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亀島山地下工場 その1

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岡山県最大の戦跡と言われる亀島山地下工場を見て来た
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アマゾンで買えるガイドブック
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この碑は何処にあったのか分からなかった
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米軍図は、完成予定図の模写と思われる
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実際には下の方はコンクリートで成形された完成形の部分が多いが、上半分はかなり未完成だ
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相当な山狩りを覚悟して行ったが、5分足らずで壕口発見
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早速滑り込む
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メイン坑道が見えた
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工場らしく、広い造りだ
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左が主抗で右が枝抗となる
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主抗の幅は4m近い
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碍子が落ちている
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横幅が広く、工場らしい主抗
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所々に調査のマーキングがある
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隣の外部への壕口は、塞がっている
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完全に埋没
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右に進む枝道も未完成で、繋がっていない
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ガレだらけの掘削中だ
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来た方に戻る
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足元を照らすと、トロッコ軌条が良く見える
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照らさないとこんな感じ
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落書きするな
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3つ目の主抗外部出入口、やはり埋め戻し
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右の枝抗、崩落している
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崩落は天井の高さが、床になるぐらい盛大だ
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天井は、現在進行形で崩れている、触るとボロボロ
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この辺の崩落はヒドイ
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主抗と枝抗が十字路を造らず、通路をずらしてあるため、位置を掴みずらい
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先に素敵な物が見えて来た
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ついにコンクリート登場
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下半分だけ巻いた所で、左側が前に倒れた様だ
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先に奥を確認してくる
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4本目の主抗入り口も塞がれている
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入り口左側の通路も掘りかけ
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コンクリートに戻る
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コンクリートの内側は空洞になっている
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コンクリートの巻き立ての過程が判る貴重な遺構
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反対側から見る
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混ぜ物の多い粗雑なコンクリートで、鉄筋も無ければ崩れるのは必定
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枝抗を進む
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奇妙に床のなだらかな主抗に出た
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左を向くと、コンクリート巻きの壕口アーチが!
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しっかり目張りされて、強度はギリギリ保たれている様だ
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これは鉄筋入りと言うより、セメントを固める時の板を固定していた残りでは?
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なんと開口している、非常時にはここから出れそうだ
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外から見た入り口部分、コンクリートは壕口から3mほど入った所から巻き始めている
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これで道路側主坑道入り口を5つとも確認した事になる
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玉島乙島(水溜)高角砲台 その2

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帰ろうとした時、ふと鉄塔の側に
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何やら鉄柱の基礎がある、先代の鉄塔かなんて考えていたら
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その先に円形の砲座が!
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しかもこっちの方が断然状態がいい、ちゃんと下調べしないと、危ない所だった
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壁面はオールコンクリートなのだが、即応弾薬置き場の形状が全て違う
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一風変わった砲座への入り口
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一回り全ての即応弾薬置き場を羅列して行く
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ここには変な溝が無い
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30cm程度しかない奥行き、変な溝がある
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天井部分のスリットには、木材がはまっていたようだ
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こんな感じに木材がはまっている
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食器のかけら
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良く見ると、天井が崩落している、やはり急造なのだろう
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これで左回りに一周した
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砲床もコンクリートだったようだが
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大分薄っぺらな床だったみたいだ



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帰りは別ルートで下山する、こっちの方がかなり楽なコースだ
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旭井戸
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三賽荒神社
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お墓の脇に降りて来る、ここまで砲座から3分で降りて来た
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水溜公会堂に降りて来た
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火の見櫓の脇に市の案内板がある
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砲座が本来3基あったのだろうか、引き渡し目録と備砲が違う?
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これ、反対側にも付けといて欲しかったな
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車に戻り掛けに、畑の奥に怪しい所が
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壕口だ
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周りにいくつもありそうだ
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その内の一つに入ってみた
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入り口は崩れやすく、陣地には向かなそうだ
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単純な防空壕にしては結構広い
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部屋も二つある
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灯り置きか
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道に面した防空壕だろう、他にもあるが止めておいた

