静岡県伊豆半島には、特攻基地が密集しているのだが、今まで行った事が無かった。
他の地方の探索が忙しいのと、伊豆半島はかなり広く、二の足を踏んでいたのだ・・・・
今回栃木方面が一段落した所で、伊豆方面に着手してみた。
伊豆の最南端の長津呂(石廊崎)を含めた東伊豆が第一六突撃隊(本部は下田)だった。
幸いにも本土決戦用となっていたこの基地からの、出撃は無かった。
記録には11ヶ所の壕が掘られている、これは船体だけではなく、燃料格納壕や弾頭庫なども含んでいる。
他にも石廊崎には横須賀海軍警備隊の特設見張所がおかれたが不明。

取り敢えず一番下から紹介するが、時系列はバラバラだしもちろんこの中の幾つかしか行ってない

本日00:45に道の駅「伊豆のへそ」に到着、車中泊する

翌日、天気予報はかなり微妙だったが、雨は上がった

早速出発、ループ橋を渡る

ループ橋は工事中だったのでイマイチ

下田経由石廊崎を目指す

石廊崎漁港に到着

震洋壕は、漁港にある

上空写真

まずは、駐車場前にある壕口その1

入れないが、開口している

壕口その2、入れない理由はこれ、海を埋めた水路があり高低差もあり渡れない

この2つの他に、トイレの裏にも壕口その3が有るのだが、カメラを持ってトイレの裏に観光客注視の中行けなかった、気が弱いので周りを気にしてしまう(メンバーはトイレに行っていた)

関係者以外立ち入り禁止とあるので、駐車場で許可を取った

壕口その4

廃材が詰められ、奥までは行けない

壕口その5

柵があるので入れないが、中は見える

対岸に遊覧船が入って来た、たしか「おしどり」

漁港の奥に入って行く

遊覧船はすぐに次の航海へと旅立っていった

最深部のお食事処の隣に、壕口その6

かなり大型の壕で海龍ではないかと思われる

店と漁港の物置になっているので、進入不可

繋船用ボラードは岩を削って作られている、初めて見たこんなの!

屋形船が浮かんでいた

回り込むとコンクリートで区切ったブロックが見えるが足場がなく近寄れない

石廊崎漁港全景

漁港の対岸、灯台方面への道に行く

土産物屋の裏の壕、急傾斜工事の際に削り取られ短くなっている、船体用では無いだろう、壕口その7

もう少し登った所にある壕口その8

左に曲がっている壕、もうこれ以上上には確認できなかった

観光客の杖の返却率が悪過ぎたのだろう、空っぽの杖入れケースが草むらに転がっていた

先に寄った壕口その4と5

壕口その6

生簀状の部分

入り組んだ入江は海食が進んでいる

山の上には風力発電のプロペラが乱立していた

崖下に桟橋橋脚らしき物が有る様だが、見えなかったので下山した

売店裏の擁壁部分のスリット

怪しげなので覗いてみた

内部はゴミだらけの、壕口その9

奥にもう一つある

少しはマシな、壕口その10

あんまりマシでも無いか・・・・

駐車場もっとも手前にある対岸の壁面

入れないが、壕口その11
何とか定数の11本の壕を確認できたが実数とは合わないのが常である、きっと家屋や擁壁の奥にも有るだろう
長津呂震洋特攻基地の帰り道、下田海中水族館近くの鍋田浜に
陸軍の潜水輸送部隊があった所に寄った。
時間が押していたので、下田地区の探索はやっていないのだが、道路から見えたのでここだけ寄ってみたのだ。

降り口は鍋田口バス停前

トンネルより石廊崎側

道路側の壕口

奥は右に伸びている

路肩にある開口部

多分道路側の壕と繋がっている(どう見ても民間防空壕ではない)

そばに空いたいる小さな穴

近くに有る津田式ポンプ

下田はペリー縁の土地でもある
今回はこれより下には行かなかったが、この道の下にある大浦八幡宮には「㋴」の鎮魂碑がある。
「㋴」とは日本陸軍が海軍にも極秘で開発を進めた輸送潜水艦のことでである。
正式名称を陸軍潜航輸送艇、秘匿名称を「まるゆ」と言った。
計画では四百隻を建造する予定でしたが実際には四十隻ほどが実際に配備されたようだ、そのうちの一隻である八号艇がここに配備され、昭和二十年八月十三日(終戦二日前)早朝の空襲で十名の戦死者を出した、見た訳ではないが船体が真っ二つになっって沈没したらしい。
武装は前部上甲板に搭載された戦車砲の改造型のみで、食糧・弾薬・医薬品等の物資輸送を主任務とした。
3隻が比島レイテ湾で沈没、1隻が荒天の為消息不明、八丈島輸送任務から戻り、仮泊中のこの八号艇のみが損傷艇となり、35隻は残存した。
ちなみに戦後放置されていた八号艇は、朝鮮戦争(特需景気)の金属不足時に引き上げられ、スクラップと化した。
愛媛県伊予三島市の金比羅神社には、「まるゆ」陸軍潜水輸送教育隊記念碑がある。