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木更津海軍航空隊遺構(新規弾薬庫)

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木更津駐屯地の近くに、今まで雑木林に囲まれていた弾薬庫が露出したとの話を聞いた
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翌週に行ったが、既に単管パイプとネットで囲まれていた
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敷地に入れなくも無いが、周囲の目線が多くて諦める
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反対側に回るも、単管で入れない
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コンクリートブロックの手前は個人邸敷地なのでこちらもアウト
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調査が終わったら、撤去されて売地になりそうだ

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木更津駐屯地の遺構を眺めながら海岸へ向かう
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コンクリート掩体壕
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コンクリート退避壕等が、外部からでも見れる貴重な基地だ
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その先の海岸に、海の電柱を見に行ったがほぼ撤去されていた
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もう一か所の電柱に向かう
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こちらはコンクリート製のせいか、ちゃんと残っていた
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工場萌えと共に海上電柱を見れる貴重な場所
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この先端の密漁監視所への送電ケーブル(サーチライト等)
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腐食するまでは残ると思うが、役目は終えているので微妙だ
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木更津駐屯地周辺から見えていた、ボイラー室等が撤去されてしまったので、ちょっと寂しい
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撤去されたボイラー室の過去画像
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社会館吾妻保育園周辺に残る遺構の現状を見て行く
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木更津海軍航空隊隊門
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左の公園に沿って行くと弓道場に射だと言われる遺構がある
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コンクリートに土を盛った立派な物だ
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弓道場の先に進むと
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手前に小型の貯水槽
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奥に大型の屋根付き貯水槽がある。手前の小屋は不明だが、パイプ錆具合が違う
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大型の貯水槽と小型貯水槽には、年号入りの(昭和十七年)の印がある錆びたパイプが接続されている
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こっちは小型の貯水槽(昭和十六年)
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横倒しになってしまった小屋に残る水量計
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ほぼ完全に倒壊してしまったおかげで、内部の大きさが判る
(令和3年5月現状)
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約十年前の写真
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近くに消火栓もあるが、1958の刻印があるので年号ならば戦後のものだろう

おまけに基地内遺構を一部抜粋する
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これらはほんの一部に過ぎない、これ程の遺構の残る駐屯地は珍しい
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広島陸軍兵器補給廠岡山支廠 その3

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岡山大学構内に戻って来た
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こじんまりとしたこの建物
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工学部11号館、倉庫だったと思われる
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当時らしい明かり取り
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恐らくこのトタンの部分より切り取られて、半分程度になっている気がするが、明かり取りの位置的にどうか?
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反対側のオリジナル部分
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更に西側に移動する
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ほぼ西端のグランド前に工兵第10連隊 浴場、食堂がある
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非常に変わったこの建物であるが、この部分は平屋で浴場らしい
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T字に飛び出した部屋
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玄関なら解るが、部屋でこの出っ張りは珍しい、厨房にしては煙突も無い
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手前に手洗いでもあったのだろうか
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更に変わっているのが、後半部分は四角い二階建てになっている事だ、こちらが食堂
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近代化改修を受けているので、どこまでがオリジナルか判らない
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表側に回った
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全然70~80年経っている様には見えない
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浴場と思われる方は、覗く事も出来ない
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考古学資料館とあるが、入り口は封鎖されている
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玄関アーチも改修されている
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西端グラウンドと駐車場の間の草むらに
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煉瓦建物の残骸が転がっている
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バラバラのコンクリート片と煉瓦片
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工兵隊の橋梁演習施設の残骸
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これは煉瓦の積み方の向きから、横倒しになっているように思う
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アンカーボルトが対で刺さっている
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一瞬建物の基礎にも見える
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元はどんな構造だったのだろう
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煉瓦には稀に刻印が打ってある
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二の刻印
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貝塚煉瓦が多い様だ
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裏側は砂山になっている
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刻印はランダムに出荷1ケースに1個ぐらいで打たれたらしい
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御影石になんか書いてある
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70数年でこんな木に育つんだな
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陰に斜めに倒れた煉瓦柱
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こちらにも対のアンカーボルトがある、さっきのと対の柱で吊り橋でも作る訓練をしたんだろうか?
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ここにも刻印
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放送大学 岡山学習センター奥の雑木林が将校集会所庭園だった
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池の跡だけは確認できたが
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雨上がりの濡れた雑木林を探す事が出来ない、石灯籠もあるらしいが発見できなかった
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最後に岡山大学守衛所
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工兵隊衛兵所だった
これで反時計回りに一般に知られている岡山大学周辺の遺構を殆ど回った事になる
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岡山の探索を終え、空港に来た
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飛行機に乗る前に腹ごしらえをする
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ガチャ猫もいっぱいあるものだ

