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9月の夏島、貝山空母氏来訪 その1

前回、貝山を中心に夏島上部を案内したが、とても回りきれずに今回の再訪となった
夏島下層2層目、貝山の一部を回る事になる。
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通いなれた夏島地下壕
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兎に角キレイで広い所が多く、初心者でも楽しめる地下壕
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ただし、長靴はあった方が良い、部分的にやばい所あり
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見所は満載である、ただし広すぎて迷う危険もあるので、注意が必要だ
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正直松代なんかより、よっぽど楽しい地下壕である
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夏場の地下壕は水蒸気が立ち込める事が多い
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場所により、全く写真にならない所もある
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そんな時はこのように、ライトのみの撮影となる
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この湿度は厄介で、通路1本でこんなに違ってくる
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初めて訪れる人は、夏島の面白いほど入り組んだ構造に、魅了される
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測量ミスにより、隣の通路に貫通してしまった部分など萌える
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地下の中の、そのまた地下に降りて行く
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さっき見た壁の穴の、内側にやって来た
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天井の掘り方も、屋根型で珍しい
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大正13年12月製造の本物の箱が未だにここにある
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朽ちた手袋
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中身の少し残った各種ビン類
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この辺は大分ぬかるんでいるので、こけたらヤバイ
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空母氏が何かを見つけたようだ
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1500Aの電気部品の一部
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湿気を吸い、固化してしまったセメント袋
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カマドの跡、右は煙路(ガスボンベが転がっているので爆発の恐れあり)
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朽ちた海軍食器
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泥濘と化した倉庫壕の主通路
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帰る頃には、相当靴底がドロで重くなっている
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キレイに掘られた通路を抜けて行くと
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主計課通路に出る、また湿度が高い
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天井には、未だに電球が残っている物もある
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キレイに掘り込まれた棚
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スロープの付いた主計課倉庫
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ここの部分が一番魅力のあるゾーンだと思う
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隣にもう1本主計課倉庫はある
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こちらには棚の木枠すら残っている
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最深部から出口に向う
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ここでこんな文字を始めて見つける、何回来ても楽しませてくれる地下壕だ、隣のスペースには書きかけの跡も
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次の目的を決める相談
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夏島下層部分、探索終了
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2層目に向う
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有名なトイレ遺構
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2層目の内部は殆んどこんな感じ
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ふと見ると、足元に巨大なニシキヘビがとぐろを撒いていた、こんな所に捨てるなよ飼い主!
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部分的にはキレイに整地された通路もあるにはある
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コンクリートで整形され、木枠で扉を付けた所が残っている
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半分程度コンクリートと石積みで塞がれた壕口
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夏島地下壕を後にする
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高烏(たかがらす)砲台 その2

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展望台がある
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闇の中で何かが光った、ねこだ!
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じっとこっちを見ていた、展望台の主だろうか?
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展望台の展望図
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右の辺りの夜景だが、さっぱり判らないだろう
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下に降りると、何か建っている
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ここからの展望
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夜景だとこんな感じ
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反対側の、ここからの展望
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港の夜景はいいものだ
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奥の柵は当時の物だろう
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平清盛像、1165(永万元)年に平清盛が西に沈む夕日を「金の扇」で招き返し、1日で切り開いたという伝説のある名勝地
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何らかの遺構だろうか、石積みがある
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丸い物はみんな砲座に見える病、実際高角砲座が何処にあったか判らない
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駐車場脇の砲座に降りて来た、即応砲弾置き場から、砲座は大分埋められてることが判る
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公園整備の為、この様に遺構自体を壊してしまうのも、考え物だろう、砲台を見に来る人の為に駐車場を造る、歩道を造る、その為に遺構を一部壊しても仕方が無いと言う考えはどうも頂けない、単なる観光資源化に感じる
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弾薬庫に降りて行く
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この弾薬庫は、水は無いが苔生している
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形状は一緒
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天井の通気孔
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最深部から、前室方向を見る
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最後の弾薬庫に行ってみる
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ここは残念な落書きが多い、観光地化の弊害だ
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中は水没しているので、入らなかった
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お城の石垣の様な積み上げ
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スロープから兵舎跡へと降りて行く
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このカットはいろんな所で使われているが、ちょうどここに階段が造られているのだ、見学用なのだろう
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暗い中、一通り見終えて砲台をあとにした
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この時間になると、誰もいない、道路の真ん中に停まっていても、車も何も通らない
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ホテルに帰り、明日の行動を考える、実際に現地に来て見れば、結構移動時間にかかる物があり、行ける場所が限定される事が判明、土地勘が無い事がかなり響きそうである、yakumoの長い夜が始まる、作戦を練り直さないと行けない葛藤との戦いが始まった。

