fc2ブログ

下総航空基地開設55周年記念行事 その3

124_R.jpg
下総航空基地開設55周年記念式典が始まる
125_R.jpg
国旗及び自衛隊旗入場
126_R.jpg
航空基地は人員が少ない
130_R.jpg
国旗及び自衛隊旗登壇
132_R.jpg
国旗及び自衛隊旗に敬礼!
135_R.jpg
P-3C3機による祝賀飛行
134_R.jpg
136_R.jpg
137_R.jpg
138_R.jpg



140_R.jpg
続いてもう1機飛んで来た
141_R.jpg
P-3Cの後継機と言われるP-1哨戒機
142_R.jpg
ターボファンエンジンにより、P-3Cが航続距離3830kmに対して8000kmと大幅向上した
143_R_2014092919181871e.jpg
もちろん対潜爆弾、ソノブイ、短魚雷、対艦ミサイル等の装備はそのまま可能
145_R.jpg
残念ながら着陸せずに、祝賀飛行のみで、自分の基地に帰ってしまった(多分厚木)
147_R.jpg
テスト飛行中、全エンジン停止の不具合は治ったのだろうか?
152_R_201409291937187a3.jpg
基地司令祝辞
158_R_201409291937193ee.jpg
市長祝辞
159_R_20140929193720aec.jpg
以外に人が集まっていたが、祝辞が始まると、解散状態に
163_R_2014092919433001f.jpg
客席から小さなビニールゴミが飛んでいった、追う警備係一人目
164_R_201409291943329cc.jpg
二人目も躱して飛んでいってしまった、エンジン給気口に吸い込まれたら事故に繋がるので注意しよう!
166_R_2014092919433307e.jpg
防衛大学生のファンシードリルが始まる、客が途端に戻ってくる(高等工科とはえらい違いだ)
169_R_20140929194334684.jpg
えらい気合の入っているオネーさんがいた
172_R_20140929194336c0d.jpg
防大のドリルは切れがいい
178_R_201409291956065d5.jpg
基地司令に敬礼!(見えないが、片手でM-1カービンを回しながら敬礼している)



179_R_2014092919560725b.jpg
唐突に後ろをP-3Cが通過して行く(アナウンスも間に合ってない)
180_R.jpg
対潜爆弾投下の展示飛行
182_R_20140929200153361.jpg
P-3Cの低空高速飛行
183_R.jpg
184_R.jpg
レシプロの300km台では遅く感じる(実際にもっと遅いだろう)

185_R.jpg
新型の航空機用化学消防車「オーストリア製(ローゼンバウアー社)」
186_R_20140929200725d99.jpg
化学消防車 MB-1改B型(ボディ形状の異なるタイプ有り)
187_R_20140929200726d87.jpg
資機材運搬車
188_R_20140929200728795.jpg
救難訓練展示
191_R_201409292007298dc.jpg
航空機事故、取り残された乗客等の救助
192_R_20140929202824e4f.jpg
けが人製作中
194_R_20140929202826f2b.jpg
ストレッチャーをハシゴを滑らせ下ろして行く
195_R_20140929202826db0.jpg
新型の放水展示
196_R_20140929202828d23.jpg
互いに放水するも、風向きで2号車が一方的に濡れる
199_R_201409292028292c5.jpg
展示終了、サイレンを鳴らしつつ、去っていく



200_R_20140929204800379.jpg
入れ替わりに地上要員がゾロゾロ入ってくる
202_R.jpg
P-3C3機の侵入
203_R_201409292048025b5.jpg
右旋回に入る
204_R.jpg
編隊旋回飛行展示
205_R.jpg
C-130の方が迫力があるかな?
207_R.jpg
単縦陣で旋回してくる
211_R_20140929214823666.jpg
これにて、全ての展示を終了しますと、アナウンスが・・・


212_R_201409292148268da.jpg
格納庫を越え
213_R_201409292148271e8.jpg
森を越えて
214_R.jpg
着陸態勢に入る
221_R.jpg
222_R_20140929215528fe6.jpg
223_R_20140929215529d03.jpg
無事着地!
225_R_20140929215530b9f.jpg
続々と降りてくる
226_R_201409292155315d2.jpg
車輪が地に着いた瞬間の煙
228_R_201409292200465f8.jpg
地上員に見守られながら滑走路エンドへ向かう


230_R_201409292200481a2.jpg
1機目
231_R_2014092922005062b.jpg
2機目
232_R.jpg
3機目
233_R.jpg
あれ、着陸したのは3機なのに1機増えた
235_R_20140929220659882.jpg
エプロンに入ってきた
237_R_20140929220701962.jpg
241_R.jpg
242_R.jpg
245_R_201409292207044b0.jpg
停止位置到着
249_R_20140929220947fa6.jpg
エンジン停止
250_R.jpg
午後の体験搭乗に備える4機(事前応募抽選制)



253_R_2014092923085917e.jpg
立ち去ろうとした時、聴き慣れたローター音が
260_R.jpg
中止になった空挺降下のチヌークだろう
263_R_20140929230901390.jpg
地上展示に向かう
スポンサーサイト



下総航空基地開設55周年記念行事 その2

035_R.jpg
SH-60哨戒ヘリコプター
037_R_20140928203808feb.jpg
海賊退治に行ったヘリ
102_R.jpg
後できたらドアが開いていた
042_R.jpg
UH-1H/J多用途ヘリコプター
043_R.jpg
255_R.jpg
やはり後でどあーとエンジンハッチの一部が開いていた
256_R.jpg
海自のヘリと比べると、椅子も質素だ
045_R.jpg
OH-6D観測ヘリコプター、小柄だが万能機として広く普及している
257_R_20140928210046c78.jpg
これもオープン
258_R.jpg
コクピットに乗った事があるが、狭くて出入りしづらい
259_R.jpg
まるでカットモデルみたいだ
055_R.jpg
P-3C哨戒機
057_R.jpg
55周年記念モデル
058_R.jpg
機体の割に、プロペラが小さく感じる
086_R.jpg
空対艦ミサイルも積めるとか
059_R.jpg
MH-53E(シコルスキー)
061_R.jpg
これ、飛んでるとかなりの迫力がある
062_R.jpg
独特のテール
063_R.jpg
おしりがこんなだとは、初めて見た
265_R_20140928211719b56.jpg
この機体だけに、案内板が下に置いてあった(他の機体は、一般人には名前すら解らなかったろう)
068_R.jpg
この辺は練習機
069_R.jpg
Uー36A艦対空迎撃訓練用、左右に赤外線、レーダーシーカーを翼端に持ち、ダミーミサイルになる事も
071_R.jpg
TC-90 練習機
074_R.jpg
T-5初等練習機
077_R.jpg
不意に高等工科学校のドリル展示が始まる
082_R.jpg
式典前の前座とは言え、ロクなアナウンスも無く閑散としていた
084_R.jpg
基地司令に敬礼シーンなんだが、おしり向けてる
085_R.jpg
関東各地で活躍している彼らなのだが、今回の扱いは最悪だ、モロ前座!

P-3Cのエンジンが始動する

タキシング
092_R.jpg
ほどなくP-3Cが飛び立っていく
093_R.jpg
094_R.jpg
095_R.jpg
097_R.jpg
この後、式典開始まで時間が空く

100_R.jpg
忘れ物だよー (カラーリングは向きがすぐ分かる為)
105_R.jpg
自販機は約30円引き
103_R.jpg
となりに有ったキャリアー、こうゆうの好き
106_R.jpg
模擬店に行く
107_R.jpg
まだ、客足は少ない
109_R.jpg
ここは人だかりが凄かった
108_R.jpg
おみや
110_R.jpg
海軍カレーも頑張っている
111_R.jpg
面白いタオルがあった
115_R.jpg
もうすぐ式典が始まる

下総航空基地開設55周年記念行事 その1

前回の予告通り、下総航空基地開設55周年記念行事に行ってきた
下総航空基地は千葉県柏市にある海上自衛隊の航空基地です。下総航空基地には、教育航空集団司令部、第3術科学校、 下総教育航空群司令部、第203教育航空隊、第203整備補給隊、下総航空基地隊等多数の部隊が在籍しています。第3術科学校では、主に航空機関係の機体や機器の教育を行い、第203教育航空隊では、P-3C等の操縦士や航空士になるための教育を行っています。
海上自衛隊第1術科学校が、機関及び潜水艦に関係する術科を除く艦艇術科教育を担当している、砲術、水雷、掃海、航海、通信、応急、潜水、陸上警備等を行っている。
第2術科学校は、機関科関係、情報、外国語等の教育訓練
この基地の第3術科学校では、航空機関係、航空基地関係等の教育訓練を行っている。
元々は東洋一と言われた 武蔵野カントリークラブ「藤ヶ谷コース」 だったのだが、1945年3月に陸軍飛行場、藤ヶ谷飛行場となる。
終戦後、アメリカ空軍白井基地として接収され、1959年に海上自衛隊との共同使用を経て、翌年全面返還となる。

