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東京第一陸軍造兵廠、十条工場725棟

おかげ様で500回目の記事となりました、早い物ですね!
東京都北区十条台1丁目には、東京第一陸軍造兵廠があった、鉄道、河川などの便が良く隅田川沿いの東京第二陸軍造兵廠との行き来もしやすい土地柄であった。
陸軍造兵廠東京工廠が東京第一陸軍造兵廠となり、陸軍造兵廠火工廠が東京第二陸軍造兵廠となった
東京第一陸軍造兵廠は精器製造所、銃砲製造所、火具製造所をメインに小銃弾等弾薬、高射砲用双眼鏡、モールスなどの通信機器が作られていた。
近年までは陸上自衛隊十条駐屯地の一部だったが、現在は駐屯地の敷地外となって、北区へ移管 され区立図書館として綺麗にお色直しされているが、外観は無残だが部分的に残されている。
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路面電車を見ながら北区に向う
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図書館の駐車場に入る
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駐車場からの眺め
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前後1/5ぐらい残してビルが挟まっている
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壁面はオリジナルだが、屋根は葺き替えられている
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横から見るとただの近代図書館
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公園側から外観を見る
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1階煉瓦部分はカフェテリアとなっている
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窓や扉は近代化改装されている
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外壁には工場当時の金具をなるべく残してあるようだ
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錆びた金具には当時のロマンがある
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明治煉瓦は美しい
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棟の狭間
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こうして見ると、ビルが隠れていい感じである
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今は公園と遊歩道と馴染んだ風景となっている
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正面入り口から入るとこんな感じである
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いい感じのオブジェとして残っている金具
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外観はがっかりだが、中は何とか場違いな感じだが残っている
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まるで手作りのような案内図
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ビル部分に入ると、違和感がすごい
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カフェテリアとの境目
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鉄骨のリベットがいい
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ボルトなんて無い
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トラス越しに見る天窓
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一部見えるようにしてくれている
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解体工事のパネル展示を貼っておく
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こんな感じで展示してある
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近代とは違う梁の骨格
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鉄の美学である
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リベット最高
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何故か床に埋められた展示ケース
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ここでは土台の煉瓦積みも見える
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鉄骨に文字が見える
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YAWATAに見える
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探せばいろいろあるかも知れない

この図書館内は本来撮影禁止であるので、事務所で許可を採ろう(ガードマンあり)
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この頃の状態で見てみたかった・・・・
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千鳥ヶ淵高射砲台座、近衛第一、二連隊碑

皇居の周りには、防衛用の高射砲が張り巡らされていたが、その跡が残っているのはここだけである。
街中で打ち上げられた高射砲弾の破片が民家に降り注ぎ、多数の死傷者が出たそうだ
現在は7座残っているが、いずれも上部に化粧板が貼られ、ベンチにしか見えない
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工芸館を出て、緑道に向う
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首都高をまたげばスグである
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緑道入ってすぐの分岐
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ここに地下壕入り口がある
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公園整備で埋めた物が、露出して来た様だ
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上部にある通気孔管が折れて、上から蓋をされている
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緑道をどんどん歩いて行くと高射砲台座が見えてきた(一応7つ全部写っている)
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1つ目
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2つ目
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3つ目
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4つ目(プーさん付き)
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5つ目
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6つ目
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7つ目
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1~4は、ほぼ直線に並んでいるが
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5~7はこんな位置関係
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これらの遺構には説明板も無く、むなしく朽ちて行く
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次はあの玉ねぎを目指す
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近衛師団指令部庁舎前を通り抜け
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たまねぎ前を右に曲がる
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まるで隠すように、ひっそりとある
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近衛歩兵第一聯隊跡記念碑
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なぜか地面に転がっている碑
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判りにくいので、この気象観測露場を目印に移動
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この奥に近衛歩兵第二聯隊跡記念碑がある
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左門柱
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右門柱
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碑はオブジェと化している
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いたる所に名簿が貼られている
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皇居を後にする
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帰りがけに見た学士会館(旧帝国大学)
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知る人ぞ知る「神保町軍装店」(支店あり)

近衛師団指令部庁舎(東京国立近代美術館工芸館)

近衛師団は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。一般師団とは異なり、最精鋭かつ最古参の部隊(軍隊)として天皇と皇居を警衛する「禁闕守護」の責を果たし、また儀仗部隊として「鳳輦供奉」(ほうれんぐぶ)の任にもあたった。
他の一般師団と異なり、禁闕守護の任から衛戍地こそ東京なものの、連隊区といった特定地域からの徴兵によるのではなく全国から選抜された兵によって充足されており、近衛兵になることは大変な名誉であった。
帝国陸軍における軍隊符号はGD(一般師団はD)。太平洋戦争(大東亜戦争)中後期には編制の改編が行われ、最終的には近衛第1師団 (1GD)・近衛第2師団 (2GD)・近衛第3師団 (3GD) の3個近衛師団が編成された。

政府は「天皇の警護」を名目に薩長土の3藩から約1万人の献兵を受け、政府直属の軍隊である御親兵を創設し、この軍事力を背景に廃藩置県を断行した。この御親兵は、1872年(明治5年)に近衛都督西郷隆盛を中心とした近衛兵として改組され、「天皇および宮城(皇居)の守護」という任務が課せられたのが始まりである。
近衛師団は第二次世界大戦終結による帝国陸軍の解散まで各戦争・事変・紛争に従軍し、出征中の近衛師団に代わって天皇及び宮城の警護に当たった近衛師団は留守近衛師団とされた。初期は留守近衛連隊が、のちには近衛歩兵第6連隊などがそれにあたる。
終戦時には近衛連隊でも軍旗奉焼・復員が行われた。一部の将兵は禁衛府皇宮衛士総隊に移ったが、禁衛府解体に伴い完全に消滅した。
なお、近衛師団司令部庁舎は現在、東京国立近代美術館工芸館となっている。

