猿島要塞 その1

横須賀の猿島は、東京湾に浮かぶ唯一の無人島であり、観光名所でもある。
1993年(平成5年)に海水浴場は閉鎖、航路も廃止され立ち入り禁止とされてしまったが
平成8年には横須賀市が国から猿島の無償譲与を受け、「猿島公園」として整備し元に戻った。
横須賀軍港めぐりで有名なトライアングルが航路を確立し、三笠公園より15分程度で渡航できる
夏場はB.Qや海水浴客で賑わっているので、船の便数も増えている。

公園化に伴い、弾薬庫や一部の砲台には立ち入り禁止がなされてしまったが、大部分の遺構は現存している
歴史的には、幕末に江戸幕府の台場が築造され、明治時代に入ると陸軍省の所轄として東京湾防衛用の砲台として再整備され、第二砲台、24cmカノン砲4門砲台 明治25年3月22日据付竣工後に第一砲台、27cmカノン砲2門砲台 明治26年12月13日走水低砲台より移動、据付竣工した。

関東大震災により被害を受け除籍となり、海軍省の所管として、東京湾要塞の猿島砲台が築造された。
島内の岩壁を掘った煉瓦造りの要塞跡は現在も残り、日本では数少ないフランドル積みが見られる。
大正14年10月13日海軍に移管され、12.7cm連装高角砲台が2基4門、8cm単装高角砲4門が設置されたが、カノン砲はそのまま終戦まで放置されていたそうだ。
DSC07245_R_20130630205849.jpg朝1番の船に乗った方が、観光客が少なくて写真が撮りやすい
DSC07246_R.jpg三笠桟橋
DSC07247_R_20130630205853.jpgトライアングル、シーフレンドⅠ~3
DSC07248_R_20130630205855.jpg猿島めざし、出港する
img_366116_8431492_3.jpg小さくても船旅はいい
DSC07250_R_20130630211633.jpg岩壁に張り付く黒いウミウと白い糞(壁一面)
DSC00530_R_20130630211632.jpg海軍時代の旧桟橋(今は撤去済み)
DSC07252_R_20130630211635.jpg新桟橋到着
DSC07253_R_20130630211636.jpg上陸、右に見えるのが旧桟橋の名残
DSC00531_R_20130630212438.jpg詳しい用途不明の係留用?遺構
DSC00532_R_20130630212440.jpgこの島唯一の補給所、夏場にはレンタルショップ、シャワーコインロッカーなどが利用できる
CIMG0198_R_20130630212441.jpgこの石段は旧軍遺構
DSC00687_R.jpg元は右の小さい方の上に建っていたが、折れた(折られた?)
DSC00681_R_20130630213716.jpg猿島の歴史展示場
DSC00682_R_20130630213718.jpg
DSC00683_R_20130630213719.jpg
DSC00684_R_20130630213720.jpg
DSC00536_R_20130630214224.jpg調査時の出土品
DSC07511_R_20130630214229.jpg
DSC00537_R_20130630214226.jpg
DSC07510_R.jpg
DSC03372_R.jpg猿島公園設備事業に伴う確認調査の記録より抜粋する
DSC03377_R.jpgこれは観音崎砲台でも見かける
DSC03378_R_20130630220509.jpg出土レンガの一部
DSC03379_R_20130630220511.jpg刻印説明
DSC03408_R_20130630221350.jpg明治期第二砲台
DSC03409_R.jpg昭和期第二砲台
CIMG0194_R.jpg破壊された高角砲
CIMG0195_R.jpg高角砲台座の調査風景
CIMG0196_R.jpg先に紹介した石段
DSC03410_R_20130630222128.jpg1954年の航空写真
DSC03411_R.jpg切り堀が良く判る
DSC03412_R.jpg防空監視所が見える
DSC03413_R.jpg切り堀の上に橋が2本掛かっている
IMG_2346_R.jpg島内地図
DSC00534_R_20130630223317.jpg現在もここは発電に使っている
DSC00540_R_20130630223320.jpg現在はヤンマーディーゼル2基が入っている
DSC00539_R_20130630223319.jpg発電所案内板
DSC03407_R_20130630223314.jpg調査記録、地下にボイラー用の水タンクが現存している
DSC07262_R.jpg発電所の裏にある倉庫壕
DSC07265_R_20130630224035.jpgフェンスに貼り付けてある、古い案内板
DSC07267_R_20130630224037.jpg折れた煙突?
DSC07269_R.jpg排水設備
DSC07270_R_20130630224542.jpg
DSC07271_R.jpg
DSC07272_R.jpg
DSC07273_R_20130630224548.jpg埋設土管
DSC07274_R.jpgここから先、切り通しになる

次回切通し~
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記念艦 三笠

この項目は、船舶にしようかその他にしようか迷ったが、時間が無いから戦跡にした
三笠(みかさ)は、大日本帝国海軍の戦艦で、敷島型戦艦の四番艦。奈良県にある三笠山にちなんで命名された。船籍港は京都府舞鶴市の舞鶴港。同型艦に敷島、初瀬、朝日。
1904年(明治37年)からの日露戦争では連合艦隊旗艦を務め、連合艦隊司令長官の東郷平八郎大将らが座乗した。現在は、神奈川県横須賀市の三笠公園に記念艦として保存されている、当初は東京芝浦に廻航する予定だったが、関東大震災により岸壁に衝突、応急修理のままであったウラジオストク沖での破損部位から大浸水を起こし、そのまま着底してしまった為に急遽横須賀に変更し、舳先を皇居に向けて固定しコンクリートで固めた。
なお、下甲板以下は、ワシントン軍縮条約に基づきコンクリートや土砂で埋められている。

これ以前にも三笠は、佐世保港内で後部弾薬庫の爆発事故のため沈没した事がある。
この事故では339名の死者を出した。弾薬庫前で、当時水兵間で流行していた「信号用アルコールに火をつけた後、吹き消して臭いを飛ばして飲む」悪戯の最中に、誤って火のついた洗面器を引っくり返したのが原因とする説や下瀬火薬の変質が原因という説もある。

三笠の不運は2回の沈没だけに留まらず、戦後のアメリカ軍人のための娯楽施設が設置され、「キャバレー・トーゴー」が艦上に開かれるという状態にあった。
さらに戦後の物資不足より、主砲を含む兵装や上部構造物はおろか、取り外せそうな金属類は機関部に至るまで、ガス切断によって全て盗まれ、チーク材の甲板までも薪や建材にするために剥がされているという荒廃ぶりとなった。
また、横須賀市から三笠及び周辺地の使用を委託された民間企業は、上甲板構造物を撤去した跡に、水族館、ダンスホールなどを設け、「三笠」を遊興施設に変えただけでなく、三笠の近くに保管されていた大砲、マストなどを売却してしまった。

しかし復元にあたり、アメリカ軍が撤去した記録が残っているものは、ほぼすべてが完全な形で返還されるとゆう幸運もあり、さらにチリ海軍の戦艦「アルミランテ・ラトーレ」が除籍され、翌年日本において解体される事となったとき、チリ政府より部品の寄贈を受けるというラッキーもあった。
lucnch_R.jpgイギリスのヴィッカースに発注されバロー・イン・ファーネス造船所での進水式、船首の衝角が見える貴重な1枚
maxresdefault_R.jpg明治35年7月に舞鶴に到着
浦潮埠頭ニ於ケル軍艦三笠_R浦潮埠頭にての一枚
p02L_R.jpg日本海々戦の前年三笠は黄海々戦で、後部二連装主砲の一門を破壊された、余談だがこの破壊された砲身から日本刀が作られ、三笠刀と言われ海軍士官の間で大人気の刀剣となった。
t15-mikasa_R.jpg降ろされた前部主砲、艦首方向に現米軍基地の埋立地はまだ無い
三笠」復元50周年_R三笠50周年時
img_577856_31053723_1_R.jpg戦後もっとも悲惨な時期
1_20130629210910.jpgもはや船だとも思えない
5adfcffcaa7b57b6a7607eeed969d4a0_R.jpg現在のほぼ同アングル、良く治した物だ
DSC02345_R_20130629211636.jpgでは、外回りから見ていこう
DSC02346_R_20130629211638.jpg左舷船尾付近に展示物がある
DSC02347_R.jpg東郷〇と彫ってある様だが、判別不能
DSC07017_R.jpg一際目を引く白塗りの弾
DSC02348_R_20130629211641.jpg46cm砲弾、東郷平八郎は晩年、「日本海軍の100発100中の大砲は1門、アメリカ海軍の100発1中の大砲100門と同じ価値がある」と訓示したそうだ。
DSC02349_R.jpg日清戦争の戦利品
DSC02351_R_20130629212950.jpg
DSC02352_R.jpg
DSC07016_R_20130629213408.jpg軍艦行進曲歌碑
DSC00758_R_20130629213409.jpg左舷側の砲列
DSC00760_R_20130629213410.jpg艦橋付近
055.jpgガキの頃はここから潜り込んでいた、もう時効だろう
DSC07520_R.jpg海上より右舷を見る
DSC07019_R.jpg主砲は中々いい感じ、ハリボテコンクリート砲身には見えない
DSC00693_R.jpgでは、上甲板に上る
DSC00701_R.jpg目の前に後部主砲がある
DSC00700_R_20130629214650.jpg昔はこの辺に被弾箇所のマーキングがあり判りやすかった(他所のも消された)
DSC00696_R.jpg船内への出入り口(基本帰りに登ってくる)
DSC00697_R.jpg係留ロープを巻く施設
DSC00702_R.jpg本艦暦
DSC00703_R_20130629215608.jpg三笠主砲弾
mks14_R.jpg足元に落ちている
DSC00704_R.jpg案内図
DSC00705_R_20130629215611.jpg無線室
DSC00706_R.jpg案内板
DSC00707_R.jpg
201203101741501cd_R.jpg少し変った
DSC00708_R.jpg被弾鉄板雪見燈篭
DSC00711_R_20130629222047.jpg
DSC00710_R_20130629222045.jpg
DSC00712_R.jpg
DSC00713_R.jpg
DSC00714_R.jpg
DSC00715_R_20130629222218.jpg
DSC00716_R_20130629222220.jpg御トイレ
DSC00717_R_20130629222222.jpg上に登る(マストではない)
DSC00718_R_20130629222224.jpg短艇(水雷艇も積んでいた)
ded3fde7-s_R.jpg旅順で機雷敷設より戻らなかった水雷艇
c7163237_R.jpgちなみにこの当時は、戦艦も魚雷発射管を備えている(三笠の左舷魚雷室)
DSC00719_R_20130629222227.jpg司令塔
DSC00720_R_20130629224346.jpg
DSC00721_R_20130629224348.jpg内部
DSC00722_R_20130629224350.jpg米軍基地を狙う主砲
DSC00725_R_20130629224812.jpg艦橋
DSC00724_R_20130629224809.jpg操舵室
DSC00726_R_20130629224814.jpg60cm信号探照灯
DSC00727_R_20130629224815.jpg測距儀
DSC00731_R_20130629224816.jpg伝声管付き
DSC00728_R_20130629225749.jpg戦闘艦橋
9309bd00adfad0a7f960d8698fe07656.jpg立ち位置、東郷長官の足は一歩も揺るがず、事後靴の形に全く濡れていなかったと言われる
togo.jpg有名な絵
DSC00732_R_20130629225756.jpg艦橋を降りる
DSC00733_R_20130629225757.jpg前甲板へ
DSC00736_R_20130629230341.jpg艦首先端より
DSC00738_R_20130629230344.jpg30.5cm主砲
DSC00737_R_20130629230343.jpg副錨(予備)
DSC00739_R.jpgマントレット
DSC00741_R_20130629230722.jpg副砲室
DSC00742_R.jpgハンモック
DSC00743_R_20130629230725.jpg砲員の働き
DSC00744_R_20130629230726.jpg副砲 40口径15.2cm単装砲14門
DSC00745_R_20130629231358.jpg居住区
DSC00746_R_20130629231359.jpg航海長室
DSC00747_R_20130629231401.jpg参謀長公室
DSC00750_R_20130629231402.jpgベット兼たんす
DSC00751_R_20130629231403.jpg長官バスタブ
DSC00752_R_20130629231920.jpg長官室
DSC00753_R_20130629231922.jpgゲストルーム(対水雷艇砲付き)
DSC00755_R_20130629231924.jpg
DSC00756_R_20130629231926.jpg
DSC00757_R_20130629231928.jpg主砲構造
DSC00758_R_20130629232921.jpg三笠を後にする

中甲板に資料室があるので、興味のある人はどうぞ!
また、上甲板にもビデオルームがある

逸見水道山、水道施設

逸見浄水場は、大正10年に旧海軍により建設され、第2次大戦後、旧軍港転換法により横須賀市に無償譲渡された横須賀市内にある唯一の浄水場です。
逸見浄水場は、相模川支流の中津川の表流水を水源として、約53km離れた半原水源地(取入口)で取水し、鋳鉄管により導水されており、緩速ろ過方式で日量9,800m3の水道水を造り出すことができます。
逸見浄水場の敷地面積は116,000平方メートルで、緩速ろ過池、浄水池、配水池などの施設を配し、これらの施設の運転について管理センター内の中央管理室で24時間常に集中管理しています(現在、半原系統取水停止中)。
横須賀市のHPより抜粋。
現在は見学なども、受け付けてはいない様で、テロ対策等で内部進入は難しい状態である。
敷地内には旧海軍の建設した施設がそのまま残り、当時使用されていた海軍マークの入った管や弁が展示されている、以前は見学コースに沿い、見る事が出来たようだ。
仕方が無いので、実力で見に行った。
第一高角砲大隊が 田浦、吾妻山、水道山、畠山、二子山に展開していた様だが、この遺構は見つからないので
水道関係のみの紹介と成る。
DSC08258_R_20130628210137.jpg逸見東部町内会館辺りから登って行く
DSC08260_R_20130628210141.jpgコンクリートの施設跡が残る
DSC08259_R_20130628210140.jpg海軍止水栓
DSC08261_R_20130628210143.jpg地下タンクの通気用だろうか?
DSC08262_R_20130628210145.jpgこの栓はかなりきれいだ、矢印に注目
DSC08264_R_20130628211101.jpg辺りを捜索していると誰か来た、榴弾砲氏だ! ついでに一緒に探索する
DSC08266_R_20130628211102.jpg当時のコンクリート階段を見つけた
DSC08267_R.jpg上に上がると浄水所の真下に出た
DSC08268_R_20130628211105.jpgここの部分だけ、当時の施設が外部に残っている
DSC08269_R_20130628211106.jpg小窓?
DSC08270_R_20130628214604.jpg覗き込むと、中に現代の浄水場の壁がある
DSC08271_R_20130628214605.jpg上から見ると、こんな感じ
DSC08274_R.jpg周りを捜索すると、石柱が散見する
DSC08275_R_20130628214609.jpg二本波の海軍柱
DSC08276_R_20130628214611.jpgこれはかなりレアな「借地」
DSC08284_R_20130628215556.jpg海軍浄水施設
DSC08280_R_20130628215555.jpg左の建物
DSC08279_R_20130628215553.jpg右の建物
DSC08272_R_20130628215549.jpg大正5年6
DSC08273_R_20130628215550.jpg大正5年7、ハンドルの形が違う
DSC08285_R_20130628220243.jpg以下、展示物(殆んどの物に海軍マークが入っている)
DSC08286_R_20130628220244.jpg
DSC08287_R_20130628220246.jpg
DSC08288_R.jpg
DSC08289_R_20130628220250.jpg
DSC08291_R_20130628220425.jpg
DSC08292_R_20130628220427.jpg
DSC08293_R.jpg
DSC08294_R_20130628220430.jpg
DSC08296_R_20130628220432.jpg
DSC08299_R_20130628220902.jpg下山途中で見付けた遺構
DSC08303_R.jpg市立沢山小学校の校庭の隅っこにある砲弾
DSC08304_R_20130628220905.jpg銘も何も書いていない
DSC08356_R_20130628220907.jpg逸見駅近くの鹿島神社、祭神はタケミカヅチノミコト。武の神様ですが、神徳は一般的に海上守護など。
 1410年(応永17年)4月、三浦遠江守が勧請しました。常陸国官弊大社鹿島神宮の分霊を奉斎しています。
 もともと、JR横須賀駅の裏手の、海上自衛隊の横須賀総監部あたり(鹿島崎)にありました。しかし、1891年(明治24年)、火事で焼失し、1896年(明治29年)、海軍用地となってしまったため、現在地に移転しました。
DSC08357_R_20130628221955.jpg慰霊碑
DSC08358_R.jpg周りは砲弾型の囲い
DSC08361_R_20130628221958.jpg明治三七年以降戦没者殉職者
DSC08362_R_20130628222245.jpg神社から水道道を上り、浄水場方面に向かうと石柱がある
DSC08363_R.jpg埋っているが、多分
DSC08365_R.jpg民家の軒先にも
DSC08364_R_20130628222249.jpg波2本
CIMG4215_convert_20121215220810[1]_R水道局への坂道を上ると
CIMG4218_convert_20121215220936[1]_R壁の切れた辺に、これはある

