近衛歩兵第10連隊第四中隊後谷坑道陣地(上層)

ここは松之郷「後谷(うしろやつ)坑道陣地」とも言われている様だ
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上層へ登ると墳墓の跡がある、上層はこれら墳墓を利用していると思われる
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斜面を竹に捕まりながら、登って行く
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一見墳墓だが、奥に通路が見える
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なんと、下り階段(斜面化)がある
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十字路に出る
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まずは真っすぐ進む
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通路がかなり先細って来る
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木の根に侵食された狙撃口
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外から見た狙撃口
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外をへつると別の開口部がある
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覗き込むと白いビニール袋が見える
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一旦もと来た通路に戻る
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行かなかった枝に行く
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広めの円形空間の中心に
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深く掘られた穴がある、陣地には敵に投げ込まれた手榴弾を縦に掘った穴に落とし、爆発を上方向に逃がす工夫がなされている所があると言う、ただの落とし穴かも知れないが・・・・
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すぐ前にはさっき外から見た開口部(白いビニール袋)がある
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無視して通ってきた下り通路
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大分丸く風化している階段がある
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こうすると味が出る
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馬蹄形の通路を進む
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通路が馬蹄で無くなり、右に曲がる
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部屋を挟み、風と光が入ってくる
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風化しているが、四角い部屋
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狙撃口部
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外から見た狙撃口
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狙撃口から覗き込んだ内部
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足の下は、即崖である
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灯り置きの彫り込み
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通路に戻る
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突き当たりの通路の左手
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次の狙撃口がある
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かなり壁面全体が風化していて、砂の様に崩れて外に出るのは危険である
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ましてや、下を覗こうとしては落ちる可能性がある
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外から見た、ここである、足場などあった物ではない
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安全第一で壕内に戻る
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先へ進む
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変化のない通路
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そして終焉
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上には人為的に掘った丸い跡がある
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最後の通路を行くと
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山の反対側に出てしまった(民地の様なので、注意)
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がんがん坂を下りて撤収
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近衛歩兵第10連隊第四中隊後谷坑道陣地(下層)

東金市田間にある、がんがん坂に構築された陣地壕で、下層に速射砲陣地などと掩蔽部を備え
上層に狙撃口を並べた感じの攻撃性の高い陣地に感じる。
この地には田間城が過去にあり、墳墓などを一部改造して造られているようだ
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がんがん坂、うさぎ跳びで登りたくないぐらいきつい坂道
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右手の竹やぶから見える山肌に
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すてきな銃眼が見えていたのは、知っていた、近年きへい氏により壕口が発見された(上層)
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まずは左手斜面の壕口を見に行く
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これが難物で、今の地表より1mほど下になっていて、水が溜まっている
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入って右に曲がっているのは見えるのだが、流石に水の中に飛び降りる気がしない、下が分からん
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とゆう訳で、右斜面の竹やぶに突入する
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この上に上層の狙撃口が並んでいる
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藪に入って行くと、偽陣地がある
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更に奥に分け入って行く
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壕口到着
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内部は広くなっていた
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通常の壕口の倍くらいあるこの部屋は
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速射砲の砲室だった
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砲室から伸びる、陣地壕特有の曲がった通路
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広がりつつ、派手に湾曲する
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そして水没、飛び石を渡る
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水没を抜けると、ベンチのある棲息部がある
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灯り置きらしき窪みがある
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崖下なので、土砂の流入が激しい
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少々手狭で、全体が撮りにくい
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ギリギリまで下がってこんな感じ
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ほぼ埋まった開口部、棲息室兼砲室にも見える
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ここの棚上になっている所が特徴的だ
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さて戻ろう
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最初の砲室、人物比とのさん
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表に出て、二つ目の開口部をさがして見た、ほぼ埋没

今回は軽く下層のみ、次回上層部紹介

山王台新宿区 坑道陣地

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ここには下層と上層に分離した陣地がある
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下層は倉庫壕と思われる
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壕口の掘削は入りやすいが
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極短い
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単純壕である
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上層に登る
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上層進入開始
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この壕は、大部分が棲息壕である
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ベンチなのか、棚なのか判らない彫り込みが多い
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ここまで来ればベンチ以外には無いのだが(東金地区の特徴的な構造)
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この壕は棲息壕としてはかなり良い
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床面をもう少し何とかして欲しい
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陣地壕らしい、曲がりくねった通路
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反対から見る
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人に知られてないのが、もったいないぐらいに、造作が面白い
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内側から見た壕口
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また、棚が見える
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半円の棚の隣に、長い棚
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ズリだろうか、天井は綺麗で崩落ではない
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広めの通路
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外部出入り口
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キレイに整形された倉庫だろう
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更なる居住区
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かなり大きく掘ってある
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棚の後ろには扉を付けていた様な兆番の跡がある
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これまたキレイに整形されている、壁に灯り置きもある
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全体的な造りもよく、将校用か?
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通路を進む、水が溜まっている
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行き止まりだが、掘削中な感じではない
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また、開口部がある
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細くなった通路を進むと
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右に曲がる下り階段がある
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降りて行くと、壕の終焉が見える
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本来はこの土嚢で埋められた壕口が主出入り口で、横の窪みが衛所になると思われる

山王台の掩蔽部及び坑道式重機関銃(MG)陣地(八鶴湖側)