高烏(たかがらす)砲台 その1

この花崗岩造りの一連の構築物は、旧高烏砲台の跡である。
明治16年第二海軍区鎮府の候補地として呉港があげられ、明治19年7月軍港設置とともに敵の艦砲射撃に備えて軍港防備の陸上砲台は陸軍において構築することになり、陸軍予算として閣議にあがったが、第一期計画からは除外された。
たまたま日清戦争が起こるにいたって、広島に大本営が置かれるなど情勢の変転に伴って再び砲台構築の議が起り、明治29年陸軍の手によって砲台、火薬庫、兵舎などの工事が始まり、引き続き同32年から3ヶ月(3年だろ)の歳月を費やして完成した。
後になって海軍の所管に移され太平洋戦争においては専ら防空砲台として使用されたが、明治中期の軍港を護る要塞砲の形式としては珍しいものである。
高烏砲台跡 呉市案内掲示板より

広島県呉市警固屋8丁目地内 音戸の瀬戸公園
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呉市内に戻って来た
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流石にこの時間では先にチェックインしといた方が良さそうだからだ
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一息してすぐにまた出かけて行った、夜のてつのくじら館前を通過
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派手な橋が見えて来た
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第二音戸大橋を下から見上げる
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ループ橋を上がって行く
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この公園はえらく細長いようで、砲台は最深部のようだ(看板に砲台の案内は無い)
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この駐車場から更に、1.2Km登る
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坂の途中にある景勝地
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大分上がって来たので、夜景はきれいだ
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光田庭園、日本一大欅根株・・産地、岩手県九戸郡山形村
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音戸の瀬戸の開通を記念して建てられた二重の塔
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上の駐車場に着くと、ヘッドライトに照らされて、それは目の前に現れた
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案内板
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兵舎に近寄る
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入り口入って、左側
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右を向く、かなり広い建物だ
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花崗岩で造られたこの兵舎、100年経っているとは思えない状態の良さ
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奥の入り口には、土間なのだろうか、囲いがある
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横手から外に出る
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貯水槽が横手にある
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その奥にはトイレがある
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兵舎の屋根は木製だったので、既に失われているが外壁は更に100年持ちそうだ
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外回りには排水溝があり、夜中に来ると危ないので気をつけよう
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上の砲座に来た
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砲座の前まで車で行ける
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旧要塞砲台の沿革
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弾薬庫に降りて行く
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入り口前にある、楊弾用のクレーン台座
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花崗岩とコンクリートで出来ている
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ここの弾薬庫は、銃眼を備え、前室、後室に分かれている
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前室は、雨のせいか水没している
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後室は大空砲台の様な丸みを帯びた物だった
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天井には通気孔が設けられている
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前室と後室の間の壁は、かなり分厚い
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隣の砲座、砲床は埋められているようだ
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横檣の先に
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低い入り口がある
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計算室、もしくは通信室だろう
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砲座の上に登る

大空山堡塁(大空公園) その2

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2つ目の砲座、形状は同じだ
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背部に小隊長位置もある、ちなみに一番奥で一段だけ高くなっているが写真が無い
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砲座、底部はコンクリートだったが、植樹の為に掘り返してあるのだろう
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即応砲弾置き場
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蓋自体は盗られているが、止め具はほとんど残っている
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砲座間の伝声管、貫通しているかは、不明
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もう一つの砲側庫
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形状も全く一緒である
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よく判らん・・・
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もう少し突っ込むと、なんとか見えたが休憩室と化している
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僅かに残る窓枠などは、当時の物だろうか、横須賀の夏島などにも残っているので、不思議ではない
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砲側庫から上に階段を登った
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胸檣部、キレイなバンクを描いている
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はるか彼方に安芸灘大橋が見える
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上を見上げると、観測所が見える
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何故かピンボケているが、上には東屋があった
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晴れていたら、結構な眺めだっただろうが、今は夕方だし小雨が降っている
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苔生した小道を一人歩く
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観測所が見えて来た、近代的な3階建てである
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何かの台座がある、アンテナの鉄塔跡だろうか
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記念碑の下の台座は方位盤になっている
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回り込むと、観測所のオリジナル出入り口となる、階段がある
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そう、この展望台は、旧観測所の上に乗っかっている
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3階にある展望図
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砲座方向を見下ろす
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安芸灘大橋が見える
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在日米陸軍広弾薬庫、旧軍の地下施設を利用している
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秋月(広島県安芸郡江田島町)、広(呉市)、川上(東広島市)の三弾薬庫に、計七万五千トンの貯蔵能力を持つ。
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小情島かな?
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亀が首方向だと思う、小雨降っていて良く判らん
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下に降りよう、この階段マジ狭い
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階段を降りると、こんな窪みがあるが胸の高さぐらいしかない
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その角を曲がった所に
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通信室らしき物がある
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弾薬庫と違い、奥が丸くない
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上の写真の右上の伝声管、観測所と繋がっていたのだろう
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入り口を振り返る、結構内部は暗い
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電気を付けるとこんな感じ、右の壁に穴がある
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下の砲座への伝声管だろう、若干狭い
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横の階段を登ってみる
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観測所基礎の横にある、砲台長位置、ここにもお立ち台が付いている
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急な階段を降りて行く
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実はこの観測所の裏側に、補助観測所があったようだ、帰ってから知った
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キレイに整備された砲座
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砲側庫も見慣れると、石積みがいい感じだ
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こんな感じに残してくれるなら、公園化も良いだろうが、観測所はいただけない
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さぁ、次に向おう
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駐車場には、砲具庫、炸薬槙実所、装薬調整所、厠などがあった
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帰り道、崖面にお地蔵さんが等間隔に埋まっている所があった
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こんな道を降りて行く、あまりデカイ車では来ない方がいいだろう、すれ違えないかも
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帰りは違うルートから降りていった、同じじゃつまらん!

