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大井海軍航空隊遺構再調査(2016・12月)その3

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次の壕に移動した、この壕はドライのようだ
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状況を見る限り、実働には程遠い状態だ
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この時期小森さんもいっぱいぶら下がっている
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坑道は広いのだが、規模は掘りかけもあり、対してない
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足元に手榴弾が落ちていた、危ないのでそのままにして置いた
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横幅が4mは有りそうなので、完成すればいい規模になっただろう
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いまは、モフモフの小森さんの巣窟
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奥の方に進むと、高さも幅も半分くらいになってくる
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究めつけはこれ、崩落ではなくズリを積んでいるようだ
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一人でズリの奥に突入して行く
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パロマ炊飯器の残骸、電気炊飯器は旧日本陸軍が1937年(昭和12年)に制式採用した九七式炊事自動車に炊飯櫃という原始的な電気炊飯器が装備されていたのが最初のようだ、家庭用としては1955年以降やっと形になって表れる
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立つ事すら出来ないほどになってきた
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土の質から見て、外部からの土の流入で埋まってしまったのだろう
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日本ホーム・シー?聞いた事もない
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苦労して入った挙句の収穫はビン一個
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荒削りだがうねった形の良いつくり
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最奥まで来たようだ
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何かを覗き込んでいる空母氏
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隣接する坑道も終わっているようだ
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さて、撤収しよう
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地震観測所の前で昼食を取る
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前回入っているが、軽く見る
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確認出来てなかった部分を見て、早々に撤収
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静岡らしいお茶畑が広がっている
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お茶の花って、初めて見る気がする
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装備を確認のうえ、つぎの地区に移動する
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大井海軍航空隊遺構再調査(2016・12月)その2

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案内の空母氏も気が付かなかった壕口を発見した
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メンバーが準備をしている内に、先行して内部を確認しに行く
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通路は広いのだが、崩落して僅かな隙間しかない
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とりあえずみんな入ってくる
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一人先行し、安全確認と壕の規模を見てくる
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ここだけ乗り越えれば、内部は広かった
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そして水没!
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メンバーに何とかして入ってくる様に伝え、先行する
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今回は水没は折込済みなので、全員ウエイダー装備なのだ!
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地下水の染み出している所がある、水没するはずだ
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この壕は、水脈にぶつかった時点で放棄されたのかも知れない
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当時の支保の坑木が残っている
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ここからも染み出している、掘り進めた先端で二ヶ所とも水脈に当たってしまったのだろう
この時点で違和感を感じた、この部分に見覚えがある、新規の壕じゃないかも?
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壕の規模はかなりの物である事が解かり、とりあえず見ながら戻る
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ペグが打ってある、ランプでもぶら下げていたのだろう
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水没が無ければ、かなり完成度の高い壕だったろう
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ここも通路の先端部分から染み出している
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天井も高く、通路も広い、これが地下空間とは・・・
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最初の入水ポイントに帰って来た
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メンバーがやっと入ってきた様なので合流する
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自分の足元を見てみると、股上まで水深が有るようだ
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壁の水位線を観ると、全く変動が無い様に見える
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ろくに明かりも憑けずにガサゴソしている集団
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ライトを点けたらお着替え中だった
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それでは探索を再会する
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空母氏が支保抗に興味を示す
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おのおの好きな方向に進みだす
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水没は水圧がぎゅうぎゅう締め付けてきて気持ちいい
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しばらく空母氏に憑いて行く、人の後は水が濁って見えなくなるから離れて歩く
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見覚えのある支保抗が立っている
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水中に沈んでいた碍子、「ウ」なんて始めて見た
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OKN氏とも合流
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折角だから記念撮影
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斜め上方に通路が見える、これを見た一同は落胆する「ここ来た事ある」
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新規の壕だと思っていたのは、前回と反対側から入った同じ穴だった、ま、いっか!
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10kg減量に成功したとのさんは、ウエイダーがゆるそうだ
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出口がある事が確定したので、それぞれ適当に歩き回る
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以前入ってきた壕口
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出口の撮影をする空母氏を置いて、壕内にもどる
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折角なので、メンバーで記念撮影
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再び水没壕を楽しむ
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壕内図の作成中
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他の開口部
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水没していない部分も見て回る
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堪能したので、出口に集まりだす
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ウエイダーがあると、荷物が増える
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みんな荷物を携え、戻って来た
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この壕の探索を終える、全員撤収完了!
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あ、空母氏忘れてた・・・

