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黒崎砲台、赤谷海岸謎遺構

三戸海岸にある、三戸南北狙撃陣地の上に位置する、黒崎の鼻にかけて15cmカノン砲が3門3座備えられている、佐島洞窟砲台と同規模の大型砲台だった。
第一砲座には、プーさんがテントを張り、住み着いていた(熊のぬいぐるみでは無い)ので注意!
第二砲座は状態良し、視界悪し、第三砲座・・・・すごい事になっている
DSC05778_R.jpg三戸の狙撃陣地の前を通り、第三砲座へ向かう
DSC05779_R.jpgコンクリート製の砲室が海岸から見える
DSC05780_R.jpg藪の中に突入する、途中に倉庫壕がある
DSC05782_R_201308312011250d7.jpg軍道を辿ると
DSC05784_R.jpg第三砲座入り口がある、何でこうなっているか、後で判る
DSC05786_R.jpg床面はコンクリート舗装されている
DSC05788_R_20130831202440f5e.jpg通路は素掘り、弾薬庫はコンクリート製、やたらに部屋数が多い
DSC05789_R_201308312024418dc.jpg一つ目の弾薬庫、弾薬庫だけで3つある
DSC05790_R_2013083120244359d.jpg素掘りの小部屋
DSC05791_R_20130831202445d2c.jpg2つ目の弾薬庫
DSC05792_R_201308312050412ba.jpgゴミだらけ
DSC05793_R_2013083120504307b.jpgコンクリートの通路を抜けると
DSC05794_R_2013083120504520f.jpg住居跡になっている、いわゆる廃墟状態
DSC05795_R.jpg砲室に貼り付けていた天井は、無残に落ちている
DSC05797_R_201308312057325b4.jpgシンクやトイレと一通りは揃っている(風呂は未確認)
DSC05796_R_201308312050480d1.jpg砲室奥の3つ目の弾薬庫
DSC05798_R.jpg状態はまぁいい方
DSC05799_R_20130831205736ec5.jpg何故か斜めに掘られた砲員待機室
DSC05800_R_2013083120573754e.jpg第三砲座は単独なので、第1、第2砲座に向かう
P1020068.jpg                榴弾砲氏が見つけた当時の物件情報
P1020067.jpg                スゴイ商魂だ、ブリストル氏
DSC05803_R_20130831212955f2d.jpg第2砲座は藪が濃く、近寄り難い
DSC05805_R.jpg第1砲座、写真左端に向かう
DSC05806_R.jpg対岸に赤羽海岸が見える
DSC05810_R_201308312130009ef.jpg第1砲座はこの様に、プーさんに占領されている
DSC05825_R_201308312213595af.jpg砲身格納部
DSC05824_R_20130831221357d04.jpg住人はお出かけの様だ
DSC05811_R_2013083121361533a.jpg左側の弾薬庫、対面には素掘りの小部屋がある
DSC05812_R.jpg室内外に落書きがあるが、良く判らない
DSC05813_R_2013083121361814a.jpg十字路的な形になっている、正面は抜き穴に抜ける
DSC05814_R.jpg左の部屋、銃眼があり、内部に砲室から侵入してきた敵を銃撃する為、裏側に通路がある
DSC05816_R_20130831220419bf2.jpg反対側に回ってみた
DSC05817_R_20130831220424566.jpgこの通路は外部への抜き穴になっている
DSC05818_R_20130831220426ad6.jpg通路を戻る
DSC05815_R_20130831213622984.jpg十字路右側
DSC05820_R_20130831220433631.jpg2つ目の弾薬庫
DSC05819_R.jpg新たな銃眼、さっきの抜き穴ルートから、この裏に回れる
DSC05821_R_20130831221641e17.jpg第2砲座に向かう
DSC05822_R_201308312216436e6.jpg特徴的な掘り込みが壁にある
DSC05842_R_20130831222245f4b.jpg素掘りの小さな部屋
DSC05837_R_201308312222371c7.jpg海岸側に抜ける穴
DSC05838_R_20130831222239d15.jpg出入りは問題ないが外部は藪に覆われている
DSC05839_R_20130831222243ce8.jpg壕口の前に石積みがあり、外部からは秘匿されている
DSC05835_R_20130831223401345.jpg素掘りとコンクリート通路の境目
DSC05830_R_2013083122210882e.jpg砲室前通路
DSC05834_R_20130831222115e62.jpg通路内弾薬庫
DSC05836_R.jpgこの通路には複数の弾薬庫、砲員待機室がある
DSC05831_R_20130831222109d10.jpg砲室横の弾薬庫
DSC05832_R.jpg内部はまとも
DSC05845_R_201308312238412c7.jpg弾薬庫内部
DSC05844_R_20130831223840c4e.jpg上の換気口に木型が残っている
DSC05847_R_20130831223843fb3.jpg電気配電盤の跡
DSC05848_R_20130831223844f6a.jpg天井の吊り金具
DSC05849_R_20130831223847efc.jpg砲身格納部
DSC05833_R_20130831222114f09.jpg床面は滑り止め加工(長者ヶ崎砲台も似た物)
DSC05850_R_2013083122451250f.jpg第2砲座から海を見る、気持ちだけ・・・
DSC05829_R_20130831224510cc1.jpg第2砲座外観
DSC05851_R_20130831224756d68.jpg腹が減ったので、砲室でレーションを補給する
DSC05890_R.jpg赤谷岸に移動する
DSC05891_R_20130831225038838.jpg寒々とした海岸
DSC05892_R.jpg一心不乱に探し物をする榴弾砲氏
DSC05894_R.jpg日が暮れて来た
DSC05895_R_20130831225043824.jpg夕焼けに染まる陸に二つの影、男同士なのが残念だ
DSC05893_R.jpgこれが問題の謎遺構
DSC05897_R.jpg残照が綺麗なので、しばし撮影
DSC05898_R_20130831225546b89.jpgおっといかん、日が暮れてしまった
DSC05899_R_20130831225548621.jpg丘を登り、接近する
DSC05901_R_201308312259049e0.jpg物としては、人が入れない小さな物だ
DSC05900_R.jpg内側は空洞
DSC05902_R.jpg近くには風化した石柱が軍関係の物だと主張する
DSC05906_R.jpg赤谷海岸の収穫物、判る人には判る知らない方が良いもの
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江奈湾震洋壕、金田港用途不明壕

三浦市松輪にあった第五十六震洋隊岩館部隊のものと思われる震洋壕に訪れた
県道215号沿いに江奈湾をまわり、剣崎小学校を越えた先のくの字に湾曲した道の所に
震洋壕がある、東西に2部隊ずつ計181名の部隊が配置されていた様だが、これが東西のどちらの部隊の物かは、判らない。
県道215号から少し山側に入った「福泉寺」には岩館部隊の、本部が設置され現在は「第五十六震洋特別攻撃隊岩館部隊の碑」が立っている。

水上特攻艇「マル四艇」、「マル4金物」、(陸軍ではマルレ)などと秘匿名で呼ばれ、艇首に250キロの爆薬を詰めたベニヤ製の高速ボートを駆り、敵艦船に体当たり攻撃を行なうもので、現実としては当時の自動車用エンジンを使用し、音もうるさく低速なものだった、また、武装(装備)も派生型が存在する。
DSC06136_R_201308302105084fb.jpg気を付けないと、素通りしてしまいそうな所にある
DSC06137_R_2013083021050967b.jpg漁具の置き場とゆうよりは、捨て場となっている
DSC06138_R_20130830210511da1.jpg付近には埋められた壕が点在する
DSC06139_R.jpg海側は、干潟の実験をしているらしい
DSC06142_R_20130830211031e9f.jpg壕の周辺はコンクリート吹き付けがなされ、他の穴は無くなったのか?
DSC06140_R_20130830211028292.jpg奇蹟的に残ったこの穴もこの有様で進めない
P1310878_R.jpg2~30m程度の穴だった、カーブ裏手の民家裏にも在りそうだが、見えない
DSC00273_R_20130830211639cb2.jpg近くにある金田漁港に寄る
DSC00274_R.jpg以前から気になっていた穴がある
DSC00275_R_20130830211651185.jpg割と目にした事がある人が多いと思う
DSC00276_R_20130830211653a79.jpg見上げると、えらい高い所に何かが祭ってある様だ
DSC00277_R.jpgそれでは、お邪魔します
DSC00278_R_20130830212510e3f.jpg入り口部は広く、水洗トイレ付だ
DSC00279_R_20130830212512ffe.jpgライトをハイモードにすると、階段スゲー
DSC00281_R_20130830212514f92.jpg早速登り始める
DSC00282_R.jpg一段登った先に、右側に分岐があって階段で下る
DSC00283_R.jpg割と落差はある
DSC00284_R.jpg小部屋になっていて、木製の棚でも有ったのだろうか?
DSC00285_R.jpg通路に戻る
DSC00286_R_2013083021351846b.jpg更に先に上る
DSC00287_R_20130830213520b4d.jpgこの壕は待遇が良く、碍子が多い
DSC00288_R.jpg登り階段は続く
DSC00289_R_2013083021405986d.jpg上階の高さに階段上に空間がある、下の壕と無理に接続し、階段で繋げた様だ
DSC00290_R.jpgまた、上った右側に下り階段の部屋がある
DSC00292_R.jpg更に階段を登ると
DSC00293_R.jpg行き止まり、開口部は埋ってしまっている
DSC00294_R.jpgそれでは、引き返す
DSC00296_R_2013083021494924e.jpgちょっとハイモードにしてみる
DSC00298_R.jpg下り階段が先の先まで続いている
DSC00300_R.jpg測量ミスの招いた、おもしろ空間(人間ぽくて結構好きだ)
DSC00301_R_20130830214954502.jpg人ん家の玄関みたいな所から脱出

金田洞窟陣地

平成25年度 富士総合火力演習 その5

前段では、各車両の戦闘状態を紹介した感じで、後段は今回は島礁防衛に主眼を置いた、訓練展示となる
しかし、天候不良の為F-2やP3Cもやって来ない、淋しい物になる。
DSC04583_R_2013082920433479f.jpg気が付くと伏せ撃ちの体勢の人が居る
DSC04585_R_201308292043364fa.jpg88式地対艦誘導弾の護衛
DSC04586_R_20130829204338ff3.jpg96式多目的誘導弾
DSC04589_R_20130829204343931.jpg海自からの情報をキャッチ
DSC04591_R_20130829204344b36.jpg振りだけ発射!
DSC04594_R_20130829210152034.jpg偵察部隊の計装甲機動車
DSC04596_R_201308292101542a4.jpg2輪部隊と87式偵察警戒車
DSC04602_R_20130829210155a55.jpg74式登場
DSC04603_R_201308292101577fe.jpg
P1020001.jpg
P1020002.jpg
P1020003.jpg発射!
P1020004.jpg第2射
P1020005.jpg弾が見える
P1020006.jpgガス抜き、砲身内に残っている残留ガスを出す
P1020007.jpg 92式 地雷原処理車がいる
P1020008.jpg第3射!
P1020010.jpg 92式地雷原処理用ロケット発射機が鎌首を挙げる
P1020011.jpg発射!
P1020012.jpg
P1020013.jpg
P1010974.jpg
P1020014.jpg導爆索には26個の爆薬が数珠つなぎになっており、地面に一列になって落下した後これを爆発させて地雷処理する
P1020016.jpg着弾点
P1020017.jpgロケット弾自体はもっと先
P1020018.jpg処理後の爆煙
P1020019.jpg74式離脱
P1020020.jpg10式リンクシステム起動
P1020021.jpgこの2台がリンクしている
P1020022.jpg前車発泡
P1020023.jpg後車遅れる、完全ではない様だ
P1020024.jpg後進!
P1020025.jpg2両で後進スラローム
P1020026.jpg砲塔は目標を補足したまま
P1020028.jpg砲身もこんな姿勢でもジャイロでぶれない
P1020032.jpg支援射撃(白いのが弾道)
P1020035.jpg2回目のリンク
P1020036.jpg1000分の1秒ほど合わない
P1020038.jpg弾が写っている
P1020039.jpgやっとリンク成功
P1020042.jpg機銃の支援射撃
P1020044.jpgグリーンフラッグに変わる
P1020047.jpg最終弾、弾着
P1020049.jpgグランドの全車両が集まりだす
P1020051.jpg
P1020052.jpg
P1020053.jpg
P1020054.jpg
P1020056.jpg丘の上に打ち出された発煙弾が見える
P1020057.jpg
P1020058.jpg
P1020059.jpg
P1020060.jpg
P1020061.jpg
P1020062.jpg
P1020063.jpgアパッチが飛び去る
P1020064.jpgもうもうたる発煙弾
P1020065.jpg飛び交うヘリの中、状況終了のアナウンス
P1020066.jpgラッパが鳴り響く
P1010951.jpgこの後、軽いグランド整備後地上展示が行われる
P1010952.jpg天候もあり、大部分は立ち上がり撤収
P1010955.jpg地上展示に向け、移動が始まる
P1010956.jpg殆んど進まない長蛇の列
P1010958.jpg1時間後、30mは進んだか?
P1010959.jpg諦めて時間をずらす人たちもいる
P1010961.jpg仮設歩道橋が見えて来た
P1010963.jpg上からバス待ちの行列を見る
DSC04626_R_2013082922393622b.jpg下から歩道橋を見上げる、ここまで1時間半以上かかる
P1010964.jpg目当ての列に並ばないと、大変な事になる
P1010965.jpgバスに乗り、20分ほどで駐車場到着
P1010966.jpg終了から駐車場まで2時間以上

夏休み最後の日曜とゆうこともあり、東名は乗る前から渋滞14Km表示、246でひたすら走る事に・・・
結局横浜18:00過ぎに到着、終了後6時間以上かかった
でも、また行きたい!晴れてれば・・・

平成25年度 富士総合火力演習 その4

DSC04476_R_20130828194337099.jpg山陰に87式自走高射機関砲が2両
DSC04477_R.jpg89式装甲戦闘車進入
DSC04479_R.jpg射撃よーい
P1010987.jpgてーい
DSC04481_R.jpg離脱!
DSC04484_R.jpgアパッチとOH-1が飛来
DSC04487_R.jpgアパッチのみ射撃
DSC04490_R.jpg30mm発射!
DSC04495_R.jpg2射目!
DSC04497_R.jpg撃破!
DSC04498_R_20130828211835823.jpg87式自走高射機関砲の番
DSC04499_R_201308282118368c2.jpgアパッチ撤収
DSC04503_R_20130828211838d16.jpgファイヤー
P1010989.jpg
P1010990.jpg
P1010991.jpg
P1010992.jpg
DSC04506_R.jpg74式戦車登場
DSC04510_R_2013082821234852b.jpg
DSC04515_R.jpg射撃ヨーイ
P1010993.jpgテーイ
P1010994.jpg2射目
DSC04516_R_20130828212906f1c.jpg油圧サスペンションシステム
DSC04517_R_20130828212907d0e.jpg撤収!
DSC04519_R_20130828212909a3b.jpg続いて90式戦車登場
DSC04522_R.jpg発射ヨーイ
P1010996.jpgテーイ
P1010997.jpg
DSC04523_R.jpg
DSC04526_R_2013082821354755c.jpg超心地転回
DSC04527_R_201308282135491a7.jpg
DSC04528_R.jpg
DSC04532_R_20130828213737172.jpg離脱!
DSC04537_R_20130828214050e14.jpg続いて10式戦車登場
P1010998.jpg120mm滑空砲
DSC04539_R_20130828214021648.jpg
DSC04538_R_20130828214020883.jpg走りまくる10式
DSC04549_R_201308282147099b2.jpg
DSC04550_R_20130828214711cca.jpg
DSC04555_R_201308282147134e7.jpg
DSC04556_R_20130828214714d09.jpg
DSC04558_R_201308282147167f4.jpg射撃ヨーイ
P1010999.jpgファイヤー!
DSC04560_R_20130828215358119.jpg
DSC04568_R_2013082821540027a.jpgレッドフラグが
DSC04571_R.jpgグリーンに変わる
DSC04572_R_201308282159252ae.jpg走る走る
DSC04575_R_20130828215927eac.jpg
DSC04576_R_20130828215928205.jpg
DSC04577_R_20130828215930289.jpg
DSC04578_R_20130828215931146.jpg
DSC04580_R_201308282202064d0.jpgスラロームしながら離脱



