fc2ブログ

愛する恐ろしい京都 (街角文化編)

関西圏と関東圏では、当然の事ながら言葉(関西弁、関東弁)も違う、風習も違う
東男yakumoが、京都において困った事、感じた事、感心した事などを、横浜人目線で書いてみる
始めに断って置くが、京都を卑下する、下に見るなどと戯けた意味合いではない、ただ感じた違いを
京女sanaの監修の元に、ちょっと綴ってみたくなったのだ。
なお、京都市全体では無く、概ね洛中(京都中心地)の限られた地域においての比較である
なんせ洛中以外の外へ、あまり出た事が無いので、紹介しようも無いのである・・・(中途半端ですいません)


いけず石

まず、「いけず」について軽く触れておくと、関東では直訳すると、「いけず=いじわる」と言われている
本当のいけずの意味とは違うのだが、関東人にいけずの説明をするには、本一冊ぐらいの説明が必要になるだろう
ごく簡単にだけ自分なりの解釈で説明する。

多くの書籍やネット情報を見ると、「いけず=いじわる」の方程式が固定化されている
文面にして、京都以外の人間が読めば、確かにそう読めてしまうのだろう
しかし、関東流のいじわるには、殆んどの場合「悪意がある」(大なり小なりあるだろうが)
信じられないだろうが、京都のいけずには「悪意が何も無い」のだ、
つまり単なる文化の違いによる【誤解】なのだ

関東では、【物事は明確に解りやすく伝える】という教育が染み付いているので、直接的な物言いになるのだが
京都の染み付いた文化はそれとは違う、
直接的なものの言い方は「感じが悪くなる」との認識で、絶対に口に出さないのだ
そこで登場したのが「いけず」である、表面上は蔑まず、貶めるような事は言わないが、
「この言葉から察しろよ」っ的なニュアンスを含ませた言葉を使うのだ

関東の様に、「解りやすく直接否定する」、「間違いを正す」のではなく、
京都のそれは、「言われた人が間違いに気が付いて、考えてくれれば良い」という、
【本人に恥をかかせない様な気使い】でもあるのだ (場の空気を悪くさせないためでもある)

京都人は、兎に角場の空気が重要視される文化なので、
「悪意の無い遠まわしな伝え方」となるのだ
京都人としては「気が付いて」と言っているのだが、
他からは「遠まわしないやみ」に映るのだろう
それがはっきり物を言わない、いじわるな言い方と認識されているようだ

本題に戻ろう

いけず石とは、京都だけではなく、日本全国で見受けられるのだが、「京都=いけず」のイメージで必然的に注目されている
京都の路地は非常に狭いため、車で通るのは難易度が高く、頻繁に車が家の角や壁を擦るなどの事故が生じる、そこで家の角に石を置いて家を守る、自衛手段として普及したのが始まりだ。
113_R_201610152256523c2.jpg
1476615124822_R.jpg

京都人は、兎に角揉め事が好きじゃない、下手くそなドライバーが家や塀にぶつかっても、そのまま逃げらるのは気分が悪いが、その都度ドライバーと揉める事はしたくない、京都人は「触らぬ神に祟りなし」を基本原則として生きている所がある、そこでいけず石を置く事にしてみたのだ。
178_R_201610152259307e4.jpg
1476615136320_R.jpg

ここでポイントとなるのは、あくまで自分の敷地内に置く事は合法であり、それにぶつかって車が壊れても、なんら責任は無い
車の方が勝手に敷地内に入って来たからである、これは古い町屋に多く見受けられる
1474280631467_R.jpg
1476615145529_R.jpg

しかし最近の住宅事情は敷地いっぱいに建物を建てる為、敷地内にいけず石を置くスペースが無い
したがって道路に直接置く状況が現出しているらしいが、これは完全に非合法で、置いた事が特定出来るなら
道路交通法違反となる(線路の置石と同じ)、諸刃の剣となる物も多い
stone10112404.jpg

いけず石のいやらしさは、別の所にもある、右ハンドルの車で左折しようとした時に、いけず石は殆んどの場合
直近では視認できないのだ、ガリガリと擦って初めて存在に気が付く事になる
地元の住民はそこにあるのを知っているが、「よそさん」は知らない・・・
ぶつかって初めて気付き、「京都人はいけずやなぁ」=意地悪やなぁって事になる
あくまで自衛の策なのだが、ぶつかった方には意地悪にしか取れないのだろう・・・
1476615225270_R.jpg
いけず石の利用法、雨どいからの雨水噴出を避け、歩行者への配慮としている
1476615119417_R.jpg
いけず石を探していて、sanaが面白い物を見つけた、〇に私・・・はじめて見た(開けて見たいけど、さすがに出来ひんな~)



京都は歩車道の優先順位が関東と違う

ある時、sanaが「大阪の友達によく京都は運転荒いてか恐いわぁ言われるんやけど」と言っていた

関東では、基本的に交差点では横断歩道を歩く歩行者が最優先されるが、京都では車が優先されている
関東の様に「引けるもんなら引いてみろ!」は通じない、ほんまに引かれるでぇ~
この点も京都の運転は荒いと、大阪の人によく言われる理由の一つなんだろう
実際問題として、限られたメインストリート以外は道幅が狭く、通行人がいなくなるまで悠長に待ってられへん
ってのが実状なのだろう
関東の標準4m道路が、3mだと思ってもいい所が随所にあるのだ、しかたがない
DSC00926_R_20161009175456b83.jpg
メインストリートの一つ、三条通り(sana曰く、これでも京都では大通りなんやでっ!)

次に歩道であるが、メインストリートにはかなり広い歩道を設けている、
がっ!しかしっ!!
ここも歩行者にとって安全ではない、
なぜなら、かなりの場所で自転車レーンが併設されているからだ
関東人のyakumoは普通に歩道を歩いているつもりだったが、sanaに「引かれるでぇ~」と声をかけられて振り向くと
自転車が避けもせずに突っ込んで来た、チリンチリン鳴らしながら・・・・
歩道の半分を自転車ゾーンが占めていて、更にその他の部分も普通に走行しているのだ、結構こわい!
これがまた通勤時間帯になると、暴走自転車軍団が大挙して走行するため、歩行者は自転車に轢かれないよう肩身狭く歩道の隅っこを歩くそうだ
特に街中撮り歩きをしているyakumoは、自転車にとってかなり弩迷惑な障害物だったであろう
以来街中では自転車にビビりながら撮り歩きをしている(結局こりてないのだが、勉強はした)


DSC00602_R_20161009175458ed0.jpg
平地の多い京都市内は自転車の普及率が異常に高い!正に自転車王国である
最近では外国人観光客まで自転車乗ってるし、しかも集団で、
へたな公共機関より、自転車の方が早い場合もあるし、なにより買ってしまえば後はタダやし!