君津市亀山探索

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今回の最終ポイント亀山に到着!難易度高し!
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まずは一人で一気に登り、ハズレじゃ無い事を確認してメンバーを呼ぶ
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壕は斜め上に向って登って行く、滑ったら道路まで一直線だ!
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通路脇にあるベンチ兼物置か?
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真っ直ぐ行った方向は、反対側の斜面から土砂が流入していた
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右方向には部屋がある、木材が砂塵の下に引いてあった、弾薬庫のようだ
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この壕は、構造が面白い
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左側にもベンチがある
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極めつけはこれ!
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陰影を出してみる、カマドの様にも見えるが煤けた跡が無い、墳墓改造壕なのかも知れない
有事には使う目的で作っただけなのか?上の切り欠きに棒を架け、飯盒や鍋を架けるには打って付けだ、平時は外でやればいいんだし
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壕口に近く、煤煙もあまり気にしなくても良さそうな位置だ
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この入り口付近は居住区だったのか?
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山向こうの開口部は切り立っており、土木工事現場と現在はなっていて、降りれない
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已む無く元のおっかない入り口に戻って行く
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幅は狭いものの、壕の完成度としては高い方だった
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恐らくは工事現場側の壕口が主出入り口で、道路側は銃眼として掘られた部分が道路拡張工事で削られてしまったのだろう
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滑り落ちない様に坂を下って行く
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落ちたらちょっと痛そうな高さなので、慎重に脱出する
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落ち葉で滑るコンクリート斜面を下るのは、登るより困難だ
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工事現場側の壕口を確認する
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こちらも高い位置にある、同じ様に削り取られているのだろう
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二つ目の穴に移動したが、やはり高すぎる、どっしょもない・・・
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通路部分を削り取られている様が良く判る
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三つ目も無理すれば何とかって所だったが、自分の車じゃないのでロープが積んで無い、無理はしない事にする
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この木の又の辺りに在るのだがロープによる懸垂降下しか手が無い
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上に登り別の入り口を探して見たが、見つからなかった
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周辺探索に、橋の下に降りてみる
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遡ると滝に行けるようだ
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しかし、やたらめったに危なげな足跡が(しかも最近の)あるので、早々に引き上げた
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今回は大きな物は見付からなかったが、楽しい探索であった(パパさん撮影)

今年も楽しいんで探索をして行きたいな~


大井海軍航空隊遺構再調査(2016・12月)その1

静岡県の戦跡探索の第一人者-廃虚日常記録帳-  戦跡中心のブログです。の「空母欲奈氏」が新たに発見した大井海軍航空隊、沢水加地区に調査に行った。
かなり大規模な様子で、一人での探索は危険であるとの冷静な判断により、半年近くも放置されていた物件である。
地下壕探索において、引く所は引くのが安全な正しい判断であり、見習いたい部分である