前回も予告的に以前訪れた時の記事をYS-11に絞って掲載したが、今回の下総航空基地開設55周年記念行事があまりにも内容が薄い(え、これだけ?レベル)状態だったので、ボツになった前回分の写真も後でまとめて記事にする。
001_R_2014092717195299f.jpg
今回はのんびりと0610頃横浜を出た、1号経由高速で行く
002_R_2014092717195411e.jpg
正門側から入ろうとしたが、脇の通用口からの入場となる、開場時間の0800を若干過ぎてしまった
003_R_20140927171955643.jpg
既に航空機が頭上を飛び交っている、出遅れた?
004_R_2014092717195649f.jpg
かと思ったが、駐車場も基地内もガラガラだった
005_R_20140927171958d9d.jpg
魚雷を抱いた平面ガエル、「質実剛健」と書いてある
007_R_20140927173255f71.jpg
手近な第三格納庫に入る
009_R_201409271732576d7.jpg
陸自の第一空挺団の展示場となっている
008_R_20140927173256667.jpg
半面は当基地一番人気の「花電車」、ほんとにかなりの行列が出来ていた
010_R_20140927173258890.jpg
外に出ると、このハーレーに何があったんだろう?
011_R_2014092717330086b.jpg
廃物利用の看板、味があって良い
012_R_20140927174215e2f.jpg
第一格納庫へ移動
014_R_201409271742171c7.jpg
人力はばたき機(下総OSC)、ペダルを漕ぐと翼がバサバサと羽ばたく
015_R_2014092717421884e.jpg
以前はエプロンに出れたが、今回は0830まで格納庫から先に出れなかった
017_R_201409271742198ca.jpg
ミニP-3C、護衛艦「あとらす」、潜水艦
018_R_201409271742211c0.jpg
パイロットはリラックマ!
019_R_20140927180005c6e.jpg
潜水艦は、海賊船仕様(午後から模擬戦をこれらで行う)
020_R_2014092718000644d.jpg
中身は普通のスクーターに転倒防止の脚を付けたもの
021_R_2014092718000763a.jpg
お預け状態で0830を待つ、こんな事ならもっとのんびりすれば良かった
022_R.jpg
頭上を飛び交うPー3C、テスト飛行は早朝から始まっている
P1030128_R.jpg
一応、基地内の案内図
023_R_201409271800111bb.jpg
ゲートオープン、目当てのUS-2に向かう
025_R_201409271817442e2.jpg
この角度が一番良い
027_R.jpg
ずんぐりとした飛行艇、二式大艇の末裔
028_R.jpg
ボディに完全収納の脚
P1030098_R.jpg
左右のフロートが船っぽくていい
050_R.jpg
6枚プロペラ(P3Cは4枚)
051_R.jpg
機首のレーダードーム
052_R_20140927182913a1b.jpg
波消し装置
154_R_201409271844383aa.jpg
艇が高いので、乗り降りも大変だろう
156_R_201409271844394b8.jpg
エンジンの排気口
157_R_20140927184440d8f.jpg
おしりのアース
034_R.jpg
航空自衛隊、C-130輸送機
026_R.jpg
C-1中型輸送機の倍近い4000kmを飛ぶ事が出来る
029_R.jpg
まるで一枚板のような翼
031_R.jpg
車両も搭載可能、空挺隊員なら64人、通常人員なら92人を輸送可能
054_R.jpg
わざとこの高さにしているのか?、腹を剃りそうに低い
116_R.jpg
しばらくすると、腹が空いていた
117_R.jpg
通常油圧装置で開閉するが、電源が無いのでこの人が手動で開けた、ご苦労さんの拍手喝采が起こった
120_R.jpg
床にはコンテナ搭載用のローラーがある、場合によって空中投下も可能
150_R_20140927190929f43.jpg
壁面には座席が埋め込まれている
151_R.jpg
出すとこんな感じ
039_R.jpg
エプロンにある、レッドカーペット
040_R.jpg
近年建て替えられた管制塔
DSC01380_R_2014092619413231d.jpg
3年ほど以前の管制塔
033_R_20140927192802d70.jpg
高等工科学校のドリル練習
038_R.jpg
式典の最終調整、もうすぐ基地祭が始まる・・・・あと1時間ぐらいしたら

下総海上自衛隊航空基地祭22年(最後のYS-11)

明日9月27日に開設55周年記念行事があるので、以前YS-11型機の引退記念に行った時の記事を軽くあげる
と言ってもどうせまた記事にするので、YS-11型機のみを羅列するだけにする。
練習機YS-11T等により、約50年にわたり航空士教育を実施してまいりました第205教育航空隊は、平成23年6月1日に廃止されました。
って事で、205教育飛行隊の尾翼のマークなども、もう見れない・・・
現在は203教育飛行隊が継承しているのだが、なぜ番号が戻るかってゆうと、206教育飛行隊が第203教育航空隊に部隊番号変更をされているせいである。
DSC01367_R_2014092619412631d.jpg
裏口から入る
DSC01368_R_20140926194128942.jpg
その方が管制塔に近い
DSC01373_R_20140926194129ede.jpg
自分的にはこっちのUS-2の方が好きだ
DSC01374_R_2014092619413044f.jpg
しかし、今日の主役はこれYS-11型機(輸送機)
DSC01380_R_2014092619413231d.jpg
この頃の管制塔、今はもう無い
DSC01392_R_20140926195901026.jpg
P-3C等の大型機を扱う基地なので、格納庫もデカイ
DSC01386_R_2014092619590022b.jpg
マップ
DSC01400_R_201409261959025f1.jpg
開場直後はガラガラだ
DSC01420_R_20140926195903648.jpg
YS-11の地上展示
DSC01421_R_201409261959051bd.jpg
エンジンフードが開いている
DSC01422_R_20140926200820881.jpg
ハッチも開いているのだが、この時間は入れない
DSC01423_R_20140926200821f0d.jpg
誰か乗っている
DSC01424_R_20140926200822f17.jpg
諸元
DSC01425_R_20140926200824a81.jpg
ノーズの顔がカワ(・∀・)イイ!!
DSC01430_R_20140926201438931.jpg
窓の開き方が良く分かる
DSC01431_R_2014092620143991d.jpg
レーダードーム?
DSC01490_R_201409262014403f9.jpg
滑走路に並ぶ機体、アイドリングが始まる
DSC01498_R_201409262014424bc.jpg
後ろの方ではP3Cがクラウチングスタートの前傾姿勢
DSC01511_R.jpg
YS-11も滝寝具植井に向かう
DSC01513_R_201409262035232aa.jpg
DSC01514_R_20140926203525866.jpg
DSC01515_R_2014092620352670b.jpg
DSC01516_R_2014092620352894e.jpg
DSC01517_R_20140926203800fda.jpg
DSC01518_R_20140926203801974.jpg
DSC01519_R_20140926203803a65.jpg
DSC01520_R_20140926203804ee9.jpg
DSC01521_R_20140926203806e4b.jpg
DSC01522_R_2014092620401443e.jpg
DSC01523_R_201409262040158f0.jpg
DSC01524_R_20140926204016665.jpg
DSC01525_R_2014092620401815a.jpg
DSC01526_R_201409262040193f6.jpg
三機とも(基地祭での)最後の離陸を見事に果たした
DSC01527_R_20140926204502b23.jpg
少し時間があるので、売店物色
DSC01529_R_201409262045038e6.jpg
萌え
DSC01560_R_20140926204504c50.jpg
YS-11が戻ってきた
DSC01561_R_2014092620450527d.jpg
DSC01562_R_20140926204507d30.jpg
まず、1機のフライパス
DSC01565_R_20140926205228ca7.jpg
P3Cの3機編隊
DSC01567_R_20140926205229373.jpg
4発は迫力がある
DSC01603_R_2014092620523056f.jpg
爆弾倉開放
DSC01606_R_2014092620523233c.jpg
交差
DSC01612_R_201409262057523b2.jpg
DSC01614_R_20140926205753c93.jpg
爆撃
DSC01622_R_201409262057550e7.jpg
次はフレアか!
DSC01623_R_201409262057566bb.jpg
出なかった、銀翼を輝かせ、去っていった
DSC01628_R_20140926210123f6c.jpg
残りの2機が飛んで来た
DSC01630_R_2014092621012469f.jpg
まずはフライパス
DSC01632_R_20140926210126c6b.jpg
DSC01633_R_20140926210127587.jpg
DSC01634_R_20140926210129c28.jpg
DSC01635_R_20140926210510191.jpg
DSC01636_R_20140926210512d82.jpg
DSC01638_R_20140926210512904.jpg
DSC01639_R_20140926210514508.jpg
DSC01641_R_201409262105158a6.jpg
DSC01658_R_20140926210836aae.jpg
DSC01660_R_20140926210838189.jpg
DSC01664_R_20140926210839e7a.jpg
お疲れ様でした、いろいろと
DSC01696_R_20140926210840a04.jpg
DSC01697_R_201409262108422e1.jpg
締めはチヌークの空挺降下
DSC01699_R_20140926211244646.jpg
もちろん他にもいろいろあるのだが
DSC01703_R_201409262112456e2.jpg
今回は軽く済ませる
DSC01708_R_20140926211246925.jpg
この頃は東京タワーも作りかけだった、ガラガラの首都高をのんびりとかっ飛ばして帰る

