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茂原海軍航空隊 弾薬庫周辺探索

さて、3週連続で東金に行って来たのだが、そっちを非常に上げたいのだけれど、切りが悪いので茂原を終わらせる
今回お世話になりました「房総半島戦跡考古調査会」の方々に、御礼申し上げます。
地元パワー恐るべし、楽しく勉強させて頂きました。

さて、前振って置いて何なのだが、自分的には山狩りが出来て満足なのだが、成果は薄い
内外の位置確認、把握と言う程度の物になっている(以外に重要なのだが)
構造的疑問ばかりが、嵩んでしまった結果となった
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まずは、折角来たので弾薬庫を見る
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この、天井の穴が今回の目的である、下から見た限りでは楊弾井にも見えたが、登って見ると違うようだ
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とりあえず、この絶壁を竹に掴まりながら登る(ハシゴは民家の物なので使用不可)
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斜面には墳墓が多く、翻弄される(これは奥に棺がある)
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これは、横に棺があるタイプ
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そしてついに軍掘りの壕口を発見
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なんとも急な階段だ
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狭いのでこけない様に気をつけながら下りていくと
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さすが茂原だ、造りが似ている
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あれ、もしかして?
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似ているどころか、夜か雨天にしか来た事が無かったから気が付かなかったが、本抗だった
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この抜き穴がこんな所に開口していたとは・・・・
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再び散策に戻る
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墳墓、祠に弄ばれる
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おや、これは?
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見つけた
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思ったより物凄い小規模だ、楊弾器の痕跡も無い
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穴は1m近く掘ってある様に見えるが、入ってはいない
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直径30cm程度の口径では砲弾は上がらない、砲弾は横向きで吊る物だから、下にクレーン台座が見える
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多少の失意と、見つけた満足を綯い交ぜに、壕を出る
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尾根に上ると、お手製アンテナの残骸が放置されている
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祠等にうんざりするほど悩まされつつ、山狩り続行
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学校そばの民家まで来てしまったようだ
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山が割れている!
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唐突に現れた切り通し
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うわ、おっかね~
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何の事は無い、ここに突き当たったのだ、道路側斜面探索終了、山側に移行する
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数十分後、判るだろうか?木の根元の左側、不自然だ
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人が入るのがやっとの斜坑、階段も無くひたすらすべり落ちて行く、足からゆっくりと下って行くと、水没で閉塞だったらどうしようなんて考えてしまう、身をよじって写真を撮る事も出来ないまま、数10m下る、新たな大規模壕を夢見て・・・
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やっと腰を浮かせる位に高くなってきたが
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まさかのここですか?
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期待を混めた苦労が一撃で砕けた
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振り出しに戻る
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近場の壕口から地上に戻る
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写真だと判らないが、塹壕の跡である
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辿っていくと、煉瓦遺構が見つかった
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一見すると便所のようだ
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しかし新規発見には違いあるまい、煉瓦モルタル塗りの立派な遺構だ
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この辺は平坦になっているので、地上構造物があったのだろう
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一通りの山狩りを終え、もっとも歩きやすい壕内へと戻る
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単純な構造だが、特徴的な壕であった
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特に気に入っているのが
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これらの階段、一見の価値と登り甲斐がある
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さぁ、楽しんだので、引き上げよう
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アクアの覆面V35スカイライン、昔の愛車(天災により海没)
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いつもの如く、渋滞にはまる
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ちょっと吹いた、渋滞も楽しまなければ!

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結局、これなんだが
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夏島のこの魚雷調整庫に似ていると思う
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崩落したモルタルの塗り方
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欠損具合も酷似
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木製クレーン、類似点は多い
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そして、こちらのプールは魚雷の水密及び機関の試験水槽ではないだろうか?
91式航空魚雷は空気燃焼型であり、天井の穴は換気用ではないか?
全ては個人の想像の粋である、想像力は男のロマン!
もちろん終戦間際の構築ならば、魚雷なんて物は使える状況ではないが、裏の本抗と同時期ならば、かなり本抗の掘削状況を鑑みれば、余裕のある時期では無いかとも思える。

悪魔で個人の見解であり、史実ではない(記録も無い)事は断っておく
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茂原海軍航空隊 弾薬庫

この弾薬庫は長尾地下壕の表裏となる位置に掘削されている
自分は前回発見には至らず、祐実総軍三等兵様に今回案内して頂いた。
今回は雨上がりだし、別の探索もあったので、下部弾薬庫のみ探索してきた
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壕口は3ヶ所とも開口している
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左は弾薬庫入り口となる
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中央の入り口から入る事にする
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5mほど入ると、広くなる
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入り口人物比、とのさん
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非常にキレイな掘削の奥に四角い連絡抗接続部がある
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ちょうどいいのがとのさん処にあったので、無断借用する(人物比yakumo)
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一瞬陸軍掘りに見える通路を天井を気にせず進む
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突き当たり下側、1m程度だけ開いている
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うわ、プールと化している、かなり深そうだ
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水深は胸近くまでありそうだ、先に開口部が見える、3つ目の壕口
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壁から何か飛び出している、金具の跡か?硝石がこびりついて判別不能
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さて、元の通路に戻る
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良く見ると、釘が一直線に並んでいた
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中央通路に戻った
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では、弾薬庫に向うが連絡抗入り口部に土砂が盛ってある、崩落は無い(ここは)
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弾薬庫が見えてきた
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弾薬庫全景、基本はモルタル塗りの前後のみコンクリート製壁
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天井を見上げると、穴?
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なぜ穴?、思いつくのは楊弾井なのだが・・・
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剥がれ落ちたモルタルの下から、柱の支柱が顔を覗かせる
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探して見ると、6つほど見られた
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入って来た連絡抗、何故かここの壕は連絡抗が四角い
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外部出口、車両の出入りは無理だが、この時代でもベルトコンベアーはある
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JR貨物
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壁のモルタルはほとんど剥がれ落ちている
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ここには木製のクレーンがあり、壁面上部の穴に動力を備え、上階に楊弾していた様にも思える
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剥がれ落ちた天井
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壁に貼り付けてある木材
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裏面とかも見て回ったが、他に部屋などは見つからない
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しかし、こんなの落ちてきたら助からんな~、探索は自己責任で!
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さて、出るとしよう
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四角く切り取って、扉でも付いていたのだろうか?
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車両の出入りは出来そうも無いのだが、轍に見えてしまう
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外に出て、3つ目の壕口を見に行く
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見事にプールになっている
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これは元から冷却水の貯水槽なのだろう、クレーン動力モーターの為か、発電機が屋外にあったのだろう

次回、一人で再訪した際の2階部分や祐実総軍三等兵様が弾薬庫が在れば、砲台(機銃?)も在るのではとの疑問を受けて、山狩りを慣行するが大した物は無かったがレポはする。
日曜のお出かけ次第で、別記事を書くかも知れないので、プレだけ出しとく、いつかはやる
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なんだこの山中に急な階段は!
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2階から見た下階
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唐突に現れた切り通し
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ヤバイ斜坑が口を開けている
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煉瓦、モルタル塗り遺構が!