探索メンバーは空母氏を筆頭とし、tonotama (とのたま)氏、祐実総軍三等兵氏、OKN氏と強力なメンバーが揃った。

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土曜の晩、仕事帰りに神奈川勢は市内に集結する
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県外の総軍さんは明日現地参戦となる、夜中の下道を一路静岡へ
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一夜を過ごした24時間サウナ、この手の所にはイビキの五月蝿いオヤジが必ず居て、ほぼ寝てない状態となった
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だもんで、夜明けと共に出発する
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途中で空母氏と総軍さんと合流しながら現地を目指す
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現地付近に車を停め、ここからは徒歩でないと進めない
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相当な落差のある原生林を下って行く
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今回は水没が判っているので、ウエイダーという大荷物を持ちながらの降下となる
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下の方に壕口を確認
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早々に下に降りメンバーを待っていると
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なんと総軍さんが一気に降りて来る
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5mほど一気に落ち降りてきた、よっぽど早く入りたかったんだろう
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空母氏が自分が見つけた壕口と違う気がすると言ってたが、どうせ中で繋がっているだろうと突入する
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30cm程の隙間から続々と入壕してくる
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壕内に入るとすぐに崩落していたが、この程度はいつもの事だ
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乗り越えると、見るからに複雑そうな様相を表した
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小さな部屋状の掘り込みもあった
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足元には排水溝の跡も認められる
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崩落により排水が出来ず、場所によっては湿度が高くストロボが使えなくなる
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側壁には排水溝が完備されていた、壕口付近の完成度は高い
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奥の方を見ると、ズリだしも終わっていない未完成壕だとわかる
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この付近は木材の痕跡がかなり多い
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夏島地下壕などでも見かける壕内の木造建築物の床板の痕跡
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恐らくこの周辺は木造倉庫が建てられていて、戦後上の部分は建材として持ち去られ、床だけが残ったのだろう
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結構な床面積があった様だ、壕内ではこのブロックのみの特徴だ
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付近にはこの様な倉庫がいくつか並んでいた
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完成すれば、かなり大きな壕になったであろう
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水没は多いが、殆んどは長靴程度で踏破可能だった
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深部に進んで行くと、両脇にズリがかなり残っていた
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地下水が深く溜まり、綺麗な緑色を映し出す
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付近に壕口があったが、土砂が流れ込んで塞がっていた
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隣の通路に移動すると、煉瓦構造物があった
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恐らく竈の前部分を破壊し、後ろの部分だけが残っているのだろう
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付近には煉瓦の残骸が転がっている
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左右には掘り込まれた跡もあった
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更に奥に向う
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山の斜面に沿って歩いているので、土砂の流入で塞がった壕口が並ぶ
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排水溝の切られた倉庫も多くある
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人物比に丁度総軍さんがいた
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当時物のビンが落ちていた、何で緑色が多いんだろうこの時代は?
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加工された木片を照らす空母氏
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戯れにライトを消してみる
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点灯すると、とのさんがいた(ストロボ併用)
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これはライトのみでの撮影
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天井が地層に沿って崩れ落ちているようだ
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壁面に棚が掘られている、この穴に木枠を入れて棚にするのだ
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突如二階が現れた、しかし高すぎる!
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よじ登ってみたが、ここまでが限界だった
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みなで試行錯誤するが、無理なものは無理!
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諦めて先に進む
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開口部が有ったが、狭くて出れない
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足元にエメラルドグリーンの地下水が溜まっていた
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空母氏がなんかやっている
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人物が入ると、この坑道の大きさが判りやすい
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こっちにもエメラルドグリーンの地下水があった
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試行錯誤して撮影する空母氏
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水没壕って結構きれいなものだ
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珍しく赤色のインクビンが落ちていた(地味にレア)
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見覚えのある所まで戻って来た
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70年前はしっかりした排水溝だったろうが、今は埋ってしまっている
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用途は不明だが、かなり大きな壕だった
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さぁ、脱出しよう