東京湾要塞 観音崎砲台(三軒家砲台 )その2

昨日三軒家砲台に行って、取り直しをして来たので、その1も多少だが修正する
以外に見ているけど撮ってない所って、行き慣れた所にはあるものだ。
DSC01249_R_20140924193347893.jpg
第二砲座の上にある三軒家園地
DSC01247_R_20140924193346c2e.jpg
何故か、今は亡き第三海堡 のかなりいい加減な図の説明がある
DSC01254_R_20140924193348e7d.jpg
ここから砲座を覗いて見ると、円形になっているのが良く分かる
DSC01251_R_201409241950018d6.jpg
横檣に登ると弾薬庫の通気口がそれぞれある
DSC01252_R_20140924195002c28.jpg
中は土管で、ゴミが溜まって埋まってしまっている
DSC01253_R_20140924195003030.jpg
屋根を取り付けていた金具が残っている
DSC01255_R_20140924195005b9d.jpg
第二砲座の残存部分、侵食した木の根っこが気持ち悪い
DSC01256_R_201409241950060f8.jpg
砲座両側面の一部は残っている
DSC01267_R_2014092420084455c.jpg
第二砲座と第三砲座の間の、兵員生息室(たぶん)に降りる
DSC01274_R_201409242008479e9.jpg
中を覗くと、ここだけは塞がれてしまっている
DSC01268_R_201409242008458d4.jpg
第三砲座入口
DSC01269_R_201409242008464e9.jpg
第三砲座も煮たような物だ、が
DSC01270_R_2014092420143297d.jpg
砲座の砲弾置き場の窪みにある番号の(第三砲座の二番置き場)横にカナが振ってある
DSC01271_R_201409242014343ec.jpg
他の砲座では見られない、ここでもカナ部分が読み取れるのはこの2つぐらいだ
DSC01272_R_201409242014356ae.jpg
砲弾置き場には蓋をはめて、閂的留め具で止めていたが、金属は全て持っていかれている
DSC01276_R_20140924201436c2c.jpg
第三砲座と第四砲座間の弾薬庫
DSC01290_R_20140924204223fa8.jpg
右の穴から覗く
CIMG0089_R.jpg
硝石が染み出しているが内部に問題はない
DSC01291_R_20140924205006654.jpg
第四砲座
DSC01293_R_201409242050086b9.jpg
陽の当たる所の迷彩塗装は痛み気味だ
DSC01294_R_20140924205009453.jpg
三軒家砲台の番号は茶色で書いてあるのも特徴か、単に迷彩の余った塗料か?
DSC01295_R_20140924205010925.jpg
第四砲座の胸檣を乗り越えると、前面に円形状の空間がある
DSC01296_R_201409242050126bc.jpg
人工的な何かが有ったのは確かだが、カノン砲とは平射砲だ、前面にあまり建物は建てないだろう
ちなみにカノン砲は良く加農砲と書かれるが、日本軍的当て字で俗称であるのが元々だ、されど余りの語呂の良さに、いまだに陸自でも混在して使われている、米軍ではcanon砲(キャノン)
DSC01308_R_201409242114092cf.jpg
砲座入口の階段したには
DSC01309_R_20140924211411fe5.jpg
何かを止めていた金具がある
DSC00213_R_201409242118197aa.jpg
遊歩道を奥に行くと、観測所の付属室がある
DSC01312_R_20140924212102d3e.jpg
両脇の窓は煉瓦で埋められ、鉄の扉で普段は閉鎖されている
DSC00214_R_20140924211820957.jpg
ちょっと通りますよ・・・
DSC00215_R_20140924211821caf.jpg
中は湿っていて、ゲジの巣窟となっていた
DSC00216_R_20140924211823fe8.jpg
おそらく第四砲座への伝声管
DSC00217_R_20140924211824399.jpg
天井には観測所への伝声管もある(見上げているとゲジが降ってくる)
DSC00219_R_20140924213048779.jpg
入口脇に寄せられた瓦礫
CIMG0082_R.jpg
上の観測所に登る
CIMG0083_R.jpg
円柱形と三本柱のステレオ式
CIMG0084_R.jpg
左には観測所上部に行く階段がある
DSC00229_R_20140924213050ae8.jpg
観測所、外縁部
DSC01302_R_201409242138180dd.jpg
外周には天蓋の柱の跡のような物もある
DSC01305_R_201409242138197b2.jpg
割れてしまっているが、レンガの湾曲部がいい感じである
DSC01307_R_20140924213820d60.jpg
僅かに迷彩らしき塗装が残る
DSC00227_R_201409242143455a0.jpg
外縁の地面には、観測所を取り囲む形で幾つものこんな円形コンクリートがある
DSC00228_R_20140924214347c62.jpg
半ば埋もれているので、気を付けよう
DSC01303_R_20140924214934cae.jpg
下に降りるとしよう
DSC01314_R_201409242149354c6.jpg
元の遊歩道に戻ると、井戸のあった所だが全く分からない
DSC01315_R_20140924214936419.jpg
唯一残っている壁の金具だけが当時を思わせる
DSC01316_R_20140924214937818.jpg
その下の便所跡地、知っていたらくつろいで座れないだろう
DSC01317_R_20140924214939cf9.jpg
新しい道を挟んで左側
DSC01318_R_201409242158549b7.jpg
12cmカノン砲座
DSC01319_R_20140924215855da3.jpg
第一砲座は緑に埋もれている
DSC01321_R_20140924215856fd2.jpg
しかし、固定ボルトだけは見る事が出来る
DSC01323_R_2014092421585881a.jpg
ボルト径の比較に、ビデオを置いてみた(約10cm)
DSC01327_R.jpg
第二砲座は観光用に整備されていた
DSC01059_R_201409242206432d7.jpg
以前は良く分からなかった
DSC01325_R_20140924220952e49.jpg
こちらのボルトは良く見える
DSC01328_R_201409242209543b3.jpg
この日も本当にマムシに遭遇した、マジでいるから気を付けよう
DSC01329_R_201409242209559c5.jpg
一通り砲台を見たので、海を眺めつつ第一砲座へ戻る
DSC00407_R_2014092422174061d.jpg
第一砲座手前の側面の壁を見てみよう
DSC00408_R_20140924221741351.jpg
ついでの説明版
DSC00413_R_20140924221742ae0.jpg
安山岩?の石積に奇妙なマークを見る事が出来る、イの形
DSC00414_R_20140924221744dc8.jpg
縦二本
DSC00415_R_2014092422174537f.jpg
縦一本
DSC00416_R_201409242224487cd.jpg
逆L字、石材所のマークだろうか?
DSC00420_R_201409242224495d2.jpg
三軒家砲台の門をくぐり、下に下りて行く
DSC00426_R.jpg
この先にも数本の石柱が存在する、170号柱
DSC00427_R.jpg
180号柱
DSC00428_R_2014092422274494e.jpg
切通しの下からめがね橋を見る
DSC00429_R_20140924222746690.jpg
そこには片側だけの門柱が残っている
DSC00430_R_20140924222747329.jpg
下を覗くと、観音崎健康ラドンセンターの廃墟が見える




東京湾要塞 観音崎砲台(三軒家砲台 )その1

三軒家砲台は、現在三軒家園地になっているが、砲台の遺構が色濃く残り、非常に見ごたえのある所だ
27cmカノン砲4門と堡塁的役割の12cm速射カノン砲2門を備えていて、その砲座も第二砲座を除き(歩道を作る為に破壊)、原型を保ち残っている
27cmカノン砲座は砲座間に横檣を持ち、その地下に地下弾薬庫と掩蔽部を備えている。
上部には観測所と付属室も残っているが施錠されているので、普通には入れない
背面の山には、掘割の奥に掩蔽部が2つ有り、砲台入口の門の袂に貫通しているが、施錠されている。
更にその上には、見張り所が更に登って行くと、近代公衆トイレがある。
もっとも見ごたえのあるのは、砲座の迷彩塗装が完全に残っている所だろう!
DSC01034_R_20140922204921ecb.jpg
腰越堡塁から下りてくると、この三叉路に出る、上の平地には兵舎らしい壁の跡が残る
DSC01035_R_201409222049225b8.jpg
砲弾を模したモニュメント
DSC00186_R_2014092220575795c.jpg
公衆トイレの裏の石段を登って行くと(人物比デビット佐藤氏)
DSC00187_R_20140922205759da7.jpg
下には鍵穴の形に作られた見張り所がある
DSC00188_R_201409222058000fb.jpg
側遠器台等が見当たらないので、観測所ではないだろう
DSC01030_R_20140922210816991.jpg
すぐ横には、用途不明の遺構もある
DSC01031_R_20140922210817e5c.jpg
前を覗くと、砲座が見えるので、ここから全体指揮を取っていたのかも知れない
DSC01032_R_201409222108185ba.jpg
この辺をうっかり歩くと、掘割があるので落ちると痛そうだ
DSC01033_R_201409222108206b5.jpg
下に降りる道もあるが、一旦上にもどる
DSC00189_R_20140922205801962.jpg
トイレの辺りで上を見上げると、落ちそうな162号柱が見える
DSC00190_R_20140922205802805.jpg
案内板
DSC01036_R_201409222049237a3.jpg
遊歩道を降りると、砲台入口の門柱が残っている
DSC01037_R_201409222049250ce.jpg
昔は煉瓦壁があったようだが、今はこれだけ
DSC00192_R_201409222121402b8.jpg
珍しく、ヒンジなどもちゃんと残っている
DSC00422_R_20140922225950a54.jpg
看板を下げていただろう、フックの跡
DSC01038_R_201409222121370a8.jpg
掩蔽部が2つ並んでいるが、普段は施錠されている
DSC01039_R_201409222121382b2.jpg
鉄扉は公園整備時に付けたもので、中は物置として使っている
DSC00198_R_20140922212140245.jpg
開けてみると、こんな感じで崩落などはない、奥はさっき掘割の上から見た部分に貫通していた
DSC00199_R_20140922212142b04.jpg
最深部から入口方向、20mほどか
DSC01040_R_2014092221344222d.jpg
27cmカノン砲座に向かう
DSC01041_R_20140922213444940.jpg
見た瞬間にいやでも気になる迷彩色
DSC00409_R_20140922213446024.jpg
鮮やかな迷彩色だが
DSC00412_R_20140922213448946.jpg
子供の落書きっぽくも見える、昭和9年に除籍となった砲台だが、航空偵察を意識していたのだろう、なんせこれは海側から見えない、山側に描いてあるのだから・・・
DSC00211_R_20140922215654159.jpg
上の写真でも見えている伝声管
DSC00212_R_20140922215655a3e.jpg
奥の光が見えるだろうか、観音崎で唯一貫通している状態の伝声管である
DSC01042_R_201409222156564f5.jpg
入口に戻り、砲側弾薬庫に行くのだが、落ち葉がひどい
DSC01043_R_20140922215658f23.jpg
コンクリートで塞がれて入れない、壁の出っ張りは簡易クレーンの跡
DSC01044_R_20140922215659d7e.jpg
弾薬庫の入口上部には、このような砲弾や破片が飛び込まないようにコンクリートアーチが架かっている物が多い
CIMG0081_R.jpg
内部は煤けているが、米軍の爆破処理なのか、終戦後住み着いた人の焚き火かは不明
DSC01313_R_20140924232509bb7.jpg
反対側から撮り直す
DSC01045_R_20140922221230b8b.jpg
上に出て山側の掘割に向かう
DSC01046_R_2014092222123210a.jpg
これはさっき中から見た、門柱脇の掩蔽部裏側
DSC01047_R_20140922221232dc9.jpg
深部から振り返ると、掘割はV字型をしている(変形のyかな?)
DSC01048_R_201409222212347d2.jpg
遊歩道に戻ってきた
DSC00232_R_201409222226150b2.jpg
この貯水槽の横の階段を登ると、最初の見張り所の遺構にでるが破だらけなので、冬に行こう
DSC00404_R_20140922224319125.jpg
第二砲座は潰され、交通路になっている、一部だけ側面部が見受けられる
DSC00204_R_2014092222261466b.jpg
第三砲座も似たような物だ、床面はコンクリートで固められ、砲床は見られない
DSC00402_R_20140922225155260.jpg
第二第三間の地下掩蔽部には、コンクリートのアーチがない、よって兵員生息部か砲具庫と思われる
DSC00403_R_20140922225155355.jpg
転落防止柵があったのだろうが、切り取られて持ち去られている