平成25年度 富士総合火力演習 その3

平成25年度 富士総合火力演習の本番を紹介する、前段演習は陸上自衛隊の主要装備品を順次紹介する物で、
休憩10~15分(進行状況により)の後、後段演習は目標地域を敵部隊の防御陣地と想定して諸職種協同での戦闘様相を展示する(今回は離島防衛を想定した内容)2部構成で実施される。

本番は諸事情により動画はUPしない、10本がた有るが写真のみとする。
なお、後段に付いては雨でカメラが結露してしまい、動画しか撮っていないので紹介出来ない。
DSC04390_R_20130827184957b71.jpg試射で車両が走り回ったグラウンドを整地して行く
DSC04391_R.jpgこの技術が災害派遣でいかんなく発揮された
DSC04392_R_201308271850008e9.jpg派手な砲撃もいいが、こうゆう地味な物こそ見て置かねばならない
DSC04393_R.jpg時間までの間観客は思い思いに雨に耐える(雨に濡れない場所はトイレのみ)
DSC04394_R.jpg整地作業終了
DSC04395_R.jpg試射で破壊した的も復活
DSC04396_R.jpg左側にある白い車型は対人狙撃銃の的
DSC04397_R.jpg状況開始! 車両が進入して来る
DSC04398_R.jpgまずは、ごついのから進入
DSC04399_R.jpg203mm自走榴弾砲
DSC04402_R.jpg1両だけあえて横向きで砲塔旋回状態の発泡
DSC04403_R.jpg車体に不釣合いなデカイ砲塔
DSC04405_R.jpgファイヤー
DSC04409_R.jpg写真では判らないが、動画で見ると車体が反動で揺れている
DSC04413_R.jpgマズルフラッシュは写らず
DSC04418_R.jpg迫撃砲の準備が始まる
DSC04419_R.jpg81mm迫撃砲
DSC04420_R.jpg120mm迫撃砲
DSC04421_R.jpg発射準備完了
DSC04426_R.jpg赤旗で発射
DSC04427_R.jpg見えにくいが、弾が写っている
DSC04430_R.jpgこれは山の稜線付近に3個写っている
DSC04433_R.jpg撃ったら移動が迫撃砲の基本、発射位置に目掛けてお返しが飛んで来る
DSC04436_R.jpg96式多目的誘導弾(光ファイバーTVM赤外線画像誘導装置付き)
DSC04439_R.jpg要するに弾にカメラが付いていて、画像を見ながら誘導出来るシステム
DSC04440_R.jpg発射!えっ?
DSC04441_R.jpg弾道だけ追う
DSC04442_R.jpg着弾、普通~通るかこのタイミングで・・・
DSC04444_R.jpgスナイパー3人一組左右2班の左側
DSC04445_R.jpg右側の班、黄色看板の白い車型的を狙撃中(見えない)
DSC04449_R.jpg96式装輪装甲車
DSC04452_R.jpg96式40mm自動てき弾銃
DSC04453_R.jpg発射!
DSC04454_R.jpg着弾!
DSC04457_R.jpg下車戦闘!
DSC04458_R.jpg06式小銃てき弾
DSC04459_R.jpg84mm無反動砲「カール・グスタフ」
DSC04460_R.jpg110mm個人携帯対戦車弾
DSC04461_R_2013082720302067c.jpg89式小銃、公募で選ばれた愛称が「BUDDY(バディ)」というが、聞いた事が無い
DSC04463_R.jpg射撃開始!
DSC04464_R_2013082720302375a.jpg曳光弾が標的を発火させる
DSC04470_R_20130827203024f18.jpg06式小銃てき弾取り付け中
DSC04471_R_2013082720302646f.jpg発射ヨーイ
DSC04472_R_20130827204833080.jpg発射、着弾!近すぎて見えん
DSC04474_R.jpg84mm無反動砲及び、110mm個人携帯対戦車弾、着弾!

明日は機甲科


平成25年度 富士総合火力演習 その2

今回の富士総合火力演習は、当選確率20分の1程度で、2400人が訪れたそうだ
勿論この数字はメディアによって異なるので、参考程度に!
はがきは一枚当たれば4人まで入場出切るので、当選人数=入場者数でもない
DSC04338_R_20130826211430457.jpg89式装甲戦闘車登場
DSC04339_R.jpg砲塔側面にTOWも装備して、対戦車戦闘も可能だったが調達終了
DSC04341_R.jpg後は現存車体を整備して延命  25年度富士総合火力演習④
DSC04344_R.jpg25年度富士総合火力演習⑤     
DSC04347_R_201308262114362e4.jpg迫撃砲がけん引されて来る
DSC04349_R.jpg左のオーロラビジョン点灯
DSC04351_R.jpg右側も点く
DSC04352_R_20130826213841b32.jpg120mm迫撃砲   25年度富士総合火力演習⑥
DSC04354_R.jpg81mm迫撃砲   25年度富士総合火力演習⑦
DSC04355_R_20130826214420742.jpg撃ったら居場所がばれるので、即移動
DSC04356_R.jpg81mm迫撃砲はコンパクトなので、ばらしてキャリアへ
DSC04357_R_20130826214425c6d.jpg120mm迫撃砲はタイヤを着けてけん引移動
DSC04361_R_20130826222219d3e.jpg8時近くなって来たが、まだひな壇は入場出来ない、試射は見れないだろう
DSC04363_R.jpg自走榴弾砲がやってくる
DSC04366_R.jpg203mm自走榴弾砲
DSC04367_R_20130826222223abf.jpg155mm自走榴弾砲
DSC04370_R.jpgあくまで戦車ではない、陣地移動の為の移動砲台だ
DSC04373_R.jpg展開完了
DSC04374_R_2013082622394109f.jpg最後の1両が砲塔を回す
DSC04375_R.jpg振りだけ?  
DSC04377_R.jpg着弾点が霧で観測出来ないらしい
DSC04378_R_20130826224600bf1.jpg
DSC04379_R_20130826224601274.jpg
DSC04380_R.jpg
DSC04382_R.jpg25年度富士総合火力演習⑧
DSC04384_R.jpgアパッチ登場
DSC04385_R.jpg1連射のみする   25年度富士総合火力演習⑨
DSC04387_R_20130826225026d2e.jpgこれにて各車試射終了、10時まで2時間待機
P1010950.jpg座っているのが苦痛なので売店を眺める
P1010960.jpgはがきの人はここでスタンド券と交換する、シート席はほぼ素通りに近い
P1010962.jpg入場後は半券を見せてトイレや売店に行き来する
スタンド席は、散々試射も見ずに並んだ挙句満席でシート後方に流される人たちがいた、諦めが肝心だ!
シート席は前3列以降になると人の頭で写真が撮れない、椅子も膝立ちも、三脚も禁止!

明日本番

平成25年度 富士総合火力演習 その1

平成25年度 富士総合火力演習に行って来た、海苔川駐車場付き券が手に入った。
早速メンバーに声をかけて、4人定員分集めて02:00横須賀出発、横浜03:00再出発
現地到着05:00少し前だった、天気予報どうり道中雨が降り出してきたので、一同テンションが下がる
そんな中で今年の総火演が始まった。
総火演とは、各教導隊の実弾演習と、広報を兼ねて毎年行われる
訓練そのものは7月から準備を始めて、8月にほぼ1ヶ月かけて行われている。その後、展示演習が8月下旬ないし9月上旬ころに数度行われる、これが一般向けの総火演と言われるものになる。
一般募集の本番一回だけではなく、第一第二学校などの昼間及び、夜間演習も他の日に行われているのだ。
基本的に陸上自衛隊の主要装備品を順次紹介する前段演習、目標地域を敵部隊の防御陣地と想定して諸職種協同での戦闘様相を展示する後段演習の2部構成で実施される、今回は島礁防衛がテーマだった。
この他に、07:00頃からは各火器の試射が見れるし、演習終了後には装備品展示もある。
DSC04300_R.jpg地味に今回が始めての総火演デビュー
DSC04302_R.jpg05:00少し前に現地到着するも、長蛇の列
DSC04306_R.jpgどの位かと、歩いて駐車場方面に行ってみる
DSC04307_R.jpg   100台を軽く越える車がいる、甘かった様だ
DSC04308_R_2013082522075442c.jpgうっすらと空が白み出す頃、列が動き出した05:45
DSC04309_R.jpg停まっていた位置から車で10分ほど駐車場まで走った、どんだけ前に居たのやら
DSC04310_R.jpg駐車場に着き、河童に着替える、シャトルバスは06:00より前に出ている
DSC04311_R.jpg傘など現地では差してはならないので、邪魔以外の何者でもない
DSC04312_R.jpgごった返すシャトルバス
DSC04313_R.jpgだが、座席以上に乗せる事は無い
DSC04314_R.jpg約20分で現地に到着する
DSC04315_R.jpg仮設歩道橋を登ると、人だらけだ、4つの駐車場からと駅からのバス、タクシーが合流する
DSC04316_R.jpg場内には既に戦車が見える
DSC04317_R.jpgガールズ&パンツァーの秋山 優花里の幟が上っている
DSC04318_R.jpgさぁ、これからが大変だ、スタンド席に見切りを付け、シート席3列目に雨の中座る、椅子も不可
DSC04319_R.jpg雨雲の立ち込める中試射が始まる
DSC04320_R_2013082522324810c.jpgまだ、座席も落ち着かず、カメラセットもしていない
DSC04321_R_20130825223249600.jpg試射は74式から始まる
DSC04322_R_20130825223251f57.jpgそして90式
DSC04323_R.jpg空砲と違い、弱装とはいえ実弾は音もそうだが、衝撃波が違う、シート席ならではだ
DSC04324_R.jpg90に続き、74も引き上げる
DSC04325_R_20130825224845d2d.jpg残った10が各個に試射を始める
DSC04326_R.jpgリンクシステムを使って無いのか、バラバラに撃つ
DSC04327_R.jpgオートでは上手く写らないので
DSC04328_R_20130825224850390.jpgモードを変える   25年度富士総合火力演習①
DSC04330_R.jpgごついのキター!
DSC04331_R.jpg155mm自走榴弾砲
DSC04332_R.jpg1発も撃たずに通過
DSC04333_R_20130825231356b6e.jpg軽装甲機動車  25年度富士総合火力演習②  
DSC04334_R.jpg87式偵察警戒車
DSC04336_R.jpg25年度富士総合火力演習③

つづく

高抜狙撃用洞窟陣地、蛭田の鼻狙撃用洞窟陣地

三浦海岸海水浴場の先の先には、高抜狙撃用洞窟陣地、蛭田の鼻狙撃用洞窟陣地の2つの洞窟陣地がある
この2つは非常に近い位置に構築されており、海岸にある高抜狙撃用洞窟陣地が低所を担当し
蛭田の鼻狙撃用洞窟陣地が、県道125号線より高所にある為高所の射線を担当していたと思われる。
しかし、この2つの狙撃陣地は共に1つづつの狙撃口しか持たず、貧弱である
特に高抜狙撃用洞窟陣地に関しては、銃眼も小さく中に入る事も出来ない、ある意味防衛的には理想的だが
後に入りたい人の事も考えて欲しい、裏手には民家があり、当然あるだろうここへの出入り口を探す事は
無理そうである。
DSC04532_R.jpg高抜バス停下車すぐ下のロケーションの良さ
DSC04533_R_20130824155900869.jpg穴を開け、中をくり貫き、コンクリで蓋をして出来上がりとゆう、あまり見かけない方法
DSC04534_R_201308241559025b4.jpg狭い銃眼には鉄枠が残る
DSC04576_R.jpg内部は投げ込まれたゴミで一杯だ
DSC04537_R_20130824161340f5a.jpg125号線をひたすら歩くと到着する
DSC04539_R_20130824161350a57.jpg崖全体はコンクリートが吹き付けてあるが
DSC04540_R_20130824161351cfd.jpg銃眼部は粋な計らいで、そっくり残っている
DSC04541_R_20130824161354ea8.jpgブラインドコーナーは交通事故の名所でもある
DSC04542_R_20130824161356b32.jpg本当にこの施工業者はいい仕事をしている、移動もせずそのまま残してる
DSC04543_R_20130824164916afa.jpgでは、失礼する
DSC04548_R_20130824164919a43.jpg入り口は鍵形にクランクして狭いが
DSC04549_R_20130824164920ccf.jpgすぐに通路が四角くなる
DSC04550_R.jpg壕床は以外と歩きやすい、砂が吹き込んで平らになっている
DSC04555_R_201308241702535e9.jpg右に曲がると狙撃室がある、以外と広く両端に物入れ(弾薬?)が儲けられている
DSC04556_R_20130824170255280.jpg銃眼からコンクリート噴き付け時の物か、セメント袋が大量に投げ込まれている
DSC04557_R_201308241702570c7.jpg木枠の残る銃眼、三浦海岸が一望出来る
DSC04551_R_20130824165444746.jpg引き返し、先に進むとこんな物入れサイズが2~3ある
DSC04552_R_20130824165446188.jpg長方形の部屋、兵員生息室か
DSC04553_R_2013082417174009a.jpg奥の通路は、吹き込んだ砂で埋っていた
DSC04570_R.jpg引き返し、反対側に進む
DSC04554_R_20130824171741a0e.jpg通路の端に小さな穴が幾つもある
DSC04558_R.jpgなんと、ネズミさんが生息している、結構かわいいかも
DSC04559_R.jpg唐突に下り階段が現れる
DSC04560_R.jpg階層構造は大好きだ
DSC04561_R.jpg下から見上げる
DSC04562_R.jpg左に緩やかに曲がると、十字路に出る
DSC04563_R.jpg左はうっすら明かりが見える、開口部
DSC04564_R_2013082417375595e.jpg正面の長方形の部屋、前の部屋と同サイズ
DSC04565_R_201308241737574c7.jpg部屋奥から変則十字路方向
DSC04566_R_20130824173758953.jpgもう一方に進む
DSC04567_R_20130824173800dd9.jpg少し部屋状に膨らんで閉塞
DSC04568_R.jpgもと来た方に戻る
DSC04569_R_20130824174720133.jpg来る時は気が付かなかったが、一部通路が広くなっている
DSC04538_R.jpg外に出て、フェンスの内側を見る
DSC04572_R.jpg壕発見
DSC04573_R.jpg掘りかけの様だ、洞窟陣地と繋げるつもりだったのか?
DSC04574_R.jpg天井を見上げると、超ー大量のゲジ!!
DSC04575_R.jpg自分を残し、メンバーは対抗車線まで逃げていた