上総中野駅周辺探索

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午前中の探索を終え、昼の休憩がてら上総中野駅に来た
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木造の待合室にはお決りのノートが置いてある、昼間は数時間に一本しかないダイヤ、乗り過ごしたら大変だ
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面白い駅で、上りは小港鉄道、下りはいずみ鉄道となっている
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無人駅はお客すら無人だった
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駅付近に小さな壕を見つけた
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小さな水没壕だった、ねこさんがエクスペディアの防水テストをし、実証された
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少し離れた所にも、壕口が開いていた
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内部はすぐにT字になっていた、以外に広い
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かなり綺麗に掘られた棚付きの左側
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右側は狭い水路隧道が続いている、水路隧道(井戸)改造壕だ
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立って歩いて行けるのはここまで
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T字路にぶつかり、50cmほど段差の下った水路で終着だった
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街道沿いなので、肉薄攻撃の待期壕として急造された物だろう
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近くのお寺付近にも地下壕が点在する
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一つ目の壕は水路隧道にも見えたが
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地質が脆く、崩れ気味な壕だが軍の掘削であった
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小さな部屋が存在し、小棚が数多く作られていた
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崩落部分があり、あまり状態は良くない
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規模の割りに小棚が多いのは、貯蔵もしくは医療目的なのだろうか?
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完成度の低いこの壕に10個近い小棚は不釣合いで気になった
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深部はドン突きだったが掘削途中な感じではなかった
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奥まで行ったので、撤収する
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ねこさんが事前に発見していた壕に移動する
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かなりの奥行きが期待できそうだ
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問題なのは全面水没と言う事だ
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長靴の限界に挑戦するのだの人
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のだの人が突破したので、他のメンバーも後を追う
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最長の長靴を履くねこさんも楽々突破
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パパさんも爪先立ちでなんとか突破
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突破した先は部屋状になっていて、ここから二股に壕は延びている
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右はストレートに突き当たり
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左ものだの人が確認しに行ったが先は無かったらしい
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結局用途の不明な壕だった、yakumo一人が長靴が短く水没の憂き目に合った、地下水は冷たい・・・
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シビレる様な冷たさに耐えながら壕口を目指し、撤収する
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たっぷり水の入った長靴のグッポグッポ音を立てながら、次の穴に向う
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結局優良な壕は他に見つからず
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祠や小さな水路などだけだった

ちなみにちゃんと予備の靴や靴下は、車に積んであるのでこの後履き替えました

京都 大雪の日(北野天満宮)

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1月14~15日の雪模様で京都が大変な事になっている
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部分的にゲレンデと化している
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京都でもこれだけ降るのは、久しぶりだそうだ
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車も殆んど通らない
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雪景色の金閣寺を撮る為に、バス停は大混雑になっている
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主要道路は除雪がされている
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バスもタイヤチェーンを着けてのの走行だ
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北野天満宮に到着
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北部に位置する北野天満宮は、雪が積もっていた
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境内はすっかり雪景色
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牛の像がいっぱい並んでいる
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所々に雪を積んだ島が出来ている
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屋根の形に積もっているのが面白い
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個々に違う表情を持つ牛を眺めるのも面白いが、雪が積もって同じに見える
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こんな雪の中でも梅が咲いていた、植物って強い
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しかし、雪が止んでくれて良かった
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こんな日でも、観光客は多い
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人の居ない方に非難する
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雪に和傘っていいよね
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宝物庫なのかな?
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牛に触るとご利益が有るのだが、誰も触りに行かない
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積もった雪が溶け出して、軒先から滴り落ちる
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裏側の末社は、雪かきもされないので足元が悪い
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長五郎餅屋の前に、雪だるま
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人が通ったとこだけ雪がない
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狛犬も寒そうだ
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注連縄をくぐり、結界の外に去って行く
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参道も半分溶けた雪が始末が悪い
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また雪が降って来た!
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これはヤバイ!
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粒がデカイ!遭難するかも?
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道路の先が見えヘン
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新幹線動くのだろうか?
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しかし街中に戻ると、ぴたりと止んだ
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京都大丸の前も寄せたのが残る程度
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全く残ってない所すらあった

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翌日の朝、雪は溶け出していた
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日陰になる屋根には、未だかなり残っている
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すっきり晴れると、遠くの御山もはっきり見える
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本能寺はほとんど解けていた、街中だしね
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京都で有名な平野とうふ
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仕込みの水はかなり冷たいだろうな~
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なんやろう?
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公園にちょこっとだけ残る雪、なんか溶けて無くなるのが勿体無いな

