猿島要塞 その1
横須賀の猿島は、東京湾に浮かぶ唯一の無人島であり、観光名所でもある。
1993年(平成5年)に海水浴場は閉鎖、航路も廃止され立ち入り禁止とされてしまったが
平成8年には横須賀市が国から猿島の無償譲与を受け、「猿島公園」として整備し元に戻った。
横須賀軍港めぐりで有名なトライアングルが航路を確立し、三笠公園より15分程度で渡航できる
夏場はB.Qや海水浴客で賑わっているので、船の便数も増えている。
公園化に伴い、弾薬庫や一部の砲台には立ち入り禁止がなされてしまったが、大部分の遺構は現存している
歴史的には、幕末に江戸幕府の台場が築造され、明治時代に入ると陸軍省の所轄として東京湾防衛用の砲台として再整備され、第二砲台、24cmカノン砲4門砲台 明治25年3月22日据付竣工後に第一砲台、27cmカノン砲2門砲台 明治26年12月13日走水低砲台より移動、据付竣工した。
関東大震災により被害を受け除籍となり、海軍省の所管として、東京湾要塞の猿島砲台が築造された。
島内の岩壁を掘った煉瓦造りの要塞跡は現在も残り、日本では数少ないフランドル積みが見られる。
大正14年10月13日海軍に移管され、12.7cm連装高角砲台が2基4門、8cm単装高角砲4門が設置されたが、カノン砲はそのまま終戦まで放置されていたそうだ。
朝1番の船に乗った方が、観光客が少なくて写真が撮りやすい
三笠桟橋
トライアングル、シーフレンドⅠ~3
猿島めざし、出港する
小さくても船旅はいい
岩壁に張り付く黒いウミウと白い糞(壁一面)
海軍時代の旧桟橋(今は撤去済み)
新桟橋到着
上陸、右に見えるのが旧桟橋の名残
詳しい用途不明の係留用?遺構
この島唯一の補給所、夏場にはレンタルショップ、シャワーコインロッカーなどが利用できる
この石段は旧軍遺構
元は右の小さい方の上に建っていたが、折れた(折られた?)
猿島の歴史展示場



調査時の出土品



猿島公園設備事業に伴う確認調査の記録より抜粋する
これは観音崎砲台でも見かける
出土レンガの一部
刻印説明
明治期第二砲台
昭和期第二砲台
破壊された高角砲
高角砲台座の調査風景
先に紹介した石段
1954年の航空写真
切り堀が良く判る
防空監視所が見える
切り堀の上に橋が2本掛かっている
島内地図
現在もここは発電に使っている
現在はヤンマーディーゼル2基が入っている
発電所案内板
調査記録、地下にボイラー用の水タンクが現存している
発電所の裏にある倉庫壕
フェンスに貼り付けてある、古い案内板
折れた煙突?
排水設備



埋設土管
ここから先、切り通しになる
次回切通し~
1993年(平成5年)に海水浴場は閉鎖、航路も廃止され立ち入り禁止とされてしまったが
平成8年には横須賀市が国から猿島の無償譲与を受け、「猿島公園」として整備し元に戻った。
横須賀軍港めぐりで有名なトライアングルが航路を確立し、三笠公園より15分程度で渡航できる
夏場はB.Qや海水浴客で賑わっているので、船の便数も増えている。
公園化に伴い、弾薬庫や一部の砲台には立ち入り禁止がなされてしまったが、大部分の遺構は現存している
歴史的には、幕末に江戸幕府の台場が築造され、明治時代に入ると陸軍省の所轄として東京湾防衛用の砲台として再整備され、第二砲台、24cmカノン砲4門砲台 明治25年3月22日据付竣工後に第一砲台、27cmカノン砲2門砲台 明治26年12月13日走水低砲台より移動、据付竣工した。
関東大震災により被害を受け除籍となり、海軍省の所管として、東京湾要塞の猿島砲台が築造された。
島内の岩壁を掘った煉瓦造りの要塞跡は現在も残り、日本では数少ないフランドル積みが見られる。
大正14年10月13日海軍に移管され、12.7cm連装高角砲台が2基4門、8cm単装高角砲4門が設置されたが、カノン砲はそのまま終戦まで放置されていたそうだ。
















































次回切通し~
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