愛する恐ろしい京都 (地理編)

関西圏と関東圏では、当然の事ながら言葉(関西弁、関東弁)も違う、風習も違う
東男yakumoが、京都において困った事、感じた事、感心した事などを、横浜人目線で書いてみる
始めに断って置くが、京都を卑下する、下に見るなどと戯けた意味合いではない、ただ感じた違いを
京女sanaの監修の元に、ちょっと綴ってみたくなったのだ。
なお、京都市全体では無く、概ね洛中(京都中心地)の限られた地域においての比較である
なんせ洛中以外の外へ、あまり出た事が無いので、紹介しようも無いのである・・・(中途半端ですいません)


方向感覚の違い


まずは地理的な事になるが、京都は四角い碁盤目の中に街がある(ほぼ坂道すらない)
対して横浜は山間の狭い隙間にびっしりと建物が並ぶ関係で、100メートル直線があったら珍しい
(この直線とは坂道やゆるいカーブは除外、あくまで100メートル先まで見通せると言う定義です)
3Dダンジョンを想像して貰いたい、yakumoにとって京都の街は、リアル3Dダンジョンだった

完全な碁盤目ではなく、不規則な大きさのブロックに泣かされた、角を2回曲がると位置を見失う
横浜だと目印の高層ビル(ランドマーク等)などで、位置確認出切るが、京都市は条例で高層建築物が無い
京都駅付近だったらロウソク(京都タワー)が目印になるが、そこから上がって(北上して)しまうと何も無い
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京都タワーより高い建築物は多分無い
京女のsanaは、ダンジョンの如くの街中を「なんでこんな簡単な道が解らんのや?」ってスタスタ行ってしまう
撮影中にはぐれる事度々・・・
どうやらsanaは頭の中で現在地のマッピングが出来ていて、迷う事が無いらしい
逆に神戸や横浜の港町に行くと、道が曲がっていて解らなくなると言っていた
生活環境において、地理感覚が違うようだ


東西南北の違い


横浜では普通に東西南北で方向をあまり表さない、横浜を起点にしたら国道何号線を川崎方面に~とか
横須賀方面に~って感じで説明する、後は〇〇交差点を右折って感じに補足する
これは道が曲がりくねっている為、東西南北に真っ直ぐ進めないからだ
しかし京都の城の内(中心地)は違う、1200年前の平安京の時代から碁盤の目状に道路が出来ているのだ

京都では関東の常識ではかなり困る住所の書き方をしてある、ここに東西南北の違いがある
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注目は【下る(さがる)】の部分、南って意味だ、番地が無いのが普通だ(ある所もある)
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【上がる(あがる)】だとこんな感じ、多分最新型の表示板だろう
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【室町通二条下る】の部分は、「縦の通り[室町通]」+「横の通り[二条(通)]」+「方角[下る]」という構成になっている。
大体は、「当該建物と直接面している通り」か「縦の通り」を先に記し、その後に「縦の通りと交差し、当該建物に近い方の横の通り」を記すというのが基本的な法則となっているようだ。
そしてその下に、縦の通りと横の通りが交差している地点から見て、当該建物が北側にあれば「上る(あがる)」、南側にあれば「下る(さがる)」、東側なら「東入る(ひがしいる)」、西側なら「西入る(にしいる)」と続くわけである
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これはレアな町の境界にある表示板、上がる(あがる)下がる(さがる)の表示が面白い
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東入ル(ひがしいる)
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西入ル(にしいる)いろんなプレートがあって面白い
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下る(さがる)、昭和風のブリキの仁丹看板が、マニアに喜ばれそうだ
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割りとレアな表記板を見かけた、仏光寺通を烏丸通りから東に入って路地を南下するって意味だ
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烏丸通りに面していて一条通りに北上して路地を西に入った所って意味だ、位置関係によって太い道、近い道の優先順位が変わって来る、これを一目で見分けられたら京都に住めるで