本日探索に参加された房総半島戦跡考古調査会の方々、きへいさん
お疲れ様でした!

実に有意義な探索となりました、また、機会がありましたら御一緒しましょう!

茂原海軍航空隊 長尾地下壕 再訪

茂原 腰当病院壕に入り損ねたので、長尾海軍壕に行く事にした
階段萌えの人にはお勧めの地下壕であり、構造自体も特異で海軍の拘りここに在り的な構造をしている
難点としては、泥濘質で靴底が大変な事になるので、長靴をお勧めする(季節により一部水没)
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深夜、雨の降る中怪しい二人が切り通しを進む
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横にこんな穴も空いてるが、民家に出てしまうのでスルー
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トンネルの出切る前の切り通しが上部に残る
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雨の深夜に、森の中に突入して行く
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壕口は相変わらず、同じ所で探訪者を待っていた
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壕内は、柔らかい岩盤のせいでとてもキレイに掘ってある
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直角に左に曲がると
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特異な部屋状の通路、その境となる部分がもっとも特徴的だ
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振り向き、入って来た境目を見る
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この様な境目が随所にある
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一度、壕外に出る
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外部に倉庫壕がある
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酒瓶だらけ
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横に通路がある
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とてもキレイに掘られた部屋がある、ここも季節により水没する
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本壕に戻って、先を進む
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今回は案内なので、後から行く
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小森さん発見
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この辺まで来ると、床がドロドロになり滑ると大変な事になりそうだ
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外部への巨大な階段、3段しかない
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前回は登らなかったので、一人登ってくる
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深夜の森に出る、場所がさっぱり判らん
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下を見下ろすと、結構な斜度だ
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人がいると、人物比が助かる
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どんどん進んで行こう
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この通路の境も右だったり左だったり、真ん中だったり
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外部への開口部、支保の跡が美しい
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出口は土塁に囲まれている
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通路間の境の厚みがわかる一枚
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美しく掘られた柱
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ズリの積もった部屋、奥に階段がある(階段追加時のズリと思われる)
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階段を登って行くと、途中から更に狭く、急になっていく
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前傾姿勢の人一人分
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とのさんが撮影に熱中している内に隣に移動
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部屋の入り口、こだわってるな~
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隣の部屋にも奥に階段がある
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こっちの方がやや崩れている
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でも、かなりいい感じである
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外は真っ暗だった(後日ここから偶然外部から入壕する事になる)
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とのさんが来たようだ、降りるとしよう
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この階段から雨水が入るのだろう、どろどろだ
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水没区に向う
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今日は大分水が引いているようだ(先人の作った橋)
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次の部屋も泥濘状態だ
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最終部分
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外部への斜坑
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人が通行するにはかなり無理な斜坑、ちなみに登りきると外部に出れる
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さて、帰るとしよう
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これだけの壕なのに、碍子がほとんど付いていない
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さぁ、出口だ
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何とも言えない切り通し
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へたに森に入ると危ないらしい


茂原海軍航空隊 腰当地下壕 再訪

茂原海軍航空隊、海軍病院壕として知られる腰当地下壕に5年ぶりに行って来た
前回は行けなかった水没区があったのと、とのさんを案内するのが目的だったが、ちょっとトラブルがあった
前回入った壕口が、廃屋の裏だと認識していたのだが、今回は深夜の探索だったせいで気が付いたが
なんと電気が点いている!人が住んでいたのだ、信じられない!
已む無く退散し、翌日光福寺裏側の壕口を祐実総軍三等兵様に教えてもらっての入壕となった
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前夜の突入は中止とし、長尾海軍壕に行ったが、また後日談とする
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コンビニで一夜を明かし、祐実総軍三等兵様と合流する
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砂岩質の山肌に壕口が空いていた、ここが前回の未踏部分のようだ
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いずれこの壕口は埋まってしまいそうだが、開口部は結構あるから問題は無い
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中に入ると広くなるが、ストンと下る勾配に出る
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測量ミスで、帳尻合わせに下に繋げた感じだ
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前方に明かりが見える
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水没の先には、光福寺に出る没しかけた壕口があった
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以前はこの辺には水没で、スニーカーでは来れなかった
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転がっているインク瓶
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キレイに造られた交差点
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天井の碍子、4連だろう
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贅沢な言い分だが、キレイすぎて面白みに欠けるのが難点
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開口部が多く、空気の淀みも無い環境の良さ
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開口部前の、衛所の様な部屋
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開口部の外は
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今も稼動しているガスプラント
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基本的に、ほんとに真っ直ぐな通路ばかりが交差している
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何処を見ても、同じに見える
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メモリの付いた薬瓶が落ちている
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拡張中の通路、工事の再開を待っている
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ちょっと斜な交差点
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また、プラントに出る通路がある
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水の通る通路は、削れている
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迷う事はありえないが、ただただ長い
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広いので、人に合う事も稀だ
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小森さんが固まっている
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珍しくちょっと崩れている通路
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この辺は、地層が縦に走っている様だ
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この水没は少し深いので行かなかった
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水面で、面白い写真が撮れた
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坂を下って行く
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物凄い傾斜で下っていて、ソリで降りてみたくなる
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振り向くと、こんな感じ、ここら辺で中間点あたり、傾斜がゆるくなる
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キチンと水路は生きている
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昨夜は入れなかった、廃屋裏の壕口
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さて、降りた分はまた登らなければ
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人がいると、傾斜の感じが判るかな
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さて出口に近付いた
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ここでちょっといい通路があった
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小森さん沢山いた、かわいい!
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さぁ、現世に戻ろう
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茂原市
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寺の近くにかなり古い防火用水があった


新 大豆谷機銃陣地 (再調査)

