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山口県 大津島(回天の島)馬島港

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左図の突堤間を全て埋め立てた感じだ
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当時の岸壁のボラードがこんな位置にある、この辺が右側のエプロンの辺り
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船着き場に、予定よりずいぶん早く戻って来れてしまった
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回天神社
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船の待合室兼売店(人はいなかった)
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暇なのでにゃんこと遊ぶ
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にゃんこ天国
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船は来ているが、後20分ほどある
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飛行科の痕跡を探してみる
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この辺からロ15ロ16潜水艦に回天を積んでいたようだ
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この辺が飛行科のエリアだが、護岸は全てスリップも当時物ではないそうだ
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こっちはもはや、軍とは無関係な馬島エリアになる
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にゃんこと目が合った
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こっち向いた
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寄って来た
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二匹でスリスリしてくる
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かわいい
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別のも寄って来る
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最後の食料を上げてみる
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シッポを立てて突っ込んでくる
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みんな撫でろと背中を向ける
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少し距離を置くタイプもいる
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にゃんこの手触りは最高だ
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気が付けば猫だらけ
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そろそろ船に行かねば!じゃあなにゃんこ。
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立ち上がると纏わりついてくる
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着いて来るにゃんこ
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一緒に来たいのだろうか?
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中々船に乗れなかった
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帰りは違う船だ
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徳山港に到着
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徳山港のこの辺に、回天のレプリカが展示されていたはずなのだが、撤去されたようだ
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山口県 大津島(回天の島) 大津島回天基地中心地

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海まで戻って来た
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当時のコンクリート製ボラードがある
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近代修復もされている様だ、砲弾などの荷揚げはここで行ったのか?
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更に古そうな桟橋の跡もある
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今はにゃんこの遊び場だ
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港方向に戻る
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睨まれた
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当時の石垣と、近代石垣の接合部
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大津島基地主要部跡を見て行く
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地獄の階段
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石垣に沿って変形した階段は、登り難そうだ
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魚雷点火試験場
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資材置き場になり、内部に面影は無い様だ
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いよいよお待ちかねの危険物貯蔵庫だ
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外側をコンクリートの節約か偽装か、石垣で囲ってある
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窓のフィンはオリジナルっぽい
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半円筒形の典型的な形
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制御盤があるが、後世のものだろう
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どこかで見かけた様な20L薬ビン
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マニアが喜ぶCRTTV
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鬼の様にデカいカラーコーン
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変電所跡
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隙間から覗くと、学校の用具庫になっているようだ
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当時の物かどうか分からないが、二宮金次郎でも立っていそうだ
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全体像
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隣にも付属施設があった様な煉瓦の跡がある
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背面
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発電機冷却水用の貯水槽だろうか
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水槽の前の建物の位置が調整工場の跡で、奥の校舎が回天などの保管庫位置だったようだ
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古そうな建物もあるが、資料に無し
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グランドには兵舎が建っていた
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島唯一の教育機関
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日曜でも誰かいるようなので、声をかけてから入ろう