〇犬矢来(いぬやらい)、駒寄せ

京町家(きょうまちや)とは、京都に建てられた町屋である、職住一体型の住居形式で、建築様式としては町家造りと呼ばれる
ここでは関東では見かけない物が見受けられる、それは犬矢来(いぬやらい)、駒寄せなどと言われている

語源は「犬を追い払う」ということを「犬をやらう」と言い、その言葉に漢字を当てて「犬矢来」となったとされている
町屋の特徴、犬矢来は、生活に根差した実用性も高く、泥棒除けや道路との境界線の役目も果たしていると共に
雨が降った時に、地面からの雨水の跳ね返りが家の板塀に当たるのを防ぐ役割もある
端から痛む事を前提としているので、取り外しが容易で低コスト、曲げやすく加工し易い平割竹が一般的に使われている
平割竹に手打ちの釘である皆折釘が規則正しく列になり、シンプルなデザ インを作り出し町屋の風情を引き立てている

江戸時代中期から作られているようで、京都以外では、川越、近江八幡、 倉敷、尾道、津和野、松山、高知などにも現存している
しかし、いずれも旧家の老朽化、道路の拡張などで失われつつあるそうだ。
DSC03486_R_20161009235657371.jpg
DSC03692_R_2016100923565804d.jpg
移動可能で、エアコンの室外機のカバーとして使ってる場合もある
1474804464088_R.jpg
金属製の物も近年は増えており、犬矢来としてだけではなく垣根の柵や装飾としても用いられている
P1030949_R_2016101012450264d.jpg
しかし京都のお店や町屋には、不思議としっくりと来る、正に京都らしいと言えるものだろう

似た様な物に駒寄せがある、「駒(馬)を寄せる」=“駒寄せ”馬が家の塀を蹴ったりするのを防ぐとある
荷物を運んだ牛馬をつなぎ止めるためのものが装飾化したものだそうだ
DSC_0385_R_2016101012445965d.jpg
手前の低い柵状のものがそうである
IMG_0735_R_20161010124501419.jpg
タイプはいろいろあるようだ
IMG_2109_R.jpg
他にも丸太に竹棒を二本か三本ざっくりと縄で結んだだけの「つばどめ」などもある


虫籠窓(むしこまど)

明治期までの町家の2階部分に使われた標準的な窓で、開け閉めをする為ではなく通風や採光の為の窓である
DSC00571_R_201610101709297d6.jpg
基本的に縦の格子状になっている
IMG_1371_R_20161010171302bff.jpg
中が見えず目隠しに丁度いい
082_R_2016101017014089c.jpg
半分しか写ってないが、代表的な虫籠窓である


ばったり床几(しょうぎ)

折りたたみ式のベンチでばったん床几ともいう、玄関先でくつろぐ為にあったのだろうが、現在は交通事情もあり
道に面した椅子を広げられる事も無く、減少の一途を辿っているようだ
IMG_2111_R.jpg
内側の足を前に出してベンチになる構造
DSC00367_R_20161010180608e21.jpg
殆んどが玄関先にちょこんと付いているが、格納状態である
Shōgi_R
改築後にも新しく採用しているお店もあるようだ


格子

京町家に特徴的な格子、接道部に用いられる、光を採り入れ、中からは外が見えるが外からは中が見えにくいのが利点
紅殻格子とも呼ばれるものが多く、紅殻(べんがら)と呼ばれる酸化第二鉄(赤サビ)を主成分とした粉末にエゴマ油などを混ぜて塗られている防腐、防虫効果があるものだ
格子の形は構造、形態、商売(職業)などによって異なってくるようだ (図で説明しているサイト
DSC01369_R_20161010202825e99.jpg
横の壁には格子は無く、道路側のみが格子となる
DSC01367_R_20161010202823290.jpg
玄関も新興住宅以外は殆んどがこの様な格子を取り入れている

代表的な4つの格子を紹介しておく

糸屋格子
採光に適した格子構造をしており格子上部が切り取られている、色ものを扱う糸屋・呉服屋などの繊維関係のお店に用いられていた、切子の数(縦の一マスの本数)は職業の必要採光にあわせて、織屋は4本切子、糸・紐屋は3本切子、呉服屋は2本切子となっている。
京都には数多くの呉服店が残っているため、このタイプの格子を数多く見ることができる

仕舞屋格子(しもたやごうし)
商いを行っていない町家につけられた出格子で、1本1本の竪子が細く薄い形状で、できている。

酒屋・米屋格子
重い酒樽や米俵がぶつかっても壊れないように太い格子で頑丈に作られている。

炭屋格子
炭や薪を扱うため、燃えた炭が飛んでいくのを防ぐための作りになっています。近隣住民への配慮としてつけられるようになったため、格子のすき間を狭くなっている。
京都文化博物館の新館に行くと、「ろーじてんぽ」があり、ここの店舗は様々な格子が各店に展示されていて、実際に比較することができるので、機会があればどうぞ


