三戸北狙撃陣地

前回三戸南狙撃陣地を紹介したので、その対岸にある三戸北狙撃陣地を紹介する。
ここは海水浴場に面していて、夏場は大抵壕口前でB.Qをしていて入れない
DSC05686_R_20130731213548d2b.jpg滑走路をひたすら海に向かって進む
DSC05712_R_201307312135507e9.jpg海に到着
DSC05713_R_20130731213552150.jpg実は真冬はめっちゃ寒い風が吹きまくる
DSC05714_R_20130731213554c4c.jpg砂浜が切れて、岩場になった所にそれはある
DSC05715_R_20130731213556c8e.jpgこれが入り口となる砲室
DSC05716_R_2013073121502043d.jpgこの砲室は広い、しかしコンクリートの壁は破壊されている所が多い
DSC05717_R_201307312150228bf.jpgカウンターの様な左側、カウンターの後に大きな砲員待機室がある
DSC05718_R_201307312150243da.jpg右側のコンクリート壁は破壊されたようだ
DSC02534_R_20130731215018826.jpg右側にあるコンクリートの入口の部屋、弾薬庫か?
DSC05722_R_20130731215854c8c.jpg頑丈そうだ
DSC05723_R_201307312158559e5.jpgここを出ると、階段がある
DSC05724_R_20130731215857a47.jpg階段の途中にある通路は、掘りかけの様だ
DSC05725_R_201307312158583f7.jpg更に階段を登る
DSC02537_R_201307312206032a1.jpg結構急かな
DSC05726_R_20130731215900d31.jpg左側の奇妙な分岐路
DSC02538_R_20130731220604404.jpg通路が鍵穴の様になる
DSC02539_R_20130731220606847.jpgまずは右側に行く、棚を作った様な曲がり角
DSC02540_R.jpg少し進むと、一方は行き止まり
DSC02541_R_20130731221232738.jpgもう一方の階段を下る
DSC02542_R_20130731221233794.jpg下から階段を見上げる
DSC02543_R.jpgこの角を曲がると
DSC02544_R.jpgコンクリートの砲室が現れる
DSC02545_R_2013073122123985b.jpg最初の砲室もこんな壁があったのだろう
DSC05736_R_201307312239178a7.jpg敵が侵入出来ないように、塞いである
DSC05737_R_20130731223919824.jpg天井の穴、通気孔だと思われるが塞がっている
DSC02547_R.jpg階段を登り、もとの分岐まで一気に戻る、左に行くと
DSC02548_R.jpg抜き穴がある
DSC05745_R_20130731225409e43.jpg外から見てみる
DSC02549_R.jpg分岐に戻り、右に行くと
DSC02550_R_20130731224520a41.jpg清水溜めの井戸がある
DSC02551_R_20130731224521f77.jpgその先に進むと
DSC02552_R_20130731224523861.jpg分岐を左に行くと、コンクリートの壁、この向こうが謎の施設
DSC02553_R_20130731224524b2e.jpg分岐を右に行くと四角い部屋が通路に出来ている
DSC02554_R.jpgまっすぐ行くと左に折れて、また左に分岐がある
DSC02555_R.jpg左に下りていくと
DSC02557_R.jpg大きな貯水槽がある、奥の半円の穴がさっき外側から見た部分だ
DSC02558_R_20130731225407624.jpg壁に丸い窪みが有る
DSC02569_R_20130731231214dd7.jpg右側面に小さめの貯水槽があり
DSC02568_R_20130731231212572.jpg満々と水を湛えている
DSC02559_R_20130731230254759.jpg少し登ると、次の砲室がある
DSC02560_R.jpgコンクリートを巻いている途中で終戦になったのか?
DSC02561_R_20130731230257d0e.jpg天井の丸い通気孔
DSC02562_R_201307312302590d9.jpg外への抜き穴
DSC02563_R.jpg最後の砲室
DSC02564_R.jpg天井には四角い通気孔がある
DSC02567_R_20130731230819a49.jpg位置関係
DSC02566_R_20130731230816397.jpg狙撃口から振り返る
DSC02565_R_2013073123081576c.jpg右の穴、人為的に埋めた様に見える
DSC05773_R.jpg最初の砲室に戻って来た
DSC05774_R_2013073123164680c.jpg砲員待機室奥から眺める
DSC02570_R_20130731231216f5e.jpg三戸北狙撃陣地を後にする
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三戸南狙撃陣地

三浦市の三戸海岸南端にある三戸南狙撃陣地の紹介
この海岸には狙撃陣地が2つあり、浜を挟んで南北に分かれていて浜に上陸して来た敵を挟撃する様に計画されていた様だ。
DSC05852_R_2013073021174285b.jpg体が埋るほどの藪を掻き分けて陣地を目指す
DSC05853_R_20130730211744147.jpg銃眼に着くが、崖は崩れ、樹木は薙ぎ倒されて散乱している危険な場所だ
DSC05854_R_201307302117451af.jpg先端付近に浅い穴がある、掘りかけの銃眼だとの説もある
DSC05855_R_201307302117476d1.jpg早速銃眼に這い上がる、な~に、たったの2m程度這い登るだけだ
DSC05856_R_2013073021174974d.jpg銃眼左の空洞は最初から開いている、観測用か?
DSC05857_R_20130730212859ef9.jpg銃眼から外をみる、対岸の海水浴客を狙えそうだ
DSC05858_R_2013073021290085b.jpgがくぶちの様だ、題名「侵入者R」
DSC05859_R.jpg砲架跡、7.7mm以上クラスの機関砲をすえていた様だ
DSC05860_R.jpg砲室には酒瓶とトロ箱が供えてあった
DSC05861_R_20130730212904681.jpg中に進む
DSC05862_R_20130730213823dad.jpg右は突き当たりで何も無かった、陸式の馬蹄型の壕だ
DSC05863_R_201307302138245c5.jpg天井に残る碍子
DSC05864_R_20130730213826e7d.jpg壁に何か打ち付けてある
DSC05865_R_20130730213827a1c.jpg直角に曲がっている
DSC05866_R.jpgすぐにまた曲がる、侵入者対策か爆風除けか?
DSC05867_R.jpg特徴的な壕形状、碍子も続く
DSC05868_R_201307302146452e8.jpg右に行く道がある、格子状に入り組んでいる
DSC05869_R_20130730214647ff7.jpg直進の行き止まり
DSC05870_R_20130730214648c34.jpg左に進む
DSC05871_R_20130730214649e0b.jpg程なく突き当たる
DSC05872_R_2013073021562275f.jpg生息室を兼ねているのか、せっまい通路と広めの測道が続く
DSC05873_R_20130730215624487.jpg主抗に戻ると風が吹き込んでくる
DSC05874_R_201307302156259d9.jpg新たな砲室
DSC05875_R_20130730215627f89.jpg銃眼を外から見る
DSC05876_R_20130730215629f59.jpg銃眼からの眺め、海水浴客を・・・
DSC05877_R_201307302208490b3.jpg砲室は3m四方ぐらいありそうだ
DSC05878_R_20130730220851e38.jpg入り口は変に曲がっている
DSC05879_R.jpg通路の小部屋の角は面取りしてある
DSC05881_R_20130730220854e26.jpg主坑道の戻る
DSC05882_R_20130730220856e5f.jpg抜き穴
DSC05883_R_201307302216173e4.jpg主出入り口
DSC05884_R.jpg半分近く埋っている
DSC05885_R_201307302216215c5.jpg一通り見たので、荷物のある最初の銃眼に戻る
DSC05886_R.jpg戻って来た
DSC05887_R.jpgそして出て行く、こんな風に
DSC05889_R.jpg対岸から見た三戸南狙撃陣地

次回は背後の三戸北狙撃陣地


海軍通信学校(久里浜駐屯地)

海軍通信学校とは、大日本帝国海軍における術科学校の一つで、無線通信に関わる各級要員の教育、訓練、及び無線通信に関わる技術研究を行ったもの。
1903年(明治36年)2月に海軍水雷学校(横須賀田浦)に於いて無線電信術練習生として開始され、1918年(大正7年)に水雷学校電信部が成立する。その後、人員及び設備の規模が順次拡大するに従い、専門の術科学校が必要とされ、1930年(昭和5年)6月に海軍通信学校として独立するに至る。
以降、無線技術の発展及びその軍事利用の重要性の増大により、施設の拡大が必要となり、1939年(昭和14年)11月神奈川県久里浜に移転する。
1943年に海軍横須賀通信学校と改称されたが、終戦に伴い廃校となる。
歴代校長の中には、レイテ沖海戦での志摩艦隊で有名な志摩清英 中将もいる。

現在は陸上自衛隊久里浜駐屯地となっている、昭和25年警察予備隊発足とともに駐屯地(普通科)となる。
昭和 27年保安隊と改称、「保安隊通信学校」が創設される。
ちなみに警察予備隊発足時の2駐屯地の一つであり、自衛隊としては最も古い駐屯地である。
DSC09381_R_20130729212904.jpgみいつ橋、当時からかかっているらしいがウソだろう、過去の航空写真には橋げたが写っている
DSC09383_R_20130729212906.jpgこの隊門も古そうだ
DSC09388_R_20130729212908.jpg海軍通信学校跡碑
DSC09389_R_20130729212910.jpg裏側には志摩清英書と書いてある
DSC09390_R_20130729212912.jpg
DSC09470_R_20130729215409.jpg当時の地下壕入り口
DSC09471_R.jpgあちこちにある
DSC09475_R_20130729215414.jpg古い井戸
DSC09477_R_20130729215416.jpg歴史館
DSC09478_R.jpgその前には海軍止水栓がある
DSC09479_R_20130729221655.jpg精神注入棒
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DSC09540_R.jpg
DSC09541_R.jpg
DSC09542_R_20130729225115.jpg
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DSC09544_R_20130729225118.jpg
DSC09545_R_20130729225119.jpg戦時中の地下壕図、入りたいが入れない
DSC09556_R_20130729225902.jpg昭和41年の航空写真
DSC09557_R_20130729225903.jpg最初の方で紹介したコンクリートの壕口辺り
DSC09558_R_20130729225905.jpgこっちの山にも壕口が見える
DSC09559_R_20130729225906.jpgこの写真には橋げたが写っている、その上の艇庫は車庫として現存
DSC09574_R_20130729231448.jpg
DSC09575_R_20130729231449.jpg
DSC09576_R_20130729231451.jpg
DSC09611_R_20130729231454.jpg本庁舎内
DSC09580_R_20130729231452.jpg
DSC09579_R_20130729231631.jpg
DSC09610_R_20130729231633.jpg退避壕跡
DSC09612_R_20130729231634.jpg元艇庫
みいつ橋_R以前はも少しおしゃれだった
img012.jpg
img021.jpg
同期の櫻様から写真を提供して頂いたので、追加する。
1枚目の正門は「写真ではよく見えないのですが看板が警察予備隊となってます」との事
2枚目は「入口にある無線塔は終戦後少し低くしたそうです」

野比海岸その他遺構 その1

少しこの地にあった、伏龍訓練基地に付いて触れておこう

横須賀鎮守府では、第1特攻戦隊嵐部隊第71突撃隊(嵐部隊)として、7月上旬以降、順次3ケ大隊約1500名が横須賀の野比、対潜学校、工作学校に集められ、潜水訓練が始まった。
 久里浜港から三崎に向かって千駄ケ崎のトンネルを出ると野比海岸になる。
トンネルを出てすぐ右手に大隊本部があったようだ。
 その先の海軍病院(現久里浜アルコール症センター)から久里浜寄りが第一実習場、三浦寄りが第二実習場。兵舎は病院の先で近くの小学校の分教場(今の横須賀第一老人ホームのところ)の一部も兵舎とされていた。
大分地域的には、海軍病院と伏龍訓練基地は被る所が多い様だ、事実事故が起こる度医師が呼び出されていた。

今回はブログに書き込みのあった遺構を探しに行った、予測していった場所とは大分違うが、それらしい物は発見出来た、その他に不明な遺構を山狩りの経過で見つけたので、紹介する。
なお、今回も榴弾砲氏を、山狩り行くよの一言で連れ出した、不明な物は複数で見た方が良い
DSC03701_R_20130728193239.jpgこんな本も出ているので、気が向いたら読んで見るのも良いだろう、3日で読める
DSC03622_R.jpgまず、前回の要塞地帯標付近を見る
DSC03626_R_20130728192430.jpgトーチカのあった所には、老人ホームを建築中
DSC03627_R_20130728192431.jpgこの石柱は他に見やすい物を発見したら、道界だった戦跡では無い様だ
DSC03632_R.jpgこっちの門柱だけは残っていた
DSC03692_R.jpg昭和22年米軍航空写真、「アルコールセンターの東側の山のふもとにある壕は入りましたか?
くりはま花の国から下へ降りてくる道?があります。シャレにならない急坂を降りると階段がありますその北側に壕口があいています。米軍の空中写真ではV字に山の上から下へ降りてくる道が見えます。
コンクリートの半円形のきれいな壕です。」の文面から3箇所に絞る
DSC03694_R.jpg昭和52年の航空写真、中央にV字らしき物がある
DSC03653_R.jpg第1アタックポイント
DSC03699_R.jpg登れるだけ登って見たが、藪に道が絶え、断念
DSC03654_R.jpg第2アタックポイント
DSC03698_R_20130728195253.jpg見た目より藪に覆われており、とても柵の上に登れる状態では無かった、それでも登ろうとしたが老人ホームの団体が道路端にたむろし始め、断念(ここが階段もあり、もっとも濃厚だと思われた、文面的にはこの階段を降りて北の第1アタックポイント方向かと思われたが、時期が悪くポイントが判らないと探せない)
DSC03629_R_20130728200645.jpgしかしこの付近で、思わぬ物を発見した
DSC03630_R_20130728200647.jpg前回見つからなかった消火栓だ!
DSC03631_R_20130728200648.jpg草が刈られて、良く見えた
DSC03633_R.jpg門柱まで戻って来た
DSC03700_R.jpg第3アタックポイント
DSC03634_R_20130728201253.jpg道を遡ると、階段のあるパイプの飛び出たコンクリート構造物がある
DSC03635_R.jpg上には貯水槽がある、ここまでは前回調査済み
DSC03636_R.jpg分岐のある上り口
DSC03637_R_20130728201827.jpg左がくりはま花の国への登山道だ(以前の調査で知っていたので候補地となる)
DSC03638_R_20130728201829.jpgしかし天邪鬼な自分は右に行く、草むらにかすかにコンクリートが、見えたのだ
DSC03639_R.jpg20mほどで階段があった
DSC03641_R.jpg上にはコンクリート基礎が大量にある
DSC03642_R.jpg
DSC03643_R.jpg
DSC03644_R.jpg
DSC03647_R_20130728202740.jpg
DSC03648_R.jpg
DSC03649_R_20130728202918.jpg
DSC03652_R.jpg最初は民家かとも思ったが、50mほどに渡って遺構があるので、兵舎だろう、貯水槽含み伏龍関連か?
その後かなりの時間山狩りを行うが、何の戦果もなかった・・・・
DSC03660_R.jpg下山して近くの円形台座を見に行くと
DSC03655_R.jpg近くに灯篭?門柱の台座?の様な物があり、奥には石垣も見えた
DSC03657_R_20130728204915.jpg付近を見渡すと、鉄の枠の付いたコンクリートの穴がある
DSC03659_R.jpgコンクリートの半円形のきれいな壕だ
DSC03665_R.jpg内部の造りは非常に綺麗な様だ、ただ・・・
DSC03663_R.jpg足元のこれ、病院の医療ゴミの不法投棄場所になっている
DSC03664_R.jpg天井の通気孔
DSC03668_R.jpgここから医療ゴミを投げ込んでいたのだ
DSC03669_R.jpg上にはまだゴミが張り付いている、一度天井までゴミが達し、埋めて隠した後に重みで沈下してこうなったのだろう
DSC03674_R.jpgこんな状態
DSC03666_R_20130728210239.jpg4mほどの小さな部屋だった
DSC03667_R_20130728210241.jpg天井には碍子が残っていた
DSC03670_R.jpg終わりと思ったら隣にも部屋がある
DSC03673_R_20130728210940.jpgこの木に碍子でも打って有ったのだろうか
DSC03672_R_20130728210938.jpg隣の部屋も構造も惨状も同じ様な物だった、無理すれば隣に行けそうだが、硝子、点滴ビン、注射器、アンプルなどが踏みしめるたびに割れるので、止めておいた、先が更にあるかは不明