大空山堡塁(大空公園) その1

明治期に軍用地として山上に砲台(大空山堡塁)が築かれ、太平洋戦争当時は高射砲陣地となって一般の登山は禁止されていた。以前砲台が築かれていたことから砲台山とも呼ばれている。

終戦後、砲台跡地は大空山公園として整備され、公園内には1,200本の桜があり、桜の名所となっている。砲座跡地に建設された展望台からは阿賀、広、横路など呉市東部の街並みが一望できる。 また、弾薬庫跡など一部の建物はそのまま残されている。
wikiより

明治35年4月着工、 明治36年12月竣工、大正15年8月 廃止
備砲 無し(28cm榴弾砲 2砲座×各2門 計4門が配備予定だったが砲不足の為、備砲無しの状態での竣工となった。
結局廃止となる大正15年まで28cm榴弾砲が装備される事は無かった。
呉軍港の背面を防備するための堡塁砲台として、整備されたが、バルチック艦隊は来なかった。

高烏砲台同様、大正15年に管轄が陸軍から海軍に移っており、昭和20年1月に88式7.5cm高射砲6門が設置され、大空山防空砲台として呉防空の為、やっと砲台としての機能をはたした。
正式には八八式七糎野戦高射砲、0.5は付かない、高射砲と書いてある様に、陸軍の砲である
海軍所轄地になったのではと、疑問が残る、再移管だろうか?
ちなみに高射砲は高位置、観測所付近にも据えられたようで、旧砲座に4門、観測所付近に2門だろうか?
〒737-0115 広島県呉市広町25
34.242806, 132.603098(グーグル)

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安芸灘大橋を眺めながら、国道185号線を走る
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仁方第二トンネル通過
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道中で見かけるお墓には、何故か派手な装飾が成されていた、土地の習慣だろうか、あちこちに見かけた
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結構狭い道を上ってきた、車で15分ほど登るとこの看板のある分岐に憑く
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目に付くのがこれ、かまぼこ型の弾薬庫
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側面は石積み、上部はコンクリートのようだ、側面には唯一の出入り口がある
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実際、オープンな、かまぼこ型弾薬庫とは、かなり珍しい物だ、本当に弾薬庫か?
良く調べると、これは火薬支庫であって、隣には装薬調整所があったようだ、一般に火薬と弾薬は一緒に考えられやすいのか
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普通、出入り口となるこの面には窓しかない
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土塁側の隙間に入り込む、雨が降っているので、足元は最悪だ
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道路側は塞がれている窓も、こちら側は開いている
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右側を覗く、枝の束で埋め尽くされている
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左側、やはり防湿用のコールタールなどは、見受けられない
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唯一の入り口がこの小ささ、人が立って入れないのだ、作業出来ないだろう
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土塁側のコンクリートは作りも荒い
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横の窓から見た、内部全体(天井の黒ずみは、戦後の焚き火などだろう)
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車に戻り、砲台を目指す
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平和の庭?
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駐車場(無料)手前には当時からのものか、井戸がある
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立派なトイレはあるが、自販機などは何も無い
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歩道を上がるとすぐに砲台に出る
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石積みの小隊長位置、神奈川では見かけない作り方だ
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砲座、2門一組で1座となる
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小隊長位置から望む
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案内板があった
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砲座間の砲側庫、これも石積みである(内部はコンクリート)
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内部は物置となっているが、下部は石積みなのが判る、最奥面は丸くなっている
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砲座、砲側庫間に上への階段がある、2座とも同位置にあるので、観光用では無く、オリジナルだろう
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頭標高柱?何だろう?