山口県 大津島(回天の島) 砲台山指揮所及び砲座

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砲台迄の道は整備された歩道があるので、倒れた竹以外は問題無い
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周囲には塹壕が掘られている
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道から外れた指揮所跡
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緑に隠された、煉瓦造りの部分モルタル塗り
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手前にモルタル塗りの塔と奥にレンガの塔が付属する
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塔の入り口、とりあえず後回し
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窓から屋内を覗くが、ヒドイ有様だ
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指令所入り口
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とりあえず外回りから攻める
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反対面の外壁には、モルタルが塗られている
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飾りっ気のある塔、煙突で無い事は見た目で明らかだ
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窓から指令所を覗く、結局入っても絵にならなかった
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入り口到達
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内部には、片開きのふすまの様な窓がある
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網戸と鎧戸なのか、溝が二本ある
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窓の下には水槽らしき物がある
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後ろ側の壁面は窓が無く、総モルタル塗り
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天井を見上げる、何の塔なんだろう?
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なんかぼたって落ちて来た
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謎は深まる
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反対側の塔に来た
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塔は両方とも分離して、母屋と繋がっていない
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この足元の通気口も関係があるのか?
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内部、こっちは窓も何もない
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降って来ない内に退散する
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指揮所の脇の道を登ると砲座に到着する
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この情けない絵を見て判るように、あまり兵器などには関心が無い様だ。
ここには昭和16年から8cm単装高角砲が2基装備され、19年に12.7cm連装砲2基4門に変わっている
なお、兵員数などは合っているようだ
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一時整備されたが、荒れ放題に戻っている砲座
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冬場でこれである
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階段から砲床に降りる
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砲床の穴だが、何が何やらの状態だ
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即応弾薬置き場は破損も無い様だ
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通常なら砲員待機室に当たる部屋だが、入り口が狭い
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入り口上に、庇があった様な跡がある
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内部に入る
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内部は結構広い、壁は煉瓦にモルタルを塗った物のようだ
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これは?
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入って来いと壊れた梯子が誘う
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固定されていないわ、妙に撓るしギシギシ嫌な音のする梯子、公園設備とは思えないボロさ
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降りては来たものの、通路の奥は埋まっていた
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壁に配電盤でも取り付けていた様な跡がある
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藪に埋もれた砲座外部への通路
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1mほどの幅がある
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出た辺りに定圧機(ローラー)が立っている
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隣の砲座は、より状態が悪い
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とても降りる気になれない
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一番砲座らしく見える所
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竹林の向こうに何かが見える
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水槽だ、割と深い
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裏側の斜面から、パイプが突き出していた。
探照灯も探したかったが、さすがに無理そうなので諦めて下山する
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見落としの標柱を探しながら下山する
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八八
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竹の下に
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八二
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竹の下に
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六七
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木の根元に埋まっている
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頭部の境界線だけが確認出来る
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中心やや右
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埋もれた下に五九
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何故かボケた三五
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登山道から降りて、一般道に出た石垣の上
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ボケた二九もしくは二七?

山口県 大津島(回天の島) 砲台山~兵舎まで~

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砲台山に向かう、一般に片道回天記念館から80分の行程だと書いてある
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海岸沿いの道を歩いて行く
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これが水上機のエプロンかと思ったら、埋めてしまって跡形もないらしいし、もっと手前だった
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にゃんこ発見!(その度に止まるやつ)
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砲台への分岐点(帰りに気が付いたが、この先辺りから既に砲台の遺構が散見する)
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この施設から右に登山道が始まる
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昔は車が入れたようだが、今はとてもじゃないが、手前だけでアウトになる
金に糸目を付けず、カーフェリーにジムニーでも積んでくれば、ある程度までは登れるが倒木が激しい
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砲台時代の土留めの石組みがそこら中にある
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しばらくは軽快な道路が続く
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路肩の岩盤にふと目をやる、下の方に文字?
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昭和17年八月、大きな文字は不明。海軍らしく桜か?
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この先から道が怪しくなってくる
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境界石発見四五、墨入れをしている
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昭和一六年二月からの、余裕のある頃の竣工のせいだろう
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公園化時代の舗装は残っているが、もはや道が消えかかっている。11月の末でこれだ
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500m登って来た表示、どっちかと言うと後何mの方が励みになるのだが・・・
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岩の狭間に標石が
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一気に七〇に飛ぶ、字体も変わる
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波二本の海軍表記
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中間点1000m
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一気に二四五?
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風景が竹林に変わる
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元浦の石風呂とあるが、道なんかとても分からない
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行くのはこっちだし
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1500m地点
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この山道は、戦後整備した時に道を曲げたのか、右にも左にも標柱が埋まっている
通常は境界線を示すためにどちらかに寄っているものなのだが、探すのがめんどくさい
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字体がかなり怪しいが、一一四?二四にしても数字がバックする
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くの字の境界
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字体が元に戻り、二百番台の様だが、根っこがじゃまで掘れない
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ボケているが、山側は木の根元辺りの高い位置に多い
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登ってみると、確かに海軍標石
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しかしまた変な一一九?二九?
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右側の落ちた竹の間に
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道路に盛り土したせいか、右側(谷側)は埋まったものが多い
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さっきまでアスファルトも見えていたのに、道が消える
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時折見かける標石が、間違っていない証になる
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現代でも役に立っている標石
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と思うと、突然道が奇麗になる、人為的に埋められた水仙か?
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兵舎跡に到着
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しかし、ヒドイ雑草だ
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この辺りが一番平坦だ
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レンガ兵舎に、プレハブが後付けされている
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レンガはこの棟だけで、後はコンクリート基礎に木造兵舎だったようだ
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砲台は、回天と違って全く整備されず、荒れ放題のようだ
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この兵舎跡は一時、公園化で整備してベンチなどを置いていたので、このバラックも関係ないのだろう?
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大きな用水池
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この煉瓦の建物は、かなり大きかったようだ
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基礎の下に空間が見える
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この辺りは、トイレか濾過水槽なのか、コンクリートの穴が多数隠れていて、うかつに踏み込むと落ちそうだ
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外周部には、公園化時代の壊れたベンチが並んでいる
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砲台へ向かう

