大井川本線廃引込線、廃SL

平成26年は午年らしいと言う噂を聞いたので、今年の締めくくりに鉄の馬を紹介する
自分的には鉄の馬と言えば当然「戦車」なのだが、昨日たまたま機会を得たので逝って来た
牧の原の大井海軍航空隊の遺構を探索の後に、ー廃墟日常記録帳ーの空母欲奈氏に案内してもらった
 大井川本線は、静岡県島田市の金谷駅と静岡県榛原郡川根本町の千頭駅とを結ぶ大井川鐵道の鉄道路線である。
蒸気機関車 (SL) の動態保存・運行が行われている路線として知られる。また、元京阪、元南海、元近鉄の特急用車両が移管前の塗色のままで運転されている。
大井川本線名物の蒸気機関車牽引列車(SL列車)はSL急行「かわね路号」の名で、臨時列車の扱いだが原則毎日新金谷駅 - 千頭駅間に1日1往復運行される。休日など期間によっては2往復または3往復に増便されることもある。「かわね路号」のほか、臨時SL急行、日本ナショナルトラスト所有の「トラストトレイン」も運行される。列車愛称は「南アルプス号」などもあったが2011年10月1日のダイヤ改正で「かわね路号」に統一されている。主に冬季には検査などで運休になる日もある(主に火・木曜日)。SL急行に乗車するには運賃に加えて急行料金800円(2013年4月現在)が必要である。
静岡県島田市金谷東2丁目3483付近の川沿いに、大井川鉄道大井川本線、新金谷から分岐する廃引込み線がある。
そこには、引退したSLや客車、貨物車などが野晒しになっている、しかしこれらの車両は人が見てない時に、勝手に動き出すようで位置が変わる。
空母欲奈氏の訪問時、グーグルストリートビュー、今回の訪問時と車両位置が変動している。

通りすがりの道端に払い下げ車両と思われる物が落ちていたので、ついでに寄って見た
牧之原市勝田324付近の県道79号線沿い、勝間田小学校川向こうになる
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移動中、ふと見たら黒い列車が・・・
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遮断機付き
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取り合えず見学をことわりに行く
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しかし、誰も居なかった
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この後ろ側の車両は、工房のような感じだった
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連結器
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不審者に見られそうなので、撤収する
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引込線経路
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現地到着、傾きかけた陽光であまり絵図らは良くない
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SLは2台あった
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後ろの方に客車と貨車がある
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引込線ポイント
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転轍機
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転轍機を見ると
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動かしたくなるのは何故だろう
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レールのぶつ切り
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断面
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使えそうな作業車があった
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マツヤマ軌道モータカー
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きっとこれを使って独りでに移動しているのだろう
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SLも役目を終えるとこうなってしまう
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連結器
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何か書いてある
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プレートが無いと物淋しい
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窯に上ってみる
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煙突内部、雨露でキレイになっている
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車掌室は無くなっている
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蒸気ドーム、加減弁などが入っている(後)と滑り止めの砂が入っているコブ
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隣の車両は砂箱が無くなり、蒸気ドームは紅い
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車掌室(無いけど)から見る前方
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下を見ると、動輪と連結棒が見える
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丸見えな窯
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逆サイド側
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炭水部、石炭が入っていた所
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最後部からの眺め
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隣の車掌室は何とか残っている
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取り合えず梯子をつたい、降りる
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管理番号?
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2両目の車掌室
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夕日に赤錆が映える
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動輪には連結棒が外されている
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主動輪のはずみを付ける為のウエイトと連結部
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見上げるとツタだらけの車掌室
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ツタの絡まる手すりに掴まり登る
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SLだが一部電子化されている
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つたの絡まる電装部
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昭和39年の名盤がある
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右側の小さな椅子
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天井には何かを入れていた箱がある、信号旗だろうか?
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椅子からの眺め
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給炭口
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ボイラー部、ここで発生した蒸気が前記の蒸気ドームに蓄積されるが、蒸気には水分が含んでいる。
その水分がシリンダに送られるとシリンダ内の水分を取り去りシリンダに悪影響を来たす。
それでこの蒸気を加熱管に送り大煙管内を2往復させて乾燥させる、蒸気ドーム内蒸気→加減弁→乾燥管→加熱管(大煙管2往復)→乾燥した蒸気は蒸気室に入り、ここからシリンダに送られてピストンを動かす
自分は舶用ボイラーしか扱った事は無いが、構造自体は似た様な物だ
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振り向くと、石炭取り出し口が僅かに開いている
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運転席
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座ってみると、シンプルなレバー類がある
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ちょっと読めない
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天井の通気孔、錆び付いて動かない
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赤鼻の蒸気ドームが存在を主張している様だ
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後を振り向くと、平貨車と客車がある
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足回りは以外にきれいだ
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シリンダー部(上、蒸気室・下、シリンダー)、上の蒸気室から下のピストンを動かし動力となる、不要となった蒸気は煙室に導かれ煙突から排出される
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後の貨車に行く
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上にはSLから外された部品が置かれている
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破壊された方の車掌室の扉
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客車のワイパー
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なんと手動式で稼動する
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天井はボロ錆である
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廃なる車窓から
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客車に見えたが、運転台がある
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運転装置もちゃんとある
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集合ボックス
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電燈と蜂の巣
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昭和41年7月製
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客車は床下が見えるようになっている
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天井にはちょっとシャレた電燈が並んでいる
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後部の扉は最初から下側しか無い
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観光用サロン車両のようだ
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足元に連結棒が落ちていた
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砂利などを運ぶ貨物車
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そろそろ帰る時間だ
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もう、逢うことも無いだろう
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だいぶ日が傾いてきた
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車窓に夕日が反射する
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最後に挨拶をしてくれている様だ
大崩海岸を走る蒸気機関車 :明治末期
以前紹介した石部トンネルでも紹介した絵葉書だが、東海道本線(大井川線と接続しているようだ)大崩海岸現役時代の物だ、車両はまったく別の物だが、この機関車たちも走った事があるのだろうか?
C10型(プロトタイプ23両)~C11型が都市近郊の高速列車用として造られた~C12型は昭和初期の不況時に簡易線用として経済性を求めて製造された、大変便利に使えた機関車で、15年間で293両が製造された。

C56型は、C12形に炭水車を付け長距離用としたもので、製造された165両中90両が戦時中タイ、ビルマ等に送られた物だが、この内昭和54年、タイから31号機と44号機が日本に帰国した。
31号機は靖国神社(遊就館)に展示され、44号機は大井川鐵道に入線し、2007年の「日本とタイの修好120周年」を記念して、同年より“タイ国鉄仕様”の姿(外観・塗装)で運転していたが、2011年1月29日に“日本国鉄仕様”のカラーリングに戻し運転を再開した。
現在も動態保存として稼動しているが、メーターゲージ仕様の動輪は交換され、勿論ボイラーも2007年に交換されている、ATS装置(自動列車停止装置)などは、引退したC11などから移植を受けている。

大井川本線廃引込線、廃SL

前回紹介した「モデルアート(月刊2月号)」が、遠征から帰宅したら届いていた
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書店で見かけたら、一読(出来たら買って!)して見て欲しい
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個人紹介は自分希望で掲載を辞退したので記事は少ないが、3月号にも引き続き掲載される予定!

今年1年当ブログに付き合ってくれてありがとう!
皆様、良い年を!
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「船舶」 海洋研究開発機構 白鳳丸

白鳳丸(はくほうまる)は独立行政法人海洋研究開発機構 (JAMSTEC) が管理する学術研究船である。
世界中のほぼすべての海域の航行が可能であり、「みらい」とならぶ日本の海洋学調査を主導する大型調査船である。
2004年の国立大学独立行政法人化の際に東京大学海洋研究所(現大気海洋研究所)から移管された。
現在稼動しているものは2代目にあたる船になる。
白鳳丸は「共同利用研究船」として位置づけられ、その航海計画は全国の研究者を対象にした公募を元に決定される。
また、海洋研究所の観測研究企画室が研究者と海洋研究開発機構の仲立ちとなって航海を具体的に運営していくという体制をとっている
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海上保安庁側の停泊地
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白鳳丸
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グレー以外の色の船にはあまり乗る機会が無い
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舷窓が開いているのも民間ならでは
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カラーロープも民間ならではだろう
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ブリッジを見上げる
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三菱重工製
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予備錨
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カンバン
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救命艇
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ちょっと失礼
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中は狭くて面白くない
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ブリッジに入る
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コンパス(羅針盤)
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作業机
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レーダー、ARPA(自動衝突予防援助機能)憑き
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ECDIS(ナビ)とスラスター(船を横移動させる装置)
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海図台
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世界の鯨
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操舵輪
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エンジンコンソール
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ブリッジをでる
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巨大なクレーンアーム
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赤い部分がクレーン部分
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二重扉
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研究室(10個ある)
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民間船は階段も違う
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ライフジャケット
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冷蔵庫(-80℃)
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実験室
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様々な生体実験が行われる
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白い通路
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船医室(退室時の居場所表示、その他はどうするんだ非常時)
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非常脱出系統図
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救命浮環
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デッキは広い
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CTD-多筒採水システム
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クレーン制御室
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何とも長いアームだ
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船尾トローリング用
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いったんもめんでは無い
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海底採取用
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降りて横から見る
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船はおしりだねぇ

