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横須賀海軍航空隊、夏島地下壕その3

今回は、2層目、3層目を紹介するがまた消えた!FC2は大量投稿には向かないようだ
いい加減腹が立って来た、何時間無駄になっているんだか!
小刻み投稿は好きじゃないが、仕方がないので少しずつUPする
DSC09493_R.jpg第一坑道の右側に階段がある
DSC09494_R.jpgこの階段を登る
DSC09495_R.jpg当時のコンクリート階段に接続する
DSC09496_R.jpgひたすら登る
DSC09497_R.jpg2層目到着
DSC09498_R.jpg手前に便所遺構と言われる物がある
DSC09499_R_20130430210926.jpg内部は碁盤目状に掘られ、道路側に貫通している
DSC09500_R.jpg左右から掘られ、中央部で接続する所でずれが生じている
DSC09501_R_20130430210929.jpg開口部が多いので比較的壕内は明るい
DSC09502_R.jpg山側の開口部、開口部は大概崩れているので、むやみに出ない方がいい
DSC09503_R_20130430212125.jpg山側はあまり床面が良くはない
DSC09504_R_20130430212126.jpg半分塞がれた開口部
DSC09505_R_20130430212128.jpgコンクリートの上に石が積んである
DSC09506_R.jpg2層目唯一の防火水槽
DSC09507_R.jpg山側一番端っこの壕口
DSC09721_R_20130430212814.jpgこの辺りの真上、階段の跡が残っている
DSC09508_R_20130430215322.jpg落とし穴が2ヶ所あるので気を着けよう!落ちると丁度すねを強打して悶絶する事になる
DSC09509_R.jpg隣には土管が顔を覗かしている
DSC09510_R.jpg中央のズレ部分、穴半分ずれている
DSC09511_R.jpg金具が落ちている
DSC09512_R.jpg一部だけ排水溝がある
DSC09513_R.jpg2つ目の落とし穴
DSC09514_R_20130430220038.jpg排水溝終点
DSC09515_R_20130430220040.jpgこの2層目唯一のトロッコ軌条跡
DSC09516_R_20130430220041.jpg道路側に扉を付けた跡のある壕口がある
DSC09517_R_20130430220043.jpg浅い掘りかけ
DSC09518_R.jpgビンが落ちている
DSC09519_R_20130430221309.jpg以下、ズレ部分数枚
DSC09520_R_20130430221311.jpg
DSC09521_R.jpg
DSC09522_R.jpg反対側、最深部
DSC09523_R_20130430221652.jpg浅く掘り抜いた部屋がある
DSC09524_R.jpg妙に綺麗な所がある
DSC09525_R_20130430221656.jpg鎹がまとまって落ちている
DSC09527_R_20130430221657.jpgまた浅い部屋
DSC09528_R.jpg地下壕に良くある土盛り
DSC09530_R.jpg天井から何かぶら下がっている
DSC09531_R.jpg電気のソケットと電線だ  横須賀海軍航空隊、N島地下壕④
DSC09532_R.jpg外に出て、上に向かう、3.11の影響で木が倒れて一部階段が崩れている
DSC09533_R_20130430222349.jpg3層目の壕口は全て塞がれている
DSC09534_R.jpg登って来た階段を振り返る
DSC09535_R_20130430222941.jpg2つ目の壕口
DSC09536_R_20130430222942.jpg3つ目の壕口
DSC09537_R.jpg無理矢理中を撮影する
DSC09538_R.jpg隣に小さな穴が開いている
DSC09539_R_20130430222948.jpgU字溝が斜面に覗く

明日はめげなければ、山頂の明治砲台をやる
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横須賀海軍航空隊、夏島地下壕その2

今回は誕生日にかみさんが、暗所対応のデジカメを買ってくれたので、今までのコンデジ動画よりも、画質は上がっているはずだ、しかし自分が撮るのは殆んど真の闇、よって、画像はざらつき感があり、焦点が中々合わなかったりするが、そこは仕方が無い!
最初だけ、比較にコンデジ動画とデジカメ動画を張ってみる
動画は検索に引っ掛からない様にN島地下壕にあえてしてあるので、気にしないように
夏島は写真点数が2万枚ほど有るので、選別に時間が掛かる、よって、かなり小刻みになるだろう。
djvu2jpeg_R - コピー今回はこの辺を紹介する
DSC09474_R_20130429201151.jpg曲がり角にある貯水槽、夏場は見えなくなるので、落ちない様に
DSC09475_R.jpg当時のコンクリートかは不明だが、所々に残っている
DSC09476_R.jpg実用頭部格納所(要するに魚雷の弾頭部)
DSC09477_R.jpgここにだけ鉄格子がはまっている
DSC09479_R.jpg中は結構広い
DSC09480_R.jpg入り口方向を振り返る
DSC09491_R.jpg何かを止めていた様な治具がある
DSC09482_R.jpg壁面には何かを掛ける様な鉄柱とフックが多数着いている
DSC09483_R.jpg神棚?
DSC09485_R.jpg横方向に通路壕が開いている
DSC09486_R.jpg入ってすぐ、スイッチバックしているが、先は無い、堀りかけと言うより埋めた感じだ
DSC09487_R.jpg正面の壕口は塞がれているので、左に折れる
DSC09488_R.jpg2本目の出入り口
DSC09489_R.jpg3本目の出入り口、図面どうりだ
DSC02675_R.jpg左側は更に折れて、出口に向かう
DSC09490_R.jpg図面と多少違うが最初の入り口近くの出入り口
横須賀海軍航空隊、N島地下壕①
横須賀海軍航空隊、N島地下壕②
DSC01157_R.jpgこれが図面にある、小壕と思われる
DSC01174_R.jpg第一坑道入り口の右側、フェンスの内側へ行く
DSC01158_R.jpgやや狭い入り口
DSC01159_R.jpgスイッチボックスと
DSC01160_R.jpgカクハン機の付いたドラム缶が数個転がっている
DSC01162_R.jpg10数mで本坑には接続していない
DSC01166_R.jpg海軍食器が落ちていた
DSC01167_R.jpg見かけない形のジュースビン
DSC01170_R.jpg最深部、左に折れて第一坑道に接続しようとした様な跡がある
DSC01171_R.jpg落ちていた鉄の杭(1mほどの大型)
DSC01172_R.jpg出口に向かう
DSC01176_R.jpg次の壕口、下に四角く塞がれた跡がある、内側から大雑把に塞ぎ、最後に外側から封鎖したのか
DSC01177_R.jpgクレーンのレール跡だろうか
DSC01178_R.jpg脇に50cmほどの、掘り込みがある
DSC04144_R.jpg次の開口部に向かう、入り口2つで中で接続している
DSC04143_R.jpg左側の壕口
DSC04136_R_20130429213935.jpgこの壕は水没している(長靴程度)
DSC04138_R.jpgここにも鉄柱は立っている
DSC04139_R_20130429213938.jpg振り返ると、右側の壕口が見える
DSC04140_R_20130429214921.jpg板を壁に張った跡がある、碍子でも着けていたのだろうか?
DSC04141_R.jpg最深部、発破もしくは削岩機の穴が開いているがこれ以上掘ると本坑にぶつかる
DSC04142_R_20130429214923.jpg人物比、榴弾砲氏
横須賀海軍航空隊、N島地下壕③

第一坑道入り口から、第三坑道入り口までの間に3つの壕がある、どれが図面上の壕を指しているかは不明
自分的には、塞がれているので規模は計りしえないが、クレーン跡が付いている壕が位置的に濃厚だと思う。

次回は2層目、3層目

横須賀海軍航空隊、夏島地下壕その1

横須賀海軍航空隊は、大日本帝国海軍で最初に設立され、終戦まで存続した航空部隊。航空隊要員の教育・練成、新型機の実用実験、各機種の戦技研究を担当した。戦況の押し詰まった1944年(昭和19年)2月からは、実戦配備にも付いた。
その中の裏山に築かれた小型機格納壕や魚雷関係と主計課の地下壕が夏島地下壕である。
夏島地下壕は3階層になっている事で有名だ、第300設営隊の傑作とも言える壕だろう
更に山頂付近には、明治砲台の遺構もあり、見所は満載である。
djvu2jpeg_R.jpgこの資料に沿って紹介する
DSC00240_R_20130428213830.jpg明治憲法碑
DSC00241_R.jpg戦跡ではない
DSC00246_R_20130428213833.jpg一般にはこちらで有名な場所
DSC00243_R.jpg道路沿いのフェンス裏には壕が並ぶ
DSC00244_R_20130428214556.jpg
DSC00245_R_20130428214558.jpg
DSC00171_R_20130428215227.jpg山肌に並ぶ壕口の殆んどは、塞がれている
DSC00170_R.jpg居住区と言われる地区辺りだ
DSC00175_R.jpg本坑入り口、かなりでかい
DSC00176_R.jpgクレーンの跡がある壕口
DSC00178_R.jpg拡大する
DSC00180_R.jpgもう一つの本坑の入り口
DSC00181_R.jpg貯水池跡、がけ崩れで埋まっている
DSC00182_R.jpg日産の柵の内側にある無事な貯水槽
横空格納庫(貝山緑地より遠望)_R丁度建物を挟んだ向こう側に、格納庫も残っている
DSC00183_R.jpgまた、塞がれた壕口が並ぶが
DSC00184_R_20130428224621.jpg一際目立つ物がある
DSC00185_R.jpg鉄柵も残っている貴重品
DSC04275_R.jpgこれは夏島の中でもかなりレアな物だ
DSC04276_R.jpg探しても多分発見不可能な所にある
DSC04277_R.jpg図面上はポンプ室辺りだろう
DSC04278_R.jpg戦後に鉄扉を外し、コンクリートで埋めた所に仏のレリーフが彫られている、誰が何故彫ったのだろう・・・

靖国神社(遊就館)

靖国神社については、有名すぎるので特に語らない
DSC07312_R_20130427213029.jpg靖国神社に着いた
DSC07314_R_20130427213030.jpg遊就館
DSC07315_R.jpg軍犬慰霊像
DSC07316_R_20130427213033.jpg戦歿馬慰霊像、鳩魂塔も有ったが写真を撮り忘れた様だ
DSC07317_R_20130427213036.jpg左側上から4段目、海防艦志賀の文字がある
Kojima11a_R.jpg戦後は海上保安庁のおじか型巡視船「こじま」となり、さらに千葉市の海洋公民館となった。老朽化や保存コストを理由に千葉市が解体撤去。
pl106_kojima_R.jpg巡視船当時の写真
s-22SHIGAtop_R.jpg那須の戦争博物館に船首が飾られている(菊花紋章は偽物)
DSC07326_R_20130427220853.jpg
DSC07328_R_20130427220854.jpg
DSC07322_R_20130427220852.jpg
DSC07320_R_20130427220850.jpg
DSC07324_R.jpg
DSC07323_R.jpgビルマ、マレーシア方面の遺品
DSC07330_R_20130427221132.jpg
DSC07331_R_20130427221134.jpg特攻勇士を讃える
DSC07333_R_20130427221135.jpg遊就館に向かう
DSC07342_R_20130427222011.jpg玄関ホールに零戦52型がある
DSC07341_R_20130427222009.jpg
DSC07340_R_20130427222008.jpg
DSC07356_R.jpg
DSC07357_R.jpg
DSC07359_R.jpg
DSC07362_R.jpg20mm機関砲
DSC07360_R.jpg
DSC07365_R.jpg
DSC07367_R.jpg96式15cm榴弾砲
DSC07369_R.jpg
DSC07382_R.jpg
DSC07398_R.jpg
DSC07383_R.jpgカノン砲弾と榴弾砲弾
DSC07378_R.jpg89式15cmカノン砲
DSC07374_R.jpg
DSC07376_R.jpg
DSC07397_R.jpg
DSC07377_R.jpg
DSC07387_R.jpg売店を物色する、サバイバル食品の中身は戦闘糧食2型と大差無い
DSC07388_R.jpgしかし、なぜミリ飯?
DSC07390_R.jpg800円払ってSLの横のエスカレーターから上る、これより先撮影禁止
DSC07402_R.jpg一通り見たので帰るとする
DSC07403_R.jpgついでに露天に立ち寄る
DSC07405_R.jpg何件かそれっぽい店がある
DSC07406_R.jpg手榴弾や弾丸を買いあさる
DSC07407_R.jpg流石にこれは、かさばって持ち帰れない、今日は電車だ
DSC07408_R.jpg巨大な忠魂碑
DSC07409_R.jpg靖国神社を後にする

