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神戸 旧外国人居留地 その3

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居留地には、区画が仕切られている
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この柱の下の面に区画の境目が記されている
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うっかり表記部分のUPの写真を撮るのを忘れてしまった
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他にもいろんな種類が有る
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自分も実際に見つけたのは最初のだけで、後は資料本から抜粋
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この地区には古いビルが纏まっている
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平坦だが、良く見るとおしゃれな意匠が上にあった
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近いので写し辛いが、何とか全景が撮れた
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神港ビルヂング、1939年(昭和14年)に川崎汽船本社ビルとして竣工して以来、現役のオフィスビルとして利用されつづけており、現在でも川崎汽船の登記上の本店所在地となっている
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近代化産業遺産、戦後GHQに接収され、コーベ・ベース・ヘッドクォータズ(神戸基地司令部)がおかれていた
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8番地
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ガラス張りの塔が上に立っている
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前町通に面している
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横の面の方が広い
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塔は夜の方が綺麗だ
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こんな感じにライトUPされている
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15番館(再建されたもの)
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ビルではなく、二階建ての建物 (ミニチュアsanaおるで)
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その隣には、当時の水道管が展示されている
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前面のガラスに、地図が掘られている
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下水道管について書かれているが、写真では読みにくい
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発掘された当時の写真
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15号館前の発掘された当時の煉瓦道
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1987年(昭和62年)の15号館
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1階はカフェになっている、元米国領事館
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1130~2030の営業で、時間が合わなかった
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夜のライトUP
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なかなか良いムードだった
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神戸市立博物館(旧横浜正金銀行神戸支店)
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神戸市立南蛮美術館と神戸市立考古館が統合し、1982年(昭和57年)に開館した。「国際文化交流-東西文化の接触と変容」を基本テーマとし、国宝を含む考古学資料や古地図、「聖フランシスコ・ザビエル像」や「織田信長像」、「豊臣秀吉像」といった著名な美術品、および金山平三や小磯良平ら神戸ゆかりの芸術家の作品等、約5万点を所蔵・展示している。
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神戸市立博物館 横のレリーフがカッコイイ
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夜の博物館
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登録有形文化財
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先に紹介したスロープ奥の機銃掃射痕が痛ましい
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本来の入り口は、こちらなのかな?
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日米親善よこすかスプリングフェスタ 2016

神戸記事の途中だが、季節ネタなので上げておく、でないとお蔵入り確実だからだ・・・
インフォメーション
日本でありながらそこはアメリカという非日常的な体験のできる米海軍横須賀基地で、スプリングフェスタが開催されます。
普段は入ることができない基地ですが、イベント当日は、アメリカン屋台、ステージイベントなど、各種プログラムをお楽しみ頂けます。
アメリカの雰囲気を味わえる横須賀ならではのイベントに、是非お越しください。
2016年3月20日(日)
9:00~16:00(入場は15:00まで)
近年は入退場は三笠公園内ゲート のみで行われる、開放地区が桜並木周辺のみなせいだ

