京都 下賀茂神社(賀茂御祖神社)

紀元前から2000年以上の歴史ある"勝利の神" 下賀茂神社

正式には「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」という、京都は鴨川を中心に町づくりがなされており、鴨川の下流にまつられている
京都人からは「下鴨(しもがも)さん」とか「下鴨神社(しもがも)」と親しくよばれている。
世界遺産であり、東西の両本殿はともに国宝に指定されている。

緩靖天皇(紀元前580年)の御世より御生神事が行われた(旧記)との伝承もあり、創祀は西暦紀元をはるかに遡るとみられている。
少なくとも、崇神天皇の七年(紀元前90年)に神社の瑞垣の修造がおこなわれたという記録があり、それ以前の古い時代からまつられていたと思われる。
「糺の森(ただすのもり)」周辺の発掘調査で縄文時代の土器や弥生時代の住居跡がたくさん発掘され、それを裏付けている、また社伝や歴史書に、お祭、社殿、ご神宝等の奉納などが記録されている、『続日本紀』の文武天皇二年(698年)には、葵祭に見物人がたくさん集まるので警備するように、という命令が出された、という記事があるそうだ。

鴨川と高野川に挟まれた三角地帯にある神社DSC00841_R_201512232359166c4.jpg
川の三角地帯にある神社
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京都府立鴨川公園を歩いて行く
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以外と歩いている人は多い
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葵公園
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散歩には丁度いい道を歩いて行く
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御陰通りを渡れば、下賀茂神社に到着する
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「糺(ただす)の森」、森林の全域が1983年(昭和58年)に国の史跡として指定を受け、保存されている
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マップだが、見えないだろう
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ちょっとだけUPにしておく、スタート地点は左下から
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では、お参りさせて貰おう
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まず、手前には河合神社がある
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説明文
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落ち葉舞い散る参道を歩く
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参道沿いに流れる小川(瀬身の小川)
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糺の森(ただすのもり)
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ご神木
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石灯籠
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sanaは門をくぐる時に一礼を忘れない、自分もマネをする
関東人のyakumoにとっては慣れない事だが、京の人には当然の事なのだろう、感心する
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国歌のどの部分か、みんな判るだろうか?
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おてあらいと読まないように!
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この御白石を、さっきの御手洗(みたらし)で清めて奉納する
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相生社
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ちょうど真ん中の赤い門の所に居る
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説明看板
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櫻門
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門をくぐると
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でかい鳥がいた
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解除所
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神服殿
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舞殿
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sanaの撮った舞殿、逆光の使い方が良い
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空と紅葉の色合いがまた良い
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橋殿
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お清めした御白石を置く所
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渡るのが大変そうな橋
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言社に入ると、小さなお社がある
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十二子のお社が並ぶ
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櫻門を裏側から見る
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帰りは別の道を歩く
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世界文化遺産
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糺の森は広いので、細かく回ろうと思うと相当の時間を要す
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家に帰った後、sanaの鞄から木の葉が出てきた、下賀茂神社の想い出だ

京都では100年200年前なんて"昨日今日"の話

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yakumoの御朱印集めが今始まる



周辺情報

京阪電車 叡山電車 出町柳駅

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河合橋を渡ると
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叡山電車の駅がある
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比叡山に登るなら、こちらから
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お帰りは京阪電車で!
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京都 蹴上 南禅寺