山口県 大津島(回天の島) 回天記念館、  士官宿舎跡

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古そうな門だが、昭和43年竣工時の物のようだ
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沿革
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両サイドには、戦死、殉死者の銘が飾られている
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掲揚台か何かに思えるが、資料無し
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平和の鐘
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平成11年にリニューアルされた回天記念館
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映画「回天魚雷」の4/5モデルが開館当初から展示されていたが、老朽化で昭和63年に現在の1/1モデルに変わった
ちなみに徳山港フェリーターミナル入り口にもレプリカがあったはずだが、撤去されていた。
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要するに制海権を失った海軍が、新型を造っても戦地に輸送する手段が無く、配備済の初期型のみが使用された
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二重反転プロペラは、現在にも使用される技術
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一度閉めると、内側からは開ける事が出来ないハッチDSC03223_R_20210126213713d34.jpg
波切りに穴が開いているので、初期型ではなく改1か改2型
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吊り下げ金具は省略されている
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回天碑(二代目)
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記念館の庇の下で雨ざらしの貴重な当時の機関部
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恐らく整備士の教育用、サンプルとして保管されていたものだろう
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これだけの史料価値のある実物が雨ざらしだなんて勿体ない
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内部に入る、入場料300円と資料本1000円支払う
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館内撮影は、ご遺影や遺品を写さなければ基本的にOK
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広い意味では既にこれらも遺品となっていそうだ
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回天実物部品
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ロケセットにしては、中々だ
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片道30分でも往復では1時間だ、時間的に行けなかった。
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劣化してあまり読めなかった
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誰も観ないだろう所に入り口表記があった
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養浩館の下には、基地本部を兼ねた士官宿舎への階段が有る
ちなみに養浩館の下は地下貯水槽になっていて、今も水が溜まっている
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濾過水槽
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水槽
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下から見上げた石垣とコンクリート壁

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次回砲台山に登る、帰りの船の時間と往復時間、探索時間を考えて訪問しよう
船の到着11:24、回天記念館見学終了13:20、帰りの船の予定は16:10。
約2時間半で往復しなければならない。