帰りがけに、富士壕、桜壕を見に行った。
DSC03678_R_20130728212921.jpgなんと工事中ではないか!
DSC03679_R_20130728212923.jpg唯一の入り口
DSC03680_R_20130728212924.jpg上部監視窓
DSC03682_R_20130728212926.jpg近くの海軍病院の門柱は無事だった
DSC03683_R_20130728213352.jpgついでに陸軍所轄地の石柱を確認する、この裏山に最大規模の壕があった様だが跡形も無い
DSC03686_R_20130728213354.jpg今更上部の矢印に気づく
DSC03687_R_20130728213355.jpg所轄地の石柱に防三六がある、非常に珍しい

ついでに船越のガントリーも見て行く
DSC03610_R_20130728214126.jpgやっぱり無い
DSC03615_R.jpg金属部分は何も無くなった
DSC03619_R_20130728214129.jpgその内これも破壊して、船着場になるのだろうか・・・・

千駄ヶ崎砲台 その2

前回は県道の山側をくりはま花の国より山越えで紹介した
今回は県道の海側から最早道とは言えない様な所を登って行く事にする。
DSC08578_R_20130727195938.jpg県道と旧道の分岐辺りの空き地に道路から見えている陸軍柱
DSC08575_R_20130727195935.jpg陸一文字
DSC08577_R_20130727195937.jpg防一九ノ一
DSC08579_R_20130727195939.jpg山側にコンクリートの壁がある
DSC08580_R.jpgその奥には壕がある
DSC08581_R_20130727201323.jpgしかし中に入る事は出来ない
DSC08582_R_20130727201324.jpg複数あるが、浅い様だ
DSC08584_R_20130727201326.jpg何故人は穴を見ると入れたくなるのだろうゴミを?
DSC08585_R_20130727201328.jpg山に入ると斜面にある、防一四、コンクリートをコ-ティングして文字を彫ってある
DSC08586_R_20130727201329.jpg彫ってあるとゆうより機械的な感じだ、大量生産だから当たり前だが
DSC08587_R_20130727202428.jpgこの辺はほんとに斜面だ、石柱の材質も違う
DSC08589_R_20130727202429.jpg防一四ノ一
DSC08590_R.jpg陸一文字
DSC08592_R_20130727204608.jpg防一二ノ三
DSC08593_R_20130727204609.jpg陸一文字
DSC08595_R.jpg陸一文字
DSC08598_R.jpg防一二ノ二
DSC08599_R_20130727205328.jpg防一三ノ一
DSC08600_R.jpg陸一文字
DSC08601_R_20130727205330.jpg防一三
DSC08602_R_20130727205332.jpg陸一文字、コ-ティング型が元来の物で、材質違いの枝番は隙間を埋める為に追加されたのだろう
DSC08607_R_20130727205915.jpg道の真ん中に細身の石柱が!
DSC08606_R_20130727205914.jpgなんと海軍用地
DSC08609_R_20130727205918.jpgまた真ん中にある
DSC08608_R_20130727205916.jpg海軍用、山頂の境界を越えたモノと思われる
DSC08611_R.jpg岩盤に穴を開けて差し込んでいる
DSC08612_R.jpg更にコンクリートで固定、少しずらせば良いのに・・・
DSC08613_R_20130727210727.jpg鉄塔を越える
DSC08614_R_20130727210728.jpg少し端に寄っている
DSC08615_R.jpg一本欲しいな!
DSC08617_R.jpg海軍柱には番号も無いので面白みに欠ける
DSC08618_R_20130727211449.jpg大小立っているが、小さいのは現代の物
DSC08619_R.jpg
DSC08621_R.jpg
DSC08625_R.jpg
DSC08627_R.jpg
DSC08628_R.jpg
DSC08629_R.jpg
DSC08631_R.jpg
DSC08632_R_20130727211832.jpg
DSC08633_R_20130727212041.jpg
DSC08634_R.jpg山頂に達した様だ、手前は折れた海軍用地だろう
DSC08635_R.jpgそして、ここに来てまた陸一文字
DSC08636_R.jpg防二二だろうか?
DSC08637_R.jpg海軍柱と不明の台座
DSC08638_R.jpg小さいのは現代物
DSC08639_R.jpg
DSC08640_R_20130727213014.jpg久里浜火力発電所が見える、大分歩いてきた
DSC08642_R_20130727213016.jpg腐食のせいか、字体が違って見える
DSC08643_R_20130727213621.jpg陸人文字、手前は折れた海軍柱だろう
DSC08645_R_20130727213623.jpg防一一、陸軍の方が後から縄張りを広げたのだろうか?海軍ばかり折れている
DSC08646_R.jpg今度は陸軍が道の真ん中にある
DSC08647_R_20130727214108.jpg防一〇ノ二
DSC08649_R.jpg陸一文字
DSC08651_R_20130727214111.jpg山頂部
DSC08652_R_20130727214705.jpg三角点に到着した
DSC08653_R_20130727214706.jpg千代ヶ崎砲台で見た物と同種の物だろう
DSC08655_R_20130727214708.jpg位置関係
DSC08656_R.jpgこの脇にそれると
DSC08657_R_20130727214710.jpg機銃掩体がある、人の目で見ると円形の窪みがくっきりと見える(上の写真の方が見やすい?)
DSC08658_R_20130727215544.jpg埋没した陸軍柱

この後は石柱を見かけなくなった、探せばまだ有るかも知れないが終わりとする

千駄ヶ崎砲台 その1

千駄ヶ崎砲台と言っても、砲台遺構自体は久里浜火力発電所の埋め立て工事によって、失われた。
今あるのは、大正15年に竣工した千駄ヶ崎隧道、通称お化けトンネルと、石柱群ぐらいな物だ。
大正13年竣工、関東大震災後の応急砲台として建設された。第三海堡から撤去された七年式10cm速射カノン砲4門が据付けられた。
昭和16年、東京湾要塞重砲兵連隊第一大隊第三中隊が守備についたが、昭和19年2月剣崎砲台へ移転した。
その後、速射カノン砲4門は昭和20年に房総鴨川陣地へ移されて、何も無くなった。
DSC06998_R.jpgこれは県道にある新千駄ヶ崎隧道
DSC06997_R.jpg
DSC06996_R_20130726205421.jpg標柱が草の中に埋もれている
DSC06995_R_20130726205419.jpg県道からの山側への分岐路、当時物と思われるコンクリート壁
DSC06991_R.jpg民家の脇に古びたコンクリート壁の坂道がある
DSC06992_R_20130726210524.jpg付近には変な物が多い、無料温泉スタンドとして奉仕されていたが、マナーが悪い人が多く、閉鎖された
DSC06993_R_20130726210526.jpg未知の生物その1
DSC06994_R_20130726210527.jpgその2、なんでこんな所にジンギスカンが?
DSC06912_R.jpg砲台への弾薬運搬用に築かれたトンネル、旧千駄ヶ谷遂道
DSC06913_R_20130726211301.jpg入り口から少し入った辺
DSC00030_convert_20090923112033_R.jpg昔はこうだったが、補修されてしまった様だ
DSC06914_R_20130726211302.jpg車1台がやっと通れるトンネル、歩行者も通る
DSC06915_R_20130726212706.jpgくりはま花の国側の出口、銘も無くただ苔生している
DSC06934_R_20130726212708.jpgでは、山に入ろう
DSC06935_R.jpgこの辺は横須賀海軍軍需部久里浜倉庫の敷地境界線だ
DSC06936_R.jpg海軍用地
DSC06937_R_20130726212714.jpg簡単に撮っている様でも、割りと苦労してるんです!
DSC06938_R_20130726213708.jpg草むらも丹念に探すので、時間も掛かる
DSC06939_R.jpgこれから先はいっぱい有るのでただ貼る
DSC06940_R_20130726213711.jpg
DSC06941_R.jpg
DSC06942_R.jpg
DSC06943_R_20130726214121.jpg
DSC06944_R_20130726214122.jpg
DSC06945_R_20130726214124.jpg
DSC06946_R_20130726214125.jpg
DSC06950_R.jpg
DSC06955_R.jpg
DSC06957_R.jpg
DSC06958_R_20130726214332.jpg
DSC06959_R_20130726214334.jpg
DSC06960_R.jpg
DSC06961_R_20130726214515.jpg
DSC06962_R_20130726214516.jpg山頂の高圧鉄塔は海軍機銃陣地の跡に建てられている
DSC06963_R_20130726214519.jpg中央部にあるコンクリート基礎
DSC06964_R_20130726214522.jpg機銃固定用のアンカーボルト
DSC06967_R_20130726215158.jpgボルトが円形に並んでいるのが、判るだろうか?
DSC06970_R_20130726215200.jpgここから石柱の形が変る
DSC06971_R_20130726215201.jpg材質も御影石になる
DSC06972_R.jpg文字も波2本と海軍になる、恐らく軍需部管轄区域ではなくなったのだろう
DSC06973_R_20130726215204.jpg上から見ると、角が全て面取りされており非常に珍しい
DSC06974_R.jpg
DSC06975_R.jpg
DSC06976_R_20130726220051.jpg
DSC06977_R_20130726220053.jpg
DSC06978_R_20130726220054.jpg立派過ぎて、お墓の様だ
DSC06979_R.jpg2本目の鉄塔
DSC06980_R.jpg一部の人には鉄塔結界と言われて、ありがたがられるそうだ
DSC06969_R_20130726220333.jpgここのも銃座の様だ
DSC06981_R_20130726220754.jpg
DSC06982_R.jpg
DSC06984_R_20130726220758.jpg
DSC06985_R_20130726220800.jpg
DSC06986_R_20130726220802.jpg
DSC06987_R_20130726220918.jpg
DSC06988_R.jpg
DSC06989_R.jpg
DSC06990_R_20130726220924.jpg最後の方は、人里に近いせいか状態が悪かった

基本標石しかないのだが、枚数が多くなったので分割する

久里浜海軍病院、横須賀海軍軍需部久里浜倉庫

久里浜海軍病院のこの発足当時の正式名称は、日本赤十字社本部諷訪病院野比海軍病院分院と言った。
1942年に、野比海軍病院に改称した。
終戦に際し、徹底抗戦を主張し麾下部隊(厚木302航空隊)の扇動を企てた小園安名海軍大佐は、捕らえられてここに監禁されたそうだ。
現在独立行政法人国立病院機構久里浜医療センターとなるが、久里浜アルコール症センターの方が有名だ。
DSC06321_R.jpgバスのロータリーに残っていた門柱、表札の跡がある
DSC06322_R.jpg今は多分撤去された
DSC06323_R.jpg円形のコンクリート台座
DSC06324_R.jpg裏側は中空になっている
DSC06327_R.jpgこれは道路側にあった門柱
DSC06328_R.jpgこちらには看板を下げたフックが憑いていた
DSC00438_R.jpg今年野比海岸にトーチカが発見されて話題になった、OKN氏に情報を頂き翌週末出かけていった
DSC00468_R_20130725211659.jpg写真提供OKN氏(前後3枚)
DSC00508_R.jpg残念ながら間に合わず
DSC09961_R.jpgあっとゆう間に埋められて、見る事が出来なかった
DSC09962_R_20130725211704.jpg発掘された車が置いてあった
DSC09971_R.jpg道は綺麗になり、門柱は無くなった、標石だけが移植されて並んでいた
DSC09950_R_20130725212920.jpg風化が激しく読みにくい
DSC09952_R_20130725212922.jpgこの面もきつい
DSC09959_R_20130725212924.jpgTZ東京湾要塞第・・・・
DSC09960_R.jpgこちらは折れているのか、埋っているのか文字は見当たらない
DSC09964_R.jpg境界?トーチカ周辺には石柱が多く見られる
DSC09965_R.jpg
DSC09966_R.jpg
DSC09967_R_20130725215405.jpg
DSC09970_R.jpg野比には伏龍訓練所があった、第七十一嵐部隊の本部が置かれていたので関連か?
1945年6月から横須賀対潜学校で先遣部隊要員480名への訓練が始まった。その後潜水訓練は、神奈川県横須賀鎮守府の野比海岸、広島県呉鎮守府の情島、長崎県佐世保鎮守府の川棚などで行われ、合わせて3000人近くが訓練を受けたが実戦での戦死は無いが、訓練中の事故死は数百人にのぼる。
後に紹介するが、稲村ヶ崎には伏龍の待機陣地が現存している。
DSC06916_R_20130725222402.jpgくりはま花の国に移動する、横須賀海軍軍需部久里浜倉庫の地下壕がここにある
DSC06931_R_20130725222408.jpg公園内なので、場所は伏せる
DSC06919_R.jpg壕はしっかりしていて、排水も切ってある
DSC06930_R_20130725222406.jpg手洗い場なのだろうか?
DSC06920_R_20130725223121.jpg奥に進む
DSC06923_R_20130725223124.jpg分岐が見える
DSC06924_R_20130725223125.jpg正面は外部からの埋め戻しの様だ
DSC06925_R_20130725223127.jpg分岐右側
DSC06926_R_20130725223515.jpg行き止まりとなる
DSC06927_R_20130725223517.jpg電気配線の跡
DSC06928_R.jpgかすがい
DSC06929_R.jpg排水路
DSC07000_R_20130725223821.jpg外に出て車道沿いにフェンスとコンクリートで塞がれた倉庫壕群を見て回る
DSC07001_R_20130725223823.jpg
DSC07002_R_20130725223824.jpg
DSC07003_R.jpg
DSC07004_R_20130725223828.jpg写真だと判り難いが、いっぱいある
DSC07005_R_20130725224450.jpgこの先のエアライフル場が地下倉庫改造施設なのだ(魚雷の信管の調整室だとの情報を頂きました)
DSC07006_R.jpgアーチェリー場を突っ切るので気をつける様に
DSC07007_R_20130725224453.jpg入り口部分
DSC07008_R_20130725224455.jpgこれだけ綺麗なのは、あまり無い
DSC07009_R_20130725224456.jpgエアコン完備の地下倉庫だ
DSC07010_R.jpg砲弾格納ケースが何故ここに
DSC07011_R.jpg米軍放出品の様だ
DSC07012_R_20130725230342.jpg地下壕内部
DSC07013_R.jpg
DSC07014_R_20130725230348.jpg
DSC07015_R.jpg
DSC07016_R_20130725231013.jpgくれないかな?
DSC07017_R_20130725231014.jpg入場時にはお店の人の撮影許可を取りましょう
img228.jpg
img233.jpg
同期の櫻様から写真を提供して頂いたので、追加する。
1枚目の久里浜湾の写真は終戦直後と思われ、住吉神社・防備隊の建物・海軍通信学校・海岸の近くまで引いてあった線路の跡・工作学校の一部が撮影されてます。
2枚目は軍需部の倉庫の建物です、ベトナム戦争が始まった当時、倉庫には大戦中のものとか朝鮮動乱当時の軍のサープラス(軍放出品)を大量に放出しましたとの事でした。