南禅寺 は、京都市左京区南禅寺福地町にある、臨済宗南禅寺派大本山の寺院
山号は瑞龍山、寺号は詳しくは太平興国南禅禅寺(たいへいこうこくなんぜんぜんじ)
本尊は釈迦如来、開基(創立者)は亀山法皇、開山(初代住職)は無関普門(大明国師)
日本最初の勅願禅寺であり、京都五山および鎌倉五山の上におかれる別格扱いの寺院で、日本の全ての禅寺のなかで最も高い格式をもつ
見所としては勅使門;、法堂、三門(空、無相、無作の三解脱門を略した呼称kる)、方丈庭園(500円)、南禅院(300円)などがあるが一部有料なので見ていない
自分が見たかったのは、ただ一つ、明治維新後に建設された、当寺の境内を通る琵琶湖疏水水路閣のみ見たかったのだ
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蹴上インクラインを見た後、南禅寺へ向う
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蹴上駅から歩いて10分程度で参道に到着する
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参道沿いには高級料理店が軒を連ねる
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参道脇にある金地院、南禅寺にはこの様な別院・塔頭が幾つもある
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南禅寺到着
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案内板に従い、書いてない三門に向う
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この時期、紅葉が少し早いが始まっていた
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外国人観光客も多数訪れている
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其処此処に、思い思いに絵を描く人々が座っている
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車止めの柴の石碑
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説明板
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紅葉が参道沿いに並んでとても良い
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門前右方の巨大な石灯籠は寛永5年の三門落慶の際に佐久間勝之が供養の為に奉献したもので、高さ6メートル余りあり、
大ささでは車洋一といわれている
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巨大な三門、歌舞伎で石川五右衛門が「絶景かな絶景かな…」という名科白を廻す「南禅寺山門」がこれ
ただし実際の三門は五右衛門の死後30年以上経った寛永5年(1628年)の建築
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知恩院三門、東本願寺御影堂門とともに、京都三大門の一つに数えられている
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正因庵
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法堂、創建当時のものは、応仁、文明の乱で焼失しましたが、文明11年(1479)頃に復興された
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琵琶湖疏水水路閣に向う
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疏水は、琵琶湖から京都市内に向けて引かれた水路である。滋賀県大津市で取水され、南禅寺横を通り京都市東山区蹴上迄の区間である。疏水の工事は1885年に始まり、1890年に竣工した
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疏水の目的は大阪湾と琵琶湖間の通船や水車動力による紡績業,潅漑用水,防火用水などであった
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水路閣説明板
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ひび割れが入っているそうなので、訪問は自己責任で
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苔生した煉瓦アーチってなんかいい
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紅葉を入れると、もっといい
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ついこんなのが撮りたくなる
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も一つ逆方向から
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橋脚の下の部分がみんな違っている
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橋脚の片側
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この橋の上に行ってみる
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脇から階段を登っていける
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橋の上自体には、当然行けない
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ちょっと行って見たいが注目を浴びるだろう
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水路沿いに歩いて行けるようだ
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ちょっと降りてみる、中々流れがキツイ
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水路閣を後にする
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本坊
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本坊の左手、唐破風の大玄関前を歩く
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方丈(国宝)
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法堂、現在の法堂は明治42年(1909年)に再建されたものである
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白壁に沿って参道を下って行く 
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南禅僧堂
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三門を左側から見る
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三門の上からの眺め(これは紅葉前の時期の眺め) 
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聴松院
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聴松院は非公開だが、摩利支天堂のみ自由拝観できる
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慈氏院(じしいん)、達磨堂(だるまどう)、だるま寺、おあしがよる大師とも呼ばれている。
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南禅寺を後にする


周辺情報

順正

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南禅寺と言えば、湯豆腐らしい
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湯豆腐屋さん「順正」
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湯豆腐屋さん「順正」南禅寺順正の敷地内に在る「順正書院」。
古くは医学校であり、国の登録有形文化財にも指定されている

Harmonie

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この、「かしく」店舗内にある、チーズケーキ専門店『Harmonie(アルモニー)』
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sana曰く、ゴルゴンゾーラチーズケーキが絶品らしい

京都  蹴上インクライン 

船が地上を走る…

蹴上インクラインは、京都市左京区にあった琵琶湖疏水による舟運ルートの一区間をなす傾斜鉄道である
1891年(明治24年)から1948年(昭和23年)まで実際に使用されていた

琵琶湖疏水は京都と大津間の船の輸送を用途の一つとしていたが、落差の大きい場所は船が運行できないので、台車に船を載せて上下させるインクラインで運行していた
蹴上インクラインは蹴上船溜りと現在の琵琶湖疏水記念館前の南禅寺船溜りを結ぶ延長640メートル、敷地幅22メートル、勾配15分の1の路線で、運転用の巻き上げ機は蹴上発電所の電力で運転した。通過時間は10分から15分だった

一般に運河の落差がある場所で船を通行させるには、ロック(閘門)方式、インクライン方式、リフト方式の三つがある。パナマ運河やイギリスのテムズ川と運河はロック方式になっている。船を水門と水門で区切った閘室に入れ、その閘室の水を排水したり増水したりして、船を低い方や高い方へ進める。インクライン方式は、勾配のある水路にレールを敷き、台車に船を載せて、ケーブルカーのようにケーブルで引っ張り上下させる。台車に直接船を載せるドライ式、水を入れたケージに船を入れてケージごと台車に載せるウェット式がある。蹴上インクラインは、ドライ式のインクライン方式を採用した。

蹴上インクラインは、戦後の1948年(昭和23年)11月26日に運行を休止した。
1960年(昭和35年)3月をもって電気設備も撤去され、完全に稼働を停止する。
1973年(昭和48年)以降、送水管を敷設するため残っていたレールも撤去されたが、産業遺産として保存するために復元されることになり、1977年(昭和52年)5月に完成した。
現場には復元された台車が2台(坂の途中と、蹴上船溜り)残されている、1996年(平成8年)には国の史跡に指定された。