横浜では何町何番何号まで電柱などにも表記してある、京都ではこの住所に宛名を書けば郵便物は届くらしい
京都では非常に住民の移動が少なく、長く定住している人が殆んどで結果的に新しい人も、新たに入居する隙が無いから入って来れない
そんな状況だから成立する、京都においてのみ流通している住所表記の特徴である

ここで関東の東西南北との違いを書いて見ると
北=上る(あがる)・・・のぼるではない(例、上り線)
南=下る(さがる)・・・くだると読んだら「さがるや!」てsanaに怒られた
東=東入る(ひがしいる)
西=西入る(にしいる)・・・るを書かない場合もあり、また、カタカナ(ル)での表記も多い

京都は碁盤の目になっているので、こんな言い方がされている、御所(天皇)に向かって南北の通りを北に向かう「上る(あがる)」、御所から南北の通りを南に遠ざかる事を「下る(さがる)」といった所からきています。
「東入る(ひがしいる)」は東へ行く、「西入る(にしいる)」は西に行くそのまんまの意味
これは全て御所を中心に考えられた意味であるが、最近では御所と関係なく、市内では北=「上る」、南=「下る」といった意味で使われているようだ。
また、当時と違い現在は御所より北まで街が広がっていて御所より北側にある街でも、北へ行く事を「上る」、南は「下る」と言う。

上がる下がるについては諸説あり、一つの有力説は地理的事情によるものだ、「北に山、南に湖沼」といった風水に基づく立地条件を満たす場所として、平安京造営に選ばれたと言われている京都盆地であるが、愛宕山、岩倉山など北部に山が連なり、南には当時巨椋池があった(埋められた)この土地は、南側が低地で北に向かって緩やかな傾斜で高くなっている、この高低差から北側は上る、南側は下ると表現されたという。
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街中の掲示板にも、住所が表記されている、町名が少しわかりやすい(町内掲示板やし)

余談ではあるが、カーナビの場合は「上がる、下がる、西入る、東入る」では、ほとんど認識されない
観光客向けのレンタカーには予め観光候補地がカーナビに登録されているから迷う事はないだろう
安心して京都に来て欲しい


京都は主要な通りに全て名前がある


横浜では国道、県道、市道以外は殆んど名前が周知される事は無い、しかし京都は違う
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こんな風に、覚えやすくする為の歌もある (sanaの部屋で以前紹介した歌
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正に碁盤の目のような・・・
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このパネルは観光客向けに横になっているので、本来の地理的には御所が上、京都駅が下な感じになる
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これを普通に全部覚えているらしい、ちなみにこれは縦方向の通りのみ、当然横方向の名前も存在する


以外に慣れると解りやすい交差点名


横浜だと〇〇町交差点とか、駅などの公共物名を使った交差点名が多く見られる
京都では上記で説明した縦の通り(南北)の名前と、横の通り(東西)の名前を合わせた名前となっている
表記法方は縦(南北)の道が先に来る方が多いが、四条通だけはメインストーリートのせいか、横(東西)の道の四条が前に表記される
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堀川通りが"縦(南北)"で、御池通りが"横(東西)"の通りである、交差点名は「堀川御池」交差点となる
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七本松通りが"縦(南北)"方向、御池通りが"横(東西)"方向で「七本松御池」交差点となる、こんな感じになるのは碁盤の目ならではだろう
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もう一つ例を挙げると烏丸通りが"縦(南北)"方向、丸太町通りが"横(東西)"方向、
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この場合は「烏丸丸太町」交差点となる
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例外的な交差点、「四条烏丸」交差点
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本当にこの四条だけが先に来る
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ちなみに交差点そばのバス停も同じ様な書き方になる、ちゃんと四条烏丸の場合は四条が先に書いてある
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確認の為に四条烏丸バス停も新たに撮ってきた

ある程度通りの名前を覚えて来ると、結構有効なポイント表示だと思えてくるのだが
最初の内は縦の道と横の道が解らないので、交差点名を見てもかなり難しかったと言うか、解らないのが現実だった

しかしすべてがそうなのではなく、四条通と東大路通の交差点は「祇園」、西大路通と丸太町通の交差点は「円町」、今出川通と東大路通の交差点は「百万遍」と呼称している、これは都市計画による新たな街路が敷設された場合に、交差点名として伝統的な地名を採用したものが多いのだそうだ


右京区、左京区が逆配置?


