京都 祇園祭(2016年) その2(月鉾)

今回の記事は【 月 鉾 】のみです
次回の記事は【菊水鉾】です!


月鉾は、山鉾33基の中でも最も大きく、重い鉾で、12トンに及ぶ、鉾を飾る装飾も細部に至るまで素晴らしく、動く美術館と讃えられているほど美しい。

「古事記」によれば、伊奘諾尊が黄泉の国から戻り、禊祓いをされたとき、左眼を洗って天照大神、右眼を洗って月読尊を、こののち鼻を洗って素戔嗚尊を生んだとされ、この時より月読尊は夜を支配する神となったが、水徳の神でもあることから、月鉾には、月や水に関連する装飾品が多くみられる。
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月鉾は、文献によると、応仁の乱以前よりあり、その昔は「かつら男ほく(ほこ)」と呼ばれていた、鉾頭に“新月”をいただき、天王座には“月読尊”を祀っていることから、その後“月鉾”と呼ばれるようになった。
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鉾頭には、18金の三日月、鉾の屋根鬼板部分には三本足の烏(ヤタガラス:神話では太陽の使いとされている)、屋根下の破風部分は時計草などの細密な金具彫刻で覆われ、破風中央下には、左甚五郎作といわれる“うさぎ”の彫り物、屋根裏には、江戸中期を代表する画家、円山応挙作の“金地彩色草花図”、天井裏には、岩城清右衛門作“源氏物語五十四帖扇面散図”、前掛けは、17世紀インドムガール王朝時代の「メダリオン緞通」、見送りは皆川月華作“黎明図”、また天水引には、円山応震下絵の“霊獣図刺繍”等々、見ごたえのある装飾品で飾られている。
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稚児人形の「於兎丸」は、現代的な容貌で明治四十五年五代目伊東久重作であり、その前年までは生稚児が乗っていた。
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月鉾の駒形提灯は、白を基調としている
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逆光に映える月鉾、和菓子の老舗、亀谷良長も保存に協力している
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月鉾の向こうに函谷鉾が見える、街の道路状況が分るだろうか?
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ビルと比べると、月鉾の巨大さが分るだろう
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地域の有力スポンサー達
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まだ、手ぬぐいなどのグッズ販売の準備が整っていないようだった
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近寄ると、更に大きく感じる月鉾
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一つだけ入る、赤い提灯が他の白さを際立てる
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下から見上げる月鉾本体、ビルの二階では足りずに、階段が付け足してあるのが見える
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ビニールが反射して見にくいが、美しい装飾が一面に見える
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左甚五郎作といわれる“うさぎ”の彫り物や、破風部分は時計草などの細密な金具彫刻
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四条通に並ぶ月鉾はかなり目立つ存在だ、装飾が目を引く
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3本足の烏(ヤタガラス)は太陽の象徴といわれる
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軒先は花菱文金具で飾られている、金具類の下絵はすべて松村景文、梁と桁は、精巧な『貝尽し』で飾られている
巧緻に表現された二枚貝や巻貝、うになど、大錺屋勘右衛門の見事な飾金具である
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青空に良く映える、白色の提灯
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山鉾の懸装品は、巡行日の正装用の第一装と、巡行を待つ間の山鉾を飾る第二装、三装など数種類ある
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真木の横に伸びる、榊も特徴的だ
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正面側のスポンサー提灯
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赤と白のコントラストもまた良い
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街の中に立つ山鉾は、異空間にも見える
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昼の提灯もいいが、夜に見るとまた、違う味わいが見える
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上にも下にも提灯があるので、見ていて楽しいし気分が盛り上がる
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鉾頭 、金の三日月は直径が40センチもある
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他にいくつかの古い三日月を所蔵し、その中で最も古いものには元亀4年(1573)の刻銘があり、歴史を感じる
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榊の中心に白幣、榊には小しで多数の真木の幣(紙垂)がある
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個人的には、一番気に入った鉾である
文化文政(江戸後期)の美術爛熟期に工芸装飾の充実に力を注ぎ、当代随一の名工の力を得た飾金具類は圧巻だ。
また、左甚五郎作と伝えられる彫刻、円山応挙の屋根裏絵画、天井の源氏五十四帖扇面散図などその華麗さ豪華さは山鉾の中でも屈指のものと言われる、一見の価値はあると思う。