山口県 大津島(回天の島) 魚雷見張所 地獄階段

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分岐に戻り、右に進む
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回天坂と後に言われ、下士官以上の宿舎に向かう坂道。今は回天記念館、魚雷見張り所への道となる
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大津島小学校の裏手には、当時の水槽らしきものが見える
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グランド奥には当時の建物の一部が残るが、またあとで紹介する
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工場、一般兵舎から上がって来る通称地獄階段
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蝶番がある、扉があった様だ
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現在位置に階段が有る、回天自体は回天昇降場のある整備工場内に格納されている
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少々判り難いが、大雑把な位置関係は合っている
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小学校裏のあの穴に早く行きたいが、とりあえず上から攻める
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このコンクリート壁も当時からある物
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地獄の階段は、現在通行不可になっている
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上に上がるこの道は回天記念館に行く道だが
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こっちのこれを行くんですか?って方に分岐を進む(分岐に腐った休憩所みたいな物がある)
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登り口看板(ここから見張所まで写真を撮りながら13分で登れる)
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港を眺めながら登って行く、陸側の真ん中の小突堤は、当時からある。
ちょうど白い校舎辺りが回天整備工場(格納庫)だった位置だろう、右側のふれあいセンターが工員宿舎になる
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眺めの良い所に、小休憩所がある
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100mおきかな?こんなプレートがある(一部欠損)
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このコンクリート丸太の階段は、無い方が歩きやすい
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展望広場への分岐
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分岐からすぐに見張所に到着する
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かなり綺麗に整備されている
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説明板
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見張所全景、意外と大きい
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窓に庇を後付けしたのか、木材が残っている
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ここだけ窓枠の金属が残っているが、他は盗られている
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仕切りの無い内部は広い、中央部には機材があったのか、四角い跡がある
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天井には電線の配管か、円形の金具がある
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建物自体は煉瓦で、モルタルで上塗りし、内部は漆喰を塗ってある
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大津島の北側を望む
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出入口は裏と表に一つづつ
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窓だらけだが、陸に面した部分は少ない
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高圧碍子の付いた金具
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各窓に付いた溝、観測具か机でもはめ込んでいたのだろうか?
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各面に一つづつ足元に換気口がある
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天井にある照明の取り付け部、配線の溝と金具が残る
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北側の蛙島、肝心の魚雷発射方向を撮って来なかった
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すぐ近くなので、展望広場に寄ってみる
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本当に広場のみ
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モニュメントは風で回るらしい
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栗谷のコンビナートが見える、反対側(九州側)は木で全く見えない
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下山途中に、気になった道らしき所に入ってみると
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コンクリートが現れた
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高圧碍子も落ちている
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下から見ると、立派な階段に枯れ葉が覆い隠していたのだ。
当時の階段部分をショートカットして、ハイキングコースを成型しただけのようだ、つづら下りで現道に復帰した
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休憩所となっている養浩館、今は閉鎖されている
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その前にもコンクリートの基礎がある
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回天坂のこの辺りも当時の道の名残りだろう

山口県 大津島(回天の島) 回天訓練基地及びトンネル

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回天トンネルはすぐに現れる
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この辺の土砂止めは近代かも知れない
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海岸の方に少し出てみる、トンネルが完成するまでは、この海岸線をトロッコが通っていた
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こちら側の護岸は、崩れて作り直されている
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トロッコ軌条を探そうと思ったが、早くあそこに行きたくなったので、帰りにする
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トンネル案内板
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トンネルに突入する
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山の形にうねったトンネルは、中ほどですれ違いの為に複線になる
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うっすらと複線のレールの跡が見える。左側に海への開口部がある
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10mで海に出る
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中央部の出入口だが、回天の出入口ではない
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ここには空襲時指揮所があり、訓練中の船舶に手旗信号で連絡する場所だったが跡形もない
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そのまま外を歩こうかとも思ったが、一応止めておく
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しかし、人の出入りの為だけにしては、大き過ぎる通路だ。ここから荷物の運搬などもあったのだろうか
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トンネル内部では、ここからパネル展示があり、音声ガイドもある
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後半のパネル展示抜粋
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カーブ明けに、出口が見えて来た
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安全基準の為、見学路のレール跡は修正されている
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元は93式酸素魚雷の試験場が、19年に回天訓練基地に変更された
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トンネル出口
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回天訓練基地施設に到着
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こちらの波止場に魚雷艇クラスの船を係留し、この施設から海面に降ろされた回天を、船の横に抱きながら訓練海域に出た
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荷揚げ用のデリックの基礎が残っている
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ここからトンネル出口と中央の空襲時指揮所出入口が見える
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コンクリートの柱はオリジナルだが、鉄骨を組んで、安全対策が行われている
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通って来た部分
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建物内のこれは、回天では無く魚雷発射試験場時代の魚雷発射口
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9mの九三式酸素魚雷を、どうやって降ろしていたのだろうか、天井には吊り金具の跡が無い
両サイドのボルト跡にならかの器具があったのだろう
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ここの天井は崩れたのだろうか、木製天井ならコンクリートの断面が不自然な気がする
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二階には目標船が向かう先を見分ける演習機が設置されていた
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橋の橋脚は5つあるが、当時としては珍しいケーソン(中空のコンクリート構造物)で出来ている
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建物の下も、大型ケーソンで出来ている、海面付近の空間がケーソンの継ぎ目
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ケーソンの形状が良くわかる
明治二五年起工、大正10年完成の東京湾第三海堡でも、既にケーソンは使用されている
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海岸線に残るトロッコ軌条のコンクリート
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海岸の岩の質が悪いため、海側のレール跡は全く残っていない山側の1本のみだ
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レールに沿って歩いて戻ろうかと思ったが、足場が悪すぎるので止めた
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いつか見たいとずっと思っていた遺構が見れた、満足して次に向かう