お知らせ

当ブログで掲載した記事、比与字地下壕南側残留物、零式雷撃照準機三型計算板他に、画像をお借りした「モデルアート誌」サイドより、資料提供の依頼が有り手持ち資料をお貸しした。
その時の記事が26日発売の月刊モデルアートに載っている予定だ、本を送ってもらう事になっているが、まだ手元には届いていないので確認はしていないが、メールが来たので載ってると思う(仕事が忙しく、本屋の開店時間に帰れない)

資料提供者の紹介(CM)も求められたが、断ったので純粋に資料のみ見て欲しい
担当者、佐藤様(イラストレーター&モデラー「第42回タミヤ人形改造コンテスト」金賞受賞者)には格別のお気使いを頂き、この場を使い御礼申し上げます。
書店でお見かけの時は、ちょっと気にかけて見て下さい!

護衛艦「しらゆき」体験航海 その2

山下の海員生協で昼飯を食った後、再び新港埠頭に戻って来た
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おおむね予定通りに出港準備に入る、モヤイ外しにかかる
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無事、離岸完了
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当時から残る、稼動可能な50tクレーン
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新港埠頭が小さくなってくる
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艦は順調にベイブリッジに向かっていく
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ランドマークを振り返る
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普段は勿論、こんなネットは無い
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横浜港の赤灯を回り、港外にでる
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PL120「くにさき」がエスコートする
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ベイブリッジに近憑いて来た
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ここで操砲訓練展示が行われる
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残念ながら、砲や発射機の類の稼動時の動画撮影は防衛上の都合で、ご法度である(例外あり)
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62口径76mm単装速射砲、操砲訓練展示終了
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ベイブリッジを越える
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続いて対潜ロケット・アスロックの訓練展示
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こう見えて、動きは早い
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発射口が開いている
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にょきっと出て来るガイドレール
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一旦停止
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ご開帳!
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パタパタと閉まっていく
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対潜ロケット・アスロックの訓練展示終了
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次は高性能20mm機関砲(CIWS)なのだが
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真上過ぎて、良く見えない
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残念ながら、あっさり終了
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艦尾の短距離艦対空誘導弾シースパロー(短SAM)
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これは8連装タイプ、VLSなど発射機はいろいろある
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全ての艦載兵器(短魚雷除く)の訓練展示終了
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見物人が各々解散する
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艦が横浜港に戻り始める
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ヘリ甲板でイベントが始まる
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前の4人は現役の自衛官(先頭は2等海曹)
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5分以内に完全装着
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出来なかった
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JMSDF説明
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銃口を上げてはいけない、引き金に指をかけてはいけない
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横浜港の赤灯に戻って来た
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接岸準備にかかる
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みなと未来21が見えて来た
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もうすぐ終わってしまう
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あと、2m
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モヤイが渡される
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接岸!終わった、何もかも
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タラップが渡される
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旭日旗がはためく
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さて、帰るとするか!
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楽しい一日だった、乗せてくれてありがとう!

護衛艦「しらゆき」体験航海 その1

少し前の話になるが、海上自衛隊護衛艦「しらゆき」の体験航海に行って来た
本来は事前公募による抽選当選者しか乗れないが、ちょっと都合を付けて乗せてもらった
横浜新港埠頭から、浦賀水道までの2時間程度の航海だ。
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新港埠頭に到着、すでに「しらゆき」はいる
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真正面から見ると、実にスマートだ
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まだ、関係者しか門の中に入れない時間帯
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ちょっと話を通してくる
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特別招待枠で乗せてもらう
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艦(ふね)はこのアングルが良い
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一般が入る前の待機時間
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これから海自さんは大変だ
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午前中の一般公開が始まる
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一日艦長が出迎える
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短SAMランチャー
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前側に回ると、なんかいる
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なんだ、ただの短SAM君か
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艦尾の旭日旗
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艦番号123番、上空認識用は一桁削られる
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ヘリ甲板に並ぶ体験航海用のパイプ椅子
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展示銃器、64式小銃、62式7.62mm機関銃
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珍しいのはこれ、9mm機関拳銃「エムナイン」
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9mm拳銃、上記9mm機関拳銃と弾は一緒
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ヘリ格納庫
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グッツ販売コーナー
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3連装短魚雷発射管
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これは必ず撮る、艦の顔の一つだ
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アスロック
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のぞく
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さて問題です、この弾の重さは? 正解は弾の底→
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めくって
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3.5Kg
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12.5Kg、普通に片手で持てる
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CIWS
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黄色い弾が飛んで行く(うそ)
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本当
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艦橋に行く
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大型乾パンが置いてあった
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通常の4倍はある、オレンジプレッドも無しに食べるのはつらい
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艦橋からのながめ、手前はアスロック
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帽子
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さるのこしかけ
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艦橋中央階段
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艦長個人用
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方針
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非常用具
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ヘルメット
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メディカルルーム
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食堂
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赤飯はもう食えない(美味かったのに)
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立ててみた
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そろそろ降りる
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一旦降りて、飯を食べてくる
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戦闘糧食Ⅱ型
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戦闘糧食Ⅰ型

明日こそ出港する(と思う多分)

民製その他ネタ2(ガルパン)

コレクション(自然に貯まった)の賞味期限が迫って来たので、処分(食う)する事にした
まずは、コンビニで戦車メシセットと言う言葉に釣られて買った、パッケージに弱いのかも知れない
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購入から約半年、遂に食う日が来た
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戦車メシセット~戦車と一緒にご飯!~に釣られた
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裏側説明
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内容物(何故中華丼?)
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まず、発熱剤を準備する(食べられません)
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付属袋の底部に投下する
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ごはん、具財を投下する
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計量袋半分の水を投入
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即座に反応が始まるので、すぐに蓋を閉める
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蒸気口から、湯気が立ち上るが、当然中華丼の匂いはしない
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20数分後、反応がおさまり過熱終了
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開封、中に残る水は熱くなっているので、注意!
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あとは、食うだけ!
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ついでに「よこすか海軍カレー」も作る
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裏側
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なんとご飯が無い、戦闘糧食Ⅱ型から流用する
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カレー説明
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ご飯と一緒にナベで煮て、出来上がり
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以前行ったよこすか海軍カレー館(魚藍亭)のカレー
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割引クーポン憑き
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海上自衛隊岩国基地限定「岩国海軍飛行艇カレー」
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直らないから縦向きのまま
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呉海軍亭肉じゃがカレー
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ジャガイモが大きめなだけの、普通のカレー
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前回食ってしまった「よこすか海軍ドライカレー」
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海軍割烹術参考書は、野菜の切り方まで図解して説明してある本だ
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マスコットキャラクター、スカレー
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よこすか海軍カレーコロッケバーガー
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だそうです
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基地際で買ってきた、ミリタリーラーメン
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濃厚醤油
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濃厚味噌
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濃厚塩味
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作り方は極普通
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麺は細めん
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自衛官三姉妹
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eーパン(災害備蓄保存用パン)
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説明
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2個入り
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気にするほどの音ではない、120mm戦車砲の方が響く
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海軍携帯ドロップス
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この手はカンロ式ドロップスとして、本当に携帯されていた
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あつあつ防災ミリメシ「すき焼きハンバーグ」
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白米と、具
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ヒートパックが前回買った奴と変わっているので、紹介しておく
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召し上がり方
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山菜おこわ
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炊込みおこわ
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五目ごはん
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本日持ち込まれた、面白ごはん。他にも種類があるようだ
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すごいのはここ、時間がかかるが水でも出来る所が今までに無い所
某施設から、災害備蓄食料の賞味期限的入れ替えで、放出されたものだ、災害時ライフラインが途絶した状態で食事を採る事は難しいだろう、救援が来るまでの2~3食ぐらいは備蓄するように心がけたい

陸軍中津飛行場(相模陸軍飛行場)

