fc2ブログ

舞鶴 建部山堡塁砲台 その2

DSC03786_R_2018082712064456c.jpg
早速5連の弾薬庫に入って行くとのさん
DSC03787_R_201808271206462fd.jpg
落書きも無く比較的綺麗な掩蔽部
DSC03789_R_20180827120646411.jpg
内部から見た入り口
DSC03792_R_20180827120648824.jpg
奥で全ての弾薬庫は繋がっているが、右端の弾薬庫だけが短い
DSC03801_R_20180827120650cca.jpg
入り口の通風孔
DSC03802_R_20180827120652afd.jpg
天井の吊り上げ金具
DSC03804_R_20180827120654cec.jpg
季節柄ちょっと緑が濃かった
DSC03811_R_20180827120654517.jpg
緑の苔も元気に生えていた
DSC03814_R_2018082712353322f.jpg
左端の一室のみ形状が違う
DSC03825_R_2018082712353442b.jpg
壁のこの穴は銃眼とする人もいるが、横向きだし
DSC03829_R_201808271235356f2.jpg
上部に電気配線の穴が空いているので点検口とする説の方が有効だろう
DSC03831_R_2018082713220797f.jpg
弾薬庫を振り返る、なんか良く判らない
DSC03833_R_20180827132209e3f.jpg
端っこは石垣になっていて、途中で石の組み方が変わる
DSC03835_R_20180827132210e4c.jpg
弾廠の有った場所
DSC03843_R_201808272112220b6.jpg
砲座へ向かう通路があるが通らない
DSC03841_R_2018082721122078e.jpg
左に真っ直ぐ進むと砲具庫のあった場所になる
DSC03842_R_20180827211222f80.jpg
基礎だけは残っている
DSC03836_R_20180827211219aa2.jpg
所々に排水の穴が砲台には多くある中には数Mの深さがある物もあるので注意
DSC03845_R_201808272119043fa.jpg
石垣に沿って、左側から登って行く
DSC03849_R_201808272119055d2.jpg
土塁になっていて、下は結構低い
DSC03851_R_20180827211906596.jpg
三角点らしき物が埋まっている
DSC03852_R_20180827211908d14.jpg
砲座に向かう土塁に囲まれた通路
DSC03853_R_20180827211909613.jpg
埋まった排水設備
DSC03854_R_2018082721191153d.jpg
この土塁は射梁になっていて、小銃を撃ち降ろす防衛ラインになる
DSC03855_R_2018082721320518c.jpg
囲む様に土塁の防衛ラインが続く
DSC03857_R_20180827213207fc4.jpg
下の部分は広場になっている
DSC03858_R_201808272132086ca.jpg
盛り上がったこの部分は掩蔽部、砲員の退避所兼砲側弾薬庫
DSC03859_R_20180827213210aeb.jpg
砲座前面胸墻を上から見ている
DSC03860_R_20180827213211813.jpg
高さは1mぐらいだから飛び降りる
DSC03861_R_20180827215044ab8.jpg
胸墻、横墻に掘られた即応弾薬置き場
DSC03864_R_20180827215045b58.jpg
胸墻手前、12cmカノン砲砲座が円形のコンクリートで残っている
DSC03865_R_20180827215046487.jpg
砲座の中にある謎の穴
DSC03866_R_201808272150485a0.jpg
上手く撮れなかったが、内部は空洞
DSC03869_R_20180827215049df2.jpg
一ヶ所に12cmカノン砲座が2基2門置かれる(2ヶ所で4門)
DSC03871_R_2018082721505005d.jpg
砲座の横墻、この中が砲側弾薬庫になる
DSC03875_R_201808272215088d8.jpg
砲側弾薬庫の上にある指揮所の様なくぼみ
DSC03876_R_201808272215099e8.jpg
砲側弾薬庫の入り口(中央の物)
DSC03879_R_20180827221510e6d.jpg
銃眼といわれる穴
DSC03882_R_20180827221511280.jpg
入り口天井部
DSC03884_R_201808272215137b7.jpg
砲側弾薬庫内
DSC03887_R_20180827221515930.jpg
落書き
DSC03889_R_20180827221516eef.jpg
入り口方向
スポンサーサイト



