948_R.jpg現在は農業倉庫になっていると書いてあったが、明らかに使っていない。
CIMG0949_R.jpg内部はブロック化されている
CIMG0950_R.jpgコンクリートに打った木枠が結構残っている
CIMG0951_R.jpg中はゴミが多く写真が撮りづらい
CIMG0952_R.jpgこの面が外側で窓が幾つかある
CIMG0953_R.jpg内部通路部屋数は5~6部屋だった
CIMG0954_R.jpgかなり重厚な部屋(コンクリは50cm~1mあるらしい)
CIMG0955_R.jpg間の1mほどの部屋
CIMG0956_R.jpg最大の部屋
CIMG0957_R.jpg何故か四角く土が掘られている
CIMG0958_R.jpg横の小窓(棚?)
CIMG0959_R.jpgこれは最初見た畑側の隙間
CIMG0960_R.jpg窓枠
CIMG0961_R.jpg屋上に上って見た
CIMG0962_R.jpg反対側、一通り見た
CIMG0963_R.jpg探している途中で見かけた物、明治期だろうか?
CIMG0964_R.jpgその先で奇妙な物を見つけた
CIMG0965_R.jpgまるで浄水施設の様な感じだ
CIMG0966_R.jpg結構広い敷地だ
CIMG0967_R.jpg階段を登ると、兵舎でも建てられそうな広場がある
CIMG0968_R.jpg生簀にも見える
CIMG0969_R.jpg奥の工場は稼動しているので、さっさと引き上げる

三川地区のトーチカ(観測所)

千葉県旭市飯岡町の三川地区に範部隊の作ったと言われるトーチカがある。
一般にトーチカと言われているが、自分には観測所にしか見えない。
126号線から海上自衛隊飯岡受信所方向に行くと浅間神社がある、この丘に九十九里浜の飯岡海岸に
向いたトーチカがあり上陸、侵攻して来た米軍を迎撃する為の物だろうと言われる。
しかし、近辺に臨時砲台や重砲兵第14連隊第2中隊もいたらしい、よって観測所が正解だろう。
ここには海岸方向を向いたトーチカの他に、地下にはヨの字型の地下壕があり、背面にもコンクリート製の
トーチカが銃眼を開けている、もちろん上部には塹壕が掘られ、丘の上から銃撃出来るようになっている。
CIMG0970_R.jpg浅間神社の前で道は分かれる、駐車場は無い
CIMG0971_R.jpg板の隙間から覗く
CIMG0972_R.jpg埋まった壕口
CIMG0973_R.jpg三つ目の開口部
CIMG0981_R.jpgでは、降りて行く
CIMG0982_R.jpgうっすらと階段が残っている
CIMG0983_R.jpg一度、天井付近まで埋まっていた様だ
CIMG0984_R.jpg壕口を振り返る
CIMG0985_R.jpg土砂が残り、高さ1mほどしかない
CIMG0986_R.jpg二つ目の開口部内側から
CIMG0987_R.jpg狭くて進めないが、水没している
CIMG0988_R.jpg来た道を振り返る
CIMG0989_R.jpg右側に折れて開口部に向かう
CIMG0991_R.jpg何とか出口に戻る
CIMG0974_R.jpg壕を出て、斜面を見上げるとそれはある
CIMG0975_R.jpgコンクリート製銃眼
CIMG0976_R.jpg上には塹壕が掘られている
CIMG0977_R.jpg後ではなく、上が開いている
CIMG0978_R.jpg飛び降りると、ある程度埋まっているので、本来の高さ等不明
CIMG0979_R.jpgトーチカ内部
CIMG0980_R.jpg見上げる、埋まっているとは言え、出るのは大変だ(自分は174cm)考えて降りよう
CIMG0992_R.jpg山頂の浅間神社
CIMG0993_R.jpgその山道に入り口は開いている、柵が無ければ見落としそうだった
CIMG0994_R.jpgまずは右側から外に降りる
CIMG0995_R.jpg全体に苔生している
CIMG0996_R.jpg大体人の身長ぐらい
CIMG0997_R.jpg正面から
CIMG0998_R.jpgでんでんむし
CIMG0999_R.jpgむちゃくちゃ厚いコンクリート
CIMG1000_R.jpg上陸前の艦砲射撃に耐えられる様に考えられている
CIMG1001_R.jpg当然登る
CIMG1002_R.jpg部屋の脇には竪穴がある
CIMG1003_R.jpgでは、山道の入り口から入るとする
CIMG1004_R.jpgきれいなコンクリートだ
CIMG1005_R.jpg二つの部屋に分かれている
CIMG1006_R.jpg手前の部屋
CIMG1007_R.jpg上から見た竪穴部
CIMG1008_R.jpg光が漏れない様に、電球を入れた穴だろう
CIMG1009_R.jpg
kanレポートでは、電話線の穴と見ている
CIMG1010_R.jpg隣の部屋に行く
CIMG1011_R.jpgさっきの電話線の穴、反対側(竹製)
CIMG1012_R.jpgこちらにも同じ電灯跡がある
CIMG1013_R.jpgこの縦溝は何だろう?観測器がらみか?
CIMG1014_R.jpg外を見る(見えない)
CIMG1015_R.jpgコンクリートはきれいに見えて、実は上塗りで下は、石だらけなのか
CIMG1016_R.jpg一通り堪能したので次に行く
また明日。