コンクリート船武智丸

戦時体制下であった日本では輸送手段の貨物船も、造船用鋼材も極度に不足していた。舞鶴海軍工廠技術中佐であった林邦雄は800トン級貨物船をコンクリートで作る承認を艦政本部から得た。この計画に大阪府土木会社の武智昭次郎が事業に名乗りを挙げ、兵庫県印南郡曽根町(現在の高砂市)の塩田跡に新設された武智造船所でコンクリート船体が建造され、艤装は岡山県玉野市の三井造船玉野で行われた。寸法などは戦標船E型に準じて製作された。 このコンクリート船に先立ち、エンジン等の自走機関を持たない被曳航油送船が1943年(昭和18年)に5隻建造された。武智丸はいずれも海軍輸送船として引き渡され、第一武智丸が1944年(昭和19年)6月竣工、ついで第二、第三も竣工。主に石炭や製鋼原料、雑貨輸送に利用され、瀬戸内海を中心に一部は南方へも航海した。

第三武智丸は1945年(昭和20年)7月10日に瀬戸内海の小豆島沖で触雷沈没。 第四武智丸は艤装中に終戦を迎え、終戦後完成したが台風で神戸沖で9月17日に座礁し、のち廃船。 終戦後も残存したのは、第一・第二の二隻のみであった。wikiより

本文中の被曳航油送船も1隻残っているので、後に紹介する

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国道185号線34.281574, 132.757048ポイントより眺める
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水の守り神 武智丸
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説明板
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船首から回り込む
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船首の楊錨機
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覗き込むと、海面が見える
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レール状の溝から、甲板に降りる
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砂利の敷かれた甲板
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振り返る、飛び降りた錨鎖甲板の左手に
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切り取ったような、入り口がある
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水没した船首部分
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舷側から降りてみる、船首のみ鋼板でカバーされているのが判る
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右舷側はこんな感じ(足元は異様に滑るので注意)
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甲板に戻る
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何かが取り付けられていた跡
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円形のボルトを見ると、機銃でも据えていたのかと、思ってしまう
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船倉開口部、完全に水没している
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後部船体部に入る
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船の骨格のような空間
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丸い窓が二つ
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舷窓から顔を出してみる
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船の後ろの方は水が溜まっていて入れないDSC06702_R_20150917233407e93.jpg
船倉を覗き込む、恐らく雨水なのだろう、漁礁と違って魚影は見えないDSC06704_R_201509172334098cc.jpg
天井、上甲板のハッチから光が入る
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船尾方向、柱の後ろにハッチが開口している
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船尾から船首方向を見る、軍艦島の廃ビルのようにも見える
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舷窓の丸窓から見る海は、また格別である
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この船は、地元に愛されているようで、落書きなどを見かけることはあまり無かった
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船底に降りてみたいが、無理なようだ
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上によじ登ってみると、なんとすぐ横に道がある、苦労して上った自分の立場は?
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あるものは有効に使って、隣の船に移動する
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接合部到達
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接合部と言っても、本当にくっついてる訳では無い
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2隻目の後部上甲板、当時はきっと木甲板でも貼ってあったのだろう
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1隻目を振り返ると、見事な曲線がいい
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後甲板のハッチ、落ちたらえらい事になる
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通路はつまらないので、梁の上を歩く
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正確には舷側部だが、幅10cmぐらいで、横はすぐ海だ、真似しない様に!
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中甲板を見下ろす
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1隻目より、かなり状態がいいようだ
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取り合えず、下に飛び降りる
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驚いたカニに威嚇された、ごめんよ!
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船尾に向う
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汚泥が溜まり、これ以上は行けなかった
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中央部に向う
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巨大なプールと化した船倉
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船蔵を覗き込む内部は鉄骨なのか?
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甲板構造は同じようだ
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所々に残る係船具の跡
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舷側の木材
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船首方向に向かう
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船首の中は、漁具が捨て置かれている
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上に登る
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この船も船首部分だけ鋼板が張られている
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船首を見る、中々するどい
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この先は普通の防波堤が延長されている
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左舷側も見てみる、海側の方がやっぱり風化か進んでいる様に見える
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さて、戻るとするか
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この二隻は、これからも寄り添うように、港を護ってくれるのだろう
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仲良く寄り添う感じが印象的だった
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コンクリート船武智丸を後にする