舞鶴 建部山堡塁砲台 その1

明治31年(1898)から着工された舞鶴要塞においては、建部山には由良川方面に上陸してきた敵兵を防ぐための「堡塁砲台」が置かれ、12cmカノン砲4門が配備された。
DSC03675_R_20180823233731572.jpg
建部山登山道入り口
DSC03676_R_20180823233732c56.jpg
おおむね3kmのハイキングコース
DSC03678_R_20180823233734eef.jpg
道路にある看板
DSC03679_R_201808232337352e9.jpg
道路にあるマンホール
DSC03681_R_2018082323373660c.jpg
登山スタート
DSC03682_R_20180823233738e0c.jpg
ここがホントの登山道入り口
DSC03683_R_20180824220225f7f.jpg
さぁ、ハイキングの始まりだ
DSC03684_R_201808242202272d0.jpg
毘沙門天を祭る神社
DSC03686_R_201808242202280e4.jpg
早速陸界の標柱があった
DSC03692_R_20180824220230302.jpg
意外と小さなサイズだ、しかもちょっと歪
DSC03696_R_2018082422023187c.jpg
最初の分岐点、左に進んだが、恐らく右がちょっと急で、左の元の軍道と合流するようだ
DSC03697_R_201808242202321c6.jpg
左に進んだ方に標柱が続いている
DSC03702_R_20180824220233920.jpg
埋まっている物が多いが、ちゃんと番号が振ってある
DSC03704_R_20180824220235bd2.jpg
標石にしたがって登って行く
DSC03707_R_20180824221947491.jpg
意外なほど多くの標石があり、迷う事は無い
DSC03710_R_20180824221949b66.jpg
なだらかな歩きやすいハイキングコースが続く
DSC03711_R_201808242219502ee.jpg
所々に軍橋があり、100年人を渡している
DSC03712_R_201808242228162ff.jpg
このヘアピンカーブの外側に分岐路があり
DSC03713_R_20180824221953d7d.jpg
標石が変わる
DSC03714_R_201808242219555c4.jpg
防二六
DSC03718_R_2018082422195614f.jpg
陸の一文字の見慣れた標石
DSC03720_R_20180824221957c3a.jpg
脇道に50mほど登ってみるともう一本あった
DSC03721_R_2018082422195958f.jpg
防二七
DSC03726_R_201808242236252a8.jpg
所々にこんな看板が有るが、分岐点にはほとんど無い謎?
DSC03724_R_20180824223626382.jpg
下を覗くと、ちょっと崩れてたりする
DSC03733_R_2018082422362675b.jpg
軍橋がある
DSC03731_R_20180824223633eaa.jpg
すごい綺麗に造ってある
DSC03723_R_2018082422362611a.jpg
だんだん道が無くなってく
DSC03722_R_20180824223628249.jpg
気にしないで登っていこう
DSC03734_R_20180824224351ec4.jpg
やっと半分
DSC03735_R_20180824224352e04.jpg
唯一の道標
DSC03736_R_20180824224353cd5.jpg
シダに覆われた山道、踏み外したら結構ヤバイ
DSC03739_R_201808242243554d7.jpg
あと1km
DSC03741_R.jpg
道はいよいよ険しい
DSC03742_R_20180824224357f89.jpg
でも間違ってはいないようだ
DSC03743_R_20180824225849e20.jpg
真夏の山になんか来る人もいないんだろうな?
DSC03744_R_201808242258505ce.jpg
お、開けた?
DSC03745_R_2018082422585156e.jpg
着いた!
DSC03747_R.jpg
苦労が報われる瞬間だ
DSC03749_R_20180824225854d9c.jpg
門柱のあった跡がある
DSC03752_R_201808242258560f3.jpg
いや、今来たばかりなんだけど、帰れって?
DSC03751_R_20180824234119d4b.jpg
5連の煉瓦式弾薬庫
DSC03754_R_201808242341204c2.jpg
立派な看板があった
DSC03758_R_20180824234121c86.jpg
緑に戻ろうとしている構造物
DSC03761_R_20180824234123fe1.jpg
トイレのようだ
DSC03760_R_201808242341229f6.jpg
門柱の柱だろうか?
DSC03762_R_2018082423412586c.jpg
貯水槽のような物が二つ
DSC03767_R_201808242341263e1.jpg
右翼観測所
DSC03768_R_20180824234128ddb.jpg
ちょっとじゃない気がする
DSC03779_R_20180824234129d61.jpg
足元に穴が!
DSC03781_R_201808242341315ac.jpg
三層式のろ過水槽
DSC03784_R_201808242353518e5.jpg
この付近の砲台郡

舞鶴赤レンガパーク(昼の部)