1910年(明治43年)に建設された大日本帝国陸軍の近衛師団司令部庁舎を改修し、1977年(昭和52年)11月14日に開館。建物は1972年(昭和47年)に重要文化財に指定されている(玄関広間部分を除く内装は指定対象外)。染織・陶磁・ガラス・漆工・木竹工・金工などの工芸、および工業デザインに関する常設展と企画展を開催する分館で、戦後を中心とする国内外の作品約2400点が収蔵されている。
残念ながら内部は大規模改修され、中央階段付近しか当時の面影を見る事は出来なかった、収蔵品も戦争関係の物は一切無い。
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横浜から1号線をひた走る
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M26パーシング戦車が正面に見える(特別展望台から上に約80台の戦車を潰して使っている)
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ホワイトハウスが見えて来た
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北の丸公園到着(駐車場待ち30分)
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東京にしてはかなり安い
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首都高に向って歩いて行く
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工芸館前にある銅像
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北白川宮能久親王銅像
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工芸館
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何故かこの日は無料だった
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では、侵入しよう
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初夏の日差しに映える煉瓦
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縁の下にぐるりと巡らされる通気孔
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陸軍の星を象る
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外観は殆んどいじられていない様だ
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まずは、裏側にまわる
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雨どいの配水管が面白い
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オリジナルのままだろう
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ごみが詰まらない様に、開ける事が出来る
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見上げると、もっと曲がっていた
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窓枠も木製
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鉄格子はオリジナルなのだろうか?
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屋根にはいろいろ生えている
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バナナ?
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煙突?
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池側に通用門があった
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おそらくオリジナルだろう
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ぐるっとまわって表に出た
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煉瓦に漆喰が生える
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煉瓦建築はやっぱりいい
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なんか落ちてる
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せっかくの建物なのに、ヘンなオブジェがぶち壊しにしている
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それでは内部に侵入する
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入り口は以外に狭い
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当時の受付なのか
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内部は殆んど近代化改装を受けている
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木造装飾は元のまま
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鉄格子とコインロッカー
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火災報知機
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割りと傷ついている
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踊り場
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レトロなシャンデリア
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二階のホール、これより先見るもの無し、改装済み
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玄関ホール内側
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このぐらい離れないと全景がむずかしい
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こうして見ると、模型の様でもある

大井海軍航空隊地下壕 (大沢原地区)その2

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特にスゴイ水没は入り口付近だけだった
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水底には支保工ゴロゴロ
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2X2の部屋
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上陸
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上陸地点から左に枝抗が伸びている
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スロープの様に見えるのは、ただのトロッコのレール跡である
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次の枝抗、大きくうねっている
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さらに真っ直ぐ進む
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少し段差の付いた枝抗
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この枝抗は特にキレイだ
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今度は右に枝坑が出てきた
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本通路自体は貫通せず終了、掘りかけの様だ
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右の枝坑に行く
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ちょっとぬかるんだ通路を進む
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そして、残念な終焉
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下層につづく道は水没していた
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仕方なく引き返す、通路の形はすごくいい
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本坑に戻って来た
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なぜかこの辺だけ丸まった石が敷き詰められている、川から拾って来たように角が無い石
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錆びきった鎹
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天井が斜めなせいで、平衡感覚が狂いそう、地層に沿って掘ったのだろう
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これは枝抗から枝抗を繋ぐ、真ん中の通路、田の字のような構造
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横の枝抗が急に小さく狭くなる
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沢蟹が歩いている
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突き当りが見えてきた、T字に折れて本通路になる
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壁の発破穴
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支保工の溝
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釘の生えた木材
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きっと、これが壁にでも付いていたのだろう
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トロッコ跡がしっかりと残っている
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小さな小瓶が落ちていた、ビンマニアのとのさんが持って帰ろうか、葛藤していた
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本坑右奥に進む
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トロッコの枕木が数本残っている
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レールを止める釘も見える
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突き当たりは右に折れる、側溝もしっかりしている
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しかし、掘削途中で終わっている
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最深部から壕口を眺める、先に光が見えるがメンバーのライトだった
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この辺の天井はごっそり無くなっているが、下に土砂は無い、掘削中の落盤だったのだろう
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壕口近くはまた水没、レールの枕木も見える
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2つ目の壕口も水没状態
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横の枝抗に行く
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小森さん
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横抗の部屋
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三つ目の壕口(実は三本の真ん中の壕口)は、水没を免れている
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外の状況はあまり良くない
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横抗を進む
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横抗の接続通路、若干ずらしてある
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天井にある鎹と不明な穴
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この辺の天井は結構高い
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ビロードのビンが落ちていた
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撮影に熱中する空母氏
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足元に、人工的に掘られた四角い穴、なんだろう?通路の真ん中に
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天井に、鏨が3本打ち込まれたままの所があった
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こうやって地層に沿って剥がすように掘っていたのだろう、けっこう怖いのではないか?
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最初の壕口に戻って来た
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壕内との温度差でレンズが曇る
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さぁ~戻るのが大変だ
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沢を上がり不要になったウエイダーを脱ぐ(自分はすでに着替え終わっている)
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ザイルを握り、登ってくるメンバー、自分は別の斜面から先回りした
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道は歩くものと思うな!よく言ったものだ
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メンバーが登って来るまで、周辺捜索すると塹壕があった
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1mほどの深さの塹壕が埋まらず残っている
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3m四方ぐらいの空間が掘ってある、半地下倉庫でもあったのか?
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もっと深い物もあったが、水が溜まっていた
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今回の探索終了
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後は横浜へと突っ走るのみ(とのさんが!)