八鶴湖を挟み、東金高校の反対側に残る遺構を紹介して行く。
まずは、観測所から山を乗り越え下山する
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お墓に降りてきた
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本斬寺の本堂裏側
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壕口が並んでいる
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入口を覗くとすぐに曲がっている
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更に曲がる
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そして突き当たり
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大した深さはないが、キレイに四角く掘ってある
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表から八鶴湖方向に向かう
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面白い個人墓があった
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最福寺駐車場横の(公衆便所寄り)山王台公園への通路を上る途中の山道にそれはある
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最福寺の駐車場に車を停める
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山にちょっと分けいると
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入口を見えない様に隠蔽された壕口がある(半没)
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1mぐらいの入口をしゃがんで入る
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こんな感じ
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中の通路は適度に水没、直角に右に曲がる(季節により渇水)
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水没は長靴程度、銃座から振り返る
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銃座、膝撃ち用の掩体である
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壕外から、銃眼部を見る
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かなりいい状態だが、きへいさんが掘り起こしたもの
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銃眼から覗き込んだ内部

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現在横浜では見る事が無くなった遊具が実在する公園
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なんか面白いこと書いてあった
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そこそこ安い(千葉にはMAXcoffeeがよく似合う)
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当時の物と思われるレンガ壁
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となりの敷地にも基礎はある、結構大きな建物だった様だ
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山に入る
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壕口その1
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のっけから水没しているので、他を当たる
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となりの開口部より入壕する
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中から見た壕口
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典型的な陸軍坑道
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このサイズで続いていく
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とりあえずこっちに行く
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水没通路、最初の壕口に続いている
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行かなかった通路に進む
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ここには見た事がない形状の部屋(棲息部)があった
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通路を挟んで右側
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左側、見事なベンチが掘られている、両側にあるのは初めて見た
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棲息部を抜けて、先へ行く
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右へ直角に曲がる
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行き止まり?
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3つ目の開口部、後は出るだけ!


八鶴湖 東金臨時砲台観測所

九十九里浜防衛の為、銚子から一の宮にかけて、臨時砲台が設置された、これは艦船に対するものでは無く
水際防衛の為であり、射程の短い榴弾砲や野砲が多く配備されている。
東金臨時砲台の観測所が東金城址の山にある、またこの地には、近衛歩兵第10連隊本部も置かれ、タコ壺から機銃陣地まで様々な遺構が残されており、一部はハイキングコース化されているので、見やすい。
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八鶴湖を展望する八鶴亭、当然当時御用達の宿である
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数年前までは高そうで、近寄り難かったが
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国の登録有形文化財になったようだ
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カフェまでやっている
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湖畔にある忠魂碑
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近衛歩兵第10連隊本部正門(県立東金高等学校)
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良く見れば、なぜか家が上に生えている
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当時の建物はこれぐらいしか残っていない「記念館」
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しかもピンク、女子高時代のなごり
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学校脇のハイキングコースを登る
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鷹狩り史跡、分かる人には城址としての痕跡も分かるらしい
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探索者のみ、通って良しとのこと
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門をくぐると、すぐに防空壕がある
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馬蹄型の陸掘り
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学校のちりとり
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閉塞
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防空壕跡につき危険近づくなとある
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入口はいっぱいある
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入れる物は全部入ったが、一部連結しているものの、単純壕だ
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このルートは石碑だらけだ
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不戦古戦場 大東亜戦争 蛸壺
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昭和二十年(一九四五年)範部隊構築
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ここに蛸壺があるのだが、知ってれば何となくわかる程度
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近くに壕があった
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入ってみるが、小さな物だった
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もう一つ、祠状の物があった
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下駄の足の様な階段を登って行く
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こっから先は、ちょっと山に入る
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緑の土嚢で、補修してある
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迷わなければ、数100m程度で到着する
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着弾観測の重砲用観測所入口(壁は気にしてはいけない)
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かなり頑丈に作られている
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鉄骨を抜こうとしたようだが、無理だった様だ
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眺めは良く無い
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表に回る
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観測所全景
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この見た目から、しばしばトーチカと勘違いされる
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緑が茂ると、偽装効果バッチリだ
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上に登ると5mほど離れた所に、こんな物がある
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多少埋まっているが、人の胸ぐらい深い、聴音壕の一種か?


東京第二陸軍造兵廠板橋製造所(二造) その2

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川を渡ると理化学研究所(板橋分所)の裏側に出る
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覗き込む
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こちら側を紹介するのはまず無いだろう
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ちらっと見えているこれは
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遺構っぽいけど、何だろう
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現在も研究は続けられている
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理化学研究所(板橋分所)の表側はつまらん
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怪しい建物がある
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形からして、間違いないだろう
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まだある
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愛歯技工専門学校の建物、火薬庫らしい
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確かに壁を頑強に造り、屋根を脆弱にしている様に見える
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庇の形もいい感じ
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モルタルの剥がれ目から、レンガが見える
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裏側から見たところ
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川沿いに歩いて行くと何か見えてくる
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ここから入って行く
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壁が寝ている
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確かにこれなら倒壊の心配は無いが・・・・
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右側の案内板
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左側の案内板
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要石の部分と
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この部分だけがオリジナル
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造兵廠のマーク
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板橋区立金沢小学校
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校門脇のこの道を行くと
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垣根の中に陸軍の消火栓がある
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前後に星マークが付いている
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アパートの前に妙な鉄柱と石柱がある
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これは造兵廠の壁の支柱と言われている
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今は無くなってしまったが、ここに門柱が立っていた
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真っすぐ進んで行くと、ここにも支柱が残っている
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手前は治されているが、奥の壁と
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手前の化粧石は当時の物
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壁がうまい具合に残されている
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陸軍用地の石柱もある
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上部の境界線
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もう1つある
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こっちの方が見やすいが、折れた跡がある
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更にその先のここに
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小さく埋まっている
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この辺の壁もそうだろう
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無理やり支柱と融合している
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ちょっと支柱の形が斜めじゃ無いかな?
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レンガが埋まっている、何でもそれっぽく見えて来た
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路地裏には、当時家屋が未だに残っている
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桜マーク
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ぬこ
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東板橋体育館
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その奥にある加賀西公園
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圧磨機圧輪記念碑 がある
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これも時間が悪く、影が映り込む
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説明版
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黒色火薬の作り方
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板橋区指定記念物
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意外と凹凸のある表面
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裏側はキレイに撮れた
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大正十一年三月建
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ここにもエンブレムが付いている
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円盤に白いものが付いている
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なんと、貝の化石がかなり含まれている
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最後の物件「招魂之碑」
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板橋火薬製造所有志によって、火薬製造の過程で発生した事故等により死亡してしまった従業員を悼んで建てられたものだそうだ

