佐世保海軍工廠造兵部 川棚魚雷遠距離発射場(片島魚雷発射試験場跡)その1

片島公園に豪雨の中、到着した

駐車場には、すでに何らかの遺構が見えている


煉瓦の兵舎や倉庫の跡だろう

貯水槽もある

ここは、1918年(大正7年)に開設された魚雷発射試験場跡をはじめ、海軍工廠、魚雷艇訓練所など太平洋戦争当時、旧海軍の重要な軍事施設 がありました。魚雷発射試験場では、佐世保海軍工廠や三菱長崎兵器製作所で製造された魚雷の発射試験が行われた。すぐそばにある大きな建物(本部)の中で、魚雷の最終検査や調整などをしていたのではないかと言われています。また、当時魚雷発射の状況を記録・確認するための観測所跡も残っており、ここで合格となった魚雷のみ、船で佐世保鎮守府に送られていたそうです。

観測所も10分程度で登れる

有名な5連アーチの突堤が見えて来た

空気圧縮ポンプ室跡

その手前のコンクリート基礎は第一魚雷調整場跡

数mは石垣が組まれている

コンクリートの内部は非常に雑で、今なら許可が下りないレベル

魚雷運搬軌条、中央がレールかと思ったら

左右に2本あり、ポイントで切り替えていたようだ

突端部分、ここで軌条は90度曲がる

右側のカッターボンド、比較的良く残っている、角が面取りしてある

端部のクレーン台座

ここから先の崩壊は激しく、カッターボンドも削られている

ここで魚雷はクレーンで海面に降ろされる


これは呉のクレーンだが、同等の物があったのだろう

水門の跡がある、波の影響が無い様に発射前は閉じていたのだろう

魚雷発射場の左側の塔、外部に屋上までの梯子の痕跡がある

右側にあっただろう塔は崩壊している、この間が魚雷降し口になる

右塔横の窓から見る左塔のガレキ

足元にはコンクリート加工された、ロープのスリットだろうか

左塔のこの部分に、右塔との共有の屋根の庇跡がある

二階部分には右塔への出入口もある

ガレキの量からも、右塔は水門管理程度の平屋だったのだろう

右塔の窓

右塔の外縁部には、建物の痕跡が無い、塔すら無くて、壁のみだった可能性が強い
そもそもこの幅1m程度の所に塔を建てるのは無理だ。

ここから1階部分が結合していたのだろう

左塔の中に入る

正面の丸窓を見ると

新観測所と言われる探信儀領収試験場

空気圧縮ポンプ室が見える

ボロボロの桟橋部、なんでこんなにブロック化しているのだろう?一面ベタ基礎で平く塗れなかったのか?

上を見上げると、2F3F共にゆかは抜けている

この右上の面から梯子状の上り下りをしていたのだろう、階段は痕跡が無い

興味深い建物だった

護岸に残る階段、当時は少し浜があったらしい

護岸の穴は空気圧縮ポンプ室からの排水溝か?
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