横須賀海軍工廠汐入壕

JR横須賀駅周辺を紹介したので、今度は少し内陸の京急汐入駅付近を紹介する
汐入駅の前の道を坂本中学の方に登って行く手前にあるレンガ造りの遺構がある(あった?)
解体されたとの話も聞く、グーグルのストリートビューではまだ健在だ
汐入駅前から路地裏の道を山肌に沿い、横浜方面に歩くと、16号線に出るまでの間に多くの壕口がある
16号をトンネル手前まで行くとタクシーの車庫があり、防空壕を2つ繫げて掘り広げて使用している
DSC03087_R_20130627212140.jpg便所の遺構らしいが、こんな道沿いに便所?違う気がする
DSC03088_R_20130627212304.jpg陸軍のちこく坂に繋がる道にある
DSC03089_R.jpg汐入駅前の壕口郡、東京ガスにて使用中の物
DSC03090_R_20130627212307.jpgほとんどが施錠、もしくは埋め戻しされているので写真のみ載せる
DSC03092_R_20130627212309.jpg
DSC03093_R_20130627212310.jpg
DSC03094_R_20130627213047.jpg
DSC03095_R_20130627213049.jpg
DSC03097_R_20130627213051.jpgこの辺から、壕が小さく素掘りになる
DSC03098_R_20130627213052.jpg
DSC03099_R_20130627213054.jpg
DSC03100_R_20130627213337.jpg入れそうな壕があったので、入ってみた
DSC03112_R_20130627213339.jpgゴミだらけで、硝子などもあり危ない
DSC03113_R_20130627213340.jpg高さは1.5mほどで立てない
DSC03114_R_20130627213342.jpg畳がたい肥になっている
DSC03116_R.jpg唯一まともな部屋
DSC03118_R_20130627213844.jpg先に進むと関東大震災の慰霊碑がある
DSC03119_R.jpg慰霊碑横の手水鉢には地味に海軍の文字がある
DSC03120_R_20130627213847.jpg
DSC03121_R_20130627213849.jpg供養塔の左後ろに
DSC03122_R_20130627213851.jpg半分埋った壕口がある
DSC03268_R_20130627214255.jpgとても入れないが、こんな感じ
DSC03123_R_20130627214249.jpg近くに同じ様な状態の壕がある、こっちは何とか入れる
DSC03124_R_20130627214251.jpg入るといきなり階段がある
DSC03125_R_20130627214252.jpg入り口はゴミなどで埋っているが、元は立って入れたのだろう
DSC03126_R_20130627214254.jpg階段を上がるとすれ違い場があり、側溝も掘られている
DSC03128_R_20130627214948.jpg小さめの部屋が複数ある
DSC03129_R_20130627214950.jpg奇妙な縦坑
DSC03130_R_20130627214951.jpg貫通してるが、高くて人の出入りは無理だ
DSC03131_R_20130627214953.jpg壕の高さも若干低く頭が気になる
DSC03132_R_20130627215710.jpg通路の形はしっかりしているが
DSC03133_R_20130627215712.jpgいかんせん、地下水の染み出しが多い
DSC03134_R_20130627215714.jpg崩落ではなく、ズリを集めてある感じ
DSC03135_R_20130627215716.jpg倉庫にするには、湿度が高く難しい
DSC03136_R_20130627215718.jpg最深部
DSC03140_R_20130627220355.jpg壕口付近には、マシンガンが落ちていた、米軍の物だろうか?
CIMG1423_R.jpg16号線沿いのウエルシティ市民プラザ前の公園には海軍水道の遺構が展示されている
DSC08745_R_20130627230508.jpg高さ40cmほど
DSC08744_R_20130627230506.jpgメーカーの刻印だろうか
CIMG1424_R.jpg所々に説明も有るが、読みづらい
DSC08741_R_20130627230837.jpgずんぐりした形
DSC08739_R_20130627230835.jpg地上に出てる部分は同じでも地面の下は違う物だな
CIMG1426_R.jpg止水栓、大正5年
CIMG1428_R.jpg海軍マークの消火栓
CIMG1429_R.jpg時により、いきなり水量が変って出てくる
CIMG1431_R.jpgこの角度で写真を撮っていて、濡れた事がある
CIMG1432_R.jpg消火栓の蓋
CIMG1433_R.jpg分厚く重い
DSC08759_R_20130627225220.jpg説明板
DSC08761_R_20130627225222.jpg海軍マークはいい
DSC08763_R.jpg道を挟んだ向こう側にもう一組ある
DSC08748_R_20130627225618.jpg手動ポンプ、動くぞこいつ
DSC08749_R_20130627225621.jpg道路際にある消火栓
DSC08751_R_20130627225623.jpg海軍マークは無く、名板がある
DSC08752_R_20130627225624.jpg浮いてる感じがちょっと変
DSC08753_R_20130627225626.jpg説明板
DSC08754_R_20130627231135.jpgパイプ継ぎ手がぽつぽつ置いてある
DSC08766_R_20130627231137.jpg緑の公園部分に点在している

他には、レンガの積み方(フランス積み等)の展示もある

横須賀海軍港務部

明治33年に設けられた横須賀海軍港務部が、ヴェルニー公園から海上自衛隊横須賀地方総監部にかけての、海岸造の庁舎の一帯にあった。
港務部は、各鎮守府ごとに置かれ軍港水域の警備、艦船の係留、出入渠、浚渫、運輸など港務全般を担当していた。
DSC00121_R_20130626204003.jpgJR横須賀駅のバスのロータリー前に逸見上陸場の営門(軍港逸見門)はある
DSC00131_R_20130626204006.jpgただし、位置は公園化の為に移動されている
DSC00132_R_20130626204004.jpg中に入る事は出来ない
DSC08837_R_20140616215429c86.jpg
右の「軍港逸見門」
DSC08838_R_201406162154300d6.jpg
左の「逸見上陸場」
DSC08839_R_2014061621543107c.jpg
案内板
逸見波止場衛門_R当時の写真
00011_R_20140620080209972.jpg
KURO様より頂いた右門柱の写真は、横の塀が写っており、位置はオリジナルと思われる
DSC00112_R_20130626204723.jpgショッパーズ側には国威顕彰の碑などが並んでいる
DSC00113_R.jpg戦艦山城は横須賀海軍工廠で起工した
DSC00650_R_20130626210112.jpg山城レリーフ
DSC00651_R_20130626210114.jpg山城艦暦
DSC00114_R.jpg国威顕彰の碑(左)
DSC00644_R.jpg重巡高尾の艦橋がモデルと言われる
DSC00643_R_20130626210109.jpg横須賀鎮守府所属の「長門」が連合艦隊旗艦に
DSC00641_R.jpg
DSC00642_R_20130626210743.jpg日本海軍の敷設艦。日本海軍初の大型敷設艦
DSC00645_R_20130626210744.jpg海軍の碑
DSC00646_R_20130626210746.jpg小艦艇用のイカリ
DSC00647_R_20130626211256.jpg建立趣意
DSC00648_R_20130626211258.jpg東京湾、横須賀近辺
海軍下士官兵集会所・米海軍EMクラブ_R海軍下士官兵集会所・米海軍EMクラブ
ガントリークレーンとEMクラブ_R海軍下士官兵集会所と住友ガントリークレーン
ガントリークレーン_R建造中の高尾
軍艦高雄の進水式_R高尾進水式
yokosuka21[1] URAGAのロゴ付きガントリー、もう1枚有ったので追加する
DSC00133_R_20130626215436.jpg横須賀駅ロータリーに有った、戦後住居利用の壕(マンション工事中)、中央はトイレ
DSC02125_R_20130626220400.jpg隙間からのぞき見る
DSC02126_R_20130626220402.jpg場所的に
DSC02127_R_20130626220404.jpg横須賀海軍港務部関連か?
DSC02128_R.jpg
DSC02129_R_20130626220408.jpg
DSC02130_R_20130626220735.jpg
DSC04355_R.jpg海上自衛隊横須賀地方総監部に行く
DSC04357_R.jpg昭和13年4tアンカー
DSC04359_R.jpg遺構ではないが、護衛艦あまつかぜのスクリュー
DSC00541_R_20130626221027.jpgNO22
DSC04622_R_20130626221026.jpg横須賀海軍港務部係船環表示板
DSC04365_R.jpg昔の大砲の尾部、砲身が埋っているのかは不明、繋船柱として使用
DSC08860_R_20140620080950899.jpg
新しい護岸が出来上がり、ボラードの役目は無くなったが、モニュメントとして残っている

他にも戦艦砲の砲弾、被帽付きの徹甲弾(白塗り)が二発、海軍用地の石柱も一般には見えない所にある
img142.jpg同期の櫻様から写真を頂いたので、追加します。
横須賀駅のバス停の裏側から昭和22年頃に撮影した写真だそうです、駅のホームの高低差が無い事が良く判ります、ガントリークレーンがまたいい!

総監部山地下壕及び機銃陣地

総監部山とゆうのは俗称である、海上自衛隊横須賀地方総監部の裏山にある為だ
明治33年に設けられた横須賀海軍港務部の跡地で、ヴェルニー公園から西側すべてが敷地だった
逸見上陸場の営門や係船環表示板などが残っているが、後に紹介する
山頂部には横須賀海軍警備隊の機銃砲台(25mm連装機銃3基、13mm単装機銃9基)が防空用として
設置されていたので、この壕はこの関連施設だと推測される
DSC01311_R_20130625221303.jpg線路の向こう側で、自衛隊敷地と紙一重な部分になるので、十分な注意が必要だ
DSC01313_R_20130625221305.jpg山腹の目立たない斜面にその壕は開口していた、現在は倒木が折り重なり入り口を塞いでいる
DSC01314_R_20130625221307.jpg入り口には色んなゴミが捨てられている
DSC01315_R_20130625221308.jpg入ってほど無い所に穴が開いている
DSC01316_R_20130625221310.jpgこの壕唯一の部屋がある
DSC01317_R.jpg入り口からOKN氏の所までは素掘りの壕である
DSC01318_R_20130625222412.jpgここには謎の水槽がある、大型の物が2つ有る
DSC01319_R_20130625222414.jpg水は澄んでいるが、中は汚い
DSC01321_R_20130625222418.jpgここへはOKN氏と2人で来ていたのだが、偶然壕内で榴弾砲氏と出会い合同で探索する事にする
DSC01320_R_20130625222415.jpgまぁ、良くある偶然だ
DSC01322_R.jpg水槽から先は一時的にコンクリート巻きとなる
DSC01323_R.jpgしかし、壕の中心部分は何故か素掘りのまま
DSC01324_R_20130625223939.jpg10m程度でまたコンクリート巻きになる
DSC01325_R.jpg後は開口部までコンクリのままだが、湿度がスゴイ
DSC01326_R_20130625223942.jpg自衛隊庁舎の裏に開口していたのだが、コンクリートで埋められている
DSC01328_R_20130625224603.jpg最深部まで来たのでもとに戻る
DSC07657_R_20130625224831.jpg山頂までの急斜面を登る
DSC07658_R_20130625224833.jpg山頂には現代の建物が林立している、機銃陣地の跡地を利用した物と思われる
DSC07660_R_20130625224835.jpg割と古そうなアンテナ
DSC07662_R.jpg貯水槽だろう
DSC07663_R_20130625225327.jpg山頂にある、機銃陣地の防空壕
DSC07665_R_20130625225329.jpgこれは山腹にある銃眼、内部は3mほどの部屋で坑道などは無く、内陸を向いている

横須賀海軍港務部の地下壕はこの山裾にあり、基地際などでも間近かで見る事は出来ない

秋谷狙撃陣地

横須賀市秋谷1丁目の秋谷漁港の外れた所に、その銃眼は開いている
秋谷狙撃陣地は、かなりマイナーで殆んどの人は、存在すら知らないだろう
ネタとして聞いたのは秋谷に狙撃陣地があり銃眼はコンクリート製程度の物で、場所不明
今回は山狩りでなく、海岸狩りとなった、一人では大変なので榴弾砲氏を誘う
立石から秋谷漁港までは砂浜、漁港はコンクリート桟橋、必然的にそこから先の捜索に絞られる
漁港の端っこから海岸に降りてすぐに、海軍柱を見つける岩礁にも境界石が見える、楽勝に思えたが
全く見当たらない、ついに芦名海水浴場まで来てしまった、確実に来すぎだ
戻りながら再調査をするが判らない、既に軽く1時間以上同じ所をうろうろしている
諦めて戻ろうとした時、外観はただの崖の藪にしか見えないが、引っ掛かる物を感じ崖を這い上がり
藪を掻き分け、やっと銃眼を見つけた、外部からは生い茂った藪で完全に見えなくなっていたのだ
そんな苦労はあったが、遺構のみを紹介する
DSC06625_R.jpg漁港から海岸に降りた先に2本立っている
DSC06626_R.jpg海の文字がある
DSC06627_R_20130624213304.jpg大楠漁協の手前にある境界柱
DSC06628_R_20130624213305.jpgこれは係留用か、何も書いてない
DSC06660_R_20130624213307.jpgこの崖を上り藪に突入した
DSC06632_R_20130624214045.jpg掻き分けると、何か見えてきた
DSC06629_R_20130624214043.jpg見付けた!苦労した分感動的だ
DSC06633_R.jpg鉄筋コンクリートの立派な銃眼だ
P1320411_R.jpg手前が邪魔くさいが気にせず突入する(写真提供榴弾砲氏)
DSC06636_R_20130624214048.jpg中から見た銃眼部、コンクリートはここだけ
DSC06656_R_20130624214727.jpg狙撃口特有の段々が切ってある
DSC06635_R.jpg中央には機銃座の穴が開いている
DSC06637_R_20130624214726.jpg少しどけて見たら、動物の糞が出て来たので、掘るのをやめた
DSC06638_R_20130624215232.jpgでは、早速内部へ
DSC06639_R.jpg高さは2mほど有るので歩くのは楽だ
DSC06640_R_20130624215235.jpg典型的な洞窟陣地の通路、何か落ちている
DSC06641_R_20130624215236.jpg糞の落とし主だろうか
DSC06642_R_20130624215237.jpg右に分岐がある
DSC06643_R_20130624222830.jpg床の材木の所に何か落ちている
DSC06644_R_20130624222831.jpgインク壷かランプビンにも見える
DSC06645_R_20130624222833.jpgすれ違い場
DSC06646_R_20130624222834.jpg分岐を進んでみる
DSC06647_R_20130624222836.jpg民家の裏に開口している様だ、外から塞いでいる
DSC06648_R.jpg分岐に引き返す、目の前にさっきのすれ違い場がある
DSC06649_R_20130624223559.jpg本道に戻る
DSC06650_R_20130624223600.jpg壁は白みを帯び、高さが無くなって来る
DSC06651_R_20130624223602.jpgなんと水没、先はまだ有りそうだが、しかたがない
DSC06654_R_20130624224118.jpg狙撃室まで帰ってきた
DSC06657_R_20130624224121.jpg榴弾砲氏も生きて帰ってきた
DSC06655_R_20130624224120.jpgではまたこれを乗り越えて脱出しよう