千代ヶ崎砲台 その4

今回で千代ヶ崎砲台を終了するが、今後の成り行きを見て生きたい
DSC05710_R_20130724191505.jpgこの部分は入り難いので、丘を越えて反対側から入る、これはここ唯一の貫通型掩蔽壕なのだ
DSC05719_R.jpg掩蔽部の通気孔
DSC05718_R_20130724191509.jpgその付近に謎の石柱、近代なのかすら知識の無い自分には判らない
DSC01631_R_20130724192414.jpg丘の下に入り口がある
DSC05711_R_20130724191506.jpg反対側の入り口も、同形状のはずだ
DSC01633_R.jpgここも焼き締め煉瓦を使用している
DSC05712_R_20130724191508.jpg内部進入開始
DSC05713_R_20130724193039.jpg中心付近に一部屋ある
DSC05714_R_20130724193041.jpg掩蔽部内
DSC01637_R_20130724193711.jpg奥の壁にすれた様な跡が黒く憑いている
DSC05715_R_20130724193042.jpg振り返る
DSC05716_R_20130724193044.jpg通路に出て、入って来た方向
DSC05717_R_20130724193045.jpg最初に入るのを止めた方、半分ほど埋ったままだ
DSC01640_R.jpgでは、前回はあえてスルーした最後の掩蔽壕に行く
DSC01641_R.jpg入り口が半没し、崩れた外壁の石が散乱している
DSC01642_R.jpg通路の中央付近に亀裂が走っている
DSC01643_R.jpg中に入ると・・・
DSC01644_R_20130724194903.jpgなんと、かまぼこを3等分した感じに割れている、関東大震災の影響だろう
DSC01645_R_20130724200443.jpg幅30cmに及ぶ激しい亀裂
DSC01646_R.jpg断面を修復しようとしたのか、綺麗な切り口だ
DSC01647_R_20130724200446.jpg瓦礫は綺麗にかたずけられている
DSC01648_R_201307242004482c5.jpg反対側から亀裂を見る
DSC01649_R_20130724200449.jpg床にも亀裂は走っている
DSC01650_R.jpgこの辺だけ見ると綺麗な遺構なのだが
DSC01651_R_20130724201500.jpg入り口のこれは撤去すればいいが、亀裂はしょうがない、この掩蔽壕が公開される事は無いだろう
DSC01573_R_20130724212240.jpg灯篭の台座の様な形のコンクリート片
DSC01574_R.jpg四角い升状のコンクリート遺構
DSC01575_R_20130724212243.jpg覗き込むと、井戸の様だ
DSC01589_R.jpgコンクリート基礎もある
DSC08060_R_20130724213124.jpg山の中を見ると気になる所があり、登ってみた、びっしりと網目模様の壁があった
DSC08061_R_20130724213126.jpgかなり上の方なのが判るだろうか
DSC08062_R_20130724213127.jpg畳の様な跡が憑いた壁が数10m続いている
DSC08063_R.jpg壁の端っこ部分、庇がありボルトで何かを止めていた跡がある
DSC08064_R_20130724213131.jpg左翼観測所かとも思ったが、設備的に違う、軍道の痕跡が有るので、営門か?
DSC08065_R_20130724214619.jpg排水溝まで綺麗に作ってある
P1000990_R.jpg下山して燈明堂入り口に戻り、道路を山側に上るとコンクリート壁がある、当時の物だろう
DSC08053_R.jpg民家の庭先にも要塞壁が残っている
DSC08054_R_20130724215405.jpgなかなかつつましいヌコだ
DSC08055_R_20130724215407.jpgいまどき珍しい三毛猫だ
DSC08049_R_20130724215402.jpg28cm榴弾砲砲台入り口
DSC05691_R_20130724220338.jpg警備犬がこちらを見て尻尾を振っている
DSC05693_R_20130724220340.jpg警告
DSC08052_R_20130724220348.jpg入りたくても入れない
2DSC_0074_R.jpg
DSC03573_R_20130724221610.jpg
DSC03577_R_20130724221611.jpg
DSC03586_R_20130724221758.jpg
DSC03590_R_20130724221615.jpg
DSC03591_R_20130724221759.jpg
DSC05707_R_20130724221912.jpg左の壁に監視カメラが有るのが判るだろうか、許可無しで立ち入ると捕縛される
P1020103.jpg旧砲台の上空写真
P1020104.jpgH25.11現在第二砲座の掘り返し、復旧作業が始まっている

前記の様に後数年待てば、史跡として開放される可能性がある。

千代ヶ崎砲台 その3

今回は観測所及び掩蔽部の出来るとこまで紹介する
DSC01607_R_20130723204821.jpg今はこの頃張られていたアンテナのワイヤーは無くなった
DSC01608_R_20130723204823.jpg丘の上に何やら建っている
DSC01610_R_20130723204826.jpg細く長い妙な構造物
DSC01612_R_20130723204828.jpgその脇に地下構造物が見える
DSC01621_R_20130723204829.jpg早速進入する
DSC01614_R.jpg煉瓦の色が違う、黒っぽいのは焼き締め煉瓦を使用している部分
DSC01615_R.jpg前室部分
DSC01616_R_20130723205813.jpg入り口を振り返る
DSC01618_R.jpg前室の天井
DSC01620_R_20130723210918.jpg弾薬庫奥から全景
DSC01619_R_20130723205816.jpg奥の壁に有る通気孔、地上の妙な構造物はこれの先っぽが、盛り土が無くなって露出した珍しい状態
DSC01622_R.jpg次は山腹に開口している
DSC01623_R_20130723210922.jpg何とも立派な構えだ
DSC05736_R_20130723212212.jpg入り口から20m程は坂道になっている
DSC05731_R_20130723212207.jpg右側は観測所への階段、下の穴は敵が侵入した時に転ばせる為の罠、実際要塞には外部から侵入しやすい観測所などに仕掛けを施し、落ちて来た敵を撃つ銃眼を備える物がある
DSC05732_R_20130723212209.jpg煉瓦の鴨居
DSC05733_R.jpg司令所か計算室だろう
DSC05734_R.jpg奥から入り口を振り返る
DSC01660_R_20130723214002.jpg右側の穴が気になる、そっちに部屋は無いが真上に砲台長位置と思われる物がある
DSC01658_R_20130723213958.jpg見た所、伝声菅なのだが
DSC01659_R_20130723214000.jpg観測所への伝声菅は天井にある
DSC01661_R.jpg階段に向かう
DSC01655_R.jpg観測所への階段
DSC01662_R_20130723215357.jpg壁には手摺りが憑いていた跡がある
DSC01663_R.jpg道が無いと思ったら左に直角に曲がってる
DSC01664_R_20130723220934.jpg地上に出た
DSC01665_R_20130723220937.jpg測遠機台がある
DSC01666_R_20130723220940.jpg登って来た階段
DSC01667_R_20130723215403.jpg狭い通路がある
DSC01670_R.jpg奥が測遠機台がある観測所、手前が砲台長位置と思われる(確信は無い)
DSC05721_R_20130723222309.jpgおおむね全景
DSC05722_R_20130723222311.jpg観測所の分厚いコンクリート
DSC05723_R_20130723222313.jpg天蓋着きだったのだろう
DSC05724_R_20130723222314.jpgコンクリートと煉瓦の融合
DSC05726_R_20130723222317.jpg砲台長位置、こちらも天蓋着き
DSC01668_R_20130723222721.jpgめくってみると、ヒンジが残っている
DSC01669_R.jpg上にはヒンジは残って無かったが、扉があり天蓋とで部屋になっていたのか?
DSC01624_R_20130723225952.jpg28cm榴弾砲砲台への入り口
DSC01625_R.jpg海自施設となり、センサーや監視カメラで管理されていて近寄れ無い
DSC01627_R_20130723225955.jpg埋もれた入り口の掩蔽壕
DSC01628_R.jpg別の掩蔽壕
DSC05710_R_20130723231256.jpg後に掘られていた
DSC01629_R_20130723231217.jpg上に登ると通気孔が開いていた
DSC01630_R.jpg天蓋の憑いた跡がある

千代ヶ崎砲台 その2

今回は砲塔砲台を中心に始める。
戦艦鹿島からの移植だと前回記したが、ここと「壱岐要塞」的山大島砲台に1基ずつの様だ
この土地は、上の方と下の方で地主さんが違う、海自エリアも一部民有地を借りている複雑さだ。
下の方にはブルーベリーなどの色々な植樹をしているが、盗難が絶えないと嘆いている
近年業を煮やした地主により、鉄条網にて敷地は完全閉鎖されている。
DSC05741_R_20130722200153.jpgでは、砲塔砲台動力部に入ろう
DSC01552_R_20130722200155.jpg左側にも排水施設はある
DSC01554_R_20130722200157.jpg向かって左はへこんでおり、機関冷却用水槽があった様だ、金網の向こうに砲台への道がある
DSC05747_R.jpg施設前にも排水溝がある
DSC01606_R.jpg壁にスリットがある
DSC01556_R.jpg副機関室入り口
DSC01557_R.jpg防湿タールが塗ってある、金網の上がスリット裏側
DSC01558_R.jpg天井にずれた穴が2つ開いている
DSC05745_R.jpg下から通気孔を見上げる
DSC05746_R.jpg副機関室から出る
DSC05740_R_20130722204507.jpg通気孔露出部
DSC05751_R.jpg飛ばして右側を先に見る
DSC01561_R.jpg水圧蓄力機室入り口
DSC01562_R_20130722204925.jpg左側に7トンの水圧蓄力機が設置されていた。
DSC01563_R_20130722204926.jpg 蓄力機井戸
DSC05753_R.jpg最近はゴミ捨て場になっている様だ
DSC05755_R.jpg右側の主機関室、75、50、28馬力の水圧蓄力用エンジンが設置されていた
DSC05756_R.jpg天井の通風坑は破壊されている
DSC05757_R.jpg横の小窓
DSC01565_R.jpg一番左の部屋
DSC05759_R.jpg特に何も無い小部屋
DSC05748_R.jpg中央に戻って砲塔砲座への回廊
DSC05750_R.jpg奥から振り向く
DSC01567_R.jpg砲塔井への通路だった部分、潜り込む
DSC01569_R.jpgこんな所に出た
DSC01570_R_20130722212246.jpg砲塔井の一部が見える
DSC05699_R_20130722212249.jpg出て来ても、上るのが大変だ
DSC01568_R.jpg時期により、全く判らない時もある
DSC01571_R.jpg下を眺める
DSC05697_R_20130722214229.jpg兵舎の構造が良く判る
DSC01572_R_20130722214228.jpg検疫所も見える

次回地下掩蔽部及び右翼観測所

千代ヶ崎砲台 その1

浦賀狙撃用洞窟陣地のすぐ裏手の山にある砲塔砲台である。
大正14年に戦艦鹿島の30.5cm45口径連装砲を設置した、鹿島は香取型戦艦の2番艦であり、1923年 ワシントン海軍軍縮条約により廃艦、 解体後に主砲塔2基は沿岸防備用の陸上砲台へと転用されたと記録にある。

平根山(手前の山)の山頂に構築された保塁砲台もあり、中央部に丘状に保塁が築かれ、28cm榴弾砲を2基2門設置する楕円形の砲座が南北に 3基並びその西側に平行して一直線に空堀状の掩蔽壕があった。
現在上にはテニスコートがある部分。
南側の丘に、右翼観測所があってその地下には、現在もレンガ造りの掩蔽壕が現状を良く留めている。
付近を 海上自衛隊横須賀通信隊千代ケ崎通信所が使用しており立入り禁止だった、近年通信隊自体は撤収しているが警備犬訓練施設として、引き続き使用されている。

24年度の文化財審議会では、26年に猿島と共に国の指定史跡の指定を受ける事になっている。
これは自衛隊施設解体後に史跡のみを残してからの指定となる。
前記のテニスコートの下に埋められた砲座も、施設撤去時に掘り返す予定になっている。
平成24年度第1回会議録(PDF:377KB) - 横須賀市  ←をコピーしてググって下さい
解釈が違うかも知れないので、貼っておく、見れたら見てくれ!5ページ目の下の方から関連
DSC01536_R.jpg燈明堂の駐車場にバイクを止める、バイクは無料
DSC01539_R_20130721215600.jpg海岸にある何かの痕跡、海岸から30cm砲塔をばらして陸揚げしたそうだ
DSC01540_R.jpg谷やにある兵舎跡
DSC01541_R.jpg井戸と洗い場
DSC01542_R.jpg石垣の上の兵舎基礎
DSC01544_R.jpg楊弾井そっくりなのだが、何だろう
DSC01543_R_20130721220348.jpg横に排水パイプが付いている桶
DSC01545_R.jpg規模はあまり大きくない
DSC01546_R_20130721220352.jpg井戸は他にも幾つかある
DSC01547_R.jpg坂を上がる、この坂を砲身を持ち上げる時に、ワイヤーが切れて滑落したそうだ
DSC01548_R_20130721221052.jpg上の方にも基礎はある
DSC01549_R.jpg草陰に何か見える
DSC01550_R_20130721221055.jpg小さな小屋がある、うっすら迷彩が残る
DSC01551_R.jpg油脂庫だろうか
DSC01602_R.jpg当時の軍道
DSC01603_R_20130721222225.jpgコンクリート部分には迷彩が見える
DSC08047_R_20130721222546.jpg坂の上の方
DSC08045_R_20130721222542.jpg
DSC08046_R_20130721222544.jpg
DSC08044_R_20130721222540.jpg上の民家の駐車場に石柱(行幸碑だっけ?)が転がっている
DSC05701_R_20130721223255.jpg下を見下ろす
DSC05702_R_20130721223257.jpg右側の丘に砲塔砲台があった、下は動力部
DSC05737_R_20130721223258.jpg通りすがりの護衛艦
DSC05765_R.jpg発電所跡
DSC05764_R.jpg冷却水用排水溝
DSC05767_R.jpg斜面にある排水施設跡
DSC05763_R.jpg上に登る
DSC05760_R.jpg下から見た排水路の上に天水桶がある
DSC05738_R_20130721225627.jpg上部にある通気孔
DSC05739_R_20130721225629.jpg天蓋が付いていた様だ

次回内部

本日仕事帰りに、ガントリーを見て来た7743さんからコメントを貰い、気になったのだ
P1010781_R.jpgもはやこれだけになってしまった、ガントリー
P1010791_R.jpgすっかり眺めが良くなってしまった
P1010810_R.jpgこんな間じかで見る事になるとは・・・
P1010842_R.jpgガントリーが泣いている様に見えないか?
P1010864_R.jpgたまたま、現地で榴弾砲氏と出合った、近くの公園で要塞地帯標を見つけたそうなので、場所を聞き見に行った。