香取海軍航空基地

千葉県旭市の国道126号線沿いにある、現在日清紡ホールディングス旭事業所のブレーキテストコースが
香取海軍航空基地の滑走路をそのまま改修し、使用している。
もともとの滑走路はX字型をしていて、1400m方の滑走路を使用している、1500mの方は現在の航空写真を見ても原型を見て取れる程度には残っているが、両端は建物が建てられている。
しかし、近くで見ると双方共に当時のブロック式のコンクリート滑走路がかなり残っている。
鎌数工業団地から西へ約2kmの場所に間口幅3m×高さ1.5mで奥行の深い有蓋掩体壕があるらしいが、見つからなかった。
DSC05811_R_20130306214421.jpg鎌数伊勢大神宮の前に車を停め、境内を抜けて大駐車場に向かう
DSC05794_R_20130306214414.jpgそれらしい小山が見える
DSC05796_R_20130306214416.jpg近寄ると掩体後部が見えて来た
DSC05797_R.jpg中はやはり倉庫使用
DSC05799_R_20130306214419.jpgかなりオリジナルな感じがする
DSC05800_R.jpg案内板の付いた公開物件であるが個人の畑の中なので静かに見よう
DSC05801_R_20130306215325.jpg茂原の中攻用と同型の様だ
DSC05802_R_20130306215327.jpg周りは砂だらけ
DSC05810_R_20130306215330.jpg案内板
DSC05804_R_20130306215328.jpg天井は高い
DSC05809_R.jpg筵の跡がくっきり残る
DSC05803_R.jpg入り口部
DSC05808_R_20130306220838.jpg結構ちゃんと鉄筋が入っているのか
DSC05813_R_20130306221244.jpg日清紡ホールディングス旭事業所のブレーキテストコースの端に来ると掩体が見える
DSC05815_R.jpgひたすら農道を歩いて近寄る
DSC05816_R_20130306221247.jpg真横から
DSC05818_R_20130306221249.jpg幸い農作物が無く、近寄れた
DSC05820_R_20130306221744.jpg小型機用で、やや狭い
DSC05821_R_20130306221746.jpg横の不明な台座
DSC05822_R_20130306221747.jpg後方
DSC05823_R_20130306221749.jpg金網と木型が残っている
DSC05824_R_20130306221750.jpg入り口
DSC05825_R.jpg後ろ側にでる
DSC05826_R.jpg結構厚みがある
DSC05828_R.jpg二つ目に向かう
DSC05829_R_20130306222921.jpg一基目の後ろ側
DSC05831_R_20130306222922.jpg二基目の後ろ側、そっくりだ
DSC05833_R.jpg位置関係
DSC05834_R_20130306222925.jpgこっちは入れない
DSC05835_R.jpg案内板
DSC05837_R.jpg入れないので、登って見た
DSC05838_R.jpg後ろ側
DSC05839_R_20130306223923.jpg段差
DSC05840_R.jpg掩体壕を後にする
DSC05841_R_20130306224216.jpg1400m滑走路を見に行く
DSC05842_R_20130306224217.jpg事前連絡をすれば、見学可能だ、向こうの都合次第だが
DSC05843_R_20130306224219.jpg全景
DSC05844_R.jpg滑走路の外周を回る形でテストコースがある
DSC05845_R_20130306224222.jpgブロック式コンクリート滑走路
DSC05846_R.jpgオリジナルの滑走路は数少ない
DSC05847_R_20130306224949.jpgこちらは1500m滑走路
DSC05848_R_20130306224950.jpg旭高等技術専門学校の向かいにある、旭緑地公園の慰霊碑
DSC05849_R_20130306224952.jpg碑文
DSC05850_R_20130306224953.jpg公園の奥の方
DSC05851_R.jpgSNJ型航空機
DSC05852_R.jpg案内板、未だに米軍からの借り物の又借りである
DSC05853_R.jpgゼロ戦もどきとして、映画に良く使われた
DSC05854_R_20130306225500.jpg
DSC05855_R_20130306225502.jpg
DSC05856_R_20130306230056.jpg
DSC05857_R.jpg
DSC05858_R.jpgこれからも、残していって欲しい物だ