兎に角長い通路を有する地下壕であったが、分岐も少なく変化も無いので写真は少なめ、機会が有ったら
ウエイダー装備で再訪してみたい、あれだけ長い通路で先には何も無しって事は無いだろう
しかし、もう一つ銃眼が有ったとしても、水中と化している公算は大なり

西浦砲台左翼観測所

西浦砲台の左翼観測所が日影山の山頂に現存する、しかしここに到着するのは難しい
まず、日影山自体が見つからないだろう、西浦砲台のある山とは全く違う山に存在している
アクセスは難しいが、遺構自体は米軍による破壊や西浦砲台自体の様な、関東大震災の被害も無く
金属泥棒が最大の被害な具合に、残存状態は非常に良い
上部に砲台長位置、測遠機室を備え、下部に計算室、通信室がほぼ完全な形で残っている
DSC06240_R_20130623185821.jpg早速日影山に入山する
DSC06241_R_20130623185824.jpg左翼観測所は究めて知られていない遺構で、今回はOKN氏に案内してもらった
DSC06242_R.jpgあっとゆう間に道が無くなり原生林になる
DSC06243_R_20130623185827.jpg榴弾砲氏が何かを見つけた
P1320071.jpg天水桶その1だ(ふぉーとれすより無断借用)
DSC06246_R.jpg天水桶その2
DSC06247_R_20130623192246.jpg満々と天水が満ちている
DSC06248_R.jpg天水桶その3
DSC06249_R_20130623192250.jpg防二三三の陸軍柱
DSC06250_R.jpgどうやら到着した様だ(一人だったら遭難してるかも)
DSC06251_R.jpg一段下った所に、遺構が見える
DSC06253_R.jpg右側には通信室が二部屋ある
DSC06254_R.jpgここには横開きの戸が付いていたのか?
DSC06256_R_20130623192911.jpg隣の部屋に繋がる、こぶし程度の穴
DSC06257_R.jpg隣への戸の鴨井は木製だ
DSC06258_R.jpg左側の部屋の入り口にある、謎のコンクリート片(測遠機台の一部だろうか)
DSC06259_R.jpg上部の砲台長位置への伝声管
DSC06260_R_20130623194323.jpg覗くと外が見える
DSC06261_R.jpg通信室を出る
DSC06262_R_20130623195759.jpgちょっと手前によじ登り、目線を変える
DSC06263_R_20130623195801.jpg中央に位置する、砲台長位置
DSC06264_R.jpg左翼の壁面
DSC06265_R.jpg通信室外観
DSC06266_R_20130623195805.jpg左右から登れる、砲台長位置への階段
DSC06267_R.jpgさらに上がる
DSC06269_R.jpg砲台長位置
DSC06274_R.jpg右側の物入れと通信室への伝声管
DSC06270_R.jpg伝声管はラッパの様に下に広がる
DSC06271_R.jpg左には計算室への大きな連絡口が開いている
DSC06278_R.jpg計算室に下りる
DSC06279_R_20130623205608.jpg下から連絡口を見上げる
DSC06280_R.jpg計算室の前にある測遠機室
DSC06283_R.jpg側面には一部鉄板が残っている
DSC06287_R.jpg測遠機台、下に落ちていたコンクリート片はここに乗っていたと思われる
DSC06286_R.jpg側面の物入れ
DSC06288_R.jpg計算室を見下ろす
DSC06290_R_20130623210654.jpg藪に入って、上から見下ろすがこれが限界
DSC06294_R_20130623211402.jpg反対側に回る
DSC06293_R.jpgついでに砲台長位置側に回り、下に降りる
DSC06297_R.jpg昼なお暗い密林に囲まれ、掘り下げられたこの遺構は場所が特定出来ないと、マジで無理
DSC06299_R.jpgコンクリートの角は、キチンと面取りされ、急造砲台とは違う美しさを持つ
DSC06301_R.jpg上は削れているが、防二三一だろう
DSC06302_R_20130623212321.jpg探索後、どうやって降りようかを思案するOKN氏、また帰りも藪漕ぎだ
DSC06308_R.jpg下山後、立石バス停付近に移動する
DSC06306_R.jpgこれは東京湾要塞地帯標(フェンスが邪魔で見えない)
DSC06307_R_20130623212326.jpgこんな海岸沿いのゴミ捨て場にあるとは、捨てられなければ良いが・・・
DSC06309_R.jpg表は陸
DSC06310_R_20130623213451.jpg裏は防七五
DSC06311_R.jpg石垣の上にある防七二ノ八、枝番が付いている
DSC06312_R_20130623213455.jpg防七の下が見えない
DSC06313_R.jpg道路脇にある当時のコンクリート柱
DSC06314_R_20130623214103.jpg防護ネットの裏には小さな防空壕
DSC06315_R_20130623214105.jpgこの日見付けた、最後の一本!探せばまだありそうだ

西浦砲台(未完成)

幻の砲台と良く言われる西浦砲台だが、陸軍により大正10年に竣工したが、地盤不良の為に備砲前に計画中止、なんと第一砲座が大雨で崩れてしまったのだ、更に関東大震災により大きな被害を受け、大正14年除籍となったが、昭和になってから防空砲台用地として、海軍に移譲された様だ、しかし結局は備砲される事は無かった。
当初の計画としては7年式30cm長榴弾砲4門が備砲されるはずだった。
現在は軍道もほぼ消えてしまい、位置を知らなければ発見出来ない様な濃い藪に覆われ、原生林の様だった。
左翼観測所が日影山頂に現存するが、こちらは一層藪が酷く夏場は近寄れ無い。
なお、現存遺構は埋った第1砲座を除く3座、地下式の砲側庫が1座に付き左右に1つずつ、砲座間にある砲側庫内部で連絡し砲座間通路となっている、他に、右翼のみ砲台長壕は通信室と共に残っている
DSC08232_R.jpg榴弾砲氏に案内して貰い、軍道の痕跡を外れた所にそれはあった
DSC08233_R_20130622200836.jpg右翼砲台長位置及び通信室(計算室?)
DSC08235_R_20130622200838.jpgこれが通信室(計算室?)
DSC08236_R.jpg自然の木の力か、震災の影響か、壁の継ぎ目から割れている
DSC08237_R.jpg埋っているが、階段がある
DSC08238_R.jpg登るとモウソウダケの中に隠れる様に、砲台長位置がある
DSC08239_R.jpg通信室への伝声管
DSC08240_R.jpgコンクリートの肉厚が良く判る
DSC08241_R.jpgまるで視力検査のアレの様だ(左)
DSC08242_R.jpg何故、全面コンクリートじゃないんだろう?
DSC08243_R.jpg緩やかなアーチを描いて曲がる石垣
DSC08244_R.jpg石垣に沿って進む
DSC08245_R_20130622211801.jpg左手に何か見えて来る
DSC08246_R_20130622211803.jpg小隊長位置だ(植物が邪魔で全体が取り難い)
DSC08249_R.jpg妙に横に広い、2座に1つずつある
DSC08250_R_20130622212540.jpgさらに進むと
DSC08254_R_20130622212543.jpg第2砲座が現れる
DSC08252_R_20130622212542.jpg右を向くと、砲側庫が口を開けている
DSC08256_R_20130622212545.jpg見た目は無傷に近い
DSC08261_R_20130622213554.jpg入り口を振り返る、外は原生林だ
DSC08257_R_20130622213549.jpg内部に入ると銃眼の様な物が見える、これはほぼ全ての砲側庫にある
DSC08258_R_20130622213551.jpg日本の要塞とゆう本には銃眼だと紹介しているが、上下の穴は?
DSC08264_R_20130622214859.jpg隣と繋がる連絡通路兼、砲側室通路
DSC08262_R_20130622213556.jpgその床には、震災の傷跡が刻まれる
DSC08265_R_20130622214901.jpg入り口は中央部にある
DSC08271_R.jpg通路左側第2砲座砲側庫
DSC08269_R_20130622214902.jpg通路右側第3砲座砲側庫、左右対称になっている
DSC08272_R_20130622215817.jpg銃眼と言われる部分、確かに入り口方向が見える
DSC08273_R.jpg出入り口構造
DSC08266_R_20130622215816.jpg奥から土砂が流入している
DSC08275_R_20130622215820.jpgすごい事になっている(これは第1砲座方向の砲側庫)
DSC08279_R_20130622215822.jpg戻る事にする
DSC08285_R_20130622220829.jpg第3砲座、やはり水没
DSC08286_R_20130622220831.jpg砲側庫も水浸し
DSC08287_R_20130622220833.jpgこの水はけの悪さも、地盤の悪さの一因だろう
DSC08289_R.jpgここも中央が隆起している
DSC08291_R.jpg側面も亀裂が目立つ
DSC08294_R.jpg水没の為戻る
DSC08296_R_20130622222411.jpg砲座間に排水溝があった
DSC08297_R_20130622222414.jpg落ちたら上がれないぐらい深い
DSC08298_R_20130622222416.jpg石垣を回ると
DSC08299_R.jpg次なる砲座が・・・多分砲座
DSC08300_R_20130622225103.jpg水没で引き返した反対側
DSC08304_R_20130622225104.jpg隣の砲側庫、かなりぬかるんでいる
DSC08305_R_20130622225106.jpg扉の跡、蝶番が盗まれている
DSC08307_R_20130622225108.jpg全面泥だらけ
DSC08315_R_20130622230009.jpgドラム缶が落ちている
DSC08317_R_20130622230011.jpg横に吸水口がある遺構で良く見かけるタイプだ
DSC08318_R_20130622230013.jpg第4砲台最後の砲側庫
DSC08320_R_20130622230015.jpgやはり水没
DSC08321_R_20130622230017.jpg脱出する
DSC08322_R_20130622230439.jpg付近にあった陸軍柱
DSC08323_R_20130622230441.jpg防二九
DSC08324_R_20130622230442.jpg左翼砲台長位置を捜索するも、不明の台座しか発見出来ず

次回、西浦砲台左翼観測所

長者ヶ崎砲台その2

長者ヶ崎砲台の続きDSC04950_R.jpg長者ヶ崎砲台観測所、下に降りるには梯子が無いので、一旦出る事にする
DSC04929_R_20130621203256.jpg怪しげな所を捜索すると、秘密の入り口発見
DSC04931_R_20130621205200.jpg覗き込むと、大谷石を横に2段重ねたその上にも大谷石をただ乗せただけの、通気口の様だ
P1300081[1]滅茶苦茶狭いが、匍匐よりはマシだ(写真提供榴弾砲さん)
DSC04951_R.jpg20mほど進んだ所で天井の大谷石が折れている、しかも数本(見なかった事にして進む)
DSC04952_R_20130621203301.jpg部屋に付いた、落差が1.5mほどあるが通路に居たくないので降りる
DSC04953_R.jpg部屋から来た道?を振り返る、銃眼の様に見えるがこんな長い訳が無い
DSC04954_R.jpg隣の部屋への通路がある、四角い小さな穴はコンクリートに木材をはめ、そこに電気配線を止める為の釘を打つ、当時はコンクリートに釘を打つ方法が無かった
DSC04955_R.jpg配線を通す為のパイプ穴
DSC04956_R_20130621213209.jpgさっきと同じ様な通風口は随所にあるが
DSC04957_R_20130621213210.jpg恐ろしい事に、ポッキリ逝ってらっしゃる
DSC04958_R.jpg見なかった事にして、次の部屋へ
DSC04959_R.jpg黒い防湿タールの塗ってない所には、機械が設置してあったのだろう
DSC04960_R.jpg恐らく、主出入り口だが外部からは特定出来ない
DSC04961_R_20130621214540.jpg各部屋に一つ以上の通風口が有るのが判るだろうか
DSC04962_R.jpg防湿タールの何も塗ってない部屋
DSC04963_R.jpg床はガレているが、異様に綺麗に感じる
DSC04964_R.jpg通風口はやはり埋っている
DSC04965_R.jpgついに最後の部屋に入る
DSC04966_R.jpgやっと目的の部屋に付いた
DSC04967_R.jpg通風口はやはり先の方で埋っている、結局開いていたのは最初のだけだった
DSC04968_R.jpgやはり脱出するには、折れた大谷石の通風口しかない様だ
DSC04969_R.jpg最初は伝声管かと思ったが、下に叫べば良いだけだ、配線パイプだな
DSC04970_R_20130621220531.jpgこの通風口は、高くて観測窓にも使えそうも無い
DSC04971_R.jpg早速脱出するが、良く見ると間隔が結構開いている、これじゃ折れるわ
DSC04972_R.jpgやっと脱出口に付いた、一人でさっさと脱出!
DSC04973_R_20130621220143.jpgさらば榴弾砲殿、その後彼を見た者は居ないとか
DSC04974_R.jpg穴から出ると、外は猛吹雪になっていた、これから下山するには大変だ
DSC04975_R.jpg何とか下山した頃には吹雪も治まり、夕焼けに染まる砲台を見上げる
DSC06101_R.jpg後日、葉山ホテル音羽ノ森に長者ヶ崎第2砲台を見に行く(フロントで許可を頂き案内してもらった)
DSC06102_R.jpg現在チャペルとして、第二の人生?を歩んでいる
DSC06103_R_20130621222128.jpg砲側庫への通路(オリジナル)
DSC06106_R.jpg天井は現代の防湿コーティング
DSC06104_R.jpgすごい状態がいい
DSC06107_R_20130621222943.jpgもう一つの砲側庫は物置になっていた
DSC06108_R.jpg間接照明でいい感じだった
DSC06109_R_20130621222948.jpgホテルの方に礼を述べ帰途に付く

この遺構は例の3.11以前に訪れた物で、現在危険な状態と推測する、死にたくなければ真似をしない様に!

長者ヶ崎砲台その1

長者ヶ崎砲台は、住所で言えば、三浦郡葉山町下山口になるが、細分化しすぎると面倒なので、ここで紹介する
備砲は40口径41式15cm砲各1門2基の砲台であり、砲室2ヶ所は今も残っている。 1門は首線が南で佐島砲台と十字砲火を形成するが、もう1門は長者ヶ崎を挟んで反対側、江ノ島を向いている。
長者ヶ崎(ちょうじゃがさき)は、神奈川県横須賀市と葉山町の境に位置する岬である。現在は落石の危険があり、立ち入り禁止だが、遠くからでもその全貌を見ることができる。
とゆうことで、先端まで行って見たが、駐車場から見えた穴も海食洞だった、しかしその海岸には狙撃陣地のコンクリート製銃眼とはっきり判る物が落下しているのは有名だ。
他にもこの付近では、砲座2個、トーチカ1基、観測所などが確認されている。
この長者ヶ崎砲台の砲室の形は他の半円形と違って、箱型で末広がりだ
DSC08226_R_20130620195650.jpg横須賀市との境界にまたがって、長者ヶ崎砲台はある
DSC06864_R_20130620195655.jpg長者ヶ崎は、景勝50選らしい
DSC06861_R_20130620195652.jpg駐車場下に見える銃眼
DSC06863_R_20130620195653.jpgズームして見る、どくとくの段差が刻まれている
DSC06866_R_20130620200523.jpg平成23年には、崖の保護工事をしていた、今頃は終わっているだろう
DSC06867_R_20130620200524.jpg気にせず一気に崖をよじ登る
DSC06869_R_20130620200526.jpg便宜的にこっちを第1砲台と称する
DSC06872_R_20130620200527.jpg天井に残る吊り金具とチェーン
DSC06874_R_20130620200529.jpg砲座のアンカーボルト
DSC08228_R.jpg砲身固定用の窪み
DSC08230_R_20130620202911.jpg外部への通路とおもわれる
DSC08231_R.jpg砲室奥の砲員控え室?
DSC06880_R_20130620202914.jpg床にはタイル状に溝が切ってあった
090525_173008b[1]_R右側の部屋、手前に防爆壁があり弾薬庫と思われる
DSC06884_R_20130620213454.jpg天井には電灯の跡が残る
DSC06885_R_20130620213455.jpg斜面一帯を山狩りすると、下の方にトーチカを発見する
DSC06886_R_20130620213458.jpg殆んど埋っており、一部しか露出していない
DSC06887_R_20130620213500.jpg銃眼のスリット際まで埋っていて完璧な偽装だ、下からは判らなかった
DSC06888_R_20130620214258.jpg中は3m四方程度で狭い感じ
DSC06889_R.jpg背面の出入り口は埋っている
DSC04918_R.jpgこの時は冬の空気の澄んだ日で、江ノ島が見えた
DSC04919_R_20130620213028.jpgコンクリートの狭い通路がある
DSC04920_R.jpgその横には半円形の石組みがある
DSC04923_R.jpg広い所で1.5mほどか、通信もしくは計算室か?
DSC04924_R.jpg入り口に露出する鉄筋
DSC04925_R.jpg奥はすごい事になっている
DSC04926_R.jpg3mほど広い所がある
DSC04928_R_20130620215146.jpg土砂の流入で先は判らない
DSC04932_R.jpgトーチカとも言われる観測所(丁度砲座の真ん中に位置する)
DSC04933_R_20130620215149.jpgここも地表の際に開口する
DSC04935_R.jpgカメラだけ突っ込み、各方向を撮影すると手すりが写る
DSC04936_R.jpgそして埋った入り口
DSC04937_R.jpgそして穴?地下?
DSC04938_R_20130620215818.jpg首を突っ込んで撮影、間違い無く地下室がある、行くっきゃない!
DSC04939_R.jpg174cmの小柄な体型が幸いし、潜入成功!来たぞ地下室

