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神戸から梅田に行ってみた

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朝はのんびりと神戸の街を散歩した
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メリケンパーク入口にある「神戸税関万国波止場」の銘板、第二次大戦時には敵国ということで
「メリケン波止場」からこの銘板に付け替えられたそうだ
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昨夜と変わった顔を見せている旧居留地のビルを見歩く
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壁に残る、米軍の機銃掃射痕もアクセントに見える
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のんびりと38番館に歩いてきた
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ちょっといい感じのカフェがあった
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軽くお茶していく
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阪神電鉄で、ある目的のために梅田に向かう
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梅田到着
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中心地梅田は、今日も賑わっている
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HERBIS ENTに向かっていく
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むっちゃ気に入ったのがこのエスカエーターのギア!

音声が思いの外大きいので要注意!


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上を見ると吹き抜け風になっている
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非常にきれいに整ったアーケード
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吹き抜け通路も採光が良い
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これが地下鉄の駅のホーム、丸くきれいな天井が目を引く
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心斎橋駅のホーム
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心斎橋に到着
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地上に出た
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殺伐とした交差点を、足早に通過する
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道頓堀の「グリコ」は外せないだろう
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しばらくえびす橋から誰か飛び込まんかなと期待していたが、ダメやった
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しばし街中を散策する
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なんかめっちゃ元気な街で、特に飲食系のお店が多かった
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難波駅
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街路樹が邪魔で、上にもなければ駅を見落とす観光客もいそうだ(ここに)
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今回のターゲットに向かう
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単純に本場大阪のお好み焼きが食べたかったのだ!
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超定番のお店「ぼてじゅう」
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ここのスタイルは、焼きあがったお好み焼きを、客のテーブルの鉄板に持って来て、鉄板上で保温しながら食べる感じ
横浜では自分で生の状態から混ぜて焼くスタイルが多いのだが、色々だね~
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待つこと15分位
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流石に素人が焼くのと違い、ふんわり焼けて美味しかった
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次のお店に向かう
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お好み焼き「風月」
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食べ比べにやって来た
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さっそく店内に入る
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うマいネんアイやネん
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おとおしが来たので食べながら待つ
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お好みスタート
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店員さんの高速マゼマゼ
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おいしおす!
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美味しい物には店員さんの苦労がある、当たり前だと思いたくない
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結構な時間をかけて鉄板を磨く、力のいる作業だし熱いだろう、がんばれ!

おまけの大阪ことば
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またやってしまったyakumo
風月の写真を手違いで消失してしまった
「しかたがないな」って話を聞いていたsana
数日後、「行って来たよ」って写真が送られて来た
何も言わずにさりげなく自分のフォローをしてくれる存在
うれしかった、そしてありがとう
そんな人がいてくれるって、幸せな事だよね
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神戸 旧居留地夜散歩2

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旧居留地地区には、生花による吊り花鉢や
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花壇がそこここにある、造花と違って手入れも大変だろう
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商船三井ビルディングの裏側の通り
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38番館
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この写真を撮っている時に
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電気が消えた!
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あちこちの電気が消えて行く
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時刻は22時を過ぎた所だった、イルミネーションもここまでのようだ
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今日は終わりかなって一息付いていたら、不意に声をかけられた「いい写真撮れましたか?」って
「はい、夜の風景は好きなんです、昼とは違った街に見えるし、人がいない分綺麗に感じる」と答えた
なんだか話が盛り上がって、いろいろ30分ほど話し込んだ、仕事上の理由もあるが神戸に惹かれて移り住んだそうだ
創作、音楽、写真を問わず、神戸にはアーティストがたくさん集まって来る、そんな人たちを国内外を問わず支援をする仕事の社長をしている傍ら、自分も撮影が好きで街中だけでも数千回は撮影していると言っていた
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「自分は技術も何もないが、何かを感じた瞬間にシャッターを切っている、その一瞬は同じ場所で撮影しても、二度と来ない一瞬だから、季節、時間、天気などもあるが、自分のその時の気分(メンタル)が感じ方をガラッと変えてしまうから」って言ったら
「あなたは立派なアーティストの心を持っている」って言われた、社交辞令としてもちょっと嬉しかった。
実際のyakumoは立ち止まりもせず、感性だけでシャッター切ってるだけなんだが・・・
見も知らないどうしのちょっとした会合だったが、とても不思議で有意義な時間だった。
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再び歩き始めると、妙に建物が無機質に感じた
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人気や灯りの消えた建物はさみしそうだ
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アーケードからも、人影が消えていた
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南京町にも人がいない
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メタボなおっさんと
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クモ男が取り残されていた
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時刻は23時を回った、全ての店舗が営業を終えている
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中心の広場も静まり返っている
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ちょっと前にはこうだったのに
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人気のなくなった、南京町を出て行く
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今度来たら、ブラック豚マンでも食べてみよう
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神戸の夜景は街中でも綺麗だった、また来たいものだ