広島陸軍兵器補給廠岡山支廠 その2

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岡山大学敷地の北東部にあるコンクリート壁から北上する
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すぐにあるテニスコートフェンスの前に
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謎の煉瓦遺構がある
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当時の建物の一部だろうが、不明物件だ
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当時物と思われるコンクリート倉庫
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その隣にある馬術部の建物は
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当時の倉庫を馬房にしたらしい(馬が驚くので、フラッシュ等炊かず、静かに見学しよう)
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シャッターやスエードの屋根以外は、殆どオリジナルっぽい
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自動車部の脇を抜けて、北側の遺構を見に行く
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煉瓦の建物が見えて来た
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壁に高圧碍子が付いている
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屋根の形状が面白い
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旧工学部15号館、元は炊事場らしい
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その前にちょこんともう一棟ある
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留置所みたいな格子の入った建物
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工学部16号館、当時の衛兵所だ
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全体がぜんぜん撮れない
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衛兵所の横
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隣は炊事場の建物
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炊事場はL字型をしている
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炊事場は長いので、全体を撮るのが難しい
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ここで校外に一旦出る、外部に出れる出入口が限られるので、変則的に移動
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下が現在の入り口、目的はEブロックと言うか、現在位置の文字の上辺り
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気になる道はあったが、とりあえず車道を歩いて登る、こんな所歩いている奴はまずいない
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登った道をヘアピン曲がって引き返すようにP5駐車場に上がって行く
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P5駐車所の奥の墓地に向かうとP6駐車場に着く
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P6駐車場の下にそれはある(見えてる)
この遺構は大日本者神國成様を参考にさせてもらった
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一対の門があり、境界柱が並んでいる
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門柱にはヒンジが残る
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ここは号砲(大正~明治期には大砲で正午を知らせていた)を置く岡山號砲臺があった
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一時はひどい状態になっていた様だが、見事に再復活していた
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大砲はレプリカだが、大砲の車輪止めの石材は当時の物
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号砲の奥に向かうとお墓があるが、その周りに標柱が乱立する
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第二号(一号は見つからなかった)
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表は陸軍用地
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すぐ近くにもう一本あるが
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岡山なんちゃら?
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更に下ると
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岡山大学用地?な訳ないか?
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沢山道沿いに立っているが
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風化が激しく読める物が無い
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位置関係
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かなり広範囲にあるが、結局読めなかった。戦跡では無さそうだ
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この土留めも古そうだが、関連は不明
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そのままどんどん下に下って行く(石柱は消える)
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予想通り登って来た道路に出た
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やはり行きに気になった所に、正規の登り口があったのだ
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P6駐車場から現在位置までしっかり道があった事になる

広島陸軍兵器補給廠岡山支廠 その1

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ローソン 岡山法界院店前のドブ川に、標柱が残っている
今回もkanレポート様を参考に、岡山大学及び周辺を探してきた
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なぜこんな所にあるのだろう?路盤を嵩上げし、道路を平らにしたのだろうか
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上半分が折れているが、用だけは読めるので、陸軍用地の標柱だろう
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岡山市立岡北中の構内、外からも見える所に井戸とされる遺構がある
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岡山大学事務局地域総合研究センター前の大学本部棟P(来客用)に車を停める
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ここは第17師団司令部だった
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外観はかなり当時の形を留めていそうだ
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この辺りに陸軍の星が欲しいのだが、北海道では見かけなかった
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入り口辺は、かなり変わってしまっているようだ
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1階は事務所で見る事は出来ない
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階段の踊り場に先ほどの写真パネルが展示されている
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階段の装飾にも星マークは無い
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当時の電灯らしいが、内装もすべて改装されているので、違和感に感じる
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廊下に一部ぱねるで説明がされていた
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移築時に、大分近代化改装されてしまっているのか?
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正門に一旦戻る
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正門横の岡山大学情報展示室(旧陸軍第十七師団司令部衛兵所)
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下調べしてなかったので、ちょうど閉館時間で内部は見れなかった
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建物遺構のほとんどは北側半分に点在するので、北側ブロックに移動する
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この辺に演習機材庫があるはずなのだが、更地があるだけだ、場所が違うのか?
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営門門柱が見えて来た
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山砲兵第2連隊の正門門柱
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針金が刺さっている、表札用か?
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門柱左右に土留めが残っている
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この遺構は隠れるように置かれているので、素通りしそうになった
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軍人勅諭の5カ条の碑
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一旦外に出て大学の右端にあるコンクリート塀を見る
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塀の手前を曲がると橋がある
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橋を渡ると門柱がある
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北倉庫第一通用門
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非常に小さい橋なので、本当に通用門程度なのだろう
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門柱は片側だけ、壁は相当高い
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直角で無く、緩やかに曲がって続くコンクリート塀
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内側も一応見ておく