9月の観音崎砲台散歩

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てつのくじら館 その2

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潜水艦の中の生活環境、椅子の下も収納スペース
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潜水艦の中は特に狭いので、艦長以外は個室は無い
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子供たちが楽しそうに体験していた、大人には実際きつい狭さである
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食事メニューだけと、思ったら
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非常灯モードが有ったりして、楽しめる
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潜望鏡体験
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見れなかったが、モニターが映像を写しているだけの様だ(建物の中だし)
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対艦攻撃コーナー
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天井には魚雷が吊るされている
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何にも紹介らしきものが無い
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不明瞭なので、画像だけ
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無人ヘリコプターによる、対潜水艦攻撃機
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1960年に、既に現代の無人機と同様の指向をしていたようだ
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いよいよ潜水艦内に入る
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外殻に穴を開けて出入り口を作っている
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一応まだ、自衛隊の備品扱いである
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本当に稼動時のままのバルブ、計器類がそのままある
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入ってすぐに有るのがこれ
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士官便所
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天井にハッチが見える
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荷物を持っての出入りは、非常にしにくそうだ
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この辺は居住区のようだ
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シンク、士官用厨房か?
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屋内展示でもあった、寝室
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非常灯モードもあった
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狭い通路を通って行く
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士官食堂だと思う
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士官用コーヒーカップ
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三段ベット、底の部分は収納スペース
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士官用でもこの狭さ
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唯一の個室
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艦長室、それでもこれがやっとである(ちなみに奥がベット)
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発令所に入る
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発令所内も狭い
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海図台辺りが一番広いかな
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潜航と浮上の仕組み
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コクピットの様な操船室
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大型機のようなハンドル
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これが潜望鏡、航海用と戦闘用らしい
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館内電話、ここから全ての場所に連絡できる
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艦橋昇降筒、司令室は艦橋にあるのではなく、胴体の中だ
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基本、狭いので全員立っているから椅子がない
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司令室を出ると、すぐに出口となる
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目の前にセイルがある、上にあるのが潜望鏡
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海自情報ステーション、イベント室に入る
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潜水艦に取り付ける望遠鏡の展示がある
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窓から潜水艦の艦首が見える
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実際に外を見る事ができる
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目玉はこれ、
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伊400型潜水艦の双眼鏡
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22倍双眼鏡、本物の残存遺物である、触れないのが残念
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欲しいなこれ!
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海上自衛隊の制服の試着写真コーナー
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売店と軽食コーナー
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時間帯のせいか、売り切れていた
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あれいからすこで日曜の一般公開をしているようだ、(要事前申請)
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知っていたら、行って見たかったかも、時間たん無いけど・・・
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観艦式のポスター
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てつのくじら館を後にする
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隣のスーパーで買ったこの日の昼食
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川の向こうにポンプ所だろうか?当時っぽい建物が有るが良く判らん、行けないし

てつのくじら館 その1

大和ミュージアムを出て、道路を挟んだ所にある、てつのくじら館に向った
こちらは大和ミュージアムと違い、れっきとした海上自衛隊の資料館である、よって入場は無料!
案内は基本的にOB,関係者が行っているので、自衛隊らしさは殆んどないので、入りやすいだろう
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信号を渡り、てつのくじら館に向う
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柵の中に何かが転がっている(何の説明も無い)
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これが何だか判る人は少ないだろう
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本体のここに収納されている、潜水艦のアンカー(イカリ)である
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休館日は毎週火曜日のようだ、明日にしなくて良かった
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転がらない様に、がっちりと固定されている
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28年3月まで、特別展を開催しているようだ
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てつのくじら館に入場するDSC06552_R.jpg
海軍の黎明期から近代までの移り変わり
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エスカレーターを2階に登って行く
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非常灯が、雰囲気を作り出す
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床面に映りだす絵柄
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天井のプロジェクターからの投射だ
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2階は掃海に関するコーナー、海上自衛隊の戦後の仕事は、掃海に尽きると言って過言では無いだろう
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海軍終焉70年特別展
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薄暗い展示会場
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一般に想像されるのはこんな棘の生えた接触型機雷だろう
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米軍のお下がり掃海艇から、始まった
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機雷の展示紹介コーナー
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55式2型機雷、機雷は用途により、丸いとは限らない
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カットモデルも展示
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ペルシャ湾で掃海した機雷
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航空機による、投下型の機雷
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天井に吊るされた、凹んだ掃海具
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石油パイプラインで爆発したら、大変な事になっただろう
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掃海具展示コーナー
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シャークマウスの掃海具
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これも、掃海時に被害を受けた掃海具
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掃海艇に積まれている状態
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20mm機関砲
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これで、浮んで来た機雷を撃って、処分する
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実物大の甲板に模したケーブルなどが、展示されている
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歴代掃海艇の模型
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機雷の掃海模様の、模型説明
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瀬戸内海は航空機から投下された機雷だらけとなった
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イ501号潜水艦
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戦後初のサブマリナー(潜水艦乗り)
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潜水艦に使用されるバッテリー
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弛まぬ努力が行われている