神戸 旧居留地夜散歩1

以前も歩いた旧居留地の夜であるが、神戸の夜風は気持ち良いので、またふらついて来た
写真というのは、同じ場所に行っても二度と同じ物は撮れないと思う
季節、時間、その時の自分の気分によって、かなり違いが出ると感じる
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夜の9時を過ぎると、人通りもほとんど無くなる旧居留地
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そんな中に夜の主役達が建ち並ぶ
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海岸ビル
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商船三井ビル(旧大阪商船神戸支店)
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ライトアップされたビルは、昼間とはまるで違う
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神港ビルヂング
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チャータードビル(旧チャータード銀行神戸支店)
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特徴的な3本の太い石柱がいい
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第二次世界大戦時の機銃掃射痕も浮かび上がっている
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海岸通9番
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角にある入り口には
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当時の回転扉が未だに残っていて、現在も店舗入り口となっている
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回転扉に残る文字に歴史を感じる
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古き良き物は残って欲しいものだ
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旧神戸居留地15番館
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1995年の阪神・淡路大震災において全壊してしまったが、元の建材を利用し復興したものである
復興の街神戸の代表的な建物と言えよう、現在はレストランとして営業中

神戸 メリケンパーク夜散歩

自分の街横浜は神戸に似ているので、こっちに来ても違和感が全然ない
街にほんのり香る、潮の香りも結構好きだ、って事でまたもや神戸に来てしまった
今回の主目的は夜景、と言っても基本は街歩きで、山に上がったりはしない
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神戸の駅前商店街は、アーケードが多くて結構助かるが、暑さが籠るのが難点やね
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南京の街も元気だった
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所々に旧居留地時代の建築物が見えるのが、大好きだ
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以前訪れた走水神社(はしうどじんじゃ)
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天神夏祭りをやっていた
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右端に御神体のあれがある
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日が暮れるのを待って、散歩に出かける
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まずはポートアイランドの方に行ってみる
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神戸ポートタワーにやって来た
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すぐ横にカワサキワールドが見える
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見る角度によって、色々変わって見えて面白い
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ポートタワーはあまり近寄らない方がいいかも......
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人のいない公園は結構好きだ
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MOZAIC周辺はまだ、賑わっているようだ(混んでるから行かんけど)
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少し入って行くと、船が展示してある
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超電動電磁推進装置とある
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ここから水を吹き出す勢いで船が進む
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ヤマトを正面方向から見る(波動砲は無いようだ)
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もう一隻あるようだ
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ミサイル見たいのが腹からぶら下がっている
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要するに水中翼船の一種だ、船体を浮き上がらせると抵抗が減って早くなる理屈
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ポートタワーとヤマトと疾風が並ぶ
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夜なのに、光で溢れる公園
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しばらく見ていると、観覧車の電飾も面白い
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変な形のモニュメント鐘楼「オルタンシアの鐘」 、妙に後ろのホテルとマッチしている
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実にカワサキワールドは、見る角度によって変わるから面白い
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見にくいが、夜空に縦の線がある
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見上げると、上空の雲までとどいている
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下は橋の辺りから延びているようだ
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昼間では楽しめないものだ、夜歩きって新たな発見があって楽しい
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神戸海援隊の碑、 この地に海軍操練所がつくられたことを記念して設置された
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人気の無い公園は静かで落ち着き、波の音も聞こえるようだ
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対岸のホテルの植え込みも、夜にはイルミネーションとなる
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パークの手すりにある支柱も、電飾が埋め込まれている
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港らしいカモメとヨットの電飾
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かの有名なコロンブスの帆船「サンタマリア」(復元)の望楼と錨
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メモリアルパーク
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かの震災の傷跡は、夜になると特に寂しげだ
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フィッシュダンスも内側からライトアップされていた
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でかいんだけど、以外に目立たないお魚であった
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闇の中に提灯が底だけ燈っていた
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フラッシュを焚いたら、メリケン地蔵尊だった、以前この辺りでは、船の上で生まれ育った「水上生活」の子供たちもたくさんいたため、そんな子供たちのためのお地蔵様として祀られたそうだ。
昔は「いかり地蔵」と呼ばれていたが、昭和62年、「メリケン地蔵」と改名された。
2体の地蔵様は背中合わせに祀られていて、港と町に向いている。
港と街を両方共に見守ってくれているのだろう。