横沢入地下壕、戦車橋・船の科学館

東京都あきる野市に、通称“横沢入(よこさわいり)”という地域があります(正式な地名は“横沢”)。
この横沢入に陸軍立川航空工廠引田資材倉庫の地下秘匿場所として1944年11月~45年2月にかけて陸軍東部64部隊が壕を掘削しており、橋はそのさいに架けられたものらしい。
一般に戦車橋と言われているが、正確には戦車牽引車のフレームだ、索引車の機種は92式3トン索引車試製車或いは94式3トン索引車試製車と思われる。
ちなみに公園化されている割には一般用の駐車場は無いので、線路沿いの大悲願寺辺りに停める事になる。
DSC01073_R.jpg線路沿いの道から暫く山に向かって歩くと、管理棟らしき物がある
DSC01074_R.jpg跡はひたすら歩き回るのみ、不親切にも案内板に地下壕、戦車橋の位置が記載されてない
DSC01075_R.jpg最初の地下壕(跡)は、すぐ見つかる(10ヶ所以上あるらしい)
DSC01076_R.jpg登るが案の定、埋まっている
DSC01077_R.jpg戦車橋もすぐに、見つかった
DSC01078_R.jpg正直、思ったより小さくて、え、これが?と思った
DSC01079_R.jpgまぁ、3トントラックのフレームと考えれば、こんな物だろう
DSC01080_R.jpg道を作る際、用水路を確保する為に埋め込んだ物だろう
DSC01081_R.jpg山の方に向かうと、地下壕があると、カンバンが立っていた
DSC01082_R.jpgしかしここも残念、「知られざる軍都・多摩・武蔵野」に書いてある通り、全て埋まっているのか?
DSC01083_R.jpgここから林道になる
DSC01084_R.jpgすぐに壕口が見つかる、諦めずに登って行く
DSC01085_R.jpgなんと、今度は開口している
DSC01086_R.jpg資料によると、4x4サイズだそうだ
DSC01087_R.jpgあの辺も怪しいのだが、フレームの端で弁当を広げている一般人がいて、不振な行動が取れない
DSC01088_R.jpg林道を登り始めると、陥没跡とおぼしき物が散見する
DSC01089_R.jpg開口部が見える
DSC01090_R.jpg入ろうと思えば入れるが、
DSC01091_R.jpg奥が見えているので、無理に入らない
DSC01092_R.jpg変な物が落ちていた、漬物石だろうか?どう見ても近代物(石のダンベルか?)
DSC01094_R.jpgもう一つの戦車橋が見つからないので龍性寺方面に向かう
DSC01093_R.jpg何ともっと下の方にあった、山頂付近まで捜しても無いはずだ
DSC01095_R.jpgしかし、どう見てもこの橋は迂回されている
DSC01096_R.jpg恐らく川の浸食で、路肩が落ちてしまったのだろう
DSC01097_R.jpg錆びてはいるが、70年も経ている割に原型を留めている
DSC01098_R.jpgおかげで、構造も良く見て取れる
DSC01099_R.jpg線路沿いのこの看板から山道に入ると下側の戦車橋にすぐ行ける

ついでに寄った、船の科学館の陸奥の砲身を紹介する
船の科学館は現在縮小公開中!
2011年7月15日 船の科学館 本館展示の休止について
 「船の科学館」は、1974年(昭和49年)7月20日「海の記念日」に開館いたしました。以来、37年間にわたり延べ1,800万人を超える来館者を迎え、海と船の文化を伝える海洋総合博物館として皆様に親しまれてまいりました。
 しかし、6万トン級の大型客船を模したユニークな本館は、施設及び展示共に老朽化が著しく、これを機に、次世代の海洋教育拠点へのリニューアル準備のため2011年 9月30日(金)をもって、ひとまず本館展示を休止することといたしました。
 本館建物は、引き続き事務所及び収蔵保管・研究施設として活用し、展示は前面水域で保存・公開している南極観測船“宗谷”を中心に、屋外展示の公開を行うと共にプール水面を活用した各種体験教室も実施して、博物館活動を継続していくことといたしました。
 なお、前面水域に係留している青函連絡船“羊蹄丸”につきましては、本館展示の休止に伴い保存・展示を終了することといたしました。
とゆうことで、直前に見に行ったが今も見れるようだ。
DSC08510_R_20130426222809.jpgまずは表にある、旧ロシア海軍の20cm砲
DSC08511_R_20130426222811.jpg
DSC08512_R_20130426222813.jpg
DSC08513_R_20130426222814.jpg
DSC08523_R_20130426222816.jpg裏手に回り、陸奥の主砲を見に行く
DSC08524_R_20130426223134.jpg奥に見える青函連絡船“羊蹄丸”はもう見れない
DSC08525_R_20130426223136.jpg砲口はコンクリートで埋められている
DSC08526_R_20130426223138.jpgこれを始めて見た時は、素直にデケーと思った
DSC08527_R_20130426223139.jpg是非とも46cm砲を引き上げて並べて欲しい物だ
DSC08528_R_20130426223141.jpg案内板
DSC08529_R_20130426223912.jpg砲尾の辺りに上る為の足場が用意されている
DSC08530_R_20130426223914.jpg幸い近くに人影も無いし
DSC08531_R_20130426223915.jpgちょっとだけ
DSC08532_R_20130426223917.jpg登ってしまった
DSC08534_R_20130426223919.jpg撃ってみたい・・・
DSC08662_R_20130426224514.jpg屋上から見下ろす
DSC08641_R_20130426224506.jpg館内展示物
DSC08642_R.jpg
DSC08643_R_20130426224510.jpg
DSC08644_R_20130426224512.jpg
DSC08645_R.jpgこれらが、今見れるかは不明。
二式大艇が無くなってからは、行く事も無くなって10年ぶりぐらいに行った

陸軍調布(府中)飛行場

1941年(昭和16年)4月30日、竣工式が行われ、現在の位置に東京府により公共用飛行場として開設された。そのときの名称は「東京調布飛行場」で、これが現在の「東京都調布飛行場」の前身である。
太平洋戦争中はもっぱら帝国陸軍が使用した。特に1942年(昭和17年)のドーリットル空襲後は帝都防空拠点として重要視されるようになり、南は現在の味の素スタジアムのあたり、西は現在の警視庁警察学校のあたりまでそれぞれ拡張され、未舗装の滑走地帯となった。

戦争末期は、首都圏に飛来するボーイングB-29爆撃機などを撃退するために戦闘機隊が配備された。中でも有名なのは三式戦闘機を装備した飛行第244戦隊で、京浜地区の空襲のたびに出動しB-29に体当たりするなどして戦果を挙げているが、沖縄戦が始まると同戦隊は特攻作戦支援のために九州へ移動したため、調布飛行場には偵察機のみが残された。
fbu_R.jpg結構昔の白糸台の掩体壕写真(甲州街道の上から撮影)
甲州街道から望む。_R前は畑、後ろは駐車場だった
正面全景_R10年以上前の写真である
DSC00506_R_20130425211253.jpgこれは2010年の写真だ
DSC00507_R_20130425211254.jpg畑も何も無くなっている
DSC00510_R.jpg中に入るどころか、柵で近寄れない
DSC00518_R_20130425211258.jpg何か残念な感じ、折角来たのに・・・
DSC00511_R.jpgしかし、案内板が立っていた
DSC00512_R.jpg
DSC00513_R_20130425211926.jpg
DSC00514_R.jpg
p3_R.jpg現在は公開物件となっている
DSC00524_R_20130425212422.jpgもう一つの掩体壕を見に行く(民間所有なので、外観はUPしない)
DSC00525_R.jpg鉄工所の一部として使用中
DSC00526_R.jpg全体的に程度は良い
DSC00528_R_20130425212426.jpg一部低いところは、削られている
DSC00530_R_20130425212428.jpgおおむねの全体像
DSC00535_R_20130425213144.jpg後ろ側
DSC00532_R_20130425213141.jpg側面に柱が入っているのは、あまり見かけない
DSC00534_R_20130425213143.jpg入り口部分はブロックにて閉鎖(許可を取って立ち入っています、連なった母屋に居住しているので、撮影の際には必ず許可を取りましょう、余談だが、白糸台の掩体壕もここの持ち物を寄贈した、他にもあったが取り壊した)
DSC00536_R.jpg武蔵野の森公園に向かう
DSC00537_R.jpg案内図
DSC00538_R.jpg東門から入ると、目の前に大沢1号掩体壕がある
DSC00539_R.jpg入り口にベニヤを張り、飛燕の絵を張っている
DSC00540_R.jpg案内板
DSC00541_R.jpg
DSC00542_R.jpg
DSC00543_R.jpg
DSC00544_R.jpg飛燕ブロンズ像
DSC00545_R.jpgこのプロペラは波平さんの髪の如く、しょっちゅう盗られるらしい
DSC00546_R_20130425221932.jpg掩体壕のカッティングモデル
DSC00547_R_20130425221934.jpgこんな感じでフェンスに囲まれている
DSC00548_R_20130425221936.jpg
DSC00549_R.jpg
DSC00550_R.jpg
DSC00558_R.jpg展望台があったので、登ってみる
DSC00569_R.jpg現在の調布飛行場
DSC00571_R_20130425222511.jpg大沢2号が見える
DSC00563_R_20130425222958.jpg大沢2号は大雑把に塞がれているだけだ
DSC00564_R.jpg全体
DSC00565_R_20130425223001.jpg案内板、基本1号と同じ
DSC00567_R.jpgあまり状態は良くない
DSC00574_R_20130425224012.jpg玉石張りの水路
DSC00576_R_20130425224014.jpg道を挟んだ、野川公園に移動する
DSC00577_R_20130425224015.jpg飛燕のプロペラ
DSC00578_R.jpgプラモデル
DSC00579_R.jpgかなり腐食している
DSC00580_R_20130425224855.jpg真上から
DSC00581_R_20130425224856.jpg調布飛行場の門柱を見に行く
DSC00582_R.jpg京の字が東になっている、米兵の悪戯と言われているが、真偽不明
DSC00583_R_20130425224900.jpg道を挟んで対にある
DSC00584_R_20130425224902.jpg案内板
DSC00589_R_20130425225623.jpg某幼稚園(保育園)の駐車場にある高射砲台座
DSC00592_R.jpg同園長宅の玄関先にある台座
DSC00595_R.jpgプラネタリウムになっている園庭の台座
DSC00594_R_20130425225627.jpg某施設内にある記念碑

田奈弾薬庫(横浜こどもの国)その2

DSC03217_R_20130424192940.jpgこれらの弾薬庫はゲートから池の辺りまでは、施設用に転用されている物が多い
DSC03218_R_20130424192943.jpg入れないから何とも言えぬが、隣接している物は、2つが内部で繋がっていそうだ
DSC03219_R_20130424192945.jpgほぼ同じ物が続くので、説明はあまりしない
DSC03220_R_20130424192947.jpg
DSC03229_R_20130424192949.jpg
DSC03231_R_20130424194030.jpg中には、この様に埋まってしまっている物もある
DSC03237_R_20130424194033.jpg
DSC03238_R_20130424194034.jpg土管のせいか、入り口がどちらかに寄っている物がある
DSC03239_R_20130424194036.jpg第2次大戦中、激戦の南洋諸島のある島での話。
重傷を負った1人の米兵が倒れていました。
そこへ剣付きの銃を持った日本兵が通りかかります。
気付いた米兵は「あっ、殺される」と思った瞬間、気を失ってしまいました。

しばらくして目覚めた米兵。もう日本兵はいません。
そばに落ちていた白い紙切れに気付き、何気なくポケットに入れます。
そのまま野戦救護所に担ぎ込まれ、一命を取り留めました。

その時拾った紙切れに、こんなことが書かれていました。

「君を刺そうとした時、君はぼくに三指の礼をした。
ぼくもボーイスカウトだった。ボーイスカウトは兄弟だ。君もぼくも兄弟だ。
それに戦闘力を失ったものを殺すことは許されない。
傷には包帯をしておいたよ。
グッドラック」

DSC03240_R_20130424194038.jpg
DSC03241_R_20130424195351.jpg入り口の段差は、トラックを横漬けして弾薬の出し入れをする為だ
DSC03242_R_20130424195353.jpg
DSC03243_R_20130424195355.jpgトンネルは当時からの物で、トラックの通行用に掘られた
DSC03244_R_20130424195356.jpg
DSC03249_R_20130424195829.jpg
DSC03250_R_20130424195831.jpg
DSC03251_R.jpg覗き込んでみる
DSC03253_R_20130424195835.jpg何と車が2台入れられている
DSC03255_R.jpg
DSC03256_R_20130424200146.jpg
DSC03257_R.jpg
DSC03260_R.jpg
DSC03261_R_20130424200459.jpg第一トンネル、結構補修されている
DSC03262_R.jpgトンネル手前には塞がれた壕がある
DSC03263_R.jpgこれは入り口ゲート付近の塞がれた壕
CIMG0262_R.jpgさて、場所は伏せるが、入れる弾薬庫が2つほどある
CIMG0263_R.jpg完全地下式の弾薬庫
CIMG0264_R.jpg当時の通気用内扉
CIMG0265_R.jpg入り口付近は何か巻いていたのか、ボルトが露出している
CIMG0266_R.jpg防湿用のコールタールが塗ってある
CIMG0267_R.jpgコの字形に弾薬庫は作られている
DSC06182_R.jpg水没している入り口
DSC06183_R.jpg弾薬庫通風口
DSC06184_R_20130424212359.jpg20mほど離れた所にもう一つある
DSC06185_R.jpgこんな感じ
DSC06188_R_20130424213511.jpg普通に見えない所にある
DSC06189_R_20130424213513.jpg形状は一緒
DSC06198_R.jpg中に入る
DSC06200_R.jpgここも30cmほどのコールタールの線が引いてある
DSC06201_R.jpg天井の鉄板を巻いてあった跡
DSC06202_R.jpg天井の通風口の穴
DSC06207_R_20130424214300.jpgここも入り口は鉄板を巻いてあった
DSC06208_R_20130424214302.jpgカンテラが落ちている
DSC06215_R.jpg弾薬庫全体