昭和15年12月に熊谷陸軍飛行学校、中津分教場として開設し、翌年熊谷陸軍飛行場相模分教所として開校
陸軍飛行学校として、複葉練習機による飛行訓練が行なわれていたが、17年には戦闘機が配備され出撃基地化
昭和19年7月20日 飛行学校閉鎖、実用機、戦闘機の基地となる。
四式戦「疾風」が配備された初の実戦基地となる、しかし特別攻撃隊の訓練基地となり第18・19振武隊が12月を目処として、練成されたがこれは12月に米軍の攻勢が始まるとの誤報による物だった。
昭和20年4月になると 第18・19振武隊は随時知覧より沖縄に特攻出撃を行う。
最後の出撃は、昭和20年 8月13日 第398神鷲隊、相模より下田沖に特攻出撃との記録がある。

現在は神奈川県愛甲郡愛川町の内陸工業団地となり、滑走路は長い直線道路となっている
また、近年愛川町郷土資料館が出来て、陸軍中津飛行場関係の展示及び、四式戦「疾風」の風防なども展示している
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通信室と言われる遺構(大野建設敷地内)
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休みで人がいない様なので、外観のみ駐車場から見学
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緑のネットを張り、プランターでツタを生やそうとしている様だ
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珍しく金属製の扉が残っている
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扉が無くなっている所は、コンクリートで埋めたようだ
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住宅地の中に、格納庫基礎が残っている
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以前は複数あったそうだが、今はこの一つだけ
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厚みはそれなりにある
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ちょっと見つけにくい所にある
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明野教導飛行団 天竜分教所で見た格納庫基礎と同一のようだ
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排水路橋
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飛行場の排水をするために、中津川まで続いているらしい
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橋は2本に別れている
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さらに住宅街を物色すると
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見ての通り、地面に埋まってない移設門柱
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ヒンジが残っている
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しかし、向きがおかしい、住民に聞いてみると親戚の家にも門柱があり、移設してきたそうだ
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表札の跡
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住民に場所を聞き、行ってみた
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留守のようなので、外観のみ撮影

詳しくはkanレポートを参照

城ヶ島砲台地下施設(駐車場側)

最近城ヶ島砲台の見学会が、月に1回程度行われている様だ、参加者の中から情報をもらった
早速見に行ってみたので、その様子を紹介する。
久しぶりに訪れた城ヶ島砲台は、すっかり整備され、何の苦も無く近寄れる様になっていた。
DSC01756_R_2013121720550384b.jpg城ヶ島と言えば、ぬこである
DSC01839_R_20131217205459856.jpg駐車場にある砲座と言われる物、地下施設とはまったく接続していない
DSC01840_R_201312172055015ba.jpgわずかに残る、遺構らしき痕跡
DSC01838_R_20131217205458459.jpg歩道脇にある石柱
DSC01835_R_20131217205456510.jpg離れた所にもう1本あったが読めない(戦後の物の可能性も否定出来ない)
DSC01823_R_20131217210945adc.jpgこのように、すっかり整備されている
DSC01824_R.jpg相変わらず、当時の迷彩もしっかり残っている
DSC01828_R.jpg南京錠もしっかり残っている
DSC01763_R_20131217213927e08.jpgでは、ご開帳
DSC01765_R_20131217213928af5.jpg入り口直後の罠、明治砲台には千代ヶ崎砲台にも見られるが、侵入者対策がとられている
DSC01766_R_20131217213930e05.jpg主、副入り口のすぐ側に弾薬庫が3つある、その1つ目
DSC01767_R_20131217213931407.jpg奥から見る
DSC01768_R_201312172139320af.jpg内部で扉を付けずに、すべて繋がっている
DSC01772_R_20131217215441333.jpg2つ目の弾薬庫
DSC01773_R_20131217215442531.jpg隣に移動
DSC01774_R_2013121721544450b.jpg3つ目奥から、構造は似たような物だ
DSC01775_R_2013121721544570e.jpg真ん中の弾薬庫前には、主出入り口がある
DSC01776_R_2013121722012854d.jpg全ての金属扉はヒンジごと盗まれている
DSC01771_R_2013121722012758f.jpgこの床面のガレキも床のレールを掘り起こした跡だそうだ
DSC01779_R_201312172201300d9.jpg壁面にもレールを外した跡が続いている
DSC01780_R_20131217220925fdf.jpgすれ違い所とも言われる1mほどのくぼみ
DSC01805_R_20131217221632dd6.jpg中央のものには、伝声管が付いている
DSC01829_R.jpg地上で見ると、籠が乗っているのが通風口でブロックが乗っているのが伝声管
DSC01783_R_201312172209285ed.jpg3ヶ所あるようだ、通路中央に換気口が見える
DSC01782_R_2013121722092756a.jpgこの換気口の下には地上から落ちて来た砂が溜まっている
DSC01786_R_2013121722162970c.jpg天井の電燈跡、線は戦後の調査時のもの
DSC01789_R_20131217222726273.jpg最深部、エレベーター室前にはレールの痕跡が見て取れる
DSC01790_R_201312172227282e0.jpg昇降機の跡
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床に落ちている電気パーツ、スイッチか?
DSC01794_R_2013121722273252e.jpg昇降機上部を見上げる、ここから砲弾を上げ、砲座に運ばれる
DSC01792_R_20131217222730cde.jpgエレベーター室全景
DSC01799_R_20131217223652518.jpgめずらしく上部に金属の枠が残っている
DSC01795_R_20131217223650290.jpgと、思ったら扉の塗料が付着しているだけだった
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めずらしく床面が一部だけ見える
DSC01803_R_20131217223654b34.jpg電気配線を通す穴、塩ビではなく陶器製のパイプ
DSC01811_R_20131217224659047.jpgさて、出るとしよう
DSC01817_R_201312172247012f8.jpg漆喰がきれいで、実に明るい感じがする
DSC01820_R_20131217224702de7.jpg地下を出て、ぬことたわむる
DSC01821_R_2013121722470474d.jpg至福の時間

城ヶ島砲台 地下施設

油壺震洋特攻基地(諸磯湾側)

油壺油壺震洋特攻基地を再訪した、今回はまだ行っていない諸磯湾側がターゲットである
先に、油壺湾側から見て回る事にした。
前回訪れた所なので詳しくは上げない、油壺震洋特攻基地の記事シリーズを見てもらえばいい
DSC01842_R_20131215214543c6d.jpg油壺験潮所へ降りて行く
DSC01845_R_20131215214545896.jpg験潮所前の震洋接岸用桟橋
DSC01846_R_2013121521454608b.jpg桟橋先端から油壺験潮所を望む
DSC01852_R_201312152145491dd.jpg当時の対岸への橋の跡
DSC01848_R_2013121521544940f.jpg何故かメンバーはこっちに来ない
DSC01847_R_201312152154478b7.jpg70年を経てもしっかりした桟橋なのだが・・・
DSC01862_R_20131215215450c0a.jpgさらりと震洋壕を見て行く
DSC01865_R_201312152154524bb.jpg1本に3隻は入るだろう、詰めれば5隻いけるかな?
DSC01868_R_201312152201104b7.jpg木漏れ日の司令部壕に来た
DSC01869_R_201312152201128e7.jpg前に紹介したので、かるく流す
DSC01872_R_20131215220113ffc.jpg
DSC01873_R_20131215220115e75.jpg
DSC01883_R_20131215220116343.jpg
DSC01887_R_20131215220444311.jpg不明の台座
DSC01888_R_20131215220446711.jpg隣の穴、L字の掘りかけ
DSC01889_R_2013121522044760d.jpg直角に曲がっているので、震洋は入れない
油壺震洋特攻基地の司令部壕
DSC01891_R_201312152213177c4.jpg近くに3本が接続した壕がある
DSC01892_R_201312152213190de.jpg
DSC01895_R_201312152213208f6.jpg
DSC01901_R_201312152213227ed.jpg
DSC01902_R.jpg
DSC01906_R_201312152217591ef.jpg
DSC01908_R_20131215221801331.jpg油壺震洋特攻基地、震洋壕
DSC01911_R_20131215221802e15.jpgこちらは油壺公園の海竜壕
DSC01912_R_201312152218049ac.jpg保存活動の為か、掘り返されている
DSC01929_R_201312152225406e6.jpg今回の本命、諸磯湾側に移動する
DSC01924_R_20131215222535044.jpg近くの水産加工業者が使用している
DSC01926_R_201312152225363a7.jpg
DSC01927_R_20131215222538e96.jpgいずれも震洋壕である
DSC01931_R_2013121522300667e.jpg1本目のトンネル
DSC01932_R_2013121522300888d.jpg現在使用されていない
DSC01933_R_201312152230105fb.jpg抜けた所に、古い井戸がある
DSC01934_R_20131215223413992.jpg2本目のトンネル
DSC01936_R_20131215223415db7.jpgトンネルの中央付近で
DSC01937_R_2013121522341626e.jpgなんと車が通行して来た
DSC01938_R_20131215223418802.jpgとっさにくぼみに避けたが、なんとトンネル内に横抗がある
DSC01939_R_20131215223905e50.jpg枝道を戻る方向に出る
DSC01941_R_20131215223907b51.jpg海岸に出たので戻る
DSC01944_R_20131215223909c52.jpg元のトンネルと合わせて、H型をしている
DSC01945_R_201312152239105e3.jpgもう一方は、廃屋で行き止まり
DSC01952_R_20131215224345ceb.jpg元のトンネルから出る、これらは震洋の移動用に掘られた物だろう、秘密裏に対岸に出れる
DSC01949_R_201312152243448f9.jpg出口に人工的な丸い掘りこみがある
DSC01953_R_201312152243470ed.jpg上の四角い構造物とセットだろうか?
DSC01955_R_20131215224348788.jpg油壺側に出た
DSC01956_R_20131215224834716.jpg戦時、特攻隊司令部があった地上施設が見える
DSC01957_R_20131215224836f6d.jpgこの奥にも震洋壕がある、さらに奥にも海龍壕があるが工場使用中で撮影出来なかった
DSC01958_R_201312152248377eb.jpg仕方が無いので引き返す
DSC01959_R_2013121522483805b.jpg場所はここ