何となく前回消化不良だったので、急遽山狩りに行って来た
まだ3月だと言うのに、気温が高く汗だくでの山狩りとなってしまった、涼しいシーズンは終わった
とりあえず今回の高地は丸ごと狩って来たので一応の満足を得た。
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基本無計画なので、朝の気分で東金、茂原の再探索を決めた
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朝の高速は、空いていて気持ちがいい、横浜ー東金間1時間半で着いた
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前回撮らなかった、交差点の壕口
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削られて剥き出しになった壕口
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単純壕であった
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削り取られ民家も立ち退き、拡幅されるのだろう
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きっかけはこの祠
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井戸や
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コンクリ巻きのトンネル通路などの痕跡
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山を登って見ると、下の見える穴が空いていた
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ぬこ、民家側の交通壕出口
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前回降りて来た、掘割から登って行く
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山は一面の竹林となっている、これは自分の位置が判らなく成りやすい
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取りあえず前回降りるのを断念した崖を降りた
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ここが前回気になったどう見ても人為的な掘削跡に見える場所
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斜面探索を進めると、中世の祠跡が多数散見し、無駄な労力を強要されるが、祠改造壕も多いので無視できない
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突如足元に、蛸壺があった
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塹壕が水没し、川のようになっている
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新たなる壕口を発見する
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右側の壕は単純な1本抗
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隣の壕
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中は広いのだが、民家が近いせいでゴミ捨て放題
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小森さんがお一人
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小森さんは左上、壕口の上に通気孔が開いている、これは砲室に良くある構造だ
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ライトを消してみると、良く判る(発砲煙を逃がす穴)、しかし砲室には間口が狭い
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部屋の奥には小部屋があった
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反対の奥には通路がある
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右に僅かな掘り込み、左に外光が見える
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背面の開口部、逃げ口がある壕はここらでは珍しい
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振り返ると、えらく狭い掘り込みもあった(手榴弾、火炎放射対策か)
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出て来た壕口のすぐ横にも穴がある
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向こうが明るい、交通壕のようだ
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本来この様な面は断層で、掘り下げたものではなく
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この様な祠がある自体、戦前以前の地形だ、これを利用して整形し、陣地にする
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広い空間の真ん中に、ポツンと1つ
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カメかと思ったが井戸である、兵舎でも建っていたのだろうか?
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軽く山を越え、隣のブロックに移動すると、塹壕がある
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これはさっきの交通壕の出口、山越えしたので使っていない
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他にも壕が3つ並んでいる
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いずれも小さな倉庫壕だった
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今度は交通壕を使う
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この壕を出て、外部探索を再開する
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しかし、祠だらけで嫌になる
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最端まで来たので、ルートをずらしながら戻って行く
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軍道の痕跡をとらえ、辿って行くと
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壕があった、判っているが一応入る
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機銃台座
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二脚を立てて、ここに軽機を置いていたのだろう
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この小さな穴を覗き、兵士は何を考えたのだろう
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中央やや右に銃眼があるのだが、発砲しないかぎり発見できないだろう
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もう1つの陣地
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わずか2週間で水没していた
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最大この線まで(銃眼の高さ)水が溜まるようだ、致命的な欠陥だ
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戦時中は庇でも付けて、雨水が入らない加工でもしていたのだろうか?
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銃眼の右側にも、壕が並ぶ
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小さな単独だが、キレイに造ってある
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次の壕口
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これは祠かも知れない
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次の斜面の壕口の前で、銃を拾った、特異な形状をしていた
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壕は広いが数m
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次の壕
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これも大した物ではない
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こちらも端まで来たようだ
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さぁ、次に向おう
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あれ、なんか上にも開いてない?気のせいかな?
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バナナ

新 大豆谷機銃陣地

東金街道(126号線)の台方三叉路交差点付近のコンビニで、一応の探索を終了し、一服をしていたら
前には見えてなかった壕口が顔を見せていた、遠めに見て奥行きは無いなと判る壕だったが、一応見に行った
案の定単独の小壕だった、故に写真すら撮らなかったぐらいだ。
場所柄から推測すると、周りは速射砲陣地及び機銃陣地に囲まれた主要県道沿いに位置している事を考え
棒地雷などを携えた、肉薄突撃隊の待機壕では無いだろうか?
兎に角全てはここから始まった、猫も歩けば何とやらで、動く事から道は拓ける物だった
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コンビニで帰る前の一服をする(ストリートビューから拝借)
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1年前の画像だが、道路拡幅の為か民家と木々が無くなり、山肌と壕口が露出していた
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禿山と化した斜面を八幡神社まで調べたが、他には何も無かった
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川向こうの斜面に穴が見える、祠なのは知っていたが、ノリで見に行く
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この橋もかなり昔から有りそうだ
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祠を見て、ふと先を一人で見に行ったら怪しいものが!
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コンクリート巻きの通路、どう見ても民家のやる事じゃない、がぜん探索が始まる
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メンバーの一人が、丸い穴を発見!
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なんとあっさりと銃眼が発見された
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内部を照らすと間違い無く機銃陣地であった
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中央の溝は銃眼から流れ込んだ雨水が削ったのだろう、壕内に水の線がある
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早速横に回ると、土塁が築いてあって道路側からは見えない工夫がされている
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土塁を回ると、壕口が見えた
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キレイな壕口だ、真ん中の棒は木の根っこ、邪魔だったがビクともしなかった
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天井にはヤバイ数の節足生物が蠢く、見ない様に突入する
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右に曲がると銃座が見える、水没の線がくっきりと刻まれている
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部屋の中には全くゲジはおらず、キレイな状態だった
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こうして見ると、水の流れた跡が判りやすい
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天井には釘が2本、外部から電気でも引いたのだろうか?
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射撃手目線、以外に距離があり外部が見難い、この前壁は薄くて小銃弾でも貫通しそうだった
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壕から這い出すと、とのさんが近くにもう一つ壕口を見つけた
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こちらもやはり、土塁に囲まれ見えない
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土塁に登ると、壕口出現
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しかし、なんで穴があると入れたがるんだろう?入る人の身にもなって欲しい
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こちらの壕も、天井は見たく無い
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入ってすぐ左に、一つ目の銃座があった
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こちらの銃眼は小さく、軽機だろうか?
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下が埋まっているせいで、小さく見えるのだろうか
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ゲジを越えて、元の通路に戻る
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通路を奥に進む
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緩やかに右に曲がると
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2つ目の銃座が見えた
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ほんとに千葉の陣地はキレイに構築してある
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日の暮れた壕外に出て、銃眼を探す(実は一計を案じている)
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とのさんに、内部から照らして置いて貰ったのだ、この暗さでは絶対に判らない
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ダッシュで山を越えて、反対側の銃眼に向かうが、そこは崖だった、竹に掴まりながら降りていく
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ライトの明かりが見えた、複数の時は助かる手段だ(ただし夜間限定)
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こんな物普通には絶対見つからんわ、崖だし・・・・
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竹に半分ぶら下がりながら、更なる下を覗くと人工的な空間があるのが見える、しかしこの暗さで下りるのはかなり危険だし、いまは単独で山を越えている、迷ったが安全第一である。
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誰も山のこちら側に来そうも無いので、単独は危険と判断し、今度昼間に一人で行こうと諦める
近くに掘割があったので、何かしらの施設はありそうである、次が楽しみだ!

しかし、何でいつも帰り際に新たな発見があり、課題として残るのだろう?