東京第二陸軍造兵廠板橋製造所(二造) その1

東京第二陸軍造兵廠板橋製造所は、陸軍省により旧加賀藩下屋敷跡地約3万坪に建設され、明治9年(1876年)、陸軍砲兵本廠板橋属廠として操業を開始した。
その後、明治12年に東京砲兵工廠板橋火薬製造所と改称され、より高性能の火薬製造を行う。
工廠設備、敷地も拡充され、明治27年(1894年)には、敷地は約15万坪に膨れ上がった。
昭和15年(1940年)には、東京第二陸軍造兵廠板橋製造所(二造)となり、最盛期には7千人をこえる労働者を擁する一大軍事工場となった。
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17号線を板橋に向かって走る
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板橋4丁目到着
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板橋区立板橋第五中学校のグランドの境目
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来た時間が悪かった
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なんでここにピンポイントで立ってるんだ電柱!
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表の陸軍省しか書いてないようだ
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信号渡って加賀公園に向かう
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遺構は図の上の方
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電気軌道(トロッコ)線路敷跡
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チンチン電車
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元々はこの前田家の跡地に二造は造られた
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多分全然関係無い
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道路側に降りる
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ほとんど読めない牌がある
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工科学校板橋分校跡の碑
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「花匂ふ桜ヶ丘 永遠の平和を祈る」とある、本来の場所は第五中学校だ
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フェンスの向こうに何か見える
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レンガの壁である、(防爆壁)
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フェンス沿いに歩くと、土管が並んでいる
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野口研究所に残る、弾道検査管(爆速測定管)、手前は埋まっている
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途中で折れている、もう使えない様だ
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となりのブロックに空き地がある、何か建っていたのだろう
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背面には築山がある
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弾道検査管の標的なのだが高さが変だ、弾道検査管は路面より低いが、標的は路面より1.5mほど高い位置にある
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これが標的だが、コンクリートでは無く、レンガのモルタル塗りだ、本体は地下に埋まっているのか?
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そばにはコンクリート基礎もある
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元の構造が良くわからん?
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野口英世では無く、野口遵(のぐちしたがう)氏の設立した研究所
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この前も電気軌道(トロッコ)線路跡
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この様な当時の建物が多く残っているそうだ
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裏手に見える、これなんかもそうだろう
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川を渡る
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この川も二造をこの地に造る運搬などにおける理由の一つになってる
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変なオブジェ
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いこいの水辺
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火薬製造と密接に関係している

kan様、任務完了しました
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船越にある監視哨・・・かな?
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300mmズーム
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更に拡大、こんなものでどうでしょう?

「陸にあがった海軍」&横浜ぶらり旅

自分は横浜市民だが、あまり歩いた事はない、「陸にあがった海軍」を見に行くついでに横ブラをした
どうでもいいが、銀ブラは銀座をぶらぶらでは無く、銀座でブラジルコーヒーを飲むんだよ!って聞いた
まずは久しぶりに、横浜ドックを見に行った
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横浜第二ドック、久しぶりに来たら立ち入り禁止になっていた
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どうやらこれのせいの様だ
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揚錨機なのだが、説明がない(普通は船自身に着いている物)
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上には船渠の渠を模した物が描かれる
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中央の渡り廊下も通行止め
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これだけの物を説明もなく、立ち入り禁止にするとは勿体無い
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銘板
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場所、道路からは内部が見えないので、通り過ぎてしまいがち
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説明板
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第一ドックに向かう
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先代日本丸が係留されている
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気のせいか、船が傾いて見える
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近くに落ちている、エアーコンプレッサー
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ニューマチックツール社エンブレム
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第一ドックは掃除もされず、汚れ放題だ
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日本丸乗船受付側入口に
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もう一つエアーコンプレッサーがある
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説明は前のと少し変えてある
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街中のビルの壁にこんなプレートが着いている
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消防救急発祥の地
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旧居留地の地下貯水槽が地下にある
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覗き窓がある
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レンガの貯水槽が下に見える
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説明版
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日本で初めての救急車
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新聞少年の像
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今は流石にいないだろうな~
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何でもない噴水のある公園に、ふと見ると
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大砲があるではないか
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ウチも横浜だし、埋まってないだろうか?
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マスト状の時計塔
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もちろん複製品
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その横に何か入口がある
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横浜開港資料館
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がーるずびーあんびしゃす!
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海軍消火栓の方が萌える
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産業貿易センタービル
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銀行業務発祥の地(香港上海銀行横浜支店)
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神奈川運上所跡
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実は神奈川県庁だったりする
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スナイパー塔を備えた建物
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随分立派な町会所だ
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横浜市開港記念会館になっている
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やっと目的地に到着
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明治っぽい無骨な構えがいい
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旧横浜正金銀行本店(現神奈川県立歴史博物館)
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「陸にあがった海軍」実はここ、裏口だったりした
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この頃の建物って、階段が玄関に多いのはなぜ?
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ステンドグラス
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旧階段
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今の階段
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入場料900円払って入る
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日吉台連合艦隊司令部壕
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近隣遺構
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家にある奴
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家にある奴
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家にある奴
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家にある奴(教導さんからの寄贈品)
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この手は壕内にあまり落ちてない
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ティースプーンぐらいだ
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精神注入棒
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零戦部品
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大和模型(珍しく竣工時)
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12.7cm砲薬莢
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見終わったので、また街に戻って来た
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横浜市瓦斯局のガスタンク基礎(前にガスが読めなかった)
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国内最古のガス管
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台場の石
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卵形下水管
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地方協力本部の前の通り
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ここにも卵形下水管は展示してある
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ガス灯忘れた
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ストラチャン商会、何でもないマンションの前にある
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また大砲があった
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どうやらもう一門ある様だ
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最後の物件
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オリジナルではないらしい
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アーチの感じが良い
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横浜市最古のレンガ造り建築