京都 祇園祭(2016年) その8 阪急電車と阪神電車

祇園祭を堪能し、鱧をいただき満足をしたので、足を延ばし次の目的地へ移動するのだが
阪急及び梅田駅のホームに感動したので、記事にしてみたくなった
断わっておくが、鉄っちゃん的要素は全く持ち合わせてはいないのだが、気に入ってしまったのだ。
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駅のコインロッカーが目についた
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東寺と
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牛車のステッカーが貼ってある京都っぽくてええやん
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ホームに入ると、映り込むような磨き抜かれたボディが目に入る
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八坂神社から河原町駅に来た
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阪急京都線のボディに映り込むホームの様子で、いかにキレイかが伺える
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車内に入ると広告の少なさにびっくりする、関東の電車ならつり革から車窓に至るまで、ごちゃごちゃに掲示してある
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小腹が空いた所にそつなく包みを出してくれた
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麩餅食べてみたかったんだよね~
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腹を満たした所で桂川を通過
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京都の御山がうっすらと見えている
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京都の御山は見慣れても、見飽きない
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一番先まで行けるよと言うので、お邪魔させてもらった
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2~3枚撮って席に戻る
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線路より山を見てる方が好きなyakumoであった
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変わった駅名があった、市の名前がそのまま駅名になっている(茨木市、摂津市などもある)
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十三と書いてこう読む
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十三(じゅうそう)を超えた辺りで日差しが変わり、ブラインドを下ろそうとしたら
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音もなくスルスルと動いて、任意の所でピタッと止まる(窓のレールに溝が無いのが見えるだろうか!)のにびっくりした
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淀川を越える
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梅田の街が見えて来た
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梅田芸術劇場を超えると、梅田駅に到着する
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梅田駅に降り立って絶句した、ホームが光り輝いている
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しかも見ての様に一面コンクリートではなく、ブロック状タイルなのだ
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奥の方には何やら特別塗装の車両がいる(sanaの部屋で紹介した車両が見たかったな~)
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マルーンカラーに統一された光り輝く車両がいたく気に入った
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電車もホームもピカピカの梅田駅であった
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乗り換えの為エスカレーターに乗って、あれっと思った
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どのエスカレーターも右側に人がおる、伝説はほんまやった!
関東では通常は車と同じ感じで左側による、ちなみに京都では特に決まっておらず、前の人に倣う感じで
2Fでは右寄り、3Fでは左寄りなんて事がおこる、大阪からも人が来る、関東からも観光客が来る場所柄かも...
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主要駅である梅田は人でごった返していた
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異様に高い天井にちょっと感動
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まるで一つの街の様だった、一人だったら迷うなこりゃ
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阪神電車発見!DSC07731_R_20160817220910e3f.jpg
関西は私鉄大国やなってつくづく思う、賑わいがちゃう
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関西には関東地方の土地の語源になった地名がそこここにあって面白い、大宮とかもそうだし
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阪急電鉄のホームも掃除が行き届いていて、ガム一つなくキレイし
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シンボルであるカラフルな水玉が、そこら中に書いてある
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ツートンのカラーリングは色々あるのかな?
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御堂筋線の方に行くと、北大阪急行のしぶい車両が見える時がある(Kitakyuで検索してもろくに出なかったレア電車?)
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走り出すと外にもいっぱい停まってた
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ほんのり夕焼けがキレイし
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この煉瓦調の建物の右側に
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本物の煉瓦倉庫がある
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旧阪神尼崎発電所 [尼崎レンガ倉庫]
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阪神電車尼崎駅の東側に赤煉瓦の建築物がある、この建築物は阪神電車の電力供給用火力発電所として、明治37年(1904年)に竣工した、現在はその役目を終え、資材倉庫として使用されている。
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シブくカッコいい電車がおった
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たまたまかの有名な甲子園駅やった
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阪神もやはりシンプルで車内には広告掲示は関東の半分もなかった
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旗日には、ここにちゃんと旗が交差して飾られるそうだ
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次の目的地に到着、旅はまだ続く


最後におまけ記事を載せる

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TVのチャプター画面で荒いのだが、こんな感じで街中を山鉾は巡行する
鱧尽くしを食べた時に御亭主から、以前は四条通には路面電車が走っていて、山鉾巡行の時にだけ電車のケーブルが引っかかるので、ケーブルを外して移動していたと教えてもらった
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こんな状態で直進は出来るが、辻回しではケーブルをどけないと曲がれないのだろう
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然花抄院室町本店には、その頃の電車の敷石が保存転用されている

京都の老舗のお店は、関東人には気づかないレベルで、観光客の一見さん(いちげんさん)には冷たい
老舗のお店は地元のお馴染みさんだけで潤っていけるので、京都人だけでいいってのが本音である(全部ではないが)
京都弁のsanaと一緒だと、とても親切に対応してもらえるが、自分一人の時と対応が違う
そんな中でも気に入ってもらえると、とても良く対応して貰えるのだ、地元ならではの情報も手に入るかも知れない
関東人は全体的に客の方が上位に考えるが、京都では全くの逆で考えなければならない
物を買うなら分けて頂く、食事をするならお願いして味あわせて頂くぐらいの姿勢が必要になる
そんな土地柄に「金払ってんだから当然だろう」的な態度は絶対にタブーとされる
それでもこちらが失礼なく、キチンとした態度でいれば、それなりの対応はしてもらえる
観光の際には、ここは京都人の普段の生活の場であり、自分は来させてもらっているんだぐらいの気持ちが必要だ
土地の文化、風習に敬意を表した対応をすれば、ちゃんと答えてくれるだろう
あとは、地元京都弁の人と一緒に各所を巡れば、絶対に嫌な思いをしなくて済むので、京都人の知り合いを頼るのが一番確実である

京都 祇園祭(2016年) その7 祇園祭は鱧祭り

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祇園祭の会場が混んできたので、いつものように空いている方に移動する
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亀屋の名を持つ超老舗の和菓子屋さん「亀屋 末廣」
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非常にシンプルな店内
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関東のお土産屋の様に商品を大量に並べない、観光客はちょっと正直戸惑うぐらいだろう、京都のお店(特に老舗)は商売の考え方が関東とは違う、たとえ偉い政治家が来てもその対応は変わらない、「地元のお馴染み様優先であり、観光客やその他はついで」なのである
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家と車道の際にある石、「いけず石」と言って家の前の路駐や、壁への物損を避ける為の物だそうだ
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祇園祭の最中でも、辻が変わればこんなに道は空いている
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暑いので松之助で一服していく
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軽くつまんで水分補給をする、夏場の京都はマジで暑いで