つづく

東京湾要塞 観音崎砲台(腰越堡塁(うみの子とりで))

腰越堡塁は大浦堡塁と同じく防御用砲台である、備砲も同じく9cmカノン砲2門となる。
現在は「うみの子とりで」となり、子供用遊具で埋め尽くされた趣となっているが、奥側半分は砲台としての遺構を良く残しており、砲座も左側のみであるが、辛うじて原型を留めている。
入り口近くを見ると、げんなりするが、以外に見所はあるので、奥まで行ってみよう。
DSC00357_R_20140920182119c5d.jpg
めがね橋を渡ると、見えて来るのがこの残念な風景である
DSC00358_R_201409201821212d6.jpg
当時から残る、鍵型に曲がった塁道を進むと砲台部分に出る
DSC00359_R_20140920182121beb.jpg
最新型のトーチカ、少年たちが訓練に励んでいるそうだ
DSC00360_R_20140920182123150.jpg
土塁 上部への階段はオリジナル
DSC09981_R.jpg
入り口よりに、もう一つあるが状態は良くない
DSC00361_R_20140920182124614.jpg
地下掩蔽部なのだが、出入り口は埋められてしまっている、地表から階段で降りて行く通路があった
DSC09979_R.jpg
地下掩蔽部の通気孔の半分が落ちている
DSC09980_R_20140920183220668.jpg
掩蔽部の上に上がると、残り半分がある
DSC09975_R_201409201848377e7.jpg
水道管なども埋めてあるので、掘る事は出来ないだろう
DSC00172_R_201409201848391a3.jpg
左側の砲座がこの上にある
DSC09976_R.jpg
何故か地面剥き出しにされている砲座上り口
DSC09974_R.jpg
左翼掩蔽部入口も埋まってしまっている
DSC00175_R_20140920184841f72.jpg
砲座に上がると、胸檣が良い状態で残っている
DSC00177_R_20140920190017cea.jpg
地面には当時の砲床と思われるコンクリートが残っている
DSC00369_R_20140920190018a53.jpg
胸檣の向こうには、遺構は見当たらない
DSC00371_R_20140920190020cd5.jpg
登って来た斜面には、階段の跡がある、なんで階段壊したんだろう?
DSC00365_R_20140920190021826.jpg
左翼掩蔽部の横の階段は残っているのに
DSC00366_R_2014092019002333d.jpg
左翼掩蔽部の後方にも何か埋まっているが土塁の壁だろう
DSC00372_R_20140920191325ff4.jpg
腰越堡塁を出て、少し歩くと広い園地があるが、特に何も無い
DSC00374_R_20140920191327f13.jpg
更に歩くと、切り通しがある
DSC00375_R_20140920191328eb6.jpg
この切り通しの両側には、橋が架かっていた橋脚が残っている
DSC00376_R_2014092019132905d.jpg
何でわざわざ橋なんか?
DSC00377_R_20140920191331c76.jpg
不審に思い、回りを見回すと脇道がある
DSC00378_R_20140920192101fa8.jpg
地下壕の入り口があった
DSC00381_R_2014092019210204a.jpg
覗き込むがゴミだらけで入れない
DSC00385_R_20140920192844b3a.jpg
橋の反対側に登って見ると、平地になっていて、モニュメントが建っていた
DSC00386_R_201409201928460d1.jpg
この先の広場にも似たようなモニュメントが立っている
DSC00391_R.jpg
このまま降りて行くと、三軒家砲台に至るのだが、腰越堡塁からそこまでの間、石柱がかなり残っている
DSC00323_R_201409201934261b5.jpg
144(順序は適当である、ガケの上や寝っころがっているものもある)
DSC00324_R_20140920193428da2.jpg
143
DSC00179_R_201409201934283a1.jpg
135
DSC00180_R_20140920193430aa0.jpg
150
DSC00181_R_20140920193431a28.jpg
152
DSC00387_R_201409201937285a9.jpg
157
DSC00183_R_20140920193727d08.jpg
これは変り種である、上部に陸と→
DSC00182_R_201409201937258d0.jpg
矢印の方向に、三軒家砲台がある

基本的に遊歩道の両脇に(上にもある)あるので、探しながら歩くのも良いだろう、番号が一部若い番号になる所があるので、移植の可能性もあると思われる。


東京湾要塞 観音崎砲台(大浦堡塁(戦没船員の碑))

堡塁と言うのは、積極的に敵を攻撃する為のものではなく、砲撃用砲台の背後もしくは側面防御の為に儲けられた砲台であり、海面方向より内陸を指向している物が大部分だろう、周辺には腰越堡塁、小原台保塁花立台保塁などがある。
現在は大浦堡塁としての遺構は僅少で、戦没船員の碑と公園整備の為原型すら判らない。
houdaimap3_R_201409181936077cb.jpg
観音崎の自然&あれこれ様より転載許可済み
P1020212_R.jpg
大浦堡塁の航空写真
DSC00334_R_2014091819591570c.jpg
ほとんど山頂部に位置する為、登ってくる人はあまりいない
DSC00335_R_20140918195916c0c.jpg
実際山の中をガサゴソしていると、結構いる
DSC00159_R_20140918200604a2c.jpg
戦没船員の碑
DSC00336_R_20140918195917c22.jpg
進徳丸のアンカー(戦前は、商船学校の練習帆船で、戦中は徴用船だったが生き延びる)
DSC00337_R_20140918195919041.jpg
戦後、練習汽船として復活した
DSC00339_R_2014091819592020f.jpg
草陰に潜むぬこ
DSC07890_R_20140918200606c0a.jpg
ここからは、花立台演習砲台の観測所が良く見える
DSC07882_R_201409182006060a3.jpg
しかし、遺構として残っているのはこれだけ、階段の一部と
DSC01022_R_201409182043036b0.jpg
横墻と言われる部分だが、車輪移動式9cmカノン砲があったので、単に平坦地を作る為の土止めの壁だろう
DSC00350_R_201409182052002ae.jpg
広場説明
DSC00342_R_20140918205158c57.jpg
人魚に襲われる船乗りの像
DSC00341_R_20140918205156dd3.jpg
安らかにねむれ わが友よ 波静かなれ とこしえに
DSC00347_R_201409182051599f1.jpg
床には、日本からニューギニア辺りまでが彫ってある
DSC00343_R_20140918205725f01.jpg
おむすびが3つある
DSC00344_R_20140918205727936.jpg
天皇陛下御製碑
DSC00345_R_20140918205727696.jpg
皇后陛下御歌碑
DSC00346_R_2014091820572978b.jpg
説明
DSC00348_R_20140918210540952.jpg
近年は5年に1回ペース
DSC00349_R_20140918210542207.jpg
天皇陛下皇后陛下、行幸啓記念
DSC00352_R_20140918210545922.jpg
少し進むとめがね橋がある
DSC00351_R_20140918210543583.jpg
思わず下を乗り出して見たくなる様な高さがある
DSC01023_R_20140918204304c18.jpg
切り通し、山側
DSC01025_R_201409182043074d8.jpg
切り通し、海側
DSC01024_R_20140918204305a39.jpg
当時架かっていた、煉瓦橋の橋脚の一部の煉瓦が、覗き込むと見える
DSC00355_R_2014091821170883a.jpg
橋の根元にある、古い導管
DSC00356_R_20140918211710e11.jpg
恐らくは電気ケーブルだろう、この高さでは水道はありえない
DSC00168_R_20140918212130784.jpg
橋を渡った所にある陸軍柱(波一本は陸軍のマーク)

東京湾要塞 観音崎砲台(旧第三砲台)

旧第三砲台は、存在すら知らない人がほとんどだろう、明治17年に竣工し同19年に28cm榴弾砲2門を据えた物だったが、明治26年の第三砲台に廃止、第四・五砲台の名称を第三・四砲台に繰り上げ改称。
同27年には2門とも第四砲台(現在の第三砲台)に移設、震災により損傷を受け、大正14年には除籍となっている
非常に短命で、8年程度しか備砲していなかったのだが、平成を迎えても今なお海上自衛隊の祝砲を据付続けているのは、何とも言えない物があるが、砲台としては喜ばしい事なのだろう
P1020206_R.jpg
現在の航空写真、馬蹄形の物が砲座で、第一砲座には海自施設が乗っかっている、右上が祝砲3門
P1020784_R.jpg
砲台施設の下を第二砲台のトンネルが通っている、これでは崩落してしまうだろう、除籍の一因と思われる
P1020450_R.jpg
第二砲台と旧第三砲台は以外に近い、8の字形に横墻があった様に見受けられるが、現在形跡は無い
P1020447_R.jpg
観測所を挟んで、お隣と言える近さである
DSC00984_R_20140916211734ecb.jpg
第二砲台から遊歩道で程なく着く
DSC00985_R_20140916211736ca5.jpg
しかし、大体の人はこの辺で引き返すだろうから、遺構を見る人は一際少ないだろう
DSC02235_R_20140916211738aec.jpg
周辺をガサゴソすると、横墻の一部かと思われる部分もあるのだが、違うだろう
DSC00987_R_2014091621173765e.jpg
海を見ると第二海堡が見える位置
DSC02244_R_2014091621282720b.jpg
フェンス沿いには遺構の一部と思われる石材が並んでいる
DSC02242_R_201409162128251ee.jpg
第一砲座の上にある海自警備所、屋上に双眼鏡が並ぶ
DSC02257_R_20140916212828cdf.jpg
なにやら四角いコンクリート遺構が見える
DSC02258_R_201409162128295e5.jpg
入り口近くの四角いコンクリート建物と言えば、トイレだろう
DSC02260_R_20140916212831ce8.jpg
背後には貯水槽も完備している
DSC02263_R_20140916213756f72.jpg
祝砲が見える
DSC02238_R_20140916213754615.jpg
地上に並んだ3基の祝砲
DSC02239_R_20140916214048303.jpg
カンバスを被って全体は見えないが、75mm程度だろうか?
DSC02243_R_20140916214049ea2.jpg
地上据付の砲座は今、見る事は非常に困難だろう(移動式かサイロ式だから)
DSC02245_R.jpg
奥に行くと第二砲座がある
DSC02246_R_20140916214052375.jpg
近寄ると胸墻はさんだんに石を積んでコンクリートで固めている様に見える
DSC02248_R_2014091621522650d.jpg
第一砲座の上には近代建築が乗っている(許可亡き者が入らない様に360度カメラが憑いている)
DSC02249_R_20140916215227086.jpg
この土台自身が当時の砲座である
DSC02251_R_201409162152288be.jpg
通路沿いに回り込むと、第二砲座入り口が見える
DSC02253_R_20140916215230903.jpg
この丘陵部分にはなんと、地下施設が隠されている
DSC02254_R_20140916215231527.jpg
これが現在の唯一の入り口となる、入った事が無いから良く知らないが、3mほど垂直の鉄製ハシゴを降りると本来のアーチ型入り口に出る、内部は煉瓦式地下施設になり保存状態は完璧と言える、前室と言える空間があり、右側に入り口をくぐると、広い部屋に出る、左側には砲弾庫と思える小部屋が4つ存在し、漆喰で白く塗り固められた部屋の天井や壁面には電気設備が残り、奥には 揚弾井や換気口も完備されている、昭和期にある程度の改修を受けている様にも見える
DSC02259_R.jpg
残存遺構としては、結構いい状態なのだが、もったいない
DSC02261_R_20140916222044728.jpg
砲座を眺めつつ、旧第三砲台を後にする
DSC02264_R_20140916222047d9e.jpg
いまもこの海を護る、唯一の備砲している砲座に幸あれ