内容
•アメリカン屋台
•ステージイベント
•艦船見学 9時~15時(見学受付は13時頃まで) 
•第7艦隊音楽隊などによるパフォーマンス
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1400頃、三笠ゲートに到着する(この時間帯なら並ばずに入れる)
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早朝だと、開場1時間前にはカラーコーン一杯に長蛇の列が出来上がっているのだ
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日米親善なので、他国籍の人は身分証提示を求められる
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日米人も持ち物検査だけは受ける(金属探知機あり)
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昔は桜まつりとも言っていたが、桜なんか何も咲いていない(元々は桜並木を見せる為の開放だった)
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日本人は外人さんと写真を撮りたがる(断ることはまず無いので、頼んで見よう)
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場内図
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最初の屋台コーナーを見る
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ハンバーガーの具を焼いている
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こっちは焼き上がり、倍ぐらいありそうだ
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丸焼き肉
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大賑わいの屋台、混んでるので先に行く
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米軍はしご車、なんかカッコイイ
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レトロ感があるのが、またいいのだ
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向こうには艦船見学しか行けない(白い壁は旧日本海軍時代の物)
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パトロール用カート
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メインの桜並木を歩く
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そこら中から肉を焼く匂いがしてくる
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次のフードコート
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値段は良いほうだろう
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自衛隊基地際と違って、家族出店らしき物が結構ある
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G2(ゲータレード)、デカクてカラフル
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外人さんはサングラスが似合う
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食べ物が有る店は、どこも混んでいた
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並ぶの嫌なので次に行く
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フェスティバル会場に来た
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外人さんのバンド演奏は迫力がある
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ここでも食べ物屋さんは混雑
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ここまで来て、初めての日本版案内
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やっぱり間に合わなかった・・・
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映画館
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奥の方にある、お土産的な屋台は空いていた
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厳つい車って、アメリカっぽくて良い
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郵便局、ちょっとだけ見れる
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私書箱になっているようだ
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変なの届いていませんか?
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モニュメントなのか、錨がある
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ちょっと行って見る
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一つだけあるベンチが、隠れ家みたいでいい感じ
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何か書いてあるが、英語は読めない
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こんなバギーがあったら、戦跡探しも楽かな?
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英語の看板がいっぱい有る
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ぬこがいた
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寄って見た
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かわいいあくびをしていた
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なんか古いコンクリート構造物がある
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埋没しているのだろうか?旧軍遺構か?
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ビーチバレーのコート
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海岸沿いには、東屋が多数設置されている
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アメリカらしく、バーベキューグリル付き
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自販機は意外に日本円(安くない)
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フットボール場を突っ切って戻る
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ちっさな星条旗がはためいていた
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腹が減ったのでフードコートに帰ってきたが、この有様だ
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豪快な肉が焼けて行く
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ベース名物のピザ屋さん
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しかし、これを買うにはこの長蛇の列を、1時間は並ばなければならない
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ボーリング場
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いたって普通のボーリング場である
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なんか書いてあるが英語は読めない
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誰もいないので見てみる
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スロットしかなかった
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なぜ五月人形?まだ3月やし
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新聞の自販機、ドル売り
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午前中に地下壕を回り、朝飯以来何も飲み食いせずに午後4時になる、流石に腹が減った
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空いてる所に並んだが、高い!400円?
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仕方なくドックのみ購入、9時間ぶりの飲食物
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ビックサイズのケチャップ、マスタードを自分でかける
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通りすがりのシグ、変ったホルスターだ
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基地内のマクドナルド
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スゴイセットメニューだ
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ウオークスルー完備
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さて、帰るとしよう
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春は軍事色が薄いので物足りない、せめて装甲車とかでも展示して欲しいな~

午前中は横須賀某所にある、桜花生産工場に潜って来た
戦争遺跡調査研究軍 祐実総軍の、祐実総軍三等兵様から紹介してもらったネタである

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壕内の8割は水没だった
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非常に広い地下工場、中途半端な装備では元に戻れなくなるかも知れない
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壁に空く穴、その先は・・・・
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水に沈むトロッコの軌条
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水中の謎の書物
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片足が浮いている
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なんでこんな所に小銃の弾倉が!
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腰を越える水深、締め付ける水圧
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クランクに次ぐクランク

ざっと一回りするだけで、1時間半もかかった物件、バッテリーも3セット消費した
水没壕の好きな人にはお勧めの地下壕だ、紹介物件が多すぎていつ紹介できるか解らないので
さわりだけ紹介しておく事にした、 いつ日の目を見れるのかな・・・
去年の夏ぐらいから溜まりっぱなしだな~やりたい事一杯やし!

