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北鎌倉駅周辺遺構 その2

前回は北鎌倉駅表道り、県道21号線沿いを紹介したので、今回は駅裏手側を紹介する
前回同様使用目的不明、高所に開口部等があり、街道の防衛及び物資蓄積用倉庫壕などと思われる
前回紹介した物を含め、短距離にこれだけの遺構が密集している駅前は田浦駅ぐらいの物だろう
前回もそうだが観光地探索は非常に別の意味でやりずらい物がある、シーズンの春や秋には無理だろう
前回の続きの踏み切り周辺から開始する、踏み切りを渡り、線路裏手の細い道を逆行する形になる
DSC04584_R_20130929074055353.jpg葉祥明美術館に向かう、右側のこれが目印となる
DSC04570_R_2013092907404657e.jpg開口部は2~3m上にある、観光客の切れ間に素早くよじ登る
DSC04571_R_20130929074048a7e.jpg開口部到着
DSC04572_R_2013092907405059f.jpg天井はやや低く立てない
DSC04573_R_20130929074053a9c.jpg謎の軽金属製ケース、ここで通路は右に曲がる
DSC04574_R_20130929075205744.jpg更にすぐ左に曲がる、掘削は綺麗だ
DSC04575_R_201309290752074b1.jpg緩やかに左に曲がる、壕のサイズは終始こんな物だ
DSC04576_R_2013092907520831e.jpg分岐に出た
DSC04577_R_20130929075210c4b.jpg正面は行き止まり、丸く面取りしてあるので倉庫的な物か?
DSC04578_R_20130929075212db2.jpg分岐を右に進む
DSC04579_R_2013092908003521d.jpg更に右に折れて、緩やかに登る
DSC04580_R_2013092908003672d.jpg開口部、土砂が流入して来ている
DSC04581_R_2013092908003841d.jpg外側から、半没状態だ
DSC04582_R_20130929080039953.jpg戻り際気が付いたが、すれ違い場の下に空間がある、自然窟だろうか?
DSC04583_R_201309290800418fd.jpg入り口付近、この辺のみ壁面から石が飛び出して凸凹している
DSC04585_R_201309290814405e0.jpg北鎌倉駅までは何も見当たらずすすむ、住宅化により擁壁の中に消え、一部こんな感じに使用されている
DSC04586_R_20130929081442ea9.jpgそんな中に一風変わった物がある
DSC04587_R_20130929081443ea4.jpg中は普通に壕なのだが、コンクリートが中途半端に吹き付けてある
DSC04588_R_20130929081445d98.jpg下に向かっている通路を埋めた様な、天井が斜めの部分
DSC04589_R_20130929081446ebb.jpg外に出ると何も無い高台の空き地に出る
DSC04590_R_20130929082520ea9.jpg空き地には壕口がなぜか残されている
DSC04591_R_201309290825218bf.jpgしかし、土嚢で入れない
DSC04592_R_201309290825232f3.jpg雲頂禅庵への登り階段途中にある
DSC04598_R_20130929082525a2c.jpg線路沿いを進むと変な物が見えて来る
DSC04599_R_2013092908252748b.jpg中華料理店の入り口の様だが、普通に歩行者用トンネルなので通行可
DSC04602_R_201309290836324a7.jpg左右には通路を塞いだ跡がある
DSC04600_R_20130929083625959.jpg隙間を覗いてみると、ずらりと2連碍子の並んだ壕が続いていた
DSC04603_R_2013092908363441c.jpg面白い名前の踏切がある、踏切って普通に名前あるの?
DSC04593_R_20130929084252c1b.jpg八雲神社入り口(同じ名前で親しみがあるが、八雲神社もあちこちに見かける、浅間神社みたいな物なのだろうか)
DSC04595_R_20130929084256a2d.jpg擁壁の中にポツリと四角い穴がある
DSC04594_R_20130929084255063.jpg銃眼の様だ
DSC04596_R_2013092908425875d.jpg脇に開口部があるのだが、個人邸に付き調査不能
DSC04597_R.jpg隣に明らかにツルハシで広げた跡のある壁があるが、その前に風化した石柱があり、看板を引っ掛ける様なフックが真ん中に残っている、1m程度の物なので門柱とは思いがたい、なんだろう?馬でも繋ぐのか?灯り置きの様な窪みも掘ってある。
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北鎌倉駅周辺遺構 その1

北鎌倉の台、海軍通りと呼ばれたかつての将校たちが居を構えていた一画。
そんな土地柄か、この周辺には海軍要塞地帯標や壕が点在する、教導さんと共に回って来た。
DSC04608_R_2013092314273080d.jpgローカルな駅、北鎌倉駅を下車すると
DSC04604_R.jpg駅前の横断歩道を渡った所にポツンとある
DSC04605_R_201309231423172d9.jpg東京湾要塞第二区地帯標
DSC04606_R_20130923142318b8f.jpg昭和十六年七月三十日建
DSC04607_R_20130923142320a20.jpg海軍省 第四五号
DSC04568_R_20130923143720274.jpg鎌倉駅方面に歩いて行くと、浄智寺が右手にある
DSC04566_R_20130923143715adb.jpg浄智寺の駐車場に開いている壕口
DSC04567_R_20130923143719dba.jpg前は入れたそうだが、この日は水没していて入れなかった
DSC04569_R_201309231443395ce.jpg県道21号からそれ、線路沿いに進むと建物の裏に壕口が開いているのが見える(上の方)
DSC04609_R_20130923144343b8b.jpg少し先の入り口に向かう
DSC04610_R_201309231443448ab.jpg目の前を電車が往来しているので、風化と振動による崩落が激しい
DSC04611_R.jpgそれを越えると、今度は投げ込まれた瓦礫を越える
DSC04612_R_20130923144347c0a.jpgやっと、まともな通路になる
DSC04613_R_2013092314551087a.jpg右に直角に曲がる、すれ違い場もある
DSC04614_R_20130923145511347.jpgこの辺は崩落も無いが、ゴミが多い
DSC04615_R_20130923145513b2e.jpg横幅が広がり、碍子も見受けられる
DSC04616_R.jpg奥に行くほど状態が良い
DSC04617_R_20130923145519cb1.jpg電燈付きの待遇の良い壕だ、規模にしては
DSC04618_R_201309231505132ca.jpg天井は低いので、壁に打ち込んである
DSC04619_R.jpg開口部が見える(最初の建物の裏手になる)
DSC04620_R_20130923150516bbe.jpg位置が高く、外からは出入り出来ない、監視及び狙撃用陣地だろう
DSC04621_R_20130923150518ba5.jpgでは、戻ろう
DSC04622_R_20130923151405510.jpgまたこの瓦礫を越えなければならない、入る人の身にもなって捨ててくれ
DSC04623_R_20130923151406cb5.jpg開口部外観
DSC04624_R_20130923151408717.jpg防護ネットの切れ間の壕口、倉庫壕の様だ
DSC04625_R_201309231514092a9.jpg壁面沿いに捜索して見たが、祠状の物しか見当たらなかった

次回北鎌倉駅の反対側を紹介する

甘縄神明宮

本日を持ちまして、基本的毎日更新を終了します。
ネタはまだまだあるので、今後不定期に更新していきます。
当初すっぱり閉鎖しようかとも思いましたが、カウンターを見てみると毎日200人近くの人が見に来てくれている様なので、しばらくはまともな更新は出来ませんが、不定期続行とゆう中途半端な状態でやろうと思う。
規模も縮小版になるかも知れないが、がんばって書いていきます。