大和ミュージアム その3

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上から見た零戦62型
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立ち入り禁止ですよ~
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上から見るコクピット
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外に出れる所がある、そこからてつのくじら館が見える
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再び館内に戻る
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上から見ると、レイアウトが良く判る
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通路にも模型が並んでいる
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上から見る大和
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上から見ると、でかさが良く判る
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二階から入り口ホールを見下ろす
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3階部分、船をつくる技術
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子供の海関係の対艦コーナーっぽいフロアになっている
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ここからカーフェリー乗り場が見える江田島にでも行けるのだろうか
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海側3階から見る大和
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駐車場方向にも屋外展示物が見える、後で行ってみる
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お土産やが下に見える
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海軍カレー、海軍コーヒー
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カレーは色々豊富な種類がある
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特別展示ギャラリー
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コレに行ってみたが、何処でも見れる資料、写真のみで、物足りないし、撮影禁止である
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屋外の大和波止場
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さっき上から見た潜水艇、
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潜水調査船「しんかい」
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大和の左前甲板を模した公園
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オレンジの部分がそうである
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大和の艦橋を模した部分
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オレンジの部分
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トップの主砲射撃指揮所
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15m測距機
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大和の主砲部分がタイルで表してある
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46cm主砲、一本引き上げてくれないかな~
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錨鎖機の辺り
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下に錨が落ちている
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先端にあるモニュメント
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誓いの錨 「愛するものを守る為」 良い言葉だ
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大和の艦首
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どうしてもどいてくれなかった二人、二人で何を語り合っていたのだろう、将来とか?
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甲板を歩いて戻ると
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恋人の聖地があった、ひっそりと有るので、気が付かない人もいるだろう、思う所もあり、1回だけ鳴らしてきた
1回(一人分)だけ鳴らしておけばいいかなって
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自分の鳴らした音を聞きつけ、カップルがやって来て、やはり1回だけ鳴らして帰って行った
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46cm砲弾に囲まれた駐車場に向かい、てつのくじら館に移動する

大和ミュージアム その2

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大和の煙突周辺にあった、1.5m探照灯と同一のもの
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大和、沈没地点
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現状、中央部は失われている
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船首部分、側面の穴は魚雷による破口か?水中爆発か?
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甲板部分、、逆さまになっている
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大和の現在
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引き上げられた、遺物類
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生活用品類等
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パネルと模型の展示が主になっている
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南雲中将の短剣
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コレ欲しい!
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秋水のロケットノズル
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一式陸攻の破片
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回天特攻隊
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航空戦艦日向の日章旗
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隣の部屋にある展示品
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九三式魚雷の尾部
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二式魚雷
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回天10型
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零戦62型
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翼下にフックが付いている、タ弾だろうか?
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琵琶湖から引き上げられた機体
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250KG爆弾
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栄31甲型エンジン
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特殊潜航艇、海龍
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かなり大きな船体である、17.28mもあり、二人乗り
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ロケット弾を受けて、船尾が破損している
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91式46cm砲弾各種
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20.3cm砲弾(標準的な重巡の砲弾サイズ)
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後ろにあるんが、20cm砲
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砲身は切断されている
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四式射爆照準器
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前面防弾ガラス
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3式13mm機関銃
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奥のが13mm機関銃の弾槽
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こんな感じに収まっている
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3式空一号無線電話装置
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酸素ビン(高高度用)
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甲標的の船橋
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甲標的の輪切り
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内部、中央は潜望鏡
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操縦席
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スロープで外周を回っていく
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上から見る大和
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上から見た海龍
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海龍の翼の形が良く判る
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窓の外に、海軍カレー、護衛艦さみだれの幟が見える


大和ミュージアム その1(旅行記プレ)

珍しく長い夏休みが取れたので、西の方をぶらっとしてきた
親しくしている人を訪問する側、広島の戦跡等を出切るだけ見てきたので、紹介する
なお、冒頭の方の写真に時系列、順序は一切含まれません、気にしない様に!