おまけ
DSC02070_R_201312152311369ac.jpg帰りに汐入のファミマに立ち寄った
DSC02071_R_2013121523113803e.jpg何かすごい事になっている
DSC02074_R_20131215231139b1b.jpg
DSC02075_R_20131215231140b66.jpg
DSC02076_R_20131215231142d03.jpg店内にも一面の艦これだった

若獅子神社(陸軍少年戦車兵学校)

陸軍少年戦車兵学校 は、静岡県富士宮市にあった陸軍の教育機関の一つである。
千葉陸軍戦車兵学校内に「少年戦車兵学校」として発足、後に分離、この地に移転する。
昭和18年当時、戦車は約80両、自動車類も数十両が配備されていた。
一期生は150名募集のところに8229名が応募があり、実に55倍の競争率であったそうだ。
機甲部隊の拡充強化のため、14歳から19歳の少年が2年間かけて育成が行われたが戦局の悪化に伴い
1年半、1年、最短では11ヶ月で繰り上げ卒業となり、沖縄戦などに投入された。
教職員は1550名、延べ4000余名の少年が学んだが、戦死者は教員含み600名を越える
五期生のうち270名はヒ八一船団にて輸送中、五島列島沖・済州島沖で雷撃を受けて空母神鷹、あきつ丸、摩耶山丸などが撃沈され、多くの少年兵が、船と運命を共にしている、途中で台湾の部隊に赴任した約20名を除けば、生還者は9名のみである。
フィリピンのバギオでの戦闘において、「戦車特攻」が行われ、2両のうち九五式軽戦車1両には少年戦車兵3名が乗車、米軍M4中戦車に突撃・自爆している。
この他にも、激化した訓練により、2名の死亡者が出ている。
陸軍少年戦車兵の教官、生徒六百有余を祭神として祀るのが、この若獅子神社である。
サイパンの戦いにて使用された九七式中戦車(チハ車)が置かれているが、戦車第九連隊第三中隊所属の物で
同じく戦車第九連隊所属で、同時期に帰還したもう1輌は現在、靖国神社の遊就館に修復され展示されている
DSC00090_R_20131214214219a1d.jpg道路に立っている案内板
DSC00149_R_2013121422073863c.jpg銘の無い門柱
DSC00091_R_2013121421422164c.jpg神社入り口の前面コンクリートは車廠のあった辺りだ
DSC00092_R_20131214214223299.jpg若獅子神社入り口、基本社務所には誰もいない
DSC00093_R_20131214214224ee1.jpg神社の由来(下が黒くなってしまった)
DSC00094_R_20131214214225bd1.jpg慰霊碑(若獅子の塔)
DSC00095_R_20131214215451618.jpg白い獅子はちょっと・・・・
DSC00096_R_201312142154523be.jpg塔の説明
DSC00123_R_2013121421545484d.jpg左側の碑
DSC00124_R_20131214215456146.jpgDSC00125_R_20131214215457574.jpgこの内700名は、訓練途上につき卒業していない(8月に休暇と称し解散している)
DSC00127_R_20131214220602789.jpg構内図
DSC00146_R_201312142207349e0.jpg
DSC00148_R_20131214220736427.jpg拡大しておく
DSC00126_R_2013121422060151f.jpg移設された正門
DSC00128_R_20131214220604292.jpg銘が残る
DSC00130_R_2013121422060592b.jpg左側の門柱、銘は無い
DSC00131_R_20131214220607500.jpg本来はこっちから入るようだ
DSC00701_R_20131214222315d6f.jpg神社入り口右側に
DSC00700_R_20131214222314bee.jpg移設された陸軍柱が立っている
DSC00702_R_2013121422231785e.jpg富士の絵が掘ってあるが何かのマークだろうか?
DSC00097_R_20131214223300156.jpg奥の方に九七式中戦車(チハ車)がある
DSC00105_R_20131214223308023.jpgこの屋根が着いたのは近年で、それまでは雨ざらしでボロボロになってしまった
CIMG0403_R.jpg
CIMG0422_R.jpg遊就館の同時期に帰って来たチハ車、扱いの差は歴然
DSC00104_R_20131214223305250.jpg
DSC00099_R_2013121422330395e.jpg
DSC00098_R_20131214223301096.jpg発掘時、内部から軍刀二振りと遺骨が回収されている
DSC00100_R_201312142250370f6.jpgかなりの部品が盗難されているらしい
DSC00102_R_20131214225039d11.jpg被弾箇所が白丸でマーキングされている
DSC00103_R_201312142250408ad.jpg
DSC00106_R_20131214225042965.jpg
DSC00107_R_20131214225043c03.jpg
DSC00108_R_2013121422561878e.jpg
DSC00111_R_20131214225620197.jpg
DSC00113_R_2013121422562121f.jpg
DSC00114_R_20131214225623c3a.jpg
DSC00115_R_20131214225624b35.jpg
DSC00136_R_2013121422581635e.jpg
DSC00712_R_201312142259224fd.jpg
DSC00713_R_201312142259245a1.jpg
DSC00714_R_201312142259254db.jpg
DSC00716_R_20131214225927d11.jpg保存方法に激しく問題を感じるが、結局は公共の資金問題となるのだろう
DSC00719_R_2013121423051831b.jpg燃料油脂庫と言われる遺構
DSC00721_R_201312142305203c2.jpgモルタルが剥がれ、煉瓦がよく見える
DSC00725_R_20131214230521ff0.jpgお決まりのゴミ置き場
DSC00726_R_20131214231042c4a.jpgお墓の中にトーチカと呼ばれる物がある
DSC00727_R_20131214231044c88.jpg訓練用、もしくは退避壕と思われる
DSC00728_R_20131214231045439.jpg場所的には若桜神社があった所だ
DSC00731_R_20131214231048df9.jpg中は狭い
DSC00734_R_20131214231539576.jpg必中橋、オリジナルではなく架け替えられている
DSC00735_R_20131214231540526.jpgこの川沿いには他に案内板にもあるが、「忠節橋」「武勇橋」「信義橋」「礼儀橋」などがあったようだ
P1020201.jpg
冒頭の撃沈されたヒ八一船団に付いては講談社「機雷」光岡明著にも、触れられているので参考に

詳しくはkanレポートを参考に!