風光明媚な観光の町鎌倉にも、観光と紙一重の所に戦争の傷跡が隠れている。
仏閣には詳しくは無いが(興味も無い)、甘縄神明宮は甘縄神明神社に改称しているようだ
甘縄神明宮は鎌倉で最も古い神社といわれていて、由緒がある様だが良く判らない
DSC04730_R.jpg観光地なので壕口位置ぼかす
DSC04733_R.jpg入ってすぐに変わった物入れの様な物がある
DSC04734_R_201309141858445ac.jpg右には歩哨でも入りそうな窪みがある
DSC04735_R_20130914185846a8a.jpg奥に進む
DSC04736_R_20130914185848841.jpg分岐も無い直線をひたすら進む
DSC04737_R.jpg緩やかな階段を下る
DSC04738_R_20130914190506758.jpg初めての分岐
DSC04739_R_20130914190508f7b.jpg直進は水没で不能となる
DSC04740_R_20130914190510856.jpg更に鋭角な分岐になる
DSC04741_R_2013091419051105c.jpg楽に立って歩けるし幅も快適
DSC04742_R_20130914191253301.jpgだが、こっちの道は水没に終わる
DSC04743_R.jpg反対側は軽く登っているようだ
DSC04744_R_20130914191256384.jpg奥に進む
DSC04745_R_2013091419125849a.jpgひたすら進む
DSC04746_R_20130914191259b8a.jpgすれ違い場に固まったコンクリート袋が転がる(コンクリートの部屋など無いのだが?)
DSC04747_R_20130914192122906.jpg通路にも転がっている
DSC04748_R_2013091419212336a.jpgこの部屋は上から何か垂れ下がっている
DSC04749_R_20130914192125919.jpg何やら直線的な通路が多い
DSC04750_R_20130914192138f5f.jpgだんだん床がごろついてくる
DSC04751_R.jpgズリが溜まり出す
DSC04752_R.jpg最深部到着
DSC04753_R.jpg左側
DSC04754_R_201309141931214b8.jpg銃眼か?
DSC04755_R_2013091419312353a.jpg右側開口部
DSC04756_R_20130914193711958.jpg外に這い出す
DSC04757_R.jpg軽くトタンを立てかけてある壕
DSC04758_R_20130914193822113.jpgそれほど大きな壕ではないが、それなりだ
DSC04759_R_20130914193823dae.jpg神社に近いのでゴミが多い
DSC04760_R_20130914193825094.jpg
DSC04761_R_2013091419382785a.jpg焼却炉の炭が捨てられている
DSC04762_R_20130914194334839.jpg先にはまだ分岐がある
DSC04763_R_20130914194335fc3.jpg曲がると部屋の様だ
DSC04764_R_20130914194337098.jpg大型の棚が複数ある
DSC04765_R_20130914194338bef.jpg長方形で、多少いびつな部屋
DSC04766_R_201309141943443c1.jpg奥は埋っている
DSC04767_R_20130914194813b9e.jpg棚とゆうよりは、椅子?
DSC04768_R.jpg簡易ベットにもなりそうだ
DSC04769_R.jpg撤収する

江ノ島砲台、洞窟陣地その2

DSC04689_R_2013091222515116b.jpg砲台を後にして、洞窟陣地へ向かう
DSC04690_R_20130913210449777.jpg崖の遥か上に展望台が見える、この展望台は陸軍空挺隊が訓練をしていた物と言われるが、ちょっと違う
元は単なるアトラクション施設で、それを陸軍飛行学校生が練習代わりに私的に使っていただけらしい。
ちなみに現在は2代目で、2003年に先代は引退している。
DSC04691_R_20130913210450e38.jpg崖の下に祠がある
DSC04693_R_201309132104535a7.jpg奥は海食洞らしく窄まっている
DSC04694_R_20130913210455def.jpgきっと数年ぶりの訪問者だったろう
DSC04692_R.jpgこちらは軍ものっぽい
DSC04695_R_201309132118316e2.jpg崖を登る
DSC04696_R_20130913211833f15.jpg中腹に穴がある
DSC04697_R.jpg幅2mほどの壕口
DSC04698_R_20130913211836787.jpg入ってすぐ二股になる
DSC04699_R_2013091321183813e.jpg右側は20mほどで行き止まり
DSC04700_R_20130913212523bdf.jpg最深部
DSC06703_R_2013091321365064b.jpg壕内には、複数の鉄の金具が埋め込まれている
DSC06704_R_201309132137021db.jpg
DSC06705_R_20130913213704a22.jpg
DSC04701_R.jpg左側も30mほどでおわる
DSC04702_R.jpg台風などの高波で吹き込んだ浮遊ゴミが溜まっていて、異臭がする
DSC04703_R.jpg近くにある風穴には釣り道具が隠してある
DSC04704_R_201309132125315bd.jpgまた、清水溜めがある
DSC04705_R.jpg今でも滾々と湧き出しているが、飲んでみる根性は無い
DSC06707_R_20130913213705c79.jpg海岸に見えるのは、海岸陣地でよく見かける生簀だろう
DSC04706_R_20130913213132fad.jpg洞窟陣地の入り口が、占領されている
DSC04707_R_20130913213134180.jpg夜釣り用の休憩所になっている様だ
DSC06710_R_20130913214152468.jpg乗り越える
DSC06711_R_2013091321415342b.jpg乗り越える
DSC06712_R_20130913214155aae.jpg少しマシ
DSC06713_R_20130913214156f39.jpg乗り越える
DSC06714_R_20130913214158e64.jpg乗り越える
DSC06715_R_20130913214603401.jpg終点の一つ
DSC06716_R_201309132146054bc.jpg突破する
DSC06717_R_201309132146062f5.jpg乗り越える
DSC06718_R_201309132146091be.jpg最深部
DSC06724_R_2013091321521861d.jpg近くにあるほこら状の穴
DSC06725_R_20130913215220f6d.jpg海岸にはまた、生簀がある
DSC06726_R_20130913215222268.jpg遊覧船船着場付近にある洞窟陣地
DSC06727_R_20130913215223220.jpgここもゴミだらけ
DSC06728_R_201309132152240cd.jpg乗り越える
DSC06729_R_201309132206514b2.jpg一山越えるとわりとマシに見える
DSC06730_R_2013091322070043a.jpgしかし、短い
DSC06733_R_201309132207027d7.jpg壕口から見る遊覧船(渡し舟)
DSC06734_R_20130913223545684.jpg船着場周辺にある遺構
DSC06735_R_20130913223548da6.jpgコンクリートで固めてある
DSC06736_R_2013091322355091d.jpg砲撃用の潮位計測用の物と推測する(この金網は後付けだろう)
DSC04721_R_2013091322402674e.jpg船着場
DSC04722_R_201309132240286b5.jpg人工的な穴が3つ見える
DSC04724_R_20130913224030f4d.jpg後はぶらっと観光コースを回る(潮が上がって戻れなくなった)
DSC04725_R_20130913224032058.jpg
DSC04726_R_20130913224033ef5.jpg
DSC04727_R_201309132244186ec.jpg
DSC04728_R_2013091322442046a.jpg
DSC04729_R_2013091322442261b.jpg最後に駐車場側に何とか確認出来る、東砲台の穴だが、手前に民家が密集し探索不能
DSC04626_R_20130913224708545.jpg実はお土産やさんの裏などには壕口が散見出来る、違った江ノ島を散策してみては?


江ノ島砲台、洞窟陣地その1

書いた記事が投稿前にエラーで消えてしまったので説明は省略する
DSC04627_R.jpg早朝の江ノ島にやって来た、ここの海岸走破は潮の干満に左右される
DSC04629_R_201309122102001ee.jpg今回は写真中央にいる、教導さんとの探索になる
DSC04628_R.jpgくぼみに清水溜めがある
DSC04630_R_20130912210201599.jpgここに砲室が写っているのだが判るまい
DSC04631_R_20130912210203270.jpg少しUPする、何となくコンクリートアーチが見える
DSC04632_R_20130912211456297.jpg崖をよじ登る事にする
DSC04633_R_20130912211458163.jpg砲室の前縁部のみのコンクリート巻き
DSC04634_R_20130912211500ee7.jpgしかし、ちゃんと鉄筋は入っているようだ
DSC04635_R_20130912211502375.jpg砲室内は素掘りで広いが、雑具が投げ込まれている
DSC04636_R_201309122115072c8.jpg砲室から見る風景
DSC04637_R_201309122144528de.jpg砲室奥の洞窟陣地に進む
DSC04638_R_20130912214454c3d.jpg右側は行き止まり
DSC04639_R_201309122144566d8.jpg左に進む、分岐がある
DSC04640_R_20130912214457d8b.jpgまっすぐ行くと開口部が見える、右側には部屋状の空間、弾薬庫だろうか?部屋はここだけしかない
DSC06661_R_20130912215410873.jpg開口部外には分厚いコンクリートが横たわっている
DSC06662_R_20130912215413b2d.jpg少し下にも落ちている
DSC04641_R_20130912214459423.jpg戻ってさっきの分岐へ進む
DSC04642_R.jpg崩れかけた階段を登る
DSC04643_R_201309122157171b6.jpg上の方は階段の態をなしていない
DSC04644_R_201309122157180c6.jpg天井が剥がれ落ちる通路を抜けると
DSC04645_R_20130912215720203.jpg狙撃室がある
DSC04646_R_2013091221572219f.jpg銃眼から外の出る、外観は立派だ
DSC04649_R_201309122209164b5.jpg人物比、きへいたいさん
DSC04652_R_20130912220919127.jpgコンクリートはすごく分厚い
DSC04653_R_20130912220920b8e.jpg埋もれかけた銃眼の修復を試みるマンチカン帝国さん
DSC04654_R_20130912220922d67.jpg修復作業は数十分に及んだ
DSC04656_R_201309122217595b2.jpgでは、次に向かう
DSC04659_R_2013091222180013f.jpgさっきの開口部から降りる事にする
DSC04660_R_20130912221802436.jpg以外と滑るコンクリートだった
DSC04665_R_201309122218060c3.jpg下を見下ろす
DSC04666_R_201309122218095e2.jpg降りて来た崖
DSC04667_R.jpgまた、次なる崖を登る
DSC04668_R_2013091222245546e.jpg小奇麗な入り口が現れる
DSC04669_R_20130912222456d5f.jpg入り口付近の小部屋
DSC04670_R_20130912222458c7b.jpg砲室が見える
DSC04671_R_20130912222500e2b.jpg天井が煤けている、先住民の仕業だろう
DSC04672_R_201309122237533a4.jpgガラクタだらけの砲室
DSC04673_R.jpg右側
DSC04674_R_201309122237574ee.jpg左側
DSC04675_R_201309122237594ec.jpg教導さんの修復が始まる
DSC04676_R_201309122238018bb.jpg砲室後端は階段状になっている
DSC04677_R_20130912224550ad0.jpg前の砲座より巻き方が立派だ
DSC04681_R_20130912224555a4b.jpg特徴的なアーチ
DSC04683_R_20130912224557cbd.jpg修復作業は佳境に入る
DSC04685_R_201309122245585bc.jpg大した物だと思う(多少は手伝いました)
DSC04686_R_20130912224601d9b.jpg砲室外壁は、人工的に組まれた石垣だった
DSC04687_R.jpg海岸を見ると係留用の柱が立っている
DSC04688_R_201309122251483bd.jpg多少の砲撃には耐えられそうだ
DSC04689_R_2013091222515116b.jpg西側第二砲座を後にする