次回、地下室と第2砲台

佐島洞窟砲台

横須賀市佐島にある洞窟式の砲台が第1~第3までこの地区に設置された。
15cmカノン砲各1門3基(40口径安式15cm2門、40口径41式15cm砲1門)の洞窟砲台があったが、正確にはどれが第1で、どれが2,3なのか資料が無い、ここでは俗称で一番大きい物を第1、連絡壕で繋がっていた物を第二、単独の物を第三として紹介する。
なお、第3に憑いては、一時TVでも取り上げられて、残念な姿で紹介されていたので、見た人も居ると思う。
どこぞの裕福な方が、一帯の土地を買占め、たまたまあった洞窟砲台と遂道、生息室を大改造(風呂、ワインセラー、ミニライブスタジオ)した、しかも、家から砲台までモノレールまで引いてある。
写真は有るが、個人邸となってしまったので、あえて紹介しない。
DSC05455_R_20130619204853.jpgまずは、天神島臨海自然教育園に向かう
DSC05458_R_20130619204855.jpgここには時折ある物が流れ着く、地元では有名らしい旧軍の遺物だ(採取成功)
DSC05459_R.jpg神明社に詣でる
DSC05464_R_20130619204858.jpgでは、穴に入ろう(普通には見つからない所にある)
DSC05472_R_20130619204900.jpg入って来た抜き穴
DSC05473_R.jpgまず、分岐があるが、無視して進む
DSC05474_R_20130619214904.jpg幅1mチョイ、高さ2mほどが続く
DSC05475_R.jpg狭い壕には、すれ違い場が幾つかある
DSC05476_R.jpg壁が地質的に紫がかっている
DSC05477_R_20130619214908.jpg狭い上にアップダウンが激しく、曲がりくねっている
DSC05478_R.jpg発泡のパネルが落ちている所を抜けると
DSC05479_R.jpg最初の弾薬庫がある
DSC05480_R_20130619215717.jpg入り口のみコンクリートで内部素掘り
DSC05482_R.jpg2つ目の弾薬庫
DSC05484_R_20130619215720.jpg入り口に半分だけ防壁がある、内部素掘り
DSC05483_R.jpg開口部が近いせいか、ゴミだらけだ
DSC05485_R.jpg3つ目の弾薬庫
DSC05486_R_20130619220305.jpg砲室に近く、対爆構造になっている
DSC05487_R.jpg扉は無い
DSC05488_R.jpgここのみ、全面コンクリート作りの弾薬庫
DSC05489_R_20130619220801.jpg内側から入り口方向
DSC05492_R.jpgすぐ近くに外部への通路が開口している
DSC05491_R.jpg手前右上の倉庫
DSC06903_R_20130619221227.jpgの奥
DSC06899_R_20130619221225.jpgこの外は現役の資材置き場で稼動しているので外には出れない
DSC06904_R_20130619221228.jpg外観、洞窟砲台にしては、立派な入り口
DSC05493_R.jpg砲室は前半分だけコンクリート巻き
DSC06907_R_20130619221749.jpg中央にはアンカーボルトが残る
DSC06908_R_20130619221752.jpg砲に俯角を与え、筒先を入れる所
DSC06909_R_20130619221754.jpg防護フェンスギリギリより砲室を見る
DSC05494_R_20130619222400.jpg次に行く
DSC05495_R.jpg抜き穴が見える
DSC05496_R_20130619222403.jpg天井が低くなる
DSC05497_R_20130619222405.jpg水没通路
DSC05498_R.jpg20cm以上ある深い側溝
DSC05499_R_20130619222913.jpg曲がりくねる
DSC05501_R_20130619222914.jpg低く水没多し
DSC05504_R.jpg若干登る
DSC05506_R_20130619222920.jpg行き止まり、第2砲台への連絡抗道と思われる、方向的に
DSC05502_R.jpg戻りしな3mほどに広がる所がある
DSC05507_R.jpg最初に無視した分岐を曲がると、下り階段がある
DSC05508_R_20130619223941.jpg異様な空間あり
DSC05509_R.jpg螺旋階段の様に降りて行く
DSC05510_R_20130619223944.jpgまだ降りる、帰りに上るのが考えたくない
DSC05511_R_20130619223946.jpg湿気が増してくる
DSC05512_R.jpg何やらパイプが転がっている
DSC05513_R.jpg狙撃室に到着した
DSC05514_R.jpg狙撃口から先を見るが、埋まっている
DSC05516_R.jpg開口していた頃に、ヨットのセイルを投げ込んだのだろう(佐島マリーナ)
DSC05517_R.jpgさて、気合を入れて登ろう
DSC05521_R.jpg佐島砲台第1外観
DSC05522_R_20130619225014.jpgフェンスの中になんとか見える
DSC06925_R_20130619225351.jpg続いて、第2砲台
DSC06926_R_20130619225353.jpg水産加工会社の敷地内にあるので、許可を取り撮影
DSC06927_R_20130619225354.jpg砲室内は物置と化していた(サーフボードの預かり所)
DSC06932_R.jpg天井中央の吊り金具
DSC06933_R.jpg砲室外円
DSC06934_R_20130619225828.jpg下から見上げる
DSC06937_R_20130619225830.jpg台湾リスが居た
DSC06938_R_20130619225831.jpg付近にある倉庫壕

話を伺った所、内部には2~3部屋あり危ないから自分で、埋めてしまったとの事だった。

戦食(民間向け戦闘糧食)その他ネタ

今回は米軍や自衛隊のレーションではなく、民生品の紹介だ。
とわ言っても、卸業者は同じだったりするので、管品のデパックだと思えばいい
以前紹介した防衛糧食と同じ様な物だが、これらには加熱財が付かない。
後は軍ネタで頑張っている食品類をネタとして紹介する。
DSC02420_R.jpgミリーなお店か、通販で買える一般向けレーション(駐屯地のPXでも置いている所あり)約500円
DSC02421_R.jpg大きめご飯パック1、レトルトパック1
DSC02422_R.jpgハチ食品はラーメンなども手がけてる、フツーの食品会社
DSC02437_R.jpg当然ながら、フツーのカレー
DSC02417_R.jpg外見は一緒、裏に商品名あり
DSC02419_R.jpg
DSC02436_R.jpgどっちかってゆうと、ただの牛丼
DSC01094_R_20130618210830.jpgごはん筑前煮セット
DSC01096_R_20130618210832.jpgパッケージ裏は透明で、説明シールが貼ってある
DSC01097_R_20130618210833.jpgちなみにこのご飯の緑フィルムはめくれない様になっていて、ナイフで切るしかない
DSC01100_R_20130618210834.jpg野菜、特に竹の子硬いっす、こんにゃくは柔らかい
DSC01075_R_20130618211559.jpg戦食には派生型があるのか、パッケージ変更かわからない物がある
DSC01076_R_20130618211601.jpgどんぶりもののもと(豚丼)
DSC01083_R_20130618211602.jpgプラスチックのナイフが付く(写真撮るの忘れて、食ってしまった)
DSC01085_R_20130618212126.jpg同じく牛丼
DSC01087_R_20130618212128.jpg量はたっぷり
DSC01080_R_20130618212530.jpgまた、この様な物もある、戦闘糧食Ⅱ型が不足した時に、民生品で補填する物だ
DSC01082_R_20130618212532.jpgパッケージは似て否なる物
DSC01086_R_20130618212534.jpg支給時はこんな感じになる

この手の物は多岐に渡りすぎ、把握出来ない
以下は、広報センター、イベント売店、果ては一般スーパーで買えるネタ商品
P1010003_R.jpgキャラクター違いでいろんな種類がある
001_R_20130618213600.jpgこのメーカーは普通に戦闘糧食Ⅱ型を納品している
P1010004_R.jpg真空パック入り
004_R_20130618213601.jpgごはん1レトルト1、スプーンの色が違う
005_R_20130618213603.jpg実にフツーのレトルトカレー
DSC00418_R.jpg基地際では露天に必ずと言って良いほど売っている
DSC00956_R_20130618214341.jpgでかくて、持って帰るのが面倒になる
DSC00955_R_20130618214339.jpg
DSC00957_R_20130618214343.jpg16袋入り
DSC09929_R_20130618214827.jpg多分こっちがオリジナル
DSC09930_R_20130618214828.jpgでも、14袋
P1010321_R.jpg10式戦車登場時に限定で売っていた
P1010322_R.jpg勿体無くて開けないでいたら、賞味期限切れ
P1000934_R.jpg撃シリーズはいっぱいあるが、写していない(お土産に人にあげてしまうから)
DSC08941_R_20130618215629.jpg帝国海軍横須賀鎮守府味
DSC08942_R_20130618215631.jpgでも、メーカーは広島県呉市にある
DSC08946_R_20130618215633.jpgフツーのブレンドコーヒー、まずくは無い
006_R_20130618220304.jpgよこすか海軍カレードーナツ
DSC00416_R.jpgよこすか海軍メンチカツドッグ
003 (2)_R呉海軍肉じゃがカレーコロッケ
冷食に海軍ドライカレーなる物もあるが、食ってしまった!結構美味い

戦闘糧食Ⅱ型(パック飯)その2

DSC09151_R_20130617202303.jpg中華風カルビ
DSC09152_R_20130617202305.jpg
DSC09169_R_20130617202306.jpg珍しく赤飯が付く
DSC09194_R_20130617202308.jpgカルビ丼
DSC09195_R_20130617202309.jpgウインナーは普通、赤飯はごま塩が欲しい
DSC00419_R.jpg豚しょうが焼き
DSC09238_R_20130617203120.jpg
DSC09239_R_20130617203122.jpgおかず、しょうが焼きのみ
DSC09251_R_20130617203123.jpg汁だくなので、2杯逝ける
DSC09252_R_20130617203601.jpg豚角煮
DSC09254_R_20130617203602.jpgちょっと変った外パッケージ
DSC09255_R_20130617203604.jpgこのメーカーもご飯四角トレイ
013_R_20130617203559.jpg塩の付いた海苔4枚
015_R.jpg角煮とろとろで美味い
010_R_20130617204435.jpg豚甘辛煮
DSC08914_R_20130617204436.jpg
DSC08931_R_20130617204438.jpg白米2つおかず1つ
DSC08934_R_20130617204439.jpgちょいと辛口
DSC08939_R_20130617204441.jpgたっぷり2杯分
DSC09156_R_20130617205048.jpg肉団子
DSC09159_R_20130617205050.jpg
DSC09160_R_20130617205051.jpgなぜかトレイの形状が違う
DSC09200_R_20130617205053.jpg肉団子は少し薄め
DSC09201_R_20130617205054.jpg五目チャーハン、粒がタイ米っぽい
DSC02015_R_20130617211352.jpg野菜麻婆
DSC02016_R_20130617211354.jpg白米とドライカレー
DSC02021_R_20130617211355.jpg洋風メニューが増えて良い
DSC02025_R_20130617211357.jpg麻婆には豆腐は入っていない、四角いのは竹の子
 メニューはまだあるが、手元に写真があるのはこんな物だ。
012_R_20130617212200.jpg右上が薄いポリエチレンパックで、他がアルミ層とポリエチレン層の積層式だ
DSC09177_R_20130617212202.jpg白米の新旧
DSC09279_R_20130617212203.jpg見比べ
DSC09280_R_20130617212205.jpg素通しのポリエチレンパック1枚
DSC09282_R_20130617212206.jpgどっちが良いか、一目両全
DSC09940_R_20130617212710.jpgこんな感じに入っている
DSC09942_R_20130617212712.jpgおかずが外でご飯が内側
P1000994_R.jpg戦闘糧食簡易過熱剤(加水型)用加熱袋、使用法
P1010392_R.jpg説明書き
P1010393_R.jpgセット方法
P1010394_R.jpgヒートパック(原理は使い捨てカイロと似た様な物)
DSC02427_R.jpgヒートパックの中身を傷つけない様に取り出す(綺麗に横に切る)
DSC02428_R.jpg後で水の計量に使う
DSC02429_R.jpgヒートパック本体を加熱袋の下に入れる
DSC02430_R.jpgその際、出切るだけ四角く底を整形する
DSC02433_R.jpgこんな感じにご飯とおかずをセットする
DSC02434_R.jpg水を内側の線に合わせて計量する、以外と持ち難いのでテーブルに底を着けた方がいい、後はこれをセットした加熱袋に注ぐだけで、終了
DSC02435_R.jpg水に即座に反応するので、ビビらない様にしっかり立てる、倒すと危険!、蒸気穴辺りで二つ折りにして立てかけてパッケージに書いてある時間をひたすら待つ、米軍のヒートパックより火力が強いので、火傷に注意!気を付けないと、加熱袋の底が解けてしまう事もしばしばある。

戦闘糧食Ⅱ型(パック飯)その1

今回は、戦闘糧食Ⅱ型(軽包装糧食)の紹介をする

1990年に自衛隊が採用した新しい戦闘糧食で、従来の戦闘糧食 Ⅰ型が缶詰であるのに対して、Ⅱ型は全てレトルトパウチ包装である。ゆえにⅠ型に比べて持ち運びと調理が容易になっている。Ⅰ型では25分であったご飯の湯煎時間が、Ⅱ型では10分になっている。しかし、レトルトパウチは金属缶に比べて強度の面で劣り、保存期間も短い。そのため今後もⅠ型と併用される。
初期型には、主食が一合ずつ2パックに分かれており、白米2パックや白米とドライカレーという組み合わせで供給されることもある、これは缶切りもいらず、箸など無くとも、搾り出して食べられるので、使い勝手が良かったし、何よりごみがかさばらない。
付け合せにフリーズドライ食品を採用し、スープや味噌汁が付く場合もあった、また、ご飯に漬物が添付されることもあったが、現在は2009年度より一般部隊に配分された改良型ではフリーズドライによる汁物が廃止になり、民間で使用されているタイプの米飯パック2個と副食2種類が一つのパックに入ったタイプが導入されている。
従来品と比べ種類も豊富であり、ハヤシハンバーグやウィンナーカレー等の洋食から野菜麻婆等の中華系総菜、かも肉じゃがや秋刀魚蒲焼き等の和食と従来の1.5倍にメニューが増えている、多分現在は20を越えるメニューがあるが、各メーカーから試作タイプなども入るので、実情は判らない。
湯銭時間は外装にはパックのまま30分(メーカーにより多少違う)と成っている
最近の改善型になると、米飯をパックではなくトレー入りにしてオカズ、先割れスプーンと一緒に一袋に纏めた物が主流となり、メニューも増えご飯も電子レンジ使用時は2分でウンヌンとパッケージが変り、外袋も薄いポリエチレンパックだった物が、メーカーによる差異があるが、アルミ層とポリエチレン層の積層になり、保温性と直射日光による保存性の改善がなされている。
カンメシは2合一気に食べなければ成らないのに対し、1合2パック入っているので、お残しも可能である。
通常演習時は、駐屯地を出る時から換算し、3日分の9食をもって行かなければならない。
だいたい300~400gだが、9食と成るとかなり重い、カロリーは一食1000kカロリーぐらいである。