大井海軍航空隊地下壕 (大沢原地区)その1

大井海軍航空隊地下壕は西に沢水加、北に大沢原、東に三栗原と3本あり、指令部壕へと三方向より繋げる予定だったが終戦により、掘削途中で放棄された壕である。
この壕に関しては殆んど情報が無い、未完成と言う事もあり、公的には無視されているが、沢水加の壕が大学の地震観測に使われていた事がある件のみが、一部に知られているのみである。
しかし、静岡県の戦跡探索の大家である「空母欲奈」氏によって、3ヶ所ともに場所が明らかになった
氏の護厚意により、今回は大沢原地区に御案内願った。
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大沢原地区に到着
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電探講堂と言われる建物
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ザイルを準備するとのさん
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軽く40度を越える所もある傾斜を降りる
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まず、最初の壕口を発見
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頭の上に今にも落ちそうな丸太があるが黙っておこう
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ぱっと見、良さそうな壕だった
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空母氏も入ってくる
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しかし、右に曲がってスグに水没! これはどうしょもない
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名残惜しそうに見つめる空母氏
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あきらめて出ようとしたとき
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S20年4月ココニネムル・・・・なんてステキな落書き
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次の壕に向う、こちらも水没だが逝けそうだ
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壁には電気の碍子を付けていた跡がある
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それでは早速突入する(突入時は何故かいつも一人)
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ズリ山が残っている
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水音がする方に行って見ると
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壕口から止め処も無く水が滴っていた、この壕の水没原因であった
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戻ってズリ山を左に行く
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かなり水蒸気が立ち込める
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生息室と思われる部屋
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壕は先へ延びる
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かるくうねりながら延びて行く
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水面下には支保の丸太が転がっている
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とりあえず、最深部の部屋
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足元には当時の何かが沈んでいる
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とりあえず安全が確認出来たので、メンバーを呼びに行く
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着替え終わったメンバーが、続々入って来る
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入り口近くの碍子板
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海砂を含んだ土壌、掘り易いがあまり強度は無い
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深いところで水深約1mほど
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天井の崩れた所だけ、浅くなっている
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炎天下の水没壕は冷たくて気持ちがいい物だ
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壁に有る小さな穴に波が建つとポコポコ音がしておもしろい(たとえダイナマイトを入れる穴でも)
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思い思いに撮影をして行く
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ほぼ真四角な穴が開いている、なんだろう
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水面下にあった、70年前の柱
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太陽の眩しい先ほどの壕口
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外部からはほとんど判らない
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そろそろ次に行こう
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少し離れると、完全に壕口はカムフラージュされる
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沢に降りてしばらく行軍する
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次なる壕口到着
DSC08700_R - コピー
メンバーはまだ沢から上がってこない
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では、お先に
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すでに水没に何も感じなくなっている
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むしろ、冷たくて気持ちいい、水圧の締め付けがまた何とも
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水面下にはまたもや支保工が沈む
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生息室

続きは次回



海上保安庁 ひりゆう型消防船(ヨコハマスパークリングトワイライト2014)

老朽化した先代のひりゆう型消防船を更新するために設計・建造された消防船。大型タンカーやLNG船等の大規模火災に対応できる装備を有する。平時においては、危険物搭載船の警戒業務、通常の警備救難業務に従事する。

船型は先代のアウトラインを踏襲しており、大型船の火災に際し高所からの放水が可能なように、最大高が27mに達する伸縮式の放水塔を装備する。また、復元性、放水時の船体の安定、甲板面積を確保するために、船体は双胴式を採用している。運動性の向上のため、シュラウド・リング式旋回式可変ピッチ・プロペラを採用しているが、これは同庁船艇としては初めてのことであった。
横浜港では良く見かける船であるが、見学らしい見学はされる事が無いようだ、しかし、イベント事には良く参加する
今日たまたまイベントで見かけたので、外観のみだが紹介する。
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山下公園にひりゅうがいる
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海保のヘリもしきりに飛び回っている
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米軍基地
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それは唐突に始まった
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ヨコハマスパークリングトワイライト2014の海難レスキューデモである
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船が動かないので、面白みにかける
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終わるのも唐突だった(下に動画を貼っておく)
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海上保安庁の観閲式に参加した時
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この時はカラフルだった
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この船だけ勢いが違う
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消火訓練展示
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良く見るけど、乗れない
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わりとここにいる
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いつかは乗りたい

おまけ
ヨコハマスパークリングトワイライトの花火を見た、考えて見たら花火の写真を撮るの初めてだった!
以外に難しい、タイミングが合わない、雨が降って来た、雷もなっている、でも花火やった
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1930の花火開始までジュエリーポートを見ながら待つ
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電飾の民間船だ
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花火が始まった、しかし雨も降って来た
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やばい、雷雨がひどくなって来た
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オーブが出まくって写真にならないので撤収する




中島飛行機原谷地下工場(6工区&4工区)

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次なる壕に向う
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そこそこしっかりしてる壕だと思ったが
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奥の方はしっかり落ちている
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横抗か?
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掘りかけのようだ
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行き止まりなので、戻る
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藪を掻き分けて今回最後の穴へ
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ちょっと塞がりぎみの壕口
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入れなくは無い
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ちょっと構造が変わっている
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森永ネクター?(不二家以外始めて見た)
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天井を見るとカマド馬が字を書いている
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良く見るとあちこちにある、ランプの煤で書いてあるようだ(やるなカマド馬)
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多くの朝鮮人労働者が工事に徴用されて来たそうだ
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判別できる文字は少ない
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なんか相合傘にしか見えないのだが、相合傘っていつ頃から落書きになってるんだろう?
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奥の方まで落書きはあった
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最後に前回スルーした壕に寄る
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天井がけっこう落ちている
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奥にT字に横抗がある
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右は外から土砂が入っているようだ
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右の枝抗から左の枝抗を望む
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では、向こうに行こう
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足元の壁にいくつも穴が開いている
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掘り易い砂岩質の壁
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もろくも剥がれ落ちて来ている
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隣の本坑の出ると、すごい湿気だ
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足元に気色悪い人形が・・・
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戦車?
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壕口から過去にゴミ投げ放題だったんだろう
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拳銃も
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アメ車も捨ててあった
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怪物くん
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なぞ物件
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第4工区に移動する
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道路沿いの開口部は封鎖されている
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入り口付近だけ広くなっている、広げている途中だったのか
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若干低い通路
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横抗で、二本の壕がU字に繋がっている
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なんだろうこの窪み
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ここだけ広くなっている
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こっちの入り口も広げている途中のようだ
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カマド馬びっちり
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DAIDOで、しるこなんて出してたんだ
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空母氏が何かをやっている
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壁を見ると貝の化石だ
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なんかそこら中貝だらけ
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・・・・・・なんかなつかしい落書き
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他にも何ヶ所かあるのだが封鎖されている
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覗いてみる
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多分繋がっている穴
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基本構造は一緒だろう
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次があるので、中島飛行機原谷地下工場を後にする
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お昼タイムだ
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今回も戦闘糧食Ⅱ型を持って来た、興味深々の空母氏
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パッケージを開け、説明をする
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一番右が自分の袋、やっぱり多少のコツがいる(単なる慣れ?)
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20分後、お食事を食べる、陸自の飯は世界一だと思う(レーションでは)
なぜフツーに道の駅のご飯を食べないか?
フツーじゃつまらないだろう!