浦賀狙撃用洞窟陣地

川間ドックから、トンネル手前の信号を左折した所に、景観地「燈明堂」がある。
夏場は海水浴、B,Qなどで賑わい、仮名しまむら会長の別荘でも有名な所だ。
一見のどかな景観地であるが、この崖には3箇所のコンクリート製銃眼を持つ階層式洞窟陣地と、その裏側に隠された100m越えの直線の巨大壕が現存している。(奥には舟艇も格納されている)
このドック関連の地下工場もしくは部品格納壕とも思える壕の主入り口は狭く、壕内径の四分の1程度の物が、海側に2つあった、現在その前に某会長邸が建ち、出入り不能となっている。
なお、巨大壕へは狙撃用洞窟陣地からでも入る事は可能だが、非常に岩質がもろく、入り口付近は特に危険だ
しかも不用意に奥に入ろう物なら、何処までも埋る泥沼と化している壕床にはまるだろう!
狙撃陣地の下層は、場所により8割ほどドロに埋没してしまっている。
手前はほとんど固まっているが、本坑は生だ、実際にハマッてやばかった人も居る。
DSC03582_R_20130720213516.jpg数年前まではお座成りな柵だけだったが
DSC07908_R_20130720213524.jpg現在こんな感じ、塞がれないだけましかな?
DSC03583_R_20130720213518.jpg瓦礫を滑り降りて行く
DSC03584_R_20130720213519.jpg下から見上げる
DSC03594_R_20130720213521.jpg壕床は生産工場系特有の溝きりがされている
DSC03595_R.jpg床面はコンクリートの様だ
DSC03597_R_20130720214239.jpg横坑は崩落しまくっている
DSC03599_R_20130720214241.jpg本坑にも崩落箇所は多い
DSC03600_R_20130720214243.jpgおそらく碍子を付ける為の木材を壁に埋め込んだ跡
DSC03601_R_20130720215630.jpg天井に小森さんがぶら下がっている、ここは小森さんの巣窟で、ものすごい数が生息している
DSC03602_R_20130720215631.jpg湿度が上がりカメラが曇る
DSC03603_R_20130720215633.jpg中央に掘られた四角い穴
DSC03604_R_20130720215635.jpg腐った碍子台
DSC03605_R_20130720215637.jpg壁の窪み、機械を据え付ける為の物に見える
DSC03606_R.jpg他所にもある
DSC03607_R_20130720220341.jpg割とまともな碍子台
DSC03609_R_20130720220344.jpgガレだらけの後半部分
DSC03608_R_20130720220342.jpgやっと最深部に到着、なぜボート?飛び交う小森さん達
DSC03610_R_20130720220346.jpg奥には出入り口があった様だが、塞がっている様だ、これより先は底なしで進めない
DSC03611_R_20130720223956.jpg脇道に入る
DSC03612_R_20130720223957.jpgせま目の坑道を進む
DSC03613_R_20130720223959.jpgこれ以上は行け無そうだ
DSC03614_R_20130720224001.jpg脇に穴がある
DSC03617_R_20130720224003.jpg続いているが、若干狭いので別ルートにする
DSC03552_R_20130720224709.jpg外部から入り直す、見ての様に盛大に崩れている
DSC03550_R_20130720224706.jpg触ると塊でぼろぼろ落ちてくる
DSC03551_R_20130720224707.jpg上だけでなく、下も崩れる
DSC03553_R.jpg小さな部屋がある
DSC03554_R_20130720224712.jpgまたある
DSC03556_R_20130720225240.jpg通路の天井が落ちている
DSC03557_R_20130720225241.jpg上を見ると別の部屋がある、上層階だ
DSC03558_R_20130720225242.jpgカメラを突っ込んで見ると、通路もあるが、まずは下層を回る
DSC03559_R_20130720225244.jpg下層の分岐路、判るだろうか?
DSC03560_R_20130720225245.jpgそう、下層は半分埋没している
DSC03561_R_20130720225832.jpgこの辺は黒ずんだ壁が多い
DSC03562_R_20130720225834.jpg判らないだろうが、1mも高さが無い
DSC03563_R_20130720225836.jpg現在匍匐前進中!
DSC03564_R_20130720225838.jpg上階層に上がる階段
DSC03565_R.jpg狙撃室に出る
DSC03567_R.jpg銃眼は埋っていた
DSC03568_R.jpg先に進む
DSC03569_R.jpg分岐がある、上層は陣地っぽい造りだ
DSC03570_R.jpgうえに登ると
DSC03573_R.jpg妙に四角い部屋に出る
DSC03572_R.jpgさっき下層から覗き込んだ部屋だった(実際はここから懸垂で登ったが、説明上迂回している)
DSC03574_R_201307202312047b4.jpg階段を登ると
DSC03575_R_20130720231206.jpg通路兼狙撃室となる、銃眼がある
DSC03576_R_20130720231207.jpg更に進むと分岐
DSC03577_R.jpg行き止まり
DSC03578_R_20130720232006.jpg一旦戻る、面倒なので狙撃口から外に出て、横移動する
DSC03579_R_20130720232008.jpgさっき上がって来た階段
DSC06662_R_20130720232557.jpgこの穴から入り直す(造りかけの狙撃室の様だ)
DSC06656_R_20130720232552.jpg通路はやや雑
DSC06657_R_20130720232553.jpg風が入るせいか、風化している
DSC06658_R.jpg狙撃室
DSC06663_R_20130720232558.jpg外から見る、中央が開口部
DSC06659_R_20130720233022.jpgこの先は少し行った所で閉塞
DSC06660_R_20130720233025.jpgこちらも崩落

しつこい様だが、大変面白い構造だが、かなりの危険を伴うので、お勧めはしない。

川間ドック~久里浜住吉神社

以前紹介した浦賀ドックで、浦賀船渠の第1号ドック(通称浦賀ドック)は世界に4か所にしか現存していないレンガ積みドライドックのうちのひとつである。国内でも明治期のものは浦賀ドックと川間ドック跡しかなく、両者とも貴重な文化遺産である。と、説明した内のもう一つ川間ドックを紹介する。
(株)東京石川島造船所が、大型船の建造修理のため、当時、取締役会長であった渋沢栄一の提案により、明治二十八年(1895)十月に浦賀分工場として建設に着手し、同三十一年に営業を開始しました。

同三十五年には浦賀船渠(株)が買収し、以後、同社の川間分工場になりました。
とゆう説明板が付いていた、
7281153_R.jpg浦賀行政センター看板
百年の航跡_R住友発行の「百年の航跡」を榴弾砲氏から一部画像を貰う
川間工場(昭和52年撮影)_R川間ドック航空写真
左ページ部分_Rここは燈明堂の入り口辺の臨時駐車場になっている
川間ドック_Rまだ、水が入る前の煉瓦ドック、今は海水で底が見えない
DSC01596_R_20130719195505.jpg当時の工場岸壁
DSC01535_R.jpg工場基礎
DSC01534_R.jpgレール跡がある
143_R.jpg
入り口のオブジェ、以前は黒い錨だった
DSC01699_R_20130719200427.jpg川間マリーナになっている
DSC01689_R_20130719200421.jpgマリーナレストランの駐車場から見学する
DSC01691_R_20130719200423.jpg入り口の扉は撤去され、使用不能となっている
DSC01692_R_20130719200424.jpgこうしてみると、大きく見える
DSC01694_R_20130719200425.jpg柵があり、中には入れない
156_R.jpg
ドックに下りる階段
150_R.jpg
階段の石が割れて仕舞わない様に、鉄枠で保護されている
154_R_20140817085031a33.jpg
夏に撮った写真、ここをスキューバとかに開放したら、売れると思う
DSC01695_R_20130719201234.jpg煉瓦は濡れると黒ずんでしまう
DSC01696_R_20130719201236.jpg最深部に銘版がある
152_R.jpg
株式会社 東京石川島造船所(下段に4文字ほどあるが確実なのは〇賀〇〇、浦賀船渠だろうか)
DSC01697_R_20130719201238.jpgこっちの階段は割りと急に見える
DSC06678_R_20130719201906.jpg20m程度のみ自由に見れるが後はマリーナ敷地だ
DSC06685_R.jpg対岸にボラードや工場基礎が見える

浦賀船渠(株)『浦賀船渠六十年史』(1957.06)を貼って置く、興味があれば年表だけだけど・・・

DSC05792_R_20130719203815.jpgマリーナからトンネルを抜け対潜学校を通り過ぎると長瀬海岸がある
DSC07021_R_20130719203809.jpgここの名物鉄人28号
DSC07029_R.jpgちなみに薬局である
DSC07022_R.jpg砂浜に下りて行くと、煉瓦の塊が大量にある
DSC07023_R.jpgこの海岸に何かがあったという、記録は見つからない、流れ着くには重過ぎる
DSC07026_R_20130719204531.jpg下の方はフランス積みに見えるが、上が違う様だ、判らない
DSC07027_R_20130719204533.jpgOKN氏が何かを丹念に撮影している
DSC07025_R.jpg刻印入りが2つある、丸にTの様だが微妙に違う(かすれてるだけか?)
DSC07028_R_20130719204535.jpg下に=だろうか?煉瓦は奥が深い
DSC06911_R_20130719211020.jpg東京湾フェリー乗り場の先にある、住吉神社に来る電柱のある道路側に
DSC06909_R_20130719210843.jpg換気用鉄パイプを入れて、コンクリートで塞がれた狙撃陣地がある
DSC06906_R_20130719210839.jpg入り口を探し回る
DSC06907_R_20130719210841.jpg裏手に妙なコンクリートが見える
DSC06908_R_20130719210842.jpgこの入り口は塞がれている様だが、他にも有るかも知れない

海軍対潜学校、海軍工作学校

1940年(昭和15年)に海軍次官を委員長とする「防備委員会」を立ち上げ、機雷戦専門の学校として術科学校の設立が答申された、海軍機雷学校が設立されたのは1941年で、海軍対潜学校に名称が変るのは1944年になってからだ。
この学校では、機雷術(機雷・掃海・防潜網・爆雷など)、水中測的術(探信儀・聴音機・磁気探知機など)の教育が行われた。
他の術科学校と同じく、対潜艦艇長・機雷長を養成する高等科、初級将校を養成する普通科、特務士官・准士官を養成する特修科、高等科修了者を対象とした専攻科の4科を設置した。また兵・下士官を練習生として受け入れた。

1945年に本土決戦要員を捻出するために、増設された術科学校生徒は7月15日付で繰り上げ卒業、任地派遣(主に特攻隊員)が決定した。このため対潜学校も同日に閉校し、高等科教育を海軍水雷学校に編入した。
現在、同地には横浜刑務所 横須賀刑務支所が所在している。
DSC05792_R_20130718211742.jpg学校碑、改名前、改名後で、同じ学校の事
DSC05793_R_20130718211744d60.jpg副碑に由来が彫ってある
20100409205845942[1]_Rほんの数年前まで現存していた
DSC05791_R_20130718211740.jpgほぼ同じ所の現在の写真
20100409205925049[1]_R手前の部分は後に継ぎ足された部分
DSC00417_R.jpgお気付きだろうか
DSC00418_R_20130718212400.jpg上の天窓辺りを良く見ると
DSC03549_R_20130718212929.jpg陸軍桟橋で紹介した復員所はここなのだ、しかし、構造は似ているが別の棟の様だ
DSC03563_R_20130718212930.jpg恐らく横浜刑務所 横須賀刑務支所の方だろう
DSC03540_R_20130718225104.jpg対潜学校の引渡し、階級は少佐の様だ、米軍は大尉
DSC03541_R.jpg少佐の意地か反抗している学生の様だ
DSC03542_R.jpg引渡し交渉、後に摂取は解除され、復員者の受け入れ所となる
DSC05787_R_20130718213918.jpg学校碑の近くには面白い壕がある
DSC05788_R_20130718213920.jpgかなり質の良い壕である
DSC05789_R.jpg謎の文字「1つ ひよこの?」
DSC05790_R.jpg誰か謎を解いてくれ
DSC01576_R_20130718214634.jpg海岸に行く(ここに行くには横須賀刑務所、久里浜少年院、防衛省施設、法務省施設のいずれかを通過しなければならない)
DSC01579_R.jpg海軍対潜学校の岸壁
DSC01580_R_20130718214637.jpg当時のコンクリートは波に侵食されている
DSC01585_R.jpg当時のすべり
DSC01581_R.jpg少し沖にある遺構、人の話では入国者の免疫所だったという
DSC01583_R_20130718215405.jpg大部分は崩れ、海鳥のうんこ場になっている
DSC01587_R.jpg立ち入り禁止と書かれても、流石に登れない
DSC01586_R_20130718215407.jpg屋根は無いが、ほぼ唯一の原型、入り口に縄梯子が掛かっている、釣り人も根性だ(刑務所の前なのに)
DSC01588_R_20130718215413.jpgクレーンは流石に違うが周りのコンクリートはそうだろう
KIF_1655_R.jpg引き潮になると海上の遺構に延びるコンクリートが見えるが橋には遠すぎる(写真提供榴弾砲氏)
DSC01686_R_20130718220209.jpg更に海岸を行くと
DSC01687_R.jpg鉄柱の跡がある、桟橋だろうか
DSC07018_R.jpg久里浜公園に向かう
DSC07019_R_20130718220911.jpg海軍工作学校跡
DSC07020_R.jpg海軍工作学校は、大日本帝国海軍の工作術(船匠・鍛冶・溶接・潜水作業)、ダメージコントロール、築城術・設営術、航空機整備術の技官や職工を養成する教育機関(軍学校)である。海軍機関学校を卒業した機関科将校の高等教育・研究・実験を推進する普通科・高等科、さらなる研究を推進する特修科、准士官・下士官・兵を教育する専攻科を設置し、技術者として必要な機械工学や修造技術の教育、技能者として必要な技量と経験の習得を図った。

ちなみに海軍術科学校はざっとこのぐらいあった
海軍衛生学校
海軍気象学校
海軍軍医学校
海軍航海学校
海軍工機学校
海軍工作学校
海軍水雷学校
海軍通信学校
海軍潜水学校
海軍機雷学校 → 海軍対潜学校
海軍電測学校
海軍砲術学校

上位として
海軍兵学校
海軍機関学校
海軍経理学校

最上位が言わずと知れた海軍大学校となる

浦賀ドック(船渠)

浦賀船渠は横須賀市浦賀駅前にあった住友重機械工業 横須賀造船所、通称浦賀ドック。
駆逐艦建造で有名であるが、軽巡洋艦阿武隈なども作っている。
戦後も艦艇建造を続けたが、2003年に護衛艦「たかなみ」を最後に閉鎖された。

1853年(嘉永6年) 幕府が浦賀造船所を設置したのが始まりで、明治期に浦賀造船所廃止し、浦賀屯営、陸軍要塞砲兵幹部練習所などに敷地は使用されるが、明治31年に東京石川島造船所浦賀分工場が操業開始となり
32年1号ドック完成、33年浦賀船渠としての営業開始となる。
最終的な旧軍戦闘艦艇としては、45年に建造された駆逐艦 宵月(よひづき)が最後の様だ。
秋月型駆逐艦の10番艦である、終戦まで生き残るが賠償艦として中華民国に引き渡されしまう。
戦後は海自の護衛艦製造、記念艦三笠修復、空母ミッドウェーの修復、帆船日本丸、なども手掛けたが
前記の様に2003年操業終了となっている。
跡地はドックは現存、工場は民間使用及び、スーパーの駐車場などに使用されている。
年に1回咸臨丸フェスティバルが行われ、イベントの一部としてドックを見る事が出来る。
1237344575_photo_R.jpg当時は堂々たるクレーンだったが
DSC00365_R_20130717214147.jpg今は首無し状態になってしまった
DSC00366_R_20130717214148.jpgこれは敷地整備中でイベント広場風に改装工事をしている
DSC00367_R_20130717214150.jpgHDからデータが消失してろくな写真が残っていないが、軽く紹介する
DSC00368_R_20130717214151.jpg右下の三角いのが切り取られたクレーンヘッドだ
DSC00370_R_20130717215343.jpg破壊された煉瓦塀
DSC00371_R_20130717215346.jpg残存部分、バイクと比較すると高さが判る
DSC00373_R.jpg第1ドック左側
DSC00374_R.jpg中央の並んだ船台は最後に造った船のままだそうだ
DSC00375_R.jpg浦賀船渠の第1号ドック(通称浦賀ドック)は世界に4か所にしか現存していないレンガ積みドライドックのうちのひとつである。国内でも明治期のものは浦賀ドックと川間ドック跡しかなく、両者とも貴重な文化遺産である。
P1230263_R.jpg浦賀屯営跡碑、説明板があったが、腐っていた
yokosuka_uragazousen_5_R.jpg榴弾砲氏から頂いた、当時の木造事務所、今は無い
DSC00379_R_20130717220359.jpg少し進むと、浦賀の渡しがある
DSC00378_R.jpg安価なのでついでに乗ってみるのも良い
DSC06687_R_20130717223151.jpg京急浦賀駅の周りを歩いてみると、巨大な穴がある
DSC06688_R.jpg横にも少し小さい穴がある
DSC06689_R.jpg頑張って入ってみたがガレだらけで何も無い
DSC06690_R_20130717223156.jpg建物の裏側にも何かあるが、確認不能
DSC06691_R_20130717223633.jpg住宅地側に行くと防空壕が幾つかある
DSC06692_R.jpgいずれも規模は小さい
DSC06693_R_20130717223638.jpg工員用の退避壕だろうか
DSC06697_R_20130717223639.jpg駐車場の奥に煉瓦構造物がある
20100211_1296144[1]_R水のトンネル
DSC06699_R_20130717224106.jpg現在使用されていないが
DSC06700_R_20130717224107.jpg水はまだ滴っていた
DSC03543_R.jpg浦賀で行われた武装解除の様子
DSC03544_R.jpg積み上げられた小銃
DSC03545_R.jpgずらりと並んだ機銃
DSC03546_R.jpgごろっと転がる砲弾
DSC03547_R.jpg背後は浦賀船渠の建物
DSC03548_R.jpg連合軍の視察を受ける