今回は、「陸にあがった海軍」を見がてら、横浜の歴史に触れる歴史探索となった
たまには趣向を変えて見るのも良いだろう
単に迷子になって、停めた駐車場を探しまくってた間の産物ではない
駐車料金3000円も請求されたなんて事もない
街の中は苦手だ・・・・

「陸にあがった海軍」は神奈川県立歴史博物館にて、3月22日(日)までやっているので、お勧めです!

追記(27.2.15)
気に入らないので、もう一つの大砲を見に行って来た
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神奈川県立歴史博物館正面玄関
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前回は裏口から入ったので、気がつかなかった
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これで3門ともコンプ
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これが錨にされた錨鎖部分
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エンブレムがカッコイイ
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水が入らないように、蓋がされている(風呂の栓の様だ)
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裏口、閉まっている(この後09:30まで待つ事になった)
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馬車道の名前の由来がここにある

浅川地下壕見学会(公式)

裏からは何度も行った浅川地下壕であるが、表側に行った事が無かった
ってゆう事で、今更ながら公式見学会に行って来た。
ただ行くのも何なので、ロ地区の番号間違え確認と、下層部分の消失確認に行って来た
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ロ地区のある、金比羅山に到着
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既に通い慣れた山腹コースを踏破する
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1-1からスタート
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やはり5本目の壕に4-1表示確認
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外に出て壕地図とスマホマップで確認するも、下層部分は宅地化埋没確認
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集合時間なので、高尾駅南口に向かう
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資料をもらう、この為に来たような部分もある
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みころもに移動
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東屋で座学となる
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飯場の有った位置などを説明
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浅川小学校から
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駐車場辺りまでも、飯場だったそうだ
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通りがかりに、ハ地区の説明(ネット裏斜面の窪みが擁壁された壕口跡)
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説明は無かったが、唯一残るハ地区入口
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イ地区公式入口に到着
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昔の入口、崩落を理由に閉鎖
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個人邸の裏側が、今の入口となる
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壕口前でトイレ休憩と準備に入る
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ここでTVクルーと合流
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その内どっかで放映するかも
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ヘルメット装着
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簡単な説明の後
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壕口へ向かう
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個人邸なので、色々と置いてある
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この柵は企業の所有時代に付けられた物らしい
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入口付近は水没気味だが、板が渡してある
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壕口は大きかったが、すぐに狭くなる
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入口付近は湿度が高め
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枝抗は横幅が広い
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ちょっと広めの所で説明を聞く
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この日の参加者は12人+TVクルー3人だったかな
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ぞろぞろとゾンビの如く並んで歩く
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崩落箇所も割と通る事に驚いた、まぁ保険も掛けてあるし平気だろう
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崩落部分を乗り越える時だけ、ヘルメットが役にたってる音がする
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この辺にはトロッコの軌条後も見える
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見学用の通路だから、もっと平坦だと思っていたので、割と楽しい
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天井が白みを増やしてくる
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実はカビだったりする
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平坦な長い通路に出た
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この通路はゆるい山なりになっていて、向こうが見えなく作ってある
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マッシュルーム業者の屍
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最深部に近づく
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やっと柵のこっち側にこれたDSC05907_R_20150209224612ed0.jpg
いつもは柵の向こう側しか来れなかった
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鈴なりに覗き込む一般の見学者、こっち側の方がレアなのに
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柵の向こう側に、行き慣れた風景が広がる
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ここに三本新しい柵がある、これは業者が通行用に開けていた物だが、行政サイドから塞げと言われた結果
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今、この辺との説明
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TVの撮影機材にしては、いささかしょぼい、逆にそのライトすごいですねと言われた
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突き当たりなので、来た道を戻る
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交差路を違う道に進む
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こちらもなだらかな道
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何やら構造物が見えてくる
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光り輝く作業用コーン
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大学の地震観測機
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ケーブルで壕外まで引っ張り、無線アンテナから送信している
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ここでも説明
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この辺には削岩機のドリル穴が多く残っている
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先へ行く
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少しガレた道を行く
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良く、素人相手に探索許可を出してると思うぐらい、天井が崩れてる
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乗り越えると、また平坦になる
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そしてもう一山超えると
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やたらに硝石の染み出してる所がある
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いよいよ最終ブロックに向かう
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この鉄骨が見たくて参加したような物だった
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ウッチャンナンチャンのTV番組中にダイナマイトが発見された場所
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自衛隊による撤去作業用に補強工事された鉄骨である
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説明をしてるが、他にやる事がある
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木箱に入ったダイナマイトを探しまくったが、見つからなかった
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これだけキレイに処理されてしまえば、見つからないか!
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さぁ、帰ろう
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平坦な道をたどれば
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すぐに出口に到着
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壕を出て装備を外す
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最後の説明、壕内の測量は学生の手作業によるもの
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さぁ、撤収!