東京湾要塞 観音崎砲台(第三砲台)その2

前回に引き続き、第三砲台の記事となるが、今回は観光コースでは無い、隠れた遺構を紹介する。
一般に第三砲台は、第一砲台ほど近くも無く、第二砲台ほど砲座も無く、トンネル抜けたら砲座が一つあるだけで、
後は第一展望台、今で言う海の見晴らし台があるだけの、ぱっとしない砲台である
しかし、この第三砲台周辺には観測所が4ヶ所もあるのだ、通常は山頂に1つか右翼、左翼に一つづつが普通なのだが
ここには、右翼、左翼(崖下へ転落)の観測所の他に後方遂道上部及び更に上部の尾根道に、観音崎砲台には多くの観測所が残る中でも、一際異彩を放つ観測所が現存する。
DSC00031_R_2014091221183236f.jpg
まずは一番行き易い右翼観測所、砲座右側に階段がある
DSC00316_R_201409141650594d2.jpg
無理して登れない高さでもないだろう
DSC00329_R_201409141651058f4.jpg
でなければ、上に回って小道の突き当りから藪に入ってすぐである
DSC00322_R.jpg
円形のコンクリート製観測所がある
DSC00325_R.jpg
主出入り口、またいで何処からでも入れるが一応ある
DSC00326_R_20140914165103ffd.jpg
現状は良くなく、3つほどに割れてしまっている
DSC00050_R_2014091417053098f.jpg
少し離れて、全体を見る(一部崖下へ転落?)
DSC09997_R_201409141705310a2.jpg
主出入り口から出ると、階段だか付属室だか良く判らない煉瓦がある
DSC09998_R.jpg
マスに上だろうか?刻印のある煉瓦が見れる、この手の刻印を探すだけでも、煉瓦遺構は楽しい
しかし、数10mに及ぶ煉瓦壁であっても、見える面にはひとっつも刻印が無い物もある
DSC07867_R_20140914172234626.jpg
横墻に戻り、左の方に行くと
DSC00331_R_20140914173248a7d.jpg
この曲がり辺りに遺構があるが斜面なので、転落注意
DSC09992_R_20140914172231eae.jpg
左翼観測所付属室の一部が残っている
DSC09993_R_20140914172232595.jpg
DSC09990_R_20140914172229bf5.jpg
DSC09991_R_20140914172230863.jpg
様々な刻印が残っているので面白い
DSC00333_R_20140914173250d8a.jpg
では、下に落ちて行って見よう
DSC00328_R_20140914173250738.jpg
数10m落ちていくと、コンクリートの破片が点在する
DSC00330_R_20140914173252fc1.jpg
見えて来た、左翼観測所だ
DSC00331_R_201409141732531d5.jpg
一応鉄筋入りコンクリートだったようだ
DSC00332_R.jpg
多少分解しているが、観測所一式がそっくり滑り落ちて来た感じだ
DSC00333_R_201409141741390a0.jpg
観測所出入り口の階段
DSC00334_R_20140914174140bdb.jpg
観測所内部
DSC00335_R_201409141741410b7.jpg
側遠機台?
DSC00336_R_20140914174143467.jpg
観測所に良くある、物入れ
DSC00338_R_20140914175126aa8.jpg
反対側の物入れも、なんとか見える、よくもこれだけ原型を留めている物だ、関東大震災で脱落してから約90年だ
DSC00003_R_20140914180009180.jpg
遂道上の観測所に向う
DSC00004_R_20140914180011f0f.jpg
鬱蒼とした茂みに、三本の柱
DSC00006_R_201409141800127e3.jpg
コンクリートでは無さそうだ、安山岩か?八角形の標準的なもの
DSC00007_R_20140914180013b20.jpg
季節によっては、草に埋もれて見えないだろう(人物比榴弾砲氏)
DSC00008_R_20140914181701d42.jpg
更に進むと遥か遠くに、異形の煉瓦構造物が見えてくる
DSC00042_R_20140914181702922.jpg
初めて見た時は結構興奮した、当時一般的に知られてない遺構だったから
DSC00047_R_201409141817056ae.jpg
半分に割れ、傾いてしまっている、中央にこじんまりとした側遠機台がある
DSC00048_R.jpg
結構下もえぐれて来ている
DSC00044_R.jpg
取りあえず登ってみる、側遠機台は煉瓦のモルタル塗りだ
DSC00043_R.jpg
主出入り口方向を見ると、結構マシに見える
DSC00010_R_2014091418272130e.jpg
円形にする為に煉瓦を苦労して割っているようだ、刻印も良く見える
DSC00045_R.jpg
足元(上部)を良く見ると、金具がぐるっと生えている
DSC00009_R_201409141827205e2.jpg
先がワッかになっている、ボルト状は良く見るがこれは見かけない
DSC00046_R_20140914182718ea8.jpg
内側に落ちている上部外縁の一部、煉瓦は鏨で結構きれいに割れるらしい
DSC00012_R_20140914184031fc1.jpg
床面はコンクリートで覆っていたようだ
DSC00017_R_20140914184034ed8.jpg
上から全体を写してみる
DSC00014_R_20140914184033354.jpg
高さは丁度人の肩下ぐらいか
DSC00019_R_20140914184035471.jpg
次に来るまで、崩れないで残っていて欲しい

この円筒形煉瓦観測所は第一砲台と第三砲台の中間付近にあるので、共用もしくは連携的な機能をしているのかも知れないが、裏付けるものは何も無い

東京湾要塞 観音崎砲台(第三砲台)その1

本来この砲台は、第四砲台であるのだが、旧第三砲台が除籍になってしまったので、繰上げで第三砲台となっている。
ちなみに、第五砲台も、第四砲台に繰り上げられているのだ。
P1020785.jpg
現在残っている砲座はa1のみである
P1020213.jpg
上空から見えているのは、c1.2~fの部分で砲座は樹木に覆われている
DSC00306_R_20140912203156ec8.jpg
第三砲台入り口前には兵舎か車寄せの様な跡がある、数10年前まではトイレがあったようだ
DSC00307_R_20140912203158af0.jpg
第三砲台入り口、このトンネル以外に、現在は道が無い
DSC00309_R.jpg
いつごろの物だろう、かなり古びている(当然イメージは大砲)
DSC00310_R_20140912203200a6c.jpg
一見、煉瓦遂道に見えるが、元々は素掘りである
DSC00311_R_20140912203201e7b.jpg
この様に、関東大震災などで崩れた部分を、煉瓦で補強しているのだ(第二砲台と同じ)
DSC01010_R_20140912211527218.jpg
トンネルを抜けると、左手に弾薬庫が2つある、この前に砲具庫があった様だが跡形も無い
DSC01011_R_2014091221152852c.jpg
残念ながら、キレイに塗り込められている
DSC00027_R_20140912211828c43.jpg
心無い輩に落書きをされた時期もあったが、公園サイドの努力により、おおむね復元された
DSC09986_R.jpg
ちょっと覗いて見る
DSC00147_R_201409122115306ad.jpg
前室と後室の壁が破壊されて、ガレだらけだ
DSC00145_R_20140912211532643.jpg
なんとか整備して公開して欲しい
DSC09987_R_20140912212535398.jpg
上に登ると通気孔がある
DSC09988_R_20140912212537c65.jpg
金具の跡、ちゃんと天蓋が付いていたようだ
DSC00054_R_20140912213623d17.jpg
トンネルから弾薬庫を経て、切り通しを登って行く
DSC07865_R_201409122136247cb.jpg
砲座に到着
DSC07866_R_20140912213625afd.jpg
見学用の看板(三段目の旧は間違いである、旧第三砲台は別の場所で、そこから撤去された28cm榴弾砲2門をこの第三砲台に移設している)
DSC00030_R_20140912211830d56.jpg
第一砲座右側 (第二砲座は失われている)
DSC00031_R_2014091221183236f.jpg
上に向う階段がある、この先には観測所がある、当時はハシゴか簡易階段があったのだろう
DSC00032_R_2014091221183328f.jpg
第一砲座左側
DSC07869_R_2014091221362991d.jpg
仮弾薬置き場の番号
DSC07868_R_201409122136272a8.jpg
この砲座には28cm榴弾砲が2門据えられていたので、仮弾薬置き場も多い
DSC07867_R_20140912215512790.jpg
この地下には砲側弾薬庫が埋まっている
DSC00157_R_201409122155172a1.jpg
ここが入り口のアーチだが、隙間も無い、もとは掘り下げた階段式通路があった
DSC00150_R_201409122155165ff.jpg
ここには砲弾を砲座に吊り上げる、簡易クレーンの跡がある
DSC00001_R_20140912220547f42.jpg
ここの看板とも言える、独特な楊弾井がある
DSC00317_R.jpg
この通路は、28cm砲弾を運ぶには狭すぎる、装薬のみだろうか?
DSC07870_R_201409122155132be.jpg
楊弾井
DSC00319_R_20140912220545f3c.jpg
鶴頚揚弾機の跡も見当たらない、どういう構造だろう?
DSC00320_R_20140912220546169.jpg
割りと手前の方に穴が開いているような感じ
DSC00154_R_20140912222621cfa.jpg
道に沿って坂を上ると、左側に左翼観測所の跡が一部残っている(本体は斜面の下に落ちている)
DSC00155_R_2014091222262239a.jpg
ここでは、刻印の打ってあるレンガを見る事ができる
DSC00156_R_2014091222262408a.jpg
幾つか有るが、最近は持ち去られるのか、数が減っている
DSC00035_R.jpg
第一展望台前面にあるのだが、近代だろう
DSC00052_R_20140912222620a86.jpg
昔はここに展望台が建っていたが、老朽化で撤去された
DSC01018_R_20140912223937661.jpg
胸檣を上から見る、モルタルで塗られている
DSC00328_R_201409122248159a6.jpg
胸檣に沿って、小道が作られている
DSC00329_R_20140912224816aca.jpg
夏に来ると、草木が繁り、まともに砲座が見下ろせないので、冬に来よう