たたら浜トーチカ、浦賀陸軍桟橋

観音崎公園ビジターセンターの前にある海岸がたたら浜だ。
以前紹介した記事でも触れたが、ゴジラの初上陸地点として一部に有名だ。
ここにはトーチカ状の遺構がある、明治砲台として有名な観音崎だが、これは煉瓦では無く鉄筋コンクリート製であるので、昭和期の遺構であると判断するが、資料は無い
DSC01512_R_20130716212810.jpg海岸には太さの違うコンクリート柱が立っている
DSC01513_R.jpg1本は係留用だろう
DSC01514_R.jpg地元の人に聞くと、以前は目盛りがあったとの事、潮位計測用と思われる
DSC01515_R_20130716212815.jpgこれがトーチカ、銃眼部は海を睨んでいる
DSC01516_R_20130716212816.jpg地元の人曰く「最初は格子は無かったが動物が入り込むので取り付けた」そうだ
DSC01517_R.jpgちょっと季節が悪かった様だ
DSC01518_R.jpg気にせず草を掻き分け裏手に回る
DSC01519_R_20130716213743.jpg裏手も鉄格子で入れない
DSC01520_R_20130716213745.jpg戦後は物置として利用されていたそうだ
DSC01521_R_20130716213746.jpgおそらくは土に埋っていたか、埋めるつもりでいたのだろう
o0448033610405292047_R.jpg天井には飛び出した換気口がある
IMG_5527_R.jpgたたら浜、ゴジラの養殖も行っていた?
CIMG1339_R.jpgたたら浜を鴨居方面に行くと村雨碑がある
CIMG1340_R.jpg道路脇にある案内板を海側に入る
CIMG1341_R.jpg住宅に隠れる様にひっそりと立っている
CIMG1342_R.jpg昭和53年3月5日建立(沈没した日付け)
CIMG1343_R.jpg駆逐艦村雨戦歴
DSC01531_R.jpg浦賀港の陸軍桟橋に向かう
DSC01702_R.jpg案内図
DSC01532_R_20130716220127.jpg手前は公園化している
DSC01533_R_20130716220128.jpg静かな内海になっている
DSC01700_R_20130716220130.jpg桟橋に向かう
DSC01704_R.jpg桟橋はほぼオリジナル
DSC01703_R.jpg転落防止策は後付け
DSC01705_R_20130716220714.jpg階段は波に洗われている
DSC01706_R.jpg対岸に東叶神社が見える、こちら岸にも叶神社はある
DSC03549_R.jpgここから多くの復員者達が日本に戻ったが、すぐには戻れない
DSC03550_R.jpg復員船の様子
DSC03551_R.jpg消毒剤の散布
DSC03552_R.jpg人間も注射(中身不明)で消毒?
DSC03563_R_20130716224809.jpg浦賀上陸地連絡所、久里浜援護所
DSC03555_R.jpg手荷物検査
DSC03556_R.jpg衣類の消毒
DSC03557_R.jpg戦傷や栄養失調で歩けない人もいる
DSC03558_R_20130716222609.jpg久しぶりの日本の風呂
DSC03559_R_20130716222610.jpg復員者の衣類が支給される
DSC03560_R_20130716223029.jpg3日後手続きのすんだ人は一時金、汽車賃、弁当を支給され開放される、植え込みに浦賀引き上げセンター司令部とある
DSC03561_R_20130716223031.jpg横須賀駅の乗車風景、ブーツ、脚絆、すね毛と色々だ

鳥ヶ崎大砲試射場

横須賀市鴨居2丁目のかもめ団地の手前にある、海上自衛隊鳥ヶ崎官舎及び東京湾海上交通センター鴨居宿舎に道を挟んで遺構がある。
ここは横須賀海軍工廠造兵部 の砲熕工場で造った砲の試射を行う目的で造られた。
大砲試射場としては呉海軍工廠の亀ケ首試射場が有名であり、こちらはかなりマイナーで知名度は無い。
陸軍試射場としては富津射撃場が有名である。
ここに関しては、海上から試射するだの間違った情報が良く見られるが、横須賀海軍工廠造兵部の砲熕工場で造った砲を船に乗せ、鳥ヶ崎に移動しガントリークレーンで吊り上げ仮砲架に据えて射朶に打ち込む。
グーグルで上空から見てみると判るが、海自官舎の奥が射朶(的)でクレーンのコンクリート跡が数10m見て取れる、良く見れば的に直角ではなく、斜めになっているのが判る。
また、横須賀防備隊の鳥ケ崎防備衛所が丘を挟んで隣にあった様だ
DSC07086_R.jpg陸軍富津射撃場射朶
CIMG1672_R.jpg海軍洲崎航空隊航空機銃試射場X5
DSC05665_R_20130715211015.jpg奥の官舎の4階付近に射朶が口を開いている
DSC05668_R_20130715211018.jpg東京湾海上交通センター鴨居宿舎前のガントリーのコンクリート基礎
DSC05670_R_20130715211021.jpgガントリーのレールの形に草が2列生えている
DSC05667_R_20130715211017.jpg斜面を覗くと別の基礎がある
DSC05669_R_20130715211020.jpg砲架を組み立てる為の小型クレーンだろうか、砲架がここだと砲手が後に回れないし
DSC05671_R_20130715212342.jpg振り向くと射朶が見える、位置は間違いない様だ
DSC05672_R_20130715212343.jpg右側のガントリーレール基礎
DSC05673_R_20130715212344.jpg左側のガントリーレール基礎
DSC05675_R_20130715212346.jpg下から見ると桜が咲いている
DSC05676_R_20130715212957.jpg岩壁にあるコンクリートパネルの遺構
CIMG1344_R.jpgこの先に門柱があるが
CIMG1345_R.jpg横須賀防備隊の鳥ケ崎防備衛所の物か試射場の物か不明、奥の斜面に壕口がある
DSC03531_R.jpg鳥ケ崎防備衛所関連遺構と思われる
DSC03534_R.jpg壕内図
DSC03535_R_20130715213814.jpgK1出口
DSC03537_R_20130715213816.jpgコンクリートで閉鎖される直前の調査
DSC03538_R_20130715214233.jpgなぜこんな所に掘った?
DSC03539_R_20130715214235.jpg裏側から掘って貫通してしまったのだろうか?
DSC05678_R_20130715214528.jpgガントリーに戻り反対側に行く
DSC05677_R_20130715214526.jpg当時の壁が申し訳程度に残存
DSC05679_R_20130715214530.jpg先ほどの基礎、以外に大きくしっかりしている
DSC05680_R_20130715214531.jpg登ってみたくなった
DSC05681_R_20130715214533.jpgカメラ片手に以外ときつかった、結構滑って登り難いので注意!
DSC01522_R.jpg射朶に来た、比較にバイクを置いて見る
DSC01523_R.jpg射朶全景
DSC01524_R.jpg天井には鉄筋がむき出しになっている所もある
DSC01525_R_20130715215540.jpg射朶外縁部には機銃痕の様な物もある
DSC01526_R.jpg内部全景
DSC05685_R_20130715220603.jpg何かある
DSC05686_R_20130715220605.jpg回る込む、斜面は崩れて危険だ
DSC01528_R_20130715220803.jpg横から見るとかなり分厚い
DSC01529_R_20130715220806.jpg中々綺麗に作ってある、陸軍とは作りが違う(口径が違うから当たり前だが)
DSC01530_R_20130715220808.jpg天井めっちゃ滑る

横須賀海軍工廠(横須賀米海軍基地)その3

今回は最後として、基地内部遺構を榴弾砲氏より頂いた写真を中心に紹介して行く
ふぉーとれすで、紹介している内容と同じ物になる部分が多いだろう
DSC03500_R_20130714184851.jpg波島砲台の少し手前の斜面上部にある遺構
DSC03514_R_20130714191912.jpg構造物03は降りれない
DSC03502_R_20130714184854.jpg構造物01
DSC03503_R_20130714184856.jpg構造物02
DSC03504_R_20130714184857.jpgの上蓋
DSC03505_R_20130714192956.jpg斜面下
DSC03506_R_20130714192958.jpg真ん中の壕だけ開いている
DSC03508_R_20130714193220.jpg階層構造
DSC03509_R_20130714193000.jpg下入り口
DSC03510_R_20130714193002.jpg上出口、恐らく繋がっているが、入れない
DSC03511_R_20130714193555.jpgこの手の壕口はいっぱいある
DSC03497_R_20130714193830.jpg湿ヶ谷貯水池
DSC03498_R_20130714193832.jpg波島砲台掩蔽部
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 001_R
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 003_R関東大震災記念
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 006_Rその時を刻んでいる
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 007_R灯篭
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 009_R丘に上る
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 015_R丘の上の広場
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 021_R奉安殿は海を向いている
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 019_R恐らく砲弾を奉納した台座の一つ
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 027_R奉安殿(通常開放されっぱなしな事は無い神聖な物)
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 032_R手洗い鉢だろうか、倒されたままだ
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 034_R下のスリットが気になる
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 035_R菊の御紋章
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 041_Rショッパーズが見える
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 060_R当時のコンクリート製の建物は多く利用されている
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 066_R大正建築は装飾も凝っている
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 069_R
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 076_R関東大震災で立て替えた物が多い様だ、鎮守府本館も立替た
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 077_R明治碑はぼろぼろだ
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 078_R
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 079_R
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 087_R第1ドライドック、通常開放日でも見れる事が多い
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 088_R
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 093_R
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 098_R
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 103_R
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 112_R
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 125_R巻き上げ機
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 114_R1906年製
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 122_R
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 124_R給水栓
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 118_R
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 120_R
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 129_R第2ドライドック
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 132_R
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 130_R
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 131_R
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 143_R第3ドライドック
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 142_R
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 135_R
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 136_R
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 134_Rこれはドックの蓋となる扉船(とせん)でドック内の水を抜くと、水圧で壁に押し付けられて自動的に蓋になる。
信濃の進水時には、この船の注水便を開け忘れる初歩的ミスから水位差1mの時点で扉船が浮き上がり、ドック内に1mの落差分の海水がなだれ込み、ドック奥に船体が衝突、引き波で扉船を押し出す形で艦が外海に約30m出てしまい、艦首、艦底、舷側など小破してしまった事故を、第6ドックにて起こしている。
風呂に手桶を逆さまにして、空気を入れたまま湯船に沈めた状態が起こったのだ。
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 156_R
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 152_R泊船庵史跡
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 148_R上に煉瓦の壕口が開いている、2階層の窓だろう
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 157_R
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 158_R塞がれた壕口は無尽蔵にある
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 167_R
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 176_Rこのトンネルを抜けると
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 187_R第6ドライドック
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 190_R
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 194_Rハンパなく広く長い、だが現在の原子力空母では入りきれ無そうだ
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 192_Rこの辺が拡張工事の辺りだろうか
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 195_Rクレーンも長い
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 196_Rゴジラ?
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 199_R地下壕だらけ
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 203_R黄色いのは換気口、地下施設がある証拠
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 205_R米軍兵舎っぽい
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 207_R珍しくこじんまりとした壕口
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 208_R中は素掘りでいい感じ
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 214_R
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 215_R
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 217_R
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 223_R
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 224_R
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 222_R海軍砲術学校
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 228_R現在使用中
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 230_R横チン時代の壁
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 235_R海軍止水栓
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 234_R矢印のない古いタイプ
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 248_R奉安殿がもう一つある
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 253_R米海軍病院
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 256_R横須賀海軍病院を使っている
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 266_R
DSC03489_R_20130714222141.jpg旧横須賀海軍鎮守府
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 281_R現在、外観は綺麗になったが、構造はほぼ変らず
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 280_R横にある入り口
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 273_R横須賀鎮守府会議所
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 274_R横須賀海軍艦船部
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 275_R表札の上の電燈
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 286_R扉以外は改装済みの様だ
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 287_R
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 288_R階段を登る
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 289_Rシャンデリア
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 294_Rなぜいちろう
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 297_R階段に星条旗
DSC03515_R.jpgこの中も大分改装されている、これは金庫室
DSC03516_R_20130714223602.jpg柱の中の鉄骨
DSC03518_R.jpg壁一面張替え
DSC03519_R.jpg天井の梁
DSC03520_R_20130714223607.jpgシャンデリア

他にも地下施設発掘資料なども有るがそろそろ辞めておく
最後に写真を提供してくれた、榴弾砲氏に敬意を表する。またよろしく!

横須賀海軍工廠(横須賀米海軍基地)その2

img_188346_1970339_1_R.jpg初期の上空写真、ガントリークレーンから第1~第3ドライドックまで写っている
DSC00107_R_20130713211114.jpgヴェルニー公園からベースを眺める
DSC00110_R_20130713211116.jpg海上自衛隊の潜水艦
DSC00117_R.jpg第2、第3ドライドック
DSC00125_R.jpgかつての軍港、今は間借り状態
DSC00393_R.jpgちょっと海から見てみよう
DSC00395_R_20130713211844.jpgガントリークレーンの台座
ガントリークレーン_R当時写真
DSC00397_R_20130713211845.jpg第1ドライドック
DSC00398_R_20130713211847.jpg第2ドライドック
DSC00400_R_20130713211849.jpg第3ドライドック
DSC03459_R.jpg全体図
DSC03460_R.jpg第1~第5ドック(DD#で整理されている)
DSC00401_R_20130713213049.jpg
DSC00407_R_20130713213051.jpg
DSC00408_R_20130713213053.jpg当時のままの護岸は少ない
DSC03499_R_20130713235240.jpg明治10年7月と書いてある
DSC00421_R.jpgこれが入渠する時は、信濃を造った第6ドライドック
img_973249_26170113_0_R.jpg短命だった信濃
DSC03456_R_20130713213558.jpg
DSC03457_R_20130713213600.jpg
DSC03461_R.jpg左の4,5号との大きさの違い、これは延長工事後
DSC03464_R.jpg今は亡き、200トンクレーン
DSC03465_R.jpg図面
DSC03466_R_20130713213943.jpg漢字銘板
DSC03468_R.jpg英語銘板
DSC03470_R_20130713214522.jpg吊り金具
DSC03471_R.jpg旋回機械室
DSC03472_R.jpg旋回ローラー
DSC03491_R_20130713220643.jpgクレーントロリ
DSC03493_R_20130713220645.jpg運転室内
DSC03494_R.jpg機械室巻上げ装置
DSC03495_R_20130713220649.jpg上図BERTH12(12バース)にあった
DSC03496_R.jpg解体されてしまった2004没、横須賀市自然人文博物館に一部の部品が寄贈されている
DSC03458_R.jpg4号ドック調査
DSC03449_R_20130713225157.jpg付近で発見された地下施設
DSC03450_R_20130713225159.jpg発掘された防毒面等
DSC03451_R_20130713225202.jpg大量の木槌
DSC03452_R_20130713225204.jpgアセチレンバーナー
DSC03453_R_20130713225548.jpgタンク
DSC03454_R_20130713225550.jpg治具
DSC03455_R_20130713225554.jpg下駄、木工具
DSC03478_R_20130713225847.jpg終戦直後の横須賀海軍工廠、200トンクレーンも見える
DSC03479_R_20130713225848.jpg米軍に引込線まで調べ上げられている
DSC03482_R.jpg後日の横須賀海軍工廠への爆撃
DSC03480_R_20130713225850.jpg上二枚矢印は連合艦隊旗艦長門
DSC03481_R_20130713225851.jpg一斉に湾外に退避を始める小艦艇(大型艦は燃料が無く不動目標となる)
DSC03485_R_20130713230702.jpg萌える横須賀海軍工廠
DSC03486_R_20130713230703.jpg戦後の長門
DSC03484_R_20130713230700.jpg無残な羅針艦橋の下部
DSC03487_R_20130713230704.jpg第3砲塔
DSC03488_R_20130713230706.jpg既にマストも切られている
DSC03483_R_20130713231828.jpg長門は引き出され、ビキニ環礁に向かう、そして・・・
DSC03489_R.jpg敗戦後の鎮守府
DSC03490_R_20130713232451.jpg横須賀鎮守府司令部
img_138315_5995093_9_R.jpg海龍
甲標的丁型「蛟龍」「海龍」特殊攻撃機キ115「_R海龍反対側
Akagi_and_Nagato_R_20130713232925.jpg在りし日の赤城と長門