スポンサーサイト



京都 烏丸通りから和ごころ泉へ

IMG_2023_R.jpg
とらやを出た後、丸田町に下る道すがら、いのししの護王神社に立ち寄った
IMG_2024_R.jpg
平安京をつくった人の碑、和気清麻呂公(わけのきよまろこう)
IMG_2025_R.jpg
表門から入って行く
IMG_2026_R.jpg
拝殿の前を、折りよく神主さん達が通り過ぎていった、御祈祷に向っているところだった
IMG_2028_R.jpg
聖鳳殿(めっちゃでかい絵馬)
IMG_2027_R.jpg
お手水「幸運の霊猪」
IMG_2032_R.jpg
もちろん触って来ました、磨り減るぐらいに!
IMG_2035_R.jpg
中門が閉まっていて、本殿が見れなかった
IMG_2036_R.jpg
足萎難儀回復の碑と霊猪の手水舎
IMG_2037_R.jpg
「願かけ猪」と「座立亥串」
IMG_2038_R.jpg
チェーンソー彫刻「飛翔親子猪」
IMG_2039_R.jpg
社務所
IMG_2040_R.jpg
全国から奉納された「いのししコレクション」が陳列されている
IMG_2041_R.jpg
神社を出ると御所が見える、遠くに見える御山が好きだ
IMG_2042_R.jpg
平安女学院大学 有栖館(国登録有形文化財)
IMG_2043_R.jpg
有栖川宮家は江戸時代に四親王といわれた宮家のひとつで、この邸宅は京都御所の西側の建礼門前に建てられたものが、現在のアグネス教会の北側に移築されたもの
IMG_2044_R.jpg
1891年以降京都地方裁判所の宿舎であったが、平安女学院が教育施設として取得した
IMG_2045_R.jpg
角に来ると、ステキな煉瓦の建物が見えて来た
IMG_2047_R.jpg
緑が繁り、全体が見渡せないのが残念だ
IMG_2046_R.jpg
こちらが正面入り口のようだ
IMG_2051_R.jpg
聖アグネス教会
IMG_2054_R.jpg
隣の平安女学院の礼拝堂として建設された
IMG_2053_R.jpg
三層の鐘塔
IMG_2050_R.jpg
ステンドグラスを内側から見てみたいものだ
IMG_2055_R.jpg
菅原院天満宮神社
IMG_2058_R.jpg
おちょぼ口がなんかかわいい
IMG_2057_R.jpg
道真誕生の地と言われている場所は他にもあるが、ここ菅原院天満宮もその一つとされている
IMG_2056_R.jpg
道真が使ったとされる産湯の井戸
IMG_2059_R.jpg
由緒
IMG_2062_R.jpg
途中、石畳の図子(ずし、行き止まりの路地)に入ってみる、辻地蔵が横向きなのが気になった
IMG_2063_R.jpg
何の事は無い、図子ではなく直角に曲がったロージ(路地、通り抜け可能)であった
IMG_2064_R.jpg
さらに歩くと、奇妙な造りの煉瓦塀があった
IMG_2066_R.jpg
大丸ヴィラ
IMG_2065_R.jpg
大丸百貨店の社長であった下村正太郎氏が自邸として建てたもの
IMG_2069_R.jpg
昭和7年(1932)に建てられた建物で、当時はかなりモダンだっただろう
IMG_2068_R.jpg
京都市の登録文化財に指定されている
IMG_2073_R.jpg
予約をしていた「和ごころ泉」に着いた
IMG_2099_R.jpg
京都で名を馳せた「桜田」の後継者となるお店
IMG_2100_R.jpg
祇園祭のちまきが飾ってある
IMG_2077_R.jpg
個室からは箱庭のような中庭が見える
IMG_2079_R.jpg
食前酒の梅酒


和ごころ泉のお食事は、次回sanaの部屋にて紹介します、お楽しみに!

 Instagram インスタグラム 「 sana の部屋 」にて、一部公開中  


1476615275348_R.jpg
御所は広い、10月のとある日のちょっとした散歩道
1476615294532_R.jpg
細かく歩いたら、丸一日かける事も出来るだろう
1476615320257_R.jpg
賀茂川はいつ見てもいい景色を見せてくれる、たとえ雨だとしても・・・
1476615333799_R.jpg
シーズンにはあちこちに川床が建ち並ぶ賀茂川の支流
1476615361475_R.jpg
街中でちょっと見かけた御神輿
1476615354308_R.jpg
かと思ったら、キャスターが付いていて、山車になっていた、担ぎ手の不足だろうか?
1476615194942_R_20161017155020d77.jpg
御所から少し武者小路通を西に入った所にある武者小路千家 官休庵
1476615178789_R_20161017155019f37.jpg
官休庵は千利休の道統を継ぐ武者小路千家に伝わる茶道を保存育成し、その精神を一般に普及し、もって日本文化の向上に貢献する事を目的として昭和40年に設立された庵、こんな史跡を見て回るのも京都の楽しみ方の一つだろう

京都 御所と虎屋御所には

「虎屋と言えば、赤坂か銀座だろう」なんて、思いっきり間違った思い違いが関東には蔓延している
「虎屋と言えば、京都一条です」というのが正しい認識
虎屋は室町時代後期より京都で創業し、1586年(天正14年)に御在位中から御所の御用を承っている
驚く事に1695年(元禄8年)には既に「御菓子之畫圖」が作られ、お得意様に預け、注文を頂くカタログとして使われていた。
1869年(明治2年)東京遷都にともない、当時の店主12代光正は、御所御用の菓子司として、京都の店はそのままに、東京へ進出する、神田、丸の内、八重洲へと移転これが関東への初進出である。
1879年(明治12年)銀座に店舗を開設、後に赤坂表(元赤坂1丁目)に移転する。
1947年(昭和22年)3月5日 、銀座店を開店する、これが現在の銀座店となる、年数ははっきりしないが400~500年近く前から京都とで創業しているのが判るだろう(ホムペ参考

京都の人に「虎屋って京都にもあるんだ」っとか言おうものなら大変な事になる
くれぐれも間違わない様に!

御所に深く関わりのある虎屋に行く前に、御所を訪れてみた

IMG_1961_R.jpg
御所にはいたる所に門があり、自由に出入り出来る
IMG_1962_R.jpg
もちろん基本的には歩行のみ可能、自転車等は入り口に置いて行く
IMG_1963_R.jpg
二人でしばしゆっくりとした散歩を楽しむ
IMG_1967_R.jpg
御所の周りは全て道路に面している、地元の人の憩いの場として親しまれている
IMG_1970_R.jpg
その御所の目の前に、虎屋はある
IMG_1969_R.jpg
駐車場は1台分しかないので、なるべく公共機関を利用しよう
IMG_1973_R.jpg
メタリックなエンブレムに様々な光が映りこんで、見ていると何気に面白かったりする
IMG_1974_R.jpg
「とらや 京都一条店」
IMG_1975_R.jpg
お店で管理しているのだろう辻地蔵は、綺麗にお供えがされている
IMG_1976_R.jpg
京一条とらやの碑
IMG_1992_R.jpg
店内は間接照明がいい感じで静か
IMG_1994_R.jpg
猫背のとらがかわいい、台座に矢(屋)も書いてある
IMG_1995_R.jpg
御熨斗もかっこいい
IMG_1978_R.jpg
販売店舗、直営店の裏側に虎屋菓寮がある
IMG_1983_R.jpg
向かいには本田味噌本店がある(西京白味噌で有名)
IMG_1991_R.jpg
開店まであと少しあるので、お庭を見せてもらう
IMG_1985_R.jpg
とても良く手入れされている中庭
IMG_1988_R.jpg
芝が青々としている
IMG_1986_R.jpg
中庭にあるお稲荷さんにお参りする
IMG_1987_R.jpg
隣には白く綺麗な蔵が建っている
IMG_1999_R.jpg
京都特有の中庭の井戸、見えただけで3ヶ所にあった
IMG_1981_R.jpg
虎屋菓寮(のれんの写真撮るの忘れてしまった)
IMG_1982_R.jpg
開店の準備が整ったようだ
IMG_2014_R.jpg
入り口にはフロントと資料コーナーがある、日本文化に関わる書籍約600冊を自由に閲覧できる
IMG_2015_R.jpg
店内の様子
IMG_2000_R.jpg
今回はテラス席をチョイス
IMG_2001_R.jpg
足元には蚊取り線香を置いてくれる
IMG_1997_R.jpg
庭を眺めながら注文を決める
IMG_1996_R1 (2)
とらやのお品書き、カッコよす
IMG_1998_R.jpg
見飽きない中庭を眺めながら、朝の風に涼を得る
IMG_2007_R.jpg
水面に生える芝生の緑が鮮やかだ
IMG_2003_R.jpg
抹茶あずき(白玉付き)とおうす、たっぷりとかかった蜜と氷の中にこれでもかと入っているあずきが濃厚
IMG_1980_R.jpg
朝方見たサンプルのお菓子をたのんで見た(水滴は朝方の雨による)
IMG_2009_R.jpg
季節の生菓子、抹茶オレ
IMG_2013_R.jpg
ゆったりとした時間に満足した
IMG_2108_convert_20161001220405.jpg
いくつかsanaが御土産を持たせてくれた、その中の一つに面白い物がある、ゴルフボール型の最中(多分限定生産)
IMG_2016_R.jpg
近くにあった謎の石像猿だろうか?まさか河童!(誰か知ってますか?)
IMG_2017_R.jpg
車両の出入りする御所の門がある
IMG_2019_R.jpg
ちょっと覗いてみると、向こうの山に
IMG_2018_R.jpg
京都五山送り火で知られる東山如意ケ嶽の「大文字」が見える、ちょっと感激した
ちなみに箱根などで言われる「大文字焼き」の呼称は京都では使われていないので注意!
なお、今でこそ五山(ホントは6ヶ所)であるが、以前には「い(市原野)・「ー」(鳴滝)・「竹の先に鈴」(西山)・「蛇」(北嵯峨)・「長刀(観空寺村)なども、送り火として点火されていたが、早く廃絶に帰した。(長刀見たかったな~)
okuribi_map1405_R.jpg
五山位置図(京都市観光協会出典)
IMG_2021_R.jpg
KBS京都TV局などを眺めながら散歩をする