今回はガイドツアーでも見れる一般的な部分を紹介した、次回は普通の人は見ない部分を紹介する

東京動力機械製造株式会社 疎開地下工場

栃木県那須烏山(からすやま)市中央にある、東力士「どうくつ酒造」に行って来た。
ここは以外に珍しい、戦車の疎開工場である。
 東京動力機械製造株式会社地下工場跡は、高さ・幅とも約3.5mの3本の坑道と5本の横坑で構成された総延長約600mの素掘りトンネル群である。
1944年から1945年にかけて建設された軍需工場の一部で、隣接した半地下式工場と併せ約20台の戦車が製造されたとされる。
旧第14師団司令部が置かれた宇都宮市に隣接し、掘削に爆薬を必要としない凝灰質砂岩の丘陵であったことなどから当地に建設されたものと思われる。
第二次大戦終結後、坑道は放置されたが、坑道内の気温が古酒の貯蔵に適していることから、1944年に地元の酒造業者により構内の舗装と電気工事等の整備が行われ、1996年から熟成酒の貯蔵庫として利用されている。
また、2002年から施設の一般公開が開始され、2005年からは坑道内でのコンサートが企画されるなど、地域のコミュニティー活動の場としても活用されている。
しかし、かの震災以来、撮影やコンサートのオファーは途絶えているようだ。
なお、この地下工場自体は稼動する事無く、終戦となり、動力室と工作室の一部になる計画だったようだ。
工場が製作を開始すると、軍関係技術者が四〇名ほど、一般工員が八〇名ほど就労したそうだ。
(烏山町史より一部抜粋)
奥行き約100m、横幅約60mの総延長600mほどの壕だが、見学は右手前の1/4程度のみだ。
DSC01240_R_201409101943072ad.jpg
ここを山に上っていく、大量ののぼりや看板があるから判りやすい
DSC01191_R_20140910194305327.jpg
山肌を少し登るとスグに見えてくる
DSC01192_R_20140910194306f5d.jpg
日曜の午後なせいか、それなりに先客がいた
DSC01194_R_20140910195638f98.jpg
売店兼受付で、順番待ちをする(少人数ごとの入壕)
DSC01219_R_20140910195640339.jpg
DSC01223_R_20140910195921c80.jpg
土木学会選奨土木遺産
DSC01220_R_20140910195641c4b.jpg
DSC01221_R_20140910195642076.jpg
DSC01222_R_201409101956447ba.jpg
説明
DSC01196_R_20140910200724147.jpg
商売用の酒蔵なので、出入り口はかなり厳重だ
DSC01197_R_20140910200726323.jpg
この支保工は、開業用に整備したもので、オリジナルでは無い
DSC01225_R_201409102007306fe.jpg
人がいないと、すごくいい感じ
DSC01198_R_R_20140911071734ffb.jpg
所々で、ガイドさんが説明をしてくれる
DSC01199_R_20140910200729b59.jpg
オーナーズボトル(5~20年間預かって熟成してくれる)子供の誕生に購入し、成人に合わせて蔵出しするとか等
結婚記念日とかにもいいかも知れない、かみさんに内緒で。
DSC01201_R_20140910202516199.jpg
希少古酒スペース
DSC01203_R.jpg
壕内は結構湿度が高い
DSC01204_R_201409102025209aa.jpg
壕内温度は平均10度C、季節によりプラマイ5度Cだそうだ(湿度は振り切っている)
DSC01205_R_20140910203105f7d.jpg
壕の両脇は、酒瓶で1杯だ
DSC01207_R_20140910203106b5f.jpg
この床面は、見学及び商売用にコンクリートの全面舗装となっている
DSC01208_R_2014091020310723e.jpg
ふと、見上げると、当時の掘削時の支保の跡が其処此処にある
DSC01209_R_201409102031091e5.jpg
整備したとは言え、かなり状態がいい壕だ
DSC01210_R_2014091020311093a.jpg
どうくつコンサートの写真
DSC01211_R_2014091020412992f.jpg
商品搬入口には、バッテリーリーチフォークが完備してある
DSC01212_R_201409102041309d0.jpg
サンプル的に蔵置状態を見せているだろう棚
DSC01213_R_201409102041319e6.jpg
亀もある
DSC01200_R_2014091020251594d.jpg
入り口付近の死因コーナー
DSC01214_R_20140910204133910.jpg
それっぽいムードは出している
DSC01215_R_201409102041343fa.jpg
入り口近くは14度Cと少し高め(八月末)
DSC01216_R_20140910205058e4b.jpg
杉玉(日本酒の造り酒屋などの軒先に緑の杉玉を吊すことで、新酒が出来たことを知らせる役割を果たす。「搾りを始めました」という意味である。吊るされたばかりの杉玉はまだ蒼々としているが、やがて枯れて茶色がかってくる。この色の変化がまた人々に、新酒の熟成の具合を物語る。)
DSC01217_R_2014091020505993c.jpg
あらかじめ試飲希望者は、飲む人数を聞かれるので、申告しないと試飲出来ない
DSC01218_R_20140910205100c4e.jpg
見学は全体の1/4程度でしかない
DSC01202_R_201409102025177cb.jpg
15分程度で見学は終わる
DSC01227_R_20140910210142b40.jpg
手前のリヤカーはどうくつカフェらしい、蔵の仕込み水を使った水出しコーヒーやかき氷、自家製のジンジャーエールが楽しめます、ってのを2012年ぐらいにやっていたようだ 
DSC01224_R_20140910210140c6e.jpg
干支のラベルを貼って、年末に送ってくれるらしい
DSC01226_R_20140910210141552.jpg
付近を探索すると、商品搬入口があった、中から見た所だ
DSC01228_R_20140910210144b01.jpg
上の方にお堂があった
DSC01229_R_201409102101451bd.jpg
坂の下の方にも、別の壕があるが入れないし、覗く隙間も無い
DSC01193_R_20140910211050851.jpg
眼下に見える市営住宅に、怪しい門柱発見!見に行く、位置的にこの場所が半地下式工場のあった場所に思える
DSC01231_R_20140910213122fdf.jpg
道路から回り込む
DSC01230_R_20140910213120274.jpg
郵政省所轄の看板あり、市営では?
DSC01239_R_20140910213126d47.jpg
工場の門柱かと思ったが、廃校になった小学校の校門だった
DSC01232_R_2014091021312356d.jpg
烏山町立神長小学校(1971年烏山小へ統合)戦後工場跡地を学校に転用した可能性はあるが、想像の域だ
DSC01238_R_201409102131246f5.jpg
なんか地面から生えている
DSC01235_R_2014091021385286e.jpg
住宅の他に、古びた木造建築物があった
DSC01236_R_20140910213853a74.jpg
恐らく工場関連ではなく、小学校の物置的な物では?
DSC01237_R_20140910213855c74.jpg
公民館に転用されているようだ

「どうくつ酒造」は土日祝日は、ほとんど開放日として公開している様だ、平日でも予約をしておけば、対応してくれる
開放日なら、島崎酒造に寄らずとも、直接「どうくつ酒造」に行けばいい、駐車場は10台ぐらいだろうか
壕を使用するだけではなく、一般に無料開放してくれるなんて、民間ではそうそう無い事だ、評価したい。
宣伝だろうなんて、下世話な事は言わないようにね


陸軍宇都宮師管区地下司令部(八幡山公園)

栃木県宇都宮市にある県庁舎の裏手に位置する八幡山(はちまんやま)公園には、旧陸軍の指令部壕があると言う
前々から存在は知っていたが、メインの大谷とはちょっと位置がずれている為、今回まで訪れる事が無かった
まぁ、鉄壁の防御柵が張られ、見学用入り口のA.B.Hラインしか開口部が無く施錠されているからもある。
しかし、数少ない栃木の戦跡だし、指令部壕だし、あわゆくば入れないかと行って見た