うんちくはともかく、船が地上を走る珍しい場所だって事で、訪問した

ちなみに『蹴上(けあげ)』という地名は、当時ここを通過する、刑場に向うのを嫌がる罪人を『蹴り上げて』歩かせた事から来ているそうだ…

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蹴上インクラインに向うには、京阪電車を使う事になる
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これは京都市営地下鉄駅のホーム 右側が線路になる
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三条京阪にて地下鉄東西線に乗り換え
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蹴上到着
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東男のyakumoには、なじみの無いKYOTO Wi-Fi
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これが駅の出入り口、電車は普段乗らないので「スイカ」すら持っていない、京都では「ICOCA」と「PiTaPa」が主流らしい
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これが「ICOCA」 
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市営地下鉄1dayフリー-チケットなんてのもある、乗り降りし放題
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駅を出て、坂道を下って行く
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右の土手沿いに、既に見え始めている
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何かステキな物が見えてくる
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20mほどのトンネルである
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頭上にある扁額
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扁額、当時のものだろうか?
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煉瓦の巻き方が、とても特徴的(ネジリマンポと言うらしい)
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京都一周トレイル
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蹴上交差点を仁王門通に進む
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当時の鉄柱の基礎が並んでいる
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一本残らず切り取られてしまっている、戦後の鉄不足の際だろうか
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目の高さにレールが見えて来た
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なんか変な物がある
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別の看板がある、基本的に同じ看板内容で、写真が違う程度
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レールの幅は鉄道などよりもかなり広い、イギリス(バーロウ社)、アメリカ(カーネギー社と他1社)、ドイツ(ウニオン社と他2社)、
フランス(バンデル社と他1社)、日本(八幡製鉄と日本製鉄)の5か国、計10社のレールが集められている。
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京都市動物園方向に降りて行く
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レールを停める犬釘が、2種類ある事は有名、イギリスから技術導入された「 ドッグスパイク( 横から見た形状が犬の横顔に似ている )」が探すと見つかる、ここでは、アメリカから導入された「 タートル( 亀 )スパイク 」が主に残っているようだ
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インクライン説明板
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この台車はレプリカで、近年整備された物で、上流にもう一つある
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イメージ的にこんな風らしい
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登りと下りなのだろうか、二本線路はある
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実際に見ると、線路幅は、ホントに広い
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sana撮影、ほんまにセンスいいわこの娘
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橋の上から見るインクライン、左は見学用に石版を貼ってある
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紅葉時期は乙なものです
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隣には川が流れているので、水音も楽しめる

京都 鴨川

鴨川は、桟敷ケ岳付近を源とし桂川の合流点に至るまで京都市内の南北を流れる約33kmの河川。
悠久の歴史の中で千年の都と京文化を育んできた川であり、今も憩いの場として多くの人に親しまれている。

北区雲ケ畑の桟敷ヶ岳東部の谷を源とする祖父谷川と、桟敷ヶ岳南部の薬師峠を源とする雲ケ畑岩屋川が雲ケ畑岩屋橋で合流し雲ケ畑川となる。雲ケ畑川は、雲ケ畑の魚谷山南部の谷を源とする中津川と出合橋で合流し、これより「鴨川」となる。
また、この鴨川本流とは別に、京都市右京区の芹生峠を源とする貴船川と、京都市左京区の花脊峠を源とする鞍馬川がある。両者は貴船口で合流し鞍馬川となり、山幸橋で鴨川と合流し大きな流れとなる。

鴨川は鞍馬川と合流後、北区上賀茂で京都盆地に出る。上賀茂神社(賀茂別雷神社)、下鴨神社(賀茂御祖神社)脇を南南東に流れ、賀茂大橋(加茂大橋)手前で高野川と合流する。そこから京都市内を真南に流れ、四条大橋付近から南西へ流に振り、五条大橋から再度南下、九条高架橋を越えた後に南西へと流れを変え伏見区下鳥羽で西高瀬川と合流、そのまま桂川に注ぐ。また、中京区で西に高瀬川を分け、以南で並行して九条付近で再度合流する。

京都人に愛され、憩いの場として河川敷に鴨川公園があり、ジョキングやお弁当を食べる人、釣りをする人などで賑わう情景を見ながらsanaと歩いてきた。
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新幹線から始めてみる京都らしい風景と言えば、この鴨川だろう
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京阪電車三条駅、近隣の川岸はかつて「三条河原」と呼ばれ、処刑や処刑後の晒し首が行われた、石川五右衛門の釜茹でや石田三成、近藤勇等の晒し首で有名な地域である。
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京都府京都市三条大橋東詰(三条京阪)に、皇居望拝(土下座と通称される)姿の彦九郎の銅像がある。
『土下座前で待ち合わせな。』などと言って待ち合わせ場所としても使っているそうだ。
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駅伝の発祥の地、日本で最初の駅伝競走が、ここからスタートしたことを記念する説明碑「駅伝の碑」がある。1917年(大正6年)4月27日から3日間にわたり開催された。
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三条大橋、橋が架けられた時期は明らかではないが天正18年(1590年)、豊臣秀吉 の命により五条大橋と共に増田長盛を奉行として石柱の橋に改修された。
江戸時代においては、五街道のひとつ東海道につながる橋として、幕府直轄の公儀橋に位置付けられ、流出のたびごとに幕府の経費で架け替え・修復が行われた。現在の橋本体は2車線、歩道付のコンクリート製で1950年(昭和25年)に作られた。
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傍から見ると木製の橋に見えるがコンクリート製の橋
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すぐ近くには、御池通の橋が見える
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烏丸丸太町に移動する
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京都では有名なチェーン店FRESCO
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まるたまちはしから、河原に降りて行く
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青空と紅葉と鴨川が楽しめる
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京都は平地なので、北の山々が良く見える
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河川敷が鴨川公園として整備されている
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ジョキング等し易いように、砂を敷いてある遊歩道
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河原では堤のそばで、釣りを楽しむ人もいる
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紅葉の向こうに見える比叡山
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小さな滝の水音が耳に心地よい
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デートコースには最適だ
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中州の島から、白鷺が顔を覗かせる
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荒神橋の向こう側に
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対岸への飛び石が置いてある
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カメに釣られて、ちょっと行ってみたくなった
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飛び石を走るyakumoを三連写(sana撮影)
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sanaの渾身の1枚、すごくいいと思う(一眼レフがスマホに負けた瞬間)
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ちなみにカメの頭の上から撮った写真
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対岸に京都精華学園 中学校・高等学校が見える
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比叡山が大分大きく見える様になってきた
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賀茂大橋が見えて来た
賀茂大橋に登る
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賀茂大橋を越え、豆餅を食べながら歩くのも良いだろう
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賀茂川の合流地点、賀茂川デルタと言われる
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公園になってるので、行ってみよう
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河川敷の看板
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高野川と賀茂川の合流点
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振り返ると、中の島に左右2本の橋が架かっている
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出町橋
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河合橋