日立航空機大網地下工場(成田航空博物館)

日立日立航空機大網地下工場の壕口を見てきた。
まさに、見てきただけのレポートだ、一般の連れがいて探索らしい事が出来ない状態だった。
千葉県山武郡大網白里町大網の県道83号線宮谷交差点付近に、日立航空機千葉工場の疎開工場として作られた地下式及び半地下式の複合地下壕郡だ。
半地下式は全く残っておらず、地下式の第一工区の前に大網白里町教育委員会等の手で、案内看板が立てられている。
自分が見たのもここの壕口(フェンス付き)3つと本国寺右側の壕口(フェンス付き)だけである。
近年潜った人の話は聞かないし県道83号線の拡張工事により、県道が第一工区第二工区の上をまたいでいる形になるので内部は当然駄目だろう。
第四工区第5工区はすでに住宅地に変貌しているらしい。
DSC03247_R_20130305202038.jpgこの坂の上に墓地が有りそこに車を停める、壕口は写真左側にある
DSC03248_R_20130305202040.jpg階段を降りればすぐ分かる、しかし民家の庭同然の所にあるので一言許可を取ろう
DSC03249_R_20130305202041.jpg案内板
DSC03250_R_20130305202043.jpg2000年8月の調査時、約14年も前だ
DSC03250_R_20130305203134.jpg赤線が新しい県道83号線、見事に壕の上を通っている
DSC03253_R.jpg3本ある内の一本目、これはすぐ見える
DSC03254_R.jpgライトで照らすと駄目そうな感じ
DSC03256_R.jpg二本目は湿地と化して、近寄れず
DSC03258_R.jpg三本目、畑の奥にある
DSC03259_R.jpg近寄る
DSC03261_R.jpgしかし水没+道路側から埋まっている
DSC03264_R.jpgぬこ

しょぼいので、途中で寄った成田航空博物館を一部付け足す
CIMG1033_R.jpg零戦21型複製カットモデル
CIMG1034_R.jpgなかなか人気で機体のみの撮影不可だった
CIMG1035_R.jpg照準機はただのアクリル板
CIMG1036_R.jpg足元には何も無いが雰囲気はある
CIMG1037_R.jpg首だけマッハバスター
CIMG1038_R.jpgハー50エンジン説明板
CIMG1039_R.jpg富岳のエンジン、ぶっちゃけこれだけ見に来た
CIMG1040_R.jpg3個しかない内の1個
CIMG1041_R.jpg埋まっていたわりに、原型を留めている
CIMG1042_R.jpg
CIMG1043_R.jpg
CIMG1044_R.jpg秋水
CIMG1045_R.jpgプラモデル
CIMG1046_R.jpgオレンジはラーメンですかい(4種類)