浜諸磯狙撃用洞窟陣地

前回紹介した浜諸磯洞窟砲台のすぐ近くに、砲台防衛を主眼としたであろう、狙撃口を
2ヶ所持った浜諸磯狙撃用洞窟陣地がある。
こちらも浜諸磯洞窟砲台と同じく、別荘に飲み込まれてしまい、2つある狙撃口の内1つは外部から見る事は出来ない、しかし内部からは狙撃口は可愛そうな日の目を二度と見ない状態を見れる。
DSC01213_R_20130823190429e16.jpg浜諸磯の灯台に向かう
DSC05034_R_20130823190637298.jpg狙撃口はこの茂みにある
DSC05033_R.jpg水が染み出している事が多いから、滑りやすくなっている
DSC05036_R.jpg榴弾砲氏に狙撃口に立って貰った、狙撃口の巨大さが判るだろうか
DSC05037_R.jpg狙撃口より外を見る
DSC01214_R_20130823191430876.jpg邪魔が無ければこんな風景が見える
DSC01219_R.jpg中から狙撃口の段々を見る
DSC01220_R.jpg狙撃室への通路
DSC01221_R.jpg入ってすぐ左に分岐があるが
DSC01222_R_20130823191717dc5.jpgクランクしてすぐ行き止まり
DSC01223_R_2013082321064027a.jpg
通路に戻るが、別荘建築時に投げ込まれただろう、瓦礫が大量にあり、歩きづらい
DSC01224_R_2013082319285282b.jpgこの猫車で運んで来たのだろうか
DSC05041_R_2013082319332137b.jpg右にも分岐がある
DSC05043_R.jpgしかし、こっちも行き止まり
DSC01225_R_20130823192854bba.jpgメインに戻るが、右側は行き止まり
DSC01226_R_20130823192856de2.jpgもどって左に進むと
DSC01227_R_2013082319285736e.jpg右側に瓦礫で埋った大きな部屋がある、兵員棲息室だろう
DSC01228_R_20130823192859666.jpg部屋の反対側に抜ける
DSC01229_R_201308231940448be.jpgT字路にでる
DSC01230_R_201308231940459db.jpg右に曲がる
DSC01231_R_20130823194047919.jpgすぐに左の分岐を曲がる
DSC01232_R_201308231940492b0.jpg外部から埋っている様だ
DSC01233_R_20130823194051129.jpg元に戻る
DSC01234_R_20130823194715375.jpg奥に進むが
DSC01235_R_201308231947171e4.jpg階段状に少し登って掘りかけ、行き止まり
DSC01236_R_20130823194718772.jpgもと来た道を、分岐に戻る
DSC05043_R_20130823195357123.jpg分岐から右に進み左に折れると
DSC01238_R_2013082319570410d.jpgまた、埋っている
DSC01240_R_20130823195359f15.jpg戻って、長い直線を進むと
DSC01241_R_201308231954018d5.jpg2つ目の狙撃室に着く
DSC05046_R.jpg左の道は何故かロープして狙撃室に戻って来る
DSC01242_R_20130823195402cb5.jpg問題の狙撃口、何かがおかしい
DSC05049_R_20130823201723639.jpg狙撃室の天井の通気孔、塞がっている
DSC05050_R.jpg狙撃口の外は真っ暗な密室になっている
DSC05054_R.jpg狙撃口を振り返る、極普通の風景だ
DSC01243_R_20130823202202341.jpgちょっと引くと異常な風景になる
DSC01245_R_20130823202204045.jpgコンクリートだらけだ
DSC01246_R_20130823202206706.jpg唯一の外部接続部位、当然開かない
DSC01247_R_201308232022075fb.jpg非常に興ざめする一方、異常さが面白くもある
DSC01248_R_20130823202209b07.jpgさて戻ろう
DSC05055_R.jpgこっちの狙撃口はもう一つより小さい
DSC01256_R_20130823202935b47.jpgまた、瓦礫の山を越えて行く
DSC01257_R_20130823202937d89.jpg最初の狙撃室に戻って来た
DSC05060_R.jpg去り際に狙撃室を振り返る、右側が壕内への連絡口
DSC01258_R_2013082320365164d.jpg無事脱出
DSC01260_R_20130823203655d5e.jpg位置的に、この下に第二の狙撃口が隠されているのだろう、来る日の為に


浜諸磯洞窟砲台

浜諸磯洞窟砲台は、15cmセンチカノン砲を2門設置した洞窟砲台で、付近には浜諸磯狙撃用洞窟陣地もある
砲座はコンクリート製で、第二砲座は海岸に開口しているが、第一砲座は別荘の中に取り込まれ
内部からも、外部からも確認出来ない。
開口部は第一砲座付近と第二砲座からとなるが、第一砲座付近は別荘敷地内となるのでお勧めしない
浜諸磯洞窟砲台は、コンクリート部分は立派だが、素掘り部分は水が染み出している所がある
壕内の一部は非常に低くなっているが、これでも整形してあり、完成形の様だ
DSC01161_R_201308222046058a6.jpg第一砲座付近の入り口は通報されても文句は言えない、別荘から丸見えの所に開いている
DSC04985_R.jpgまずは、右手の第一砲座に向かう
DSC04986_R_20130822204608ce9.jpg通路は水没している
DSC04987_R_20130822204610da2.jpg洞窟陣地に良くある、侵入者対策と思われる土盛り
DSC04989_R.jpg砲座手前にある砲員棲息部と思われる、四角い部屋
DSC04990_R.jpg左側はコンクリート製弾薬庫
DSC04991_R.jpgこの先が砲室なのだが、別荘として使用されている
DSC01173_R_2013082220552152b.jpg配電盤でも付けていた様な窪み
DSC04992_R.jpg第一砲座、弾薬庫
DSC04993_R_20130822205938b8d.jpg3mほどの総コンクリート
DSC04994_R.jpg爆風避けが付いている
DSC04995_R_20130822210308ace.jpg入り口付近の分岐に戻って来た
DSC04996_R_2013082221031072c.jpg左に側溝が掘られ、整備されている
DSC04997_R.jpgしかし、すぐに天井が低くなる、右の分岐を曲がる
DSC04998_R.jpgもうしゃがまなければ進めない、そして終息
DSC01179_R.jpg途中にあった掘りかけの、すれ違い場?
DSC01180_R.jpg壁に杭が刺さっている、電線用か?
DSC01182_R_20130822211208dec.jpg倉庫?
DSC01183_R_2013082221121044b.jpg第二砲座へ
DSC01184_R_201308222129406c0.jpg分岐に到着
DSC01185_R_20130822212942f6d.jpg第二砲座、赤い鉄柵は戦後別荘使用時の物
DSC05000_R.jpg爆風避けのある砲員棲息部
DSC05001_R.jpgゴミだらけで、焚き火の跡もある
DSC05002_R.jpg左側の弾薬庫
DSC05003_R.jpgゴミが多いが壁はまだマシ
DSC01189_R.jpg中に入るのは危ない
DSC05004_R.jpgレトロなタイプライターと、手動脱水装置付き洗濯機
DSC05006_R.jpg右側の弾薬庫、煤けている爆風避け
DSC05007_R_2013082221363924f.jpg以外とマシな室内
DSC01191_R_201308222145263e3.jpg砲室をくり貫いて棚にしてコンセントを付けた別荘時改装跡
DSC01192_R_2013082221453896f.jpg風呂場
DSC01193_R_20130822214540b01.jpg焼失した様で、焦げた木材だらけだ
DSC01202_R.jpg砲室全体
DSC05005_R.jpg砲座開口部
DSC05009_R_201308222155065be.jpg外部より
DSC05011_R_20130822215508e39.jpg砲室右側に砲身格納場所がある
DSC05014_R.jpgでは、戻るとする
DSC05017_R_20130822215954273.jpg奥に進む
DSC05018_R_20130822215956742.jpg右に分岐がある
DSC05019_R.jpg少し進むと
DSC05020_R_2013082221595968a.jpg行き止まりになる、海岸への抜き穴だろう
DSC05021_R.jpg何だこれ?
DSC01206_R_20130822220922cc5.jpg最深部は住居に繋がっている様で、穴を覗くと照明が壁に憑いている
DSC01211_R_2013082222092426e.jpgでは脱出
DSC05029_R.jpg外に出て諸磯湾を見る
DSC05030_R.jpg油壺マリンパークも見える
DSC05032_R.jpg海岸から見る第二砲座

三崎砲台(岩堂山観測所)

三崎砲台は東京湾要塞の一部として、大正10年竣工、七年式30cm長榴弾砲4門据付していたが、 大正12年震災により損傷補修
昭和13年に七年式30cm長榴弾砲4門とも、満州に移動され、同14年廃止となる。
三崎砲台は実戦には一度も参加する事は無かった、砲座は4つとも畑になってしまったが、砲側観測所と、門柱のみが現在も確認出来る。
三崎砲台関連施設として、砲座両端には砲側観測所があったが、別に主観測所は岩堂山頂に設けられた、後に脇に八八式海岸射撃具用の観測所が造られた。
旧観測所は発見しやすいが、新観測所は激しい藪の中に埋もれていて、戦後の破壊も著しく原型がわかり難い
しかし、外壁に残る迷彩塗装や砲台特有のコーティングには一見の価値がある
DSC04638_R.jpg山頂の道路を一歩入るとすぐに門柱がある(フェンス沿いに道がある)
DSC04639_R.jpg金属を抜き取られ、かなり壊れている
DSC04641_R.jpg反対側の門柱の影に生首が置いてある、結構リアルで気色悪い
DSC04643_R.jpg砲台に向かう、ハイエースの停まってる辺りが分岐になる
DSC04636_R_2013082120405043b.jpgこの倉庫を曲がった所に砲台遺構がある
DSC04629_R_2013082120591968a.jpg砲側観測所の遺構
DSC04630_R.jpg恐らく計算室もしくは司令室、奥の壁に伝声管が見える
DSC04631_R.jpg半分は埋ってしまっている
DSC04634_R.jpgメチャクチャ滑るこの部分を登り上に上がると
DSC04633_R_201308212059260ec.jpg円形の観測室もしくは砲台長位置と見られる遺構がある
DSC04635_R_201308212107217fd.jpg探してみたが、他に目立った遺構は無い
DSC04637_R_20130821210723464.jpgしかし、ちょっと近くを掘って見ると、コンクリート遺構が顔を覗かせる
DSC04644_R.jpg岩堂山観測所に向かう
DSC04645_R.jpg山道を延々と登ると斜面に何かが見える
DSC04647_R_20130821210729a0b.jpg砲台付近では良く、似た様な形状の油脂庫と思われる遺構が見られる
DSC04650_R_20130821211713a08.jpg良く間違って、これが観測所だと紹介されている物件、関連施設には違いないだろう
DSC04649_R.jpg自分的には観測所の防衛陣地の様に感じる
DSC04652_R_201308212117156c1.jpg結構な厚みはある
DSC04669_R.jpg眺め良し、湾内一望
DSC04653_R_20130821212534be3.jpg藪の中に分け入る
DSC04654_R_2013082121253647c.jpg迷彩模様のブツブツの付いた壁がある
DSC04655_R.jpg人と比べると大きいのが判る
DSC04656_R.jpgほぼ唯一真っ当な形をしている部分
DSC04658_R.jpg地下式に埋没していて、コールタールが随所に塗られている
DSC04659_R.jpgたった70余年で植物に蹂躙されている
DSC04660_R_2013082121391802e.jpg上から見ると、こんな感じ
DSC04665_R.jpg壁に沿って20mほど進むと
DSC04666_R.jpg測遠機台の様な4つの四角い台座がある
DSC04668_R.jpgその付近には機銃掩蔽の様な丸い窪みがある
DSC04670_R_20130821214555f9d.jpgまた、新たな藪に突入して行く
DSC04671_R.jpgこっちは軍道が残っているので、突入位置さえ間違わなければすぐ判る
DSC04672_R_201308212146020f2.jpg迷彩模様で、状態は旧観測所の方が良い
DSC04677_R.jpg部屋は3つある、左の部屋から右の部屋方向を撮る、誰か住んでいたのか?
DSC04676_R.jpgやたらにデカイ伝声管
DSC04678_R_20130821215447de7.jpg観測室出入り口
DSC04679_R.jpg反対側の入り口
DSC04680_R.jpg天井には、住人が塞いだのか、伝声管の跡だろう
DSC04695_R.jpg観測室、中央に測遠機台座がある
DSC04700_R.jpg通路の天井の伝声管、上は砲台長位置となる
DSC04696_R.jpg振り返り
DSC04698_R.jpg天蓋があったのか、ボルト跡がある
DSC04674_R.jpg上には砲台長位置がある
DSC04675_R.jpg脇の階段から昇る
DSC04682_R.jpg結構階段は急だ
DSC04683_R.jpg真ん中に足掛けが開けられている
DSC04684_R.jpgここにも迷彩が残っている
DSC04685_R_20130821221639c05.jpg砲台長用の伝声管は3つある
DSC04688_R_20130821222128d53.jpg砲台長位置は半分枯れ草に埋っている
DSC04689_R.jpg左側伝声管
DSC04690_R.jpg見にくいが、ボルトが2本あり、天蓋を付けていたのだろう
DSC04691_R.jpg砲台長位置から下の観測室を見下ろすDSC04704_R_20130821223422183.jpg探索後の一コマ、何があったのかあえて書かない