写真については、自分撮り他横須賀市の公開資料(市役所を死ぬほど丹念に探せば見つかる、コピー等自由)、友人からの頂き物、絵葉書等を掲載しているが、集めた資料の中に個人所有の画像が混じっている可能性もある。
当ブログは営利目的ではないが、支障がある場合は削除対応しますので、ご一報を

横須賀海軍工廠(横須賀米海軍基地)その1

横須賀海軍工廠とは、神奈川県横須賀市にあった海軍工廠の内の一つ。
幕末に建設された横須賀製鉄所を源流とする、唯一の官営造船所として完成し、1871年(明治4年)に帝国海軍所管「横須賀造船所」となる。1884年(明治17年)に横須賀鎮守府が設置されるとその直轄造船所となり、1903年(明治36年)の組織改編で横須賀海軍工廠が誕生、呉海軍工廠と共に多くの艦艇を建造した。
1876年(明治9年) 初の国産軍艦「清輝」が竣工して以来、航空母艦:鳳翔(艤装)、天城(未成)、龍驤(艤装)、飛龍、翔鶴、祥鳳(改装)、瑞鳳、龍鳳(改装)、千代田(改装)、雲龍、信濃などを中心に艤装、造船をしている。
もちろん戦艦陸奥、山城、比叡などもここで作っている、ヴェルニー公園に碑が建てられている。
ここには6基のドライドックがある。最古の1号ドックは横須賀造船所時代の明治4年(1871年)に完成しているが、現在もなお使用されている。最大の6号ドックは大和型戦艦の建造ならびに修理・改造を行うことを目的とし、昭和15年(1940年)に完成したドックであり、大和型3番艦「信濃」建造で有名である。
現在は米海軍空母の修理などに使用されている。
なお、海上自衛隊艦艇の修理もここの1~5のドライドックを米海軍に借りている。
通称ベース言われ、ネービーフレンドシップデーや花火、神輿、年4回歴史ツアーなど以外と開放日は多い
今回は現在の米軍基地の様子をスプリングの画像で紹介する
DSC01146_R.jpg最近は三笠公園側のゲートから入場する事が多い
DSC01147_R.jpg米軍のボートヤード
DSC01148_R.jpg露天では、肉が大量に焼いていて、いい匂いだ
DSC01149_R.jpgミニライブもやっている
DSC01150_R.jpg売り子のほとんどが基地在住の軍人家族
DSC01151_R_20130712222322.jpgマクドナルド
DSC01153_R.jpg桜並木
DSC01159_R_20130712222325.jpg空いてるうちに飯を食う
DSC01160_R_20130712222326.jpgこれで1コイン500円
DSC01161_R.jpgトイレはゲロ混み
DSC01173_R.jpgお馴染みピザのお土産
DSC01174_R_20130712223914.jpgガチャ
DSC01176_R_20130712223916.jpg左有料、右無料新聞
DSC01185_R_20130712223918.jpgグッズ屋さん
DSC01190_R.jpg
DSC01191_R.jpg
DSC01192_R.jpg怪しいドリンク
DSC01193_R_20130712224336.jpgドンタコスチーズ盛り
DSC01194_R_20130712224338.jpgハンパ無い掛け方
DSC01196_R.jpg外人さん
DSC01200_R.jpg女子高生
DSC01201_R_20130712224748.jpg陸自
DSC01205_R_20130712225017.jpgそろそろ本題に入る
DSC01206_R.jpg旧海軍時代の穴は、そこら中に開いている
DSC01211_R_20130712225020.jpgこれは第6ドック方面砲術学校のあった地区に向かうトンネル、
DSC01212_R_20130712225021.jpgその隣の巨大な壕口、高さ10m有りそう
DSC01216_R_20130712225023.jpg見える壕口は封鎖されるか、改造利用されている
DSC01250_R_20130712225831.jpg
DSC01251_R_20130712225833.jpgUSSオレゴンの錨
DSC01254_R_20130712225835.jpgこの辺の護岸は当時物
DSC07773_R_20130712230058.jpg兎に角いっぱいあるので、写真だけ
DSC07774_R_20130712230100.jpg
DSC07775_R.jpg
DSC07776_R_20130712230103.jpg
DSC07777_R_20130712230105.jpg
DSC07778_R_20130712230312.jpg
DSC07779_R_20130712230314.jpg
DSC07780_R.jpg
DSC07781_R_20130712230319.jpg
DSC07874_R_20130712230554.jpg通常コースで見れる唯一のらしい遺構
DSC07873_R_20130712230552.jpg横須賀海軍病院、この中には入れない

こまかくは次回

米ヶ浜砲台(演習砲台)裏

前回は誰でも見る事が出来る、一般史跡を紹介したが、今回は地下に潜る。
中央公園の斜面をくまなく探すと、見つける事も出来るだろうが、今は入り口が封鎖されている。
CIMG1384_R.jpg
CIMG1385_R.jpg
CIMG1386_R.jpgこの様に壕口は多いのだが、公共敷地とゆうこともあり、柵が付いている
DSC00704_R_20130711214032.jpgとのさんが完全装備で突入を開始する
DSC00705_R_20130711214033.jpg30cmほどの穴
DSC00706_R_20130711214035.jpg内部は広がっている
DSC00703_R_20130711214030.jpg業とらしく隠してあるが
DSC00707_R_20130711214037.jpgここにもある
DSC09145_R_20130711214614.jpg探索開始早々、壕の異様さに驚く
DSC09146_R_20130711214616.jpg何だこの天井部の形は!
DSC09147_R_20130711214617.jpg木材を打ち込んで、碍子を付けた跡
DSC09148_R_20130711214619.jpgきのこが生えてる
DSC09149_R_20130711214620.jpgメイン坑道に出る
DSC09150_R_20130711215251.jpg右側に扉があった様な部屋がある
DSC09151_R_20130711215253.jpg正面は1mほどくぼんでいる
DSC09152_R_20130711215255.jpg面を取ったトタン板
DSC09153_R_20130711215257.jpgホウロウの洗面器、青いビン、缶類が散らばる
DSC09154_R_20130711215259.jpg金属のアングルが打ち込まれている
DSC09155_R_20130711220003.jpgここに扉を付けて、個室になっていた様に思える
DSC09156_R_20130711220004.jpg床幅は1mはあるが、天井のせいで狭く感じる
DSC09157_R_20130711220009.jpgこの地下壕の下にある富士壕、桜壕の碍子と同型だ
DSC09158_R_20130711220010.jpg角の部分に土管が露出しているのが判るだろうか?
DSC09159_R_20130711220012.jpg所々通路を四角く整形している所がある
DSC09160_R_20130711220948.jpg壁が剥がれて落ちている
DSC09161_R_20130711220949.jpg見難いが、右の分岐に側溝の蓋が付いているのが判るだろうか、珍しい物だこの規模では
DSC09162_R_20130711220950.jpg床に水が溜まり出す
DSC09163_R_20130711220952.jpg天井から電気ソケットがぶら下がっている
DSC09164_R_20130711220953.jpg壕内に石柱?墓石でない事を切に願う
DSC09165_R_20130711221737.jpg壁に水位船が残っている、雨季にはそこまで溜まるのだろう
DSC09166_R_20130711221739.jpgしかしすごう湿気だ、レンズが曇る
DSC09167_R_20130711221741.jpg少し水が引いたが、真っ赤に錆びたトタンが広がる
DSC09168_R_20130711221743.jpg天井はともかく、やっと普通に歩ける
DSC09169_R_20130711221744.jpg奥に行くと天井の形もいい加減になって来る
DSC09170_R_20130711222425.jpg奇妙な部屋がある
DSC09171_R_20130711222427.jpg部屋の隅に水が溜めてあるこれは幾つかの地下壕で見かける(非常用トイレとゆう説も)
DSC09173_R_20130711222428.jpg天井が丸くなる
DSC09174_R_20130711222431.jpg巻いてあったトタンが落ちてしまったトタン街道、五月蝿い
DSC09175_R_20130711222432.jpg部屋の中心に鎮座する物、それはお、ま、る
DSC09176_R_20130711223520.jpgさらにトタン街道を進む
DSC09177_R_20130711223522.jpg50mも進んだだろうか
DSC09178_R_20130711223524.jpg20年ほど前の落書き
DSC09179_R.jpgわざわざスプレー持参で誰も見ない壕内で何やってんだろう?
DSC09180_R_20130711223527.jpgまた出てきた例の部屋
DSC09181_R_20130711224050.jpg誰か尿酸値を計って見てくれ
DSC09182_R_20130711224051.jpgそしてその際には水差しが置いてある
DSC09183_R_20130711224053.jpg排水溝が斜め横断する変則十字路
DSC09184_R_20130711224055.jpgこの辺は掘削も良く、碍子も残っている
DSC09185_R_20130711224056.jpg最早通路は三角形
DSC09186_R_20130711224652.jpg天井から電線がさがっている
DSC09187_R_20130711224653.jpg扉を付けていたのだろう、四角い空間
DSC09188_R_20130711224655.jpg狭いがきちっと造ってある空間
DSC09189_R_20130711224657.jpg扉の前なので、受付的な物か?
DSC09190_R_20130711224658.jpg藤間さん嫌われてますよ
DSC09191_R_20130711225346.jpg雑木を投げ込まれた壕口
DSC09192_R_20130711225348.jpg埋め戻された壕口、恐らく最初の塞がれた壕口辺りだろう
DSC09193_R_20130711225351.jpg蒼い薬ビン
DSC09194_R_20130711225352.jpgぶら下がった電線
DSC09195_R_20130711225354.jpg側溝に落ちているパイプ配管用か?
DSC09196_R_20130711225910.jpg中身の残るアンプル
DSC09197_R_20130711225912.jpg試験菅、注射器もあったと思う
DSC09198_R_20130711225914.jpg一部か全部かは判らないが、病院壕だと思われる
DSC09199_R_20130711225915.jpgでは、這い出すとしよう
P1320242_R_20130711230501.jpg前回紹介したこれ
CIMG1392_R.jpgこの付近には探さなければ見つからない標石がまだある
CIMG1391_R.jpg砲台時代の土管もある
DSC06894_R_20130711231020.jpg崖の下にある標石群
DSC06895_R_20130711231022.jpg表には陸
DSC06896_R_20130711231024.jpg裏は防一三
DSC06897_R_20130711231026.jpg
DSC06898_R_20130711231027.jpg防一四
DSC06900_R_20130711231421.jpgまさに民有地との境界ギリギリである
DSC06902_R_20130711231424.jpg階段の際
DSC06901_R_20130711231423.jpg時期が悪いと見えないだろう

田戸演習砲台といい、藪より住宅地の方がよっぽど困り物だと思うのは自分だけだろうか?

米ヶ浜砲台(演習砲台)表

横須賀市米ヶ浜の陸の上にある、中央公園及び横須賀文化会館周辺が米ヶ浜砲台であった。
日露戦争で旅順攻略に手を焼いた日本軍は1904(明治37)年砲台山にあった28cm榴弾砲6門を取り外して203高地に送り、旅順港内のロシア艦隊を壊滅させ、勝利の要因の一つとなった。
1923(大正12)年以降は除籍となったが、田戸演習砲台、深田演習砲台の代わりに28cm榴弾砲4門の演習砲台となった。
DSC00848_R_20130710215804.jpg第一砲台の現在
第一砲台_R当時の第一砲台、恐らく最左翼
第一砲台撤去跡_R第一砲台撤去後、下の写真は左側の掩蔽部になる
DSC00850_R_20130710215807.jpg現在
DSC00859_R_20130710215810.jpg百選
DSC00849_R_20130710215806.jpg下の町からも見えるモニュメント
DSC00854_R_20130710215808.jpg内側には非核を中心に、平和の願いが綴ってある
第二砲台_Rこれは第二砲台と言われる
DSC00852_R_20130710221107.jpg猿島が良く見える
DSC00855_R_20130710221110.jpg有事には猿島要塞と共同で砲撃をする予定だった
DSC00853_R_20130710221109.jpg土塁左上部の広場、煉瓦の塀は失われた(1枚目の写真には残っている)
DSC00856_R_20130710221112.jpg下に見えるのは公衆トイレ
DSC00857_R_20130710222246.jpg掩蔽部の上にある通気口
DSC00858_R_20130710222248.jpg掩蔽部一つに付き一個付いてくる
DSC06889_R_20130710222735.jpg戦勝国として驕る事無く立派な人だった
DSC06890_R_20130710222737.jpg市役所前公園に設置されたデッカーさんの胸像は、現在中央公園に移設された(駐車場を作る為)
DSC06891_R_20130710222738.jpg戦没者慰霊塔
DSC06886_R_20130710223631.jpg今普通に見れるのはこれだけに思えるが、探すと辛うじて判る物もある
DSC06887_R_20130710223632.jpg完全に塞がれた掩蔽部
DSC06888_R_20130710223634.jpg斜面に見える埋もれた別の掩蔽部の天井
CIMG1387_R.jpg所々に煉瓦が落ちている
CIMG1388_R.jpg桜の刻印が付いている、探して見るとあちこちに落ちている
CIMG1389_R.jpg隠れた所にある、煉瓦構造物
CIMG1397_R.jpg斜面に見える煉瓦塀
CIMG1398_R.jpgここにも桜の刻印がある
DSC00712_R_20130710224945.jpg探せばまだある
CIMG1399_R.jpg島田修二
a1.jpgもう1枚あった
DSC06880_R_20130710225732.jpg文化会館の道を入り口のある右側に行かず、左に沿って登って行くとこれがある
DSC06881_R_20130710225733.jpg防六七
DSC06882_R_20130710225734.jpg防六六
DSC06883_R_20130710225736.jpg何故か無記名の石柱と抱き合わせ
DSC06884_R_20130710225737.jpg裏は陸
DSC06885_R_20130710230611.jpgほぼ風化した石柱
P1320242_R.jpg陸軍所轄地
DSC06892_R_20130710230614.jpg上面の線はここで所轄の角が曲がる印

次回裏側

横須賀鎮守府長官官舎

海上自衛隊、田戸台分庁舎は、横須賀鎮守府長官の宿舎として、 1913年(大正2年)に建設された。
この官邸の企画設計に当たった横須賀鎮守府施設部長桜井小太郎氏は、1890年(明治23年)ロンドン大学建設学科を卒業し日本人として始めて英国公認建築士の称号を得た人物です。 田戸台分庁舎は瓜生御夫婦と桜井小太郎氏の3人の博識と創造力による合作による物だ。
初代入邸者は海軍中将東伏見宮依仁親王(初代横須賀鎮守府司令長官) であり、以来1945年(昭和20年)終戦まで34代(31人)の歴代長官が居住し、日本人の最後は34代戸塚道太郎となっている。

終戦後、アメリカ合衆国に接収され、1964年(昭和39年)まで9人の在日米海軍司令官等が居住した。
1969年(昭和44年)防衛庁に移管され、現在海上自衛隊横須賀地方総監部が管理している。