八鶴湖周辺遺構まとめ(煉瓦遺構)

前回の探索で気になっていた煉瓦遺構と壕口を確認して来た。
再度案内がてら、周辺遺構を見てきたので、合わせて紹介する
もちろんこれが連隊指令部関連の物との確証は無いが、背後の壕や地下貯蔵庫など民間らしからぬ物もあり
民間の地主的豪邸跡とは考えにくい
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八鶴湖駐車場に到着
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幸い雨は上がったようだ
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まずは昼飯の戦闘糧食を仕込む、20分ほど掛かるのでその間に小探索をする
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最も近い機銃陣地に向う
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土塁に囲われた壕口に到着
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ぬるっと進入する
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今回は全く水が無く、楽に進入できたが、水没常習壕である
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L字を曲がると外光(銃眼)が見える
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東金方面はこんな銃座がよく設けられるが、三浦半島にはあまり無い
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外から見た銃眼
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内部、手前が銃座
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戻って戦闘糧食を食べて一服する(やっぱり自衛隊のレーションは日本一だわ、うまい!)
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問題の煉瓦壁に到着
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奥にも1棟現存しているが、民地で入れない
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割りと広い範囲に煉瓦跡がある
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空き地の奥に壕口が見える
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良く見ると、煉瓦にいくつか刻印がある、しかし判別出来そうな物は少ない
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駐車場脇の空き地にも煉瓦壁が見える
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多分母屋があったと思われる壁と、気になっていた壕口
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煉瓦壁に開いている穴を覗くと、立派な地下室がある、立っているなら2、30人は入れそう
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キレイに掘削された壕口、手前は大分崩れた土が堆積してしまっている
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内部は倉庫壕の様だ、ゴミだらけで入れない(本編はこれだけ、後は補足かな?)
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近くにある棲息壕を見に行く
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こちらの壕口は水没している
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もう一つの壕口
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こちらはクリアー
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入ってすぐある左の通路
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さっきの水没の入り口に繋がっている
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では真っ直ぐ進む
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棲息室が見えて来た
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何度見ても、見事なベンチだ
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まるで、カラオケボックスの様だ
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ここまで居住性にこだわった壕は見かけない
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人物を入れると、そんなに広く無いのがわかる
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先に続く通路
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突き当たり、右に曲がると
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土砂で埋まって、閉塞
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ぬるっと這い出て次に行く
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指令部に摂取されていた女子高
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当時のこの建物と
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門柱のこれ、なんとなく似てるかな?
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大正七年に建てた宿泊棟が見える、老舗 八鶴亭(旧八鶴館)
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創業自体は明治十八年、しかし、怪しさ爆発な出で立ち、入店は断られるだろう
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登録有形文化財
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観光センターだと思っていたら、劇場らしい
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すてきなぬるきゃらもいる
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忠魂碑
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元師 陸軍大将川村景明書(日露戦争で活躍)
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戦没英霊、かなりの人数となる
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2、3年毎に更新されているが、徐々に小型化?
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表からは気が付かなかったが
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縦に3つに割れたようで、補修されている
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こちらの碑は読めなかった

東金(豊成)飛行場

本土防衛の為、1943年9月構築予定地域の旧豊成村に急遽飛行場建設が、言い渡される
1944年3月より本格的工事が始まり、9月には一応の完成を見ている
12月には、飛行第28戦隊双発100式三型機約20機が配備された。
百式司偵は元々は高速偵察及び連絡用に造られた物だが、その高速性能に目を付け、機首に20mm2門を付けた迎撃戦闘機として派生機が作られた。
重い機銃などの増加装備による速力低下、P-51の直掩などにより大きな戦果は少ないものの、それなりの撃墜数を上げている。
1945年6月になると、キー102乙型戦闘機が配備される。
本機は四式襲撃機、五式双発襲撃機などと呼ばれ、正式な愛称(一式戦⇒隼)はない
武装はかなり強力で、機首に57mm機関砲(ホ401)を装備した他、20mm機関砲(ホ5・二式二十粍固定機関砲)2門と12.7mm機関砲(ホ103・一式十二・七粍固定機関砲)1門を装備し、爆弾は500kgまで搭載できた。
後に排気タービン付きの甲型も生産されるが、排気タービンの不良により、15機程度のみ納品されるに過ぎない。
この飛行場にも甲型が5~6機配備されたが、短期間で他に移動している。
1945年5月頃には特攻機(隼)の訓練地ともなっていたようだ。

現在の124号をソニーを過ぎた辺りで右折すると、格納庫基礎が残っているが、わかり難い場所にある
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襲撃事件があり警察だらけのコンビニで遅めの朝食を取る
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こっちの地名は読み難い
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電柱より高い、郵便局の看板(求名、ぐみょうが読めなかった)
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この辺りから狭い道に入って行く
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ポンプ所隣の小さな名も無い公園
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東金飛行場の存在を示す碑がひっそりとある
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平和を呼ぶ ふるさとの碑
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本土防衛の跡を偲び 平和を祈る ふるさとの碑(全文)
 豊成飛行場は史上 東金飛行場といわれて昭和十九年三月大東亜戦争末期本土決戦の戦略によって急造された。青麦を刈り捨て、住家を移転し、墓地を掘り返して昼夜兼行、近隣住民を総動員して工を急いだが、未完成のまま十九年末には飛行第二十八戦隊が駐留してきた。総面積百七十ヘクタール、その八十四パーセントは肥沃な農地であった。以来戦況は日に増し悪化し、空襲は連日連夜に亘り、村役場の移転、小学校は取り毀して寺院神社に分散授業、戦火は鳴浜小学校や民家を焼き、遂に住民や兵員の犠牲者を出すに至った。かくて一回の戦果朗報を聞くことなく齢一歳にも満たずして二十年八月十五日終戦解体することとなった。今わが豊成飛行場の歴史も半世紀の歳月の底に沈んで語る人もなくなったが、この跡地に残された本土防衛の志想と平和を希望する愛郷の真情は魂魄となって強く生き続けていると思うわれら思いをここに致して、地域一体となって後世のために「平和を呼ぶふるさとの碑」を建設して遺すことに相成った。永遠に平和と繁盛の花咲き栄え給えと祈ってやまない 平成六年三月吉日 鈴木勝題字選文 豊成飛行場記念碑建設委員会
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ふと見ると、とのさんが逆上がりで遊んでいた、若い若い!
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公園に名前が無いので、この建物か地図で青い調整池を探そう
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格納庫基礎は道からは見えない、この農道の先にある
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二回目なので、スグに発見出来たが最初の時は結構迷った
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奥の方にも基礎が見えている、かなり大きな格納庫だ
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いろんなホムペやブログで、掩体壕基礎と紹介されているが全く違う、格納庫である
監視哨をトーチカと間違えるほどに用途が違う
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基礎構造が良く判る
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よそ様の所有地なので、荒さない様に気をつけよう
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人物比とのさん、結構基礎は大きい
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基礎がここまで見やすいのは、あまり無い(明野教導飛行団 天竜分教所は見やすい)
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何とか保存できれば良いのだが、苔生す屍となっている
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地主さんの厚意により現状維持されているが、先は判らない
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ぶっといのが刺さっているが、何て言う名称なんだか判らない、止め具で良いのか?
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多分向こうが飛行場側開口部(単純に壁が無いだけ)
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殆んどの物は鉄材を抜かれているか、一本だけ残っている
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藪の中にも基礎が見える
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これにはボルトが2本とも残っている
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奥の方には、一部分壁が残っている
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この脇には小部屋の様な物が残っている
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倒壊していて、原型は判らない
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この奥は作物があるので、立ち入らない
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地味に雨が結構降って来た
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そろそろ撤収する
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以前来た時の写真をフォルダごと消失してしまったので、今回無理に雨の中寄ってもらった
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最後に最も状態の良い物があった
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さぁ、次に向うとしよう、探索は始まったばかりだ。