玉島乙島(水溜)高角砲台 その1

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この辺りから登って行く
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民家脇の登り口
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登る人の絶えた道は、竹林に戻りつつある
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登り始めて数10mで右手に怪しい切り通しが現れる
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弾薬庫入り口、後何年もつかな?
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オールコンクリート巻き
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床もしっかりコンクリートだ
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奥の壁には何故か棚が
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横にもそれらしき形跡があるが、ホントに棚かは不明
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入り口方向
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換気用?と思われるヒューム管が三本
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しかし、外部からは確認出来ない
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一部、型枠の木材が残る
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当時の土留めの石垣が、ちらほら見える
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以前は整備されていたので、道としては歩きやすい
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あの鉄塔を目印に進む
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広い平坦地がある、兵舎でもあったか?
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また道は細くなる
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掘削された軍道が歩きやすい
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こんな所に鳥居が
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山神様だろうか?こっちは行き止まりだ
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分岐を左に進む
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道に石垣が組んである
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道の傍らに、人為的に掘削された窪地が複数現れる
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またお社がある
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軍道に戻る
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勾配を増し、つづら折りに登る
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また、傍らに平坦地が掘られている
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鉄塔が見えて来た、ここまで写真を撮りながら30分かかって無い
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鉄塔のすぐ側に砲座はある
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一見何も無さそうだが
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かなり埋まっているが、九八式十糎連装高角砲砲座である
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即応弾薬置き場、砲座の外壁は石積みの様だ
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即応弾薬置き場右側、コンクリートの崩落を防ぐための支えだろう
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左側、こんな溝の入った弾薬置き場は珍しい
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反対側
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こちらは特に、支えは無い
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しかしこの溝はいったい何だろう、棚にしてはずれているし強度も減るはず、まさかコンクリートの節約?
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殆ど埋まっている
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なんとか確認できる即応弾薬置き場はこの4つ
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砲座周囲には、石垣を組んである場所が多い、建物があったのか?
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さて、砲座も見たし下山しようって、この時マジに思った。


黒崎防空監視稍及び戸島防空監視稍(仮)

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富士を見ながら、機上の人となる
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岡山空港到着
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レンタカーで黒崎公園へ、登山者用に数台駐車スペースがある
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備南アルプス登山口
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公園左側の畑の隙間から登山ルートに入る
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登山スタート
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ハイキングコースは歩きやすくて拍子抜け
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ポイントの鉄塔到着
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鉄塔結界を撮りたくなる
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要塞地帯票かと思った
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この分岐路を
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コースを外れ、道の無い真ん中へ進む
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尾根沿いを歩くと、すぐに要塞地帯票もどきが現れる
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途中、若干道が消えるが、尾根に沿って歩けば大丈夫
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分岐から10分も歩けば
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黒崎防空監視稍の残骸が現れる
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肉厚のあるコンクリートだが、建物自体は破壊されている
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若干だが、鉄筋も確認できる
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そこから10m程上
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聴音壕が無傷で残っている
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約3mの円形コンクリート、中から樹木が生えている
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中を覗く、内縁にコンクリートの台座が4つ
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30cm四方程度の椅子なのだろう
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こんな感じに4人が向かい合わせに座って、内部で音を聞いていたのだろう
実際に中に座ると、外部の音はかなり遮断され、上空の音だけに集中できる
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聴音壕の内部は、自分の身長(174cm)とほぼ一緒だったので、腹筋に自信の無い人は入らない様に
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内側にこの窪みと鉄筋がセットでぐるっとある
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内側のコンクリートを固める時の、固定具だったのだろうか?
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円周上の縦溝も、構築時の物だろう
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軍ものにしては珍しく、淵の部分が丸く盛り上げてある
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戻り掛けに観た石柱、標石か?