逸見、汐入周辺遺構、海軍測器庫

DSC03088_R_201309112038469c5.jpg前に紹介した陸軍砲兵学校の為のトイレ遺構(現存する最古の公衆便所とも言われる)
DSC03857_R_20130911203849b8b.jpg今は蓋をされて、誰も用を足せなくなってしまった
DSC03858_R_20130911205701087.jpg汐入壕によって見ると様子が変だ
DSC03860_R_20130911205702eb6.jpg一部を除き擁壁工事されている
DSC03862_R_20130911205708876.jpg端っこの一部は残っているようだ
DSC03864_R.jpg隙間から覗き込む
DSC03865_R_20130911205711da3.jpg昭和期に再利用されていたようだ
DSC03866_R.jpgなんか、南極観測基地みたい
DSC03868_R_20130911210310e4b.jpg遊星からの物体Xかなんか出て来そう
DSC03869_R.jpg壕を埋める時にごみを詰め込むのはいつでも一緒だ
DSC03871_R_201309112103146ec.jpgこの壕も今頃は壁の中だろう
DSC03872_R_20130911210955909.jpg左奥にある、変な構造
DSC03873_R.jpg突き当たり、右下に高さ1mほどの通路がある
DSC03874_R_201309112109599a1.jpg抜けると、壕は更に続いている
DSC03875_R_20130911211001af1.jpg抜けて来た穴
DSC03876_R_20130911211003878.jpgこの辺の天井は形が違う
DSC03877_R.jpg来た道
DSC03878_R_201309112115553f1.jpg天井が剥がれて、鉄板が出ている
DSC03879_R.jpg壕は続く
DSC03880_R_201309112115582c9.jpgこの辺は資材置き場だったのだろう
DSC03882_R.jpg一部の床は鉄板張りだった
DSC03890_R_20130911212129d5f.jpg最後に一回り出来て良かった
DSC03891_R_20130911212131432.jpg安針塚にある巨大な壕口(安針塚駅は軍需部前駅として、開業したが軍施設の所在を明らかにすべきでないと判断され、三浦按針(ウィリアム・アダムス)の名に因み、安針塚駅に改称された経歴がある)
DSC03892_R_20130911212133d84.jpgこれも、軍需部の施設の一つであろう
DSC03893_R_201309112121342c0.jpg内部は見た事も無い、コンクリートの巻き方だ、強度は大丈夫なのだろうか?
DSC03894_R.jpg左奥に続いてそうな気もするが入れない
DSC03895_R.jpg形状的には発電機壕か、ドラム缶式燃料庫か?
DSC03896_R_20130911213616291.jpg頑張れば上から入れそうだ
DSC03897_R_201309112136188a1.jpg目の前に石柱が有る
DSC03898_R_201309112136191a3.jpg東電と彫ってあるが、明らかに石柱は表面を削られてスリムになっている、二次利用の疑いがある
DSC03899_R_20130911214311f55.jpg汐入に戻って来た、昔の道標、是より汐入と書いてある
DSC03901_R_201309112145448ce.jpg裏側、是より港湾部?
DSC03902_R.jpg丘に上る階段がしんどい、ベースが見える
DSC03903_R_2013091121432009c.jpgガントリークレーンの基礎がある
DSC03904_R.jpg東京湾要塞地帯標か?
DSC03905_R.jpgヌコが守護している
DSC03906_R.jpg裏側には海軍用地が残っているが、他の3面は風化して読めない
DSC03908_R_20130911215155a87.jpg別のヌコ
DSC03909_R.jpgあまり眺めは良くない
DSC03910_R_20130911215159de4.jpg久松橋
DSC03911_R.jpgこれ、橋なのか?
DSC03913_R_20130911215733ba6.jpg壁に見たような物が埋っている
DSC03912_R_20130911215732149.jpgこれって境界石柱?関東大震災の復興時、あらゆる物が間に合わせに使用された
DSC03916_R.jpgここにも地帯標と思われる物がある
DSC03915_R.jpgこれも他の面は見えないが
DSC03914_R.jpgこの面の
海軍用地だけは読める
DSC03917_R.jpg石垣の崩れた下面を震災煉瓦で埋めたのだろう
DSC03918_R_20130911221008e98.jpgある意味、芸術品である
DSC03919_R_20130911221010fca.jpgよく探せば、刻印も見つかるかも
DSC03920_R.jpg汐入駅裏側の坂を登ると海軍測器庫がある
DSC03925_R_20130911222106fb8.jpg気象観測や測器や航海に関する図書の保存供給をしていたが、震災後の海軍の敷地整理により民有地になる
DSC03922_R_20130911222152cac.jpg地下倉庫入口の上に他の家が立っているが、境界はどうなっているのだろう?
DSC03927_R_201309112221082f9.jpg明治中期のレンガ建築物で貴重なものであるが、母屋と合体している様だ、地元では天文台と呼ばれている

第29回 百里基地航空祭 その3

DSC00196_R_20130910202355b5a.jpgU-125A救難探索機、震災時に格納庫に突っ込んでいる画像を見た人もいるだろう
DSC00200_R_20130910202357366.jpg後でUH-60J救難ヘリが引かれて行く
DSC00202_R_201309102023582e6.jpg今回唯一飛行した機体
DSC00194_R_20130910202353e18.jpg高射隊を見に行く
DSC00207_R_20130910203251bc2.jpgこの5台一組で1セットのチームとなる
DSC00217_R_20130910203256710.jpgパック3システム運用図
DSC00208_R_201309102032533f5.jpg
DSC00209_R_20130910203255972.jpg射撃管制装置(ECS)
DSC00210_R_201309102039376ca.jpg
DSC00211_R_20130910203939c40.jpg電源車(EPP)
DSC00212_R_20130910203940789.jpg
DSC00215_R_20130910203943f37.jpg
DSC00214_R_20130910203941616.jpgレーダー装置(RS)基本的にはイージス艦と同じシステム
DSC00216_R_20130910204505062.jpg
DSC00219_R_2013091020450880d.jpg
DSC00218_R_201309102045076cf.jpg発射装置(LS)
DSC00220_R_20130910204955bac.jpg
DSC00225_R_20130910205117129.jpg基地防空概念図
DSC00221_R_20130910204957810.jpg
DSC00223_R_20130910204959397.jpg発射装置(LCH)
DSC00222_R_20130910205514a18.jpg
DSC00224_R_201309102055199d2.jpg81式短距離地対空誘導弾(短SAM)
DSC00226_R_2013091021015717d.jpg
DSC00227_R_20130910210159445.jpg射撃統制装置(FCS)
DSC00228_R_201309102102000c5.jpgタチコマ
DSC00229_R_20130910210203a55.jpg
DSC00230_R_2013091021020599a.jpg
DSC00231_R_20130910210552385.jpg対空機関砲は、直接弾を当てる事は考えていない、偶然以外当たる可能性は1000発に1つあれば奇跡と言われる進行方向に弾幕を張り、自爆した弾の破片をエンジンが吸い込み、ストールすればめっけもの程度
DSC00232_R_2013091021300986e.jpgちょっと出店で飯を物色と思ったら、なんとカメラのバッテリー切れ、後はビデオのみとなる
DSC_0022_R_201309102139255f5.jpg                     オッドボール三等軍曹(秋山 優花里)の幟
DSC_0024_R_20130910213927be6.jpg蝶野教官
PIC_0014_R.jpg
PIC_0015_R.jpg
PIC_0016_R.jpgUH-60J救難ヘリの捜索救難展示(短縮版)
UH-60J救難ヘリの捜索救難展示
PIC_0019_R.jpgF-4の地上滑走
PIC_0020_R.jpg生首