1945年6月中旬に工事が始まり、250人が3交代24時間態勢で掘削、8月の終戦までに掘った横穴の総延長は721メートル、本土決戦に備え、陸軍宇都宮師管区司令部を敵に見つかりにくい八幡山地下に移す計画だった。
終戦を迎えたときには一部未貫通部分が有ったため、このままでは米軍が入って来たときに日本軍の名折れになると終戦後も数日間作業を続け貫通後部隊を解散した、まさに日本人の意地である。
2000年から一般公開されたが、現在は崩落の危険性があるため非公開となっている。
今回は観光がてら、公園散歩程度の物になったが、帰宅後調べ直して猛烈に後悔する事になる。
DSC01189_R_20140908205348233.jpg
西駐車場に停める、ひょうたん池の隣の駐車場が近いが、競輪場の客が止めてしまって空きが無い
DSC01190_R_201409082053511ce.jpg
指令部壕は上の赤丸で、駐車場から結構歩く
DSC01159_R_201409082053449e2.jpg
遠くに小さなタワーが見えるので、そっちにショートカットしながら登る
DSC01161_R_20140908205346394.jpg
来て見たら、それなりの大きさだった
DSC01162_R_20140908205347467.jpg
対岸に行きたいので、他に道も見当たらないから吊橋を渡ってみる(実は横に普通に下りる道があった)
DSC01164_R_201409082112361f3.jpg
以外と長い吊橋だった、(ちなみにロープは橋の下に張ってあった)
DSC01163_R.jpg
橋からひょうたん池を見下ろす、目的の壕口は右の電柱の辺り
DSC01165_R_20140908211237594.jpg
地図をちゃんと見なかった為に、多少遠回りをして下の道に出た
DSC01166_R_20140908211239714.jpg
この鳥居の所から入って行く
DSC01167_R_20140908211240c4c.jpg
スグに壕口が見えてくる
DSC01168_R.jpg
かなり日に焼けた案内板がある(ここにしかない)
DSC01170_R_201409082120040a0.jpg
御案内
DSC01169_R.jpg
平面図なのだが、肝心の坑道ラインが見えない
M-CHIKA_R_201409082124336ff.jpg
濃い目のやつを拾ってきたが、何故か横にならない
DSC01171_R_20140908212917869.jpg
では、失礼して
DSC01177_R_201409082129201a0.jpg
見学会用に引き込んだ照明施設が壁に這う
DSC01173_R_20140908212918f7b.jpg
Bラインの案内看板
DSC01178_R_20140908212921834.jpg
足元には何故かスコップが、甘い夢を見る人は多いようだ
DSC01179_R_201409082135234c6.jpg
橋など見上げながら歩いてたら、Aライン入り口を見落としてしまった
DSC01180_R_2014090821352496b.jpg
こんな標柱があちこちに生えていた
DSC01181_R.jpg
庭先のぬこ
DSC01182_R_201409082135276cc.jpg
山沿いに藪を漕ぐ事30分ほどでHライン発見
DSC01183_R_2014090821352937d.jpg
入り口付近はかなりぬかるんでいた
DSC01184_R_2014090821405807b.jpg
ここもガッチリとガードされていた
DSC01187_R.jpg
ここは見学コースでは無いが、以外にきれいに整備されている
DSC01188_R_201409082141004d7.jpg
有毒ガスが発生するような所に公園を造るのだろうか栃木は?

自宅に帰ってから、良く調べて見ると、なんとチャレンジャーがいた、しかも女性だ!
現実逃避の放浪記を見て、猛烈に後悔した、端から入れないとタカをくくっていたのが敗因だ
事前調査の甘さを痛感してしまった、反省しよう・・・・

大谷石採掘場跡(中島飛行機地下軍需工場)火薬庫?その2

DSC01067_R_20140906181427b27.jpg
3本目の坑道
DSC01068_R_2014090618142926c.jpg
側溝の際は大谷石で加工されている
DSC01069_R_20140906181430372.jpg
天井の、地層に沿って掘削した跡
DSC01072_R_20140906181431a02.jpg
深部に行くと、タイヤの轍がある、キノコ業者か?
DSC01073_R_20140906181433b6b.jpg
しかし、大谷石で加工された出入り口からは、車の出入りは無理だろう
DSC01075_R_20140906183432f95.jpg
逆に戦中の運搬時に使われ、戦後人の出入用に狭めて補強された感じだ
DSC01077_R_201409061834338ae.jpg
また、横の枝抗を通って4本目の坑道に向う
DSC01078_R_20140906183434ce7.jpg
この坑道は、妙にぬかっていた(人物比OKN氏)DSC01081_R_20140906183435aca.jpg
中ほどを過ぎると、大分マシに成る
DSC01083_R_20140906183437d3d.jpg
壕の中ほどなのだが、貫通していない、右は中央の横の枝抗
DSC01084_R_2014090618471624b.jpg
ここを掘っている途中で、終戦を迎えたのだろう
DSC01085_R_20140906184717a10.jpg
朽ちた支保工が埋まっている
DSC01086_R_20140906184718691.jpg
不思議な事に、この掘りかけ部分は、上に向っているのだ、天井から2mはある
DSC01088_R_20140906184719877.jpg
振り返り、坑道を見る、この空間は人間が作った物なのが信じ難い広さだ
DSC01090_R_20140906184721708.jpg
進めないので、横抗へ進む、排水溝がキレイだ
DSC01091_R_20140906185938090.jpg
28ccと書かれた小瓶が幾つか落ちていた
DSC01092_R_20140906185940377.jpg
第三坑道中央から壕口方面に向う
DSC01094_R_2014090618594038c.jpg
横抗のめちゃ深い排水溝、50cmほど掘ってある、なぜここだけ深いのか?
DSC01096_R_20140906185942d8d.jpg
この排水溝の加工跡を見ると、水流で掘れたものではなく、最初からのものだ
DSC01097_R_20140906185943a44.jpg
床面のあばたは、滴る水滴で掘れたものだ
DSC01098_R_201409061911357ec.jpg
ズリを山積みしたような場所
DSC01100_R_20140906191137020.jpg
乗り越えると僅かな隙間が有る
DSC01102_R_2014090619113816d.jpg
何とか潜り抜ける事が出来そうだ
DSC01103_R_20140906191139f48.jpg
少し広くなったが、水没している
DSC01105_R_20140906191141f91.jpg
更に進むと、開口部がある
DSC01106_R_201409061918094c3.jpg
気が付くと自分一人しかいない、メンバーが着いて来ないが先に行く
DSC01107_R_20140906191810db1.jpg
久しぶりに外界に出た、暑い!壕内に戻りたい!
DSC01109_R_20140906191811df1.jpg
振り向くと、自然に帰りそうな抗口がある
DSC01110_R_201409061918124d8.jpg
何やら人工的な切り通しがある
DSC01111_R_20140906191814188.jpg
なんとこれは!露天風呂ではないか、こんな所に秘湯発見!
DSC01112_R_20140906192856d57.jpg
周りには、トタン葺きの竹で作った東屋(脱衣所?)があった、一応大谷も温泉地だ
DSC01114_R_201409061928571ba.jpg
置いてきぼりになったので、さっさと壕に戻る、涼しくて快適だ!
DSC01116_R_20140906192858230.jpg
隣の壕に移動すると、キノコ業者の苗床の跡が残っている
DSC01120_R.jpg
出口に向う方向の通路、枕木状に坑木がある
DSC01122_R_20140906192901cf8.jpg
ここもちょっとキワドイ状態でバランスを保っている様に見える
DSC01123_R.jpg
絶妙な乗っかり方をして、積みあがっている巨石の隙間を縫って行く
DSC01124_R_2014090619390671f.jpg
なんとか、抗口らしき物は確認出来たので引き返す、一人で埋まったら洒落にならん
DSC01125_R_2014090619390638b.jpg
坑道に戻ると、少し安心する
DSC01126_R.jpg
落ちていた電気部品
DSC01128_R_2014090619390991f.jpg
ぐるっと回って、最初の壕口付近に戻り、行かなかった水没通路、第五坑道掘削予定地
DSC01129_R_20140906195839418.jpg
見落としの部分を見て回る
DSC01132_R_201409061958406c7.jpg
外側のぬかった通路に戻って来た、見ていない枝抗がある
DSC01133_R_20140906195841f03.jpg
電気ソケット付きの碍子
DSC01135_R_20140906195843453.jpg
掘りかけだった通路の先があるようだ
DSC01137_R_2014090619584484d.jpg
掘りかけ通路の反対側からも掘削中だった
DSC01138_R_20140906200655d7c.jpg
との氏が突入して行く
DSC01141_R_20140906200656875.jpg
ふと、天井を見ると、チーフを垂らす杭が幾つか刺してあった
DSC01143_R.jpg
奥は掘りかけ、終息であった
DSC01145_R_2014090620065963b.jpg
黙っていたが、との氏の横にもや状の物が見えたので、ライトを消して撮って見た、なんだったんだろう?
もちろん水面は下だし上の写真で、誰も何も無い事は確実だ(この後彼は、体の疲れを訴えていた)
DSC01148_R_20140906200700ae3.jpg
戻りがけに見た、意地になって取り付けたような、無駄に碍子だらけの通路
DSC01150_R_20140906204152347.jpg
きのこが自生している
DSC01151_R_20140906204153313.jpg
メンバーがザイルを手繰り、登ってくる
DSC01152_R_20140906204154ec3.jpg
探索終了、後は藪漕ぎして帰るだけ
DSC01153_R_201409062041566ad.jpg
冬には見えていた鉄塔は、緑のツリーと化している
DSC01154_R.jpg
これで、一般的に入れる壕の探索が終わった、後は場所は判っていても現役の採掘場だったりする
取りあえずここでの探索が終わり、別件の探索地に向うのだった(このかっこうで)