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倉敷市戸島神社にやって来た
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鳥居の前のこの坂の途中にそれはある
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トーチカに似た構造物
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入り口は、とても入りにくい状態だ
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前に回り込む
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銃眼にしては小さ過ぎるし段々も無い、これでは跳弾で敵弾が中に入ってしまう
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何故か片側に密集する開口部
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天井は丸い
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天井の真ん中辺
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内部には、激しく水が入り込んでいる
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内側から4つの窓を見る
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さすがにトーチカでは無く、防空監視稍だろう
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ついでに一応参拝して行く
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あとは特に何もなかった

京橋駅機銃掃射痕

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京阪電車 京橋駅
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JR京橋駅高架下に移動
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リバーカントリーガーデン京橋
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ここには破壊された煉瓦建築物のモニュメントがある
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終戦前日に1トン爆弾4発が落とされた京橋駅周辺、写真の建物が煉瓦製のガラス工場で、焼け残ったのだが工場の再開より、市民の足鉄道の復旧を優先し、社屋を鉄道に貸し与えたそうだ。
当然のごとくに会社は潰れたが、鉄道の復旧は早かったらしい。
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もちろんオリジナルでは無く、モニュメントで、説明板も何もない
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内部はオシャレなショッピングセンターのようだ
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橋脚等も当時の様だが、状態が悪すぎる
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JR京橋駅の寝屋川側に移動する
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JR京橋駅・南口(線路沿い)の慰霊碑。
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平和よ永遠に像
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大阪城の戦跡をざっと眺める
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全部やってると切りが無いので少しだけ
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旧第四師団司令部
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大阪砲兵工廠跡
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JR玉造駅
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黒門町架道橋
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中央部の黄色い部分に、機銃痕が残る
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この分厚い鉄骨を、貫通している
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昭和7年3月竣工(プレートは最近の)
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ペンキを塗り替えたのが、1997年3月
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桁にもたくさんの貫通痕がある
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ホームの壁にも機銃痕と言われる物がある

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後は適当に観光して帰る
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さぁ、横浜に帰ろう

塙戦闘指揮所と言われる10Kトーチカ及び周辺遺構

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塙地区に到着し、周辺の謎穴を見て回った
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とんでもない所に開口している小穴
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結構無理してよじ登ったが、狭くどろどろの壕だ
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灯り置きもあり、当時はそれなりだったかも知れないが、道路工事で壕口部分は削られている可能性が高い
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先はまだ続くのだが、ドロドロで進めなかった、足が抜けなくなるのだ
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サッサと脱出する
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次の穴、ここは崖の中腹にぽっかり空いており、上から垂直降下で入るので自分だけ行く
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入って10m程で右に曲がった
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壁に灯り置きがある
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右に曲がって行くのだが、既に明かりが見えている
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コの字型した壕の壕口(砲室or銃眼)が下の道路工事で削られて、通路だけが残っているのだ
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出にくいので降下して来た開口部に戻る
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こんな所に来る奴は、二度と居ないだろうな。戻る方が大変だ
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塙の戦闘指揮所と言われる、10cmカノン砲トーチカを見て行く
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左翼砲室は、農機具置き場になってしまっている
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砲側弾薬庫と思われる部屋1
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指揮室と思われる部屋2の入り口
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同内部
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トーチカ砲口部
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砲室の左側には、左翼砲座への連絡通路がある
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その間にある、左翼砲室用の砲側弾薬庫
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隣にある指揮室
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通路側の小窓
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こちらの部屋は、縦長な分1m程度しかない、横に砲室側の小窓がある
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左翼砲室は調査の為、ゴミを出され(右翼へ移動?)砲床のコンクリートを確認できる
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砲口部
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外側から
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砲室後部には、外部との出入口があるが、畑になっていて砂が流れ込んでくる
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内部のほとんどの砂は、ここから風雨で流れ込んだのだろう
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天井の鉄筋、砲の吊り下げフックでもあったのだろうか?
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外に戻る
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屋上に登って見たが、以前より緑が濃くなっていた
戦闘指揮所
ねこさん手製の平面図



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香取郡東庄にある10K陣地を探しに行く
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しかし、溜池とバイパスの工事で、10Kと思しき窪みはある物の、ゴミが積み上げられ確認不可能となっていた
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諦めず探していると
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ねこさんが小さな穴を発見した
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きへいさんが、人間ドリルのごとく潜って行く
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なんとか潜り込むと、のっけから水没だった
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長靴オーバーの水没だが、四角く綺麗な掘り方だ
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きへいさんは物ともせずに突入して行った
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しかし、掘りかけの終息だったらしい
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どうやら人為的に封鎖していたのが、開口してしまったようだ
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脱出後、適度に埋めておいた
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周辺の怪しげな所を探して回る
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丘のピークに円形の窪みがあった
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交通路と円形窪みで、蛸壺銃座の可能性はあるが不確定
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日没となり、この日の探索を終える