横浜海軍航空隊(飛行艇隊) 海軍境界柱

横浜海軍航空隊としては、3回目の記事となるが、未だに見落としがあった様だ
リンクサイトBunny The Flat様の記事内にあるのは知っていたのだが、中々確認に行けなかったのだ
朝のうちはバイクいじりをしていたのだが、タンクを外してプラグ交換をした(エンジンがデカイから横からでは出来ない)ので、試運転がてらぶらっと市内の富岡総合公園に足を伸ばしたのだ。
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富岡総合公園は櫻の名所でもある
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一通りぐるっと回ってみる事にした
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まずは隊門からだろう
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登って見ると、電燈が付いていたのか、電管と固定ボルトがあった
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駐車場はいつの間にか有料化(4輪のみ)されていた
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駐車場から右に横移動すると、地下壕入り口が多数ある、壕口のみ紹介して行く
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7ヶ所確認できたが、いずれも入れそうに無い
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海側には日本飛行機の工場が見える、九三式中間練習機(赤トンボ)の生産メーカーとして有名、秋水、桜花の生産にも関わっており、現在も自衛隊機の生産に参加、F-2支援戦闘機、C-1、Pー3C、現在開発中のC-X 次期輸送機・P-X 次期哨戒機でも部品の生産や共同開発に参加している。
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境界柱は、何処にあるのか判らないので片っ端から捜索(プチ山狩り)して行く
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門柱の先、一番手前の公園上り口からそれると、旧警備道の掘割がある、これ沿いだと当たりを付ける
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公園内の散策路に戻り、石段をあがる(ここにしかない)
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ここからでも上がれるが、順路を通る
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回り込むと境界柵沿いに階段がある
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藪を少し掻き分けると、旧軍の階段が出てくる
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軍港水道関連施設がこの地下にある
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通気口
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揚水ポンプ室はいつの頃からか、入れなくなっている
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気持ちの良い散策路と化した旧警備道を歩いて行く(多目的広場を横切ると早い)
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境界柵の手前に目標補足!
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海軍境界柱だが、字体が面白い
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埋まっていて、百十までしか見えない
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次の標石
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少し掘って、百十八確認
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分岐でもピークでも無いのに、点々と生えている
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なんで上は赤いんだろう?
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少し掘ったが、見えない
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アーチェリー場の上に出た
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警備道はつづくが、標石がしばらく消える
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見つけたと思ったら、偽物だった
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分岐点、とりあえず真っ直ぐ行く
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100mも下りれば、民地に出る
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分岐に戻ると、境界石があった
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さぁ、何番だろう
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百二十三番だった、いくつか欠落している
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散策路を足早に通過する(ここに人が居ると弓が撃てない決まり、マナーかな)
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フェンスの外れにまた一つ
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全く番号不明
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近くにまたある
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番号は一気に飛んで、百三十四だった
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ちなみに他の二面には文字は無い
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これを最後に、道が消える
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斜面を探すと、標石が斜めに生えていた
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掘る!
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百三十五確認
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境界柵は続くが、状況が過酷になる
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人工的に切った石が斜面に転がる
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上に登ると、なんと石垣が組んである
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なぜこんな山の中に石垣が有るのだろう?
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道はますます過酷になる
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境界柵も倒れ放題
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さすがに辛くなって来た、柵も標石も消えた
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これ以上は進めないので、安全第一の基本で戻る
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脇道を山中に分け入る
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整地された空間が諸所にある
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周りを探すとアンカーも打ってある、何だろう?ピークだし監視所でもあったか?
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山を突き抜けると、展望広場に出た
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この艦首ははたかぜだが(観艦式で乗った)近代化改装か?
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奥にはいずもが隠れていた、早く乗りたいものだ
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第二格納庫跡地は相変わらず空き地
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機動隊基地も元格納庫、格納庫扉のレールが横に飛び出している
しかし、カメラに砂が入り込んで駄目だなこれは、もう4代目なのだがブローしてもまた出てくるから意味が無い
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最後に機銃掩体を見に行く
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まぁ、肉眼じゃ無ければ判らないだろう、肉眼の補正力はすごい

長浦港周辺 監視哨等

この記事はkanレポート様から提供された調査ネタを元に紹介して行く
長浦港は横須賀本港(鎮守府)と新井掘割りを挟んで隣にある重要な港湾施設跡である
今は、その大部分を米軍と海上自衛隊が占めているが、一部市の港湾施設や民間会社も散見する
特に船越地区は海上自衛隊の施設拡大が非常に手広く行われ、比与字地下壕や軍需部倉庫、造兵廠及びガントリークレーンなどの貴重な遺構が壊滅状態に貧している。
その中でも監視哨の類は結構残っているので、ピックアップしてみた。
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長浦港の旧軍施設図
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水雷学校跡地には、遺構は何も残っていない
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今の海上自衛隊自衛艦隊司令部周辺図、鉛置場の裏山に監視哨が発見された
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さて、スカレーを追いかけ、船越に向かう
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軍需部引き込み線の線路
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破壊されたガントリークレーンの基礎
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ガントリークレーンの先に見える海上自衛隊艦隊司令部
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給水タンクの左側に、確かに何かある
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ズームするが、手前の掃海艇の排気でぼやける
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右に移動していく
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これがベストポジションだろう
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超拡大してみる、kanさんの見立てでは、防空監視哨であろうとの事、間違いなさそうだ
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監視哨の上にも何か構造物がある、何だろう?
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更に視線を下に落とすと、自転車が積み上げられている様だ
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ここからエレベーターで、監視哨に上がれたりして(いや、ホントにこの時代から大和にもE.Vあるしエアコンも蛍光灯もついている)
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視線を右に移すと、また何かある
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これは艦船の出入りを監視する為の物らしい(後ろの鉄骨が気になる)
浦郷弾薬庫_R
早速裏山に登るのだが、こんなフェンスに囲まれて、進入出来なかった
この裏山は、旧海軍貉火薬庫からの続きで、現在米軍使用の弾薬庫となっている
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もはや長浦港の顔となった潜水艦
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鳥たちの憩いの場(トイレ)となっている
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向こう側は箱崎米軍施設になっている
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その山頂にも何やら古い建物が、現役で残っている
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そのまま右を見ると、比与字弾薬庫新(地下式)、旧(奥の緑屋根)が見える
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比与字にも、監視哨がある
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側面にも防壁を持つ、特殊なもの
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残念ながら、出入り口は2ヶ所とも塞がれている
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内部は、総コンクリート製
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再び船越に戻る
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機銃の整備をしていた
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軍需部跡地も、工事用プレハブが建っていた
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その裏山、下には巨大な地下壕が有り、この山腹には
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こんな監視哨が隠れている
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入口
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中は意外と広く、2部屋になっている
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奥の観測室
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畳2畳ぐらいかな?