横須賀海軍軍需部 行基地区付近ヒストリーその3

そろそろ、引っ張ってきた比与字を終わりにしようと思う、主だった物は紹介できたろう
最後に海自の油脂庫を作る為に破壊されてしまった、魚雷庫、火工倉庫、無煙火薬置き場、火薬庫等の
在りし日の写真を紹介し、油脂庫工事の成り行きを見て行く
破壊時の写真は榴弾砲氏にお借りする(自分は仕事で見れなかった)
DSC04273_R - コピー番号で説明して行く
火工工場全景_R数年前までは、これが当たり前の風景だった
DSC00810_R_20130820200056a0c.jpg1番の構造物、地図には載っているが、形状的には発電機室か?詳細不明
DSC07821_R_20130820200747d6a.jpg上物が無かったので、アッとゆう間に更地になり、壕口もむき出しになる
DSC00265_R_2013082019391418d.jpg2番の魚雷庫が左、3番の火工倉庫が右側
旧海軍工廠造兵部の火工工場_R魚雷庫全景
火工工場の電灯_R魚雷庫の電燈と扉
魚雷倉庫・火工倉庫 189_Rいつの間にか魚雷庫が4分の1になっている
魚雷倉庫・火工倉庫 074_R裏側から見る
魚雷倉庫・火工倉庫 048_R辛うじてこの時点では残っていた、電燈と扉
魚雷倉庫・火工倉庫 062_R無残に切られた鉄柱
魚雷倉庫・火工倉庫 071_Rこの滑車で魚雷を運んでいたのだろうか
魚雷倉庫・火工倉庫 096_R70余年の終焉を迎える魚雷庫
DSC04273_R - コピー3番の火工倉庫は、奥まった所にある
DSC00820_R_201308202053194f7.jpg火工倉庫は爆発の危険の為か、最も奥に土塁に囲まれていた
DSC00821_R_2013082020532285d.jpg殆んど無くなっているが、手前に土塁の跡が見える
DSC00822_R_20130820205324c87.jpg左側壁、鋼鉄の窓
DSC00823_R_201308202053262bd.jpg全面鉄扉で窓を蔽っている
DSC00832_R_20130820205329c7a.jpg乾燥を考えて、全て高床式になっている
魚雷倉庫・火工倉庫 097_R火工倉庫は鉄筋コンクリート製だった
魚雷倉庫・火工倉庫 121_R内部写真
魚雷倉庫・火工倉庫 102_R米軍占領時の落書き
魚雷倉庫・火工倉庫 142_R薄く開いた鉄窓、数10年ぶりに開いたのが最後の時とは・・・
魚雷倉庫・火工倉庫 162_R上の丸窓は海軍航空技術廠でも似た様な物を見かけた
魚雷倉庫・火工倉庫 161_R火工倉庫の隣に用途不明の設備があるが
DSC00829_R_20130820212647a08.jpg隣のコンクリートブロックといい、戦後施設と思われる
DSC04273_R - コピー4番の火薬庫、まともな写真が無い
DSC00831_R_20130820213917381.jpg左が4番の火薬庫
DSC00846_R_2013082021391421f.jpg全木製建築物にモルタル張り
魚雷倉庫・火工倉庫 168_R残骸のみ
魚雷倉庫・火工倉庫 130_R5番の無煙火薬置き場、左に4番の火薬庫があった
魚雷倉庫・火工倉庫 169_R最後まで残っていた無煙火薬置き場、手前のモルタルは火薬庫の残骸だろう
DSC04915_R.jpg破壊が終わった
DSC05327_R.jpg後は整地して、後の壕は残るだろうと思っていた
DSC09470_R_201308202201459b0.jpgしかしすぐに、新たな動きが始まった
DSC09472_R_2013082022014763e.jpg伐採だ、嫌な予感がするとゆうより、それしかない
DSC00150_R_20130820220948729.jpg擁壁工事が始まった
DSC00151_R_20130820220951d9d.jpgアッとゆう間に壕口が削り塞がれて行く
DSC00930_R_201308202209568c3.jpgスゴイスピードで工事は進む
DSC00933_R_201308202209581b0.jpg向かって右側も進む
DSC01157_R_201308202220430bf.jpg下の壕口は残っているが、上の抜き穴は塞がれた
DSC03002_R_20130820222045a79.jpg下の壕口も塞がれた
DSC04976_R_2013082022204744f.jpg下の方もブロックを組み始めた
DSC06810_R_20130820222049014.jpgこの頃になると、北側の炸薬弾丸庫跡地にも動きが始まる
DSC06904_R_20130820222825b5f.jpg擁壁工事が一段落したら、基礎工事が始まる
DSC06740_R_201308202228169f6.jpgかなり広範囲に作る
DSC08229_R_201308202228263c4.jpg壁が出来て、見にくくなる
DSC08230_R_20130820222828f2e.jpg北にも基礎と排水溝が出来る
DSC08734_R.jpg建物は倉庫なので、異様に早く出来ていく
DSC08738_R_20130820224324cda.jpg北側も立て始める
DSC00664 - コピー_Rこの頃に、道路工事が始まり旧軍水道管が掘り出されて放置されていた
DSC00665 - コピー_R煉瓦も一部出土した様だ
DSC00667 - コピー_R北側は骨格が出来る
DSC07750_R_20130820225049072.jpg平屋の油脂庫は簡単に完成した
DSC07751_R_201308202250511b0.jpg北側も大分進んだ
DSC07753_R_201308202250552e5.jpg警備犬小屋と緑の旧軍弾薬庫が見える
DSC09751_R.jpg山側にも監視カメラと柵が出来た
DSC09753_R_20130820225621039.jpg門柱が出来、完成間近か
DSC09754_R_20130820225623e6b.jpg北側も完成が近い
DSC00107_R_201308202300015f4.jpg施設完成
DSC02410_R.jpg北も完成
DSC03200_R.jpg表札が付き、車両の出入りがある
DSC03201_R_20130820230011c77.jpg横須賀造修補給所 比与字油脂庫地区
DSC03206_R_20130820230450d4c.jpg柵が出来て完成
DSC03283_R_20130820230452752.jpg立派な物が出来上がり
DSC03357_R.jpg防衛庁の杭を埋めて花壇造り
DSC03358_R_201308202304561a5.jpg全て完成
DSC04166_R_20130820230458a40.jpg北の脅威に対して必要な体制強化なのだろう、この地域一帯の海自施設の増強はハンパ無く行われている

横須賀海軍軍需部 行基地区付近ヒストリーその2

流石に訪問回数が尋常では無いので、自然と写真が沸いて出てくる
比与字とは長い付き合いで、自分が本格的に潜った大型壕として始めての物だった
よって、写真枚数も数千枚に登る、選別作業が結構時間が掛かる
DSC04270_R_201308192109280b6.jpg行基地区を軽く紹介する
DSC08140_R_201308192108347a7.jpg11号倉庫脇の道を引込線に沿って海に向かう
DSC00668_R_20130819210831bf7.jpg線路脇に奇妙な止水栓がある
DSC00670_R_20130819210833e6a.jpg何故か浮いている、線路にあるのに?
DSC08109_R_201308192117134e2.jpg現在相模運輸倉庫として使用されている
DSC08099_R_20130819211711c82.jpg引込み線が縦横に走っている
DSC08097_R_2013081921170906b.jpg国鉄管理時代のもの
DSC08413_R.jpg外観は補修しても
DSC08416_R_20130819211716dc5.jpg内部は当時のまま、補修しながら使用している
DSC08249_R_201308192122107e2.jpgこの地区の消火栓は3つ確認しているが、海軍マークはこれだけにある
DSC08251_R.jpg止水栓もいろんなタイプが沢山ある
DSC08254_R_20130819212213ea3.jpg消火栓はこれ一つ
DSC08269_R_201308192122190b2.jpg当時のまま、補修されながらも現役のダビット
DSC08270_R_20130819212221230.jpgぬこ、捕まってしまった10分ほど
DSC08139_R.jpg線路脇を市営桟橋に向かって行くと
DSC08136_R_20130819212829748.jpg転轍機がある
DSC08137_R_20130819212832971.jpgこれは硬いが、何とか稼動する
DSC08138_R_2013081921283316e.jpgもう一つ有った筈だが、動かないので写真が無い
DSC08115_R_20130819214205756.jpg奥にはアンカーの墓場がある
DSC08118_R_20130819214208530.jpg新旧色々ある
DSC08120_R_20130819214210091.jpg細身の物は戦中から使われているタイプだ
DSC04273_R - コピーでは、比与字トンネルに向かう
DSC03279_R_201308192239570c4.jpg鉄道は左より、荷降ろしは右側で行っていた様だ
DSC01018_R_201308192103555d6.jpgトンネル南側(山側)には積み下ろし用のプラットホームが有ったのか、4つとも高さが揃っている
DSC01019_R_20130819210356304.jpg一応全部違う壕口の閉鎖跡の写真
DSC01020_R_201308192103584b6.jpgトンネルが馬蹄型なので、下の方が10cmほどベンチ状になっている
DSC01021_R_20130819210359cb2.jpgトンネル内には歩道が無いので、歩くのは危険だ
比与宇トンネル内の軌道終端_Rトンネル内に有った引込線の看板、撤去されてしまった
DSC01022_R_20130819214622a85.jpg来たからには、また歩いて戻らなければならない、今はLED化されて倍くらい明るい
DSC04273_R - コピー山中には壁が書かれている
DSC07866_R_201308192159026d7.jpg海軍境界壁で民間の人が中を見れない様にしていたのだろう
海軍立ち入り禁止区域コンクリート壁_Rでなければ、境界柱のみで、事は足りるはず
DSC07821_R_20130819215328867.jpgこれは一番手前の、井戸のある所への壕口だ
DSC07822_R_20130819215330cd4.jpg道路から正面に素掘りの倉庫壕が4つ並ぶ
DSC07824_R_2013081922065778a.jpg左側の2つは、内部が部屋状に整形されている
DSC07825_R_20130819220659f5c.jpgうっすら扉の跡が付いている
DSC07826_R_20130819220701471.jpg右の2つは、狭く短い直線のみ
DSC07827_R_201308192207041aa.jpg掘削途中なのだろうか
DSC07829_R_201308192214358af.jpgその隣には壕口のみコンクリート巻きの壕が並ぶ
DSC07830_R_20130819221436b41.jpg形状は同じ
DSC07831_R_20130819221438a46.jpg内部は繋がって、大きな部屋となる
DSC07832_R_20130819221439ac6.jpg恐らくこれが工場の防空壕なのだろう
DSC07833_R_20130819221441a7d.jpgどっちみち、火薬庫の裏では助からないだろう
DSC07835_R_20130819222116c9b.jpg良く見ると、フック状の物が付いている
DSC07836_R.jpg壕口がコンクリートなのはここだけだ(トンネルは別にして)
DSC07828_R.jpgこれは角にある本坑への入り口
DSC07840_R_20130819222712c5b.jpg壕口UP、工事用に広げられている
DSC07837_R_201308192227089e0.jpgこのぐらいの開口部が幾つか並ぶ
DSC07839_R_20130819222710ce3.jpg一番右の火工工場への壕口(比与字地下壕ではない)
DSC05323_R_20130819223227e45.jpgここには3本の電柱が立っていた、3角形を成し通信用ケーブルを張っていたのか
DSC05324_R_201308192232285f7.jpgそれとも火薬庫なので避雷針か?
DSC05322_R.jpgその両方なのか?なぞのまま・・・
DSC05378_R_20130819223230121.jpg先端には細く伸びている部分もある
DSC09937_R_201308192245235dd.jpgしばらくして行って見たら、折られていた
DSC09975_R.jpg見事にポッキリと
DSC09931_R_201308192245213ce.jpg登ってみた
DSC09934_R_201308192245225af.jpg有った!端っこに
DSC09977_R.jpgボロボロに折れている
DSC09978_R.jpg良く見ると、通信線のワイヤーにも見える細いワイヤーがあちこちに絡まっている
DSC09980_R.jpg変わりに変な物が立っていた

横須賀海軍軍需部 行基地区付近ヒストリーその1

基本横須賀に行く時は、比与字(比與字)トンネルを回って行くので、数百回は軽く通っている
古地図を交えながら、5年ほど昔の写真を紹介する
DSC04270_R.jpg終戦時の地図となる
軍需部修理場跡_R相模運輸倉庫稼動時のF号倉庫(軍需部修理場)
CIMG0655_R.jpg現在すっかりかたずけられ、国有地売却物件となる
CIMG0658_R_20130818195457003.jpg細かくはこっちを参照
CIMG0659_R_20130818195459325.jpg同じく売却待ち
F号前起動敷_R軍用引込み線は休止線から廃線になったらしい、つまりいつでも破棄できる状態にある
運河と連絡橋_R引込線ガーター橋と奥の橋も当時の物
当時の鉄橋_Rこれを歩いて渡るのが好きだった
DSC07817_R_20130818201211e02.jpgいきなり始まった工事
DSC07818_R.jpg川を塞き止めての、工事を行う
DSC04160_R_20130818201426766.jpgきれいさっぱり、亡くなってしまった
DSC04161_R.jpg当時の蒼い塗料が僅かに残る
DSC04162_R.jpg奥の橋はまだまだ現役
火工工場全景_R正面には魚雷庫が見えていた
DSC04166_R.jpgほぼ同アングル、レールや転轍機をどけてカーブのRを軽くした、元の外縁は電柱辺り
DSC04165_R.jpg少し画面を引く、現在の鉄道平面交差点
十字交差点_Rこうゆう交差は珍しいそうだ、横須賀海軍工廠造兵部にもある
DSC04168_R.jpgレールはここで切られている、歩道として残りそうだ
DSC03544_R_20130818213523e77.jpg平面交差から海側に行く
DSC03538_R_20130818213521f4c.jpg旧軍の残存火薬庫
DSC03545_R_20130818213525210.jpg現代の火薬庫と当時の建物が共存している
DSC03548_R_20130818213527b81.jpg最強のガーディアン登場、10分ほど足止めされる
気動車5年以上前には黄色い電車が長く停まっていた
田浦駅方面_R数年前には居なくなった
DSC04167_R_20130818210149c76.jpgここには確かに電車が走っていたのだ
DSC07241_R_20130818210535f0f.jpg
DSC07242_R_20130818210536f52.jpg
DSC07243_R_20130818210538f69.jpg去年まではこんな物も残っていた
DSC06201_R_20130818213033cc8.jpg二度と鳴らない警報機、今は無い
DSC04169_R.jpg現在の11号倉庫
DSC07192_R_201308182105315f2.jpg旧海軍軍需部長浦倉庫 (相模運輸11号倉庫)
DSC07240_R_20130818210533bcc.jpgこれも売却物件になっている
CIMG1204_R.jpg最後のオリジナルレール
DSC06174_R_20130818214157480.jpgここから先は無くなった
DSC06175_R_20130818214158874.jpg掘り起こされた枕木
DSC06180_R.jpg無残に切られた70年以上前のレール
DSC00671_R_201308182150267e4.jpg当時はこのまま、トンネル内までレールは続いていた
CIMG1209_R.jpgここでスイッチバックして11号倉庫方向に曲がる
CIMG1208_R.jpgその為の転轍機、最後まで稼動状態を維持していた、最後まで・・・
P1350320_R.jpg何気にみんな好きだった
DSC00778_R_20130818215604f0e.jpg最後の思い出だ
SANY0137_R.jpg行基地区にはまだ2つ残っているがこれ程は状態は良くない
DSC06738_R.jpgレールの側には海軍止水栓の蓋もあった
CIMG1207_R.jpg開閉可能の状態の良い物だった
P1330149_R.jpgこの後掘り出され、廃棄された