中島飛行機原谷地下工場(6工区)

静岡県掛川にある中島飛行機原谷地下工場に行って来た
1945年春より中島飛行機浜松工場の疎開工場として工事が始まり、マルハ工事、マルハ工場などと言われた
工事を請け負ったのは清水組、勝呂組を中心にその下請けなどで100本にも及ぶ壕が掘られた
家代の1工区から3工区までを勝呂組、遊家の5.6工区と本郷の6工区を清水組が請け負った
この工事は多くの朝鮮人が使われ、各地に飯場が作られ、近年まで一部残っていた。
今回は静岡県にこの人ありと言われた、戦跡探索の大家「廃墟日常記録帳」の空母欲奈氏に案内してもらった
本郷と遊家の4~6工区が現存しており家代の1~3工区はゴルフ場建設で亡くなったとされている
今回は時間の関係で4.6工区の一部のみ見て来たが、空母氏は単独調査により5工区含む全ての壕を調査中である
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小雨の降る横浜を前日の夜に怪しい集団が出発する
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日付けの変わる頃、宿泊予定地に到着
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今回は下道で来たので、S.Aの外ぷらっとパークに駐車する
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前日までの雨も上がり、探索日和となった
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地元空母氏と合流し、探索準備に入る
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今回はこの6工区の手前部分を探索する
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まずは谷戸の入り口に位置する所を入らずに見る
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真四角の部屋、衛所だろう
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この谷戸の両側に壕が掘られている
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最初の壕、後の楽しみにスルーする
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2つ目の壕
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三角オムスビ型
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反対側に抜けていた
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元の入り口に戻って来たが
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足元に何かある
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まるで車が埋まっている様だ
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3つ目の壕
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天井の形は三角がここの基本の様だ、光は見えるが埋没している
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入り口も埋没している所があるので、最早正確な本数把握は把握できそうも無い
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楽に入れそうな所だけ入って行く
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自分と空母氏のみ侵入
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中は今までよりも広い
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墓標の様な公的調査の跡
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珍しく枝坑がある
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しかし、外側から土砂流入
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已む無く引き返すと
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潜り込んで来た入り口の上に富士山が描かれている
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総火演のこれを思い出した
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この壕は地元民の通路として現在も使用されているが、この艦番は・・・・・
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奥に行くほど広くなる(人物比空母欲奈氏)
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出口付近は5mぐらいありそうだ
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風化が進み、薄皮を剥がすように日々崩落しているようだ
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入り口横の小壕も埋まっている
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通行人が居るので、落書きも多い、ここで不思議な現象が起こった
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メンバーがみんなこの写真を何枚も撮ったのだが、それぞれ1枚もしくは全て失われている不思議な地蔵様
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開口部はこんなに広がっている、入り口の倍ぐらい
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フェンス沿いに行けばすぐに民家である
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今度は谷戸の反対側に向う
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梅雨時期でだいぶ緑が繁ってきている
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以外に整然としている壕内
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見た事も無い飲み物
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入り口を振り返る、崩落防止に肉厚になっているのが判る
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壁に支保工の木材を立てた跡がはっきりと残る
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岩が硬く、掘り出せなかったのだろう
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奥は1mほど高くなって、T字になっている
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左方向、派手に天井が落ちている
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そこに大量の小森さんが生息している
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右方向、ここに今回自分が呼ばれた原因がある
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中央にぽっかりと空いた穴
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降りて調べて来いと・・・
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八丈島から帰ったばかりの自分にはこんなぬるい穴など何でも無い、躊躇無く飛び降りる
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しかし、5分待っても後続は来ない、やっと空母氏のみ降りて来た
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中は非常にキレイだが湿気が高く、小森さんが飛び回る
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かすがいが落ちている
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壁には釘が刺さっている、ツルハシの跡が少ないので、かなり掘り易い地層なのだろう
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僅かながら開口している
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壕口から振り返ると湿気を除けば、一番いい状態ではないだろうかと思う
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穴から戻って来た(人物比yakumo)
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錆びた拳銃が埋まっていた
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この辺の地層は海砂を含むようだ
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壕を出て、さっきの下層の壕口を探したが、ちょっと入れそうも無い