F-4によるスクランブル発進展示

F-42機による地上滑走(通常カラー)

F-42機による地上滑走(偵察隊カラー)

PIC_0021_R.jpgインパルスは飛ばないので昼前に撤収した、はずだったのに何故3時にここに居る!
駐車場は無法地帯と化し、鉄のポールを地面に刺してロープを張っていたのに、みんな薙ぎ倒して出口に我先に突っ込んで行く、こんなマナーの悪い基地際は始めて見た、訓練展示中でも平気で傘を差しているし、最前列が平気で立ち上がる。
出口付近では自衛官を捕まえて、怒鳴り散らしている親父もいた、非常に見苦しい。
そして、これから3時間+6時間の渋滞を乗り越え横浜に帰る。

折角なので、前に撮ったブルーインパルスの画像を貼っておく

DSC02828_R_201309102223023ab.jpg
DSC02842_R_20130910222303efd.jpg
DSC02861_R_201309102223050f5.jpg
DSC02875_R_20130910222306df9.jpg
DSC02889_R_20130910222308534.jpg
DSC02914_R_20130910222457788.jpg
DSC02923_R_201309102224586ed.jpg
DSC02937_R_20130910222500fdd.jpg
DSC02958_R_20130910222501381.jpg
DSC02972_R_201309102225030f0.jpg
DSC02978_R_201309102225542da.jpg
DSC02997_R_201309102225554b9.jpg本来見えたはずだった一部を紹介

第29回 百里基地航空祭 その2

DSC00107_R_201309092038505f9.jpgエプロンに出ると、ずらりとF-4とF-15が並んでいる
DSC00108_R.jpgF-4がエンジンをかけている
DSC00109_R_2013090920385476f.jpg後列に偵察隊の迷彩F-4がいる
DSC00110_R_201309092038569da.jpgコクピットを開け閉めして、調整中
DSC00112_R_20130909203857163.jpg開けたまま走って行ってしまった、滑走路に
DSC00113_R_20130909205122f97.jpg前列奥の方に、F-15がいる
DSC00114_R_20130909205123090.jpgその前を飛行機電車がF-15とT-4(インパルスカラー)が走っている
DSC00115_R_20130909205125df8.jpg時間まで、地上展示物を見て回る
DSC00116_R_201309092051269d5.jpg
DSC00117_R_20130909205131fbc.jpgT-4、インパルスもこの機体だ
DSC00118_R_20130909210129399.jpg
DSC00119_R_20130909210130c13.jpgT-7
DSC00120_R_201309092101325b8.jpg
DSC00121_R_20130909210134a5b.jpgT-400
DSC00126_R_201309092103480ba.jpgなぜ、キティ?
DSC00122_R_20130909210342c21.jpg
DSC00123_R_20130909210344a88.jpg
DSC00125_R_20130909210346278.jpgF-4EJ改
DSC00151_R_201309092108472a5.jpgおしり
DSC00127_R_20130909210841459.jpg
DSC00128_R_20130909210843339.jpg
DSC00129_R_2013090921084494b.jpg
DSC00131_R_20130909210846290.jpg
DSC00144_R_201309092111098f5.jpg
DSC00146_R_20130909211111d46.jpg
DSC00147_R_20130909211113d1d.jpg
DSC00132_R_20130909213724469.jpg
DSC00135_R_20130909213727635.jpg
DSC00134_R_20130909213726252.jpg
DSC00137_R_2013090921372922a.jpg
DSC00138_R_20130909213730332.jpg
DSC00141_R_20130909214433bc6.jpg
DSC00143_R_201309092144358e2.jpg
DSC00153_R_20130909214436a8f.jpg陸自のコブラ
DSC00155_R_20130909214438733.jpgなんか来る
DSC00156_R_20130909214439fa9.jpgF-4が手を振りながら通過して行く
DSC00157_R_201309092149312aa.jpg地上滑走の準備に向かうようだ
DSC00158_R_2013090921493256f.jpgアパッチ、冠は外しているようだ
DSC00161_R_20130909214934bca.jpgCH-47J
DSC00162_R_20130909214935cc5.jpgP-3C
DSC00163_R.jpgなぜ、リラックマ?
DSC00165_R_2013090921575540b.jpgなんか来た、インパルス7号機だ
DSC00166_R.jpg一日基地司令が手を振っている
DSC00164_R_20130909215751efa.jpgP-3C色違い
DSC00169_R_2013090921580162e.jpg窓に百里基地、基地際なう!と書いてある
DSC00167_R_20130909215759092.jpgC-1輸送機、早くC-2が見たい
DSC00170_R_20130909221246007.jpgインパルス6機
DSC00171_R_20130909221248be1.jpgでも飛ばない
DSC00174_R_20130909221249c2f.jpgやっぱり飛ばない
DSC00175_R_2013090922125515f.jpg振り向くと管制塔が見える
DSC00177_R_20130909222559145.jpg地上滑走予定のF-4が並ぶ
DSC00180_R_20130909222600320.jpgシャークマウスがかっこいい
DSC00182_R_2013090922260282d.jpgT-4の影からF-15が現れる
DSC00183_R_2013090922260319a.jpg背中を開けて走り去る
DSC00184_R_20130909222604d6c.jpg地上滑走の準備だろう
DSC00186_R_20130909225340f41.jpg端っこでくるっと回る
DSC00189_R_20130909225342bbe.jpg加速と共にエンジン音が響く
DSC00190_R_201309092253430e0.jpg前輪が浮いた!
DSC00191_R_20130909225345b03.jpgでもここまで・・・

F-15の地上滑走

第29回 百里基地航空祭 その1

今日は雨の中第29回 百里基地航空祭に行って来た、百里は遠い、初めて行ったが距離はたかだか130km程度なのだが、何なんだこの周辺の混雑度は!
朝5時に出て2時間で着くと思えば、朝から渋滞で3時間掛かった、これはまだ良しとする
問題は帰りの方だ、雨天によりブルーインパルス飛行展示中止となり昼前に切り上げて、混んでも横浜4時頃だなと思いきや、基地から南駐車場まで徒歩15分、駐車場から出るのに3時間、高速(石岡IC)までの一般道2時間半、高速3時間15分と帰りだけで9時間もかかった。
4時半起きで、この運転、基地内ではひたすら立って動き回っていたし、兎に角疲れた
しかも予想通り羽物は一切飛ばず、飛んだのはヘリのみ、内容はかなりしょぼい
百里航空基地は民間の茨城空港と共用しているのは、周知の上だが、民間機が平気で離発着しているのになぜ?
アクロバットは出来なくても、フライパスぐらいは出来るのでは?と言いたくなる。
まぁ、内情を知っている身としては、実際はやらないのでは無く、違う意味で出来ないのだ、しかたがない。
航過飛行 天候不良のため、地上滑走に変更となり展示は終了しました。
偵察飛行 天候不良のため、中止となりました。
機動飛行 天候不良のため、地上滑走に変更となり展示は終了しました。
パラシュートジャンプ
捜索救難展示 天候不良のため、規模縮小となり展示は終了しました。
デモスクランブル
空対地射爆撃 天候不良のため、地上滑走に変更展示は終了しました。
戦術偵察 天候不良のため、地上滑走に変更となり展示は終了しました。
午後のブルーインパルスも、地上滑走に変更となり展示は終了しました。
DSC00073_R_20130908214702692.jpg5時半頃高速に乗ると雨が降り始める
DSC00074_R_201309082147041df.jpg羽田周辺は軽快に空いている、この時点では2時間掛からないと思っていた
DSC00075_R.jpgスカイツリーが見えてきた
DSC00076_R_20130908214707780.jpgビールの黄金う〇こ(イメージは泡らしい)
DSC00077_R_20130908215632328.jpg石岡IC料金所前からこの状態だ(基地際とは関係無い)
DSC00078_R_20130908215634d6b.jpg魔の県道355線、渋滞が日常なのでバス専用道路が複線として隣を走っている
DSC00079_R_20130908215635afb.jpg大きな交差点ごとに案内板が出ているので、迷う事は無いだろう
DSC00080_R.jpg滑走路には行けないが、飛び立つ姿のみで良いなら渋滞避けにも良い場
DSC00081_R_20130908215638b91.jpg基地内最も遠い駐車場、ここも9時半には満車になったそうだ(ここからエプロンまで30分は歩くのでは?)
DSC00082_R_20130908221639541.jpgかなり駐車場はこの天気なのに埋ってきている
DSC00083_R_20130908221643c62.jpg8時到着、何とかバナナ手前のリンゴに停まれた
DSC00084_R_2013090822164506b.jpg人の波に沿って滑走路に向かう、幸い雨は病んでいる
DSC00086_R_201309082216462d2.jpgT-4が置いてある基地っぽくなって来た
DSC00087_R_2013090822164862c.jpg防衛用トーチカ、ますます基地っぽい
DSC00088_R_20130908222554d75.jpg探すと結構あちこちに見かける
DSC00089_R_20130908222555ee9.jpg先の方にF-4が停まっている
DSC00090_R.jpgその手前の射場(機銃のテスト場)
DSC00091_R_201309082225599f3.jpg対応年数を過ぎ、部品取りをされた抜け殻状態のF-4
DSC00095_R_201309082226005fb.jpg個人的にはこっちのカラーリングの方が好きだ
DSC00096_R_20130908223544ec1.jpgエンジンを抜かれ、がらんどうな機内
DSC00097_R_201309082235460f7.jpgアレスティングも、米海軍機の名残だ
DSC00099_R_201309082235471fe.jpgもっと見ていたいが、先に行かねば・・・
DSC00100_R_2013090822354994a.jpg地下燃料庫、弾薬庫等が並ぶ
DSC00101_R_201309082235512fa.jpgさぁ、ハンガーが見えて来た、
DSC00102_R_2013090822425349c.jpg出店も朝一なら空いている
DSC00103_R_201309082242554a9.jpg食品関係が多いがミリーなお店も出店している
DSC00104_R_2013090822425735e.jpgかさばるが、目当てがあるなら先に飼っておくのも良いだろう、後は込み合う
DSC00105_R_20130908224259947.jpg早い物勝ちでハンガー内にシートを引いて日陰を確保出来る
DSC00106_R_20130908224301897.jpgハンガー外には、F-4,F-15がずらりと並ぶ
今日は疲れたので、ここまで