更にまた来てしまった八王子!
今回は祐実総軍様との合同調査だ
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早速山に分けいる
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まずは近場のロ地区からご案内
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壕内の崩落地点も難なくクリア
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1時間ちょとでロ地区残存部分を消化する
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雪の残る、イ地区の山に入る
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壕内は、湿度を除けば快適温度、本日は6°あった
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工作台基礎部分
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転がっている碍子やネジ類
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この通路付近には、6台ほどの基礎が残っている
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天井には電源用碍子も残っている
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工作機械台座の付近には、金属切子が散乱している
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こうゆうのを見ると、本当に稼働していたんだなと思う
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今日も柵のこっち側、もうあっち側(見学コース)に行くことは無いだろう
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水没区は楽しい
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そう言えば、木箱がたくさん積まれている所が有った、以前ダイナマイトが木箱で見つかったっけ
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この地下壕はでかい、ざっと回って4kmぐらいだが、必然的に同じ所も歩くので、相当歩く
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折りたたみナイフが落ちていた
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3時間ほど歩いて、脱出となる
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ビロードの靴墨瓶
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工作機械台座付近に落ちていた

皆様今回の探索ご苦労様でした、またいつか何処かの穴で!

東京湾要塞跡国指定紀念シンポジュウ厶と衣笠弾薬本庫プレ

この日は午後から「東京湾要塞跡国指定紀念シンポジュウ厶」があるので横須賀に行く
朝、諸用を済ませ、area438様からの情報の確認に再度訪れた、しかし「私の足で1時間」と親切に書いてあったので
良し、2時間あれば往復できそうだなんて甘かった、撮影時間をまったく考えてなかった、しかも斜面を上り下りしたり
余計な事をしまくっていて、結果として防五三~七五までしか行けなかった。
すいません、出直してきます!
期せずして、祐実総軍メンバーとOKN氏と合流しての調査となったが、自分のみタイムオーバーでのリタイアとなった
彼らはその後も探索続行し、防九四まで確認し、防火用水の遺構も確認している。
それに比べて自分は2回目の探索も中途半端になってしまった、情けなや~
9区から山科台までのコースが本来の旧陸軍の警備道を遊歩道にしたもので、陸軍柱と境界柵、東京湾要塞地帯標を確認する事が出来たが、今回はプレのみにし、踏破後記事にしたい。
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旧軍弾薬庫から上にあがる
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まず見つかったのが防五三
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警備道に並ぶ、近代コンクリート柵と旧軍境界柵
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見事なまでに連番で残っている、実際に珍しい事だ
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違うのも混じっている
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今回の最終ポイント、防七五
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東京湾要塞地帯標(ちょっと風化が進み読みづらい)
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リタイアする自分は、更なる探索に旅立つ勇者達を見送った
ここからが大変だった、現在12:45、開始時間13:30まで45分しかない、1時間以上かけて歩いた山を15分以内に走って下山、30分で汐入まで飛ばし、なんとか開始時間丁度に間に合った。


帰り道、下山しながら撮った動画

基本シンポジュウ厶は、撮影録音禁止である、本編意外と展示のみのつまらない記事だろう
まず、猿島砲台跡と千代ヶ崎砲台跡が国指定を受けたと言われているが、実際にはまだである
平成26年11月答申(内定)と言う状態だ。
更に細かく言えば、猿島は島全体ではなく砲台關係のみ、千代ヶ崎は新砲台部分が民地の為、自衛隊施設跡部分のみの、限定指定である、要するにその他の部分は地主の気分で壊すも売るも自由である。

国指定史跡の種類別指定件数を見ると、原始期667件、古代期386件、中世期301件、近世期(江戸等)343件、近代なんと4件のみ、1724件中4件のみなのだ、しかも近代戦争遺跡としては日本初の指定となる。
厳密に言えば西南戦争時の物が1件だけ過去にあるが、近代戦争とは微妙に違うだろう
県や市で認めるものや土木遺産として認定は受けている物は多数あるが、国が認めている物は無い
原爆ドームは戦跡ではあるが、被害建築物であり、ちょっと違う

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ヨコスカ・ベイサイド・ポケットに到着
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13:30ジャスト
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既に誰もいない
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歴史と言う部分にはあまり触れなかった、東京湾要塞と言う観点での説明が始まる
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約200名ほどの参加者がいたそうだ
前半は東京湾要塞としての歴史と移り変わりの説明、休憩にパネルを見に行く
先に説明しておくと、猿島砲台は最初は第一砲台から第三砲台まで計画されていたが、途中第一砲台(山頂部)を司令部に変更、以下繰り上げ(第二砲台が第一砲台に)となっている
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猿島遺構図、ただ貼って行く
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このパネルはかなり新旧が入り混じっている、10年以上の差があるようだ
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千代ヶ崎砲台の遺構図(フラッシュを焚いた訳ではないが、天井のライトが映る)
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休み時間は書籍販売などもやっていた
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後半は砲台自体の説明を行う
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こんな感じで進行して行く
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引き続き千代ヶ崎砲台
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普通の人には千代ヶ崎砲台は公開されていない、この様な時は画像とは言え見れる機会だろう
既に自衛隊施設はアンテナなども含み、おおむね撤去済みである
埋まっていた第二砲座も掘り起こされ、整備されている、一見の価値は十分にある。
この様な集まりは無料もしくは数百円程度の物なので、積極的に参加してみてはどうだろう
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シンポジュウ厶が終わり、帰途に着く
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会場となったヨコスカ・ベイサイド・ポケット
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海軍下士官兵集会所跡地、EMクラブのあった所である