田奈弾薬庫(横浜こどもの国)その1

本来の名前では無いが、こっちの名前の方が、通りが良いので田奈弾薬庫として、紹介する。
戦時中は、旧・日本軍最大規模の弾薬組み立て・格納などを目的とした弾薬製造貯蔵施設(東京陸軍兵器補給廠・田奈部隊填薬所)であった。敗戦後は田奈弾薬庫として米軍に接収されるが、後に返還された。1959年の当時の皇太子(今上天皇)の成婚を記念して、主に、国費と雪印乳業など民間からの寄贈により施設跡地を整備し、1965年5月5日(こどもの日)に開園した。
敷地内に弾薬庫は33ヶ所あったといわれているが、11ヶ所しか見つからなかった。
返還後、公園施設を作る際に池や広場などを作るため、内周道路以外の物は殆んど池の底や埋没してしまった。
DSC06112_R_20130423215202.jpg住吉神社そばの慰霊碑
DSC06113_R_20130423215204.jpg学徒動員による移動の際にトラックごと川へ転落し亡くなった男子学生らの慰霊碑
DSC06114_R.jpg
DSC06115_R.jpg
DSC06111_R.jpgコンビニ前の交差点
DSC06116_R.jpgカンバンの裏に2本壕がある
DSC06117_R.jpg内側から
DSC06118_R.jpg掘削自体は割りとマシだが低い
DSC06119_R_20130423220339.jpg奥の方は少しマシ
DSC06120_R_20130423220341.jpg壕内の幅は一定しない
DSC06121_R.jpg2本の壕はU字形に繋がっている
DSC06122_R_20130423220936.jpg最深部から入り口が見える
DSC06123_R_20130423220937.jpg奥の連絡部分
DSC06124_R.jpgこっちは出れなそうに見えたが
DSC06126_R_20130423220940.jpg辛うじて下が開いている
CIMG0241_R.jpg入り口ゲートをくぐり、壕に向かう
CIMG0242_R.jpgこんな所に地下壕が開いてるなんて、殆んど知らないだろうな
CIMG0243_R.jpg中は普通に立って歩ける高さだ
CIMG0244_R.jpgここは埋め戻されている
CIMG0245_R.jpg奥の方は中々きれいだ
CIMG0246_R.jpg両側に排水が切ってある
CIMG0247_R.jpg小部屋
CIMG0248_R.jpg先に開口部が見える
CIMG0249_R.jpg振り返る
CIMG0250_R.jpg出口の一つ
CIMG0251_R.jpg横の通路を行く
CIMG0252_R.jpg開口部があるが、狭いので行かない
CIMG0253_R.jpg奥の小部屋
CIMG0254_R.jpg最後の曲がり角
CIMG0255_R.jpg最後の開口部
CIMG0256_R.jpg脱出する、公園内なので、場所は記さないでおく
DSC03264_R_20130423223527.jpg入り口ゲート付近の丘に隠す様にある
DSC03265_R.jpg弾薬運搬中だった女学生6名が1945年に棒地雷の爆発事故で亡くなっている。
CIMG0258_R.jpg機銃座と言われる物
CIMG0259_R.jpgアンカー跡が3本見える
DSC06220_R_20130423224742.jpgここに窪みがある
DSC06221_R.jpg他にも良く探せば、まだ見つかるだろう
13_R_20130423225334.jpg
14_R.jpg
20100114_794116_R.jpg公式地図
danyaku[1]_R上の地形図と見比べて見るといい

旧平沼(橋)駅、国道駅

旧平沼駅は、かつて存在した京浜電気鉄道→東京急行電鉄(大東急、後の京浜急行電鉄)の鉄道駅である。
1931年(昭和6年)に開設されるが、第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)に営業を休止。翌年廃止された。翌1945年(昭和20年)5月29日の連合国軍機による横浜大空襲の際に、残存施設が壊滅的な被害を受けた。
幸いな事に廃止線になっていたので、直接の被害は駅舎のみだった様だ。
1999年(平成11年)までは現在の線路上を跨ぐ形で鉄骨の屋根の跡が残されていた(架線柱の代用となっていた状態であったことと、戦禍を後世に伝えるため)が、老朽化により崩れる危険が出てきたことから撤去された(プラットホームは腐食・崩壊を防ぐため、プラスティックでコーティング処理されている)。ホームの遺構は現存しており、そこに駅が存在していたことを彷彿とさせる。これはホームが高架橋と一体となっているため、撤去すると高架の強度を保つことができなくなるためである。
正直鉄っちゃんでは無い自分には、名前に橋が付くのか分からない、wikiには平沼駅となっていた。
DSC01879_R.jpg現在の旧平沼駅付近は、耐震工事等の為、かなり改修されている
DSC01881_R.jpg当時のままの高架橋
DSC01882_R.jpg反対側
DSC01883_R.jpg上から見る
DSC01884_R.jpgズームUPしてみる
kh_hiranuma01_92n.jpg平成10年以前の写真、アーチ状の屋根があった
img097_R.jpg以下yahoo画像で拾った出所不明の写真を貼っておく(不備がありましたら削除しますので、ご一報を)
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img113_R.jpg以上、改修前のもう、見れないだろう画像を共有させて貰う

国道駅は現役で使用中のJRの鶴見線の駅である。
相対式ホーム2面2線を有する高架駅で、ガード下の通りには昭和初期の風情が漂う。無人駅で自動改札機も未設置だが、簡易Suica改札機の設置駅。ホームがカーブしており、電車との間に隙間が発生するほか、電車の進入時に警報音が鳴る。
建物正面右の角の中段(ちょうど歩行者信号の右側あたり)の外壁の凹凸は、第二次世界大戦中の米軍による空襲においての機銃掃射の銃弾の痕である。(現在ネットで保護されている)
CIMG0035_R.jpg国道15号線に面している
CIMG0037_R.jpgネットの部分が機銃掃射痕
CIMG0036_R.jpg一部剥がれ落ちて来る様だ
CIMG0038_R.jpgガード下、レトロなカンバン
CIMG0039_R.jpgまさに昭和チックなゴミ入れ
CIMG0040_R.jpgフリーウエイ
CIMG0041_R.jpg上は駅の渡り廊下
CIMG0042_R.jpgまるで、昭和を切り取った様だ
CIMG0043_R.jpg白と黒のコントラスト
CIMG0044_R.jpg反対側の通りに出た
CIMG0045_R.jpg駅前は自転車だらけ
CIMG0046_R.jpg未だに一部は営業している
CIMG0047_R.jpgちょっとしたタイムスリップ気分を味わった、たまにはこうゆうのもいいだろう

綱島の陸軍壕、日吉の金蔵寺

日吉からの帰り道にあたる、周辺遺構を紹介する。
艦政本部地下壕からすぐ近くの、日吉本町2丁目にある金蔵寺にある防空壕を見に行った。
斜面に壕口が多数あるが、マンション、住宅地のまん前なので、無理は出来ない。
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ここは塞がれている
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開口しているが、狭い
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よじ登る
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開口部は広いが、奥行きは無かった
DSC06131_R_20130421175823.jpg
金蔵寺境内に向かう
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山肌に壕口があった。
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がっちりと閉められていた
DSC06135_R.jpg
中はしっかりとした造りの、地下壕になっている、軍用と思われるが、資料が無い
P1000838_R.jpg
綱島公園に向かうと、塞がれた壕があった
P1000839_R.jpg
覗き込むとしっかりした壕の様だ
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綱島街道に出る、東急ストアーの隣に見える(ストリートビューで見れる)
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長年知っているが、入れない壕の一つだった
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頂上には何処にでもある神明社
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それでは中に入ろう、なんとここは二層構造になっている
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まずは上層階層から探索する
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全体的に砂岩質で、のどがいがらくなりそうだ
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最初の行き止まり
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幅はあるが、天井は低め
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壕口外観1枚目の狭い方の壕口部分
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数十年の風化で、柔らかい壁面部分だけが風で削れて床に溜まる
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低いがそれなりの壕だった
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出口に向かう
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脱出、腰が痛い
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下層の入り口は、埋まっている
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何とか潜り込む
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下層の岩盤はしっかりしている
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まさに軍隊掘りの壕
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立って歩けるって、すばらしい
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長い通路には、すれ違い用の窪みがある
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足元の物置
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こんなしっかりした物はあまり無い(足元としては)
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壁に残る掘削時の柱跡
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出口の一つ
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ここから地質が変る
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掘り方も狭く荒くなる
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表面に近付くと根っこが出て来る
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綱島街道沿いのトタン裏側
P1000875_R.jpg
この裏にいる
P1000872_R.jpg
さて戻ろう、爆風避けに壕はまっすぐ掘らない
地元の人から綱島公園の所には陸軍がいたとの証言は得ているが、どの部隊が何をしていたかなどは、資料が無い
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向かいにある、諏訪神社に向かう
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駐車場の壕口、狭いので裏に回る
P1010641_R.jpg
裏側の壕口
P1010642_R.jpg
割りにしっかりしていて、立って歩ける
P1010643_R.jpg
入り口付近の部屋
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部屋の入り口に、排水溝が切ってある
P1010645_R.jpg
右に曲がる
P1010646_R.jpg
駐車場の壕口の明かりが見える
P1010647_R.jpg
左に四角く切ってあるが、外から埋め戻されている
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こっちの入り口付近にも部屋があった。

さて、本日も船越と比与字の様子を見に行った、後に纏めるが現況報告をする。(誰に?)
DSC00990_R.jpg
手前のコンクリート屋も工事をしていたが、新しく砂が入っていたから、壊さないだろう(配管工事か)
DSC00991_R.jpg
雨が酷いので、写真は見辛い
DSC00992_R.jpg
砲架組み立て工場、砲熕工場の外壁も無くなり、レンガ壁のみ残っている
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製缶工場の中ほどは削り取られ、砲塔工場内部が露出している
DSC00996_R.jpg
無残なり
DSC00999_R_20130421214137.jpg
砲塔工場は一見無事に見えるが
DSC00998_R_20130421214135.jpg
窓の外は何も無い
DSC01006_R.jpg
中央非常口からはみ出している廃材を見ると、中は酷い事になっているだろう
DSC01008_R.jpg
横から見ると、中段にガントリーのレールが露出して見える
DSC01009_R.jpg
比与字に移動する
DSC01011_R.jpg
11号倉庫はフェンスで囲まれ売却予定
DSC01012_R.jpg
平面交差は2個とも健在(実は他所にもある)
DSC01015_R.jpg
引込線はこんな感じで残すようだ
DSC01017_R_20130421215418.jpg
ただ、歩道と緑地を作る為に、道路一本分横移動する為に転轍機や海軍蓋は撤去されたのか!
DSC01022_R_20130421215419.jpg
トンネル内はLED化で明るくなった

「廃墟」とあるY市のローマ風呂

実はこの物件、近く改修を受けるらしい、既に3棟ある内の1棟は改修ずみである。
元の形を記録して置きたかった。
P1010556.jpg丘の上にその建物は建っている
P1010557.jpg戦前からのたたずまいで、朽ちるに任せている
P1010558.jpg木々は既に建物よりも大きく育っている
P1010563.jpg外壁のタイルが剥がれている
P1010564.jpg裏手に階段があった
P1010565.jpg2Fのテラス
P1010566.jpg更に登る
P1010568.jpg屋上に憑いた
P1010569.jpg思ったより幅が無い建物だ
P1010571.jpg屋上出入り口
P1010573.jpg奥に煙突の様な物がある
P1010574.jpg覗いてみる
P1010575.jpg下りるとしよう
P1010578.jpg目当ての物件に向かう
P1010583.jpg階段を登る
P1010584.jpg屋上
P1010585.jpgローマ風呂の天井
P1010586.jpg2Fのローマ風呂のあった部屋
P1010587.jpg1Fを見下ろす
P1010588.jpg当時と思われる階段、煉瓦が覗く
P1010590.jpg配電室の様だ
P1010591.jpg隣の小部屋
P1010598.jpg窓に沿って周ると、今度はボイラー室の様だ
P1010601.jpgビルボデ?
P1010606.jpg風呂を見上げる
P1010580.jpg2Fの外を周る
P1010581.jpg外風呂の様だ
P1010608.jpgローマ風呂天井
P1010611.jpg窓の開閉部、滑車が珍しい
P1010612.jpg今は風呂は残っていない
20111025064059_106279.jpg
20111025064058_106278.jpg当時写真

ここは現在も一部使用されている、立ち入りには許可が必要だ。
自分はたまたま通りがかりの人に、写真を撮って良いかと聞いたら、中に入れてくれた。
実際、結構来るらしい、現地も周りは踏み跡だらけで、道になっていた。
あくまで自己責任で、許可を取って静かに見学しよう、ちなみに破壊や内部進入は許可されない。

日吉台連合艦隊地下司令部壕その3

25年4月16日に連合艦隊指令部壕の一部が宅地化工事の際、壕口を破壊されている事が分かった。
翌日の17日と18日は立会いの下、一般も見学できたそうだ、慶応大学敷地外の民有地の為である。