この先には下賀茂神社があるが、別の話にする
yakumo&sanaの小さな旅はつづく・・・

周辺情報

池田屋

池田屋事件は、幕末の1864年7月8日(元治元年6月5日)に、京都三条木屋町(三条小橋)の旅館・池田屋に潜伏していた長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派志士を、京都守護職配下の治安維持組織である新選組が襲撃した事件。

池田屋事変、池田屋騒動ともいわれている。近藤勇は書面で洛陽動乱と名づけている。

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賀茂川付近から少し離れ、河原町三条を目指す
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今ははなの舞になっている
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これが立っていなければ、判らないだろう
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近くに進々堂(パン屋さん)があるので、寄って見るといい

出町ふたば

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豆餅とお赤飯が美味しい店、昨今ガイドブックの載って以来、地元京都人が買うのも大変になってしまったお店
sanaおすすめは福豆餅(中身は粒あんで、外の餅は白いお豆さんの大福餅だそうな)
そういえば京都の人って、なんにでも「さん」ってつけるよね
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この辺にあるので、探して見て!

東華菜館

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今も活躍する日本最古のエレベーターがあり、レトロな客席へ。
夏季には、京都伝統である鴨川納涼床、京都北山から東山を眺望する屋上ビアガーデンの客席もある。
映画「オールウエイズ三丁目の夕日」で見た人も多いだろう。

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先斗町スジ(ぽんとちょう)の入り口。
こじゃれたバーやレトロな喫茶店があるので、見つけてみては?

京都 烏丸花屋町通から五条大橋を散歩する

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東本願寺から烏丸通りを渡る
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煉瓦の壁に釣られて、花屋町通りに入って行く
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まさに壁って感じの煉瓦がステキである
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東本願寺の総会所らしい(壁は明治期の物だろうか?)
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昔のお店らしい、窓口があるお米屋さん
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古い古民家が並ぶ、落ち着いた通り
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粽(ちまき)が玄関に飾ってある家をたまに見かける、ちまき、と聞くと食べ物を思い浮かべる人も多いかもしれないが、祇園祭のちまきは食べ物ではなく、笹の葉で作られた厄病・災難除けのお守り。(自分も最初解らなかった)
毎年祇園祭の時にだけ各山鉾のお会所や八坂神社で販売され、京都では多くの人がこれを買い求め一年間玄関先に飾る
通常は玄関の中に飾る人の方が多いようだ。
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これが粽(sanaん家のを拝借!!)、長刀鉾と芦刈山が有名、祇園祭の際に大丸京都店付近で購入できるが売り切れ必至!
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付近で見かけた自動販売機
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祇園祭のプリント
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カッコイイと思うのは、自分だけ?
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六条通りに出る、この通りに来たかったのだ、この通りは京都の地図から抹殺されそうな、可愛そうな通りである
地図を見てもらえば、すぐには六条通りが見つからないことが解る、ほんとに少ししか残っていないのだ
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蓮光寺の横をすり抜け、河原町通りに出る
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この辺から鴨川方向、西木屋町通りを目指す
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鴨川の手前の小さな川に出た
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何となく気に入ったので、このほとりを歩く事にした
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お茶屋本家「三友」
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西木屋町通りと木屋町通りを結ぶ、小さな橋が沢山架かっているが同じ物は無い
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この大雑把さがなんかいい
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紅葉を見ながら散歩するのも、いいものだ
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鴨川に出たようだ
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五条大橋が見えて来た
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苔生した小さな祠があった、なんかいい感じだ、中には御地蔵様がいた、京都にはこんな辻地蔵が沢山あるそうだ
京都には、この辻地蔵をお祭りする、地蔵盆なる物がある、期間としては、当日の前日の宵縁日(旧暦7月23日)を中心とした3日間を指す、旧暦7月24日以外の地蔵菩薩の縁日の24日は、地蔵会(じぞうえ)、地蔵祭と呼ばれるが、旧暦7月24日については盂蘭盆(お盆)の時期に近く、それにちなんで地蔵盆と呼ばれるようになった。
地蔵盆は近畿地方を中心とする地域で盛んな行事であるが関東人の自分はsanaに聞くまでは知らなかった。
関東には地蔵信仰があまり普及していないのだ、でも一部や東北圏でもあるらしい。
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目的地五条大橋に到着
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ん、欄干に何か彫ってある、地元の人でも気が付かないんじゃないかこれ?
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この後下鴨に向う事になるが、別の話にする
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鴨川沿いには遊歩道があり、お散歩コースにはとても良い