昔の京都は交通の便が悪く、暑さ厳しい真夏に「鮮度のいい魚」を手に入れるのは至難の業だった。
道中で多くの魚たちが息絶える中、生命力の強い鱧だけが瀬戸内や明石から生きたまま京都に届ける事ができた。
ちょうど良い事に鱧は梅雨時期~梅雨が明け始める7月の祇園祭の頃が旬を迎えるのだ、鱧は夏の京都に欠かせない存在となり、祇園祭に鱧を食べる習慣が京都では根付いていった、これが鱧祭りと言われる由縁だ。
しかし、交通事情の良くなった今日でも、鱧料理は関東では一般化されていない傾向がある、何故かと言えば鱧には小骨が多いのだ、京都においては「骨切り」という技術が職人の中で普及したが、関東ではその技術が習得されなかったのだ。
ぶっちゃけた話、苦労しなくても他に魚がいくらでも手に入った関東の土地柄的な理由が大きいだろう
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って事で、鱧尽くしを食べて来た
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これが鱧、ちょうど良いのが55cm程度で、それ以上、以下でも味わいが落ちてしまうらしい
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特別に道具を見せてくれた、使っていく内にどんどん薄くなっていってしまうそうだ
御亭主は関東人の自分にも親切に説明してくれて、いろんな事を教えてくれた、どこに行くと景色がいいよとか、鱧の料理方法なども素人に分る様に教えてくれ、大変気持ちの良い時間を過ごさせて頂いた
お店を出てからも、ずっと見送ってくれていて、最初の辻で予定外に曲がる事にした、でないと見えなくなるまで見送ってくれていただろうから、本当に心のこもった対応をして頂き、また一つ京都が好きになった。
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川沿いに長屋のようなお店が並んでいる
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真夏に氷の一文字は、すごく魅力的に見える
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漆器や切子の展示物が並ぶ
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ロージ、竹の質感が良い
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天井の提灯がまた良い
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ちょっとした隠れ家の様な店だった
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こんな店見て歩くのも楽しい
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天気も良く、川のせせらぎが涼しげな道
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少し枝道にそれてみるのも楽しいだろう
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この通りは、良い撮影ポイントになっている様だった
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夏の川の流れる音は、すごく清清しい
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火除け地蔵が袂にあった、京の密集した街を守ってくれているのだろう
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河原の和風建築は、涼しそうだ
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ふと見ると二階の窓に白鷺が、自分の姿に見とれているかのように
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振り返るとあちこちで貸衣装で撮影をしている人がいる
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街並みが低く、遠くに御山が見える風景が好きだ、なんか落ち着く
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こうゆう時期にだけ見れる幔幕を眺め歩くのも面白い
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祇園祭に貢献した店先などで、良く見かける貢献の証
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幔幕一つでもお祭りの雰囲気を味わう事が出来る
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お祭りの主役は山鉾かもしれないが、目線を変えるといたる所に目を楽しませる物はある
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お店の中も例外ではない、特別展示や祭事コーナーが特設される
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船鉾
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飾るちまきではなく、食べる方のちまき
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食欲をそそる物がいっぱい並んでいる
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趣向を凝らしたパッケージからも祭らしさを見て取れる

祇園祭はほんまに街中で一つになってやっているお祭りだなと感じた
あまりお祭りにはなじみが無かった自分は、京都人の一体感に圧倒されることもしばしばあった
京都という特別な空間が、熱く、一体となる一ヶ月
その期間の僅かでも触れる事が出来て、良かったと思う
昼の顔、夜の顔、街の中の楽しい顔が見られて良かった
街の中にある異空間、そんな印象のあった山鉾建ち並ぶストリート
盛り上がる商店や、観光客で賑わう神社などもその一角
7月31日が終われば、普通の暮らしに戻ってしまう特別な時間
1000年以上続いている特別な時間に触れる事が出来て、本当に良かった
また来たい、来年も


sanaの部屋はお休み中ですが、目次作成や過去記事の整理手直しなどを行っております
また、sanaの部屋目次において

Instagram インスタグラム 「 sana の部屋 」

を始めました、これからお気に入りの写真など、増えて行きますのでお楽しみに!

京都 祇園祭(2016年) その6 (誉田屋さんと八坂さん)

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一見、誉(ほまれ)と読んでしまったら、sanaに「ちゃうちゃう、こんや!」って怒られた
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帯問屋 誉田屋源兵衛さんのお店
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sanaの部屋でも紹介した、『 鯉の滝登り 』という幟、 鯉が278匹描かれているという
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この中に、幸せの金色の鯉が8匹いるらしい、2008年から一匹ずつ毎年増やしているそうだ
目立つ山鉾以外でも、個人で祇園祭を楽しんで貰おうとしてくれている人もいるのだ、京都人の心意気だろう
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軒先で出店しているお茶を飲みながら、「鯉の滝登り」 を眺めるのもいいだろう(まだ開店前だった)
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以前のsanaの部屋で平素の店頭が紹介されているので、違いを見比べるとまた一興である
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近くにある伊右衛門サロン
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朝がゆなどもやっているので、寄ってみるのもいい
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烏丸通に出ると、懐かしい建物が見えた
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後の建物が無くなった手前だけの新風館
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特徴的なこの部分は残して貰えそうだ
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工事中の柵の中は、どうなっているのだろう?以前の写真はここでチェック
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知恩院の前を通過
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よしもとも賑わっている
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八坂神社(地元は、やさかさんと親しみを込めて呼ぶ)に到着、祇園祭の幟が良い
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今日はここに大事な用事がある
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早朝から賑わいを見せている境内
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普段より屋台も増えている
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御朱印所に向かう
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まずは、祇園社の御朱印をもらう
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もう一つ大事な用事はこれ、お守り
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一年間お世話になったお守り、お札、ちまき等を納めに行く(納札所とは、お役目を果たした御札や御守を返納する所)
ちなみに違う神社で買った物も受け付けてくれるが、神社の物は神社へ、お寺で買った物はお寺へ返納しよう
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新しいお守りを手に入れたので、去年のお守りを返納する
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一年のお礼を述べ瞑目
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一礼して辞する
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今年もsanaが自分の為に用意してくれたお守り、数量限定でかなり手に入れるのが難しいレア物である
この左側の黒いのは、山鉾巡行辻回しの時に地面に敷く竹を焼いた炭で出来ている、ゆえに数量が限定される
青いお守りの中にも、粉末状の竹の炭が入っている縁起物だ
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長刀鉾のちまきも手造りゆえの数量限定で、地元でも入手困難なのだが、、、sanaありがとう
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人が増えて来たので、退散する