このような物は、一部なのだろう・・・入る事の出来ない米軍施設、海上自衛隊施設内にはもっと沢山の旧軍遺構が眠っているのだろう

衣笠弾薬本庫おまけ

せっかく弾薬本庫を記事にしたので、ついでに弾薬庫内部を紹介しておく
現在内部は既に弾薬は無くなっていたが、霊園の掃除、工事資材等置き場に活用されている。

戦後は当然のごとくに米軍に摂取され、弾薬及び物資の貯蔵庫として使用されるのだが、返還後国から市が無償借り受けし、公園墓地として整備した、その際6箇所あった弾薬庫は2箇所を覗き失われてしまった。
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以前紹介したように、弾薬庫は入口が2つで、内部でH形構造で繋がっている
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左右とも構造は対象形になっているだけで、同じだ
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まぁ、やってないだろうな~いちいちこんなの
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前室とも言える、主通路を入って行く
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天井には当時の物か、電気配線の金具が付いている
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天井からは鍾乳化したのが、垂れ下がる
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弾薬庫本体、威圧感がある
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全ての壁面が空間を持たされていて、防湿対策がなされる
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床以外は、天井さえもくっついていない
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となりへの連絡通路
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では!
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重厚なキシミを響かせて、扉を開ける
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前室内部、後室への扉は失われている
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前室内部は6畳分ぐらいだろうか?
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この辺の扉は米軍摂取時に、交換されている可能性がある
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ヒンジがこれだけゴツイのだから、不釣り合いだろう
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後室全体写真
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鉄筋コンクリート製
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岐阜の関ヶ原に良く似ているが、こちらは木筋である
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入口通路
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前室
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庫内、良く似ている
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床には等間隔にナンバーリングが振られる
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奥の方が大きい数字
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ナンバーリングは、壁にも付いている、これは米軍だろう
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最深部、16番まである、こちらはAB側弾薬庫
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通気口
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最新部から入口方向
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ストロボを使わず、ライトのみで通常撮影
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壁面には様々な書き込みがある、殆どは何故か計算式なのだが・・・
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入口の扉から伸びる電線、アースだろうか?
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連絡通路を通り、反対側の弾薬庫に向かう
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こちらの方が少し損傷が少ない
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まぁ、内部は一緒だ、保存状況は最高だ!
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こちらはCD側弾薬庫となる
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振り返って入口方向
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オッパマ
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こちらも前室内側の扉は無い
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連絡通路を辿って、出るとしよう
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ここまで長くなるのに、何年ぐらいだろう?

おまけで横須賀中央にミリーな店が出来たと言うので、見に行った
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みかさ通りのベース側出口付近
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マクドナルドの斜向かい辺りにそれはある
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1階は、雑貨、食品等、自衛隊お土産品などなど
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横長で、ちょっと手狭な感じ
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女性自衛官シリーズ
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もちろんアルペジオもある
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2階は衣料品と
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一部プラモデル
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3階は展示室
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艦長室風
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それなりに良い出来だろう
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まぁ、一度ぐらい寄ってみるのも良いだろう
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また、旧軍艦艇の名前の飲み屋を見つけた

衣笠弾薬本庫境界柱(壁)、要塞地帯標巡り その2

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防六八の分岐に戻って来た
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この辺から近代境界柵のせいで、防と陸の向きが逆になる
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裏側に防六九
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防七〇
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次の柱は倒れている
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掘ってみると、確かに防七一だった
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防七二
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山のピークでまた分岐がある
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ピークにあるのは防七三(一瞬六三に見える)
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分岐を柵のない方に行ってみた
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こんな偽石柱しかなかった
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更に進むと有刺鉄線で塞がれていた
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途中この様な新たな分岐もあったが、明らかに下っているので行かなかった(100mぐらいしか)
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防七三のピークに戻って来た
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柵に沿って急な下りを降りていく
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防七四
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セカンドトライはここで時間切れ撤収したが、帰りがけに要塞地帯標を見れた
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防七六(ここからサードトライ)
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防七七
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防七八
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防七九
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後半はかなり上り下りが激しくなってくる
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山のピークで登って来た坂を見下ろす、ここにまた、分岐がある
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防八〇
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オブジェ有り
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柵のない方に進むと、また遊歩道が現れ、下って行くと
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30区の角辺りに降りてくるが、結構キツいかも
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防八〇に戻り、2本の鉄柱の生えてる方に向かう
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途中、こんなんだったりするが、気にしない
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防八一
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防八二
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防八三、ここで境界石柱は初めて途切れる
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近代境界壁はまだまだ続く
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次のピークであり、曲がり角にもない
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本来この市の標柱と隣り合わせているはずだ
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その後も市の票柱だけが続き、サードトライはここで諦めた、横須賀製鉄所(造船所)の刻印レンガをイベント会場に見に行く都合もあったのだ
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OKN氏から九四まであるよとの情報もあり、フォーストライ(もちろん懲りずに次の寄り道予定も組んでいる)
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久しぶりに草に埋もれた石柱が!(ここまで抜け落ちてないか、斜面を探しながら上り下りしたが、無かった)
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防九〇まで一気に飛んだ
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市の標柱の前に、抜けたような空間が
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次のピークに石柱が見える
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案の定、飛んで防九二
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これから先は下っていく
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珍しく道の真ん中にある
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防九三
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なんとこの先で、久しぶりに人間を見た! ちょっとびっくりした
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どうやら三角点マニアのようだ(お手製の看板)
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自分の目当てはその横にあるこれ
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これが最後の票柱になる、この後ろ側にも埋もれた遊歩道の痕跡があったが、行ってない
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まぁ、人それぞれだよね!目的は。
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更に結構急な下りを降りていくと
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給水塔が現れる
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石柱も違ってくる
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似ているが、騙されてはいけない
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どうやら衣笠インターの辺りに出た様だ、下に降りれるが道路を歩くのが面倒なので、山に戻る
これにてやっと踏破する事が出来た、満足!
歩くだけなら往復2時間程度の適度なハイキングコースだろう、写真を撮っても3時間くらいかな?
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そしてその足で米海軍横須賀基地、日米文化交流センターに向かうのであった