難点として、賞味期限が1年しかなく傷に弱く穴が空き易い、気が着かないと背嚢の中がすごい事になるか、湯銭時に中身放出。
DSC01058_R_20130616221307.jpgいわし野菜煮
DSC01062_R.jpg
DSC01068_R_20130616221310.jpg
DSC01073_R_20130616221313.jpg骨まで食える柔らかさ
DSC01071_R_20130616221311.jpgほぐすとまたいい
DSC09218_R_20130616222115.jpgウインナーソーセージ
DSC09220_R_20130616222117.jpg今の所乾パン付はこれだけ
DSC09221_R_20130616222119.jpg搾り出しのツナサラダ付
DSC09225_R_20130616222120.jpgソーセージは燻製風かな、
DSC09227_R_20130616222122.jpg乾パンを食べやすくするために唾液の分泌を促進する物、オレンジスプレッドが付く時もある
DSC08911_R_20130616223144.jpgかも肉じゃが
DSC08915_R.jpg白米2つ
DSC08916_R_20130616223147.jpgおかず2種類
DSC08933_R_20130616223149.jpg肉じゃが、ジャガイモほくほく
DSC08938_R_20130616223150.jpgさばしょうが煮、骨も食える
DSC09148_R_20130616223725.jpgさんまピリカラ煮
DSC09175_R_20130616223726.jpgこれは改善型のライス
DSC09180_R_20130616223728.jpg液体タイプのスープだが、冷めるとどっしょも無い
DSC09203_R_20130616223729.jpgこれは最強に美味い、2合は楽に食える
DSC09205_R_20130616223731.jpgスープは濃厚で、あったかいと美味い
011_R_20130616225706.jpgチキントマト煮
DSC09243_R_20130616225708.jpgこれは25分でOK
DSC09244_R_20130616225711.jpgおかず1、スープ1
DSC09246_R_20130616225712.jpgコーンスープは今の所、この2種類に付いている
DSC09250_R_20130616225714.jpg自分的には、ぶっ掛けにはイマイチ
DSC08907_R_20130616230456.jpgとり野菜煮
DSC08910_R_20130616230458.jpg
DSC08925_R_20130616230500.jpg7割は白米2つかな、ぶっ掛けには白米のがいいけど
DSC08932_R_20130616230501.jpg里芋、ニンジンめちゃ柔らか~
DSC08935_R_20130616230503.jpg炭焼きチキンは乗せない方がいい、脂っこい
DSC09153_R_20130616231848.jpgハヤシハンバーグ
DSC09155_R_20130616231850.jpg
DSC09165_R_20130616231851.jpg
DSC09197_R_20130616231852.jpgハヤシハンバーグ、結構美味い
DSC09198_R_20130616231854.jpg乗せない方がいい、骨まで柔らかく食える(マジで)
DSC09270_R_20130616232507.jpgポークソーセージステーキ
DSC09271_R_20130616232508.jpg日本ハムはご飯パッケージが違う
DSC09274_R_20130616232510.jpgこれは以外と開けにくい
014_R_20130616232503.jpg珍しい山菜飯
016_R.jpgポークソーセージステーキは分厚いが、おかずこれだけ

次回に続く

戦闘糧食Ⅰ型(カンメシ)

自衛隊の陸海空共に食している、公共名「非常用糧食」の戦闘糧食Ⅰ型(カンメシ)の紹介
基本、官給品なので一般には食する事は出来ないが、災害時の食料支援、基地際時の体験喫食で食す事もある。
昭和29年から採用された缶詰タイプの糧食で、レトルトパウチ包装タイプの戦闘糧食 Ⅱ型が出た現在でも耐久性や保存性の面で優れているとされる、要するに頑丈で航空機投下にも耐えられる(Ⅱ型はパウチ爆発)し、抜群の保存性で、賞味期限3年とされるが、ダンボールのまま倉庫に入れとけば10年は逝ける!、多少の外観の錆びは否めないが、実際に食った人も問題無いと言っていた。
缶全体が暗緑色(オリーブドラブ)に塗られている(缶切りが当たる所以外)が、昔はカンむき出しで反射して目立ってしまうとしての改善で、さらにカンサイズ、形状も近年改正されている。

もちろん難点もあり、その最たる物は重さと(最近少し量が減った)β化、ご飯缶は、冷えた状態では米がβ化していて固いだけでなく栄養として消化吸収できない。湯煎してα化する必要があるため、通常配給前に一度湯煎する。一度湯煎してもβ化するまで夏場は3日、冬場は数時間しか持たない、そうなると正直食えた物ではないし、演習中に火を焚いて再加熱なんて、不可能だ!
もう一つは、缶切り無ければどっしょも無い、ご飯1ケース24個に4つ、副食48個に4つしか付いてなく、取り合いになる、何故かウインナーカンだけはカン淵に1個ずつ付いていて(10円玉で外して下さい)と刻印してある。

賞味期限である3年間のうち、業者から納入されてからの1年は各方面隊補給処、2年目は駐屯地業務隊補給科糧食班倉庫で備蓄糧食として保管され。3年目に各部隊へ計画に基づき配分され演習等で隊員達に食事に供給される
が、現代はコンビニの普及により、演習中はむろん無理だが、その前後に買出しをして好みの物を食す隊員が増え、消費し切れずにそのまま賞味期限により廃棄処分となっているらしい。
一食はご飯類1つ、おかずと漬物が一つずつで、成人男性が激しい運動を行った場合に必要なカロリー(約1000~1800Kカロリー)を元に計算・構成されている、結構満腹になる。
腹持ちが良い様に、赤飯はもち米で作られているが、ここで悲劇が発生する、2011、3、11での事だ
食料支援でカンメシの赤飯が配給された時、「こんな時に赤飯とは何事だ」との叱責を受けた、カンメシが出来て以来54年始めての出来事だった(実際には昔から多少はあった)、そして陸と空からは赤飯は無くなった。
正確には前記の様に、3年の保存期間があるので、まだあると言えばある。
長い間に撮り溜めた物なので、写真の暗さや写り具合に難があるが、勘弁して欲しい
DSC01070_R_20130615210603.jpgご飯5種類、漬物2種類、おかず9種類以上試作などもあり把握し切れない
DSC09189_R_20130615203635.jpg主食の白米、ご飯類は5種類ある
DSC09935_R_20130615203637.jpg昔の白米は405g入っていた
DSC09936_R_20130615203638.jpg25分間お湯に漬けるのではなく、沸騰させて煮るのだ、でないと、ロウの様なご飯になってしまう
DSC09939_R_20130615203639.jpg普通に美味いが、おかずによっては白米はつらい、たくあん最高!
DSC09143_R.jpg赤飯、薄塩味
P1010422_R.jpg少し少なめ
DSC09147_R_20130615204717.jpgもう、食べられない
DSC09230_R_20130615204718.jpgしいたけ飯
DSC09231_R_20130615204720.jpgしいたけから汁が出て水っぽい
DSC09236_R_20130615204721.jpgでも美味い
DSC09993_R_20130615205342.jpg五目飯
DSC09994_R.jpgほんとに五目入っている
DSC09997_R_20130615210109.jpgこれもなかなか逝ける
DSC00950_R_20130615210106.jpgとり飯最高に美味い
DSC00954_R_20130615210108.jpgこれがあれば、おかずいらない
DSC09192_R_20130615210604.jpgおかず、まぐろ味付
P1010434_R.jpgおかずはそのまま食べられる
002_R_20130615210601.jpgシーチキンの濃い奴
DSC09191_R_20130615211457.jpgコーンドミートベジタブル
P1010437_R.jpg要するに、コンビーフ+ミックスベジタブル
P1010439_R.jpgスープはした事が無い
003_R_20130615211456.jpgかなり脂っこい
P1010430_R.jpg鶏肉野菜煮
P1010431_R.jpg具沢山
005_R_20130615212038.jpg里芋うます
DSC00958_R_20130615212349.jpg牛肉味付
DSC00959_R_20130615212351.jpg牛肉オンリー
DSC01056_R_20130615212352.jpgフツーの牛カン
DSC01088_R_20130615212632.jpgます野菜煮
DSC01091_R_20130615212635.jpgますは少ない
DSC01090_R_20130615212634.jpg昆布を抜かないと、出てこない
DSC02424_R.jpg鶏肉もつ野菜煮
DSC02425_R.jpgもつが見つからないので、出して見た
DSC02432_R.jpgちょっとだけあった、濃い目で美味しい
DSC09138_R_20130615213455.jpg味付ハンバーグ
DSC09140_R_20130615213456.jpgみっちり入っていてスプーンで掘らないと食えない
DSC09212_R_20130615213714.jpgウインナーソーセージ
DSC09217_R_20130615213719.jpgこのカンには缶切りが付いているが無くした
DSC09213_R_20130615213716.jpg12本入り、普通の味を想像して食べると後悔する、うっすら塩味で柔らかい
DSC09214_R_20130615213717.jpg出すとこんな感じ
DSC09186_R_20130615214539.jpg漬物カン、福神漬
DSC09209_R_20130615214542.jpgなすなんて、入ってるんだ
DSC09210_R_20130615214543.jpgかなり濃い、カレーに良い
DSC09193_R_20130615214540.jpg最強のたくあん漬
DSC09137_R_20130615214538.jpgぶつ切り4切れ、昆布だし
固形燃料_R俗にゆう固形燃料で、穴の開いた円形鉄板を上に乗せ、その上にナベを置いて加熱する、重いしかさばるし、火なんて焚いていられない(夜間は丸見えになる)

まだ全てではない、牛肉野菜煮などのお目に掛かっていない物がある(あるいは廃止か)
訓練や演習の内容、期間により糧食班が計画を立て、糧食の在庫を考えて計画的に消費する様にしているので
下っ端の者が何が食いたいなどとゆうことは、有り得ない、だから今夜もコンビニに行くのだ

「廃墟」 山本園大谷グランドセンター

栃木県宇都宮市大谷にある、山本園大谷グランドセンターに行って来た。
日中に訪れた事もあり、楽にアクセス出切る物件であった。
昭和30年代に開業し、昭和末期に廃業となったらしい。
大谷石の岩壁と融合した、現代では絶対に建築許可が下りないだろう物件
詳しい事は分からないが、和室が殆んど見つからない事から、宴会と風呂をメインとした観光センターの様だ
DSC03042_R.jpg
ガードレールの向こうに、山本園大谷グランドセンターのアーチがある
DSC03044_R_20130614200831.jpg
緑と岩に侵食された物件が丘の上にある
DSC03045_R_20130614200833.jpg
駐車場跡からは、大谷観音が見える
DSC03046_R_20130614200834.jpg
草生した上り口を上がって行く
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木々の切れ間から、物件が顔を覗かせる
DSC03048_R_20130614202359.jpg
火気厳禁!ボイラー室だろうか
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正面に到着
DSC03136_R_20130614202403.jpg
左側の小屋に入る
DSC03135_R.jpg
倉庫かと思ったら、御トイレでした
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正面玄関、サッシでなく木製の扉だった
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入り口を振り返る、誰もいないので通過する
DSC03131_R.jpg
エントランスに在ったのか、シャンデリアが落ちている
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中庭に出ると、松に偽装されたランプが立っていた
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草を掻き分け、展望レストランに向かう
DSC03054_R.jpg
左半分は、ガランとしていた
DSC03063_R.jpg
無理矢理こじ開けられた金庫
DSC03064_R.jpg
沢山の客が使っただろうステーキ皿の敷板、今は硝子片と塵だけが乗る
DSC03065_R.jpg
業務用の米びつ、今は空っぽ
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身近すぎて違和感が無かったが、拳銃が置いてある、激しい戦闘が有ったのか壊れている
DSC03056_R_20130614205930.jpg
右側は荒れている、懐かしいお茶パック!昔のお茶はこれ、その前は陶器製だったそうだ
DSC03057_R.jpg
昭和63年までの伝票は見つけられた、それ以降は無い
DSC03060_R.jpg
昔のファミコンみたいなカラーリングのレジスター
DSC03055_R_20130614214558.jpg
右棟にある厨房
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天井は落ち放題で日が差し込んでいる
DSC03058_R.jpg
奥にある、人一人ぐらい楽に隠せる冷蔵庫
DSC03059_R.jpg
冷蔵庫の隣には、かまどが2つ
DSC03062_R.jpg
土台は大谷石で五右衛門釜だった
DSC03068_R_20130614215327.jpg
ハッピーホーク?
DSC03066_R.jpg
見上げると、まさに岩壁と融合している
DSC03067_R.jpg
屋上への階段がある、義務として登る!
DSC03070_R_20130614220520.jpg
では、本館に入る
DSC03075_R.jpg
通路の奥の扉は開いているが、階段も何も無く出ると落ちる
DSC03076_R.jpg
昔懐かしい、ヘルスメーター
DSC03133_R_20130614220939.jpg
外から見上げた所、左中ほどがこの扉だが階段は見当たらない
DSC03077_R.jpg
隣の部屋に入る、いい具合に垂れ下がっている
DSC03074_R.jpg
このショットはみんな撮るだろう、ありえない室内の巨石、風呂なら有りだが
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大谷石とコンクリートの融合
DSC03079_R.jpg
昭和の部屋コン
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押入れはまだ使えそうだ
DSC03081_R_20130614221738.jpg
中央の部屋を通り、奥の部屋へ
DSC03082_R.jpg
手前には壊れた部屋コンが
DSC03083_R.jpg
この部屋は酷く荒れている
DSC03084_R_20130614222918.jpg
木漏れ日が緑でいい感じだ
DSC03071_R_20130614222915.jpg
フロント左に出る
DSC03069_R_20130614222913.jpg
左の小部屋、下駄箱になっていた
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2階に上がる
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非常階段から外側を見る、地下階に展望風呂があるが、基本二階建て
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階段を振り返る
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二階に登ると目の前にこの通路がある
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窓側両側に通路があり、真ん中は畳の宴会場だった
DSC03091_R.jpg
宴会場にはやはりステージがある
DSC03093_R.jpg
ここで当時はどんな芸をやっていたのだろう
DSC03100_R.jpg
ステージの裾が焦げていた、こうゆう奴らが居るから廃墟や戦跡が閉鎖される
DSC03092_R.jpg
天井には調査の緑テープが貼ってある
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なぜに室内で落下傘花火?
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部屋の隅にはスピーカーが沈黙している
DSC03096_R.jpg
ここに店の看板が貼ってあったのだろうか
DSC03097_R_20130614225222.jpg
ここから前回の壕口がちらりと見える
DSC03098_R.jpg
厨房の外側
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食事用の座卓が積み重なっている
DSC03101_R.jpg
こじんまりとした、二階の厨房
DSC03102_R.jpg
その隣には
DSC03103_R.jpg
トイレがあった
DSC03105_R.jpg
大の通路は三角になっていた
DSC03107_R.jpg
屋上に登る
DSC03106_R.jpg
当然だが、何も無い!だが満足だ!!  廃墟 山本園大谷グランドセンター①
DSC03072_R_20130614230335.jpg
降りて渡り廊下を渡る
DSC03108_R.jpg
廊下は板張りになっている
DSC03110_R.jpg
階段を降りて、少しさがった所に風呂がある
DSC03112_R.jpg
体育館の放送室の様な部屋
DSC03114_R.jpg
やあボクヘルメス
DSC03115_R.jpg
トイレと冷蔵庫、牛乳でも入っていたのか
DSC03117_R.jpg
大の部屋
DSC03118_R.jpg
右が男湯
DSC03120_R.jpg
家族風呂か?狭い
DSC03121_R.jpg
左が女湯なのだが、丸見えでは?
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レンタルタオル
DSC03123_R.jpg
展望風呂になっているが、観音は見えなかった
DSC03124_R.jpg
懐かしい蛇口
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天井の穴、采光用か
DSC03126_R.jpg
点滴?
DSC03127_R.jpg
女湯に入る
DSC03128_R_20130614232259.jpg
狭く、窓もこれだけ
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これではあまり、客は来ないかも
DSC03139_R_20130614232627.jpg
一通り回ったので、撤収する
DSC03140_R_20130614232629.jpg
次なる目的地へと  廃墟 山本園大谷グランドセンター②