過去から現在、そして未来へと受け継がれて行く京都の時間という重さ
その現在において、ひと時でも参加できた事を感謝する
現在の時間を生きる京都の人は過去の人達に感謝している、しかし
未来の人に現在の自分達を感謝して欲しいとは思ってはいないだろう
ただ、自分たちは過去の時間を引き継ぐだけ
より良くする為の努力は怠らないが、劇的な変化も求めない
幕末にほぼ全てのお城を破壊してしまうような、劇的な変化は求めない
1000年という時間の中で培われた、ゆっくりとした、それでいて力強いもの
祇園祭で一体となる京都人の心意気、感謝と共に引き継いで行って欲しい
自分一代では無理な事でも、150年かけて復活を成し得た大船鉾もいる
≪自分で終わりではない、完結しなくても良い、我一代で成し遂げられずとも良いのだ≫
その考え方に感心させられた東男であった
自分は引き継ぐ者、その先の未来を信じて今を生きて行く
そんな京都が大好きです

風船爆弾放流大津基地、平潟「震洋」訓練基地

風船爆弾放流大津基地は、茨城県北茨城市大津町の6号線そば県道354沿いにある
風船爆弾とは戦後に付けられた呼び名で、本来は気球爆弾と呼ばれていた
これは極秘の「ふ」号作戦といわれ 放流地はほかに福島県勿来関麓と千葉県一の宮海岸の合わせて3ヶ所あったが 大本営直属の部隊本部はこの地にあり 作戦の中心であった

風船爆弾については、ググってもらえば出て来るのであえてここでは書かない
ここには直径16メートルに及ぶコンクリート製放球台が18基あったが、現在は1つだけが残っている
また、水素ガス製造の為のケイ素鉄粉砕工場の基礎も近くの小道奥に現存しているようだ
「風船爆弾放流地跡 わすれじ 平和の碑」は、海岸沿いにあるので簡単に見つかるだろう
放球台は道路からは視認不可能と言えるし、ケイ素鉄粉砕工場も冬季でなければ
藪で視認困難だし、私有地のようだ。
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横浜から茨城への出張3ヶ月目(いつ帰れるんだろう)なので、県内の戦跡を訪ねてみた
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画像補正されているが、めっちゃ霧が深い高速移動だった
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国道6号線から県道354に向かって走る
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この辺だろうとのんびり走っていたら、案内板も何もなく山際に隠れる様な鎮魂碑を見つけた
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明治節にちなんで1944年11月3日に最初の放球が行われるはずだったが、誤爆事故が起こり3人の兵士の犠牲者が出た、放球は7日に延期されている、この事故で亡くなった兵士をまつっている碑である
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説明は何も無い
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念の為、吉辰とは、良い日、めでたい日、吉日の事
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海岸沿いに出てみると
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「風船爆弾放流地跡 わすれじ 平和の碑」がある
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新しい誓い
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残念ながら日の加減と汚れで、読みずらかった
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ここには結構な案内板が出ていた
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風船爆弾略図
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わすれじ平和の碑から延びる6号線への道の途中にケイ素粉砕工場がある
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風船爆弾放球所への道を歩いて行く
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スズメバチの巣の一部が落ちている、去年刺された記憶が蘇る
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整備されてるとは言いがたい道を歩いて行くと、開けた所に出た
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直径16mのコンクリート製放球台が現れた
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これは窒素ガスのタンクを置いていたと言われる窪み
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この窪みは2ヵ所ある、これは4時の方向
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8時方向にも同じ2mほどの穴が開いている
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片側にでも復元模型を着けてほしいものだ、どんな形か気になる
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放球台全景と言いたいが入りきらない、以前は土に隠れていたのを近年掘り出したようだ
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6号線に向かう軽トラ道を歩く、普通車では腹が当たって通れない
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ケイ素粉砕工場を探すもこの辺だろうでは、見つからない藪の状態であった

風船爆弾関連記事

勝田駐屯地・施設学校開設63周年記念行事 その5 (防衛館)

埼玉県平和資料館(埼玉ピースミュージアム)