京都 東本願寺

東本願寺とは京都府京都市下京区烏丸七条にある真宗大谷派の本山の通称。
正式名称は、「真宗本廟」という。

堀川七条に位置する「西本願寺」(正式名称「本願寺」)の東に位置するため、「東本願寺」と通称される。
また、真宗大谷派(以降、大谷派)としても、「東本願寺」の通称を公式ホームページ・出版物などに用い、正式名称「真宗本廟」と併用している。
他に、「お東」、「お東さん」とも通称される。

2014年現在の門首は、平成8年(1996年)に継承した大谷暢顯(淨如)である。
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地図で見ると、こんな感じ
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この道を、真っ直ぐに上がれば(北上すれば)良い
ちなみに京都では、北上することを「上がる(アガル)」南下することを「下がる(サガル)」というらしい
自分も最初、sanaに「あっこのスジをさがったところに・・云々」とか言われても全く意味わからなかった
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烏丸七条に着くと、見えて来る
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東本願寺
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今、いのちがあなたを生きている
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東本願寺案内板
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途中で、見かけたラッピングバス
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壁沿いに、入り口を探す
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阿弥陀堂門から入って行く
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お寺はお堀の内側にある
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配置(図現在工事中赤いゾーンには入れない)
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既に数年かかっている様だ
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右の柱
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左の柱
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頭上には孔雀だろうか
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いたる所に彫刻が成されている
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門をくぐると、ちょっと残念な状態が見えてくる
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案内表示
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同朋会館側の鐘突き堂
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阿弥陀堂(改修中)
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御影堂方面に向う
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総合案内所
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御手洗い
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大きな水桶
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龍がカッコイイ
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御影堂は工事中だが、入る事が出来た
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瓦屋根を見上げると、本願寺と掘ってある
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大きな天水受け
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日本人はこういう所にもお賽銭したがる
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後ろを振り返ると、工事中の為閉鎖中の、御影堂門が見える
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人が入りそうな、お賽銭箱
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土足厳禁なので、この靴袋を借りて持ち歩く、ギャラリーに行くと降り口が違うからだ
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使い込まれた階段を上がって行く
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磨きこまれた床面
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上を見上げると、行灯が沢山ぶら下がっている
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高額寄贈者の名前等が刻まれているようだ
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一つだけ金色が混じっているので、探して見よう!
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堂内は出入り自由
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説明板
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残念ながら、撮影禁止
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廊下を渡って行く
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ギャラリーがある
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対岸のギャラリー
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渡り廊下を渡って行ける
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外国人観光客向けに、様々な言語で記載されている
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参拝接待所
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コレを見ると、一般観光で見れるのは、左手前1/3程度だろう、後は寺本来の業務的、修行の場
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復旧前の当時の瓦屋根が展示してある
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外に出る
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お堀右側は、はすだらけ
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左側は抹茶を流したように緑の絨毯が敷かれていた
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烏丸通りを上がる
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菊の門
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玄関門(一般は入れない模様)

周辺情報

京都駅

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京都駅から、最も近い大きなお寺だと思うのでアクセスは最高だろう
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塩小路通(115線)方向に出よう
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夏には眩しそうなビルだ
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新幹線ホーム
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駅の各所には、舞子さんの人形が立っている(何体あるんだろう)
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御土産屋さん、お食事処が充実している
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東本願寺は北を目指そう

驚く事にこの駅には0番線なる物が存在する不思議な駅

京都駅構内図

京都タワー

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駅を出て、京都タワー方面に進んで行く
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0900~2100までなので、始発で行くと入れません、大人770円なり!
ちなみにこれは、京都タワーホテルの上に建っている
地下3階に 京都タワー大浴場~YUU~があり、朝0700から入れるようだ

京都タワーHP



続きを読む

京都 喫茶ムギ

最近京都を訪れた、せっかく行ったので記事にして見たくなった
まともに行った事が無い関西方面だったのだが、非常に気に入ってしまった
東男yakumoが、京女sanaと巡る京都の裏小道を辿って行く、多分有名な所は混むから行かないかも知れない
京都の隠れた名店、人気の少ないお寺、神社を散歩して行くつもりだ、京女sanaの案内で辿って行く、気ままな記事
周辺の情報も、散歩ついでにピックアップして行くつもりだ