当ブログが知らぬ間にyahooに紹介リンクされ、訪問者が二日で1万を越えてしまった。
荒らしかと思ったが、知人からリンクの件を教えてもらい、なっとくした。
となれば、早速行かねばならない、野比のトーチカの様に、出遅れると見れない内に壊される。
この壕は有名だが、文化遺産などの指定を受けていないので、法的には破壊は土地の持ち主の自由だ。
P1010527.jpg壕口の位置は分かっているので、早速到着!
P1010529.jpgなんと、目の前で壊してる!
P1010532.jpgここに3~4棟の住宅を建てるらしい
P1010535.jpgマンション駐車場から覗き込む
P1010537.jpg民家の裏手に、もう一つある
P1010538.jpg横から見る
DSC00985_R.jpg埋まっていて、先があるのか分からない
DSC00987_R_20130420185126.jpg横には土管が付いている、関連遺構な事は確かだ
P1010539.jpg工事現場の横の階段を慶応に向かっていくと新たな遺構がある
P1010540.jpgコンクリート遺構がある
P1010543.jpg覗き込むと、井戸なのか、貯水槽なのか不明
P1010544.jpgその近くにある壕
P1010545.jpg何とか入れそうだ
P1010546.jpgしかし、水没で早々に退散
P1010549.jpg山中にポツンとあるコンクリート塊
P1010550.jpg何だろう?
P1010622.jpg工事現場に戻ると見知った顔がある、日吉台地下壕を保存する会の喜田美登里さんだ
P1010623.jpg早速ご挨拶し、同行させてもらう
P1010619.jpgこれは排水設備だと言っていた
DSC00966_R_20130421070514.jpg構造が良く分からない、手前の壁は既に折れていて、この角度なのだろうか?
P1010620.jpg土管の跡
P1010621.jpg鉄筋が覗く
P1010624.jpgこれが新聞に載った壕口だ
P1010625.jpg早速進入する
P1010626.jpg二重にコンクリートを巻いている様だ
P1010627.jpg本坑同様に排水溝は切ってある
DSC00973_R_20130420185118.jpg入り口辺はきれいなものだ
P1010629.jpg鉄筋が内側に巻いてある
P1010630.jpgコンクリートの二重巻きはここまで
P1010631.jpg天井の電気配線跡
P1010633.jpg奥はコンクリートで塞がれていた
DSC00981_R_20130420185121.jpg隙間から覗くと、何とこの下側の埋めたコンクリートは1m以上の厚みがある、普通は10cm程度だろうに、なぜ?
P1010634.jpg奥まで側壁に鉄筋は巻いてあった
P1010616.jpg排水溝、蓋が無い
DSC00984_R_20130420185122.jpg出口に向かう、良く見ると結構雑な感じだ
P1010636.jpg現場には、砕かれたコンクリートや土管が転がっている
P1010639.jpg上の方には、横穴墓がある

残念ながら、この工事は続行され、民有地に付き規制も受けないのが現状だ。
見学も受け付けるのは、今日までで、明日からは受け付けないそうだ。
4月20日一部加筆する、写真も増量中

滝ヶ原駐屯地創立39周年記念行事 その5

DSC00650_R.jpg訓練展示終了後、ダッシュで先着順の戦車体験試乗の列に向かう
DSC00651_R.jpg訓練展示を見ないで並んでいる人も結構居る
DSC00652_R.jpg手前にある駐屯地運営のグッズ屋さん
DSC00845_R_20130418203002.jpg左、並んでる人、右、これから並ぶ人
DSC00846_R_20130418203004.jpgこれが装輪装甲車の試乗コースの一部
DSC00847_R_20130418203908.jpgまずはこっちに並ぶ
DSC00850_R_20130418203910.jpg
DSC00853_R_20130418203913.jpg
DSC00856_R_20130418203914.jpg
DSC00858_R_20130418203916.jpg暇なので通り過ぎる車両を眺める
DSC00848_R.jpg戦車をゲットしたので、こっちに並ぶ
DSC00861_R_20130418204514.jpg両方ともゲット完了
DSC00873_R.jpg時間が空いたので、展示場に行くと、海兵隊のラジコンが動いていた
DSC00874_R.jpgこれがコントローラー
DSC00887_R_20130418210613.jpg時間が来たので少し早めに装輪装甲車に並ぶ
DSC00885_R_20130418210610.jpgヘルメットと希望があれば軍手を貸してくれる
DSC00886_R_20130418210612.jpg順番が来た
DSC00890_R_20130418210615.jpg後部ハッチから乗り込む
DSC00894_R_20130418210616.jpgそれでは、行ってみよう
DSC00896_R_20130418211324.jpg一周した
滝ヶ原駐屯地創立39周年記念行事⑪
DSC00888_R.jpg次は戦車に向かう
DSC00899_R_20130418211326.jpg一段上のさっきのグランドで、4台でやっている
DSC00902_R_20130418211332.jpg子供にはお菓子が配られる
DSC00909_R.jpgさぁ、順番だ
DSC00911_R_20130418212041.jpg一人だけ砲塔に入れる、順番的に自分だったが、見知らぬ子供に譲ってしまった
DSC00915_R_20130418212043.jpg74式は何度乗っても楽しい
DSC00916_R_20130418212045.jpg加速のガクガク感がたまらない・・・滝ヶ原駐屯地創立39周年記念行事⑪
DSC00917_R_20130418212047.jpg終わってしまった。 
滝ヶ原駐屯地創立39周年記念行事⑫  
DSC00919_R.jpg帰りがけに、イベント広場による
DSC00920_R_20130418212845.jpg人気の無い61式に登ってみる、戯れにいじっていると
DSC00921_R.jpgなんと、開いてしまった
DSC00922_R_20130418212848.jpgやばい
DSC00923_R.jpg見つかったら、怒られるかも
DSC00924_R_20130418213342.jpg体が勝手に中に引き込まれる
DSC00927_R_20130418213344.jpg勝手に蓋を閉める手がある
DSC00929_R_20130418213345.jpg何故かポケットに懐中電灯がある
DSC00930_R_20130418213347.jpg入ってしまった物はしょうがない、堪能しよう
DSC00931_R.jpg手持ちで撮影には露光が足りない、多少ぶれる
DSC00932_R_20130418213827.jpg一番前の転輪部分
DSC00933_R_20130418213829.jpg座席などは、外されている
DSC00934_R_20130418213831.jpg
DSC00935_R_20130418213832.jpg
DSC00936_R_20130418213834.jpg運転席上部ハッチ
DSC00938_R_20130418214404.jpg下部脱出用ハッチ(戦闘中に上から出ると狙い撃ちに合うので、底から這い出る)
DSC00939_R_20130418214406.jpgエンジンは無く、シャフトのみ残る
DSC00942_R_20130418214407.jpgそれでは脱出、見つかりません様に!
DSC00943_R_20130418214409.jpgここもコーヒーなど70円、ペット100円
DSC00944_R_20130418214412.jpg施設大隊碑
DSC00945_R_20130418215014.jpg40周年記念と大隊廃止が同時だなんて
DSC00946_R_20130418215016.jpg駐屯地の裏門をくぐる
DSC00947_R_20130418215018.jpg小山川を渡り、駐車場に向かう
DSC00948_R_20130418215019.jpg御殿場から東名に乗る前の渋滞表示、最初3kmから7kmに増える
DSC00949_R_20130418215021.jpgここで12km、最終的に19kmまで伸び、来るのに1時間半、帰りは3時間半かかった

滝ヶ原駐屯地創立39周年記念行事 その4

DSC00761_R.jpg緑旗の最前線地区
DSC00764_R.jpg歩兵戦闘が繰り広げられる
DSC00767_R.jpg増援の赤軍部隊
DSC00768_R.jpg撃ちまくる赤軍装輪装甲車
DSC00769_R_20130417193820.jpgトーチカからも射撃開始  滝ヶ原駐屯地創立39周年記念行事⑤
DSC00771_R_20130417194455.jpg自衛隊による反撃開始、UH-60Jによる兵員輸送
DSC00772_R_20130417194456.jpg強行着陸
DSC00773_R.jpg散開!
DSC00779_R_20130417194459.jpg81mm迫撃砲 展開
DSC00781_R_20130417194501.jpgFH-70による火力支援(一発だけ)
DSC00782_R_20130417195854.jpg赤軍の戦車反撃
DSC00785_R.jpg砲撃戦を展開
DSC00788_R_20130417195857.jpg赤軍戦車、一時後退
DSC00789_R_20130417200416.jpg自衛隊側戦車も後退  滝ヶ原駐屯地創立39周年記念行事⑥
DSC00791_R_20130417200418.jpg代わって92式 地雷原処理車が出て来る
DSC00792_R_20130417200419.jpgFH-70の支援射撃
DSC00794_R_20130417200421.jpg 92式地雷原処理用ロケット発射
DSC00797_R_20130417200422.jpgの振りだけして、撤収 
DSC00802_R_20130417204859.jpg敵の戦車再侵攻
DSC00804_R.jpg施設課の整地作業の邪魔をされる
DSC00803_R_20130417204900.jpg自衛隊の猛攻
DSC00805_R.jpg敵戦車、撃破!  滝ヶ原駐屯地創立39周年記念行事⑦
DSC00806_R_20130417205912.jpg敵の最後の抵抗
DSC00809_R_20130417205914.jpgFH-70の突撃支援射撃
DSC00811_R_20130417205915.jpg戦車隊突入
DSC00815_R_20130417205917.jpg後方火力支援
DSC00816_R_20130417205918.jpg激走する74式
DSC00817_R_20130417210553.jpg敵陣突入
DSC00818_R.jpg普通科部隊突入
DSC00819_R_20130417210556.jpg装輪装甲車のスラローム射撃
DSC00820_R_20130417210557.jpg下車戦闘!
DSC00822_R_20130417210559.jpgがんばれ普通科
DSC00824_R_20130417211040.jpg負傷者続出
DSC00826_R.jpg抵抗を続けるトーチカ
DSC00828_R.jpgトーチカに突撃する
DSC00830_R_20130417211045.jpg爆破成功
DSC00831_R_20130417211602.jpg訓練展示には珍しい現場応急処置
DSC00833_R_20130417211603.jpg応急救急車の進入
DSC00834_R_20130417211605.jpg着々と進撃する
DSC00835_R.jpg応急処置完了
DSC00836_R_20130417211608.jpg後方へ搬送する
DSC00838_R.jpg赤の台確保  滝ヶ原駐屯地創立39周年記念行事⑧
DSC00840_R_20130417212304.jpg突入を開始する
DSC00841_R.jpg全軍突撃!
DSC00842_R_20130417212856.jpg状況終了  滝ヶ原駐屯地創立39周年記念行事⑨
DSC00843_R.jpgお疲れ様
DSC00844_R.jpg安息のひと時
次回、体験試乗

滝ヶ原駐屯地創立39周年記念行事 その3

DSC00654_R.jpg偵察隊のバイク
DSC00655_R.jpg観閲行進用に並んでいる車列の前をグランドに向かう
DSC00656_R.jpgすでに隊員の整列は終わっている
DSC00657_R.jpg今日も先週ほどでは無いが、風が強く、旗持ちは大変そうだ
DSC00658_R.jpg音楽隊も準備万端
DSC00659_R.jpgグランドにトーチカが出来ている
DSC00660_R.jpg風が強いので、散水車スタンバイ
DSC00661_R.jpg観客は以外と少なめだった
DSC00662_R.jpg観閲者登壇
DSC00663_R.jpg国旗入場
DSC00665_R.jpg国旗に敬礼
DSC00666_R.jpg観閲者降壇
DSC00668_R.jpg観閲行進準備
DSC00670_R.jpg旭日旗がまたいい
DSC00671_R.jpg左、自衛隊、右、仮想北の方々に分かれて訓練展示をする
DSC00672_R.jpgレンタル散水車は忙しい
DSC00673_R.jpg音楽隊に続き、観閲行進が始まる
DSC00678_R.jpg行進開始
DSC00679_R.jpgいよいよ始まる
DSC00680_R.jpg旭日旗がいい
DSC00681_R.jpg
DSC00682_R.jpgみごとな敬礼を寄こす
DSC00683_R.jpg89式の行進
DSC00684_R.jpg
DSC00685_R.jpg左の箱は79式対舟艇対戦車誘導弾発射装置
DSC00686_R.jpg高機動車の行進
DSC00688_R.jpg機銃を持つその手
DSC00689_R.jpg検証!自衛隊員の手袋は破れている(東北大震災より)事実、靴や手袋、シャツなど殆んど自腹である
DSC00694_R.jpg装輪装甲車
DSC00700_R.jpg重マット
DSC00703_R.jpg
DSC00705_R.jpg
DSC00709_R.jpg
DSC00710_R.jpg
DSC00711_R.jpg
DSC00721_R_20130416210206.jpg74式の行進
DSC00722_R_20130416210208.jpgこのエンブレムはカッコイイ
DSC00723_R_20130416210209.jpgDSC00724_R.jpg敬礼!
DSC00725_R.jpg続いて、OH-1 観測ヘリコプター
DSC00726_R.jpgUH-1j多用途ヘリコプター
DSC00727_R_20130416210613.jpg隣の米軍基地の滑走路使用
DSC00730_R.jpg音楽隊退場
DSC00731_R_20130416210616.jpg背中の羽が、彼らの誇り  滝ヶ原駐屯地創立39周年記念行事②
DSC00732_R_20130416211239.jpg裏方行動開始
DSC00733_R_20130416211241.jpg散水車もがんばる
DSC00734_R_20130416211242.jpg北、もとい仮想敵国も準備中
DSC00735_R_20130416211244.jpgOH-1の飛行展示が準備中に行われる
DSC00738_R_20130416211246.jpg真横やバックはもちろん宙返りも出来る機体
DSC00741_R_20130416214112.jpgOH-1の下で、地味な裏方作業は続く  滝ヶ原駐屯地創立39周年記念行事③
DSC00743_R.jpg敵味方入り混じっての陣地構築がつづく
DSC00745_R.jpgOH-1が帰って行き、敵軍戦車がやって来る
DSC00746_R.jpg一人用蛸壺
DSC00747_R_20130416214120.jpg着弾用スモーク設置
DSC00749_R_20130416220114.jpgトレーラーの上で雲海太鼓の演奏
DSC00750_R.jpg訓練展示開始!
DSC00751_R_20130416220118.jpg装輪装甲車が機銃を打ちながら突っ込んでくる
DSC00753_R_20130416220120.jpg下車戦闘
DSC00754_R.jpg赤旗は敵占領地拠点
DSC00756_R.jpg緑旗が占領地前線
DSC00757_R_20130416220619.jpgOH-1による偵察活動
DSC00758_R.jpg状況報告
DSC00760_R_20130416220623.jpg二輪部隊による、強行偵察  滝ヶ原駐屯地創立39周年記念行事④
写真を撮っているうちに動画の向きが下を向いてしまったが、おまけ動画とゆうことで!
いや、一人で両方手取りは結構きついんだ、これが・・・
次回、本編