衣笠弾薬本庫境界柱(壁)、要塞地帯標巡り その1

「衣笠弾薬本庫の山沿いに警備道があり、境界柱が並んでいる」とarea438様から情報を頂いた。
衣笠弾薬本庫自体は、以前記事に上げているが、そんな遺構が残っているとは予想だにしなかった
久々に票柱探しに熱中してしまった、本来なら1回の調査で終わるだろう事なのだが、二兎追う者は何とやら
他の予定と組み合わせて横須賀に来るため、時間不足でリタイヤ2回、逆方向探索1回と、おかげで満遍なく
みっちり捜索できた。
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9区にある弾薬庫左側の入口
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右側の入口、内部はコの字形と言うよりはH形に、2つの弾薬庫を通路で接続している
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こちらの階段から登るしか、霊園側からは行けない
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体力の無い人には、少々キツいかも知れない、一気に階段を山頂まで登る
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コンクリートの遊歩道に沿い、左に向かってしまったら、霊園入口駐車場に出てしまった
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この日は他の探索の帰りだったので日没を迎えた、逆側には標柱が無い事を確認
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セカンドトライ、またこの階段を登って来た、実に健康的だ
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前回このコンクリートに沿って左に行ってしまったが、右が正解
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民家の先に小学校のグランドが見える方に進む
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途中レンガが露出していたが、刻印もない近代レンガのようだ
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体育館脇の遊歩道を進む
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遊歩道の両サイドを探しながら進むが、この辺には存在しなかった
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突然山が開け、住宅地に出てしまう、普通ならここで引き上げたくなる所だが
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事前に情報提供者様より追伸を頂き、住宅の裏手をビビらず進めと教えて頂いている
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住宅の裏手に問題の近代コンクリート柵が見えて来た
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近代の柵沿いに行くと旧軍のコンクリート柵が見えて来た
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ついに陸軍境界柱発見
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裏に回ると、防五三であった(これ以前の番号は、宅地化の為消失したようだ)
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粗いコンクリート柱に薄くコンクリートを塗り、刻印を前後に後から打ったようだ
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新旧の境界柵が並んでいる風景
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旧境界柵は、上下に2cmほどの穴が二つと中程に1cm未満の小穴が二つある、縄か針金で通していたのだろう
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柱は10cm四方角では整形してある
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ここから先、登り下りが連続する
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防五四
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防五五
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防五六
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じっと見上げる、ぬこ二匹
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防五七
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どんどん登る、このコンクリート製枕木は無い方が絶対歩きやすい
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防五八
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柵の切れ目から、内側に入る
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この辺の旧境界柱には鋼線が入っているが、後世の物だ
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また柵をまたぎ、どんどん登る
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防五九
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山の一つのピーク
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防六〇
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おまけ付き
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新旧境界柵が並ぶ、ゆるい上り坂
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防六一
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防六二、これだけ字体が崩れて見える
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表皮を台湾リスに囓られた樹木、かなりあちこちにある(冬なのにかなりのリスを見かけた)
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防六三、大部分は市の標柱と抱合せになっている
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防六四
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防六五
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境界柱は、山のピークや降りきった所、曲がり角などに立てる事になっている
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防六六
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ここから先、落石や道が崩れている所もあるが、気にしないで行こう、いつもの事だ!
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防六七
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ここで最初の大きな分岐を迎える
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防六八、この後ろの柵のない方へ一旦進む(本道ではないので注意)
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何もない道を鉄塔手前まで進むと見えてくる
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東京湾要塞地帯標である
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辛うじて特徴的な文字は読み取れるが、判別は難しい
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EZIZなどは良く残っている
後に当日合流した祐実総軍様より「EZ 1Z 東京湾要塞第壹区地帯標 、昭和参年参月弍拾弍日 、第六號 、陸軍省」
であったと詳細を頂いた、感謝!
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もう少し先に進むと、見かけない標柱が幾つかある
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鉄塔結界とか言うらしい
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また違う票柱
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変なのばかりで、旧軍遺構は見つからなかった
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二回目はこれにて時間切れで撤収となった、東京湾要塞跡国指定紀念シンポジュウ厶に参加しなければならなかった為だ

ここまで欠損も少なく数十本残っているのは、非常に稀である一見の価値はあるが、体力勝負だな!
次回、出来れば最後まで行きたい、今六八だが九四まである、まぁのんびり行こう。

横須賀製鉄所(造船所)150年 第二弾

米海軍横須賀基地に横須賀製鉄所(造船所)を紹介する展示コーナーが開設されている
「米海軍横須賀基地と横須賀製鉄所」と言うテーマで米海軍横須賀基地、日米文化交流センター内に展示

展示日程が意外と長く、平成27年2月9日~28年3月29日までとなっている、問題なのは月.火曜日しか開けない事で、仕事をしている人には行きにくい、それと米国の祝.休日は休館となる(下のチラシ参照)
時間も限定的で、11:00~15:00までとなっている
なお、基地の前には案内板など一切無く、米兵の構えている門の前まで行かないと入れないし、見えない
事前に知っていないと、気が引けてしまうが大丈夫、其の辺の米兵に聞いてみれば教えてくれる(多分)
内容はパネル展示のみだが、展示室内限定で写真撮影OKなので日本のしょぼい展示よりありがたい!
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入場無料!(日本の様な監視員もいない、逆に言えば案内も何もない)
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16号を歩道橋を越えて行く(エレベーター付き)
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CLUB ALLIANCE沿いに進む
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正面ゲートの左の黒柵の先に入口がある(ゲートの写真を撮ると怒られる場合有り)
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ここで初めて案内がある、勝手にドアを開けて入って行く、外人だらけの建物の奥にズカズカ進む
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一番奥まで来ると、この看板がある(この辺はまだ撮影禁止区域なので注意)
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これが入口
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注意!この室内以外は撮影禁止である、センター内以外は撮らない様に協力をと書いてある
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開催時間
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案の定誰もいない
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入って目を引くのがこれ!
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物凄い出来栄えである
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知らない人用に簡易パンフが置いてある
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良い気使いだと思う
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横須賀市民限定有り過ぎ!(元横須賀市民にも愛の手を!)
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パネル展示、ただ貼って行く
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しばしば2号3号が逆に紹介される理由がこれである、3号の方が先に出来ている
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日本語の漫画で同盟に関する話を作っている、米軍も努力しているのだろう
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壁にもパネルはあるが、第7艦隊系統と思われる
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手作りの艦
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横須賀市内の近代歴史遺産
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途中からまばらに人が入って来た
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ごく僅かに書籍もある、殆ど一般販売されている書籍だが
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一部目を引く本もある
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一通り見たので、退出する
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次は3月29日(日)に日米親善よこすかスプリングフェスタ 2015かな?
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半月ぶりにドブ板をぶらつく(ボブサップも来た店)
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このケース欲しい!
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排水口がトランペットだったりする

取り敢えず今後も何かイベントがあれば第三弾をやるつもりだが、目立って変わったものは出ないだろう

横須賀製鉄所(造船所)150年 第一弾

横須賀製鉄所(造船所)とは、現在の米軍横須賀基地からヴェルニー公園にかけてあった。
江戸幕府が諸外国からの圧力をうけ、それに屈する形で横浜などを開港したが、それがきっかけとなり、自分達の力で日本を守る必要性を考えるようになった。
そのためには、海軍力を増強させ、軍艦を造り、近代的な造船所を建設する必要があある事に気づいた。
その計画を立てたのは、幕府の勘定奉行などを歴任した小栗上野介忠順である。