大谷石採掘場跡(中島飛行機地下軍需工場)火薬庫?その1

前回冬に訪れた時に発見したが、壕口が凍り付いていて、滑落の危険があり先延ばしにしていた壕に行って来た
近所の住民の話によると、火薬庫として使われていて、今は腰より深い水没があるよとの話だった
前回の壕と隣り合わせに存在しているが、接続はしていない(しようとした痕跡はある)
計画図を見ると、5本の本壕を枝坑で繋げるはずだったようだが、実際には右側4本目が未完成、左側に掘り進めて多少左右に掘りかけた程度の5本目らしき物は、確認出来た
DSC02818_R_2014090420022353f.jpg
この計画図の左上が今回のターゲットである(前回はその下)
DSC01007_R_2014090420110464c.jpg
2130横浜集合
DSC01010_R_20140904201103071.jpg
高速割引減少により、下道で走る
P1030094_R.jpg
0100ごろ道の駅「ろまんちっく村」に到着
DSC01012_R_2014090420111060c.jpg
50%の雨予報だったが、なんとか持ちそうだ
DSC01011_R_20140904201108528.jpg
0800ごろメンバーを起こす
DSC01013_R.jpg
大谷駐車場に到着
DSC01015_R_201409042037213ab.jpg
今週末はお祭りのようだ
DSC01018_R_20140904203722b49.jpg
早速山の中へと分け入って行く
DSC01019_R_20140904203723c15.jpg
前回入った壕口は、今回は入らない
DSC01022_R_20140904203725bd4.jpg
今回のターゲットに到着、前回は入れないんじゃなく、凍って滑って出れない可能性があったが、大丈夫
DSC01023_R_20140904203726b13.jpg
この壕で、一番整った入り口から進入する
DSC01024_R_20140904204540763.jpg
この僅かに空いた隙間から、ほとんど縦に滑り降りて入壕した(後の二人はザイル使用)
DSC01025_R_201409042045425e5.jpg
実際に使用されていたせいか、碍子が多くぶら下がっている
DSC01027_R_20140904204542bc6.jpg
平均的に3X4サイズの横広
DSC01028_R_201409042045449af.jpg
側溝もきちんと生きている
DSC01029_R_20140904204545985.jpg
天井にはワイヤーで吊られた碍子が多い
DSC01030_R_201409042055407f9.jpg
内部は結構湿度が高い
DSC01031_R_20140904205541ec1.jpg
左側に向う抗道だが、水没しているが先の方で左右に少し掘られ、5本目の坑道になりそうだった
DSC01032_R_20140904205542075.jpg
枝抗は各3本ずつを基準としているようだ
DSC01034_R_201409042055444cb.jpg
本抗を進む
DSC01036_R_20140904205545391.jpg
お決りのキノコ業者の残骸がある(現役でやってる防空壕ってあるのだろうか?)
DSC01037_R_201409042105507d5.jpg
垂れ下がったワイヤー、何回か頭に当たった
DSC01038_R_201409042105517bf.jpg
最初の最深部、土砂が流入している
DSC01039_R_201409042105525fd.jpg
最奥の枝抗をくぐる
DSC01040_R_20140904210553fe9.jpg
この辺には側溝が無いので、水が流れた跡が掘れている
DSC01041_R_2014090421055523c.jpg
隣の壕は開口しているようだ
DSC01042_R_20140904211637099.jpg
光に向って行くと、なぜかドラムセット?個人邸の敷地に開口しているようだ
DSC01043_R_20140904211638f3c.jpg
出る訳にもいかず、こそこそ戻る
DSC01044_R_2014090421163951c.jpg
壕内に戻ると、なぜか落ち着く
DSC01046_R_201409042116410b7.jpg
また、枝抗を渡って横移動する
DSC01047_R_20140904211642fef.jpg
この辺妙に四角い
DSC01050_R_20140904212438df1.jpg
天井の地層を剥がしながら、拡張したから四角くなっているようだ
DSC01051_R_20140904212439401.jpg
大谷石で加工された出入り口、戦中かは不明
DSC01055_R_2014090421244058e.jpg
地層のせいで上りに見えるが、平坦な坑道だ
DSC01056_R_20140904212442d50.jpg
久しぶりにメンバーと合流
DSC01057_R_20140904212443dc6.jpg
天井のチーフを垂らす為の杭
DSC01058_R_201409042136429e4.jpg
キノコ業者のビニールシート
DSC01059_R_201409042136442cb.jpg
足元に滴る地下水の波紋
DSC01060_R_201409042136453a9.jpg
この通路は開口しているせいか、湿気が少ない
DSC01061_R.jpg
分岐に残る、碍子板
DSC01062_R_201409042136481bb.jpg
足元にもキノコ時代だろう電気パーツが落ちている
DSC01063_R_20140904214542bf7.jpg
この枝抗は小さ目だが
DSC01064_R_20140904214544e95.jpg
随分綺麗に側溝が切られている
DSC01065_R.jpg
良く見ると縁は大谷石で整形し、土管で水路も確保されている
DSC01066_R_20140904214546734.jpg
次回はこっちに行って見るが、なんと〇〇がそこにはあった


平成26年度 富士総合火力演習 その6

DSC00800_R_20140902203810b7b.jpg
展開終了、奪回準備に入る
DSC00801_R_201409022038125ff.jpg
まずは、敵情偵察から
DSC00807_R_20140902203813fb7.jpg
87式偵察警戒車の進入
DSC00816_R_201409022038149bb.jpg
エリコン25mm機関砲
DSC00820_R_20140902203816497.jpg
下の方でも撃ちまくっている
DSC00822_R_20140902204742798.jpg
偵察部隊離脱
DSC00827_R_20140902204744bb9.jpg
OH-1観測ヘリによる偵察
DSC00833_R_20140902204745751.jpg
なにか出て来た
DSC00835_R_201409022047465f1.jpg
74式戦車の登場
DSC00838_R_20140902204748049.jpg
左の台で射撃準備
DSC00844_R_20140902205645343.jpg
特火部隊の発煙弾
00346_Capture_3_R.jpg
105mm砲発砲!
00346_Capture_4_R.jpg
丘の上にいる92式地雷原処理車
00346_Capture_5_R.jpg
92式地雷原処理用ロケット弾
00346_Capture_6_R.jpg
発射!
00346_Capture_7_R.jpg
00346_Capture_8_R.jpg
00346_Capture_9_R.jpg
00346_Capture_10_R.jpg
推進用ロケットの燃焼が終わる
00346_Capture_11_R.jpg
すると、末端部のパラシュートが開き
00346_Capture_12_R.jpg
ロケット弾本体の中から数珠繋ぎ状になった爆薬がパラシュートに引き出される
00346_Capture_13_R.jpg
爆薬は縦一列に地雷原上に落下して行く
00346_Capture_15_R.jpg
着地、数秒後、26個が同時に起爆して付近に埋設された地雷を爆破処理する
DSC00873_R_20140902212156006.jpg
物凄い爆圧が襲ってくる(今回の火薬量は1/4だ)
DSC00882_R_201409022121570ee.jpg
10式戦車が突っ込んでくる
DSC00887_R_20140902212159ce1.jpg
殺人ブレーキ
DSC00891_R_20140902212200ac0.jpg
スラロームで発砲する
00346_Capture_16_R.jpg
00346_Capture_17_R.jpg
排煙がきれいだ
DSC00892_R_20140902215031e30.jpg
89式装甲戦闘車の進入
DSC00907_R_20140902215032b29.jpg
上空にヘリが集まりだす
DSC00908_R_2014090221503324d.jpg
35mm機関砲の3連発
DSC00910_R.jpg
着弾煙
DSC00914_R.jpg
陣地移動
DSC00916_R_20140902215849597.jpg
90キター
DSC00924_R_20140902215850413.jpg
しかし手がじゃまだ
00346_Capture_18_R.jpg
90式の突入
DSC00929_R_20140902215851aca.jpg
奥地に突っ込んでいく
DSC00933_R_20140902215853d98.jpg
入れ替わりに10戦車
DSC00935_R_20140902215854ac1.jpg
89式装甲戦闘車が陣地転換してきた
DSC00940_R_2014090222045512d.jpg
迫撃砲部隊の支援射撃
DSC00942_R_2014090222045647e.jpg
各車配置に付く
DSC00945_R_201409022204571e6.jpg
上空のヘリが動き出す
DSC00947_R_201409022204590fe.jpg
盛大な音で、アナウンスも聞こえない
DSC00953_R_20140902220923c09.jpg
89式装甲戦闘車と10式戦車の発煙弾
DSC00957_R_20140902220924263.jpg
フィナーレ
DSC00964_R_2014090222092515e.jpg
DSC00966_R_20140902220927bd2.jpg
上空を旋回していくヘリ部隊
DSC00976_R_20140902221554329.jpg
地上展示の為、移動して行く戦車たち
DSC00978_R_201409022215552c0.jpg
DSC00980_R_201409022215564cd.jpg
DSC00985_R_20140902221558564.jpg
振り向くと、大移動が始まっていた
DSC00987_R_20140902221846684.jpg
地上展示を見たい人はその場でアナウンスが出るまで待つ
DSC00989_R_20140902221847a20.jpg
畑岡、高塚駐車場の人はABスタンド側からさっさと出て行けるが、海苔川はそうは行かない
DSC00990_R_201409022218486ac.jpg
仮設陸橋を2分して、右が海苔川及び総合グラウンド、左が御殿場駅もしくはタクシーの列
DSC00993_R_20140902221850a45.jpg
橋を渡った後の列、右がタクシー、真ん中が御殿場駅シャトルバス、左が海苔川及び総合グラウンド駐車場
DSC00994_R.jpg
この仮設陸橋は毎年総火演の為だけに仮設される
DSC00995_R_201409022232496fc.jpg
今年も終わってしまった、総火演
DSC00996_R_201409022232502ac.jpg
たぶん、ここにしか無い案内板、帰りがけに始めて見た
DSC00998_R_20140902223251033.jpg
並ぶ列を間違えると、大変な事になるので良く確認しよう
DSC00999_R_20140902223253718.jpg
駐車場行きのシャトルバスは、大して混まないが、御殿場駅行きは大変だ、列がぜんぜん減らない
DSC01000_R_20140902223254243.jpg
20分で海苔川駐車場に付く
DSC01001_R_20140902224158d77.jpg
演習を終えた車両がタイヤで自走出来る物だけが、先に富士学校へ帰って来る
DSC01003_R.jpg
続々と続いてくる
DSC01004_R_20140902224200ac6.jpg
1450の御殿場インター4km前ぐらいの電光板
DSC01005_R_201409022242023f9.jpg
1700の御殿場インター入り口の電光板
DSC01006_R_20140902224203ef7.jpg
横浜到着時間、1200に終わったんだけどな~