いよいよ今回のツアーの目玉である、第ニ海堡上陸見学クルーズに向かう
この第ニ海堡上陸は天候に左右され、現在まで24回実施されている内、9回が中止となっている
まだトライアル中なので、無理は出来ないだろうし、軍艦島や友が島も同じ様な物だ。
簡単に第⼆海堡の概要を述べておく
第⼆海堡は、第⼀海堡の⻄2,577mで、⽔深8〜12mの海中に築かれました。49万m3 の⽯材、30万m3 の砂が使 ⽤され、50万⼈の⼈夫が使役されました。
海堡の埋⽴造成費だけで79 万円(現在の価格で約50 億円)かかりました。
明治22年(1889)8⽉に着⼯し、⼤正3 年(1914)6⽉に竣⼯しました。
・27 センチカノン砲塔(27K 砲塔) 1基
・27 センチカノン隠顕砲※架式砲台(27K 隠顕式) 4⾨
・15 センチカノン砲塔砲台(15K 砲塔) 3基(4基の資料も有り)
・7.5 センチ速射カノン(7.5 速K) 10 ⾨
・機関砲 10⾨
・探照燈 1基
・⽔雷⽤探照電灯 1基
※隠顕砲(いんけんほう):防護壁の内側に隠れ、射撃の際に砲⾝が持ち上がる⼤砲。
(国土交通省関東地方整備局「第二海堡の歴史」より)
1923年9月1日の関東大震災により被災、その年の内に廃止・除籍された。
その後海軍が使用し、第二次世界大戦中は対空砲が設置されるほか、敵潜水艦の東京湾への侵入を防ぐ防潜網が設置された。
戦後は武装解除の上、爆破、使用不可能となり、海上保安庁の訓練施設として現在も使用中である。

グーグルで見た現在の第二海堡

2005年頃のと見比べる

第二次大戦時の配置(旧砲座はこの時点で機能していないはず)

反対側から見た写真、灯台を挟んで連装砲二基があったようだが、他の備砲は不明だ
この辺を踏まえて、本題に入る

猿島から直接第二海堡へ向かう

出雲が見送っている

遠方に第二海堡が見える

なにやら海上に煙が!釣り船の火災があったらしい

大分近づいてきた

隣の第一海堡も見える(どっちかと言うと、手付かずのあっちに行きたい)

まるで要塞のような護岸になってしまった、中央の白い機械は監視カメラで4km先の新聞が読めるとか

遥か遠くをスゴイスピードで走っている船がいる

南側から北側桟橋に向かう

島影から水中翼船が飛びだして来た!高速ジェット船セブンアイランド友号
時速約80kmのハイスピードで大島まで1時間45分で到着してしまう!

地上構造物が見えてきた

煉瓦の壁が萌える

これは海底ケーブルのライン

当時の北桟橋

護岸の崩壊は激しい

崩れたおかげで、見える部分もある

このアーチの下には、何があるんだろう?

新桟橋に接岸する

ダッシュ村で撮影していた辺り

目の前に早速煉瓦構造物があるが、華麗にスルーされてしまった(後は海保の訓練施設)
一応この島内では、海保訓練施設内は撮影禁止である。

ここでガイド用無線端末を渡される(スカイツリーだとスマホ型タブレット)、風があると10m離れると、何も聞こえない為だが、これ自体の電波が弱く、やはり10m離れると音声が不明瞭になる

ガイドが始まる

間知石とはこの石垣で、昔の単位1間に合わせてある。1間(けん)は6尺、一尺はメ-トル法で約30.3センチとされているので、1間は約1.82メートルに換算されるのだが、そんなに大きい石ではない、6つ並べるとおおむね1間になる。

あまり見かけない植物が生えている

船着場を振り返る

上層部に登ってきた

ここには第二次大戦時の12,7cm連装高角砲の台座が隠れている

即応弾薬置き場の穴

階段と兵員待機室

これが崩されずに残っているのは、国内ではここだけだろう

砲床部、アンカーボルトが朽ちずに残っているのは珍しい

千葉県側はまだ工事が続いている、山積みのケーソン

防空監視所(指揮所)と言われている構造物

15cmカノン砲砲座の残骸

ガイドも気にしていないのだろう、何の説明も無い

狭間に何かの構造物が飛び出している

神奈川側の横浜方向に面影は何一つ無い

同久里浜側も全ての構造物が撤去され、その部位は埋め立ての費用軽減に海中に埋められているのだろう
下を歩くと大量の煉瓦の破壊された欠片が見受けられる

南側桟橋、真ん中が折れているようだ