京都市姉小路通りにある、「喫茶ムギ」を紹介する
こだわりを持っている店長のお店であるから、店内も見て楽しめる趣向だ
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店構えはこんな感じに、鉄道の枕木を上手く使っている
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喫茶ムギの看板は、店長のお手製だそうだ
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控えめな看板が、小気味良い
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窓も小さく自己主張している
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カウベルの音を鳴らして、店内に入る
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店長のこだわり、極力同じ物を使わない、お皿、コップから、机椅子に至るまで、一つずつ違うものが用意される
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落ち着いた木の床面、様々な椅子達
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扉を開くと軽やかなカウベルが響く
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食器やクッキーなどの販売も行っている
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訪れる度に商品は微妙に変るので、気に入ったら即決すべし!
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自分達もお茶碗を、揃えで購入した(気に入っている)
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様々な手作り品を見るだけで、楽しい
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ハーブやクッキー
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オリジナルブレンドなども、販売している
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カウンターにも座れる
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店内には白熱灯の、暖かい光
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電球って暖かさを感じる空間を作ると思う
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オリジナルブレンドを飲みながら、本を読むのもいいだろう
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コーナー席って落ち着きそう
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席に座ろう
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週替わり定食
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メニュー
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今週の定食
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鴨がうまい!ご飯もおいしい
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デザートのイチジクのケーキ
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おいしかった!
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これは別の週の定食
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チーズケーキも美味そうだ
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ドレッシングも手製の物を使用、良い味を出している
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彩りも良く、食欲をそそる
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機会があれば、静かに訪れてみて下さい


周辺情報

和菓子よし廣製菓

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二条駅
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このドーム状のが駅舎である
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住宅地の中にポツンとあるお店
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ここの名物は、手焼きどら焼き(うまス!)
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季節ものだが、モンブランどら焼きめちゃ美味かった!(11月訪問時)
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出来たてをお店で食べる事も出切る、メチャ美味かった!

月光稲荷神社

御前通から姉小路通を東へ少しの静かな住宅地の一角に建っている小さな神社。
神社裏に天文台「京都改暦所」があったのが名前の由来か?
神社近辺の「西ノ京西月光町」「西ノ京東月光町」という地域名が名前に関係あるのかも知れない
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ほんとに住宅地の角っこに、ぽつんとあった
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本当に小さな神社だ
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不ぞろいな鳥居達が並んでいる
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月光稲荷大明神
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地名が神社の由来だろうか?

岸根(がんね)砲台

本町の西北部那沙美瀬戸に面する地域は、広島湾や呉湾の入口を扼し、古来戦略 上の要衝であった。
古くは瀬戸内海水軍の拠点であったし、江戸時代末期には異国船の侵攻に備えて、慶応二年(1811年)がんねの二本松海岸にとりでが設けられた こともあった。
明治になって日清戦争後、ロシアとの風雲急を告げるや、この地域の各所に砲台が設置された。
「明治三一年(一八九八)六月一日起工、同三三年九月二○日竣工」の石碑があり、 二七○ミリ砲四基、五○ミリ軽砲四基、弾薬庫四個、掩蔽部二個、監視所一か所、物 揚場、木造建物跡が残っていたそうだ。

がんね海水浴場を経営している芸備商船㈱ががん ね鼻一帯をレジャーセンターとして総合開発する計画を打ち出し着工した、この計画の中に砲台跡地も含まれるので、町としては明治の文化遺産を保存するために弾薬庫の一つを活用して資料展示館をつくり、当事の遺品などを展示すると共に、監視所跡には展望台を設けるなどして史跡公園を作り、歴史の香り高い観光地と することにしたが、平成3年廃止、翌年に施設は解体された。
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岸根に近ずくにつれ、コンクリートの貯水槽が目に付くようになる
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形状はまちまちだ、もちろん軍用とは限らない
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中央にあるのは、煉瓦で出来ている不明な遺構
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民家など無いのにあるポスト、まさか現役か?
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ここから海岸を離れ、山に上がって行く
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貯水槽にしてはへんなコンクリート遺構
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次の分岐左に行ったら、個人邸のような所に行ってしまった
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この看板が目印
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離合出来無そうな道をどんどん行く
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突然こんな所に出た
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潰れたレジャー施設の残骸だろう
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テーブルがある
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テーブルにはカラフルなホタテが付着していた
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往時は、がんねムーンビーチと言ったそうだ
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コンクリートの壁が見える、きっとこの上の方だろう
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屋台の残骸の脇を抜けて、歩道の跡を辿る
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ちょっと登ると、景色はいい
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岩場に石垣が見えるが、時間が無くて行っていない
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何らかの施設が崩れ落ちた跡だろうか
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山側に石垣が見え始めた、砲台は近い
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砲台到着、しかし残念な事にこの砲台は公園整備の際に砲座などの2/3を破壊、観測所も展望台にされてしまった
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なんか嫌な物見た!前回スズメバチに刺されてから約1ヶ月しか経っていない頃の訪問、恐怖が蘇る
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ブーンと言う羽音が其処此処で聞こえ、即時撤退の姿勢で藪を掻き分けるのもびびっている
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緑の隙間から、何とか見える掩蔽部
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近寄ってみるが、トゲトゲの植物が群生していて、ちょっと大変だ
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上に突き出したこれは何だろう?始めて見る
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掩蔽部には、立派なドアが憑いていた
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窓の部分にも、何故か扉が憑いている
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内部の漆喰は、塗り直しをされているのだろう
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スタジオ化された掩蔽部内部
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「岸根砲台記念館」として開放されていた頃の案内板が取り残されている
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上に上がる階段があったが行かなかった、どうにも落ち着かないのだブーンて音がして・・・
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「岸根砲台記念館」の扁額
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やっぱりやばい!アナフィラキシーショックだけは避けたい!撤収と相成った
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安全第一が主義のyakumoでした!