明野教導飛行団 天竜分教所

1942年4月に三重県の度会群明野原にあった明野陸軍飛行学校の分教所として開設し、東西1600mの滑走路2本、格納庫4棟、兵舎、試射場などがあった。
同時に長さ3667mの軍用道路を臨時滑走路を兼ねて建設している。
使用機は九六式戦闘機、一式戦闘機(隼)、二人乗りの練習機などが配備されていた。
1944年6月には第三教導飛行隊となり、1945年4月頃から格納庫が解体され、近くの山林に分散隠蔽され機体の温存策が取られるようになったが細々と訓練は続けられたが、5月にはこの飛行場は放棄された。
現在、跡地は袖浦公園となり、格納庫の遺構と航空自衛隊発足時のF-86昼間戦闘機が公園のモニュメントとして展示してある。
天竜飛行場は陸軍戦闘機の研究と搭乗員養成を目的に建設され、本校・分教所を合わせて「明野教導飛行団」と総称していた。
遺構としては、格納庫基礎と水槽は公園内に確認出来るが、他にも井戸と射だが残っているそうだ。
DSC00978_R_20131212205554e93.jpg国道150号線を天竜川を越えて行く
DSC00979_R.jpgピンクのすごい特徴的な構造の橋を渡っていく
DSC00980_R_20131212205557737.jpg袖浦公園到着
DSC00981_R_20131212205558fb8.jpg陽光に格納庫基礎が浮かび上がる
DSC00982_R.jpg基礎の一番端っこの部分、これだけがかなりごつい形をしていた
DSC00985_R_2013121221195094b.jpg整然と並ぶ基礎郡
DSC00986_R_201312122119526c0.jpg一部から中の鉄筋が覗いている
DSC00988_R_2013121221195598a.jpg格納庫基礎は左右に対になっている
DSC00989_R_20131212211957197.jpg知らなければ、何だか判らないだろう
DSC00991_R_20131212212539345.jpg左右の基礎の形も違う
DSC00992_R_201312122125401ff.jpg何かいびつな感じがする
DSC00987_R_201312122128505f9.jpg格納庫基礎の隣には、空自払い下げのF-86昼間戦闘機が落ちている
DSC00995_R.jpg基本触り放題
DSC00997_R.jpgタラップがあり上から見れる
DSC00998_R_20131212212855727.jpg誘導、航法装置が脆弱で、夜間行動に適さない機体
DSC00999_R_20131212213956a5c.jpgコクピットを覗く、誰もいない
DSC01000_R.jpgRESCUEと書いてある、この中のスイッチで緊急時コクピットを開ける
DSC01001_R.jpgしかし、何も無い
DSC01002_R.jpg銀翼に日の丸が良い
DSC01005_R.jpg尾翼、機体を挟んで格納庫基礎がある
DSC01007_R.jpg落下式増加タンク
DSC01006_R_2013121221492285f.jpg安定翼付き
DSC01008_R_2013121221492657c.jpgビックマウス、空気取り入れ口
DSC01010_R.jpg中は空洞
DSC01009_R_20131212214927166.jpg12.7mm AN/M3機関銃×6門搭載
DSC01011_R_201312122203052a9.jpg一応夜間着陸用のライトはある
DSC01012_R_20131212220307966.jpg何語?
DSC01014_R.jpg公園外縁にある、案内板
DSC01018_R_20131212220310478.jpg時代は違えど、妙なマッチングがある
DSC01019_R_2013121222074878d.jpg公園のスミに、水槽がある
DSC01020_R_20131212220750530.jpg横広でわりと大きい
DSC01021_R_20131212220751d69.jpg作りからして、当時物と思われる

大井海軍航空隊地下壕 沢水加地区プレリサーチ

海軍は大増強を画策し、通称「マル4計画」を立案した。この中に偵察機搭乗員の訓練部隊のひとつとして、静岡県榛原郡川崎町に飛行場を建設し、航空隊を設置する事になった。
牧之原台地上の茶畑を接収し、比較的平坦な飛行場を増設することになった。
使用機種は九〇式機上作業練習機、白菊、天山などと入れ替わり、第一線を離れた九七式艦上攻撃機などの攻撃機・陸上偵察機が使われた。
この白菊のエンジンや車輪が牧ノ原コミュニティセンターに展示されている。
なお、大井海軍航空隊からも特攻隊が選出され、「菊水一号作戦」発動時、八洲隊に特攻待機下令が下されたが
菊水作戦終了に伴い、八洲隊の特攻待機を解除され、犠牲者を出さずにすんでいる。
大井海軍航空隊は空襲の中、指揮を継続する為に地下指揮所をつくり三方向から地下壕を掘り、指揮所と繋ぐ計画をしていたが、途中で終戦となった、一部はバイパス工事で失われたが、まだ残っている物がある。
大井海軍地下壕を独自調査されている、-廃虚日常記録帳-の空母欲奈氏に案内してもらった。
ただし、何かに掴まらなければ降りるのが難しい斜面や、2mほどの段差を飛び降りたりもする、更にその道を辿って帰らなければならない立地条件が難点だ、正規の道は不明、当時は沢に沿った道があったのかも知れない。
今回は夕暮れ間じかで、1時間程度の短時間探索となった
DSC01720_R_20131210204920436.jpg国道473号線に架かる古い橋脚跡、この下に地下壕がある
DSC01721_R_20131210204923288.jpg自分にとっては日常的な斜面だが、慣れない人には危険だろう
DSC01722_R_2013121020492584c.jpg一人、壕口センサーの感ずる方向に皆と別れて進むと、やはりあった
DSC01725_R_20131210204928b8d.jpg内部から入り口を見ると八割がた埋っている、これでは空母欲奈氏も見落とすだろう
DSC01726_R_201312102158448a4.jpg入り口入って正面は崩落しているようだが右に通路がある
DSC01727_R_20131210215846d72.jpg壕床は多少悪いが、形状はしっかりしている
DSC01728_R_201312102158476cc.jpgこの壕は陣地壕のように曲がりくねっている
DSC01729_R_20131210215849829.jpg通路に崩落は見当たらないので、ズリ出しをしていないのだろう
DSC01730_R_20131210215852725.jpg突如として、予想もしていなかった下層が右手に現れる
DSC01731_R_201312102207128eb.jpg正面突き当たり、機械掘りで掘削中の様だロッドの穴が空いている
DSC01732_R_201312102207139c6.jpg下層入り口、あまりに澄んでいて気が付かなかったが、石を投げたら水没だった、足場が脆く降りたら戻れなくなりそうだった、しかし風が吹き上がってくるので開口部があるはずだ
DSC01733_R_201312102207150ef.jpg後から来たメンバーに軽く説明し、一人壕を出る
DSC01734_R_20131210220717ab8.jpg20m程度離れたところに壕口発見、これが恐らく空母欲奈氏の見つけた壕だろう
DSC01735_R_20131210220719d42.jpgものすごい澄んでいるが、かなり水没している
DSC01736_R_20131210221824e9a.jpg唯一人ウエイダーを持って来ていた事が幸いし、突入出来た
DSC01737_R_2013121022182515e.jpg入ると予想外に複雑に枝道が交差している
DSC01738_R_201312102218273ba.jpgズリ山があると逆に安心して歩ける
DSC01739_R_20131210221828810.jpg取りあえず皆のいる壕の接続部を探す
DSC01741_R_20131210222654c22.jpg当時の支保工の跡だろうか
DSC01742_R_2013121022265608e.jpg一旦合流後、皆が来るまで(壕口までだが)一人探索する、かなり大きく水音がする場所がある
DSC01743_R_20131210222657033.jpgなんとえらい勢いで地下水が噴出している、三菱発動機可児久々利地下壕(東側)その2で見た、地下壕の滝を思い出す、滝の動画
DSC01744_R_201312102240530ae.jpg奥の方でも音がする
DSC01745_R_201312102240556b1.jpg地下水の噴出孔は多数あるようだ、バイパス工事の影響だろうか、こんなに水の出る所に壕は掘らないだろう
DSC01746_R_201312102240568ef.jpgこれだけ出ていれば、水の綺麗さが納得できる、川の様だ!しかしこの水は何処へ?
DSC01747_R_20131210224058e38.jpg壕口付近は、ほとんどがズリで埋っていた、だから水が抜けない
DSC01748_R_2013121022405993f.jpgこの辺の水深は、ゆうに腰を超えている
DSC01749_R_20131210225016f5e.jpgしかしキレイな水である、地下壕ならの淀みが無い
DSC01750_R.jpgここからも染み出している
DSC01751_R_20131210225019cbb.jpg壕口付近は閉塞が多いのか、湿度が上がる
DSC01752_R_201312102250200b1.jpgほとんど隙間程度の通路しか無い
DSC01753_R_20131210225022688.jpg少し段差のある通路もある
DSC01754_R_20131210225649b8c.jpg枝抗だらけでヤバイぐらいに楽しくなって来たが、外で待っているメンバーに怒られそうだ
DSC01755_R_20131210225650194.jpgまだまだ先は続いているのだが、今回はここまでとする
P1020165_R.jpgとっぷりと暮れた高速を横浜へと渋滞35kmをひた走る(とのさんが)