山口県 大津島(回天の島) 回天神社、飛行隊門

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朝一の飛行機で、羽田を出発する。1時間45分の空の旅
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瀬戸内海の島々が眼下に見える
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山口宇部空港に09:05に到着、空港はこのぐらいが迷わなくていい
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レンタカーを借りて、徳山港に爆走する。10:40の船に乗らないと、次は13:10まで無い
13:10は13:36到着予定、帰りを16:40とすると3時間しか島にいる時間が無いのだ
帰りの最終便は17:40があるが、冬場は真っ暗で意味が無い
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車は隣の船着き場に無料で停められるが、早い者勝ちだ(一番奥の建物側から入るが狭い)
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自販機で乗船券を買う。港には飲食物を買う設備が無いので、必要なら先に買っておかないと、島にもお店は当てにならない
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非常に判り難い時刻表。大津島には4つの港があり、2隻のフェリーで運行している
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時間に寄るが、必ず2ヶ所以上は港による。観光客の降りる港は馬島だ
ちなみに馬島は昔は大津島とは繋がっていなかった、だから島の名前になっている
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帰りの便の時間と、港まで戻る時間を考慮しないとえらい事になる、
島にはバスもレンタカーも無い、観光客は歩くしかない
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出航する、おおむね正面の島が大津島だ、右が黒髪島
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船内は中々快適空間だ
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途中、苅尾に寄って馬島港に到着、45分の船旅だ
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遂に来た、回天の島大津島(ちなみにおおづしまらしい)
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第一にゃんこ発見!港の待合所に自販機があるので、ここで買っておかないと、この先購入不可能と思ってよい
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大津島回天神社、見た通り出来立てだ
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令和元年に合同となったようだ
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隣の大津島公園に入ると、第二にゃんこが電光石火で逃げて行った
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飛行科入り口門、この周辺から馬島港までが水上機基地であった
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一応ヒンジは3対とも残っていた
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島食堂ひなた
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島唯一の食堂、この後ろにロッジ形式のキャンプ場がある
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人のいる所にはにゃんこが集まる
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キャンプ場で餌でもあげているのか、全然逃げない
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子猫もいた
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少し遊んでいるとみんな寄って来る
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登って来る
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にゃんこパラダイスだ!
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探索いいから、遊んでいようとすら思えて来る
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結構な時間遊んでしまった、でも満足だ!
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この辺りに当時は回天のトロッコと島民の生活路の交差点があり、秘匿兵器回天を見せない為、赤ポールなる旗を立て、交通を遮断して回天の移動を行ったらしい。
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キャンプ場の脇を抜けると、回天訓練基地へのトンネルに行ける、元々は回天のトロッコ軌条のあった道だ
道が曲がっているのは、元々のトロッコ軌条は海岸線にあり、トンネルが完成するまでは外部を回っていたためだ
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左がトンネル方向、右が回天坂。回天記念館や山頂の魚雷見張り所へは右へ行く