直接の記事ではないが、登戸研究所(陸軍第九技術研究所)で風船爆弾は考えられた





茨城県北茨城市、平潟港内にある岩山に震洋の壕が残っている。
昭和20年(1945年)6月10日、第138震洋隊開設。
海軍第138、141の2部隊が、小名浜(福島県いわき市)に震洋の部隊基地を、平潟に錬成(訓練)基地を配置した(終戦直前に141部隊は平潟に部隊基地を移動)。
ここ平潟港はその練成(訓練)基地であり、拠点基地ではない。
隊員は土浦予科練第14期修了者48名。
「震洋」は全長6.5メートルのベニヤ製2人乗りのボートで、艇首に250キロ爆弾を装備し、敵艦に体当たりするもの。
しかし、この部隊は結局出撃せずに終戦を迎え、昭和20年9月20日に解隊された。
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雄翔館(予科練記念館)に模型が展示してある
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1型~5型があるが、試作を入れればもっと種類がある(陸軍も別タイプあり)
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震洋のスクリュー
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トンネルを抜け、平潟魚港に向かう
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あんこうのモニュメント
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一見のどかな漁港である
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特徴的な岩山に向かう
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途中小さなコンクリート製の壕を見たが物置程度だ
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かの震災は、こんな所にも影響を及ぼしていた
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壕自体はネットで保護され、外からしか見れない
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幾つかあるようだが、貫通している物もある
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秘匿性の問題はあるが、訓練基地だからと言う事だろうか、丸見えである
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対岸の方にもそれらしい穴が見えるようだが、見に行ってないIMG_1482_R.jpg
岩山の所々に壕は散見する
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こんな状態なので、近寄っていない
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こんな穏やかな海で、訓練が行われていた
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終戦の翌日、自暴自棄になった一人の隊員が艇に乗り転覆事故を起こしたそうだ、これが唯一の喪失だった
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こんな事がもう起きないようにと祈りつつ、撤収する

京都 祇園祭(2016年) その5(山伏山)(函谷鉾)

この名は山に飾る御神体(人形)が山伏の姿をしているのでこう呼ばれる。昔八坂の法観寺の塔が傾いたとき法力によってそれをなおしたという浄蔵貴所の大峯入りの姿をあらわしている。
左手に刺高数珠、右手には斧を持ち腰には法螺貝をつけている。欄縁金具は飛鶴、水引は機織図を描く綴錦、前懸は雲龍文様の刺繍、胴懸は花卉胡蝶文様の綴錦を用いている。見送は龍波濤文様の綴錦で、平成11年に復元された。
巡行の数日前より聖護院の山伏たちの巡拝があり、また八坂神社からの清祓も行われ、神前に供える三宝も仏式の黒塗のものが用いられている。明治初年の神仏分離以前の姿をこの山にみることができる。
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室町通を少し上がると山伏山が見えて来る、9時近くになるとこの人通りになる
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ホテルの一角が山伏山の授与所に協力している
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帆掛け船に見えるが、山である
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この山の重さは600kg、月鉾の重さ12tがいかに重いか想像してほしい
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見やすいようにか、提灯をちょっとずらしてある
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まだ装飾品の類いが準備されておらず、ちょっと残念だった
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保存会の人達の作業は、これから始まるようだ
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本当にこの時期は、道路一本封鎖してしまうのだ
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街中の理解と協力があっての祇園祭だなと、感心する東男であった
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ふと、二階を見上げると、山に飾る御神体(人形)の山伏の姿が見れた
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日本の祭りの夜の主役は提灯ではないだろうか?



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四条通に出ると、大型の鉾が並んでいる
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函谷鉾(かんこほこ)、ほかに(かんこくほこ)(かんこくぼこ)とも言われる
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大型の鉾で、月鉾と同じく12tの車重があるそうだ
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パッと見の形状も、月鉾に良く似ている
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見上げると、なかなかカッコいい
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御神燈の向きがバラバラなのが残念
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樽酒72リットルで10万は下らないだろう
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あすの函谷鉾をつくる会、会場(準備中)
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鉾の名は中国戦国時代(前403~221)斉の孟嘗君が鶏の声によって函谷関を脱出できたという故事にちなんで付けられている。鉾頭の月と山型とは山中の闇をあらわし、真木のなかほどの「天王座」には孟嘗君、その下に雌雄の鶏をそえている。屋根裏の金地著彩鶏鴉図は今尾景年(1845~1924)の筆、前懸は、旧約聖書創世紀の場面を描いた16世紀末の毛綴で重要文化財を平成18年復元新調している。
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全て月桂冠の提灯、並みのスポンサーではない
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逆光の鉾も榊が太陽に透けて、鳥の様だ
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水引は山鹿清華作の手織群鶏図、胴懸は梅に虎を織り出した17世紀李氏朝鮮絨毯、花文様インド絨毯、玉取獅子図中国絨毯の三枚である。見送は古く弘法大師筆と伝える紺地金泥の金剛界礼懺文と天保年間(1830~43)にこれを模織した立派なものがあるが最近に皆川泰蔵作「エジプト天空図」を新調した。
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巡行前の山鉾もいいのだが、本当は組み上げている途中の方が見てみたい対象なのだ
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この巨大な鉾達は、釘の一本も使われていない、全て組み合わせと荒縄を使った「なわがらみ」の技法で建てられる
きらびやかな部分も良いが、そこに至るまでの苦労や技法にも着目してみたいのだ
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鉾頭の月と山型とは山中の闇をあらわし、真木のなかほどの「天王座」には孟嘗君、その下に雌雄の鶏をそえている
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奇跡的に人の途切れた瞬間、0900以降こんな瞬間はまず来ない!
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ちょっと手ぬぐいに惹かれる物があるが、まだ販売はしていなかった
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闇に入るちょっと手前の時間がいい
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昼が終わり、闇に包まれるまでのほんの少しの時間
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何かが終わり、何かが始まる時間
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そんな狭間の時間に自分が置かれているんだなと思うと、ふと思う事がある
京の街の流れて来た時間、過去が終わり現在に自分がいて、明日という時間に伝えられて行く
なんとなく似ているなって思った、自分がいるのはただの中間点(通過点)に過ぎない
過ぎて来た1000年の歴史の中間点、これから始まる次の1000年の為の通過点