第17師団の岡山偕行社と観光

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翌日の朝は、観光で始まる
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そして、自分の遠征はなぜか雨が降る
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昨夜周った倉敷美観地区をざっと周る
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誰一人いない時間って最高だ
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IVY SQUAREの開店時間に合わせて移動する
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直接戦争遺跡では無いが、その頃の煉瓦建築物が並んでいる
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本来はホテルなのだが、いろいろ楽しめるようだ
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元々は代官所だった
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本来は蔦の絡まる煉瓦で有名なのだが、行った春先はこんなもんだった
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明治の建築美を見て回る
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唯一蔦が残っていた一角
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ホテルの入り口
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蒸気で鳴るって、想像が着かないのだが?
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吉備津神社に参拝した
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ここで生き神様に出会った
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一しきり遊んだ後、すっと立ち去り
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神棚に消えて行かれた、ありがたや!
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岡山と言えば、桃太郎
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市内には路面電車が走っている、乗りたかった
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岡山城に到着
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場内に入る
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珍しい形をしたお城だ
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再建された鉄筋コンクリートのお城型資料館
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ピカピカの瓦としゃちほこ
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フォトスポット
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岡山後楽園に足を延ばす
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お抹茶ときびだんごを頂く
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蝋梅
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まだ梅が咲いていた頃の話だ
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岡山県野球場にやって来た
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正確には岡山県総合グラウンドだ、岡山陸軍練兵所の跡地となる
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第17師団の岡山偕行社、俗にいう将校クラブだ
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総合グラウンドのH/Pでは一文も触れられていないが、案内板はある
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2012年に登録有形文化財となる
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何か食っていこうと思ったが、店員のおばちゃんが客が来てもずっと明らかに私用電話をずっとしているので止めた
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階段の手すりの彫刻は星マーク
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将校クラブだけあって、豪華な造りだ
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二度の移築でかなり改装されてしまっているが、それなりに観れる

鶴地下工場 松(五軒屋)工場

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中国電力ネットワークに面した山に鶴地下工場が築かれていた
この近辺には亀島山地下工場、鶴地下工場、松工場があっておめでたい
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しかし鶴地下工場としての遺構はこの封鎖された壕口ぐらいだ
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隙間から覗くが、とても入れない
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一応辺りを探してみるが
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陥没したような痕跡はあるが、壕口は見当たらなかった
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コンクリートの建物基礎があると言われる辺りには、整地された売地看板が

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水島臨海鉄道を挟んで反対側の山に松工場があった
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鶴と違い、松には案内看板が立っていた
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とりあえず、お大師堂に向かう
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ちゃんとそこまでは道がある
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お大師堂は、廃堂になっていた
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何となく道があるので行って見る
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道は無いとか案内板に書いてあったが、立派な道がある
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楽勝だと思ったが、かなり登って行く
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お地蔵様
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なんか様子がおかしい
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これはやってしまった、山城の黒山城跡だ
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どおりで土塁が有ったり掘りがあったりすると思った
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道を外れて、直接給水塔の合うだろう方向に降りて行く
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石垣らしきものがある、案内板の物だろう
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どうやら降り過ぎてしまったようだ、上に何か見える
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給水塔発見!予想より上の方にあった
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給水塔背面部に到着、いらん苦労をしてしまった
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直径6.1mの給水塔の上部はアルミ板で蓋をされている
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乗るとベコベコして薄っぺらそうだ
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先端に立つと、下が無い
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道路側正面から見る
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下層の煉瓦積みが結構粗い
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イギリス積みのようだ
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下には迫り出し部分がある
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帰りはうっすら残る道を辿ると、お大師堂の裏に出た、ここから行けば良かった

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倉敷川畔美観地区にやって来た
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夜の19時を回ると、人気が殆ど無い
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晩飯を食おうにも、店が開いていない
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大正昭和初期の建築物が残る
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鶴形山トンネル
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倉敷市倉敷公民館
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その脇に防火水槽がある
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鎹で止めた防火水槽なんか、初めて見た
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せっかく来たので、美観地区を見て行く
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聯島防空高角砲台