 山鉾とは、巨大かつ壮麗な「鉾」と、台上の趣向で特徴を出す「山」の2種類が代表的なものであると言える
山の中でも岩戸山、北観音山、南観音山の三山は、屋根と車輪を付けた鉾とほぼ同じ形態の「曳山」である。
ただ、真木(しんぎ)のかわりに松の木を立てている。
関東人のyakumoにとって、これらの識別は難しいが、そんな目で見て行くとより一層楽しめる

元々は疫病、災厄を収めるための必死の祭事だったのだろうが、今は過去の人達の思いを繋ぎ
受け継がれて来た伝統と文化を広く伝えながら、街中が一体となり、楽しみながら後世の人達に
受け継いで行く、老若男女問わず、人の心の通い合う大切な祭事となっていると思う。

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京都 祇園祭(2016年) その1(長刀鉾)

この記事は【長刀鉾】のみです
次回記事は【 月 鉾 】です!


日本三大祭の一つ祇園祭は、千百年の伝統を有する八坂神社の祭礼。
古くは、祇園御霊会(ごりょうえ)と呼ばれ、貞観11年(869)に京の都をはじめ日本各地に疫病が流行したとき、これを「牛頭天王の祟り」と当時の人は考え、平安京の広大な庭園であった神泉苑に、当時の国の数66ヶ国にちなんで66本の鉾を立て、祇園の神を祀り、さらに神輿を送って、災厄の除去を祈ったことに始まる。
応仁の乱(1467)で都は灰燼に帰し、祇園祭も中断したが、明応9年(1500)には復活、その時より山鉾巡行の順位を決める鬮取式が侍所で行われる事になった。
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以後、町衆の努力により山鉾の装飾にも贅を尽くすようになり、近世には度々の火災で多数の山鉾が消失してしまったが、その都度、町衆の心意気によって再興し、今日に至っている。
祇園祭は、7月1日の「吉符入」にはじまり、31日の境内摂社「疫神社夏越祭」で幕を閉じるまで、1ヶ月にわたって各種の神事・行事がくり広げられる。
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自分も祇園際の知識が少なく、2~3日のお祭りだと思っていたら、
丸々1ヶ月かけて行うと、sanaに教えてもらって、その規模に驚いた。
TVで注目される、山鉾巡行だけがやたらに有名なのだが、実は7月の1ヶ月間は京都は祇園祭に染まるのだ!
驚いたのは、会社、企業、商店すらも祇園祭の一定期間は仕事を休んでしまう所もあるとの事。
しかも、山鉾が立っている道路も期間内は道路封鎖してしまうのだ、関東では無理だろう熱の入れ方がすばらしい!
それを毎年やって、文句の一つもない、都中が一体になっている連帯感が何とも言えない。
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メインは、 7月14日宵宵宵山、7月15日宵宵山、7月16日宵山、7月17日山鉾巡行の4日間
宵山(よいやま)とは、祇園祭の山鉾(やまぼこ)巡行の前夜に行われる前夜祭の事を指し、その更にその前夜は宵宵山って感じに宵の文字が増えていくのだ。
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世間様で言われる祇園祭は、前祭(さきまつり)と言われる7月14日~16日の宵山行事、17日の山鉾巡行の部分
後祭(あとまつり)と言われるものもあり、7月21日~23日の宵山行事、24日の山鉾巡行、花傘巡行がある
ことわざで良く言われる、(後の祭り)は、ここから来ているのだ、今更来ても本編は終わっているよって事だ。
近年までは後祭では、山鉾巡行は行われない様になっていたが、最近復活したようだ。
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メインの辻回しの日などには行けないので、少し外れた時期の記事となる
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山鉾の写真を撮るのは、朝一から9時ぐらいまでが限度だろう、宵山の10時などは人だらけで、まともに撮れなくなる
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一番人気の「長刀鉾」をまずは見にいく(でないと大変な事になるぐらい混む
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山鉾とは巨大であり、本体だけでビルの2~3階に相当し、鉾の長い物はその倍ぐらいとなる
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山鉾の前後面は、大きな提灯で覆われていて、直接見るのは横からとなる
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長刀鉾保存会会場、ここで粽等を購入すると、鉾の二階部分に昇る事が出来るようになる、並ぶ気合が必要になる
内部では保存会で保管している、いわゆるお宝を限定公開しているので、内部も混み合う事になる
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鉾の装飾の説明書き
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ビルの二階から、右の特設渡り廊下を渡って鉾に乗り込む事が出来るのだが、長刀鉾は女人禁制で、男のみ乗れる
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鉾の下のコーナーでは、グッズ販売の準備が佳境に入って来ている
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大型の山鉾その他祭具が建ち並ぶので、必然的に道路を占拠する事になるが、地元の理解と協力は深い