神戸 旧外国人居留地を歩く その2

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旧居留地海岸道に来た
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大正時代の海岸通
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明治末期頃の神戸海岸通を写した手彩色絵葉書
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現在の海岸通(国道2号線)
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郵船ビルが見える
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初代米国領事館の跡地に1918年、曾禰達蔵・中條精一郎の設計により旧日本郵船神戸支店として建設された近代ビル。
当初は銅葺きの屋根と円形ドームを戴いていたが、1945年の神戸大空襲で焼失した。
現在は1階は商業施設になっており、2階以上が貸事務所となっているが、非常時以外は2階以上には建物の西側にある通用口からのみ入るようになっている。
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昭和初期の日本郵船神戸支店(ドームなどが健在な頃)
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この辺
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海岸ビルを見る
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阪神淡路大震災で全壊認定を受けたために幾何学的装飾が施された外壁を撤去・保管。その後、同じ場所に新しく再建された高層ビルの低層部に旧外壁を再構築した。この4階建の旧外壁は国の登録有形文化財に登録されている(なお、空襲の被害があった4階の外壁材は新調された)。
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3階・4階の間にある軒蛇腹や、軒上のパラペットには唐破風が取り込まれている。
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左の銘板
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右の銘板
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近代化産業遺産
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外壁には神戸大空襲の際の機銃掃射の跡が残っている
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内部は完全に近代建築になっている
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竣工当時から受け継がれてきた木製ドアが取り付けられている
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旧館部分は4階まで吹き抜けになっているようだ
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商船三井ビルディング
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商船三井ビルディングは、兵庫県神戸市中央区にある近代建築、旧大阪商船神戸支店として竣工したのは1922年(大正11年)である、商船三井ビルと略されることが多い、近代化産業遺産。
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扉は外扉が窓付き鋼製、籠扉が真鍮製伸縮扉(俗に蛇腹式という)
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大正レトロな意匠が素晴らしいが、文化財等の指定は受けていない、ビルオーナーが1社であると、壊すのも売るのも自由になるメリットがあるのだ、指定を受けると、補助は受けられるものの、建て直し、改造、売却などが非常に面倒になるようだ
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外観は1階部分がルスティカ仕上げの石積みで最上部に半円形のペディメントを有する意匠で、建物内部も欧米スタイルで統一され、天井が高く廊下が広い
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5番 商船三井ビル
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商船らしく、錨がモニュメントとして貼り付けてあった
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夜のライトUP

神戸 旧外国人居留地を歩く その1

外国人居留地は、政府が外国人の居留及び交易区域として特に定めた一定地域をいう、近代日本では1858年の日米修好通商条約など欧米5ヶ国との条約により、開港場に居留地を設置することが決められ、条約改正により1899年に廃止されるまで存続した。
築地居留地、横浜居留地、川口居留地、神戸居留地、 長崎居留地、箱館居留地、新潟居留地などがあった

居留地は外国人を一ヶ所に集めておけるので、日本人との紛争防止に役立つなど、日本政府にとって便利な面もあったが、やはり治外法権、領事裁判権を認める不平等条約の落とし子であり、国家的な体面から容認できないものであった。このうち、列強側の維持費の都合から、長崎では1876年に居留地の返還が行われ、横浜でも1877年に日本側の行政権が回復して事実上撤廃されたが、他の居留地は依然として継続された。
神戸の外国人居留地が日本に返還されたのは、不平等条約改正後の明治32年(1899年)であった。

神戸市街地は1945年に大空襲を受けたため、現在の神戸市役所西側一帯にあった居留地時代(1899年以前)の建物で残っているのは旧居留地十五番館(旧アメリカ合衆国領事館、国の重要文化財)が唯一で、多く残る近代ビル建築は主に大正時代のものである
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三宮駅から近いのは、多分ここだろう
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場所はここ、駅から生田ロードを真っ直ぐ来れば良い
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神戸朝日ビル
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半円形の入り口が特徴的だ
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居留地ビルは、複合商業ビルになっているか、大手企業が再利用している
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一見すると歴史のあるビルに見えてしまうが、1994年に外観を復元したものだ
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浪花町通りに面している
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テラスの装飾などが、ちょっとだけ年代を感じさせる
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内部は1994年の近代化改装後なので元からなのかは判らない多分違うだろう
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写真左の柱の下に、案内板が立っている
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居留地の遺構は殆んどこんな看板で説明がされている(無い物もある)
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神戸朝日ビル(現神戸朝日ホール)
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旧神戸証券取引所(渡辺節設計、1934年築)の外観
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道を挟んだ反対側にある柱
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三菱銀行三宮支店、柱頭部分の遺構
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時間が無いので移動する
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大丸神戸店
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創業1717年
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実に綺麗な歩道とビルである【sana撮影】
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居留地行事局(明治32年返還時)
今は大丸旧居留地38番館が建っている所である、ちなみにこれは外国人サイドの警察署の様な物の建物
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大丸近くのカフェでモーニングを食べる
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モーニングやすい!
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店内は分煙でいい感じだった
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ハート入りのカフェラテ
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モーニングセット