三高山砲台(森林公園)砲台山 その5

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火薬庫に入って見よう
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入り口は常時開放されているようだ
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補修を受けた内部は、すごい綺麗だ
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分電機がちょっと残念だが、公園だから外灯用だろう
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足元には等間隔に、穴が作られている
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長方形の物もある
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誰かが焚き火をしたような跡がある
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下地のコンクリートの一角が違う、益々用途不明
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元は下部の通気孔かとも思ったが、良く見ると煉瓦で塞がっている
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火薬庫内部、全景
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外のトイレと言われる遺構のそばに
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別の基礎がある
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塀の向こう側に出てみると、傾いているのが良く判る、そろそろやばいかこの壁
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登るのが嫌になりそうな階段を、一気に駆け上がる
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右翼観測所の下にある掩蔽部
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ここだけは、形状が違う
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観測所からの伝声管があるので、弾薬庫ではない何かの施設だろう、奥が平面だし
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伝声管には観測台を破壊した時の煉瓦が詰まっていた
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奥から入り口を見る
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隣の弾薬庫に向う
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当時も上部には鉄柵があったのだろう、金属ドロに抜き盗られた跡がある
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弾薬庫の奥壁は、やはり丸みを帯びている
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他の弾薬庫と違って、鴨居が切り取られているのが、残念
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歩くと平気だが、敵が走って侵入しようとすると、転ぶような段差に造ってある階段
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砲座に向う
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右の砲座
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左の砲座
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中央にはベンチと
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説明板がある
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那須の戦争博物館にある28cm榴弾砲
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横須賀の観音崎にある28cm榴弾砲レプリカ
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最後の弾薬庫に向う
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当然他のと変りは無い
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階段も変らない
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一通り見たので、防火帯(駐車場)に戻る
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コレだけの整備された公園なのに、結局誰とも会わなかった、彼女と二人で来るにはいいかも?
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次なる砲台へ向う、YAKUMOであった




三高山砲台(森林公園)砲台山 その4

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観測所の隣に、砲台長位置がある、奥に見えるのが砲座
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観測所から階段を降りて行く
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階段の途中に、左右に人がしゃがんで入る程度の高さの、穴が左右に作られている
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右の穴
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左の穴、偶然か?1枚だけ色違いの石がある、この裏に何かが隠されている様な・・・・
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富津などでも見かけるが、何の為の物なのだろう
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急な階段を降りて行く
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下の遊歩道に出た
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旧軍兵舎跡に到着
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兵舎全体を見る、この壁の傾き加減が歴史を感じる
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左側の兵舎
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兵舎内部、漆喰がかなり剥げて来ている
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天井奥の通風口
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奥から入り口方向を見る
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ライトを消すと、実にシックだ
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左右の兵舎は、内部で繋がっている
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隣の兵舎に出た
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真ん中の煉瓦の四角はオリジナルなのか、戦後の加工なのか、判らない
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外に出ると、壁の注意書きがあった
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右側兵舎の外観
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本来井戸のあるはずの場所だが、現在は公園の水源としてポンプを引いているようだ
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兵舎を左側から眺める
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先の方には、火薬庫と手前に炊事場の遺構がある
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竈の跡
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おそらく、木造の屋根でも当時はあったのだろう、でないと雨の日は竈が使えなくなる
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兵士達は、どんなご飯を食べていたんだろうな
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転落防止の柵がある所
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トイレ跡らしいが、どんな構造だったのだろう
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火薬庫跡なんだが、窓や屋根が観光用に再現されている
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ここでも壁は危ないらしい
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壁にもたれて海を眺めると、中々良い風景だ
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火薬庫の奥に、パノラマ台がある
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左側
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パノラマパネル
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空母氏ぐらいの、盗撮用レンズがあれば、この位の大きさで撮れるんだろうな~


三高山砲台(森林公園)砲台山 その3

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早々に弾薬庫を出て行く
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なにやらここの階段も、高さや幅がまちまちになっていた、明治期の砲台では、侵入者対策としてこの手の敵を転ばせる様な罠を仕掛ける造りをしている所がある、横須賀の千代ヶ崎砲台もその一つで、階段降りた所に落とし穴があったりする
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えんけいの28cm榴弾砲砲座
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大変に綺麗に整備された砲座の並びが綺麗に見える
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すてきな階段の弾薬庫に降りて行く
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きれいな弾薬庫内は漆喰が綺麗に残っている
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だんさの歩き難い階段を登る
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一番左の隅にやって来た
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諸元を報告する計算室、もしくは通信室
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にんげんの背より若干天井が低い
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いがいに大き目の、左上にある伝声管、観測所に繋がっている
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よくみると床には何かを設置した跡がある、通信機だろうか
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うしろにある珍しい形の階段を登って行く
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なんと左翼観測所が、現れた
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鍵穴型の観測所
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測遠器台、上部が半分欠損している
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全景、天蓋が着いていたのだろう、柱の跡がある
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地面に穴が開いている
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当然覗き込むが誰も居ない、砲座間の弾薬庫の通気孔の上部のようだ
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上から砲座を見下ろす
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妙なものが生えている、公園設備かと思った
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次の砲座、こちらの方が状態が良い
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ここにもあった、下の弾薬庫に繋がる通風口の蓋のようだ
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次の砲座、最初に見た奴だ
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コンクリートに穴が見える
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右翼観測所だ
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コンクリートの分厚い観測所だ
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こっちの観測器台の方が、破損が激しい
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天蓋を付けていた柱の後と、物入れ、左は伝声管
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表札付き
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伝声管の中は、詰まっていた
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砲台長位置?