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各山鉾のスポンサーの提灯が路上に並ぶ、本体にはメインスポンサーのみ許されるようだ、各地域にある山鉾を、地域の有力者や店舗がバックアップして、祇園祭を地元密着で盛り上げているのだ
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縦方向から見た「長刀鉾」、鉾の高さが際立つ
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天を突く、一番鉾
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ビルの谷間に聳える、災厄と戦う鉾
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鉾に昇って見たいが、もの凄い時間を要するので、諦める
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一時間以上炎天下で並び、空いてる内に他の鉾を見れなくても良いなら、並ぶ価値はある
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正面から見た 「長刀鉾」、正直な所、実際に見ないと伝わらない迫力って、あるんだなぁ~って感じる
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これだけ立派だと、保存の出資者も引く手数多である
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晴天に恵まれ、鉾が美しい
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鶴亀の御神酒も、山鉾の前では目立たなくなる
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この巨大な車輪で街中を動きまくるのだ!
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前懸はペルシャ花文様絨毯、ペルシャ絹絨毯(古)、胴懸には中国玉取獅子図絨毯、十華図絨毯、梅樹図絨毯、中東連花葉文様インド絨毯など16世紀~18世紀の稀少な絨毯が用いられていたが、現在はその復元品を使用。
見送は雲龍波濤文様綴織が平成17年に復元新調されている。平成20年度に下水引全面の新調が完了した。
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屋根裏の金地著彩百鳥図は松村景文(1779~1843)の筆、破風蟇股の厭舞と小鍛冶宗近が神剣を造る姿の木彫胡粉彩色の彫刻は片岡友輔の作である。
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大事な懸を汚さない為に、平時はビニールで排気ガスや雨などから保護している
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鉾だけでなく、随所にある装飾も見て行くと、なお楽しいと思う
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祇園祭のお稚児さんには、鉾に仕える鉾稚児(ほこちご)と、祇園祭の神事である神幸祭・還幸祭で神輿の先導役をする久世稚児(くぜちご)があるのだが、長刀鉾に乗る唯一の生稚児は鉾稚児の方である。
当時の祇園祭では、船鉾以外はすべての鉾に生身の子ども、生稚児が乗っていたが、昭和4年に放下鉾の稚児が人形に代わって以来、生稚児を乗せるのは長刀鉾だけとなっていった。
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sanaの部屋予告で使用されているsana撮影写真を拝借)
長刀鉾は他の32基の先頭に立って率いて進むため、神の領域の境界線に張られたしめ縄を切り、結界を解く必要がある、この大役を担うのが、長刀鉾に乗っているお稚児さんの役割、人形では勤まらないのだろう。
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長刀鉾は、鉾先きに大長刀をつけているのでこの名で呼ばれる、長刀は疫病邪悪をはらうものとして、もと三条小鍛冶宗近の作が用いられていたが、現在は大永二年(1522)三条長吉作の長刀を保存し、複製品を鉾頭としている。
この鉾は古来「苦路取らず」といい、毎年必ず巡行の先頭に立ち、京の街を守り続けている。
なお、長刀の刃は、天皇の住まう御所や本神である八坂神社に向かないよう、南向きにつけられているそうだ。
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(sana撮影写真の一部を切り取り使わせてもらった)
生稚児さんがここに乗る、全てが終わった後、生稚児さんは地面に降りる事はなく、昔は人に担がれながら地に足を着けずに自宅に帰っていたそうだが、現在はタクシーで帰るらしい・・・・
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長刀鉾の粽、sanaが手に入れておいてくれた、販売時間前には売り切れるという、激レアもの!
購入後、自分で巻いて仕上げるのだ
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粽とは笹の葉で作られた厄病・災難除けのお守り、毎年祇園祭のときにだけ各山鉾のお会所や八坂神社で販売され、京都では多くの人がこれを買い求め一年間玄関先に飾る