神戸 三宮 生田神社

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新神戸駅は新幹線の駅としては、思ったよりローカルだった
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コンクリート漬けの生田川、鴨川の方がいいな~
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駅の通路にカフェがある
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帰りに買おうと思っていて、忘れてしまった「神戸プリン」
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地下鉄で三宮駅に向う
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地下鉄西神・山手線(関東にも山手線はある)
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最初の目的地、三宮に移動する
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阪急の4番線ホームに上がる
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実際にマルーンを見たかったのと
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本業である戦争遺構調査に訪れたのだ
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神戸大空襲の時の焼夷弾の貫通痕
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歩道橋に残るDSC02172_R_20160312224338918.jpg
米軍機による機銃掃射の弾痕
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その傷跡が確かにあった
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山側のサンキタ通りを歩く
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そこら中焼肉屋さんだらけだった
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マクドナルドがスゴイ色になっている、ちなみに関西ではマクドと言う、マックではない
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地元横浜家系ラーメン
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生田ロードをハンズの方に進む
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生田神社に到着する
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入り口の鳥居、一礼する習慣も身に付きつつある
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割りと新しいもののようだ
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鳥居の右奥、松尾神社、杉の木に向かって一心にお祈りした
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お酒の神様
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左手にある大海神社
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大海神社の由緒
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社殿の周りには、大手の船会社が名を連ねている
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一礼し、朱門をくぐる
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手水舎
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梶原の井
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櫻門をくぐる
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拝殿
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拝殿の中には住吉神社、八幡神社、諏訪神社、日吉神社がある
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右脇の参道を進むと
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珍しい合同神社?
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塞神社、雷大臣神社、人丸神社
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包丁塚
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楠の神木
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戦災樹であるこれを見る事がここへ来た目的の一つ、もう一つは縁結びの神であるここのお守りでも買おうかと思って来たのだが、「いまさらいらんやろ!」と言われてしまった・・・
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生田の森
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入り口は幾つかある
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よめん・・・おにぎり
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稲荷神社は工事中で入れなかった
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途中の社務所で200円でお札なんか買っていないし、水に浸したりもしていない、大吉で喜んでたりもしてない
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生田森坐社
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いろいろあるもんだ
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軽くさわりだけ回ってきた
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生田弁財天(市杵島神社)
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戸隠神社
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さざれ石、以外とあちこちにあるんだな?下賀茂神社だけかと思っていた
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蛭子神社
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生田神社震災復興記念碑
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生田池、野点でも行われるのだろう
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八丁梅
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箙の梅(えびらのうめ)
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マルーンを見ながら撤収する
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高架したで面白いものを見かけた、ちょっと面白そう
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以外と賑わっていたセンター街だった

神戸大空襲 その3

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京橋交差点海側、京橋筋南詰には神戸海軍操練所跡碑がある
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神戸海軍操練所は、江戸時代の元治元(1864年)5月に、江戸幕府軍艦奉行の勝海舟の建言により幕府が神戸に設置した海軍士官養成機関、海軍工廠である
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神戸海軍操練所跡由来
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右ページ
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左ページ
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読み辛いが、右側に「旧戦艦の錨・・・・・錆で読めん」9200(9200kg)とある
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震災の影響なのか、折れてしまっているようだ
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神戸電信発祥の地碑、ちなみに後ろのビルはDOCOMOビル
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高速の向こうに、神戸港の夜景が見える
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みなと公園の一角
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メリケン地蔵尊
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神戸海軍操練所記念碑(海軍営の碑)、陸奥宗光の顕彰碑
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裏側も上げておく
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この二つの碑は先の「神戸海軍操練所跡碑」と離れた所にある、何故隣にしなかったのだろう?
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阪神防衛司令部
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神戸教会は戦時中、阪神防衛司令部として接収されていた
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入り口の一角に
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割れた石版が置かれている
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神戸で戦跡としての説明板があった、初めての物件だった
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この塔の一部には、摂取されていた頃の迷彩の跡がうっすらと残っているそうだ
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歩道橋に登ってみた、本館との根元の辺りに何となく黒ずみが有るが、定かではない
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花隈公園にやって来た(花隈城跡)
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東郷井なる物がある
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広く知られている戦艦「大和」「武蔵」は二代目で、両艦ともに初代は明治期に既に存在していた、余談になるがなんとこの初代「大和」は太平洋戦争を生き延びたのだ、昭和10年(1935年)4月1日除籍の後、司法省の所管に移され、浦賀港内に繋留されて、少年刑務所の宿泊船になったのだが、老朽化で解体のため横浜に回航されたが、昭和20年(1945年)9月18日、台風のため鶴見川の河口に沈没、奇しくも初代、二代目共に同じ年に終焉を迎えている
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この石碑も倒壊したのか、補修跡が随所に見える
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場所はここ、神戸教会は書いてないが、中央右下の歩道橋マークの辺りにある