京都市の地図を見てみると、左京区が右側、右京区が左側という逆の位置関係になっている。
中国の古典に「天子、南面す」という言葉がある、君主は北を背に南に向かって君臨し、政務を司るしきたりがあったのだ。
長安など古代中国の王城都市はこれに従い、都の北部中央に王が鎮座する宮城が位置し、そこから南に向かって区画が広がる造りとなっていた。

中国の都に倣って築かれた平安京ももちろん同様であり、北端中央の宮城から南に向かって都を見渡した天皇の視点を基準に、中央の朱雀大路より左手は左京、右手は右京と呼ばれるようになった。
なお、現在は朱雀大路は完全に失われて都市整備されている、僅かに地名や学校名等に痕跡が見られるだけである
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (中央の道が朱雀大路)

歴史雑談録様の記事内に平安京と現代地図との見やすい比較図があるので、参考にさせて頂きます

歴史マニアともなればですね、例えば、京都での待ち合わせなんかは、以下のような感じの日常会話になることでしょう。

「明日の合コン、大内裏は南、美福門で待ち合わせな。」
「二条城の中やんけ、アホか。店、押小路沿いやろ? 皇嘉門あたりがええて。」
「刑部省らへん? うち、二条四坊やから近いわぁ」

という風に、「京都は平安京におます」という前提で見るのが、歴士・歴女の雅なマナーでございますねぇ。
(以上、歴史雑談録様の記事内より)


上図を見ると、一般の観光客が喜んで「京都らしい」と思っている清水寺、祇園、知恩院、南禅寺、平安神宮、銀閣寺方面は
京都の外側に位置している
古来から京都に住んでいる人からすると「そこは京都ではない」と認識されている場所である
次の機会に説明するが、京都では平安京の枠内(城の内)が、本来の京都であると認識されている所があるのだ
古来より、一般の観光客が喜んで「京都らしい」と思っているその地域は、刑場や死体捨て場、風俗関連の地域であり、あまり好ましい場所では無かったようだ
以前にも紹介した「蹴上」などは、南禅寺、インクラインなどの観光のメッカとなっているが、元々の由来は
泣き叫ぶ罪人を、蹴り上げながら刑場に歩かせる道から来ているのだ。おーこわっ。


膨大な数の町名がある京都


横浜では普通、例として横浜市中区桜木町〇丁目の次に〇番地〇号と続くのだが、京都には〇丁目に当たる物が無い
桜木町は1~7丁目から成り、1~3丁目は中区、4~7丁目は西区に属するややこしい所だが7つに町が分かれている
京都の場合はこの7つに個別の名前(町名)が付いている、だから町名が膨大な数になってしまっているのだ

また、同一の町名が同一区内のあちこちにあるので困ってしまう
たとえば中京区内に「亀屋町」は5ヶ所あり、さらには下京区にも2ヶ所、上京区にも4ヶ所ある。
このような同一町名は中京区内だけでも32ヶ所もある、他には中京区に八百屋町が2ヶ所、油屋町が3ヶ所、そして先に上げた亀屋町が5ヶ所もある。
また、上京区には亀屋町が4ヶ所、東町が3ヶ所といった具合である、これらは一つの町の飛び地ではなく、関係のないまったく別の町である。
ただし、同じ町名でもそれぞれ郵便番号が異なるため、7桁の郵便番号を記載すれば、街路名がなくとも郵便物は配達される。