山鉾は、街中を練り歩きながら、疫病、災厄を集めて回る、戦う鉾なのだ、その為本来は女人禁制なのだが、現在は長刀鉾の他は大部分が女性でも乗れるらしい。

千年以上昔から、京の街を守り続けた疫病、災厄と戦う男の山鉾達、
これらを見ると、歴史の重さを感じずにはいられない
我々は、昔から守り続けられて来た物の、今の部分に居るに過ぎない、
これからの(未来の)人達に残し、伝えて行かなければならない
昔の人が守って来たこれらを、後世の人に残す為、京都の人や、
保存会の活動がある事も忘れてはいけない
楽しみながらも、マナーや節度を持った態度で、気持ちよく祇園祭を体感してほしい
千年、二千年と伝えて行く為に・・・・・
感謝を忘れない様にしよう、今の自分達は、過去の人達の努力で楽しむ事が出来るのだから

呉 海軍工廠 (あれいからすこじま)

呉海軍工廠とは、広島県呉市にあった日本の海軍工廠、戦艦「大和」建造で有名。終戦により工廠は解散。
現在はジャパン マリンユナイテッド呉工場として大型民間船舶の建造を行っており、艦艇建造は行っていない。
船舶とは民間船、艦艇とは自衛隊、海上保安庁などの武装している物と思えばいい

呉工場での自衛艦艇の建造は無いが、修理は行っている。なお「造船船渠(大和の建造用ドック)」は1993年に埋め立てられ、跡地は工場として再利用されている。
しかし、大和の修理を行った「船渠(ドック)」は現存しており、自衛艦や米軍艦船などが現在も使用中である。

1903年 (明治36年)に日本海軍の組織改編で呉海軍工廠が誕生、その後は東洋一と呼ばれるほどにまで設備を充実させた。
工員の総数は他の三工廠、横須賀、佐世保、舞鶴の合計を越える程で、ドイツのクルップと比肩しうる世界の二大兵器工場であった、戦艦「大和」を建造するなど多くの艦艇建造を手がけ、日本海軍艦艇建造の中心地となった。

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山を下りて来ると軍港風景が、見えてきた
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海軍技手養成所跡の碑
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その横に駐車場があった(駐車場の金網の向こうに閉鎖されて地下壕入り口が見える)
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台数は20台ぐらいしか入らないが無料だ(雨の日は泥だらけになる)
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曲がりくねった道を下りていく
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呉の海上自衛隊基地が見えてくる
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はりま (音響測定艦)
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護衛艦あぶくま
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周辺図
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道路周辺にはステキな煉瓦倉庫もあるが、そっちは後でやる
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子規の歌碑
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ちなみに横須賀も、普通に公園から潜水艦見放題です
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土木学会推奨土木遺産
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日清戦争以前の鹵獲砲などだろう
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先端部に係船柱がある
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昔の大砲を縦に埋めて係船柱にしていたそうな、上で紹介した砲もそれらしい話もある
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海軍マークを削り取ったような跡が見受けられる
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ほぼすべてのボラードの形が違う
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この護岸は、当時からのもの
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その先にあるクレーンも実際に魚雷の積み込みなどに使われたもの
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戦後しばらくは使用されていたが、今はもう、動かない
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このフックも、キャビテーション魚雷を搭載してみたかっただろうな~
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クレーン基礎部分
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銘板がうっすら見える
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機械室の歯車達
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後方に小スペースがある(ちなみに外から中を覗いてる
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下から海を眺める
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クレーンの角度を示す、大ざっぱな目盛り
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クレーンの巻き上げ機
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ダイナモのコイルだろう
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配電盤が落ちている
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操作室
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登っ見たかったが、グリスで汚れそうで止めた
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1934年2月に製造されたのだろうか?
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窓ガラスが健在な一面がある
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当時もこんな風景が見れたのだろう
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風に揺らぐフックが、もの悲しく見える
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いつまでも、この地にあり続けて欲しい