滝ヶ原駐屯地創立39周年記念行事 その2

最近のFC2はスゴイ不安定だ、また引っ掛かって消えてしまった!
端折りながら、短めで終わらせる。
DSC00563_R.jpg61式
DSC00565_R.jpg後から登れる
DSC00568_R.jpgカブトムシの様な砲口が特徴的
DSC00570_R.jpgこの砲塔横の足場も特徴の一つだ
DSC00571_R.jpg砲手用観測穴
DSC00574_R.jpg覗き込む
DSC00576_R.jpg車長用キューポラの窓
DSC00577_R.jpg覗き込む
DSC00580_R.jpg74式
DSC00581_R.jpgレイヤーと専属カメラマン
DSC00583_R.jpg
DSC00584_R.jpg
DSC00586_R.jpg
DSC00589_R.jpg子供用試着コーナー
DSC00593_R.jpg無反動砲
DSC00594_R.jpg
DSC00598_R.jpg装備品展示会場
DSC00599_R.jpg
DSC00600_R.jpg10式
DSC00601_R.jpg
DSC00609_R.jpgUAV無人偵察機
DSC00610_R.jpg
DSC00612_R.jpg
DSC00611_R.jpg
DSC00613_R.jpg
DSC00614_R.jpg
DSC00615_R.jpg
DSC00616_R.jpg
DSC00617_R.jpg
DSC00618_R.jpg
DSC00619_R.jpg
DSC00620_R.jpg
DSC00621_R.jpg
DSC00622_R.jpg
DSC00623_R.jpg
DSC00624_R.jpg
DSC00625_R.jpg以上装備品展示、車両は省く
サーバー不調の為終わる、次は訓練展示

滝ヶ原駐屯地創立39周年記念行事 その1

25年4月14日に行われた滝ヶ原駐屯地創立39周年記念行事の紹介
今回は駒門駐屯地の教訓を得て、0630に出発するとコンビニに寄りながらでも0800に到着した。
距離にして100kmそこらなので、手ごろなのだが、帰りがなんとも・・・・
DSC00468_R.jpgもうすぐ世界遺産、霊峰富士
DSC00473_R.jpg演習場到着
DSC00472_R.jpg開放1時間前、まだガラガラだ
DSC00469_R.jpgぞくぞく入って来る
DSC00471_R.jpg仮設トイレ、今日は使えないらしい
DSC00474_R.jpg列に並ぶと既に結構いる、しかし0830に開門するらしい、助かる。
DSC00476_R.jpg車両の出入りは結構あった
DSC00478_R.jpgゲートをくぐると、トラックの車列と富士山がいい感じに並んでいる
DSC00479_R.jpg駐屯地内は準備で忙しそうだ
DSC00481_R.jpg案内図
DSC00483_R.jpgあちこちに車両が準備中
DSC00484_R.jpg重マット
DSC00486_R.jpgこれは違う、でも結構レアかも
DSC00489_R.jpg89式装甲戦闘車が並んでいる
DSC00490_R.jpg軽装甲機動車の車列と富士山
DSC00491_R_20130414212014.jpg隣は道を挟んで米軍基地
DSC00492_R_20130414212017.jpg米国海兵隊施設と書いてある
DSC00493_R_20130414212019.jpg兵士の休息
DSC00494_R_20130414212021.jpg木造の倉庫が結構ある
DSC00495_R_20130414212023.jpg模擬店はまだ何処も開いていない
DSC00496_R_20130414212616.jpg割と安め
DSC00497_R_20130414212618.jpg広場には子供用設備が
DSC00596_R.jpgこれはすごいかも、始めて見た
DSC00498_R_20130414212620.jpg資料館(広報展示室)
DSC00499_R_20130414212623.jpg
DSC00500_R_20130414213054.jpg
DSC00501_R_20130414213056.jpg
DSC00502_R_20130414213058.jpg
DSC00503_R_20130414213100.jpg
DSC00504_R.jpg屋外の碑、石柱類
DSC00506_R.jpg中に入る
DSC00507_R.jpg
DSC00513_R.jpg
DSC00515_R.jpg
DSC00516_R.jpg
DSC00517_R.jpg
DSC00518_R.jpg
DSC00519_R.jpg
DSC00521_R.jpg
DSC00523_R.jpg
DSC00524_R.jpg
DSC00527_R.jpg
DSC00528_R.jpg
DSC00529_R.jpg
DSC00530_R.jpg
DSC00531_R.jpg
DSC00532_R.jpg
DSC00533_R.jpg
DSC00534_R.jpg
DSC00535_R.jpg
DSC00546_R.jpg
DSC00547_R.jpg
DSC00548_R.jpg以上資料館の一部抜粋
DSC00629_R.jpg米国海兵隊展示車両
DSC00630_R.jpg
DSC00631_R.jpg並んでもらった
DSC00633_R.jpg
DSC00634_R.jpg   滝ヶ原駐屯地創立39周年記念行事①  
DSC00635_R.jpg後ろが開いている
DSC00637_R.jpg話をしたら、乗って良いそうだ、上に銃座がある
DSC00638_R.jpgなんか配線類が大雑把な気がする
DSC00639_R.jpg銃座に上がってみた、何と回るぞこれ
DSC00642_R.jpgなんかこうゆう車はアメリカっぽい
DSC00643_R.jpgゴリアテ
DSC00645_R.jpg屋内用、階段も登れる
DSC00646_R.jpg爆発物処理用のアーム  滝ヶ原駐屯地創立39周年記念行事⑩
DSC00647_R.jpg爆弾処理用のプロテクター
DSC00648_R.jpgと、メット

日立航空機立川工場及び立川飛行場

都立東大和南公園の中に日立航空機立川工場の変電所が残っている、2001年までは給水塔も
残っていたが解体された、一部のみ変電所の前にモニュメントとして保存されている。
実際はただの軍需工場の変電所なのだが、機銃痕の残る建物として、結構有名だ。
東京瓦斯電気工業を合併した富士自動車(後の小松ゼノア)立川工場の変電所として平成5年まで
稼動していた(もちろん内部設備はそれなりに更新されている)。
DSC01016_R.jpg都立東大和南公園のグランド前にある
DSC01018_R.jpgこれ全部機銃掃射痕、どんだけ撃たれているのか数えたくなる
DSC01017_R.jpgまずは足元を見る
DSC01019_R.jpgこれは変電所で実際に使用していた部品類を埋め込んだ物だ(戦時中の物かは不明)
DSC01020_R.jpg建物内部には立ち入ることはできないが毎年2月には変電所1階にて多摩史跡写真展が開催される際には、一般に開放され内部を見ることができる。
DSC01021_R.jpg1995年に東大和市の史跡に指定[2]され東大和市が保存・管理をおこなっている。
DSC01022_R.jpg登って見たかった
DSC01023_R.jpgこの工場は3回空襲を受けているそうだ、その時の傷跡
DSC01024_R.jpg柵の内側で近寄れない
DSC01025_R.jpg被爆アオギリ二世
DSC01026_R.jpg3回の爆撃で、111人が死亡したそうだ(旧の文字は後彫りか?)
DSC01027_R.jpg右側から全景
DSC01028_R.jpg階段
DSC01029_R.jpg鉄格子でも、有ったのだろうか
DSC01030_R.jpg排気筒か?雨どいは隣にある
DSC01031_R.jpg衝動を駆られる物発見
DSC01032_R.jpg屋上に登れる梯子がある、流石に通報されるだろうな
DSC01033_R.jpg裏面には機銃痕は少ない
DSC01034_R.jpg説明の無い謎の壁、外壁だった一部だろうか?
DSC01035_R.jpg位置関係(手前が壁)
DSC01036_R.jpg給水塔内側
DSC01037_R.jpgこうして見ると、正面はほんとに穴だらけ
DSC01038_R.jpg変電所時代のモニュメント
DSC01039_R.jpg不明のエンジン(説明なし)
DSC01040_R.jpgプロペラ径より、かなり小型機と思われ
DSC01041_R.jpg中央がプロペラ
DSC01042_R.jpg以下モニュメント
DSC01043_R.jpg
DSC01045_R.jpg
DSC01046_R.jpg
DSC01047_R.jpg
DSC01048_R.jpg
DSC01049_R.jpg以下F6F、P51による機銃痕
DSC01050_R.jpgB29、101機による爆撃痕もあるだろう
DSC01051_R.jpg
DSC01052_R.jpg
DSC01053_R.jpg
DSC01054_R.jpg日立航空機立川工場の変電所を後にする

続いて、立川飛行場関連遺構を見に行く。
立川飛行場自体は、概ね現在の立川駐屯地になるが、周辺に陸軍施設が密集していた、国営昭和記念公園などは、陸軍航空技術研究所だったが、その周辺は陸軍航空工廠だった。
しかし、現在確認できる遺構は、殆んど無い。
DSC01055_R.jpg立川飛行機周辺に到着
DSC01056_R.jpg東中神駅東の踏み切り前に向かう
DSC01058_R.jpgフェンスに囲まれた広い土地がある
DSC01059_R.jpgかつての立川飛行場の門らしい
DSC01060_R.jpgコンクリート壁は線路に沿ってつづく
DSC01063_R.jpgフェンスの内側を覗く
DSC01064_R.jpg何とか門の兆番が見える
DSC01066_R.jpg引込み線の遺構を探しに住宅街に、一方通行で狭い道
DSC01067_R.jpgあったが、車を停める所が無い、辺りを見計らって車を乗り捨て、ダッシュで撮る
DSC01068_R.jpg立川基地引込線跡説明板
DSC01069_R.jpg文字だけUP
DSC01070_R.jpg
DSC01071_R.jpg
DSC01072_R.jpg当時もここで分岐していたそうだ
この右の道を進むとフェンス沿いの道に出るがその中にコンクリート基礎の遺構が見受けられたが、今度こそ
車が停められないので、あきらめた。

浅川地下壕 イ地区内部 その2

DSC01266_R.jpgダイバージェンス1%の向こう側に行こう
DSC01267_R.jpgいきなり海軍食器が落ちている、これは置いて来た、一つぐらい痕跡が有った方がいい
DSC01268_R.jpgまた、運命石の扉が現れる
DSC01271_R.jpgゴミが多い、開口部が近そうだ
DSC01272_R.jpg光が見える程度の開口部、脱出は無理そうだ(この時点で当然位置不明)
DSC01273_R.jpgそろそろ入壕開始から2時間以上が経過している、電池が持つか?
DSC01274_R.jpgこの先は掘削中の様だ
DSC01275_R.jpg仕方なく引き返す
DSC01276_R_20130412195729.jpgこっちも行き止まり
DSC01277_R_20130412195731.jpg不意に現れる、コンクリート舗装
DSC01278_R_20130412195732.jpg反対から見てみると、排水溝まできれいに出来ている
DSC01279_R_20130412200352.jpgセンター部に舗装が続く
DSC01280_R_20130412200354.jpgつまらないので、荒れた方を進む
DSC01281_R_20130412200356.jpg掘削時の柱がかなりある
DSC01282_R.jpg新たなシュタインズゲート登場(見学会最深部の裏側)
DSC01283_R.jpgキノコ栽培の跡
DSC01284_R.jpg蚕棚がつづく
DSC01285_R.jpg床に変化が!
DSC01286_R.jpgこれは、工作機械台座ではないか!実際に稼動していた部分だろう
DSC01287_R.jpg壁に沿って工作機械が並んでいる、有名な写真の辺りだろうか
DSC01288_R.jpg坑道の幅は広くなっている
DSC01289_R.jpgなんか立ってる
DSC01290_R.jpg毛色の違う所がある
DSC01291_R.jpgきれい過ぎる、キノコの苗床の棚だろうか
DSC01292_R.jpg別の通路にも台座はあった、やるな中島飛行機
DSC01294_R.jpg複数の台座が確認出来る
DSC01295_R.jpg稼動地区の排水はしっかりしている
DSC01296_R_20130412205117.jpgまた水没がある
DSC01297_R_20130412205119.jpg台座は見えないが、平坦な道が続く
DSC01298_R.jpgまた、違う形の台座が並ぶ
DSC01301_R_20130412211146.jpg個々に形も違う
DSC01303_R_20130412211148.jpg台座のアンカー跡が残る
DSC03128_R.jpg違う場所に移動する
DSC03130_R.jpg近代水道がある
DSC03132_R.jpg非常口
DSC03133_R.jpgさっきの苗床の棚に回って来た
DSC03134_R.jpg前の壕床は整地されている
DSC03136_R.jpg内部
DSC03137_R.jpg近くには発砲スチロールに土が入っている物が大量に並ぶ
DSC03138_R.jpgまた、棚が並んでいる
DSC03139_R.jpg四つのテスト
DSC03140_R.jpg巨大な送風機
DSC03141_R.jpgキノコ業者の説明カンバン
DSC03142_R_20130412221951.jpgまた、ゲートがある、錆び止めの朱塗りが味わいを醸し出す
DSC03144_R.jpgキノコ街道はここで終わり
DSC03152_R.jpgここにもトロッコ軌条がある
DSC03155_R.jpg壕内に残るトラック
DSC03158_R.jpg壕内の温度は8~9℃ほどだった、ちなみに撮影時期は8月だ、稼動当時も壕内の湿気と、壕内外の温度差による結露で、作った翌日には錆が浮き、毎日の作業が錆び落としから始まり、効率が悪かったそうだ。