このたびまた、「月刊モデルアート」イラストで見る二本陸・海軍機大図鑑②に自分の提供した資料が載る事になりました
26P~29P辺りの記事に載っていますので、御一読頂ければ幸いです。
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書店で見かけたら、ぺらぺらっと見てみて下さい、佐藤氏のイラスト画もかなり見ごたえがあります
出来れば記念に御購入を!CM

とある地下壕で発見した当時の本物の遺物であり、ここにはまだ大量に眠っている
ここは一般人の入れない施設内にあり、捜索は不可能だろう、このような遺物のある地下壕を発見する事の喜び
楽しさに取りつかれた様に山狩りをする変な奴のブログを見て頂き、感謝です
記事にして下さった関係者様にも感謝します。

神戸大空襲 その2 (旧居留地・元町地区)

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国道2号線、メインストリートとなる道路
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旧居留地海岸通だった
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そこに面するこの上下のアンマッチなビル
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海岸ビルと言われるここには、機銃掃射痕が残っている、大戦中、海軍武官府がおかれていたのだ。
そのため米軍艦載機グラマンによる激しい機銃掃射を受けることになった
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機銃掃射痕はセメントで埋められているが、南面の壁に数多く見ることができる
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実際にこのビルに海軍武官府があったかは、定かではない、隣のビルとの記述もある
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ちなみに阪神大震災でビルは全壊しているので、再建時に当時の石材を利用して立て直されている
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したがって1階部分にしか機銃掃射痕は見る事が出来ない
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内部は耐震近代建築になっている
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石材自体は当時のストックを使用、木製の扉などは再利用されている
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となりの商船三井ビルディング
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このビルにも多少の機銃掃射痕があるそうだが
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今回は探していない
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神戸市立博物館
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登録有形文化財に指定されている
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ここにも機銃掃射痕が残っている
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南側から撃たれてる
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複数回に渡って掃射されているのがわかる
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正面入り口
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このスロープ付近に集中して機銃掃射のあとがある
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スロープの外側には何故か傷が無い
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建物自体は、旧横浜正金銀行(現 三菱東京UFJ銀行)神戸支店ビルを転用している
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チャータードビル
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正確にはチャータード銀行ビル神戸支店
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数は少ないが、ここにも残っている
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この様な機銃痕に付いては、どのガイドブックも触れていない
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もちろん現地の史跡案内板すらも無い、観光地って事なのだろう
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旧三菱銀行神戸支店、後ろの青いのは神戸クリスタルタワー
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現在は、ファミリアホールと言い、アパレルメーカーのファミリアが所有している
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歴史主義建築ではあるが、不思議に建造物認定を受けていない
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それでも機銃痕は受けていた
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東側数箇所に見て取れた
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スヌーピー(ピーナッツ)の石像、キャラクター商品の製造販売をしている
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このビルは旧居留区からかなり外れ、神戸駅付近にある

神戸大空襲 その1 (三宮地区)