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京の町はお祭りで賑わっていた(写真は帰りに撮ったもの)
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地下鉄二条駅(二条城駅ではない)
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京都coop
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中京(なかぎょう)学校近くのだいもんじのパネル
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木漏れ日の中を散歩する
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二条城のほとり
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平安京跡
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西洞院通
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お蕎麦屋さん京吉美
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FRESCO(京都の超有名スーパー)
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新町通
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四条駅(だいまるきょうとみせと読む、テンとは読まない)
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前に記事にも出た、西院(発音はさいん)
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ビルに馴染んで、不慣れな自分には駅に見えない
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マクド、光の加減で、赤い看板に見えるが、実物は茶色い看板
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おみやげ、生やつはし
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少し戻った名古屋にて知り合いの家に厄介になる
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ここから1時間ほど南下するが、夜は始まったばかりだ
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翌朝再スタート、ロータリーのこれは何なんだろう?
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広島到着
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呉線に乗り換え、電車は普段全く乗らないので、御のぼりさん状態だ
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45分かかって、呉に到着
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残念ながら、雨降りのスタートとなってしまった
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でっかいスクリューが目を引く
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取り合えずレンタカーを借りて、行動開始
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鉄のくじら館が見えてきた
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少し並んで駐車場に車を停める、後ろの建物が大和ミュージアム
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早速ミュージアムに向う
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なんかこんな物もやっている様だ
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えらいでっかい鉄板って感じの、「陸奥」の舵
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スクリュープロペラ
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キラメク真鋳が良い感じの41cm主砲
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ダントツにカッコイイ雨に濡れた砲身
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よこにあった説明板
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どこの部位を展示しているか、判るようになっている
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フェアリーダー
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後部主錨
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後部旗竿
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館内に入る
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特別展は後回しにして、先に常設展示を見て行く
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何処でも見かける「大和」画像だが、時間的に逆光になってしまった
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クオリティは結構高い
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1/10大和
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めっちゃ細かく造られている
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零式観測機
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長官艇
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何処にでもある、姉妹艦「武蔵」
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「長門」の軍艦旗
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呉の歴史コーナー
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結構人は入っている
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レンガ
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ボイラー
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当時の物が平成5年まで使われていたとは、おどろきだ
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進水式の風鎮
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「大和」を造った道具類

次回に続く

戦闘糧食 民製品

自衛隊内において、戦闘糧食が不足した時などに、民生品が出回ることになる
一般のレトルトメーカーと提携し、自衛隊専用のパックを作ってもらっている
内容は単純である、レトルトと、ライスもしくは麺を組み合わせただけのものである
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カツとじ丼
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カツとじ丼とライス、スプーンのみ
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これはお世辞にも美味いとは言えなかった
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さんま丼の素
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戦食ライスとのパッケージ、何気に美味い
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たっぷりミートソース285
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レトルトミートソースと麺2袋、なぜか割り箸
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まずくもない、美味くもない、微妙なソフト麺
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チンジャオロース
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こんな感じ、これにライスが付く
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これは副食、結構美味かった
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軟骨チャーシュー丼
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白米と軟骨チャーシュー、先割れスプーン
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美味そうだったが、物凄く油っぽかった
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肉じゃが
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肉じゃがと白米、先割れスプーン
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結構まともに食えた
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本格炭火焼き鳥の素
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本格炭火焼き鳥と白米、先割れスプーン
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かなり濃い味だった、う~ん

民生品も色々がんばっているのだろうが、やっぱり個人的には戦闘糧食Ⅱ型が一番美味い!

非常用糧食(パック飯)

非常用糧食の種類が大分増えてきたので、ちょっと紹介しておく
基本的には戦闘糧食Ⅱ型と大佐は無いが、パッと目の違いはパッケージ名と、中に紙のトレイが入っている事だろう
また、ご飯類がパック飯ではなく、旧来の握りだし方式で、電子レンジでの調理が出来なくなった事かな?
実際に目にした物をいくつか紹介していく
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納品される時は、こんなダンボールで入荷してくる
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驚くのは賞味期限、従来は一年だったのが、ライスのパッケージを変える事により
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3年間に伸びたのは、すごいことだ
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非常用糧食 かも肉じゃが
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さば生姜焼とかも肉じゃがが入っている
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初期ロットのせいか、ご飯は元のままだが、賞味期限は3年
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ジャガイモもニンジンもトロトロで美味い
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さばも柔らかくて美味い
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非常用糧食 鮭味付け
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白いのは紙トレイ
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五目飯とカニチャーハン
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鮭味付け
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盛り付け例右のボールは付かないので、ぶっかけとなる
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非常用糧食 さばトマト煮
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白いのは紙トレイ
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五目チャーハンと白米
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さばトマト煮
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さばトマト煮と白米
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五目チャーハン
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非常用糧食 すき焼きハンバーグ
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すき焼きハンバーグと丸かじりチキン
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白米2つ
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すき焼きハンバーグを乗せる
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丸かじりチキン
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非常用糧食 スタミナ丼
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白いのは紙トレイ
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ドライカレーと白米
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白米とスタミナ丼
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昔はこうやって、握りだして食っていた
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ドライカレー、割りと濃い目で美味い
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非常用糧食 タコライス
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白いのは紙トレイ
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白米と山菜飯
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タコライス
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タコライスと白米
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山菜飯追加! 美味かった
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非常用糧食 ポークカレー
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ポークカレーと白いのは紙トレイ
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五目チャーハンと白米
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ポークカレーと白米
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五目チャーハン
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非常用糧食 鶏肉とひじき煮
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山菜飯と白米
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鶏肉とひじき煮白いのは紙トレイ
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白米と鶏肉とひじき煮
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山菜飯
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非常用糧食 煮込みハンバーグ
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煮込みハンバーグ 白いのは紙トレイ
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白米とドライカレー
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白米と煮込みハンバーグ、柔らかくて美味い
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ドライカレー
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非常用糧食 大型乾パン
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大型乾パン
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フランクフルトとツナサラダ
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オレンジスプレッドは必需品(セットには入っていない)大きさ比較に64式の7.62mmを置いてみた
海上自衛隊の乾パンは、もっと大きい、10cmぐらい有るんじゃないかな?一度だけ食べたが・・・
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このセットには紙トレイが入っていないので握りだししかない
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非常用糧食 麻婆豆腐
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麻婆豆腐と白いのは紙トレイ
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白米とカニチャーハン
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白米と麻婆豆腐
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カニチャーハン