半年後の再訪レポート
大谷石採掘場跡(中島飛行機地下軍需工場)冬季再訪おまけと山本園大谷グランドセンター

大谷石採掘場跡(中島飛行機地下軍需工場)その6

DSC03229_R_20130613194701.jpg前回の2F部分の続きである
DSC03228_R_20130613194700.jpg奥に行くと切り出し途中だったのか、狭くなる、取り合えず登る
DSC03230_R_20130613194703.jpgまたもや開口部、多少雨水が溜まっている
DSC03231_R_20130613194704.jpgまたもや崩落防止の支えがある
DSC03232_R_20130613194706.jpg横を見ると前回の四角い開口部が見える
DSC03233_R_20130613195917.jpg若干狭い高さの開口部
DSC03234_R_20130613195918.jpgとのさんが上がって来たので、場所を交代する
DSC03235_R_20130613195919.jpgテーブル状に出れるスペースがある
DSC03236_R_20130613195920.jpg引いて見ると、こんな感じで眺めよし
DSC03238_R_20130613200550.jpg天井にある、抜き穴から登ってみる
DSC03239_R_20130613200552.jpg最上部まで上る、これまた眺めよし
DSC03241_R_20130613200553.jpgさて、登るのはたいした事ないが、戻るのは大変だ、落差3mほどか
DSC03242_R_20130613200555.jpg最初の地下工場を後にする
DSC03243_R_20130613201908.jpg大谷景観公園に移動する
DSC03244_R_20130613201909.jpg派手な壕口が道路から見える
DSC03245_R_20130613201911.jpgしかし、予想外に川があり、進入不可だった
DSC03246_R_20130613201912.jpg道路側には和製バベルの塔が建っていた
DSC03247_R_20130613204219.jpg諦めずに周辺調査を始める
DSC03249_R_20130613204221.jpg案の定少し入り込んだ所に、開口部を発見
DSC03250_R_20130613204222.jpgこんなミソ穴だらけの大谷石は商品にならない
DSC03251_R_20130613204224.jpg進入すると間違い無く、地下工場の一角だ
DSC03252_R.jpgしかしあっとゆー間の単独壕か
DSC03253_R_20130613205041.jpgしかし、埋もれた横穴発見!
DSC03254_R_20130613205043.jpgとのさん突入す
DSC03255_R_20130613205045.jpg抜けると広い空間に出た
DSC03256_R_20130613205047.jpg外への開口部だが、コンクリートで塞がれている
DSC03257_R_20130613205049.jpg壕内の壁は、不思議な事に下部が空洞で水が溜まっていた
DSC03258_R_20130613205817.jpgこちらの開口部は、大谷石が積み上げられていた
DSC03259_R_20130613205818.jpg隣への通路、殆んど埋まっている
DSC03260_R_20130613205820.jpg何とか突破して、次のステージへ進む
DSC03263_R_20130613205822.jpgここまでは来たが、諦めざるを得ない様だ
DSC03261_R_20130613210343.jpgさっきから見えている黒い物は産廃である、奥に続いてはいる物の、産廃もハンパなく断念する
DSC03264_R_20130613205824.jpg戻りしな、もう1本の産廃壕にチャレンジする
DSC03262_R_20130613210344.jpg左の穴もさっきいた隣の壕に連絡しているだけで終わっている、探索終了
DSC03269_R_20130613211320.jpg一旦大谷寺に戻り、周辺を探索する
DSC03278_R.jpg小規模の切り出し場
DSC03279_R.jpg大規模だが見つからず
DSC03280_R.jpg道端のモニュメント
DSC03281_R.jpg探索終了、時系列ではこの後に陸軍清原飛行場(宇都宮飛行場)掩体壕を見に行った

次回番外、廃墟探索も行った

大谷石採掘場跡(中島飛行機地下軍需工場)その5

DSC03168_R.jpgでは、反対側の穴に向かう、正直あまり期待はしていなかったのだが
DSC03169_R.jpg壁面にクレーンがある
DSC03170_R.jpg下部入り口、階段が見える!
DSC03171_R_20130612201907.jpgしかも階段が3つもある、真ん中は頑丈な大谷石、左右は木製
DSC03173_R.jpg左側は壊れているので、右側をあえて行くが、すごくしなるしバキバキゆう
DSC03174_R_20130612204113.jpg素掘りの壕が見えて来た、当りだ!
DSC03175_R.jpg採掘場とは明らかに違う
DSC03176_R.jpgこの辺の作りも軍物である
DSC03177_R.jpg久々の軍需工場新ネタ発見である
DSC03180_R.jpg4x4ぐらいのサイズだ
DSC03181_R.jpg中央に地下水が流れている
DSC03182_R.jpgしばし壁にライトを反射させて遊ぶ
DSC03186_R.jpgどんどん進む
DSC03187_R.jpg何箇所か、塞がれている所がある
DSC03188_R_20130612210151.jpg幅は変らないが、高さが無くなる
DSC03189_R_20130612210153.jpg左右の床に、若干の窪みがある、工作機械か?
DSC03190_R.jpg右上の黒い所
DSC03191_R_20130612210156.jpg地下水が滴っている
DSC03192_R_20130612210158.jpg見上げてみる、人為的に換気穴として掘られている様だ
DSC03193_R_20130612210926.jpg反対側に向かう
DSC03194_R.jpg水が多くなって来た、カメラが水蒸気を拾う
DSC03195_R_20130612210930.jpg三又の収束地、上は板で塞がれている
DSC03196_R.jpg取りあえずの最深部まで来たので、引き返し別の通路へ
DSC03197_R.jpgここも塞がれていた
DSC03198_R.jpgもう1本のメイン坑道
DSC03199_R.jpg壁面に隔壁を設けていた様な跡がある
DSC03201_R_20130612212213.jpgこの坑道は、外部に貫通していたが、下は川、落ちるギリギリから撮る
DSC03204_R_20130612212214.jpg昔は扉が閉まっていた様だ、ちなみに扉は床に倒れている方
DSC03207_R.jpgさて、最深部まで来たので、引き返す
DSC03206_R_20130612221440.jpgtonotama氏の後頭部
DSC03209_R_20130612221443.jpg地上に戻る階段、さーてどの階段で登ろうかな?   大谷石採掘場跡(中島飛行機地下軍需工場)本物
DSC03211_R_20130612222346.jpg次は上の穴だ
DSC03212_R_20130612222348.jpg判るだろうか?、ものすごい数の大谷石が階段として積み重ねてある
DSC03213_R_20130612222350.jpg階段を登る(手前はスロープに加工されている)
DSC03214_R_20130612222353.jpg入り口天井は一部欠けている
DSC03216_R_20130612222354.jpg登ってびっくり
DSC03217_R_20130612222953.jpg下と合わせて、観光地化していた頃が有ったのだろう
DSC03215_R_20130612222951.jpgギリシャ風にでもした心算なのだろうか?
DSC03218_R_20130612222954.jpg采光と相まって、悪くは無い
DSC03219_R_20130612222956.jpgtonotama氏が何かをしている
DSC03221_R_20130612222957.jpgなんと、梯子を上った!珍しい1枚である
DSC03222_R_20130612223841.jpg振り返って、入り口方面
DSC03224_R_20130612224112.jpg下から見た、四角い穴
DSC03225_R.jpg壁にはペグが打って有る
DSC03226_R_20130612223845.jpg上には吊り下げ金具がある
DSC03227_R_20130612223847.jpg下を覗きこむ、せいぜい10m程度だろう落ちても死なないだろう

長くなったので、今回はここまで、次回別の地下工場に入る

大谷石採掘場跡(中島飛行機地下軍需工場)その4

P1010682_R.jpg道の駅にて、いつもの様に起床、8時までごろごろしている
P1010683_R.jpgトイレなどはもちろん大谷石
P1010684_R.jpgでは、出発する
DSC03011_R_20130611193653.jpg大谷寺に到着
DSC03273_R.jpgこんな位置
DSC03012_R_20130611193656.jpg駐車場の一角にある屋根の吹き飛んだ倉庫、中の弾薬が爆発した時の為に、屋根のみ吹き飛ぶようになっている
DSC03013_R_20130611193657.jpgもう一基健在なのがあるが封鎖されている
DSC03014_R_20130611193659.jpg大型用駐車場にある不自然な壁
DSC03016_R.jpgこちら側に突き抜けていた様だ
DSC03018_R_20130611195021.jpg大谷公園
DSC03019_R_20130611195022.jpg大岩壁
DSC03021_R_20130611195024.jpg特に何もなし
DSC03022_R_20130611195026.jpgスルス岩?
DSC03023_R_20130611195028.jpg観音、裏に登れる
DSC02821_R_20130611195952.jpg左側にちらりと観音が写っている、ここが現場だった
DSC03272_R.jpg昭和の頃の写真
DSC03024_R_20130611195953.jpgここから何か見えるが、後に別枠で紹介する
DSC03026_R_20130611195957.jpg親子がえる
DSC03025_R_20130611195955.jpgだそうです
DSC03027_R_20130611200427.jpgここには慰霊の塔がある
DSC03028_R_20130611200429.jpg下段中ほどに、この地大谷の文字がある
DSC03029_R_20130611200431.jpg明治大正昭和にわたり、三九〇余名の方が出兵している(戦没者のみ)
DSC03030_R_20130611200433.jpg公園全景
DSC03017_R.jpg説明文の下部に軌道があったとの一文
DSC03265_R_20130611202007.jpg300円払って中に入る
DSC03267_R.jpg証拠発見
DSC03268_R.jpg縦に読むと、大谷石材軌道〇〇最後無学なので読めない
DSC03274_R.jpg境内にある大谷石の灯篭
DSC03276_R.jpg愛国婦人会の英霊供養燈
DSC03031_R_20130611200434.jpg公園入り口にある、針供養碑
DSC03032_R_20130611201219.jpgこの裏にある、採掘場に向かう
DSC03033_R_20130611201221.jpg補強工事が行われていた
DSC03034_R_20130611201222.jpg足場の跡がある
DSC03035_R_20130611201225.jpgプーさんの住処だった様だ
DSC03039_R_20130611201226.jpg特に何もなく、撤収する
DSC03041_R.jpg振り返ると天狗の投石、右はトイレ
DSC03142_R_20130611210719.jpg地道な歩いての探索を続けると、気になる方面が
DSC03143_R_20130611210721.jpg階段が激しく気になるが、諦める
DSC03146_R.jpg間違っても覗きにされたくない!
DSC03148_R.jpg先ほどちょっと高い所から、壕口を確認した
DSC03149_R.jpg楽園ってなんぞ?
DSC03150_R_20130611211314.jpg大谷石のトーテムポール?かつて、怪しい方々が集っていたのだろうか
DSC03152_R_20130611211316.jpg入山に際し、祠を参ると
DSC03153_R.jpgなんと横には目的地があった
DSC03154_R.jpgまずは、左側の山側を探索する(見えていたのはこっち側)
DSC03097_R.jpg遠方から見た時は、こんな感じ
DSC03155_R_20130611215253.jpgズームUP
DSC03156_R.jpg中に入ると、盛大に天井が落ちているのが判る、積み上げた大谷石は、崩落防止だ
DSC03158_R_20130611215256.jpg気にせず中に進む
DSC03159_R_20130611220231.jpg天井の大谷石は、空気層が多く強度が無いのだろう
DSC03160_R.jpg崩落部分裏側より
DSC03163_R_20130611220235.jpg陰影を出してみる
DSC03161_R.jpg掘り方もあまり綺麗ではないが、教材として良い
DSC03164_R_20130611220237.jpgここが判りやすい
DSC03164_R_20130611221623.jpgまず横に堀り、縦に切り出して行く
DSC02776_R_20130611221628.jpg横だけの部分はこんな感じ、
DSC03165_R_20130611221625.jpg椅子の並ぶ奇妙な空間
DSC03166_R_20130611221626.jpgコントラストを楽しみながら、外に出る
DSC03167_R_20130611222443.jpg広場に出て、装備確認!

次回、ついに地下軍需工場の一つに潜入する

大谷石採掘場跡(中島飛行機地下軍需工場)その3

前回の記事で少し触れたが、そうゆう訳で先週に引き続き、宇都宮の穴に向かう
DSC02929_R_20130610211437.jpg今すぐ出発と、ゆうことで早めの2145出発
DSC02930_R_20130610211439.jpg翌0025現着
DSC02931_R.jpg辺りは真っ暗である、どうせ壕内は闇だから気にしない
DSC02932_R.jpg資料館への道路は閉鎖されているので、いきなり山に入る
DSC02934_R.jpg登る事5分と経たず、穴の中!
DSC02935_R.jpg近年まで切り出しをしていたかの様だ
DSC02936_R.jpg来た道を振り返る、この辺は後で紹介する
DSC02937_R.jpgまずは、いきなり出たインパクト物件
DSC02938_R.jpg激しく崩れた当時の階段
DSC02939_R.jpg反対側に回る、下に坑道が伸びているのが見える
DSC02940_R.jpg何やら変なバケットがぶら下がっている
DSC02942_R.jpgグランドキャニオンの様な谷を渡るトロッコのレール(渡る時かなりギシリとしなった)
DSC02805_R_20130610215545.jpg同型かは判らないが、先日見た大谷資料館のトロッコ
DSC02943_R_20130610213102.jpg渡り切った先にも空間は続く
DSC02944_R.jpg先日見た様な、いすずのボンネットトラック
DSC02945_R.jpg広い空間が広がるフロア
DSC02946_R.jpg気温8度、湿度75%酷い湿気だ
DSC02947_R.jpg怪しげな所がある
DSC02948_R.jpg門の跡の様な物がある
DSC02951_R.jpg回り込んでみたら、階段がある
DSC02952_R.jpg登るとこんな空間に出た、上にも通路がある様だ
DSC02953_R.jpg当時の足場にされていた杭が壁に刺さっている
DSC02955_R.jpgすごい事になっている、あんな所を80kgの石材を背負って歩いていたのか!
DSC02816_R_20130610215547.jpg当時の写真
DSC02956_R_20130610214604.jpg上の方にスリットがある
DSC02958_R_20130610214605.jpg見上げると30mはありそうだ
DSC02959_R.jpg何か見える
DSC02960_R.jpgあんな所にも、足場がある
DSC02962_R_20130610215544.jpg機械掘りのチェンソーの跡
DSC02970_R_20130610220142.jpgまたも巨大な縦坑発見
DSC02971_R_20130610220143.jpg階段は途中で折れているが、無理すれば何とかなるかも?
DSC02972_R_20130610220145.jpg少し降りてみる
DSC02973_R_20130610220146.jpg脇に回り込む
DSC02975_R_20130610220724.jpg背面には水の溜まった空間があった
DSC02976_R.jpg何とか途中まで降りて来た
DSC02978_R.jpg残土、瓦礫の上に降り立ったが、もう限界な気がするが階段はまだ続く
DSC02979_R_20130610220727.jpg下には通路が見えているが、階段の強度がもたなそうなので断念する
DSC02983_R_20130610221356.jpg上を見上げて敗北宣言、無理は良くない
DSC02984_R_20130610221358.jpgここから残土が投げ込まれている様だ
DSC02985_R.jpg折り返し部分の階段は、一人ぐらいならまだ耐えられる(明日はわからないが)
DSC02991_R_20130610222024.jpg最深部まで来たので、帰るとする、外はもう真っ暗だ
DSC02992_R_20130610222025.jpg当時の人は、石材を背負って登ってたのだろうか?
DSC02995_R_20130610222026.jpg見た目より雑な階段だが、リアルダンジョンの様でいい
DSC02990_R_20130610222023.jpgこの辺には碍子が多い(奥には無い、掘り下げて高さが変るせいだろう)
DSC02996_R_20130610222551.jpg何やら機械が置いてある
DSC02997_R_20130610222553.jpg碍子の多さが納得行った
DSC02998_R_20130610222554.jpg壁に何か貼ってある
DSC02999_R_20130610222556.jpg御影石のプレートだ(大谷石ではない)
DSC03000_R_20130610222557.jpg誰も来ないってば
DSC03002_R_20130610223135.jpg出口付近のこの場所で、任意のサイズに加工していた様だ
DSC03004_R_20130610223136.jpg作業風景が想い浮ぶ様だ