赤れんがパークの建物は、そのほとんどが、旧海軍舞鶴鎮守府の軍需品等の保管倉庫として
明治35年(1902)から明治36年(1903)に建てられたもの。
これらの倉庫のうち8棟が平成20年(2008)に国の重要文化財に指定され、平成24年(2012)に「舞鶴赤れんがパーク」としてオープンした。
見学できるのは9棟中5棟、3棟は文部科学省所管倉庫で非公開、1棟は自衛隊基地にて使用中である。
DSC03990_R_201808192340265f1.jpg
舞鶴赤レンガパークにやって来た
DSC03992_R_20180819234028ee9.jpg
駐車場はパーク手前のここと、市役所側の二ヶ所ある
DSC04004_R_20180819234033c4c.jpg
護衛艦「しらね」の主錨
DSC03995_R_20180819234029fc3.jpg
駐車場から観るレンガ倉庫に期待が高まる
DSC04000_R_20180819234031c66.jpg
案内図
DSC03996_R_2018081923402910b.jpg
いろいろなロケ地としても、使われている
DSC04006_R_201808202308001f6.jpg
まずは端っこのまだ整備されていない、近畿財務局倉庫(旧舞鶴海軍需品庫)を観て行く
DSC04014_R_201808202308028b9.jpg
DSC04015_R_20180820230803e7b.jpg
DSC04017_R_2018082023080584b.jpg
DSC04020_R_20180820230806628.jpg
DSC04023_R_201808202308078d2.jpg
まだ手付かずのままで、一般公開されていない
DSC04016_R_2018082121560122a.jpg
海上自衛隊舞鶴造修補給所NO17倉庫(第一需品庫)
DSC04028_R_201808202308098e5.jpg
間に道路を隔て、パークへと進む
DSC04030_R_20180821215602b1c.jpg
ここからが見学可能なレンガ倉庫になる
DSC04031_R_201808212156030ea.jpg
カフェとイベントブースみたいな倉庫の使い方をしていた(カフェは1500終了なんて関東では考えられない)
DSC04033_R_20180821215604621.jpg
内部は鉄骨で補強され、ちょっといかつい感じになっている
DSC04036_R_20180821215606947.jpg
貨車ごと倉庫に入って、荷物を搬出するための2Tクレーン
DSC04041_R_2018082121560710d.jpg
奥の扉から列車が入り、レールに沿って庫内に入る
DSC04042_R_20180821215609a5a.jpg
このレールの跡は埋め込みダミー
DSC04043_R_201808212156101cc.jpg
2階への階段は立ち入り禁止
DSC04050_R_20180821215613a85.jpg
第5倉庫、旧第三水雷庫
DSC04051_R_201808212156142f2.jpg
海軍マークの蓋がある、点検口なのだろう
DSC04053_R_20180821223601619.jpg
現代のカラーマンホール
DSC04056_R_20180821223602dfb.jpg
DSC04060_R_201808212236060d6.jpg
市政記念館(2号棟)旧予備艦兵器庫
DSC04058_R_20180821223604d6c.jpg
これ、引き込み線からどうやって入れていたのだろう?
DSC04064_R_20180821225434caa.jpg
カフェJAZZ、IMG_2478_R.jpg
海軍カレーを食べようと思ったが、売り切れだった
IMG_2482_R.jpg
海軍ロールケーキと海軍ラムネで飢えを凌ぐ
DSC04077_R_20180822215308b98.jpg
DSC04057_R_20180822215306b40.jpg
まいづる智恵蔵(3号館)旧弾丸庫並小銃庫。中はお土産屋
DSC04182_R_20180822230316dd4.jpg
赤レンガ工房(4号館)旧雑器庫並預兵器庫、内部はイベントホール
DSC04185_R_201808222212537a7.jpg
オリジナルのレールが残っている
DSC04184_R_2018082222125179c.jpg
海側の二階との境目の出っ張り部分に
DSC04189_R_20180822221253abe.jpg
上の段に刻印が残っている(堺煉瓦株式会社)
DSC04093_R_2018082223310014f.jpg
舞鶴市立レンガ博物館、旧魚形水雷庫
DSC04103_R_201808222331019bf.jpg
この建物の裏側にも刻印がある。現在赤レンガパークで見つかっているのは、この二つだけ(貝塚煉瓦株式会社)
(わざわざお仕事中に、館の方が案内して下さりました) 
DSC04106_R_20180822233103fab.jpg
博物館の方にお話を伺い、裏手の山に防空壕があると教えてもらった
DSC04109_R_20180822233104d5b.jpg
裏の駐車場の山肌に
DSC04111_R_20180822233105f41.jpg
確かにデカイ壕口があったこの東山には、司令部壕があったそうだ
DSC04112_R_201808222331070d7.jpg
クレーンの跡もある、中の気になる壕だった
DSC04134_R_201808222350221b6.jpg
博物館内部にジオラマがある
DSC04136_R_201808222350246dc.jpg
これが今の地下壕の事、港湾埋め立ての為に、かなりの遺構ごと山を削ってしまったそうだが、メイン部分の大ホール
木造二階建ての建物が建っていた空間は健在で、自衛隊サイドからは、現在も入る事が出来る。
DSC04139_R_201808222350253c9.jpg
赤レンガ博物館の昔の姿
DSC04140_R_201808222350261fa.jpg
DSC04144_R_20180822235028e58.jpg
結構精巧に出来ている
DSC04131_R_201809231752337ea.jpg
この刻印は猿島の掩蔽部で見る事が出来る
DSC04165_R_20180923175233688.jpg
いたる所で見る事が多い小菅煉瓦(囚人煉瓦)
DSC04122_R_20180923175231759.jpg
煉瓦の積み方コーナーとか体験できる物もあったのだが、お子さん達が写ってしまうので、割愛する
DSC04205_R_20180822235752233.jpg
駐車場に戻ってきた
DSC04208_R_2018082223575333f.jpg
怪しいくぼ地が見えた
DSC04210_R_201808222357551f3.jpg
コンクリートの防空壕のようだ
DSC04218_R_20180822235755380.jpg
対岸の二つの穴にも気になる


舞鶴赤レンガパーク

舞鶴市立赤レンガ博物館

舞鶴要塞 槙山砲台失敗及び白杉補助建築物

2018年8月に京都府舞鶴要塞郡の探索に行って来た
資料が乏しく、学研「日本の要塞」とリンクサイト「kanレポート」様だのみでの探訪だった。
舞鶴要塞郡とは日清戦争以後、日露の対戦は必至と見て海岸防備を急いでいた日本が、明治30年3月に舞鶴軍港の着工と年を同じくして、陸軍も同年11月に舞鶴要塞砲兵大隊の開設と砲台、保塁の建設に着手し、同36年10月に全工事を完成させた。
舞鶴湾の東岸に葦谷、浦入各砲台と吉坂保塁、博奕岬電灯、下安久弾丸本庫を、湾の西側に金岬、槙山各砲台、建部山保塁、白杉弾丸本庫などを配置した。
その後、昭和9年要塞整理要領により、金岬を廃止し、同年前進砲台として新井崎および成生岬砲台を設置している。
海軍の軍港施設を守るという性格上、湾口の岬、市内への進入路を見下ろす山の頂上に築かれており、戦後長い間放置されたまま当時の姿を留めている。
舞鶴発電所等の開発により、失われた物も多いが、基本的には現存していて、整備され、公園化している物もある。
下調べも所詮過去の情報しか手に入らないのだが、今回は現実は甘くないと再確認できた。