お正月の御料理はやし

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賀茂川の橋をのんびり歩く
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夜の賀茂川は、明かりも少なく静かだ
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予約をしていた「お料理はやし」にやってきた
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ほのかに正月らしい演出
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お正月のコースを頂く
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升酒
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菜の花の先付
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食べ終わると「福」の字が見える演出
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八寸の蓋の上には、三鈷の松 のちょろが乗っている
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蓋を開けると、御節が!
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蝋梅の花、自分は蕾を持ち帰り、いまやっと咲いたところだ
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オリジナルの袋を頂き、横浜へ持って帰った
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松竹梅鶴亀漆器のお椀
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菱葩の椀、宮中のおせち料理の一つとされていた
今は簡略化された、花びら餅が一般に初釜の時期に出回る
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向付
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ゆりね饅頭の椀
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さわらの焼き魚、身も極厚ですばらしい
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湯葉
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揚げ物、クリスピーで歯ごたえがいい
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ちなみにこの箸置きなど一部のお皿は、は山人(大将)の作品だ
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葱の粕汁
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カラスミ
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七草粥
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ゆずシャーベット
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ユリネの金団とお抹茶で締めくくり
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お正月仕様の京都タワー
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夜のロウソクは絵になる
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お正月オブジェ
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今年もいい年でありますように!
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自宅でしっかりと育ててます!

京都 虎屋菓寮のお雑煮

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年始はお客でごった返す「虎屋菓寮」にお雑煮を食べに行った
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三ヶ日も過ぎたお店は開店直後と言う事もあり、空いていた
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店内には所々に
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お正月飾りがあり、目を楽しませる
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少し寒いが、お庭の見える席をチョイスした
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芝生も緑を失い、枯れた枝木が違う眺めを見せてくれる
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ズームすると、蔵には注連縄(しめなわ)が飾ってある。
注連縄には縄を綯(な)う=「編む」向きにより、左綯え(ひだりなえ)と右綯えの二通りがある、左綯え(ひだりなえ)は、天上にある太陽の巡行で、火(男性)を表し、右綯えは反時計廻りで、太陽の巡行に逆行し、水(女性)を表している。

ちなみに注連縄・注連飾りには、大根締め、ゴボウ締め、輪飾りなど色々な種類の形式がある。
大根締めは両端がつぼまり、ゴボウ締めは片側のみが細い、虎屋さんのはごぼう巻きとなる。

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こちらの席にも正月飾りが用意されている
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お飾り越しにみるお庭もいい
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お雑煮が運ばれて来た
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白味噌
丸餅
頭芋
金時人参
大根
糸かつを節

関東では味わえない京都のお雑煮

京都では総朱塗椀は男性用です
.

女性は総朱塗りのお椀を使用することはできません
女性は、内側が朱塗りで外側が黒塗りのお椀を使います
.
男性用には「頭芋」が入っていますが、女性用には入っていません

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白味噌が味わい深く、ほっこりして美味しかった!
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お雑煮の後に和菓子をいただいた、酉年をイメージしたものだ
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かわいいひよこを、どうやって食べようか考えてしまう
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羊羹はとさかをイメージしている、親子を並べて楽しんでみた
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お正月のお雑煮を堪能したので店を失礼する

京都 上賀茂神社 初詣(2017)