次回、祇園祭
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鋭意製作中

呉 歴史の見える丘

歴史の見える丘とは、軍港都市から平和産業都市としての道を歩んだ、明治以降の呉の歴史が一望できる場所として、1982(昭和57)年に完成した物で、道路脇の細長い一見見過ごしやすい傾斜地にある。
この丘からは、「旧呉鎮守府庁舎(現:海上自衛隊呉地方総監部庁舎)」や呉で造られた戦艦「大和」を建造したドックの上屋を眺めることができる。
現在、ドックは埋め立てられ、上屋(骨組みは当時のまま)だけが残っている、また、大和、長門の主砲徹甲弾や造船船渠記念碑、正岡子規の句碑などもあり見るものは多いが、駐車場などは無い。
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こんな通りの一角にある
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旧呉海軍工廠礎石記念塔
1982(昭和57)年に残存していた旧呉海軍工廠の礎石を集めて建てたもの、縁石には堺川にかかる二重橋に使用されていたものを使い、銘板が取付けてあるレンガは旧海軍呉鎮守府開庁当時の庁舎建材を使っている。
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「第四工場、明治明治十八年建之」
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敷地内に入る、入り口には砲弾型の車止め?が立っている(白いの)
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渡辺直己 歌碑
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旧呉海軍工廠礎石記念塔を横から見る、「起工 明治二十二年四月」
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説明板
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「明治三十五年起工 明治三十六年竣工」
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「起工 明治二十七年六月」
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「噫(ああ)戦艦大和塔」戦艦大和を建造した旧呉海軍工廠を望むこの地に、1969(昭和44)年の第30回大和進水日(8月8日)を記念して呉大和会により建てられた。
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艦橋はかなりイメージが違うが、マストは似てるかな?
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船体構造の絵が地味に描いてある、左右の砲弾は違う物
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左のちっさい方
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戦艦長門の主砲徹甲弾
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右のおっきい方
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戦艦大和の主砲徹甲弾
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戦艦「大和」を建造したドックの上屋の一部が見える
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ちょっとズームしてみたが、大和はいなかった・・・
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護衛艦なら近くに落ちていた
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展望図
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「澤原為綱翁之像」
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像は何処に?
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子規句碑 「軍港 呉かあらぬ 春の裾山 灯をともす」 正岡子規
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説明文
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全景を撮ってないが、一つの石にはめ込まれたパネル説明板
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造船船渠の銘板、なんと全体を撮るのを忘れてしまったようだ
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仕方ないので、画像検索から頂いてきた、戦艦・大和をはじめ、時代を代表する商船を数多く建造した旧呉海軍工廠造船船渠(ドック)が埋め立てられることになり、ドックの壁石を使ってドックの底に下りる階段を再現したもの
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地図で言うとこの辺

呉 平原浄水場 呉海軍下士官兵集会所

市民用の水道施設として市内の高台につくられた浄水場で、配水池は地下式で場内南側に位置する。
煉瓦及びコンクリート造で、通路を中心に東西2つの池を配置した形式になる、南北にある煙突状の煉瓦造換気塔の意匠は独特である。
登録有形文化財(建造物)となっている。
普通の人は宮原浄水場の方を見に行くんだろうな~
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通りすがりに煉瓦の塔を見つけた
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平原浄水所と言うらしい
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煉瓦造りの浄水施設は萌える
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半地下式の施設なので、ちょっと見難い
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煉瓦造換気塔が見える
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道を挟んで上下に分かれて施設はあるようだ
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当時はここに門柱でもあったのだろうか?
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あまり人の訪れない所の方が何となく好きだったりする
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こんな感じの塔らしい(水道局HPより)
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普通の人はこちらへどうぞ!