現在では、国内外高官・要人の接待、各種の会議場として使用されている。
普段はもちろん入る事は出来ないが、桜の季節には4日間ほど一般公開される、横須賀市のHPなどで確認して見るといい、4月中のいずれかに開放されるが、駐車場は無い(無料)
本館は入り口より半分は英国風、後半は中庭もある和風建築となる造りだ。
DSC00123_R_20130709204257.jpg京浜安浦から坂道を登って家庭裁判所方向に行く
DSC09221_R_20130709204256.jpg米軍摂取時代のお決まりのステンシル
DSC09220_R_20130709204254.jpg普段は開く事の無い門扉も
DSC00127_R_20130709204301.jpgこの時だけは潜入出来る
DSC00124_R_20130709204259.jpg気になる穴があるのだが、海自さんに捕まる訳には行かない(そう、ここは立派な海自施設で、警備も海自さん)
DSC00128_R_20130709205208.jpg日付けは変るので、当てにしない様に
DSC00129_R_20130709205210.jpg写真を撮るなら開門直後でないと、人が写って撮りにくい
DSC00130_R_20130709205211.jpg庁舎本館
DSC00131_R_20130709205215.jpg英国風と日本風の境目が外観でも判る
DSC00132_R_20130709205229.jpgハーフティンバー、煉瓦タイルは改修後の物で、元は下見板張りであった、このステンドグラスは小川三知氏の作品
DSC00133_R_20130709210741.jpg来賓用に取り付けられた近代ポーチが残念だ
DSC00134_R_20130709210743.jpg海自マークがさりげなく自己主張
DSC00135_R_20130709210745.jpgまたも気になる穴が、誘っている様なので入りに行くと止められた
DSC00137_R_20130709210746.jpg人の写らない写真は非常に難しい、平日をお勧めする
DSC00138_R.jpg全体写真
DSC00139_R_20130709211701.jpg左右でくっきり建築方式が分かれているが、繋がっている
DSC00140_R.jpg日本庭園の藤棚
DSC00142_R_20130709211707.jpg私道の壁に防空壕が掘られている
DSC00143_R_20130709211708.jpg和風の居住部分
DSC00144_R_20130709211710.jpg瓦には特にマークなどは無かった
DSC00145_R_20130709212428.jpg崖に当時の水道菅の様な物が見える
DSC00146_R_20130709212430.jpg
DSC00147_R_20130709212431.jpg
DSC00148_R_20130709212433.jpg
DSC00149_R_20130709212435.jpg
DSC00150_R.jpg
DSC00151_R_20130709213003.jpg
DSC00153_R_20130709213006.jpg
DSC00154_R_20130709213008.jpg
DSC00155_R_20130709213011.jpg
DSC00156_R_20130709213615.jpg
DSC00158_R_20130709213618.jpg
DSC00160_R_20130709213619.jpg
DSC00161_R_20130709213620.jpg修理調整に現代部品が使われて、オリジナル製が落ちたそうだ
DSC00164_R_20130709213622.jpgちなみにこの建物自体も、タイル張りなど現代改修を受けているので、文化財指定を取れない
DSC00165_R_20130709214141.jpg
DSC00168_R_20130709214143.jpg
DSC00169_R_20130709214145.jpg
DSC00170_R_20130709214147.jpg
DSC00173_R_20130709214542.jpg
DSC00174_R.jpg
DSC00176_R_20130709214545.jpg
DSC00179_R_20130709214547.jpg
DSC00180_R_20130709214548.jpg
DSC00182_R_20130709214728.jpg
DSC00183_R_20130709214729.jpg
DSC00185_R_20130709214730.jpg
DSC00186_R.jpg
DSC00187_R.jpg
DSC00188_R_20130709214839.jpg
DSC00189_R_20130709214842.jpg
DSC00190_R.jpg
DSC00192_R_20130709214845.jpg中庭
DSC00193_R_20130709214950.jpg
DSC00194_R_20130709214951.jpg
DSC00195_R_20130709214953.jpg
DSC00196_R_20130709214954.jpg
DSC00197_R_20130709214956.jpg一回りしたので帰途に就く
DSC00198_R_20130709215150.jpgこの門の影にも
DSC00199_R_20130709215152.jpg気になる物が・・・

田戸演習砲台

田戸演習砲台は横須賀重砲兵連隊の演習砲台で、発足時は深田演習砲台と言ったそうだ。
資料が無いので、詳しくはkanレポートを参考に!
自分の探し切れなかった、測遠器台の紹介も載っている。
ここは完全に住宅街に飲み込まれた遺構なので、カメラを持ってうろつくだけで、変質者丸出しに見える。
DSC09203_R_20130708211340.jpgこの辺を中心に捜索したが、敷地の範囲が判らず大した成果が無かった
DSC09204_R_20130708211341.jpg坂道の途中にある車庫利用されている壕、詳細不明
DSC09205_R_20130708211343.jpg左側のみ残っている門柱
DSC09206_R_20130708211345.jpg以外と高さはある
DSC09207_R.jpg金属のヒンジが珍しく残っている
DSC09200_R_20130708212023.jpgアパートの隅に残る、井戸状遺構
DSC09201_R_20130708212025.jpg調査が入ったのだろう、穴が開いている
DSC09202_R_20130708212027.jpg覗き込むと鉄筋が入っている
DSC09208_R_20130708212345.jpg陸軍境界石がかくれんぼしている
DSC09209_R_20130708212346.jpg探し出すのは結構骨だ
DSC09210_R_20130708212348.jpg防火用水槽だろうか、やけに出っ張っている
DSC09211_R_20130708212350.jpg陸ではなく、横?
DSC09228_R_20130708213407.jpg京浜安浦駅方面に移動する、ガード脇に下りると赤門がある
DSC09229_R_20130708213408.jpg風物百選
DSC09227_R_20130708213406.jpgガードに埋め込まれている標石文字不明
DSC09232_R_20130708213409.jpg海軍止水栓
DSC09233_R_20130708213410.jpg正直読めない、誰か教えて!(tonotama氏、F138/Shige 様よりガスと読むと教えて頂きました)
DSC09212_R_20130708214153.jpg家庭裁判所方向に向かうと植え込みに新旧2本の海軍柱がある
DSC09213_R_20130708214155.jpg文字無し波2本
DSC09214_R_20130708214156.jpgもう一つある
DSC09223_R_20130708214807.jpg住宅地に入ると道の真ん中に立っている
DSC09224_R_20130708214809.jpg海軍用地
DSC09225_R_20130708214810.jpg頭しか出てないが、これもそうだろう
DSC09216_R_20130708215123.jpg家庭裁判所の隣に奇妙な物が見える
DSC09217_R_20130708215126.jpgまるで秋水の燃料庫か、シェルターの様だ
DSC09218_R_20130708215127.jpg個人邸なので、中を伺う事は出来ない
DSC09219_R_20130708215129.jpg入って見たい

富士壕、桜壕

横須賀市米ヶ浜にある横須賀共済病院の手前にコンクリートで擁壁された崖があるこの崖の上には、龍本寺があり、米ヶ浜練習砲台があった、陸軍と海軍の入り混じった地域である。
この崖の下には、海軍の命令により構築された燃料庫及び被服工場が眠っている
概要としては確たる物が判らないが、全部で7本の壕が掘られ、内2本がドラム缶式の燃料保存壕で、残りが被服工場及び倉庫壕として、実際に稼動していた。
この内2本の燃料保存壕はコンクリート巻きで、残りは素掘りのままだったらしい、もっとも完成した時には保存するほどの燃料は無く、無駄になった様だが・・・
尚且つ、急傾斜地工事により、コンクリートで擁壁に消えてしまった。
富士壕では被服を製造、桜壕にはドラム缶が貯蔵されていたとのサイトもあり、詳細な区分は判らない。
CIMG1407_R.jpg龍本寺入り口
CIMG1406_R.jpg本堂
CIMG1402_R.jpg百選
CIMG1404_R.jpg横須賀海軍航空隊殉職将士追悼碑がある
CIMG1405_R.jpg永野修身書
CIMG1408_R.jpg現在はコンクリートで擁壁されてしまっている(龍本寺から降りて来れる)
CIMG1409_R.jpgところがどっこい残存部分を見つけ出した
DSC08767_R_20130707203623.jpg少し厄介な所に開口しているので、さっさと匍匐進入を果たす
DSC09234_R_20130707203626.jpg隙間から投げ込まれたゴミが散乱し、尚且つ壕口付近は水没が多い
DSC08770_R_20130707203625.jpg入ってすぐ右に数段の階段がある、その上に監視所の様な開口部がある、ここから出るのは危険だった
DSC09239_R_20130707203628.jpg穴は人の胸ほどに開口していて、下は2~3mの崖になっている、自分以外ここから出た奴はいないだろう
DSC08772_R_20130707204742.jpgタイヤを渡り、対岸に移動する
DSC08779_R_20130707204744.jpg中は壕床がぬかるんでいるが、掘削はキチンとしている
DSC08780_R_20130707204745.jpg生産工場らしく、小部屋が並んでいる
DSC08781_R_20130707204747.jpg横の通路をずれた縦で繋ぐ
DSC08784_R_20130707210025.jpg天井に残る碍子、工場らしく少し大きめだ
DSC08783_R_20130707210022.jpg目立った異物は無い
DSC08788_R_20130707210026.jpg落ちた碍子やソケット程度だ
DSC08785_R_20130707210349.jpg部屋一つにミシン1台なのかな?
DSC08786_R_20130707210351.jpg通路に沿ってあちこちに小部屋があるが
DSC08789_R_20130707210352.jpgサイズはまちまち
DSC08790_R_20130707210354.jpgこの規模ではミシンは100台も入らないだろう
DSC08791_R_20130707210355.jpg壕の中央部にある恐らく神棚
DSC08793_R_20130707211004.jpg釣りの小物入れが供えてある
DSC08792_R_20130707211003.jpg天井からチーフを垂らし水平を計る杭、釘も残っている
DSC08797_R_20130707211006.jpg手を洗う所か?
DSC08798_R_20130707211007.jpg奥の壁に部屋札が残っている
DSC08799_R_20130707211009.jpg京浜急行が側を走っているので、振動で崩れている所がある
DSC08800_R_20130707214532.jpg小部屋の高さは少し低い、座り仕事だからか?
DSC08802_R_20130707214534.jpg端っこの接続部
DSC08803_R_20130707214536.jpg壕口付近の水没区に出た
DSC08806_R_20130707214539.jpg超狭い通路がある、気が付いていたがあえて後回しにしたいぐらい狭い
DSC08807_R_20130707214541.jpgとのさんとOKN氏は踏破を断念した、自分と榴弾砲氏のみ突破成功
DSC09288_R_20130707215811.jpg出てきた穴30cmほど
DSCF2917_R.jpg片足ずつしか出れない
DSC09278_R_20130707215808.jpg元出入り口方向
DSC09279_R_20130707215810.jpg山側突き当たり
DSC08822_R_20130707222201.jpg自転車が埋没している
DSC08823_R_20130707222203.jpg床面はすごい事になっている
DSC08824_R_20130707222205.jpg「ふるさと横須賀 下巻―幕末から戦後まで」という本によると、入口の幅が2メートル・高さ2.5メートルあり、奥行き5メートルで幅が6.4メートル・高さ4.7メートルに拡張され、奥で隣接する壕と連結しているようだ
DSC08826_R_20130707222206.jpg床麺は埋ってしまっているが、他のサイズはそんな物だ、確かに隣と接続しているし、ぎりだけど・・・
DSC09281_R_20130707223348.jpg3mほど上に通路が見える
DSC08827_R_20130707223345.jpgちょっと高いが
DSC08828_R_20130707223346.jpg根性で這い登る
DSC09283_R_20130707223349.jpgしかし崖側が開口しているはずも無い
DSC09284_R_20130707223350.jpg入って来た壕口の様に入り口を監視する為の穴だろう、ちなみに軍の壕は基本出入り口を2つ以上作る様に義務付けている、末期にはそれどころでは無かったが
P1350342_R.jpg実際コンクリートは前半のみで、後半は半分しか巻いてない
DSC08809_R_20130707224511.jpgさて、脱出する
DSC08832_R_20130707224512.jpg壕内に戻るとほっとする
DSC09242_R_20130707225035.jpg通路を辿り反対側に行く途中
DSC09243_R_20130707225036.jpg壁に穴が開いている
DSC09244_R_20130707225037.jpg天井にここにもチーフの跡が付いている
DSC09246_R_20130707225039.jpg壁、天井に鉄板を巻いていた跡が残っている
DSC09260_R_20130707225041.jpgさっきの穴の反対側の部屋、、部屋を広げすぎて通路に達してしまった様だ
DSC08795_R_20130707225707.jpg反対側に付いた、また狭い通路だ
DSC09292_R_20130707225711.jpg今度のハードルは更に高い
DSC09290_R_20130707225709.jpg結局また匍匐前進をする羽目に・・・しかも20mほど先にブロックが!
DSC09293_R_20130707225712.jpg上を覗き込む
DSC09295_R_20130707225714.jpg下にはどこぞの店の裏手の様な雑然さが
DSCF2929_R.jpgはたから見ると、こんな感じらしい
DSCF2936_R.jpg匍匐用に雨合羽を持参したが
DSCF2943_R.jpg瓦礫が思ったより鋭利で、1回でボロボロに
DSCF2944_R.jpgマネはしない方が良いだろう
DSC08832_R_20130707231434.jpgでは、帰ろう
 
横須賀共済病院の裏手に横須賀最大級の壕があるとされるのは、これらを含んだ総合的な空間面積の話だろう
今の所他の進入口は見つかっていない。

横須賀海軍共済病院(現、横須賀共済病院)他

現在の正式名称は国家公務員共済組合連合会横須賀共済病院とゆう長い名前だ。
1906年(明治39年)に横須賀海軍工廠職員の診療を目的として横須賀海軍工廠職工共済会医院として開設
横須賀海軍工廠職工共済会病院、海軍共済組合横須賀病院、横須賀海軍共済組合病院、横須賀海軍共済病院
などなど改称を繰り返したが、終戦により財団法人共済協会へ承継、横須賀共済病院と落ち着く。
また、付属校として1919年(大正8年)、海軍共済組合横須賀病院看護婦養成所が設置された。
近年までは旧第7病棟も現存していたが、現在は汽罐場付近の一部と消火栓、標石などがある
この裏には横須賀最大規模の地下壕が掘られたとの話があるが、桜壕、富士壕以外の痕跡は不明。
 
幾つかの分院も存在したが、長浦分院と追浜分院は名前を変えて現存するが、野比分院、衣笠分院、油壷分院、南下浦分院などは、現在は無くなっている。
CIMG1420_R.jpg現在残っている遺構を見て回る
CIMG1419_R.jpgこのコンクリート壁は当時のまま(ブロックから先建て増し)
CIMG1418_R.jpg切れ間に当時の門柱が残る
CIMG1416_R.jpg改修は受けているが、現存部分だろう
CIMG1417_R.jpg建て直しも時間の問題か?
CIMG1411_R.jpg道路からも見える海軍消火栓
CIMG1412_R.jpgイカリマークと消火栓の文字が何とか判る
CIMG1413_R.jpg保存状態は良くない
横須賀海軍共済病院 001_Rここから先はしばらく榴弾砲氏から頂いた写真で紹介する(知らぬ間に壊されて写真が無いのだ)
横須賀海軍共済病院 003_R旧第7病棟の外観
横須賀海軍共済病院 005_R
横須賀海軍共済病院 007_R
横須賀海軍共済病院 009_R第5病棟(終戦後は精神科閉鎖病棟)
横須賀海軍共済病院 011_R
横須賀海軍共済病院 014_R
横須賀海軍共済病院 013_R中央の標石はまだある(と思う)
CIMG1414_R.jpg
CIMG1415_R.jpg海軍所轄地だろうか?違う気がする
横須賀海軍共済病院 015_R汽罐場
横須賀海軍共済病院 016_R扉の右上に汽罐場と書いてある
横須賀海軍共済病院 017_R
P1010474_R.jpgうわまち病院に移動する、陸軍横須賀重砲兵連隊が現在の横須賀市不入斗町(いりやまず)に駐屯と同時に医務室を開設した
P1010472_R.jpg駐車場整備の為、幾つかあった境界石は無くなった
P1010473_R.jpg唯一残る境界石
P1010487_R.jpg病院裏手に残る壕の跡
P1010490_R.jpg幾つか見えるが、内部で繋がっているだろう、現在のはまゆう公園が本院でこちらは分院の一つに過ぎない
P1010475_R.jpg付近を探索する
P1010476_R.jpg当時の物と思われるコンクリート壁
P1010477_R.jpg付近には煉瓦造りの井戸もある
P1010480_R.jpg近くにあるめぐみ幼稚園
P1010486_R.jpgコンクリート壁はここにもある
P1010483_R.jpg登録有形文化財指定
P1010479_R.jpg教会でもある
P1010482_R.jpg1932年に設立された教会付属幼稚園
P1010485_R.jpg戦火を乗り越え現存している