当時幕府は、欧米の5か国と通商条約を締結していたが、南北戦争など諸事情により造船所計画が難航する
丁度カイコの伝染病問題で死滅しそうになっていたフランスと提携し、日本のカイコと交換に技術提供を受ける
小栗、ロッシュ、栗本、カションの4人で面談が行われ、その後1か月もたたないうちに、造船所の設置場所として横須賀が選ばれる事になる、詳しい理由は分からないがフランスのツーロン港に横須賀港が似ているそうだ。

造船所建設の技術的な役割は、当時中国にいたヴェルニーに任せられた、造船台やドライドックなどの施設を建設する計画を立てたが、技術者確保と工場で使用する機械類を購入するため一時的にフランスへ帰国
その間に幕府により「横須賀製鉄所」と命名、鍬入れ式を行った
ヴェルニー帰国後、時代は江戸幕府から明治新政府へと変わるが、工事はそのまま引き継がれる。
明治4(1871)年に待望の第1号ドックが完成し、名称も横須賀製鉄所から横須賀造船所に変わる事になる。
この年の11月には、明治天皇も横須賀へ行幸して、横須賀造船所を訪問した。
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諏訪公園にある御駐碑
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戦時中の横須賀造船所航空写真
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ショッパーズの辺りにあったガントリークレーン
軍艦高雄の進水式_R
軍艦高雄、進水式

さて、今年は横須賀製鉄所(造船所)鍬入れ150年という事で、色々とイベントをやっているのでちょっと覗いて来た
まずは、横須賀市自然、人文博物館で行われた富岡製糸場から発掘された、「横須賀造舩所」刻印レンガ特別展示
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かなり寂れて、人気はない
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特別展示は終わったが、常設展示で刻印レンガは見れる
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入口入ると象の骨が出迎える、まずは常設展示へ
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横須賀港絵図
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割と出来の良いジオラマ、左は今も残る第一~第三ドライドック
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後にショッパーズ~ヴェルニー公園になる辺り
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ヴェルニーさん、JR横須賀駅前にヴェルニー記念館があり、当時のスチームハンマーが展示してある
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刻印レンガ
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ヨコスカ製銕所の刻印
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横須賀村小字みかほ製
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後ろは小栗
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出土状態は良く無い
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当時の土管
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当時の地形と今の地形
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特別展示室に移動
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横須賀出土の「横須賀造舩所」
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富岡製糸場出土の「横須賀造舩所」
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富岡製糸場その他の出土レンガ
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横須賀製鉄所と造船所
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関係も何も、企業サンプルが紛れてただけではないか?
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拓本
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引き続きさいか屋に向かう
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美術画廊のフロア、6Fの一角なのだが、なんと撮影禁止
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仕方なく入口前のパネルのみ掲載
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無料とは言え、面白みに欠ける物であった、しかし猿島、千代ヶ崎砲台などにも多少触れていたので
一度くらい見てみても、それなりには楽しめるだろう

パネル撮影が出来なかったので、手持ち写真を少し貼っておく
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建設中の第一ドライドック
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ガントリークレーンと、第一~第三ドライドック
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ガントリークレーンが出来る前の船台
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日本初のドライドック
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軍艦「天城」進水
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横須賀製鉄所で完成した浚渫船
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時計台
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錬鉄所
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何となく造りが富岡製糸場に似ている
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製罐所(せいかんしょ)と鋳造所(ちゅうぞうしょ)
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旋盤所(せんばんじょ)
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30Tクレーン
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船台、造船小屋
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当時の横須賀駅前
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後に出来る、第四、第五ドック

実質的に造船所なのに、なぜ製鉄所として始まったかと言うと 「フランス人技術者たちはこの施設を海軍の造船施設という意味の「arsenalアルスナル」と呼んでいましたが、日本側はこれを「製鉄所」と翻訳しました。これは、日本側が、造船所とは鉄を加工する施設である、と考えたためと思われます」だそうだ
後の横須賀海軍工廠の前身である。

戦艦「武蔵」と思われる船体がシブヤン海1000m地点で発見された!

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150303/k10010002771000.html

戦後70年の節目、横須賀製鉄所150年とも関係はないが、誠に嬉しい限りである。
更なる調査が望まれる。

上田中(かみたなか)坑道陣地

東金市大豆谷(まめざく)付近にある、国道126号線を昇ってくる敵戦車の迎撃を主眼に置いた対戦車専任拠点
大豆谷方向だけではなく、由井方向及び新田方向にも射線を持ち、背面防御方向にも開口部を持つ、全周囲対応陣地
陣地としては全面完成はしておらず、砲室として整っているのは大豆谷方向のみである
坑道内の幅は広く、坑道内を砲移動し、各方面に対処する積もりだったのだろう
47mm砲3門が記述されているが、備砲に至ったかは不明。
後に上げる大豆谷機銃陣地や由井方面の陣地と共闘関係にあったと推察する
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現在墓地となっているが、壁面には多くの穴が散見する、とゆうか穴だらけ(墳墓)
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桜井さんの後ろにある様に、塞がれているモノもある
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では、開いてる所から、入壕する
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全体的には完成度は高めで、しっかり広い
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壕内にはノミ跡も見えず、非常に掘りやすそうだ
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地下鉄でも走りそうな四角く広い通路
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最初の分岐路
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右は入って来た壕口
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便器や一升瓶が埋まっている、壕の風化で自然に埋まったものだろう
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左側の通路を進むと、また分岐
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左は弾薬庫だろう
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直進方向、外光が見える
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47mm速射砲砲室、唯一の完成形(冷蔵庫完備)
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入って来た方向、かなり立派な部類だ
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外にでると開口部が一つ
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外部の倉庫壕のようだ、砲室ぐらいの広さがある
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横に通路が掘ってあるが
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右に曲がってすぐ終わり、掘りかけの感じではない
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元の砲室に戻る
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新たな分岐、この壕は半円形にメイン坑道があり、放射線状に通路を作っている
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右から攻める
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20m程で開口部砲室になるはずの部分に出る
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外から見た開口部
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元に引き返す
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分岐へ戻り、違う方向へ
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次の分岐が見えるが、左に先に進む
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半円形に回って墓地から見えた塞がれた壕口裏にたどり着いた
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時折見かける、勝手口みたいなすぐ隣の小さめの壕口が横にある
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こんな近くでは、壕口付近の強度が激しく減退するのでは?
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戻ってさっきの枝に行くと、すぐに二股に分岐する
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左側は土砂が流入している
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隙間なく埋まっている
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右側は10m程度で閉塞、水が溜まっている
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下手に入ると、靴底がすごく重たくなる
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なんか落ちている
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何だろう?
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瓶が並んでいる通路がある
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瓶マニアではないので、出るとする
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軍人墓、輜重兵のお墓は珍しいのでは?