10/19よりsanaの部屋を公開します、下記目次にて公開予定を掲示してますので、お楽しみに!

sanaの部屋 京都グルメ 目次

 Instagram インスタグラム 「 sana の部屋 」 もよろしくね!

京都 東寺(教王護国寺)

東寺(とうじ)は、京都市南区九条町にある仏教寺院。真言宗の根本道場であり、東寺真言宗の総本山でもある。「教王護国寺」(きょうおうごこくじ)とも呼ばれる(名称については「寺号」の節を参照)。山号は八幡山。本尊は薬師如来。寺紋は雲形紋(東寺雲)。

東寺は平安京鎮護のための官寺として建立が始められた後、嵯峨天皇より空海(弘法大師)に下賜され、真言密教の根本道場として栄えた。中世以降の東寺は弘法大師に対する信仰の高まりとともに「お大師様の寺」として庶民の信仰を集めるようになり、21世紀の今日も京都の代表的な名所として存続している。昭和9年(1934年)に国の史跡に指定、平成6年(1994年)12月には「古都京都の文化財」として世界遺産に登録された。(wikipediaより)
IMG_1893_R.jpg
東寺に到着した、京都駅から徒歩15分程度だろう
IMG_1894_R.jpg
左側に五重塔が見える
IMG_1895_R.jpg
北総門から進入する
IMG_1896_R.jpg
門の右側には、幾つかの碑が建っている
IMG_1897_R.jpg
よっぽどこの上にあがって写真撮ったりする奴がおったんやろうな~
IMG_1898_R.jpg
門から真っ直ぐな石畳が伸びる
IMG_1901_R.jpg
IMG_1907_R.jpg
IMG_1913_R.jpg
IMG_1932_R.jpg
食堂は、二度にわたり倒壊し、これは昭和9年に再建された物である(現在お食事を食べられる訳では無い、資料館的な場所で、御朱印もここで貰う)
IMG_1902_R.jpg
IMG_1903_R.jpg
蓮のお堀に囲まれた宝蔵、平安後期建立の校倉(あぜくら)造倉庫で、東寺最古の建造物である
IMG_1905_R.jpg
拝観受付、500円なり
IMG_1910_R.jpg
IMG_1906 (2)_R
夜叉神堂
IMG_1908_R.jpg
IMG_1909_R.jpg
雄雌二対のお堂
IMG_1916_R.jpg
IMG_1917_R.jpg
不二桜(八重紅枝垂れ桜)
IMG_1921_R.jpg
IMG_1918_R.jpg
IMG_1919_R.jpg
講堂、土一揆による火災で焼失し、室町時代の延徳3年(1491年)に再建された
IMG_1920_R.jpg
IMG_1923_R.jpg
IMG_1922_R.jpg
金堂、やはり土一揆で焼失し、現存の建物は慶長8年(1603年)に再建された
IMG_1924_R (2)
IMG_1928_R.jpg
五重塔、雨上がりの早朝となると、圧倒的に光量が足りひん、真っ黒になってしまった
IMG_1925_R (2)
高さ54.8メートルは木造塔としては日本一の高さを誇る、雷火や不審火で4回焼失しており、現在の塔は5代目で、寛永21年(1644年)に造られたものである
IMG_1933_R.jpg
奥に門が見えるので、行ってみる
IMG_1935_R.jpg
七福神の毘沙門天を祭っているようだ
IMG_1938_R.jpg
IMG_1936_R.jpg
兜跋毘沙門天像を安置するために建てられたお堂
IMG_1937_R.jpg
なんで工事中?せっかくきたんに・・・
IMG_1939_R.jpg
工事中でもお賽銭箱は置いてある
IMG_1940_R.jpg
展示は当然見れない
IMG_1946_R.jpg
IMG_1948_R.jpg
かつて空海が住房としていた、境内西北部の「西院」(さいいん)と呼ばれる一画に建つ住宅風の仏堂である
IMG_1947_R.jpg
大日堂、大日如来像を安置している
IMG_1944_R.jpg
鐘楼、規模の割りには小さい鐘楼だ
IMG_1950_R.jpg
宝物館、文化財等が眠っている
IMG_1951_R.jpg
鳩や猫に餌をあげるとカラスが寄ってきて困ると書いてある
IMG_1952_R.jpg
五重塔はここから見るのが一番良いかも!(晴れてる時に)


京都 伏見稲荷大社(御旅所)

IMG_1953_R.jpg
御旅所(おたびじょ)とは、祭礼のときに神輿を本宮から移し一時的に奉安する場所の事で、伏見稲荷大社の御旅所は、かつては「油小路七条」と「八条坊門猪熊」の2ヶ所にあったそうだが、豊臣秀吉が一つに合わせてこの地に移したと伝えられている。
普段は静かな御旅所だが、4月・5月の稲荷祭の期間には一変し、大変賑わうそうだ。
稲荷祭は、毎年4月20日に一番近い日曜日に行われる神幸祭と、5月3日の還幸祭、その間に氏子祭(区内巡幸)という3行事1セットの大きな行事です。
大社自体はもっと南東に下った所にあるので間違わないように。