廃道(線)石部トンネル、焼津側

DSC01616_R_20131209164828a4c.jpg石部海上橋の駐車場から、焼津方面に歩く
DSC01534_R_20131209164827d33.jpg擁壁工事をされた所に用がある
DSC01618_R_201312091648308ec.jpg擁壁の更に上から今でも当たり前に石が崩れ落ちている
DSC01619_R_20131209164831ab4.jpg振り返ると、蒼空に飛行機雲が絵になる
DSC01620_R_20131209164833b0a.jpg現場に到着、目標中央!
DSC01622_R_2013120916574204d.jpg二手に分かれて接近する、下からは上れないそうだ
DSC01621_R_20131209165740be7.jpg自分は上から降りて来たが、2m程度飛び降りるのは問題無いが、戻れない
DSC01623_R_20131209165743a9a.jpg見上げると磯浜トンネルがあったと言われる所の開けた草地が見える
DSC01624_R_20131209165744a18.jpg次のターゲット(中央)に向かう
DSC01625_R_201312091708156ff.jpg新石部トンネルを抜け、有料駐車場に車を停める
DSC01626_R_201312091708164fd.jpg案内人の空母欲奈さんに突入口を案内してもらう
DSC01627_R_2013120917081859e.jpg下るにしたがい険しくなる道
DSC01628_R_20131209170820ef3.jpg道を外れると、崖だったりする。これでも12月、夏場はどうなっているのだろう
DSC01629_R_201312091708216a0.jpgしばらく降りると、洞門の一部が顔を覗かせている
DSC01630_R_2013120917275743a.jpg物件が見えて来た
DSC01631_R_20131209172759ecb.jpg釣り人の手作りはしごが架かっている
DSC01632_R_20131209172800ca4.jpg現地到着!
DSC01633_R_20131209172802762.jpg波打ち際には残骸ゴロゴロ
DSC01634_R.jpgここにはかつて、幅10mの鉄路(道路)があった場所
大崩海岸を走る蒸気機関車 鉄道時代の絵葉書
当時のバス東海道本線が山側に移動した頃の路線バスの絵葉書を頂いた
付近画像検索での拾い物、少し上のアングル(問題が有ればご一報を)
DSC01635_R_201312091757261aa.jpg思いっきり逆光に負けてしまっていた
DSC01636_R_20131209175728dd6.jpg落ちた洞門に登って見る
DSC01638_R_20131209175729bd7.jpg煉瓦に刻印がある、この刻印は横須賀の長瀬海岸でも見た事がある
DSC01642_R_20131209175732ce2.jpg現在の洞門
洞門辛うじて残っている頃
DSC01641_R_20131209180503a1a.jpg海上橋を眺める
DSC01644_R_201312091805061c5.jpg下を見ると、わりと高い所にいる
DSC01646_R_2013120918050890a.jpgスノボのハーフチューブみたいだ
DSC01643_R_20131209180505e52.jpg下から見上げてみる
DSC01645_R_20131209181349cd1.jpg隣に飛び移る
DSC01650_R_20131209181350c81.jpg刻印いっぱい!何処のだろう
DSC01655_R_20131209181352f34.jpg人物比、落ちた部分はわりとデカイ
DSC01657_R_20131209181354b7c.jpg人間は小さい
DSC01658_R_20131209182157acb.jpg一通り遊んだので、本題に突入する為よじ登る
DSC01659_R_20131209182159c9c.jpg洞門は残っているが、前壁は剥がれて落ちた
DSC01661_R_20131209182200c0f.jpg海側のトンネル、見よ!先住民の遺産を!
DSC01666_R_2013120918220244e.jpg内部は鉄道時代の、蒸気機関車の煤煙で煤だらけ
DSC01669_R_2013120918220513f.jpg一番手前の退避壕だけは、総煉瓦張り
DSC01670_R_20131209183146c73.jpg高圧碍子の着いた電線跡、蒸気機関車には必要無いから道路時代か?
DSC01672_R.jpgゴミを掻き分け、先へ進む
DSC01674_R_20131209183150363.jpgこれが唯一の逃げ口
DSC01675_R_20131209183152475.jpg埋め戻されたのだろう、異様に狭い
DSC01690_R_20131209183153a40.jpg先は海に出るが、降りれない
DSC01641_R_20131209184924d0b.jpg外部からこの辺に穴らしき物が伺えるが、恐らく奥の木が茂っている方だろう
DSC01676_R_2013120918454840a.jpgやっとゴミが消える
DSC01679_R_20131209184551b7b.jpg後の退避壕は入り口部のみ立派で、奥壁は素掘りのまま
DSC01682_R_20131209184553f6b.jpgまた、新たなゴミの山
DSC01683_R_201312091845552d8.jpgここから先は埋め戻しで、徐々に高くなって行く
DSC01684_R_20131209185914946.jpg自然と退避壕も埋って行く
DSC01687_R_20131209185916729.jpgどんずまりが見えて来た
DSC01688_R_20131209185921187.jpg終息点、誰か掘ったのだろうか?形が変だ
DSC01689_R_20131209185924ed3.jpg引き返すとしよう   廃道(線)旧石部トンネル海側
DSC01706_R_2013120919262113e.jpg山側に向かう、こちらは洞門が落ちて内壁が露出している
DSC01691_R_20131209192616788.jpgこちらのごみは入り口付近のみ、釣り人のベースキャンプ的になっているのか、釣具だらけだ
DSC01693_R_20131209192617101.jpg山側は短く、ライトを照らすとすぐに終息点が見える
DSC01696_R_2013120919261983a.jpg山側唯一の退避壕、煉瓦の斜め具合が良い
DSC01697_R_20131209193422106.jpg山側は急激にせりあがって行く
DSC01698_R.jpg何故か少しずつ空間がある、閉塞が見えてるから行かないが
DSC01700_R_201312091934262d8.jpgこうして見ると、随分縦長に見える
DSC01701_R_20131209193427450.jpg足元にはやはり隣同様の高圧碍子が転がっている
DSC01705_R_201312091934299e1.jpgさて、現世へ戻ろう   廃道(線)旧石部トンネル山側
DSC01710_R_20131209194633567.jpgなかなか楽しめた
DSC01712_R_2013120919463513b.jpgしかし、降りた分は登らなければならない
DSC01714_R_20131209194637435.jpg上まで登り、メンバーが登って来るまで時間が掛かりそうなので、下を覗く
DSC01716_R_20131209194639564.jpg少し乗り出すと何とか見えた
DSC01719_R_2013120919464157c.jpgメンバーが揃ったので私設駐車場に戻る、ここの奥に小さな畑があり、おばーちゃんがカブで通っている、横浜から写真を撮りに来た等少し話をしたら、生っていたみかんをくれた、料金を手製の回収器に入れて撤収する。