戦闘糧食Ⅱ型(パック飯)その3

だいぶ最近は新種の戦闘糧食Ⅱ型(パック飯)が増えてきたので、追加する
待遇改善や、栄養管理に伴い地味に各メーカーとメニューの改善、洋風化が進んでいる
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今までの簡易加熱袋
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ただ上の方を折るだけで、気が付くと折ったはずの所から圧力で開封し、蒸気が漏れている事が有った
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新型チャック付き、いくつかサイズがある様だ
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基本的な使い方は変わらない
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チャックのおかげで、うっかり倒してお湯が出てしまった何てこともほぼ無い
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パッケージが従来は戦闘糧食Ⅱ型で統一されていたが
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最近は本来の正式呼称である、非常用糧食の名前に一部変更されている(中身は変わらない)
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ウインナーカレー
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白米2つ
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ウインナーカレーと炭焼きチキン
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ウインナー2つ、チキンは骨ごと食える
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かつおカレー煮
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白米と五目飯
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かつおカレー煮
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ほぐしてあるので、ツナカレーみたい
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さば味噌煮
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白米と山菜飯
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さば味噌煮
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汁がもう少し欲しい
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さんま蒲焼
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白米2つ
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さんま蒲焼と海苔
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めちゃうまい
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ビーフシチュー
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白米2つ
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ビーフシチューと海苔(塩味で美味いんだが、海苔必要か?)
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ほくほくジャガイモ美味い
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やきとり
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白米と五目飯
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やきとり
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たれが美味い
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五目飯
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鶏肉と大豆煮(これは変り種)
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パック飯が出来た頃のしぼり出し飯、これはこれで手が汚れてたり、歩きながらでも握ってしぼり出して食えた
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鶏肉と大豆煮とトレー
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これは好みが分かれると思う
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最近は支給される民生品も種類が豊富だ
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かえってこっちの方が美味かったりする
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さんま美味い!
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おいしい戦闘糧食すき焼きハンバーグ食ってみた(これは民間向け販売されている)
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加熱袋とトレイ
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加熱用水と加熱剤(はっきりいって水道水でOKだが、水が出ない災害時用)
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ごはんと具
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加熱剤を過熱袋の底にひく
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パックを縦に入れて加熱用水をかける
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加熱剤が湿気ていると、加熱反応に5分ほど掛かる時もある
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ほかほかで美味しいのだが、1食千円はちょっと高いかな
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三沢基地限定カレー
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味は三種類
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パッケージもちょっと凝っている
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でもフツーのレトルトだ
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板妻駐屯地のPXで買ってきた
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防人のハヤシ
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防人の誉れカレー(もう一つあったが、甘口カレーなのでやめた)

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懐かしい物が出て来たので紹介する
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いわゆる民間で言う固形燃料だ(種類はいくつかある)
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本体
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外カバー兼スタンド
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火口調整用内蓋
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白色の固形燃料
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火力を絞りたい時は内蓋をのせる
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空気が通るように外カバーを乗せる
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爪を立ててスタンドにする(風除けにもなる)
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今時は使わないだろう
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ヤマザキパンは海軍がすきな様だ(新ネタ)

関連記事
戦闘糧食Ⅱ型(パック飯)その1

戦闘糧食Ⅱ型(パック飯)その2

戦闘糧食Ⅰ型(カンメシ)

東富士演習場に眠る旧陸軍観的壕

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ここは自衛隊敷地内であり、立ち入り及び撮影は禁止されている、自分は警備に許可を受けて立ち入っている
写ってはいけない施設等あり、立会いの下撮影している、なを、巧妙に監視カメラも設置されているので注意
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さっそくザクに向う
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東富士演習場方向にスリットが開いている
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側面に入り口はある
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外壁を先に作り、内壁は後から付けた様だ、微妙に違う
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入り口部、全体の1/4程度が仕切られている
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かなり細いが、鉄筋入りコンクリート
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観測室ほぼ全景、これ以上右は撮影禁止施設が映る
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所々には意図的な破壊の跡があるが、米軍による物か金属ドロか不明
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真ん中の柱、鉄骨が切り取られている
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演習場側には破壊痕がある
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スリットから演習場方向を望む
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駒門方向
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スリットの下側に突起の跡がある
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ここに机状の棚があり、記録などを執ったのだろう
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これは静岡の陸軍遠江射場の観的スリットだ
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こんな感じの物があったのだろう、ちなみに千葉の富津射撃場には見られない
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破壊された外縁部の鉄骨も切り取られている
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よくもこの分厚いコンクリートを壊したものだ
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上部も切られている
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この辺は公的調査だと思う
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入り口構造
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破壊されているせいで、よりザクっぽい
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別の場所に移動する
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半地下式の観的だ
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各方向に観測窓が開いている
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ここから見る山並みは70年経っても変わらないだろう
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入り口
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上部には木造の櫓でもあったのか?ボルトなどの金属の跡は一切無い(号令台?)
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少し演習場内をふらつくと
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鉄塔跡が残っている、櫓なのか、無線塔なのかは不明
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鉄骨の花が咲いている

今日はtonotama氏からのネタがあり、調査に行った(本人はバーベキューに行った)
ここには横須賀では、単体の壕としては最大級の1.6Kmの壕が眠っている、その抜き穴のようなのだ
しかし、難易度は非常に高く、通常レベルでは不可能と判断した、危険なので壕口のみの紹介とする
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まずは、のっけから垂直に近いドロだらけでふんばりが効かない斜壕(近寄るだけで危険)
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持参したロープを手繰り、降下して行く
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途中の切れ間に、キレイに作られた階段が見えた、これだけでその辺の倉庫壕等ではなく、それなりの施設だと伺える
すでに20mのロープを使い切り、後は自力降下となる、見ての通りドロと水が多く滑る、更に先は土砂が溜まり背中を擦りながら進むようになる、紹介出来るのはここまでだ、あとはいずれ探索の納得がいったら紹介するかもしれない。

富士学校、富士駐屯地開設60周年記念行事 その5(資料館)

何回もいった富士学校だが、UPは今回が初めてだったとやっと気づいた
と言う事で、資料館も揚げて置くがこれは数年前の展示で24年に改築されているので、外観はちょっと変わっている
展示物自体はそんなに変わってないので、26年度は入らなかったが過去画像を揚げて置く
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23年当時の資料館、場所は変わらない
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富士学校のシンボル像「三人像」
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改装後の「三人像」
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まずは旧軍展示物(あまり無い)
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ここから自衛隊資料
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ここから改装後の増えた物変わった物
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個人所有の補弾板(30連発)、これがここに入る
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裏側、発掘品なので多少ボロだ
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爪が交互に生えていて、ここに7.7mm弾を差し込む
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1発入れて見た
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屋外に出る
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乃木大将歌碑
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こんなに状態がいい38野砲なのに野晒しはむごい
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建物の影に何か隠れている
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ちょっと古めの近代火砲が3基
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なぜこんな所に隠しているのだろう
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一部ヘリポートの展示物とダブっている