油壺震洋特攻基地 その4

DSC05187_R.jpgひたすら落っこちそうな、滑る岩礁を辺吊ってきた、この辺は人工的な基礎が見受けられる
DSC05188_R.jpg侵食により転げ落ちたボラード
DSC05189_R.jpg埋もれた震洋壕
DSC05190_R.jpg不意にしっかりしたコンクリート基礎が現れる
DSC05192_R_20130907195909bd5.jpgしかも、基礎の裏には壕がある
DSC05191_R.jpg壕自体は小さく、倉庫壕か、退避壕の様だ
DSC05193_R.jpgこの辺は現代科学で作られた施設が多い、間口が狭いので自然窟だろう
DSC05194_R.jpg東大三浦臨海研究所が軍施設跡地を利用している様だ
DSC05195_R.jpgさきに見た4m級震洋壕改造だろう
DSC05196_R.jpg埋った震洋壕、入れそうも無い
DSC05197_R.jpg石垣がある、怪しさを感じ、崖を登る
DSC05198_R.jpg2層式の天水濾過槽がある
DSC05199_R.jpg更に登り上から見下ろす
DSC05200_R.jpg更に上には、当時の石垣と合体した近代施設がある
DSC05201_R.jpg調子に乗って山越えしてしまった、本部が置かれた東大三浦臨海研究所本館が下に見える
東大三浦臨海研究所は1886年、世界的にも豊かな生物相を有するとして同市内に設立された。1945年2月に海軍に接収され、特殊潜航艇基地になり、実験所は小網代の小屋に移った。
本館の1階は本部、2階は将校室と食堂となり、屋上には軍艦旗が掲げられた、建物には迷彩色が塗られたという
DSC05202_R.jpg山肌に給水タンクがある、時代不明
DSC05203_R.jpg明治末期に建てられた木造実験棟
DSC05204_R.jpg横から見た東大三浦臨海研究所本館、老朽化により使用不能に一部なる
DSC05205_R.jpg数年前の生前の写真
miura_kaiyou_1_R.jpg戦前の様子
7_120723_R.jpg2011年3月原因不明の出火にて全焼、今は完全に更地になっていて、跡形も無い(ニュースキャプチャー)
DSC05206_R_20130907210725444.jpg露天風呂か?
DSC05208_R.jpg入り口にある、衛所と思われる建物
DSC05207_R.jpg構造的には油脂庫に見える
DSC05209_R_20130907213425ba5.jpg天井には通気孔がある、天蓋が在ったのだろう
DSC05210_R.jpg何故ヤギ?
DSC05211_R_20130907213429f26.jpg壁面に清水溜めが作られている
DSC05215_R.jpg。岬の先端を巡るハイキングコースの階段沿いにある狙撃用洞窟陣地
DSC05214_R.jpgかなり大きな狙撃口だ
DSC05217_R.jpg狙撃室のみ、総コンクリート製
DSC05218_R_20130907214210643.jpg丸みを帯びた狙撃口より、海を見る
DSC05219_R_201309072142124eb.jpg遠くに荒崎方面が見える
DSC05220_R.jpg油壺マ〇ンパークの不法投棄パイプを乗り越え先に進む
DSC05221_R.jpg正面に物置的なくぼみ、右に行く
DSC05222_R.jpg狭い通路を左に曲がると
DSC05223_R.jpg部屋があって、行き止まり
DSC05224_R.jpg左に戻ると複雑な分岐路
DSC05225_R.jpg左の小さな部屋
DSC05226_R.jpg壁の彫りこみ
DSC05227_R.jpg入り口方向を振り返る
DSC05229_R.jpg右にある大きめの部屋
DSC05230_R.jpg通路に転がる砲弾三発
DSC05231_R.jpg抜き穴の開口部
DSC05232_R.jpg出れるが、フェンスに囲まれており脱出出来ない
DSC05233_R.jpg天井には何かを打ち込んだ金属片が
DSC05235_R.jpg狙撃室に戻って来た
DSC05236_R.jpgここの出入りは観光客に変な目で見られそうだ
DSC05237_R.jpg海岸には何故かコンクリートの水桶
DSC05238_R.jpg対岸にも穴がある様だ
DSC05239_R.jpg三浦道寸の墓
DSC05240_R.jpg東大三浦臨海研究所への入り口、陸軍の門柱か東大の物かは不明
img_138315_5995093_5_R.jpg当時の海龍の写真、験潮所が写っている
P5014178_R.jpg艦橋部分比較用、現存海龍

最後に終戦翌日に起きた、海軍第23突撃隊配属第128震洋隊の悲劇に着いて触れておきたい
長崎県川棚基地においての事だが、有名なエピソードである。
終戦を知らない128震洋隊に誤報が舞い込み、出撃する事になる、出撃準備中に少年兵よりガソリン漏れの報告がされたが、上官に一蹴された、その後その艇より出火したがその時点では消火、作業に戻った所へ250kg爆薬に引火、連鎖的に22隻が爆発炎上、111名の命が失われた。
終戦後の事故としては最大規模の物であった、当時の習慣とは言え部下の報告を真摯に聞いていればあるいは無かったかも、そもそも発信者不明の誤報がなければと、たらればの話だ。

油壺震洋特攻基地 その3

DSC05142_R.jpg次なる震洋壕へ
DSC05141_R.jpgこの壕の手前には艇の引き出し用のレールが残っている
DSC05143_R.jpg奥行きは30mほどか、3隻は格納出来そうだ
DSC05144_R.jpg入り口を振り返る、目の前は海だ
DSC05145_R.jpg五型艇幅約1.9mを考えると、ぎちぎちだ
DSC05147_R.jpg係留用のボラードがある
DSC05146_R.jpg長い年月でボロボロになっている
DSC05148_R.jpgまた、次の壕だ
DSC05149_R.jpg殆んどがこの様な幅2m程度の物の様だ
DSC05150_R_201309061944360bd.jpg壕内での整備作業は考慮されていないのだろうか?
DSC05151_R.jpgそれでは、外に出る
b0149867_1536826.jpg鹿児島県奄美群島加計呂麻島呑ノ浦の震洋壕、何処でもこのサイズのようだ
DSC05152_R.jpg壕の前には2本のレールが伸びている
DSC05153_R.jpg形状や太さから、桟橋では無いだろう
DSC05154_R.jpg緩やかな下り勾配
DSC05156_R.jpg先端部は失われている
DSC05155_R.jpg陸軍が明治28年に銚子から移した験潮所、手前は震洋用桟橋
DSC05157_R_20130906204008e14.jpg水没している壕もある
DSC05158_R.jpgこの辺りは入り組んだ入り江になっている
DSC05159_R.jpgそのせいか、レールが撤去されずに残っている
DSC05160_R.jpgしかし、長年の侵食に、朽ち掛けている
DSC05161_R.jpgまた、朽ちたボラードがある
DSC05162_R.jpg実はこのレールは
DSC05163_R.jpg入り江を回避する為の、橋の残骸かも知れない
DSC05164_R.jpg状態のいいボラードもある
DSC05165_R.jpg油壺験潮所に着いた
DSC05166_R.jpg陸軍云々の説明は一切無い
DSC05167_R.jpg
DSC05170_R.jpgこの面の下に計測井がある
DSC05171_R.jpg通路からは見えない位置にある
DSC05168_R.jpg降りると戻れなさそうなので、止めておく
DSC05172_R.jpgエアコン付き験潮所を跡にする
DSC05174_R_20130906211844402.jpgこの岩場には多数のボラードがある
DSC05175_R.jpg壕のまん前にボラードがある
DSC05176_R.jpg験潮所の脇とゆうこともあり、震洋壕ではない様だ
DSC05179_R.jpg棚もある
DSC05177_R.jpg5m程度の奥にあるくぼみ
DSC05178_R.jpg右に曲がってすぐ、行き止まり
DSC05180_R.jpgこの看板の裏となる
DSC05181_R.jpg今度は異様に大きな間口の壕がある、2隻横に並びそうだ
DSC05183_R.jpg奥はベンチカット掘りかけ
DSC05184_R.jpg掘りかけのせいか、20mもない
DSC05186_R.jpgここに変わったボラードがある
DSC05185_R.jpgコンクリート製だ、DSC05111_R_20130906215121d9c.jpg前に見たこれもそうだろうか?