DSC03567_R_20180818195234246.jpg
夜中に横浜をTONOTAMA号で出発する、天気はかなりやばい台風の予報円
DSC03573_R_20180818195027f06.jpg
DSC03574_R_20180818195029495.jpg
とりあえず補給と晩飯
DSC03575_R_2018081819502983a.jpg
予想通りの雨が降ってきた
DSC03581_R_20180818201031f33.jpg
ふと、足元を見たら、とのさんの悪戯が!この程度には引っかからない
DSC03582_R_201808181950317e7.jpg
一路京都に向かう
DSC03585_R_2018081819503248b.jpg
養老Pで一服する、舞鶴まで片道550Km
IMG_2473_R.jpg
手前の可斗パーキングで車中泊
IMG_2474_R.jpg
翌朝予想外に晴れ間も見える、台風何処行った?
DSC03588_R_20180818201942036.jpg
原発に向かう
DSC03590_R_2018081820194331d.jpg
登る目標は、あの山かな?
DSC03593_R_20180818201944217.jpg
憧れの赤レンガが見えて、テンションUP!
DSC03594_R_201808182019453af.jpg
護衛艦も見えた!(とのさん興味無し)
DSC03595_R_20180818201947590.jpg
舞鶴地方総艦部の隊門も海軍機関学校正門の遺構
DSC03596_R_20180818201949888.jpg
中舞鶴駅跡C58展示場
DSC03600_R_20180818205956eaf.jpg
舞鶴聖母幼稚園の門は舞鶴重砲兵連隊隊門
DSC03601_R_20180818205958afd.jpg
舞鶴重砲兵連隊跡の碑
DSC03603_R_201808182059595b7.jpg
左側
DSC03604_R_20180818210001f0e.jpg
右側は日星高校の看板
DSC03613_R_2018081821000365b.jpg
学校法人 聖ヨゼフ学園 日星高等学校グランド西側の門柱も遺構
DSC03612_R_20180818210002cfd.jpg
すれ違いも出来ない道なので、注意が必要
DSC03615_R_201808182131154f7.jpg
舞鶴税務署の敷地内、向かって左側
DSC03614_R_20180818213114c22.jpg
どう見ても、新しい「舞鶴要塞司令部跡」の石柱
DSC03628_R_20180818213117748.jpg
(株)大阪マリン アオイマリーナ、船の形の管理棟がカッコイイ
DSC03635_R_20180818213119c8b.jpg
白杉の横波鼻漁港前にある通りには、補助建築物が並んでいる、糧食支庫のようだ
DSC03634_R_20180818213118705.jpg
砲具庫
DSC03637_R_20180818213120a59.jpg
見えないが境界石のようだ
DSC03641_R_20180818213122471.jpg
看守衛舎のようだ
DSC03643_R_20180818213123764.jpg
弾薬庫らしい、畑の奥なのでズームで!昔は左側にも何か有ったようだが、何も見えない
DSC03647_R_20180818215556c16.jpg
サルだ!自然豊かな所だ
DSC03650_R_20180818215558069.jpg
舞鶴発電所、あっちに葦谷砲台と浦入砲台がある
DSC03655_R_20180818215600c51.jpg
槙山公園が槙山砲台なので、来るまで登れるはずだった(2014、8、14の看板)DSC03653_R_20180818215559c21.jpg
2018年8月現在通行止め、御近所に聞いたが自衛隊が調査に登ったが、パンクしてすごすご降りて来たらしい
他の迂回路を聞いたが、無いとの事であった。
槙谷砲台とここから分岐する金岬砲台共にあきらめる。
DSC03656_R_20180818222920bc0.jpg
渡し舟等で聞き込みもしてみたがやっぱり駄目であった。
DSC03670_R_2018081822293138a.jpg
途中の戻り道で気になる物が見えた
DSC03663_R_20180818222922695.jpg
穴だ
DSC03664_R_2018081822292319d.jpg
完全に穴だ
DSC03665_R_201808182229251e8.jpg
しかし、浅い
DSC03666_R_2018081822292687a.jpg
他にもいくつか有る
DSC03667_R_20180818222927213.jpg
隙間から覗くが防空壕のようだ
DSC03668_R_201808182229291a4.jpg
恐らく民間防空壕だろう
DSC03671_R_20180818222932c95.jpg
大場トンネルを抜けて、次の目標に向かう

大房岬砲台

千葉県南房総市富浦町多田良1212-29にある大房岬自然公園が砲台跡だった。
この岬は約3km標高80mとかなり広いのだが、戦時中は地図から削除されて隠蔽されていた。
大房岬砲台は昭和3年起工、7年完成。ワシントン条約で廃棄となった巡洋戦艦鞍馬の副砲
45口径20cm連装砲(420トン)を陸上用に改造、40mの間隔を開けて2基4問を配備
関東では洲崎第一、千代ヶ崎、城ヶ島、大房にのみ砲塔砲台が設置された(全国で12箇所)

直径2mの昇降式探照灯は総コンクリート製でかなり大きな設備だが、現在も機材は無いが
エレベーター部分まで入って見学が可能
2つある地下式弾薬庫も内部見学可能だが、時期により水没
その東側に発電所施設があるが、柵がある上に半分埋没している
ビジターセンターが開いてる時間なら、小銃弾薬箱、ジオラマ等が展示されている。