富士学校、富士駐屯地開設60周年記念行事 その4

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訓練展示が終わり、速攻で装輪装甲車の体験試乗に向う、あっという間に後には長蛇の列
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前の道路を訓練展示を終えた車両等が帰っていく
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203mm自走榴弾砲、旗を振って答えている
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99式弾薬供給車
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人型
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FH-70
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82式指揮通信車
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ヘリも地上展示の為、広場に移動
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1300やっと体験試乗開始、4台で7人ずつ計28人で回る
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僅か4分ほどで帰って来る
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やっと順番が回って来た
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毎年ここだけは撮影禁止、楽しみ半減な感じ(車両前での記念撮影も禁止)
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当然画像無し、逝って来ます!
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これはレアな、施設作業車
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小型ショベルドーザ
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次の戦場に向う
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装備品展示会場
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150mm自走榴弾砲
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地雷原処理車
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81mm迫撃砲
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120mm迫撃砲
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89式装甲戦闘車
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203mm自走榴弾砲
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の、おしり
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多連装ロケットシステム(本来米のクラスター爆弾投射機なのだが、日本は使用禁止だ)
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の、おしり
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87式対戦車誘導弾(肩に担いで撃つ事も可能)
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96式装輪装甲車
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87式偵察警戒車
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軽装甲機動車
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OH-1観測ヘリコプター
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AH-1S対戦車ヘリコプター
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UH-1J多用途ヘリコプター
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KLX250
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74式戦車
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90式戦車
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なんとベニヤに絵を描いて貼ってある
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10式戦車
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中距離多目的誘導弾
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の、おしり
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91式戦車橋
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50tの90式戦車に対応する為に作られた1両5億円の車両
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継ぎ目部分、このレールに沿って押し出される
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訓練展示で89式装甲戦闘車が通った跡
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戦車試乗を覗く
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この辺で90式に乗るには、ここか土浦駐屯地、霞ヶ浦駐屯地程度かな?
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90式は大きいので一度に10人程度乗れる
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ここでも地元優先ルートがある(静岡は地元意識が他より濃い気がする)
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地上展示会場を後にする
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厚生センターに立ち寄る
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お土産物色
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シャトルバスで駐車場へ
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さぁ横浜へ帰ろう


富士学校、富士駐屯地開設60周年記念行事 その3

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敵陣地に狼煙が上がり、状況説明が始まる
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OH-1による敵情観測
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UH-1Jによるヘリボーン
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斥候隊班降下
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4人は敵情偵察へ消えて行く(そして二度と戻らなかった)
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尊い犠牲を出しながらヘリは去って行く
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更なる敵情を探る為、偵察隊突入!まずはKLX隊
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敵の斥候と接触,戦闘へ
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87式偵察警戒車投入
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敵の準備が不十分との報告
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敵の戦車が登場
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AH-1の対戦車戦闘
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対戦車ロケット発射!
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弾着!
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特科部隊の進入
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FH-70及び203mm自走榴弾砲
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発射準備完了
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攻撃準備射撃開始!
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弾ちゃーく、今!
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90式戦車登場
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91式戦車橋も侵入
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120mm滑空砲の空砲は迫力無い
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92式地雷原処理車DSC09522_R_2014070920052774b.jpg
ここでのロケット兵器の使用は禁止なのでふりだけ!
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用が終わったら帰る
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支援射撃!
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いま!
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ここで、10式戦車投入
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前線の90式もしきりに発砲
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敵戦車の反撃
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96式装輪装甲車の被弾
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負傷者に応急処置を施す
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悪い事をしたなと、発砲もせずに見守る敵戦車、いい奴だ
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救助に駆けつけた装輪に負傷者を乗せ離脱、被弾した車両はそのまま戦闘継続
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その間、奥の方で地味にがんばっていた、91式戦車橋を見てみよう
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90式戦車(50t)が通れるように74式戦車をベースに新たに作られた
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1両5億円なり
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敷設完了
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戦闘再開
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発砲炎がまず見えない、74式がいい
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突撃支援射撃!
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普通科の下車戦闘が始まる(左端)
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突撃支援射撃弾ちゃーく
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90式の為に作った戦車橋を89式装甲戦闘車が渡る
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渡ってる中に全車突撃
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戦車は基本横が見えないので、こうゆうのは苦手
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状況終了!
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上空をヘリが飛び抜けていく
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今年も楽しませてくれてありがとう!!


富士学校、富士駐屯地開設60周年記念行事 その2

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校長
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校長に敬礼
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この頃になると、スタンド超満員状態
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執行者臨場
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執行者に栄誉礼
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国旗掲揚
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巡閲
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この後、延々と来賓祝辞等が続く
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式典が終わり、観閲行進準備がかかる
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左右に別れ、車両等準備にかかる
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普通科はグランド外へ機甲科は戦車に乗車する
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74式の乗車
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トラック等の乗車は早い
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執行者登壇、富士学校音楽隊入場
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一斉にライト点灯、エンジンを始動する
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10式90式は始動後すぐに排煙が見えなくなる
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準備完了
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端の方から、順次移動して行く
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74式が排煙に咽び、勇ましく見える
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音楽隊の演奏が始まる
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先頭は82式指揮通信車
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96式多目的誘導弾システム等がつづく
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偵察隊DSC09398_R_20140707201318d18.jpg
87式偵察警戒車
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89式装甲戦闘車
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軽装甲機動車
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96式装輪装甲車
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73式小型トラック無反動砲搭載車
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93式近距離地対空誘導弾
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120mm重迫撃砲
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FH-70
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99式自走155mm榴弾砲
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99式弾薬供給車(榴弾90発積めるしかも自動給弾可能)
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203mm自走榴弾砲
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87式砲側弾薬車DSC09442_R_20140707212615318.jpg
この辺の施設科は判らん
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88式地対艦誘導弾
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その他車両
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81式 自走架柱橋
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92式 地雷原処理車
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91式 戦車橋
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すごい所で顔を出している
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10式戦車
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90式戦車
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74式戦車
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最後の74式戦車が通過すると
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観閲行進終了が宣言される
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全ての車両は撤収する、訓練展示に向けた裏方の仕事が始まる
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国旗降下を敬礼で見守る(影でそっぽを向いている制服組もいる)
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訓練展示までの間、音楽隊の演奏を聞く





次回訓練展示
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富士学校、富士駐屯地開設60周年記念行事 その1