廃道(線) 石部(セキベ)トンネル

静岡県静岡市駿河区石部にある用宗街道の石部海上橋から見える、旧石部トンネルに行って見た
東海道本線開通時のこの区間は石部トンネル(910m)と磯浜トンネル(970m)の2本のトンネルが存在したそうだが、磯浜トンネルの東京側は現在ゴミで埋めてしまったそうだ。
この土地の名前は大崩海岸といい、名前の通り崖崩れの名所で、昭和46年7月5日に、大崩第5洞門ごと車が押しつぶされた崩落事故が起こって、23歳の男性が犠牲になっている。
急遽海上橋の建設が必要視され、翌年7月には早くも完成し、その袂に慰霊碑が建っている。
洞門は東京側から焼津側に向かって第三(コンクリートと鉄アーチ)、第五(崩壊)、第一(短いコンクリート)、第二(半埋没)第四(埋没)の順に並んでいる様だ。
DSC01526_R_20131207200802a2b.jpg現地メンバーと合流し、高速を富士山に向かって走る(とのさんが)
DSC01527_R.jpg焼津150号線へ
DSC01528_R_20131207200805218.jpg用宗に曲がる
DSC01530_R_20131207200806562.jpg路肩結界は、日常的にあるそうだ、気にせず進む(通行可)
DSC01531_R_20131207200807aa9.jpg石部海上橋に到着、対岸の駐車場に向かう
DSC01532_R_20131207203127fe8.jpg三日月形に曲がっていく
DSC01533_R_201312072031295de.jpg石部第一洞門が見える
DSC01535_R_20131207203130bb7.jpg駐車場に到着(5~6台?)
DSC01536_R_201312072031314d1.jpg早速橋の下に降りる
DSC01537_R_20131207203133fa3.jpgシンプルな意匠の感じも良い
DSC01538_R_20131207204257b68.jpgおのおの撮影に興じる
DSC01540_R_20131207204258fe0.jpgその隙に外側を撮影して来る、30cmほどの歩道があるが、下は・・・・
DSC01543_R_201312072046355d6.jpgまず、最初の関門!いや洞門
DSC01541_R_201312072046344ca.jpg石部第二洞門
DSC01544_R_20131207204637b67.jpg見ての様に、平らな所など無い、半埋没状態だ(滑ったら海岸にどぼん)
DSC01548_R_20131207210238048.jpgとのさん達もやって来た
DSC01549_R_20131207210241965.jpg飾り気の無いシンプルな洞門だが、短い
DSC01546_R_20131207210237e5a.jpg反対側の扁額
DSC01552_R_201312072102430d6.jpg石部第一洞門に到着
DSC01553_R_20131207210244091.jpg陽光のコントラストが良い
DSC01581_R_20131207211122496.jpg扁額
DSC01554_R_2013120721112452a.jpg登り易そうな隙間が有ったので、登ってみた
DSC01555_R_2013120721112671f.jpg壁の裏側
DSC01556_R_20131207211128729.jpg洞門の上からの眺め
DSC01557_R_20131207211130d8c.jpg海側の柱は、中の鉄骨が錆びて塩害による侵食の激しさが判る
DSC01559_R_2013120721563769b.jpg外側の眺め
DSC01563_R_20131207215639687.jpg写真だと判らないが、人間の目で見ると若干全体的に海側に傾いているのが判る
DSC01565_R_20131207215640d0c.jpgこの柱がポッキリ逝くのは、数秒後かも知れない
DSC01566_R.jpg上に登ってみると、崖にはコンクリートが吹き付けてあるが、何とネットも何も無くただ吹き付けてあるだけだ
DSC01569_R_20131207220622709.jpg崖下は当然の如く剥離したコンクリートで一杯、ここが第五洞門の事故現場になる
DSC01567_R_20131207215645f11.jpg反対側から外側を見る
DSC01572_R_2013120722062458e.jpgローアングルで見ると、天井が骨の様だ
DSC01578_R_20131207221151b36.jpgキロポストだろうか?もう少ししたら花が咲いていい画になったかも知れない
DSC01579_R_201312072211538bd.jpg壁には昭和の落書きが残っている
DSC01580_R_20131207221154fa6.jpg下を覗きこむ、4~5mだろうか?痛そうだ落ちたら・・・
DSC01582_R_20131207221858303.jpg帰りも大変だ
DSC01584_R_20131207221743220.jpg帰りがけ、草に埋もれた第四洞門らしき物を発見
DSC01585_R_20131207221745b5b.jpg鉄筋コンクリートのトンネル部分に隙間が見える
P1020153_R.jpgギリギリの隙間から内部に入る
P1020147_R.jpg30mほどでこの様な終わり方をしている、新トンネルと海上橋に侵食されていて、元の姿は入り口しか無い
P1020148_R.jpgまた、クソ狭い隙間を這いずって戻る
DSC01586_R_2013120722314078a.jpgここでお昼にする、御馴染みの戦闘糧食Ⅱ型だ、戦闘糧食Ⅱ型(パック飯)その1で紹介している
戦闘糧食Ⅱ型(パック飯)その2では作り方も載せているので、参考に!
DSC01587_R_20131207223142240.jpgいろいろ持って来たが、今回自分はいわし野菜煮を食った、絶品!
DSC01588_R_2013120722314527a.jpgさて、20分ほど待ち時間があるので、散歩に行く
DSC01590_R_20131207224432c1e.jpg第二洞門
DSC01593_R_20131207224434d8a.jpg第五洞門跡
DSC01594_R.jpg第三洞門
DSC01595_R_20131207224437f51.jpgターゲット
DSC01596_R_20131207224826c80.jpgガレた海岸に降りて行く
DSC01597_R.jpg突入開始
DSC01603_R_20131207224710f4e.jpg内部はレンガ巻き
DSC01601_R_20131207224707a5d.jpg足元はガレガレ
P1020158_R.jpg外部からは想像出来ない内部
P1020159_R.jpgイギリス積みの様だ
P1020155_R.jpg最深部、板張りでこの向こうは東海道本線の線路が走っている
DSC01607_R_201312072259471e1.jpg今にも腐り落ちそうだ
P1020156_R.jpg煉瓦の隙間から電車の音と風が入ってくる
P1020161_R.jpgさあ、飯にしよう
DSC01617_R_2013120722594985c.jpgちょっと冷めてしまったかも知れない

陸軍遠江射場

ここは勘違いされやすいが、陸軍の射撃練習場ではなく、東京造兵廠などの各地の軍需工場で製造された各種の砲と砲弾の、性能を試験する事が目的で造られた施設だ。
現在の掛川市浜野にある遠州灘東岸砂丘地一帯、国道150号線の南側の大規模な区域を昭和13年から終戦まで数年間に渡り旧陸軍が接収して、大砲など砲弾の発射試験が行われた。
主な施設は区域西側の試射地点である浜野の南一帯に配置され、実弾製造等を主とした各種工場や事務所、宿舎、車庫、射撃施設、観測施設等があり模擬弾等の完成弾製造、砲の機能テストとして臼砲、高射砲、加農砲、野砲、榴弾砲等の大砲が試射地点から約10km先の御前崎市佐倉を目標に発射したとされている。
現存する遺構は、トンネル、観的所、砲座や木造の倉庫等や後に「駿遠線」となった軽便の軌道も敷設されたプラットホーム跡、現在繊維工場として使用している木造の砲敞も残っている。
DSC01022_R_20131204182002b67.jpg夕暮れ間じかに平成6年度整備の観光用駐車場・トイレ前に到着
DSC01024_R_20131204182712626.jpg駐車場前には形状の違う砲座が3つ並んでいる
DSC01023_R_20131204182004c0b.jpgこれが一番大きな砲座だ
DSC01029_R_20131204182007df4.jpg据付ボルトの跡だろか
DSC01030_R_20131204182009f18.jpg砲座の角はしっかり立っていて、70年以上前の物とは思えない
DSC01034_R_20131204183931227.jpg真ん中の砲座
DSC01035_R_201312041839348ef.jpgビニールハウスの燃料タンクが乗っている
DSC01032_R_20131204183930173.jpg左側の砲座、形状は同じ様だ
DSC01038_R_201312041842393cb.jpg藪の中にヌコがいた
DSC01039_R_20131204184241081.jpgこっちに来いと呼んでいる
DSC01041_R_20131204184243543.jpg藪の中の司令所に案内してくれた
DSC01043_R_20131204184244033.jpg懐かしい手動式消防ポンプ
DSC01044_R_20131204184246ff5.jpg反対側には、薪がいっぱい
DSC01047_R_20131204184808e3e.jpg幻想的な窓枠
DSC01048_R_201312041848103ad.jpg観測用のスリットと記録用の机だろうか
DSC01050_R_20131204184811cd6.jpgスリットを外側から見てみる
DSC01053_R_2013120418562195f.jpg同じブロックには、もう一つ同型の発射司令被害観測着弾観測所があるが入れない
DSC01090_R_20131204193610a28.jpgシャッターが閉まっている
DSC01091_R_20131204193611e36.jpg鎧戸も健在だ
DSC01054_R_20131204185623948.jpg朽ちかけた木造建築が残っている
DSC01055_R_20131204185624530.jpg場所と形状から馬小屋に見えるが、ただの倉庫かも知れない
DSC01057_R.jpg軽便のプラットホーム、右が木造倉庫
DSC01058_R_20131204185628cf2.jpg先端に立ち、タイタニックをやるとのさん
DSC01060_R_20131204190717ba0.jpg砲敞、現用中なので、遠景のみ
DSC01062_R_20131204190719a57.jpg土塁、近年急傾斜地工事で形状が変わったそうだ
DSC01089_R_20131204193402585.jpg登ってみた、海が見える
DSC01067_R_20131204191901697.jpg信管検査観的壕
DSC01073_R_20131204191907f95.jpg反対側(スリットから、よくトーチカと紹介されている)
DSC01068_R_2013120419190386c.jpgスリット内側(机付き)
DSC01069_R_201312041919047a4.jpg内部、物置と化している
DSC01072_R_20131204191905402.jpgスリットがかっこいい
DSC01078_R_20131204193256d72.jpg司令送信電源供給室
DSC01080_R_2013120419325708d.jpg南京錠で鍵が掛かっている
DSC01085_R_2013120419325947d.jpg隙間からカメラを突っ込んでみる
033_R.jpg古い漁具倉庫になっている
DSC01092_R_20131204194758070.jpgトンネル手前の司令所
DSC01094_R_20131204194759e8d.jpgもう、鍵が有っても開かない様な・・・
DSC01095_R_201312041952055dd.jpgトンネルは防空壕を兼ねていると言われている
DSC01096_R_201312041952068f7.jpg位置関係、奥が司令所
DSC01097_R_201312041952086ec.jpgトンネル内電気配線盤
DSC01099_R_2013120419521095c.jpgトンネルは一見キレイに見えるが
DSC01101_R_201312042000116b6.jpg老朽化で鉄骨が露出
DSC01105_R_2013120420001491f.jpg天井も・・・当局の調査を受けて、補修チェックがされている
DSC01102_R_201312042000126e7.jpg天井の電燈の跡
DSC01108_R_20131204200551655.jpg海側に出た
DSC01109_R.jpg取りあえず、登ってみる
DSC01110_R_20131204200554dcd.jpg海側を見るが、見えない
DSC01113_R_20131204200555d60.jpg反対側も防風林で判らん
DSC01114_R_201312042009252a1.jpg日も暮れたので、引き返す
DSC01115_R_20131204200926602.jpg状況終了、1717撤収!