比与字地下壕南側残留物、零式雷撃照準機三型計算板他

比与字地下壕南側の水没区には、零式雷撃照準機三型用計算板及び97式雷撃照準機用計算板が
発掘出切るポイントがあった。
材質はセルロイドの様だ、今でゆうプラスチックで、木製では無かったお陰で当時のまま現存している。
色々調べてみたが、照準機本体は現存は見かけるが、計算板の方はほぼ見かけない
CIMG0338_R.jpg壕口はほとんど埋っていた
CIMG0339_R.jpg乾季には水は引くが、普段は半水没状態だ
CIMG0340_R.jpg発見状態、格納箱だけが腐って無くなったのだろうか?
DSC05361_R.jpg発掘状態
DSC05362_R.jpg九一式とは勿論九一式航空魚雷の事だ、多分
P1060641_R.jpg幾つかの種類が存在する様だ
SCN_0002_R.jpgナショナルアーカイブの一部を引用する 「モデルアート誌」より許可済み
97式雷撃照準器_R97式雷撃照準機、この頃は板を使ってないようだ
零式 雷撃 照準器 二型_R拾い物画像だが三型ではなく、二型しか見当たらなかった
DSC04111_R_20130817210833130.jpg左用、対戦艦攻撃用、右端は敵艦との投射距離だろう、14Kとは14ノットで航行時
DSC04112_R.jpg対戦艦18K、ノットごとに表が変わる
DSC04113_R_20130817210836ee3.jpg
DSC04114_R_201308172108383aa.jpg
DSC04115_R_20130817210839a81.jpg
DSC04118_R_20130817212121bf3.jpgこれは右用、零式は左右どちらか1枚ずづ使用している様だ
DSC04117_R_201308172121193c1.jpg
DSC04116_R_2013081721211738c.jpg
DSC04119_R_20130817212122f56.jpg
DSC04120_R_201308172121244b2.jpgアイオワ型には対応出来ないかも(33ノット)
DSC04121_R_201308172129399e1.jpg左用、対巡洋艦攻撃用、最低20ノットから始まる
DSC04122_R_20130817212941c11.jpg
DSC04123_R_20130817212943143.jpg
DSC04124_R_201308172129447a9.jpg
DSC04125_R_20130817212946db5.jpg最大34ノット
DSC04126_R_201308172133541ae.jpg右用
DSC04127_R.jpg
DSC04128_R.jpg
DSC04129_R_201308172133595e9.jpg
DSC04130_R_20130817213400f45.jpg何故巡洋艦用は最後は4ノット刻みでは無いのだろうか?
DSC04059_R_20130817214300c18.jpgこのタイプは1枚で左右対応になる、表示が中央菱形内になる
DSC04067_R_201308172143056dd.jpg
DSC04061_R_201308172143014da.jpg
DSC04068_R_201308172143060e9.jpgどうやら26ノットが発見出来てない様だ
DSC04069_R.jpg対巡洋艦用
DSC04070_R_201308172150286fe.jpg
DSC04071_R_20130817215030834.jpg
DSC04072_R_201308172150313ee.jpg
DSC04073_R_201308172150337ed.jpgこっちは揃っている
DSC04092_R.jpg別のタイプがある、恐らくこっちが後期型だろう
DSC04076_R.jpg旧型比較用
DSC04093_R_20130817215654aa6.jpgまったく表示が変わっている、数字がグラフから円形内に移っている
DSC04078_R_20130817215652819.jpg比較用
DSC04095_R_20130817215656de9.jpg戦が主になって、空母含む主力艦なのだろう、ノットも幅がある
DSC04106_R.jpg対巡洋艦タイプ
DSC04108_R.jpgこの形式はあまり見つからない
DSC04105_R_201308172212444b9.jpg試作なのか、色、材質が違う
DSC04101_R_2013081722122646e.jpgこれは、より旧型に近く旧材質のままだ
DSC04102_R_20130817221238ea4.jpg良く見るとまだ相違点がある
DSC04103_R_20130817221240edc.jpg字体が違っている
DSC04104_R_2013081722124262e.jpg製作時期によるものか、生産メーカーが違うのか?様々なバリエーションがある様だ
DSC04132_R_2013081722200424e.jpg同じく壕内には良く精密機械油瓶が落ちている
DSC04251_R.jpg状態が良い物は紙が憑いている
DSC04252_R.jpg第一海軍燃料廠 研究部
DSC04261_R.jpg1、底には色々書いてある
DSC04134_R_20130817222007afb.jpg
DSC04133_R.jpg
DSC04264_R_20130817223846f88.jpg
DSC04258_R.jpg点のみ、色も様々
DSC04260_R.jpg瓶の口もいびつだ、基本コルクで栓をしてある

計算板は資料が少なく、個人的見解が殆んどなので、鵜呑みにしない様に!

比与字地下壕 南側その3

DSC02030_R.jpg前回ループしてここに戻って来た、そのまま進むと
DSC02021_R_20130816193014fe1.jpgこの壕唯一のコンクリート巻きの部屋に着く
DSC02022_R_201308161930155fb.jpg岩盤と見事に融合している
DSC02023_R_20130816193017fca.jpgこっちの方はまともに巻いてある
DSC02024_R_20130816193019a3e.jpg天井に刻まれた十字架(ただの鉄筋の露出だが)
DSC00216_R_20130816193821146.jpg全景、地下のコンクリート部屋としては広い
DSC00217_R_20130816193822484.jpg横通路
DSC00218_R_2013081619382472f.jpg反対側の壁は窪みが掘られて、コンクリートが切られている
DSC00219_R_20130816193825c6a.jpg固まってしまった当時のセメント袋、セメント切れではない
DSC00222_R_2013081619382782d.jpg次に向かう
DSC00223_R_201308161946162e2.jpg乾燥区から水没地区への境目
DSC00224_R_2013081619461944d.jpg壕の様相が変わる
DSC00225_R_201308161946203aa.jpg海軍食器の墓場に到着
DSC00226_R_2013081619462296c.jpg大皿、どんぶり、茶碗(蓋付き)何でもあるが、ホーローの青食器は無い
DSC00227_R_20130816194623de9.jpgイカリマークの入っている金縁の立派な物が多く、桜の花びらガラもある
DSC09949_R_20130816195556fc7.jpg見てくれこの数を
DSC09950_R_20130816195558f74.jpgもうこの時期では、目立った表面の物は持ち去られたが、埋っている
DSC09951_R_20130816195600808.jpg掘れば掘るだけ出てくる
DSC09957_R_2013081619560188a.jpgこの辺の完品は、オークションで2~3000円で売買されている
DSC09963_R.jpg大皿の完品は無理の様だ
P1010015_R.jpg発掘物の一部紹介
P1010021_R.jpg
P1010044_R.jpg
P1010071_R.jpg
P1010075_R.jpg頑張ればまだいっぱい掘れるので、探して見よう
DSC00228_R.jpg探索を続ける
DSC00229_R.jpgこの辺は大きな碁盤目状のエリアになる
DSC00230_R.jpgこのエリアの半分は多かれ少なかれ水がある
DSC00232_R_201308162010483c5.jpg入る時は長靴をお勧めする
DSC00234_R_20130816201049386.jpg水面に天井が移り込むのが気に入っている
DSC00236_R_20130816202035153.jpg交差点付近は崩落が激しい
DSC00237_R_20130816202037c4b.jpgこの辺は崩落よりズリが多そうだ
DSC00239_R_201308162020396e1.jpgこの辺は掘削が荒い、仕上げ前なのだろう
DSC00242_R_20130816202042ecf.jpg仕上げの終わった通路
DSC00245_R_20130816202043c0d.jpg何故か綺麗な通路は水没が多い
DSC00250_R_20130816202716c65.jpgガレた水没区は最悪だが、この程度は問題ない
DSC00254_R_20130816202718ff7.jpg透明度は良いが、2人め3人目になるとまったく見えない
DSC00260_R_201308162027194c1.jpg大分奥まで来た
DSC02009_R_20130816204831575.jpg後は何処も似た様な物なので割愛する
DSC02010_R_201308162048347f2.jpg出口に向かう
DSC02018_R_20130816204836349.jpgお土産が重い
DSC02007_R_201308162048284cc.jpgまたいずれ入りたい

比与字地下壕 南側その2

DSC00183_R_20130815185219516.jpgシルバーセンター側を更に探索する
DSC00187_R_201308151852258c4.jpg掘りかけ
DSC00188_R_201308151852278d7.jpgこれも掘りかけ
DSC00189_R_201308151852298b5.jpg戦後か不明だが、扉の様な物が土砂止めに立ててある
DSC00190_R_20130815185230bf1.jpgこれは崩落ではなく、ズリである
DSC00193_R_2013081519072825f.jpg見ての様に天井は何とも無い
DSC00197_R_20130815190732154.jpgズリを出す間も無く、堀まくっていた様だ
DSC00198_R_2013081519073377e.jpg戸で塞いである所がある
DSC02066_R_20130815191426160.jpg良く見ると鉄骨に板を張り、その上にコンクリートを塗ったようだ
DSC02068_R_20130815191428af3.jpgコンクリート以外は、ボロボロだ
DSC00199_R_201308151907342d4.jpgこれは崩落だ、大した事は無い良くある程度だ
DSC00200_R.jpgこのサイズの掘りかけは、いっぱいある
DSC00201_R_20130815192055fb1.jpg酒瓶エリアに来た、何故か几帳面に色、種類ごとに纏めて積み上げてある
DSC00202_R_201308151920568f4.jpg大部分が日本酒だが、戦後の住人だろう
DSC00203_R_20130815192058a4f.jpgコカコーラが混ざっている
DSC00204_R_20130815192059ca0.jpg割れた物も纏められている
DSC00205_R_20130815192101df0.jpg真空管やメーター類、ヘッドホンの部品が散らばる
DSC02053_R_20130815193236784.jpg
DSC02056_R_2013081519323815e.jpg
DSC02103_R_2013081519323913d.jpgスゴイマメな人だったのだろうか?(マメならゴミに出す気もするが)謎は尽きない
DSC02035_R_201308151957318c5.jpg不思議な空間がある、ここから別の通路に接続しているが落差1mほど直角にある
DSC00210_R_201308151937472ca.jpg更に変な小部屋、入って来た入り口、床にはコンクリート基礎がある
DSC02042_R_201308151957328cd.jpg壕内に基礎を打つのは珍しい、洗い場だったのだろうか
DSC00207_R_201308151937381f4.jpg扉を付けていた跡がある
DSC02046_R_201308151957355b2.jpg土瓶やらナベやらが転がっている、上面はコンクリート補強
DSC02049_R_20130815200358538.jpg奥は開口していたのだろう
DSC02051_R_201308151957370b4.jpg振り向くと天井が一枚落ちている
DSC00209_R_20130815193744284.jpg部屋左側の人も通れない通路、一応貫通している
DSC02052_R.jpgいける所まで行ったが、やはり無理
DSC00211_R_20130815201120e70.jpg先の通路に戻る、行き止まりだ
DSC00212_R_20130815201122c51.jpg側面に小さな部屋がある
DSC00213_R_20130815201124489.jpg今しがた出て来た穴の隣に
DSC00214_R_201308152011254d3.jpgさっき降りなかった落差1mほどの連絡口がある、また測量ミスだろう
DSC02034_R_20130815204337d8c.jpg一応よじ登る
DSC02036_R_201308152043428a9.jpg右壁に窪みがある
DSC02037_R_201308152043447be.jpg奥に行くと蛍光灯やゴムホースなどのゴミが山ずみになる
DSC02038_R_201308152043467ac.jpgまったく、後世に通る人の事を考えて欲しい物だ
DSC02039_R_20130815204348f20.jpgそしてループする

8月15日とゆう事で、画像だけの礼砲を挙げる
DSC04138_R_2013081520564277f.jpg
DSC04141_R_2013081520564371a.jpg
DSC04143_R_20130815205645bba.jpg
DSC04145_R_201308152056467ec.jpg
DSC04146_R.jpg
DSC04148_R.jpg
DSC04149_R.jpg
DSC04152_R.jpg

おまけ
DSC04154_R_201308152143308a6.jpg本日富岡公園山狩り中に、いずもが見えた
DSC04155_R_201308152143321f8.jpg50mほど横にずれたら艦首が見えた、山狩り中なので望遠レンズを持ってなかったのが悔やまれる
DSC04158_R_20130815214334aa2.jpg機銃掩蔽壕を見つけた

比与字地下壕 南側その1

比与字地下壕は、比与字トンネルにより南北に別れているが、その南側を紹介する
大部分の人は知っているだろうが、北側より南側の方が3倍は広く作られている
第二海軍航空廠横須賀補給工場の魚雷倉庫と火工倉庫等が壕前に建っていたので、この施設の防空壕を兼ね
補給部と軍需部が共同使用していた物と思われ、壕内で見かける残留物は陶器製の海軍食器から魚雷関連の
もの、近代のエロ本に至るまで様々だった。
DSC01984_R_2013081419154379f.jpgこの辺には3~4ヶ所開口していたが
DSC01985_R_20130814191545e09.jpgほとんど壕口が埋っているか
DSC01986_R_20130814191547432.jpgゴミだらけの状態だった
DSC01987_R_20130814191549622.jpg壕口付近は何でも詰め込まれていた
DSC01988_R_2013081419155110d.jpg埋め戻しではなく、自然に埋った様だ
DSC01989_R_20130814192235f2c.jpg内側に入ると、途端にゴミは減る
DSC01990_R.jpg壕口付近は兎に角入り組んだ構造だ
DSC01991_R_201308141922385fb.jpg妙に焦げた天井もある
DSC01992_R_20130814192243184.jpg振り返るとこれ全部エロ本、別の通路にもある、某廃墟の悲しい結末を迎えた「エロ本小屋」を思い出す
DSC01993_R_201308141922444cd.jpg上部への抜き穴
DSC01995_R_20130814193349e33.jpg名物の双子井戸
DSC01996_R_20130814193355290.jpgコンクリートで形捉え、未だに水を湛えている
DSC01997_R_20130814193356239.jpgこっちは木枠が残っている
DSC01994_R_20130814193348f65.jpg奥にある本壕への入り口
DSC01998_R_20130814193357db5.jpg斜面を降りて本壕へと進む
DSC01999_R_201308141944350d8.jpg紙に番号を書いてマッピングした人が居た様だ
DSC02000_R_20130814194436a9e.jpg埋め戻し
DSC02001_R_2013081419443705d.jpgJRや道路、トンネルに面しているせいか、この壕は崩落が多い
DSC02002_R_20130814194439900.jpg木材が焦げている
DSC02003_R_20130814194441fa4.jpg支保工の木材か?
DSC04920_R_20130814195308a3e.jpg壕の主坑は3X4ぐらいか
DSC04921_R.jpg状態の良い所では、両側に排水が切られている
DSC04922_R_20130814195311508.jpg瓦礫に木材が立っている所がある
DSC04923_R_20130814195312b3d.jpgここは1本だ、支保にしては細すぎる
DSC04924_R_20130814195314500.jpgシルバーセンター裏、開口部
DSC02087_R.jpg複数開口部がある
DSC02091_R_2013081420443281c.jpg何故お釜?
DSC04925_R_20130814201215d7d.jpgこの辺は狭く、下に下る
DSC04926_R_2013081420121793c.jpg横に煉瓦の枠を付けた穴がある
DSC02075_R.jpg下まで下ると
DSC02076_R_201308142038483de.jpg左の通路をくぐる
DSC04927_R_201308142012192f0.jpg煉瓦巻きの大きな部屋に出る、前回外側から見た煉瓦製構造物の内側だ
DSC04928_R_20130814201220c3a.jpg上の鉄枠はオリジナル
DSC04930_R_2013081420122234a.jpg反対側、さっき上から見た穴が開いている、何故だろう?上は斜めになった立って歩きにくい低さの通路だ
DSC02080_R_201308142038538f1.jpg天井には亀裂が走る
DSC02077_R_20130814203850774.jpg出られないので次に向かう
DSC02092_R_20130814210207c8a.jpg2本棒に戻って来た
DSC02093_R_20130814210209f9e.jpg変わった高圧碍子
DSC02094_R_20130814210211ec3.jpg円形のコンクリートブロックが続く
DSC02095_R_2013081421021310b.jpgトンネルに接続していた部分だ
DSC02096_R_20130814210215cc8.jpg封鎖する時に、ゴミを詰め込んで埋めたのだろう
DSC02097_R_201308142103347ab.jpgトンネル内からは4つのブロック封鎖跡が良く判る
CIMG0475_R.jpg比与字トンネル内はこんな感じ