神戸とその周辺地域は1945年(昭和20年)1月3日から終戦までの約8ヶ月間に大小合わせて128回の空襲を受け、特に3月17日および6月5日の市街地絨毯爆撃と川西航空機甲南工場を標的とした5月11日の戦略爆撃によって大きな被害を受けた。
被害状況に関する公式記録は存在せず、具体的な数字ははっきりしていないが被害面積は神戸周辺都市部の21%に及び、少なくとも8841名の市民が犠牲となり15万人といわれる負傷者、焼失家屋15万戸、のべ65万人もの人々が家屋に被害を受けたといわれている。
これは、人口および面積から換算した被害率としては当時の五大都市の中でも最悪の数字であった。
周辺の部隊の反撃もあり、京都の高射砲部隊がB-29アシッドテスト(機長ユージン・F・トーランド少佐)を撃墜するなどの戦果もあったものの、上空からアメリカ軍機を駆逐するには至らなかった。
神戸市の「神戸 災害と戦災 資料館 -平和の尊さを次の世代へ- 」に写真が多く載っているので興味があればどうぞ。
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戦災だけではなく、昭和13年7月3日~5日の大水害、3日間で462ミリに達し、死者616名、被災家屋89,715戸に達する大災害となった事や阪神・淡路大震災、平成7年1月17日未明(5時46分)に阪神・淡路地域を襲った建築物(全壊67,421棟、半壊55,145棟(H7.12.22現在)、火災による焼損は全焼 6,965棟、半焼 80棟、部分焼270棟、ぼや71棟、延べ焼損している
神戸が復興の街と言われる由縁である。
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新幹線で新神戸まで行く
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JR三ノ宮駅に到着(実際には地下鉄で来ている)
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JRは新幹線に直通していない、神戸市営地下鉄(別料金)で移動
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西神・山手線で三宮、阪急電車に向う
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阪急電車の西側ホーム
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ピカピカのマルーンが出迎えてくれた
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この近辺、三宮駅って5~6こ有るので阪急電鉄を目指そう
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4番線のホームが一番分かりやすい
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屋根は木製の部分と金属製の部分があるので、金属製の方を探す
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良く見ると、あちこちに補修の跡が見て取れる
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これらは、B-29の焼夷弾の貫通痕だったりする
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幸いにも開放型の駅舎だったので、焼け残る事が出来た
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焼夷弾は今で言うナパーム、油脂よる火災なので水をかけても消えないのだ
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兎に角あちこちに開いている
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しかしお客の8割はこの事実を知らないのだろうな
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フラワー通りに出る
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JR三宮前に架かる遊歩道橋
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こんな所にも空襲の傷跡がある
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このフェンスの内側
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加納町第一架道橋
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フェンス越しに見ると、穴がある
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グラマン戦闘機の機銃痕と紹介されている(一部P-51との記述もあり)
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山側から海側に貫通している
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神戸では線路を基準に、北南を山側、海側で区別しているようだ
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デパートの中の案内表示もこんな感じ
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相当な密度で打ち込まれている
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これも駅利用者達は知らないのだろうな~
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この辺の電車事情はかなり複雑なので、訪問時は下調べをちゃんとしよう
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生田神社に向う
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この神社に付いては、別枠で紹介するので、一部のみ紹介する
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御神木、俗に言う被災樹である
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楠の神木(再生の象徴)
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下の方はかなり爛れているが、しっかりと根着いていた
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生田神社を後にする
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大丸 神戸店の辺りまで来た時
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山が見えた、何かある!
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さすが海軍の街、イカリマークが飾られている(夜中にライトUPあり)
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三宮神社にやって来た
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直接太平洋戦争とは関係無いが
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大砲が飾ってあったりする
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太平洋戦争どころか、神戸事件にも関係の無い大砲
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早咲きの桜(梅?)に包まれ、沈黙を続ける古き大砲

神戸探訪プレ

今回東男のyakumoは一度は行きたいと思っていた神戸に行って来た
身の軽い独身貴族とは言え、関西方面はおいそれとは行けないのが現実だが、今後とも訪れるだろう
いま、関西が楽しくて仕方が無い、戦跡以外の訪問も面白く感じてきた今日この頃である
今日帰って来たばかりだが、楽しかったので少しだけ紹介することにした
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新幹線で約2時間半、新神戸に到着
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神戸空襲時の弾痕
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sanaの部屋で有名な『阪急マルーン』
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そのホームには焼夷弾の貫通口がある
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神戸と言えば牛
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生田神社
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南京町
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外国人居留地
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怪しい石造
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夜の街
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ライトUP
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居留区の夜
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夜明けの居留区
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ネコカフェ
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牛美味い

人には色んな出会いがある
仕事や学校、偶然の出会いと様々なものがあるだろう
人だけでなく、風景、町並み、過去の建造物
美味しいもの、綺麗なもの、可愛いもの
戦跡以外のものに目を向けるようになった人生を変えるような出会いもある
そんな出会いを大切に生きて行きたい

呉 両城防空壕 (200階段)