IMG_1868_R.jpg
京都駅の南側は、北側ほど煌びやかではない
IMG_1955_R.jpg
駅のコインロッカーにいろんな花の絵が描いてある
IMG_1956_R.jpg
IMG_1957_R.jpg
IMG_1958_R.jpg
自分が何の花に荷物を入れたか覚えやすくする為だろう、気遣いだなぁ~
IMG_1954_R.jpg
新幹線と近鉄京都線の交差点
IMG_1869_R - コピー
京都駅を出て南西、油小路を東寺に向う
IMG_1870_R.jpg
伏見稲荷大社に徒歩10分程で到着
IMG_1872_R.jpg
一礼して鳥居をくぐる
IMG_1873_R.jpg
誰一人いない境内が大変宜しい
IMG_1874_R.jpg
右を見ると、稲荷社と末社摂社が並んでいる、向って右から紹介する
IMG_1875_R.jpg
大神宮、天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、豊受皇大神(とようけのすめおおかみ)
IMG_1876_R.jpg
稲荷社、稲荷大神(いなりおおかみ)
IMG_1877_R.jpg
上命婦社、上之命婦(かみのみょうぶ)
IMG_1878_R.jpg
下命婦社、下之命婦(しものみょうぶ)
IMG_1879_R.jpg
IMG_1883_R.jpg
「六齋念仏踊り」などを踊る神楽殿
IMG_1880_R.jpg
不明だが、5ブロックあるようなので、各御神輿の用具庫かと思われる
IMG_1882_R.jpg
北側の鳥居
IMG_1884_R.jpg
神輿奉安所兼社務所(ここに御神輿を5基格納出来る)
伏見稲荷大社のお神輿の巡幸は、大社からこの御旅所までトラックで移動する
実は、トラックを使用するのにも理由があり、現在の伏見稲荷大社の境内の周辺付近は、京都・藤森神社の巡幸する地域(氏子地域/その神社の地域に住む住民のこと)とされている、要するにテリトリーが違うのだ、他の神社のを荒らす訳には行かない苦肉の策であったが、珍しいトラック巡航として注目を浴びる事になっている。
(トラック巡航の画像検索)
IMG_1885_R.jpg
二丸大明神
IMG_1886_R.jpg
昔使われていた水桶なのだろう
IMG_1871_R.jpg
一回りしたので次に向う
IMG_1887_R.jpg
この通りには辻地蔵が多い
IMG_1888_R.jpg
正に同じ物が全く無いので、見ていて飽きない
IMG_1889_R.jpg
新築のお家にもしっかりと移動されず引き継がれている、京都の良き慣習
IMG_1890_R.jpg
京都のゴミは、このように一軒毎に家の前に出す、変なもの出したらすぐバレてしまい、あの家はあかんでって噂が知らない内に広まって行くシステム、ある意味京都にマッチしているだろう
IMG_1891_R.jpg
次なる目的地が見えて来た
IMG_1892_R.jpg
目的地、東寺に到着!

10/19よりsanaの部屋を公開します、下記目次にて公開予定を掲示してますので、お楽しみに!

sanaの部屋 京都グルメ 目次

 Instagram インスタグラム 「 sana の部屋 」 もよろしくね!

愛する恐ろしい京都(京都人の性格編その1)

関西圏と関東圏では、当然の事ながら言葉(関西弁、関東弁)も違う、風習も違う
東男yakumoが、京都において困った事、感じた事、感心した事などを、横浜人目線で書いてみる
始めに断って置くが、京都を卑下する、下に見るなどと戯けた意味合いではない、ただ感じた違いを
京女sanaの監修の元に、ちょっと綴ってみたくなったのだ。
なお、京都市全体では無く、概ね洛中(京都中心地)の限られた地域においての比較である
なんせ洛中以外の外へ、あまり出た事が無いので、紹介しようも無いのである・・・(中途半端ですいません)

あくまで東男yakumoが京都に通い詰め、実際に感じた部分を摘み取って紹介して行く(関東人目線で)
京都の人から見たら、ちょっとニュアンスが???みたいな部分もあるかも知れない
年単位で自分の足で歩き回って感じた事なので、2~3日京都を訪問して京都を知った気になる様な
京都人が聞いたら「そないな程度で、京都を語らんといて~」なんて怒られそうな人とは違う、大分マシな紹介だと思う
まだまだ読み取れず、理解し切れない部分があるが、時間をかけて勉強していきたい
「その1」とはそんな意味だ、も少し理解が深まったら「その2」を書けるだろう。





関東人yakumoは一人だと、お店で良い思いは中々出来ない

京都の老舗等のお店に関東人が訪れた際に、勘が鋭い人なら気付くであろうが、妙な疎外感を感じるだろう
大抵の老舗は「お馴染みさんだけでやっていけるから・・・」と思っている
だがそこは商売である、一見さんでも、来た客はそれなりに、感じ良くにこやかに対応をしてくれる
がっ!しかしっ!!
観察力のある人なら、他に居る地元京都人のお客さんとの応対の差に気付く事が出来るだろう
観光客には「お店の人から何か冷たい対応をされた」的な印象を持つ人も多いはずだ、
それは正解なのである
関東人が普通に思っている「お客は金払っているんだから上に見られて当然だ!」的な思考が京都では嫌いな人が多い
もちろん全部の関東人がそんな人ばかりではないのだが、自分は客なんだから偉そうに横柄に振る舞って良い、という観光客は事実、多いのだ・・・

特に、一流のお店になると、お馴染みさん以外の人の直接の来店はもちろん、予約さえも中々通らない
そんな場合も京都人はもちろん、直接的に断るのではない、
「予約がいっぱいです。」とか、「今日は材料を使い切ってしまいました。」など、やんわりと遠まわしにお断りさせてもらう事がある
しかし、yakumoが電話で予約の取れなかった日付けに、京都弁のsanaが予約の訪問をすると、すんなり予約が取れたりする。
ここでポイントとなるのが、お店に失礼のない様に自らが訪問し挨拶をさせて貰うという姿勢が必要なのである
前記の様に、「食べに行ってやるんだから」みたいな、「客なんだから」って感じの態度は一切取ってはいけない
お店にとってそれは大変に失礼に映る行為なのだ、
つまり、「客が上でお店は下という上下関係ありき」みたいな関東風は通じない。
京都人の仲介などがあって、初めてお伺いが出来るほどの狭き門が、老舗やちゃんとしたお店には多いのだ
もちろん観光客目当てのお店も数多く存在するので、そちらなら普通に行けるだろう
京都の観光地には、そのようないわゆる「外資系」(京都資本ではない店)が多く、接客も関東風で観光客からの評判も良い