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お正月、また京都にやって来た、天気はどんよりと曇り、小雨もぱらついている
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振り向くと後ろにも京都タワーがあった
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京都鉄道博物館が出来た(リニューアル)らしいが、行っていない
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クリスマスにここに有ったクリスマスツリーを撮り損ねたのが残念だ
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何はともあれ、初詣に上賀茂神社に向う
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大好きな神社で、鳥居をくぐった時に空気が変った感覚をいつも感じる
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鳥居をくぐり、歩き始めると薄暗かった参道に
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唐突に陽が差し込み明るくなった!まるで迎えられた様な感じがしてならない
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振り向けば後ろは暗いまま
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進む方向にだけ、陽が差し込んでいるのだ
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隣の外幣殿は陽が差していない
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今年の干支は酉(2017年)である
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神馬舎の影から、煙が立ち上っている
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焚き火をしてくれている、早朝の寒い中これは助かる
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二の鳥居を一礼してくぐる
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おみくじを結わき付ける所、干支の酉と神馬にも結わいていい
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ご献酒が山積みしてある
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すぐきも奉納されている
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細殿と立砂、この場所が一番好きだ
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ここでまた、奇跡が起こる!自分が立った瞬間また曇ってしまっていたのに、立砂にだけ光が差した
まるで自分達を祝福してくれているかのような、暖かな光だった
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立砂の右側には普通の松葉が挿してある
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左側には珍しい三鈷の松
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では、本殿に向う、残念ながら工事中であったが、お参りは出来る
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お手水を済まし、お参りに行く
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本殿前の超巨大な当たり矢(ここは流鏑馬が行われる所)
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宝船を模した注連縄(しめなわ)、注連縄は社・神域と現世を隔てる結界の役割を持つものであるが、形・大きさはまちまちだ
飾る時期は俗にクリスマスの後になるが、29日以降に取り付けるのは縁起が悪いとされる、特に31日は「一夜飾り」といい、神様に対し失礼だとされる。
飾りを外す日は、1月7日に七草がゆを食べた後、若しくは15日の小正月の後に外すとされる。
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矢の部分を拡大してみた、「幸運の当たり矢」と書いてあった
稲作信仰は神道の根幹をなす一つであり、稲穂などは注連縄の材料として使われる
最近は見かける事も少なくなったが、車の正月飾りにあった海老の飾りは関東地方のみの習慣らしい・・・・
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縁結びの片山御子神社、片方ずつ持って鳴らすと、鈴の音がシャンと鳴った
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橋殿越しに祈祷をしているのが見えた
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宮司さん達が引き上げてくる
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丁度いいタイミングで来たようだ
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新年のお参りが済んだので、引き上げる
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焚き火ってなんだか見てると落ち着くのは何でだろう?
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神馬舎に馬が居るのは、始めて見た!
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来年も来たいな、初詣!

千葉 高井ヶ谷28cm榴弾砲陣地再訪(2017.1)

先日記事にした大月28cm榴弾砲陣地と対を成す施設が此処となる、この地区には4門が設置予定だった
その内の1門がここに設置されるはずだったのだ
以前にも二度ほど訪れていたが、今回は大月との対比をする為に再訪した

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早速山に入って行く
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と言っても場所を知っている戦跡は安易に到達する
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現地に到着、ここは以前に公開をしようとして、綺麗に整備したのでもの凄く状態が良くなっている
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砲座は以前は完全水没だったが、水が抜けて解りやすくなっていた
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これでも大分見やすくなっている
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砲座右側には、塹壕が残っている
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比較の為にざっと内部を見て行く、隔壁を付ける部分は良く似ている
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十字路、左右に伸びるのが、メイン通路となる
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真っ直ぐ進む道
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とりあえず右に進む
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兵員生息室、大月のと同一だが、若干短い
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右方向の奥は低く閉塞している
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十字路を左方向に進んだ最初の弾薬庫、綺麗に掃除されて見やすくなっている
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来た方向を振り返る
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左方向に進んで行く
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二本目の弾薬庫、コンクリート敷きで軽いスロープになっている
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左方向の隔壁の跡、その先は行き止まりになっている
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メイン通路右にある、爆風よけ
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十字路部分にはコンクリートで固めた支保抗の跡があるDSC03763_R.jpg
同じ様な坑木の跡がある
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壁面にもやはり2つの穴が開いていた
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外部に出て二人を追いかける
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外部から見た壕口
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絵葉書見つけたから貼っておく
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砲側庫の前の塹壕を辿りながら、山頂方向を目指す
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野生化したソテツの畑を垣間見ながら先に一人で山頂に一気に登る、無かったら無駄骨だし被害者は一人でいい
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しかし山頂ではあっさり地下壕と観測所を発見!無線機で下のメンバーに報告する
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地下壕自体は小さなもので、観測員が雨露をしのぐ程度の休息所のようだ
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反対側はほとんど埋没していた
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こちらが鍵穴状に掘られた観測所
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壕との位置関係はV字型
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地下壕の側には、竪穴が大穴を覗かせていた
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高さ5mほどだろうか?落ちたらヤバイ
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この他にも観測所が有るようなので、探そうとも思ったが、そもそも現在地も良く判らない
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太陽も大分傾いている、この地に着いた時点で夕方近かったのだ、この道も無い斜面を降りなければならない
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も数十分で日没だろう
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ソテツ畑まで帰って来たが、外は明るく見えるが、山の中は薄暗くなっている
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もはや本当にまずくなって来たので、斜面を落ちる様にショートカットして下山した
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正月の帰省者の波に乗りながらのんびり横浜へ帰る
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ちょっと工場萌えなどしながら帰ると三日月と金星が見えた
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少人数だったが、実に内容の濃い探索が出来た、午前の探索もその内上げます!