陸軍(後に海軍)横芝飛行場 貯蔵壕

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最近の探索は、キャンプから始まる
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下戸二人、飲兵衛二人の乾杯
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メスティンメシは美味いし簡単だ
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適当に語らい、就寝する
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翌日、横芝飛行場の物資貯蔵壕に向かう。飛行場から3km離れるので、防空壕ではない
当時、横芝飛行場はかなりの空爆を受けていたので、離れた場所に急遽掘ったのだろう。
横芝飛行場(1946-02-13) USA-M44-A-5VV-318_R
横芝飛行場(1947-08-11) USA-M399-65_R
パパゲーノ氏からもらった、米軍撮影の横芝飛行場。全面芝生張りなので、コンクリートの様な滑走路は映っていない
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先行して発見していたねこさんに案内してもらう
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それでは入壕する
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入り口付近は崩落が激しいが、奥は何ともない
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崩落+土砂の流入で半分塞がった入り口
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掘削途中のトロッコ軌条が残っている
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もう少しで完成だったようだ、トロッコ軌条がある=物が置けない、ゆえに未完成状態
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ズリ出しもされて、一番飛行場に近いこの壕はあと数日で稼働できただろう
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飛行場から離れた方向に進む
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壕口付近のもろい部分が崩れて塞がっている
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判別しがたい物を入れると、残存の同数近くが陥没消滅していると思われる
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次も殆ど埋まっている
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斜めになって滑り込む
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この壕だけが馬蹄形をしている、陸軍時代の産物かも知れない
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崩れやすいのが解っているので、支保抗の本数が多い
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2/3程の所で、派手に崩落している
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天井には大空間が出来ているので、乗り越えられる
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この先は無事に保たれているが閉塞だ
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脱出する
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次の壕口は大きめで入りやすい
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その分ゴミも投棄されている、床のトロッコ軌条が勿体ない
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この壕は支保が無くても綺麗なものだ
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幅も広く大人三人横に並べる
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地下壕で踊るパパゲーノ氏
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次の壕口は小さい
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奥も5m程なので入らない
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次の壕口前で、ねこさんが躊躇している
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めっちゃ狭いし、ボロボロ崩れて来る
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落石で塞がりかけていた、あれがいまこっちに落ちて来たらアウトだな
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内部もボロボロだ
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地層がすごい
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床は崩落ではなく、ズリが堆積しているようだ
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掘りかけ終戦
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やはりメンバーは誰も入って来なかったってか、既に撤収体制に入っていた
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隣は潰れている様なので、みんな撤収した
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欲をかいて、もう一つ見付ける
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垂直近くに見える入り口の隙間、戻れるか心配になる
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とりあえず入ってみたが、中もひどい
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徐々に狭くなり、終息
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さっさと戻らないと、完全に置いて行かれた!
地図(空港探索様)
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駅できへいさんをお迎えする
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鎌数伊勢神宮へ参拝して行く
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賽銭箱の前に、シロさん(本名)がいる。この神社には4匹の猫が飼われている
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お賽銭を入れ、手の消毒をしたら撫でていいシステム
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神社を通過し、隣の掩体壕を参拝する
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本来は表の道路から行くのが普通だ
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耕作地には入らない様に回り込む
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市の説明看板
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所有者の物置になっているので、中には入れない
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恐らく地面が嵩上げされているので、本来はもっと大きいのだろう
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さらばだにゃんこ!