巷で話題の遺構?
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うらがの左上
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船越にある監視哨・・・かな?
kanさん、もう1つある奴、こんな物でどうでしょう?

kanレポートの記事

太東埼特設見張所及び用途不明壕 その2

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メンバーに声をかけ、共に壕へ再び戻る
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一度見たので、一気に奥の出口に向かった、海側に開口しているが、降りれそうもない
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出口外側には、白い布がぶら下がっている、大きな声では言えないが、某組織が幹部候補生などの養成の為、旧軍陣地を使用して、実地訓練をする事がある、簡単に言えば「お前ならどう攻める壕口(又は銃眼)はあそこだ」指揮官としての攻守や施設拡張方等の門説の為、目印を付ける事もある(もちろん地主に許可を得て訓練は行われる)
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出て来た壕口、半没しているが野砲ぐらいなら設置できる広さがある
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九十九里に近いこの海岸を狙える位置に開口しているのだ、実は和泉と中原の山中に砲台を築き、和泉はカノン砲を、中原には野砲を設置したとある、米軍が戦後これを摂取した記録がある。
この地は和泉である、確証はないが恐らくここで間違いないと思う
長者小学校に砲兵連隊の碑「羅津要塞重砲兵聨隊内地転用本部並第一中隊」が建っているが、学校内なので見ていない。
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崩れた斜面に、補修の土嚢が!○衛隊でも使われる黒、緑、白色ビニボツ付きが散見出来る
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壕内に戻る
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左に3x3ぐらいの部屋がある
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弾薬庫的な形をしている
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部屋は反対側にもある
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何処の壕でも見かける、人一人分の窪み、体をここに入れながら迎撃するのか?
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陸式の馬蹄型の彫り方だ、太東埼の電探は海軍の物、近いが無関係となる様だ
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生活壕だろうか、割と奥行きがある
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時代は不明だが、ビンやカンが転がっている
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奥まで比較的四角く掘削されていて、完成度は高い
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天井からの地下水の滴りが、結晶化している
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インク瓶もあった
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となりの別の部屋、ここは馬蹄型ではない
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大量の瓶が産卵している、キャップを見ると農薬のようだ
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もっとも特徴的な物はこれだ
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井戸のような物が掘ってある
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上手く作ってあるもんで、天井からの水滴が枠内に収まるように掘ってある
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奥はとなり程綺麗ではない
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奥から見た入口方向
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入口はめっちゃキレイに四角くしてある
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硝石の染みだしが激しい、ゲジも飲み込まれるのでは?
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好きな人はこうゆうのがいいらしい、まぁ、ここまでなるのに70年?
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人物比とのさん
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この壕にも小森さんは居る
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掴まり方にも個人差があるようだ
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かわいい
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一回りしたので、帰るとする
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夏になれば水は干上がるのだろうか?
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急造で作った渡り板



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元きた広場への交通壕を抜けていく
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コンクリートブロックの壕を抜けて、下山する
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振り返ると、かなり異様な風景だ、ほんとにどうやって入れたんだろう?



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漁港に出た
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ここから登るのが、一番分かりやすいだろう
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もう一つの壕はこの辺か?白い布が見つからない
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地引網にでも係ったのだろうか、悲惨なバイクが落ちている
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太東漁港を後にする
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世界唯一!麻雀博物館
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OKN氏の案内で、海軍太東飛行場跡地を見に行った、地図の中央辺が区画的に長方形なのが判る
滑走路は現在の江東橋から一宮に向かう国道128号線を拡幅し、直線部分1000mで意外に短い
格納庫は太東崎台地の横腹をくりぬいた掩体壕で、現存しているが今は発見が困難との事で行っていない
1945年5月に完成したが、実際には3機しか着陸していないらしい、この時期になると艦載機の空襲が激しく、また、新しい基地に配備する機体も無かったのでは無いだろうか?
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周りの畑と明らかに違う区画となっている、右端が太東埼の電探基地だ
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これは滑走路北側の部分を農道にした、直線路
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滑走路中央部は、128号線と住宅が分断している
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128号線を超えて、南側に向かうと少し入った所で、滑走路跡を発見
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残っているのはこっちは200m程度だろうか
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突き当たりは民家と畑になっていた

太東埼特設見張所及び用途不明壕 その1

横須賀海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録にこの名前があるので、この名称で行く
千葉県いすみ市太東埼のこの海岸には海軍の電探基地が置かれていた、それを守る為の機銃座が設けられ
記録によると、3式1号1型1、2式1号1型1、7.7mm機銃2が据えられていたようだ