26年7月6日に行われた、富士学校、富士駐屯地開設60周年記念行事に行って来た
もう何回目の富士学校だか判らないので、部分的に端折りながらやって行く。
朝はゆっくり0630に横浜を出発した、開放時間は0830だ、楽勝!
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コンビニで朝飯食いながら、0740には御殿場到着
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富士山、天気はいま一つだが、ピーカンよりマシだ
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海苔川入り口に向うが入れてくれない、正面ゲートに向うも満車でまた戻って来る事になった、タイムロスだ
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0814駐車場到着
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まだガラガラだ
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バス発着場、0830の開放時間までバスは出発しない
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あっという間に長蛇の列が出来上がる
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約0840にやっと順番が来た、すでに駐車場待ち渋滞が延々とつづいていた
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お店の物色は後にする
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取りあえずは戦車体験試乗だ、チケットを奪取せねば!
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今回の抽選は(前は三角くじ)、グランドを回りながら当たるまで何週でもエンドレスな所は一緒だが、小中学生コース(保護者含み)が新設され、一般は一人1回づつの所、3回一度に出来るようになった。
ちなみに、当たり1つで最大4人まで権利がある(一人でも可)、大人一人は果てしなく不利だ
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五列ほどでこれを回し、赤球が出れば当たりだ、今回は4周で見切りを付けた、やたら人手が多いし正門近くまで伸びた列の最後尾まで行ってられない、式典の場所取りもしなくては
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準備が整うまでまだ時間がある
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ふれあい広場(ヘリポート)に行く
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客寄せ戦車
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広場展示車両、前にも挙げているので写真のみで流す
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ヒトマルが増えていた
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既に車両はスタンバイOK
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今回はこんなポジションでやってみる(傾斜地で10分ぐらいで何組も諦めて去って行く、異様に滑る)
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これだけの戦車が並ぶのはそうそう無い
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74式戦車
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90式戦車
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10式戦車
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いつもはこの辺に居る、時間前だが概ね塞がっている、ちなみにここは地元民優先席なのだ
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式典準備が始まる
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車両の陰からわらわらと出てくる
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あっとゆう間に数百人
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巨大な砲の前に並ぶと人は小さい
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整列完了、式典が始まる


「廃墟」八丈島 ホテルオリエンタルリゾート2

今回もついでに寄って来てしまった八丈島 ホテルオリエンタルリゾート!
映画「トリック」で使われたと言う方の玄関を見ていなかったので、30分と言うカセを付けて寄る事にする
でないと、肝心の戦跡の探索時間が無くなる。
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前回は海側から入ったので、今回はこの山側からおじゃまする
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彫像風コンクリート飾は同じ様なものだった
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さっそく内部へ
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下のフロアはゲーム、カラオケBOXだ
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誰も居ない厨房
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妙に小奇麗な扉に入る
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かつては賑わっただろう遊技場
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たった一部屋だけのカラオケルーム、20席以上で1台のマシーンの取り合いだっただろう
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薄日の差し込むプレイルーム
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物言わぬ人形達だけが残っている子供広場
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上の階のレストラン
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以外に席が少ない
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部屋の中よりにキッチンカウンターがある
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テーブルには、まだ客を待っているナプキンが
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立食バイキングだったのだろうか、機材がシートを被っている
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事務室、金庫の扉は破壊されている(入ってるはず無いのに)
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本館方向に向う
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信じられないが風呂場(青いタイルが少し見えるだろう)
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客の居ないお土産屋
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絵葉書が貼ってある
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淋しそうに残るパンフレット、一部シールなどの商品が残っている
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バーラウンジの様な所
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バーテンの居ないカウンター
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1階エントランスはプーさん居住区になっている
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正面入り口だった所、今はごみ溜めだ
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フロント、このホテルは不思議と落書きが見当たらない、プーさんがガーディアンになっているのか?
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この辺だけ見ると、スグにでも営業出来そうだ
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御案内
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僅か数年で天井の梁が風化して崩れている
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客室、壁をはじめ至る所が腐っている
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この部屋は特に酷かった
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しかし、こんな部屋もある
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洋室、灰皿には吸殻があり、根城にしている人が居るようだ
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電気の消えた階段
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お食事処
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泊り客用だろう風呂
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まずは、殿
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シンプルに小奇麗
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オブジェ・・・ナベがいい
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サウナ付きの風呂
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姫にも行く
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整然としている
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オブジェ無し
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外に出るともう1棟有ったが時間切れだ
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これが見たくて訪れた
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錆びて穴の空いた営業車、この付近に4,5台捨ててある
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さっき内側から見た玄関、硬く閉ざされている
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機会があれば、向こうも見てみたいが今回は無理だ
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ラストショット

横浜こどもの国見学会「歴史をたずねて」その2

26年8月10(日) 「歴史をたずねて」 (雨天中止)
集合時間:10時30分 集合場所:正面入口広場
こどもの国は旧陸軍の弾薬庫跡地で、現在でも当時のものが残されています。
持ち物:懐中電灯、虫除け、汗拭きタオル、飲み物
※園内を歩いてまわるので、暑さ対策をしてご参加ください。
こどもの国H.Pにて、上記記載がありました、興味のある方はどうぞ!
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弾薬庫の途中から始める
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角部分なども丁寧に作ってある
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天井の内屋根を付けていた木材
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換気口の下側に、金属が残っている
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ギリギリでぶら下がっている電球
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落ちてしまっている電球、銘柄は見えなかった
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組み立て前の薬莢なので、弾尾に信管が付く穴が開いている、同じ38mmでも野砲、機関砲など用途により薬莢サイズは違ってくる、同じ38mm砲でも弾薬の互換性が無かったりする
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個人所有の38mm砲弾、短い物だ(参考38式小銃弾)P1030033.jpg
海軍の25mm機関砲弾と比べてみる
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1904年製、海軍マークがある
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弾頭のおしりにもマーク
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弾頭にもいろいろ種類が有る、右は参考の日露戦争時の25mm弾頭
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ちょっと刻印は確認出来なかった
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弾薬庫の見学終了
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こっちは対になっている出入り口
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弾薬庫平面図
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先に弾薬庫を作り、上から盛り土をして作ってある(掘った訳ではない)、現在でもその作り方は大差無い
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これが当時の弾薬庫入り口(奥はプール前の給水場、位置は今の給水場と同じ)
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この辺の弾薬庫は人工湖に沈んでいるが、一部ボートに乗っていると水没した入り口が見える所がある
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見学したのは真ん中左側辺の弾薬庫だろう、弾薬庫だらけなのが判る写真だ
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写真中央の見えている弾薬庫
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第二トンネル前の弾薬庫と、赤ぽっぽ
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第二トンネル(当時物)
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近年大分補修を受けている様だ、白い所は近代コンクリート補修(入り口外縁を含む)
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最終地点「平和の碑」
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簡単に言うと、自分が当時作った砲弾で、他人を傷つけて仕舞ったのではないかと、後悔と自責の念に駆られた、こんな事が無い様に平和を心から願うと言う内容の碑
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この場所は女子学生休憩所跡地で、ここで働いていた方が「田奈の森」なる当時を書き記した本を書き、収益の一部を碑建立に寄付されたそうだ、地面にはコンクリートの地盤が今でも残っている。