これだけの規模の地下壕を作った割りに、完成したエンジンはわずかに10台程度(文献により数台から33台までまちまちだ)、ちなみにここでエンジンを一から造っていたのではなく、近隣の疎開工場で作った各部品を浅川地下壕に集め、ここで造った物とで完成品にしていた、よって、他から部品が届かないと作業ははかどらなかったそうだ。

エル・プサイ・コングルゥ

浅川地下壕 イ地区内部 その1

DSC01110_R.jpg山狩りをする事約3時間、遂に20cmほどの亀裂を発見!
DSC01111_R.jpg覗き込むと空間が広がっている、一旦外せる装備は全て外す、滅茶苦茶狭い
DSC01112_R.jpgなんとか侵入に成功するが、傷だらけで痛い・・・出れるか心配になる
DSC01222_R_20130411210642.jpg取り合えず探索を開始する
DSC01223_R.jpg生きて出れるだろうか?振り返ると心配になる
DSC01224_R_20130411210646.jpgあまり地質が良くないのだろうか、落盤が多い
DSC01226_R.jpg壕床の殆んどが埋まっている
DSC01227_R.jpg平らな所に出たら、ご他聞に漏れずキノコ栽培
DSC01228_R.jpg天井付近に電気配線が続く
DSC01229_R.jpg壁に出口と書いてあるが、開かない
DSC01230_R.jpg結構な高圧碍子が着いている
DSC01127_R.jpgごつい補強の入った外部への通路、何処に出るかは不明
DSC01231_R.jpg堤防がある、左側は通路になり階段がある
DSC01233_R.jpg手前の人口池、ポンプ付き
DSC01235_R.jpg越えてみると平坦だ
DSC01234_R.jpg左側は行き止まり
DSC01236_R.jpg先に進む、何か見える
DSC01237_R.jpg旧軍の人型決戦兵器か!
DSC03162_R.jpg車載型のアタッチメント式パワーシャベルだ
DSC01238_R.jpgこの辺りは水が染み出している
DSC01239_R.jpg湿度も高くなる
DSC01240_R.jpgデカイ壁に扉が付いている、外から見た壕口だろうか?
DSC01241_R.jpg急な上り斜面、冷蔵庫付き
DSC01145_R.jpgトロッコ軌条がある
DSC01242_R.jpg全体的に狭くなった
DSC01243_R.jpgこの辺はマシな通路
DSC01244_R.jpg極端に狭まる
DSC01245_R.jpg掘り掛け、終了
DSC01246_R.jpg斜面まで引き返す
DSC01247_R.jpg長い坑道にでる
DSC01248_R.jpg電線に沿って進む
DSC01249_R.jpg右に曲がる轍が有るが、まっすぐ行く
DSC01251_R.jpg狭まるが、まだ続く
DSC01252_R.jpg突き当たり、振り返るが1キロぐらい有ったんじゃ?
DSC01253_R.jpgしかしでかいなここは
DSC01255_R.jpg全然終わりが見えない
DSC01256_R.jpgこの辺はタイヤの跡がある
DSC01257_R.jpgバッテリーが飾ってある
DSC01258_R.jpg水没区突入
DSC01259_R.jpg水は増える、道は狭まる
DSC01260_R.jpg水没の先に鉄格子があるが、通れる
DSC01262_R.jpgこうゆう空間は好きだな
DSC01263_R.jpg水中の分岐点
DSC01264_R.jpg左に進む
DSC01265_R.jpg右は何やら、棚状の物がある
DSC01266_R.jpgそして、またゲートをくぐる
つづく

浅川地下壕 イ地区(周辺)

気が付いたら、1万ヒット超えていた、ちょっと驚いたな気にしてなかった分・・・
まぁ、他の人の参考にしてもらえればそれで良し、好きに見て言って欲しい。
東京都八王子市にある、浅川地下壕をこっちの世界で知らない人は居ないだろう。
松代地下壕や赤山地下壕の様に随時(開場時間内)見学可能な訳では無いが、日吉連合艦隊司令部壕の様に月一回ほど保存会の手で見学会を行っている。
DSC01204_R.jpgネット情報だとこの電柱右手から見学会は出入りすると書いてあったが
DSC01205_R.jpgこの様子では、現在使っていない、右手の民家の庭にもう一つの入り口がある
DSC01100_R.jpg次にネットで見たJR京王線から見える青いトタンを探した
DSC01101_R.jpgだいぶ壊れているトタンの隙間をくぐる
DSC01103_R.jpg踏み分け道が残っているので辿って行く、以前は車も通っていた様だ
DSC01104_R.jpg壕口発見するも、塞がれている
DSC01105_R.jpg割と大きな壕口で車の出入りも出来そうだ
DSC01106_R.jpgこの辺の斜面は崩れまくっていて、危険だ
DSC01107_R.jpg半分埋まった壕口があった
DSC01108_R.jpg覗き込むが、隙間は無かった
DSC01218_R.jpgJR高尾駅に向かう
DSC01210_R.jpg入場券を買い、手前側ホームをカメラを持ってうろつく、一部鉄ちゃんには有名
DSC01211_R.jpg昔の輸入レールを使った支柱である
DSC01212_R.jpg31番柱
DSC01213_R.jpgあえてペンキを塗っていない部分
DSC01214_R.jpgP51機銃掃射痕
DSC01215_R.jpg33番柱
DSC01216_R.jpg12.7mm弾痕
DSC01217_R.jpgランドセル地蔵で知られる事件もこの機もしくは僚機の仕業である
DSC01207_R.jpg帰りに高月かな穴地下壕を探しに行った
DSC01208_R.jpg結果は場所の特定が出来ず惨敗
DSC01209_R.jpgこの穴は数mで閉塞していた、求む位置情報!

大変な事が判明した、フォルダの一部が消失している、他の地区探索記録が無い!
と結う訳で、イ地区のみ紹介する

駒門駐屯地創立53周年記念行事 その3

DSC00320_R.jpg1150に訓練展示が終わり、ダッシュで門の外の教習所に向かう(と言っても500m程度か?)
DSC00321_R.jpg既に結構並んでいる、1040からやっているから当然だが・・・
DSC00324_R.jpg一度に10~11人づつX2台でこなしていく
DSC00329_R.jpg74式は足が硬いから乗ってて楽しい
DSC00331_R.jpg加速時のガクガク感がいい
DSC00333_R.jpgバックストレートを駆けて来る74式、いい音している
DSC00334_R.jpgコースは単純に外周一周、約2分程度
DSC00335_R.jpg30分ほどで、順番が周ってくる
DSC00336_R.jpg樹脂製ヘルメットを貸してくれる
DSC00337_R.jpgさぁ、お楽しみの時間だ
DSC00339_R.jpg楽しかった  駒門駐屯地創立53周年記念行事 ⑨
DSC00340_R.jpg再び駐屯地内に戻る、厚生センター前にある61式を見る
DSC00341_R.jpgつい最近まで現役だったのに、残存台数は驚くほど無い
DSC00342_R.jpg日本は武器の払い下げが出来ないので、展示用を除き殆んどがスクラップになった。
DSC00343_R.jpg61式はマニュアルシフトで、操縦もハンドルは無く、レバー2本で左右のキャタピラを扱う
DSC00344_R.jpg当時の戦車なので、居住性など完全無視で、夏場は内部は70℃に達する事もある
DSC00355_R_20130409211530.jpg祝賀会場
DSC00356_R.jpg厚生センターに行く
DSC00346_R.jpgゲームセンター、レンタルDVD完備
DSC00347_R.jpgメインは食堂とPXのお土産屋
DSC00348_R.jpg何処に行ってもPXは盛況だ
DSC00349_R.jpg隊員の作品展示、紙粘土の赤城
DSC00350_R.jpgプラモデルコーナー(ガンダムもあった)
DSC00351_R.jpg五式戦車
DSC00352_R_20130409212214.jpg四式戦車
DSC00353_R.jpg八十九式戦車(土浦では自走出来る八十九式が見れる)
DSC00357_R.jpgグランドに戻ると車両展示をしていた、10式戦車
DSC00358_R.jpg説明板
DSC00361_R.jpg90式戦車
DSC00362_R.jpg説明板
DSC00365_R.jpg74式戦車改レーザ検知器タイプはあまり見れない、試作一両量産四両しかない貴重品
DSC00366_R.jpg説明板、従来の74式戦車にパッシブ式暗視装置や発煙弾発射機と連動するレーザー検知装置などを装備し、サイドスカートが装着可能となり、履帯離脱防止装置を備えている。
DSC00367_R.jpg74式戦車F型
DSC00368_R.jpg説明板、A~G型が存在し現行は殆んどF型に改修されている
DSC00379_R.jpg74改これがパッシブ式暗視装置(高価)
DSC00380_R.jpg74Fこれはコスト面からSTB-2以降では、アクティブ近赤外線式の暗視装置を使用しているタイプ(安価)
DSC00381_R.jpg74式操縦用窓
DSC00383_R.jpg90式操縦用窓
DSC00385_R.jpg10式操縦用窓
DSC00386_R.jpg10式車長用窓
DSC00369_R.jpgそしてこれが初見の11式装軌車回収車
DSC00370_R.jpg
DSC00371_R.jpg
DSC00372_R.jpg
DSC00376_R.jpg
DSC00377_R.jpg静岡県にサソリマーク
DSC00389_R.jpgやばい大粒の雨が降ってきた!撤収する
DSC00390_R.jpgめちゃ安い70円
DSC00392_R.jpg帰ろうと思ったが雨で並びが激減しているのを発見!当然もう一度乗る。  駒門駐屯地創立53周年記念行事 ⑩
DSC00405_R.jpg駒門観的広場に侵入する
DSC00407_R.jpg当時の着弾観測所が残っている
DSC00395_R.jpg半地下構造になっている
DSC00396_R.jpg
DSC00397_R.jpg
DSC00398_R.jpg
DSC00400_R.jpg
DSC00401_R.jpg
DSC00403_R.jpg
DSC00404_R.jpg総火演に行きたくなった
DSC00408_R.jpg右手に何か土台が見える
DSC00409_R.jpg4本の支柱跡
DSC00410_R.jpg今となっては、櫓なのかアンテナなのか不明
DSC00412_R.jpg帰り道ふと横を見ると
DSC00413_R.jpgFH70が一般道をけん引されている!
DSC00414_R.jpgさすがは御殿場だ
DSC00415_R.jpg帰りがけに、いい物が見れた

駒門駐屯地創立53周年記念行事 その2

DSC00154_R_20130408200457.jpg時間なのでグランドに向かう
DSC00156_R.jpg記念式典が始まる
DSC00157_R_20130408200500.jpgこいつらほんとに邪魔
DSC00158_R.jpg10式が配置に着く
DSC00159_R_20130408200504.jpg観閲官入場
DSC00165_R.jpg国旗登壇
DSC00167_R.jpg観閲車両準備
DSC00168_R_20130408201756.jpg乗車中
DSC00173_R_20130408201758.jpgライト点灯
DSC00179_R.jpgゾクゾクとグランドを出て、観閲準備に向かう
DSC00189_R.jpg誰も居なくなったグランドに残る、舟艇の山  駒門駐屯地創立53周年記念行事 ①
DSC00188_R_20130408202732.jpg観閲車両進入、以下1枚ずつ貼る
DSC00192_R.jpg
DSC00194_R.jpg
DSC00195_R_20130408202738.jpg
DSC00197_R_20130408203150.jpg
DSC00198_R.jpg
DSC00199_R.jpg
DSC00201_R.jpg
DSC00202_R_20130408203156.jpg
DSC00204_R_20130408203409.jpg
DSC00205_R_20130408203410.jpg
DSC00207_R_20130408203412.jpg
DSC00208_R_20130408203413.jpg
DSC00209_R.jpg
DSC00220_R.jpg
DSC00222_R_20130408203628.jpg
DSC00223_R.jpg
DSC00224_R.jpg
DSC00226_R.jpg
DSC00227_R.jpg
DSC00233_R.jpg
DSC00238_R_20130408205442.jpg最後に10が壇上に挨拶をする 駒門駐屯地創立53周年記念行事 ②  
DSC00240_R_20130408205826.jpg音楽演奏が始まる
DSC00239_R.jpgその後で、裏方が頑張っている
DSC00246_R.jpg普通科個人装備武器説明
DSC00247_R_20130408210044.jpg  89式5.56mm小銃、5.56mm機関銃 MINIMIなど、動画もあるがジーちゃんが邪魔なので上げない 
DSC00248_R_20130408210045.jpg1400万円の消防車
DSC00249_R_20130408210047.jpg裏方は頑張っている
DSC00250_R_20130408211642.jpg準備が整ったので、訓練展示開始!
DSC00251_R_20130408211643.jpg火力支援部隊
DSC00253_R_20130408211644.jpg対空支援部隊
DSC00255_R_20130408211645.jpg対空支援部隊、準備完了
DSC00257_R_20130408211646.jpg 火力支援部隊、準備完了  駒門駐屯地創立53周年記念行事 ③
DSC00258_R.jpg偵察部隊進入
DSC00260_R.jpg
DSC00261_R.jpg
DSC00262_R.jpg
DSC00263_R.jpgバイク二台で走行射撃などを行う
DSC00265_R.jpg87式偵察警戒車も進入
DSC00268_R.jpg敵の攻撃を受ける 駒門駐屯地創立53周年記念行事 ④  
DSC00269_R.jpg火力支援
DSC00270_R.jpg着弾 駒門駐屯地創立53周年記念行事 ⑤  
DSC00275_R.jpg普通科部隊前へ
DSC00276_R.jpg74式機銃発砲
DSC00278_R.jpg応戦
DSC00279_R.jpg下車戦闘  駒門駐屯地創立53周年記念行事 ⑥
DSC00280_R.jpg戦車部隊突入!、まずは90式から
DSC00281_R.jpg
DSC00286_R.jpg10式も突入
DSC00287_R.jpg
DSC00289_R.jpg敵の反撃
DSC00295_R.jpgここは戦車砲発砲の時に旗を振らない
DSC00296_R.jpg戦車の発砲時期が分からない
DSC00301_R.jpg再び火力支援
DSC00303_R.jpg渾身のワンショット!
DSC00307_R.jpg怯んだ敵に総攻撃
DSC00308_R.jpg敵戦車撃破!
DSC00310_R.jpg突撃!
DSC00311_R.jpg超肉迫
DSC00314_R.jpg普通科部隊、突撃!
DSC00315_R.jpg下車戦闘、制圧
DSC00316_R.jpg状況終了
駒門駐屯地創立53周年記念行事 ⑧