千葉 大月28cm榴弾砲陣地発見!(第二砲座)

前回に続き第二砲座を紹介して行く
砲座を確認し、単独で山頂に登り観測所、機銃陣地の有無を確認しに登って見たが、発見には至らなかった
榴弾砲なので直近に観測所が必要無いのは判っているが、確認の為だ。
ここには28cm榴弾砲が二門配備との記述が有る、第二砲座の位置関係も知られてはいない
全て足で探すのがアナリストだ!

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自分が山頂に登っているうちに、もう一つの砲側弾薬庫を見つけておいてくれた、すぐ隣に有ったのだ
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入り口の形状は良くない、派手に崩れていて、斜度が割りとある
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壕口は難だが、入ってびっくりするぐらいの状態の良さ
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しかも入ってすぐからコンクリートパネルが轢いてある、こんなのは見た事がない
第一砲座がすぐ左側に有るので、そちら側へも給弾出来る様にとの配慮だろうか?
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最初の分岐点、妙に綺麗過ぎる
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斜め左方向に伸びる通路はコンクリートの床も無くなり、狭い通路で終わっている、信管庫、油脂庫みたいな物だろうか?
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右側に伸びる通路に向う
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兵(砲)員生息室、奥行きは20m以上あるだろう
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弾薬庫ブロックとの間に、隔壁を設けているようだ、第一第二共に同じ位置に加工の跡がある
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メイン通路壁面にある二本セットの木杭、第二の方には沢山見られた
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70年間以上手入れもされていないのに驚くほど状態が良い
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天井も屋根型に整形されている
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側溝もコンクリートで固めている所がある
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通路に戻るとまた、仕切りの部分がある(人物比ねこさん180cm)
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結構長い通路なのだが、整備されているせいで、長さを感じない
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砲側弾薬庫の入り口部分をよく見ると
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扉を付けていた跡が見える
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十字路がある
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右は外部への壕口となる、水没している
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壕口側から見るとちょっとで床のコンクリートパネルが無くなっている
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メイン通路左側の爆風避けの空間
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正面奥に進む
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正面は行き止まり
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左側は最も状態の良い弾薬庫が残っている
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排水溝も埋る事無く完璧だ
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この床を水撒いてデッキブラシで磨いてみたい・・・
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3cmくらいのちっちゃい小森さんがぶら下がっていた
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注目したいのが、この上下の溝、ここには横開きの扉が付いていたのだ
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反対側の溝も縦には開かないようになっている
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この状態の良さに感動する、ストロボが奥まで届かないのが難点だ
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ストロボ無しで、懐中電灯だけだとこんな感じ
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少し戻って、外部開口部への十字路の両角に残る坑木の位置関係
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開口部に向う、天井の形の変化に注目
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右側に部屋があり、この辺が密林に覆われる前に農民が肥料などを蓄えていた残骸がある
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振り返って坑道を見る、ここにも隔壁があったもよう
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あ、ここの壕口の写真撮るの忘れた・・・・アホやなほんまに
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第二砲座も砲側庫のすぐ脇に造ってあった
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位置を変えるが、案の定肉眼ほどに写真は映らない、肉眼の補正力ってすごい
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上に登っていたら、丁度良く総軍さんがやってきた
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真ん中辺りに立ってもらい、何とか判る人なら判る程度に撮れた、探索終了!