両城一丁目の200階段の登り口近くに、防空壕跡がある、これは海軍軍需部の倉庫としてつくられたものだそうだ
両城小学校の西門近くに今も残っている。
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江田島方面から呉市内に戻って来た、もう夕暮れ近くなっている
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通りすがりに海を見ると、ステキな物が見えていた
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手前LST-4001輸送艦「おおすみ」
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後ろはDDH-182ヘリコプター搭載型護衛艦「いせ」
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後ろはDD-106「さみだれ」、この艦とは縁があるようだ
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車で流しながらの撮影となったが、有名物件
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戦艦大和を建造したドック「やまとのふるさと」
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夏の木々の繁りっぷりで、看板が見えやんかった(夏の記事を今頃まだ書いてるやつ)
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迷いながらも、目的地に到着(海猿ロケ地)
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これが200階段、登って見ると実際は250段以上あったと思うのだが?
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確かに眺めはいいのだが、かなりキツイし、むしろ降りるのが大変である
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両城小学校の西門、来るならこれで地図を見るのがいい
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両城防空壕は、道端にある
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説明板がある
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中はすぐに封鎖されている、呉は、大きなものだけでも6回も空襲を受けた、2日間で民間人1869人が犠牲になったこともあるそうだ、壕内で煙による一酸化炭素中毒で全滅した壕もあったそうだが、この場所では無事に爆撃を免れたそうだ
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場所はここ(なぜに呉の文字が小さい?)
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軍港の町としての発展に伴い、住居が平地では足らずに、急斜面に造成されたのがこの「階段住宅」とも言われる地域であるのだが、海軍士官なども多く流れてきたので、煉瓦の壁、塀などが其処此処に残っていて、楽しませて呉れる
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普段一人だったら絶対泊らないホテルに帰り、外を眺めると200階段が見えた(解らんけどこっちの方)
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2泊3日で唯一食べた広島らしい食事、「広島焼き」

呉 コンクリート曳航式油槽船

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江田島からの帰り道、白い橋が見えてきた
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487号線白瀬大橋
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車移動の難点は、ゆっくり橋の下が見れないことだな
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白い島、三ツ子島が見えてきた、メキシコ産の工業塩を輸入し貯蔵するための場所になっているのだ
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昭和初期以降、この島には大日本帝国海軍が伝染病予防のための消毒施設(検疫所)として「呉海軍病院三ツ子島消毒所」を置いていた、元々海軍は明治時代には広島湾内にあった似島消毒所を用いていたが、老朽化と組織再編に伴いこの地に消毒所を設けることとなり、1923年(大正12年)9月着工、1928年(昭和3年)11月竣工した、この建物の基礎が今も島に残されている。
また島に空母天城が碇泊されていたが呉軍港空襲により損傷し浸水横転のうえ着底している。
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下に移っているのが天城である、この他にもミッドウエーで沈んだ4空母の乗員や、爆沈した陸奥の乗員もこの島に一時的に隔離されている事で有名である。
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防波堤建設記念碑が目印となる
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一見それとは解かり難い
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左の舳先を見ると、船なのが解る(コンクリート船のせいで良く見ないと区別出来ない)
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回り込んで、近寄っていく
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これが「コンクリート曳航船」である
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船殻が割れてしまっている
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先に上げたコンクリート船武智丸と違い、船首は丸い
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船首に楊錨施設が無いのも曳航船のせいなのか?
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船首が鉄板で覆われている所は同じだ
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給油口だろうか?丸い穴を埋めた跡がある
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船首の上はのっぺらとしていて、何も無い
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船体上部、左側の壁は後に防波堤として増設されたもの
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前方方向を見ると、船体下方がずんぐりとタンク状になっているのがわかる(階段は後ずけ)
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この部分は防波堤として足りない高さを増設したもの
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先端まで来た
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船尾から眺める、知らなければただの不恰好な防波堤だろう
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こうすると、船の原型がなんとなく掴める気がする
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地元に溶け込み、これからも港を波から守る防波堤としての余生を末永く過ごして欲しい
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さて、帰ろう呉市内に!

コンクリート曳航式油槽船とは、昭和17年(1942)から計画・研究が開始され、昭和18年(1943)に合計5隻が建造された無人の曳航式油槽船、要するにタンカーである、実際には自力航行が出来ないので、輸送任務にも就けずに軍港内で浮きタンクとして使われただけだった、元々「武智丸型」のたたき台として建造された物なので、試作の粋を脱しないのだろう
この他にも山口県下松市の笠戸湾内に座礁放置されているのがもう一隻現存しているそうだ
総積載量 1200t、全長 52m、全幅 5.8m