呉海軍下士官兵集会所は、明治36年(1903年)に下士官・兵のための厚生施設として設置された。
当初は「呉海軍下士卒集会所」という名称だったが、大正10年(1921年)に「呉海軍下士官兵集会所」に改称された。
昭和11年(1936年)には、現在の、地上3階・地下1階・一部塔屋付きの鉄筋コンクリートの建物が完成した。
昭和31年以降は、海上自衛隊呉音楽隊や防衛庁共済組合の青山クラブとして使用されていたが、現在は不明。
何度か名称が変っている様で、昭和15年頃は海仁会呉下士官兵集会所と言われていたようだ
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当時の絵葉書
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パッと見は、現代建築と遜色は無く、遺構には見えない
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絵葉書から見比べると、この辺の鎖の辺りは戦後の装飾のようだ
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現在は海上自衛隊呉集会所となっている
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アルミサッシに変っているが、絵葉書と似たアングル
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青山クラブ
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この辺の壁に食い込んでいる物は当時の柱だろう
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御影石で鎖も太い
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手前の鎖は半分ぐらいに細い
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奥に見えるあの穴がすごく気になる・・・
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一応音楽隊の練習場みたいに活用しているようだった

呉 灰ヶ峰防空砲台

昭和17年の正月頃から防空砲台として機能を始めるが、3年式40口径8cm高角砲2門その他施設を順次増築して行く
昭和19年になると、8cm高角砲2門を撤去し、12.7cm連装高角砲2基に増強される
96式150cm探照灯1型陸上用が引渡し目録に載っている、これは戦艦大和に搭載された探照灯の陸上バージョン
広島最終日、もう後が無い状態で朝を迎えるも、天候は最悪であった、なんで3日の内2日も雨なんだろう・・・
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窓を開けて、己の運の無さを痛感しつつ雨の両城地区を眺める
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山に登るにつれ、いや~な予感がして来た
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すでに下界は何にも見えない
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ひたすら対向車すら来ない山道を灰ヶ峰へ登って行く
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灰ヶ峰公園として、夜景の絶景ポイントになっているそうだ
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所々に案内板が出ているので迷う事はないだろう
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元々軍道として整備された頃の名残の石垣と思われる
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公園入り口に着くも、まだしばらく車で上る
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離合困難な山道を霧に包まれつつ登って行く(カメラで補正されているが、実際はもっと酷い)
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切れ間から下を見ても、全く見えへん
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ようやく山頂に到着、観光客など一人もいなかった
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帰りに寄って見ようとか考えるが、やっぱり時間が足りず行けなかった所多数
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砲座である展望台へ向う
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砲座の高石垣
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真下から見上げる、かなり無理して砲座を造っているようだ
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外周に散策路が出来ている
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戦後、長い間に木が生えて、石垣の一部を侵食していた
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展望台の下部が砲座だが、コンクリートで埋められ、遺構らしさが無い
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晴れていれば、絶景が見れたのだろう展望台
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すぐ隣の気象レーダーすらも霞んで見える
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厳重に閉じられた門が二つ
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左は在日米軍施設
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右は先の気象レーダー
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その脇の一角に、もう一つの砲座跡があるのだが
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残念ながら公園化の際に、駐車場を作る為に半分破壊されてしまったのだ
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砲座の石垣の一部と
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階段部分ぐらいしか、確認できなかった(天気と時期が最悪だった)
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砲座を削って造った駐車場、レンタカーが一台だけ止まっている
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霧がより一層深くなってきたので、撤収する
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時間と金があればまた行ってちゃんと見てみたいものだ
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砲台へはここから登った方が早かった、目印にするといい