余談だが近年、街路名を用いた住所表記では、インターネットの地図サイトやカーナビゲーションで検索できないという理由で、街路名を含まない町名と番地だけで住所表記する事例も増えている
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京都 アサンブラージュ カキモト 、 kyotoORTO / オルト

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上賀茂神社をたっぷりと堪能した
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神社を出て街中に戻って行く
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バスもあるが、あえて歩いて行く事にした
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巨大ないけず石、こんな場所だとほんまに必要そうだ、角が危ない
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賀茂川を越える橋は架け替え工事が続いている
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京の七夕は8月に行われる
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場所にもよるが、6日~16日ぐらいでライトUPなども行っている
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住宅地の角にあるお店
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わりと有名らしい、出来立てわらび餅はうまかった
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京都御所の南端に戻って来た
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アサンブラージュ カキモト (ASSEMBLAGES KAKIMOTO)
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店内はsanaの部屋で見てください、Instagram インスタグラム 「 sana の部屋 」にもあり
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寺町通に出ると、行願寺がある
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こじんまりしているが、わりと味がある一千年の歴史をもつお寺(移転を繰り返している)
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時間のせいか、参拝者は他にいなかった
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都七福神
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お寺などは17時で閉めてしまう事が多い
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猫と遊んでいる内に、閉められてしまって開けてもらった
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最後にDinnerを楽しむ
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最近一番のお気に入り、ORTO
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店内奥のワインセラー
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木目の綺麗なカウンター席
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カウンターの方が、お店の人と話も出来て楽しめる
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飲むのが好きな人も、満足出来るだろう
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2階にもテーブル席があるので、少数グループでも来れるだろう
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テーブルの端にあるオブジェ
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こんな所も好きである
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ちらっと見える中庭も良い
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メニューは事前に細かく解らないので、出てくるのが楽しみになる
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お料理は月末sanaの部屋で9/24公開予定、、Instagram インスタグラム 「 sana の部屋 」で一部公開中
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帰り際にお土産をくれた、もちろん美味しかった

京都 真夏の上賀茂神社 (境内を回る)

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人の少ない内に奥に進む
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櫻門に向かう
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一礼して門をくぐる
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本殿正面から参拝する
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本殿を垣間見る
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社殿の屋根が檜の皮で出来ているので、協力を呼び掛けている
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片岡橋を渡って行く
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櫻門はとてもキレイだ
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橋殿越しに、二の鳥居を見る
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紫式部歌碑
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神社の中を流れている清らかな流れ
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その河原の岩の上にお社が立っている
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岩本神社(バランスが微妙かもしれない)
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庭園沿いをのんびり歩いて行く
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渉渓園の拝殿
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山口神社
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境内でこんな石が転がっているだけの場所があると思うが、これは社殿の建て替えの跡で、古くなると横移動して建て替えるのだ
、社殿とは管理されている物はちゃんと立て直しをしている、かの伊勢神宮も20年ごとに立て直している事で有名
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片岡山に登っていける様だが、行っていない
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渉渓園に入って行く
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スダジイ(睦の木)
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願い石(陰陽石)
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渉渓園に並んで、庁ノ舎(北神饌所)の背面が見える
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回り込むと藤棚が青々と茂っている
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今は時間前だが、特別展示をやっているようだ
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早朝だと見れない展示もあるが、逆にだからこそ見れる景色もたくさんある
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食物産業の守護神を祀る奈良神社、社殿からは出汁の香りが漂っているので、匂いでみるといい
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校倉
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ならの小川のせせらぎが、耳に心地よい
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神事橋
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石で砕ける水の音が涼しげだ
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枝垂桜を満開の時に見てみたい
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自分は京都の中のどの仏閣よりも、この上賀茂神社が気に入っている
誰しもお気に入りの場所ってあるだろう、自分にとってはここがそうなのだ
何か心惹かれる物を感じる場所、とても落ち着く場所
大切な場所って、見つけられたらその人は幸せなんだろうな、きっと
これをsanaに言ったら、「それを「依身(えしん)より依所(えしょ)」て言うんやない? 」って言われた
sanaは若いのに比叡山 無動寺の光永 圓道大阿闍梨さまの言葉なんて知っていて、博識さに驚いた
「心の拠り所を人との繋がりだけに求めず、心が落ち着く場所や環境を探しなさい。」って意味だ
もちろん自分はそんな事は知らず、感じたままに口にしただけであった
以前なら自分の依所は地下壕であった、誰もいない地下壕を何時間も歩き回るのが好きだった
そんな自分が日の当たる所を歩いている、心休まる場所まで見つけてしまった、不思議だ・・・
一つの出会いで人は変る、二人とも同じ場所を好きになった
これからもこの場所を好きでいつづけるだろう、
お互いが心の拠り所でいられるって、幸せだと思う