DSC06387_R_201808141706316af.jpg
第二砲座と言われる花壇
DSC06386_R_20180814170630853.jpg
約40m離れたこれか?って思われる円形の空き地
DSC06398_R_20180814170632473.jpg
書いてあるからには、こっちは確かなのだろう?
DSC06388_R_2018081417173460b.jpg
背面の第二砲座用弾薬庫
DSC06389_R_20180814171736044.jpg
内部は意外に綺麗だし乾燥している
DSC06390_R_201808141717373a0.jpg
入り口付近の良くある謎の穴
DSC06391_R_20180814171738bbd.jpg
内部には弾薬庫が2つ並んでいる
DSC06392_R_201808141717407c1.jpg
若干水が溜まっているが、状態は良好
DSC06395_R_20180814171742944.jpg
第二の方はスロープが曲がっている
DSC06396_R_20180814171743960.jpg
振り返り、上の穴は電気配線及び通気かな?ここには扉があった
DSC06397_R_201808141717447d9.jpg
上部にある弾薬庫の通気塔
DSC06400_R_20180814182116a03.jpg
木の陰にコンクリートの構造物が見える
DSC06401_R.jpg
弾薬庫の盛り土が流れて、露出してしまっているのだ
DSC06403_R.jpg
排水施設らしい?
DSC06404_R_201808141821225c0.jpg
第一砲座用弾薬庫、スロープは真っ直ぐ
DSC06405_R_201808141837135ac.jpg
内部構造は同じ
DSC06406_R_20180814183715799.jpg
手前の弾薬庫
DSC06408_R_20180814183715cc3.jpg
奥の弾薬庫、共に水が溜まっている
DSC06409_R_201808141837172c2.jpg
反対側
DSC06411_R_2018081418371991e.jpg
上部の通気口
DSC06412_R_2018081418372196c.jpg
こんな感じ
DSC06413_R_201808141843317ae.jpg
小発電所、こっちは砲塔砲台用の電源だろう
DSC06414_R_20180814184333016.jpg
入り口は小さい
DSC06415_R_201808141843343fb.jpg
発電機台座
DSC06416_R_20180814184335bad.jpg
天井に残る、電気配線の碍子跡と通風孔
DSC06417_R.jpg
入り口周りには、高圧碍子も残っている
DSC06420_R_201808141843387d2.jpg
上部の通気口
DSC06423_R_20180814185947c83.jpg
海岸に下りると昔の台場がある
DSC06424_R_20180814185948d82.jpg
ビジターセンター付近に下りていく
DSC06427_R_20180814185951b72.jpg
絶対に当時ものの建物だが詳細不明
DSC06429_R_2018081418595382d.jpg
無造作に東京湾要塞地帯標が転がっている
DSC06425_R.jpg
第1掩灯所、今は倉庫に使われている
DSC06430_R_20180814185953617.jpg
天井の庇に吊り金具が残っている
DSC06434_R_20180814202032fa5.jpg
文化財
DSC06435_R_201808142020345f7.jpg
第2掩灯所が下に見える
DSC06440_R.jpg
地下施設がある
DSC06443_R_20180814202036e86.jpg
この施設は掃除されているようだ
DSC06444_R_2018081420203719a.jpg
入り口四角、内部は丸い通路を下っていく
DSC06446_R_20180814202039b89.jpg
天井の電気配線の跡
DSC06447_R_20180814202040053.jpg
床は滑り止め加工
DSC06449_R_2018081420324365b.jpg
到着した
DSC06451_R_201808142032446f0.jpg
下はかなり深い
DSC06452_R_201808142032455ed.jpg
ここには何があったのだろう?
DSC06457_R_20180814203248876.jpg
下が昇降部分
DSC06456_R_2018081420324672d.jpg
人物比とのさん
DSC06460_R_20180814204426dfb.jpg
なんか配線の跡が付いてて面白い
DSC06461_R.jpg
エレベーターの下から見上げる
DSC06463_R_201808142044282f0.jpg
この台座って何だろう?ストッパー?
DSC06466_R_201808142044304fd.jpg
もちっと詳しく書いて欲しいな!見たまんまやん。
DSC06467_R_20180814205254662.jpg
第2掩灯所地下通路からの縦穴出入口
DSC06468_R_20180814205256275.jpg
上から見たエレベーター
DSC06470_R_2018081420525881b.jpg
落ちたらちょっと痛そうだから、気をつけよう
DSC06471_R_201808142052580c1.jpg
土管、伝声管?
DSC06472_R_20180814205300683.jpg
石垣が組んである
DSC06474_R_2018081420530183f.jpg
地下施設からの通風孔
DSC06475_R_20180814210028039.jpg
探照灯用地下発電所
DSC06477_R_201808142100307bd.jpg
DSC06478_R_201808142100318a4.jpg
半分土に埋もれていて、分かりにくい
DSC06480_R.jpg
脇に地下通路がある
DSC06481_R_20180814210033368.jpg
完全水没だが、兵器庫らしい
DSC06485_R_201808142100355a4.jpg
反対側の出入り口も水没
DSC06486_R.jpg
海岸園地から海辺に降りる
DSC06487_R_20180814213724216.jpg
水辺にコンクリートの遺構が有る
DSC06498_R.jpg
魚雷艇基地のレールだと言われる
DSC06489_R_20180814213725500.jpg
脇に野球のベンチみたいなコンクリート遺構が有る
DSC06491_R_20180814215546582.jpg
階段のすぐ後ろに
DSC06493_R_20180814215547fd2.jpg
魚雷艇の格納庫と言われる穴が有る
DSC06494_R_201808142155482e2.jpg
奥に行くとかなり狭く、魚雷艇など入らない
DSC06496_R.jpg
入り口もこの様に岩が邪魔で入れないので、配備はされず、計画だけだったのだろう