油壺震洋特攻基地 その2

まずは、50000ヒットおめで・・・いや、ありがとうございます!
1年足らずの内に、これだけの来訪者に見て貰えるとは、ありがたい限りです。
行かなくても行ったつもりで満足出来る様に、写真多目で薀蓄少な目がコンセントのブログです。
実際軍事遺構には、危険が伴う場所が多く、一般には入る事の出来ない所にも多々あります
そうゆう行きたくても逝けない所を、写真で満足して貰えれば、そして何かを感じて貰えればと思います。
感じ方は人それぞれで良いと思う、戦争の悲惨さを思う人もいれば、ドロだらけで何が楽しいんだ馬鹿な奴と
思うも良し、自分がやりたいからやっているだけの、自己満足に過ぎないものなのだろうから・・・
残り約1週間ほどになったが、がんばって生きます!
もうしばらく、よろしくお付き合い下さい。
DSC05096_R.jpg全体的には震洋壕を思わせる、四角い造りなのだが何かが違う
DSC05097_R.jpg良く見ると独房の様な壁と鉄格子がある
DSC05098_R.jpg下の方は脱走したのか、壊れている
DSC05099_R.jpg振り返ると、普通の震洋壕に見える
DSC05100_R.jpg石の材質はこの辺では見かけない物だ、何なのだろう?
DSC05101_R.jpg覗き込んでみる、開口している様だ
DSC05102_R.jpg暗いので電気を点ける、向こうが開いているなら何故、ここを閉じる?
DSC05103_R.jpgとりあえず道なりに右に曲がる、壁にコンクリート跡が
DSC05104_R.jpg扉にしては、曲がっている様だ、ちなみに転がっている長方形のデカイのは発泡スチロール製、2,3個ある
DSC05105_R.jpgここで大きく広がっている
DSC05106_R.jpg外から回り込んでみた
DSC05107_R.jpg間違いなく、さっきの裏側の様だ
DSC05108_R.jpgこっちには、鉄の扉が付いていた様だ
DSC05109_R_20130905201322454.jpg壕を出て海を振り返って見ると
DSC05110_R.jpg震洋接岸用桟橋がある(カタパルトにしては高すぎる)
DSC05111_R.jpg侵食されまくった、コンクリートが3つ並ぶ、元は同じ高さか?
DSC05112_R.jpg桟橋横には、接岸時に艇を傷めない様に木材を付けてある
DSC05114_R.jpg付近の山肌に違和感を覚え、登って見ると
DSC05113_R.jpg油壺震洋特攻基地本部壕と思われる
DSC05115_R.jpgこの壕の写真は多分他では見る事が出来ないだろう、同行者のふぉーとれすなら見れるかも?
DSC05116_R.jpg素掘り壕の前には、埋っているが6角形の台座がある
DSC05118_R.jpg入ってすぐ、左に折れる
DSC05119_R.jpg3X3ほどの大きな通路
DSC05120_R.jpgベンチカット工法の見本の様な堀かけだ
DSC05121_R.jpg完成すれば、4~5隻の震洋が格納出来そうだ
DSC05117_R.jpgでは、コンクリート製の司令部壕に向かう
DSC05122_R_2013090521070154e.jpg前室と後室からなる
DSC05123_R.jpg非常に変わった、見た事も無い構造をしている
DSC05124_R.jpgカウンター状の構造物がある
DSC05125_R.jpgまるで機銃座と銃眼の様だが、穴の向こうが後室だ
DSC05126_R.jpg右側も同様、奥のカウンターは人が立つ事を前提としている様に下の方が引っ込んでいる
DSC05127_R.jpg後室との境のコンクリートの分厚さが見て取れる
DSC05128_R.jpg後室は結構広い
DSC05130_R.jpg後室内部は素掘りの様だ
DSC05131_R.jpg壁に張り付いて、全体を撮る
DSC05132_R.jpg左側には、外の岩盤を切り出して来た様な階段状の物が埋め込まれている
DSC05133_R.jpg実は司令部でもなんでもなく、酒保だったりして
DSC05134_R.jpg不思議な施設、この時勢にコンクリートをこれだけ使うのは重要施設は間違いない
DSC05135_R.jpg手前の切り出しだけでも、かなりの工事だ
DSC05136_R.jpg取りあえず壁をよじ登る事にする
DSC05137_R.jpgまるで、鷹取山か、鋸山の様だ
DSC05138_R.jpgビルの3階相当の高さだ
DSC05139_R.jpg落ちたら多分死ぬので、良い子はまねはしない様に!

油壺震洋特攻基地 その1

黒島亀人軍令部2部部長が1944年4月4日「作戦上急速実現を要望する兵力」と題した提案の中で装甲爆破艇(震洋)の開発主張したのが、事の発端となる。
発想自体は1年以上前からあった様だが、1944年8月28日付で秘匿名〇四は「震洋」として海軍大臣から認可された。
なお、陸軍の四式肉薄攻撃艇(マルレ)とともに水上特攻兵器として知られるが、マルレは最初から特攻艇として開発されたものではない、爆雷が投下できる構造の1人用攻撃艇として、開発されている。
しかし、戦局により結局は体当たりの方が確率が良いとの事で、特攻艇となる。
さて、震洋だが、1型から8型まで試作、実用とバリエーションが多く、終戦時までに各型合わせて6197隻が生産された。
主武装は船首に搭載された250kg爆薬の他に、12cm噴進砲(ロサ弾)2基を搭載しており、五型艇はこれに13mm機銃一挺を追加している、これは敵艦の防御火力を殺ぐ為の追加装備である。
さらにロケット推進式の六型艇(ベニヤ製)七型艇(金属製)、魚雷2本装備の八型艇が開発されていたが、これらは実用に至らなかった。
とは言え、震洋は特攻艇として開発されたが設計の初期から舵輪固定装置を搭載しており、搭乗員は航空救命胴衣を着て船外後方に脱出できるようにもなっていた、しかし戦闘海域で救助されるはずも無く、仮に生き残って生還しても、どうゆう扱いを受けるかは、自明の理であろう。