美里塚記念公園 皇室用防空壕

明治維新の元勲・大久保利通卿によって開設された宮内庁下総御料牧場は、単に皇室の牧場というばかりでなく、外国人技師を招聘するなど常に日本の牧畜技術の最先端を担ってきました。ところが昭和44年8月、成田空港建設計画にともなって、栃木県に移転することになりました。その跡地の一部を三里塚記念公園として整備し、百年余におよぶ御料牧場の歴史をとどめるために三里塚御料牧場記念館が建てられました。館内には皇室関係の資料、御料牧場の牧畜機材などが保存展示されています。
防空壕は41年に宮内省が発注し、完成は太平洋戦争の開戦日の同年12月8日。地下約5メートルの主室(4・5×2・5メートル)を中心に厚さ70センチの鉄筋コンクリート壁が重なった左右対象の構造で、主室の左右には爆風逃がしのスロープが作られている。
この防空壕は存在は知られていて、場所柄皇室用ではないかと言われていたが、裏付ける資料が無かった。
近年間組の社史により、宮内省の発注により工事を請け負ったとの裏づけを得て、市が約150万円かけて
見学用に整備し2年前の4月に一般公開された。
これは一般公開された直後の訪問時の記録だ。
駐車場は正門左と皇室用防空壕すぐ手前の2ヶ所無料である、当然皇室用防空壕手前に車を停めて土手を登る
道路からも見えているのだが、階段も道もないので、普通は正門から来るのかも知れない。
近代的に整備された入り口には鍵が掛かっていて開かない、良く見ると張り紙があり、ここに電話をすると係員が向かいますと、ローカルな事が書いてあった。
2年前のオープン直後の事なので、今はどうなっているか分からない。
CIMG1047_R.jpg正門側から説明する(駐車場は正門左から入る)
CIMG1048_R.jpgご案内板
CIMG1049_R.jpg早速防空壕へ、基本左が入り口、右奥が出口となる
CIMG1050_R.jpg赤い扉は爆風逃がしの開口部だ
CIMG1051_R.jpg参考に
CIMG1052_R.jpg風化防止のため、完全密閉されている
CIMG1053_R.jpg整備された入り口
CIMG1054_R.jpg分かっている部分の案内板
CIMG1055_R.jpg中は漆喰塗り
CIMG1056_R.jpg配電盤(スイッチ類はアクリルカバーが付いている)
CIMG1057_R.jpg昭和十六年製造
CIMG1058_R.jpgでは、降りて行こう(当時は滑り止めも手すりも無かったのだろう)
CIMG1059_R.jpg前室前、奥は爆風逃がしのスロープ
CIMG1060_R.jpg当時の照明跡
CIMG1061_R.jpg振り返る
CIMG1062_R.jpg錆び付いているが、金庫の様に分厚い扉(1トン爆弾にも耐えるらしい)
CIMG1063_R.jpg爆風逃がし、降りて来た入り口からの爆風はここから上に吹き抜ける
CIMG1064_R.jpg滑って登れない
CIMG1065_R.jpgドアの取っ手も頑丈そう
CIMG1066_R.jpg内側から
CIMG1067_R.jpg主室の扉
CIMG1068_R.jpgごつい閂
CIMG1069_R.jpg人一人程度の幅
CIMG1070_R.jpg照明スイッチ
CIMG1071_R.jpg電話線
CIMG1072_R.jpgコンセント
CIMG1073_R.jpg反対側へ、基本この防空壕はH型をしている
CIMG1074_R.jpg奥側の前室へ
CIMG1075_R.jpgそして通路へ
CIMG1076_R.jpg上に付いているストッパー
CIMG1077_R.jpgヒンジもボロ錆び
CIMG1078_R.jpg登ってみたい
CIMG1079_R.jpg壊れたスイッチ
CIMG1080_R.jpgゆがんで閉じ込められたら、窒息しそうだ
CIMG1081_R.jpg蛍光灯ではなく、電球の方が臨場感があって良い
CIMG1082_R.jpg漆喰が反射してしまったが、下写真の上、廃線露出部
CIMG1083_R.jpgこの通路も1mあるか無いかの幅
CIMG1084_R.jpg反対側出口
CIMG1085_R.jpgオリジナルの木の扉
CIMG1086_R.jpg見学終了
CIMG1087_R.jpgついでに貴賓館も見ていく
CIMG1088_R.jpg
CIMG1089_R.jpg
CIMG1090_R.jpg
CIMG1091_R.jpg
三里塚御料牧場記念館は入ったが撮影禁止だった。