船越地下軍需工場再訪

DSC02901_R_201808072235435ee.jpg
海軍造兵部の跡地の造成が始まった
DSC02900_R_201808072235416a2.jpg
1年以上空き地だったが、工事が始まると早い
DSC02963_R_20180807223544262.jpg
工事は裏の山にまで及んでいる
DSC02964_R_20180807223545a2b.jpg
地下軍需工場の入り口が見える
DSC02968_R_20180807223546341.jpg
以前はここに海軍病院があった
DSC02972_R_20180807223549378.jpg
今は綺麗さっぱり無くなった
DSC02973_R_2018080722532713c.jpg
山頂にある海軍境界柱
DSC02974_R_201808072253288da.jpg
頂部にある境界マーク
DSC02975_R_201808072253301f9.jpg
掛けてしまっている物もある(気のせいか新たに塗られている気がする)
DSC02976_R_20180807225330c38.jpg
コンクリートの境界線支柱もある
DSC02978_R_20180807225332ff6.jpg
僅かに残る、軍道の痕跡
DSC02979_R_20180807225333c53.jpg
監視所の入り口
DSC02980_R_20180807230431708.jpg
内部通路の先には
DSC02981_R_201808072304330e1.jpg
六畳ほどのコンクリートの部屋がある
DSC02982_R_20180807230433d3e.jpg
隣の部屋の観測窓
DSC02983_R_201808072304350d4.jpg
スリットから先は、生い茂ってしまって何も見えない
DSC02984_R_20180807230436cbc.jpg
さて、出よう
DSC02988_R_20180808231542d3d.jpg
唯一の壕口から進入する
DSC02990_R_2018080823154483a.jpg
とても立てる高さではない
DSC02992_R_201808082315453f3.jpg
もとは中腹への抜き穴だ
DSC02993_R_20180808231546638.jpg
一応は階段だったのだが、そうとう埋まっている
DSC02996_R_2018080823154844a.jpg
直角90度ずつ曲がり続けるくだり階段
DSC02997_R_201808082315500ed.jpg
高圧碍子が落ちている、誰か持ち出そうとしたのだろう
DSC03000_R_20180808235257440.jpg
大分崩落も進んできた
DSC03001_R_20180808235259cda.jpg
しかし、これだけ階段が続く壕も珍しい
DSC03002_R_2018080823530029f.jpg
最後の曲がり角
DSC03006_R_201808082353018ef.jpg
二階へ到着した
DSC03008_R_201808082353027f8.jpg
天井も高く、3mほどある
DSC03009_R_2018080823530414e.jpg
ここには木製の部屋があったのだろう
DSC03011_R_201808102147221d4.jpg
二階部分を回って行く
DSC03015_R_201808102147249c2.jpg
二階だが十分広く、しっかりした壕内
DSC03017_R_20180810214726c6f.jpg
残留物
DSC03022_R_201808102147267b8.jpg
高圧碍子もいっぱい
DSC03023_R_20180810214728651.jpg
天井にも残っている
DSC03024_R_20180810214729d89.jpg
二階の1/3は水没しているので、湿度が半端無い
DSC03025_R_20180810224004fd2.jpg
ストロボはもう使えない
DSC03027_R_20180810224005145.jpg
今日は長靴を履いてないので、この先には行けない
DSC03029_R_201808102240062ea.jpg
DSC03032_R_20180810224007ae1.jpg
段差のある場所
DSC03034_R_20180810224009152.jpg
二段の階段で繋いでる
DSC03043_R_20180810225905558.jpg
階段の先にあるもの
DSC03037_R_20180810225903e39.jpg
台形の掘り残し部分
DSC03038_R_20180810225904f9a.jpg
穴が空いて水が滴り落ちている。これは後で下から観る
DSC03031_R_2018081022590234b.jpg
一階に向かう
DSC03048_R_20180810231939012.jpg
階段を下りていく
DSC03052_R_20180810231941756.jpg
天井から止め処なく水が落ちてくる
DSC03053_R_20180810231941795.jpg
さっき上から観た所だ
DSC03056_R_2018081023194392e.jpg
下からはヤバイ雰囲気が伝わってくる
DSC03058_R_201808102319448d5.jpg
一階到着、こうこうと灯りが見え、キャタピラの跡もある
DSC03059_R_20180810233742016.jpg
出たらやばい、メッチャ見つかる。軍事施設で捕まったら洒落にならん
DSC03066_R_20180810233744f2a.jpg
そそくさと引き返すへタレ
DSC03070_R_20180810233745b87.jpg
抜き穴から脱出して行く