後日、 -廃虚日常記録帳-の空母欲奈さまのブログを見て、見落としが幾つかある事が判った
再調査が必要な様だ、近い内に再訪したい。

掛川市高田の倉庫壕群(4連隧道)

白谷新道と呼ばれる4連隧道に行って来た、 -廃虚日常記録帳-の空母欲奈様に案内してもらった
天竜浜名湖線の原谷~細谷の付近には、中島飛行機の疎開地下工場(マルハ工場)が稼動していたので
その関係の倉庫壕ではないかと推測するが、確証は無い。
袋井市と掛川市の境界に位置し、サカタのタネ掛川総合研究センターの上にひっそりとある
DSC01468_R_201312032149378b6.jpg掛川市側より進入する
DSC01469_R_2013120321493973f.jpg元々4つとも、素掘りのトンネルだったがここだけセントル巻きで補強されている
DSC01470_R_201312032149404ef.jpgおかげで中は殺風景な事この上ない
DSC01474_R_20131203214942ecc.jpgこの辺りから、若干左に曲がっている
DSC01475_R_20131203214945ca5.jpg出口は入り口と異なり、石積みになっている
DSC01480_R_201312032201104cf.jpgトンネルを抜けると、そこには地下倉庫の壕口が口を広げていた
DSC01477_R_201312032201063d1.jpg入り口にはネットがしてあり、入る事は出来ない
DSC01478_R_20131203220108c0e.jpg最深部まで30mほどだろうか、造りはしっかりしている
DSC01479_R_2013120322103758d.jpg大き目の倉庫壕で、ヘタをすると次のトンネルよりも大きそうだ、民間壕ではありえないだろう
DSC01481_R_20131203221039732.jpg2つ目のトンネル
DSC01482_R_20131203221040204.jpg素掘りだが、崩れは無いようだ
DSC01484_R_201312032210420ff.jpg振り返ると、トンネルを作る前の切り通しが上に見える
DSC01517_R_20131203221748d4e.jpg登ってみた、何十年ぶりの通行人だっただろうか
DSC01516_R_2013120322174649c.jpg見下ろして見ると、結構高いかも
DSC01518_R_20131203221750c29.jpg短すぎるトンネルからカーブミラーが覗いていた
DSC01485_R_20131203222238446.jpg抜けた所に新たな壕口がある
DSC01487_R_2013120322224137d.jpgサイズはさっきと同じなようだ
DSC01489_R_201312032222430f2.jpg小森さん、とのさんがもふもふして美味しそうだとかな何とか言っていた
DSC01490_R_20131203222244772.jpg次に行く
DSC01491_R_20131203222730343.jpgすぐそばにまたある
DSC01492_R_20131203222731fa4.jpgサイズはいっしょ
DSC01493_R.jpgなんか、そこら中にある気がしてきた
DSC01494_R_201312032227366d8.jpgもう入らない
DSC01495_R_201312032233370c4.jpg3つ目のトンネル、やはり上には切り通しの跡らしき物が見える
DSC01497_R_20131203223339f36.jpg反対側から、とんがった形が面白い
DSC01498_R_20131203223342a4f.jpg藪の先に、壕口が見える
DSC01499_R_20131203223344c28.jpg水没の壕があった
DSC01500_R_2013120322334789b.jpg奥行きは短く、作りかけの様で、ベンチカットだった
DSC01504_R_20131203224159a60.jpg手前にももう一つあったが、埋もれてしまっている
DSC01501_R_2013120322415555c.jpg4つ目のトンネル
DSC01503_R.jpg入り口左右には、人工的な掘り込みが付いている所があった
DSC01507_R_20131203224201f27.jpg内部は丸く、標準的な素掘りトンネルだった
DSC01509_R_201312032242035ba.jpgこちら側の写真はいろんな所で撮られているアングルだ
DSC01510_R_20131203224950c30.jpg下まで降りてみたが、これ以上は無い様だ
DSC01513_R_20131203224953062.jpg撤収する事にする
DSC01475_R_201312032249481ef.jpg最初のトンネルに戻って来た、ここで驚愕の事実が判明する
DSC01521_R_20131203225351d83.jpgなんと、大谷石か何かと思っていたら、なんと発泡スチロール!やるな袋井市
DSC01476_R_20131203225345521.jpg登ってみると、余った発泡スチロールが捨ててある
DSC01520_R_20131203225349e45.jpg下を覗く、軽い発泡スチロールが崩れない様に土嚢で重石をしてある
DSC01519_R_20131203225347355.jpg上の方には、空間があったが入れない
DSC01522_R_20131203230045ad3.jpgなかなか楽しませてくれたトンネル達であった

三方原飛行場

先日、航空自衛隊 浜松広報館に行った時に付近の遺構も探索した。
現在の航空自衛隊浜松基地は、旧陸軍浜松飛行場の一部を使用している、現在の滑走路は当時の唯一舗装していた滑走路を、補修、延長して使っている。
基本的には浜松陸軍飛行学校として開校し、重爆飛行隊の戦技訓練、調査研究、教育普及、関係兵器の調査・研究・試験などでの目的で、建設された。
後に戦局の悪化から、浜松教導飛行師団と改名し、実戦部隊へと変わっていく
浜松飛行場の滑走路(未舗装)は広大で、360度風向きにより何処からでも離着陸出来る様になっていた
その滑走路の上から誘導路により繋がったもう一つの飛行場があった。
第7航空教育隊と三方原教導飛行団が置かれていた、三方原飛行場である
なんとこれは毒ガス戦用の独自部隊であり、実際に中国戦線で毒ガス弾を使用している
敗戦にともない毒ガスは浜名湖などへと投棄され、のち遠州灘に再投棄された。
この時投棄されたドラム缶などが、近年でも浮上し発見した漁師や埋っているドラム缶のふちに触ってしまった人が火傷の様なただれた状態になり、死亡した例もあるとか・・・・・
自衛隊による掃海、探索なども幾度と無く行われたが、投棄場所の特定資料が無く、未だに相当数が湖底か地底に埋没している。
この付近の古いドラム缶にはヘタに触らない事だ。
DSC00650_R_20131202205342838.jpg地図を頼りに現地に行くが、それらしい物が見当たらない
DSC00651_R_201312022053430b7.jpg探し回っていると、民家の庭に丸い物が見える
DSC00653_R.jpgちっさ!!、(第一印象)
DSC00655_R_201312022053468b6.jpgまる!!(第二印象)
DSC00659_R_2013120220534842b.jpgうす!!(第三印象)
DSC00660_R_20131202210351e82.jpg家人のいぬ間に庭先に侵入
DSC00661_R_201312022103525a3.jpgコンクリートが薄いので、かなり亀裂が走っていた
DSC00662_R_20131202210354341.jpg縁や庇が無いから薄く見えるが、本来こんな物なんだろうか
DSC00663_R_20131202210356c63.jpgこの壕はゴザも引かずに直接土にコンクリートを盛って、掘り抜いた様だ
DSC00665_R_201312022103570f1.jpg雑さ爆発の急造掩体壕
DSC00667_R.jpg中に入ると、零戦1機ぐらいなら楽に入る大きさだった
DSC00668_R_2013120221150017b.jpg表面は板張りで流れ止めしていた様だが、面取りも何も無い
(ちゃんと呼び鈴鳴らして、許可を頂いて立ち入っています)
DSC00678_R_2013120221214302f.jpg次は自衛隊官舎に立ち寄った
DSC00677_R.jpgヘタに入ると怒られます
DSC00669_R.jpgここには一対の隊門が残っている、奥には毒ガス製造・貯蔵施設の遺構が残っているそうだ
DSC00670_R_201312022121374cd.jpgこの官舎はつい最近リニューアルしたてで、遺構が残ってるかは不明
DSC00674_R.jpg隊門には、表札掛けが残っている
DSC00679_R_201312022131381db.jpg次は半田町に作られたトーチカの跡を見に来た
DSC00682_R_201312022131411c3.jpg道路から丸見えの、こんな所にって場所にある
DSC00680_R_20131202213139298.jpg表面は弾痕も無く、キレイな状態だ
DSC00685_R_20131202213142504.jpgコンクリートの分厚さが伺える銃眼だ
DSC00684_R_20131202214206395.jpg向かって左側のフック
DSC00686_R_20131202214208cc5.jpg右側、通常時は無人で、銃眼にはこれを使って蓋がされている
025.jpgトーチカ内から外を見てみる
DSC00688_R_201312022142116e3.jpg裏には戦跡には関係無い「法源堂」がある
DSC00690_R.jpgトーチカの事がちらりと書いてあった
三方原飛行場 半田トーチカ