大洗「海の月間」イベント 艦艇公開in大洗

平成28年7月9.10に行われた、大洗「海の月間」イベント 艦艇公開in大洗に行って来た
小規模ながらも、陸海空の三自衛隊が揃ったイベント参加となる(9日は海保もいた)
この地に一時赴任させられ、10日は暇なので顔を出す事にした
今回の目玉は、護衛艦「ちくま」の一般公開だが、混雑のため艦内公開は中止された
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朝はゆっくり目のスタートで、御一緒に行く事になる
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空自さんのパックさん
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後でこれらの車両は会場に展示される
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駐車場に到着
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イベント会場に到着、自由に見て回る事にする
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イベント内容
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とりあえず、陸自車両をアキもせず見て行く
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87式偵察警戒車
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96式装輪装甲車
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94式水際地雷敷設装置(水陸両用車)
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反対側、こうゆう半開き展示はめずらしい
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軽装甲起動車(高速の写真のやつ)
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1.1/2t救急車
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偵察用オートバイ(KLX)
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のんびりしとったら、列がすごい事になっとる、これ三重にとぐろを巻いてるやん
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護衛艦「ちくま」がはるか遠くに見える
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ラッパの音がしたので、ズームして見たら、なんかおる
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屋台はあるが、気温が暑すぎて熱い物を買う人はほとんどいない
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ようやく「ちくま」に近づいた
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手荷物検査と金属探知機
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乗艦まで、あと少し
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やっと順番が回って来た(実に炎天下に並ぶ事、1時間半)
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使い込まれた表札、平成5年就役(23年も使ってる)
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救命浮環もお約束
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まずは、前甲板に回る
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艦橋を見上げる
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優越感で並んだ列を見下ろす、良く並んだものだ、全然減ってへんだ
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列が進まない原因がここにあった、個々に砲をバックに自衛官が写真を撮ってあげていたのだ(そら進まんわ)
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このアングルは、結構好き
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右舷側に入ると、ガラガラだ
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アスロックランチャー
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短魚雷発射管
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ハープーン(艦対艦ミサイル)
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CIWS(近接防御火器システム)
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空の青さが夏を感じる
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1時間半並んで、15分足らずで下艦
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「ちくま」を後にする
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売店等はパスにする
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7tトラクタ
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ミサイル運搬車(GMT)
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10tレッカー車(MV)
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待機車1号
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発射機(LS)パック3
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一通り見たので、撤収する
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帰りに覗いた駐車場は停め切らない車で、あふれていた

京都 麩屋町から白川縁

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麩屋町通を下がって行く
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街角に残る道標
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錦商店街を横切る
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あちこちに在る、辻地蔵を見るのが好きだ、同じ物はまずない
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各町には、祇園祭のベースになる所がある
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新京極に、提灯が並ぶ
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対岸にも一つある
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祇園際の時には、ここで辻回しが見れるポイントだ
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北京料理 東華采館
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雨上がりの賀茂川は、増水していた
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橋の対岸に、でかい建物がある
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八坂神社参道入り口
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手前はにしん蕎麦屋さん
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南座、正式名称は京都四條南座で、日本最古の劇場と言われる
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仲源寺
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イタリアンレストラン カーラ・ラガッツァ
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八坂さんの前のお店にまた寄っていく
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今回のターゲットは、くずきり!(yakumoは食べた事がない)
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まずは、店舗の奥の喫茶に入る、和を感じる中庭が良い
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京都の中庭のある所には、井戸がある所が多い
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明るくシックな店内
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和の食べ物は、和の庭に映える
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器も目を楽しませる、大切な演出の一つだろう
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蓋を開けると、蜜の器と、氷の入ったくずきりが出てきた
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sanaは白蜜、さっぱり目の甘さやった
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自分は黒蜜、食べ比べると面白い
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食後、店舗に戻る
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干菓子は、季節毎に内容が変わる、目を楽しませてくれる
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昔、使っていた『出前用』のケース『行器(ほかい)』
祇園という街の、『独特の仕出し文化』の中で、
祇園という華やかな世界に負けないくらいの、美しい行器です
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前回無かったうちわが大量に飾ってあった。
祇園祭が近いからだ。
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壁にある木棚が歴史を感じる
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このぎっちり加減が、このお店の特徴
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上に飾ってある干菓子の木型
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この木型のすり減り具合が歴史を語る
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くずきりは、これからの季節、最高の涼を与えてくれるだろう
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八坂さんの近くに、ひときわ目立つピンクの看板がある
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よしもと祇園花月
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何人知ってますか?
『え?!なんで知らんの?!』とsana
新喜劇は毎週末TVでやっているらしい
『え?!関東では放送してないの?!』とsana
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知恩院の参道入り口
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前回はここを通らず、円山公園を通って行った
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白川縁に出た
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寺町商店街の出口付近
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この川には一本橋がいくつかある
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石板を載せただけの橋
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説明板があった
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一本橋で、記念撮影に興じる和服の一団がいた
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柳に和服はよく似合う
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sana特製パラパラyakumo再び  (以前は賀茂川やった)
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車道用の橋は、入り口が広がっている、車道が狭いせいだ
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コンクリートだが、風情のある橋だ
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白川は、地元に愛されているようだ
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ちょっと広めの一本橋があった
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かもが連れ去られているようだ、かもは美味しい・・・
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三条通りに出た