検見川送信所(けみがわそうしんじょ)

千葉市花見川区検見川町にあった逓信省、日本電信電話公社の無線電信所(送信所)である、検見川送信所に
行って来た。
1926年(大正15年)4月1日 - 東京無線局検見川送信所として開局以来、1979年(昭和54年)9月2日まで
現役で稼動していた。
真珠湾攻撃の「ニイタカヤマノボレ」はここを経由して送られたそうです。(巷では、佐世保市の針尾送信所から送られたという説が有名ですが、某サイトによると、針尾ではなくて検見川から送られた、というのが正しいらしいです。)
フィリピンや硫黄島等、南方の占領した国との通信を行う拠点だったそうです。
history01_01[1]    開局当時の写真を参考に貼っておく
DSC03210_R_20130303221420.jpg閑静な住宅街に飲み込まれている
DSC03211_R_20130303221421.jpg土塁に囲まれ、一階建てに見えるが、二階建てである
DSC03212_R_20130303221422.jpg閉局後、無断で仮設トイレや外壁の一部が破壊される事件があった
DSC03213_R_20130303221423.jpg現在千葉市所有、道路公団車両がある
DSC03214_R.jpg夏の雲に映える給水棟
DSC03215_R_20130303222424.jpg屋外の付属施設
DSC03216_R_20130303222426.jpg藪に埋もれて近寄れない
DSC03217_R.jpg全体的に草に埋もれている
DSC03219_R.jpg開口部は全て厳重に閉じられている
DSC03218_R.jpg藪を漕いで給水棟に近づく
DSC03220_R.jpg一階、給水計量器室
DSC03221_R.jpg二階、空間の上に水タンクが有る
DSC03222_R.jpg梯子まで2mほど
DSC03223_R.jpg誰かが悪戯で切り取ったのだろうか
DSC03224_R.jpg
DSC03226_R.jpg水槽上部
DSC03228_R.jpg中には何故か千葉市の石柱(予算で買って数は管理されているはず)
DSC03227_R.jpg水量計
DSC03230_R.jpg屋上を見る
DSC03229_R.jpgいい枝振りを発見
DSC03233_R.jpg下に降りる
DSC03234_R.jpgモニュメントの様な物がある、プレートは無くなっている
DSC03231_R.jpg登る
DSC03232_R.jpgさっきの付属施設がすぐ下に見える、しかし屋上からも侵入不可
DSC03235_R.jpg正面玄関(散水車が邪魔だ)
DSC03236_R.jpg下の入り口に何かある
DSC03237_R.jpgサバゲ厳禁(入れないのにやる奴いるのか?)
DSC03238_R.jpg階段
DSC03239_R.jpg殆んど剥がれた鉄の滑り止め
DSC03240_R.jpgポーチの電灯跡
DSC03241_R.jpg反対側の階段には半分近く滑り止めが残る
DSC03242_R.jpgこの窓だけは内側から封鎖してある
DSC03243_R.jpg後はみんな外側から封鎖
DSC03244_R.jpg何もここまでしなくても鉄格子とか・・・
DSC03246_R.jpg反対側
DSC03245_R.jpg給水棟を見ながら撤収する