この駐屯地の来賓には、品が無い!始まってからも立ち歩き、席がガラガラ状態だ。
今回の動画は、爆弾低気圧の影響で、風音が入って聞き苦しい物になってしまったし、三脚が風で動いて使用不能になってしまい、左手にビデオ、右手に一眼となって、写真撮影中は動画が泳いでしまった。
次回、戦車体験試乗

駒門駐屯地創立53周年記念行事 その1

陸上自衛隊駒門駐屯地創立53周年記念行事に行って来た。
前日に爆弾低気圧の襲来を向かえ、7日の記念行事に行けるかどうか分からなかったが、いつもの様に
0600勝手に体が起床する、昼間で寝れる人がうらやましい・・・
窓を開けると雨が止んでいる、行くっきゃないか!
駄目だと思い、何一つ用意もしていなかったので、慌てて支度をし0730出発をする。
カメラの充電が1時間しか出来なかったが、予備もあるから何とかなるだろう!多分・・・
DSC00070_R_20130407195551.jpg駒門駐屯地到着0900丁度開門時間だ
DSC00069_R.jpg駐車場となる自衛隊専用教習所、低気圧のせいかガラガラだ
DSC00071_R.jpg入り口に向かいながら、中を伺う
DSC00072_R.jpg74式ばかりだが、戦車だらけだ
DSC00073_R.jpgこっちは大型特殊用教習所
DSC00074_R.jpg本日は戦車体験試乗の会場となる1040~1400まで
DSC00076_R.jpg観光ツアーも結構来ている
DSC00077_R.jpgなるほど、年号を書かなければ来年も使える、ナイスだ
DSC00078_R.jpg案内板、これも使える
DSC00081_R.jpgしかし、出遅れたなぁ
DSC00083_R.jpgこの車両の防水シートは始めてみた
DSC00085_R.jpg開始までの時間の緊張がいい
DSC00086_R.jpg露天はやはり食べ物やが多い
DSC00087_R.jpgしかし、まだ焼き上がっていなかった
DSC00088_R.jpg着ぐるみも自衛官がやっているのか?
DSC00089_R.jpg装備品展示会場
DSC00091_R.jpg155mm榴弾砲 FH70
DSC00092_R.jpg観測器具
DSC00093_R.jpgパノラマ眼鏡
DSC00094_R.jpg模擬弾と眼鏡ケース
DSC00095_R.jpg81式短距離地対空誘導弾
DSC00096_R.jpg説明板
DSC00098_R.jpg81式自走架柱橋
DSC00099_R.jpg説明板
DSC00101_R.jpg87式偵察警戒車
DSC00102_R.jpg説明板
DSC00104_R.jpg96式装輪装甲車
DSC00105_R.jpg説明板
DSC00109_R.jpg軽装甲機動車
DSC00110_R.jpg説明板
DSC00111_R_20130407213149.jpg穴の直径は3cm程度、20年前には既にあったそうだが、何で撃った跡かは分からないそうだ
DSC00149_R.jpg第一機甲教育隊前
DSC00112_R.jpgこちらは、下の転輪(起動輪)から61式だろうか
DSC00116_R.jpg生垣に何か立っている
DSC00115_R.jpg一トン爆弾、広報センターにも展示してある
DSC00148_R.jpg資料館
DSC00145_R.jpg内部は旧軍関係が殆んどをしめ、後は災害派遣関連
DSC00118_R_20130407214753.jpgカンバン
DSC00119_R_20130407214755.jpgたばこ
DSC00120_R.jpg検知器
DSC00121_R.jpg防毒面
DSC00122_R.jpg南方の収集物
DSC00123_R_20130407215138.jpg鉄兜
DSC00126_R_20130407215140.jpgM260mm迫撃砲(米軍)
DSC00127_R_20130407215141.jpg面体
DSC00128_R.jpg軍票
DSC00129_R.jpg
DSC00130_R.jpg戦車部品類
DSC00131_R.jpg
DSC00132_R_20130407220555.jpg
DSC00133_R_20130407220557.jpg
DSC00134_R.jpg南部14年式
DSC00135_R_20130407220824.jpg44式騎銃
DSC00136_R.jpg99式小銃
DSC00137_R_20130407220826.jpg18年式村田銃
DSC00139_R_20130407220828.jpg38式騎銃
DSC00141_R.jpg遺品
DSC00142_R.jpg
DSC00143_R.jpg
DSC00144_R.jpg
DSC00146_R.jpg
DSC00147_R.jpg以上資料館

次回訓練展示、動画憑き

松代大本営 (十三崖弾薬庫)

十三崖弾薬庫に進入開始する、始めに断って置くが、これは非常に現存が珍しい地下式大型弾薬庫であるが、物が弾薬庫専用なので変化が無い、基本碁盤の目状になっているので、特徴も無い。
とゆうことで、写真多目の説明少な目(説明仕様が無い)になるが、あくまで記録用だ。
砲台の弾薬庫でもなく、火薬庫でもない池子の様な地上弾薬庫でもない純粋な弾薬庫だ、しかも稼動している。
20年3月より、満州から持ち帰った弾薬類が壕内に入り切れづに、川原や松林に野積みになっていたとの記述もある。
しかし、もっとも驚く事は、2000mに及ぶこの壕を、たったの20日で作り上げた事だろう。
DSC03870_R.jpg状況開始
DSC03867_R.jpg地盤は以外にもろく、発破はあまり使われなかった(崩れそうで)
DSC03865_R.jpgまずは正規の入り口付近を捜索する
DSC03868_R.jpgここではめづらしい、コンクリート
DSC03871_R.jpg当時の格子戸
DSC03872_R.jpgほとんどの交差部分に置かれている札
DSC03874_R.jpg木製の枠が残っている
DSC03875_R.jpg所により、妙に飛び出した岩がある
DSC03876_R.jpg何かを置いていたのだろうか?きれいに整形してある、ここにしては
DSC03878_R.jpg実際使われていたので、壕床は以外ときれいかな
DSC03880_R.jpg
DSC03881_R.jpg
DSC03883_R_20130406202155.jpg22本中5本を残して完成時に入り口を合えて塞いである
DSC03884_R.jpgA坑道(横)の20番抗(縦)とゆう意味
DSC03885_R.jpgブリキの不明の物体
DSC03887_R.jpg外側に通気パイプを通し、土嚢で固められている
DSC03888_R_20130406210244.jpg所々黒く焼けた様な所がある
DSC03890_R.jpgひたすら直線が続く
DSC03891_R_20130406210247.jpg20m程度の間隔で十字路がある
DSC03892_R.jpgこの辺はズリを出してない、掘削中
DSC03896_R_20130406211547.jpgC坑道は掘削中が多い
DSC03900_R_20130406211548.jpgでも出来ている、
DSC03903_R.jpg水の流れた跡がある
DSC03907_R.jpgAの一番抗
DSC03908_R.jpg外側からの埋め戻し
DSC03910_R.jpg地層が変ってくる
DSC03912_R.jpg岩が無くなった
DSC03913_R.jpg発破穴
DSC03918_R.jpg道幅が狭い
DSC03919_R.jpgC坑道8番坑道
DSC03921_R.jpg埋め戻し
DSC03922_R.jpgB坑道には何故か貫通していない所がある
DSC03924_R.jpgB坑道15番抗②湾曲した坑道
DSC03925_R.jpg唯一の落し物
014_R.jpgたまには自分の人物比(写真提供榴弾砲氏)
DSC03926_R.jpgA坑道に戻る
DSC03927_R.jpgだいたい周った様なので、撤収する
DSC03935_R.jpg帰りも川を渡河する
DSC03936_R.jpg対岸には案内板がある
DSC03937_R.jpgこれは戦跡には関係ない、案内板の目印(案内板は引っ込んだ所にある)
DSC03938_R.jpgうすくなった案内板
DSC03939_R_20130406215814.jpg弾薬庫はこの辺でなく
DSC03940_R_20130406215815.jpgこの辺にある
019_R.jpg
020_R.jpg
021_R.jpg十三崖弾薬庫を跡にする(上3点写真提供榴弾砲氏)


やっぱり、みんなでの遠征はたのしいし、違う目線での意見もあり、見識もあるので参考になる
一人は気楽だし行動範囲に制限が無いが、見落としも多くなる、壕内探索はもしもを含み、複数人数が好ましい。

松代大本営 (鎌田山地下壕、十三崖弾薬庫)

上高井郡須坂町(須坂市)鎌田山には送信施設(二号倉庫)が作られた。
三本掘られ、内部で連絡していたらしいが、現在は中央の壕しか壕口は見えず、埋もれてしまっている。
残った壕は、京都大学防災研究所の地震計が設置されているが、まだ使用されているかは不明。
出来高は70%で主要部はほぼ完成、敗戦時には通信用機材の組み立てが完了し、山頂にアンテナを
立てるだけになっていたそうだ。
もちろん内部に入る事は出来ないし、行ってもセントル巻きの入り口が見えるだけなので、お勧めしない。
DSC03941_R.jpgとりあえず、鎌田山、吉向焼窯跡付近としか、分からない
DSC03942_R.jpg鎌田山に入山する、もちろん熊避けの鐘は鳴らした
DSC03943_R_20130405210408.jpg不明の石碑
DSC03944_R_20130405210410.jpg吉向焼窯は見つかった
DSC03945_R.jpg案内板
DSC03946_R.jpgついでなので、見学して行く
DSC03947_R_20130405210930.jpg
DSC03948_R.jpg
DSC03949_R.jpg
DSC03950_R.jpg
DSC03951_R_20130405211104.jpg軽く周り、みんなで手分けして捜索する
DSC03952_R.jpgOKN氏が壕口を発見する、それぞれ集まってくる
DSC03953_R.jpg何と普通に道沿いにあった、盲点だった
DSC03954_R_20130405211108.jpg岡本夏樹写真集が展示してあった
DSC03955_R.jpg入れない
DSC03956_R.jpg付近にある陥没した様な跡、壕口だろうか?
DSC03957_R_20130405214034.jpg人物比、以外と小さい・・・以上

さて、十三崖弾薬庫だが、もともとは須坂臥竜山の地価弾薬庫(へ号倉庫)が岩盤が固く10箇所以上試しても全く歯が立たず、工事不能となった為に、代替地として掘られた物だ。
現在はチョウゲンボウの繁殖地として極一部で有名だ。
P1000883_R.jpg前日の夜横浜を発つ
P1000882_R.jpgスタ丼を食す
P1000887_R.jpg車中&テント泊
P1000892_R.jpg習慣で6時起床が身に憑いて嫌でも目が覚める
P1000891_R.jpg仕方なく一人で一時間ほどうろつく
P1000886_R.jpg全く電車が来ない線路
DSC03852_R.jpg十三崖
DSC03853_R.jpg手前には川が流れている、橋まで行って普通は回りこむ
DSC03854_R.jpgチョウゲンボウの巣穴らしき物が見える
017_R.jpg面倒なので渡河作戦決行(写真提供榴弾砲氏)
DSC03855_R.jpgいつの間にかごついコンクリートに鉄柵が憑いている
DSC03862_R.jpg五年ほど前には無かった
DSC03856_R.jpg覗き込む、中は無事の様だ
DSC03861_R.jpg斜面に通気孔の様な物がある
DSC03860_R.jpg山中を探すと、穴発見
DSC03859_R.jpg早速入る
DSC03857_R.jpgしかし狭い

次回内部

松代大本営 (舞鶴山地下壕)