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聯島防空高角砲台は、この鉄塔を目指して来る事になる
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この辺りの窪地が弾薬庫になるらしいが、ホームの出入りもあり遠慮した
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少し上の丘部分に遺構がある
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廃屋の脇の踏み分け道を進む
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ここには砲台の指揮所があったと言われる
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今回は大日本者神國成様を参考にさせてもらった、詳しくはこちらを
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かなり見にくくなっているので、全体は判り難い
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前の道を降りて行く
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あちこち見てみるも、さっぱり分からん
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近くで作業されていた方に聞いてみると、自分の畑だと案内してくれた
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確かにこれでは、私有地に立ち入らないと分からない
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唯一の砲座の遺構、即応弾薬置き場
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上端部には亀裂が生じている
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内部を掃除したりすると、一気に割れるだろう
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ここから亀島山地下壕のある山が見える
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眺めるならあの建物の上から見ればいいと言われた
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草ヒロ発見
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元はNTTかなんかの宿舎だったらしい
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今は無人なので上がってもいいと言われた
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確かに眺めはいい
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目指してきたNTT鉄塔
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砲台のあった辺り、全く面影は無い
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お礼を言って引き返す、ここには結構な頻度で訪れる人がいるらしい
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古そうな用水池があった、これも遺構かも知れない

ここは私有地となりますので、立ち入りは気を付けて下さい、道も恐らく私道となります
とても気さくなご夫婦が所有者ですので、礼儀を弁えてお願いすれば、快く案内してくれます。

亀島山地下工場 その3

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第三主坑道以下は、幾分狭い
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第二主坑道への枝道
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この辺は、ズリが出されず溜まっている
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どんどん狭くなる主坑道
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崩落のおかげで、広く見える交差点
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奥の方は枝抗もズリだらけ
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最深部
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壕口は恐らく埋め戻し
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この辺は湿度がやたらに高い
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妙にコンクリート片の転がる通路
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四角い溝
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大きさの違う碍子
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壁際の窪み
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右側に並んだコンクリート
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機械台座だ
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同じ種類の機械が並んでいたのだろう
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コンクリート巻きの壕口
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コンクリートの巻き方が、かなり悪い様だ
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薄っぺらな天井が崩落している
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壁に巻いていた木材が、かなり残っている
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壕口側のコンクリートも崩落している
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多分第四主坑道
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右側の掘りかけ
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通路も拡張中っぽい
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地層が変わって、かなり崩れやすいようだ
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壕口か?掘りかけか?
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主坑道らしい幅になる
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なんだこれは?
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板を貼ってコンクリートを巻いた釘あと
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上にある木枠
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主坑道を進む
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右の枝抗
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主坑道も低く狭くなって来た
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いきなり一時的に元の広さになる
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文化祭の飾りみたいなのが落ちている
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部分部分、拡幅の途中の様だ
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また狭くなって
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閉塞
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戻って枝抗に逸れる
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木箱が落ちている
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もはや枝抗も主坑道も同じに見える
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この通路は本当に拡張中なんだろう、ガレが多い
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第五主坑道に戻って来た
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落書き禁止
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ランプ掛けか、犬釘が刺さっている
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スタート地点に戻って来た
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脱出する

亀島山地下工場 その2

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ここまでは横を移動して来たが、縦の主坑道を一番端にそって進む
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第一主坑道
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コンクリートの巻かれていない部分は、見事に崩落している
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右の第二主坑道への通路
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僅か10数Mだけのコンクリート巻き
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振り返り
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コンクリート巻きの反対側
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トンネルの銘板みたいな木材
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枝抗
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ロッドか?
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無銘の碍子も落ちていた
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次の分岐
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トロッコの枕木が埋まっている
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分岐の枝抗
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今度は大きめのコンクリート巻き
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その手前の枝抗
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枝抗内部
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大きなコンクリート巻き
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交差点を守るためのコンクリート巻き
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煉瓦が土嚢のように積んである
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それを越えると、コンクリートの床が現れる
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分厚い入り口のコンクリート
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外観
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壕内に戻る
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床のコンクリートは、恐らく戦後の物だろう
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交差点には何故かブルーシートが敷かれている
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コンクリートの下方に、切り取った様な穴がある
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苦肉の策の様な枝抗への連絡口
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その上に覗き穴の様な物が、電線用だろうか?
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中に入ると、床の壁側がコンクリート
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何やら台座風に並んでいる様に見える
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とりあえず戻って、端の第一主坑道通路をコンプリートする
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振り返り
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最後のコンクリート巻き、第一主坑道は4ヵ所コンクリートで巻かれていた(枝抗除く)
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最深部は、三方に開口部予定だったようだ
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左側は全くの未着手
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中央は開いていた物と思われるが、外部からの埋め戻し
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開口しているのは右側だけ
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謎の穴もしっかりある
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開口していた頃に投げ込まれたのだろう、産業廃棄物のスレート等が床を埋め尽くす
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韓国のり
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パッケージごと大量にあちこち捨てられている
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入って来た方向
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灯り置きにしては、深い小穴
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第二主坑道
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右はゴミだらけ
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左側は細く長い通路
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開口部に出た、一般見学はここからだろう