鉄道連隊 材料廠及びその他遺構

今回は千葉公園付近の、鉄道連隊、気球連隊、その他戦災碑関連を紹介して行く。
歩兵連隊碑を発見出来なかったのだが、126号線沿い天台駅より100m弱、作草部駅に
向かった公園内にある事が判明、作草部公園でマップ表示されないので、Googleマップ
カーナビで探す事は出来なかった、帰宅後にストリートビューでひたすら探して、見つかった。
DSC09439_R_20130301225411.jpgこれの下半分位を回ったが、病院は何も無いようだ。
DSC09283_R.jpg千葉師範学校女子部の祈念碑
DSC09284_R.jpg碑文、説明は何故か無い
DSC09285_R.jpg駅前大通りにポツンとある
DSC09286_R.jpg師範学校に爆弾が落ち、生徒8人教員等2人が犠牲となった場所
DSC09287_R.jpg自己満足で人の読めない文字は意味が無い(碑文じゃ無いからいいけど)
DSC09288_R.jpg千葉駅裏をそごう方面に行く(JR東日本ビル前)
DSC09289_R.jpgほんとにこんな所にって感じの場所
DSC09290_R.jpg千葉機関区の碑
DSC09291_R.jpg碑文、鉄道連隊の実地訓練及び輸送を担った
DSC09292_R.jpg車輪(実物)
DSC09293_R.jpg後ろ側、ここも爆撃を受け、職員動員学徒等23名が亡くなっている。
DSC09297_R.jpg鉄道連隊材料廠を見に行く(千葉経済大学敷地内)
DSC09300_R.jpgぬこ
DSC09302_R.jpgぬこカンいっぱい
DSC09299_R.jpg外周を周ってみる
DSC09303_R.jpgこの両サイドの継ぎ足しは戦後なのか?
DSC09304_R.jpg明治の煉瓦は芸術だ(珍しいオランダ積み)
DSC09308_R.jpg校舎側に案内板がある
DSC09307_R.jpg全体
DSC09310_R.jpg千葉指定有形文化財
DSC09311_R.jpg覗き込む
DSC09313_R.jpg入りたいが、警備会社のステッカーが・・・
DSC09316_R.jpg謎の現象
DSC09321_R.jpg登りたい
DSC09305_R.jpg前回触れたが、轟町は軍靴の音が途切れない町と言う所から付いた名前
DSC09329_R.jpg煉瓦棟とは、離れた裏門にある説明板
DSC09331_R.jpg洗剤で拭いたら消えちゃった風な感じで読み難い
DSC09343_R.jpg都賀公園にある作草部神社に行く
DSC09333_R.jpg不明の円形物
DSC09335_R.jpg忠魂碑、陸軍少将字垣一成(後の字垣軍縮で有名な外相)
DSC09339_R.jpg明治三十七.八年戦役従軍者碑
DSC09341_R.jpg公園前の壁、気球連隊の壁と思われる
DSC09345_R.jpg川光倉庫(株)に気球連隊格納庫が残っている
DSC09344_R.jpg隙間に残る境界柱?
DSC09346_R.jpg気球格納庫
DSC09347_R.jpg鉄骨がいい感じ
DSC09349_R.jpg外周を周る、登りたい梯子が・・・
DSC09352_R.jpg所在地
DSC09353_R.jpg反対側にも梯子が
DSC09354_R.jpgここにも梯子が
DSC09355_R.jpg壁はぐるっと回っている
DSC09356_R.jpg格納庫遠景
DSC09357_R.jpg千葉県計量検定所
DSC09358_R.jpg詳細不明
DSC09461_R.jpg椿森集会所の隣に鉄道大隊(連隊ではない)記念碑はある
DSC09460_R.jpg気をつけないと、素通りしてしまう
DSC09462_R_20130302202536.jpg鉄道大隊(連隊ではない)記念碑、北清事変で出動した大隊の碑
DSC09466_R.jpg鉄道隊駐屯の地
DSC09468_R.jpg裏面
DSC09467_R.jpg北京郊外の鉄道路線図、左に北京と書いてある
DSC09469_R.jpg付近番地、この電柱から約20mほど