比与字地下壕 周辺遺構

比与字地下壕南に入る前に周辺壕、トーチカ状監視壕などを紹介しておく
比与字と言うと、地下壕ばかりに目が行きがちだが、防衛施設も色濃く残っている、地味に・・・
DSC04937_R_20130813212205b0e.jpg野球場側にあるトーチカ状監視壕
CIMG0487_R.jpg人物比、トーチカ手前の入り口にはコンクリート壁が備えてある
DSC04938_R_20130813212206f28.jpgこの内部には入れない、2ヶ所ともブロックで塞がれている
CIMG0488_R.jpgスリットから内部撮影
DSC04941_R.jpg脇にあるもう一つの入り口
DSC07864_R_20130813213412ce7.jpg旧神明社脇に階段があるので、これを登ってもいいが、保育施設が隣にあるので注意
DSC07865_R_20130813213414cfc.jpg山頂付近には海軍境界壁が張り巡らせてある
DSC07866_R.jpgここまで残っているのは珍しい
DSC04942_R_20130813214312bdf.jpg山頂部トンネル上には、塹壕が掘り巡らせてある
DSC04943_R.jpg大分埋もれているが
DSC04944_R_20130813214319a9b.jpg大半は確認出来る
DSC04945_R.jpg25mm連装機関砲座
DSC04946_R.jpg一つ目の壕口
DSC04949_R.jpg広くは無く、交通壕もしくは待機所であろう
DSC04950_R_20130813215023c65.jpg入り口を振り返る
DSC04951_R_20130813215024de9.jpg小さな部屋が一つ
DSC07893_R_201308132201350a9.jpg2m程度の物置か
DSC04952_R_20130813215026b66.jpg通路兼、生息部か?
DSC07892_R_201308132201349bf.jpg1ヵ所だけ広いが、後は通路の倍程度
DSC04953_R_20130813215029f9d.jpg反対側に抜けている
CIMG0478_R.jpgコンクリートで扉を付けていた跡がある
DSC07900_R_20130813220137a38.jpg支柱の台座状の物
DSC07901_R_20130813220139ab8.jpg幾つかある様だ
DSC07867_R_20130813220929773.jpgもう一つの壕口
CIMG0483_R.jpg入り口は小さい
DSC07868_R_201308132209314b5.jpg階段で下った分だけ高くなる
CIMG0484_R.jpg中はこの部屋のみ
DSC07869_R_201308132209330dd.jpg正面は、堀かけで貫通していない
CIMG0485_R.jpg部屋の左側に通路があるが
DSC07870_R_20130813220934714.jpg左の通路も途中までだ
DSC07871_R.jpg山の反対側に回ると、壕を繋げようと外から掘った跡がある
DSC00329_R_20130813223020844.jpg自衛隊官舎の駐輪場壁
DSC00330_R.jpg当時の排水施設と思われる
DSC00331_R_20130813223024794.jpg一応防衛施設内
米軍箱崎給油基地_R米軍箱崎貯油施設
DSC00333_R_20130813223026c7c.jpg守衛所の裏にも壕口がある
DSC00327_R.jpgシルバーセンター内の壕口
シルバー人材センター裏山の防空壕入口跡_R現在開口部があるのは、ここだけだ
DSC00336_R_20130813223845ab1.jpgしかし警備隊の隊門の前だ
DSC00335_R_201308132238435ae.jpg無理は出来ない、24時間体制で守衛がいる
DSC00337_R_20130813223847b96.jpg空き地にある壕口
DSC00338_R.jpg塞がれているがコンクリートで巻いてあった様だ
労働基準監督署裏のレンガ積防空壕倉庫跡_Rこの煉瓦構造物に付いては、後ほど内側から紹介する

比与字地下壕 北側

横須賀市田浦にある、横須賀海軍軍需部本部地区管轄の、地下倉庫となる物の様だ
まぁ、細かい薀蓄は他のサイトを見て下さい、ググれば何かヒットするでしょう。
大雑把に紹介すると、軍用引込線の終点の一つ、比与字トンネル内において、荷降ろしをしていた南側壕のトンネル反対側に位置する地下壕で、こちらはトンネル内には開口していなかったと推測される。
もっとも小規模の通用口はあっても当然だと思うが、コンクリート噴き付けで、確認出来ない。
現在の自衛隊比与字弾薬庫の裏山に位置し、当時の炸薬弾丸庫(火薬庫2棟現存)の付近にある事から関連が伺える
当然だが現在自衛隊敷地内にあるので一般には入る事は出来ないが、壕口は今も開口している
DSC06181_R_201308122009395c6.jpg現代の自衛隊比与字弾薬庫施設
DSC06182_R_2013081220094064c.jpgたかが金網と有刺鉄線だが、センサーと監視カメラで警備している、弾薬庫だし!
DSC02411_R.jpg早速入る事にする
DSC02413_R.jpg壕口はかなり大きい、車の出入りが出来たのだろう
DSC02414_R.jpg壕内は途中から左曲がりになる
DSC02415_R.jpg左隣りの壕に横坑ではなく、直接曲げて接続している珍しい壕だ
DSC02417_R_20130812203223901.jpg途中、右側にある横坑だが、一旦無視する
DSC02418_R.jpg壕口を振り返る
DSC06816_R_201308122102230ea.jpg接続部
DSC06817_R_20130812210229106.jpgこっちの壕の方が大きい
DSC06818_R_20130812210230e7f.jpg壕はこの先左に直角に曲がる
DSC06819_R_20130812210232473.jpg小瓶が落ちている
DSC06820_R_201308122102345ce.jpg曲がって10mほどで閉塞、最深部にはナベが供えてあった(ちなみに中はカラ)
DSC02213_R_20130812211234421.jpg元の壕に戻る
DSC02217_R.jpg横坑に入る
DSC02250_R_2013081221123825a.jpg高さが合っておらず、掘削のミスであろう
DSC02419_R_20130812211810dfe.jpg右を見る
DSC02420_R_20130812211813790.jpg正面を見る
DSC02421_R_20130812211814552.jpg左を見る、掘削自体はこっちの狭い壕の方が綺麗だ
DSC02233_R_201308122128376a6.jpg精密機械油ビンが落ちている
DSC02236_R_20130812212938264.jpgベンチカット工法の途中
DSC02237_R.jpg綺麗に整形された突き当たりの部屋
DSC02238_R_201308122134432ce.jpgその手前のやはり掘削中の部屋
DSC02234_R.jpg土嚢で埋められた開口部?
DSC02232_R_201308122138564f8.jpg基本五番目の壕なので適当に回る(動画とは符合しない)
DSC02229_R.jpg端っこにある変な構造
DSC02230_R_20130812213852c38.jpg何故か狭い道が曲がる
DSC02231_R_20130812213854370.jpg最後まで狭い掘りかけ
DSC02218_R.jpg中央付近
DSC02219_R_2013081221485515c.jpg奥の狭い接続部
DSC02220_R.jpgこの通路は天井に釘が多い
DSC02221_R.jpg途中の掘りかけ通路
DSC02222_R_20130812214905133.jpg恐らくトタンでも巻いていたのだろう
DSC02223_R_2013081221535649d.jpg電路の跡
DSC02224_R_20130812215359c89.jpg盛大に外から埋め戻されている
DSC02225_R_20130812215400022.jpg何故かフライパン
DSC02226_R_20130812215402336.jpg土嚢封鎖
DSC02227_R_20130812215408b8c.jpg土嚢封鎖
DSC02228_R_201308122158058b1.jpg埋め戻し+土嚢
DSC02239_R.jpg五番目は回り難い
DSC02240_R.jpg接続部は微妙にずらしてある
DSC02241_R.jpg神棚
DSC02242_R.jpg碍子用木材
DSC02243_R_201308122204172ae.jpg多少の段差
DSC06832_R_20130812220420d9a.jpg階段にしてある
DSC02428_R_20130812220422290.jpg入り口付近の床は綺麗だが
DSC02429_R_20130812220423bed.jpg奥の方は多少ガレている
DSC02431_R.jpg歩くのには不住はしない程度だが多少は崩れている
DSC02432_R_20130812221204a9d.jpgこの壕の最大のポイントがこれである
DSC06825_R_2013081222120858e.jpg普通には判らない
DSC06828_R_20130812221210422.jpg武井、島田、笹木、坂木だろうか?
DSC02434_R_20130812221544a91.jpg年号は判らないが、十二月六日と彫ってある、縦横に入っている線は何だろう
DSC02435_R_20130812222054ca3.jpgでは、脱出する


比与字地下壕 北側

剱崎無線方位信号所謎施設、大浦海岸震洋壕

前回、前々回と名前だけは出ていた剱崎無線方位信号所だが、剱埼灯台の付属施設でレーマークビーコンと言い船舶のレーダー映像面上に送信局の方位を表す物だが、GPSの普及に伴い平成21年までに廃止される様だ
紹介物件はそれ自体ではなく、その敷地内にある謎の施設だ、地元の話では戦中からあるそうだ
DSC00096_R_201308111952564ba.jpg信号所まで歩いて来た
DSC00097_R.jpg近寄って見ると、以外に大きい施設だ
DSC00098_R_20130811195259b61.jpg上の4つのアンテナは近代の物だ
DSC00099_R_2013081119530150b.jpg農道に円形のコンクリートが残っている
DSC00100_R.jpg入り口部分、基本的に当時のままだろうが、間口はブロックで狭くされている
DSC00101_R_2013081120013158a.jpg火気厳禁、上に生えているアンテナの機材は内部には無い
DSC00102_R_20130811200133ad3.jpg入り口上部を内側から、継ぎ足し部分が良く判る
DSC00103_R.jpg円形コンクリート、位置関係
DSC00104_R_20130811200136e08.jpg角は全て面取りされていて、終戦間近かの急造ではないだろう
DSC00105_R_20130811200138290.jpgはしごは2m程度の所にあるので登れなくも無いが、アンテナがあるので止めておいた
DSC00106_R_20130811201750cc5.jpg途中の畑にはログハウスが生えていた、兵舎では無いようだ
DSC06144_R_20130811202704d18.jpg大浦海岸方面に移動した
DSC06145_R_20130811202707c3f.jpg埋っていて内部が不明の防空壕
DSC06146_R_201308112027101fe.jpgこれは海食洞
DSC06147_R.jpgそのまま震洋壕に出来そうだ
DSC06148_R_20130811202714ee7.jpg右手に剣崎灯台が見える
DSC06149_R_20130811205748941.jpg大浦海岸に向かう
DSC06150_R_201308112057502b8.jpg遊歩道の残骸を渡って行く
DSC06151_R_2013081120580281c.jpgここに震洋壕が複数ある
DSC06152_R_2013081120580367a.jpgこの奥にも見えないが一つある
DSC06153_R_201308112058057bc.jpg壕口、小さいので付属壕だろう
DSC06154_R.jpgこっちが震洋壕
DSC06155_R.jpg天井が落ちて、半分埋っている
DSC06157_R_20130811210815922.jpg奥は狭くなっている
DSC06158_R_20130811211233210.jpg振り返ると盛大に天井が落ちている
DSC06159_R.jpgまた崩れて来たりして
DSC06160_R.jpgまぁ、落ちる所は全て落ちたみたいだし、壕口付近以外は
DSC06163_R.jpg隙間が見える
DSC06161_R.jpg埋った壕口
DSC06164_R.jpg盛大に水没している
DSC06165_R_20130811211821c1e.jpgこれ以上進めないので、撤収する
DSC06167_R_20130811211824cf0.jpgもう一つ掘りかけがある
DSC06168_R_20130811212233d2f.jpg戻りがけにもう一つ防空壕があった
DSC06169_R.jpg味噌倉になっている様だ
DSC06170_R_201308112122369df.jpg海水浴がてら見てみよう

剣崎砲台、 大浦探照灯格納庫

神奈川県三浦市にある、剣崎砲台は剣崎ではなく、雨崎と大浦海岸の間に位置する
県道215号のエネオス剣崎SSを起点とし、山崎デーリーを松輪間口漁港方面に進むといい
しかし、ここから先は三浦市特有の農道となるので、ナビには道と出ていても、実際はふざけるな!と
言いたくなる様な、脱輪コースが待ち受けているので、バイクかチャリ、徒歩をお勧めする
ジムニーなどで自信のある方はその限りではない、軽トラは通れる(しか通れない)
脱輪=数m下の畑に転落なので、気を付けて訪問しよう、もちろん駐車スペースも無い

大正15年完成、砲塔は第二海堡の物を使用する、15cmカノン砲塔連装2基(4門)
DSC04577_R.jpgまず、見えて来たのは便所遺構
DSC04578_R_20130810203118144.jpg周りは大根だらけ
DSC04579_R_2013081020311964d.jpg左の鉄板の隙間から何かが見えた
DSC04580_R.jpg貯水槽の様だ
DSC04581_R_201308102031237f6.jpg良く見えないのでよじ登る
DSC04582_R_20130810205257174.jpg1.5m四方、高さ2mほどの物だった
DSC04587_R.jpg畑の対岸に穴がある、上の段にも見える
DSC04583_R_20130810205258201.jpg下段は小さな穴なので、崖を登る
DSC04584_R.jpg祠の様だ
DSC04585_R.jpg隣にもう一つある
DSC04586_R.jpgついでに頂まで上ると、お社があった(誰が来るんだ?)
DSC04588_R_20130810205825eda.jpg奥の方に穴が見えたが、クズ穴だった
DSC04589_R.jpg遠くにこんもりとした土盛りが見えて来た
DSC04590_R.jpg大浦探照灯格納庫だ
DSC04592_R.jpg直接行けず、回り込んで近寄る
DSC04593_R_201308102107033b7.jpg小山をくり貫いた後、コンクリートで整形した物で、全コンクリートと勘違いする人もいる様だ
DSC04594_R.jpg上部にはクレーンの跡が残っている
DSC04595_R.jpgここまで、引っ張り出したのだろう、海はこの構造物の後ろ側で照らせない
DSC04596_R.jpg海風を浴びながら小休止
DSC04598_R_20130810212355d5c.jpgこの様に裏側はただの土盛り、登ってみれば判る
DSC04599_R.jpgこの地域には、横穴墓が多く見られる
DSC04600_R.jpg砲座地下施設入り口が見えて来た
DSC04601_R.jpg左のスロープは近代の農業用
DSC04602_R_201308102150375ba.jpgこの砲座にはもう1ヵ所地下施設入り口がある
DSC04603_R_2013081021503884b.jpgちょっと入れそうに無い
091101_113203[1]_R内部
DSC04605_R.jpg畑の中に大根と通風口が生えている
DSC04606_R.jpg天蓋の跡がある
DSC04607_R_2013081021582090e.jpg砲座の円形コンクリートはほぼ完全に残っている
DSC04608_R.jpg手前のコンクリート道は後世の農道だろう
DSC04609_R_20130810215827d90.jpg時期により、捨てた大根だらけになる
DSC04610_R.jpg砲座から見る、もう一つの地下施設入り口
DSC04613_R.jpg何らかの施設跡か、単に農道の崩れた物か不明
DSC04617_R.jpg砲座と左右の地下施設出入り口
DSC04618_R.jpgもう一つの砲座
DSC04620_R_20130810220620724.jpgすぐ側に道に面した通風口がある
DSC04621_R_2013081022062257c.jpg車の通行の為、一部けずれれている
DSC04622_R_20130810221903a7e.jpg砲座に青空が映える
DSC04624_R.jpgこっちは砲座に道が乗っかってしまっている
DSC04625_R.jpg見学終了、メンバー一同「また歩くのか~」
DSC04626_R.jpg大浦探照灯格納庫が見える(裏側)
DSC06143_R_20130810221909a89.jpg剱崎無線方位信号所のアンテナが見える、手前は境界石柱と思われる
P1020120.jpg砲座位置関係