猿島要塞 その6

DSC07141_R_20130705205007.jpgこのトンネルを抜ける
DSC00630_R_20130705205151.jpgL字に曲がって海岸からは見えない
DSC00624_R_20130705200218.jpg8cm単装高角砲座3つ目
DSC00627_R.jpg反対側
weapon_type3aa2_R.jpgタイプとして盾付きと長砲身など4種類以上あるが、どれかは不明
DSC07416_R_20130705202744.jpg砲座のアンカーボルト
DSC07419_R_20130705205818.jpg壁面には小型の物入れがある
DSC07417_R.jpg砲座裏側にはv字型のコンクリート側溝がある
DSC00625_R_20130705200219.jpgそこから下に降りると幕末の台場跡がある
DSC00626_R.jpg現在の状態はただの広場
DSC03445_R_20130705205413.jpg米軍の占領後の写真
DSC03446_R_20130705205415.jpgこの建物の基礎は一段上に残っている
DSC00628_R.jpg上に戻って4つ目の8cm高角砲座
DSC07410_R_20130705205815.jpg反対側
DSC07412_R_20130705205816.jpg砲座のアンカーボルト
DSC03423_R_20130705210811.jpg次は連装12.7cm高角砲座
DSC03432_R_20130705210428.jpgほぼ同位置の米軍写真、既に砲は撤去済み
DSC03419_R_20130705210424.jpgこの付近で発掘された12,7cm砲の駐退機
DSC03422_R_20130705210426.jpg薬莢等
DSC00536_R_20130705212235.jpg現物、みんなで探そう
p3_R_20130707081650.jpg南方の現存12.7cm連装高角砲
DSC00552_R.jpg道を少し外れると砲座がある
DSC00553_R.jpg大分自然に侵食されている
DSC00554_R.jpg予備砲弾仮置き場
DSC07492_R.jpgほぼ全景なのだが、判らないだろう
DSC07495_R.jpg砲座入り口
DSC00555_R.jpg砲座を囲んだ土塁のトンネル
DSC00679_R_20130705212732.jpg恐らくここから見た破壊された高角砲写真
DSC07485_R.jpgトンネルを抜けると
DSC07486_R.jpg地下式施設がある
DSC07487_R.jpg横から見る、割と大きな物だ
DSC07488_R.jpg内部の部屋
DSC07489_R.jpg天井に危険な穴がある、この形状は!
DSC07490_R.jpg深さは1.5mほど
DSC07491_R.jpgおトイレでした(乾いていて良かった)
DSC07497_R.jpgもう一つの12.7cm砲座の胸墻
DSC03442_R_20130705214546.jpg調査時の写真
DSC03443_R_20130705214548.jpg
DSC07498_R.jpg台座一部
DSC07500_R.jpg地面に埋ったアンカーボルト
DSC07502_R.jpgナット付き
DSC03444_R_20130705214549.jpg発掘時資料
DSC03447_R_20130705214550.jpg
DSC03448_R_20130705214552.jpg砲床遺物
DSC07503_R.jpg藪の中にコンクリート構造物が見える
DSC07504_R.jpg煉瓦構造物
DSC07056_R_20130705215548.jpg階段?
DSC00670_R_20130705215725.jpg不明
DSC07505_R_20130705215128.jpg12.7cm連装砲座に近く、関連施設と思われる
DSC07506_R_20130705215130.jpg謎の広場
DSC00673_R_20130705215726.jpg観測点?
DSC03404_R.jpg右上の所がここ、何かあった様だ
DSC03435_R_20130705220702.jpg入り江の建物群、発電室と煙突が写っている
DSC07507_R_20130705221223.jpg帰りの船を待つ
DSC07514_R.jpg猿島はコスプレの聖地となり掛けている
DSC07515_R.jpg自販機はやや高め
DSC07517_R.jpg帰りはガラガラ
DSC07516_R_20130705221229.jpgウミウが見送っている

ネタですが、こんな物を見付けました、お庭に1門いかがでしょうか?
四五口径十年式十二糎高角砲、550万円(送料別)で販売中

猿島要塞 その5

DSC00601_R_20130704211943.jpg地下施設のあるトンネルを抜ける
DSC00602_R.jpgここは三叉路になっている、海岸に向かうトンネル
DSC00603_R.jpg砲台に向かう通路、海軍が弾薬庫を掘り抜いて、通路にしてしまった
DSC07433_R_20130704212626.jpgこの横に砲座に向かう階段がある
DSC07435_R.jpg弾薬庫の真上に揚弾井口があり、左右の上部に砲座がある
DSC07436_R_20130704212629.jpg砲座に登る階段
DSC07437_R_20130704212630.jpg砲座入り口
DSC07438_R_20130704212632.jpg27cmカノン砲座の胸檣
DSC07145_R.jpg砲座の一部?
DSC07146_R_20130704213427.jpg三角点
DSC07442_R_20130704214514.jpg砲座間の揚弾井口
DSC07443_R.jpg吊り金具は壊れている
DSC07445_R.jpg揚弾井はほぼ完全な形で残っている
DSC07448_R_20130704214518.jpg下を見下ろす
DSC07449_R.jpg右側の砲座入り口
DSC07451_R.jpg当時手すりが付いていた跡で、金属ドロに切り取られている
DSC07452_R_20130704215733.jpg砲座に登る
DSC07450_R_20130704215730.jpg判別不能
DSC03387_R_20130704220157.jpg今はこの辺の説明だ
DSC07141_R.jpgこれは窓があるので、兵舎関係だろう
DSC07454_R.jpg案内板
DSC07456_R.jpg右側は見る事が出来る
DSC07458_R_20130704220742.jpg左側はこの通り
DSC07433_R_20130704221628.jpg戻ってここから下の砲座に向かう
DSC07431_R_20130704221626.jpgアーチ部分に穴が開いて、内部が空洞なのが見える
DSC07428_R_20130704221623.jpg本来ここは弾薬庫で、右のパネルは横の狭い通路との小窓を隠している
DSC07427_R.jpg揚弾井
DSC07430_R_20130704221624.jpg先ほど上から見た所
DSC07143_R_20130704222702.jpg掘り抜かれた部分、途中からコンクリートになっている
DSC00608_R.jpg切り通しを通り、砲座へ向かう
DSC00612_R_20130704222705.jpg8cm単装高角砲座、4箇所ある
DSC00613_R_20130704222706.jpg島内の数箇所で見かける看板、実際に出てくる
DSC00536_R_20130704223841.jpg展示品として見る事が出来る一部の発掘品
DSC03422_R.jpg93式防毒面の吸収菅、高角砲弾薬莢、小銃弾(米軍)も出土
DSC03437_R_20130704223840.jpgこれらが出ると、自衛隊が出動する事もある(不発弾処理き章)
DSC00614_R_20130704222708.jpg一番端の砲座
DSC00620_R_20130704224751.jpgもっとも見やすいだろうが、水溜り部分は本来掘られている所だ
DSC00619_R_20130704224749.jpg切り通しがある、海に出られるが、道は崩れていて危険、船着場があった様だ
DSC00621_R_20130704224753.jpg反対側から海に下りる階段がある、降りると日蓮洞
DSC00622_R_20130704224755.jpgただの海食洞だ

猿島要塞 その4

DSC00583_R_20130703203106.jpg少し戻って切り通しから始める
DSC00588_R.jpg弾薬庫の左上に変った物がある
20120525101240_R.jpgこれは旋回式クレーンの跡で、切り通しから上の砲座に上げ下ろしが出来た
DSC07132_R_20130703204031.jpgここもトイレと言われている
DSC00589_R_20130703203110.jpg少し前までは壁の右側の穴は塞がれていた、素掘りですぐ突き当たりだが・・・
DSC00590_R.jpgこの辺の壁は悪戯の彫り込みだらけだ
DSC00591_R.jpg案内板
DSC00592_R_20130703210109.jpg通称愛のトンネル(弾薬庫及び地下施設)
DSC00593_R_20130703210111.jpg入り口の配水管
DSC00594_R_20130703210113.jpg電気配線用アングル
CIMG0266_R_20130703213722.jpg地下施設案内図、以下地下施設内部を幾つか写真のみ乗せる
CIMG0262_R_20130703213719.jpg
CIMG0263_R_20130703213721.jpg
CIMG0269_R.jpg
CIMG0270_R.jpg
CIMG0277_R_20130703214528.jpg
DSC07135_R_20130703214530.jpg桟橋側から見たトンネル、施設は左側のみに存在する
DSC07138_R_20130703214532.jpg第一砲台側から見たトンネル床面はオリジナルの様だ、濡れていると結構滑る
DSC07140_R_20130703215632.jpgこうして見ると、結構な坂道かもしれない
CIMG0268_R.jpg中央部にあるこの場所は人気スポットの様だ
CIMG0267_R_20130703215633.jpg唯一外部に繋がる部分
DSC03427_R_20130703220606.jpg防空指揮所の辺りの階段がここだ
DSC03394_R.jpg地下施設図面
DSC03395_R.jpg右上の西側出入り口
DSC07363_R.jpg斜面にある煙突状構造物
DSC00643_R_20130703221225.jpg
DSC07364_R.jpg
DSC07370_R.jpg電燈所の土台か?
DSC07371_R.jpg地下施設西側
DSC07372_R.jpg中央出入り口、ここに来るには相当な危険が伴うので探さない様に!
DSC00647_R_20130703222010.jpg正規階段は埋もれているので、危険
DSC00648_R_20130703222013.jpg隣の窓から侵入
CIMG0253_R_20130703222304.jpg木造の鴨居が綺麗に残っている
CIMG0255_R_20130703222307.jpg小窓の先は階段、窓の上下に電気配線用と思われる2対の穴が開いている
DSC07392_R.jpg左側の上部への揚弾井、ここは下部弾薬庫からの中継所になっている
DSC07393_R.jpg上部は人為的に塞がれている
DSC07397_R_20130703222824.jpg下部弾薬庫からの揚弾井
DSC07396_R.jpg下には降りれない
DSC07094_R.jpg中継所全体
DSC07097_R_20130703224601.jpg階段に移動する
DSC07387_R_20130703224604.jpg下に降りて行く
DSC07389_R.jpg先ほどの小窓を下から見る、2対の穴が良く判る
DSC07401_R.jpg部屋の右側は無理に通路を設けている
DSC07375_R.jpg右側の狭い通路
CIMG0238_R_20130703225520.jpg外壁にフックがある
CIMG0239_R_20130703225521.jpg側溝も切られている
CIMG0240_R_20130703225523.jpg突き当りには顔の高さに穴がある
CIMG0237_R_20130703225518.jpg用途不明の土台がある
DSC00655_R_20130703230134.jpg前室との壁は、破壊されている
DSC00657_R_20130703230135.jpg天井には吊り金具が付いている
CIMG0243_R_20130703230634.jpg何も無い吹き抜けの部屋を挟んで、同様の構造の部屋が奥にある
CIMG0249_R_20130703230637.jpg小窓と電気配線口
DSC07119_R.jpg隣の部屋にも狭い通路がある
DSC07121_R.jpg奥の壁の形から、階段室だった様にも想像できる
DSC00663_R_20130703230137.jpg渡り板は無くなり、電柱が落ちている
DSC07381_R.jpg奥の部屋にも土台が見える
DSC07382_R_20130703231424.jpg吊り金具も側溝も全て同じ様だ
DSC07384_R.jpg窓枠の配線穴
DSC07385_R.jpg前室を振り返る
DSC07386_R.jpg天井の電燈跡
CIMG0258_R_20130703232037.jpg左上に登ると
CIMG0256_R_20130703232033.jpg司令所の遺構がある
CIMG0257_R.jpg状態は良くない

猿島要塞 地下施設

猿島要塞 その3

DSC03431_R_20130702204142.jpg米軍資料の航空写真
DSC03432_R_20130702204144.jpg不鮮明だが拡大してみる、木造の橋が二本架かっている
DSC07336_R.jpg切り通しの上に橋げたが見える
DSC07337_R_20130702203721.jpg正面から見る、立派な橋脚だ
DSC07338_R_20130702203723.jpgこれは対岸の橋脚部、ほとんど埋っている
DSC07076_R.jpg島の尾根を歩いて行く、ウミウの生息地になっている
DSC07339_R.jpg崖の下に見えるのが隠し波止場
DSC00616_R_20130702205438.jpg降りて来た
DSC00617_R_20130702205439.jpg逝ける所まで逝ってみるが、限界
DSC00618_R_20130702205441.jpg煉瓦構造物が見えるが、行けそうも無いのでまた崖を登る
DSC07340_R_20130702203725.jpg2号煉瓦構造物、地下施設から直接伸びている可能性大の煙突形状物
DSC00641_R_20130702210235.jpg欠けているが、丸い穴が2つ有る
DSC07078_R_20130702210238.jpg防空監視所
DSC07083_R_20130702210239.jpg1階内部、手前測遠機台
DSC00565_R_20130702211225.jpg反対側から見る
DSC00561_R.jpg東京湾側から見ると地下1階が見える
DSC07344_R_20130702211645.jpg地下室の入り口
DSC07346_R.jpg入って正面に塞がれた窓がある
DSC07348_R_20130702211648.jpg海側の窓は開いている、足元には台座状の物がある
DSC07349_R_20130702211649.jpg入って来た出入り口
DSC07352_R.jpg2階に上る
DSC00569_R_20130702212440.jpg海は殆んど見えない
DSC00568_R_20130702212443.jpg3階がある
DSC00570_R_20130702212441.jpg上がってみる
DSC07355_R.jpg猿島最高点
DSC00571_R_20130702213106.jpg横須賀側の眺めは良い
DSC07131_R_20130702213710.jpg遠方に何か見える
DSC07148_R_20130702213538.jpgイージス艦だ、さすが横須賀
DSC07342_R_20130702213536.jpg広場に戻る、この広場に電気灯(後に照明所に改名)があった
DSC03427_R_20130702214349.jpg広場全体図、左電気灯 中央展望台(防空監視所) 右司令所
DSC03397_R_20130702214347.jpgここが現在の広場部分
DSC03399_R.jpg電気灯、発掘図(現在はまた埋め戻し)
DSC03438_R_20130702222244.jpg陸軍時代の地図
DSC03439_R_20130702222246.jpg後に司令所と電気灯の間に防空監視所だ出来る
DSC07407_R_20130702225006.jpgこれは藪の中の司令所跡
DSC07406_R_20130702225004.jpgここも発掘調査されたが、埋め戻された
DSC07405_R_20130702225002.jpgもはや自然に帰ろうとしている
DSC07404_R.jpg桜の刻印の煉瓦がある
DSC00573_R.jpg謎の石柱
DSC00574_R_20130702225657.jpg兵舎型の遺構
DSC00566_R.jpgタンクの台座
DSC00567_R_20130702225654.jpg煉瓦とコンクリートの壁の様な物
DSC03434_R.jpg戦後米軍による航空写真を拡大した、防空監視所左にタンクが写っている