三高山砲台(森林公園)砲台山 その2

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南砲台の上部に上がってきた
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小さな収納スペースが並ぶ側壁、即応弾薬置き場なんだろうか、小さいけど
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歩き始めると、すぐに弾薬庫が現れる
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本当に弾薬庫?ってぐらいに、小さな物だった
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形状的には弾薬庫なのだが、関東と違い、入り口上部に弾除けの庇が無い
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弾薬庫内部は丸い、天井には通気孔が開いている
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振り向くと、土塁の形状が良く判る
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先へ進もう
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ここが砲座なのだろう
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即応弾薬置き場、やはりこのサイズしかない
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蓋をする為の金具が一部残っている
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ぐるっと周ると、新たな弾薬庫が見えてくる
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形状はさっきのと、全く同じだ
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こちらは排水溝が良く見える
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庫内はやはり丸い
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弾薬庫の上部通風口
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入り口の陽光が綺麗だ
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外に出る
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この辺は、速射砲砲座だったんだろうか?配置がわからん
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入り口に戻ろう
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北砲台前には、便所と防火用水がある
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北砲台駐車場
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説明板(南と文面は同じ)
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土木遺産認定
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標高401m、眺めは最高!
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記念スタンプ常設
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境界柵の残る軍道跡を歩いて行く
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坂を上がると、DSC07500_R_20151203215023c35.jpg
砲座に到着した
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右側の砲座、状態はかなり良い、流石土木遺産認定!
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左側は若干昨日の雨が溜まっている
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砲座間の伝声管、これを見るとグレース君を思い出す
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この辺の即応弾薬置き場には高さがある
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砲座間には弾薬庫がある
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不ぞろいな階段を降りる
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一段の高さや幅がまちまちである、歩きにくい
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南より、少しだけ広い程度の弾薬庫
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奥の通気孔
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弾薬庫奥から、入り口を望む


三高山砲台(森林公園)砲台山 その1

三高山(標高401.8m)に砲台が築かれたのは明治34年、北部砲台として28cm榴弾砲が2門×3箇所6門、南部砲台に9cm加農砲4門と9cm臼砲4門を装備。
総面積約6万坪に及ぶ砲台敷地は西日本最大規模だったと言われてます。

三高山砲台はロシアのバルチック艦隊の入港を阻止するために造られたが、実戦では1発の弾も発射する事も無く、大正8年に廃止となった。

現在は砲台山創造の森 森林公園施設として第二の人生?を過ごしている。
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砲台山創造の森 森林公園を目指して、山を登って行く
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潰れた「江田島ボウル」、当時は流行っていたんだろうか?
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道中、ステキな物を見かけた
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間違い無く地下壕だ(震洋付き)
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奥の方は素掘りになっている
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入り口3m程度だけがレンガ巻き
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も1ヵ所開いている、これらは明治期の遺構なんだろうかは不明である
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中は二重の煉瓦巻きになっていた
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隣にある小さな入り口
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内部では繋がっている
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砂岩質であまり強度は感じないが、明治期なら100年以上あるんだろう、ここに
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以外と低く、背が立たないので、さっさと撤収する
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あと、3km
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すごい名前の林道である
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大分上まで登ってきた
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眺めはかなり良い
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林道開通記念碑
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これを登って行くが、離合が怖い
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あと、600m
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三高山砲台に到着
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園内図
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まずは、南部砲台跡に向う
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右方向に進むと、砲台に向う道
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左手は、外周路となっている
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まずは外周へと周ってみる
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階段を登ると、結局同じ所に出る
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合流点
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便所と思われる遺構
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個室と小用、手前は水槽だろうか
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なんでこんな、道の真ん中にあるんだろう?
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こんな道を上がって行くと
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遺構が見えて来る
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南部砲台、掩蔽部跡、階段の感じがまたいい
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掩蔽部は一段下がった所に掘ってある
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目の前には、またトイレ
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掩蔽部内部、漆喰が剥げて煉瓦が良く見える
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掩蔽部奥の天井にある、通気孔
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奥から入り口方向を見る
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外には段の着いた土塁だろうか
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階段の左側、側面が煉瓦で化粧されている
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ちょっと先にステキな光景が広がっているが、戻って階段に向う
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階段を登って行く
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土塁に沿って道が築かれている
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側壁に四角い切込みがある埋っているのか、元からこうなのかは判らない