横須賀軍港めぐり

DSC02819_R_20180804232516f9d.jpg
横須賀軍港めぐりに久しぶりに行ってきた
DSC02811_R_20180804232512bc9.jpg
横須賀地方総監部に「いずも」がいる
DSC02813_R_20180804232513db6.jpg
吉倉桟橋には、たくさんの護衛艦がいる
DSC02815_R_20180804232514096.jpg
珍しい所に潜水艦が居る
DSC02820_R_20180804232517268.jpg
軍港めぐりの船が帰ってきた
DSC02822_R_20180804232518388.jpg
いずもとの対比で大きさが判る
DSC02818_R_20180805174710622.jpg
一時間に一本しか出ないので、さっさと受付に行く
DSC02961_R_2018080517471252f.jpg
新造船シーフレンド7号機、トライアングル儲かっている
DSC02960_R_20180805174712d16.jpg
一階はエアコン付だが、面白くもなんとも無い、当然屋上デッキへ
DSC02828_R_20180805175816d6c.jpg
今日は海自の潜水艦(けんりゅう型)は珍しい所に居る
DSC02833_R_20180805175817eee.jpg
逆光のいずも
DSC02835_R_20180805175818d78.jpg
護衛艦「いかずち」と補給艦「ときわ」
DSC02836_R_20180805175820fb0.jpg
けんりゅうがもう一隻いた
DSC02837_R_2018080517582144e.jpg
宿泊船APL40 太平洋戦争終戦の年・1945年に「ベネワ級」宿泊艦のうちの1隻「ニュエセス」(艦番号APB-40)として進水。
約10年後の1955年に退役となるが、1968年、ベトナム戦争で現役復帰。
1970年、ロングビーチにて再び退役、1975年より米海軍艦船修理廠佐世保分所へ。
1990年代中ごろ迄に横須賀に移動して現在にいたる。
要するに、修理中等で寝る所が無くなった船員の仮宿泊施設なのだが、陸に上がればいいような?
DSC02840_R_20180805175822089.jpg
奥に米海軍のイージス艦(米軍の殆どは既にこれ)がちらほら見える
DSC02841_R_20180805183417152.jpg
この水道は狭い、いずもは良く回れるもんだ!スラスターってすごい。
DSC02845_R_2018080518341943d.jpg
ミサイル巡洋艦シャイロー、2017年、乗組員(ガスタービン担当技術下士官ピーターミムズ氏)が行方不明となり日米の大捜索が行われたが、発見できずに捜索打ち切り、失踪7日後に艦内で生きて発見された。
なんと艦内で隠れて生活し、誰にも気づかれずに食事もトイレも行っていたとか。
海軍のいじめ体質は、全世界共通のようだ(ちなみ軍だけではなく、民間もそう)
DSC02848_R_201808051834215fc.jpg
イージスシステムのBMD3.6のフェーズドアレイ型レーダーの修理中のようだ
DSC02849_R_20180805183421694.jpg
入りたくなる様な穴が見える
DSC02850_R_201808051834231c1.jpg
米艦艇のマストは美しく無い
DSC02862_R_201808051908227bc.jpg
隣もレーダー配置等から観て、同型艦だろう
DSC02857_R_20180805190819b40.jpg
ブルー・リッジ揚陸指揮艦、1970年に就役後、ベトナム戦争をへて、1979年10月以来、ブルー・リッジは第7艦隊旗艦として横須賀を母港としている。
DSC02860_R_201808051908217b1.jpg
横須賀本港を出る
DSC02864_R_201808052044586d5.jpg
海上に点在している構造物郡は、横須賀消磁所の係留用の施設である
DSC02868_R_20180805204459ccf.jpg
鉄鋼船は長期間使用すると磁気を帯びる、ここで磁力の向きを測定し、逆向きの磁気を当てて打ち消す。
でないと磁気機雷などの影響を受けやすくなる、掃海隊のいるこの地区には必要な施設なのだ。
DSC02869_R_201808052045009fd.jpg
住友造船のガントリークレーン、この文字一つで7mあり、一文字書くのに200万円するそうだ。
DSC02872_R_2018080520450172d.jpg
海保の「たかとり」が落ちていた、PM14の左に書いてある青い図柄は、海上保安庁の業務であるSecurity、Search & Rescue、Safety、Surveyと、モットーであるSpeed、Smart、Smile、Serviceの それぞれの頭文字である"S"を図案化したもので、巡視船艇や航空機に紺色で描かれている。
DSC02875_R_20180805215505fd6.jpg
追浜の夏島都市緑地にある第三海堡の遺構、明治の東京湾要塞郡の一つで、今は港湾事故防止のために掘削、消滅してしまった。現在一般公開されており、毎月第一日曜日(1月のみ第二日曜日) 10:00~16:00 入場無料
DSC02876_R_20180805215506042.jpg
米海軍の施設となる、旧海軍軍需部狢(むじな)火薬庫
DSC02880_R_20180805215507e6e.jpg
先月燃えてしまった相模運輸倉庫旧海軍軍需部長浦倉庫郡 である。
DSC02887_R_2018080521550824b.jpg
海上自衛隊 自衛艦隊司令部に到着
DSC02892_R_201808052221042e0.jpg
DSC02889_R_2018080522210377d.jpg
先に触れた掃海隊の掃海艇「ちちじま」、掃海艇は磁気機雷に反応しないように木製の船体をしていたが、船大工が居なくなり、近年の船体はFRPになっている。
DSC02891_R_201808052229066c3.jpg
新造艦、潜水艦救難母艦「ちよだ」
DSC02894_R_20180805222907d97.jpg
退役した旧「ちよだ」、めったに無い新旧二代の同名艦がここにいる!日本は旧式の兵器を海外に売却出来ない為に、全てスクラップにするのだが、軍事機密の多い艦船は解体の方法も口うるさい、よって中々解体業者も決まらずここに横たわっている。
10年ぐらい前の「くりはま」、2年前ぐらいまでいた潜水艦等のスクラップ待ちを見た人も多いだろう。
DSC02901_R_20180805222908d1b.jpg
昔、ここには横須賀海軍工廠造兵部ガントリークレーンがあった。
DSC02902_R_20180805222905e77.jpg
旧横須賀海軍工廠造兵部の建物、これ以外は壊されてしまった。
DSC02908_R_20180805224445ff6.jpg
新井掘割水路
DSC02909_R_20180805224446ff2.jpg
元々ここは左右地続きであり、箱崎半島となっていたのを幕末の海上交通が増えたのにともない、半島先端にある暗礁が危険なため、多額の費用をかけ半島前方部に掘割を377m掘削し、水運の便をはかった。
その後、明治18年に長浦に海軍の水雷営、水雷武庫、水雷練習艦がおかれてから横須賀港との交通が頻繁になり、交通に不便となったため、現在の場所を掘削するよう鎮守府は横須賀造船所に依頼して、明治19年、海底27メートルの掘割工事に着手し、明治22年に完成開通した。
これにより旧掘割は埋め立てられ、周辺は旧海軍時代より現在まで燃料庫地帯になっている。
現在は米軍の燃料基地であり、左右の米軍基地の間を通過している形になる。
DSC02915_R_20180805224447e07.jpg
現在ここを通るのは、この船以外に観た事が無い、自衛隊は陸路で船越⇔吉倉を移動する。
DSC02919_R_201808052244512b1.jpg
DSC02917_R_20180805224448d6e.jpg
近年急傾斜工事が行われているようだ、旧軍の地下燃料庫の入り口跡が多数見える
DSC02924_R_2018080522445155b.jpg
吉倉に帰ってきた
DSC02927_R_20180805231628377.jpg
海自唯一の船、特務艇「はしだて」、戦闘用ではなく要人等の接待などの為だけの特殊な船
DSC02929_R_20180805231628eb4.jpg
多用途支援艦4305「えんしゅう」タグボートに近い役割をする
ヘリコプターフェスティバル in TATEYAMA で乗る事が出来る時がある
DSC02931_R_20180805231630b95.jpg
勢ぞろいした海自艦艇
DSC02932_R_2018080523163161e.jpg
手前の4桁は練習艦「せとゆき」、女性艦長だったりする訓練用の艦艇
DSC02938_R_20180805231634b26.jpg
アスロックランチャーが全開放している珍しい場面
DSC02933_R_20180805231633e19.jpg
101護衛艦「むらさめ」、174イージスシステム搭載ミサイル護衛艦「きりしま」、423補給艦「ときわ」
DSC02941_R_20180805235227cd2.jpg
壮観な眺め
DSC02946_R_20180805235229eb5.jpg
110護衛艦「たかなみ」、107護衛艦「いかずち」、潜水艦おやしお型かな?
DSC02947_R_20180805235229403.jpg
ヘリコプター搭載型護衛艦「いずも」
DSC02958_R_201808052352315ef.jpg
戦艦「陸奥」の主砲
DSC02959_R_20180805235233a28.jpg
軍港めぐりが終わり、帰ってきた
DSC02962_R_2018080523523515a.jpg
お土産等物色して帰る