関東人は基本的に「よそさん」と京都人に認識されている、それは外国人に対するそれと同等である
余談だが、洛中の人から見ると洛外の人は、同じ様に「よそさん」の扱いをされるらしい、
ただし!!
これらは全て、表面上には読み取りにくい表現でなされる、
それゆえ我々「よそさん」は誰もその「差別?!区別?!」気付くことはない
ここが、京都人の恐ろしい一面である、おーこわっ。
1475745218052_R.jpg
飲食店にかぎらず、老舗ではその格式を尊重し、失礼の無い気遣いを心がけよう(老舗以外ならOKなわけじゃないよ)





京都人の中華思想

基本的に城の内(平安京範囲内)以外は京都では無い
これが洛中に住む人の常識である
もちろん近年はこの考えも若干は薄れて来ていると思うが、実は根強く残っている
今の若い京都洛中人には、そのような考えはないと思われているようであるが
実は、若い洛中人にも、このような考えは根強く残っているのが本当の実像である
彼ら若い洛中人もDNAに逆らえず、心の中で思っていることなど絶対に「よそさん」には"本音"を吐かない
中国で言うところの「選民(せんみん)意識」、選ばれし民であると言う意識が根底にある
元々は中国の文化人(地位のある知識人)が、中国王朝が滅びるたびに粛清を逃れて日本に亡命し、そこで広まったのが京文化の始まりとも言えるのだ

前回の記事でも触れているが、洛中(平安京内)と洛外(平安京外)との意識差はここから来ている
たとえばこんな話がある、sanaの会社内で休み時間での会話で、洛中に住む5~6人と北山に住むBの会話
上司Aが、「まだまだ暑い日が続くな~」って言ったところ、
北山に住む部下Bが、「いや~朝晩は大分涼しくなりましたよ。」って返した
このBの発言に対して、洛中に居住している上司Aから、すかさず「さすが北山やな~」と返された
一見、普通の会話に思えるが、それは違う、ここが京都人のそこはかとなく恐いところである
この本当の意味は、「京都の気候を北山の人が(北山ふぜいが)代表して言うんやなぁ・・・」って意味を含んでいる
そこには洛中の人にとって、「北山は京都では無い」と言う認識がまざまざと伺える、おーこわっ。
1475745220566_R.jpg
洛西にある世界遺産「天竜寺」、京都市右京区の嵯峨にある
洛中人からは、ここもまた「京都では無い」と言われてしまうのだ、可愛そうな「世界遺産」天竜寺





京都人は貸し借りを作らない

これはあくまで、他人に迷惑をかけない為だ、
自分が人に何かをした事により、相手の人が「お礼やお返しをしなければ!」と考えないで済むように、との考えである
新潟方面のように「家は家、他人は他人」という割り切った考え方ではなく、あくまで気遣いなのである。
たとえば、家の前の「打ち水」は、絶対に自分の家の前のみで、隣の範囲内には撒くことはしない
隣の人が家の前を撒いてくれたから、うちもお返しに撒いてあげなくてはならないと、思わせない様にする為だ
1475745223398_R.jpg
洛中にある京都の町屋には、必ず中庭がある、
その中庭を見る事が出来るのは、招かれた人だけである
うなぎの寝床の様な、間口が狭く奥行が長~い家が多いので、採光の為に必ず儲けられているそうだ



この記事を書いて、sanaに監修を頼んだら、「これ、ほとんど京都の悪口ですやん」て言われた、
恐る恐る「この記事公開してもいい?」ってきいたら、「まぁええんちゃう?」って・・・
「ええんちゃう」って・・・・・?!それって「良くない」ってことだよね?!
だかしかし!ここでひるんで記事を公開しなければ東男がすたる!!
でも、このまま公開した後のsanaの反応が怖くてドキドキしているyakumoであった、おーこわっ。

≪追記≫
ここまで色々と、京都人の恐るべき実態を書いてしまったが、
実際には、yakumoは京都のお店で嫌な思いをした事は無い、京女sanaと常に一緒だからである
予約も全てsanaにお願いしてやってもらっている、その方がスムーズでお店にも迷惑がかからないからだ
京都人sanaがあっての気持ちの良いフレンドリーとも言える対応を受ける事が出来ているが
一人であったらば、前出のように事実上の門前払いを受けているのであろう、感謝しなければ。

京都人の基本姿勢は「下から下から」である、これは慣れない関東人にとってとても気持ちが良く
まるで優位に立っている(好意的に扱われている)と勘違いしてしまいがちであるが
「京都人の言葉を額面どおりに受け取らんといて~」とよく言われる
yakumoの京都人との交流経験からすると、「京都人から褒められたときは要注意!」である
そういう時は、だいたい褒められてはいない、
京都人の言葉の本当の意味を察する事は、関東人には難しく、解りにくい
京都は場の(人の)空気を察する事でなりたっている、解らないで調子に乗ると大変な目に合う
京都人が低姿勢で接してくれていても、場の空気には気を使おう

面白い本を紹介する
「京都ぎらい」 井上章一 朝日新書 
「イケズの構造」 入江敦彦 新潮文庫

読んでみると、なるほどなと納得できるだろう

呉 戦跡まとめ

あまりにも長くかかった「戦跡 広島」編であったので、ついでにちょっとまとめて見た
カテゴリー「まとめページ」の、「戦跡まとめ その他の県」内「戦跡 広島」の中にも作ってあるが
探すのも大変なので、簡単なフラッシュバック記事と合わせてここに上げておく
気が付けば31件分もの記事になっていた、八丈島に次ぐ大きな訪問記となっていたようだ

img_1_R_2016091218474645d.jpg
なぜか京都にいたりする
P1030845_R_20160912184747c3b.jpg
鴨川に降り注ぐ雨、そう、スタートから雨に祟られていた
P1030849_R.jpg
車窓から東寺を見ながら広島の呉に向う
DSC_0194_R.jpg
広島到着、全てはこれからだ!
DSC_0196_R.jpg
まずは駅から近い大和ミュージアム
DSC_0197_R.jpg
空間利用の展示が見やすい
DSC_0200_R.jpg
大和波止場
DSC_0201_R.jpg
てつのくじら
DSC_0202_R.jpg
コンクリート船 武智丸
DSC_0204_R.jpg
大空山堡塁(大空公園)
DSC_0205_R.jpg
の砲座
DSC_0206_R.jpg
砲座から眺めた風景
DSC_0214_R.jpg
夜景も綺麗やったし(夜中まで探索しているyakumo)
DSC_0216_R.jpg
DSC_0218_R_20160912194247f48.jpg
DSC_0221_R_201609121942483a7.jpg
DSC_0223_R.jpg
DSC_0225_R.jpg
海上自衛隊第一術科学校
DSC_0227_R.jpg
大須山防空砲台
DSC_0230 (1)_R
三高山砲台(森林公園)砲台山 
DSC_0232_R.jpg
岸根(がんね)砲台
DSC_0236_R.jpg
アレイからすこじま
DSC_0237_R.jpg
潜水艦桟橋(海上自衛隊)
DSC_0239_R.jpg
呉 鎮守府司令長官官舎 (呉市入船山記念館)
DSC_0226_R.jpg
また瀬戸内の海を見てみたい
P1030856_R_201609121952422b8.jpg
一年間お付き合いありがとうございました