京の街は1000年の歴史をただ継承するだけではなく、現在に居る自分達が次に繋げるために
新しい努力、創意工夫を怠らない、新しい分野にも挑戦し、伝統文化を更に進化させていく
例えばデニムのジーンズを京の染め物の技術で染める
ルイスヴィトンのスカーフの染めや、 ヨウジヤマモトのオートクチュールに染めで参加するなど
新しい挑戦をし成果を出す、そんな努力が世界に認められています

ただ伝統や技術を伝えるのではなく、日々いろんな分野で新しい技術を取り入れ進化する
されど伝えられた歴史と心は忘れない、そんな街なんだと思えるようになって来た
そんな目線を持てるようになってきた自分が最近少し好きになって来た
自分が好きになる瞬間ってあまりないと思う、そう感じただけで良かったと思う
1000年という"時間の重さに力がある"、それを肌で感じることが出来たと思う
ほんの少しでも・・・

京都 祇園祭(2016年) その4(霰天神山)(放下鉾)

霰天神山は錦小路通室町西入にあるので「錦天神山」または「火除天神山」ともいわれる。
永正年間(1504~1520)京都に大火のあったとき、時ならぬ霰が降り猛火はたちまちに消えたが、そのとき一寸二分(約3.6センチ)の天神像が屋根に降ってきたのでこれを祀ったのがこの山の起こりであるという。
霊験あらたかで、多くの山鉾が焼けた天明や元治の大火の時もこの山だけは残り、町の誇りになっている。
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山の上には欄縁にそって朱塗り極彩色の廻廊をめぐらし、中央に唐破風(からはふ)春日造の檜皮葺きの神殿を安置する。
巡行時、塀内には12本の若松と紅梅が立っている。
前懸は16世紀にベルギーで製作された「イーリアス」物語を描いた毛綴を用いているが(平成21年復元新調)、中国刺繍の太湖岩鳳凰図もある。
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左右の胴懸は上村松篁(昭和60年新調)、上村淳之(平成14年新調)親子の原画花鳥綴織で、後懸は「紅地雲龍宝尽図」(平成21年新調)が用いられている。
山の縁起にちなみ宵山には「火防せ、雷除け」の御守が授与される。
宵山に子供たちが「雷(らい)よけ火よけのお守は、これより出ます…」と歌いながらお守授与の受け付けをするそうだ。
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錦小道通に山が立っている
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霰天神山のフォントがカッコいい駒形提灯
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目を引く煉瓦調の建物があった
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膳處漢ぽっちりの入り口、まだ開店前
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しみだれ豚まん、ちょっと食べてみたいけど、1っ個500円
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鉾と違い、ちょっと小ぶりである
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ちょっとビニール失敬
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舟形の柵に囲まれているので、全体が分りにくい
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山としては標準サイズなんだろう
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本体が良く見えないが、駒形提灯だけでもカッコいい
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通りをちょっと見てみると
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お祭りなど特別な時にだけ、玄関の外に飾る玄関幕
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夜はこの様に玄関幕や提灯は内にしまいます
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翌朝この様に新たに外に出します
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錦小路通から新町通に出ると、「放下鉾」が見えてきた
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道一杯に広がった鉾、人が隙間を往来している(TVで山鉾巡行だけ見てる人には想像も出来ないシーンだろう)
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ミ○キーを逆さにしたような提灯のマーク(日・月・星三光だろうか)
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天空を突き刺す銛の様な鉾頭
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前懸・胴懸には花文様のインドやペルシャの絨毯がある。見送は文政11年(1828)京都西陣で作られたものである
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販売グッズ
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鉾の名は真木のなかほどの「天王座」に放下僧の像を祀るのに由来する、かつては長刀鉾と同様「生稚児」であったが昭和4年以降稚児人形にかえられている。稚児人形は久邇宮多嘉王殿下より三光丸と命名せられ巡行の折には稚児と同様、鉾の上で稚児舞ができるように作られている。この鉾は明治の中期に胴組、天井、柱、屋根などが大改装され、金具類も順次整備された。
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鉾頭は日・月・星三光が下界を照らす形を示し、その型が洲浜に似ているので別名「すはま鉾」とも呼ばれる。
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「放下鉾」はくじ取らずと言われる山鉾の一基である、これは「長刀鉾」が有名であるが、実は9基もあるのだ、前祭では長刀鉾、函谷鉾、放下鉾、岩戸山、船鉾、後祭では北観音山、橋弁慶山、南観音山、大船鉾の計9基である
かつて祇園祭の巡行は、長刀鉾(なぎなたほこ)は別格として先陣争いが絶えなかった為、応仁の乱後に巡行が復活された1500年(明応9年)以降、巡行順をくじで決める事とされたそうだ。
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何気ない、こうゆうの見るの好き
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夕日に灯りだす提灯がまたいい