京都 真夏の上賀茂神社(猫の路)

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北山のとある路地裏を歩いて行くとブロック塀ぞいの路がある
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二人で「猫の路」と呼んでいるお気に入りのロージだ
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非常にクランクしている人気の無いロージ
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歩いていると、猫にでもなった気分になれる
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しかし実際にこの路で猫に出会ったことは無い
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仕方が無いので自分が猫目線になってみる
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塀の上にも行ってみようと思ったが、向こうは幼稚園なので止めておいた
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焼き杉の壁面も古い家屋では良く見られる
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ふと見上げると、ざくろが大量になっていた
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通に出てしばらく歩くと
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自分の好きな路に出る
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人っ子一人いないこの通り、遠くに見える御山と
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涼やかな川の音がする路、上賀茂本通
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この川の水は上賀茂神社から流れてくる清められた水
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個人的にとても好きな路
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以前立ち寄った「伊之助」はまだ開店前、おばんざいを食べ損ねた
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この川に架かる個人宅用の橋は同じ物が無く、見ていて個性を感じる
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面白いものは何処にでも転がっている
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橋を眺めながら歩いて行く
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上賀茂神社に着いた
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世界文化遺産「上賀茂神社」(賀茂別雷神社)
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この清清しい雰囲気と空気が好きな場所だ
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枝垂桜もいまは葉桜
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人のいないこの景色が見たくて、早朝からここにやって来ている
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それだけの価値は十分にあると思っている
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二の鳥居を潜る
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目に入るのが細殿と二対の立砂
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立砂は、陰陽思想を紐解いて考えてみると細殿に向かって左が陽で、右が陰と考えられている
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細殿に向かって左側に3本の松葉、右側に2本の松葉が刺してある、なぜ本数が異なるのかといえば、3葉と2葉を用いることで、陰陽思想の中において、奇数と偶数が合わさることで神の出現を願う意があるからなのだ。
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左の松葉は3本だ、3葉の松の木は珍しいが境内一本だけある、場所は一応伏せる
風向きや時間帯によって、崩れたり飛んでしまったりして、常時見れる訳では無いので注意
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円錐形の美しい形の神山(こうやま)に因んだもので一種の神籬(ひもろぎ)即ち神様が降りられる憑代(よりしろ)である。