剣崎洞窟陣地(高磯分観測所付属壕)

前回城ヶ島砲台、高磯分観測所を紹介したが、その山狩りに過程で(1回目の山狩り)で発見した物だ
銃眼などは無く、陸式の細く長い壕が張り巡らされ、幾つかの小部屋が確認出来た
山頂部にある高磯分観測所のほぼ真下付近に位置し、無関係とは言えないだろう
1回目の山狩りでこの陣地を発見してなければ、激藪を推しての2回目の山狩りは無かっただろう
DSC00237_R_20130809211115975.jpg藪の切れ目に何かを感じ、掻き分けると案の定、ぽっかりと開いている
DSC00238_R_2013080921111776e.jpg入り口部分はいつもの如く、ゴミ投入
DSC00239_R_20130809211118bcc.jpgこの程度の掘削の荒さじゃ小さな壕だと思ったら、ちょっと曲がってみると
DSC00240_R_20130809211120885.jpg途端に立派な壕になる、当たりだ
DSC00241_R_20130809211121e2f.jpgスゴイ綺麗な掘削だ
DSC00243_R_2013080921250616b.jpgこの部屋は黄色ががっている
DSC00244_R_20130809212508b8e.jpgこの部屋は紫がかっている
DSC00245_R_20130809212509410.jpg地層が面白いが、脆い様だ
DSC00246_R_201308092125118e6.jpg右が黒く、左が白い変な通路
DSC00247_R_201308092125129a3.jpg通路が馬蹄っぽく狭まってきた
DSC00078_R_201308092133103ae.jpg分岐部分から狭くなる、まずは右手に進む
DSC00248_R_201308092133126fc.jpg広げている途中の様だ
DSC00250_R_20130809213314bc5.jpg謎の出っ張り、何故か右側だけ残して掘ってある、侵入者除けか?
DSC00251_R_201308092133164f7.jpg更に狭く、足場が悪くなる
DSC00252_R_201308092133188e1.jpg途端に拓ける
DSC00082_R.jpg部屋として、拡張中の様だ
DSC00083_R_20130809220110c4d.jpg終息に見えたが、風が来る
DSC00084_R.jpg開口している
DSC00254_R_201308092205131d0.jpg取りあえず開けただけの、ズリもかたずいていない壕口
DSC00257_R_2013080922051741b.jpg結構狭い壕口
DSC00255_R_20130809220514433.jpg何とか出た
DSC00256_R.jpg反対側の海岸に出た
DSC00258_R_20130809221111947.jpgまた、穴の中へ帰る、見た目よりも高さが無い
DSC00259_R.jpg壕口前、部屋部分
DSC00260_R_20130809221114673.jpg分岐まで引き返す
DSC00261_R_20130809221116f8e.jpgほんとに人一人がやっとの通路
DSC00262_R_2013080922111828d.jpg分岐に帰ってきた
DSC00263_R_20130809221744e9d.jpg水没気味の多少はさっきより広い通路を進む
DSC00264_R.jpgまた、四角い部屋がある
DSC00265_R_20130809221747ee8.jpgこの壕は少し離して、対面に部屋を掘る様だ
DSC00089_R_201308092217494ee.jpgピンクの小部屋(塩分でこうなるらしい)
DSC00267_R.jpgすぐ近くに、今度は大きい開口部がある
DSC00268_R_20130809222527a4b.jpgしかし、出たら一面の藪
DSC00269_R_2013080922252826d.jpg日が当たらないせいか、コケだらけだ
DSC00270_R_2013080922253016e.jpg何故か壕口に発破穴?
DSC00272_R.jpg戻るのが面倒なので、藪漕ぎして脱出する、壕口は何処でしょう?
DSC00093_R_20130809223336072.jpg眼前に広がる岩だな
DSC00094_R_20130809223337a40.jpg前回上から見た剱崎無線方位信号所の崖
DSC00095_R_201308092233382c3.jpg当時物の天水桶が再利用されている

剣崎洞窟陣地(高磯分観測所付属壕)

城ヶ島砲台 高磯分観測所

この遺構は城ヶ島本島には無い、ほとんど知る人も無く高磯とゆう地名も地図上出てこない。
城ヶ島本島を探せるだけ探して、ここには無いと結論し、外部を探すが地名が見つからない。
こうゆう時は釣りサイトである、旧地名や俗称で記事が出ている事がままあるのだ!
案の定かすった、この辺的な情報だったが、後は山狩りをすればいいだけだ
山狩りをする事2回、ついに発見した、ついでに付属洞窟陣地も発見したので次回紹介する。
観測所の形状が城ヶ島本島の物に酷似しているので、同様の88式海岸射撃具が設置されていた
ものと推測される。
DSC00201_R_2013080820394025d.jpg江奈湾の漁港に車を停める、駐車場から見える壁に銃眼の様な物が見えるが民家があり上手く捜索出来ない
DSC00202_R_2013080820394105f.jpg山狩り2時間後、ついに発見する!激藪の中に入らなければ判らなかった
DSC00203_R.jpg土面とコンクリートが離れている、深さ2mほどか?
DSC00204_R_20130808203944e79.jpg見ての通り天井は一部を除き、破壊されている
DSC00205_R_20130808203946d49.jpg天井残存部分、正規入り口部分のみ
DSC00206_R_20130808205231a17.jpg中ほどに間仕切りがある様だ
DSC00207_R_20130808205233956.jpg台座状の物
DSC00208_R_201308082052351bc.jpg下に降りてみる
DSC00209_R_20130808205237247.jpg四角い穴X4
DSC00210_R_2013080820523955b.jpg珍しく鉄骨が残っている
DSC00211_R_201308082136448a8.jpg下から入り口方向
DSC00212_R.jpg高床式だったのだろうか?
DSC00213_R_201308082136484bd.jpg台座
DSC00214_R_2013080821365027d.jpgこの高さに床があったのなら、正規入り口との高さが合う
DSC00215_R_20130808213655985.jpg側面に残るリベット痕、金属製フレームが据えてあった跡だ
DSC00216_R.jpgはっきり残るリベット痕
DSC00217_R_20130808220419ee0.jpgうっすら残るリベット痕
DSC00218_R_201308082204204f9.jpg観測室全景
DSC00219_R_20130808220422c23.jpg観測所入り口、粒粒の吹き付け塗装に何となく迷彩っぽく見える
DSC00220_R_20130808220423f53.jpg唯一残る天井、奥までの全景
DSC00221_R_20130808221159d7d.jpg鉄筋が露出している
DSC00222_R_20130808221201d96.jpg天井部破壊痕
DSC00223_R_20130808221204081.jpg壁に何か機材を貼り付けていた跡がある
DSC00224_R_20130808222017999.jpg人物比、丁度人サイズ
DSC00225_R_20130808222019edf.jpg残った天井から全体を見る
DSC00226_R_20130808222020c56.jpg入り口方向を見る、急な下り坂となり、道は失われている
DSC00227_R_201308082220229a7.jpg観測所前室部分
DSC00231_R.jpg観測所を後にする
DSC00232_R.jpg観測所から海を見る、右側に城ヶ島が見える
DSC00233_R_20130808222909aab.jpg剱崎無線方位信号所が見える
DSC00235_R.jpgこの上に観測所があるのだが、判るだろうか?
DSC00236_R_20130808222912002.jpg新たな遺構を発見した彼は何を思い海を見るのか?・・・・(答え、昼飯食ってねぇ)

城ヶ島砲台及び周辺遺構 その4


DSC06050_R.jpg島の反対側、グライダー広場にやって来たDSC06051_R.jpg誰も来ない寒々とした場所だ
DSC06052_R.jpgこれは機銃砲座と言われる穴だ
DSC06053_R.jpgもう一つある、刈り取られた草が投げ込まれているが、2X2mほどの穴
DSC06054_R.jpg落ちるとかなり危険だ
DSC06055_R.jpg人物比を撮りたかったが、誰も協力してくれなかった、深さ約2mの穴
DSC06056_R.jpg裏側の藪の中は塹壕だらけだ
DSC06057_R.jpg表の道を1mほど入ると道に沿って塹壕がある
DSC06059_R.jpg埋っている所もあるが50cm~1mほどある
DSC06061_R_20130807221052c14.jpgうかつに入り込むと危険な地帯だ
DSC06042_R.jpgその付近に破壊されたコンクリートの欠片が固まっている
DSC06043_R_20130807223031955.jpg位置的に兵舎の可能性もある
DSC06044_R.jpg鳥居の台座が落ちている
DSC06046_R.jpg階段も有るので、小さなお社が有ったのか?
DSC06039_R_20130807223500f75.jpg反対側には畑が多い、井戸も多い
DSC06040_R.jpg井戸は兎に角多いが、ほとんど使えない
DSC06047_R.jpgポツンと石柱が一つ
DSC06048_R.jpgよくよく見れば、井戸ではなく天水桶の様な気がする
DSC06049_R.jpgどこも
DSC06173_R.jpg畑道を行くと、陸軍境界石が立ち並ぶ
DSC06174_R.jpg防10番
DSC06175_R.jpg大部分は頭しか出ていない
DSC06176_R.jpg代わり映えしないので、貼って行く
DSC06177_R.jpg異質な界四二
DSC06178_R.jpg謎の文字
DSC06179_R.jpg
DSC06181_R.jpg
DSC06182_R_20130807225027bf3.jpg
DSC06183_R_20130807225254d0e.jpg
DSC06184_R_201308072252563a1.jpg
DSC06185_R_20130807225257c14.jpg石の材質が変る
DSC06186_R.jpg文字は読み取れない
DSC06188_R_20130807225301ce9.jpg城ヶ島大橋n袂に出た
DSC06189_R_20130807225614690.jpgこの広場には幾つもある
DSC06190_R.jpg並んでいる
DSC06191_R.jpg防三五

城ヶ島砲台及び周辺遺構 その3

DSC05676_R_2013080620492183b.jpg海岸に下りると人工的な穴がある、恐らく退避壕的な物だろう
DSC06071_R.jpgその近くにこんな物がある
DSC06072_R.jpgでは中に入ろう
DSC05678_R_201308062049237f8.jpg潮測井戸、ここで計測されたデータが観測所で砲撃用のデータになる
DSC05679_R_2013080620492563f.jpgこの蛇ののたくった様な溝は観測所に続く電路の跡だ
DSC06073_R.jpg電路は上の観測所まで登って行く
DSC06074_R.jpg生簀跡、海岸砲の場合は結構生簀は作っている
DSC06075_R_201308062104590dd.jpg岩場の機銃陣地の塹壕
DSC06076_R_20130806210501c9f.jpg手前の部分がそれだ
DSC06077_R.jpgおたまじゃくし型で、天蓋が付いていた様だ
DSC06078_R.jpgこんな所に居たら、最初に殺られるだろうな
DSC06079_R.jpg係船用の物と思われる
DSC06080_R.jpgこんな所に壕がある
DSC06081_R.jpg緊急用非難壕だろうか?
DSC06082_R_20130806211443ccc.jpg奥行きは無く、曲がって数メートルで終わり
DSC06083_R_201308062124332f2.jpgしかも他に開口しておらず、水が腐って酷い匂いだ、銃眼が開いてれば話は別だが・・・
DSC06084_R_201308062124355c5.jpg石造りの祠
DSC05681_R_20130806212753f76.jpg砲座とゆう人もいるが、真偽不明
DSC05683_R_20130806212755f37.jpg観測所を建てるだけあって、眺め良し
DSC05684_R_20130806212756cf6.jpg世界遺産
DSC06085_R_201308062124051ee.jpg展望台は観測所の上に建っている
DSC06086_R_20130806212408e6d.jpg88式海岸射撃具が設置されていたそうだが、今は掃除道具が設置されている

今回は軽めに終わる、次回城ヶ島本島最終予定

城ヶ島砲台及び周辺遺構 その2

DSC04731_R.jpg城ヶ島大橋を渡り、右に行く分岐を登るとユースホステルの廃墟がある
DSC04732_R_2013080520114150b.jpg城ヶ島公園に向かい駐車場に入る、下に車を停めて歩いて登れば無料だ
DSC04734_R_20130805201142df4.jpg中央の花壇が砲座の跡だと言われている
DSC06020_R.jpgこっちは西側砲座の地下施設の副出入り口
DSC06021_R.jpg一見子供の落書きの様な迷彩がくっきり残っている
DSC05646_R_20130805203919466.jpg副出入り口付近
DSC06022_R.jpg主出入り口
DSC06023_R_20130805201928dcb.jpg電気配線の跡がある
DSC05648_R_20130805203921c0c.jpg主入り口付近は少し乱雑
DSC06024_R_201308052019302e8.jpg東砲台地下施設に向かう
DSC06025_R_20130805204452113.jpg東砲台地下施設の主出入り口が見えてくる
DSC06026_R_20130805204454180.jpgこっちの入り口は逆に左ズレだ
DSC06027_R_20130805204455aac.jpg入り口はこの様にしっかりと塞がれている、見学会などの時のみ開けられる
DSC06028_R.jpg半没した境界石が2つある
DSC05673_R_20130805205223533.jpg東砲台地下施設の副出入り口
DSC05672_R_201308052053021d7.jpg結構急な階段になっている
DSC04780_R_20130805205507fe9.jpg真上から見る
DSC06029_R.jpg迷彩がステンドグラスの様だ
DSC06030_R.jpgがっちりと塞がれて入れない
DSC04781_R.jpg上に上がるとゴミ籠が逆さまに置いてある
DSC04782_R_20130805205908c9c.jpg避けて見ると、地下施設の通風坑だった
DSC04783_R_20130805205909135.jpg他にも有る(ゴミ籠は無いが)
DSC05651_R_2013080521320358f.jpg取りあえず中に入る
DSC05652_R_201308052132053dd.jpg砲側庫入り口、砲側庫は3つある
DSC05653_R_2013080521320614b.jpg正面は副出入り口、手前の長方形の穴は不明
DSC04771_R_20130805222108602.jpg壁にスイッチの様な跡がある
DSC05655_R_20130805213208782.jpg砲側庫は内部で3部屋とも繋がっている
DSC04750_R_20130805214238e7a.jpg砲側庫内部より入り口方向
DSC05658_R_20130805214512de8.jpg砲側庫は綺麗だが何も無い
DSC05656_R_20130805213209fc2.jpg右側は入って来た主出入り口
DSC05659_R_201308052145140a4.jpg左主入り口、正面副入り口、右砲側庫X3
DSC05660_R_20130805214515d65.jpg主坑道にすれ違い所なのか、窪みが数箇所ある
DSC05662_R_2013080521451827b.jpg中には通風坑か伝声管か不明の穴が開いている物もある
DSC05661_R_2013080521451776c.jpg主通路の通風口、天井に3箇所ある
DSC04758_R.jpg奥に行くと落書きが増える
DSC05663_R_201308052200362bf.jpg上に網目が見える、さっきのゴミ籠だ
DSC05664_R_2013080522003871e.jpg主通路を30mほど進むとエレベーター室がある
DSC04760_R.jpg足元の不明な穴はこっちにもある
DSC05665_R_20130805220040613.jpgドリルマン
DSC05666_R_20130805220640f00.jpgなんか、年と月が変だ
DSC05668_R_20130805220643f00.jpgエレベーター室は落書き部屋と化していた
DSC05667_R_20130805220642863.jpgかの有名な横須賀ピエロか?
DSC04762_R.jpgエレベーター室は上から落ちて来た土が溜まっている
DSC04763_R.jpgここに昇降機があり、弾薬の上げさげを行っていた
DSC04764_R.jpg上に砲座への通路が見える
DSC04765_R_20130805221240e38.jpgよじ登る
DSC04767_R_20130805221241c24.jpgここまでが限界の様だ、何か丸い窪みがある
DSC04766_R.jpgひび割れに、調査の跡が書き込まれている
DSC05669_R_20130805222104c44.jpgそれでは撤収する
DSC05675_R_201308052059112f2.jpg帰りがけにヌコが日向ぼっこしていた