今夜は他にも回ったが大した収穫を得ず、ねぐらへ向かう0300就寝

陸軍清原飛行場(宇都宮飛行場)掩体壕

栃木県立農業大学校に残っている、陸軍機の掩体壕(2基)を見てきた。
昨日の夜、不意にメールが舞い込み、「今から行くからよろ!」byとのたまって事で出かけた。
まったく元気な人だ・・・・
その辺は明日纏めるが、今日の所は掩体壕を紹介する事にする
昭和十六年に飛行場が建設され、東京工業大学の学生により掩体壕が建造された。
詳しくはkanレポートを参考に!
DSC03282_R.jpg栃木県立農業大学校に到着
DSC03283_R.jpgこちらの駐車場を借りる
DSC03285_R.jpgかなり広い駐車場だと思う
DSC03286_R.jpgとにかく広い、東京ドーム10個分以上の広さだそうだ
DSC03287_R.jpg一つ目の掩体壕、これはグーグルマップでも確認出来る
DSC03288_R.jpg道からけっこう奥にある
DSC03291_R.jpg前面までやって来た
DSC03292_R.jpgなんと、どでかいスズメバチの巣が着いている
DSC03293_R.jpg陸軍掩体の宿命で、前面の庇は落ちている
DSC03296_R.jpg唯一と言える、掩体のハリ
DSC03297_R.jpg奥の開口部
DSC03298_R.jpg全体的に落ちているので、違和感はあまり無い
DSC03300_R_20130609221958.jpgいいのかこれで?
DSC03294_R.jpg掩体の一部に、埋め込まれている
DSC03301_R_20130609222637.jpg残っていると言われる機銃痕を探すが、上はこんな状態でわからない
DSC03302_R_20130609222638.jpg上から掩体後方の出口部分
DSC03304_R_20130609222641.jpg後方から見通す
DSC03321_R_20130609223423.jpg2つ目の掩体壕は藪漕ぎだった(航空写真では判らない)
DSC03306_R.jpgやっと見つける事が出来た
DSC03307_R_20130609223417.jpg近寄ると、やはり庇が落ちている
DSC03308_R_20130609223419.jpg見た感じ、状態は良いと思う
DSC03309_R_20130609223421.jpg落ちた庇
DSC03310_R.jpg左側の先端部
DSC03311_R_20130609224204.jpgここに何か彫ってある
DSC03313_R.jpg風化して良く読めない
DSC03314_R.jpg野水村?、右は何村かわからない
DSC03315_R_20130609224208.jpg18年12月18日だろうか?
DSC03316_R.jpg人物比tonotama氏
DSC03317_R_20130609225253.jpg一応申し訳程度に鉄筋が入っている
DSC03319_R_20130609225254.jpg掩体後側、天井上は完璧な偽装が施されている
DSC03320_R.jpgコンクリートの天井に木が生えている
DSC03322_R.jpg栃木県を後にする

この他にも、西側に便所や貯水槽の遺構が残っている様だ

防衛糧食

今日はこれから出動なので、軽くあげる
これは、戦闘糧食Ⅱ形の防災用バージョンと言って、差し支えないだろう(中身はただのレトルト)
基本Ⅱ形は、レトルトおかず1パックと副食(無い物もあり)、ご飯類(白米、赤飯、ドライカレー、山菜ごはん等)が2パック入っている。
作戦用ではなく、防災用とゆう事でか、ごはんは1パックだった。
陸形Ⅰ~Ⅲを現在確認しているが、まだあるかも知れない、りっくんランドで購入できる(約千円)
DSC09933_R_20130608201247.jpgⅠ型カレーライス
P1010346_R.jpgⅡ型牛丼
DSC09932_R.jpgⅢ型シチュー&ライス
P1010353_R.jpg牛丼を食してみる
P1010352_R.jpg中身は各パックづつ
P1010350_R.jpg発熱溶液(ただの水?)、発熱剤(100円カイロの様な物)
P1010351_R.jpgウエットティッシュ、レンゲ(Ⅱ型は先割れスプーン)
P1010354_R.jpgこれにそって説明する
P1010355_R.jpg
P1010363_R.jpg中身の発熱剤を傷つけない様に、ハサミはやめよう
P1010356_R.jpg
P1010364_R.jpg底を平らにして発熱剤を置く
P1010358_R.jpg
P1010365_R.jpgこんな感じ
P1010367_R.jpg上から見る(これしかやりようが無いけど)
P1010359_R.jpg
P1010368_R.jpg開封時、こぼれないように
P1010369_R.jpgただの水でも、代用可だと思う(Ⅱ型はただの水を使う)
P1010360_R.jpg
P1010370_R.jpg発熱溶液を入れた瞬間から反応が始まるので、びびら無い様に(こぼすとヤバイ)
P1010371_R.jpg下の方から沸騰が始まる
P1010372_R.jpg蒸気が出始めるので、触らないように
P1010374_R.jpg上部の空気穴から蒸気が噴出す
P1010376_R.jpg10分も経つと、最高潮に沸騰する
P1010362_R.jpg
P1010397_R.jpgまだ発熱剤は反応している
P1010398_R.jpg開封時は、蒸気と残っている熱湯に注意
P1010399_R.jpg熱いが、素手でも全然平気に出せる
P1010400_R.jpg乾燥剤は食べない様に注意(ふりかけではありません)
P1010401_R.jpgあつあつ牛丼、出来上がり!

朝霞の陸上自衛隊広報サンター売店で、普通にお土産として売っているので、賞味期限も長いし試しに
買ってみても面白いと思う(千円程度)

大谷石採掘場跡(中島飛行機地下軍需工場)その2

DSC02839_R.jpg70年かけて掘り進んだ、ツワモノ共の夢の跡である
DSC02922_R.jpg入り口では、女性などに毛布を貸してくれる、平均気温8℃前後
DSC02840_R.jpgでは、下に落ちて行こう(平均地下30m)
DSC02841_R.jpg地上から階段をひたすら下る
DSC02842_R.jpg途中すれ違う人は、寒い寒いを連呼している
DSC02843_R.jpg階段踊り場から、一望する
DSC02846_R.jpg踊り場右側を見る
DSC02847_R_20130607213027.jpgすごい光景だと思う
DSC02849_R_20130607213029.jpg降りて来た階段を見上げる
DSC02850_R.jpg下に降りて行く、右上がさっきいた踊り場だ、床は平らでなく斜面だらけだ
DSC02851_R_20130607213032.jpg3Dの世界に突入する
DSC02852_R.jpgこの奥が地下軍需工場だそうだ、もちろん中には入れない
DSC02853_R_20130607213907.jpg実に簡単な案内板、この為に来たのに
DSC02855_R_20130607213910.jpg後楽園球場が東京ドームになっている、同じ大きさなのか?
DSC02856_R.jpg見学コース以外は、残土や資材類が散乱しているので、入らないようにしよう
DSC02857_R.jpg縦坑を真下から見上げる、気のせいかねじれて見える
DSC02862_R_20130607215539.jpg角度を変えると、外光が射しているのがわかる
DSC02863_R.jpg地上のどの辺か、探してみたい   大谷石採掘場跡(中島飛行機地下軍需工場)①
DSC02861_R_20130607215537.jpg先には、変なオブジェが見える
DSC02865_R.jpg折角なので、余計な説明は極力省く
DSC02867_R.jpg大谷石採掘場跡(中島飛行機地下軍需工場)③
DSC02869_R.jpgオブジェは考える人と足だと思う
DSC02870_R.jpg
DSC02871_R.jpg
DSC02872_R.jpg
DSC02873_R.jpg
DSC02874_R.jpg
DSC02875_R.jpg
DSC02876_R.jpg
DSC02878_R.jpg
DSC02879_R.jpg
DSC02881_R.jpg
DSC02884_R_20130607221624.jpgコンサートステージ
DSC02885_R_20130607221626.jpg見学コース最深部
DSC02886_R_20130607222352.jpg
DSC02887_R.jpg
DSC02889_R_20130607222356.jpg
DSC02891_R_20130607222357.jpg2F写真展、展示場  大谷石採掘場跡(中島飛行機地下軍需工場)④
DSC02892_R.jpg展示場から下を見下ろす
DSC02893_R_20130607222911.jpg
DSC02895_R.jpg2F最深部
DSC02896_R.jpg下には水が溜まっている
DSC02898_R_20130607222916.jpgさっきの見学コース最深部を上から見る
DSC02900_R_20130607222917.jpgライトUP
DSC02901_R_20130607223342.jpg
DSC02903_R_20130607223344.jpg大谷石採掘場跡(中島飛行機地下軍需工場)⑤
DSC02907_R_20130607223345.jpg
DSC02909_R.jpg
DSC02910_R_20130607223348.jpg
DSC02911_R.jpg
DSC02912_R.jpg
DSC02913_R.jpg
DSC02914_R.jpg
DSC02912_R.jpg大谷石採掘場跡(中島飛行機地下軍需工場)⑥
DSC02921_R.jpg地上に戻る
DSC02924_R.jpgこの中を廻ったんだな~
DSC02926_R.jpgそれでは撤収する


大谷石採掘場跡(中島飛行機地下軍需工場)その1

栃木県宇都宮市大谷町にある、大谷石地下採掘場跡、「大谷資料館」に行って来た。
大正9年から採掘を始め、昭和61年までの約70年間操業をしていた採掘場だ
もちろん、ここが採掘を辞めただけで、大谷石は現在も近隣の地域で多数、採石されている。
ここに着くまでの道中も石材屋はもちろん、壁といい、倉庫といい、至る所で大谷石が散見出来る
広さは約2万平方メートル(140mX150m)、深さは平均30mで、深い所は地下60mにも及ぶ
後楽園球場一個が楽に入る大きさだそうだ(資料館チラシより一部抜粋)

昭和19年に陸軍の糧秣廠、被服廠の地下倉庫として使用が始まったが工場はまだ無い。
計画自体は昭和17年よりあった様だが、実際に操業を開始したのは昭和20年の4月に入ってからの様である
中島飛行機(株)宇都宮製作所城山機体工場と、もう一つは、中島飛行機(株)武蔵製作所大谷発動機工場がこの地区に疎開工場を設置した。
大谷資料館は城山機体工場の金入山作業所の跡地になる場所で、工作機械・熱処理部門の工場になっていた。
大谷発動機工場では、四式戦(疾風)に装着された発動機の部品生産と組立が行われた。

戦争中は大谷地下軍需工場に対する空襲は1回も無く、戦後、接収に訪れた米軍も、終戦までこの地下工場の存在は全く気付かず、その規模の大きさに驚いたと言う逸話がある。
DSC02773_R_20130606205126.jpg那須 戦争博物館を後に、大谷資料館に向かう
DSC02774_R_20130606205128.jpg道中に目立った看板などは無く、直前のこの看板のみで少し探した
DSC02775_R.jpg1400、現地到着
DSC02776_R.jpg駐車場の上にある巨大な大谷石、あの穴に行ってみたい
DSC02780_R_20130606205133.jpg横にも大きな穴が開いていた
DSC02781_R.jpg駐車場は日曜とゆうこともあり、込んでいたが、ここで遅めの昼飯
DSC02777_R_20130606210255.jpg自分の持って来た戦闘糧食Ⅰ型Ⅱ型を用意する、今回はいわし野菜煮、中華風カルビ、豚しょうが焼き、豚甘辛煮と副食として人気のたくあん漬けを用意する、ヒートパックも支給されるので、水さえあれば何処でも熱々ご飯が食べられる優れもの、米軍より火力は強いので、火傷に注意
DSC02778_R.jpg問題は時間がかかる事で、20分ほど周りをふらつく(火気は使用していない)
DSC02785_R_20130606210300.jpg坂の途中にあった当時のボンネットトラック(オブジェとなっている)
DSC02786_R.jpgひらがなのいすゞだった
DSC02782_R_20130606212250.jpgその手前に、冷気の噴出している穴がある
DSC02783_R_20130606212252.jpg切れだした石をトラックで積み出した出入り口、戻って無心にミリメシをかっ食らう
DSCN4662.jpg食後に坑内採掘場跡を見る(写真提供榴弾砲氏)人物比yakumo&tonotama氏
DSC02925_R.jpgちょっと彷徨うと、こうゆう入り口は至る所にある
DSC02788_R.jpg奥に抗口が開いている
DSC02790_R_20130606215700.jpg左側、真ん中の黒い所は車両用のスロープ
DSC02791_R.jpg右側、良く落ちて来ない物だ
DSC02792_R.jpg愛の泉だそうだが、死んだ小魚が沈んでいた
DSC02793_R.jpgその手前には、手かせの様な物が2対あった、愛とは枷をはめる物との事だろうか?深い・・・
DSC02794_R.jpg行啓記念碑
DSC02798_R.jpgでは、資料館に入る
DSC02799_R.jpgチケット色々
DSC02800_R_20130606220640.jpg開館時間は0900~1630まで、受付は1600まで
DSC02801_R.jpg基本、坑内は一方通行だが、出口を出なければ何週でも出来る
DSC02803_R_20130606222511.jpg平面では判らない、3Dの世界がある
DSC02797_R.jpg左奥にあるカットモデル
DSC02796_R.jpgこれは資料館側
DSC02795_R.jpgこんな感じとゆうだけで、詳細とは符合しない
DSC02923_R_20130606221452.jpg最下層60m部分
DSC02804_R.jpgツルハシなどの鍛冶屋道具
DSC02805_R.jpg運搬用トロッコ
DSC02806_R.jpgロープ巻き取り機
DSC02807_R_20130606222518.jpgチェンソー式垣根採掘機
DSC02808_R.jpg二人で持つチェンソー
DSC02809_R.jpg麦打ち機
DSC02810_R.jpg作業順序
DSC02811_R.jpg
DSC02812_R_20130606223228.jpg
DSC02813_R.jpg
DSC02814_R_20130606223543.jpg検印判
DSC02815_R_20130606223544.jpgお風呂
DSC02816_R_20130606223546.jpg一つ80kgあるそうだ
DSC02817_R.jpg採掘場分布図
DSC02822_R.jpg説明
DSC02831_R.jpgパネル写真
DSC02830_R_20130606225525.jpg ①
DSC02833_R.jpg ②
DSC02829_R_20130606225523.jpg ③
DSC02827_R.jpg ④
DSC02826_R.jpg ⑤
DSC02832_R.jpg
DSC02823_R.jpg青図面
DSC02836_R.jpg
DSC02838_R.jpg年表
DSC02821_R.jpg上で切り出した石を降ろす、滑り台