太平洋側のこの海岸は、波による侵食が激しく、電探本体の礎石は直径七・八米の円形地下操作室だったがすでに海中に崩落、機銃座も1基のみ現存、電探付属の礎石は良く残っている。
太東埼灯台自体も、転落の危険により、内陸側に移転していて目立たない
海軍技術研究所の実験場で、4種類の電波探信儀が実験されていた。
別に大型の物が円形地下操作室で操作されていたようだ
戦後地上施設は爆破処理され、台座と地下施設だけとなったが、30mほど海岸が侵食され、それもほぼ消えた
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この先すれ違いの出来ない坂道を駐車場まで登って行く
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なんかすごい名前が憑いている
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太東埼灯台、避難中
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駐車場の端っこの小山
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看板の下の方に、消されているが以前はグラマンF14艦載機と書いてあったそうだ、確かにグラマン社製だが・・・・
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登って見たが、まったく判らない
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少し離れた所にある電探付属の礎石(本体ではない)
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横から見る、まさに崖っぷち
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先端に立って下を見る、本体どれだろう?
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落ちるところを見たかった
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戦跡に関係無い案内板
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崖から乗り出すと、下に道が見える、流石に行けないが地図にも乗っている道路?
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茶屋でお茶とお菓子を頂いた(もちろん土産も後で買った)
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お菓子美味しかったから少しCMしておこう
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どれだか分からないが、マカロニ型をした揚げ煎
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電探を置くだけあって、この辺で一番高そうだった
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太東漁港にやってきた
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灯台からここまでの道は通行止めになっていた様だ
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ハイキングにはきつい階段を登って行く
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一気に登ったがちょっと疲れる勾配だ
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だだっ広い所に出た(正確には一段降りている)
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目的の穴発見
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近くにももう1本開いているが、先見の方へ行く
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これなんだと思う?
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トンネルブロックだったりする(問題はこれをどうやって突っ込んだか?)
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周りは素掘りの壕で、ハイキングコースの一部に転用されているので、保護目的なのだ
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壕の中央辺に、生息室ふうの空間がある、風と言うのはどう見ても交通壕だからだ
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とりあえず登ると、ちゃんとガードの役に立っているようだ
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向こうに穴が見える
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よいしょっと
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反対側到着、陣地壕の様相を呈している
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ちょうど人サイズの坑道を進む
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途中から下り坂になっている
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左に大きめの部屋がある
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少し引いて、入ってきた穴
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反対側を向く、天井がすごい平ら
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太い坑道に接続している
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右を向く、最初に外から見た、もう一つの壕口だ
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左にも出口が見える
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壕を出ると、廃屋が建っている
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一人先に周辺探索に先発する
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早速切通し発見
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ビンゴ!今日も冴えてる!
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一見1本抗に見えるが、ちょっと違う
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支保の跡のある軍掘りの壕である
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入口は水没しているのだが、土嚢が・・・この色はお馴染みの自○隊・・・
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とりあえず、斥候として突入する
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水深は深くて20cmぐらい、支保の掘削も深く上物だ
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そしてやっぱり横穴が!

ページの都合上、続きは次回!
資料追加27.5.3
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第十二回天隊 小浜基地 その2

前回は上の回天壕の部分だけを紹介した、しかしここには下手くそなマウス手描きのような壕が存在する
先に断っておくが、今回は内部探索は出来なかった、壕口が潰れていたり、民地化、擁壁などが理由だ
某組織のデータベースを参考に模写していく
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絵ごころが無いので、解りにくいと思うが説明していく
には民宿八幡荘があった、今は空き地のようだ
には帆万千館があった、今は城山青年館が建っている
の壕は兵器庫、3X3X10mだ
の壕は燃料庫、2.5X2.5X15mだ
の通路は通信室、周りには浴室や発電機室が予定されていた
の通路及び地上は糧食庫
の通路は居住壕で、反対側に水抜きとして貫通している
2.5X2.5X60mあったそうだ
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壕を出て、外部を見て回る
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海側には、旧漁港に向かう波に洗われている道がある
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ここの地形はひな壇式に3段ほどになっている、壕の高さはこの段だろう
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この奥の建物がポンプと冷却水槽らしい
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古い井戸とレンガの空気抜きだろう構造物、図面的に
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八幡神社に登る
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最近出来たトイレと東屋、糧食庫の地上構造物があっただろう場所
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神社本殿は工事中、右手に切通しがある
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ここはの帆万千館があった場所
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何故かカフェとある(後ろの棚は祭具置き場)
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歌碑がある
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説明板
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城山青年館、屋根の出っ張りはなんだろう?あやしい・・・
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案の定、裏には壕が隠れていた
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しかし、狭く短い物だった
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気になる階段があったが、薮が激しく、この時期でも行けたものではない
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特徴的な旧漁港
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一人、崖を下ると、祠状のものと
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1m四方ぐらいの穴の跡、図面通りに入口があったがこれでは入れない
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小浜城址
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大正元年九月建立
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だいぶ高い所まで登ってきた
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穴が2つ開いている
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手前の穴完全に祠なんだが
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中は苔むしている
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左側
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右側、改造使用されていたようだ
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もうひとつの穴、きつねだらけ
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上はぐるっと回って元に戻る散歩道があった
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ちょっと登ると、浅間神社が祀ってある
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中腹の壕に向かう
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真ん中の切り欠きは何だろう、灯り置きか?
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左側、妙に四角い
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外部側に土管で通気口を設けている
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振り返る、右が入口
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コンクリートが吹きつけられている様だ
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雑だがこっちも土管が開いている
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良く探すと、もう1つある
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ちょっとキツイ
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右手、こっちの壕はかなり雑
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左側、ゲジだらけ
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なぜかツボが埋まっているようだ
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下山して、この辺に行くの民宿八幡荘のあった辺り
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地図だとこんな感じだが、明らかに宅地で奥に行けない
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手前には立派なレンガ壁が残っている
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近くには井戸のような物もあった