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ちなみにここに配備される予定だったのは、これと同型の物
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プラモの表紙、弾薬の補充方法が解りやすい
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愛媛県今治市の小島にある、撮影用の模造品

千葉 大月28cm榴弾砲陣地発見!(第一砲座)

長い間限られた文献の片隅にしか記述が無く、ネット上では誰一人発見した居なかった大月28cm榴弾砲陣地。
ついに房総半島戦跡考古調査会(アナリスト)が発見に至った!
僅かな情報を素に、当たりを付けた山がドンピシャにヒットした、綿密なる下調べの成果である
アナリストは、今回もやってくれました。
本来午後の探索の成果で、午前の成果もあるのだが、興奮している内に新発見ネタを記憶の鮮明な内にやっておく
メンバーのつぶやき「明日になったら記憶がぼやけそうで」になるほどなと思ったのだ。

便宜上、先に見つけた方を第一砲座とし、後で見つけた方を第二砲座として紹介する

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昼飯を食べた後、検討会に入る
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車で行ける所まで行き、後は徒歩で山に入る
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人里を離れ、しばらくすると、怪しい場所を発見した
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開いている、以外に早い発見に付属壕の一つだろうと思っていたが
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この綺麗な造りは大物の予感がした
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崩落が若干あるがガレは少ない
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入り口の直線最奥に爆風避けの穴が掘られている、この形状は砲側庫によく見られる
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左右に伸びる通路の左側に進む
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対面ベンチ付きの棲息部だ!間違い無く砲側庫を発見したのだ
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ベンチ部分には板を貼ってあった当時の釘がいくつか刺さっていた、板は建材に持ち去られたのだろう
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左側の最深部は掘りかけの様だった
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まだズリが残っていた
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引き返しつつ、入って来た開口部を見る
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所々岩盤が剥離して崩落をしている
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中間地点辺りには、四角く整形されて扉でもあった様な所を見かける
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砲側弾薬庫、支保抗のあとが残っている
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ガレの無い部分の足元を見てみると
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コンクリートのタイルを貼ってある、砲弾を転がして運び出せる様に傾斜を付けてある
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ここの壁には木杭が二本打ち込まれている
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防湿用に隔壁でも設けてあったのだろうか?
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ガレ(ズリ?)が酷い部分もある
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右通路の先が見えてきた
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その手前の弾薬庫
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奥の硝石の染み出している所に
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木製の壁を設けていたのだろう、釘で打った木片が残っていた
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頭上にも釘が刺さっており、こちらは照明用であろう
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通路に木杭の跡があるが、対面の壁には無いので、柵では無いだろう、用途不明
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砲側庫右側突き当たり、左右には延びている
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左側に行ってみると若干狭い通路で、コンクリートは引かれていない
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左側最深部から見ると、開口部がもう一つある
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こちら側の開口部は、明らかに未整備だ
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しかし途中に四角く切られた部屋が一つある
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開口部を外から見た
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まだメンバーは壕内にいる様なので、先に砲座を探しに行く
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一山回り込んだ所に、あっさり砲座を発見した
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8m程度の円形の砲座なんだが、肉眼で無いと良く解らないだろう
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上に登ってみた
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これなら何とか解ってもらえるだろうか?
砲座にはコンクリートの跡も無く、備砲前に終戦となったのだろう、砲側庫自体も未完成だし

第二砲座に続く

京都 ザ・リッツカールトンホテル「ラロカンダ」

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年末の休みをゆっくり過ごす為、またリッツに来た

今回はラロカンダでのお食事だ

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ホテル特製のパンを頂きながらのコース

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サバのマリネとクスクス

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ホットマッシュルームサラダとコンソメ

温かいスープをかけると一際香りが引き立った

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グラニャーノ産スパゲッティー サンマルツァーノトマトとバジル

赤くないのにしっかりとしたトマトソースの味がして、とても美味しかった

ほんまにもう一皿追加で注文したくなったくらい美味!


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イトヨリと焦がし小麦ブレッドのソテー トビナンブールピューレ

カリカリのブレッドと三種類のソースでいただく

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国産牛ランプのローストと牛頬肉のブラザート 根セロリピューレ

絶品!

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パスティエラ プティフールとデザートが続く

〆のコーヒーは、カプチーノを頂いた




あけましておめでとうございます!

昨年は当ブログを見て頂いてありがとうございました

本年も読者の皆様にとって、良い年で有ります様に。