以下直リンまとめです、興味のある所だけ見てみて下さい

DSC06292_R_201509121751001d7.jpg大和ミュージアム その1(旅行記プレ)
DSC06359_R_20150912175102068.jpg大和ミュージアム その2
DSC06478_R_20150912175104de2.jpg大和ミュージアム その3
DSC06541_R_201509191721066d8.jpgてつのくじら館 その1
DSC06649_R_201509191721084cd.jpgてつのくじら館 その2
DSC06731_R.jpgコンクリート船 武智丸
DSC06784_R_2015092007230519b.jpg大空山堡塁(大空公園) その1
DSC06799_R_20150920092250f0b.jpg大空山堡塁(大空公園) その2
DSC06886_R_201509212035196e4.jpg高烏(たかがらす)砲台 その1
DSC06948_R.jpg高烏(たかがらす)砲台 その2
201511060022238db[1]_R呉 海上自衛隊第一術科学校 その1
DSC07055_R_201511072007344bc[1]_R呉 海上自衛隊第一術科学校 その2
DSC07170_R_201511092228460d3[1]_R呉 海上自衛隊第一術科学校 その3
DSC07235_R_201511132234322cb[1]_R呉 海上自衛隊第一術科学校 その4
DSC07368_R_20151127220157777[1]_R大須山防空砲台
DSC07452_R_20151202062224074[1]_R三高山砲台(森林公園)砲台山 その1
DSC07501_R_2015120322375858c[1]_R三高山砲台(森林公園)砲台山 その2
DSC07555_R_20151206235326ae4[1]_R三高山砲台(森林公園)砲台山 その3
DSC07569_R_20151209203219fa8[1]_R三高山砲台(森林公園)砲台山 その4
DSC07594_R_2015121106235610b[1]_R三高山砲台(森林公園)砲台山 その5
DSC07676_R_20151214234657f26[1]_R岸根(がんね)砲台
DSC07699_R_2016021823474085e[1]_R呉 コンクリート曳航式油槽船
DSC07731_R_20160221232548a2c_R.jpg呉 両城防空壕 (200階段)
DSC07971_R_20160617212414260_R.jpg呉 潜水艦桟橋(海上自衛隊)
DSC07755_R_2016022223411880f_R.jpg呉 灰ヶ峰防空砲台
DSC07777_R_20160223225413201_R.jpg呉 平原浄水場 呉海軍下士官兵集会所
DSC07807_R_20160226211443d54_R.jpg呉 歴史の見える丘
DSC07913_R_20160616211611200_R.jpg呉 海軍工廠 (あれいからすこじま
DSC07893_R_20160621204152ff1_R.jpg呉 海軍工廠倉庫遺構
DSC07845_R_20160301232307090_R.jpg呉 休石砲台
DSC08120_R_20160912161526b72_R.jpg呉 鎮守府司令長官官舎 (呉市入船山記念館)


呉 鎮守府司令長官官舎 (呉市入船山記念館)

DSC08059_R_20160912124412d29.jpg
場所はここ、駅から歩く事も出来るだろう
DSC08058_R_20160912124411248.jpg
美術館前の駐車場に車を停めて入って行く
DSC08060_R_20160912124414c40.jpg
DSC08061_R_2016091212441544b.jpg
子規の歌碑
DSC08067_R_201609121423146c9.jpg
DSC08066_R_20160912142312a90.jpg
旧海軍工廠塔時計(現在も稼働中)
DSC08068_R_201609121423157d8.jpg
DSC08069_R_20160912142316a1d.jpg
番兵塔
DSC08070_R_2016091214273679b.jpg
内側を見る
DSC08071_R_20160912142738944.jpg
修理の記録が貼ってあった
DSC08072_R_201609121427394cb.jpg
DSC08073_R_2016091214274049d.jpg
元券売所、奥に新しいのが出来て移動したようだ
DSC08076_R_20160912143411173.jpg
DSC08079_R_201609121434143bc.jpg
往来安全石燈篭
DSC08077_R_201609121434134f7.jpg
中に入場していく
DSC08080_R_20160912143416d15.jpg
DSC08082_R_20160912143417423.jpg
旧高烏砲台に在った物の移設利用
DSC08085_R_2016091215365724e.jpg
DSC08090_R_20160912153659420.jpg
横須賀軍港に関する物は幾つか残っているが、呉のはあまり聞かない
DSC08091_R_20160912153700182.jpg
若干低い入り口から入っていく
DSC08093_R_2016091215370129d.jpg
内部は展示場になっている
DSC08094_R_20160912154502975.jpg
DSC08095_R_20160912154504ec1.jpg
DSC08096_R_20160912154505de2.jpg
DSC08098_R_20160912154506191.jpg
DSC08099_R_20160912154507aa1.jpg
展示物の一部(ほとんど家にある様な物ばかりだった)
DSC08104_R_20160912155142224.jpg
頭を低くして出口をくぐる
DSC08105_R_20160912155144f23.jpg
形式不明の砲身が展示してある(説明なし)
DSC08108_R_20160912155145f66.jpg
こちらはアレイからすこじまで見たような、帆船時代の大砲だ
DSC08109_R_20160912155146556.jpg
新しい資料館でチケットを買う
DSC08110_R_20160912155148989.jpg
展示場は二階となる
DSC08114_R_20160912160430c93.jpg
写真パネルが主で展示物は多くない
DSC08115_R_20160912160432d28.jpg
DSC08116_R_201609121604328bd.jpg
軍艦用練炭、塊炭では重く不ぞろいでかさばってしまうのだ
DSC08117_R_20160912160434e3a.jpg
DSC08118_R_2016091216043585c.jpg
なぜか家にもあるカップやお皿達が並んでいた
DSC08119_R_20160912161525b59.jpg
外に出て振り返ると、位置関係が良く判る
DSC08121_R_20160912161528914.jpg
DSC08122_R_2016091216152968b.jpg
軍港と言える場所には、たいがいこの手の地下タンクはあったが、未だに米軍基地か国有地となってる所が多い
DSC08120_R_20160912161526b72.jpg
呉鎮守府司令長官官舎に向う
DSC08126_R_20160912161531bcd.jpg
海が近いせいか、塩害が出ているようだ
DSC08127_R_201609121633175d0.jpg
覗き込むと立派な扉が見える
DSC08128_R_2016091216331829b.jpg
錨の文様がいい感じだ
DSC08130_R_201609121633192d1.jpg
中に入っていく
DSC08131_R_20160912163320a47.jpg
洋風かと思ったら、半分は和風の部分もある建物だった
DSC08135_R_20160912163322364.jpg
屋内なのでただ貼っていく
DSC08136_R_201609121648576dc.jpg
DSC08137_R_201609121648591a4.jpg
DSC08138_R_2016091216490042b.jpg
DSC08139_R_201609121649012ba.jpg
DSC08140_R_201609121649033d5.jpg
DSC08141_R_20160912165246246.jpg
DSC08148_R_20160912165248bda.jpg
DSC08152_R_20160912165248fdc.jpg
DSC08153_R_20160912165250f18.jpg
DSC08154_R_201609121652524aa.jpg
DSC08155_R_20160912165703444.jpg
DSC08158_R_201609121657051f3.jpg
DSC08161_R_20160912165706901.jpg
DSC08162_R_20160912165707946.jpg
一通り回ったので脱出する
DSC08165_R_20160912165710eba.jpg
火薬庫に戻って来た
DSC08166_R_20160912170152cbc.jpg
横に回ると、下に空間がある
DSC08167_R_20160912170153fcf.jpg
火薬庫に良くある防湿用の空間である
DSC08168_R_20160912170154d05.jpg
こんな物が落ちていた、ちゃんと説明板とか付ければいいのに
DSC08169_R_20160912170156d61.jpg
この辺の門柱などは当時の物だと思われる
DSC08170_R_20160912170157b6a.jpg
旧東郷邸、東郷平八郎の在任中の宿舎の一部で、正確には離れの座敷の移築である(現在休憩所)
DSC08172_R_20160912171029208.jpg
これにて呉の戦跡探訪が終了した
DSC08173_R_20160912171031ae7.jpg
実に記事が書き終わるまで1年以上が過ぎてしまった、世の中には記事にするネタが多すぎる
P1030873_R.jpg
楽しかった呉の時間も終わりを告げる
P1030875_R.jpg
後は新幹線で帰るだけ
P1030874_R.jpg
カープグッズが売っていた、さすがは広島だ
P1030871_R.jpg
偶然にも今年は優勝したようだ
P1030876_R.jpg
多分もう来れないだろう広島に別れを告げる