田奈の森―学徒勤労動員の記 [単行本] MARCデータベースより(沖縄の少女が自決に使った手榴弾。それはもしかしたら、私が造ったものかもしれない。学徒勤労動員として、田奈の森にある秘密の弾丸工場で来る日も来る日も弾丸をつくっていた当時のことを、鮮明につづる。)
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中央上が引込線ホーム、公園外に各種学校及び寮があった様だ
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こどもの国開園時の古地図、引込線の記載が残っている、四角い枠がホームのあった場所
左の引込線は現在のこどもの国線、右の分岐は廃線となり宅地化に消えるが、ガーター橋や線路の一部が残っている所が近年までは確認されているが、現在は不明


横浜こどもの国見学会「歴史をたずねて」その1

横浜こどもの国では、年に1回戦時中の「東京陸軍兵器補給廠、田奈部隊」の戦跡見学会を行っている。
例年は8月だったと思うが、今回は6月29日(日)に行われた、気温的高齢者配慮だそうだ
入園料だけで、基本無料で申し込み不要、現地10時半集合、懐中電灯持参程度のお手軽さだ
行程は1時間半、内周道路2,4kmだが8月ではやはりつらい物があるだろう、お年寄りには・・・・
もしかすると、8月にも終戦記念等で行われるかもしれないので、興味がある人はH.Pチェックを!
園内戦跡に於ける概要は以前紹介しているので細かい説明は省き、見学に沿って紹介する
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駐車場確保の為、0930の開園時間に到着、先に少し時間まで戦跡を回る
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これが弾薬庫出入り口、現在は半数ほど動力室や物置として改修ご使用している
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弾薬庫はコの字型をしているので、出入り口は2ヶ所ずつある
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ちょっと山中に登ると遊歩道沿いにも見やすい換気口がある
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しかし、見学コースには含まれない
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椿の森E地区には高射砲台座と言われる物がある(これも見学コースに含まれない)
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人の腰の高さぐらい有る
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直に憑けていたのではなく、四隅の台座に櫓を組んでいたようだ
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金属の切り取られた跡となんか跡が着いている
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資料写真の中には有ったのだが、説明等は無かった、当時資料が無く確証が無いのだろう、避雷針や無線電波塔、監視哨の可能性も捨て切れない
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時間になったので、集合場所に向う、コースはザックリこんな感じ
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資料と薬莢が配布される(うそ、資料だけ)
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38mm砲弾、名古屋マークと昭和18年の刻印も見える、ここではこの様な状態の薬莢に火薬の充填、弾頭、信管の取り付けなどを行っていた、晩年は地雷や手榴弾などの防御兵器が多くなる
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担当の人が資料を見せながら紹介してくれる、それに沿って侵攻する
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まずは管理棟裏の防空壕に行く、当然一般立ち入り禁止である
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壕口到着、これは防空壕であり、工場、弾薬庫ではない
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右側の壕口
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真ん中の壕口は埋まってしまっている
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左側の壕口、もちろん壕内へは入れてくれない
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資料
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この写真は米軍から返還後、公園化する前ぐらいの物と言っていた、引込線の様子が良く判る
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多目的広場に行く、田奈部隊本部跡地
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このヒマラヤスギは当時の物
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昔の小学校みたいなのが本部、実はこの辺にも本部用の壕がある
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確認、内部は6mほどでT字になり部屋もあるが水没、入ってないから詳細不明
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第一トンネル当時物(整備はされている)
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本部前となるので、防空壕もある(封鎖済み)
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引込線は途中で二股になり、牧場口駐車場に来ていた、こどもの国線は元の引込線の途中までを使用している
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左上付近が引込線ホームとなる(牧場口駐車場の)
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この辺は石垣等当時の物が残るが多くは牧場設置、園内道路増設で変わっている
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いよいよ弾薬庫の見学(牧場前遊具付近)
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70年以上前の扉が開いた
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僅か3段の階段に行列ができる
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総勢30名ほどがぞろぞろ入って行く
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殆んど腐って崩れている
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入り口脇には当時の薬莢が多数散乱している(本物)
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もちろん見学用に置いてある物で、管理されている
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庫内に入る、土盛りは上部の換気口が埋まってしまって、そこから土砂が落ちて来ている
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薄暗い弾薬庫内で説明が始まる
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暗いのでライトを点ける、一斉に見られるこの瞬間があまり好きではない
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天井の換気口、土砂で埋まっている
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壁面の防湿用タール、1mほど塗ってある
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入り口付近の強固な柱
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天井、壁から出ている鋲は木製の内壁を取り付けた物だが、腐って木部は無くなっている
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天井からパイプがぶら下がっている
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電燈の笠が着いていた
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奥側の出入り口
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天井の木部がほとんど落ちている
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弾薬庫全体、人物比参加者一同

以前の関連記事、過去の物なので参考程度に
田奈弾薬庫(横浜こどもの国)その1

田奈弾薬庫(横浜こどもの国)その2