呉 休石砲台

休石砲台は音戸の瀬戸の防衛目的に、、 9cm速射カノン砲2門を配備していた
明治34年3月に竣工しているが、大正15年8月には廃止されている。
老人ホーム裏手の山にあり、音戸の瀬戸公園からもアクセス出来るがホーム側の方が近いと言うか、敷地内だ
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灰ヶ原砲台の探索後、下に降りて来たら雨が弱くなってきた
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目印の音戸大橋の下をくぐる
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音戸方面に走る
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立派なループ橋なのだが、観光地にはならないようだ
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目的地、某老人ホームに到着
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ホーム受け付けで、事情を説明して敷地内に立ち入らせて貰った
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敷地奥に、音戸の瀬戸公園への接続口がある
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こちらから登って行く
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門柱が見えて来た
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この門の向こう側が、目的の休石砲台であるが、夏の雨降りと、最悪のコンデションの訪問となった
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金属は盗られているが、比較的良好な状態の門柱
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濡れた草薮(膝丈ぐらい)を、変えのズボンも無いのに突入して行く
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砲側弾置場が綺麗に残っている
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奥に穴が見えている
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明治砲台独特の上部構造
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フェンス越しに覗くと、御影石の前室が設けられた、弾薬庫だった
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状態はいいのだから、整備して公開しても良いと思うのだが・・・
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小さな砲側弾置場が一つある
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砲座の胸墻が並んでいる
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砲座のコンクリート、V字の溝が入っているのだが、見難い
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ちょっと掘ってみた、やっぱり良く見えない
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折角の遺構なのだから、もうちょっと綺麗にしてほしいものだ・・・
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胸墻側の砲側弾置場?はコンクリートで塗られていて、奥行きがある
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手前のは化粧石で綺麗に装飾されていた
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蓋の取り付け金具は残っていた
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砲座の中心に置かれた、無粋なタンクが景観を残念にしている
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周辺の石垣は不思議とコンクリートも使わず、雑然と積まれているようだ
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施設部分にだけ、コンクリートは使っている
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少し雨が緩んできた、そろそろ撤収する(砲座からの射界を望む)
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音戸の瀬戸公園へは門柱からこの坂を登れば行けるようだが、いっていない
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次の目的地に向って下山する
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ちゃんとホームにお礼を言って、少し話を聞いて見たが、砲台に関しては何も知らないようだった
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日本一短い航路「音戸の渡し船」 なる物がある、音戸の瀬戸90mを片道3分で結ぶ日本一短い定期航路で、建造から50年以上になる、長さ9m、定員50名の木造船が、音戸の瀬戸を軽快に往来している(片道70円は安すぎる)




広島の旅も終盤に入った、後1~2回書いたら終わるだろう
実は広島に行ったのは1年以上も前の事なのに、未だに書き終わらないのだ
どうしてもライブで進行している探索や自衛隊イベントが、先行してしまう
極めつけは雛さえあれば関西に行っている事が大きいだろう

最初の数回は見知らぬ慣れない風景に興味を惹かれて行った
回を重ねる毎に、方向性が確立して行くのに気付いた、自分のやりたい事
「今は京都の事が知りたい、そして楽しみたい」って考えた
大切なパートナーの街京都、この街をもっと良く知りたい
知る事で絆も深まって行く気がする、共に歩く事が楽しい
そう思える人がいる事がうれしい

今でも戦跡探索は好きだし、やってもいるが紹介物件が溜まって行くばかり
それだけ京都にはまっている、しかし金閣銀閣みたいなメジャーは興味がうすい
二人で歩く裏道や何気ない通、そんな所で見つけた気になるお店で食事をとる
小さな神社や古い建物を見るのが、たまらなく好きになった
そんな気持ちにさせてくれた出会いに感謝する
ずっと感謝しながら生きて行きたい、共に

呉 海軍工廠(串山公園)