松代大本営(舞鶴山地下壕)ロ号倉庫の紹介
ここは現在気象庁地震観測所が使用している、世界有数の地震観測施設で、地下核実験を探知する国際施設に
指定されている事は、最近の某国の実験で注目を浴びているので、知っていると思う。
反面、その施設が非常に繊細な機器類を使用しているため、全く地下壕内に立ち入れない。
しかし、例外もあり、四月の化学週間には、一部一般公開しているらしい。
DSC04091_R.jpg川の手前に数台だけ停められる、無料駐車場がある、大坑道が見える
DSC04093_R.jpg案内図、公衆トイレも変った形だった
DSC04095_R.jpg奥の白い建物は「恵愛学園」、仮御座所があった場所だ
DSC04096_R.jpg橋を渡って大坑道に向かう
DSC04097_R.jpg説明板
DSC04098_R.jpg配置図
DSC04099_R.jpg入り口部分
DSC04100_R.jpg道路から見える壕口
DSC04101_R.jpg行って見たが、やはり入れない
DSC04102_R.jpg残念ながら、リニューアルされている、形状は変化無し
DSC04104_R.jpgまずは資料館に入る
DSC04105_R.jpg天井の吹き抜け
DSC04107_R.jpg昭和41年の航空写真
DSC04109_R.jpg地震計測器展示
DSC04110_R.jpg大坑道内部
DSC04111_R.jpg当時のままの天井
DSC04113_R.jpg天井のコンクリートの厚みを見せる為にくり抜いた
DSC04114_R.jpg当時の電灯跡
DSC04115_R.jpg平屋三棟がこんな連絡通路で繋がっている
DSC04116_R.jpg二号棟
DSC04117_R.jpg折角看板を付けても柵で見えない
精密地震観測室2_R
精密地震観測室_R見えないので、公式から持って来た
DSC04118_R.jpg入りづらい入り口だが普通に入れる、中では誰(職員)にも会うことは無かった
DSC04119_R.jpg
DSC04120_R.jpg
DSC04121_R.jpg二号棟から一号棟への連絡通路
DSC04122_R.jpg
DSC04123_R.jpg
DSC04124_R.jpg
DSC04125_R.jpg
DSC04126_R.jpg
DSC04129_R.jpg
DSC04130_R.jpg
DSC04131_R.jpg
DSC04132_R.jpg地下通路に侵入する
DSC04134_R.jpg分厚そうなコンクリート通路、天皇退避用の小坑道に繋がる
DSC04136_R.jpg床は湿っているので注意
DSC04140_R.jpg通行不可地点、結露が激しい
DSC04139_R.jpg案内板
DSC04142_R.jpg締め切った壕内は結露で、もやっている
DSC04145_R.jpgまた、40m登って戻る
DSC04158_R.jpg入り口右に、入って良いのか迷う入り口があるが、勝手に開けて良し
DSC04151_R.jpg一号棟に向かう
036_R.jpg階段を登って行く、中は覗くだけで入れない
037_R.jpg覗き用の枕木がある(写真提供榴弾砲氏、上二点)
DSC04154_R.jpg覗き見
DSC04155_R.jpg面白みは薄い
DSC04156_R.jpgその前に落ちていた、鉄の扉
DSC04159_R.jpgバス停ではなく、乗り合いタクシー
DSC04160_R.jpg用を済ませて、撤収する

松代大本営 (像山地下壕)その2

象山イ地区_R一応資料を貼っておく
DSC04033_R.jpg普通撮影
DSC04034_R.jpgライト照射あり、懐中電灯は持って行こう
DSC04035_R.jpg榴弾砲氏の背中(尻?)
DSC04036_R.jpg枝抗は無尽蔵にある
DSC04038_R.jpgロッド跡
DSC04039_R.jpgこれは縦に刺したロッド跡
DSC04041_R.jpg壕とは同じ形は無い
DSC04042_R.jpgコンクリート地下道と違い個性がある
DSC04043_R.jpg中央天井に杭が打ってある、チーフを垂らし水平を出す
DSC04044_R.jpg一部ライトが憑いている所がある
DSC04046_R.jpg案内板
DSC04047_R.jpgお賽銭が入っている
DSC04052_R.jpg丸くないロッド跡もある
DSC04049_R.jpgもう、何本目の枝抗か分からない
DSC04050_R.jpgトロッコ跡が見える
DSC04051_R.jpgなにやら看板が立っている
DSC04053_R_20130403205118.jpgこの他にも、いろいろあるが、公開はされていない
DSC04055_R.jpg韓国語で「テーダ、テーダフ」韓国の都市名が書いてある
DSC04056_R.jpg軍人画、カンテラの煤で書かれ、こんなにはっきりとは見えない
DSC04059_R.jpg案内板
DSC04060_R.jpgトロッコ軌条跡、ライトアップされている
DSC04062_R.jpg真ん中にある邪魔くさい柱、痛かったぞ
DSC04064_R_20130403211434.jpg同行のOKN氏と榴弾砲氏
DSC04066_R.jpgトロッコが走っていると、こんな感じに見えるかな?
DSC04067_R.jpg見学路整備の際、投げ込まれただろう瓦礫(奥の路面はきれいだ)
DSC04070_R.jpgズーム
DSC04071_R_20130403211715.jpg案内板
DSC04072_R.jpg測点跡
DSC04073_R.jpg腐った木が刺さっているだけ
DSC04074_R_20130403212338.jpg公開部行き止まり、これよりUターン
DSC04075_R_20130403212340.jpgその先はもちろん続いている
DSC04078_R_20130403212341.jpg最深部
DSC04079_R.jpg折鶴等を捧げる事は、禁止されている
DSC04082_R.jpg黙祷を捧げるメンバー
DSC04083_R.jpg地下壕を後にする
DSC04088_R.jpgすぐそばにある、有料資料館
DSC04089_R.jpgこれはスゴイ、犬が地面に地下壕を彫っている!さすが松代犬
DSC04090_R.jpg昼食となる
indexmap_R.jpg資料
map_matu_R.jpg位置関係
P1000893_R.jpg裏山の清野口に向かう
P1000894_R.jpgこれは第二抗を利用した物
P1000895_R.jpg物置にしか見えない
P1000896_R.jpg見学コースの第五抗の出口
P1000897_R.jpgフェンスの上に瓦礫を積んで、入れなくしている
P1000898_R.jpg内部、やけに天井が高い・・・内田?
P1000899_R.jpg他の壕口も探したかったが、時間が無いのであきらめる。

松代大本営 (像山地下壕)その1

長野県松代にある、松代大本営イ地区(像山地下壕)の紹介。
言わずと知れた、昭和天皇の為だけに施工されたと言っても過言でない堅固な物の一部だ
ここにはイ号倉庫~リ号倉庫までの九個の施設、仮皇居、賢所、唯一の海軍壕(他は陸軍施設)
の他に十三崖弾薬庫などが広範囲に作られた。
作られたと言っても、出来高(完成度)は0~100%まで、様々だ、ちなみにこの出来高は
100%と言っても普通に考える、すぐに人が使える状態の事ではない、計画書に則り、穴が貫通すれば
ズリがあろうが、人が立ち上がれなかろうが、関係なく完成と報告される。
秘匿の為に松代倉庫工事(マ工事)と言われた、その中で、80%の出来高のイ号倉庫(政府、NHK,電話局)
は、もっとも有名で、一般に一部公開されている、ほんの一部とはいえ、慣れない人にはかなりの広さに感じる
だろう、総延長6キロ近い内、500mのみが一般に公開されている。
ayumi57-0601_R.jpg拾い物の地図を貼っておく
DSC03958_R.jpg不明の門柱
DSC03959_R.jpg駐車場からは、ひたすら歩く
DSC03960_R.jpgまるで人の家に入って行く様な道を行く
DSC03961_R.jpg無料なのだが、受付をしてヘルメットを貸してくれる
DSC03962_R.jpg平和祈念碑
DSC03963_R.jpg入り口、スロープで車椅子でも見学出来る、珍しい地下壕
DSC03965_R.jpg松代像山地下壕鳥瞰図
DSC03966_R.jpg同案内図、4番の木片は風化により無くなった
DSC03970_R_20130402222002.jpg見学者の皆さんへ
DSC03971_R.jpgうんちく
DSC03968_R.jpgいざ進入
DSC03974_R.jpg車椅子用のスロープ傾斜があるので、帰りが大変そう
DSC03977_R_20130402222724.jpg左のとのさんは気にせず、最初の横坑
DSC03978_R.jpg懐中電灯が無いとこんな感じ
DSC03979_R.jpg懐中電灯は持参しよう!(無くても歩くだけなら十分明るい)
DSC03980_R.jpg入り口のスロープ
DSC03984_R.jpg見学通路は要所ごとに鉄骨で補強されている
DSC03987_R.jpg壕内は湿気が多い
DSC03988_R.jpg図面ではまっすぐになっていても、微妙に曲がっている
DSC03994_R.jpgもちろん枝抗も
DSC03995_R.jpgとのさんはこんな格好だが、以外と中は涼しい
DSC03997_R.jpg右に曲がり、本坑道5番抗清野口方向に向かう
DSC03999_R.jpg非常灯
DSC04002_R.jpg100m以上の直線坑道
DSC04003_R.jpgトロッコ跡がうっすら残る
DSC04004_R.jpg通称パニック電話、気分が悪くなったとか、事故のあった時用に数箇所にある
DSC04007_R.jpg鉄分が多いのか、壁面が赤い
DSC04008_R.jpg説明
DSC04009_R.jpg抜けなくなったロッド、他の地下壕でも良く見かける
DSC04011_R.jpg説明のロッド跡
DSC04013_R.jpg延々と続く地下道
DSC04014_R.jpg横道には全て金網が張ってある
DSC04017_R.jpg入ってみたいが、大勢の観光客の眼前で無茶は出来ない
DSC04020_R.jpg5番通路左折部
DSC04021_R.jpg右側B本坑
DSC04023_R.jpg5番通路清野口出口の明かり
DSC04024_R.jpgパニック電話案内図
DSC04026_R_20130402230707.jpgこの辺は殆んど補強されている
DSC04027_R_20130402230708.jpg場所により、スイッチがあり、ライトアップ出来る
DSC04030_R_20130402230710.jpg床のガレた枝抗
DSC04031_R.jpg平坦な枝抗
DSC04032_R.jpg亡くなっていた

横浜海軍航空隊(飛行艇隊)燃料庫

昨日は朝から雨が降っていたが、横浜の桜並木の名所、富岡公園に出かけた。
以前紹介した横浜海軍航空隊(飛行艇隊)の遺構を再調査に行ったのだ。
基本的な調査対象は公園内に多数点在するブロックで閉鎖された壕口に、反対側に貫通している物が
一つぐらい無いだろうか?という調査だ。
結果から言えば、現状では発見出来なかった、しかし変りに他の遺構を発見するに至った。
形状的に見て、ドラム缶式の燃料庫と思われるが、資料が無いので確証は無い。
DSC00001_R_20130401212735.jpg山を越えた所で、土塁の様なこんもりした部分に気が付いて近寄る
DSC00002_R_20130401212737.jpg見覚えのある形状のコンクリート遺構が見つかる
DSC09141_R_20130401213247.jpgこれは木更津にある燃料庫遺構の写真だが、そっくりだ
DSC00003_R_20130401212738.jpg当然上に登る
DSC00004_R_20130401212740.jpg埋もれているが、四角い10cmほどの突起がある
DSC00005_R.jpg近くにも変な突起がある
DSC00006_R_20130401214101.jpg通気穴は見受けられないが、コケの下にあるのか?
DSC00007_R_20130401214103.jpg反対側にも同様の入り口があるが入れない
DSC00008_R_20130401214105.jpg30mほど離れた所に、別の遺構が見える
DSC00010_R.jpg庇の付いた、鉄の枠の残る建造物だ
DSC00011_R_20130401215255.jpgではがんばって見よう
DSC00012_R_20130401215257.jpg異様に狭いし、眼前にゴミの山が邪魔くさい、
DSC00014_R_20130401215258.jpg見えた、きれいなコンクリートだ!
DSC00016_R_20130401215300.jpgしかし、先はゴミに埋め尽くされていた、容易にここに来れた時期があったのだろう
DSC00017_R_20130401215302.jpg秋水の燃料庫は騒ぎになったが、ここは騒ぎに為らないだろうな?
DSC00019_R_20130401220336.jpg上に登ると、変な形状の物がある
DSC00021_R_20130401220337.jpg別の所にもう一つ、四角ではなく微妙に六角形なのが分かるだろうか?
DSC00022_R_20130401220339.jpg他の円錐形突起
DSC00024_R_20130401220340.jpgこれは多数あるが、さっきのコンクリ壕には天井に穴は無かった
DSC00025_R_20130401220342.jpg高さに統一性が無い、第三の部屋が下にあるのだろう
DSC00026_R_20130401221335.jpg穴の中を撮影する
DSC00028_R_20130401221336.jpg別の位置の穴
DSC00029_R.jpgこれは少し大き目な物
DSC00030_R.jpg全て穴は三つ
DSC00031_R.jpg鉄パイプが飛び出している
DSC00068_R_20130401225311.jpgこれは近くの第三格納庫、神奈川県警第一機動隊車庫となっている、間違いなく関連遺構だろう。

ついでに寄った船越の現状を先週に続き、掲載する
DSC00033_R.jpg船越の造兵部に到着
DSC00036_R.jpgこの辺はあまり変っていない
DSC00037_R.jpgしかし、その横の製缶工場に穴が!
DSC00040_R.jpg製缶工場とガントリーのある砲塔工場は棟続きである
DSC00041_R_20130401230023.jpg遂に魔の手が掛かってしまった
DSC00042_R.jpgすっかりかたずいた砲塔工場
DSC00046_R.jpg横手には既に足場が組まれる
DSC00051_R.jpgこの光景も後わずか
DSC00052_R.jpg潜水艦桜、ここに潜水艦は珍しい
DSC00059_R.jpgいつも砂が満ちているコンクリート屋
DSC00061_R_20130401231528.jpg妙にかたずいている、ここもなのか?

以上現状報告、横須賀のガントリーが消滅する日は近い