この地域は先の震災で、津波被害があった様だ、新築の家が目立つ反面、打ち捨てられた廃墟も目立つ
境内の擁壁工事も行われており、だいぶ様変わりしてしまったようだ

第十二回天隊 小浜基地 その1

千葉県夷隅郡大原町の八幡岬には、第十二回天隊の小浜基地があった
横須賀鎮守府管轄の第七特攻戦隊に所属、本部を千葉県勝浦に置き、第十二突撃隊、第十二回天隊の回天6基のほか、第十二海竜隊(海竜12隻)と、震洋隊6隊で構成されていた。
配備予定の回天6基は、第二一号一等輸送艦が積載する予定であったが、大津島に回航中、光基地沖合の小水無瀬島付近で米第五空軍のB25爆撃機群と交戦して被爆、砂浜に乗り上げ沈没は免れるが、翌日爆沈している。

幸いにも回天搭乗員、大津島訓練基地の6名は陸路を使い、広島に原爆が投下された影響で日本海沿岸経由で移動
無事到着している。
結局同基地には回天の配備は間に合わなかった。
なお、第十二突撃隊は、海竜も間に合わず震洋隊のみの配備であった。

昭和二〇年七月末には長さ約四〇メートルの「回天」二基格納の隧道三本及び通路・修理場・ポンプ室が完成し、他に独立した兵器庫・燃料庫も完成している。
居住区は帆万千館跡より大原漁港方面へ、60mほどあったそうだが、漁港側は擁壁に消えている
民宿八幡荘(まだ有るか不明)方向に分岐路もあったらしい。
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八幡岬、大原漁港にやってきた
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当時、ここには回天用のレールが引かれていた
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回天の壕口はすぐに見つかると言うか丸見えである、これは三本ある内の中央の壕口で、両側二本は擁壁に埋まってる
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壕口は、埋まり気味だが問題なく入れる
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入ってすぐの部分は湿度が高い
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しばし通常モードで行く
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見事なまでに残る、レールの枕木跡
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海軍の壕は非常に作りがきれいだ
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湿気が抜けたので、明るく写す、左に連絡通路がある
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通路には何故か軽車両が一台
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ふと上を見ると、プリティーな小森さんと目?が合った
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更に大量の小森さん達、実は小型の小森さんで、4cmぐらいしかない
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連絡通路を抜けると、となりの回天格納壕に出た、これは山側の最深部でコンクリートで固めてある
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床の際には、回天を引き込む為のアンカーがある
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左右の壁面には、支保をはめていた跡もある
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海側を見る、ざっと40mって所だ、幅2.5m高さ3mかな、ここに回天が二本入る
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海側開口部だった所
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なんでこんな所に挿してあるのだろう
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外側から見た壕口部分、上に無線局を建てるためにこうなった様だ
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山側を見る、実に綺麗な掘削だが、レールの痕跡が見えない
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連絡通路に戻る、上に小森さん達が小さく見える
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中央の格納壕、海側開口部を見る
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三本目の格納壕に向かう、連絡通路
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ちょうど人一人サイズに掘ってある
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硝石が染み出している
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落書き
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若干長い連絡通路を出ると
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また湿度が高かった
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三本目は山側に10mほど奥行があった、某組織のデータベースに記録があった、この壕は修理場兼格納壕だ
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他の二本には無い支保の溝がある、記録内の「全部内張りを施せる隧道一本あり」の壕だろう
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最深部には、やはりアンカーが打ってある
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壁に残る角材が1本
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海側開口部は埋め戻されている(人物比とのさん)広めの3.5X3.5m、長さ50mとある
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左手に穴が2つ開いている
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手前側、これは操舵機調整場とある、2.5X2.5X7.5mである
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足元にボロサビの釘が落ちている
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変なツボ?底に穴が開いている
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二つ目の穴、ポンプ室とあり、奥の通路は空気抜き、外部には冷却水槽があったそうだ2.5X3X7.5mが広い所まで
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この通路は狭く、自分のサイズでは腰をかがめ両肩を傾けないと入れない
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ちょっと狭いが行ってみる
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左右の壁が面白い模様
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いや、結構長い、狭いし泥濘む
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しかも開いてない
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ふむ、確かに上に掘っている外部にも通気口が開いていたとの記述もある
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トタンを巻いていた跡が残る
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振り向くと、すれ違い不可と見たとのさんが待っている
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戻って来た、良く見ると水路が切ってあるようだ
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天井に支保のアーチがあるが、木材も曲げたのか?
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海側の開口部は埋め戻し
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外から見るとこの辺
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内壁を打っていた釘だろうか?
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大分カメラが湿気に慣れてきた
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ロービームで見るとレールの枕木が見える
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一通り見たので脱出した




御礼申し上げます
今回で600回目を迎える事が出来ました、何処まで続けられるか分かりませんが、今後ともよろしく!

bunny4ever様、中はこんなでした!後の外周部は次回上げます
今日は朝、所要を足し、衣笠弾薬本庫に行って来た、貰った情報は確認できました、記事は後ほど上げます
祐実総軍の方々OKN氏ご苦労様でした!
また何処かでお会いしましょう、本日は午後から「東京湾要塞跡国史跡指定記念シンポジウム ~猿島砲台、千代ヶ崎砲台の歴史とその活用~」に参加する為、中座してしまいましてすいませんでした。
OKN氏の気使いにも感謝します