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串山公園には工廠神社や監視所などの遺構が残っている
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道路脇の藪のなかにコンクリートの遺構がチラッと見える
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この看板の裏側に・・・
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地下工場への入り口があるが、閉鎖されている
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これも地下工場の入り口の一つ
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他にも何ヶ所か見えているが、いずれも塞がれている
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産業神社の参道
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当時で言う工廠神社である
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のっけから結構な階段
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更に階段が続く、こんなんは一気に上がるにかぎる
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階段脇の藪の中にさっきと同じコンクリート遺構がいくつか見える
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これらは地下工場の通気孔といわれている
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階段を登って行くと左側に見えてきた
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防空監視所とその入り口(階段急すぎ)
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超分厚いコンクリートの監視所
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こうして見ると分厚さが解るだろう
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内部はゴミだらけ、右に入り口への連絡口が見える
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上に回り込む
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25mm単装機銃座の一つと言われている
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海側前面は、丸く作られている
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最後の階段を登る
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神社自体は既に無い
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わずかに痕跡が残るだけ
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眺めはよい
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潜水艦桟橋の先端にそうりゅう型がいるようだ
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右側には水上艦艇が群れている
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遊歩道を歩いて行く
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このコンクリート壁は当時物らしい
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他に何かないか付近を散策する
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怪しいものを発見
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場所はここ
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コンクリート屋根の退避壕だろうか?
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内側は煉瓦巻きだった
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見上げると、絶対に住みたくない家がぶら下がっていた (怖すぎやし)
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下の方にも不明なコンクリート構造物がある
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歩道も車道も水没している道を突破する
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最後の目標に向う
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崖の上にそそり立つ目標物
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串山港湾監視所
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ここから軍港に出入りする船を監視する目的で造られている
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雨なので、昇るのは諦めた

呉 海軍工廠倉庫遺構

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 「アレイからすこじま」付近のレンガ倉庫群は、呉海軍工廠の前身である呉海軍造兵廠時代に建てられたものである。
空襲の被害により一部の建物が破壊されてしまったが、戦後は、国から購入した民間企業が修理し、倉庫として使用している。
この3連レンガ倉庫、元は両側の2棟であったのだが、空襲で破損していたこの2棟を修復する際に、ガレキと化したレンガを使用して正面に壁を作って3連の棟にした。
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左側は造兵廠弾丸庫として使用、終戦前は工廠電気部外業工場となっていた。
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右側は、造兵廠魚形水雷庫として使用されたが、後に工廠電気部製図工場として使われていたらしい
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二階の窓はほとんど埋められている
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一階はサッシが入っているところもある
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通気口を、無理やり埋めた跡
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窓をレンガで埋めてるのは、戦時中の機銃掃射対策や破片除けだろうか、魚雷庫だし
ちなみに、魚雷積み込み用クレーンはこの前辺りにある
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隣にも同じような煉瓦倉庫がある
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二階の窓がでかい
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横の入り口の造りがいい、造兵廠予備艦隊兵器庫として使用、後に電気部事務所として使用された
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更に隣にもそれらしき建物がある、大砲庫と水雷調整室
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いい蔦の絡まり方をしている
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この辺りを見ると、当時もののように見えるが、煉瓦らしく見えない
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しかし、何故かスポットを浴びない
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錆びて固まったような鍵がついていた
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煉瓦倉庫の並びに、煉瓦のイメージをパクったセブンがある
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その後ろにも、それらしい建物がある
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のの向かいにある、現在も使用中の倉庫
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電気部発電所の遺構である
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坂道を上がっていくと
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見えづらいが煉瓦の建物がある
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工廠電気部の電気機械試験室の遺構
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元、電気部仕上工場も元気に再利用されている
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市街地方向に少し戻ると
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なにやら煉瓦の建物が見えてきた
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海軍工廠造船部工場
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こちらの窓も全て埋められている
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5棟ほどこのような煉瓦建築物が並んでいた




横浜にやっと帰って来た、やはり霞ヶ浦より港町が肌に馴染む
どうでも良いのだが、前回大阪の「風月」を記事にしたが、神奈川にも一軒だけ、しかも横浜に在る事が判明
早速食べ比べをしてきた
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やって来ました「風月」横浜店
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早速店内に入る
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程よく鉄板が熱くなるのを待つ、注文は定番のブタ玉
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つなぎ少な目、キャベツ多目の具は、混ぜるとキャベツが零れ落ちる
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盛大に投入、この時の音がたまらん
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鰹節投入
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零すことなく反転
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しばし蒸らす
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蒸らし終わったら反転して、マヨネーズ
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そしてソース
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綺麗に伸ばして
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出来上がり!
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おいしおす!!

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