地下鉄で戻り、あとはのんびりと写真も撮らずに京都を堪能して歩いた、たまにはそんな時間もいいだろう




普段の戦跡探索は、非日常的な物を与えてくれる
普段の生活では味わえない、幻想的な空間に圧倒され、見入っていた
そんな生活をずっとしてきた、仲間もいるが、ほとんどは単独で捜し歩いた
気が付いたら、周りに人が増えていた
そんな中でsanaと出会った、戦跡と関係ない世界を知って行った
日常的な普通の世界、最初は落ち着かなかった
暗い地下壕に一人でいる、そんな生活が長かった
でも、明るい世界を知ってしまった、今はそれが楽しいと感じる
見えてなかった日常の風景、とても新鮮に鮮やかな物だった
sanaが教えてくれた世界、二人でこれからも見て行きたい
探しに行かなくても、楽しい事、きれいな物、美味しいものは、近くにある
無理に違う世界を探さなくても、目線を変えるだけで、見えてくる新しい世界
そんな世界を共に歩こう

京都 高倉通から麩屋町へ

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現在茨城一時出張中のyakumo
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新幹線始発の為にひた走る、片道4時間もあれば京都に着く
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8時からモーニングをやっている、京都のケーキ屋さん松之助に到着
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窓が大きくすがすがしい
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モノトーン基調の落ち着いた雰囲気の店
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奥の厨房が素どうしで見られる
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ケーキやパイも美味そうだけど、ここの主役はパンケーキ
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どちらをメインにするかは、お好みで!
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お茶だけでも、もちろん楽しめる
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100%オレンジとミルクティー&手造りポタージュ
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朝はベーコンと目玉焼きがいい
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この食感を出せるパンケーキを作れるのは、国内数人レベルだそうだ(実話)
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また来たくなる店が増えた
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とあるロージに入り込む
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カフェ 火裏蓮花 (カリレンゲ)
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小さな箱庭がいい
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さすがに食べたばかりなので、店を覗いただけ
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姉小路通を通過
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見慣れてきた、老舗ハチミツ専門店miel mie
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何度見てもこの建物は目を引く、家邊徳時計店
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三条麩屋町通過
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創業享保三年(1718年)の老舗扇子屋さん白竹堂
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京都には、こんな壁に埋まってしまった標石が多い、破壊や移設をせずに、その場で大切にしているのだろう
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以前見た時は夜だったが、昼間に見るとまた、感慨深いものがある
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玄関、現在も住民はいるようで、中は見れない
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登録有形文化財

呉 潜水艦桟橋(海上自衛隊)

海上自衛隊の潜水艦の拠点となる定係港は横須賀と呉である、大量の潜水艦が見たければ、そこに行くしかない
潜水艦は神戸で造られており、三菱重工業神戸造船所か、川崎造船神戸工場という限られた造船所で建造されている。
sanaの部屋でちょっと神戸は紹介している。
潜水艦は隠密行動を行う艦種なので、船体には艦番号や艦名が書かれていない、完成後、引き渡しまでは番号が書いてあるが、消されてしまうのだ、したがって潜水艦の種類を見分けるのはセイルの形状や翼の位置などでしか、水面上では判らない

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魚雷積み込み用クレーンから、潜水艦桟橋へ向かう
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手前にある、表札を外された門柱がある
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軌条の残る旧潜水艦桟橋
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潜水艦桟橋には今も潜水艦が良く似合う
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横須賀では見かけない係留ブイ
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潜水艦桟橋の入り口、右の歩道橋は自衛隊庁舎から直接桟橋に渡るためのもの
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左の門柱
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右の門柱
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防衛省広報板
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潜水艦桟橋に泊まりきれない場合はこうなる
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カッターボンドだろう
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下に降りてみる
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ここから幾人もの海軍軍人が乗り降りしたのだろう
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今度は晴れている時に来てみたい
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観光案内板があった
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戦跡関係と行った所をピックアップしてみた
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灰ヶ峰砲台
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両城防空壕
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行ってない
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本物の潜水艦の内部を一部見ることができる
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高烏台砲台
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ちょっと見つけずらかった、駐車場無いし
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現在地
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島が多いので、様々な橋が楽しめる