また、この地には海龍特殊潜航艇(SS金物)も配備されるが出撃は無い
DSC05061_R.jpg油壺公園とゆう誰もいない様な小さな公園に向かう
DSC05062_R.jpg東大三浦臨海研究所本館が見える
DSC05063_R.jpg崖側を見ると、埋められた壕口が数多く見受けられる
DSC05064_R.jpg小さい物は倉庫壕
DSC05065_R.jpg大型の物は海龍壕だろう
DSC05066_R_20130904215820203.jpg殆んど埋ってしまっているが
DSC05067_R.jpgいくつかは乗り越えられた
DSC05068_R.jpg瓦礫の斜面を滑り降りると
DSC05069_R.jpg画面は暗いが高さ4m近く、幅も3mほどある
DSC05070_R.jpg奥行き40mはありそうだ
DSC05071_R_20130904220554d47.jpg暗いのでライトを点ける
DSC05072_R_20130904220555a74.jpg見た目、奥に行くほど低くなっていそうだ
DSC05074_R.jpg海竜移動用のレールの枕木跡が残る
DSC05075_R.jpg最深部はこじんまりとした小部屋
DSC05076_R.jpg壕口を振り返る
DSC05079_R.jpg周辺には埋った痕跡が多々ある
DSC05080_R.jpg
DSC06088_R_20130904223055fb1.jpg反対側のマリーナ方面に移動する
DSC06089_R_2013090422305791e.jpgブロックで塞がれた壕口が幾つか並ぶ
DSC06091_R_20130904223059be5.jpg近くに小さな公園があり、その山肌に壕口がある(かなりぬかるんでいる)
DSC06092_R.jpg奥は深い様だ、恐らくさっきのブロックで塞がれた壕の裏側であろう位置的に
DSC06095_R_2013090422370602a.jpgかなり奥まった所に開口している
DSC06096_R_20130904223707032.jpg油壺公園側との連絡壕及び倉庫壕だろう
DSC06097_R.jpg足が沈むので、落ち着いて写せない
DSC06098_R_2013090422371145e.jpg古びたドラム缶
DSC06100_R_20130904223712b2d.jpgこの辺は整備地区なのかも知れない
DSC05081_R.jpg更に戻って油壺公園の先に進むと、開口部発見!
DSC05082_R.jpg乗り越える
DSC05083_R.jpg側面の壁には窪みがある
DSC05084_R.jpg奇妙な縦溝もある、支保工ではない
DSC05085_R.jpg戦後改造の風呂だろうか、水が溜まっている
DSC05086_R.jpgこの壕はV字形になっている
DSC05087_R.jpgそれでは脱出する
DSC05088_R.jpg上り下りは瓦礫が滑っておっかない、海龍壕は恐らくここまで
DSC05089_R_201309042250442cf.jpg次なる壕へ向かう
DSC05090_R_2013090422504557f.jpg四角い浅い壕、典型的な震洋壕だ
DSC05091_R.jpgその先にある壕は趣きが違う
DSC05092_R.jpg綺麗な円形の天井
DSC05093_R.jpg単純な震洋壕ではない
DSC05094_R.jpg入り組んだ地下壕だ、床もかなり綺麗だ
DSC05095_R.jpg何だこれは?

長井倉庫壕、海軍砲術学校長井分校

少し、この辺の土地柄に触れておこう、三浦半島南から相模湾方面は、記事で紹介した様に砲台、機銃陣地などが多く、有名ではないが(とゆうか、殆んど知られてない)長井と黒埼には飛行場が終戦直前に完成した物がある。
グーグルマップの航空写真などで見ると、京急三崎口駅から黒埼の鼻方面に妙に長い長方形の畑が見えるだろう
三戸北狙撃陣地の冒頭で触れた滑走路が、これである。
なお、黒埼飛行場は完成したが、海風が悪く、適さないと判断され、殆んど使用されていない。
今回紹介する長井倉庫壕は、長井飛行場の関連施設では無いかと思われる。
長井飛行場は航空自衛隊レーダー基地から、ソレイユの丘辺りの直線がそれだ、昔を知る人ならば米軍の長井ハウスの名前を思い出すだろう、1985年に返還されたが、しばらくは米軍廃墟、及び滑走路を使ったラジコンコースでも一部で有名になった。
正式名は横須賀第二飛行場とゆうそうだ。
自分もハウスの中をバイクで走り回っていた思い出がある。
DSC06193_R_20130903201019378.jpg滑走路から一段低い斜面に作られている、まずは南側の壕を捜索する
DSC06194_R.jpg畑脇にある不明なコンクリート遺構
DSC06195_R.jpg半分ほどは土嚢で埋められているが、開口している物もある
DSC06198_R_20130903201024da0.jpg主出入り口は、結構大きい
DSC06199_R.jpg壕口は、置かれたままになっている竹材が積み重なる
DSC06200_R_20130903203213bec.jpg壁には何かを差し込む様な、穴が多数あいている
DSC06202_R_201309032032153bd.jpgちょっと窪んだ、T字路になる
DSC06203_R.jpg神棚と思われる掘り込み、ご真影と思われがちだが、司令部などにしか置く事は無い
DSC06205_R_20130903203218219.jpg右側に進むと左右に部屋が見える、綺麗なものだ
DSC06206_R_201309032032195c8.jpg中も広く十分に稼動施設として使える
DSC06208_R_20130903204423e8b.jpg壁にはいたる所に支保工と思われる溝があるが
DSC06209_R_2013090320442568c.jpg不思議な事に、丸いのだ
DSC06210_R_20130903204426f58.jpg部屋には多少の大きさの違いはあるが、いい出来だ
DSC06211_R.jpg小さな階段がある、サービスか?
DSC06212_R.jpg右を見るとゴミだらけの開口部が見える
DSC06213_R.jpg奥の方はまた、T字になるが、左はすぐ行き止まり
DSC06214_R.jpg右は少し進むが、崩落多し
DSC06215_R_20130903205506e51.jpg終息
DSC06216_R_20130903205508c99.jpgでは戻ろう
DSC06218_R.jpg今度は左側に行く
DSC06219_R_20130903210131961.jpgやはり、左右に部屋が幾つもある
DSC06220_R_20130903210134b15.jpg部屋の奥の方は石の質が違う様だ
DSC06221_R_20130903210135224.jpg小振りな部屋
DSC06222_R_201309032117373d5.jpg通路が複雑になってくる
DSC06224_R.jpg珍しく左にカーブを描いている通路
DSC06225_R_20130903211739f24.jpg左側の小部屋、馬蹄型は倉庫としては面積の損だ
DSC06226_R.jpg開口部が近いと、ゴミが増える
DSC06227_R_20130903211743ecb.jpg外から見た、土嚢の壕口
DSC06228_R_2013090321240041b.jpgでは、戻るとしよう
DSC06230_R.jpgこの壕は思ったより、地質が悪い様だ、かなりこの辺の天井は崩れている
DSC06234_R_20130903212703663.jpgでは、南側の倉庫壕に移動する
DSC06235_R_201309032127072fa.jpg畑の奥にその壕はある
DSC06236_R.jpg現在は残念ながら封鎖されている
DSC06238_R.jpg内部はそのままの様である
DSC09358_R_2013090321450821e.jpg長井小、中学校の辺りに海軍砲術学校長井分校はあったそうだ、1943年4月15日 予備学生教育のため「横須賀砲術学校長井分校」を設置、この前年に館山砲術学校も開校している
DSC09364_R_201309032145141f1.jpg長井アパートの崖には、当時の司令設備のある壕があった
DSC09362_R_20130903214510328.jpg今も確認出来る壕口は2つ
DSC09363_R_201309032145128b6.jpg残念ながらコンクリートで塞がれている
DSC09361_R_20130903215324ca6.jpg長井中学校の前の畑には、開口している穴がある
DSC09359_R_20130903215323d9f.jpg学校から丸見えと畑を突っ切らねばならない為、外観のみ確認、確かに開いている