京都  The Ritz-Carlton, Kyoto (ピエール・エルメ・パリ)

今回は記念のお祝いにThe Ritz-Carlton, Kyoto (ザ・リッツ・カールトン京都)を予約した
普通に写真を撮ることのできる場所では無いので、大した紹介は出来ないが、記念に載せる
目的は、リッツでゆったりとした時間を過ごす事!
ザ・リッツ・カールトン自体は国内あちこちにあるのだが、朝から夜までピエール・エルメ尽くしが出来るのは京都だけなのだ
IMG_1836_R.jpg
外壁に並ぶ笹の緑を眺め歩くと
IMG_1834_R.jpg
二条大橋の袂にある建物
IMG_1837_R.jpg
The Ritz-Carlton, Kyoto に到着する
IMG_1840_R.jpg
門をくぐると、人力車のお出迎え
IMG_1843_R.jpg
左右に水の流れる小径
IMG_1842_R.jpg
据え付けのお水を頂ける(ガレージなど随所にある)
IMG_1845_R.jpg
この先は下の庭園の滝になっている
IMG_1846_R.jpg
青空に緑が良く映える
IMG_1848_R.jpg
狭間から見える、御山も良い
IMG_1854_R.jpg
振り返って門を見る
IMG_1849_R.jpg
夏の真昼間に、流れる水音は涼やかだ
1473246390656_R_201609072324328b8.jpg
1473246387922_R_2016090723243115a.jpg
ホテル内に入ると最早撮影出来る雰囲気ではなくなる、以降自粛・・・

DSC_0651_R.jpg
時は流れモーニングを食べにラウンジに行く
DSC_0649_R.jpg
窓際で庭を眺めるのも良いだろう
DSC_0646_R.jpg
スマホでチラッと撮っていく、ギャラリー&ライブラリー空間
DSC_0635_R.jpg
この電灯の笠は、日本唯一の和傘職人京和傘の日吉屋さんによる照明、京都のイメージが良く出ている
DSC_0634_R.jpg
いよいよピエール・エルメ・パリのモーニングを頂ける
DSC_0636_R.jpg
まずはフルーツジュース
1473163602939_R.jpg
これから先は、sanaの部屋で紹介してます(イスパハンめちゃ美味しかった)

DSC_0650_R.jpg
ホテルからのプレゼント、特別プレートを頂いた

DSC_0654_R.jpg
食べ終わって外に出た
IMG_1847_R.jpg
外は気持ちのいい朝だった(暑いけど)
DSC_0655_R.jpg
少し外を散歩する
IMG_1813_R.jpg
御池橋
IMG_1814_R.jpg
お堀の様な水路がある
IMG_1815_R.jpg
鴨は美味い
IMG_1817_R.jpg
幕末の大村益次郎、佐久間象山、遭難の碑などが並ぶ
IMG_1820_R.jpg
京料理 幾松(桂小五郎と幾松で有名)
IMG_1823_R.jpg
高瀬川
IMG_1824_R.jpg
店舗や会社の裏に位置するので、見るのは難しい
IMG_1825_R.jpg
歌碑
IMG_1827_R.jpg
高瀬舟、河川や浅海を航行するための木造船である
IMG_1829_R.jpg
IMG_1830_R.jpg
高瀬舟は帆走もしくは馬や人間が曳いて運行され、物資の輸送を主な目的としていた
IMG_1831_R.jpg
角倉了以が京都・伏見間で開いた高瀬川は、高瀬舟の運航にちなんで名付けたもの
IMG_1835_R.jpg
島津創業記念資料館、創業100周年を記念して、創業者の初代島津源蔵を偲んで開設した
IMG_1855_R.jpg
ザ・リッツ・カールトンを出て、車で東に向う
IMG_1857_R.jpg
二条大橋から見たザ・リッツ・カールトン、車内から撮影で上手く撮れなかった
IMG_1858_R.jpg
賀茂川越しの御山が好きだ
IMG_1860_R.jpg
平安神宮をしかとして
IMG_1862_R.jpg
三条通に出る
IMG_1864_R.jpg
ちょっと来て見たかったお店
IMG_1865_R.jpg
raisin(レザン)
IMG_1863_R.jpg
すっごく美味しい店だった