日本の糧食はかなり美味い、米軍は悲惨だ、好みにも寄るが・・・・

千倉 砲台陣地

昼食後。近くに次のネタがあるから、チラッと寄って行こうと言う事になった
全員ほぼ無装備での行動だった、後に公開する事になるが、どうせすぐには見つからないだろうと思っていた
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千倉の金比羅山にやって来た
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地元の手作りマップ、展望良し部分が気になる
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自分は一人こっちから登る
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展望良しの所だが、砲座らしき物は見当たらない(ねこさん写真)
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のだの人の、自己主張!
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山頂まで一気に登ったが何も無い、ねこさんたちも登ってくる
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そうなると下が気になってくる、のだの人と下に降りる
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怪しいもの発見!
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先に下に降りたのだの人(木の又の辺りにいる)に上から誘導しながら、確認してもらう
なんと、一発で発見してしまった、のだの人の行動力の勝利である、のだの人を舐めてはいけない
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金比羅跡地で相談の末、装備を持ってリトライとなる
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リトライ開始、今度は参道を登らず、回りこんでいく
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山の少し上にあった、祠改造見張り所
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軍道の痕跡を発見、藪に突入して行く
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小さなものを見ながら奥地に進む
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開けた所に到着、ここからもう少しの所にある
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見えて来た、下からだと、かなり探しにくい
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間違い無く砲口部である
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中々カッコイイ形をしていると、思わないか?
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しかし、盛大に水没していた
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左の溝は射角の為か
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砲口部
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入りたいが、結構深く溜まっているので、諦める
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横に穴がある、割りと外部に開口してる場合がある
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四角い砲室は澄んだ水で覆われている
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ポジションチェンジして、突入口を探す
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では、壕内に突入して行こう
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馬蹄形の陸軍掘りが、続いている
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若干高さが無くなって行くが、左に曲がったそこには・・・・
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縦穴だ!
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ズームすると、上にも通路が見える
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壁面には足を掛ける穴が開いている、今回は行かなかったが、次回チャレンジ
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では、正面に進む
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水深が深くなってきた
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右側には弾薬庫がキレイに掘られている
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なんとキレイな砲室だろう
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さぁ、引き返そう
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水没区を抜ける
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左の通路
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乾いた倉庫か、棲息部
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T字路に出た
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右に曲がる
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先に光が見える
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右に曲がる道がある
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小さな部屋が掘ってあった
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まるで、銃眼の様に見える四角さだ
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半分埋まった壕口から出て行く
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入れそうな所があった
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周りを見ると、マス状に交通壕が掘られている所があった
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正規の入り口は、潰れてしまっている、無理すれば一人くらい入れそうだが
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近くの入り口から入り込む
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これは機銃座では?
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中から見ると、埋まっている銃座と崩れた銃眼が確認出来る
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奥に入って行く
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コレがさっき外側から見た、交通壕の正規の入り口部分
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下って行くと水気が増える
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最深部は水没してしまっていた
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若干狭い通路を戻って行く
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銃座に戻って来た、開口部分の下の方が四角く見えるだろう、そこが銃眼で、上部が崩れ落ちているのだ
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さぁ、外に出てきた
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反対側から回り込んで帰る事にした
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今回は、大収穫な探索であった