長浜狙撃用洞窟陣地、井上成美記念館

黒崎狙撃用洞窟陣地北側、南側との相互支援、十字砲火を計画していた様だ
この壕の入り口を探す事は非常に難しい、銃眼も2つあるが埋没し、開口部は現在2ヶ所あるが、一つはサーフショップの裏手でボードで開口部を塞いでいる。
もう一つが唯一の出入り口となるが、はっきり言って判らない!、この面に在るはずだとゆう所は特定できる
しかし其処から先が一面の藪で過去の調査では、判らなかった。
某高校教諭が昔入った事があるとゆう事で、無理にお願いして案内していただいた。
DSC08142_R_20130902200545372.jpgこの丘一面に洞窟陣地が張り巡らせている
DSC08143_R_20130902200547808.jpg見渡す限りの藪だらけ
DSC08144_R_201309022005493e1.jpg藪を睨み、昔の記憶を呼び覚ます教諭
DSC08145_R.jpgおもむろに藪に突入し、あっと言う間に見えなくなった
DSC08146_R.jpg慌てて追いかけると、壕口の前で微笑む教諭がいた
DSC08148_R_201309022019070b1.jpg壕口はもうすぐ埋って判らなくなってしまいそうな状態だった
DSC08149_R_2013090220190974f.jpg壕内は陸式馬蹄型で立って歩くには、若干低い
DSC08150_R_20130902201911d05.jpgでは、近い方の狙撃室に向かう
DSC08151_R_20130902201913b6c.jpg通路は終始狭い、ゲジが少ないのが救いだろう
DSC08152_R_20130902201914a65.jpg外部からの狙撃室直近の出入り口だが、何故かここだけコンクリート封鎖
DSC08153_R_20130902202907af6.jpg先に進む
DSC08154_R_20130902202909499.jpg右手に掘りかけにしては、整った行き止まり通路
DSC08155_R.jpg鍵の手に曲がると、狙撃室に着いた
DSC08158_R_20130902202914766.jpg結構立派な物だ
DSC08156_R_2013090220291233f.jpgこの銃眼の段々辺りは近代建築と見まごう様だ
DSC08157_R_20130902203723505.jpg振り向きざまにストロボを焚くと、まぶしそうにしている榴弾砲氏がいた
CIMG0668_R.jpg撮りたかったのはコンクリートの段々、他には見ない構造だ
CIMG0669_R.jpg床にはコンクリート製の側溝もある
DSC08159_R_20130902203725a57.jpgでは、戻ろう!下り坂なのが判るだろうか?
DSC08160_R_20130902203727b4c.jpgさっき入って来た入り口
DSC08161_R_20130902203729649.jpg調査時の書き込みが壁のあちこちにある、らくがきも
DSC08162_R_2013090220373154e.jpgNOの方向には行き止まり通路だった
DSC08163_R_201309022057121d0.jpg唐突に階段が現る、階層構造大好きだ
DSC08164_R_201309022057141fd.jpg教諭が壁を指差す、良く見るとツルハシの跡に混じって
DSC08165_R_20130902205715a5c.jpg「完」の文字が読み取れる、人間臭くてとても良い
DSC08166_R.jpg階段の先は更に狭く低い
DSC08167_R.jpg灯り置きにしては、へんな窪み
DSC08168_R_20130902210806a43.jpg多少幅は広がるが、天井はこの有様だ
DSC08169_R_20130902210808950.jpg分岐がある、何故か床がえぐれている
DSC08170_R.jpg竹の根があるので、開口部だったのだろうが、埋っている
DSC08171_R_20130902210812bc5.jpg床に水でも流れたのだろうか?妙に起伏がある
DSC08172_R.jpg通路は急激に下って行く
DSC08174_R.jpg右手に階段がある
DSC08175_R_20130902211559358.jpgしかし登ったらすぐに下り階段
DSC08176_R_20130902211601b9e.jpg下って右手はどんずまり
DSC08177_R_20130902211602801.jpgこの辺は、かなり複雑になってきた
DSC08178_R.jpg足元は歩くのがやっと程度の幅になってきた
DSC08179_R_201309022122292da.jpg滅茶苦茶複雑で狭くなって来た、正面突き当たりなので、右に行くと
DSC08180_R_20130902212231ebc.jpg軽く登って
DSC08182_R_2013090221223512c.jpg2つ目の狙撃室
DSC08183_R.jpg狙撃室とゆうより、通路にある狙撃口と言った感じ
DSC02513_R_201309022133345a9.jpg狙撃口はコンクリートで埋められている
DSC02512_R.jpg兎に角狭い狙撃室だ
DSC08181_R_20130902212233109.jpg奥は奇妙な窪みがあり、左に曲がっている
DSC08194_R_20130902213946eab.jpgサーフボードで塞がれた壕口
DSC08203_R_20130902213948392.jpg適当に歩くとこの壕唯一の部屋に出た、落書きが酷い
DSC08204_R_2013090221394983a.jpg部屋を出て左に進む
DSC08207_R.jpg数段下って終息、最深部の様だ
DSC08208_R_20130902214729149.jpgまた、降りて来た道を上る
DSC08209_R_20130902214731b9a.jpgさっきの大部屋の前を横目にまっすぐ進む
DSC08210_R_2013090221473219c.jpg階段を下り
DSC08211_R.jpg塞がった開口部
DSC08212_R_2013090221473595c.jpgさぁ、また屈みながら元に戻ろう
DSC08219_R.jpg実はこの二人、恩師と生徒の関係である、その伝で紹介頂いた、どうでもいい事だが、榴弾砲氏は自分の後輩で、この教諭の奥さんも自分の高校の後輩である事が発覚!どんだけ若い嫁さん貰ってるのだろうか・・・
DSC08220_R_20130902220835e5b.jpg時間が余ったので、井上成美記念館に案内してもらった
DSC08221_R_20130902220836f72.jpg正確には井上成美の姉の家らしい、ここで余生を過ごしたらしい
DSC08222_R.jpg残念ながら現在は閉館しているそうだ
DSC08223_R.jpg移設された海軍柱
DSC08224_R.jpg窓からは写真などが見えるが、入る訳には行かないので、撤収する

井上成美はいわゆる条約派に属し、米内光政、山本五十六らと共に日独伊三国軍事同盟、日米開戦に強硬に反対した。最後の海軍大将として知られたが、戦後はほとんど人前に出ずに生涯を終えた。
この地で子供たちに英語塾を開き、僅かな授業料と軍人恩給で貧困の生活を送り、元部下からの支援を頑なに拒み通したそうだ。

黒崎狙撃用洞窟陣地北側、南側

黒崎砲台の先、黒崎の鼻を周った所に入り江に沿って2つの狙撃用洞窟陣地が構築されている
黒崎砲台の防備も兼ね、長浜狙撃用洞窟陣地と十字砲火を形成する目的の様だ。
しかし、2つとも未完成の様で、南側は9割がた出来ている様だが、狙撃室も雑に開口しているだけで、奥の抜き穴は未開通だ、北側は狙撃室は完成しているものの、銃眼を形成している途中に終戦を迎えた様で、開口しきっていない、ある意味貴重な状態だ、また、岩をくり貫いて銃眼を掘っているが、5m近く奥に掘ってから銃眼を設けているので、極端に射界は限られる。
DSC02576_R.jpg黒崎砲台第一砲座から黒崎の鼻に向かう
DSC02577_R.jpg黒崎の鼻の穴(うそ)
DSC02618_R.jpgこの中に黒崎狙撃用南陣地がある
DSC02590_R.jpg狙撃室前からのながめ、下からは見え難いように遮蔽物がある
DSC02592_R.jpg狙撃室は素掘りで大雑把、外から見えない様にカムフラージュされている
DSC02593_R_20130901203337df4.jpg奥は広くなっていて、37mm程度の速射砲なら置けそうだ、真ん中の土盛りは
DSC02594_R.jpgこの換気用の穴から降り積もったもの
DSC02595_R_201309012033408fb.jpg砲室奥に鍵状の通路がある、何故か石が積み上げられている
DSC02596_R.jpg曲がってすぐにある、外部への分岐
DSC02597_R.jpg外側から埋っている
DSC02598_R_20130901204349186.jpg右側に水没した小部屋がある
DSC02599_R_2013090120435137d.jpg壁にはフック状の物が点在
DSC02600_R_20130901204353061.jpg左右に分岐が続出する
DSC02601_R_201309012043551d5.jpg右側に大きな兵員生息室と思われる部屋がある
DSC02602_R_20130901204357f41.jpg部屋の壁には、フックが並ぶ
DSC02603_R_20130901210140cbc.jpgリング型金具
DSC02604_R_2013090121014363d.jpg反対側にもある
DSC02605_R_201309012101456ab.jpgこのリングは、10cmも無い小型な物だ
DSC02614_R_20130901211738c69.jpg2つの通路から出入り出来る大きな部屋だった(狙撃陣地壕としては)
DSC02606_R_20130901210148303.jpg生息室奥にある、陸式馬蹄型通路
DSC02607_R_20130901210152b4c.jpg左に折れて、未完通で終息だが、ズリが無いので端から中断していたのか?
DSC02608_R_201309012108430c9.jpg元の通路に戻り奥に進むと狭くなり、T字になる
DSC02609_R_20130901210845818.jpg右側は自然の空洞の様だ
DSC02610_R.jpg左側は登りの抜き穴になる
DSC02611_R_20130901210848a78.jpg出入り口は割りとしっかりしている
DSC02612_R_20130901210850724.jpg山腹の抜き穴から見ると、荒崎高角砲台が見える
DSC02613_R_20130901211736cf6.jpg入り江方向を望む、ここへの軍道の形跡は見当たらなかった
DSC02615_R_2013090121173972b.jpg右側の岩の後に入り口がある、知らなければ判らないだろう
DSC02573_R.jpgなんと、こんな所まで車で入り込むバ〇がいる、大音量で騒いでいる
DSC02578_R.jpg尻目に黒崎狙撃用北陣地の銃眼に向かう、こっちはすぐに判る
DSC02579_R_20130901212505310.jpg岩をくり貫いた銃眼(暗い画像は液晶画面を上から見下ろすと何とか見える)
DSC02580_R_20130901213434a3b.jpg形成途中の銃眼
DSC02581_R_201309012134352b7.jpg射界は狭いが、横からの攻撃には耐えやすい利点がある
DSC02619_R_201309012134371bb.jpg狙撃室は綺麗に完成している、通路の天井は見たくない
DSC02620_R_20130901213438f85.jpg狙撃室の水深は深そうだ
DSC02582_R_20130901214120d11.jpg裏手の山腹に入り口発見
DSC02583_R.jpg通路は結構低い
DSC02584_R.jpg右に分岐があるがまっすぐ進む
DSC02585_R.jpg左に曲がって終息
DSC02586_R_201309012141262b2.jpg戻って分岐を右に行くが、水没で長靴でも行けない深さだ、この先が狙撃室となる
DSC02587_R_201309012147209b7.jpg黒崎狙撃用北陣地はこの岩場にある
DSC02616_R_201309012147210b1.jpg自分の家が判らなくなりそうな住宅地の前の海岸に何かある
DSC02617_R.jpg質感は、近代コンクリートにも見えるが・・・