野比海岸その他遺構 その2

城ヶ島シリーズの途中だが、HAL様よりの情報の確認に行って来たので、紹介しておく
前回紹介した捜索時のアタックポイント1が正解だった様なので、本日また行った
行くまでは単独の一本抗に近い物を想像していたが、とんでもない勘違いだった
DSC03771_R_201308042006538da.jpgアタックポイント1に到着した
DSC03767_R.jpg今回は老人ホームの迎撃は受けなかった
DSC03768_R_201308042006480f5.jpgHAL様の詳細な説明のおかげで、壕口はすぐに見つかった
DSC03772_R.jpgちょっと掻き分けると、40cmほどの隙間が有る
DSC03770_R_20130804201359a83.jpg情報通りブラウン管などのゴミで入り口は入り辛いが、先週より広い気がする
DSC03782_R_20130804201400b61.jpg入った所は3箇所ある入り口の中央だった、他は塞がれている、伏龍陣地の定義に「上陸前の敵の艦砲射撃に耐えうるもの」との一文がある、もちろん病院壕との見方も捨てられない、碍子の形状がこの辺の軍用壕と違うのだ
DSC03783_R.jpg入り口を振り返る
DSC03784_R_20130804201403e1b.jpg左側は無理そうだ
DSC03786_R_20130804201404d82.jpg右側に行く方がマシだ、そう、これでもマシなのだ・・・
DSC03787_R.jpg八戸
DSC03788_R_2013080420465550f.jpg半分割れた碍子こんな形状は地下壕では見かけない
DSC03790_R.jpg入り口より右側の壕口、妙にピッタリしているのでオリジナルの扉かも知れない
DSC03791_R_20130804204658b9c.jpg振り返る、ゴミが多すぎて三脚が立たない、手持ち長時間露光となる
DSC03793_R_2013080420470069e.jpgここでも大半は医療ゴミ、病院で出たお見舞いの籠、空き缶などが殆んどだ
DSC03794_R.jpg奥に進む
DSC03795_R.jpg側面には電燈を付けていた様な跡が随所にある
DSC03796_R_2013080421031519d.jpg2連碍子
DSC03799_R_20130804210318118.jpgゴミの深度は1mほどか?
DSC03800_R.jpg乗り越えて来た医療ゴミ
DSC03801_R.jpg何故かこの通路だけゴミが殆んど無い
DSC03802_R.jpgこの壕は碍子が直接コンクリートに打ってある、珍しい壕だ
DSC03804_R.jpgコードの残っている物があるが、戦後の病院時代の物かも知れない碍子ごと
DSC03805_R_20130804212527f6c.jpgまた大深度のゴミを越えて行く、足に点滴ビンや蛍光灯の破片が刺さりそうで、おっかない
DSC03806_R.jpg最初に断念した反対側に出た
DSC03807_R_20130804213733195.jpg来た道
DSC03808_R_201308042137356e7.jpgプラスチック製の尿瓶
DSC03809_R.jpg一番左側に着いた、奥に素掘り部分が見える
DSC03810_R_20130804214714aa6.jpgベンチカット工法の途中の様だ
DSC03813_R.jpg右側にはゴミと共に通路が続く
DSC03814_R_20130804214717727.jpg左側は素掘り!
DSC03816_R_201308042147199b7.jpgクランクしてすぐに掘りかけ終了だったが、久しぶりに地面を踏んだ安心感があった
DSC03819_R.jpg終了部分
DSC03817_R.jpg振り返ると素掘り部分は怖かったのか、ゴミが一切ない
DSC03818_R.jpg支保工が上に残っている
DSC03821_R_20130804215653c6c.jpg次の十字路
DSC03822_R_201308042156553e2.jpg左はやはり掘りかけ素掘り、ベンチカットである
DSC03823_R.jpg振り返ると、上に空間がある70cmほどの隙間だ
DSC03824_R.jpg通らなかったゴミの無い通路に出た
DSC03825_R.jpg中央付近にこの壕、唯一の部屋がある
DSC03827_R.jpg水が溜まっている、ヒンジを見ると観音扉が付いていた様だ
DSC03829_R.jpg異様に汚いこの部屋は、なんだったのだろう?
DSC03830_R_20130804220834f75.jpg来た道を戻る
DSC03831_R_20130804221749ec7.jpgかすがいが打ってある、コンクリートには必要が無い物だ
DSC03832_R.jpgここだけ側溝が見える
DSC03834_R.jpg天井にここだけフックが2個付いている
DSC03835_R.jpg2つ目、向きが対象になっている
DSC03837_R_201308042217551b5.jpg壕右側最深部
DSC03839_R_20130804222604e44.jpg左側のコンクリート巻き途中部分だ、下に土台を作って板を張りコンクリートを巻いて行く
DSC03840_R_201308042226069ff.jpg右側の接続用溝
DSC03841_R.jpg左側には20cmほどの穴がある
DSC03842_R_20130804222519e51.jpg上の隙間は埋められている
DSC03847_R_20130804223523047.jpg素掘り最深部
DSC03844_R.jpgこの位置から直角に曲がって掘り進めているので、隣と繫げて3本目の主坑道を作ろうとしたのだろう
DSC03850_R.jpgコンクリートは結構分厚く使っている
DSC03852_R_20130804224031be7.jpg木材が覗いている所があった、まさか木筋コンクリート?
DSC03853_R_20130804224032e8c.jpg三角にコンクリートを盛り、釘を2本打ってある
DSC03854_R_20130804224033b49.jpg奇妙な碍子だ
DSC03855_R_20130804224035e15.jpg一回りしたので、医療ゴミを乗り越え撤収する

壕口から出たら、また老人たちがたむろしていた、どうやら道路で昼飯を食べるのが通常の様だ
基本的に同じ通路は通っていないので、これだけの大型の壕であった、情報をくれたHAL様に感謝します。
他にも数箇所行って来たが、先に城ヶ島シリーズに戻る予定

城ヶ島砲台及び周辺遺構 その1

城ヶ島の軍事的利用は黒船来航時の見張り所まで遡るようだ
基本的には関東大震災での三崎砲台の損傷を理由に戦艦「安芸」の砲を再利用した改造型砲塔砲台連装2基が主戦力となるが、当然現在は砲塔は残っていない
しかし、地下施設はほとんど無傷の状態で現存しているのだ、基本的には公開はされていないが、近年地下施設入り口付近は整備され、気軽に入り口前までは行ける様になっている。
内部は漆喰で塗り固められていて、見学にも耐えられそうに見えるが、元々地盤不良で(設計段階で既に判っていた)砲塔取り付け後も傾斜が止まらず、限界値まで達した後も上層部への報告書は支障なしであった。
その経緯でかは、判らないが未だに一般公開の予定は立たない。

今回はまず、陸軍陣地のごうの一部を紹介する
DSC04706_R.jpg駐車場から水産技術センターに向かった壁面にある
DSC04707_R_20130803201844e36.jpgそこからずっと先まで歩いて行くと柵の向こうに
DSC04708_R_20130803201845b69.jpgぽっかりと開いている
DSC04712_R.jpg入り口入ってすぐに広くなり、部屋を構成している
DSC04713_R.jpg振り返るとほぼ入り口まで直線だ、大抵陣地はすぐに曲がるものだが
DSC04714_R_2013080321000648c.jpg左に曲がるとまた部屋状になる
DSC04716_R.jpg階段を登る
DSC04717_R_20130803211206684.jpgOKN氏も登ってくる
DSC04718_R.jpg高さは有るが幅がかなり狭い
DSC04719_R.jpgかすがいが打ってある、碍子が見当たらないので電線でも通していたのか?
DSC04720_R_20130803211741f81.jpg写真の右上にゲジがいる
DSC04721_R.jpgとのさんと榴弾砲氏が何やら思案している
DSC04723_R.jpg外が見えているが、水が溜まり行けない様だ
DSC04724_R_20130803211747dca.jpg仕方が無いので戻る事にする
DSC04725_R.jpg通路が狭いと回れ右も大変だ
DSC04727_R.jpgこの辺に来ている
DSC04728_R_201308032123025bb.jpgこの真上に砲座があるので、当然ここは軍管轄の入り江だろう
DSC04729_R.jpg水っ垂れ
DSC04788_R_20130803223018468.jpg日も暮れて来たので、赤羽に移動する
DSC04789_R_20130803222909555.jpg普通に観光ルートに開口している
DSC04790_R_20130803222911aac.jpg早速進入
DSC04791_R.jpg中はやっぱり狭い
DSC04792_R_20130803222914e3f.jpgゲジよりフナ虫がいっぱいいる
DSC04793_R_20130803223451615.jpg天井は見てはいけない
DSC04794_R_20130803223452767.jpg床はずっと濡れている
DSC04795_R_20130803223454562.jpg階段を登る
DSC04796_R_201308032234558b6.jpg下を見ると、結構急かな
DSC04797_R_20130803223457f4b.jpg以外と長い直線
DSC04798_R_20130803224242ae6.jpgまだつづく
DSC04799_R_20130803224244d03.jpgそして終焉を迎える
DSC04801_R_201308032242453ea.jpg脱出
DSC04802_R_20130803224247cbf.jpg海岸を崖伝いに移動する
DSC04803_R_20130803224620c82.jpgもう一つ壕がある
DSC04804_R_20130803224621733.jpgダミー壕
DSC04805_R_20130803224622478.jpgこっちは本物
DSC04806_R_20130803224625d2e.jpgすぐ曲がる
DSC04807_R_20130803224627875.jpg先は広くない、もう終わり、倉庫代わりか?
DSC04809_R_20130803225204746.jpg出てきた
DSC04812_R_20130803225205078.jpg足元が見える内に撤収する

荒崎高角砲台

横須賀のソレイユの丘の更に先にある荒崎公園は、荒崎高角砲台だった。
公園化に伴い、砲座はもとより探照灯や兵舎跡は完全に失われている。
昭和十六年に8cm高角砲4門から始まり終戦時には12.7cm連装高角砲2基になっている
引渡し目録には砲弾492発しか記載が無い、連装2基で、1門120発しかない
へたをすると1回戦で、弾切れになってしまう・・・
他に25mm機関砲4門もあった様だ、これは一部確認出来た。
DSC09297_R_2013080221023826b.jpg荒崎バス停から陸側に路地を遡って行くと、民家の庭先に東京湾要塞地帯標がある
DSC09299_R_201308022102404ab.jpgFZ.IZ東京湾要塞地帯標、裏は海軍省になっている
DSC09301_R_20130802210242bd2.jpg付近の道には防空壕が沢山ある
DSC09302_R_20130802210244343.jpg一部開口している
DSC09303_R_20130802210246dc7.jpg内部は繋がっているのだろうか?
DSC09304_R_20130802211743700.jpgほとんどはこの様に埋められている
DSC09305_R_201308022117447ec.jpgバス停から荒崎公園方向に少し行くと壕口があるがフェンスで塞がれている
DSC09307_R_201308022117468ec.jpg中は2つの壕口で繋がり、広くは無かった
DSC09309_R_20130802211747e97.jpg壁面は紫がかっていた
DSC09310_R_201308022129169c3.jpg荒崎公園に着いた、夕日の丘が砲座で潮風の丘が探照灯の有った辺りだ
DSC09311_R_20130802212917186.jpg夕日の丘、砲座の痕跡は全く判らない
DSC09312_R_20130802212918465.jpg眺めは良し
DSC09313_R_2013080221292090c.jpg下を見ると、先端に標石が見える
DSC09315_R_201308022129222af.jpg降りれそうな所があったので降りてみる
DSC09314_R_20130802214453ca4.jpgひたすら斜面を落ちて行く
DSC09316_R_201308022144551cb.jpg下まで落ちて来た
DSC09317_R_20130802214457659.jpg海食洞の様だ
DSC09318_R_20130802214459527.jpg石柱が有る
DSC09319_R_20130802214501477.jpg風化しているが、海軍境界石だろう
DSC09322_R_20130802215501aae.jpg先端にも標柱が立っている
DSC09323_R_201308022155039f7.jpg海没するのか変色している
DSC09324_R_201308022155056f1.jpg潮が満ちているのか、渡れない所にある
DSC09325_R_20130802215506af4.jpgいくつかは、2本組みだ
DSC09326_R_201308022207528fc.jpgボロボロのコンクリート柱
DSC09327_R_20130802220604d64.jpg何本か立っている
DSC09328_R_20130802220607780.jpg陸にもある、民間地との境界柱だろう
DSC09329_R_20130802220609bf1.jpg隠し入り江
DSC09330_R_20130802220611583.jpg小艇を隠せるような穴もある
DSC09331_R_20130802221325532.jpg入り江への水路
DSC09332_R_20130802221327133.jpg先端に怪しい形の物がある
DSC09341_R_20130802221328027.jpg砲台には憑き物の潮位計測柱だろう
DSC09339_R_20130802224344bb1.jpg大きな海食洞がある
DSC09337_R_20130802224340178.jpgその手前の崖に明らかに人為的な穴がある
DSC09335_R_201308022243362c1.jpg人為的にゴミが入れられている
DSC09342_R_2013080222461018f.jpg木に侵食された石柱
DSC09343_R_20130802224612f01.jpg広場の垣根の中に隠れている、測遠機台座と思われる遺構
DSC09344_R_20130802225002f04.jpgこの様に埋まっている
DSC09346_R_20130802225004d16.jpg取り付け金具が確認出来る
DSC09347_R_20130802224617e0b.jpg下界に下りてきた
DSC09348_R_20130802225327d2f.jpg境界石の頭だけ
DSC09349_R_201308022253285e7.jpg斜面にコンクリート構造物が見える
DSC09351_R_20130802225330c32.jpg近くには素掘りの壕もある
DSC09352_R_20130802225331c99.jpg中はたいして広くない
DSC09353_R_20130802225332a35.jpg上面に燃料庫と彫ってある、非常に珍しい
DSC09355_R_20130802225840c8a.jpg燃料庫の手前にコンクリートの台座がある
DSC09357_R_20130802225926b4b.jpg25mm単装機銃の台座の様だ、武山高角砲台にも似た様な物がある