観音崎三軒家砲台2021

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横須賀美術館に行ったのだが、コロナで閉鎖されていた
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仕方ないので空母氏が行きたがっていた花立台堡塁砲台の位置を確認しに行った(10年ぶり?)
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美術館裏を登ると、三軒家砲台に出る
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12cmカノン砲座は草だらけで見向きもされない
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井戸の跡
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第4砲座
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砲座間の弾薬庫
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隣の第三砲座
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迷彩塗装が良く残っている
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第四砲座の隣には、付属室がある
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その上のスロープ
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階段を数段上がると
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観測所がある


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第二砲座は園地への通路となり破壊された
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僅かに横墻の一部が見えるのみ
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第一砲座
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花崗岩の一部には、石の産地や会社を示す刻印が見れる
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上から見る
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山側には見張所への階段と掘割りがある
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ずいぶんと広い掘割りだ
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その先には掩蔽部がある
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掩蔽部は2つ並んでいる
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掘割りはV字に掘られている


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掘割りを出て、右に曲がり坂を登ると掩蔽部の反対側の出口がある
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当時の砲台への門
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坂を登ると、トイレのある2段になった平地がある、そこには探照灯が置かれていた
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トイレの裏に階段が有る
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それを登って下ると、監視所がある
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とても綺麗な状態で残っている
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すぐそばに、関連遺構だと思われる物がある
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花立台堡塁砲台の位置を確認しに行く
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観音崎公園は、標柱も多くて多彩だ
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場所だけは覚えていた様だ
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目的は達成したので帰る事にする

海軍艦政本部壕

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久しぶりに艦政本部壕に訪れた、K氏に情報のお礼にご案内となった
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いつもながら、このコンクリートに萌える
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以前より水没が少なくなっているような気がする
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電気配線か?
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艦政本部の半分は、この様に封鎖されてしまい、入れない
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コンクリートで巻かれているのも、最初の内だけ
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この壕には、連合艦隊司令部と違って、部屋が一つも造られていない
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埋まっている外部への通路
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見れる所の6~7割はこんな素掘りだ
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掘削のトロッコ軌条は、あちこちに残る
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この部分だけ床がコンクリート
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中央に深く掘られた排水溝
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基本的には壁側両サイドに掘る物だが、大型壕では中央に掘って蓋をするケースもある
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コンクリート巻きの交差点は、何とも言えない
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何処を撮っても同じに見えるのが難点だな
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ガチ水没ゾーンもある
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素掘りとコンクリートの境目
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綺麗に見えるコンクリートも、内部はかなりいい加減だ
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コンクリートの横抗
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巻きたての途中、いい途中経過のサンプルだ
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天井部に残る、当て板の木材
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天井に石を詰めて、セメントを節約している
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枝抗には、素掘りが多い
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また、逆もある
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写真で良く見る通路
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壁の大谷石が盗掘されていると言われる
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最初から無かったようにも見えるのだが、真実は謎のまま
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素掘りゾーンの崩落は多い
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引き抜かれた通路は何本もある
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大谷石の盗まれた所と言われている部分の一部には、台座の様な物がある。
盗まれたにしては、縦の面が奇麗にそろい過ぎている。石材として盗むのなら、こんな持って行き方はしない。
元々は工作機械や通信、暗号解読等の設備を置くための、スペースでは無いか?
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坑木の残る所もある、石が引き抜かれたのなら、こんな坑木があるはず無い
一度公に発表してしまったので、引っ込みが付かないのだろう
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プールの様に水の溜まった通路
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泥濘と化した、靴では歩きたくない通路
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人を入れると、通路の大きさが判る
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端っこの方まで来ると、かなり粗削りだ
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封鎖された所の塩ビパイプを覗き込むとのさん
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上部の砂岩質の風化具合がすごい
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支保抗の跡
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壕の原型を留めぬ程、風化の進んだ部分
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この地下壕には、集水桝が3つある
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土管に砂利を入れて地下水を濾して、下部から飲料水として?採取する仕組み
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天井の穴からは、いまだに地下水が滴っている
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2つ目の集水桝は、倒れてしまっているが、下部の送水パイプが残っている
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意外とあちこちにトロッコ軌条跡が残っている
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3つ目の集水桝は、異形の姿をしている
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何ともやっつけで作ったにしても、おかし過ぎる
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天井には鉄パイプを通して、地下水集水する穴がある
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大谷石を盗まれたと言われているゾーンに戻って来た
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大谷石はこのように、互い違いに組まれている
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石材をこう、スパッと半分に切る事はありえない
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元々はコンクリートが足らずに、大谷石を流用したのが、それすら足りずにこんな間抜きの工事になった。
もしくは機械をはめるスペースとして造られた物かだろう
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さて、脱出しよう