京都 貴船神社七夕笹飾りライトアップ 

7/1~8/15まで、毎日日没から20時まで(土日は21時まで)開催される
七夕ライトアップに行って来た
405_R_20180730232827f1b.jpg
叡山鉄道に乗ったら、目の前にこんなのが一個だけぶら下っていた
406_R_20180730232828fb3.jpg
貴船口の駅に降りると、こんな事になっていた
407_R_20180730232829156.jpg
僅かながら竹灯篭もある
409_R_201807302328319fd.jpg
駅からバスに乗る
411_R_20180730232833621.jpg
途中からは徒歩になるので、貴船の川床を観ながら歩く
414_R_20180730232834c01.jpg
気持ち良さそうだが、入れそうな所には店があって入れない
418_R_201807302328357c5.jpg
貴船神社到着、まだ明るすぎる
420_R_20180731232455113.jpg
とりあえず行ってみる
421_R_20180731232456bc7.jpg
灯篭も全然映えない
423_R_20180731232457ed1.jpg
境内に入る
425_R_20180731232459f26.jpg
思ったより少ない七夕の笹飾り
429_R_20180731232500cf8.jpg
一枚百円払うと、願い事を書いて飾れる
433_R_20180731233105dae.jpg
もう少し暗くなるのを待つ事にする
435_R_201807312331066cc.jpg
一度下山する
442_R_20180731233108fef.jpg
近くの奥宮に向かう
443_R_20180731233108b6b.jpg
川沿いをテクテク登っていく
444_R_201807312331104f1.jpg
貴船の川床を眺めながら歩く
445_R_20180731233112bfe.jpg
奥の宮参道
446_R_20180731233113907.jpg
思ひ川
450_R_20180731234647624.jpg
ここまで登って来ると、人気が無い
452_R_20180731234649d17.jpg
奥宮の入り口
455_R.jpg
458_R_201807312346534b8.jpg
457_R_20180731234652d54.jpg
貴船神社奥宮
459_R_20180731234654a55.jpg
舟形岩
462_R_20180801233319be3.jpg
いい具合に暗くなってきた
464_R_20180801233319e84.jpg
ちょっと川に入ってみる、冷たくて気持ちがいい
467_R_20180801233321b13.jpg
参道にある末社
472_R_20180801233322758.jpg
滝の音が気持ちいい!
475_R_20180801234325390.jpg
枝道に入ってみる
477_R_20180801234327225.jpg
479_R_20180801234327083.jpg
487_R_20180801234329cfd.jpg
489_R_20180801234330d78.jpg
川床の明かりが綺麗に見えてきた
493_R_2018080222452835e.jpg
貴船神社に戻ってきた
497_R_201808022245300cc.jpg
なかなか丁度いい暗さだ
499_R.jpg
滝もライトアップ
501_R_20180802224532a5f.jpg
さて、境内に向かう
502_R_20180802230021af7.jpg
夜の七夕飾り
504_R_201808022300225c1.jpg
505_R_2018080223002377c.jpg
510_R_2018080223002429e.jpg
小規模だが、それなりに楽しめた!1本500円の聖水ラムネは飲めなかった
514_R_20180802230026795.jpg
さて、下山しよう
517_R_201808022300276f6.jpg
蟷螂はやっぱり夜だな
519_R_20180802230029695.jpg
貴船神社を離脱する
525_R_20180802231704112.jpg
貴船口駅のイルミネーション
526_R_20180802231705ce9.jpg
竹灯篭
527_R_20180802231706f52.jpg
少しだけ並んでいる
531_R_2018080223170742b.jpg
帰りのえいでんが来た(目玉に乗りたかった)
532_R_201808022317101bc.jpg
車内も七夕仕様
535_R_20180802231710599.jpg
もみじのトンネルライトアップを観ながら河原町に戻る