祇園祭は目立つ山鉾巡行だけではない、むしろ巡行はほんの一部でしかない
何らかの神事、行事は何かしらほぼ毎日行われている、7月の1ヶ月のすべてが祇園祭である
その中でやはり、目を引くのが鉾立てからの山鉾が展示される期間だろう
街の中がまるで違った世界の様に感じる時間が始まる
その僅かな期間を見て、感じて、楽しもう
巡行が終われば、山鉾達は集めた疫病災厄と共にその日の内に分解され、蔵に収められる
山鉾とは戦う男の乗り物だ、来年また戦う日まで眠りにつくのだ
京の町はそうやって、千年以上守られてきたのだ

そしてこれからも京の町衆によって、受け継がれ守られて行くだろう

京都 祇園祭(2016年) その3(菊水鉾)

町内の金剛能楽堂内に古くからあった『菊水井』にちなんで名付けられ、鉾頭には金色の菊花を付けている。

 稚児人形は菊水の井戸にちなみ、菊の葉から滴り落ちる露を飲んで長寿を保ったという謡曲『枕慈童』(観世流や梅若流では『菊慈童』と称し、百年後の後日物語ともいうべき『枕慈童』がある)の能装束の舞姿である。

7/13~16の間、菊水鉾の町会所ではお茶会を開催、表千家、裏千家、遠州流が日替わりで席を担当。
亀廣永の「したたり」が味わえ、菊模様の菓子皿は記念品として持ち帰り可(毎年微妙に色合いが変わるらしい)。
「したたり」とは、菊の葉から滴り落ちる露を飲んで長寿を保ったというの、くだりから名づけられた甘露
腰の強い丹波の寒天、沖縄産の黒砂糖、阿波産の最高級和三盆、上質のざらめ、一番重要なのが京都の地下水である
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 鉾の特徴である唐破風屋根は、綾傘鉾が江戸末に小型の鉾になった時、三十年間用いただけで他に例はない。この屋根形は平安時代に日本で生まれたが、異国風なので唐破風の名が付いた。

元治元年(1864)の兵火で焼失したが昭和27年、88年ぶりに松本元治氏の熱意が実り再興され、28年6月完工祭が行われた。
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室町通に入ると道一杯に巨大な菊水鉾が見える
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菊水鉾はパッと見に月鉾と良く似ている
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室町時代の末、町内に茶祖、千利休の師、武野紹おうの大黒庵があり、邸内にあった菊水井から名が付いている
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電柱より高い真木(しんぎ)の雄姿
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拡大してみた、鉾頭の金色の透かし彫の十六辨菊華(れんきくか)
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真木のなかほどの「天王座」には彭祖(ほうそ)像を飾っている
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龍の飾りに縁どられた篆書(てんしょ)体「菊水」の文字が青ぬきに金で鮮やかに浮かんでいる。
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ビニールで保護されているが、比較的によく見れた
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菊水鉾の車輪に良い話がある、近年復活を遂げた「大船鉾」であるが、再建費用に窮している所に、菊水鉾の使用していた車輪を譲り渡して再建に寄与したそうだ、現在の「大船鉾」の車輪には菊水鉾の文字が入っている
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自他共存の姿勢を持ち、助け合うのも京都町衆の心意気だろう(ちなみに車輪だけで2、000万するらしい)
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汚れ一つない提灯って綺麗やし
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ちまきを購入すると、拝観券が貰えて鉾の上に登れる
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これが菊水鉾の粽(各山鉾毎に粽がそれぞれある)
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ビルの2階から鉾の上に仮設橋を渡って行く
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sanaが撮ってくれた証拠写真
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ここでトラブル発生!!!
一眼のダイヤルがずれたのか?
肝心なこの後の写真が数十枚消失してしまっていた!
せっかくのsanaの心遣いを無にするyakumo、そんな自分を全く責めないでくれる優しいsana

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夕闇に提灯が灯りだす
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夜の主役は提灯なのかも知れない
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とても幻想的で美しい、昼の顔、夜の顔、違った世界を垣間見る



京都の夜は暮れて行くが、街の人達の熱気は冷める事がない
鉾たての後は24時間ずっと何かしらの動きが続いている
保存会の活動は交代で、切れることなく続けられる
毎年行われるこの行事は、この町衆の努力によって受け継がれる
我々観光客はその一端を見せてもらっているが、その裏側は何も知らない
少しでも興味を持って調べてみると、歴史や苦労が垣間見れて、違う目で見れる様になる
1200年受け継がれた時間の重さと共に、現在の町衆による受け継ぐ為の努力も行われている
更に進化もして行っている、調度品の更新、手直しなど毎回少しずつ目立たない努力がある
そんな努力に感謝しつつ、祇園祭の夜を楽しもう
未来に繋がるこの夜を、共に楽しもう

いつも一緒にいてくれてありがとう、今日という日に感謝します
今日までの日々、これからの毎日に感謝します
そんな風に考えられる様になった自分に戸惑いながらもなじんできた
自分を変えてくれる出会いが、人には何回あるだろう
自分はこの一回だけで十分だと感謝している