次回、坑内に入る

那須 戦争博物館その4

今回で、那須 戦争博物館の記事は終わりになる、最後に第二号館(海軍館)を紹介するが
戦争とは関係ない、古い民生品(家電)なども置かれていたので面白いから紹介する。
日中戦争から、ナム戦に至り、果てはアポロ計画、長野オリンピックまで多岐に飛んでいる。
この館内でまだ、起きて来てなかった館長栗林白岳氏(義勇隊、関東軍獣医部所属)と、お会いする。
DSC02697_R.jpg案内に従い、海軍館に進む
DSC02698_R.jpg横に寝かせた冷蔵庫の上に、前面ガラス無しのショーケースがある
DSC02699_R.jpg奥には生肉店、コロッケやなどでお馴染みのケース(廃物利用は立派である)
DSC02700_R.jpg入って右側はシベリヤ抑留関係
DSC02701_R.jpgまたもやアイロン、今度は電気式もある
DSC02702_R_20130605194726.jpg白いのはマストもしくは船尾灯、赤いのは左舷灯、緑は右舷灯である
DSC02703_R.jpg昭和レトロな家電品
DSC02704_R_20130605194730.jpg一風変わった物が並ぶ
DSC02705_R_20130605194732.jpg手回し脱水機付き洗濯機、これで絞るとボタンが割れるそうだ
DSC02706_R_20130605194733.jpgこれは始めて見た、まさに珍品!鑑定団に出してみたい
DSC02707_R.jpg製麺機
DSC02708_R.jpg氷冷蔵庫(電気でなく、氷で冷やす当時は当たり前の冷蔵庫)
DSC02710_R.jpg開けてみた
DSC02709_R.jpg一銭入れると活動写真が茶色の穴から見れて、下からお菓子も出るようだ
DSC02711_R.jpg出てくる和菓子は選べないようだ
DSC02712_R.jpg中央には数百に及ぶ日本及び連合国の艦艇プラモデルが並んでいる
DSC02713_R.jpg先込め銃まである
DSC02715_R.jpg日本刀が盗まれたのはこの辺だろうか
DSC02714_R.jpgみんなで100式短機関銃をググってみよう
DSC02716_R.jpg左側の96式の25mm薬莢は本物だ
DSC02717_R_20130605203635.jpg12,7mm20mm37mm本物っぽい
DSC02718_R_20130605203638.jpgすごい雑多に並んでいる
DSC02719_R_20130605203640.jpgドイツMP40銃身無し
DSC02720_R.jpg上米国M1カービン、中イギリス、ステン短機関銃
DSC02721_R.jpg看板横にあった
DSC02722_R.jpg2500円
DSC02723_R.jpg上ソ連PPSH-41、ドイツMP40、米国M16
DSC02724_R.jpg上モーゼルKAR98k、中スプリングフィールドM1903、下トンプソン
DSC02725_R.jpgスゴイ数だ
DSC02726_R_20130605210239.jpg館長お手製らしい
DSC02727_R.jpg蓄音機、電話等
DSC02728_R.jpg軍艦旗、畳2畳ほど
DSC02729_R.jpg駆逐艦「冬月」の物らしい
DSC02730_R.jpg秋水燃料瓶
DSC02731_R_20130605212252.jpg甲液の高濃度過酸化水素などの強酸性液がタンクを溶かしてしまうので、瀬戸物を使用する
DSC02732_R.jpg長野より、もっと古そうだ
DSC02733_R.jpg送受信機電源らしい
DSC02734_R.jpgぶれてしまったがこれしかない
DSC02735_R_20130605213331.jpgエンジンテレグラフは好きだ、しかしチリンと鳴らなかった
DSC02736_R_20130605213333.jpgブリキのおもちゃ
DSC02737_R_20130605214607.jpg弁当箱と言われるが、本来は遺品箱
DSC02741_R_20130605220721.jpg横井庄一コーナー
DSC02743_R.jpg82歳心臓発作にて病没
DSC02748_R.jpg黄色いのは消臭剤
DSC02742_R_20130605220724.jpg
DSC02744_R.jpg
DSC02746_R.jpg
DSC02747_R.jpg
DSC02750_R_20130605222451.jpg戦艦大和模型
DSC02738_R.jpg手書き
DSC02749_R_20130605222449.jpg船尾より
DSC02751_R_20130605222453.jpg第一副砲や艦橋構造は見ないように!
DSC02752_R.jpg沖縄水上特攻時の護衛艦隊旗艦
DSC02753_R.jpg独創的模型
DSC02754_R_20130605223245.jpg後でマネキンに話しかけるtonotama氏
DSC02755_R_20130605223247.jpg万国旗
DSC02758_R.jpg館長登場、この直後館長の携帯が着信する、着メロは「軍艦マーチ」
DSC02759_R.jpg入り口の上にあった額  那須 戦争博物館③
DSC02762_R.jpg入り口の28cm榴弾砲を見ていたら、館長が寄って来た
DSC02763_R.jpgこの後30分ほど館長の収集苦労談を拝聴した(割と面白かった)
DSC02771_R.jpg那須 戦争博物館④
DSC02772_R.jpg約3時間ほどかけてしまったが、十分楽しめた。千円は安いと思う

明日は、大谷石採掘場跡(中島飛行機地下軍需工場)を紹介する

那須 戦争博物館その3

DSC02534_R_20130604232516.jpg
しきりに注目を浴びている
DSC02541_R.jpgtonotama氏が何かを見ている
DSC02545_R.jpg1970-9のプレート、終戦は1945では・・・
DSC02542_R.jpg5回は分解整備されている
DSC02565_R.jpg手前零戦、奥B-29のエンジン、B-29ちっさ
DSC02538_R.jpgB29迎撃時、高度1万から地上に落下した屠龍のエンジンと言っていた
DSC02539_R.jpgドイツ製散水ポンプ?
DSC02556_R.jpg米軍機はP-38などの一部20mm使用以外は12.7mm統一じゃ?
DSC02551_R.jpg駐車場から見える練習機
DSC02552_R.jpg木製の桁にカンバスを貼ってある
DSC02553_R.jpgへたに触ると崩れそうだ
DSC02558_R.jpg主翼がコルセアの逆ガルみたいだ(折れているだけ?)
DSC02559_R.jpg後席(教官用)
DSC02561_R.jpg前席(練習生用)
DSC02562_R.jpg小タル爆弾(まさか打ち上げタル爆弾?)
DSC02566_R.jpg足元においてある
DSC02567_R.jpgヘッドの形から、魚雷の弾頭だろう(九一式航空魚雷?)
DSC02568_R.jpgまたも注目の一品
DSC02570_R.jpg零戦の増槽?
DSC02574_R.jpg佐世保海軍工廠で修理を受けている
DSC02575_R.jpg九五式艦上戦闘機用と書いてある
DSC02569_R.jpg零戦よりよっぽどレアで、世界唯一かもしれない  那須 戦争博物館②
DSC02579_R.jpg第一号館に入る、点数が多いのでなるべく写真のみ載せる
DSC02580_R.jpg
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DSC02601_R.jpg星は陸軍
DSC02602_R.jpgイカリまたは、桜が海軍
DSC02603_R.jpgこれは珍しい
DSC02604_R.jpg除隊、戦勝祝いなどの記念盃
DSC02605_R.jpg
DSC02606_R.jpg松根油?、松根油はマツの伐根を直接乾溜して得られるものであり
DSC02607_R.jpg違う気もする
DSC02608_R.jpg陸軍マークの蓋
DSC02609_R.jpg熱湯を入れて使うアイロン
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DSC02645_R.jpg
DSC02646_R.jpgこれ、本物ならすごいと思う
DSC02647_R.jpg
DSC02648_R.jpg軍票は以外と普通に古銭やで買える
DSC02649_R.jpgむちゃくちゃ古そうな気がする
DSC02650_R.jpg
DSC02652_R.jpg155mm榴弾砲の弾薬ケース欲しい
DSC02655_R.jpgフツーのモデルガンでした
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DSC02657_R.jpg
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DSC02661_R.jpg
DSC02664_R.jpg
DSC02666_R.jpg
DSC02668_R.jpg航空機用ガンカメラ
DSC02670_R.jpg殆んど訓練用の鉄、陶器製訓練弾
DSC02671_R.jpg陶器製手榴弾、ガラス製ちび玉もある
DSC02675_R_20130604230631.jpg
DSC02676_R.jpg
DSC02677_R.jpg
DSC02678_R.jpg
DSC02680_R.jpg
DSC02682_R.jpg
DSC02683_R.jpgなんと倍率等稼動する
DSC02684_R_20130604231634.jpg訓練用木銃
DSC02685_R.jpg
DSC02686_R_20130604231031.jpg
DSC02687_R.jpg
DSC02689_R_20130604231347.jpg
DSC02690_R_20130604231348.jpg
DSC02691_R_20130604231350.jpg
DSC02692_R_20130604231351.jpg
DSC02695_R.jpg
DSC02696_R.jpg那須 戦争博物館①

那須 戦争博物館その2

DSC02460_R.jpg数年前、雨崎の海岸から突如無くなった、97式中戦車
DSC02461_R.jpg今回は、この戦車の安否を確かめに来た様なものだ
DSC02462_R.jpg横のスリットからターレットを見る
DSC02463_R.jpgフロントだけは原型を保っている
DSC02464_R.jpg戦車前面より見る、前の方はまだマシだ
DSC02465_R.jpg転輪は滅茶苦茶だ
DSC02466_R_20130603202345.jpg砲身は割れているが、マシな方だろう
DSC02481_R.jpg内部はがらんどう
DSC02482_R.jpg駆動部は少し残っている
DSC02483_R.jpg7.7mm車載機銃の穴
DSC02484_R.jpg恐らく前期形の47cm砲
DSC02485_R.jpg左前輪部分
DSC02486_R.jpg運転席より顔を出す
DSC02487_R_20130603211656.jpg車内に残る石綿
DSC02488_R_20130603211658.jpg砲塔旋回ギヤ(この砲塔は後ろを向いている)
DSC02489_R_20130603213800.jpg満足したので次に行く(戦車の中は許可を得て入っています)
DSC02472_R_20130603214430.jpgでは、中に入ろう
DSC02473_R.jpg不明の翼とタイヤ数本が置いてある
DSC02474_R.jpg何故か石臼大量展示
DSC02475_R.jpg一式陸攻のエンジンだそうだ
DSC02492_R.jpgみんな記念に割って持って行ってしまうそうだ
DSC02476_R.jpg館長お気に入りの大八車、タイヤではなく、軸が回る珍しい物と熱弁
DSC02494_R.jpg海防艦「志賀」(後のこじま)の艦首
DSC02495_R.jpg係留ロープを通す為の部分
DSC02491_R.jpg今回の目的のひとつ、以外と小さな物だった(高さ1mちょっと、通気孔別)
DSC02496_R.jpg日本軍のロケット弾
DSC02497_R.jpgこれの真贋はわからないが、確かにロケット弾は使用されていた
DSC02498_R.jpg28cm榴弾砲(映画203高地などで有名)
DSC02499_R.jpgこの榴弾を撃って貰うのに10年、更に値切るのに1年掛かったそうだ
DSC02501_R.jpg砲弾陳列コーナー
DSC02502_R.jpg
DSC02503_R.jpg
DSC02505_R.jpg
DSC02506_R.jpg
DSC02508_R.jpg戒厳司令部の門をくぐる
DSC02509_R.jpg海軍ネタが並ぶ
DSC02510_R.jpg志賀パーツ、あちこちに分散している
DSC02515_R.jpg副座練習機
DSC02516_R.jpg後の風防は割れている
DSC02517_R.jpg足掛けは稼動した
DSC02518_R.jpgコクピットは汚い
DSC02514_R.jpg映画226で使用された、ロケ用戦車(館長談)
DSC02513_R.jpg架空の戦車でいすずのエンジン搭載し、ロケ時は自走したそうだ
DSC02526_R.jpgキャタピラーはトラクター用
DSC02527_R.jpgぺらぺらだ
DSC02520_R.jpg輜重(しちょう)要するに補給部隊
DSC02521_R.jpgその荷車達
DSC02522_R.jpg山砲、本物?
DSC02523_R.jpg消火ポンプ
DSC02532_R.jpg棗の木
DSC02535_R.jpg増槽
DSC02536_R.jpgB29に落下式ドロップタンクは無い、爆弾槽にけんちょうしたのか
DSC02537_R.jpg呑龍に有ったかな?

那須 戦争博物館その1

6月1日の夜にブログUP後、横浜を出発し栃木に向かう。
いつものメンバーで、久しぶりの遠征だ、目的は那須戦争博物館と大谷石採掘場後を見る事だ。
時間が無いのでくどい前置きはしない
DSC02445_R.jpg近所のコンビニ駐車場に2200に集合した
P1010668.jpg東北自動車道の羽生PAで一休み
P1010669_20130602224802.jpg宇都宮市大谷町の道の駅、那須高原友愛の森でテント&車中泊
P1010670.jpg自分はもちろんテントである
P1010672.jpgマットや寝袋を準備する事も慣れてしまった今日この頃
P1010671.jpg0330就寝
P1010674.jpg0500起床やる事が無いので、0700までかたずけ等、暇をつぶす
P1010676.jpg企業戦士OKN氏は、朝からPCにて仕事をしている
P1010678.jpg0730車中泊組みも起きて来る(起こした?)
DSC02452_R.jpg朝飯調達、この辺のF.Mも7.11もカンバン茶色だった(戦争博物館前のコンビニ)
DSC02446_R.jpg0900開館なので、外撮りをして時間を潰す
DSC02448_R.jpg子供は入場無料
DSC02449_R.jpg駐車場は、自衛隊のジープ200台を余裕で止めたと館長は言っていた(無料)
DSC02451_R.jpg乃木大将のなつめ広場
DSC02453_R.jpg昔は釣堀だったこともあるとか(奥は隼と言われる練習機)
DSC02454_R.jpg28cm榴弾砲、Wikipediaではここのは実物大複製と紹介している
DSC02455_R.jpg我々の地元横須賀の雨崎海岸で発見された九七式戦車(砲塔の向き、車体の切断面から確認済み)
DSC02457_R.jpgだそうです
DSC02459_R.jpgこれは試作品で機体には取り付けて無いそうだ
DSC02458_R.jpgこの外に、銃器23丁刀剣4本が盗難にあっているそうだ
DSC02467_R_20130602233410.jpg海防艦志賀の舵だそうだ
DSC02468_R.jpg中国軍のジープだそうだ
DSC02469_R.jpg何故かタイヤはブリジストン
DSC02470_R.jpgポニー2頭(以前は白馬がいたはずだが)
DSC02471_R.jpg受付で千円払って、パンフを貰う

取り合えずここまでUP

MILITARY RATION(MRE)MENU18

前回はMENU23だったので今回はMENU18を試食する
DSC00423_R.jpgパッケージの柄は、それぞれ違う
DSC00424_R.jpg今回はビーフパテ
DSC00425_R.jpg読めたら読んで
DSC00429_R.jpg内容物
DSC00430_R.jpg左は加熱袋、右は計量パック(オンス表示)
DSC00433_R.jpg取り扱い説明
DSC00434_R.jpg5,8,12オンス計量可
DSC00436_R.jpg主食セット表
DSC00437_R.jpg裏、ポストカードにはなっていない
DSC00439_R.jpg中身のビーフパテを取り出す
DSC00432_R.jpg今回は暖めるのは肉だけ
DSC00455_R.jpg加熱剤は食べない様に!
DSC00442_R.jpgトロピカルパンチ、粉末ジュースだ
DSC00456_R.jpg今回はコップに粉入れて、水だけ計量袋を使った
DSC00457_R.jpgこの方が混ぜやすく、飲みやすい
DSC00443_R.jpg今回パン二枚
DSC00444_R.jpg乾パンよりはしなやかかな?
DSC00452_R.jpg乾燥剤付き
DSC00445_R.jpgおつまみ
DSC00447_R.jpgチーズクラッカー(旨い)
DSC00448_R.jpgパテ用のバーベキューソースと練りチーズ
DSC00458_R.jpgパン2枚とチーズクラッカー
DSC00459_R.jpgパンにビーフとチーズを乗せる
DSC00460_R.jpgバーベキューソースをかけて、こんな感じ(調理例)
DSC00461_R.jpgマカロニチーズ和え、後から来る辛さ
DSC00462_R.jpgビーフは赤み100%で食べにくい
DSC00449_R.jpgブレイクキット表
DSC00450_R.jpg
DSC00463_R.jpgこれは少なめ、アイスティー、塩、ガム、お手拭、エプロン
DSC00465_R.jpg出してみた
DSC00466_R.jpg粉末紅茶
DSC00434_R_20130601190459.jpgドリンクが複数あるので、これは計量のみでカップ使用推奨
DSC00467_R.jpg普通の紅茶かな
DSC02442_R_20130601190945.jpgまだあるが
DSC02444_R.jpg多分UPしない
米軍レーションは賞味期限が書いていない、日本じゃまずありえない事に、生産日も無い
10年食えると聞いた事があるが、そんな勇気は無い・・・
ちなみに、パッケージの裏側は何も書いてないので、写真も撮らない